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2009年3月

2009年3月31日 (火)

鶴瓶サン見かけました 「きらきらアフロ」 見てすぐ

 今日の午後3時過ぎ、銀行の用事で出かけたら、東急大井町線等々力駅の前で、鶴瓶サンを見かけました。 見間違いかもしれないけど、あの頭は、鶴瓶サンでしょう(笑)。

 誰かオバチャンと話してました。 「家族に乾杯」 かとも思いましたが、テレビカメラや音声サンとかいなかったので、違う番組かもしれない。 だいたい、「家族に乾杯」 のロケを東京でやるわきゃないと思うんですが。 そりゃ、ここらへんは東京の片隅ですが。

 昼に昨晩の 「きらきらアフロ」 録画したやつを見たばかりだったので、何となく話しかけたかったんですが、こっちも仕事で急いでるし。
 いやー、だけど、見たばかりの 「きらきら」 のときより、さらに痩せてた気がするなあ。
 ブラウン管で見ていたせいかな? テレビに映ると太って見えると言いますしね。 鶴瓶サン、ホントに痩せぎすの男になってました。 なのに道行く人は結構気付いていたみたい。 そりゃ、あの頭にあの顔ですから(笑)。

 まずは、ご報告まで。

 追記 これ、「A-Studio」 という4月(2009年)から始まった番組の、佐藤隆太サンに関する取材だったようです。

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2009年3月30日 (月)

TBS総力報道THE NEWS 小林麻耶のニュース読みは

 今日から始まった、TBSテレビの大型報道番組、THE NEWS。

 注目はやはり、バラエティから転身した、小林麻耶アナが報道に向いているかどうかだろう。
 私の見る限りでは、初回ということでぎこちなさも多少あったが、まあまあできるんじゃないか?というのが見たままの感想である。

 そりゃ、リアクションがオーバーだとか、お相手の後藤謙次サンに質問している内容自体が分からないとか、突っ込みどころはいろいろある。
 揚げ足取りをすれば、民主党小沢代表の、たぶん 「去就」 と言いたかったのだろうが、「巨匠」 と言っていたとか。 マチャアキかよ!(笑)
 あと、お天気お兄さんの話の後、原稿でも落としたのか、ずっこけたような感じになって、スタジオ内の苦笑を買っていたとか。 でも、面白かったですよ。

 番組の方向性としては、もっと後藤サンにいろいろしゃべらせたらいいんじゃないかとも思ったけど。 それってどこかで後藤サンに、亡くなった筑紫哲也サンのような役割を、私が期待しているせいかもしれない。

 小林サン、原稿読みは80点くらいの出来かな。 テポドンの説明なんかは、結構分かりやすくてよかった。
 ただ、以前当ブログにも書いたが、この人は、正直なところバラエティ向きなのだ。 報道番組であんな爽やかな笑顔をされても、小林サンのファン以外の人は、それがどうした、としか見てくれない。 あの笑顔あってこその小林麻耶だ、と私などは思うのだが、それが生かされないというのは、実に残念だ。 話によると、小林サンには笑顔禁止令が出ているとか。 その真偽はともかくとして、報道にあの笑顔は不要、という向きがあることは確かだ。

 だが、小林麻耶アナには、報道もできるがバラエティもできる、という、新しいタイプのキャスターを目指してほしい気もする。 そんな人、今のテレビ界にはいませんから。

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NHK連続テレビ小説 「つばさ」 どうでしょう

 NHK朝の連続テレビ小説の新番組、「つばさ」。
 初回を見ただけでは何とも言えないが、面白くなりそうな予感はある。

 第1回目では仕方のないことかもしれないが、説明ゼリフのオンパレードで。 とっても不自然でした。 仕方ないですが。 でも、私があまりこのシリーズを見ないのは、朝の忙しい時間に時計代わりに見るドラマ、みたいなスタンスで製作されているようなところが、いやだからなのだ。 アラの多いストーリーが、結構見受けられる。 だからちょっとやそっとじゃ、見ようって気にはならないのである。

 そんな私が朝の連ドラで最高傑作だと思っている 「ちりとてちん」 の出だしは、ハテどうだったかと思い返してみると、1週目だけ子役の子が出てきて、ほぼすべての状況説明を、ごく自然に行なってしまっていた。
 あれは、よくできた脚本だったなー。

 「つばさ」 の第1回目では、主演の多部未華子チャンの母親役で現在失踪中の高畑淳子サンが戻ってくる、というところまでだったが、高畑サンのインパクトが凄かった。 ちっとも出てこないというのに。
 まず、街のそこかしこに貼ってあるホーローでできた殺虫剤の看板広告に、「シュッ!役(註:主役)は私」 という寒いコピーで派手にニコッと笑っている。 それで高畑サンは町の連中から 「シュッ!」 なんてあだ名をつけられているくらいで、これが笑える。 そのホーローの看板を、多部チャンの父親役である中村梅雀サンが寝床で抱きしめて、逃げた女房に未練タラタラなのも、そこはかとなくおかしい。
 高畑サンを 「シュッ!」 呼ばわりしているのが、鳶の棟梁役の金田明夫サンで、多部チャンの祖母役が、吉行和子サン。 あれ? 3人とも金八ファミリーじゃないですか。

 多部未華子チャンという女優は、今までに見たことのない顔の作りの女の子だ。 こういう種類のカワイイっていうカテゴリーもあるんだな、という気はする。
 まあ、彼女の演技とか、多部チャンの弟役の男の子の声が高すぎとか、気になる点はあるこたあるが、まだ始まったばかり。 ふつうは見ない朝の連ドラだが、ちょっと付き合ってみようかなという気には、なっている。

 そういや、ナレーションをやっているイッセー尾形サン、この前倒れたとか聞きましたけど、大丈夫なんですか? ご近所で、よくお見かけいたしますが。

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2009年3月28日 (土)

地デジの問題点イロイロ

 あと数年でアナログ放送が終わるという話が結構切羽詰まった問題になりつつある今日この頃、皆さんいかがお過ごしで…あ、違うか。

 ところでこの地デジの問題点で、どうでもいい部類の話なのか、話題にも上らない点がいくつかある(追記 : その後ようやく、話題にのぼり始めたようです)。
 まず、地デジを見るのにはUHFアンテナを取り付けなければならない、という点。
 これってUHFが民放放送の主体である地方のかたがたには関係ないと思うが、少なくとも東京に住んでいる人は、VHFアンテナしか屋根についていない世帯が、ずいぶんあるのではないだろうか。
 東京でVHFしか視聴できなくても今まで問題がなかったのは、神奈川テレビとか埼玉テレビとか千葉テレビとか、隣県のUHFを特に見たい人は別として、VHF放送だけでNHKも民放もすべて見ることができたからである。
 このアンテナをいまさら替えるとなると、年配の方になればなるほど、わけが分からなくなるに決まっている、と私はあえて断言する。

 このアンテナを付け替える、というのは、地デジチューナーを購入するより先にしなければならない作業だし、しかもその料金が一律で決まっていないというのも、実は大変な問題なのではなかろうか。 つまり、電気屋だかアンテナ屋だかに、下らない金の取られ方をされる危険性が高い、ということだ。 ただでさえ東京というのは世帯数が多い。 しかも、年金生活の貧乏なお年寄りが多いのだ。 総務省は、その辺のことをどうお考えか。

 あとは、ホントにどうでもいい話になってしまうが。
 なんでチャンネルの番号を変えてしまう必要があるのか。
 分かりにくいぞ!(笑)
 東京では、今まで10チャンだったテレビ朝日が、5チャンになり、12チャンだったテレビ東京が、7チャンになる。 つまり、空いていたチャンネルも有効に使える、とかいう理屈なんだが、私の場合いままで40年以上も慣れ親しんできたテレビ局の順番が変わるのは、なんとも残念だ。

 しかも、どういうわけか、表示は1ケタだけど、厳密に言うと3ケタなのである、チャンネル番号が。
 つまり、NHK総合の場合、011が本チャンで、012がデータ放送用チャンネル。
 ほかのテレビ局も同様で、BSの場合だとデータ放送用のチャンネルが本チャンとは別にふたつあったりする。
 なんじゃこりゃ?(笑)
 データ放送とか言って、ひとつは分かるけど、ふたつも必要なのだろうか?
 それに、私の場合、データ放送、必要ないです。
 最初のうちは物珍しさも手伝って、今日の天気とか渋滞情報とか見てたが、操作方法が各放送局ごとに違うし、データ取得に手間がかかるのか、パッパッと出ないし。 番組情報なんか、簡単なものばかり。 最近じゃほとんど使わない。 使えネェ~!というのが正直な感想だ。

 それに、パッパッで思い出したけど、地デジって、レスポンスが悪い。
 チャンネルを変えると、何か一呼吸ぐらい、変わるのに時間がかかるのだ。
 あれってアナログに慣れ親しんできた身にとっては、なんともイライラする。
 チャンネルを変えるごとにデータ処理が必要なため、そうなるらしいのだが。
 いまではずいぶん慣れたつもりだが、ザッピングつまりチャンネルをバチバチ変えるというのをテンポ良くできないというのは、テクノロジーの進歩もたいして人に優しくないもんだ、との感慨を強くする。

 しかし、何と言っても一番問題なのは、
 いっくら画面がキレイになったと言っても、やってることはアナログと変わらないところ、なのであった!(笑)

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2009年3月27日 (金)

「風のガーデン」 ようやく見終わりました

 「風のガーデン」 の最終回を、3か月もたってからようやく見終わった。
 なかなか見終えることができなかったその理由については、当ブログですでに説明したとおりである。 これを見終われば、緒形拳サンと本当にお別れだ、と思ったからだ。
 だが3か月もたってまだ見ないでいる、というのは、却って緒形サンに対して失礼だ、という気になってきた。 それでようやく、今日最終回を見ようという気になったのである。

 だから、何をいまさらみたいな話になってしまうが、やはり書かずにはおれない。
 これを見終わって、ようやく私の中で、緒形拳サンという俳優を看取ることができました。 改めてご冥福を祈ります。

 その最終回の中で、ドラマを離れた部分で私が一番感慨を持ったのは、石田えりサンの散髪屋に緒形サンが来て、頭をシャンプーしてもらうというシーンだった。
 白髪の男の人のシャンプーなど、そんなにじっくりと見たことがあるわけではない。 しかも、シャンプーされている人は、すでにこの世にはいない人なのだ。 私はそのことに、ただ演技しているだけでは伝わってこない、なんとも言えない変なリアルさを、感じたのだった。
 緒形サンの肉感、とでも言うのか、もうこの世の人ではないはかなさ、とでも言うのか。
 ドラマ上でのそのシーンは、2008年12月の終わりごろの設定。 結果的には、緒形サンがその時期にシャンプーをしてもらうなんてことは、実際には起こらなかったわけである。
 しかも何だか、そのシャンプーが全く泡立たなくて。 それは変な意味でなく、何かの暗示のようにも思えたのだった。
 
 そして、ドラマが終わった後に、当然ながら次回の新番組の予告が入るわけで。
 それが、この前まで見ていた 「ありふれた奇跡」。
 いまさらながら、このふたりの偉大な脚本家(倉本聰サンと、山田太一サン)が書いた、「最後のドラマ」 が終わってしまったことに、とんでもない喪失感を抱いているのである。

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2009年3月26日 (木)

アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」のリバプール訛り

 ビートルズのイギリスにおけるファースト・アルバム 「プリーズ・プリーズ・ミー」 は、シングルですでに発表されていたものを除けば、たった一日で録音された、という、やっつけもいいところの作品だ。
 プロデューサーのジョージ・マーティンが、一気に録音してライヴバンドとしてのビートルズの魅力を引き出そうとしたとも考えられるが、私はそれはあくまで結果オーライでしかないと思う。
 つまり、人気の出てきたビートルズを、イキのいいうちに刺身にして売っちまおう、というレコード会社の魂胆を感じるのだ。
 だが、それは確かに、結果オーライだった。
 我々は現在、ゴージャスな大トロ(サージェント・ペパー?)でもなく、ほどほどに脂の乗った中トロ(リボルバー?)でもない、まるで 「こりゃ肉か」 と間違えそうなくらい旨い赤身、みたいなこのアルバムを味わうことができるのだ。

 当ブログ別項 「ラヴ・ミー・ドゥの謎」 でも指摘したのだが、私はビートルズのアルバムの中でも、この 「プリーズ・プリーズ・ミー」 には、一種独特の匂いがすると思っている。
 おそらく、シングル以外の一日で録った曲群が、ことごとくきついエコー処理をされている、というのも一因だ。
 どうしてそういうことがなされたのか。
 ひょっとすると、エコーをかけなければ一定の基準に達しないと、ジョージ・マーティンは考えたのではなかろうか。 エコーをかければうまく聞こえる、というのは、肥えた耳を持っている今のビートルズファンにしてみれば、実に下らない発想にしか思えないのだが、それはライヴ感を強調するという、思わぬ効果をもたらしているように感じる。

 また、このアルバム全体に、1950年代のロックンロールを踏襲している部分が多くみられることも、ほかのビートルズの作品にみられない雰囲気の原因となっている。
 その端的な例が、「ミズリー」 だ。 この曲はレノン=マッカートニーのオリジナルだが、合いの手で入ってくるピアノの旋律や、最後に聞こえる 「ララララララ」 の部分は、オールディーズではよく聴く種類のものだ。 カバー曲でも、あまりビートルズらしさを強調しているところは見受けられない。

 それから見逃せないのが、このアルバムの独特の雰囲気には、彼らの 「リバプール訛り」(?ひょっとするとドイツ訛りなのかもしれない)  がかかわっている、という点だ。
 ポールはそんなに訛っていないと思うのだが、特にジョンとジョージは、訛りまくり、という感じがする。 なんだかこんなところからも、私はポールのオーディナリー・ピープルぶりを感じたりするのだが。 だけど、デッカのオーディションではそんなに訛っている風ではなかったのに、どーしてこんなにジョンとジョージは訛りまくっとるのか? きっとよそ行きだったんだ、デッカのオーディション。
 イギリスの方言に関しては詳しくないので、間違いの部分があればゴメンナサイだが、私が感じた訛りの部分は以下の通り。

just → ジュス
break → ブリーク
can → クン
believe → ブリーヴ
the → ズ、あるいはゾ
it's → エッツ
secret → シクラッ
tell → タゥ
of → アヴ

 「ベイビー・イッツ・ユー」 はベベーエッチュー、って感じだし、「アンナ」 の中の 「just one more thing girl」 は、ジュスウォンモーシングーゥ、って感じ。
 あと、「ツイスト・アンド・シャウト」 のカモンカモンカモンカモン。 当時、c'mon という省略体はなかったような気がするのだが、ジョンのそれは、まさにその感じ。 これは、訛りっていうんじゃないのかな。 カモンをクモンって歌うのは。
 しかし、これらを指摘したとおり通り歌うと分かるのだが、結構これが、歌ってて気持ちいいのだ、この訛りが。
 しかも、英語がうまくなくても、うまく聞こえてしまう。
 一度お試しください。 この訛りグセを身につけると、カラオケで歌うビートルズは、格段にうまくなります。 って、カラオケで歌うもんじゃないけどな。 ビートルズって。 弾き語りですよ、バンド演奏が無理でも。 …話がそれましたね。

 私は、もしこの 「プリーズ・プリーズ・ミー」 のアルバムだけしかビートルズがリリースできなかったとしたら、ビートルズって今頃CDショップのオールディーズの棚のところにしか置かれてないんじゃないか、と思ったりする。 いや、そもそも置かれているかどうかも分からない。 もしビートルズが、あれほどのバンドにならなかったら、きっと一日で録音したなんてことは、セールスポイントになんかなりゃしなくて、逆に評価をますます下げる要因の一つになったかもしれない。
 それほど、このアルバムからは、のちのかれらの成長を予感させるものが見当たらない。 そこにあるのは、1962年に彼らが持っていた、爆発的なエネルギーだけだ。 それが世間に受け入れられたからこそ、我々はリバプールの田舎者たちの、多岐にわたるへんてこな実験を、最後まで見ることができたのではないだろうか。

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2009年3月25日 (水)

海援隊 「贈る言葉」 とユーミンの 「卒業写真」

 近頃の卒業式ソングの氾濫ぶりには、正直言って辟易している。
 しかもそのタイトルに 「桜」 のつくものの多さといったら。
 ほかに思いつかないのかと言いたくなる。
 タイトルに 「桜」 がついてなくても、どれもこれも同じような内容だし。 まあ、中学生あたりを相手に商売しているなら、その程度でいいのかもしれないが。

 私の中学卒業時期は、ちょうど海援隊の 「贈る言葉」 が流行っていて、そればっかり聞いていた気がする。
 だが、この歌は、今の 「離れてもいつまでも負けないでドーテラーコーテラー」 とか、「忘れないよみんなのナンタラーカンタラー」 とかいう卒業式ソングのヌルーイ内容とは、ずいぶんと趣の違う歌だった。
 「信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷つくほうがいい 求めないで優しさなんか 臆病者のいいわけだから」
 という、ずいぶん人を思い切り突き飛ばしたような(笑)、冷たい歌なのだ。

 「贈る言葉」 という歌は、なれ合いを拒絶している立場に立った歌だ、と私は考えている。

 実際、中学校を卒業すると、同じ高校に行った友人以外は、てんでバラバラになってしまったものだ。 つまり、卒業をして待っているものは、なれ合いなどでははじき飛ばされてしまうような、中学校とは違う、甘くない世界なのだ。
 それは、公立の義務教育を受けてきた人限定の話かもしれないが、ピンからキリまでいた中学校とは違い、高校に行くと、学力もみんながみんなほぼ自分と同じレベルの人間ばかりがいるわけで、今まで頭が良くって優越感を持っていた人間も、それにひたれなくなってしまう。

 私に限って言えば、みんなの学力が均衡する、というのは、それまでの価値観の逆転だった。
 確かに高校には高校の、いい部分もあるが、勉強でまわりに負けられない、というのは、結構なプレッシャーだった。
 「贈る言葉」 は、そんな外海に船出するひ弱なひな鳥たちを、叱咤激励する歌なのである。

 卒業ソングの定番で私(の世代?)がもうひとつ思いつくのは、ユーミンの 「卒業写真」 だ。

 だがこの曲、卒業式のことを歌った歌ではない。
 この曲の主人公は、卒業してからしばらくして、しまってあった卒業アルバムをひっぱり出してきて、卒業写真を眺める。
 そして、あの頃の生き方に恥じないような生き方を、今もしていますか、と聴き手に問いかけてくる。 「卒業写真」 は、そういう歌だ。
 この問いかけって、いい加減に生きている私みたいな人間には、結構キツイ。
 いや、それなりに一生懸命生きていても、若かったころ持っていた夢とか情熱とかを、失わないで生きてゆくっていうのは、ずいぶん難しいことなのだ。
 キツイ問いかけをしたこの曲は、直後に 「あなたは私の青春そのもの」 という、究極のキツーイ一発(笑)を聴き手に食らわせて終わる。
 そんなことを言われたら、いやでもしっかり生きなければならないではないか。 ユーミン、キツすぎですよ。 神がかってます。 なかなか、こういう詞は、書けません。

 「贈る言葉」 も、「卒業写真」 も、相手を突き放しているという点において、同じ次元の歌だ。 私は、最近流行りの卒業ソングに、この手の厳しさが見えないことについて、非常に不満を持っている。 もしかしたら、そんな厳しい歌もあるのかもしれませんが。

 でも最近の卒業ソングの優しさ押し売り傾向って、あんまり厳しいことを歌うと親から苦情が来るとか、そんな時代の雰囲気でひよっているのかもしれないけれど。

 もっと突き放しゃいいと思うんだ、子供なんか。

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飛ぶな

飛ぶな
おまえに翼なんかない

飛ぶな
落ちるだけだ

飛ぶな
簡単に夢を見るな

飛ぶな
おれたちは地面に這いつくばりながら
泥にまみれながら
一歩一歩
積み重ねながらでしか
空をめざせないのだ

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2009年3月23日 (月)

「天地人」 第12回 特番と一緒に見ました

 「天地人」 第12回の録画したやつを見る前に、リアルタイムで 「天地人がやってきた2」 を見ました。
 要するに 「天地人」 紹介の30分特番。 
 与六役の男の子と高嶋政伸サンが天地人ゆかりの地を訪ねたり。
 あの男の子、相変わらず言わされ続けてました、「わしはこんなところに来とうはなかった」、って(笑)。 んで旅の終わりには、その逆のこと言わされて。 このロケ面白かったって。 この先ずっと、言わされ続けるんだろうなあ(笑)。

 「天地人がやってきた」 では、小泉クンのほうが妻夫木クンより2つ年上だとか面白いエピソードも話題になっていました。
 その中でも興味深かったのは、片膝立てるときに、立てたほうの膝が御屋形様のほうを向いてはいけない、だとか、あぐらをかくときにも足の裏側を御屋形様のほうに向けてはいけないだとか、普通に見てたらけっして分からない礼儀作法を、ドラマではきちんとやっている、という話。
 それを打ち明けながら、妻夫木クンなどは 「あまり注意して見ないでくださーい!」 みたいなことを言って笑わせていましたが、確かにドラマの進行上、さして重要な話ではなかった(!)。

 その後すぐに昨日の 「天地人」 の録画分を見たんですが、その礼儀作法のことなど、すっかり忘れていました(笑)。
 今回気になったのは、ってまた揚げ足取りか…(笑)、いや、俳優サンの序列の問題なんですがね。
 草笛光子サンが出てたんですが、タイトルバックの出演者紹介で、オーラスから2番目だったんですよ。
 それで、どんな大物がオーラスなのかと思ったら、高島礼子サンでした。 要するに草笛サンより、序列が上、ってこと。
 高島礼子サンって、そんなにエラかったですかね?
 しかも、高島サンが出てきたの、たかだか1シーンだけだし。
 草笛サンは、今回結構重要な役回りだったのに。
 まあ、どうでもいい話なんですがね。

 その草笛サンを妻夫木クンが助けて、そしたらそれが後々に役立ってみたいな、結構ベタな話でしたけどね。
 言うこときかせようとして景虎側が金だけ置いてった、というのも、ちょっと世間知らなすぎ、って言うか。
 命がけだけで相手が言うこと聞いてくれたら、銀行は貸し渋りなんかしないのになぁとか。
 あーあ、やだやだ。
 もっと素直にドラマを楽しめないんでしょうか、私って(笑)。

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2009年3月22日 (日)

吉田拓郎という 「大いなる」 存在

 NHKBS2で吉田拓郎サンの復活ライブをやっていたようだ。

 拓郎サンが1985年の夏にワン・ラスト・ナイト・インつま恋のライブをやった時、私の仲間内でのもっぱらの話題は、タクローがこれで引退しちまうってよ、ということだった。
 今から考えるとどうしてだか分からないが、タクロー引退の噂は何だか、少なくとも私の友人同士の認識では、既成事実として成立してしまっていた。

 その認識を後押しさせたのは、サザンの桑田サンである。
 それは、「KAMAKURA」 という、サザンオールスターズにとっては初めての2枚組アルバムの中の一曲、「吉田拓郎の唄」 という歌で、「長い旅が終り 安らかに眠れよ」 という一節によってだった。
 今聴き直しても、「あの」 吉田拓郎にむかって何てことを言うんだ、という内容である。
 実際、このアルバムの発売当初も、結構物議をかもしたと記憶している。
 だが、あらためてこの曲を聴き返して見ると、確かに桑田サンの言いようは、拓郎サンにしてみれば、「なんだ後輩の若造のくせしてザケンジャネェ」 みたいな内容なんだが、この曲には、「タクロー引退なんかまだ早すぎるぞバカヤロー」、という桑田サンの、拓郎サンに対する歪んだ愛の形を感じることができるのだ。

 「吉田拓郎の唄」 には、桑田サンが拓郎サンをどうとらえていたかが垣間見ることができる、興味深く実に的確な部分がある。

「河の流れを変えて 自分も呑み込まれ」 という部分と 「時代(とき)に流されず 迎合(あい)もせず 語りかけた人よ」 という部分だ。
 実のところ私も、吉田拓郎サンという人には、桑田サンと同じ認識でいるようなところがある。
 世の中がフォークソングイコール反体制みたいな時代に、あえて 「結婚しようよ」 などというフヌケた歌を歌い、時代を軽薄短小という方向に導いたひとりとなりながら、いざ軽薄な時代になった時に自分を厳しく見つめ直す方向へ向かっていった、絶えず時代の空気に逆行しているようなイメージを、私も拓郎サンには感じているのだ。

 当時のタクロー引退の話は今から見れば究極のガセネタだった。
 それでもやはり、あのワン・ラスト・ナイト・インつま恋から、拓郎サンが第一線を退いた感は否めない。
 だが、もうあれから四半世紀がたとうとしている。
 そして大病を患いながら、拓郎サンは自身最後のツアーに出ようとしている。
 拓郎サンは、人生に対してどのようなメッセージを、私たちに伝えようとしているのだろうか。

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2009年3月21日 (土)

大人にならないと分からないアニメ 「赤毛のアン」

 高畑勲サン演出のアニメ 「赤毛のアン」 が放送されてから、今年(2009年)で30年になる。
 BSフジでは、この4月(2009年)から、「こんにちは アン」 という続編を放送するらしい。
 続編、といっても、アンがグリーンゲイブルズへやってくる前の話、ということだ。 どんなものなのか、チェックはしてみるつもり。

 30年前の 「赤毛のアン」 は、当初宮崎駿サンがスタッフに加わっていたが、途中で 「ルパン三世 カリオストロの城」 を手がけたため離脱した、という、今から考えるとスゴイ経過も絡んでいた。
 とにかく、このアニメ界の2大巨頭が会した最後の世界名作劇場は、近藤喜文氏もかかわったこともあり、後世になればなるほど評価の高まってきた作品だと言ってよい。

 だが、放送当時私は、このアニメを数回見ただけでリタイアしてしまっていた。
 原作本を読んでいたこともあり、開始当初は大きな期待を持って見だしたのだが、面白くなくて見るのをやめてしまったのだ。

 ところが、大人になって改めて見てみた 「赤毛のアン」 は、子供のころには感じることのできなかった魅力にあふれていた。 どうしてこんなに良質のアニメが、子供のころには面白く思えなかったのだろう。

 その原因をちょっと考えてみた。
 まず第一に、、オープニングとエンディングの歌がまずい。
 「赤毛のアン」 のこれらの歌は、まるでミュージカルの曲のような、覚えにくい複雑な構成の歌なのだ。
 一行歌って演奏がしばらく続き、しかもリピートの部分がない、というのは、子供にとって実にイライラの募る構成と言わざるを得ない。 子供っつーのは、矢継ぎ早に歌いたいものなのだ。 同じようなメロディラインを続けて歌いたいものなのだ。
 だが、大人になった私が聴くと、この歌はとても魅力的に思えてくるから不思議だ。 これって何なのだろう。 ちょっと原因が分からない。 無理に理由を考えれば、複雑な構成でも、子供みたいにそれがつまらないとすぐ投げ出さず、いいものはいいと思えるから、としか言いようがない。 現にこのアニメを再び見ていた間、私の頭の中はずっとこの歌が反芻していた。
 「赤毛のアン」 の歌は、はっきり言って名曲である。

 第二に、「赤毛のアン」 の前のシリーズだった 「ペリーヌ物語」 との落差である。
 ペリーヌは、世界名作劇場でも上位にランクされるほどのカワイイ女の子だった。 そのうえ性格はいいし、非の打ちどころがないキャラクターだった。
 ところがこの 「赤毛のアン」 に出てくるヒロイン、アン・シャーリーは、器量はよくないし、夢見がちでベラベラベラベラうるさいし、目的のためには手段を選ばないところがあるし、変なところに強いこだわりを持っているし、同世代の子供からみると実にウザったい種類の女の子なのだ。
 原作を読んでいる時には気付かなかったが、実際にアニメになってみると、やはりペリーヌには及びもつかないそばかすだらけのブサイク顔の女の子が、大げさにまくしたてるのを見るのは、うっとおしくて仕方なかった。 主人公に感情移入できない、というのは、そのアニメ全体の評価にかかわる重大事なのだ、子供にとっては。
 また、「ペリーヌ物語」 で大河ドラマ巨編を見てしまったあとでは、 「赤毛のアン」 は実に平凡な日常の連続で、つまらない話にしか、当時のガキンチョ(中3で、結構大人でしたけど)には思えなかったことも、大きい。

 それでも、この点も、大人になった私の視点からみると、マシュウが感じたように、アンの話が面白くて仕方なくなる。
 いや、ただの興味本意ではない。 マシュウもそうだったと思うが。
 こういう元気な女の子が、自分の思いもよらなかった視点で、退屈極まりない自分の住んでいる場所(マシュウにとっては、グリーンゲイブルズ)を表現するのが、実に驚異的に思えてくるのだ。

 さらに、「子供時代は大人になるとどうでもよくなることに命をかけるものなのだ」、というある種の達観を持ってアンを見ることができる、というのもある。
 振り返ってみれば、自分だってアイスクリームが食べたいのに何か障害があれば、大泣きしてでもアイスクリームを食べようとしただろうし、自分が一番気にしていることをバカにされたら、一生あいつとは口きかねえ、なんて考えただろう。
 そうした経験のない人は、食べたいものは何の障害もなくみな食べられて、他人に笑われるようなブサイクでもなくて、それは個人的には恵まれていて羨ましいとは思うが、アンのそういう嫌な性格を理解できることもないのだ、と思う。
 自分の幼少期に持っていたネガティブな部分など、大人になればすっかり忘れてしまうものだが、アンはそのことを思い出させてくれる。 それを大人になった自分もけっして克服しているわけではないが、ある程度は達観できる。

 一方で、そのアンのうっとおしさがマリラをイライラさせたりするのだが、これも、いざ自分が大人になってみると、そのマリラのいらだちを却って笑えたりしてくる。
 これが、子供には笑えない。
 マリラという存在は、子供にとっては、自分たち子供の世界を理解してくれない大人たちの象徴、みたいに思えてしまうのだ。

 第三に、アンが容赦なく大人になっていく、という現実だ。
 原作でもアンはどんどん成長して、やたらと頭が良くなっていくのだが、これが実際アニメになってしまうのは、子供たちにとっては、少し残酷なのである。
 アニメの主人公は、成長することを拒絶する。
 サザエさんもしんちゃんも成長しないのは、子供たちの要請だ。 カツオものび太もちっとも頭が良くならないのは、ダメな子が成績優秀になっていくのを、子供たちが見たがらないせいなのだ(ダメな子が成績以外の部分で成長していくのは見たがるけど)。

 だが、私が大人になって改めてハマってしまった 「赤毛のアン」 の、ことこのアニメにおける主題は、まさにここにあるような気がする。

 子供は、容赦なく、大人になっていくのだ。
  いや、高畑サン流に言えば、子供は、いやがおうでも、大人にならなければいけないのだ。
 それが、この長編アニメに横たわる主題のように、私には思える。

 大人になるにしたがって、孤児院からもらわれてきた当初のハチャメチャな性格をなくしていくアン。
 物語終盤、年老いたマリラが、グリーンゲイブルズに初めて来たときの無邪気なアンを思い出して、さめざめと泣くシーンでは、私も見ていて、涙が止まらなかった。
 子供が元気すぎて手がかかるとか、うるさくて仕方がないなどというのは、大人の時間の流れからいえば、実に一瞬のことだ。
 そしてあとから思い返せば、子供がうるさくて仕方なかった日々が、どんなにか幸せだったのかが、分かるのだ。

 これって、子供じゃ絶対分からない話ではないか。
 ということは、当時もこのアニメを見た大人は子供よりもずっと感動し、子供に向かって 「赤毛のアン」 を見なさい、と強制したに違いない。 エレー迷惑な話だ、子供にとっては(笑)。

 子供が興味を持つのは、アンが毒リンゴを食べたと勘違いしてしまうところとか、ボートが沈んでしまうとか、そんなエピソードでしかない。
 「赤毛のアン」 というのは、実に牧歌的なエピソードの連続なのだ。 だがその話の平凡さに気を取られていると、この物語の本当の意図に気付かぬまま、終わってしまうことだろう。

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2009年3月20日 (金)

「ありふれた奇跡」 最終回 連ドラ最後なんて言わないで

 山田太一サン連ドラ最後の作品「ありふれた奇跡」 が終わった。

 最終回は、山田サンのメッセージがそこかしこにちりばめられていて、まだまだ言い足りないことがありそうだった。 連ドラこれが最後なんて言わないで、もっともっと山田サンに世の中へメッセージを送り続けてもらいたい、というのが今の私の気持ちだ。 まだまだこのドラマを見ていたい。 終わんないで、という感じ。

 このドラマの記事をブログに乗せると、アクセスが来る検索キーワードに、「ありふれた奇跡 つまらない」 とか、「ありふた奇跡 不自然」 というものが多かった。
 そんな目でこのドラマを見ている人には、どうぞあきらめずに最後までゆっくり見て下さい、と願うばかりである。 というか、批判的なメガネでこのドラマを見ないほうが楽しめますよ、と。

 けれども、やはりこのドラマ、人生でいろんなことを感じてきた人でなければ味わえないようなところも、確かにあるのだ。 実に冷たい言い方をすれば、「子供にゃワカラン」、大人のドラマだ、というところか。
 でも私も、最初はハテナ?の連続だった。 その経過は、しっかりと当ブログに書いちゃいました。

 このところたまに放送されていた山田サン脚本の単発ドラマなど見たことがなく、個人的にも、「ふぞろいの林檎たちⅣ」 から久方ぶりに山田サン脚本のドラマを見たせいか、第1回目を見た時、「Ⅳ」 で感じたのと同じ 「設定のあまりの強引さ」 と 「会話の不自然さ」 に、私も当初ちょっと不安を感じたのだ。
 やはり、山田サンの脚本は、もはや時代遅れなのかとも、正直言って感じた。

 だがその違和感が解消したのは、山田サン独特の、短いセリフの応酬で構成される会話に、「人生の喜劇」 を感じた時だった。 平たく言えば、「笑える」、っていうことである。

 「笑える」、っていうのは、山田サンが連ドラ最後だからと言ってこのドラマをおおげさに、エラそうなものにしようとしていなかった、っていうことだ。 山田太一脚本、などと、どうしても身構えてしまっていた自分は、岸部サンと風間サンの女装姿で交わされる会話の、そのあまりの突き抜けた喜劇ぶりに、完全に肩の力が抜けたのだった。
 正直なところ、山田太一脚本のドラマを見てこれほど笑ったのは、ちょっと記憶にない。
 「笑える」 ことが命のドラマではけっしてないのだが、「笑える」 というキーワードで、このドラマを見るきっかけにしても、けっして差し支えないんじゃないだろうか。

 そう考えれば、このドラマは第1回目から可笑しい。
 陣内サンが自殺するのを止められてキレまくっているのは、今から考えると、その可笑しさの序章だった気がする。

 ただやはり、このドラマをきちんと味わうには、登場人物たちに感情移入できる時間が、どうしても必要なのだ。
 1回目を見てコリャダメだ、で次回から見なくなる、という現代のわれわれの 「結果をすぐに期待しすぎ」 というライフサイクルからいくと、確かに山田サンのドラマは、今の視聴者には物足りない、退屈なドラマかもしれない。
 こういう大人のドラマが視聴率を取るには、難しい時代なのだろう。

 このドラマの底辺にずっと流れ続けていたものは、「だけど、人間ってそんなものだよ」 という、山田サンの、人間に対する寛容の気持ちだった。
 登場人物の性格に一貫性がない。
 さらに、登場人物たちの行動や判断が変だ。
 変だけど、それが人間じゃないか、と。 人間って、そんな矛盾した生き物なんだよ、って。 この人はこうだ、と決めつけて、我々は人を判断しすぎるのではないか。
 山田サンの言いたいことは、たぶんそれなのだ。
 そんな分かりにくいことをドラマで表現するな、という向きもあろうが、山田サンのように人間70を超えたら世の中はどうやって見えるのか、ということが分かると思えば、これは実に貴重な機会ではないか。
 ドラマ全体を流れる人間への肯定感は、山田サンがたどり着いた人生の結論なのだ。

 仲間由紀恵サンと加瀬亮クンが最終回、朝日を見ながら、自分たちのやってきたことは、けっして無駄ではなかった、自分たちは無力じゃなかったことを確認しあう。
 これは、人生を頑張って生きている人たち全員に向けた、プレゼントのような言葉だった。

 自分のやっていることは、けっして無駄ではない。

 この言葉に涙することができる人が、このドラマを見続けることができた人なのだと、私は思う。

 ドラマの最後は、登場人物が一堂に会するという、「ふぞろい」 の再現のようなシーンだった。 これは山田サンらしい、連ドラ最後の挨拶だった気がしてならない。
 だがだからこそ、山田サンのドラマを長いこと見てきた私などは、これで終わりだなんて言わないでもらいたい。 生涯現役で、いてもらいたい。 そう思うのだ。

 しかし、このドラマの前の 「風のガーデン」 に続けて、このような質の高いドラマを見せてくれたフジテレビには、つくづく頭が下がる。 そりゃふたつとも 「開局50周年記念」 という冠がつくくらいだから、どうでもいいドラマじゃ困ってしまうが、ふたりのすぐれた 「後世に残る」 脚本家の作ったドラマを、ここまでていねいに作り上げた底力は、きちんと評価されるべきである。

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2009年3月19日 (木)

ますます買う喜びを失っていく 「音楽」

 アメリカではネット配信が音楽購入の33%だとか。 レコードからCDになったときも、私はその買いごたえのなさに空しくなったものだが、そのうえネットで音楽を手に入れるなんて、音楽を購入する喜びなんかあるのだろうか、と本気で思う。
 別にこれは、アナログ世代の愚痴でもなんでもない。
 手触り感をなくした音楽は、レコードで育ってきた我々の世代に比べて、かなり精神の素養上、貧しくなってしまっている。 そんな未来の世代たちが何だか、かわいそうに思えるのだ。

 しかし、大きな目で見れば、われわれレコードで育ってきた世代にしても、実際に楽器が目の前で演奏されてきた歴史に比べれば、精神の素養上貧しいものがあると言わざるを得ない。
 それでも、自分が欲しかった音楽を手に入れる喜び、という点では、レコードの重厚感に勝るものはないだろう。

 私の物心ついた時、音楽を購入する手段は、レコードかカセットだった。 極めて低い割合でオープンリールがあり、8トラックという媒体もあった。 オープンリールはオーディオマニア専用、という感じで、8トラックはカーステレオ限定、みたいなところがあったように思う。 エルカセットというものもあったが、あっという間になくなった。 当時はずいぶん鳴り物入りだったのだが。

 私はごく初期の段階ではカセットのミュージックテープなるものを買ったこともあったが、まず9割以上はレコードを買い続けた。
 レコードは、まずカセットに比べると、「買った」 という実感が違った。
 レコード盤には、独特の匂いがある。 あれに比べると、カセットもCDも、何の匂いもしない、と言っていい。
 そして、刻まれた溝が語るものがある。
 静かな曲は溝が浅く、音の大きい曲は溝が深い。
 曲の途中で静かになったりうるさくなったり、というのも、溝を眺めていると分かったりするのだ。
 トータルタイムもなんとなく想像できるし。 レコードはCDとは逆に、円周の外側から内側に記録される媒体なので、内側の溝が刻まれていない部分の幅(ランアウトグルーヴって言ったかな)で、片面に15分程度しか入っていないな、とか(ジャズのLPに多かったような…)、それで想像がつくのだ。
 そして、特にLPの、その大きさ。
 やはり何と言っても、シングル盤に比べて圧倒的な重厚感があった。

 それに比べて、CDのチャッチイことよ。
 ジャケットが小さい、というのがまずいけない。 これでは、ジャケットにアーチストの主張も何も見えてこない。
 しかも、歌詞カードや解説の文字が、ちっちゃすぎる!(笑)
 私は昔から、歌詞カードを見ながら一緒に歌い、そしてその曲を覚えていったものだが、CDの場合それがまずできないのだ。 ある程度の文字のでかさがないと、歌詞カードを持ったまま歌えない。 まだ私は老眼にはなっていないが、もしこれで老眼にでもなったら、またいちいち拡大コピーして、みたいなことを強いられるであろう。 その拡大コピー自体も、エライ手間のかかる作業だということは、明記しておきたい。 要するに、1曲につき1ページみたいな歌詞カードばかりなので、全曲コピーしようとすると、タメ息…という話である。

 話はそれてしまったが、これがネット配信なんてなった日にゃ、手触りもクソもない(笑)。
 iPodだかに何千曲も入って、そりゃそれで便利なのだろうが、音楽を聴くのに手間を惜しんじゃイカン。
 などと言っても老人のたわごとみたいに思われるんだろうなー、今の世の中。

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2009年3月18日 (水)

カルピス娘の歌が流れていた中村雅俊サンのラジオ

 軽い話題ですが。

 カルピスウォーターのCM新ヒロイン決定というニュースをネットで見かけて思い出したのは、「サンデイマンデイチュースデーイ、ウェンズデイサースデイフラーイデーイ、カルピス娘に一目ぼれ―」 というカルピス娘のコマソンです。 古いなー(笑)。

 その歌、全部覚えているわけではないんですが、そのあと確か、「白い指先イェイイェイェー、白いホニャラライェイイェイェー、いつかふたりはイェイイェイェー、ふたりのサータデー」、んで冒頭部分繰り返し。 ホニャララの部分が、分かりません(笑)。 誰か知らないでしょうか~?

 私がその曲をよく聴いたのは、たしか、1976年あたりに関東圏ラジオのニッポン放送で毎週土曜日の夜10時あたりからやっていた、中村雅俊サンの番組でした。 カルピスはたぶんメーンスポンサーで、テーマソングは雅俊サンの 「あなたを愛する私」 という歌。 何から何までうろ覚えですが、カルピス娘の歌と、「あなたを愛する私」 だけはなぜか鮮明に覚えています。 この2曲は私の記憶に抱き合わせでインプットされています。

 うろ覚えついでに書けば、「あなたを愛する私」 という歌は、雅俊サンが慶応の学生時代に初めて作った曲で、初めてレコードにした自作の曲、みたいなことを本人が言っていた気がします。
 確かに曲は一番のみで、あとはリフ部分を歌うだけ、といったシンプルな構造。 だけど初めて作った割にはよくできていて、私の思い入れが強いせいかもしれないですけど、傑作の部類に入るのではないでしょうか。 さすが慶応ボーイだけのことはある、って関係ないか(笑)。

 カルピス娘の歌のほうは、歌詞からも分かりますが、一週間カルピス娘を追いかけてー、という、結構性急な内容でした。 歌っていた人は誰だったか知らないが、CMソングではよく聴く歌声の女の人だった気がします。 のこいのこサンじゃないな。 でも似てたかな。

 中村雅俊サンがラジオでどんなことをしゃべっていたかはすっかり忘れましたが、今でもしっかり覚えているのは、その番組の毎回最後のシメが、「じゃあまた来ます」、という印象的なセリフだったことです。
 「さよなら」 でも 「また来週」 でもなく、「じゃあまた来ます」。
 実にカースケらしい、照れの入った素敵なセリフでした。
 あ、カースケって、「俺たちの旅」 で雅俊サンが演じた役名です。 分かる人には常識ですが。
 やばい。 「俺たちの旅」 について書きたくなってきたぞ。 …今日はやめとこう(笑)。

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2009年3月16日 (月)

「天地人」第11回 いよいよ始まったイイヒト合戦

 「天地人」 のコラムで一番初めに私が危惧した、戦国時代の武将たちをやけにヒューマニズムたっぷりで描く演出、やっぱりこのドラマでも、このパターンから抜け出せないようである。

 要するに、戦国武将たちって、結構残酷なことをやっているのに、NHKの大河ドラマではそれを回避する傾向にある、っていうことだ。
 だが、頭のてっぺんからつま先まで、「私は清廉潔白で人生を送ってきました」、などという人など、あまりいないのと同じように、戦国ブームで人気のある武将たちにも、どこか後ろ暗いところがあるはずなのだ。
 特に、偉くなればなるほど、その度合いが大きくなる。
 これって、大人になればなるほど分かってくる、世間の嫌なところなんだが。

 この残酷面を製作者が臆することなく大河ドラマで再現できるただひとりの人物、と言えば、織田信長をおいてほかにない。 この人のやってきたことを再現しようとすれば、いくら主役であろうと、その残酷面を電波に乗せないわけにいかないのだ。

 だが、織田信長以外では、大河ドラマで主人公が残酷なことや、悪いことをすることなど、まずない。
 やったとしても、やたらと主人公に苦悩させたりするのだ。 そりゃ、本人も悪いことをするときは悩んだであろうが、それは現代の倫理観からすれば相当違うレベルだと、私は考える。

 今回の 「御館の乱」 では、戦をウラであおっている人物として、遠山という人物が出てくる。
 この人のおかげで北村一輝サンも玉山鉄二サンも、妻夫木クンもみーんな悪くない、という効果を生んでいる。
 遠山ひとりのせいで上杉家はシッチャカメッチャカ、という図式だ。
 春日山城を最初に占拠したのが、その遠山の仕業と分かって、先週私が悶々としていた謎がひとつ解けたが、
 …どうだろう。
 遠山ひとりに悪い役回りを押し付けるのは、どうもドラマとして弱いとは言えまいか。
 背後に北条の影が見えるとか、武田の影が見えるとか、もっと大きな陰謀渦巻く後ろ盾があった方が、ドラマとしては面白いと、私などは思うのだが。 どうせ史実的にはよく分かってないんだから、大胆に脚色すれば?なんて。

 玉山鉄二サン演じる景虎が春日山城を攻める動機として、このドラマが重視しているのは、「裏切り」 に対する景虎のトラウマである。
 それはそれで玉山サンがカッコよく見えるからいいのかもしれないが、イケメンが抱える心の傷、なんて、ちょっと出来すぎだ。 …と、ムサいオッサンは考えるのであった(笑)。

 高嶋政伸サンをワンクッションおいて、妻夫木クン演じる兼続の本丸占拠という行動を生臭くない話にする、っていうのもそう。 じっさいのところ、なんだかんだ言っても、本丸には埋蔵金はいっぱいあるし、オイシイ話だったことには違いないでしょ。
 それをですよ、自分のオヤジが言いだしたことを自分がやったことにするなんて、実にカッコいいよなあ、妻夫木クン。
 こうやって何もかも、きれいごとにしていくんだよなー。

 萬田久子サンに 「家督は北村クン」 などとウソを言わせてしまったのもその一環だろう。 だが、そんなにややこしいドラマにしなくたって、「謙信公は後継ぎをどちらにするかきちんと決めてなかった、だから跡目争いが起こった」、でいいじゃないかと思う。
 萬田サンのそのウソを、仙桃院が妻夫木クンと常盤貴子サンにだけ教えとくっつーのも、どうかなあ。 こんなウソを抱えて生きなきゃならんなんて、妻夫木クンの 「義」 はどこにあるんだ?という気がしてくる。 北村一輝サンに向かって、妻夫木クン、堂々と萬田サンのウソを繰り返してたぞ。 「春日山城の主となることが、亡き謙信公のご遺志」 とか。

 でも。

 ここまでさんざっぱら文句を述べてまいりましたが、第10回 「御館の乱」 は、今までの 「天地人」 の中では(というただし書き付きですが)、最高の出来だったのではないでしょうか。 余計な演出が入らなかったから。 やっぱり正攻法で行くしかないでしょう。

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感熱紙の領収書の文字が消える

 政治資金規正法の改正で、領収書の保存に政治家の先生たちが苦慮している、という新聞記事を見つけました。 スーパー、コンビニなどで発行される、感熱式の領収書の、文字が消えてしまう、という記事です。
 だけど別に政治家だけでなく、われわれだって同じです。
 特に用心が必要なのは、会社の経理でしょう。
 ちょっと外光にさらされる場所におくと、すぐに白くなってしまう。
 じゃ机の引き出しに入れておけば平気か、というと、そうでもないんですね。 空気にさらしても駄目、みたいなところがある。
 最も文字が消えない方法は、ぴったり紙と紙の間に隙間なくきちんとファイルすることくらいかな。 でもノリで張ったりすると、種類にもよるんでしょうけど、のりしろの部分だけ文字が消える、ということもあったりします。
 決算報告のときまでもってくれればいいのかもしれませんが、領収書っていうのは、向こう5年だか何だか、忘れたけど、保管しなきゃならないんでしょ? それって結構大変。

 会社の領収書はその程度でいいのかもしれませんが、私の場合、思い出の領収書は取っておきたい、という変な?くせがあって(笑)、近年それが難しくなっていることに、少々さびしさを感じています。 やはり、白くなってしまう感熱紙の領収書のせい、であります。

 領収書だけじゃないですね。
 電車の切符もそう。
 電車の切符が感熱方式になったのは、私が高校生くらいの時からだったみたいで、もう30年はたとうかという歴史になっちゃっていますが、そのころどこかに行って記念としてしまっておいたやつが、今見るとすっかり字が消えていて、どこに行った時のやつだかも思い出せない状態。 とてもくやしいっス。 せっかくアルバムにはさんであったのに。
 国鉄の切符は地方に行くとしっかりとした厚紙だったので、いまでも愛国幸福行きの切符などは色あせずに残っていますが、かつて改札で切符を切られていた時代は、そのハサミにも駅それぞれに独特の形があって楽しかったものです。
 それに比べると、味気ないよなあ、今の時代。 文字はすぐ消えちゃうし。

 感熱紙の文化って、消したくない思い出とかも消してしまう、人間にとっては情緒も何もない、冷たい文化なんじゃないでしょうかね。

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2009年3月15日 (日)

「チッチと子」 新聞連載物、連続テレビ小説って

 毎日新聞日曜版に連載されている石田衣良サンの 「チッチと子」。
 今週のこの小説には、泣かされました。

 この小説、青田耕平という30歳代の小説家と息子カケルの話なのですが、母親の久栄は数年前に交通事故で死んでいます。
 最初は石田サン自身の経験に基づく小説家打ち明け話の様相で始まって、だんだんと妻の久栄の死んだ原因が何なのか、という主人公青田耕平の葛藤が重く読者にものしかかってくる、そんな構造になっています。
 正直なところ、直木賞の候補に入るとどうなるのかとかいう、作家の話には、実に現実感にあふれているのですが、青田耕平と息子のカケルの話には、何となく現実を離れた浮遊感が漂っている。 その浮遊感が持つ危うさを、妻の久栄が感じ取っていたことと結びつけるあたりが、石田サンのうまいところですかね。

 青田耕平は妻の死をずっと自殺なのではないかと思い悩んでいたのですが、久栄の生前映したDVDが出てきて、その葛藤に決着がつく、というのが今回の話でした。
 これはお涙頂戴モノだと自分に言い聞かせながら読んでいたんですが、知らないあいだに涙ボロボロでした。 お恥ずかしながら。
 何で身構えているのに泣いちまうのかなあーと自分なりに考えてみましたが、もう一年くらい連載を読み続けていることがひとつの要因のような気がしています。 一冊の本で一気呵成に読んでしまったら、ここまで主人公たちに感情移入していなかったかもしれません。 長い時間をかけて、主人公たちと付き合ってきたからこそ、自然と泣けてしまうんでしょうね。

 だいたい私は新聞の連載物など、滅多に読まないんですよ。
 あれは、ハマると結構ややこしいことになります(笑)。
 特に毎日連載される小説は、一日のうち数分をそれを読む時間に費やされることになる。 それって結構面倒臭い作業なんです。

 私が最初にハマってしまった連載物は、平岩弓枝サンの 「西遊記」 でした。 あれは、読み忘れがあっても話の目的が分かっているから何とかついていけました。
 だけども、連載小説で毎日読み続けたというのはアレただひとつきり。 つまらない、というのが最大の原因ですけど、ちょっと読み忘れると、もし話が分かったとしても、読み飛ばしがあることを、自分が許せなくなるんです。
 だからついていくにはある程度の覚悟が必要です。
 「チッチと子」 は、週イチだからついていけている気がします。

 連続テレビ小説も、あれもハマると結構大変(笑)。
 「芋たこなんきん」 と 「ちりとてちん」 にかつて不幸なことにハマってしまって(笑)。
 リアルタイムじゃ見れないし、必然的にBS2でやっている 「今週のテレビ小説」 の1時間半の録画をするんですが、いやー、あれって、しんどいです、一気に見るの(笑)。
 要するに、1日15分のドラマで、結構情報量が詰まっているんですよ、「テレビ小説」 って。 だから 「テジョヨン」 を1週間分4時間一気に見れてしまうのとは、わけが違います。
 そのため、連続テレビ小説については、自分なりにヒジョーにキビシー視聴基準を設けています(笑)。 「ちりとてちん」 は、その基準に適った、とても優れた作品でした。

 いずれにせよ、テレビでも新聞でも、連載物に付き合うっていうのは、とても体力がいる、ということなのです。

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2009年3月14日 (土)

「チューボーですよ!」 小林麻耶チャンやめるのかぁ

 小林麻耶アナがTBSを退社し、4月から同社夕方の大型ニュース番組でキャスターを務めるという話は知っていましたが、それで 「世界ふしぎ発見!」 や 「チューボーですよ!」 も降板することになるとは、今日知りました。 そりゃそうだわな。 そうか、きみはもういなくなるのか。

 彼女は 「恋のから騒ぎ」 に出ていたころから知っていますが、妹よりもオープンなキャラクターで、TBSに入社した時も、バラエティ向きの人だな、とずっと思ってきました。
 「チューボーですよ!」 でもその才能はいかんなく発揮されて、堺正章サンとも息の合ったところを見せていたんですがね。 そうか、きみはもういなくなるのか。 つまらんのう。

 「チューボーですよ!」 は、初代の雨宮塔子アナがやはり最高に面白かった気がします。
 だが何をカンチガイしたのか、彼女は突然TBSを辞め、フランスに行って結婚までしちまったのでした。
 雨宮サンは 「チューボー」 に今でもたまーにゲストで出たりしますけど、往時のエッジはすでになく(当たり前か)、私はとても残念に思っています。

 カンチガイ、などと書きましたが、こういう得難いキャラクターの人が突然番組を降板してしまうと、ああこの人はこういうおバカなノリのことをやりたくなかったんだろうなあと、どうしても勘ぐってしまうんですよね。
 そうすると、今まで面白がって見ていたこちら側まで、なんだか騙されていたような感覚になる。 興醒め、というやつです。
 小林麻耶アナにかんしては、嫌がってこの番組(チューボー)をこなしていたようには見えませんでしたが、それは彼女の性格がいいからそう感じるんでしょう。

 それはいいとして、私が心配なのは、新しいアシスタントと堺正章サンの相性なんですけど(笑)。

 堺正章サンは、結構アシスタントによってテンションが変わる人だと私は思っています。 「チューボー」 で特にひどかったのが、2代目の外山恵理アナ。
 どうもしっくりいってないなあと思って見ていたら、あっという間に降ろされちゃいました。 確か当時外山アナも新人だったと思うんですが、初代の雨宮アナの存在が大きすぎて、それを引き継いだ彼女はとても大変だったと思う。
 いまは外山アナも、TBSラジオの 「土曜ワイドラジオTOKYO」 で永六輔サンのアシスタントをしっかり務めていますが、やはり当初は永サンに、対応やしゃべりかたなど相当しごかれていたものです。 外山恵理アナは、それで成長し、やっと自分の居場所を見つけたんだと思います。

 「チューボー」 3代目の木村郁美アナは万事ソツがなくて、見ていて安心でしたけど、何となく面白みに欠けました。
 それでもアシスタント就任当時からすでにベテランの域に達していたので、押さえるところは押さえ、堺サンともよく絡んでいました。 ずいぶん長い間、雨宮アナよりもずっとやっていた気がします。

 小林アナはそのあとを受けて、彼女も確か新人時代から 「チューボー」 に加入したんですが、何が良かったかといって、歴代のアシスタントの中ではいちばん明るくて、性格のウラオモテが見えないところでした。 彼女を見ていてすがすがしさを覚えるのは、私だけではないと思いますよ。

 それがまあ。 ニュースキャスターだって。
 彼女が暗ーいニュースをしゃべるところなんか、あんまり見たくないってのが、私の本音です。 まあ報道をやりたかったと言うなら、それもいいでしょうけど。

 私の今のところの 「チューボー」 への興味は、小林アナの後任を務める枡田絵理奈アナであります。
 女子アナに関する知識は、まったく疎いので、どんなんだか今から楽しみではあるんですが、やっぱり麻耶チャンがよかったなー。 やんないかな、小林サン、バラエティこれだけ。 やんないんだよなー、報道なんかに行っちゃうと、もう金輪際。 残念です。

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「ありふれた奇跡」 第10回 陣内サンの不可解な行動

 「ありふれた奇跡」 の陣内サンの行動。 このドラマを不自然だと感じる人々は、彼の行動をいちばん理解不能だと思うのだろう。

 確かに、失職中の陣内サンが仲間由紀恵サンと加瀬亮クンの恋を成就させようと行なう一連の行動は、普通の人から考えるとおせっかいのしすぎとしか考えられない部分がある。
 実際ドラマの中でも、田崎のおじいちゃんや、岸部一徳サンからも、「アンタの行動にはウラがある」 とこずかい渡されたり、「アンタの出る幕じゃない」 と散々冷たくあしらわれている。
 またそれが、陣内サンにとっては、恥ずかしいけれども図星だというところがあって、不本意ながらこずかいをもらってしまった後、しばらく行方不明になった時は、なんか嫌な展開にならなければよいが、と心配してしまった。
 結局それはいい意味で裏切られたのだが、料亭で仲間サンと加瀬クンにお礼を改めて言う陣内サンを見ていて、なんでこの人がこのふたりをくっつけたがっているのか、なんとなく分かる気がした。

 陣内サンにとっては、自分が死のうとしたのを止めてくれたこのふたりが、自分の今生きている証そのもののように思えたのではないだろうか。

 この行動が理解できないのには、理由がちゃんとある。
 少なくとも私は、他人のすることなんかどうでもいいと思っているからだ。
 近所の人とも友達とも気さくに話はするが、それ以上には深入りしない。 他人がとやかく言う問題でなければ、口出ししない。 いつの間にか、そういう常識が、私の人付き合いの動かぬ基準となってしまっているのだ。 だから、陣内サン首突っ込みすぎ、と感じてしまうのだ。

 ともあれ、なんだかんだと言いつつも、仲間サンも加瀬クンも互いに惹かれあっている、というのは、回を重ねるうちに見ていて私も分かってきた。 会いたくなければ、いくらおぜん立てをしたところで、適当な理由をつけて絶対会わないものだからだ。
 その気もないのに会う、っていうのは、たぶん相手に何らかの 「平気な」 自分を見せつけたいからであって、それは相手に対する無神経な行為でしかない。 ってちょっと自分の経験入っちゃってますけど。

 それにしても、岸部一徳サン、あれほど頑強にこれっきりって言ってたのに、またまた女装してましたね。 しかも仲間サンと加瀬クンとスレスレのニアミス。 あそこでもしバレちゃったら、来週で最終回ってわけにはいかなかったでしょう。 このドラマ自体がめちゃくちゃになっちゃいそうな気もするし(笑)。 でもそれはそれで、見たい気もする。 女装趣味がバレてしまった岸部一徳サン(笑)。
 要するに、もうちょっと長く見ていたいのだ、このドラマ。 来週で最終回なんて、もったいないぞ。

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2009年3月12日 (木)

中島みゆき 「世情」 と金八先生

 「3年B組金八先生」 のシリーズには、思い入れがある。

 その第1シーズンが始まった時、自分も3年B組だったということで、どうしてうちの担任は金八先生みたいじゃないのかとか、よく友達どうしで話題にしたものだ。
 しかも、出演している人も私と同世代の人が多く、杉田かおるサンなんかは私と住んでいるところが近かったのか分からないが、街で見かけたりしていたし。 結構小さいんスよ、杉田サンって。 あれから彼女も、波乱の人生を送ったよなあ。
 近藤真彦クンなどは、友達の友達だった。 その友達は神奈川県の大和市出身で、ヤマトの田舎もんとバカにされてたっけ。 どーでもいいですけど。
 トシちゃんはサバ読んでたので同世代仲間、ってわけにはいかなかったが。

 中島みゆきの 「世情」 という曲を聞いたのは、「3年B組金八先生」 セカンドシーズンの 「卒業式前の暴力」 が最初だった。
 私はみゆきサンに関しては当時、デビュー曲の 「アザミ嬢のララバイ」 からシングルだけチェックする程度のファンであったから、アルバム 「愛していると云ってくれ」 中の一曲にしか過ぎなかったこの曲は、このドラマで初めて耳にしたのであった。

 「3年B組金八先生」 というシリーズは、私にたびたび強烈なショックを与え続けてくれた番組だったが、なかでも第2シーズンの、校内暴力がテーマの一連のドラマは、見るたびに胃液が上がってくるような緊張感を強いられたものだ。

 「卒業式前の暴力」 は、その第2シーズンの中でも、屈指の衝撃作だった。
 あまりのワルぶりに、もと居た中学を追い出されて金八先生の桜中学に転校してきた加藤クンという不良が、そのもと居た中学の意地の悪い先生をつるし上げようとして、すったもんだのあげく警官隊に突入されるという、それまでのテレビドラマではなかったような、暴力的でとんでもない、過激な内容だった。

 その加藤クンと、今は亡き沖田浩之クンを含む数人の生徒たちが、警官たちに連行されるラストシーンで、中島みゆきサンの 「世情」 が、流れたのだった。
 ドラマもショックだったが、その歌もショックだった。
 ドラマを見終わった後、しばらく凍りついたようになってしまったのを、今でも覚えている。
 ドラマに挿入される歌に心を揺さぶられた経験は、個人的にはこれが生まれて初めてだった。

 この曲は、アコースティックギターのダウンストローク2回で始まる。
 それは例えれば、山法師の奏でる琵琶の感覚だ。
 そしてのっけから野太い男性コーラスがフェードインしてくる。 まるで、歌詞の通り、シュプレヒコールをあげながら近づいてくるデモ隊のように。 デモ隊がようやく目の前にたどり着いた時、みゆきサンがようやく歌いだす。

 だが、その歌声は、とてもみゆきサンのものとは思えない。
 まるで、神の声を伝える巫女のようなのだ。 何かが憑いているとしか思えない細かいビブラートで、預言者のような内容を彼女は歌いだす。

 この 「世情」 はしかし、内容的には学生運動を取り扱ったマス的なものであり、校内暴力という個人的感情のはけ口程度のレベルにはそぐわない気も、今にして思えばしてしまう。

 だがマクロであろうと、ミクロであろうと、その中心にいるのは人間なのだ。

 歌詞のテーマは、変わらないものと変わっていくものの闘いだ。
 その闘いは、学生運動であれ、校内暴力であれ、本質的には何も変わっていない。
 この曲を選曲したのが 「金八先生」 脚本家の小山内美江子サンだったのかどうかは知らないが、この 「腐ったミカンの方程式」 全体に流れるテーマと、「世情」 が描く世界は、怖いくらいハマっていた。

 「世情」 のサビの部分の詞は、よく読むと、とても不可解だ。

 この曲のリフレインで歌われるシュプレヒコールが目指す先は、「変わらない夢」 である。
 そして、このシュプレヒコールが同時に闘うものは、やはり 「変わらない夢」 だ。
 これはいったい、どういうことなのだろう。

 つまり、世の中を変える、というのは、変わらない普遍的な価値を求め続けるための闘いなのだ、ということなのではないだろうか。
 そして同時に、変わらずに頑固にそれまでのものを守り続ける者には、それを守ろうとするに足りる、変わらない普遍的な理由が必要なのだ、ということなのでは、ないだろうか。

 「世情」 という歌は、「変えていく者たち」 の側に立つ歌だが、ただそれは、「変わらない者たち」 の、人生に対する姿勢を問い質しているにすぎない。 そして、自己保身とか、自分を甘やかしがちな人生に対して闘いを挑んでゆこう、という、人生に対する宣戦布告の歌でもあるのだ。

 学生運動が、社会の不条理に対して闘っていたのと同じように、加藤クンたちは、不条理な大人の理屈と闘っていた。
 自分がいざ大人になってみて考えるのだが、あの頃の自分たちが大人に感じていた不条理な部分、汚い部分、納得のいかない部分と、今の自分たちはどう向き合っているのだろう。

 「世情」 を聴くと、そんな思いにとらわれる。

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2009年3月10日 (火)

東京郊外

ぱらぱらとあしもとにこぼれおちる
ふたりが暗闇で吐き出した 白い息のかけら
しずかにきらきらと ひかるもの

それはいまこの時にしか
つかまえることのできない
綿毛のような
粉雪のような
その手につかめばなくしてしまうような

ふたりの今日のくちづけを
あのつめたい星たちは見ていたはずだ
証人になってもらうよ
はかなくもえて
ぼくらふたりがこの先どうなろうとも
その記憶だけは
かなしく生きのびていくことだろう

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ファレノプシス ( 落下 )

はかない幾つかの偶然で わたしたちは生きていた
重みに耐えかねたように ひとりずつ落ちていった
あまりにもあっけなく 終わりはやってきた

生命の重みを 云々する前に
生命それ自体が あまりに軽い存在であることに
わたしたちは気付かなければならない
そしてほぼ同時に
わたしたちはそれが そんなに長い時間支えていられるほど
軽い物質ではないことに 気付かなければならない

手を放し 苦痛からひととき逃れることはたやすい
だが眼下に待っているのは すべての終わりなのだ

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2009年3月 9日 (月)

「天地人」 第10回 肝心な部分の説明なし

 謙信公が死んで北村一輝サンと玉山鉄二サンの家来衆どうしの争いが表面化した 「天地人」 第10回 「二人の養子」 だったが、どうにも見ていてのめりこめない。
 それは、物語に必要な細かい部分が、きちんと説明されていないせいだ。

 まず第一に、角田信朗サン演じる柿崎氏が夜討ちをかけた一件を、玉山サンの家臣でいかにも悪役風な顔をしている遠山とかいうオッサンが新井康弘サンとともに 「あれは相手がそのように仕向けたことが判明しました」、と玉山サンに上申するところ。
 遠山はいったいどうやってそれを突き止めたというのか。 その過程はきちんと説明すべきである。
 もしそれが遠山らのでっちあげた企みだったとしても、遠山が誰かと企んでいるシーンは必要だ。 遠山の行動に謎の部分を多くして、見ている側の興味を引き付けようとしているかにも見えるが、あの上申はいかにも唐突の感を禁じ得ない。

 第二に、高嶋政伸サンが、謙信公の葬儀後いきなり妻夫木クンと小泉クン兄弟の前に現われて、遠山が北条に送ろうとしていた密書をふたりに見せ、春日城の本丸を掌握せよとふたりに迫るところ。
 それまでそんな機敏な人物として描かれていなかった高嶋サンが、いきなり策士に変貌するのは別にいい。
 だが、問題はこの密書だ。
 話を聞いていると、どうもこの密書、本物かどうか分かっていないらしい。
 本物かどうかも分からない密書をもとに本丸の占拠などという大それたことをやるのは、どうも話の流れとしては不自然に思えてしまう。
 つまり、密書が本物かどうか分からないなどという説明自体が、このドラマの流れに限って言えば、不要なのだ。
 謙信公の死後、上杉家が混乱状態だった、ということを、そのことで表現しているようにも思えるが、密書の真贋など、ドラマを分かりにくくする原因になりかねない。

 第三に、春日山城に妻夫木クンと小泉クンが行ってみたら、もうすでに景虎勢が本丸を占拠していた、というところ。
 ここで敵味方の趨勢が全く描かれていないのは、実に見ていてイライラする。
 だいたい、はじめ景勝側は妻夫木クンと小泉クンのふたりだけだった。
 そこにパパイヤサンとか東幹久サンとかが加勢して、それでも5、6人程度?
 それが景虎勢と戦っていたら、いきなり本丸を自分たちが奪還したという太鼓が鳴る。
 はぁ? てなもんである。 もっと詳しく戦況を説明してもらいたい。

 第四に、妻夫木クンは敵を斬れないという弱点を克服したのか?という点である。
 克服したならしたでその説明をきちんとすべきだし、してないならしてないで、それをきちんと見せるべきだ。
 細かい点かもしれないが、今回の物語を進めるうえではどうしても外せない4点を挙げてみた。

 こうした要の部分の説明をおろそかにしていると、これまでこのブログで私が幾度となく言及してきた 「変な演出方法」 が、ますます逆効果になってくる。

 今回目立ったのは、画面が切り替わる時に、前のシーンがストップあるいはスローモーションになるという演出方法だ。 なにいつまでも黙っとんのかと思ってしまう。
 妻夫木クンが仙桃院のところへ急ぐシーンはスローモーション。 とっとと走れっての(笑)。
 ともかく、見ている者の注意をそらしてしまうこの演出は、脚本の説明不足とドッキングすると、イライラをさらに増大させる効果しか生まない。
 どうも登場人物が、上っ面で行動しているようにしか見えなくなってくる。

 これで視聴率が今のところいいからイケイケで済んでしまうが、これじゃそのうちみんなからそっぽを向かれるぞ、と要らぬ心配をしてしまう(追記 そして結果、史上最低の大河、という烙印を押されたわけですが)。
 厳しいことを書きましたが、これは私が、NHKの大河ドラマは日本を代表するドラマだと思っているからこその苦言なので、なにとぞご理解ください。

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2009年3月 8日 (日)

「中島みゆきのオールナイトニッポン」 にかき回されたころ

 中島みゆきサンに対しては、未だに複雑な思いを引きずっている。

 「中島みゆきがハチャメチャな深夜放送をやっている」、という友人の噂を聞いて、どんなものかと思って聴いてみたのは、確か1980年の春先あたりだった。 放送が始まったのが前年の4月からだったというから、1年近く聴き逃していたことになる。
 だが、受験生だったにもかかわらず、私は深夜ラジオなど全く聴かなかったのだった。
 いや、ちょっと待て。
 受験生だから深夜ラジオを聴くって方がおかしかないか。 ラジオなんか聴かんで勉強せいっての(笑)。
 受験生だったから、受験が終わるまで、「中島みゆきのオールナイトニッポン」 を聴かなかったのだ。

 なにしろ、私は彼女のシングルは必ずチェックするほど好きだったので、高校も決まったことだし、聴いてみっかとニッポン放送にダイヤルを合わせたのだった。
 飛び込んできた声は友人の話通りの明るさで、私はちょっと、彼女の歌とのあまりのギャップに、めまい…、は覚えなかったが(笑)、それまでのイメージがガラガラと音を立てて崩れ去ったのを覚えたのであった。
 それにしても、である。
 私は、かつてFM東京でやっていた 「コーセー歌謡ベストテン」 にゲスト出演した時の彼女を、しっかり覚えていたのだ。 「わかれうた」 が確か1位になったためにゲストに呼ばれたと記憶しているが、そのときのみゆきサンは、歌のイメージ通りのクラーイ女性だった。 私はそのときから、中島みゆきといえば徹頭徹尾、暗いそのイメージでとらえていたのだ。

 そ、それが、なんだこりゃ(笑)!
 私は、下卑た笑いではしゃぎまわる彼女に、自分が好きだった暗い彼女の面影がどこかに少しでも残っていないか、必死になって探したのだった。
 考えてみれば不思議なもんである。 彼女がイメージ通りの暗いキャラクターでなかったために、却ってイメージ通りの暗い彼女を追い求めたくなってしまったのだ。 却って彼女への興味がひどく増してしまったのだ。

 それにしても、「コーセー歌謡ベストテン」 で見せていたあの暗さは、いったい何だったんだろう。 人見知りが激しいタイプなのか、それとも事務所から暗いイメージで通せと言われていたのか。

 ともかく、今にして思えば不幸なことに、聴き始めてからほどなくして、「中島みゆきのオールナイトニッポン」 の中では群を抜いてドン暗だった回に、私はぶち当たってしまったのである。

 その回の彼女は番組の出だしからテンションが低く、なんか変だなーと思っていたら、どうしても言わなければ気がすまない、というような感じで、当時同じ 「オールナイトニッポン」 の2部でパーソナリティをしていた山崎ハコ嬢が、この3月いっぱいで番組を降ろされることについて文句を言いだしたのであった。
 確か2時間まるまる、降板に納得のいかないことをクラーイ調子でしゃべったと思う。
 それまで数回聴いていた明るい調子とは全く違う、「うらみ・ます」 そのまんまの世界。 そのギャップの大きさに、凄みさえ感じたほどだった。
 今、その内容を思い出すことはできない。 だが、2時間もこの話題を引きずった、という事実だけは覚えている。 今にして考えると、2時間も恨み節を続けるのって、相当心に暗黒面(ダース・ベイダーか?)(笑) を持っていないと無理な気がする。 この回は私にとって、一種の事件だったと言っていい。

 そして私は、これこそが中島みゆきなのだ、と思い込んでしまった。
 これが、不幸の始まりである。
 このクラーイ彼女を追い求めて、私は 「みゆきのオールナイト」 のヘヴィーリスナーになってしまったのだった。

 番組内で、彼女がその暗いキャラを唯一見せたのは、毎回最後の10分間のモノローグだった。 実際には5分程度で、あとは自分の歌を流して終わり、という感じだったのだが。 私はそればかりを楽しみに、毎回最後まで聴いたものだった。 今から考えると、何でそこまでこだわったのだろうと不思議でならないが、人を好きになるっていうのは、そういうことなのかもしれない。

 だが、番組が年月を重ねるにしたがって、その10分間のモノローグさえ、おざなりなものになってきた。 おざなりになったと、少なくとも私は感じた。 彼女の本音が聴きたい一心だったから、余計過敏になっていたのだろう。 そのうち彼女の出すアルバムも、ラジオの内容に感化されるように、暗さから解放されていった。
 「臨月」 では、その暗さと明るさが程よくミックスされて、とても好きなアルバムなのだが、「寒水魚」 になると、何だか暗い部分が上っ面だけのような気がしてきた。 それまで彼女の暗さには、切羽詰まったぎりぎりの情念があったのだが、その切迫感が、暗い曲から消えてしまった。

 そして、彼女に対する失望はだんだん大きくなっていき、そのうちラジオもアルバムも、聴かなくなった。
 これは彼女に対して、また彼女のファンに対しても誠に失礼な話なのだが、私はみゆきサンに、昔ひどい目にあったカノジョ、みたいな感覚を持っている。 未だに、みゆきサンをコマーシャルで見かけたりすると、あの当時の苦々しい思いがよみがえるのだ。

 でも、私は未だに、彼女を好きだった時代の曲を、よく弾き語りする。
 それは、未練がましい男のサガのような気もするが、みゆきサンの歌が持つ強力な磁力のなせる技なんだと思う。 みゆきサンの歌には、つまらない男の嫉妬など無縁の、傷ついてきた女性の放つオーラが、渦巻いているのだ。

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2009年3月 6日 (金)

「ありふれた奇跡」 第9回 子供にこだわるわけ

 仲間由紀恵サンが子供を産めないことを聞いて、井川比佐志サンが 「息子の嫁にはできない」 と拒絶しているのはとても心情が理解できる。

 ただ、今の世の中、子供がいるいないにこだわっている人って、どれくらいいるものなんだろうか。 特に都会に育った人たちにとって。
 私にはよく分からないが、長男として生まれた人には、自分の家系が途絶えるとか、家の存続というのは、かなり重たい問題だ。 墓を守る責任であるとか、孫を親に抱かせてやるという意味の親孝行とか。 田崎のおじいちゃんが子供にこだわるのは、とても当たり前のことのように思える。 しかし、私のように感じる人って、結構新しい世代にはあまりいないんじゃないかと思ったりもする。

 加瀬亮クンも、「子供はいらない」 などと口にしているが、それは一見、ひとりっ子のくせに、「家」 という意識や切迫感がなさすぎるような気がする。
 だけど加瀬クンも、おじいちゃんが言う通り、本当は子供がほしいと思うのだ。 彼は仲間サンに対しても、おじいちゃんに対しても、ほぼ何の説明もなく、「おれは子供なんかいらない」 と怒ったように言っていきなりそれで話を終わらそうとする。 それは、彼の本心を隠す行動のように、私には思える。

 仲間サンも、子供ができない体なのに、「子供がほしいの」 とよく加瀬クンに打ち明けるが、加瀬クンはその気持ちを正面から受け止めようとしていない。 出来ないんだからしょうがない、で済まさずに、仲間サンの気持ちを理解すべきなのだろう。
 だけど、加瀬クンは 「子供はいらない」 という自分の本心のごまかしを押し通そうとする。 それが、仲間サンの気持ちを理解してあげていることだと思い込んでしまっているのだ。
 たぶん、これが恋愛ってものだ。
 恋愛していると、こっちは相手の気持ちを考えて接しているのに、相手がそれを押し付けだと思ったりとか、そういうことが結構ある。
 なんでもストレートに、自分の真心が相手に通じればいいのに。
 すれ違いって、こういうところから起こるもんなんだよなー。

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2009年3月 5日 (木)

大学で 「ビートルズ学」 とな

【ロンドン時事】 ビートルズ誕生の地、英リバプールにあるリバプール・ホープ大学は4日までに、「ビートルズ学」 の修士号を取得できるコースを新設したと発表した。 この種の修士課程が設置されるのは、「おそらく世界で初めて」(同大)という。
 「ビートルズ、ポピュラー音楽と社会」 と題された課程は約1年の授業と論文執筆で構成。 ビートルズが音楽界や社会に与えた影響、戦後の音楽業界事情やサブカルチャーなどに焦点を合わせて研究が行われる。 1クラス最大30人で、今年9月に開講の予定だ。
 同大のマイク・ブロッケン上級講師(ポピュラー音楽)は 「ビートルズに関する書籍は8000冊以上出版されたが、学問としての本格研究はまだ。 われわれはそれを追求していく」 と説明している(2009年3月5日)。

 というニュースが今日の毎日新聞夕刊に出ていたが、単なる学生集めのための話題作りなのか、それともビートルズがクラシックの音楽家と同等に論じられる時代がやってきたのかは、これから数十年たたないと検証できないであろう。

 私としては、かまやつひろしサンが 「レット・イット・ビー」 のテレビ版で解説していたように、「バッハ、ブラームス、ベートーヴェンの3Bに続く4B」 としての地位を獲得するための、これが第一歩だ、と期待したい。
 じっさい、以前にも書いたが、ビートルズというのは、知れば知ろうとするほど底が見えない奥深さをもっているのだ。 私もその奥底にダイブして、そのチンケな成果をブログで発表しているひとりではあるが、いかんせん 「と思う」「という気がする」 の域を出ない。
 それを学問的にきちんと立証していくであろうこの大学のビートルズ研究は、遠い未来のためにも、大いに意義のあることだと確信する。 この講義過程で研究された課題の成果は、私も何らかの形で目にしたいものである。

 ただ、この講義を私が受けたいか、といえば、あまり気が進まない。
 なぜかと言えば、そりゃこの講義が英語で行なわれることもあるが、ビートルズをお勉強の範疇に入れることに、どうしても抵抗があるからだ。
 音楽的な理論にしろ、ビートルズは意識して小難しいことをやろうとしていない。 彼らの動機は、いつも 「こうしたら面白かろう」 というものでしかなかったのだ。 それをああだこうだと理論的に解釈することは、実に野暮ったい作業なのではなかろうか。 「AだからBなのだ、だからこの曲は素晴らしいのだ」、という解説よりも、「この点がいいんだ、だからいいものはいいんだ」 という解説のほうが納得できる、それがポピュラー音楽の神髄ではなかろうか。

 また、萩原健太サンが 「熱中夜話」 であえて苦言を呈したように、「ビートルズが好きな人は、ほかの音楽を聴こうとしない」 のだ。 ズバリ私が、これに当てはまる。 まあ、ほかの音楽も、ベストアルバム程度には、聴きますがね。
 いや、私が言いたいのは、もし大学で講義を受けるということになっても、ビートルズの周辺環境には、ほとんど興味がないということなのだ。 その講義を受けるのは、はっきりいって苦痛だ。 それでビートルズを嫌いになっては、元も子もない。

 とどめは、ビートルズを研究してそれに成績がつけられる、というのが我慢ならないという点だ。
 熱意が伝われば全部可、でいいんじゃないか。 それがビートルズの世界、ってもんである。

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「アリス」 活動再開に思うこと

 アリスがまた活動を再開するらしい。

 アリスというのは、1970年代から80年代まで活躍した3人組のフォークグループである。
 私がアリスの名前を知ったのは、確か 「今はもうだれも」 という歌が最初だった。 当時はまだガキンチョだったので、「アリス」 という名前が女の子っぽいとかちっとも考えなかったが、今考えてみると、ずいぶん男っぽい、骨のある歌ばかり歌っているバンドが 「アリス」 というのも、だいぶミスマッチな気がする。

 「帰らざる日々」 という曲を初めて聴いた時には、ガキンチョは衝撃を受けた。 なにしろ、今から死んでいきます、という女性の歌だったからだ。 一時期、この曲が頭から離れなかったことがある。 それだけショッキングな内容だった。
 どうしてこの手のドン暗な歌が流行ったのかは分からないが、谷村新司サンの詞は非の打ちどころがなく、情景がありありと浮かんでくる見事なものだったと言っていい。 いま振り返ると、この曲のイメージは、「愛と死を見つめて」 とかなりダブる部分があるのだが。
 それでも当時は私も、百恵チャンの 「ヒロイン死んでゆく」 パターンの映画やドラマを見慣れていたので、すんなりこの曲の暗い世界に入ることができたのだろう。 のちに夢中になった、中島みゆきの世界にも通じるものがある。 この曲だけに限って言えば、ロンド形式というのも、両者に共通するパターンだと思う。
 この 「帰らざる日々」 には余談があって、アルフィーの坂崎サンがモノマネで、この曲をネタの一つにしている。 「バイバイバイ」 の部分を「ずいずいずっころばし」 って歌うのだ。 最初聴いた時は、大爆笑したよなあ。

 ともかく、それ以来、アリスはずっとお気に入りのグループだった。
 それが、ちょっと違うな、と思いだしたのは、「チャンピオン」 を聴いた時だった。 今考えると、それは、谷村サンの歌詞に、演出過剰なところが見えるせいだったのではないだろうか。
 この曲は、弾き語りで歌うと、結構気持ちいい。 それはロック的な疾走感にあふれているからなのだが、それまで私が谷村サンの歌詞に見てきたような、いくらその世界が虚構であろうとも、こちらを強引に共感させるという部分が、「チャンピオン」 にはなかったのだ。
 この曲が流行った頃、FM東京の土曜午後1時からやっていた 「コーセー歌謡ベストテン」 で、「『チャンピオン』 はサイモンとガーファンクルの 『ボクサー』 のパクリだ」 という投書が来たことがあった。
 パーソナリティを務めていた、今は亡き宮川泰サンは、「ライラライ」 の部分が同じだからって盗作とは限らない、と言下に否定していたが、アリスに対して批判的な投書が来ていたというのは、私の抱いていた違和感を、その投稿者もどこかで抱えていたのではなかろうかと、思ったりする。 ファンというのは勝手なもので、その人が自分のイメージから逸脱し始めると、どうしてもけなしたくなってくるものだからだ。

 その後、アリスはそんなにイメージを逸脱することなく、活動停止まで突っ走ったのだが、活動停止後の堀内孝雄サンが演歌に転向した時は、さすがにガックリしたものだ。
 演歌といっても、最初のうちは演歌風、だったのだが。 そのうち完全に、演歌になっちゃったのかな。 個人的には、あんなにどっぷり演歌につからなくたって、演歌風なフォークもあっていいとは思うのだが。
 それだけ、フォークソングには、大人の立場に立った名曲が見当たらない。 それは、全盛期を過ぎたフォークシンガーたちが、かつてのような鋭い目線で、自分たちの世代を代弁するような曲を作れないことにある。
 私がこれは名曲だと思う壮年世代のフォークソングは、吉田拓郎の 「旧友再会フォーエバーヤング」 くらいしか思い当たらない。 そんなにマジメにフォローしているわけではないんですが。
 最近では、すぎもとまさとの 「吾亦紅」 とか。 人生に疲れた曲ばかりだな。
 だけど、それは仕方のないことだ。
 人間、そんなに湯水のように、才能あふれる作品を作りつづけられるものではないのだ。
 堀内サンには、その点ちょっと期待していたのだが。

 アリスの活動再開は、壮年世代を奮い立たせるという点で、とても期待している。 壮年世代を代表する名曲も、作ってもらいたいものだ。

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2009年3月 4日 (水)

「ポッパーズMTV」 私のリストその1、って続くのか?

 以前、TBSで1985年あたりに放送されていた 「ポッパーズMTV」 の記事を書いたら、ポツポツではあるが、意外とコンスタントにアクセスが来る。 特に、「ピーター・バラカン」 氏の検索で、私の記事はよく引っかかるようだ。

 この番組、私は放送時間にはちゃんとテレビの前に座って、曲がかかるたびに一時停止してスタンバイしていたビデオを回したものだ。 そうして番組終了までに、全部で30時間以上になるビデオライブラリーが出来上がった。
 番組の放送時間はどんどん深夜にずれ込んでいき、こちらもだんだんその作業が大変になってきたのだが、とうとう番組が終わります、という告知を聞いた時には、とてもショックだった。 ネットを見ると、私のほかにも、そういう人は多かったようだ。 この番組に思い入れのある人が結構いることに、なんとなく嬉しさがこみあげてくる。

 それじゃ、ってんで、私が当時ビデオデッキとにらめっこをしながら作ったポッパーズのビデオクリップ集の中身を書いてみることにした。
 ただし今日はそのほんの一部。 しかも当時私がボツ扱いにしたものは入っておりません。 抜けているものがあるとはいえ、これは後から編集したものではないので、放送した順番であることは確かです。 私の当時の判断で、今週ははずれだったなーというときなど、ごっそり抜けていることもありますが。 ただしメッチャ長ーいので、根気のある方だけ、お読みください。

ドアーズ 「ラヴ・ミー・トゥ・タイムズ」 セピア色のスタジオ収録画面に写真が時々割って入る。 3連の場面では、リズムに合わせて写真が変わる。 結構狙って作った感じ。 ジム・モリスン、カッコいい。 最後は彼がカメラに向かって一発パンチを食らわせるところで終わる。

シンディ・ローパー 「ハイスクールはダンス・テリア」 シンディ、はじけまくってます。 途中電話の受話器を逆さまにとるシーンは、たぶんNGをそのまま使ったんだと思う。

ユーリズミックス 「ヒア・カムズ・ザ・レイン・アゲイン」 傑作。 イギリス北部か、寒そうな所がロケ地。 空の色はなんか、加工がかかっている。 ビデオクリップの芸術性という面に初めて気付かされた作品でもある。

ビリー・ジョエル 「ロンゲスト・タイム」 ビリー・ジョエルのビデオは、彼の演技がわざとらしいのが多くて、あまり好きではなかった。 特にサックスで彼のバンドに途中から入ってきたマーク・リベラという人がなんかイヤで、どうしてリッチー・カナータがいなくなったのか不満だったのを覚えている。 ビデオは学校での同窓会で、昔の自分たちと出会う、という内容。 用務員のオジサンが、ウィッキーさんみたい。

ビートルズ 「抱きしめたい/プリーズ・プリーズ・ミー/ラヴ・ミー・ドゥ」 どうも特別に作られたものらしく、最初 「サージェント・ペパーズ」 のBGMで彼らのアメリカ訪問の映像が流れる。 あとは、目新しいとこなし。

「ア・トリビュート・トゥ・ジョン・レノン」 15分くらいの特別編集版。 ポッパーズで放送されたんだっけな。 「ベストヒットUSA」 だったかも。 目まぐるしく曲が変わり、今日的には珍しいものがなく、希少性なしか。 あるとすれば、この編集版自体の存在だろう。 「レイン」 のプロモとか見たことなかったから、当時は数秒でも結構おいしい映像だった。

ジョン・レノン 「アイム・ステッピン・アウト」 たぶん改変される前のやつ。 最後にジョン、ヨーコ、ショーンの家族3人で裸になって水浴びに行くところで終わる。 おそらくこれはのちにカットされたシーンだと思うが、結構ドキッとすることは確かだ。

ユーリズミックス 「ライト・バイ・ユア・サイド」 凝った作りばかりだったユーリズミックスにしてはストレートなライブそのまんま収録編。 それでも、それまで神秘的なアニーしか見たことがなかったので、こういうアップテンポでお茶目なところは、実に新鮮で魅力的に見えたものだ。

プリテンダーズ 「ラヴ・アンド・ヘイト」 キャバーンっぽい地下室みたいなところで撮影された、とっても渋いビデオ。 確か番組でのベスト・ビデオクリップに選ばれた気がする。

ドナルド・フェイゲン 「ニュー・フロンティア」 50年代ファッションの若いカップルが核シェルターに入るという設定のビデオ。 途中ソ連のプロパガンダ的なアニメが入ったり、ポップアートを動かすようなしゃれたことをやっている。 冷戦や核戦争などがまだまだ身近だった時代のクリップといえる。

カルチャー・クラブ 「ポイズン・マインド」 ボーイ・ジョージ、最近はボロボロですが、このころは輝いてました。 美しいオカマ、という人種の人を見たのは、この人が初めてだった気がする。 ニュー・ハーフやSHAZNAが出るずいぶん前の話だ。

ジョー・ジャクソン 「ステッピン・アウト」 ポスト・ビリー・ジョエルとして注目していたんだが、顔がちょっとトカゲみたいで、結局ハマれなかった。 アルバム買ったら、この曲しか良くなくて。 ビデオ自体はよくできていて、ホテルのメイドがセレブな客の衣装をちょっとの間拝借するという、少しスリルのある内容だ。

ボズ・スキャッグス 「ジョジョ」 特にコメントありません。 どうして残したのかな。

ブルース・スプリングスティーン 「ロサリータ」 ライブ映像。 結構長い。 客席から女の子がどんどんステージに上がってくる。 後半の盛り上がりはすごいが、もっとクリアな映像で見たいものだ。 ちょっとダレます。

クイーン 「サムバデイ・トゥ・ラヴ」 これはおなじみのやつかな。

ポリス 「ロクサーヌ」 照明が凝っているが、映像のキメが粗いと、ちょっと汚らしく見えるかな。 スティングの高音は、いっしょに歌うと確実にノドいかれます。

ロキシー・ミュージック 「アヴァロン」 アルバムジャケットそのままの華麗な作り。 シティ・ガイなんて言葉を、久々に思い出した。 こんな気取ったやつ、バブル時代はよくいたよなぁ~。

ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソン 「セイ・セイ・セイ」 当時はMTVとなると必ずかかってたな、この曲。 マイケル、このころはまだ、色黒だった(笑)。 リンダがキレイだ。 ジャネット・ジャクソンぽい女の子も出てくるんだけど、ジャネットだったのかなあ。

ビリー・ジョエル 「素顔のままで」 ライブ映像。 ライブだから変な演技まったくなし。 ビリー、カッコよかったよなあ、このころ。

ジョー・ジャクソン 「ホワット・ユー・ウォント」 観客を集めて一発録りレコーディング、それをそのままアルバムにするというので、皆さんキンチョーしまくってます。 ジョー・ジャクソンは、この時がいちばん華でしたね。

カーズ 「ユー・マイト・シンク」 これも有名なビデオ・クリップだよなあ。 リック・オケイセック、虫歯菌になったり、ハエになったり、クビが飛んだり、頑張ってます。 いじられまくってます。

ユーリズミックス 「フー・ザット・ガール?」 ピーター・バラカン氏が、このクリップのアニー・レノックスが一番かわいいとか申しておりました。 確かに。 フランスの、イエ・イエっぽくて。

プリテンダーズ 「アイ・ゴー・トゥ・スリープ」 クリッシー・ハインドの顔のアップに、あの頃は結構ときめいたものだったが、今見るとそうでもないか。 Tシャツの胸ポッチを初めて見たせいかな。

ハービー・ハンコック 「ハード・ロック」 スクラッチというものを聞いたおそらくもっとも初期の曲が、これだった。 落書きだらけの地下鉄が舞台なのだが、最近じゃもうないんでしょ?地下鉄の落書き。 しかし、このクリップは、傑作だ。

エヴリシング・バット・ザ・ガール 「イーチ・アンド・エヴリワン」 うわあー。 これっスよ。 ハマりました。 名作です。 曲もビデオも。 涙が出ます。 言うことなし。

フリー 「マイ・ブラザー・ジェイク/ザ・スティーラー」 このクリップって、結構お宝ものの部類に入ると思うんだけど。 レコードそのまま口パクものじゃないし。 ハタチそこそこでこの渋さ。 超越している。 ポール・ロジャース。 ポール・コゾフ。 こないだBS2の 「熱中夜話」 でハマったバンドに、客席の多くがフリーを挙げていたのに、全く話題にされず、私としては非っっ常ぉぉーに不満でした。

ペンギン・カフェ・オーケストラ 「ホワイト・ミスチーフ」 結構前衛的。 曲は単調、あっという間に終わるのに、なのに味わいがある、傑作クリップ。 ギターを持て余すと、この曲を弾いたりします。 クイーンの 「アンダー・プレッシャー」 のベースと同じ感覚ですな。

エルヴィス・コステロ 「アイ・ウォナ・ビー・ラヴド」 これもベストクリップに名を連ねていた。 証明写真用ブースに入ったコステロさんが、わけも分からずいろんな人からキスされまくる、という、とっても変で、とっても笑えるビデオだ。 モノクロなのに、キスされる瞬間だけカラーになる。 誰が考えたんだろう、このアイディア。 傑作。

カーズ 「ドライヴ」 「ユー・マイト・シンク」 のハチャメチャぶりとは打って変わって渋いビデオ。 男 ( リック ) とケンカ別れする女の子のかわいいことかわいいこと。 ビデオクリップって、こういう女の子が出てくると、もうそれだけで思い入れ度が、アップしたものです。

デヴィッド・シルヴィアン 「レッド・ギター」 この人もポッパーズの常連だった。 このクリップも、何回か放送されたと思う。 実に芸術的で、ポッパーズで流れるビデオの象徴的存在のような気がする。 曲もいい。 特に、若い時は、この手の曲についていけないものだが、私は、ハマりました。

スティービー・ワンダー 「心の愛」 赤い受話器を持ちながら歌うスティービー。 ビデオ的には平凡な作りだが、歌が良すぎ。 モノリスみたいなのが浮かんでいて、ハトがそれをぶっ壊す。

ドクター・ジョン 「ジェット・セット」 要するに、今でいうところのヒップ・ポップなんだが、当時はそんなジャンルはなかった気がする。 でも、ブレイクダンスは今風だし、もうすでに、当時から形は出来上がっていたように、このビデオでは見える。

マドンナ 「ライク・ア・ヴァージン」 マドンナ、というと嫌そうにしていたバラカン氏を思い出す。 だがこのころはまだ出はじめの頃で、ポッパーズでも、結構頻繁にかかっていた。 意外だが。 よくできたビデオが多かったのだと思う。

ポリス 「アラウンド・ユア・フィンガー」 ロウソクをずらっと並べた中を、スティングが走り回る。 あぶねえあぶねえ。 しかも、このビデオ、もともとは倍速あたりで撮ったやつを普通の速度に直しているから、スローモーションのくせにリズムが合っている。 この手の表現方法は、このビデオで初めて見た。 これも傑作であろう。

トト 「ストレンジャー・イン・タウン」 殺人者が子供には聖人に見えた、という、今にして思うと大したことのない内容のビデオ。 出来は決して悪くはないのだが、こういうビデオの内容が元の曲に要らぬイメージを与えてしまうという、ビデオクリップの功罪も、バラカン氏はよく口にしていた気がする。

ジュリアン・レノン 「ヴァロッテ」 彼が出てきた時の衝撃は、相当なものだった。 なんたって、父親とクリソツだったのだから。 しかも曲は 「イマジン」 をほうふつとさせるし。 バラカン氏は、「この曲でデビューするより、次にシングルカットされた『トゥー・レイト・フォー・グッドバイ』 のほうがよかった」 と話していたことを思い出す。

レイ・パーカーJr.「ゴーストバスターズ」 こんな曲もポッパーズで流れてたんだなあ。 当時流行っていたので、何の考えもなく残してしまいましたが。 何かこの映画、デジタルリマスター処理されたきれいな画像のものを見てみたいです。

カーズ 「ハロー・アゲイン」 あまり大したことのないビデオですな。 倒錯した世界が出てきますが。 アンディ・ウォーホルが作ったとかで、本人も出ているが、つまんないです。 確かこの後すぐに死んじゃったような記憶があります。

ウィングス 「アロー・スルー・ミー」 こういうビデオのお宝度ってどうなのかな。 マイケルの 「オフ・ザ・ウォール」 みたいな画面の処理をしているけど。 ポールって、「幸せの予感」 とか、キーボード主体の曲を、この当時は結構作っていた気がする。

ピート・タウンゼント 「ラフ・ボーイズ」 ホントなのかハッタリなのか、ビリヤードをやっている不良っぽいアンチャンたちに、ギターを演奏しながら絡みまくるピート・タウンゼント。 結構ウザったがられているのだけはわかる。 腕グルグルも、やってくれます。

ブライアン・フェリー 「レッツ・スティック・トゥゲザー」 ポッパーズが放送された時点でこの曲は結構昔の曲の部類だったが、私がこの人を初めて見たのは、この曲のこのビデオだった。 そのイメージがずっとあって、ブライアン・フェリーというと、ああ、あの酔っぱらいのオッサンね、という反応をしていた。 このビデオの彼は、酔ってるでしょう。 たぶん。

ハニードリッパーズ 「シー・オブ・ラヴ」 ロバート・プラントという人の顔を初めてまじまじと見たのが、このビデオだった。 とてもじゃないが、この人がレッド・ツェッペリンのヴォーカルだとは、思えなかったものだ。

ジミ・ヘンドリクス 「アー・ユー・エクスペリエンスド」 たぶんなんかのレコードの再リリースかなんかで新たに作られたクリップであろう。 コマ撮りやらいろいろ凝ってはいるが、あのギターに火をつけてぶっ壊すのは、どうもなあ、といつも引いてしまう。 楽器は、大切にしなきゃ。 高いんだから。 この曲と 「パープル・ヘイズ」 だけでジミヘンを判断してしまった私であった。

トム・トム・クラブ 「ジェニウス・オブ・ラヴ」 確かマライヤ・キャリーか誰か、この曲をサンプリングしてたなあ、最近。 ビデオの方は全編サインペンで描かれたアニメーション。 曲同様にシュールな出来。

バンド・エイド 「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」 あとからアメリカに丸ごとパクられる(「ウィー・アー・ザ・ワールド」)ために、妙にイギリスのミュージシャンたちがしょぼく見えてしまう。 それに、25年もたってみても、知らない人は知らないという、私のこの知識の広がりのなさ。 ボノくらいか、分かるようになったのは。 あの曲が出た当時、U2って、名前しか知りませんでした。

アラン・パーソンズ・プロジェクト 「ドント・アンサー・ミー」 アメコミ風のアニメーション。 私の周りには、このクリップにしびれた友達が多かった。 私は、登場人物たちがしゃべる口語の英語が分からず、イライラしたものだ。

デヴィッド・シルヴィアン 「ジ・インク・イン・ザ・ウェル」 「レッド・ギター」よりは芸術性が抑えられてはいるが、やはり渋さは変わらない。 個人的には名曲だと思う。 評価の分かれるところではありますが。

ロバート・ワイアット 「シップビルディング」 エルヴィス・コステロがゲストとして参加。 ビデオは普通の出来だが、この曲はつくづく、名曲だと思う。 当時はこうした 「ジャジー」 な曲がオシャレ、という評価をよく受けていたが、この曲の普遍性は一歩抜きんでている。

坂本龍一 「レプリカ」 バラカン氏は当時坂本サンの事務所にいたとかで、その手の話をよくしていた覚えがある。 このクリップは今で言うならデジタル画像処理、とでも言うのだろうか、それがこれでもかこれでもかというくらいのシュールさで迫る。 今見ても斬新だ。

ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース 「ハート・オブ・ロックンロール」 イナカのオッサンが大都会に出てきて、みんなのブッ飛んだ格好を見て口をあんぐりあけている、といった絵が面白い。 ちょいダサ、の大元祖であるヒューイ・ルイスの面目躍如だろう。

シーラE 「グラマラス・ライフ」 プリンスの恋人として出てきたシーラE、さすがに今見ても魅力的。 最近は、リンゴ・スターのバンドに加わっているとか消息を聞いたが。 「タモリ倶楽部」 のBGMとしてはまだよく使われる。 「白井(シーラE…シーライー…ですね)サン」 とか。

ブルース・スプリングスティーン 「ボーン・イン・ザUSA」 ああー、流行ったなあ、コレ。 この人の歌って、歌詞を読まないと本当に聴いたことにならないんだけど、私はそこまで興味がなかったので、ただ聴くだけで、単調な曲だなあと、思っておりました。

ポリス 「シンクロニシティⅠ」 ライブ映像。 いやー、カッコいいです。 このアルバムも、相当流行っていた。

 やー、まだ始まったばかりです。 これ、全部レビュー書くのか? やんなってきた(笑)。 でも、紹介したいビデオクリップ、まだあるんだよなあ。 ピーター・ゲイブリエルとか。
 ご要望があれば、続編も書きたいと思います。

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「レット・イット・ビー」録画テープから昔の家電の話

 「レット・イット・ビー」 の映画のDVDは、出るぞ出るぞと言われながら、2009年春現在、何の音沙汰もない。

 仕方がないので、25年くらい前に、たしかTBSで放送された(四半世紀っスか…)番組の、画質の悪いVHSの保存版を見るしかない。
 SONY提供、コマーシャル徹底排除で話題となった、深夜番組である。 確か途中一回くらいCM入ったような気もするが。

 当時はVHSのビデオカセットも結構な値段だったので、当然のように 「3倍」(要するに、テープ速度が、標準録画の、「3分の1」ってこと)(1本のテープに時間が3倍とれるから3倍速などと称していたのだろうが、当初は混乱したものだ)で録っていたため、画質の悪さは否めない。

 しかも当然ながらアナログ放送でゴーストは多少あるし、そもそも元のフィルム自体が、デジタル処理などというシャレたものをしていないので、現在の標準から考えると、なんじゃこりゃ、という画質ではある。 横長でもないし。 いや、たぶん、画面の両はし、切ってんだろうな、とは思います。

 でも今私が 「レット・イット・ビー」 の映画に触れるのはこの方法しかないので、たまーに見たりする。
 5年に1回くらい。
 今回はちょっと面倒だった。
 なにしろVHSのビデオレコーダー、しまっちゃってたんで。
 どうすっかなー、DVDにダビングすっかなー。
 いや、したとしても、見ないんだよなー、DVDって。

 余談ですが、皆さんはいかがですか? DVDのソフトって、せっかく高い値段で買ってきても、CDを聴くようにしょっちゅう見たりしないですよね?
 もちろん思い入れがあるからこそ保存版にしようと購入するんですけど。

 私の場合、やはりビートルズ関係ばかりなんですけど、「アンソロジー」 なんか1万5千円もして、せいぜい見たのが4、5回ですよ。 しかも初回限定価格とか言って発売日に無理やり買わせといて、その後この値段で定着しちまいやがって。 ナメとんのか。
 アニメなんかは、結構繰り返して見たりするものなんですがね。 何でかなあ?

 この25年前の番組、始まる1分くらい前から録っていたので、SONYのコマーシャルが数本残っていた。

 SONYカセットテープHF-S。

 当時私の友人たちの間では、SONYのカセットテープは評判が悪かった。 最もフツーに使われていたのは、TDKのADとか、クロムタイプになるとSFとか。 私はデッキが日立製で、同じメーカーのカセットが相性がいいとかいう噂話を信じ込んで、マクセルUD-Ⅱなんかよく使っていた。

 つぎのCMはいろんな野菜を映しながら、矢野顕子サンの 「いろんな色、いろいろ~」 という歌がバックで流れるビデオテープのCM。
 出ました、ベータですよ。
 泣けるなあ。
 ベータ。
 友人が、ベータだったっけ。

 続いて当時CBSソニー在籍だったと思うが、松田聖子のライブ (Seikoland) の模様を録ったベータハイファイビデオデッキのCM。

 ハイファイ、というのは、要するにステレオのことで、ことビデオデッキに関しては、ステレオとは言わずにハイファイと言ってたなあ。 ややこしい。 なんでやねん。
 ステレオ放送がそのまま録れるというのは、当時あこがれたものだが、その出始めと言っていいだろう、このCMは。

 当然ながら、私がこの番組を録った当時の環境は、モノラルだった。 いや、「レット・イット・ビー」 の映画自体が、たぶんモノラルだろうと思うので、別に不都合は、ないんですが。 でも、DVDで出るようになったら、サラウンドとか、やるんだろうなー。

 本当は 「レット・イット・ビー」 のレビューを書くつもりだったのだが、途中からすっかり昔の家電の話になってしまいました。 本編の話は、また後ほどいたします。

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2009年3月 2日 (月)

「天地人」 第9回 どうして兼続だけが?

 「天地人」 第9回では、妻夫木クンが阿部謙信の死の床で、謙信から何か聞いたみたいなのだが、何て言ったのか分からなかった。 NHKホームページを見たら、「そなたの義」 と言ったらしい。
 結構重要な言葉のように思えるが、それを何と言ったのか分からないのでは、そのあとの展開を見る側の、理解の仕方も変わってくる。 聞き取れなかった私が悪いんでしょうが。

 それにしても、謙信の死の床に居たり、このあと高島礼子サン(仙桃院)と萬田久子サンに呼ばれて、謙信の家督相続の遺言は萬田サンのウソだったと、エライ重大な秘密を明かされたり、どうして妻夫木クンばかりが、重要な場所に家来の中でただひとり居合わせるのだろう。
 まるで仙桃院(どうも戦闘員に聞こえてしまう)に信じられているのが妻夫木クンひとりみたいな感じ。 ほかの家来は何なんだろう。

 謙信の死後すぐさま大々的に分裂する上杉家家臣。
 妻夫木クンでなくたって、「情けのうございます!」 と言いたくなるぞ。
 玉山鉄二サンを推す一派と、妻夫木クン所属の上田の庄一派が互いに相手を嫌う理由の説明は、非常にうまくできていた。
 だけど、ここまでバラバラだと、謙信の家臣掌握術って、ホントにうまくいってたのかなあ?って思ってしまう。 謙信の存在自体が上杉軍をまとめる力だったのだとすれば、玉山サンと北村一輝サンというふたりの養子って、いったい何のためにいるんだか。 ふたりが上杉家分裂の原因になるのは、火を見るより明らかではないんでしょうか?
 逆に言えば、それだけ謙信という人物が、巨大すぎた、ということなんですが。

 今回は、舞台みたいなブッ飛んだ演出がなかった。 「こんっっ週ぅぅーーの、スポッッッッッットライト!」(「ザ・ベストテン」 じゃないですよ)
 批判はあるとは思いますが、いったん始めた以上、徹底してやってもらいたいものです。 スポットライト。 みんなが批判しても、とりあえず私は応援します。 斬新な映像。
 初めは私もなんだかんだブログで批判めいた事を書きましたが、自分が実相寺昭雄サンの作品で育った世代というのを忘れてました。 この前BS11で放送中の 「ウルトラセブン」 で 「狙われた街」 を見て、ああ、斬新な映像も、これはこれでありだな、と。

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2009年3月 1日 (日)

「タモリ倶楽部」 国分寺崖線をゆく…ロケ地近所です

 「タモリ倶楽部」 で国分寺崖線の探索をしていた。

 国分寺崖線というのは、東京の下腹部を流れる多摩川が、長い年月をかけて削り取っていった河川段差のことである。
 こんなことを書くと住んでいる所がばれてしまうが、今回タモリサン一行が探索した地域、モロに私のご近所だった。
 あまりに近所過ぎて、ちょっとまだ何となくコーフンしている。

 実は、この手のコーフンは今回が2度目である。
 以前、同じ 「タモリ倶楽部」 の、食文化研究家の永山久夫サンがゲストでブドウ園から放送された回も、結構な近所だったのだ。
 確か、その時も乾貴美子サンがアシスタントみたいなことをやっていた覚えがある。 乾サンってこの地域の人なのだろうか? それともスタッフにこの地域の人がいるとか? まあ、このブドウ園自体は、ちょくちょくテレビの取材が入ったりはしているので、別に珍しいことではないのだろう。
 余談だが、このブドウ園は、今回放送された国分寺崖線が形成する坂の途中にある。 途中といっても、かなり下のほうに位置するのだが。

 ちょっとここから世田谷たまがわ地区のローカルな話にどっぷりつかります。

 この地域の歴史はここらへんの小中学生の研究対象によくなるので、私もよく知っているから言えるのだが、多摩川というのは、大昔は相当水量が多かった。
 だからこそこのように広大なかつての河床地域が生まれたのだが、今回 「タモリ倶楽部」 で採り上げたこの国分寺崖線というのは、多摩川が形成した河床段差の中でも最も下の段に属する。
 つまり、まだ上のほうに何段か、多摩川が削り取った段差が存在するらしいのだ。
 私はそこまで勉強することはなかったが、古代多摩川のあまりの水量の多さには、ちょっとたまげる。

 いや、古代どころではない。
 ほとんど80年くらい前もそうだったのだ。
 昭和初期くらいの多摩川(二子玉川近辺)の写真を、ガキンチョのころ学校の図書室かなんかで見たことがあるが、これって洪水でも起きたのか?ってくらいの水量だった。
 当時は、山田太一サン脚本のドラマ 「岸辺のアルバム」 でも題材となった、台風による多摩川の大規模な洪水が、まだ記憶に新しい時期だったので、それと容易に比較できたのだろう。
 しかし、その写真の多摩川は増水しているわけでもなんでもなく、フツーの状態だった、というのだ。 アッチョンブリケ!である。 あ、わかりません?

 番組では埋立てられた明神池の話とほこらが出てきたが、あそこの段差が明神池の段差とは、住んでいる私も気付かなかった。 池が昔あったことは知っていたが。
 そのすぐそばには、やはり明神坂、と名のつく急な上り坂がある。 そこをのぼるとロッキード事件で有名な小佐野賢治氏の邸宅があり、イェー!でおなじみの高島忠夫サンの家がある。
 要するに、国分寺崖線の形成した崖の上のほうには、上流の人々が住む世界があった、と言っていいだろう。
 その国分寺崖線に沿ったような形で走っているのが、環八の一部なのである。

 私は坂の下に住んでいるので、環八を超えてどこかに行こうとすると、この国分寺崖線が昔から何かにつけ、なんとも忌々しい存在なのだった。
 番組では坂が急だとかやっていたが、実際この崖線の上に行こうとする坂は、ことごとく急な坂だらけなのだ。
 ホント、のぼるのに実に骨が折れる。
 車でのぼろうとすると、車がひっくり返ってしまうのではないかと思われるような傾斜の坂も、中には存在する。

 番組で最後に訪れたのは、東京23区では唯一の渓谷である等々力渓谷。
 ここの地質は粘土層が多く、小学校のころだったか、等々力渓谷の粘土を学校に持ち帰って、図画工作の材料にしたことがあった。
 そんなことばかりしていたらあそこの土がなくなっちまうだろうから今はやっていないとは思うが、昔は学校の授業も結構ほかの迷惑考えない系のことやってたんだなあ。

 等々力渓谷は桜の名所でもあり、小学校のころは写生大会でその時期になると行ったものである。
 と書いて今思い出したのだが、確かその写生大会って、4月の中頃以降に行ってたような記憶があるのだが。
 いまここの地域の桜って、だいたい3月終わりごろがピークで、4月の入学式に間に合えばいいかなくらいの時期なので、それを考えると、30年以上前の話だけど、あの頃からずいぶん温暖化が進んだのかもしれない。 いやどうかな。 昭和33年あたりの桜は4月の頭くらいだったとか何かで知っているので、一概に桜の時期が早まったとも断定はしかねる。

 話はローカルな個人的昔話にどんどんずれていっているが、等々力渓谷を形成した谷沢川が、実は多摩川から北西の方向に分岐して流れてできた、というのは、地元民の私も初めて知った。
 これって、すごく意外だった。
 つまりその番組に出ていたセンセイの話によると、いま等々力渓谷を流れている谷沢川は、昔は逆の方向に流れていたことになる。 それで、タモリサンが言っていたが、九品仏の、今は埋め立てられている散歩道のほうに流れて行ってたとは。 高低差無視の相当な水量だったってことだ。 それにしてもタモリサン詳しすぎ。

 ただ、私も長いことこの地域に住んでいて、谷沢川の川の流れというのが、いまいちよく把握できていないところがあるのだ。
 この川、番組にも出てきたゴルフ橋(昔ここにゴルフ場があったのだ)から地下水がわき出ていたほこらのあるところ(昔はここで行者が水を浴びていた)、つまりタモリサンたちが歩いていた方向に向かって、川が流れているのだが、そのすぐ先に、谷沢川が分岐するような箇所がある。
 昔はそこで、丸子川という細い川に合流していた気がするのだが、今はせきとめられており、そこから大田区のほうに支流が伸びていく。 丸子川は丸子川で、そこからすぐのところにある多摩川のほうに流れが行くのに、大田区のほうに流れていく川も、どうも丸子川らしい。
 いったい何のためにこんなややこしい流れにしているのだろう、と思うのだ。 洪水対策だろうか。

 ともかく、今回の 「タモリ倶楽部」 は、もう地元民の私にとっては、保存版決定!ですな。 「ブラタモリ」 も真っ青な、内容の濃さだったし。
 それにしても、今年(2009年)は空耳アワードやるの遅いなあ。 もう3月だってのに。 やんないのかなあ。

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