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2009年5月 1日 (金)

「報道ステーション」 殉教者のように見える古舘サン

 あまりというかほとんど見ない番組についてあれこれ言うのはフェアではないが。

 ごくほんのたまにチャンネルを合わせるテレ朝の 「報道ステーション」。 やはりちょっと見ただけで、「もういいや」 となってしまう。
 なぜかと言えば、古舘サンが、暗すぎるのだ。

 私の世代にとっては、古舘サンと言えば、新日本プロレスの実況アナである。
 古舘サンの実況は、リングに上がるプロレスラーたちを、何倍にも魅力的な存在にしてくれていた。
 特にアントニオ猪木と長州力、タイガーマスク。
 プロレスという、なんだかちょっとインチキくさいものを感じる媒体を、男と男の真剣勝負の場に昇華させる、有無を言わせぬ熱気が、古舘サンの実況にはあった。
 その実況自体がどことなく芝居がかっていて、それがプロレスの持つ興業性というベクトルと、方向を同じくしていたことも、功を奏していたのだろう。

 当時から古舘サンの実況は、そのインパクトの強さからいろんな人にマネされたが、じっさいのプロレス中継を見ていた私などにとっては、確かに面白かったけど、見ている時は、やっぱり、古舘サンの実況で試合にのめり込めた。
 それは、古舘サンの実況に、本気なものを感じていたからだ。
 とてもまじめな姿勢を、そこに感じていたからだ。

 プロレスを離れてフリーになった古舘サンには、まじめではあるけれど、やはりこの、プロレスのイメージに通じる、何となくB級なトークに徹している印象が、常にあった。

 だが、それがよかったのだ。

 日テレの 「おしゃれ」 番組は、古舘サンがいちばん自分の特徴を生かせる番組だと、私はずっと思っていた。 それは、ある程度自分がゲストより出しゃばる、というスタンスが、古舘サンにとってはいちばんやりやすそうに見えたからだ。
 それはけっして、一流の司会者のすることではない。
 だが、古舘サンはあえて、二流での一等賞を目指していたようなところあった。

 「ニュースステーション」 の終了は、そんな古舘サンの人生を変えた。
 古舘サンはほぼすべての番組を降板し、「Nステ」 の後番組、「報道ステーション」 に全力を注ぐことを選んだ。

 私は 「報ステ」 を見ていて、古舘サンのまじめな面が悪く作用しているように思えてならない。 まじめな人が報道をやると実につまらなくなる、という典型を、古舘サンは歩んでいるのではなかろうか。
 そのまじめさが受け入れられるのは、NHKのニュースだけだ。
 私は 「報ステ」 の古舘サンを見ていて、ちっとも彼のキャラクターが生きていない、とどうしても思ってしまうのだ。 この点、小林麻耶チャンにも、同じことを感じるのだが。

 そして、古舘サンは自分のことを、「Nステ」 の久米サンの代わりだみたいな、どことなくじぶんの居場所が分からなくておっかなびっくりやっているような、思い悩んでいるようなところも感じる。 まるで殉教者のような悲壮さである。

 自分を生かしきれない職場、というのは、確かに世の中、ちっとも珍しくない。
 だが、ことテレビの世界に限っては、その人のいちばん生き生きと出来る場所にその人を置くことが、もっとも重要なことではないのかな、と私は思ったりもする。
 だけど、はたから見ていてちっともその場所に合っていないように見えても、当の本人は報道をやりたがってるとか、
 …アレ、また小林麻耶チャンの話になってしまいましたね。

 まあ、自分のやりたいことと、自分に合っていることは、齟齬を起こしやすいもんです。

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