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2009年3月20日 (金)

「ありふれた奇跡」 最終回 連ドラ最後なんて言わないで

 山田太一サン連ドラ最後の作品「ありふれた奇跡」 が終わった。

 最終回は、山田サンのメッセージがそこかしこにちりばめられていて、まだまだ言い足りないことがありそうだった。 連ドラこれが最後なんて言わないで、もっともっと山田サンに世の中へメッセージを送り続けてもらいたい、というのが今の私の気持ちだ。 まだまだこのドラマを見ていたい。 終わんないで、という感じ。

 このドラマの記事をブログに乗せると、アクセスが来る検索キーワードに、「ありふれた奇跡 つまらない」 とか、「ありふた奇跡 不自然」 というものが多かった。
 そんな目でこのドラマを見ている人には、どうぞあきらめずに最後までゆっくり見て下さい、と願うばかりである。 というか、批判的なメガネでこのドラマを見ないほうが楽しめますよ、と。

 けれども、やはりこのドラマ、人生でいろんなことを感じてきた人でなければ味わえないようなところも、確かにあるのだ。 実に冷たい言い方をすれば、「子供にゃワカラン」、大人のドラマだ、というところか。
 でも私も、最初はハテナ?の連続だった。 その経過は、しっかりと当ブログに書いちゃいました。

 このところたまに放送されていた山田サン脚本の単発ドラマなど見たことがなく、個人的にも、「ふぞろいの林檎たちⅣ」 から久方ぶりに山田サン脚本のドラマを見たせいか、第1回目を見た時、「Ⅳ」 で感じたのと同じ 「設定のあまりの強引さ」 と 「会話の不自然さ」 に、私も当初ちょっと不安を感じたのだ。
 やはり、山田サンの脚本は、もはや時代遅れなのかとも、正直言って感じた。

 だがその違和感が解消したのは、山田サン独特の、短いセリフの応酬で構成される会話に、「人生の喜劇」 を感じた時だった。 平たく言えば、「笑える」、っていうことである。

 「笑える」、っていうのは、山田サンが連ドラ最後だからと言ってこのドラマをおおげさに、エラそうなものにしようとしていなかった、っていうことだ。 山田太一脚本、などと、どうしても身構えてしまっていた自分は、岸部サンと風間サンの女装姿で交わされる会話の、そのあまりの突き抜けた喜劇ぶりに、完全に肩の力が抜けたのだった。
 正直なところ、山田太一脚本のドラマを見てこれほど笑ったのは、ちょっと記憶にない。
 「笑える」 ことが命のドラマではけっしてないのだが、「笑える」 というキーワードで、このドラマを見るきっかけにしても、けっして差し支えないんじゃないだろうか。

 そう考えれば、このドラマは第1回目から可笑しい。
 陣内サンが自殺するのを止められてキレまくっているのは、今から考えると、その可笑しさの序章だった気がする。

 ただやはり、このドラマをきちんと味わうには、登場人物たちに感情移入できる時間が、どうしても必要なのだ。
 1回目を見てコリャダメだ、で次回から見なくなる、という現代のわれわれの 「結果をすぐに期待しすぎ」 というライフサイクルからいくと、確かに山田サンのドラマは、今の視聴者には物足りない、退屈なドラマかもしれない。
 こういう大人のドラマが視聴率を取るには、難しい時代なのだろう。

 このドラマの底辺にずっと流れ続けていたものは、「だけど、人間ってそんなものだよ」 という、山田サンの、人間に対する寛容の気持ちだった。
 登場人物の性格に一貫性がない。
 さらに、登場人物たちの行動や判断が変だ。
 変だけど、それが人間じゃないか、と。 人間って、そんな矛盾した生き物なんだよ、って。 この人はこうだ、と決めつけて、我々は人を判断しすぎるのではないか。
 山田サンの言いたいことは、たぶんそれなのだ。
 そんな分かりにくいことをドラマで表現するな、という向きもあろうが、山田サンのように人間70を超えたら世の中はどうやって見えるのか、ということが分かると思えば、これは実に貴重な機会ではないか。
 ドラマ全体を流れる人間への肯定感は、山田サンがたどり着いた人生の結論なのだ。

 仲間由紀恵サンと加瀬亮クンが最終回、朝日を見ながら、自分たちのやってきたことは、けっして無駄ではなかった、自分たちは無力じゃなかったことを確認しあう。
 これは、人生を頑張って生きている人たち全員に向けた、プレゼントのような言葉だった。

 自分のやっていることは、けっして無駄ではない。

 この言葉に涙することができる人が、このドラマを見続けることができた人なのだと、私は思う。

 ドラマの最後は、登場人物が一堂に会するという、「ふぞろい」 の再現のようなシーンだった。 これは山田サンらしい、連ドラ最後の挨拶だった気がしてならない。
 だがだからこそ、山田サンのドラマを長いこと見てきた私などは、これで終わりだなんて言わないでもらいたい。 生涯現役で、いてもらいたい。 そう思うのだ。

 しかし、このドラマの前の 「風のガーデン」 に続けて、このような質の高いドラマを見せてくれたフジテレビには、つくづく頭が下がる。 そりゃふたつとも 「開局50周年記念」 という冠がつくくらいだから、どうでもいいドラマじゃ困ってしまうが、ふたりのすぐれた 「後世に残る」 脚本家の作ったドラマを、ここまでていねいに作り上げた底力は、きちんと評価されるべきである。

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