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2009年8月12日 (水)

日航機墜落事故から24年

 1985年8月12日は、自分が物心ついてからいちばんショッキングな出来事の起こった日だった。
 日航機墜落事故である。

 浅間山荘は確か小学2年で、それがどんなに大変なことかも分からなかったし、三菱重工爆破事件なんかも、すげえーとは思ったが、衝撃を受けるまでの情操が、まだなかった。 いまでは三菱重工爆破事件など、顧みられることすらない。

 毎年この時期になると、御巣鷹山に登山する遺族の方々の様子がニュースになるが、これほど長期にわたってそれがニュースになるというのは、いかにこの墜落事故が重大だったかを物語っている。
 だがその登山の様子だけを見ていたのでは、若い世代の方々にはピンとこない向きもあるのではなかろうか。 ぜひネットで調べて、この事故の全容を知ってもらいたいものだ。

 私はその時間、ちょうど日テレのアニメ 「ダーティペア」 を見ていた。 ウィキペディアによると、テレビでいちばん早い第一報が流れたのは、どうやらこの 「ダーティペア」 の番組中だったようだ。
 これは、ちょっと私の記憶と違う。
 私の記憶違いかもしれないが、「羽田を発った日航機にトラブルが起きた」 というニュースを知ったのは、もっと前である。 午後6時半くらいだった気がする。 つまり、異常が起こってから15分くらいで、私は第一報をテレビで見ていたことになる。
 「ダーティペア」 を見始めた時はすでに、その動向がどうなっているのか、とても気になっていた覚えがあるのだが。
 ウィキでの 「第一報」 というのは、墜落のニュースが入ったということかもしれない。

 それからは、1週間以上、テレビ局は特別編成になった。 今のニュース主体の基準から考えると、大したことがないレベルだったかもしれないが、こうしたことはかつて見たことがなかった。

 この事故の何が衝撃的なのかというと、最初の機体損傷が起こってから40分もの間、乗客たちが死の恐怖と闘い続けた、ということである。 その機体損傷により、機体はほぼ、操縦不能状態に陥った。 激しく乱高下する機体のなかで、乗客たちが何を考えたのか。 それを如実に語ったのが、乗客たちが遺した遺書である。

 このぐしゃぐしゃの字で書かれた遺書に、当時私は凍りついたものだ。
 もし読む機会があれば、ぜひ若い世代には、読んでもらいたい。 ネットで検索すれば、出てくると思うのだが。

 私はその日の深夜、ラジオでアナウンサーが、乗客名簿を無機質な声で読み上げるのを聴きながら、あの世に数珠なぎになって向かっていく人々の姿を想像していた。 相当なショックだった。
 その数年後、私の小学校時代の友人が、別の飛行機事故で亡くなった。 ヒマラヤの山中に衝突したのだった。
 私は、それ以来、飛行機に乗るのは絶対にやめようと決心した。
 しかし、仕事でどうしても乗らなければならないときもある。
 冗談抜きにして、拷問である。
 自動車よりも安全だ、と言って笑う人もいるが、自分はそういう割り切り方ができない、不器用な人間なのだと思う。

 なによりも、この24年前の日航機墜落事故が、未だに私の飛行機嫌いの原点になっていることは、確かなことだ。

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