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2008年12月20日 (土)

「Mr.インクレディブル」 から三浦友和サンの思い出

 日テレ金曜ロードショー 「Mr.インクレディブル」、見ました。
 主役の男女ふたりの吹き替えが結構ハマってて、声優にしてはあまり聞いたことのない声だったので、誰かと思って、見ている途中で調べたら、三浦友和サンと黒木瞳サンでした。
 ああ、調べるんじゃなかった(笑)。
 分かった途端、ふたりの顔がちらついて、映画に没頭できなくなってしまいました。 声優が誰か分かってしまうって、どうなんスかね。 って調べた自分が悪いんですけど(笑)。

 三浦友和サンは、実はずっと昔、私ファンでした。
 それは私が、山口百恵チャンのスッゲエエエーファンだったことがそもそものきっかけであります。
 だから今も、ほんとうは陰ながら、友和サンを応援していたりして。

 友和サンが歌も歌っていたことを知っている若い世代は、あまりいないんじゃないでしょうか。 ネットで調べりゃすぐ分かりますけど。
 1976年ごろ、ラジオの文化放送で、日曜朝10時から(だったっけな?)「三浦友和と仲間たち」 っていう番組をやっていて、「今月の歌」 というのを、自分のバンドを率いて歌っていました。 番組名と同じタイトルのアルバムも出していた、と記憶しています。
 確かその 「今月の歌」 というのは、リスナーから歌詞を募集して、それに友和サン、かバンドの誰かが曲を作る、という企画でした。 結構エア・チェック(死語? ラジオ番組を録音することです)をして何回も聴き込んだものです。 だから今でもそのうち何曲かは、ソラで歌うことができます。
 いい歌あったよなー。 「エニシダの木陰」とか。 「水たまりのステップ」 とか。 もおおー、誰も知らんかー(笑)。 誰か、知りませんかー(笑)。 思い出共有、しませんかー(笑)。

 その番組に、百恵チャンがゲストで来たことがありました。 確か 「赤い疑惑」 の最終回から間もなくのころ。
 ふたりでその最終回の大島幸子が死ぬシーンを聴きながら、「よく録れてたねー」 とか感想を言いあったり、ドラマ主題歌 「ありがとうあなた」 を流しながら、百恵チャンが、幸子と同じ白血病で入院している女性から、番組に寄せられた手紙を読んだりしていました。
 その手紙のひと、今どうしているんだろう? もう亡くなってしまったのだろうか、とたまに考えたりします。 それとも 「作り」 だったのかも?とか。

 「エニシダの木陰」 という歌も、6年前に死んだ姉のことを書いたリスナーのお便りをもとに、作られた歌でした。 当時はやけに、陰気で深刻な内容の投書が多かった気がするのですが、それが本当なのかどうか、未だに判然としないところがあります。

 さて、友和サンの歌い方は、性格そのままの、クセのない、悪く言えばなんの毒もないような歌い方。
 聴く人の心をわしづかみにするようなインパクトには、正直言って欠けていました。
 だから当時も、一般にはあまり知られることもなく終わった気がします。
 その後友和サンがアガペ・ハウスというバンドを結成した時にも感じたのですが、ロック的なものを目指しているようで、どうもちぐはぐ、という感じでした。
 それもこれも、友和サンのクセのなさすぎる歌い方に原因があった気がします。

 俳優としての友和サンも、そのクセのないさわやかさが逆にアダになって、面白みのない時期がありました。 百恵チャンとの共演をしていた時期でも、あえてそれを打ち破るためだったのでしょう、「泥だらけの純情」 ではヤクザの役をやったりしたこともありました。

 友和サンはそのさわやかなイメージと同時に、百恵チャンの夫、という、男としてはあまりありがたくない肩書と、闘っているようなところがあった気がします。

 それが、相米慎二監督の 「台風クラブ」 で一皮むけて、それからはちゃんとしたひとりの俳優として、認識されるようになったのではないでしょうか。

 「Mr.インクレディブル」 の吹き替えは、最初彼がやっていると分からなかった私の先入観なしの耳に、はからずもその実力の証拠を、改めて見せつけたのでした。

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コメント

初めまして。
最近、「曲げられない女」をDVDで見ていて、関連サイトを調べているうちに、ここにきました。

「三浦友和と仲間たち」のまさにその回を私も聞いており、驚きました。
私の記憶では、そのとき友和・百恵で「ヘイ・ポーラ」をデュエットしたと思います。恋人というより、まだ兄妹のような感じでした。
34年前の番組を急に思い出すことになって、驚くやら、なつかしいやら、本当にありがとうございます。

まだサイトもごく一部しか拝読していません。「曲げられない女」の批評は、うなずくことが多く、深い読みに本当に感心しています。
また遊びにうかがいます。

投稿: AI | 2010年10月 7日 (木) 17時39分

AI様
こちらこそはじめまして。 コメント、ありがとうございます。

あー!とても、うれしいです!
同じ番組を聞いていた人が現れるとは!
永遠にこの記事にはコメントが付かないと思っておりましたので、うれしさもひとしおです。

「ヘイ・ポーラ」 を 「仲間たち」 で歌っていた記憶は定かではありませんが、ふたりがこの曲をどこかで歌っていた記憶そのものはあります。 そうでしたか、この回でしたか!

実はこの 「赤い疑惑」 の部分だけカセットに録音し、何度も聞いていたので、この部分の記憶だけは確かなのです。 そのカセットテープはまだ健在なので記事にもアップさせたいのですが、いかんせんデジタル音痴なために叶いませんcoldsweats01

34年前の日曜日は、まさにラジオ三昧で(笑)、「ヒデキとこずえの楽しいデート」 やら、「全日本歌謡選抜」 やら、文化放送中心で聴いておりました(「リクエスト合戦」 とかニッポン放送もですが)。

私のブログ記事は結構細かいので、途中で読むのが嫌になってしまうかもしれませんが(笑)、もしよろしければ、暇つぶしにでもお付き合いくださったら、幸いです。

投稿: リウ | 2010年10月 8日 (金) 05時27分

初めまして。


三浦友和さんが以前【エニシダの木陰】という歌を唄われていたのをふと思い出しました。


調べるとここに辿り着きました。


三浦友和と仲間たちというラジオ番組は、私も毎週録音していましたが、百恵さんがゲストで出ていた事はよく覚えていません。


【エニシダの木陰】を題材にした少女漫画があったように思います。


私の記憶違いかも知れませんが、自分の心の中にいた人なのに、いつの日かお姉さんの想いを告げるなんて、私にはできないと思いました。


歌い出しが♪あの日からもう6年の月日が流れ♪でしたよね。


私は三浦友和さんと百恵さんが大好きで、いろいろな事が分かって良かったです。


ありがとうございました。

投稿: ちい | 2017年5月27日 (土) 20時20分

ちい様
コメント下さり、ありがとうございます。

ためしに今、私も 「エニシダの木陰」 でネット検索してみましたが、この曲について詳しく言及しているのが私の記事だけでした(笑)。 「エニシダの木陰 三浦友和」 でもあまりない。 もう忘れ去られた曲のひとつになっているのはさびしいことです。

この 「今月のうた」 にはほかにもいい曲が結構あって、その曲をエア・チェックするのが楽しみでした。
この1976年当時、プロ野球のオフ・シーズンに百恵ちゃんの 「セブン・フォーエバーフォーク」 という番組をやっていて、その番組の中で 「この番組を毎週カセットテープに録音している」、という人がいたことを妙に覚えています。 当時は私、小学5、6年でカセットテープのような高い代物は容易に買えなかったので、「毎週そんなことができるなんて、いいなあ」 と思っていたので覚えていたのです。 ちい様は、それが出来る人だったのですね。 アーカイヴをたくさん持っていそうですね。

今、私のカセットデッキは壊れてしまって昔録ったカセットが聴けない状態なのが残念です。

投稿: リウ | 2017年5月28日 (日) 09時07分

リウ様


コメントをいただき、ありがとうございました。


突然、三浦友和さんの事でコメントが届いて、びっくりされたと思います。


三浦友和と仲間たちを録音したテープは、残念ながら今手元にありません。


前のコメントで、エニシダの木陰を題材にした少女漫画があったように思うと言ったので、気になって必死のパッチで調べました。(笑)


太刀掛秀子という人が書いた『ほろほろ花が散るなかで』という漫画に、エニシダが出ていてあらすじも似た所がありましたが、詳しい事は分かりませんでした。


私が見た少女漫画と、エニシダの木陰の歌詞がダブってしまったのだと思います。


遅い時間になりましたが、コメントは読める時に読んでいただけたらと思います。

投稿: ちい | 2017年5月28日 (日) 23時59分

ちい様
コメント下さり、ありがとうございます。

大昔(と言っても9年ほど前…やっぱり昔か…笑)に書いた記事にコメントがいただける、というのはうれしいことです。

そのマンガについては小生、オトコなので分からないです。 6年たってから妹が 「♪姉さんの思いをあの人に」 話す、というのは、「もう笑い話になる年月だから」、ということかもしれません。 あの曲がかなり性急感を持った曲調だったので、シリアスさが増したのではないか、とも思えます。 でも、1976年当時の日本人の、ある種のストイックさ、生真面目さの中にあの曲は生きている。 今でしたらネットで叩かれるような行為も、一途なことが尊ばれる時代の空気の中で、あの曲は呼吸しているのだ、と思います。

テープがお手元にありませんか。 それは残念ですね。 私は先に書いた 「フォーエバーフォーク」 の最終回の音源だけ持っておりまして、それについて書いた記事もございますのでよろしければ読んでいただけると幸いです。→

http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/02/post-a647.html

「芸能・アイドル」 カテゴリでは主に百恵ちゃんのことが結構書いてあるはずです(もうこのカテゴリではしばらく書いてないから忘れました…笑)。

投稿: リウ | 2017年5月29日 (月) 13時17分


リウ様


コメントをいただき、ありがとうございました。


今頃になって、三浦友和と仲間たちの事を知ってる人とお話しができるなんて、思いもしませんでした。


リウ様が少女漫画を見ていない理由が分かりました。


偶然、見させていただいたブログですが、エニシダの木陰の事を書いていなければ、コメントを書いてなかったかも知れません。


あの歌は、テンションが上がるような歌ではありませんが、詞も曲も好きで、思い出すと友和さんの声が蘇ってきます。


「フォーエバーフォーク」の、最終回について書いた記事も読ませていただきました。


半年間の一時間番組だったのですね。


すごく細かく書かれていて、ただただ感心するばかりでした。


百恵さんが、若い時という事もあったのか、下ネタを話していてちょっとビックリしました。


確かにチ〇チ〇ポンポンという歌がありましたね。(笑)


元はイタリアの歌で、イタリア語の「チ〇チ〇ポンポン」を和訳すると「シュッシュッポッポッ」となり、現地では汽車の歌だったようです。


私は、フォーエバーフォークを聞いた覚えはありませんが、宇崎さん・阿木さんコンビの時の百恵さんが好きです。
と言うか、百恵さんの事はいつも好きです。


赤いシリーズはすべて見ましたが、やっぱり赤い疑惑が一番良かったです。


友和さんと百恵さんの他に、お父さん(宇津井健さん)や、好きな俳優さんがたくさん出ていたので。


ドラマの最終回は、お父さんのセリフ、「幸子!お父さん信じてくれ!」で始まって、最後は幸子の、「おと~さ~ん、おと~さ~ん」で終わって、ドラマの中で死んだだけなのに、幸子の声が聞こえて悲しかった事を記憶しています。


フォーエバーフォークっていい番組だったのですね。


締めくくりは、うまい言葉が見つからなくて、

何も言えねえ。(笑)

投稿: ちい | 2017年5月29日 (月) 21時31分

ちい様
コメント下さり、ありがとうございます。

「チンチン…」 、もともとはそういう意味だったんですか(笑)。 百恵ちゃんはあの歌が好きでした…(笑)。
もともと百恵ちゃんのコメディエンヌ的な素質って、「フォーエバーフォーク」 だけでなくて、例えばテレビの 「ヤンヤン歌うスタジオ」 とか、あと番組名は思い出せないけれどいろんな番組でコメディタッチの寸劇なんかをやらされていたところからも、分かると思うんですよ。 「夜のヒットスタジオ」 でも、三波伸介サンが司会の頃にはそういう寸劇のコーナーがありました。

この記事本文にも書きましたが、私も 「三浦友和と仲間たち」 の思い出を共有できる方と出会えてよかったです。 この 「今月のうた」 を集めたLPが、1976年当時売られていたはずだと思い、アマゾンで調べてみましたが、どうもCDでは売られていないようで、現在では中古LPも入手困難のようです。 アガペ・ハウスの頃より、フォーク寄りだった 「仲間たち」 のほうが好きだったんですけどね。

友和サンに対しては、やはり私も男の子でしたので、かなり複雑なファンだった気がしますね。 あくまでさわやかで好青年で、百恵ファンとしてはケチをつけたくなるんだけど、それが出来ない(笑)。 却って 「赤い運命」 や 「エデンの海」 の頃に 「友和に続く第2のゴールデンコンビ」 みたいにくっつけられた南条豊サン、でしたっけ?…彼が出てきたときのほうが 「いや、百恵の相手はコイツじゃない」 と毛嫌いしたものです。

いや、複雑なのはですね(笑)。

南条サンに対してストレートに毛嫌いを催したのではなく、なんとなく百恵ちゃんが嫌がってる空気みたいなものを感じたから、「百恵のやりいいようにさせろ」 みたいな感覚で毛嫌いしていた、と思うんですよ(笑)。

それと、やはり友和サンが当時どこまでも 「百恵ちゃんの付属品」 みたいな立ち位置だったことに対する、なんか同じ男としての共感、とでもいうのでしょうか、同情、というと憐れんでいるようで嫌ですが、そんな感覚も友和サンに対してはあったなぁ。 だから 「友和ガンバレ」 にはそういう複雑な思いが交差していたんですよね。

「台風クラブ」 から、「独眼竜政宗」「三丁目の夕日」 など、なくてはならぬバイプレイヤーとしての地位を築けた友和サンには、だからやはり率直によかったな~と思うのです。

「赤い疑惑」 については…。

話し始めるといつまでたっても終わりそうもないので、今日はこの辺で(笑)。

投稿: リウ | 2017年5月30日 (火) 13時57分

リウ様


コメントをいただき、ありがとうございました。


三浦友和と仲間たち/赤頭巾ちゃん秘密だよのLPの事を調べたら、楽天市場に中古のLPが一枚だけありましたよ。


いい歌がたくさん入っていて、仲間たちの事も好きですが、友和さんが仲間たちの他にも、バンドを組んでいた事は知りませんでした。


赤い運命で百恵さんの相手役が、南条豊さんだった時はとても残念で、何でこの人なんだろうと思っていました。


まあ、ゴールデンコンビではなかったと思いますが。(笑)


ゴールデンコンビで思い出しましたが、百恵さんが大石悟郎さんとラジオに出ていた時、二人はプラチナコンビと呼ばれていたとか。


良い悪いは別として、そういう呼ばれ方をしていたのだなと知りました。


友和さんが、百恵さんの付属品みたいに思っていた人がいたなんてびっくりです!!


友和さん・百恵さんコンビの映画はすべて劇場で見ましたが、友和さんだけ出ていた映画は劇場では見た事がありません。


友和さんと百恵さんの事をよく知ってはるので、いつも驚く事ばかりです。


リウ様からコメントをいただいて、ブログを書く事に慣れている人だと思いました。


昔の記憶が薄れながらも、自分の思った事を書いていましたが、うまく表現ができなくて、はがゆい気持ちでいました。


コメントをいただいて嬉しくて、マラソンで例えると最初から、全速力で走ったような気がします。

人のブログに、コメントを書き始めたのは最近の事で、まだ慣れていません。


コメントをいただいたら、早く返したほうがいいと思っていましたが、少し疲れてしまいました。


ブログのコメントって、私からしたら難しいもので、メールを打つ感覚になってしまいます。


ちょっと休憩をしますが、またここに寄らせていただきます。


いい所でコメントが終わってしまったのが心残りです。


おまけに、コメントの連続記録も途切れてしまいました。(笑)


友和さんと百恵さんの、いろいろなエピソードを聞かせていただいて感謝しています。

投稿: ちい | 2017年5月31日 (水) 00時34分

ちい様
コメント下さり、ありがとうございます。

思いがけず話がはずんでしまって、ご無理をさせてしまったみたいで申し訳ございません。

最近はあまり記事をアップしませんが、ブログを書き始めてからもう9年になります。 ただしその前から不定期の日記みたいなものを帳面に書いておりまして、そこにいろんな評論とか書いていたのが今に生きているようです。

今ではキーボード入力に慣れてしまって、たまに自分の住所を書くようなことがあるとそれだけで手が疲れる感じがします(爆)。 漢字も忘れてるし(笑)。

友和サンが付属品、というのは子供だった私の目から見た、マスコミなど当時の評価ですので悪しからず。
このラジオ番組とかで友和サンのことを余計に知っていたからこそ、私もそうした口さがない言われようには腹が立ったものです。 百恵ちゃんが超のつく人気者だったから、そうした格の違いがマスコミに取りざたされたのでしょうけれど。

私がこのゴールデンコンビの映画を劇場で見たのは「潮騒」 と 「泥だらけの純情」 だけでした。 ただし 「潮騒」 は封切り時、小学5年のときに見たからかなり衝撃的で(あの 「火を飛び越えてこい」 のシーンですね…笑)ここから本格的に百恵ちゃんのファンになった気がします。 まあ、「スタ誕」 を見てたのでデビュー時から応援みたいな感じではいたのですが(ただしオーディション、そして合格のときは見てなかったと思います)。

私が律儀にコメント返信するものだからこれに返信しなくてはならない、なんて堅苦しく考えないでください(笑)。 ブログを始めた当初から、「ちゃんと返信だけはする誠実さは持っておこう」、と決めているだけですので(笑)。

それではまた、昔話が出来たら…。confident

投稿: リウ | 2017年5月31日 (水) 13時18分

リウ様


コメントをいただき、ありがとうございました。


ちょっと休憩をしますと言った為に、気を遣わせてすみませんでした。


ブログとメールは少し違うと思いますが、私も人からメールを頂いた時は、必ず返信をするようにしています。


コメントをいただいて、なるべく早く返信コメントを書くようにしていて、ペースが早過ぎるかなと思いながら書いていました。


少し力を抜いて、これからはコメントを書く時、マイペースで書ければいいかなと思います。


私も友和さんのファンになる前に、百恵さんのファンになったのですよ。


それと、リウ様のブログに辿り着いたのは、元々お父さん(宇津井健さん)の事を調べていた時、友和さんの名前が出てきて、その時にふとエニシダの木陰を思い出したという事で、お父さんが友和さんと百恵さんのファンのリウ様に会わせてくれたような気がします。


メールとコメントが合わさったような書き方になって、申し訳ないと思いますが、今はこれでいいと思っています。

投稿: ちい | 2017年6月 3日 (土) 21時58分

ちい様
コメント下さり、ありがとうございます。

いえいえ、コメントは、私が返信して一応1セット、完結ということなので、あまりご無理をなさいませんように、ということですハイconfident

BS-TBSでこの春先まで、「赤いシリーズ」 をやっていたのですが、全部見ることは叶わなかったけれど、やはり百恵ちゃんのお父さんは宇津井健サン、というのが私たちには定石だった気がします。

「赤い衝撃」 では中条静夫サンが父親役だったけれど、やはり違和感あったものな~。 「赤い衝撃」 では友和サンとのコンビが復活したけれども、宇津井健サンがチョイ役だったのが惜しまれます。 確かお出になってましたよね。 その後の 「赤い絆」 ではなんか百恵ちゃんの役柄が気に入らなくて、まともに見てません(笑)。 どうもあの 「ツッパリ路線」 というのが気に入らなかったなー。

結局、「赤い疑惑」 に帰ってきてしまうんですよ。

ただ気になるのは、「赤い迷路」。 私このドラマ、最初から最後までまともに見たことがないんですよ。 宇津井健サンも主役だったし、またいつか再放送、BSでやらないかな~(今年やったのを見逃したのは大きい…)。

投稿: リウ | 2017年6月 4日 (日) 14時23分


リウ様


コメントをいただき、ありがとうございました。


お父さん(宇津井健さん)は赤い衝撃では、少ない出演でしたけど、医師役で出ていましたね。


赤い迷路でも赤い疑惑でも、お父さん(宇津井健さん)は、百恵さんと親子役だったけど、本当のお父さんではありませんでした。


赤い運命では本当の親子なのに、最初から別々に暮らしていたし、最初から本当の親子だったドラマはなかったように思います。


長門裕之さんは、赤い疑惑でも赤い衝撃でも、幸子さんや友子さんの本当のお父さんだったのですね。


最近、百恵さんが赤い激流の一話だけ、出演されていた事を知りました。


赤いシリーズはいろいろありましたが、やっぱり赤い疑惑が一番良かったです。


現在放送しているドラマは、待ち焦がれるほどのドラマがないのが残念です。


いくつかは、何か作業をしながら見ているので、時間を有効に使えますけどね。(笑)


赤いシリーズの話しばかりで、申し訳ないです。


リウ様と知り合って、今まで知らなかった友和さんと百恵さんの事がわかって、感謝しています。


今日はこのへんで。(笑)

投稿: ちい | 2017年6月 5日 (月) 19時20分

ちい様
コメント下さり、ありがとうございます。

いや~、「赤い衝撃」 については、中条サンのインパクトが強くて、宇津井健サンがなんの役だったか、覚えてませんでした~。 こういうものはもう一度、きちんと見ておかないと自分の記憶が間違っていたりしていることが多いんですよ。

以前、別の記事に 「赤い運命」 で百恵ちゃんをいじめた秋野暢子サンは結局、三國連太郎サンに泣く泣く引き取られて…みたいなことを書いたのですが、今年やった再放送を見てると、どうも泣く泣くでもなかった感じで。 百恵ちゃんは南条豊サンを秋野暢子サンに後ろ髪引かれながら譲るみたいな展開で、「あれ、こうだったっけな~」 みたいな(笑)。

ただ、「赤い疑惑」 にしてもそうなのですが、昔のドラマは展開がかなりのんびりしていて、「もうちょっと時間に余裕があるときに…」 となってしまう。 「疑惑」 のときは、まず白血病だというのが誰それにバレて、次はこの人にバレて、次は百恵ちゃんが誰の子供なのかがこの人にバレて、次はこの人にバレて、みたいな、話がグルグル回っているような(笑)。

でも、いちばんハマっていたのは 「疑惑」 の頃でした。

百恵ちゃんと宇津井健サンが本当の親子だったのは、確か 「赤いシリーズ」 の始まる前、「顔で笑って」 というドラマがあったと思うんですよ。 その時に一緒だったとモノの本に書いてあった(「近代映画」 という雑誌、よく百恵友和の特集号を出してました)。

ただしこのドラマ、私は一度も見たことがないのです。

再放送でも一度もやったことがないのでは? 文献でしかたどることができない感じですね。

このドラマの主題歌か挿入歌が百恵ちゃんの歌う 「パパは恋人」 で、「禁じられた遊び」 のB面でした。 宇津井健サンとデュエットしてます(笑)。

投稿: リウ | 2017年6月 6日 (火) 14時02分

リウ様


コメントをいただき、ありがとうございました。


確かに、赤い衝撃の時の中条さんはインパクト大でしたね。


家の中で歩きながら服を脱いで、草笛光子さんがその後を追って服を拾ってたりして。(笑)


赤い運命は、ドラマ自体は良かったのですが、南條さんには悪いですけど、やっぱり百恵さんの相手役で残念でした。


赤い疑惑は30話近くあって、ゆっくりした展開で、再放送は夜中に放送されたので、瞼が閉じそうになりました。(笑)


赤いシリーズ以外では、お父さん(宇津井健さん)と百恵さんは、顔で笑ってというドラマで親子共演していましたね。


病院が舞台のドラマで、再放送も放送されていたみたいです。


パパは恋人は主題歌でしたよ。


私は見たはずですが、あらすじは忘れてしまいました。


でもお父さんと百恵さんがデュエットをした時の声は覚えています。


何故か、急に友和さんのエニシダの木陰にが聞きたくなってきました。

投稿: ちい | 2017年6月 7日 (水) 01時20分

ちい様
コメント下さり、ありがとうございます。 息切れ、してませんか?(笑)

昔のテレビドラマはだいたい半年に1本、という感覚で、「ありがとう」 とか 「肝っ玉かあさん」 などは何シリーズもかけてだいぶ長期でやっていた気がします。

でも半年に1本、となると、だいたい26話というのが基本になるのですが、「赤い疑惑」 などはたしか、ちい様のおっしゃるように30話近くまでやってました。 10月開始だったから、ふつう4月には終わるのですが、4月になってもまだやってた(笑)。

前回書いたような話のたらいまわしですから(爆)今の感覚だと 「も~、どうせばれるんだから全部最初からばらしちゃおうよ」 とか思っちゃうんですよね(笑)。 でも、それだけみんな、幸子のことを傷つかないように大事にしていた、優しい時代だったのでしょう。 最終回の日にちまで延びた。

ちい様クラスのかたならご存知でしょうけれど、これは 「百恵ちゃんを死なせないで」 という投書がTBSに殺到したからだ、と聞き及びます。 その通り、大島幸子(百恵ちゃん)の急性骨髄性白血病って、光夫(友和サン)の骨髄移植で、いったん治りかける(いや、治ったんだったかな)んですよね。 確か大島幸子の直接の死因は、肺炎だったと記憶しています。

それで数回話が延びた(笑)。 その次に間髪いれずに始まった 「赤い運命」 は、だから11月あたりまでやってたように記憶してます(笑)。 ガチガチのタイムスケジュールでやってる現在では、とても考えられないシフトの仕方です。

このブログの右に百恵ちゃんのCDの宣伝がありますが、そこにも 「パパは恋人」 は収録されています。

宇津井健サンはその曲の中で笑ったりもするんですが、その曲の中での百恵ちゃんは、それまでの固い歌い方から、なんか安心感に包まれているような歌い方に変わっています。 やはり父親の存在に、飢えていたんだろうな、と聞き取ることができる気がします。
内容は、「パパと私の恋人は似てる、いつか3人でお見合いしましょう」 という牧歌的な歌で(笑)。

「エニシダの木陰」 はカセットテープに録ってあるのですが、いかんせん再生方法がなくてですね…(笑)。 再生できても、ユーチューブとかにアップする方法が分からない…デジタル音痴で困ります。

投稿: リウ | 2017年6月 7日 (水) 12時53分


リウ様


コメントをいただき、ありがとうございました。


『ありがとう』や『肝っ玉かあさん』も見ていたのですね。


ありがとうはシリーズで3回あって、水前寺清子さんは、第1シリーズで婦人警官、第2シリーズで看護婦、第3シリーズで鮮魚店の娘の役をしていたそうです。


因みに第3シリーズでは、坂上忍さんが子役で出ていたそうで、私は忘れていましたが。


お父さん(宇津井健さん)の歌声を聞いたのは、『パパは恋人』が初めてだったかも知れません。


百恵さんと楽しそうに歌っていました。


安心感に、包まれているような歌い方に変わっていると聞いた時は、よく観察していてお見事です。


本当の親子だったらいいのにと、何度思ったことか。


また『エニシダの木陰に』が、聞けるようになればいいですね。


リウ様のコメントを読んでいて、問いかけみたいな事が書いてあると、できるだけ答えたいと思うし、なるべく早く返信コメントを書きたいと思うので、必死になって書いていました。


正直、少しバテ気味です。(笑)


少し前に、他の方のコメントが間に書いてあってビックリしました。


簡単に言えば、それぞれの部屋みたいなところがあると思っていました。


システムがよくわからなくて、ちょっと勘違いをしていたかも知れません。


ブログのコメントを書く事に向いていないのかも知れません。


なかなか思うように書けないし、もっとザックバランでいいのではないかと思ったりします。


でもEメールとは違うので、あまり馴れ馴れしくできないですからね。


ブログのコメントを書くのは体力がいるので、もっとご飯を食べなくては。(笑)

投稿: ちい | 2017年6月 7日 (水) 17時22分

ちい様
コメント下さり、ありがとうございます。 ちい様、また無理してますよね(笑)。 バテてまで返信しないでくださいましcoldsweats01
私は特に興味のあることだと、書きだしたら止まらなくなるタイプなので、無理にご返信をいただかなくともいっこうに構いません。 ご無理をされると却って心苦しいです。

「ありがとう」「肝っ玉かあさん」 は最近BSのトウィエルビとかいう放送局で再放送してますよね。 私はリアルタイムでは4~6歳くらい?だったのでもちろん内容はほぼ覚えてませんが(笑)「ありがとう」 ではそういえば、水前寺サンがいろんな職業をやっていた覚えだけはあります。 アレは違う役柄だったのか~(そりゃそうだ…笑)。 同じ人物がいろんな職業についているのかと思ってました(まあガキですからそういうカンチガイは当たり前かと…笑)。

坂上忍クンでまた思い出しましたが(これで話が長くなってしまう…笑)、彼も 「赤い疑惑」 に出てましたよね。 2、30年くらい前に彼が確かアイドルみたいな感じでテレビによく出ていたときにこの話をよくされていたように記憶しています。 それで、VHSビデオに録画していた 「赤い疑惑」 を見返して、「この子かぁ~」 なんて。 坂上忍クンは同じ白血病の子供で、確か園佳也子サンが彼の母親で一緒に出ていた回だったと…(記憶が違っていたらゴメンナサイ)。 園佳也子サン、今ではあまり思い出されることのない女優さんになってしまいましたが、昔はいろんなドラマでよくお見かけしたものです。 金鳥サッサのCMとか。

また長話をしてしまいました。 くれぐれも、無理をしてご返信なさらないように…coldsweats01。。

投稿: リウ | 2017年6月 8日 (木) 11時15分


リウ様


コメントをいただきありがとうございました。


また、気を遣わせて申し訳なかったです。


赤い疑惑に、坂上忍さんが出ていた事は忘れていました。


第15話「秘密を知った娘・幸子」で、イソベアキラという役で出ていたみたいです。


中条静夫さんも、岡崎文雄という教授役で出ていたそうで、すっかり忘れていました。(笑)


赤い疑惑のリメイク版では、大島幸子役が石原さとみさんで、相良光夫役が藤原竜也さんでした。


驚いたことにトラックの運転手役で、友和さんが特別出演していて、お父さん(宇津井健さん)がナレーションを担当していました。


最近のドラマはあまり見ていないので、つい昔の赤いシリーズのお話しをしてしまいます。(笑)


以前みたいに、次の回が早く見たいというドラマがあるといいのですけどね。


コメントを書いている途中で、めげそうになりましたが、何とか持ちこたえました。(笑)

投稿: ちい | 2017年6月10日 (土) 15時39分

ちい様
コメント下さり、ありがとうございます。

リメイク版ですね、見ました、覚えています。 ただそのドラマ、途中でリタイアしまして(笑)。 宇津井健サンや友和サンが出ていたのも覚えてます。 確か開始30分以内で出てきたから、それを見て妙に感慨にふけってしまいましたね。 石原さとみチャンは唇が肉厚で(笑)百恵ちゃんとは共通してましたがそれだけで(笑)。 見進めるたびに失望が深まっていき、リタイアしたわけです(ハハ)。

中条静夫サンは確か 「疑惑」 では、相良教授(長門裕之サン)の同僚の教授かなんかで、たぶんいけ好かないヤツだった覚えがあります(笑)。

宇津井健サンと父親役の松村達雄サンがよく座敷で話をしていたその飲み屋の女将が、大山のぶ代サンでした~。 坂上忍サンのこともそうなのですが、これは後年になって情報を得て私自身の知識が増えたから分かったような感じでしたね。 え~あのドラえもんが 「赤い疑惑」 に出てたの?みたいな。

しかし坂上忍クンが、今じゃなんかとても人相がお悪くおなりになって、というか(笑)。 この人が最近テレビにまたよくお出になるようになった、というのを最初知ったときは、え~どうして~、という感じでしたね。

やはり40年という歳月は、かなりの過去なんだな、というのは坂上クンが年を取ったこともありますが(笑)亡くなった方が多いことからもあらためて気付きます。 宇津井健サンはホントについこないだまでご活躍、という感覚でした。 長門サンも、奥さんの南田洋子サンがあのようなことになって、その介護でテレビにお出になっていたのがつい最近のことのような気がします。

「赤い疑惑」 では、私の近所がロケ地で出てきたことがございまして、そこは宇津井健サンがよく通われていた乗馬学校だったのですが、40年のあいだにすっかり無くなって、その敷地の一部に今は病院が建っております。

もう遠い昔です…。

ご返信は、いつものようにご無理をなさらずにお願いいたします。

投稿: リウ | 2017年6月10日 (土) 22時41分


リウ様


コメントをいただき、ありがとうございました。


私は『赤い疑惑』のリメイク版を見ましたが、やはり友和さんと百恵さんの時が印象深く残っているので、藤原竜也さんと石原さとみさんの赤い疑惑はイマイチでした。


リウ様は、途中でリタイアしてしまったようで、分かるような気がします。


『赤い疑惑』で中条静夫さんが、相良教授(長門裕之さん)の同僚の教授だった事や、大山のぶ代さんが飲み屋の女将さんだった事も忘れていました(∋_∈)


坂上忍さんは、子役をしていた頃は可愛くて好きでした。


今も嫌いではないですけど。(笑)


『赤い疑惑』から、40年も過ぎたという感じがしなくて、いつまでも若い気でいましたが、自分も歳をとったのだなと思いました。


リウ様の家の近くで、『赤い疑惑』のロケをしてたなんてスゴイです。


お父さん(宇津井健さん)が乗馬学校に通っていた事は知らなかったので、教えていただけて良かったです。


でも、その場所が無くなったのは寂しいですね。


今、毎週見ているドラマは、小さな巨人、あなたのことはそれほど、リバース、この三番組だけです。


何か作業をしながら見ているので、俳優さんの役名は完全に覚えきれないまま見ています(>_<)


今日はドラマ、あなたのことはそれほどが放送されますが、サッカーの試合を見ますo(^-^)o


この前の試合は、放送日を間違えて見逃したので(^_^;)

投稿: ちい | 2017年6月13日 (火) 09時08分

ちい様
コメント下さり、ありがとうございます。

坂上忍クンは確か、ハタチ前後のときアイドルをやっていた覚えがあるんですよ。 だから私の認識はそこが始まり。 それがですよ、今は毒舌が売りみたいな?(笑) 私はバラエティとか見ないので、別に接点がなくていいのですが(笑)。

今は亡き 「アバロン乗馬学校」 が出てきたのは物語序盤で、宇津井健サンと百恵ちゃんが乗馬の練習をしていたときに百恵ちゃんが落馬! 駆け付けた大島教授が見たものは、幸子の腕に広がる赤い斑点だった…、という場面でした。 大島教授(助教授だったかな~?)が幸子の病気に気付いたのは、このときが最初だったと思います。

それにしても、百恵ちゃんが私の住まいの目と鼻の先に来ていたとは…当時小学生だった私は、「もし知ってたら学校休んででも見たかった…」 と思ったものです(笑)。 大の百恵ファンであるにもかかわらず、ワタシ実際の百恵ちゃんを、一度も見たことがないのです。

で、話は戻りますが。

これがコバルト60の照射が原因だということで大島茂は幸子がその事故現場にいたことをそのとき知ったのですが、これって過去にもいろいろと取りざたされたけれど、放射性物質を取り扱うのにあまりにずさんすぎ!

と思ったら、最近放射性物質を入れた袋が爆発!という事故なんかがあり、安全管理に問題があるケースというのは、まま存在するんだなァ…とbearing

この幸子の病状を、物語序盤では 「再生不良性貧血」 といってよくごまかしていましたよね。 話を注意深く見ていくと、確かに序盤では再生不良性貧血レベルの病状なんですが、それが徐々に急性骨髄性白血病へと進行していく。 その進行の速さに、当時はビビったものです。

生の百恵ちゃんを見たことがない私ですが、横須賀に親戚がいたり、横須賀の前に百恵ちゃんが幼少期を過ごしていた横浜市瀬谷というところに勤め先があったりと、なんとなくその影はいつもついてまわっているように感じるのです(笑)。 学生時代は百恵ちゃんの通っていた高校(日の出学園、だったかな)の近くでバイトしてました(笑)。

「小さな巨人」「あなそれ」…、TBSが多いですね(笑)。 やはり私たちの世代は、「赤いシリーズ」 も含めてTBSのドラマを見てきた世代ですものね。

投稿: リウ | 2017年6月14日 (水) 08時41分


リウ様


コメントをいただき、ありがとうございました。


坂上忍さんって、アイドルをやってた頃があったのですね。


リウ様は、バラエティ番組は見ないそうで、私もあまり見なくなりました。


物語に出てきたのは アバロン乗馬学校だったという事は知りませんでした。


お父さん(宇津井健さん)は大島助教授でしたよ。


百恵さんが、リウ様の家の近くに来ていたなんてめちゃくちゃ羨ましいです。


実際の百恵さんを、一度でも見たかったですけど、私も実際の百恵さんを見た事がありません。


コバルト60の事が、過去に取りざたされたとか、最近放射性物質を入れた袋が爆発とか、本当に何でもよく知っていますね。


再生不良性貧血レベルの病状ってどんな症状かわからないです。(∋_∈)


私は、急性骨髄性白血病への進行していく様子とかあんまり気になりませんでした。


リウ様とは違う目線で見ていたように思います。


百恵さんと関わりが多くて、羨ましい限りです。


赤いシリーズを放送していた頃のTBSのドラマは面白かったです。


いろいろ検索をしていると、リウ様の事を時々見かけますよ。(o^∀^o)


来月から始まるテレビドラマに期待したいと思います。

投稿: ちい | 2017年6月17日 (土) 07時29分

ちい様
コメント下さり、ありがとうございます。

やっぱり助教授でしたか(笑)。 助教だから相良教授に頭が上がらなかったんですよね。 力関係をなんとなく思い出してきました(笑)。

そうそう、元はと言えばコバルト60の事故も相良教授が無理なスケジュールを押しつけてきたからだった。 それで運搬の途中でそれが転がってしまい、作業員はスタコラ逃げてしまったときに幸子が運悪く放射能のたちこめる部屋に閉じ込められて。

まだ幸子が放射能を浴びたのを知らない大島助教授は、この事故の責任を相良教授に求めようとするのですが、たしか佐良教授は今の言葉でいうところの 「逆ギレ」(笑)。

たしか佐良光夫(友和サン)に出会ったのもその時でした。 子犬のヴァンが出てきたのは、もっとあとだったかな。 ヴァン、いましたよね。 フランス語で 「風」 という意味。 幸子と光夫の最後の思い出の舞台となったヨットの名前が 「レスポワール」。 やはりフランス語で 「希望」 という意味でした。

幸子はピエール・カルダン財団に籍を置くおばさまの岸恵子サンに心酔していて、フランス語にかぶれておったのですな(笑)。

ところがこのパリのおばさまが、17年前産んだ相良教授との子供が、幸子だったという…。

子供の頃このドラマを見ていてやたら不自然に思えたのが、ことあるごとにこの 「17年前」 というセリフが出てくるところでした(笑)。 いちいち言うかね?みたいな(爆)。

要するに悲劇の始まりが、幸子の年齢とリンクしている、ということなんですよね(笑)。

岸恵子サンは当時からかなり年配、というイメージが私のなかにはありましたが、いや~現在。 まったく見た目が変わっていらっしゃらない、というか。

この人がかつて 「君の名は」(もちろんアニメではありません…笑)で一世を風靡した真知子サンだとは、当時知る由もないガキでした(笑)。

いやいや、「赤い疑惑」 について語り出すと止まりません(笑)。

それにしても、私は実物を見ていない百恵ちゃんですが、私の親と妹は歌謡ショーで見ているんですよ。 もうそれを知ったときの私は何食わぬ顔をしながら(笑)内心 「ズルイズルイズルイィィィ~~ッ!」(爆)。

あ~あ、ホントに見たかった(笑)。

投稿: リウ | 2017年6月17日 (土) 10時20分


リウ様


コメントをいただき、ありがとうございました。


赤い疑惑の頃は、助教授と言っていましたが、今は准教授と変更されていますよね。


気になって、いつ頃から准教授に変更されたのか調べたら2007年からでした。


助教授が准教授に言い換えられたのは、海外での知名度の違いにあったみたいで、助教授は海外ではあまり使われない役職で、日本独自の役職だったそうです。


赤い疑惑で、コバルト60の事故があって、幸子が逃げ惑っていた時のハイヒールの音を急に思い出しましたが、相良教授が逆ギレした事は忘れていました。(笑)


幸子と光夫が犬の名前を決めようとした時、風のようになりたいという幸子の願いから、フランス語で風を意味するヴァンという名前に決めたそうです。


私は何か記憶違いをしていて、ヴァンという名前は【風のように早く】と、そんな意味だと思っていました。(笑)


赤い疑惑以外で、レスポワールと言えば、神戸風月堂のクッキーを思い出します。


神戸風月堂のレスポワールも、フランス語で希望という意味で、希望を花言葉に持つひなぎくがパッケージにデザインされています。


岸恵子さんは、私の中ではいつまでも、パリのおばさまです。(笑)


いつまでもお若くてお綺麗な方です。


ご家族で、百恵さんを見ていないのは、リウ様だけとは残念でしたね。


リウ様は、ドラマのストーリーをよく覚えていて、いつも感心させられます。


投稿: ちい | 2017年6月19日 (月) 09時40分

ちい様
コメント下さり、ありがとうございます。

いや、「赤い疑惑」 に関しては、ビデオに録って何回も見ているものですから。 ただここ10年以上見返してないものですから、ちょっとうろ覚え的なところも多々ございます。

ヴァンの名前にしてもそうで、ちい様のご指摘によて、そう言えばあれは光夫の命名だったかな、などと…(笑)。 とすれば、光夫がフランス語を多少なりとも?かじっていたことが、フランスのおばさまに心酔している幸子にとって、光夫に惹かれる理由のひとつになったのではないか、ということも考えられますね。

百恵ちゃんとフランス語、というのはこの 「赤い疑惑」 のときから興味が花開いていった、という気がします。

その後百恵ちゃんはフランス語の勉強を始めたみたいで、引退間際に 「最近フランソワーズ・アルディの歌をよく聞いている」 というインタビューをどこかで聞いたことがあります。

フランソワーズ・アルディと言えば、ユーミンが荒井由実時代に 「私のフランソワーズ」 という歌を歌っていたことも思い出しますが、私にとってフランソワーズ・アルディは、1977か78年ごろやっていたTBSドラマ 「沿線地図」 の主題歌 「もう森へなんか行かない」 を歌っていた人(「私のフランソワーズ」 で 「去りゆく青春を静かに見つめながら」 という一節があるのですが、この歌の内容と合致している気がします)。 そこから私もアルディにハマっていったのですが、彼女を百恵ちゃんも愛聴している、と聞いたときに妙にうれしかったことを覚えています。

フランス語の勉強は引退後も進んでいたみたいで、引退して37年(はぁぁ…)、唯一の芸能活動といっていい、アン・ルイスさんへの 「ラ・セゾン」 の歌詞にもフランス語が出てきましたよね。 ただしかなり簡単な言葉でしたけど(笑)。

百恵ちゃんが横須賀恵という名前で書いた詞の中で私がもっとも好きなのは、「思い出のストロベリーフィールズ」。 「ストロベリーフィールズ」 というのは、直訳すれば 「いちご畑」ですが、百恵ちゃんが意識しているのはビートルズの 「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」 でしょうね。 歌詞にも別のビートルズの歌の一節(「ハロー・グッドバイ」)が出てきます。 そしてそれを作曲したのが、これまたビートルズ大ファンの杉真理サン。 この曲は 「一恵」 のB面でしたが、後期の山口百恵の歌の中では、もっとも好きな曲であり、もっとも悲しくなる曲でもあります。 それについて語り出すとまた長くなるので、またの機会に…(笑)。

いずれにしても、百恵ちゃんが友和サンとの思い出で大切にしているのが、ビートルズの 「アンド・アイ・ラヴ・ハー」 を友和サンの弾き語りで聞いたことらしいので(「蒼い時」 参照です…笑)、おふたりにとってビートルズは、絆のひとつとなっているのだなあ、と感じます。

投稿: リウ | 2017年6月20日 (火) 07時20分

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