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2008年12月16日 (火)

NHK大河ドラマ 「篤姫」 もう少し書くかな

 2008年大河ドラマ 「篤姫」 の物語に副次的に流れていたのは、「必要悪」 という概念だった。

 物語序盤で、壊滅的な財政危機に陥っていた薩摩藩を立て直すために、家老であった平幹二朗サンは、相当あくどいこともやりながら、なりふり構わぬ改革を断行していた。

 彼の藩内での評判はサイアクで、その真意をただしに於一(おかつ、のちの篤姫)たちは彼の屋敷に乗り込むのであるが、彼は於一の疑問に真摯に答える。
 彼は、自分の命をかけて、藩内の批判を一身に受けようとしていたのだ。

 その直後彼は、罪をかぶる形で自殺を遂げてしまうのであるが、このドラマがいいものになると私が予感した、これが最初のエピソードだった。
 この家老を演じた平幹二朗サンの息子が、途中から登場した徳川慶喜役の平岳大サンというのも、みている側には世代の交代を感じさせるキャスティングだった。

 物語中盤では、安政の大獄という、歴史の教科書にはヒデエ話としか書いていない(笑)圧政をしいた井伊直弼(中村梅雀サン)が、やはり篤姫の詰問で、自らの覚悟のほどを吐露する。
 江戸城に入った時から何かにつけてムカツクやつだったのに、篤姫は、井伊には井伊の信念があることを理解するのだ。

 終盤に入ると、今度は西郷吉之助(小澤征悦サン)である。

 彼は、自分ひとりが悪者になることで、かつての主である島津斉彬(高橋英樹サン)の娘である篤姫のいる江戸城を攻める決意をしている。
 篤姫は、勝麟太郎(北大路欣也サン)からの事後報告で、「西郷らしい」 とひとり納得するのであるが、それは篤姫が、今まで自らの人生に関わってきた人々が行なってきた 「必要悪」 というものの底流にあるものを、本質的に理解していたからなのではなかろうか。
 そして、その必要悪のはびこる俗世間に最後まで抵抗していたのが、将軍家定(堺雅人サン)であり、家茂(松田翔太クン)であり、小松帯刀(瑛太クン)だったのではなかろうか。

 この物語のなかでは、必要悪を、いいことだとも悪いことだとも結論づけしていない。
 ただ、徳川家の心を守ろうとした篤姫が、その志を全うしていくのに対し、篤姫の周りの人たちは、そのまっすぐな志を果たせないまま死んでゆくものばかりだった。 小松にしろ、西郷や大久保にしろ。

 それは、飛躍すれば、現代に至るまでのこの国の政治が、志というものを失っていく過程のように、私には思えるのだ。

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「篤姫」 役者の成長http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2008/12/nhk-8b82.html

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