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2009年7月29日 (水)

「佐野元春のザ・ソングライターズ」 さだまさし 前編

 「まじめにやる?」 と元春サンにいきなり探りを入れてくるさだまさしサン。
 佐野元春サンが冗談のあまり通じない人だと認識しているようである。
 元春サンにとっては図星だったらしくて、その結果、今回のさだサンの話は、実にまじめなものに終始した。
 ただ、この人の話は、どうまじめに取り繕おうが、必ず笑えるものが入ってしまうのだが。

 私が今回驚いたのは、元春サンが結構昔からさだサンの曲を聴いているように見えたところである。
 確かに、この教養番組のためだけに、あらかじめ予習してきたようなところもある。 だが、今回元春サンがポエトリーリーディングに選んだ 「檸檬」 という初期の曲を、元春サンが 「さだサンの歌のなかで最も好きな曲」 として紹介したことは、元春サンが付け焼刃のにわか勉強でさだサンの歌を聴いてきたわけではないことを、物語っているように見えるのだ。

 実際の話、いきなり冒頭からどういう立場で話そうかと探りを入れられるほど、さだサンと元春サンの曲の世界は、相容れない。
 今回の番組で、「本当はジャズ・ロックがやりたかった」 と語ったさだサンが、元春サンの曲に少しは触れていたとしても不思議ではないが、元春サンがさだサンの曲にアプローチしようとしているところは、あまり想像ができないのだ。

 「檸檬」 のリーディングが終わって、「いい詞だね(笑)佐野クンが読んでくれると、いい詞に聴こえるね」 というさだサン、この詞は春先の歌だという。
 「なぜ春先の歌かというとね、非常に、登場人物の気持ちがせわしないのね。 なにも安定してない不安ばかりのなかでね」

 なるほどな、と思った。
 「檸檬」 に出てくる女性は、相当文学にかぶれた、一種カルト的な魅力を放っている女性である。 歌のなかの男はその魅力に翻弄されながら、やがてその女性とは、必ず別れるだろうという予感を、ぼんやりとだが背負っている。
 その男女の心の動きは、表面上の静けさとは裏腹に、水面下ではせわしなく動いているのだ。 それは、年度末で生活自体が変わっていく春先の精神状態と、どこか通じている。

 ただひとつ気になったのは、「ぼくは聖橋からレモンを投げたことがない」 とさだサンが語っていたところ。
 確かこの曲が発表された当時、NHKFMのスタジオライブだったか、実際に聖橋からレモンを投げたと話していたんだが。

 さだサンが語っていた話で印象的だったのは、「歌にとって大切なのは、匂いである」 というところ。
 「たとえば、田舎の普段使わない部屋の押し入れの匂いと、普段使っている部屋の押し入れの匂いと全然違う」
 「雨が降って来た時にどこに降るかで匂いが違う。 広大な緑のなかで降る雨、都会のアスファルトに降る雨」
 そしてその色、それらを、自分が伝えたい自分の今の気持ちとどう結びつけるか、それが表現方法なのだ、…大要でそういうことを、さだサンは述べていた。
 詩を書く者として、さだサンのこの話には、大いに共感する。

 詞が書けずに困った時、どう切り抜けるんですか?との元春サンの問いに、間髪入れずに 「旅に出るね」 というさだサン。
 「旅に出ると、脳が活性化される」、実にその通りだと、私も思う。
 詩というものは、ただひとところにじっとしていて、生まれるものでは、けっしてないのだ。 いろんなものを見聞きして、初めて自分の表現したいものが生まれる。 そして眼に映る風景のなかから、自分の今の気持ちを切り出す作業なのである。

 毎回ゲストに全く同じ質問をする、というコーナーで、ところどころ、前回の小田サンと同じような答えをさだサンもしていたのは、興味深かった。
 「好きな言葉」、捨てない、あきらめない。
 「なりたかった職業」 野球選手。

 「あと1マイル」 という歌に託した、反戦の思い。
 これも、表現する者としての使命感、義務感から、いやがおうでもわき出てくる気持ちなのである。
 戦争に対して、強い反対の気持ちを有さない人たち。
 その人たちは、人を殺すということに対する想像力を、決定的に欠いている。
 さだサンがこの時話した、「目の前の人間を殺さなければ、自分が殺される」 という話は、その想像力を喚起させる力に満ちていた。

 「いい話をするよね、さだまさしってね」 と笑わせるさだサン、人に共感させるのがとてもうまい。
 昔、さだサンの論調には、若造がこう言っては大変失礼だけれど、というスタンスが、常にあったように思う。 なよなよしているとか、「関白宣言」 の論争とか、常に世間の批判にさらされながら生きてきたさだサンの、それが処世術みたいになっていたフシがある。
 だがこの歳になって、さだサンの主張には、前にはなかったどっしりとしたものが、着実に大地に根を張っているように、私には思えるのだ。

 だから今回のようなまじめ中心の話になっても、ちっともたじろがない。 これが、さだサンが真摯に人生を、社会を見つめてきた結果なのである。

 後編の記事はこちらです↓
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/08/2-e55c.html

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コメント

最近、さださんと山本譲二さんが似てきてませんか?

投稿: ひろ | 2009年7月30日 (木) 11時55分

ひろ様
そーいえばそうですね(笑)。
さだサンの風貌は、髪形がいちばん変わりましたけど、顔の作りも相当変わった気がします。 一時期ヤケに太ってましたけど、元に戻ったんじゃないかな。

投稿: リウ | 2009年7月30日 (木) 13時30分

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