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2009年3月19日 (木)

ますます買う喜びを失っていく 「音楽」

 アメリカではネット配信が音楽購入の33%だとか。 レコードからCDになったときも、私はその買いごたえのなさに空しくなったものだが、そのうえネットで音楽を手に入れるなんて、音楽を購入する喜びなんかあるのだろうか、と本気で思う。
 別にこれは、アナログ世代の愚痴でもなんでもない。
 手触り感をなくした音楽は、レコードで育ってきた我々の世代に比べて、かなり精神の素養上、貧しくなってしまっている。 そんな未来の世代たちが何だか、かわいそうに思えるのだ。

 しかし、大きな目で見れば、われわれレコードで育ってきた世代にしても、実際に楽器が目の前で演奏されてきた歴史に比べれば、精神の素養上貧しいものがあると言わざるを得ない。
 それでも、自分が欲しかった音楽を手に入れる喜び、という点では、レコードの重厚感に勝るものはないだろう。

 私の物心ついた時、音楽を購入する手段は、レコードかカセットだった。 極めて低い割合でオープンリールがあり、8トラックという媒体もあった。 オープンリールはオーディオマニア専用、という感じで、8トラックはカーステレオ限定、みたいなところがあったように思う。 エルカセットというものもあったが、あっという間になくなった。 当時はずいぶん鳴り物入りだったのだが。

 私はごく初期の段階ではカセットのミュージックテープなるものを買ったこともあったが、まず9割以上はレコードを買い続けた。
 レコードは、まずカセットに比べると、「買った」 という実感が違った。
 レコード盤には、独特の匂いがある。 あれに比べると、カセットもCDも、何の匂いもしない、と言っていい。
 そして、刻まれた溝が語るものがある。
 静かな曲は溝が浅く、音の大きい曲は溝が深い。
 曲の途中で静かになったりうるさくなったり、というのも、溝を眺めていると分かったりするのだ。
 トータルタイムもなんとなく想像できるし。 レコードはCDとは逆に、円周の外側から内側に記録される媒体なので、内側の溝が刻まれていない部分の幅(ランアウトグルーヴって言ったかな)で、片面に15分程度しか入っていないな、とか(ジャズのLPに多かったような…)、それで想像がつくのだ。
 そして、特にLPの、その大きさ。
 やはり何と言っても、シングル盤に比べて圧倒的な重厚感があった。

 それに比べて、CDのチャッチイことよ。
 ジャケットが小さい、というのがまずいけない。 これでは、ジャケットにアーチストの主張も何も見えてこない。
 しかも、歌詞カードや解説の文字が、ちっちゃすぎる!(笑)
 私は昔から、歌詞カードを見ながら一緒に歌い、そしてその曲を覚えていったものだが、CDの場合それがまずできないのだ。 ある程度の文字のでかさがないと、歌詞カードを持ったまま歌えない。 まだ私は老眼にはなっていないが、もしこれで老眼にでもなったら、またいちいち拡大コピーして、みたいなことを強いられるであろう。 その拡大コピー自体も、エライ手間のかかる作業だということは、明記しておきたい。 要するに、1曲につき1ページみたいな歌詞カードばかりなので、全曲コピーしようとすると、タメ息…という話である。

 話はそれてしまったが、これがネット配信なんてなった日にゃ、手触りもクソもない(笑)。
 iPodだかに何千曲も入って、そりゃそれで便利なのだろうが、音楽を聴くのに手間を惜しんじゃイカン。
 などと言っても老人のたわごとみたいに思われるんだろうなー、今の世の中。

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