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2008年12月16日 (火)

NHK大河ドラマ 「篤姫」 役者の成長

 今年2008年のNHK大河ドラマ 「篤姫」 は、セリフの端々に 「家族じゃ」「家族ではないか」 と、何を訴えたいのかがとてもよく分かるドラマだったが、そうした小手先のテーマの強調よりも、よほど説得力があったのが、主演の宮崎あおいの演技だった。

 特に物語終盤では、幾島 ( 松坂慶子 ) と再会しては泣き、小松帯刀 ( 瑛太 ) との最後の対局で泣き ( 今生の別れと分かっているわけでもないのに )、なにかっていうと途端に目がウルウルしていた。 これは、宮崎が1年間演技をともにしてきた共演者に対して、とても強い絆を感じているのだと、みている側に納得させるのにじゅうぶんな演技だった。 共演者とのそれを家族の絆、というには大袈裟な気もするが。 宮崎あおいが、いかに篤姫と一体化していたかもうかがい知れる。

 それは、物語中盤で、夫の家定 ( 堺雅人 ) が死んだときの涙の演技とは、質的に違うもののように思う。
 その時彼女は、泣こうとして泣いていた。
 終盤での涙は違う。
 たぶん、この1年で、彼女自身の演技が成長したのだろう。

 最初に私が、2008年の大河は宮崎あおい主演、と聞いた時、こんな大役が務まるのか?と疑問だった。
 だが第1回目を見て、おもしろい、このコはいける、と思ったものだ。
 最終回によくありがちな回想シーンでの、彼女の少女期の演技は、私のそのときの気持ちを思い出させてくれた懐かしいものだったが、あらためてこうして序盤の演技を見ると、メイクさんの腕にも感心するが、実にキャピキャピしていて、壮年期と完璧に演じ分けがされていたことにちょっとびっくりした。 そりゃ幾島の厳しい特訓があったからこそ、あれほどまでに変身できたのだが、さすがに大河ドラマの主役を張るだけの力量はある。 20歳そこそこだというのに感心する。
 その20歳そこそこの女の子が1年間頑張ってきたのだ。 終わりが近づくほど涙ボロボロになるのは、そりゃ仕方ないではないか。 厳しい見方をすれば、プロならば泣くべきところではないシーンでは泣くな、ということになろうが、却って冷静に演技をされたほうがみているこっちがしらけてしまう。 終盤の彼女の感情の昂りはそのギリギリの線で保たれていた。 彼女は、プロとしての演技を全うしたのだ。

 彼女に対する私の好感度がアップしたのは、彼女がビートルズファンだということを知ってからだ。 ビートルズのファンに悪い人はいない。 ついでに言うと、キャンディーズのファンにも悪い人はいない。 不破元防衛相もキャンディーズのファンだから悪い人ではない。 麻生首相はゴルゴ13のファンだから悪い人だ。 ってどういう基準じゃ。

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