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2009年3月 8日 (日)

「中島みゆきのオールナイトニッポン」 にかき回されたころ

 中島みゆきサンに対しては、未だに複雑な思いを引きずっている。

 「中島みゆきがハチャメチャな深夜放送をやっている」、という友人の噂を聞いて、どんなものかと思って聴いてみたのは、確か1980年の春先あたりだった。 放送が始まったのが前年の4月からだったというから、1年近く聴き逃していたことになる。
 だが、受験生だったにもかかわらず、私は深夜ラジオなど全く聴かなかったのだった。
 いや、ちょっと待て。
 受験生だから深夜ラジオを聴くって方がおかしかないか。 ラジオなんか聴かんで勉強せいっての(笑)。
 受験生だったから、受験が終わるまで、「中島みゆきのオールナイトニッポン」 を聴かなかったのだ。

 なにしろ、私は彼女のシングルは必ずチェックするほど好きだったので、高校も決まったことだし、聴いてみっかとニッポン放送にダイヤルを合わせたのだった。
 飛び込んできた声は友人の話通りの明るさで、私はちょっと、彼女の歌とのあまりのギャップに、めまい…、は覚えなかったが(笑)、それまでのイメージがガラガラと音を立てて崩れ去ったのを覚えたのであった。
 それにしても、である。
 私は、かつてFM東京でやっていた 「コーセー歌謡ベストテン」 にゲスト出演した時の彼女を、しっかり覚えていたのだ。 「わかれうた」 が確か1位になったためにゲストに呼ばれたと記憶しているが、そのときのみゆきサンは、歌のイメージ通りのクラーイ女性だった。 私はそのときから、中島みゆきといえば徹頭徹尾、暗いそのイメージでとらえていたのだ。

 そ、それが、なんだこりゃ(笑)!
 私は、下卑た笑いではしゃぎまわる彼女に、自分が好きだった暗い彼女の面影がどこかに少しでも残っていないか、必死になって探したのだった。
 考えてみれば不思議なもんである。 彼女がイメージ通りの暗いキャラクターでなかったために、却ってイメージ通りの暗い彼女を追い求めたくなってしまったのだ。 却って彼女への興味がひどく増してしまったのだ。

 それにしても、「コーセー歌謡ベストテン」 で見せていたあの暗さは、いったい何だったんだろう。 人見知りが激しいタイプなのか、それとも事務所から暗いイメージで通せと言われていたのか。

 ともかく、今にして思えば不幸なことに、聴き始めてからほどなくして、「中島みゆきのオールナイトニッポン」 の中では群を抜いてドン暗だった回に、私はぶち当たってしまったのである。

 その回の彼女は番組の出だしからテンションが低く、なんか変だなーと思っていたら、どうしても言わなければ気がすまない、というような感じで、当時同じ 「オールナイトニッポン」 の2部でパーソナリティをしていた山崎ハコ嬢が、この3月いっぱいで番組を降ろされることについて文句を言いだしたのであった。
 確か2時間まるまる、降板に納得のいかないことをクラーイ調子でしゃべったと思う。
 それまで数回聴いていた明るい調子とは全く違う、「うらみ・ます」 そのまんまの世界。 そのギャップの大きさに、凄みさえ感じたほどだった。
 今、その内容を思い出すことはできない。 だが、2時間もこの話題を引きずった、という事実だけは覚えている。 今にして考えると、2時間も恨み節を続けるのって、相当心に暗黒面(ダース・ベイダーか?)(笑) を持っていないと無理な気がする。 この回は私にとって、一種の事件だったと言っていい。

 そして私は、これこそが中島みゆきなのだ、と思い込んでしまった。
 これが、不幸の始まりである。
 このクラーイ彼女を追い求めて、私は 「みゆきのオールナイト」 のヘヴィーリスナーになってしまったのだった。

 番組内で、彼女がその暗いキャラを唯一見せたのは、毎回最後の10分間のモノローグだった。 実際には5分程度で、あとは自分の歌を流して終わり、という感じだったのだが。 私はそればかりを楽しみに、毎回最後まで聴いたものだった。 今から考えると、何でそこまでこだわったのだろうと不思議でならないが、人を好きになるっていうのは、そういうことなのかもしれない。

 だが、番組が年月を重ねるにしたがって、その10分間のモノローグさえ、おざなりなものになってきた。 おざなりになったと、少なくとも私は感じた。 彼女の本音が聴きたい一心だったから、余計過敏になっていたのだろう。 そのうち彼女の出すアルバムも、ラジオの内容に感化されるように、暗さから解放されていった。
 「臨月」 では、その暗さと明るさが程よくミックスされて、とても好きなアルバムなのだが、「寒水魚」 になると、何だか暗い部分が上っ面だけのような気がしてきた。 それまで彼女の暗さには、切羽詰まったぎりぎりの情念があったのだが、その切迫感が、暗い曲から消えてしまった。

 そして、彼女に対する失望はだんだん大きくなっていき、そのうちラジオもアルバムも、聴かなくなった。
 これは彼女に対して、また彼女のファンに対しても誠に失礼な話なのだが、私はみゆきサンに、昔ひどい目にあったカノジョ、みたいな感覚を持っている。 未だに、みゆきサンをコマーシャルで見かけたりすると、あの当時の苦々しい思いがよみがえるのだ。

 でも、私は未だに、彼女を好きだった時代の曲を、よく弾き語りする。
 それは、未練がましい男のサガのような気もするが、みゆきサンの歌が持つ強力な磁力のなせる技なんだと思う。 みゆきサンの歌には、つまらない男の嫉妬など無縁の、傷ついてきた女性の放つオーラが、渦巻いているのだ。

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