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2009年1月

2009年1月30日 (金)

「巨人の星」 の現代的意義

 「巨人の星」 ほど、後世になるほどバカにされ続けてきたマンガはないだろう。

 確かにセリフは大袈裟だし、ストーリー的にも、ところどころ破綻をきたしている。 だがこのマンガに関する後世の批判の多くは、スポーツ根性ものマンガの権威として君臨したその栄光に対する検証という一面を持ちながら、実は 「マジメ」 にものごとに打ち込むことへの嘲りが本質だったように思えてならない。

 「巨人の星」 に対するあからさまな嘲りは、1980年代初頭から始まった気がする。 世の中が、軽薄短小というくくり方でとらえられ始めた時代だ。
 人と人との付き合いが希薄になり始めたあの時代、真っ先にやり玉に挙がったのが、「巨人の星」 の濃密な世界観だった。 親子同士がむき出しの闘志をぶつけあい、ライバル同士が切磋琢磨し合う。 果ては親友まで敵同士になって闘う。 軽薄短小の時代に、「巨人の星」 の 「マジメ」 な世界は、とことんそぐわないものだった。 その世界を笑うことは、既存の権威を笑い飛ばす、「過去の否定」 という点で、時代の要請であった点も否定はできない。

 だが、私は思うのだが、そんな濃密な人間関係を嘲笑った結果が、現代なのではないだろうか。

 親子同士が殺し合い、見ず知らずの人間を単純な動機で殺す。 ケータイが人と人との距離を縮めたはずなのに、逆に疎外感を強めている。 政治家は目先の利害しか考えず、誰もかれも自分の保身に躍起になっている。

 「巨人の星」 の世界は全く逆だ。
 ここに出てくる人たちはほとんどが、相手のために厳しいことをあえて言う人たちばかりだ。 現代人から見れば、「ウザイ」 人ばかりなのだ。 そこには建前も保身もない。
 だが、自分のために厳しいことを言ってくれる人を 「ウザイ」 と思う心理状態のほうが、よほど病的なのではなかろうか。 そうした点で、「巨人の星」 は、今こそ真面目に読まれるべき作品なのではないかと、私は思うのだ。

 「巨人の星」 が掲げる 「努力と根性」 は、現代においてあまりにもステレオタイプに理解されてしまっている。 そしてそれがまるで諸悪の根源のようにとらえられてしまっている。
 だが。
 「努力と根性」 の何が悪いのか。
 この言葉を曲解するような世の中は、断じて正しくない、と私は思う。
 この作品中、主人公の星飛雄馬はみずからを 「ばか正直」 と言って卑下する。 だが、川上監督から、「ばか正直こそ尊い」 と言下に否定されるのである。
 「ばか正直こそ尊い」。
 今時、そんな価値感が大切にされているだろうか。
 実直に生きることの尊さが、今ほど軽んじられている時代はない。
 「巨人の星」 は、そんな時代に対する永遠のアンチテーゼなのだ。

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2009年1月28日 (水)

「恋のから騒ぎ」 はいつまで続くのか?

 明石家さんまサンが司会の 「恋のから騒ぎ」。
 彼のほかの番組と同じく、長寿番組の仲間入りをしている。
 しかし、今年も4月からの新メンバー募集などと番組の最後にやっているが、この番組、いったいいつまで続くのだろうか?

 この 「から騒ぎ」 という番組、さんまサンがやっているほかの長寿番組と違う点は、さんまサンとから騒ぎメンバーとの関係というか距離が、番組開始当初から、だいぶ変質している点だ。
 この番組は、企画の変更みたいな明確な番組内容の変化がない。 だのにここまで番組全体の印象が昔と今とで違うのも、珍しい。

 昔の 「から騒ぎ」 は、さんまサンが若かったのもあって、から騒ぎメンバーのさんまサンに対する目には、一種の恋愛感情が存在していた。 それがここ数年は、さんまサンの高齢化も相まって、さんまサンは全く恋愛対象としてから騒ぎメンバーから見られなくなっている。 さすがさんまサンは、そのことも逆手にとってお笑いに結び付けるのだが、長年さんまサンを見てきた私としては、それがどうにも歯がゆい。

 「男女7人」 のころのさんまサンは、今のお笑いの連中など歯牙にもかけぬカッコよさだった。 さすがの大女優大竹しのぶも惚れちまうのも道理、というほどに。 それまでの日本で、コメディアンなのにかっこいい、というカテゴリーの男は、さんまサンが初めてだったのだ。 キムタクが現れるまで、さんまサンというのは、新しい時代のモテ男の象徴的存在だったと言っていい。

 その彼が、から騒ぎメンバーから 「気持ち悪い」 だの 「あり得ない」 だのあしざまに言われるのは、まるで私たちの世代まで罵倒されているようですこぶる気分が悪い。
 だいたいから騒ぎメンバーにさんまサンに対する思い入れがないから、ここ数年は、卒業シーズンになっても、卒業スペシャルになっても、別れるのがイヤで泣くやつのいないこといないこと。 あれを見て、こちらも、ああこの連中も結構いいとこあんじゃん、などと見直したもんなんだが。

 以前のトヨタ一社提供というのがなくなったのも大きい。
 今はパチンコ屋とかサラ金屋とか、提供する会社の質が変わるだけで、これほど番組自体のイメージが変わるとは、私も思わなかった。

 「から騒ぎ」 という番組のコンセプト自体が、さんまサンと30歳以下の若い女性との恋愛トーク番組、という性格上、さんまサンの高齢化で成立しにくくなっているというのは確かにある。 だが、60歳や70歳を迎えたさんまサンが、若い女性に突っ込みを入れている、というのも、それはそれであり得ない話ではない気はする。 その図式を、さんまサンも模索している段階なのかもしれない。

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2009年1月26日 (月)

「朝青龍」 というアンチヒーロー

 2009年大相撲初場所は、朝青龍の優勝で終わった。

 マスコミが場所前に繰り広げていたのは、もっぱらこの人の引退についての報道だった。
 それは、彼を貶める記事が売れる、もしくは視聴率が取れる、ということに他ならない。 場所前の報道では、稽古でちっとも勝てないだの、肌にハリがないだの、何日目に休場するかだの、休場が早ければ引退勧告だの、前向きな報道が一切なかった。
 それが、場所が始まって朝青龍の快進撃が始まると、場所前のマスコミの論調はすっかり影をひそめてしまった。 そして手のひらを返したように、この場合朝青龍の優勝確率は100%とか騒ぎたて始めた。 いい気なもんである。 そしてそのまま、彼は優勝してしまった。

 優勝インタビューで朝青龍が感極まってしまったのは、彼がいかに周囲から心ない言葉を投げつけられていたかを物語っていた。
 だが。
 私から見ると、それは身から出た錆なのではないかとどうしても思ってしまう。
 そして、朝青龍の師匠である高砂親方のふがいなさのほうに、どうしても思いがいってしまう。

 朝青龍は、たしかにはねっ返り者である。
 だが、それを本当に矯正しなければならないのは、師匠である高砂親方なのだ。
 私は、高砂親方を見るたびに、この人は命がけで弟子を守ろうとしているのか、甚だ疑問に感じる。
 本当に弟子を守ろうとするならば、命がけで朝青龍に横綱の品格を叩き込ませるはずなのだ。 もしかすると、高砂親方は、自分は現役時代大関だったので横綱にはモノ申せません、と考えているのではないか。 それとも、自分は物わかりのいい師匠に徹します、とでも考えているのではないか。
 だが、私に言わせれば、それはまやかしの優しさである。
 本当に弟子を思うのならば、師匠は命がけで弟子を教育しなければならないのである。 何の遠慮がいるものか。 言うこときかなきゃ破門だくらいの厳しさで、朝青龍に礼儀を教えるべきなのだ。

 朝青龍に対して、私は憎ったらしいなーこいつ、とか思ったりもするが、でもどこかで、これって自作自演っぽいと思ったりもする。 彼は周囲の憎しみをばねにして、それを闘志に転化できる精神力を備えているのだ。 それには相当の覚悟が要る。 日本人力士にそんな精神力があるとは到底思えない。 休場明けで相撲勘が戻っていない朝青龍に、そんな日本人が勝てるわきゃないのだ。

 今回朝青龍は、貴乃花の優勝回数を越えたらしい。
 もう上には、北の湖、千代の富士、大鵬という超のつく大横綱しかいない。 
 彼はまだ、28歳である。 何もなければ、彼が大鵬を抜いて歴代1位になる確率は、非常に高いと言っていいだろう。
 だが、何もなければ、の話だ。
 この人の周りには、逆風が渦巻いている。
 その逆風が、朝青龍にこれ以上相撲を取らせようとするのだろうか。

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2009年1月24日 (土)

「久米宏のテレビってヤツは!?」 ってヤツは!?

 久米宏サンという人に対する世間の印象は、テレ朝で長いこと続いた 「ニュースステーション」 以前から知っていた人と、以後に知った人との間で大きく二分されるように思う。

 「Nステ」 で久米サンを知った人は、どうも久米サンが報道権力の側にある人間、という捉え方をする傾向にあるようだ。 「Nステ」 以前から久米サンを知っている私くらいの世代にしてみると、この人そんなにエラそうな人間じゃないんだけどな、と少し残念に思ったりする。

 私が久米サンの存在を知ったのは昭和40年代の終わりころ、TBSラジオの 「土曜ワイドラジオTOKYO」 で、確か団地に出かけて行って、 「今この放送を聴いている方、ベランダに出てきてくださーい」、みたいな、インスタント聴取率調査みたいなことをやっていたのが最初だ。 たぶん。

 テレビで久米サンを初めて見たのは、火曜日7時30分からの 「ぴったしカンカン」 だった。 その前の週まで、確かこの枠はコント55号の番組で、欽ちゃんと二郎サンはそのまま 「ぴったしカンカン」 のレギュラー回答者となった。 コント55号のお笑いを見たかった私としては、ずいぶんがっかりしたものだ。
 だが、久米サンの司会は、頭の回転が速く、軽妙で実にこなれていた。
 この番組で、私の久米サンに対する高評価は定まったと言っていい。
 その後 「ザ・ベストテン」 で、久米サンのネームバリューは決定的となり、「Nステ」 でその地位は不動のものとなった感がある。

 だが、私は久米サンが 「Nステ」 をやることにあまり賛成ではなかった。 久米サンは、正面切ってニュースを扱うより、副次的な情報を独自の視点で語ることのほうが合っていると思っていたからだ。 要するに、日テレで横山やすしサンとやっていた、「TVスクランブル」 のようなスタンスだ。 「Nステ」 では放送開始当初、金曜日になるといくらかくだけて、 「TVスクランブル」 みたいなことをやっていたのだが、そっちのほうが私が見たい久米サンだった。

 TBS水曜22時からやっている(追記、2009年3月で打ち切り)、「久米宏のテレビってヤツは!?」 は、その 「金曜Nステ」 をほうふつとさせる番組である。

 ただ、久米サンに以前のような切り口の見事さがあるかというと、ちょっと考えざるを得ない。
 久米サンは、本人もおっしゃっている通り、 「Nステ」 でいったん燃えつきたのだ。

 こないだの 「テレビってヤツは」 番組内での鈴木宗雄氏との恫喝合戦のくだりを見ていて思ったのだが、「Nステ」 は、久米サンに、彼の持っていた独自の俯瞰的視点を失くさせることも強要したのではなかろうか。

 久米サンがNステ時代、鈴木宗雄氏にだいぶ恫喝されたらしいことは、「テレヤツ」 を見ていて伝わってきた。
 その回のゲストであった鈴木宗雄氏はそれに対して 「自分は恫喝なんぞしとりません」 などと言っていたが、それは明らかに政治家のウソであることが分かる類のものだった。
 ただムネオ氏は 「久米サン(Nステ?)にも恫喝された」 と同時に話していた。 久米サンは承服しかねる顔をしていたが、久米サンがやらなくても、テレ朝の誰かはやったんだろう。

 要するに、これはNステが、久米サンの預かり知らぬところで、報道権力の傲慢の一翼を担っていたことの証左でもあるのだ。

 久米サンは厳しい顔をしてムネオ氏の話を聞いていたが、恫喝されたという事実だけが頭にこびりついて、ムネオ氏がそのとき何をマスコミから守りたかったのかとか、総体的にものを見られなくなっているのではないかと、私には感じられた。 同時に、久米サンがNステのしがらみから抜け出せなくなっているようにも、私には思えたのだ。

 ともあれ、いくら切り口が鋭くなくなっても、大昔からの久米サンウォッチャーとしては、久米サンがテレビでいい企画の番組をやっていると、妙に安心してうれしくなるものだ。
 まあ、「テレビってヤツは」 も、つまらん企画の回もありますがね。

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2009年1月23日 (金)

「ポッパーズMTV」 ピーター・バラカン氏の姿勢

 BS1 「世界のドキュメンタリー」~みんなロックで大人になった~を見た。
 イギリスBBCの製作で、計7回くらいあったろうか。
 本編はザ・フーから始まったロックの歴史を紐解くものだったが、内容はエライ大アクビもので、何度も寝入ってしまったことを白状する。 結局最後までは見ていない。

 正直なところ、ロックの歴史に、あまり興味はないのだった(笑)。
 興味があるのはビートルズのみ(この番組、ビートルズをわざわざ全部無視してた)。
 あとは、手広く聴いてはいるが、すべてベストアルバム程度の知識しかない。
 中学生のころはビリー・ジョエルのアルバムを全部買ったりしていたが、洋楽でそこまでとことん聴いたのはそれが最後だった。
 自分が大学生になった頃あたりから、洋楽界ではMTVブームというのが始まった。
 その番組のひとつであったのが、1980年代中頃、TBS火曜深夜に放送されていた、「ポッパーズMTV」。 「みんなロックで大人になった」 に前説で出てきた、ピーター・バラカン氏の、出世番組である。

 当時MTV番組は星の数ほどあったが、「ポッパーズMTV」 は、バラカン氏の番組制作に対する真摯な姿勢がダイレクトに伝わる、稀有な存在だった。
 彼が番組で流すビデオクリップは、質の悪いものは絶対に流さない、というポリシーに貫かれていた。 そして紹介される曲は、すべて全編を流した。 当時のMTV番組で、ここまでちゃんと最初から最後まで流してくれた番組は、なかった。
 ただ、彼の意に反するクリップを流さなければならなかったこともある。 そんなとき、バラカン氏はきまって苦虫を潰したようにそのクリップを紹介したか、「ぼくはこれは嫌いです」 というようなことを言っていた。

 特にバラカン氏の嫌いだったのが、へヴィメタなどのハードロック系統の音楽。 今回 「みんなロックで大人になった」 でコンビを組んだ元メタリカ、じゃなかったメガデスのマーティ・フリードマン氏とは、いわば水と油とも言える。 よくこんな組み合わせが実現したものだと、ちょっと驚いた。 おそらく、マーティのフランクな性格もあるのだろうが、年齢を重ねて、バラカン氏も大人の付き合いというものを学んだのだろう。

 それから、バラカン氏が嫌いだったのが、チャラチャラした音楽。 いかにも頭が悪そうな音楽を、バラカン氏はバブルガム・ミュージックと言って嫌っていた。 マドンナなどは、出てきた当初いかにも頭が悪そーな感じだったので(笑)、あからさまに嫌っていた(笑)。
 それでも、マドンナのクリップは出来のいいのが多かったので、「ポッパーズ」 でもよく流れていた気がする。 だから、バラカン氏が、マドンナを見直したように 「パパ・ドント・プリーチ」 をこの番組で紹介したことは、今でもはっきり覚えている。

 バラカン氏はだから、見る人によっては、こいつエラそう、と思われても仕方がないところがあった。
 それで思い出すのは、あのことかなー。
 一度、番組で視聴者をスタジオだかに大勢呼んで、質問会みたいなことをしたことがあって。 その中のひとりが、「洋楽でネクラって言われるものはありますか?」 という質問をバラカン氏にしたのだ。 当時は根アカ、根クラ、という差別の方法があって、(確かタモリサンが言い出したか)暗い人間は排除されるような風潮があった。
 バラカン氏は 「サイモンとガーファンクルとかかな」 と答えていたのだが、この人たち嫌いですか、と聞き返したら、その質問者は、嫌いですと答えた。
 するとバラカン氏は、その質問者に結構キツイことをまくしたて、スタジオ内が凍りついた雰囲気になってしまったのだった。

 バラカン氏はそのとき、世の中の風潮で自分の嫌いな音楽を決めたりしてはならない、ということを言いたかったのだろう。 が、言われた当の質問者は、番組内でこうまで罵倒されては、たまったものではない。 いまだにバラカン氏を恨んでるのではなかろうか、などと思ったりして。

 ただ、こうやってきちんと言ってくれる人がいる、というのは、このことだけに限らず、実はよほどその人のためになることが多いのだ。 バラカン氏は、洋楽を聴いていた当時の私にとっても、いいものをきちんと紹介してくれる、実にありがたい洋楽の師匠でもあったのである。 一時期、バラカン氏の推薦するものしか洋楽は買わなかった時期が私にもあった。
 ピーター・ゲイブリエル 「So」。
 U2 「ヨシュア・ツリー」。
 スクリティ・ポリティ 「キューピッド&サイケ'85」。
 クリス・レア 「オン・ザ・ビーチ」。
 そのどのアルバムも、ベスト盤でもないというのに、いまだ聴いても色あせない名盤ばかりだ。

 「ポッパーズMTV」 が終了したと同時に、私の洋楽好きは終了した。 あれから20年以上たつが、洋楽の世界で何が流行っているのか、20年以上、ほとんど分からない。 と言うより、知ろうとも思わない。

 そして、洋楽紹介番組で、 「ポッパーズMTV」 ほど真剣に 「この曲を聴かせたい(見せたい)」 という気迫に満ちた番組を、あれ以来見ない、というのもさびしい話だ。
 バラカン氏のあの番組に対する姿勢は、レコード会社の思惑などと全く無縁の、純粋で貴重なものだったのだ。

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2009年1月22日 (木)

「はじめの一歩」 のアニメはなかなか…

 日テレ火曜深夜でまたまた始まった 「はじめの一歩」 のアニメ。

 前シリーズが終わってから1回か2回、「金曜ロードショー」 枠でスペシャルをやったような覚えがあるが、相当昔なので話をすっかり忘れていた。
 で、ついていけるかなーと思いながら見だしたが、結構ついていける。
 このマンガ、そんなに複雑なストーリーじゃないのだ。

 かと言って、少年マガジンに連載されている原作のマンガのほうは、私はほとんど読んだことがない。 ホカ弁屋で、待っている間ちょろっと立ち読みしたことはあるが、そのくらい。 もう80何巻か出てるんでしょう? 読むヒマ、ありません。

 だが、このボクシングマンガが、「あの」 少年マガジンという同じ土俵(リング?)で展開しているということは、考えてみると大変な話だ。
 何と同じ土俵かって、言わずと知れた、ボクシングマンガ、のみならず、日本マンガ史上最高作品である、「あしたのジョー」 である。
 長く続けたからって勝てるもんでもないが、同じ場所で同じボクシングマンガをぶつけてくる、作者の森川センセイの心意気は大したものだと思う。

 マンガをたいして読んでもいないのに比較論評などおこがましいが、アニメの 「一歩」 から 「ジョー」 との相違点を挙げると、特に 「一歩」 の場合、試合以外では結構ギャグマンガの色合いが強くなる。 まあ、ギャグとシリアスのスイッチの切り替え具合が、「一歩」 の面白さのひとつでもあるのだが、ギャグ顔のデフォルメの仕方は、ずいぶん徹底している。 ほとんど好感度無視の変わり方である。

 一歩はカワイソウなことに、全く、ジョーのような孤独なヒーローとして描かれていない。却って、一歩のヒーローである宮田クンのほうが、かつてのようなボクシングマンガの主人公にふさわしい存在に見える。 私は、この宮田クンに、森川センセイの 「ジョー」 へのオマージュを感じたりするのだが。 また、このマンガ自体のスタンスが、一歩の宮田クンへの憧れという形と同じく、「ジョー」 にあこがれ、目標にしているところが見えたりする。

 ことアニメだけの話に限って誤解を恐れず言えば、「一歩」 は 「ジョー」 よりはるかに上だ。

 アニメーション製作技術は間違いなく進歩しているんだから当たり前だ、といえなくもないが、「一歩」 では特に試合中の選手の動きが、そんなに絵の枚数を描いたわけでもなさそうなのに、相当の迫力が感じられるというのが凄い。
 腕がしなってスイングしてくるときのタメとか、パンチが当たる瞬間の衝撃波とかを、画面をせわしなく揺らす手法で表現する。 これは動画の人たちの技術ではない、悪く言えば邪道的な見せ方なんだが、それをここまで見せる形に仕上げているのは、私は素直に凄いと思う。

 これに比べると、「あしたのジョー2」 などは、テクニカルアドバイザーをつけたりしている割には、動きが変に見えたものだ。 描かれた絵の枚数も相当多いんだろうな、という作りだったが、動きがぎこちないので、枚数の多さが生きてこない。 まだ、虫プロが作った最初のアニメシリーズのほうが、あり得ない動きが多かったのに、見る側を納得させる力に満ちていた気がする。
 あー、誰でもいいから、「ジョー」 のアニメをリメイクしてくれないかなあ。 ちゃんとした動きの21世紀の 「あしたのジョー」 のアニメが見たい。 もちろん声優サンは元のまんまで。 要するに、絵だけをリニューアルして。 出崎統サンには失礼な話だが。
 ジョー役のあおい輝彦サンと、段平役の藤岡重慶サンほど、原作とシンクロしている声の人はいないと思うのだ。

 いかんいかん。 「ジョー」 の話をすると止まらなくなる。 「ジョー」 の話は、まだ大きなチョコレートとしてブログネタに取っておくのだ。

 「一歩」 のアニメは、特に試合が面白い。 気付かないうちに引き込まれてしまっている。 気付かないうちに、感動しまくっている。
 なにしろ心理描写が、並ではない。 それが片方の選手だけでなく、両方の選手とも細かく描写するから、知らない間に引き込まれるのだ。
 ひとつの甘い読みが、ひとつの気後れが、すぐさま命取りになる、そんな緊迫した駆け引きが、この作品の最大の魅力なのだろう。

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2009年1月21日 (水)

オバマ大統領就任演説から日本を見る

 オバマ米大統領の就任式を見た。
 黒人初のアメリカ大統領の就任というのは歴史的なので、病を押してリアルタイムで見た。 と言っても、ずーっと寝っぱなしだったので否応なしにその時間起きてたのだが。

 NHKでは、米ABCテレビの中継を途中流したりしてたのだが、どの瞬間にジョージ・ブッシュが大統領でなくなるのか、とか、オバマ氏の娘がピンク色の服を着ていたのを、7歳の女の子ですからとか、アメリカのテレビもずいぶん下らないことをしゃべっているものだと感心した。 日本のテレビ局も恥じることなく、下らないことをニュースでやればいい。 って過激ですかね? ちょっと体が本調子でないので、そこのところはご容赦ください。

 圧巻は、何といってもオバマ大統領の就任演説だった。
 その時間、実に19分。
 これをですよ、原稿用紙とか見ないで、しゃべくりまくるんですよ。
 これを見て、日本の総理大臣の……などと比較するのも恥ずかしい。 比較すること自体が無意味だと言ってもいいだろう。
 要するに、覚悟がハナから違うのだ。

 大統領は、就任と同時に、家族も全員、ホワイトハウスに住むことになるらしい。
 ひるがえって、我が国では、ようやく最近、麻生総理は首相官邸に引っ越したらしい。 それも、中曽根サンからケツひっぱたかれて。 「国家を背負うのは24時間だ。 自宅に帰ってのうのうとしている時代ではない」 と言われたとか。 中曽根サンのおっしゃること、至極まっとうである。
 麻生首相の私邸から官邸までは車で20分くらいの距離らしいが、もし災害などのミゾユーの緊急事態が発生したとき、20分というのは場合によっては致命的な時間となる。 「引っ越すのが大変だから遅れた」 なんて言ってる場合か。 チェイニー前副大統領などは、引っ越しで頑張りすぎて、オバマ大統領の就任式に車いすで参加したくらいなのだ。 いかに引っ越しが大変でも、それくらい国のトップがいるべき場所にいなければならない重要性が分かっていなければ、ここまで引っ越しに命をかけたりしない。
 「引っ越しが大変だ」 なんて、国を預かるという覚悟がなさすぎる何よりの証拠だ。 原稿棒読みで所信表明するより、こっちのほうがよほど問題に思える。

 オバマ大統領が、リンカーン大統領に敬意を払っているという話はよく聞く。
 だが、暗殺されるようなことまで同じにはなってもらいたくないものだ。 特に、戦争より平和を、と訴える大物は、例外なく暗殺の危険にさらされる。 就任演説を聞く限りでは、オバマ大統領は、戦争回避の傾向を持っているように見えた。 また、アメリカには、まだ黒人蔑視という抜き去りがたい怨念がくすぶっている。 アメリカ政府が、本当に危機管理能力を有しているのなら、オバマ大統領を徹底して暗殺の危険から守るべきだ。
 就任演説が終わって、ボン!という大きな音がして、一瞬画面が見えなくなったのには、正直びくっとした。 それについてなんのコメントもされなかったので、たぶん祝砲が一発鳴ったのだろうと思ったが、オバマ大統領が暗殺されるのでは、という不安は、まだ拭い去ることはできない。

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2009年1月18日 (日)

「ヤッターマン」 ネタ探しも大変

 たま―にしかやらない日テレの 「ヤッターマン」。
 あまりのやらなさ加減にネットでも話題になった。 ひどい時は2カ月くらいやらなくて、ボヤッキーが 「最終回よー」 とか番組内で言ってたのはマジだったのかと思ったこともあった。
 最近じゃ、放送時間変更のテコ入れまで受けた。
 視聴率上げるためにはHDD予約の不便などお構いなし。

 実写版が映画化されて、深キョンの (…なぜ私が深キョンと言わねばならないのだ?) ドロンジョ姿が結構キテますが、果たしてどうなることやら。 衣装ははじけてますけど、深田恭子サンって、そんなに演技ははじけてませんからね。 一回彼女が、しんから突き抜けたところを見てみたいものだが。 なんかいつも、リミッターかけてるみたいで。 スチール写真を見る限りでは、全体的にずいぶんゴシックホラーのようで、「帝都物語」 の嶋田久作サンが出てきそうな色調だが、それがウケるかどうか。 

 テレビアニメのほうは、甥と一緒によく見るが、つくづくタツノコプロの努力には頭が下がる。
 この番組が、昔見ていた親の世代と、子供の世代の両方を納得させようとする意図で作られているからだ。
 だから、甥と私の笑う箇所が見ていて全然違う。

 「エドはるみ」 の回でエライ笑ったのは、「エヴァ」 のパロディが満載だったことだ。 ガイナックスと共に 「エヴァ」 を作ったタツノコプロだからこそあそこまで踏み込んでできたのだろうが、ボヤッキーが碇ゲンドウのマネをしていたのには正直大笑いした。 ボヤッキー役の八奈見乗児サンは元ネタ知ってるのかなーと思いつつ。 エドはるみ四つん這いになって暴走してるし。
 「24」 のジャック・バウアーもどきの人が出てきて、小山力也サンがバリバリなりきっていた回も笑った笑った。

 ところが、甥にしてみると、??、それのどこがおかしいのかまったく分からない。
 甥が面白く思うのは、「おだてブタ」 が出てきてみんなズッコケるところとか、「今週のビックリドッキリメカ」 が登場する前のファンファーレだったりする。 甥は普段も、なにかっていうとポペーと言いながらズッコケる。

 しかし、親と子の世代がそろって楽しむ、というのは、相当こなれた面白さがないと駄目なものだが、「ヤッターマン」 自体には、そこまでの普遍性はないのだ。 要するに、親の側が往年の 「ヤッターマン」 を見ていなければ、子供と一緒に楽しむことはできない。 そうした限定つき条件だからこそ、余計にタツノコプロのみなさんの苦労が分かるのだ。 ネタ探しは、さぞや大変なことだろう。

 さしあたっての私の心配は、ドロンボー一味の声優のみなさんが、結構お年を召していらっしゃることだ。 いつまでも、お元気でいてください。 あなたがたは、日本の宝です。 心からそう思います。 本当に、いつまでもお元気で。

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2009年1月17日 (土)

阪神大震災からはや14年

 阪神淡路大震災のことを思い返すときまって、何かしてあげたいけど何もしてあげられない、という自分の情けなさにさいなまれる。

 当時私は千葉で仕事をしていた。 発生直後にはすでに車を走らせていたが、ずいぶん大きな地震が神戸であったらしい、という一報でしかなかったのが、カーラジオではその揺れの物凄さがだんだん伝わってきて、発生から2、3時間後にはすでに、とてつもない大災害が発生したとはっきり認識できた。
 であるから、当時の村山総理大臣の対応の遅さには、平和ボケの象徴を見るような気さえしたものだ。
 現在も、その点はあまり変わらないのではないかと思ったりする。 首相官邸には、危機を察知し認識する能力が決定的に欠けている気がするのだ。

 子供のころ、小学館や学研の学習雑誌でさんざん大地震が来る!という記事を読んで恐怖を感じていたにもかかわらず、当時大人になっていた私は、いくら大地震があっても結構平気なんじゃないかと考えていた。 ビルや高速道路の耐震性を信頼していたのだ。 そりゃ大地震は恐ろしいが、昔と今じゃ技術が違うよ、と。
 ところが、その考えはもろくも崩れ去った。
 というよりも、その地震の規模が、まさに想定外の大きさだったのだ。
 確かマグニチュード7とか8とか。
 ビルは次々崩壊し、何といってもショックだったのは、高速道路の高架が根元からなぎ倒されていたことだった。 まるで爆撃でも受けたかのような街の様子。 千葉の湾岸道路を走りながら、この高速だって危ないと思ったものだ。 同時に、同じ日本で、あれほどの大災害が起きているというのに、それに比べてこっちのあまりにもなにごともない普段どおりの風景に、めまいさえ感じたほどだ。

 テレビやラジオでは、死者・行方不明者の数を逐一ニュースで伝えていたが、その数は想像をはるかに超える速さで増加していった。 あまりに死者の数が増え続けるのも、大きな恐怖である。

 その地震からほどなくして、千葉の街には神戸ナンバーの車が目立ち始めた。
 他はどうだか知らないが、私が見た限りでは、その神戸ナンバーの車にはたいがい荷物がぎゅうぎゅうに押し込まれていて、避難してきたか、仕事を探しに来たんだろうな、と推測できた。 私は心のなかで、エールを送ったものだ。 がんばれ!と。

 それにしても、先に書いたような、同じ日本で大変なことが起きているのに何となく他人事、という感覚は、その2ヶ月後、東京のど真ん中で悲惨な事件となって現実化した。

 地下鉄サリン事件である。

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2009年1月16日 (金)

「なんでも鑑定団」 美術品を見る目とは

 ちょっと長くて小難しい話になりますが。

 テレビ東京の視聴率ナンバーワン番組、「なんでも鑑定団」。
 たまーにしか見なくなったが、見るとつくづく感じるのが、骨董屋という業種には、言っちゃ悪いが詐欺師が多すぎる、という点である。
 言い方を変えれば、プロがいなさすぎる。 よくもこんな程度の鑑識眼で、商売をやっていられるものだ。

 この番組を見ていると、だいたいの傾向が紳助サンでなくともつかめてくる。
 まず、掛け軸は疑ったほうがいい。 特に著名な画家のものはほとんどが偽物だ。
 次に、借金のカタ。 まず本物は出てこない。

 また、骨董を趣味にしている人たちの目利きの悪さ。 別に私は、ガラクタを高い値段で買ってアホみたいだとか、経済力を考えろだとか、家族の迷惑をかえりみろだとか、無知をさらけ出すなとか、ほかにもまだあるけど、そんなことは言わない。
 本人が幸せなら、それでいいのだ。 毎日それを眺めて、または手にとって、本人が幸せな気分を満喫できれば、それ相応のお金を払った価値もあるというものだ。

 逆に言えば、美術品というものは、それを買った当人が、これくらいの値段なら買う、という基準で、その価値が決められるといってもよい。
 であるから、買った当人の 「経済力」 が、その美術品の価値を決める側面さえ、あると思うのだ。

 たとえその掛け軸に書かれた絵が、つまらないものだとしても、買った当人が価値を認めればそれでよい。
 これは一見暴論のように思われるかもしれないが、現代美術の全体像を見るにつけ、私にはそう思われてならないところがある。 ただし、あらかじめ断わっておくが、これはあくまで、金銭的な価値に限った個人的な意見である。

 ピカソを例にとってみよう。
 ピカソは現代美術の巨匠と呼ばれ、その作品は代表作以外でも何億円もすることが多い。

 だが、私の目から見て、それらがたとえ現代美術に及ぼした多大なる影響を加味したとしても、代表作以外で何億円もする価値があるようには思えない。

 ピカソの絵を何億円、という値段で買おうとしている人々は、いったい何を基準にそんな大金を出そうとするのだろう。
 現代美術史における位置を考慮するのなら、まだましなほうだ。 だが、かれらの多くは自分に箔をつけたり、芸術に造詣が深いということを内外に誇示するためだとか、節税対策や転売して利益をうるためだとかのためだけに大金を積んでいるようにしか見えない。
 純粋にその美術的価値を認めて手に入れようとしているようには、私には到底思えないのだ。

 そのいい例が、シャガールである。
 「なんでも鑑定団」 でもシャガールの作品が出てきたことがあったが、意外と金額が低い。 それは、シャガールの絵は非常に多い、ということが原因らしい。 市場にモノがあふれていれば、価格は高騰しない。 絵画が投機の対象になっている端的な例だ。

 また、ピカソの作品を見て理解できる人とできない人が両極端いるように、現代美術は、鑑賞する側の感性を重要視する側面もある。 どこかのオーソリティが、これは現代美術の傑作だ、と言い出したら、傑作になってしまう、そんなことも十分得こりうる。

 すると途端にその作品は作者の純粋な理想から引き離され、欲望の対象にさらされる。 現代美術には、そんないかがわしい側面がついて回っていると、私は思うのだ。

 何年か前に、1万だか2万でオークションに出されるはずだった絵が、ゴッホの初期の絵だということが判明した途端、6000万円以上の値がついて競り落とされた、ということがあった。
 このことは、私の持論があながち暴論でないひとつの証ではないだろうか。

 私は、ゴッホ初期の暗い作風の絵に対して、大して価値を認めていない。 暗すぎて、あまり長いこと眺めていたくないような絵ばかりなのだ。
 その絵がゴッホの絵だと判明する以前の、1万だか2万、という値段は、至極妥当な気さえする。
 それがたとえ、ゴッホ初期の人生の苦悩を読み取る位置にある絵だと考慮したとしても、せいぜい100万程度だ。
 それが6000万円以上。
 これは、オークションが持つ一種異常な高揚感のなせる技ともいえるが、このケタ違いの金額は、明らかに常軌を逸していると言えまいか。

 現代美術の価値観として、オリジナリティが尊重されるという側面についても、相当怪しいものがある。

 また数年前の話になるが、さる有名画家の一連の作品が、どこかの国の画家の作品を模倣したことが分かって大問題に発展したことがあった。 その模倣画家は、その作品でもって、どこかの展覧会で賞を取ったとか。
 これは、その賞の選考委員の無知とか無能とかで片づけられる問題だろうか。
 しかも皮肉なのは、その画家の作品はその問題が発生するまで、大して話題にすら上らなかったという事実だ。

 この一連の騒動を眺めていて、いったい、世の中の評価というものは何なのか、私は深く考えざるを得なかった。 識者が下す評価というもののアテにならなさ加減についてである。

 だから、「なんでも鑑定団」 でスカが出た骨董趣味の人たちは、少しも恥じることはない。

 だがもし自分の買ったその美術品が、有名な作者の作品だからとかいいのだとか、高かったからいいのだ、という目で見るのなら、それはおよしなさいと言いたい。

 そうした曇りのない純粋な気持ちで、この記事の冒頭で書いたように、毎日それを眺め、または手にとって、幸福感に浸れば、それで金銭的な元は十分取れたも同然ではないか、と私は強く言いたいのだ。

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2009年1月14日 (水)

三國連太郎サンから百恵チャンのこと

 教育テレビの 「知る楽」 シリーズで、三國連太郎サンのことをやっていました(2009年1月期)。

 三國サンと言えば、最近は 「釣りバカ日誌」 で、西田敏行サンとコンビを組んでいるくらいの認識しか若い世代の方々はないでしょうが、それはそれは凄い役者サンなのです。
 昭和40年くらいだったか、「飢餓海峡」 という映画は、ともかく凄い映画です。
 って言いながら私もずいぶん前に見たのであまり細かいことは覚えていないんですが(笑)、三國サンが凄かったことだけははっきりと覚えています。

 それでも、私がその映画を見て、役者三國連太郎の凄さというものを思い知ったのは、山口百恵チャンが引退したあとでした。 それとこれとなんか関係あるのか?というと、あるんです。 百恵チャンのスッゲエエエファンだった私は、「飢餓海峡」 を見るまで、三國サンに対してエライ悪いイメージしか持っていなかったのです。

 三國サンの存在を私が初めて知ったのは、「赤い運命」 で百恵チャンの父親役をやった時でした。
 父親役、と言っても、17年前の伊勢湾台風の混乱で、二人の赤ん坊(百恵チャンと秋野暢子サン)の戸籍が入れ替わってしまい、その手違いで父親になっている、という設定だったんですが。
 百恵チャンの本当の父親は、実は宇津井健サン。 そして三國サンの実の子供が、秋野暢子サンだったのです。 その手違いをただすのが、このドラマの最終的な目的でしたね。

 三國サンはなんだかそのドラマでは極悪人で、刑務所に入るような人間、という設定でした。 目だけがぎょろぎょろとしていて、見るからに人相が悪い。 そんな人が父親になってしまったせいで、百恵チャンは不幸な人生を送ることになったなんですが、私は小学生のガキだったので、んもーこいつ頭くるー(当時はムカツクなんて言わなかった、…気がする)という目でしか三國サンを見ることができませんでした。
 今にして思えば、三國サンは極悪人にもかかわらず、哀れを誘う面もあったような気がします。 しかし、当時のガキンチョにしてみれば、いったんついたイメージを覆すことは難しく、なにコイツ、同情買おうとして、と思いこんでしまっていました。 浅はかであります。

 なにしろ、ほんとうは秋野暢子サンが三國サンの実の娘なのに、手違いで宇津井健サンの娘になっていい暮らしをしておきながら、この秋野サンがまた、百恵チャンにつらく当たるんですよ。
 んまーこれにも腹立ちました(笑)。
 秋野サンは、このドラマが原因で、その後しばらくみんなから石を投げつけられる人生を送ったらしいです(同情申し上げます)。 余談ですが。

 それで、百恵ファンの私としましては(笑)、これで終わっときゃまだよかったんですが、三國サンに対する悪イメージで、その後決定的な事件がありまして(笑)。
 「霧の旗」 という映画で、百恵チャンは友和サンともやったことのないような激しいラブ・シーンを三國サンとしてしまったのです!

 グワワワワーン。 ガーン。 ガーン。 (頭を殴られた音…笑)。

 とどめに、近代映画という雑誌の 「霧の旗」 特集号だったかな、百恵チャンがその三國サンを尊敬してるだとか何とか書いてあったんですよ!
 くそぉーっ、なんだそりゃああーっ!(笑)
 私の三國サンに対する憎悪は、その時頂点に達したのであります(笑)。

 大人になった今から考えれば、三國サンには何の落ち度もありません。 それどころか、「赤い運命」 にしろ、「霧の旗」 にしろ、これほど憎たらしい役を演じきれるというのは、物凄い人だと改めて思います。
 しかしそれと同時に、テレビを見ている観客としての、私自身の身勝手さを、とても反省したりも、するのです。
 あの頃はガキだったので仕方がなかったのかもしれませんけど。

 「赤い運命」 の最終回は、ほんとうの子供が誰だったのかがようやく判明して、秋野暢子サンは泣く泣く三國サンのもとに引き取られ、百恵チャンは宇津井健サンのもとで幸せそうにリンゴなんぞを食べてめでたしめでたし、というラストシーンでした。
 けれどもこれって、よく考えてみると、私のような心の狭い百恵ファンの大部分が、そうなることを望んだ結果だったような気がします。

 確かに 「赤い運命」 の直前の 「赤い疑惑」 では、百恵チャンと宇津井健サンは親子、ではあったものの、実の親子ではないという関係でした。 ラストでは百恵チャンは死んでしまうという話だったし。 今度こそ親子で、という期待で 「赤い運命」 を見ていた人は、多かったんじゃないでしょうか。

 だけど今こうして思い返してみると、ラストでもうちょっと三國サン秋野サン親子に対してフォローのひとつくらい挿入してもよかった気がするんですよ。 あれじゃカワイソすぎます。 そりゃ、ふたりそろって百恵チャンを苦しめたのだから不幸になってザマーミロバンザーイ、でもいいのかもしれませんが、なんだかなぁー。

 それにしても、「霧の旗」 で三國サンに募った私の勝手な憎悪は、当時急速に大人になりつつあった百恵チャンに対して、何となく抱いていたイライラのせいだったのかも知れない。 今はそう感じます。

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「ありふれた奇跡」 第1回 この特殊な世界

 フジテレビの木曜ドラマ 「ありふれた奇跡」。
 山田太一サン最後の連ドラとかでとりあえず第1回目を見てみましたが。
 どうにもこのあり得なさすぎな展開に少々戸惑いました。

 出だしから、仲間由紀恵サンと加瀬亮クンが、電車に飛び込もうとした陣内孝則サンを止めに入るのですが、そもそも最初から、陣内サンは飛び込もうとしているようには見えない。 見えないから、陣内サンを止めに入るまでの仲間サンが、やたらと不自然で却って挙動不審に見える。
 そして見ず知らずの仲間サンと加瀬クンが、そのあと延々とお互いに話をしたがる、というのもよく分からない。 このふたり、相当ヘンな人のように見えました。

 第1回後半では、陣内サンがそのときお世話になった警察官に頼んで、仲間サンと加瀬クンにもう一度会おうとする。 この警察官(塩見三省サン)も、なんだかんだと言いながらその願いをかなえるなんて、なんだか変な人です。
 とどめは、その塩見サンが設けた席で、陣内サンが仲間サンと加瀬クンに向かって、「もしかして、おふたりとも自殺しようとしたことがあったのでは」 などと尋ねるんですよ。 言うかなー、フツー、そんな事。

 けれど振り返って考えると、山田太一サンがこの第1回目で、一番何が言いたかったのか、というと、この 「仲間サンと加瀬クンがふたりとも自殺しようとしたことがある」 ということだったのではないでしょうか。
 そのことを念頭に置いてドラマ冒頭から見直してみると、だからこそ仲間サンも加瀬クンも、およそ自殺しようとしているようには見えない陣内サンを止めに入ったし、そのあとなぜかふたりとも互いに延々と話をしたがった。 そうやって考えると、なんだかあり得ない変な展開のこのドラマにも、納得がいくような気もしてきます。

 それでも、実はその時ホントに自殺しようとしていた陣内サンが、それを助けてくれた仲間サン加瀬クンに対して、「あなた方は自殺しようとしたことがあるから私が自殺しようとしたのが分かったんじゃないですか」 みたいなことを言うこと自体が、失礼極まる、突拍子もない話なんですよ。
 こんな無理な展開にするよりも、ドラマの冒頭から、この仲間サン加瀬クンのふたりが自殺の経験者であることを、どこかでほのめかしたほうがよかったような気がします。 例えば、自殺を止められて怒り狂っている陣内サンが仲間サンと加瀬クンに向かって、「あんたらのほうが自殺したかったんじゃないの?!」 とか言って。

 山田太一サンのドラマに出てくる人たちは、人付き合いが苦手な人たちばかりだと思います。 そのくせ、人と交わりたくて、話をしたくて仕方のない人たちばかりな気がします。
 だから、ヤケに引っ込み思案な物言いをしながら、いきなりグサッとくるような本音を出し、相手の反応に驚いてまた前言を引っ込めてしまう。
 その、「登場人物が相手の反応にびくびくしながら本音を言いたくてしょうがない」 という特性をつかんでしまえば、この人の書くドラマに違和感を覚えることはなくなるんだと思うんですが。

 だから、私が感じた、このドラマに対する違和感は、私が普段から 「他人のことなどどうでもよい」 と考えていることの、ひとつの証拠なのかもしれません。 だから他人に対して必要以上に気を使う人ばかりの、山田サンのドラマが変だと感じるのでしょう。

 ただ、ここに出てくる人たちは、他人と心を通わせたい、他人と交わりたいのだと、ドラマを見る側がいくら理解したところで、設定がこれほど強引すぎると、登場人物に対して感情移入ができなくなる危険性をはらんでいます。
 第1回目のハードルはやけに高くて、ついていけない人も多かった気がします。 次回は、このハードルを越えた人だけがこのドラマを見るのでしょうが、まだ高いハードルが待っているのか、それともルールを理解してドラマの世界に没入できるようになるのか。 とりあえず、山田サンに長いこと感動させてもらってきた私は、礼儀として、最後まで見るつもりです。

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2009年1月13日 (火)

わすれもの

どこに忘れたのだろう
まっすぐだったころの気持ちを

どこに落としてきたのだろう
かなしく甘く せつない思い出を

どこで失くしてしまったのだろう
ただひたすらに 好きだといえた情熱を

どこに置いてきたのだろう
なんの曇りもなく 笑っていたあの笑顔を

いつから感じなくなったのだろう
じぶんのわがままに感じていた しょっぱい痛みを

いつ捨ててしまったのだろう
たいせつなものを壊してしまったときの 鈍くつめたいかなしみを

どこで忘れてしまったのだろう
ひとの心の痛みを感じることのできるこころを

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「ペット・サウンズ」 の歌って歌いにくい

 ビーチ・ボーイズに関してそんなに興味のないビートルズファンの私でも、1966年発表のアルバム 「ペット・サウンズ」 が傑作だということくらいは知っています。

 1990年代に入って、このアルバムとビートルズ、特に 「ラバー・ソウル」 との関係を指摘する文献が増え、どんなものかと思って買ってみたのも、ずいぶん前になりますね。

 それで、いざ聴いてみると、ビートルズ好きの私でも、いや、だからこそだと思うんですが、琴線に響く曲が、とても多いんですよ。 昔ガキだったころに、ビートルズのアルバムを買ってきて初めて聴いた時のドキドキワクワク感が、久しぶりによみがえった、という感じでした。

 意外だったのは、このアルバムのなかに入っている曲、全部知らなかったということ。
 しかもハズレがない。 ビートルズのアルバムでも、これはハズレかな、というのは1曲か2曲ぐらいはあるものです。 それがまったくない。 負けた…と思いました(なんで私が負けるのだ?…笑)。
 そのうえ驚きだったのが、このアルバム、ほとんどビーチ・ボーイズの中心メンバーだった、ブライアン・ウィルソンの手によって作られた、ということ。
 こんな傑作をそれまで知らなかったことを、とても悔みました。 いやマジです。

 このアルバムについては、門外漢の私が知ったかぶりで論評するよりも、よほどビーチ・ボーイズをトータルで聴いている人が評論をお書きになっていますので、ここでは書きません。

 とにかく買った当時あまりに感激したので、さっそく覚えようと、ワープロに全部歌詞を書き写して(…ヒマ…笑)コピーででっかい文字にして、一緒に歌ったんですよ。

 それで気付いたんですが、なんだか歌いにくいんです、このアルバムの曲って。

 このアルバムの歌詞を書いたのは、トニー・アッシャーという人。 どうもこのアルバムに限った話のようです。 で、この人の書いた歌詞が、どうも歌ってると引っかかるような感じなんですよ。 早口言葉の文句みたいで。 スムーズにすらすら歌えない。

 1曲目 「素敵じゃないか」 の歌い出しからして舌を噛みそうな感じ。
 ウードゥンイッビナイスイフウィーワオールダ (Wouldn't it be nice if we were older)、と始まるのですが、どうもすんなり歌えない。 まず、ウドゥント・イット、というのが、言いにくいんです。 ナイス・イフ・ウィー、というのも言いにくい。

 2曲目 「僕を信じて」 の1行目、アイノウプーフェクトゥリーウェールアイムナッウェーアイシュッビー。 パーフェクトリー (perfectly)、って単語がそもそも言いにくい。 曲の終りのほうにはフェイスフリー (faithfully) という単語もあって、これもです。
 あー、ほかにもたくさんあって、いちいち指摘するのがメンド臭いくらい(笑)。
 
 それにしても、それまで歌いにくい英語というものにお目にかかったことがなかったので、私にとってちょっと不思議な体験だったことは確かです。

 もうひとつこのアルバムの曲を歌って気付いたこと。

 ファルセット(裏声)が総じて、ヤタラメッタラ長いんです。
 ファルセットって、結構肺活量を使うものなんだと、私 「ペット・サウンズ」 で知りました。 私は肺活量そんなに多くないもんでキツイキツイ。 「僕を信じて」 の出だしと最後。 4曲目の 「ドント・トーク」。
 ビーチ・ボーイズというのはファルセットが特徴のコーラスグループだから、裏声得意ってのはだいたい想像出来ましたが、ここまで肺活量を使うプロの技を駆使してるとは、正直思いませんでした。
 特に 「ぼくを信じて」 のロングトーンには、ついていけない(笑)。 たぶん途中で息継ぎ、してないと思います。 思いっきり息を吸うのを忘れてしまうと、確実に途中で息切れします。

 いずれにしろ、この 「ペット・サウンズ」 というアルバム、ジャケットもなんかビートルズに比べれば古くてダサいし、とても大傑作アルバムとは思えない外見なんですが。 メンバーが動物園の動物にえさをあげている、みたいな。 いかにもアメリカのノーテンキなアルバムジャケット、という感じで、思想が全く感じられないんですよ。 確かSMAPのアルバムでこれのパロディをしたのがあったと思います。

 もったいないのは、このアルバムがビートルズの露出の多さに比べて実に、一部の人々にしか知られていないという事実。
 何が傑作なのかは聴けば分かります。 聴けば、とにかく傑作だー傑作だーと言われ続けてきただけのことはある、と納得するでしょう。 無責任な言い方ですが(笑)、ビートルズの、特に中期の音が嫌いな人でなければ、絶対気に入る作品だと思います。

 ビートルズの 「サージェント・ペパー」 は、最高のロックアルバムと言われながら、どこが?と思う人もいるでしょうが、「ペット・サウンズ」 にはそんな心配は無用であります。 詞から曲からアレンジから、すべてがいい! 洋楽が好きな人なら、無条件でおススメします、…って、なんかどっかのレビューみたいですね(笑)。

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2009年1月12日 (月)

「8時だョ!全員集合」 腹のよじれた記憶

 去年(2008年)の年末、「8時だョ!全員集合」 の特番をやっていた。 確かこれで2回目である。 今回は、同時に全員集合の後番組だった 「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」 もあわせてやっていた。

 おそらくDVDボックスの販促なのだろうが、どうせ内容を宣伝するのなら、志村が加入した、昭和50年あたりのものをやったらどうなのだろう。 個人的には、全員集合が最も面白かったのは、その時期だと思うのだ。 この特番では、「カラスなぜ泣くの」 の時期や、それ以降の、パワーが落ちたころのものをわざわざ選んでやっているような気がする。
 却って、「加トちゃんケンちゃん」 のVTRのほうが面白かったりした。 しかもそれが、「面白ビデオコーナー」 だったから何をかいわんやだ。

 これでは、ドリフの凄さが全く伝わってこない。

 若い世代の人は、この特番を見て、ドリフって大したことなかったんだなと思ったかもしれない。
 だが。
 そんなことは全くないのだ。
 逆に問いかけたい気分になる。
 あなたがたは、テレビを見ながら、腹のよじれるほど笑ったことがありますか?と。
 私はある。 いや、私たちの世代なら、必ずと言っていいほど、その経験があるのではなかろうか。

 腹がよじれる、というのは、冗談ではなく、拷問に近いものがある。
 腹が痛くて痛くてたまらなくなるのだ。
 冗談抜きで、もうやめてくれぇ~っ、頼むからこれ以上笑わせないでくれぇ~っ、死んじまうぅ~っ、という感じになる。 笑い過ぎで死んだ人はいないだろうが、一度でも腹のよじれた経験がある人なら、もしかしたら死んだ人もいるかも知れないと思うことだろう。 それくらいひどい痛みだ。 一種の暴力である、とさえ言える。
 しかも、いったんその状態に陥ると、波状攻撃にあっている感覚で、雪ダルマ式に症状が重くなってゆく。 少なくとも15分くらいは、地獄の苦しみから抜け出せない。
 なぜ、あんなにひどく笑い転げることができたのだろう。 当時は、子供だったからなのか? いや、オカンも一緒に笑い転げていたし、そうとは言い切れない。
 やはり、お笑いのパワーが凄かったのだ。

 私をこの状態にしてくれた罪作りな番組の双璧は、「全員集合」 と 「欽ちゃんのどこまでやるの?」 だった。 ドリフと欽ちゃんだけでなく、いろんなお笑い番組のパワーが、当時は凄かった気がする。
 そして、そのパワーが落ちてきたとき、コメディアンが人を笑わせ続けることの難しさも、そこから知った。 当時はちょうど、マンガの世界でも、鴨川つばめという人が 「マカロニほうれん荘」 というムチャクチャ笑わせるギャグ漫画を描いていたのだが、それが急速につまらなくなっていた。 そんな経過も相まって、人を笑わせるのって大変なんだなあと、子供心に学んだのだ。
 今、お笑いの巨匠と呼ばれる人たちは、それに比べるとだいぶ息が長い。 それは、ドリフや欽ちゃんのような爆発的なパワーを持たないがゆえであると、私は思う。 ドリフや欽ちゃんは、リミッター限界突破のお笑いと引き換えに、自らの芸人人生も縮めてしまう、という、悪魔のような取引を強いられたのだ。

 それにしても、当時はガキだったから耐えきれたが、今あの腹よじれ波状攻撃を受けたら、絶対もたないだろう。 あれは、相当腹筋、使います。

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2009年1月11日 (日)

「吉田照美のやるマン」 最強のクロストーク

 関東以外の人には馴染みがないだろう話。

 ラジオの文化放送の「吉田照美のやる気MANMAN」、通称 「やるマン」。 20年も続いたオバケ番組だった。
 私が社会に出だしたころから始まったので、私のキャリアと共に続いた番組だった。 車のなかでよく聞いたものだ。

 ひところは聴取率トップを50何回も続けたりしていたが、ニッポン放送のテリー伊藤サンに負けることが多くなり、一昨年にその長い歴史を終えた。
 「やるマン」が終わる、という一報を聞いた時は、またいつもの冗談かと思ったが、それが事実だと判明して、あって当たり前だったものがなくなるという、えも知れぬショックを受けたものだ。 終わってからだいぶたつが、未だに仕事で午後車に乗ると、「やるマン」 のないことに一種の喪失感を覚える。

 この番組を聴き始めた当初、結構衝撃的だったのが、パーソナリティの吉田照美サンが、アシスタントの小俣雅子サンの滑舌の悪さに、ツッコミを入れまくっている点だった。 いや、そんな生易しいものではない。 罵倒しまくっている感じだった。

 当時文化放送の局アナだった小俣雅子サンは、確かにアナウンサーとしてはトチリが多く、その癖早口でしゃべろうとするプロ意識だけはあるために、原稿を読むとき少ぉーし、つーか、だいぶ変なしゃべり方をする人なのだ。
 一例をあげると、番組スポンサーのひとつである 「特製春雨マロニー」 を普通に言えない(笑)。 トチらないように言おうとするあまり、トクセーイハルサメ (ハルサメの部分は早口です…笑)と、ハルサメの部分だけ半角文字みたいな勢いで言ってしまうため、エラク不自然に聞こえるのである。
 Mr.チルドレンもまともに言えたためしがない(笑)。 提供をまともに言えなかったため、スポンサーを降りてしまった企業もあるほどだ。 って話だったけどホントなのかなあ?
 とにかくその小俣サンの滑舌の悪さがおかしくて聴き続けたっていうのもあるかもしれない。

 番組開始当初は、文化放送の先輩だった小俣サンに照美サンも一応敬意は払っていたのだが、あまりにトチってばかりなので次第に業を煮やしてけなし始めたらしい。
 それにしたって、バカだのしっかりしてくれよだの、そこまで言わんでもよかろう、という罵倒の仕方で、しかもそれがほとんどケンカ寸前のツッコミだったところに、ある種の緊張感があった。 だが小俣サンは、自分で自分のしゃべりが変だということに自覚を持っていて、照美サンのツッコミに笑いこけてしまうところに、この番組の絶妙のバランスが生じていたのだ。

 一度小俣サンが、なんだか虫の居所が悪かったのか、照美サンのそのツッコミにいちいちまともに返してしまう回があり、そのことに腹を立てた照美サンが 「オレ帰る」 と言い出した。 それに小俣サンは 「帰りたいんならどうぞ」 みたいに受け答えしてしまったために、ホントに照美サンが帰ってしまったことがあった。
 パーソナリティが帰ってしまうというのは、いかにこの番組が過激だったかを示すエピソードであろう。 そしてこのエピソードは、いかにこのふたりのせめぎ合いにおけるバランス感覚が番組の魅力であったかを、如実に示している。

 その証拠に、照美サンか小俣サンのどちらか片方が番組をお休みしたときの 「やるマン」 は、ひどく物足りなさを感じたものだ。
 照美サンだけの時は、さすがにその物足りなさを補う部分もあるのだが、小俣サンが照美サン以外の人と 「やるマン」 をやると、つっかえ棒がなくて、なんだか聴いていてイライラしてくるのだ。 それは、照美サンが小俣サンに対して感じていたイライラと、どこか共通のものだったのかもしれない。

 要するに、このふたりは、仲は最悪の悪さだったというのに、コンビとしては最高だったのだ。

 「やるマン」 の終了は、その最高のコンビによるクロストークが聴けなくなった、という点で、ラジオ界の大きな損失だった。
 実にもったいないことだと思えて仕方ない。
 このコンビは、ラジオ界の大きな財産だった。 このふたりをコンビにしようと企画した人を、私は誉めたたえたいくらいである。 大沢悠里サンとさこみちよサンに匹敵する名コンビだと、私は思うのだが。

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2009年1月10日 (土)

無用の長物

2001年9月11日 「歴史上最悪」のテロがアメリカで発生した そのやり口は明らかに狂気の度を超えていた 世界中がそのテロを非難した けれども 世界中が怒りに満ちているというのに その犯人グループに対して 核兵器は使用されなかった
これほど非人道的で残虐極まりないことをされたというのに
結局核兵器は 最後まで使用されなかった
――
そんな役に立たない兵器が
いったい本当に必要なのか?

衛星が世界中をくまなく監視し 何かが起こればすぐさま テレビカメラが現場をありのままに映し出し ネットが国と国の垣根を急速に取り払い 欺瞞をすぐさま暴き出す
悪い奴らは逃げ場を失い 善良な市民にまぎれて潜伏しなければならなくなり
卑劣なテロで憎しみを拡大させるしか手段がなくなっている
核兵器は
そんな連中をピンポイントで攻撃するような 器用な能力を持ち合わせていない
そしていったん発射ボタンを押してしまえば
理性も
自制も
道義も
遠慮もクソもなく
悪者だろうがなんの罪もない民間人だろうがお構いなく
無差別に一瞬ですべて殺し
半永久的に 人を放射能で苦しめる
あまりに威力が凄すぎて
どこかの国の指導者でさえ容易に使えない
使えばたちまち
無実の市民を殺したと盛大に叩かれ 国際社会からはじき出されるからだ


という兵器
その存在自体が
すでに時代遅れになっていることに
すでに無意味になっていることに
今こそ全人類は気付くべきだ
最強のカードを持っているぞと いくら目の前でちらつかせても
悪い奴らは鼻でせせら笑っている
どうせそんなカードが出てくるはずがないと タカをくくっているのだ
そんなカードを
持っていて何になる?

そんな図体のでかいだけの坊ちゃんを
いつまで養っているつもりだ?

そんなものがまだ要るのか?

要るもんか! そんなもの!

笑うがいい
そんな無用の長物を
他国の脅威から自分の国を守る 「抑止力」 だなどと
馬鹿げた幻想からいまだに抜けられない 臆病な連中を

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2009年1月 8日 (木)

「ハウルの動く城」 なんべん見ても…

 「ハウルの動く城」 を甥にせがまれてひと月に1回くらいの割合で見るのだが、4、5回は見たはずなのに、ストーリーが全く覚えられない。 見るたびに忘れている。
 宮崎作品でこれほどストーリーが頭に残らないのも珍しい。 ひょっとして自分が馬鹿になったのかとも考えたが、「ポニョ」 は1回見たきりだがわりかし最後までしっかり覚えているし、記憶力のせいではなさそうだ。
 ではなぜこんなに残らない映画なのか、ちょっと考えてみた。

 まず、ラストが結構曖昧な終わり方をしていることが挙げられる。
 荒地の魔女の呪いから、ソフィーが完全に解放されたのかどうかが分からないのだ。 ハッピーエンドであることは疑いがないのだが、サリマン先生によって実際の年に戻されてしまった荒地の魔女が最後まで魔力に執着しているように見えて、結局どうなってしまったのか、その着地点がはっきりしないため、ソフィーの呪いも完全に解けたとは言えないように見えるのだ。

 また、サリマン先生の位置が曖昧で、師弟だと言いながら、いったいサリマン先生はハウルの敵なのか味方なのか、また戦争をしたいのか回避したいのか、その意図がぼやけていることが2つ目。

 3つ目は、ソフィーの若返ったりトシ食ったりという年齢変化が途中から激しくなり(その変化の条件にはある法則が絡んでいることは理解できるのだが)、そのことに気を取られるととても混乱してしまうところにある。 ここで混乱に拍車をかけるのは、ソフィーが年老いると、思考形態も話す語彙さえも年老いてしまう点だ。 子供のマルクルあたりにそのあたりを指摘させたら、もっと分かりやすくなったかもしれない。

 4つ目は、同じような出来事が繰り返されることだ。
 動く城がきれいな景色の場所に行くことが何回かあり、ハウルが醜悪な鳥の姿になる場面が何箇所かある。 ソフィーが夢のなかで見るハウルの鳥モードもあって、記憶がごちゃごちゃになってしまうのだ。 ソフィーが妹だか母親だかとしゃべるシーンもあって、妹と母親のキャラがかぶっているせいかそれも混乱する。

 4つほど原因を挙げてみたが、一番の原因は、4つ目の 「同じような出来事の繰り返し」 であろう。

 それにしても、何回か見ていていつも疑問なのだが、どうして荒地の魔女はサリマン先生のところにのこのこ出かけていくのだろう。 しかもヒーコラヒーコラ言いながら。 わざわざ酷い目に遭うこたないのに。 罠だって分からないのかな、といつも思う。

 だが。
 その 「ちっとも頭に残らない」 ことは、決して否定的な意味にはならない。
 見るたびに新鮮なのだ。 しかも見ていて面白い。
 私はいつも思うのだが、「面白い」、というのは、エンターテイメントとして必要最低限の条件なのではないだろうか。
 宮崎アニメは特に 「もののけ姫」 以降、ヤケに批判の矢面に立つことが多いが、この 「面白い」 という特質を失っていない。 このことは重要だ。
 その点、いわゆるアニメ界での巨匠と呼ばれる方々の作品のなかには、いくら緻密な絵や内容、設定であっても、始まって15分もたたないうちに眠くなってしまうものが数多くある。 いくらそれが名作と謳われていても、「つかみ」 の段階から眠くなるようでは、多くの人の賛同は得られないであろう。 いや、そもそもそうした不特定多数の支持など得られなくて良し、みたいな姿勢で作られているのではないか、という気さえする。
 「ハウル」 では、先ほど述べた釈然としない部分、荒地の魔女がわざわざサリマン先生のところへ行く、というシーンでも、その 「面白さ」 を失わない。 なんでそーなるの?と言いながら、我々は結局見てしまうのだ、興味を保ったまま。
 そして、その 「面白い」 という特質こそが、「頭に残らない」 というマイナス条件を、逆にプラスに転化させるのだ。
 何回見ても面白い、というのは、映画としては最強の作られ方でしょう。

 ラストがはっきりしなかろうが、同じような出来事が繰り返されようが、サリマン先生の意図が分からなかろうが、面白ければ結局最後まで見てしまうのだ。 そのことこそが、映画にとって重要な生命線なのではなかろうか?

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「もう一度見たい教育テレビ」 ホントに見たい番組は

 教育テレビが放送開始50年とかで、「もう一度見たい教育テレビ」 という特集を組んでいた(2009年1月第2週)。

 全く知らない番組が多く、世代間で見たいものがあまりに違うことを痛感したのだが、私が幼児だったころに放送されていた 「ブーフーウー」 を見ることができたのは嬉しかった。

 「おかあさんといっしょ」 枠でやっていたことすら覚えていなかったが、この 「ブーフーウー」 で私の記憶に強烈に残っているのが、オオカミが歌う物悲しい歌だった。
 確か 「お月さまは青いよ…悲しいからオレは泣く…うう…うう…」 という歌詞だったが、いつも3匹の子豚をいじめて嫌われ者の存在だったオオカミの悲しみが痛いほど伝わってくる歌だった。
 私が感じた、かなしい、という感情の最も原初的体験だろう。

 「おかあさんといっしょ」 と言えば、番組の途中で流れる、クラシック音楽に合わせて鳥が羽を広げたり閉じたりするアニメ映像も、強く印象に残っている。 バックに流れていたクラシック音楽は、「かっこう」 の声が入るのだが、あの曲が何なのか、未だに分からない。 「かっこうワルツ」 ではないのだ。 (誰かご存知の方、いらっしゃいませんか?)

 小学校で、道徳の時間に見た番組は、「くちぶえふいて空地へ行った」 という曲が印象的だった。

 ドラマではいつもいやな出来事が起こって、その番組を見終わると、登場人物のどこがいけないのかを話し合ったかノートに書いたか、ともかくその一連の作業があまり気持ちのいいものではなかった。 多かれ少なかれ、自分にも思い当たるような 「後ろ向きの心理状態」 を書くわけだから。 まあ、それが 「道徳」 の授業というものなのだけれど。

 その番組の歌だが、こう続く。
 「知らない子がやってきて/遊ばないかと笑っていった/ひとりぼっちはつまらない/誰とでも仲間になって友達になろう/くちぶえふいて空地へ行った/知らない子はもういない/みんな仲間だ仲良しなんだ」

 私は、この歌に出てくる 「知らない子」 は、笑ってどこかに行ってしまって、後に残ったのは知っている仲間だけ、という解釈を長いことしていた。
 しかしよく考えてみると、それってずいぶん排他的なんじゃないかと、あるときふと気付いた。
 要するに、「遊ばないかと笑っていった」 の部分は、「笑って行った」 んじゃなくて、「笑って言った」 んじゃないかと。
 そう考えると、この歌は、知らない子も今度は一緒になって仲良く遊んでいるという歌ではないか。

 思えば子どものころは、そんな勘違いでばかり何事もとらえていた気がする。

 また、たぶん小学校のころだと思うが、そのころの中学だか高校だかの日本史講座の番組があって、そのテーマ曲がヤケに恐ろしかったのをよく覚えている。 フルートの音色だったろうか、それがオーケストラとユニゾンでメロディを奏でるのである。 怖かった。
 日本史講座なので、タイトルバックには仏像やら埴輪やらが映っていたか何かして、それが怖かったのかもしれない。

 小室メロディが流行っていたころ、なんかその日本史講座みたいなメロディだなあと思ったことがあったりした。 もしかすると、小室サンに影響を与えた冨田勲サンつながりなのかもしれないなあ。 「きょうの料理」 をはじめとして、冨田勲サンは、NHKの番組のテーマ曲を、よく作っていた印象があるから。
 まあ、調べようもない話だけれど。

 「くちぶえふいて」 も日本史のテーマ曲も今回の特集では出てこなかったが、私の年代あたりでは、本当に見たい番組は、VTRも失われた状態である場合が多いらしい。

 「思い出は心のなかにしまっておく。 ここが一番安全だ」 とキャプテン・ハーロックも語っていたが、改めて見直して失望するよりも、自分の記憶のなかで反芻するほうがよほどいいのかもしれない。

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2009年1月 7日 (水)

昭和最後の日の記憶

 昭和天皇が崩御して、今日で丸20年がたった。

 当時私は、仕事が朝早く、毎日6時には事務所にいたのだが、テレビをつけるともうすでに大変な事態になっているのが分かった。 6時半くらいだったか、小渕官房長官が、天皇陛下がご危篤だという発表を行いはじめ、その途中でピンポンパンポーンとデパートなんかで昔よくあった鉄琴を鳴らすような音が入り、「臨時ニュースです」 と青地に白抜きのテロップが入って、正直ビビった。
 なにしろ、それまで生きてきて、「臨時ニュース」 などという、大上段に構えたニュースなどにお目にかかったことはなかったから、嫌でも緊張せざるを得ない。
 結局その時のテロップは、「天皇陛下ご危篤」 という小渕官房長官の発表をなぞるだけの内容だったのだが、NHK側の慌てようもそこからうかがい知れる。 なにしろどこのテレビ局もシッチャカメッチャカという感じだった。

 それから車で仕事に向かう途中、7時45分に発表があるとかで、TBSラジオでは 「何か重大な変化がおこった模様です」 などと話していたが、NHKラジオでは皇太子(今の天皇陛下)が(昭和)天皇のお住まいになっている吹上御所を出たとかいうニュースを流していたので、たいした事がなくてお戻りになったのだろうと思っていたら、その45分の記者会見が延びて、7時55分だかに始まった。

 ラジオだったので誰だったかさだかではないが、たぶんまた小渕官房長官の登場で、「天皇陛下にあらせられましては…」 と言い出したので、いやーな感じがした次の瞬間、「崩御なされました」 と続けた。 血の気の引くのが自分でも分かった。
 運転中だったからまわりも車だらけだったが、なんだかその瞬間は、まわりの車全部が私と同じようなショックを受けているような気がした。 私の思いすごしかもしれないが。 その後しばらくは、みんな運転が妙に慎重になっているように思えたものだ。

 仕事はすべて中止。
 テレビはすべて特番に切り替わり。 CMもすべて自粛されたと記憶している(その後何日もその状態が続いただろうか)。
 その日のうちに、次の年号は平成です、と発表があり、明日から平成だという。 ずいぶんあっという間で心の準備ができなかった。 平成、なんて、なんだかのっぺりしたパンチのない年号だな、と思った。 その日までの天皇陛下は、昭和天皇と呼ばれるようになった。 これにも当初、違和感を覚えたものだ。
 テレビはあまりにも通常番組がぶっ飛びすぎたために、貸しビデオ屋は大繁盛。 ビデオ、っていうのも時代を感じる。

 今になって当時を思い出すと、あれほど重大な出来事を体験できたというのは、貴重だったというほかはない。
 私は天皇については特に偏った立場ではないが、崩御の報を聴いた瞬間は、身内が死んだのと同じような衝撃があったことは確かだ。 おそらく、昭和天皇を相当身近に感じていたのだろう。 いや、昭和という時代そのものに、私自身が愛着を感じていたのかもしれない。 昭和という時代を背負って生きている性(さが)を、ほんの少しだが感じることもある。 昭和の出来事を、西暦よりも年号で覚えていることのほうが多いのも、そのひとつのあらわれだ。

 今は新聞でも、西暦のほうが年号よりも先に書かれ、私自身、平成という時代そのものに対する愛着も、昭和に比べれば相当低い気がする。 平成何年にどういう出来事がありましたとか、ちっとも記憶に出てこないのだ。 平成に生まれた子供たちは、いったいどれくらい、平成という時代を具体的に身をもって感じ取っているのだろう。 そんな価値基準など、とうに失せている気がしてならない。 時代というものを感じ取る判断基準がもうすでに、昭和生まれと平成生まれとの世代間で、断絶している、と言っていいのだろう。

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2009年1月 6日 (火)

NHK大河ドラマ 「天地人」 戦国パターン脱却なるか

 第1回目が放送された 「天地人」。
 いきなり豊臣秀吉のあの有名な絵に笹野高史サンがかぶって 「ゲッ似てる」 と大笑い。
 主役の妻夫木クンもコミカルっぽい。
 上杉謙信の阿部寛サンが丸太をぶった切ったところでは思わず感動してしまいました。
 やってくれるなあ~。 切っちまったよ。 丸太(笑)。
 加藤武サン。 あの坊さん役。 声で分かったけど、小松方正サンかと思いましたよ。 そこまでやるか、というほどの変わりよう。 そりゃ、おととしの 「風林火山」 では印象的な武田の家臣を演じてましたからね。 変わんなきゃ仕方ないんでしょうが。

 この調子で大いに笑わせてほしいものだと思っていたら、子役の演技が泣かせます。
 いろんな人が矢継ぎ早に出てきて敵対関係など話がつかめなかったんですが、この子役の演技ですべて雲散霧消しました。 母親の田中美佐子サンがどうしていきなりわが子を手放すのかという説明が不足していたり、色々アラが見える脚本でしたが、子役の泣くのにゃだれも勝てない(笑)。

 第1回目を見た限りでの論評はできませんが、NHKの大河ドラマで戦国時代をやると必ずと言っていいパターンがあります。
 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のことをヤケに執拗に追いかけるんですよ。
 いくら地方のことをやっていても、必ずこの3人のことは事細かにやりますね。
 もういいっつーの(笑)。
 特に本能寺の変が大好きで(笑)。
 どうしてもNHKはやりたいらしい(笑)。
 明智光秀がちゃんとした役者で出てきたら、絶対やりますよ。 五木ひろしもやったくらいだから。

 もうひとつ。

 戦国武将って、たいてい身内のひとりくらい殺しています。 領民なんかも。
 その身内や領民の殺人を、そうしなきゃ現代の倫理に適わないから、ヤケにヒューマニズムたっぷりで主人公に逡巡させるんですよ。
 でも、私思うんですが、あの時代、現代より人の命はずいぶん軽かったのではないでしょうか。 そりゃ苦悩のひとつくらいはするかもしれないけど、現代人の常識からは量れないものがあると思うのです。
 まあ、主人公が何のためらいもなく身内とかを殺してしまったら、だれにも共感されなくなってしまうんでしょうけど。

 妻夫木クンを最初に見たのは、確かTOKIOの松岡クンの弟役でした。
 「ブラック・ジャックによろしく」 の演技は印象的でしたが、その彼が大河の主役を張るようになるとは。 どれだけ成長したのかを、この1年じっくり見てみたいものであります。

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2009年1月 5日 (月)

あかちゃんの微笑みに

あかちゃんの微笑みにまさるものが この世の中にあるだろうか
それはまるで よろこびのつきせぬ 泉のようだ
なにも知らずに生まれてきたのに
どうして 笑うことができるのだろう

きみはきみをとりまく家族みんなの 鏡のようだ
願わくは
人はすばらしいと感じながら 生きてゆくんだ
人を傷つけてはいけないと学びながら 生きてゆくんだ
人のためになにかをしようと決心しながら 生きてゆくんだ
思いどおりにならないときでも
なんとかしようと もがきながら 生きてゆくんだ

きみの微笑みが
こんなにもみんなを幸せにしている
きみはその力を持って生まれてきたのだ
その力を信じて 生きてゆくんだ

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恐怖のビートルズソング

 ビートルズの曲を聴き始めた小学生のころ。
 ビートルズの曲って、ヤケに怖いというイメージがいつもあった。
 しかし、子供は、怖いものが大好きなのだ。
 私の小学校当時は、学研のユーレイものやら怖い事件ものの本が流行っていて、ヤタラメッタラ怖いものばかり、みんな読んでいた。 映画 「リング」 の元ネタとなった明治時代の超能力少女事件も、この学研のシリーズものでとっくに読んで知っていたクチで、映画を見た時は、なんだ今さら…とシラケっぱなしだった。 「シックス・センス」 じゃその知識が災いしたのだが…(「シックス・センス」 の項参照http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2008/12/post-4943.html)。
 ともかく。
 ビートルズの何が怖いって。
 ジョンとポールの1オクターブのハーモニーがまず怖い。
 「アイル・ゲット・ユー」。 あれを最初に聴いた時は、脳みそひっくり返りました。
 ショックでしたね。
 ビートルズを聴いてショックを受けたことのない人って、私に言わせれば、人生の楽しみの半分は味わえなかったといっていいんじゃないだろうか(笑)。 スゲエ暴論(笑)。
 逆に言うと、あの脳みそひっくり返りショックがあったせいで、私のその後の人生も、結構狂わされた面もあるわけで。
 「アイル・ゲット・ユー」 のハーモニーには、年端もいかない子供をアッチの世界に引きずり込む、悪魔的な響きがあったことは確かだ。 アー怖い怖い。

 あとは、青盤の1曲目は、怖かったですねー。 アレがあるせいで、当時のガキンチョはなかなか青盤に手がつけられなくって。
 アレって、言わずと知れた、「ストロベリー・フィールズ」。
 怖いですねー。 恐ろしいですねー。
 イントロのメロトロンからして怖い。 メロトロンって、名前からして怖そうじゃないっスか。 メトロン星人みたいで(笑)。
 ジョンの声も怖いし。 あれはテープスピード落としてるって知った時は、それでかーと納得しましたけどね。
 いったんフェードアウトして、またフェードインしてくるメロトロンの笛の気味悪さって言ったら。 踏切はカンカン鳴ってるし。 「クランベリー・ソース」 を 「アイ・ベリード・ポール」(私はポールを葬った)と聴き間違いされても仕方がないような、気味の悪さ。
 考えてみれば、赤盤と青盤の区別って、すごい象徴的で、「ストロベリー・フィールズ」は、その中でも抜きんでて驚天動地の変わりようですからね。 ジョンの変わりようも全く別人ですし。 そのワケ分からなさも、ある意味怖い。

 ビートルズって、結構キモチワルイフェチの一面があると思う。 特にジョン。 小さいころから、奇形が好きだったみたいだし。
 その最高峰が、「レボルーション9」 であることは論を待たない。 ジョンにもともと備わっていたキモワル指向のアンテナにヨーコ・オノの感性がぴったりフィットしてしまって出来てしまった、ビートルズの楽曲中、最大の問題作。 レココレのランキングでもワースト1位になるほどの実力派(笑)。 話はそれるが、あのランキングでは、かえってベストの最下位にランクされていた 「アクト・ナチュラリー」 のほうが面白くて興味深かった。 いちばんどーでもいい曲だったというのが(笑)。 いい曲はいい曲だけど、いちばん俎上に乗せにくい曲というか。 かえって好きになっちゃいました。 歌うと気持ちいいっスよ、「アクト・ナチュラリー」。
 「レボルーション9」、嫌いな人は徹底して嫌いなんだろうなー、この前衛音楽。 私は好きですけどね。 でも最初聴いた時は、寝ちゃいましたけどね。 「グッド・ナイト」 の前だというのに。
 それはいいとして、ジョンの曲には、結構この、キモワルメロディがさりげなく隠れていることが多いと思う。 「ぼくを見て」 の最後のヴァースであるとか、その最後のヴァースがまんまタイトルの 「オー・マイ・ラヴ」 であるとか。 それが魅力的なのだが。
 ただ、ジョンのそのキモワル傾向って、「イマジン」 以降は急速にしぼんでいるような気はする。
 ポールの曲にはあんまりキモワルはないかな。 心臓をぐっとつかまれるような切ないメロディラインはあまたあるけど。 こうしてみると、ジョンのキモワルとポールの切なさ全開がミックスされて交互にマッサージされている感覚が、ビートルズの魅力のような気がしてきた。
 ジョージにはあまりキモワル傾向はないかな。 いやあるな。 インド音楽って、キモワルだよなァ(笑)。 「オール・シングス・モスト・パス」 や 「マテリアル・ワールド」 のジャケットもキモワルだし。

 こんなふうに、私みたいな、怖いもの見たさみたいな入り方したビートルズファンって、結構いると思うんですけど。

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2009年1月 3日 (土)

「ウルトラマン」 にみる再放送の重要性

 BS11で1年間再放送 ( …とは言わないのかこの場合? ) していた 「ウルトラマン」 が終わった。 来週からは引き続いて 「ウルトラセブン」 をやるという。 嬉しい限りである。

 この番組の内容についてはまた別の機会にリキ入れて記事を書こうと思うが、私が今回書きたいのは、こういう後世に残る番組は、どんどん再放送していただきたい、ということだ。 しかも、子供たちが簡単に、無料で見られる形で。

 テレビ局の方々は、「再放送」 というものの持つ重要さに、全く気付いていない、そう私はかねてから強く思ってきた。 近年の傾向として、昔の番組をテレビ局の私的所有物と考え、収入源の一つとして、見たいんならカネ払って下さいみたいなところが、どうしても見えて仕方ないのだ。 とりわけDVDボックスとかに集約して法外な値段で売るというやり方には、正直我慢が出来ぬ。

 だが、テレビ局がほんとうに収入を増やしたいのであれば、再放送枠を増やして昔のアーカイブをどんどん開放すべきなのだ。 なぜならば、たくさんの人の目にとまらなければ、その番組自体がやがてはそれを実際に見た世代だけの所有物にしかなりえないからだ。 つまり、いくらDVDを出したとしても、結局はその世代だけの購買欲しか喚起しないことになるからだ。

 じっさい私は、「ウルトラマン」 や 「ウルトラセブン」 をリアルタイムで見た記憶がない。 そりゃそうだ。 まだ1歳とか2歳とかだったのだから。 私がこれらの番組に夢中になったのは、これらの番組が、ものごころついたころに繰り返し繰り返し再放送されていたからなのだ。
 そんな子供が、近所にあった二子玉川園という遊園地のウルトラマンショー目当てに足しげく通って、親たちに散財させたのだ。 円谷プロにも怪獣メーカーのブルマークにも、相当貢献したはずだ。 私には、こちらの経済効果のほうがよほど大きいように思える。

 平成ウルトラマンが、果たしてそこまでの経済効果を期待できるだろうか。 私に言わせれば、無理っス。 だってつるの剛士がウルトラマンだったって、誰も知らなかったじゃないですか。 平成ウルトラマンって、激しく忘れ去られつつあります。 CSとかで有料放送をいくら繰り返しても、その程度だということに、テレビ局は気付くべきなのである。

 いろんな世代がその番組、今回はあえて 「ウルトラマン」 とするが、ウルトラマンを見ていれば、ウルトラマンに関して世代間のさまざまな交流できるようになるではないか。 それが、文化というものの本質ではないだろうか。 テレビ局は、テレビ文化というものを、私物化すべきではないと思うのだが。

 極論ですけど、むかしのように、夕方6時台を子供用の再放送枠に戻したらどうスかね。 親が子を殺したとか子が親を殺したとか夕飯どきに親子そろって見るより、よっぽどいいような気がしますけどね。

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2009年1月 2日 (金)

「ふぞろいの林檎たち」 もう続編ないのかなぁ

 1月8日から始まるフジテレビ系ドラマ 「ありふれた奇跡」 が、脚本家山田太一サンの連ドラ最後の作品になるらしい(2009年)。
 ということは、「ふぞろいの林檎たち」 の続編は、もうない、ということになる。
 連ドラ最後だ、ということだから、単発で復活する可能性はまだ残ってはいるが。

 正直なところ、がっかり、というのと、まあいいんじゃない?という気持ちが半々である。
 確かにあのドラマは、続編が作られるたびに失望が重なっていった作品だった。 それは、最初のシリーズがあまりにも傑作だったためだ。

 最初のシリーズは、大学のランクですべてが決まる世の中へのアンチテーゼ、という明確なテーマがあった。 「Ⅱ」 では、学校を会社に置き換えても同じだというところに、続編そのものの存在意義がまだ、あった。

 だが、「Ⅲ」「Ⅳ」に関しては、続編を作る必然性が、あまり感じられなくなった。 だいたい同業者でもないのに、大学時代の友人どうしが、飲み会をしょっちゅうやるならともかく、行動を密にするなんてことが、そもそもありえない話なのである。 ありえないから、設定が無理矢理になる。 「Ⅲ」 はその点でホントに悲惨だった。 「Ⅳ」 あたりになると、その無理な設定を逆手にとったつもりか、さらにムリムリな設定にしてしまった。 その結果、主人公たちは、新たな登場人物(長瀬智也クンと中谷美紀チャン)の単なる狂言回しになり下がり、「ふぞろい」 という物語の必然性も消滅した。

 また、「ふぞろい」 にとって不幸だったのは、出演した役者のひとり(あえて書きません)が 「ふぞろい」 をぶち壊したことにある。 続編を作るのには、かように様々な障害がついて回るものなのだ。

 だが、「Ⅰ」 が傑作だ、ということに、変わりはない。
 ポップなオープニングから、サザンの歌を印象的に繰り返すエンディング、というパッケージングの妙もある。 当時としては、相当おしゃれに見えたものだ。

 「Ⅰ」 は第1回目から飛ばす飛ばす。
 仲手川良雄(中井貴一サン)が偶然入ったコンパから追い出されて、ソープで働く伊吹夏恵(高橋ひとみサン)の鮮烈なヌードを見て泣きだすまで、どうなっちゃうの、というシーンの連続だ。 しかも主人公が私とさほど歳が離れていない。 自分たちの世代を代弁してくれるようなドラマが出てきた、という高揚感があった。
 蛇足だが、昔のドラマには、この高橋ひとみサンのヌードシーンのような、男のコたちにとって忘れられないようなシーンが、結構あった気がする。 私が思い出すのは、1975年の 「俺たちの旅」 での、金沢碧サンのヌードシーンである。 高橋ひとみサンと、双璧なんじゃないかなー(笑)。 いまじゃ放送コードに引っかかって、とても無理だろう。 そう言えばここ数年、ドラマでヌードシーンなんて、見たことがないなあ。

 話は戻って。
 「Ⅰ」 で最も強烈な印象を残したシーンがある。
 岩田健一(時任三郎サン)がガードマンのバイトをしていたビルで、そのビルに入っていた一流企業の会社の部長と、深夜に初めて出会うシーンだ。 ものすごい緊張感があって、なんだか現実離れしていて、これこそドラマの醍醐味だ、といえるシーンである。 別に私が作ったわけではないが、おれたちの時代にはこんなすごいドラマがあったんだ、と誇れるようなシーンなのである。

 「Ⅰ」 のラストは、特に印象深い。
 就職の面接に行った岩田健一と西寺実(柳沢慎吾サン)が、一流大学の学生から順番に呼ばれていくのを横目で見ながら交わす会話である。
 そのとき健一が実に言った、「胸張ってりゃいいんだ!」 というセリフ。
 なんと堂々としていることか。 なんとすがすがしいラストか。
 あのドラマ、どんなラストだったっけ、みたいなドラマが多い中で、これほど希望に満ちた、印象的なラストシーンを私は知らない。

 そんな名作を、同窓会みたいな続編で汚されるのを見るのは、私にしてみても本意ではない。 だが、「ふぞろい」 のドラマが成立する主人公たちの年齢、というものが、まだこの先にもきっとあるはずなのだ。

 いま(2009年1月現在)74歳という山田太一サンが将来、「ふぞろい」 の続編を書く可能性は低いだろう。  「ふぞろい」 の続編は、「ふぞろい」 を見てきた私たちの世代が、それぞれの生活のなかで実現していかねばならない物語なのかもしれない。
 「ふぞろい」 という良き思い出を、ぶち壊すのも、宝物に昇華させるのも、私たち次第なのかもしれない。
 うつむくな! 胸張ってりゃいいんだ!

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「朝まで生つるべ」 鶴瓶サンの話は置いといて…

 年末恒例 (?) のテレ朝 「朝まで生つるべ」。
 これを見ながら一晩中酒を飲むのが、私のささやかな楽しみのひとつであります。

 なんだか今回は、私がいつも見ている 「きらきらアフロ」 からのネタの使い回し、その割合がやたら高かったような気がします。 いつも使い回してますけどね、今回は特に。 まあ鶴瓶サンも忙しいですし。 あっちゃこっちゃでしゃべっているんでしょう、「きらきら」 で尚美チャン相手にしゃべった時よりは、ネタがこなれてました。

 ただ、なんかやはり、ひとりしゃべりだと、どうも座りが悪いですね。
 ボケ役の尚美チャンがいないから、というのもありますが、お客さん相手だと、鶴瓶サンも過激なツッコミができない、というのが、ある種の縛りになっている気がします。

 んで、私の興味は、ゲストでネタの合間合間に歌ってくれるアルフィーの坂崎サンに移ったわけですが。

 最初のほうの何曲かは、私も知らない曲ばかりでしたが、たぶん高田渡サンなんだろうなーという作風の曲とか、坂崎サンのその選曲の仕方が、これまでの 「生つるべ」 とは質的に違うような気がしました。

 以前の坂崎サンは、フォークソングを、懐かしいだとか、昔こんないい曲があったんですよ的な感覚で歌う歌を決めていたように思います。 私も、昔のフォークを弾き語りしたりするんですが、その時はそんな感覚でやることが多いんですよ。

 今回の坂崎サンの選曲は、詩が深いものがやけに多かった気がします。 人生の奥深いところを語ったような詩が。 諦めであるとか、力の入れ加減の大切さだとか。 とりわけ人生の真実を語っているわけではないけれど、この歌のように考えてみると人生、なかなか捨てたもんじゃないよと、漠然と納得させられてしまうような詩、というか。
 それは、坂崎サンが、フォークソングに対する思索、認識を、さらに一歩深めた証しなのではないでしょうか。
 まあ、酔っぱらいの単なる勘違いかもしれませんがね。

 翌日は 「年の始めはさだまさし」 も見たんで、なんかいま私、夜型になっちゃってます(笑)。

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2009年1月 1日 (木)

去年 (2008年) の紅白歌合戦、見ました?

 ブログに記事を書こうと思って、例年になくマジメに見たNHK 「紅白歌合戦」。

 予想通り、仲間由紀恵と中居正広は万事ソツなく、無難な司会でした。
 もっとはじけてもよかったんですが。
 中居クンが、「つるべ見てる?」 って扇子をヒラヒラさせてたのには笑いましたけど。

 しょっぱなの浜崎あゆみチャンは、どこ怪我してんの?というような派手なステージング。

 美川憲一サンは、こればっかしやなーという選曲。
 「さそり座の女」 は聴き飽きました。 もっと玄人受けする昔のヒット曲、いっぱいあるのになー。 「柳ヶ瀬ブルース」 以外の。 「おんなの朝」 とか。
 美川サンの選曲もそうですが、紅白の選曲については、いつも首をかしげるものが比較的多いです。

 権利関係とか絡むのかもしれないですが、東方神起には 「太王四神記」 の主題歌 「神話」 を歌ってほしかった。 NHKつながりだし、とてもいい曲なんですけどねー。
 久石譲サンが出てきて、宮崎アニメのメドレーなんかやっているくらいなんだから、同じ久石サン作曲の 「神話」 も歌えるんじゃないのかなー。
 同様に、布施明サンも、なんで 「チュモン」 の主題歌が歌えないのかなあ。 韓国ドラマ主題歌対決なんて、結構面白そうだと、思いませんか?

 水谷豊サンの 「カリフォルニア・コネクション」、なんで2番を歌わないのかな。 フルで見たかった。 確か 「熱中時代刑事編」 でも、2番をやっていた回がありましたよ。 だから2番の歌詞も、結構思い入れがあるのに。

 平原綾香チャン、「ノクターン」、ようございました。 しかもドラマと同じバージョンだったのは感激。 今回の紅白では、いちばんよかったです。

 ミスチル、エグザイル、例によって特別扱い。 別のところで歌ってました。
 エンヤは外国だから仕方ないと思いますが、そうしなきゃ紅白なんか出ない、という歌い手を、NHKはわざわざ頭下げてまでして出てもらう必要なんかないと、私は思います。

 歌い手は、出たくもない紅白に、たとえ頼まれたから出るにしても、出ると決めた以上、ほかの歌手に混ざって勝負すべきなんじゃないでしょうか。 紅白なんかどうでもいい、というところが、そのことで見えてしまうのです。 NHKホールで歌うことで、自分たちの最高のパフォーマンスを表現できない、というのであれば、初めから辞退すればいいだけの話ではないでしょうか。

 別のところで歌う、といえば、今回の紅白は、オーケストラがステージ上になくて、別のスタジオで演奏するというスタイルをとっていました。
 歌い手はそれをイヤホンで聞いて歌うんですが、そのイヤホンも違和感ありましたけど、やはり一緒のステージでパフォーマンスしない、というのは、いかにも無機質で冷たい気がします。 これじゃカラオケと一緒じゃないですか。 歌手とオケは、一緒のステージでやってこそ、相乗効果も出るのではないでしょうか。 あれは、いけません。

 小林幸子サン。
 相変わらず凄い衣装セットでしたが、歌った曲についてちょっと言わせていただきます。
 「楼蘭」 という、いったい誰を相手に商売しているつもりなのか分からない歌を、なぜ歌う必要があるんでしょうか。 紅白の衣装先行で作られた曲のように思えました。
 少なくとも紅白で歌う曲くらい、ちょっと考えて選曲してもらいたいものです。

 和田アキ子サンの歌う歌も、正直に書かせていただきますが、相変わらず歌唱力をひけらかすような歌で、失礼ながら、楽曲としての面白みがない。
 和田サンはでも、いい曲に恵まれていないだけなんだと、私は思います。
 そうそうたる顔触れの人がこの人に曲を提供していますが、どれひとつとしてハマった、と思うものがないです、正直なところ。 ヤケにスケールの大きさばかりを強調して、大上段なものばかりで。 「古い日記」 のようなスピーディなソウルとか、いいと思うんですけど。 誰かもっといい曲を提供してあげられませんかね。 もったいないですよ。 凄い人なのに。

 森進一サン。 「おふくろさん」。
 今回の紅白は、ある意味これがウリだったような気がします。
 私はこの人の人生って何なんだろうって、…大きなお世話ですけどね。 だって大原麗子サン、森昌子サンと別れ、恩師の川内サンとは袂を分かち、…なにか、他人がついてけない、って思うような生き方をしてるのかな、って。 ホントに大きなお世話ですね。

 最後に、紅白の勝敗を決める方法、あれもなんとかならないんですかね?
 デジタル審査員で、全国から投票、みたいなやり方にし出した途端、白ばっかり勝ってる気がします。
 私はあれは、全国のジャニーズファンの陰謀だと思うんですけど(笑)。
 あれじゃ紅組のテンション下がるよなあ(笑)。 ダブルスコアだもん(笑)。

 もともと 「歌合戦」 なのだから、もっと対決色を強めて、組織票みたいな恣意的なものを一切省いたら、どうなんでしょうか。

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