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2009年3月22日 (日)

吉田拓郎という 「大いなる」 存在

 NHKBS2で吉田拓郎サンの復活ライブをやっていたようだ。

 拓郎サンが1985年の夏にワン・ラスト・ナイト・インつま恋のライブをやった時、私の仲間内でのもっぱらの話題は、タクローがこれで引退しちまうってよ、ということだった。
 今から考えるとどうしてだか分からないが、タクロー引退の噂は何だか、少なくとも私の友人同士の認識では、既成事実として成立してしまっていた。

 その認識を後押しさせたのは、サザンの桑田サンである。
 それは、「KAMAKURA」 という、サザンオールスターズにとっては初めての2枚組アルバムの中の一曲、「吉田拓郎の唄」 という歌で、「長い旅が終り 安らかに眠れよ」 という一節によってだった。
 今聴き直しても、「あの」 吉田拓郎にむかって何てことを言うんだ、という内容である。
 実際、このアルバムの発売当初も、結構物議をかもしたと記憶している。
 だが、あらためてこの曲を聴き返して見ると、確かに桑田サンの言いようは、拓郎サンにしてみれば、「なんだ後輩の若造のくせしてザケンジャネェ」 みたいな内容なんだが、この曲には、「タクロー引退なんかまだ早すぎるぞバカヤロー」、という桑田サンの、拓郎サンに対する歪んだ愛の形を感じることができるのだ。

 「吉田拓郎の唄」 には、桑田サンが拓郎サンをどうとらえていたかが垣間見ることができる、興味深く実に的確な部分がある。

「河の流れを変えて 自分も呑み込まれ」 という部分と 「時代(とき)に流されず 迎合(あい)もせず 語りかけた人よ」 という部分だ。
 実のところ私も、吉田拓郎サンという人には、桑田サンと同じ認識でいるようなところがある。
 世の中がフォークソングイコール反体制みたいな時代に、あえて 「結婚しようよ」 などというフヌケた歌を歌い、時代を軽薄短小という方向に導いたひとりとなりながら、いざ軽薄な時代になった時に自分を厳しく見つめ直す方向へ向かっていった、絶えず時代の空気に逆行しているようなイメージを、私も拓郎サンには感じているのだ。

 当時のタクロー引退の話は今から見れば究極のガセネタだった。
 それでもやはり、あのワン・ラスト・ナイト・インつま恋から、拓郎サンが第一線を退いた感は否めない。
 だが、もうあれから四半世紀がたとうとしている。
 そして大病を患いながら、拓郎サンは自身最後のツアーに出ようとしている。
 拓郎サンは、人生に対してどのようなメッセージを、私たちに伝えようとしているのだろうか。

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