« 「ヤッターマン」 仕掛けだらけの最終回 | トップページ | 「チューボーですよ!」 松山ケンイチクン、なかなか好青年です »

2009年9月28日 (月)

「天地人」 第39回 結局ドラマを引っ張っていた、小栗旬クン

 どうも、見くびり続けてきた、「天地人」 ですが。
 先週の関ヶ原に続いて、今週も見ごたえ、ありました。

 正直なところ、全体的にはとても良質とは言えないこのドラマでしたが、ずっと悪かったわけでは、ありませんでした。
 個人的な感想ですが、なかなか語り口がうまいと感じることも、結構ありました。
 ただ、よくなってきたかなと思うと、またどうしようもなくなる、その繰り返しだった気がします。

 今回小栗旬クン演じる石田三成が処刑されてしまうのですが、そこに至るまでの話の組み立て方のうまさには、感心しました。
 そして小栗クンが、このドラマを引っ張っていたことを、この期に及んで初めて感じました。

 長澤まさみチャン演じる初音と、石原良純サン演じる福島正則、上地雄輔クン演じる小早川秀秋の、三者三様の三成像。 あ、常盤貴子サンのお船もいましたね、四者でした。
 この四人の証言を、妻夫木クンがつぎつぎと聞いていくのですが、そうすることによって、三成の人となり、兼続に託した思いが、立体的に浮かび上がってくる、という演出です。

 架空の人物である初音は別として、いずれにせよ、実際にこの人物たちと三成が、今回のドラマのようなコンタクトをとったとは、およそ考えられません。
 けれども、いくら荒唐無稽な設定であっても、三成と福島、小早川が関ヶ原以降、話を交わしたとしたらどうだったのか?という、興味深い物語をあえて想定しているところが、ドラマとしてうまい、と思うのです。

 それに、罪人の三成と話をするのは、どうしても福島と小早川でなけれはならなかった、という必然性も、感じます。
 というのも、このドラマに限って言えば、福島は家康にだまされた、という武将たちの象徴として存在する必要性があったし、小早川は裏切り者の苦悩を表現する必要性があった、そう私には思えるのです。

 そして、妻夫木クンがその人々から伝え聞く、三成の最期の日々の様子は、回想であるがゆえに、人物を失った無念や、さまざまな思いが増幅される、という効果を生んでいる気がします。

 小栗旬クンは、何年か前に、同じNHKの大河ドラマで、石田三成の幼少時代を演じていた、ということもあってか、先週の関ヶ原に続いて、三成がまるで小栗クンに乗り移ったかのような、迫真の演技でした。 年季が違う、というか。 必然(…オーラの泉?)、というか。

 妻夫木クンが回想する、三成とのシーンは、ちょっとボーイズラヴみたいな危うさもありましたが、兼続と三成の友情というものが、このドラマのひとつの柱だったんだなーということを、感じさせて余るものがありました。 ちょっと、見ているこっちも、ぽっかり穴があいたような気分。
 その友情を失った妻夫木クン、三成の遺志を後世に語り伝えようと決意しますが、目の前に立ちはだかるのは松方家康、なかなか前途多難なようであります。

|

« 「ヤッターマン」 仕掛けだらけの最終回 | トップページ | 「チューボーですよ!」 松山ケンイチクン、なかなか好青年です »

テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521783/46332669

この記事へのトラックバック一覧です: 「天地人」 第39回 結局ドラマを引っ張っていた、小栗旬クン:

« 「ヤッターマン」 仕掛けだらけの最終回 | トップページ | 「チューボーですよ!」 松山ケンイチクン、なかなか好青年です »