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2009年2月 9日 (月)

新参者を相手にしていない 「仮面ライダーディケイド」

 平成仮面ライダーシリーズ10周年の集大成だという 「仮面ライダーディケイド」。
 正直言って私は 「仮面ライダー電王」 から見始めたので、初回からほとんどついていけてない。
 最初のシリーズ 「仮面ライダークウガ」 から見ている人たちには、何倍も楽しめる作りになっているようなのだが。

 私がどうして 「クウガ」 から見ていなかったのかといえば、今さら仮面ライダーでもないだろう、というオッサンの論理に負けてしまったのと、実際にちょっと見たとき、大人向けなのか子供向けなのか、ずいぶん中途半端に見えたので、見なくていーや、と判断したことが、主な理由だ。

 それから何シリーズもあったようだが、一度見なくていーやと決めてしまえば、よほどのことがなければ見ようとは思わないものだ。 だいたい、外野で聞こえてくるのは、主人公がイケメンで奥様方に大人気、であるとかいうレベルの話ばかり。 ムサいオッサンにしてみれば、ケッ、てなもんである。

 それがどうして 「電王」 から見始めたのか、というと、「史上最弱の仮面ライダー」 「電車に乗る仮面ライダー」 という宣伝文句に引っかかったせいである。
 見てみると、佐藤健クン演じる主人公のあまりのヨワヨワぶりが面白く、その彼がモモタロスとかに憑依された時の豹変ぶりも面白く、キンタロスやデネブというほかのキャラも秀逸で、デンライナーという電車に乗って敵を倒すという発想の斬新さにも打ちのめされて、話自体はなんだかよく分からなかったが、結局最後まで見てしまった。
 考えてみれば、昭和の仮面ライダー(私の場合 「アマゾン」 まで)を見ていた世代からすれば、「電王」 の世界はまさに驚天動地だった。 コンセプト的にも、まるで別物である。

 いったん見始めてしまうと、次の 「仮面ライダーキバ」 も惰性で見てしまう。
 それで、今度の 「ディケイド」 も惰性で見出したのだが。

 この 「ディケイド」、私のような平成仮面ライダーの新参者を相手にしていない。

 ライダーのデザイン的には、キバに比べると相当ダサいのだが、私のような昭和の石ノ森章太郎フォロワーにとってみれば、これぞ石ノ森的デザインだといえる。 イナズマンとかを思い起こさせる、アナログ的な懐かしい面構えである。

 なのに、話のほうはまるっきり現代的で、クウガの話が分からなくてもついていける、という親切なところがあまり見受けられない。
 今週の話でクウガの世界は問題解決したようだが、何となく話は分かるけれども、パラレルワールドのそのクウガの世界が、なんで危機から脱したのかがいまいちピンとこないのだ。 クウガは 「ディケイドが本当の敵だ」 と、帽子をかぶった謎のオッサンから教えられていて、途中ふたりは激しい戦いをするにもかかわらず、結局仲直りしたような格好で終わってしまうし。
 だいたいテンポがよすぎて考えてるヒマがないし。
 大人の私が分からないのだから、子供はもっと分からないだろう。

 主人公に感情移入できないというのもつらい。
 「電王」 から見てきた私にとっては、初めての強気な主人公なのたが、「笑いのツボ」 とか、あまり俳優の演技力のなさを暴露してしまうような設定はやめたほうがいいと思うのだが。 まあそのうち演技力も向上するのだろうと思いながら見ているが。

 なにしろ、たかだか30分の番組なのに、見終わるたびに置いてきぼりを食らわされたような気分になる。 なんで見続けるのかといえば、「電王」 と 「キバ」 のエピソードを待っているからだろう。 それしか知らないので。
 でも私がこれを見続けようと思うのは、やはり仮面ライダーがいろいろ出てきてゴージャスさを感じるからだろう。
 昔っから、ウルトラ○兄弟とか、マジンガーZ対グレートマジンガーとか、ヒーロー勢ぞろいものには、からっきし弱いのであった。 チャンチャン(笑)。

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