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2009年3月25日 (水)

海援隊 「贈る言葉」 とユーミンの 「卒業写真」

 近頃の卒業式ソングの氾濫ぶりには、正直言って辟易している。
 しかもそのタイトルに 「桜」 のつくものの多さといったら。
 ほかに思いつかないのかと言いたくなる。
 タイトルに 「桜」 がついてなくても、どれもこれも同じような内容だし。 まあ、中学生あたりを相手に商売しているなら、その程度でいいのかもしれないが。

 私の中学卒業時期は、ちょうど海援隊の 「贈る言葉」 が流行っていて、そればっかり聞いていた気がする。
 だが、この歌は、今の 「離れてもいつまでも負けないでドーテラーコーテラー」 とか、「忘れないよみんなのナンタラーカンタラー」 とかいう卒業式ソングのヌルーイ内容とは、ずいぶんと趣の違う歌だった。
 「信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷つくほうがいい 求めないで優しさなんか 臆病者のいいわけだから」
 という、ずいぶん人を思い切り突き飛ばしたような(笑)、冷たい歌なのだ。

 「贈る言葉」 という歌は、なれ合いを拒絶している立場に立った歌だ、と私は考えている。

 実際、中学校を卒業すると、同じ高校に行った友人以外は、てんでバラバラになってしまったものだ。 つまり、卒業をして待っているものは、なれ合いなどでははじき飛ばされてしまうような、中学校とは違う、甘くない世界なのだ。
 それは、公立の義務教育を受けてきた人限定の話かもしれないが、ピンからキリまでいた中学校とは違い、高校に行くと、学力もみんながみんなほぼ自分と同じレベルの人間ばかりがいるわけで、今まで頭が良くって優越感を持っていた人間も、それにひたれなくなってしまう。

 私に限って言えば、みんなの学力が均衡する、というのは、それまでの価値観の逆転だった。
 確かに高校には高校の、いい部分もあるが、勉強でまわりに負けられない、というのは、結構なプレッシャーだった。
 「贈る言葉」 は、そんな外海に船出するひ弱なひな鳥たちを、叱咤激励する歌なのである。

 卒業ソングの定番で私(の世代?)がもうひとつ思いつくのは、ユーミンの 「卒業写真」 だ。

 だがこの曲、卒業式のことを歌った歌ではない。
 この曲の主人公は、卒業してからしばらくして、しまってあった卒業アルバムをひっぱり出してきて、卒業写真を眺める。
 そして、あの頃の生き方に恥じないような生き方を、今もしていますか、と聴き手に問いかけてくる。 「卒業写真」 は、そういう歌だ。
 この問いかけって、いい加減に生きている私みたいな人間には、結構キツイ。
 いや、それなりに一生懸命生きていても、若かったころ持っていた夢とか情熱とかを、失わないで生きてゆくっていうのは、ずいぶん難しいことなのだ。
 キツイ問いかけをしたこの曲は、直後に 「あなたは私の青春そのもの」 という、究極のキツーイ一発(笑)を聴き手に食らわせて終わる。
 そんなことを言われたら、いやでもしっかり生きなければならないではないか。 ユーミン、キツすぎですよ。 神がかってます。 なかなか、こういう詞は、書けません。

 「贈る言葉」 も、「卒業写真」 も、相手を突き放しているという点において、同じ次元の歌だ。 私は、最近流行りの卒業ソングに、この手の厳しさが見えないことについて、非常に不満を持っている。 もしかしたら、そんな厳しい歌もあるのかもしれませんが。

 でも最近の卒業ソングの優しさ押し売り傾向って、あんまり厳しいことを歌うと親から苦情が来るとか、そんな時代の雰囲気でひよっているのかもしれないけれど。

 もっと突き放しゃいいと思うんだ、子供なんか。

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