« 東京郊外 | トップページ | 「ありふれた奇跡」 第10回 陣内サンの不可解な行動 »

2009年3月12日 (木)

中島みゆき 「世情」 と金八先生

 「3年B組金八先生」 のシリーズには、思い入れがある。

 その第1シーズンが始まった時、自分も3年B組だったということで、どうしてうちの担任は金八先生みたいじゃないのかとか、よく友達どうしで話題にしたものだ。
 しかも、出演している人も私と同世代の人が多く、杉田かおるサンなんかは私と住んでいるところが近かったのか分からないが、街で見かけたりしていたし。 結構小さいんスよ、杉田サンって。 あれから彼女も、波乱の人生を送ったよなあ。
 近藤真彦クンなどは、友達の友達だった。 その友達は神奈川県の大和市出身で、ヤマトの田舎もんとバカにされてたっけ。 どーでもいいですけど。
 トシちゃんはサバ読んでたので同世代仲間、ってわけにはいかなかったが。

 中島みゆきの 「世情」 という曲を聞いたのは、「3年B組金八先生」 セカンドシーズンの 「卒業式前の暴力」 が最初だった。
 私はみゆきサンに関しては当時、デビュー曲の 「アザミ嬢のララバイ」 からシングルだけチェックする程度のファンであったから、アルバム 「愛していると云ってくれ」 中の一曲にしか過ぎなかったこの曲は、このドラマで初めて耳にしたのであった。

 「3年B組金八先生」 というシリーズは、私にたびたび強烈なショックを与え続けてくれた番組だったが、なかでも第2シーズンの、校内暴力がテーマの一連のドラマは、見るたびに胃液が上がってくるような緊張感を強いられたものだ。

 「卒業式前の暴力」 は、その第2シーズンの中でも、屈指の衝撃作だった。
 あまりのワルぶりに、もと居た中学を追い出されて金八先生の桜中学に転校してきた加藤クンという不良が、そのもと居た中学の意地の悪い先生をつるし上げようとして、すったもんだのあげく警官隊に突入されるという、それまでのテレビドラマではなかったような、暴力的でとんでもない、過激な内容だった。

 その加藤クンと、今は亡き沖田浩之クンを含む数人の生徒たちが、警官たちに連行されるラストシーンで、中島みゆきサンの 「世情」 が、流れたのだった。
 ドラマもショックだったが、その歌もショックだった。
 ドラマを見終わった後、しばらく凍りついたようになってしまったのを、今でも覚えている。
 ドラマに挿入される歌に心を揺さぶられた経験は、個人的にはこれが生まれて初めてだった。

 この曲は、アコースティックギターのダウンストローク2回で始まる。
 それは例えれば、山法師の奏でる琵琶の感覚だ。
 そしてのっけから野太い男性コーラスがフェードインしてくる。 まるで、歌詞の通り、シュプレヒコールをあげながら近づいてくるデモ隊のように。 デモ隊がようやく目の前にたどり着いた時、みゆきサンがようやく歌いだす。

 だが、その歌声は、とてもみゆきサンのものとは思えない。
 まるで、神の声を伝える巫女のようなのだ。 何かが憑いているとしか思えない細かいビブラートで、預言者のような内容を彼女は歌いだす。

 この 「世情」 はしかし、内容的には学生運動を取り扱ったマス的なものであり、校内暴力という個人的感情のはけ口程度のレベルにはそぐわない気も、今にして思えばしてしまう。

 だがマクロであろうと、ミクロであろうと、その中心にいるのは人間なのだ。

 歌詞のテーマは、変わらないものと変わっていくものの闘いだ。
 その闘いは、学生運動であれ、校内暴力であれ、本質的には何も変わっていない。
 この曲を選曲したのが 「金八先生」 脚本家の小山内美江子サンだったのかどうかは知らないが、この 「腐ったミカンの方程式」 全体に流れるテーマと、「世情」 が描く世界は、怖いくらいハマっていた。

 「世情」 のサビの部分の詞は、よく読むと、とても不可解だ。

 この曲のリフレインで歌われるシュプレヒコールが目指す先は、「変わらない夢」 である。
 そして、このシュプレヒコールが同時に闘うものは、やはり 「変わらない夢」 だ。
 これはいったい、どういうことなのだろう。

 つまり、世の中を変える、というのは、変わらない普遍的な価値を求め続けるための闘いなのだ、ということなのではないだろうか。
 そして同時に、変わらずに頑固にそれまでのものを守り続ける者には、それを守ろうとするに足りる、変わらない普遍的な理由が必要なのだ、ということなのでは、ないだろうか。

 「世情」 という歌は、「変えていく者たち」 の側に立つ歌だが、ただそれは、「変わらない者たち」 の、人生に対する姿勢を問い質しているにすぎない。 そして、自己保身とか、自分を甘やかしがちな人生に対して闘いを挑んでゆこう、という、人生に対する宣戦布告の歌でもあるのだ。

 学生運動が、社会の不条理に対して闘っていたのと同じように、加藤クンたちは、不条理な大人の理屈と闘っていた。
 自分がいざ大人になってみて考えるのだが、あの頃の自分たちが大人に感じていた不条理な部分、汚い部分、納得のいかない部分と、今の自分たちはどう向き合っているのだろう。

 「世情」 を聴くと、そんな思いにとらわれる。

|

« 東京郊外 | トップページ | 「ありふれた奇跡」 第10回 陣内サンの不可解な行動 »

テレビ」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521783/44325928

この記事へのトラックバック一覧です: 中島みゆき 「世情」 と金八先生:

« 東京郊外 | トップページ | 「ありふれた奇跡」 第10回 陣内サンの不可解な行動 »