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2009年6月19日 (金)

「ルパン三世 ルパンVS複製人間」 ルパン自体が複製だった

 1978年に公開された、「ルパン三世」 の劇場公開映画第1作目、「ルパンVS複製人間」。 第1作目だったからというのもあるが、当時は単純に、「ルパン三世」 という題名だった。

 この作品を初めて見たのは、当時故水野晴郎氏が解説をつとめていた、日テレの 「金曜ロードショー」 だった。 あれ? 「水曜」 だったっけな?

 水野晴郎氏は、そのとき確か、ルパンが最後にマモーと対決するのに、次元の制止を振り切って言ったセリフについて言及していたと記憶している。 それは、ルパンの存在意義にもかかわる重要なセリフだった。 子供心に、水野サンという人は、この映画のキモとなる部分を的確にとらえている、と感心したものだ。

 ところで、この映画におけるルパンの顔は、いまさらながら考えてみると、ほかのどのシリーズにも出てこないような、特殊な顔をしている。
 だがだからと言って、これはルパンじゃない、という声を、公開当時から、私はあまり聞いた記憶がない。

 これって、結構不思議だ。

 もともと、この映画が公開されるときに、ことさら強調されていたように記憶しているのは、「これは大人向けのルパンです」 みたいな宣伝文句だった。 だから、当時子供だった私たちにも、「じゃ顔も違って当たり前か」 みたいな暗黙の了解みたいなものができていたように思える。

 当時中学生のガキだった私を魅了したのは、その大人っぽい作りもさることながら、全体に流れる、動画としての表現方法の、ある種の過激さだった。

 冒頭から、いきなりタテ線が何本も現れる。 なんだろうとおもっていると、それが死刑台への13階段だということが分かる。 また、スポットライトを浴びた部分だけが着色されず、線だけの映像になる。
 ルパンや次元のタバコを吸うところをはじめとする、登場人物のしぐさの、あまりの決まりよう。 セリフひとつも、洗練されていて、そんなに何回も見たわけでもないのに、実に印象的で覚えているセリフの、多いこと多いこと。
 ガードレールを伝って走るカーチェイスなどは、「カリオストロの城」 のカーチェイスよりも勝っている、と個人的には思う。
 さらには、マモーの城における、シュールレアリズム絵画の転用。
 マモーが火に包まれて死ぬ瞬間は、これこそアニメでしか表現できないシーンだ、と言っても過言ではない。

 それに、話自体が、やたらとスケールがでかい。

 当時確か、クローン技術というのは、ようやく現実的になり始めたばかりのころだったと思う。 だから、マモーのクローン技術には、ちょっと荒唐無稽なところも、今から考えると確かにあるのだが、マモーの意識が1万年も続いている、神の領域である、という話のスケール感は、当時の中学生には、あまりにもショックだった。 マモーが最後、巨大な脳ミソになっている、という展開の仕方も、当時にしてみれば、ハリウッド映画も凌駕する発想だった、と思えてならない。

 とどめに、三波春夫氏の破壊的なパワーも、子供心には相当加味されていた。
 当時、音頭というのは、実に前近代的に私たちの世代はとらえていたが、それをまさに逆手に取った、この映画のエンディング曲、「ルパン音頭」 は、こんなのもありか、という衝撃を、私たちの世代に与えた。 たぶんこのインパクトが、「20世紀少年」 などにも受け継がれている気がする。

 今にして思うと、Aプロダクション、という、高畑勲氏や宮崎駿氏の作りだした、または、当時テレビで頻繁に放送されていた第2シリーズの赤ルパンの、変にヌルいルパンに、当時の私はすっかり洗脳されていた、と言っていいだろう。

 今、第2シリーズのルパンをたまに見たりすると、かったるくて最後までとても付き合っていられない。 だが、当時はそれが、まるで金科玉条のように、「ルパン三世」 の王道に見えていたのだ。

 この 「ルパンVS複製人間」 は、その当時の私の認識を根底から覆すほどの、エネルギーに満ちていた。

 だから、ルパンの顔が違うとかいうこだわりなど、どこかにふっ飛んでしまった、と言っていい。

 要するに、「ルパン三世」 というのは、山田康雄サンなどの、声優陣がそのまま出ていれば、キャラクターデザインなどどうでもいいのだ、という認識を、当時の中学生は、強く持ったのだった。

 事実、このあとも、さまざまなキャラクターデザインのルパン三世が登場した。 モンキー・パンチ氏のルパンにいちばん近いのは、なんといってもピンクのスーツのテレビシリーズだと思うが、だけど、見ている側からすれば、そんなこたどうだっていいのである。

 ルパンは、無限に複製されている。
 そう考えると、この劇場公開映画第1作目のルパンというのは、マモーではなく、ルパンの今後を暗示していたようにも思えてくる。

 ただ、この映画のインパクトがあまりに強すぎたせいで、宮崎駿氏が手掛けた次作、「カリオストロの城」 は、単なるお姫様救出の話みたいで、いかにもヌルいルパンの代名詞みたいな印象を持たざるを得なかった。
 公開当時、ちっとも支持されなかったゆえんである。

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コメント

来週ロードショーです。カット版ですが。
仲違いの場面で「キチガイ」という台詞があったりしてNC版、放映できないのですよね。前半のマモーがルパンファミリーを追い詰める件がかなり削られて後半のカタルシスが減衰しちゃう。まー、小学校に上がる前後に初見の私は、それでもキツかったです。

>次元の制止を振り切って言ったセリフ
>ルパンの存在意義にもかかわる重要な台詞
これも意味ありげな会話している以上の認識は当時、無かった。ただ監督&脚本の吉川氏が後に製作に関った「装甲騎兵ボトムズ」(1983年)。

http://www.youtube.com/watch?v=QlQlGlWLo9M

「ルパンVS複製人間」が、この作品のルーツになっていた。
第1話で主人公が拷問死、生存して空路で逃走、ライバルは追撃の決意を固めるとか(笑。で、終盤に宇宙を支配していた神の所に赴く事になり戦友と仲違いしちゃうのですが、最終回で神を名乗り自分の運命を弄んだ者への復讐心を明らかにする。
これを観て「ルパンもそうだったのか」と納得しました。「ボトムズ」では戦友どころか恋人である女戦士の制止も振り切っていて、マモーに挑むルパンにとっても不二子の存在すら枝葉の要因になっていたんじゃないかと。

「俺の運命は俺が決める。そうでなければ俺が生存している価値など無い。これは俺が俺であるための戦いだ」と。
他作品でこれに類するカッコよさをルパンが見せる事はもありますが本作の凄い所は全く台詞で語らせない事。むしろ前半では女好きな面を強調して意図的に解り辛くし(ターニングポイントがマモーがルパンの意識を調べる件なのですが、これも表層意識の卑猥描写がカットされちゃうから)、次元との関りの中でそれを見せている。
一流のハードボイルドである次元ですら理解しきれない、持ちえない「超」の領域を持つルパン。それ故に次元はルパンに惹かれ、コンビを組みながら、この土壇場でついていけず、後から追いかけてくる。今夏に次元のスピンオフ作品が製作されるそうなので、この辺りの二人の関係を上手く描いて欲しいです。

で、この作品で結局、ルパンに拮抗する信念を持ち
真に対等なのは銭形なんですね。
マモーが神を目指してクローン技術を開発したのか、
その逆なのか不明なのですが「死」を超越しようとしたのは
逆を言えば「死」からの逃避でもあり、対して
ルパンと銭形の信念はそんな死生観を超越している。
場面ごとの台詞回しがカッコいいだけでなく
互いのスタンスや関係性まで示唆しているのが奥が深いです。

>「カリオストロの城」
今、観るとルパンより銭形に肩入れしています。この作品におけるルパンのポリシーって、未来少年コナンと変わらない。銭形は中間管理職に貶められ、そんな中で不二子と裏で組んでクビ寸前のアクラバティックなやり方で
「エライさんの事情なんか知ったこっちゃねぇ。悪党にはワッパをかける」
というポリシーをしっかり貫いています。個人的には銭形版「カリ城」であるTVSP「炎の記憶」の方が本家より好きですね…。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

このレビューは自分なりにかなりの自信作だったのですが、反応をいただいたのは巨炎様が初めてでした(ハハ)。

「カリ城至上主義」 みたいなものが世間を席巻していたころに比べると、現在はルパン三世に対する批評もだいぶ深化してきたような気がいたします。

巨炎様はカリ城の銭形にシンパシーを感じていらっしゃるようですが、ルパンのちょっとずっこけた王子様みたいな描かれ方と同時に、私はカリ城での銭形も、ある程度の距離感をルパンに対して保つことで生じる安心感のなかに埋没している、というように感じます。

などと書くと難しいですが、要するに悪党をつかまえることがオレの生きがいなんだから、すんでのところでどこか確信犯的にルパンを逃がしてしまうような、多少の甘い部分があってもいーじゃないか、という自己弁護じみたものを感じるのです(まだ噛み砕けてないな)。

その象徴的なセリフが、近年なんだか受け手の嫌悪感を増しているよーに感じる(笑)「ルパンはとんでもないものを盗んでいきました、それはあなたの心です」 という、くっせーえセリフ(ハハ)。

そしてどっかの立憲君主国家みたいなところで埼玉県警のパトカーを強制稼働させてるよーなお遊び感覚、つーか(笑)、それが 「自分とルパンのあいだにある程度の距離感を保つことに自らのアイデンティティを見い出している」 というように見えるんですね。

それが、近作の 「不二子という女」 ではそのなあなあ感を完全に払拭している。 銭形だけでなく、次元も五ヱ門も、ルパンとの 「ちょっと間違うと一触即発」、というタイトな関係を保っていた。

だけどかの作品、正直言って難解すぎて、特に終わりの数回は半分くらいしか理解が出来なかったです(基本バカなんで)。

でも 「複製人間」 は、難解さもきちんと分かりやすく説明されていた気がする。 時代が現代のようなカルト的な説明を作品に対して求めなかったということが大きいんでしょうけど。 「不二子という女」 は、確実に 「エヴァ」 以降のアニメの難解さをもたざるを得ないんですよ。

まあ出来れば、次元のスピンオフもテレビシリーズ化というのがベストですけどね。 映画にするくらいしか話が膨らまなかった、ということなんでしょうね。

追記 「カリ城」 は傑作中の傑作! それを否定しているわけじゃないんで、あしからずご了承くださいまし。 っていちいち断らなくてもいいのかな(ハハ)。

>山田康雄サンなど声優陣がそのまま出ていれば、
>キャラクターデザインなどどうでもいい
10年ほど前の関連書籍で小林氏のインタビューが掲載されていて「ヤスベェは『自分なしではルパンというキャラクターは成り立たない』という自負があり、言いたい事はどんどん言っていく。自分でもカチンときたことがあった」と述べてます。それだけのプロ意識があったという事で声優陣が一新される中、小林氏だけ残ったのも解りますね。

ヤスベェは墓の下に入るまでルパンだった。
あいつの所にいった時に「俺も生涯、次元だったぜ」
と言えなきゃならん。っという感じ。

小林氏自身も2ndのエンタ性は認める一方でファミリー路線に傾いた事で1stの人間関係が希薄になった事を残念に思っているようです。ファミリー路線とハード路線の明確な暖簾分けもなされていくのでしょうか(90年代劇場版「ノストラダムス」and 「DEAD or ALIVE」が原型か?)。何はともあれ「次元の墓」には期待。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

私は 「お笑いスター誕生」 なども見ていたせいか、山田サンは山田サン、という感覚でしょーか(ハハハ…)。 時にはクリント・イーストウッドであったりしましたもんね。 どちらかというと、イメージ的には野沢那智サンと似た感覚かな~。

どちらも仕事にはめっぽう厳しい、という印象。 だから他人にも厳しい。 仕事しながら殴り合い、みたいな、そういう魂のこもった仕事をする人って、近頃いるんでしょうか。

「キャラクターデザインなどどうでもいい」、というのは、結構反語的に使ったつもりなんですよ(笑)。 特に近年、ルパンのキャラデザにいちいち注文をつける人が多過ぎるよ~な気がして(笑)。 「だってAプロとかマモーのときからキャラデザなんて一定してなかったじゃん」、と言いたくて(笑)。

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    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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