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2009年9月

2009年9月29日 (火)

「チューボーですよ!」 松山ケンイチクン、なかなか好青年です

 ちょっと遅くなってしまいました。 ここんところ、忙しくて。 ちょっと肩の力を抜いた記事ですけど、お届けします。

 2009年9月26日の 「チューボーですよ!」、ゲスト松山ケンイチクン。 「カムイ外伝」 の宣伝目的だろうな、とは思ったんですが。
 それにプラスで、番組提供であるサントリー絡みの 「ペプシネックス」 のCMもやっているし、そのせいで、およそ彼のキャラとは合わないような、料理番組に駆り出されたような感じだったかな。

 登場の仕方も弱々しくて、堺巨匠から早々にダメ出しを食らう始末。
 枡田絵理奈アナの、例の長ったらしい紹介でも、「和製ジョニー・デップ」 と言われて、彼はとても照れくさそうな表情でした。 なんともやりにくそうです。

 ホリプロのオーディションで、16,572人のなかから選ばれた、という経歴を紹介した枡田アナは、巨匠が 「1万人以上の…」 と言いかけて、「16,572人です!」 とすかさず割って入り、「1回覚えたから2回くらい使いたいよな(笑)」 と、とても的確な返しを頂いてました(笑)。
 それにしてもこんな細かい数字まで覚えている枡田アナ、このゲスト紹介に命を賭けているっていうか…(笑)。

 なのに、こんなにウケているのに、となりで黙々と包丁を動かす松山クン。 巨匠 「ハハハ!…(シラ~ッ)(咳払い)…あのーなんか、オーラもあるんだけど、バリアもあるなぁ」(笑)

 和製ジョニー・デップと言われて、じゃオレは和製なんに見える?と巨匠から訊かれた松山クン、真剣に考えたあと、「和製チャップリンじゃないですかね?」 と、その理由まできちんとしゃべる。 とっつきにくそうに見えて、なかなか好青年じゃないですか。

 枡田アナ、すかさず 「ちなみにワタシ結構、和製アンジェリーナ・ジョリーとか言われます」 と、…話に乗ってきたのはいいのですが、…シーン(笑)。 松山クンも、なにもなかったように、豚肉を切り続けます(笑)。 女性に合わせるとか、そういう神経は、まだお持ちではないようです(笑)。

 巨匠から、「言葉に味わいがあるよね」 と言われ、「ぼく青森出身なんで、ちょっと訛ってるんです」 と照れ臭そうに話す。 なるほどなあー、この雰囲気って、そうですよね、東北出身者独特のものがありますよね。 みょーに納得しました。

 今日のメニューは、カルボナーラ。 「パスタが好きなんですよ」 と話す松山クン、巨匠から 「じゃベスト3は? 第3位、ドン!」「鰻(うなぎ)です」(笑)。 根がマジメみたいなので、こういうところは狙ってなくて面白いですよね。 一同ズッコケ(笑)。
 堺巨匠のズッコケは、もう職人の域ですが、枡田アナのズッコケも、とてもシロートには見えないズッコケでした。 なんか、毎度書いていますが、侮れないよなー、枡田アナ。

 そして松山クンの好きなパスタベスト3!…って別にいーか(笑)。
 3位がミートソース、2位が納豆スパゲティ、1位がカルボナーラってことらしいですけど、クリーム系がお好みらしいです。

 自炊がお得意だそうで、ハンバーグは母親よりも自信があるとのこと。 山イモを結構入れると、とろけるようなハンバーグになるそうです。 へえー。 いいこと聞いちゃったっと。

 「カムイ外伝」 の話から、忍者のポーズってあるの?という話になり、「変移抜刀霞斬り」(分かるかなぁ~?分カンネエだろうなぁ~)(厳密には、斬った瞬間に見得を切るときのポーズ、っていうか…)のポーズをとるんですが、動きがないんでどぉーもパッとしない(笑)。 構えを見せて、シーンとしたところに、「…(コレ)です」(笑)。
 巨匠から、「もうちょっと殺気出して」 と言われ、下から睨みつけるような顔をして、「それつくりすぎたよ」(笑)
 いちいちやることが、まっ正直すぎます(笑)。 いや、ますます好青年の印象が、強くなってきました。

 恋愛の話になって、「UNOをやってるときとかはすごい輝いているんで、そういうところは見てほしいですけど」(笑) UNOって、カードゲーム。 枡田アナは、資生堂ウーノのコマーシャルだと思ったようです(笑)。 そりゃ勘違いしますって(笑)。 いい男ですからね。
 結婚することにも、なんかイメージがわかないらしくて、「結構離婚する人とか、多いじゃないですか」 と、離婚2回もしている堺サンの前で言ってしまうところも、まっ正直で、いいじゃないですか。

 ところで今回のこのスパゲティカルボナーラ、枡田アナがゆで汁の投入を堺巨匠に言わなかったことがアダとなって、卵はカタマリまくり、もうボソボソの、ヒッドイ出来になってしまって。
 まるで福岡名物(※)のお菓子、鶏卵素麺みたい(笑)って、そりゃ言い過ぎか(笑)。 「サイアク」「これじゃ卵そぼろだよ」 というあたりは、もう大爆笑しまくりでした。

 こりゃ完全に無星だろうなーと思っていましたが、「モサモサしてますけど、おいしいです」 と、松山クン、完食。
 そして、星0.5。 「よく0.5も下さいました」(笑)
 いやー、つくづく、好青年だなー。

 バラエティに出ると、その人がこんな人なんだなーというのがよく分かるんですけど、私が今日松山クンから受けた印象は、青森県人気質なのか、素朴だけれどもしっかりとした、大地に根をおろしたような雰囲気の人なんだなー、ということでした。 いろんな役をこなしている松山クンですが、その気質が役者としてのこだわりに結びつくと、こりゃ大きな力になるんだろうなー、ということを感じました。

 ※あ、鶏卵素麺って、福岡だけじゃないみたいです。 念のため。

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2009年9月28日 (月)

「天地人」 第39回 結局ドラマを引っ張っていた、小栗旬クン

 どうも、見くびり続けてきた、「天地人」 ですが。
 先週の関ヶ原に続いて、今週も見ごたえ、ありました。

 正直なところ、全体的にはとても良質とは言えないこのドラマでしたが、ずっと悪かったわけでは、ありませんでした。
 個人的な感想ですが、なかなか語り口がうまいと感じることも、結構ありました。
 ただ、よくなってきたかなと思うと、またどうしようもなくなる、その繰り返しだった気がします。

 今回小栗旬クン演じる石田三成が処刑されてしまうのですが、そこに至るまでの話の組み立て方のうまさには、感心しました。
 そして小栗クンが、このドラマを引っ張っていたことを、この期に及んで初めて感じました。

 長澤まさみチャン演じる初音と、石原良純サン演じる福島正則、上地雄輔クン演じる小早川秀秋の、三者三様の三成像。 あ、常盤貴子サンのお船もいましたね、四者でした。
 この四人の証言を、妻夫木クンがつぎつぎと聞いていくのですが、そうすることによって、三成の人となり、兼続に託した思いが、立体的に浮かび上がってくる、という演出です。

 架空の人物である初音は別として、いずれにせよ、実際にこの人物たちと三成が、今回のドラマのようなコンタクトをとったとは、およそ考えられません。
 けれども、いくら荒唐無稽な設定であっても、三成と福島、小早川が関ヶ原以降、話を交わしたとしたらどうだったのか?という、興味深い物語をあえて想定しているところが、ドラマとしてうまい、と思うのです。

 それに、罪人の三成と話をするのは、どうしても福島と小早川でなけれはならなかった、という必然性も、感じます。
 というのも、このドラマに限って言えば、福島は家康にだまされた、という武将たちの象徴として存在する必要性があったし、小早川は裏切り者の苦悩を表現する必要性があった、そう私には思えるのです。

 そして、妻夫木クンがその人々から伝え聞く、三成の最期の日々の様子は、回想であるがゆえに、人物を失った無念や、さまざまな思いが増幅される、という効果を生んでいる気がします。

 小栗旬クンは、何年か前に、同じNHKの大河ドラマで、石田三成の幼少時代を演じていた、ということもあってか、先週の関ヶ原に続いて、三成がまるで小栗クンに乗り移ったかのような、迫真の演技でした。 年季が違う、というか。 必然(…オーラの泉?)、というか。

 妻夫木クンが回想する、三成とのシーンは、ちょっとボーイズラヴみたいな危うさもありましたが、兼続と三成の友情というものが、このドラマのひとつの柱だったんだなーということを、感じさせて余るものがありました。 ちょっと、見ているこっちも、ぽっかり穴があいたような気分。
 その友情を失った妻夫木クン、三成の遺志を後世に語り伝えようと決意しますが、目の前に立ちはだかるのは松方家康、なかなか前途多難なようであります。

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2009年9月27日 (日)

「ヤッターマン」 仕掛けだらけの最終回

 去年(2008年)冒頭からタツノコプロのアニメとして約30年ぶりに復活し(OVAとかあったけど)、実写版としても深キョンのドロンジョ姿などで大いに話題になったにもかかわらず、アニメ版のほうは日曜日にブッ飛ばされて、以降細々と続いていた 「ヤッターマン」 が、とうとう終わった。

 日テレの平日午後7時における番組編成は、TBSに毒されたものとしか思えないのだが、そのあおりを食らった月曜のアニメ枠。
 いずれにしろ、ケータイやネットに侵食されている視聴者層を全く考慮していないことに、テレビ局側の感覚のずれを感じる。
 そのゴールデン帯から放送時間が日曜日の午前7時などという、ダレが見るのか?みたいな不毛の時間帯に移動したときから、「ヤッターマン」 が先細りで消えていくだろうことは、目に見えていた、と言っていいだろう。

 日曜日にスッ飛ばされた 「ヤッターマン」 は、ドクロベエの孫というドクボンの登場で、ドロンボー一味の影が、すっかり薄くなってしまった。 また、ドクロリングを狙うハンターたちを登場させることで、ますますドロンボーたちの存在する意味が、なくなったと言える。
 どうしてそういうことになったのだろう。
 「ヤッターマン」 というのは、ドロンボー一味で成り立っているアニメではないのか。

 日曜に放送時間が移行してからは、旧作から30年来の、ドロンボー一味の声優である、小原乃梨子サン、八奈見乗児サン、たてかべ和也サンのテンションも、非常に低くなったような気がしていた。
 言ってみれば、画面のドロンボー一味のテンションに、声優サンたちが、ついていっていない、という感じ。
 これは、声優サンたちの年齢を考えれば、至極当然のようにも思えるが、ゴールデンでやっていたころは、まだテンションが高かったように、私には思えるのだ。

 ラストに向けた 「ヤッターマン」 は、3回連続でその歴史を閉じる物語を作り、なんとかドロンボーの声優サンたちに、花道を作ってあげたような感じがする。 ヤッターマンたちのストーリーが終わってからも、まだ10分程度残っていた放送時間で、ドロンボーたちのその後を追いかける、という演出には、そんなスタッフたちのねぎらいの気持ちが見えるのだ。

 はじけたシーンのテンションこそ上がらなかったものの、ラストの10分における、小原サンたちの演技は、ちょっとこちらの涙腺を、刺激するものがあった。
 ドクロベエ役の滝口順平サンについては、終始変わらぬテンションだった気がするが、やはりラストに向けての滝口サンの演技にも、ある種の感慨が含まれている気がした。

 これは、昔からタイムボカンシリーズを見つづけてきた世代にしか分からない、共通の感情であるように思える。
 この先、劇場版アニメが作られるとか、その可能性がないわけでもないが、テレビシリーズとしての 「ヤッターマン」 は、これで完全に最後となるだろう。 30年というその年月の長さは、いやがおうでも、我々(私だけでしょーか?)を感傷的な気分に駆り立ててしまうのだ。

 ただ、最終回の 「ヤッターマン」 は、そこらじゅういろんな仕掛けがしてあって、さすがにコメディアニメの常道を行く終わりかただった。

 まず、オープニングの歌が、30年前のオリジナル。 …ですよね? この部分だけモノラルだったし。

 それから、ドクロベエから本当の願いを引き出されたドロンボー一味の、トンズラーの願いが、ステージで大勢の人の前で歌を歌う、というものだったのだが、これってそのまんまジャイアンの願い(笑)。 「オーレーはジャイアーン」 と歌ったら、完全にアレなんですけど(笑)。 権利上の問題なのか、それはなかった(笑)。 そのかわり、土管の上でボエエエーっ、とか(笑)。

 そしてドロンボー解散を受けて、ドロンジョとトンズラーが、タイムマシンに乗って未来と過去に旅立つ、というくだり。 なんでいきりタイムマシンなのか?って言ったら、やはりドラ○もんからの発想でしょう(笑)。

 あと、ドロンジョの素顔を、これでもか!というくらいに見せたこと。
 ここまであからさまにドロンジョ様の顔を見たのは、初めてだった。
 しかも一瞬の顔見せではない。 結構いろんな表情を見せてくれた。 サービス程度でちょっとだけだろう、と思っていた私は、それにちょっとびっくりした。

 仲間と別れ、それぞれの場所に向かうドロンボー一味に、旧シリーズからのさまざまなデータがスーパーでかぶる。 これは、ストップモーションにしながら楽しみたいデータである。 ドロンボー、お疲れさま!という、心憎い演出だ。

 そして、てんでバラバラになったはずのドロンボー一味が、やっぱりドロンボーがいいってことで、再び集結する、というラスト。 番組は終わるけど、ドロンボー一味の絆は、永遠だよっ!という演出で、振り返ってみるとすごく泣ける終わりかたではないか。

 そこにまた舞い戻って来たドクロベエ。

 ドクロリングは、今度は50個だった! ポペー!! というオチ。

 しかも、である。

 何と、次回予告のオマケ付きだった!(笑)

 「この予告はウソです」 のただし書き付きだったが、その内容が笑わせる。
 「ついに49個のドクロリングが奪われ、残るリングはあとひとつ!」「取られすぎじゃねー?」「ペリカンが子育てに夢中で戦闘不能だコロン!」「子煩悩だしぃ~」「突然そこに現れた、ヤッターマン11号の正体とは?」「多くね?」「そしてついに激怒したヤッタージンベエのオキアミ砲が月を砕く!」「げべー!」「次回ヤッターマン、『エヘッ♡水着だらけのビーチバレー対決!』『何!?ドクロリングの次はドクロパンツ7枚!?だコロン!」(笑) ドクロリングがこれだけじゃなかった!みたいな展開を、自虐的にパロディにしているタイトル(笑)。

 しかもアイチャン、ビーチバレーでブラが外れてるし(笑)。 ヤベエ、見たい(笑)。

 …失礼しました。

 最初まじめな論調だったのに、すっかりおちゃらけてしまいました。 論調を戻します(笑)。

 このほかにも、私の分からない仕掛けが、いっぱいあったような気がするのだが、いずれにしろこれは、ギャグアニメとしての 「ヤッターマン」 の終わりかたとしては、我々旧ヤッターマン世代から子供の世代まで、すべてを納得させる終わりかただったと、言っていいのではないだろうか。

 タツノコプロサンの底力を、今作では見た気がする。
 タツノコプロサンの傾向を外野から見ていると、旧作アニメのリメイクに力を入れているようなのだが、吉田竜夫サンの原作から離れたものも、見てみたい気がする。
 しかも、キャラクターデザインは、吉田竜夫サンが描きそうな顔を、正面から取り扱って。

 吉田竜夫サンの描くキャラクターデザインは、現代においてとても個性的の度を増している気がするのだ。 それをいたずらに現代的にアレンジしないままで、現代的なアニメーションに、昇華できないものだろうか。
 「ヤッターマン」 でここまでできたのだから、タツノコプロ作品で育った世代としては、必要以上に期待してしまうのだ。

 で。

 …最後に一言、どうしても言わせて下さい!

 小原乃梨子サン、八奈見乗児サン、たてかべ和也サン、ホントーに、お疲れさまでした!

 …あ、忘れてた、滝口サンもですっ!(笑)

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2009年9月26日 (土)

「ダメージ2」 最終回、これからって人は、絶対読まないで!

 おことわり この記事において、細かい点において認識の誤りが2か所ほど発生しているようでありますが、あえてこのまま掲載いたします。 なにぶん間違っているかどうかの確認が取れないために、安易に訂正が出来ません。 ご指摘を下さった方には改めてお礼申し上げるとともに、不誠実な対応を何卒ご了承いただきたいと存じます。




 いやいやいやいや、なんと言ったらいいのか、「ダメージ2」、最終回。
 あまりに話がどんでん返されまくりで、そういうことかよっ!の連続。
 こうなると、見ている側は、ただひたすら、物語の語り手に、翻弄されるしかありません。

 いや、なんかグレン・クローズ演じるパティ・ヒューズが、どうもこのセカンド・シーズンでは、しおらしすぎると思ってたんですよ。 それが、ラストで、こうまで凄いことをやらかすとは…。
 ファースト・シーズンでは、パティはエレンを、ホントに新米のヒヨっ子程度にしか見ていませんでした。 それがセカンド・シーズンでは、結構いろんな仕事を任せるようになってきたと思っていたんですが、…やはり、それはフェイクだったわけですよね。

 このセカンド・シーズン、エレン・パーソンズが冒頭から誰かを殺したみたいだったんですけど、それがパティだということがだんだん分かってきて…、でも、あっ、いやいや、ここを言ってしまうと、…あ~だけど言いたい!

 こうなりゃネタバレしまくりますけど、これから見ようってヒトは、この先絶対読まないでください! 話がチョーつまんなくなります!

 結局、パティがあの黒人のフィクサーと取引したこと自体が、パティの仕掛けた罠だったわけで。
 それに、またあの、トムですよ!
 あんにゃろー、ファーストシーズンに引き続いて、まただましやがって!…あっ、ただ今不適切な表現がありました、スミマセン。 でも、パティとの大ゲンカとか、自分が解雇された事務所に警告に来るとか、ふり返って考えてみると、はて、あれはなんだったんだ?と思うんですけど。

 それにあの、エレンの銃撃にたどり着くまで、話がどうも錯綜して分かりにくくて。
 どうして司法長官と裏取引をするのに、パティがエレンのホテルまでわざわざ裏金を抱えて出向かなきゃならないのかが、イマイチつかめなくて。
 それもこれも、罠のためだったんですね。 しかもFBIやらその黒人のフィクサー(名前もよく覚えとりませんが)まで一網打尽にするための罠だったとは。
 このラストの見ごたえは、まさに圧巻でした。 何かを考えさせるとか、そこに作り手の言いたいことを感じるとか、そういう物語とは違う、純粋に話の面白さで引っ張る作りになっていました。 実にアメリカ的、とも言えるのではないでしょうか。

 エレンに近づくウェスも、最後までどう動くのか分からなくて。
 エレンとパティの事件が起こるその寸前、エレンの部屋の真向かいに陣取ったわけですからね。
 まさかパティをやったのは、この男なんじゃないだろうかと思いながら、見とりました。
 なにしろ、このウェスという男、デービッドを殺したなんとかっていう刑事に、エレンを殺すようしつこく言われていたのに、その刑事を撃ち殺しちゃったんですからね。
 そんなにエレンのことを思っているのなら、エレンに間違いを起こさせないように、パティを代わりに殺しちゃうとか、考えたわけですよ、こっちは。

 エレン・パーソンズは結局、パティから、婚約者のデービッドをピートおじさんに殺すよう頼んだのが自分だと聞き出せばよかったらしくて、バンバン撃ったのはFBIの監視モニターだったのが分かって、ほっと一安心。
 ただそこまでのセリフが、セカンドシーズン冒頭から、何度も目にしていたけど、こうやって見ると、何となくパティに向かってしゃべっているようには、なかなか見えなくて、ちょっと不自然なつながりだったかな、という気はします。

 いずれにしろ、ラストでこういう意外極まるどんでん返しを見せられたのは、映画 「スティング」 以来かなあ。 ファースト・シーズンでも、ここまで意外な結末では、なかったですよ。
 まあ、あまりにどんでん返ししすぎて、強引なつじつま合わせかな、ワケ分からなくなっちゃった、みたいな部分もありますけど。

 「ダメージ」、どうも続編が、また作られるらしいです。 パティがトムに、「エレンは帰ってくる」 と話してましたから、帰ってくるんでしょう。
 だけどパティも、今回の件では、夫も息子も側近も失う、さんざんの展開でしたね。 サード・シーズン、ある意味人生のリセットを強いられたパティ、ますます仕事一筋になってしまうのでしょうか。

 しかしまあ、だれーも信じられなくなりますよ、このドラマ見てると! セカンド・シーズンでいちばんウラオモテがなくて分かりやすかったのは、結局、ワルモノのケンドリックでしたね!

 そうそう、ファースト・シーズンのワルモノだったアーサー・フロビシャー。
 すっかり道化役になってしまって(笑)。 あの人が出てくるたび、なんか笑っちゃうんですよ。 最後も健康ランド?みたいの作ってましたよね、いやータフだなあ、この人(笑)。 なんか、このドラマでいちばん憎めないヤツ、ですよね。

 最初このドラマ、短期間で集中放送するNHKのやり方が、ちょっと納得できなかったんですよ。
 どうして週イチでやらないのか。 なんか、レギュラー放送扱いされてなくて、ずいぶんぞんざいな放送の仕方だな、と。
 でもかえって、こうして集中して見せられたほうが、物語を忘れずに済んで、よかったかな、という気がします。 いや、結構 「前回までのあらすじ」 の出来がいいので、カギとなるシーンはそのつど思い出したりできてたんですけどね。

 ああ~、こりゃでも、サード・シーズンも、期待しないわけにいかないなあ…。

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2009年9月25日 (金)

枡田絵理奈アナ、ニュースも読むんだ

 このブログ、枡田絵理奈TBSアナウンサーの記事に、やたらアクセスを頂戴するので、結構需要があるのかな、という判断のもとに、つまらない記事ですけど、ご報告いたします。

 さっき (2009年9月25日午前9時前)、TBSラジオ 「大沢悠里のゆうゆうワイド」 で、枡田絵理奈アナが、ニュースを読んどりましたよ。

 悠里サンが、「明日の 『チューボーですよ!』 でアシスタントを務めています、枡田絵理奈アナです」 とか、あらためて紹介していたくらいだから、たぶん枡田アナのニュース読みは、悠里サンの番組では初めてだったんでしょう。 もしかすると、枡田アナ自身が、初めての体験だったのかもしれません。

 最初は日米の密約があったか否か、という硬いニュースで、枡田アナの緊張がこちらにも伝わってくるような、コチコチの話し方でした。 おかげで内容が、ちっとも頭に入らなかった(笑)。

 2つめのニュースは、緊張も幾分か解けて、実に流暢な話し方でした。 やはり、実力的に、ただならぬものを感じます、枡田アナ。 バラエティのこなしかたもそうなんですけど。

 しかしこれって、枡田アナに報道指向があるってことなのか、新人アナの育成の一環なのか、それはちょっと分かんないです。

 いろんな女子アナが次から次から出てくる昨今ですが、私の見る番組に出てくるだけの理由ですけど、枡田アナには、いちばん注目してるかな。 最初に書いたように、アクセスも多いし、注目してるひとも多いのかなー。 いや、アクセス多いのは、グーグルでの私の枡田アナの記事が、いつまでたってもトップページにあるのが原因だとは、思っているんですけどね。

枡田絵理奈アナに関する当ブログほかの記事

「チューボーですよ!」 2009.4.12 枡田絵理奈アナ、誰かに似てる…
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-6b09.html
「チューボーですよ!」 2009.4.26 気まずい雰囲気… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-2537.html
「チューボーですよ!」 2009.5.3 枡田絵理奈アナの実力が分かってきたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/post-6d87.html
「チューボーですよ!」 2009.5.24 枡田絵理奈アナ、このコは相当できるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/post-4ff2.html
「チューボーですよ!」 2009.6.7 枡田絵理奈アナ、堺巨匠を籠絡かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/post-43ce.html
「チューボーですよ!」 2009.6.14 枡田絵理奈アナ、やらかしちゃいましたねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/post-0b93.html
「チューボーですよ!」 2009.6.21 ニュートラルな貴乃花親方http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/post-e5ce.html
「チューボーですよ!」 2009.6.28 優木まおみチャンと小林麻耶アナの接点http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/post-602e.html
「チューボーですよ!」 2009.8.6 枡田絵理奈アナの、ビックリ特技http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/08/post-3076.html
「チューボーですよ!」 2009.9.6 錦戸亮クン、お初にお目にかかりますhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/09/post-2edd.html
枡田絵理奈アナ、ニュースも読むんだhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/09/post-3d96.html
「チューボーですよ!」 2010.8.15 枡田絵理奈アナ、それを言っちゃあ…(笑) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/post-90ec.html
「チューボーですよ!」 2010.9.5 枡田絵理奈アナ、究極の挑発!(笑) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/post-3c0d.html

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2009年9月24日 (木)

ビートルズ モノ・ボックス聴き始めて2週間、さて…

 早いもので、ビートルズのモノ・ボックスが届いてから2週間がたちました。

 聴くアルバム聴かないアルバムの格差が広がっていた時期もありましたが、最近ではまんべんなく聴いております。 ただ、やはり聴く頻度は、だんだん低下しています。
 これまで何百回となく聴き続けてきたビートルズですから、ここであらためて、さすがにそう何回も、というわけには、いかないようですね。

 しかし、毎度さもしいんですけど、日本盤で四万円近く出して買った以上、聴き倒さねば気が済まぬ、というか。 なんか、聴き方、間違っとるなー(笑)。

 いちばんオニのように聴いていた中学校時代に、自分が戻れればいいのになー。
 そうすりゃ、四万円の価値、じゅうぶんありますわ。

 パッケージングに関しては、非の打ちどころがないほど、このモノ・ボックスは完璧です。 無知だもんだから、紙ジャケのウラっ側に文句つけてましたけど、分かってみればこれが、完璧さの象徴だったわけで。
 しつこいな~オレも(笑)。

 「プリーズ・プリーズ・ミー」 のジャケットの色が、こんなんじゃないとか、これはちがう、あれはこうじゃないとかいう人もいるみたいですが、いやー、コレクターの鑑識眼の厳しさには、とてもびっくりさせられます。 と同時に、ここまでこだわられると、もはやついていけないっていうか。 すごいですよね。 こういう世界があるんだなー。 フリップ・バックなんて、初歩の初歩過ぎて、…って、この話題、もうやめようっと(笑)。

 いずれにせよ、日本盤のモノ・ボックス約四万円、という価格(その後プレミアついてたけど、どうなったのかなー)は、ステレオボックスと比べると、ちょっといくらなんでも高い、という気はします。

 どうしてCD枚数がステレオボックスよりも少ないモノ・ボックスのほうが高いのか、EMIサンに説明をしていただけると、かえってモノ・ボックスの価値も上がろう、っていうもんじゃないでしょうか。
 マニア相手に限定販売のおいしい商売、って理由じゃないでしょうに。
 ワタシ的には、やはり細部までこだわりぬいた紙ジャケの製造が、技術的に難しいからだと思うんですよね。

 それにしても、このモノ・ボックス、居ずまいを正して聴くことを強要されるような気がします。

 つまり、BGMがわりとか、軽く聞き流してしまうと、30数分っていうのは、あっという間なんですよ。

 昔レコードをひんぱんに聴いていた時は、このサイクルで、しかもA面B面ひっくり返していたんですからね。 せわしなかったよなあ。 今は60分なんかざらで、70分くらい、いったんトレイにCDを乗せればおまかせなんですからね。

 しかも、注意深く聴いていないと、自分がこれまで親しんできた、アナログステレオ盤との違いを、聴き逃してしまうんですよ。 ピッチの違いとか大きな違いはすぐ分かりますけど、小さな違いでさえ、聴き逃すのがもったいない感じ。

 今回モノ・ボックスを聴くうえで、いちばん重宝したのが、レコードコレクターズ増刊の、3冊の 「ビートルズ・コンプリート・ワークス」 に掲載されている、森山直明サンのモノ・ステレオ・バージョン違い徹底比較のコラムでした。 いやー、このコラムを、実際にCD聴きながら実感できる日が来ようとは。 それに、これを読みながらだと、森山サンが言及していない違いにも、気付いたりして。

 生きてて、よかったなぁぁ~(しみじみ)。

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2009年9月23日 (水)

「オーラの泉」 信仰とウサン臭さの関係

 はじめにお断りします。 この記事、一部の方には、御不快な点もあると思いますが、あくまで真摯な姿勢で書いております。 説明不足の点も多々あるかと存じますが、なにとぞご了承ください。

 「オーラの泉」、やっぱり終わってしまいましたね。
 と言っても、このところこの番組は、ひと月に一回の放送になってしまって、すでに半分、終わっているようなもんでしたけどね。

 4年半の放送だったとのこと、考えてみれば、この手の半分眉唾ものの番組としては、よく続いたな、という気もします。 スピリチュアルなものの再認識や、日本人の倫理観を問いなおす、という意味では、その役割を終えた、という見方も、できるかもしれません。

 それに、出演を承諾してくれるゲストが、底を尽きてしまったようにも感じます。 番組に出たゲストのなかでは、あからさまに 「こんなものは信じない」 という態度をとっていた(と私が感じた)加藤雅也サンみたいな例もありました。 市川海老蔵サンも、結構茶化し半分だったかなあ。
 そのせいもあるのかな、同じゲストが何回も出てくるようになったのは。

 ただ見ていて、「私は江原信者です!」 みたいな人がいるのには、ちょっと引いたかな。
 分からんでもないですけど、「こんなもの」 とさげすんでいるところを見るのも嫌だけど、「江原サマ」 と盲目的になっているのを見るのも嫌だっていうか。
 ただ、「私は江原サンや、美輪サンの言うことで救われました」 という感謝の気持ちを表すことは、何の間違いもないと思います。 かえってそれが人の道ってもんでしょう。 そこに異議を唱える人は、いないんじゃないでしょうか。

 実は、何かを信仰するときに、そこ(感謝)がいちばんの重要ポイントになるんじゃないのかな、という気が私はします。
 ちょっと話の論点がずれるような気がしますけど。
 あ、断っておきますが、私は江原サンの霊視能力について、こういう人もいるんだろうな、という見方をしています。 以前にも書きましたが、霊能力者というのは、ほとんどが信用できないが、宜保愛子サンや江原サンは、アッチの世界が見えてるんだろうな、という立場です。

 私自身としては、人と向き合って、その人の悪いところをほじくり出して、それをけなす能力にたけているより、その人のいいところを見つけて、その人と出会えたことに感謝する生き方をしていたい。 感謝もできないような人間にはなりたくない。
 だから、美輪サンや江原サンが番組で語ってきた人生の指針に、率直に感謝しています。 そして、何でもかんでもありがたやありがたや、という気持ちにもなっていない。 同じ人間、たまには間違うこともあるでしょう、間違いをひとつも起こさない人間なんていません、…という気持ちでいます。

 江原サンなんかに感じてしまうウサン臭さは、そのスピリチュアルな能力を、生活の糧にしてしまっているところだと思います。
 なんでもカネに結びついてしまうと、感謝するという純粋な気持ちまで、途端に屈折してしまう気がする。
 たとえば江原サンの講演とか、コンサートとか、CDとかにお金を払う人たちは、江原サンにこれまで精神的に助けてもらったという感謝の気持ちでお金を払うのならば、そのお金は純粋に支払われたと思っていい。
 けれども、そうでない人たちもいると思うんです。
 これから助けてもらおうと思っている人たちも。
 そういう人たちは、いわば 「前払い」 をしているわけですよね。
 それで、もし自分の期待通りの癒しが得られなければ、その人たちは、お金を払ったことに、とても不満を抱くだろうな、と思うんです。

 お金が絡むと、こういうややこしいことが起こってくる。

 巷で流行っている宗教も、幸せを 「前払い」 で買おうとしているところに、大きな落とし穴があるような気がしてなりません。 いや、流行ってなくても、昔からそうですかね。 お賽銭なんて、「前払い」 みたいなもんですか。 幸せを前払いで買う、という習慣は、いまに始まったことじゃないですよね。
 習慣的に、お賽銭を投げ入れることに抵抗がないくせに、ツボを買って幸せが来ないことには文句を言う、っていうのは、その金額の大小も確かにありますが、態度的にどうなんだろうなー、という気もします。 ひとの幸せになりたい気持ちや不幸につけ込んで商売しようとする連中を、けっしていいと言っているわけではありませんよ。

 結局、そのお金は、たとえ他人から見て理不尽な額であるにせよ、その神様(相手)に対する 「信頼料」 であると同時に、その人の、その神様(相手)に対する 「感謝」 の形で使われるべきなんじゃないでしょうか。

 どおーも、話があらぬ方向に行ってしまいました。

 なんか、信仰全般に対して、健全な議論がなされていない気がしたもんで。 宗教にお金が要る、という議論には、宗教を信じるかたにも、アンチ宗教の立場のかたにも、「感謝に対する代償」 という観点があまりないことに、違和感を抱いていたもんですから。

 いずれにせよ、初期の 「オーラの泉」 には、オーラの色がどうだとか、お祓いだとか、そのあとよりもずっとウサン臭く見えるような演出が、そこかしこでなされていました。
 これは、深夜でやっていたという強みでもあった気がします。
 テレビは、こんなふうに、もっとウサン臭くてもいい。
 だけど、いくらウサン臭くても、この番組は、より良い生き方とは何なのか、という問いかけに満ちていた。
 それがテレビのもっているパワーの一翼ではないのかな、という気も、私はするのです。
 それが、ゴールデンタイムに移行されたことで、世間の風当たりを受け、どんどんつまらない部分が肥大化していった。
 「オーラの泉」 は、結果的に、そんな不運な番組になってしまったのではないでしょうか。

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2009年9月22日 (火)

約20年前の 「世界ふしぎ発見!」 ビートルズ

 はじめにお断り。 この記事、長いっス。

 TBS 「世界ふしぎ発見!」 で、ビートルズを採り上げるそうです。

 10月の改編期で、「オールスター感謝祭」 をやるでしょうから、おそらく10月17日(土曜、21時~)の放送になるのではないでしょうか(2009年)。

 予告編では、竹内海南江チャンがミステリーハンターのようです。
 ということは、海南江チャン、2度目のビートルズハンターですネ。
 その記事も書きました、こちら↓
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/20-b498.html

 覚えている人は少ないかな、「世界ふしぎ発見!」 では、過去に1回だけ、ビートルズを採り上げた回がありました。 その時のミステリーハンターも、竹内海南江チャンだったんですよ。
 1991年の、10月26日。
 ひえー、もう20年近くも前。
 長寿番組ですからねー。
 今調べたら、1986年からですって。
 つまり、番組開始から5年目で、ビートルズをやっていた、ということですな。

 しっかりビデオ、とってありました。
 ああ~でも、最後の最後で、途切れちゃってる。

 You Tubeとか、使えればいいんですけど、ああ~、私ヘタレなので、やり方が分かりません。 仕方ないので、いつものように、拙い文章でご紹介しましょう。 サブタイトルは、「来日25周年記念 マジカル・ヒストリー・ツアー ビートルズがやって来た!」。

 まず出だしのCGからびっくり。 いやー、18年前ともなると、時代を感じます。 例えて言えば、スーファミの 「グラディウス」 レベルのドット数、つっても分からんかなー、宇宙に浮かんでいる地球にズームアップする、という方法。 そして現れる、イギリスの地図。

 竹内海南江チャン、ぅ若かぁ~い。 当時はゲジマユメークの全盛でしたから、海南江チャンもマユ、太ぉぉ~い。
 当然ですけど、皆さんお若い。 特に坂東サンは、まだ青年の面影を、何となく残してます。 変わらなくて笑っちゃうのは、黒柳サンは当然として、草野サン(笑)。 野々村クンも、最初のうちは純然たるレギュラーじゃなかった気がするのですが、この回は出てました。 まだ少年、という感じです。

 冒頭、パネルでビートルズのアナログ盤アルバムを張り出したものを紹介する、という、これまたアナログな方法で。 字も手書きだし。 でも当時は、すでにCDの時代でしたよね。 レコードのほうが大きいから、見栄えがするという判断だったんでしょうね。

 ただ面白かったのは、そこで紹介されていたアルバム、公式盤プラス 「マジカル…」 は当然として、そこにアメリカ編集アルバム、「ヘイ・ジュード」 が加わっていること。
 このアルバム、私が唯一、買っときゃよかったなーと思っているアルバムです。 いわゆるジャケ買い、というやつで。 ビートルズのアルバムのなかでは、いちばん芸術的に優れているのではないでしょうか。
 また、来日公演の、半券ではないチケットを紹介したり。 うわ高そう。

 ゲスト回答者は、ドクター中松サン(当時は、まだ中松義郎、と名乗っておりました)に、当時からビートルズファンとして有名だった、藤田朋子サン。

 まずリバプールの港の風景、ペニー・レーン、ストロベリー・フィールドを紹介。 そしてジョンが暮らしたミミおばさんの家、ポールの家を訪ねています。 ミミおばさん、当時まだ、生きていらっしゃったと思うんですが、住んでいるところは違ったのかなあ? 海南江チャン、ジョンの育った家の窓辺で、ハモニカ吹いてました。

 ポールの家は、当時ナショナル・トラストに寄贈されてはいなかったのかな? ポール役の男の子が出てきますが、ポール、左利きだってば。
 ポールの家の真向かいに住んでいたという老夫婦のインタビューもしています。 「ポールはどこにでもいる普通の子どもだったよ。 お父さんが優れたミュージシャンだったから、きっとその血を受け継いだんだね」 という、誰でも答えられるよーなコメント(笑)。 でもあれから18年。 このご夫妻はまだご健在でしょうか。

 ジョージの家とリンゴの家もしっかり行ってますねー。 リンゴの家などは、2階のガラス窓が割られているような状態で。

 クオリーバンク中学校、セント・ピータース教会、リバプール・インスティチュート高校にも行っています。 結構綿密な取材です。 ポールとジョージが、高校時代タバコを吸っていっしょに校長室で叱られたことが、出会うきっかけだった、と海南江チャンが解説していました。 「まったく、未成年がタバコを吸ってはいけませんよね」 と言いながら、タバコを吸う海南江チャン。 「マズー」 と言いながら、実際吸っているように見えましたけど。

 ジャカランダクラブも紹介。 キャバーンクラブは、当時すでに移転後だったかな? そのキャバーンクラブでサプライズゲスト。 あの、初代ドラマー、ピート・ベストサンですよ。 別にサプライズでもないか? 結構アッチャコッチャに、この人顔出してますから。 当時はまだ、市役所に勤めていたらしいです。

 「音楽的にも優れたバンドだったけど、ステージでのジョークが受けていたね。 なかでもいちばん受けたのは、観客にズボンを脱いで演奏してくれと言われて、ジョンもポールもすぐ脱いじゃって。 それでキャーキャー言われてね。 そんなことをするのはビートルズだけだった」

 ここで最初のクエスチョン。 海南江チャンの出題のあいだじゅう、バックでドラムをたたくピートが、ちょっとなんか、物悲しい、というか(笑)。
 「地元のクラブで人気が出てきたビートルズでしたが、まだまだお金がなく、楽器を買うのがせいいっぱいで、マイクがあってもマイクスタンドがありませんでした。 そこで、どこのクラブにも絶対あるものを、マイクスタンドの代わりに使っていたのです。 そしてそれは、ビートルズのトレードマークとなり、それを支えているのが、ビートルズファンの女の子の誇りになったのです」 さて、それはなんでしょう?

 なんか、簡単ですかねー。

 ドクター中松サンの答えは 「いす」。 「たとえこれが別の答えでも、チェアーが正解でございます」 という、ミもフタもないゴーインさ(笑)。 このゴーインさでこの後この番組に出てこなくなってしまったのか?(笑)

 正解は、「モップ」。 モップヘアーって、言いましたもんね。

 「ほうき」 と書いた黒柳サンと野々村クンは、オマケの正解。 ドクター中松サンと、「電気スタンドの柱」 と書いた藤田朋子サンは、ひとしクン人形ボッシュート(なつかしいなあー、ボッシュート)。

 CMも、18年前ともなると、興味深いものがあります。
 「画質新時代 革命児!」 というブラウン管テレビ。 こんなのあったかなーという感じですが、29型衛星放送テレビ・標準価格230,000円というのが目を引きます。 当時はまだ、標準価格というものを、ちゃんと明記してましたよね。

 本編に戻って、デビュー時の襟なしスーツを、父親と一緒に作ったという、ゴードン・メリングス氏へのインタビュー。
 「ブライアン・エプスタインが、清潔で礼儀正しいイメージを作ろうとしていたんだ。 そこで、舞台衣装をやっていた私のところに相談に来てね。 それで、クリーンな感じのする、襟なしスーツを作った」
 そして、アビイ・ロード・スタジオへ。 なんか足場が組まれていて、当時改装工事でもやってたのかな。 いや、なんか、外壁のペンキ塗りかえって感じだな、コレ。
 EMI本社ビルの、「プリーズ・プリーズ・ミー」 の撮影場所へも。 主だったところ、ホントに全部行ってますね。 プリンス・オブ・ウェールズ劇場にも足を運んでいます。 「宝石ジャラジャラ」 発言の、あの場所ですね。

 チャーチルが孫にねだられ、ビートルズに葉巻を送ってサインしてもらうよう頼んだ、という噂の真相を、当のお孫サンに訊いて、それが事実ではなかったことを突き止めるなど、結構突っ込んだこともやっています。
 その、噂つながりで2つめのクエスチョン。
 「労働党の党首だったウィルソンが身につけて国会に出た、と噂された、ビートルズグッズとは、なんでしょう?」

 ドクター中松サンの回答が、また面白い。
 「アーマー」、つまり甲冑。
 ビートルっていうのは甲虫という意味だし、労働党というのは反対勢力だから、アーマーを着ていかなくちゃならない。 絶対にこれです!とまた、自信満々のお答え。

 正解は、「長髪のかつら」。 1問目に続いて、なんとなく髪の毛つながりですな。

 これをウィルソン氏の事務所に電話で尋ねたところ、「つまらんこときくな!」 と、怒られちゃったらしいです(笑)。
 ドクター中松サンは、真相が分からないものは正解じゃございません!と悪あがき(笑)。 いいキャラクターだなあ(笑)。 「ふしぎ発見」 で、どんどん出してくれたらいいのに、…って、無理かなあ。

 ここでまたCM。
 「日立ニュース」、って、あったなあ~。
 日立の社員ひとりひとりを紹介するCMですよ。
 パソコンがちらっと出てきましたが、まーだウィンドウズ95以前ですよね。

 話は当時25年前だった、ビートルズ来日に。
 前座を務めたドリフターズの加藤茶サン。
 まあ、その後も何回か聞いた話でしたが、最初に聞いたのは、この 「ふしぎ発見」 でしたかね。 最初の時間の予定がどんどん短くなって、結局20秒になってしまった、という。 20秒だったっけなー?
 そして、当時まだご存命でいらした、司会のE・H・エリックサン。
 「司会者で、あれほど短い司会はなかったと思いますね。 『レディース&ジェントルマン、ザ・ビートルズ!』 これだけなんですね。 それで終わってから、『ザ・ビートルズでした!ありがとうございましたー』 で終わり」
 さらに、当時まだお元気でいらした、大島渚サン。
 「なんか、生を聴いているって感動が先に立って、元が取れなかったという記憶しかないですよね。 聞いたって言うよりも見たっていう。 豆粒みたいだけども」

 そして当然のごとく、いまはなきキャピトル東急ホテルの、ビートルズが泊まった部屋にも行っています。
 ポールが部屋を抜け出して散歩したという、皇居前広場、ジョンとリンゴが立ち寄ったという、表参道の骨董屋サンも。
 そして、ビートルズがジャケットに日本の福助人形を登場させたり、という、日本の影響を番組では説明していきますが、ここで3問目。
 「ビートルズが日本に影響を受け、『マジカル・ミステリー・ツアー』 というアルバムで自分たちの音楽に取り入れたものとはなに?」

 これも、結構その道では有名な話ですけど。

 またまた中松サンの答えが面白い。 「ジャパニーズドラム」、和太鼓だ、と。 「ビートルズのビートっていうのは、beatなんです。 それに、ロゴを見て下さい、Tの字だけ大きい。 これは、タイコのTです」(笑)
 黒柳サンと坂東サンの答えの取り合いも、いやーパターンですなあ。

 正解は、「民謡」。

 やはり、星加ルミ子サンのソースでしたね。 サイタラブシ(漢字、どんなだったっけなー)ですよ。 「アイ・アム・ザ・ワーラス」 の。

 またまたCM。
 うわっ、ハルク・ホーガンだぁぁ。 「ホソナガぁ~」 って、エアコンのコマーシャル。 なつかしいですなあ。

 最後のパートは、ビートルズ解散に至る道のり。 「アビイ・ロード」 のジャケットから、ポールの死亡説を紹介したり、旧アップル本社のルーフトップにも、行っております。
 4問目、ラスト・クエスチョンは、ちょっと変化球。 当時は問題が、全部で4問でした。
 「ビートルズと同じ勲章を受けた人が作った、当時の若者を象徴するものは?」

 正解は、「ミニスカート」。
 黒柳サン、当時自分も率先してそれをはき、大ひんしゅくをかったけれども、マリー・クワントというそのミニスカートの発明者が勲章をもらったとき、一矢報いた気分になったようです。 うーん、年の功、というか(笑)。 藤田朋子サン、せっかくミニスカートと書いていながら、サイケデリックファッションのほうをとってしまって、不正解。

 ここで正解をしゃべる海南江チャン、ミニスカートのファッションショーという演出ですが、いやー、なんか、いいですねー(笑)。 当時はまだ、色気がありましたね。 まあ、最古参のミステリーハンターだから仕方ないけど、海南江チャンを見るたび、つくづく色気がないなあと思ってたので、この映像は、ちょっとした驚きです。 なにしろ、そのミニスカートが、タイトなんですよ。

 トップ賞は、パーフェクトで、黒柳サン。 ああ~ここで、映像途切れちゃってます。 トップ賞の賞品は、なんだったんでしょーか。 パーフェクトの世界旅行は、イギリス8日間の旅とかなってましたけどね。 私も、死ぬまでに一度は行かねば、と思っています。 飛行機大っきらいですけど。

 今回のミステリーハンターが海南江チャンだというのも、たぶん18年前の映像と見比べ、ということをやるんだろうと思います。 今から楽しみです。
 いやー、長ったらしい記事を最後までお読みいただき、ありがとうございます。 最後にここをポチっとな、…って、私のブログではそーゆーことは、やっておりません(笑)。 あれって、なんなんですかね。 よく分からないんですけど。

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2009年9月21日 (月)

今週の点鬼簿

 なんか、今年はショッキングな訃報が多くて…。

 「クレヨンしんちゃん」 の臼井儀人サン、まさか山の崖から転落して亡くなるなんて。 「若死にするのは善人だけ」(byビリー・ジョエル)って歌を思い出しました。 なんか、運命のいたずらを感じます。 初期の単行本は、よく読みました。 どうにも、やりきれなくなります。

 先週は先週で、「ゴースト~ニューヨークの幻」 の主演男優サン、パトリック・スウェイジサンが亡くなって。 まだお若いのに。 ホントにゴーストになってしまいましたね。 あの映画は、私にしては珍しく、劇場で観ました。 恋愛映画なんか、基本的に見に行かないんですけどね。 感動したので、ビデオも買いましたよ。 5、6回は見てます。 それにしても、もう20年くらい前になりますよね。 月日のたつのは早すぎて、なんか嫌になってきます。

 PP&Mのマリーサンも、72ですか。 年齢的にはまだ、ちょっと早い気がしますが。 そんなにPP&Mは得意なほうではありませんが、人生の所々で、よく聴いていた気がします。 月並みなコメントしか出せませんが、一抹の寂しさを感じます。

 どうも、めげてきますね。 なんか、キンモクセイが、匂ってきた気もするし。 この匂いをかぐと、秋が来たって感じになります。

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「官僚たちの夏」 最終回 アメリカに負け続ける日本

 高橋克実サン演じる鮎川の死で、一字違いの高橋克典サン演じる片山が、それまでの悪役ぶりから一転、まるでその志をバトンタッチしたかのように見えた、「官僚たちの夏」 最終回。

 高橋克実サンの、死の間際にもかかわらず、繊維業界の行く末を案じるその執念、そして 「同志」 を失ったことで男泣きに泣く佐藤浩市サン(風越)、堺雅人サン(庭野)の姿には、冒頭から涙腺が緩んだ。
 鮎川の葬儀の席での庭野と片山のいさかいは、どちらの言い分にも一理あって、それはけっして、死者を冒涜する喧嘩ではなかった、と思う。

 繊維業界が片山や庭野の働きによって持ち直したと思ったら、物語はいきなり風越の退官、という展開を見せる。

 風越の活躍がまだ見られると思った側としては、ちょっと肩透かしを食ったような格好だ。

 風越は退官あいさつのあと、「自分は天下りはしない」 という決意を表明し、自宅で執筆活動とか講演依頼があるとか、「毎日が日曜日」 状態になる。 娘サンの結婚話にも、なんとも間の抜けた反応(笑)をするばかり。

 テレビ欄のサブタイトルを 「天下りせず」 とまでして、TBSは大仰に見どころのひとつとしてそれを最終回の客寄せ文句にしたようだが、現代に至るまで連綿と続く 「天下り」 へのアンチテーゼとするには、本編でのその描き方は淡泊すぎた。
 もっと船越英一郎サンとか、西村雅彦サンとか、ほかの天下りをした連中に、風越が 「天下りをしない」 ことへの評価を語らせるとか、いろんな角度から 「天下り」 そのものの問題点を浮き彫りにしてくれたらよかったのに、と思う。

 だが、このドラマの最終回の主眼は、そこにはなかったのだ。

 小笠原や沖縄返還の見返りとして、アメリカの要求を次々のまざるを得なくなってくる、長塚京三サン演じる須藤恵作首相(佐藤栄作氏)と、それに追随してしまう、風越の後任事務次官、杉本哲太サン演じる牧。
 最終回の主眼は、まさにここだ。
 北大路欣也サン演じた池内首相もいい加減アメリカに屈服し続けていたが、何かと言うと相手に主導権を握られる日本の外交姿勢の 「ひ弱さ」 というものは、実は日本の国益に大きな影を落としているのではないか、という、作り手の主張だ。
 外交は常に、強気で進めなければならないのではないか、という、作り手の声がそこから聞こえる気がする。
 どこかの国を見てみなさいな(笑)。
 沖縄だけでなく、北方領土も同じではないでしょうか。

 そして結局、アメリカへのお追従がアダとなって、繊維業界は大打撃、ざこば師匠も 「タイに行ってやりなおしますわ」 という始末。
 ここでざこば社長のセリフは、官僚たちに対する痛烈な皮肉となって、庭野たちを貫く。

 「行政を頼っていた、自分がアホやった。 やっぱり自分の道は自分で開かなね。 結局、おんなしことの繰り返しや。 通産省は何にも出来なんだ。 …通産省なんか、要らんわい!」

 そして繊維業者たちのデモの波にのまれて、ボコボコにされる、風越と庭野。 2分くらい、スローモーションで、ボコられてました。
 よく考えてみれば、ボコボコにされるべきなのは、アメリカに屈した須藤首相であり、それに追随した牧であるべきなのだが。
 とんだとばっちり、というやつである。 特に風越は、繊維業界を守ろうとした側であるうえに、退職した身なのに。 ここでボコられる、という展開になるとは、思わなかった。

 顔中血だらけ(ちょっと大げさですが)になりながら、つぶやく庭野。
 「少し、休んでもいいですかね…ちょっと…疲れました…」
 それを聞いて、とても情けないように顔をゆがめながら、空を見上げる風越。
 「庭野…日本は…どこに行くんだろうなぁ…」

 これは、「敗北」、という終わりかたである。 決してハッピーエンドではない。 エンドロールのあいだじゅう、その後の日本がたどってきた道を振り返る作りになっていたが、苦いドラマの結末を、まるでタイムマシンから俯瞰するような余韻であった。

 「日本のため」 という大義名分のために奮闘してきた官僚が、民衆に叩きのめされて終わる、というこのドラマのありようは、一方的な官僚礼賛という結論を導き出さなかった点において、大いに評価できる。
 ただそれが、政治の犠牲となったという描かれ方でしか表現できなかったのは、少し残念だ。
 何度も指摘していることだが、もう少し回数に余裕があったなら、こんな駆け足でやらなくても済んだのに、と思われてならない。

 いずれにせよ、このドラマは難しい題材を実に見ごたえのある物語として、エンターテイメントとして成立させていた。

 その特徴のひとつが、「利害関係の単純化」 である。

 このドラマは、物語を分かりやすくするために、自動車業界ならこの人、電機業界ならこの人、繊維業界ならこの人、というように、各業界の代表をまず1、2名に定めた。
 通産省内の対立構図も、国内産業保護サイドと国際自由競争重視サイドの二極に単純化した。 同様に政治家のタイプも、単純化したと言っていい。
 これは専門的知識をもつ人から見れば、とんだ茶番に見えるだろう。
 だが、このドラマで取り扱う話の核である、保護貿易と自由貿易という対立構造自体が、一般人にはなじみの薄いものであり、そもそもこの振り分け方自体が、古い経済学の概念であるような側面がある。
 それをいかにして、我々の生活に密着していた 「自家用車」「テレビ」「オリンピック」「公害」「万博」…という話題と結びつけるか。
 それをコンパクトに説明する試みは、ある程度成功しているように見える。

 「官僚たちの夏」 のような、骨太のドラマは、たとえ視聴率が悪くても、テレビ局の良心を視聴者に伝えるうえで、とても貴重なもののような気がする。
 この10月からのドラマ 「不毛地帯」 で主演をする唐沢寿明サンは、「いくらいいドラマだったと言っても、視聴率が悪ければそれはただの言い訳」 と、確か数日前の毎日新聞夕刊で述べていた。 その意気やよし、であるが、TBSには、どうしたらもっとこういう良心的なドラマを多くの人に見てもらうようにできるのか、けっして大衆に媚を売らない方向で、考えてもらいたいものだ。

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2009年9月20日 (日)

「天地人」 第38回 関ヶ原、これで燃え尽きた…?

 いやー、「天地人」、関ヶ原、やってくれたなあ~。

 こんなにまともに戦闘シーンをやるとは。 ちょっと見直しました。 こんなに力を入れちゃって、いいのかな?と思うくらいの素晴らしい出来でした。 なんか、燃え尽きちゃわなければいいんですが。 大谷も最高。 島左近も、最後にこんな大見せ場が来るとは。 小栗旬クンは、成長しましたね。

 小早川クンの芝居は、出るたびずっこけるんですけど。

 関ヶ原の全景をCGで見せる方法も、賛否両論あるかと思いますが、私はこれはこれでありかと存じます。

 それにしても気になるのは、やはり遠山サンでしょうか。

 なんかすごい、史実からズレて描かれてますよね、この人。

 遠山サンだけでなく、いろんな武将から、祟られなきゃいいんですけどね、脚本家のかた。

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つま恋コンサート、見ています

 南こうせつサンの、サマー・ピクニック、つま恋コンサート中継を見ています。
 NHKBSハイビジョンで、8時までやるとか。

 TBSラジオの 「爆笑問題の日曜サンデー」 で、ビートルズのリマスターの特集をやるとか、そっちも聴きたかったけど、まあいいか、と。 つま恋は、生中継ですから。 それに、爆笑問題にビートルズって、どうもなあ…、と。 ま、ま。 そーゆうことです。

 吉田拓郎サンとかぐや姫がつま恋でやってから、もう3年かな?たつんですねー。 早いなー。 できれば、こうせつサンから、拓郎サンへのメッセージとか、拓郎サンからのメッセージとかがあったらいいな、と思いながら見ています。

 血液型の話とか、トークがやっぱり面白いな。 あっ、「夢一夜」 のイントロ、トチってる(笑)。

 15時10分追記

 ああ~いいです、サマー・ピクニック。

 伊勢サンの 「ささやかなこの人生」、イルカサンの 「なごり雪」、何度も聴いて聴き飽きているはずなのに、ウルウルしてしまいました。

 山本潤子サン、ひええー、もうすぐ還暦ですか。 「卒業写真」、まったくキイが下がってなくて驚愕。 拓郎サンもそうですけど、私も山本サン、愛してます。

 かまやつさんんー、ステージ前にビールですかあ~(笑)。

 見事に歌う曲、とっかえてましたね(笑)。 テレビのスーパーでは 「どうにかなるさ」 なのに、「あの時君は若かった」。 いやー、古希なのに、高音の伸びがすんばらしい!

 そして、ステージ上に皆さん集まって、「我が良き友よ」。
 杉田二郎サン、尾崎亜美サンなども。
 拓郎サンへのメッセージと、受け取らせていただきました。
 なんかジーンときました。

 15時30分追記

 こうせつサン、昨日拓郎サンと電話で長いことしゃべったって。
 「オレは元気だ」「つま恋のみんなによろしく言っといてくれ」 って。
 会場の拓郎サンへの歓声を聞いて、またまたジーン。
 「夏休み」 を歌うこうせつサン、「朝までやるぞーっ!」 と。
 あんまり感動させないでください!

 16時30分追記

 森山良子サン、あなたの歌の間、ずっと涙そうそうでした。 「さとうきび畑」、素晴らしかったです。

 17時20分追記

 松山千春サン、トークが危なかったあ~(笑)。 NHKの話を始めた時には、どうなることかと…(笑)。 結局一線は超えませんでしたけどね。
 それにしても、「長い夜」 を歌ったあと、伊勢サンと石川鷹彦サンを交えて、「22才の別れ」 をやったのには、正直シビレました。 「こういうことは、もう二度とできないと思う」 と千春サンも言っていましたが、ホントに、夢の競演、という感じでしたね。
 いやー、いろいろ仕掛けが待っていて、見ていて飽きないです。

 19時55分追記

 「天地人」 の放送で途切れた部分、こうせつサンと坂崎サンの 「酔いどれかぐや姫」 で、最高に面白かったのになあ~。 小田和正サンとか加藤和彦サンとか、出たみたい。 いや、律儀にいつもの時間帯に 「天地人」 やらなくてもいいと思うんですけど。
 今、クライマックスで、出演者全員で歌ってます。 小田サンと千春サンが同じマイクで歌ってるのって、ちょっと刺激的な構図ですよ。
 NHKBS2で10月に、総集編をやるらしいので、途切れた部分はそこで補完しようかと思います。

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2009年9月19日 (土)

「佐野元春のザ・ソングライターズ」 矢野顕子(前後編)

 別に当ブログのコメント欄をスタッフが読んだわけではないのだろうが、「佐野元春のザ・ソングライターズ」 で矢野顕子サン出演希望、と書いた私の願いが叶った格好。
 全12回のスケジュールらしかったので、最初から予定はされていたんだろうけど。

 でもコメント欄に矢野顕子サンの作曲ロジックが知りたい、とか書いてしまって、正直、ちょっとピントのずれたことを書いてしまったかな、と思っていた。
 なぜなら、私が知りたかったのは、矢野サンの 「作曲」 についてで、この番組の 「作詞」 というテーマとはちょっと外れていたから。

 じっさい、矢野サンのつくるメロディライン、というのは、とても常人には考えつかないようなものばかりだ。
 「春咲小紅」 がヒットしたころ、「平凡」 のヤンソン、だったっけか、(…ふっる~…)歌本にコードが書かれていて、それをギターでよく弾き語りしていたのだが、そのコード変換がせわしなくて、そのうえそれまで経験したことのない転調の嵐だったのに、ちょっとシビレていた。
 そりゃ、矢野サンはすべてピアノで作曲するのだろうから、ギターでそれを追いかけるのは多少無理がある。 だが、このコード展開って一体何なんだろうと、長いこと思っていた。
 余談だが、この 「春咲小紅」、「春先神戸に見に来てね」 という、神戸ポートピア博覧会の誘致曲だとかいう都市伝説があったような覚えがあるのだが…。 誰か詳しく知ってる人、いませんかね?

 今回の 「ザ・ソングライターズ」 では、矢野サンが、深夜ラジオで流れたスタン・ゲッツでジャズに目覚めた、というエピソードを披露してくれて、複雑なコード展開についての長年の疑問が氷解した格好。 そうか、あの独特のコード進行は、ジャズ的な即興フィーリングのたまものだったんだ。

 番組とは関係のない昔話をここでさせてもらえば、私が矢野顕子サンを知ったのは、「いろはにこんぺいとう」 という、変わった歌によってだった。 1977年ころか。
 なんとなくわらべ唄のような、不思議な感覚の歌だった。
 その後YMOの紅一点となってからも、矢野サンという人には、不思議な感覚がつきまとっていた気がする。
 例えて言えば、童女のような。
 彼女は歌うとき、いつも顔じゅう笑っている。
 それは、聴き手にある種の童心に帰るような感覚を呼び覚ます。

 その後FMで、確か子供たちの作った詩に曲をつける、みたいな企画をやっていたと思う。 1982年くらいだった気がする。
 ピアノだけで演奏されるそれらの曲は、どれもこれも、最高に素晴らしくて。
 子供たちの無垢な心と、矢野サンの歌の世界が、見事にフィットしていた。
 また矢野サンと言えばテクノポップのイメージが強かったので、その編成の地味さにもびっくりした。
 それを録ったカセットは友達に貸したまま、ずーっと会ってないので返してもらっていないが、私は矢野サンの真骨頂は、いまだにピアノ一台による弾き語りだと思っている。
 そして、矢野サンの歌う歌詞は、あまり肩肘張らない、変に主張とか力を入れない無垢なもののほうが、その魅力が最大限発揮できるのでは、と考えている。

 矢野サンが採り上げるカバー曲の話も番組内で話題にのぼっていたが、私が一番印象に残っているのは、オフ・コースの 「Yes,No」 である。
 しゃべり言葉で構成されるこの曲に、矢野サンが興味を示した、ということに、なんだか当時、とても納得したのを覚えている。 それは矢野サンが、日常のさりげない言葉に大きな意義を見出している証拠のような気がしたものだ。

 前置きが長くなってしまった。 (またこの記事長ーくなりそーな予感…)

 まず番組では、ニューヨークで猫と生活する矢野サンに言及。 そしてプロフィール紹介V。
 青森育ち。 3歳でピアノを始め、日常の出来事を何でも歌にしてしまっていたとか。
 生まれは違うものの、青森に帰ったということは、ご両親が青森の人だったのかな。 道理で、棟方志功の絵に出てくるようなお顔である。 童女、という私のイメージにも合致する気がする。 ここでひとつ、勘違いかもしれないけど、ミョーに納得。

 佐野サンが選んだポエトリー・リーディングは、「I AM A DOG」。
 この歌詞は、私が先ほど述べた、「肩肘張って主張している」 部類の詞に入るだろう。
 だが佐野サンの読む矢野サンの言葉は、実に先鋭的で切れ味の鋭いものに変貌していた。
 今まで矢野サンの詞に、その個性的な音によって触れてきた私は、そのむき出しにされた言葉の鋭さに、ちょっとびっくりした。
 矢野サンも、「カァッコイイー!…すごぉ~い!…(自分の歌詞って)かっこいいんだね、初めて気がつきました」。

 佐野サンは、同性である女性へのシンパシーを、矢野サンの歌に感じるという指摘。
 女性の反響はいちばん最初に考えることではない、という矢野サン、「自分の友達に語りかける、話しかけるようなもの。 友達に電話でね、『ああそうだよねー』 というのと、机に向かって 『そうだよねー』 というのと、同じ気持ちかもしれませんね」
 「それは、ご自身のなかでは、日常の会話にそのままメロディーが乗っかるという感覚ですか?」
 「…あのー私、自分のことは作詞家と思ったことが一度もないんで。 …自分のなかから出てくる言葉が、音楽と一体化してるくらいに考えてるんですね。 ですから、自分のその時の気持ちとか、考え方とか、それこそ、体調とか、子供が熱出したとか、なんかそういうものがぜえーんぶ相俟(あいま)って、その時の私が何を表現するんだろうか、っていうのが基本だと思うんですね」

 「GO GIRL」 という曲で、「本当のこと知ったから もう うそにはもどれない」 というラインに感銘を受けた、という佐野サン。
 世の中には本当のことを知りたいという人間と、そんなことはどうでもいいという人間が2種類いる。 私は前者の側だし、前者の側に立つ人に聴いてもらいたい、という矢野サン。

 ご自身が採り上げるカバー曲の選考基準は?という佐野サンの問いに、「私には珍しく、言葉が大きな要素を持っているんです。 その詞のなかに、私が、普段生活のなかで口にしない言葉が入っていたら、歌わないです」

 これらのくだりは、私がかねてから矢野サンのつくる歌詞に抱いていたイメージを、そっくり証明してくれたように感じた。
 しゃべり言葉や日常のさりげない言葉。
 佐野サンは、「そこに真実が隠れている場合がある」 と、実に的確な分析をする。

 詞が先か、曲が先か、という佐野サンの興味に対して、矢野サン 「多いのはやっぱり、出だしのメロディができてー、それに、なんか、言葉が、後ろから 『ちょっと待ってー』 みたいにして、追いかけて乗っかってくるみたいなことが多いかな」。
 歌曲のように、言葉のイントネーションとメロディが合致しているものが好きだ、という矢野サン。 うーん、さだまさしタイプ。 決してユーミンタイプでは、ないですね(笑)。

 佐野サンが次に指摘したのは、「愛と寛容」。
 聖書の 「コリントの信徒への手紙」 という一節に矢野サンが曲をつけたことに言及する。
 「これすごいのは、私たち普通、愛っていうと、やさしいとかー、楽しいとかー、そういうイメージがあるのね、それが、『愛は、辛抱強く』、…いちばん最初に、ええっ、ガマン?って。 …私ここ、すごくいいなーと思うんですね」
 「なにがあろうが、愛っていうものは、注ぎ続ける、生まれ続けるものだっていう、それがー、いいなと思っちゃう」

 ジョン・レノンも終の棲家にしたニューヨーク。
 矢野サンも、この街に魅了されているひとりだ。
 「人を磁石のように惹きつける、なにか、巨大なものが、あるんですね」
 佐野サンはここで、矢野サンの歌に共通するもうひとつのキーワード、「ホーム」、家、戻るべき場所、を提示する。
 「ホームっていうのは家族ではないんです。 うち帰ったら誰かが待っててー、カレーの匂いがしてるっていうものに、価値は見出してないんですね。 なんか自分が自分であること、それを、確立する場所、っていうのかな。 人間としての私が、ちゃんと、いられる場所。 そういう人が集まり合ったら家族になる。 理想はね」

 矢野サンの歌には、エキセントリックな側面と、妙に力強い側面がある。 それが自分がクリスチャンであることからくる、信仰の強みだということには、強い説得力がある。 そして表現者としてのエキセントリックな貪欲さが、ニューヨークという街を求めているのだろうな、という気がした。

 後半は、愛に関する5W1Hを、会場の学生から提出してもらい、それに矢野サンが歌をつける、という試み。
 矢野サンの作曲ロジックを知りたい、というピントのずれた要望を持っていた私にも、大満足、大納得のワークショップだった。

 短いフレーズの繰り返しが歌になりやすい、という矢野サン、ひとりの学生が書いた、「ケータイが鳴るのをいつも待っている」 という回答に、即興で曲を作ってしまう。
 これは、彼女が3歳のころから日常の出来事を即興で歌にしていた、という、長年のうちに培われた能力を、まざまざと見せつける一瞬だった。
 ここで私が感じたのは、頭のなかや指先が覚えている、数え切れないピアノの即興パターンからひとつを、瞬時のうちに矢野サンが検索してそれを形にしているさまだった。
 そして矢野サンの行く手には、この学生サンが考えたラインのイントネーションが、そのままメロディになるのを待っている状態だ。

 もうひとつ、映画 「ライフ・イズ・ビューティフル」 を見て1年半ぶりに親に電話した、という回答に、矢野サン、「リライト(書きなおし)して」 と、佐野サンに手渡す。 歌の文句としては、ちょっと冗漫だったようだ。
 佐野サンの書きなおしたそれは、とても素晴らしかった。
 佐野サン 「ぼくたちソングライターは、要するに、ここにリズムが乗ったらどうなるのかとか、メロディが乗ったらどうなるのか、それから小節がここに加わってくるとどうまとまるのか、同時にいろんなことを考えるんですよね」
 矢野サンは佐野サンが書いたものを絶賛していたが、いざ原稿を渡されると、「字が汚い」 とか、「TELしたとか、日本語で書いてくれなきゃ」 とか、結構キツイダメ出し(笑)。
 またできた曲が、すごく素晴らしくて。
 その回答をした当の学生サン、感想を訊かれて 「着ウタにしたい」 それに対して佐野サン、「もうちょっとまともな感想はないの?」 矢野サン大ウケ(笑)。

 このワークショップの最中、矢野サンからは興味深い話がいくつか飛び出した。
 男性の作詞家とばかり組むのは、女性の書くものはどこまで剥(む)いても、私、私、私だから、とか、難しいことを簡単に表現するのが、実はいちばん難しい、とか。

 「世の中って不公平なの。 だからこっちが、考えを変えてあげればいいでしょ」 という矢野サン、あまりにも個性的である矢野サンだからこそ、口にできる言葉だ。 あまりに個性的過ぎて、世間的な風当たりも、これまで結構感じてきたのではないだろうか。
 「自分をじゅうぶん発揮できれば、失敗してもOK」 とは、荒波をくぐってこなければ、なかなか言えるものではない。

 ちょっとピント外れつながりでもうひとつ感想を述べさせてもらえば、今回の 「ザ・ソングライターズ」、私は矢野サンのこういう本格的なインタビューを見たのは初めてだったのだが、彼女のしゃべり言葉がとてもホンワカしていて、とても美しいしゃべりかたをする人だな、と思った。
 特に彼女のしゃべる、鼻濁音。
 「が」 の発音の仕方が、すごくいい。 鼻に空気が抜けるような感じで、「ンが」 という感じ。
 本来、日本語の 「が」 行というのは、すべて鼻濁音なのだが、最近の日本人は、英語の 「GA、GI、GU、GE、GO」 という、ストレートで汚い発音をする人が多かったりする。
 矢野サンの 「が行」 は、青森県人特有なもののように思ったりするのだが。
 と同時に、彼女の歌自体も、この 「が」 の発音の美しさが印象的な歌が多い気がした。

 いずれにせよ、あまり熱心な矢野顕子信者でもない私が、長年ぼんやり思っていたことが間違いではなかったことを確認できたような、今回の 「ザ・ソングライターズ」 だった。

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2009年9月18日 (金)

「任侠ヘルパー」 最終回 腐ったミカンじゃいられない

 はじめ、草彅クンが極道、という興味だけで見始めた、「任侠ヘルパー」。
 おそらく、「あの」 事件を受けての復帰第一作ともなれば、彼の覚悟や意気込みも相当なものだろうと思っていた。

 個人的には、最初のうちは、老人たちをだまくらかして金を巻き上げたりする、話の内容の暗さに、ちょっとついていけないところがあった。 なんだかコメディの部分もあるような前宣伝を読んだかしていたはずなのに、どこが笑えるんだ?という感じだし。 こども店長クンの口を草彅クンがカリメロ ( 例えが古い…) 状態にするところくらいではないか、というか。

 なのにこのドラマ、毎回毎回、話が暗くて、もう見るのやめようと思いながら、どうにもだんだん気になってくる、という、私のドラマの見かたにしては珍しいパターンをたどっていった。
 先週も指摘したが、それは、私たちにとっても切実な問題であり、行政の無力さを痛感するような問題でもある、「介護」 という現実のもつ 「モヤモヤ感」 を、草彅クンが 「やくざ」 という立場から一刀両断にしてくれるような爽快感。 その大きな魅力に引きずり込まれた結果だったのだ。

 だがいくら草彅クンがわめこうが暴れようが、その重苦しい 「現実」 が根本的に解決するわけではない。
 最終回では、その 「理想」 と 「現実」 の構図を、閉鎖された 「タイヨウ」 ホームに立てこもる草彅クンたちと、強制排除をしようとする機動隊たちとの乱闘、という形で、作り手は具体化してみせた。

 この展開を見ていると、私などの世代は反射的に 「3年B組金八先生」 の 「腐ったミカンの方程式」 を連想してしまう。 (←追記 「卒業式前の暴力」 の誤りでした。 訂正します)
 「腐ったミカン」 と呼ばれた不良どもが学校に立てこもったところに警官隊が突入し、乱闘騒ぎになった、アレである。

 今回老人たちの 「現実」 を際立たせるために、作り手はもうひとつ、仕掛けを用意した。
 「介護難民」 だ。
 施設が潰れたため、ゆくあてもなく、劣悪な環境に押し込められ、飼殺し状態のまま、あげく有り金をむしり取られる、という、いわば最下辺の老人たちである。

 異臭が漂うその無届け施設を訪れた草彅クン、たまたまかかってきた電話が、弁護士をかたった違法な取り立て。 とっさに気付いて、相手の化けの皮をはがすのだが、なぜ気付いたかと言えば、自分たちがやってきたことと同じだからなのだ。 サポーターからちらっと見えた刺青が、そのことをいやおうなしに見る側に理解させる。 草彅クンは、さぞやショックだっただろう。 あまりの息苦しさに、草彅クンはたまらず、窓を開けて大きく息を吸い込む。 ここらへんの演出の仕方は、すごい。

 その罪の意識に押しつぶされそうになった草彅クンは、こども店長クンが任侠映画をまた見ていたのを見て逆上するが、こども店長クンは自分からカリメロ状態になって、兄貴の怒りをやり過ごそうとするのだ。 ここらへんもうまい。 草彅クンがこども店長クンを許してしまうのは、自らの罪の意識の故だ。
 母親である夏川結衣サンと無理矢理離され、気丈にしていたこども店長クンの緊張の糸も、ここでぷつんと切れてしまう。 泣きながら草薙クンにすがりつくこども店長クン。 あーなんて、うまい脚本なのか。 オッサンは、ウルウルしてしまいました。

 行政側の代弁者とも言える陣内孝則サンとの、草彅クンのやりとりも、最終回では都合3回ほどあったが、いちいち考えさせられる。 ラスト2回の登場にもかかわらず、ちっとも違和感を覚えない陣内サンの存在も、すごい。
 「認可もない。 医療、健康管理の体制もない。 そんな劣悪な状況に高齢者を押しこんで、介護施設と名乗る。 しかしな、そんなものは介護とは呼ばないんだよ」
 「じゃ何なんだよ。 介護っていうのは。 …教えてくれよ。 頭悪りいから分かんねえんだよ」
 「介護とは何か、か。 頭のいいオレにもわからないな。 たぶん、答えはないだろう」
 「フン…あんたら、答えも分かんねえで制度作ってんのかよ」

 介護難民を押し付けていなくなってしまった男(渡辺哲サン)と遭遇し、背中に飛び蹴りとかスゲーボーリョク振るう草彅クン、「最初にやつらを捨てたのは誰だ? 家族じゃねえか、国じゃねえか! てめえらだけ責任逃れして、全部施設まかせだ!」 とあからさまに開き直られて、なにも反論できない。
 この男と遭遇する場所が、ホームレスたちの居住するブルーシートハウス村だというのも、さりげなく、介護難民以下の人々を描写していてすごい。

 いったん老人たちの受け入れ先が決まって、閉鎖が決定した 「タイヨウ」 だったが、その老人たちが次々と戻ってくる。 自分はいったい何を守れたというのか、自問自答する草彅クンの出した答えは、「タイヨウ」 に立てこもって、行政執行を拒絶する道だった。

 説得しようとする陣内サンに、草彅クンはこう言い放つ。
 「目の前にいる人間を見殺しにしなきゃ成り立たねえような制度だったら、いっそのこと潰したらどうだ…目の前にいる弱ええやつら、ほっとくことはできねえ…ましてや少しでもかかわった連中を、途中で放り出す気にはなれねえ…これがオレたちの、筋の通しかただ…!」
 草彅クンの言い方は、いちいちこちらの心に響いてくる。 これも先週指摘したが、上っ面だけの制度に対する怒りを、乱暴な言葉遣いによって、よりストレートに表現する。 だからこそ、ヘルパーがヤクザである必然性が、いっそう際立ってくる仕掛けになっているのだ。

 そして、冒頭に述べた、機動隊との乱闘開始である。

 文字通りのクライマックスの中で、草彅クンたちが守ろうとしたものは、いったいなんだったのだろう。 それは、単純なようであるが、人と人との絆や、弱者をいたわる心だったのではないだろうか。
 彼らは、腐ったミカンたちの成人した、なれの果ての姿だ。 だがその心は、けっして根っから腐ってなど、いなかったのだ。

 15分の拡大を受けたおかげか、このドラマのフロシキのたたみ方は、実にていねいで、余韻の残る秀逸なものだった。 この乱闘事件がきっかけで、陣内サンが介護制度の見直し論者になるところも、幹部になった黒木メイサチャンの、草彅クンに対する恋心の決着の仕方も、これしかないだろうという感じだった。

 中でもいちばんよかったのは、ヤクザを辞めた草彅クンが、夏川結衣サンのもとを訪れるラストシーンだ。
 病状が進んでいる夏川サン、その日は草彅クンのことも、こども店長クンのことも分からない。
 いつものように煙草に火をつけようとする草彅クン。 それを見た夏川サン、何かを思い出したように、煙草をとりあげて一言、「ここは全面禁煙よ」。 確かふたりの最初の出会いの時も、こんなやりとりだった。
 それを見て思わずほほ笑んでしまう草彅クン。
 このあとにもう一発ダメ出しがあるのだが、こういうすがすがしさが心に残るようなラストは、近頃あまり見掛けなかった気さえする。

 正直なところ、メイサチャンと草彅クンと夏川サンの奇妙な三角関係とか、夏川サンの若年性認知症とか、毎回の豪華なゲストとか、ヤタラメッタラ盛りこみ過ぎて、どれもこれも中途半端で終わりそうな危惧もあったのだが、結果的にそれがすべてクリアされているのには、正直うなった。
 気がついてみれば、このドラマは、「事件後」 の草彅クンにとって、その脱皮ぶりを大きくアピールした作品になったと言っていい。 ずいぶん質のいいドラマを見せてもらった気がする。
 ごちそうさまでした。

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2009年9月16日 (水)

「小島慶子 キラキラ」 小島サンと宇多丸サンの白熱議論

 これが、釣り記事のタイトルだったら、
 「小島慶子、ラジオ番組で大ゲンカ!!」
 とでもなるんでしょうけど。

 さっき(2009年9月16日午後1時~)TBSラジオの 「小島慶子 キラキラ」 の冒頭30分くらいかな、そんなに注意して聞いてなかったんですけど、小島サンと水曜日のパートナー、宇多丸サン(ラッパーだそうです)が、ヤケに白熱した議論を繰り広げていました。
 特に小島サンはヒートアップしていて、「いや、そうじゃない!私の言ってることは、そんなことじゃない!」 と、宇多丸サンの意見をさえぎるほど。

 まったくいい加減な聴き方してたので大変申し訳ないのですが、最初小島サンは、、日本の自殺する人口が多過ぎるとか、自殺する人だけじゃなく、未遂に終わった人、そしてその人のまわりの家族の人などを加えると、3万人どころの話じゃないとかしゃべってたんですけど。
 たぶん、その話からメディアが簡単に勝ち組負け組を作り出す構造を作り出している、という話になったのだと思います。 メディアはそのことについて、もっと真摯に自分たちの罪状を検証すべきだ、というような、話を、小島サンはしていたと思います。 思いますって話でスイマセンー。

 そしたら、宇多丸サンが、そこまで真剣に考える必要はないんじゃないか、どうせマジメにテレビなんか見ている人なんかいない、という受け答えをした、…と思うんですよ。

 まあその途端ですか、小島サンは 「そういういい加減な態度がいけない!」 と、宇多丸サンの意見を完全否定。 宇多丸サンもタジタジの、マシンガントークを展開。
 個人的には、小島サンがメディアの責任をこれだけ重大に考えているってことは、小島サンはメディアの力を未だにとても強く信じているんだろうなー、と思います。 宇多丸サンは、それほどメディアの力を信じていない。 ネットなんか見ていると、皆さん相当醒めた目で、メディアを観察していますよね。 宇多丸サンは、そういうスタンスだったようです。

 まあ結局、これはケンカじゃなくて、議論なんだ、という展開でしたけどね。
 小島サンも、帰国子女でしたっけ?その価値観があるからか、議論をまったく引きずらない、というのは、いいですよね。 でもそのあと、微妙にテンション、高かったかな。 宇多丸サン、小島サンが泣いたー、とか言ってましたよ。
 だけどその後も別に、小島サンと宇多丸サンのやりとりが険悪になることはなく、「これこそが大人の議論だなあ~」 と感心しましたが。

 いずれにせよ、以前文化放送で昼の王者として君臨していた、「吉田照美のやるマン」 にしてもそうでしたが、冒頭のしゃべりがたまに過激で面白いです、「キラキラ」 も。

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2009年9月15日 (火)

「佐野元春のザ・ソングライターズ」 スガシカオ(前後編)

 今回の 「ザ・ソングライターズ」、ワタシ的にはほとんど専門外のスガシカオサン。 失礼ながら、SMAPの 「夜空ノムコウ」 を書いた人、くらいの認識しかなかった。
 年齢が、私と1つくらいしか違わないことに、まず驚く。
 だからかどうか分からないが、見ていて時々、ぶしつけながら、感覚的に私と似ているところがあるなあと思った。 まあ、こっちはそんな才能なんか無論ないのだが、モノの考え方みたいなものが。

 この講義を終えたあとの感想を求められたスガサンは、歌詞の説明をするのは言い訳がましくて絶対話したくなかったんだけど、というような話をしていた。
 私も、自分の書いた詩に説明なんかしたくない気持ちがある。 言いたいことは全部この中にぶち込んだ、それについて説明をするのは敗北に等しい、と思っているようなところがある。 ただ自分はサービス過剰人間なので、求められればハイハイと訊かれもしないことまで話してしまう(笑)。 そのせいでいつも失敗ばかりしているのだが(泣)。

 まわりにある音楽が、ウソっぽいものばかり、ラヴ・ソングばかり、ということにスガサンが強い違和感を感じていた、というくだりもそうだ。

 「なんでこんなウソみたいなことばっかり、夢物語歌ってて、みんなそれでいいんだろう?って、すごく思ってたから、もっとこう、エッジの効いたリアリティのある言葉を、ガンガン出したかった」
 「ラヴソングを書きたくなかったんですね。 アルバム10曲あって、全部ラヴソングだったりすると、コイツどんだけラヴソングなんだよって(笑)思っちゃうんですよ」

 話はずれるが、私が10代のころ吉田拓郎サンに惹かれたのも、私自身の胸のなかにあった不満とか苛立ちとか怒りとかいうものを、いちばん肌で感じることのできる歌を、拓郎サンががなりまくっていたからだった。 チャラチャラしたウソっぽいラヴ・ソングにウンザリしていたせいとも言える。

 そう言えば、私がスガサンの歌で唯一知っている 「夜空ノムコウ」 も、ラヴ・ソングと言うには、ちょっと躊躇する。 「あれからぼくたちは何かを信じてこれたかなあ」 という一行は、アイドルグループが歌うには、あまりにも深すぎる内容だった。
 この歌こそが、SMAPの存在意義を確定した歌であるとさえ、私には思える。
 それまでのSMAPは、従来のアイドルグループとはちょっと毛色の違う、「生活者」 タイプの歌を歌っていたように思うのだが、「夜空ノムコウ」 は、「同世代の代弁者」 としての存在に、SMAP自身を押し上げたような気がするのだ。 これはスガサンの、リアリティを求める姿勢のもたらした副産物だったと言えるのではないだろうか。

 「詞の書き方がふた通りあって、すごいこういうことが言いたいとか、こう思ってるってことを、こういうことを書こうと思って書くやりかたと、全然こう、自分じゃない誰かに書かされているやりかたと、ふたつあるんです」
 「『いいなり』 は、完全に無意識で書いている。 『リンゴジュース』 は意図的に書いてます。 『リンゴジュース』 は、ちょうど日韓友好のなんとか年の始まり、というころで、(略)急に社会がこう、友好だ友好だみたいなことになって、『そんなに人って変われるのかな』 みたいな。 表面だけで変わっても絶対になんかこう、グズグズしたものが起こるだろうなって、それをナイフに例えて書いてみた」
 その 「リンゴジュース」、その 「ナイフ」 という言葉が問題となり、一時放送禁止になった時期もあったらしい。 比喩のつもりで書いた言葉が問題視されてしまう世の中の 「不穏さ」 を、その時スガサンも直に感じ取ったのだろう。

 「誰かに書かされている感覚」 というものは、クリエイティヴにかかわっている人なら、誰でも経験するだろう感覚だ。 それは、極度の没入状態と言えるものだが、それには自分がこれを表現したい、という極端な情熱が不可欠だ。 人によってはそれを、何かが降りてくる、と表現する人もいる。
 私の場合も幾度かそういうことはあったが、どうも才能のない人間には、才能のないものしか降りてこないようである(笑)。 あとから読み返すと、なんじゃこりゃ?というものが多い(笑)。 そのブッ飛び加減がいいと、最高なのだが。

 スガサンの書く詞に 「寛容」 という大きなテーマを見てとった佐野サン。
 「(寛容というテーマは)すごい出てきますねえ。(略) 自分に罪の意識が、たぶんいろいろあるんだと思いますね。 たぶん罪の意識がない人はいないと思うし、(ない人は)ソングライティングにあまり向かわないと思うんです。 だからぼくも人一倍罪の意識が強くて、それのひとつひとつが許されたんだろうかと、常に詞を書くときに自分と向かい合うと、常にそのことを考えちゃう」
 佐野サンは、しきりにこの言葉に共感していたようだ。

 創作活動の一環として、自分の行動範囲内にICレコーダーをそこかしこに置いてある、という話も面白かった。 ただそこに録りだめしておいたものを実際に使うことは滅多にない(笑)とか。
 「いつ才能が枯れるか分からない、みたいな恐怖って、常にあるじゃないですか。 だから、才能が枯れちゃったときに(笑)、明日枯れるかもしれないから、枯れてない今日何か、ためておこう、みたいな、そんな強迫観念みたいなものでただ録っているだけなんです」
 この強迫観念、分かるなあ~。 詩が書きたいのに、言葉が出てこないのって、恐怖ですよ。 私もいちおう。

 そのほか前半で印象的だった話は、「太陽はまともに見たことがないけれど、月はじっと見ることができる」 とか、「裏拍にいちばん強い言葉を置いてグルーヴ感を決める」 とか。

 後半では、渋谷のスクランブル交差点の写真から、短い詩を書いてみる、という課題に、会場の学生と共に取り組む。
 正直なところ、スガサンの詩より、よほど学生たちの詩のほうが、刺激的なものが多かった(スイマセン)。
 それにしても、詩など書いたことがないとかいうわりに、ものすごいものが多くて、私もちょっと、焦ってしまった(汗)。
 いくつか紹介する。

 「風」
巨大な壁に圧倒されて肩身の狭い線がたたずむ
36度の波にもまれる クラゲはどこに行くのだろう
シマウマのようなラインは
誰かが 走り出すのを拒んでいるというのに
かたい地面の上で 風はそれでも
自由に吹きぬけてゆく

 「スクランブル」
すれちがう
すれちがう
本当はちがう
つながりたい

 「(無題)」
ハゲ メタボ オヤジ
日ガサ ばばあ
ケータイ 中毒者
邪魔なんだよ ボケッ!!!

 「水晶の舟」
彼と Jim Morrisonに
通じる言葉さえない午後
水晶の舟は
割れて ウイスキーに沈んだ

 「都会での生きづらさとか、閉塞感とか、圧迫感とか、そういうことを主題にしちゃうと、なんかこの写真には勝てないかな、とちょっとぼくのなかにあって。 どっちかっていうと、読んだ時に、その裏側とか、さらにその裏側とか、全然違うところから書いて」 いる人の詩をピックアップした、というスガサン。
 私がここで感じたのは、対象物に対する、スガサンのアグレッシヴな姿勢だった。
 この課題の写真に 「勝とう」 とする姿勢。
 そのスガサンは 「自分が許されるか許されないか」 という前回からの 「寛容」 というテーマを念頭に置いた、次のような詩を書く。

 「ウソツキ」
"この写真の中に ぼくがいます"
そう言ったら、君は探してくれるでしょうか?
"もう 探したよ。"ってウソをついてもいいよ
ぼくも同じくらい ウソツキだから

 門外漢の私が言うのも変だが、この詩もスガサンっぽい、と思えたのだが。

 学生からの質問にも、興味深いものが多かった。 それに対するスガサンの答えには、いちいち共感してしまう。
 「題名」 にかんする話。
 「タイトルっていうのが一番苦手で(略)でも考えてみたら、タイトルで一言でまとめられるんだったら詞書く必要ねえじゃねえかみたいな(笑)」
 「カタカナ」 でわざわざ書くことについて。
 「カタカナを使うのは、匂い消しです。 漢字とか象形文字なので、ぼくらが経験しているいろんなものとか生活の匂いとか全部漢字の中についてるんですね。 ひらがなもぼくそうだと思いますけど、どうしてもその匂いと分けて使いたい場合に、カタカナに 『逃げる』 んですね」
 神様を漢字で書くことについて。
 「特定の宗教は信仰してないので、ぼくの場合はかなり、得体の知れない、自分の中にある、良心みたいなものだと思ってるんですね。 だから、そこには嘘もつけないし、絶対的に怖いもので。 (略)(その良心というものが)たぶん、後ろめたい気持ちで生きているぼくには神的な存在に見えるんだろうと」

 冒頭にも書いたが、私が思春期だった80年代に流行っていた音楽は、当時とてもチャラチャラしているようにしか思えなかった。
 拓郎サンのがなりたてるような、本音を前面に出した曲は、その当時受けなくなっていた。
 世の中はスタイリッシュなものに雪崩を打ち、バブルに浮かれ、軽薄短小の時代となり、暗いもの、まじめなものが疎まれるようになっていた。
 私はそれが、とても不満だった。

 私と同年代のスガサンも、同じようなことを考えていなかったろうか。 「ウソっぽい歌ばっかりだと思っていた」 というスガサンに、はばかりながら、私は自分と同じ匂いを感じるのだ。
 そのスガサンがそんな風潮に疑問を感じ、自分なりの言葉を見つけ、世の中に向けて発信するようになったことは、ミュージックシーンにとっても、とても有意義だったように、思えるのである。

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2009年9月14日 (月)

「天地人」 第37回 直江状、難しいですけどね

 また、「天地人」、ちょっと書いてみますかね。

 なんと言っても、直江兼続が歴史に名を残している一番の原因、「直江状」 が出てきましたからね。

 どんな取り上げられ方をするんだろうと思っていましたが、まあ、…どう言っていいのやら。

 でも考えてみると、直江状そのものが昔言葉ですからね。 これをいかに演出するのか、っていうのは、とても大変なことだろうと思います。

 これをこのドラマに出てくる主要人物に、すべて送っているわけですから、その人物たちに代読、しかも現代語訳で、という演出は、致しかたないところだったのかもしれません。

 そんな直江状なんかどうでもいい、とばかりに、今回のメインメニューは、家康追討でもめる、妻夫木クンと北村サンの、火を散らすようなやりとりだったと思います。

 見ごたえありました。

 あまりにも妻夫木クンの演技が白熱をしていたので、まさか北村サンに反旗でも翻すつもりか?と思ったくらいでした。 どうしても家康を追討するというのであれば、自分を斬ってから行け!と北村サンが地面に突き刺した刀を、妻夫木クンが取った時には、どうなることかと。
 バンダナ、じゃなかった、鉢巻きをして久々に髪をおろした妻夫木クンでしたが、ただひたすら、カッコよかった。 いわゆる、「戦国武将萌え」 の世界なんだなあ、とは思いましたが。

 戦になると途端にリアリティがなくなってきたこれまでの 「天地人」 ですが、関ヶ原は、どうなるんでしょうか。
 意外と早く関ヶ原がやってきたような印象がありますが、もしかすると徳川の世になってからのことも、結構詳しくやるつもりなのでしょうか。 だとすると、いままでの戦国大河ドラマのパターン脱却、という気もするのですが。 いつも、関ヶ原以降は、1、2回でお茶を濁す方式ですからね。 完全に余生、といった感じで。

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「官僚たちの夏」 第9回 日本人が犠牲にしたもの

 燃料の主力が石炭から石油に代わる転換期で、ますます斜陽化していく石炭産業の衰退を決定化させる出来事が、今回の 「官僚たちの夏」 のひとつの大きな柱だった。
 松池炭鉱(たぶん、三井三池炭鉱…でも昭和40年かどうかは不明)事故である。

 今回の主役は、高橋克実サン演じる鮎川だっただろう。
 体調不良を押して、病院から抜け出し、台風で道がふさがれている中、山道を通って爆発事故の現場に向かう。
 これが現在だったら、ケータイ大活躍、というところなのだが。

 そして鮎川がやっとの思いで到着した炭鉱の現場は、大混乱。
 しかも、二次災害を防ぐために、坑内に水を流し込まなければならない、という決断を迫られる。
 次々運ばれてくる遺体、泣き崩れるヤマの人々。
 そして、ついに注水を断行しなければならなくなり、ヤマの人々の前に土下座する、鮎川。
 これって社長がするべきことでしょうとツッコミを入れながら、私も涙が止まらなかった。
 謝るほうも、謝られるほうも、泣き叫びながらの、見ていてホントにつらい場面だった。

 そして台風一過と思われる青天のなかで、坑道入口に献花台を設け、泣きの涙で注水を開始する。
 こんなに悲惨な場面は、ここ数年、ついぞドラマで見なかったと言っていい(まるきりなかったというわけではありません)。

 この犠牲者は、なんの犠牲になったのだろう、ということを、涙を流しながら考えた。

 要するに、日本の繁栄の陰で需要が増大した燃料供給の犠牲になったのではないか、と。

 昭和40年当時のこうした作業現場の安全衛生管理は、炭鉱に限らず、工事現場、工場作業においても、今とは比べ物にならないくらい、稚拙なものだったと言っていい。
 工事現場では、ひとつの現場で人間5人死ぬのは当たり前、と言われていた時代なのだ。
 それが、人員削減のあおりを受けていた炭鉱業界では、さらに事態は深刻だっただろうと察せられて余るものがある。

 これらのお粗末な安全管理の上に成り立っていた時代に、事故で死んでいった人々、というのは、実は戦争と同じように、「お国のために死んでいった」 人々ではなかったろうか。

 そのことを考えると、余計に涙が止まらなかった。

 ヤマの人々との折衝の矢面に立った鮎川は、ついに不治の病に倒れてしまう。
 この事故の通産省の監督責任を問う国会で、国会議員からの厳しい追及を受けた風越(佐藤浩市サン)。 (なんだ現場にいもしないくせにのうのうといいメシ食らって勝手なこと言ってんじゃねー)と、内心ムカムカしながらこの追及を見ていたのだが、風越の怒りの反論には、ちょっと胸のすく思いがした。

 「じゃあ貴様ら何をしたって言うんだ! 形式だけの聴聞(弔問?)をし、野党は労働者の味方だと声を張り上げるが、鮎川は事故以前から、石炭救済に奔走し、それができなかった責任を一身に背負って、みずから一番きびしい役割を引き受けたんだ! この中に鮎川を責められる人間はひとりもいない!」
 さらにひどくなる怒号。
 くそおおーっ、政治家は現場に出て血の汗流せ!と言いたくなるのは、…今も昔も変わらない、というか。

 物語はベトナム戦争と沖縄返還問題も絡んで、ますます複雑多様化する情勢に飲み込まれてゆく。
 来週が最終回になるが、何度も書いているように、10回では足りなすぎる。

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2009年9月13日 (日)

「ザ・ノンフィクション」 ショーケンという 「孤独」

 2009年9月13日のフジテレビ 「ザ・ノンフィクション」 では、このほど復帰を果たした萩原健一サンの1年にわたる取材を放送していた。

 先ごろの 「チューボーですよ!」 でも、包丁づかいの達者なところを見せていたが、カメラが追った萩原サンの生活は、それを直で納得させるものだった。
 まず、一日おきではあるが、午前3時に家を出て、お姉さんのお墓がある、総持寺に向かう。 往復で20キロの道のりを、3時間半かけて歩くのだ。 カッパのような青い上下、帽子を目深にかぶって、片手には杖。 これでは誰も、この男があのショーケンだとは気付かないだろう。 これは、1994年の事件後、お遍路さんをやり始めてから、続いているものだという。
 お寺では、焼香をして、手にした数珠をせわしなく動かし、一心に祈る。

 「お寺さんのなかでも結構歩くんだよ。 健康が良くないときはね、非常にマイナス思考に見るね。 で、健康体がいいときっていうのは、プラス思考に変えられるわけ。 だから僕が今一番怖いのはね、健康」

 これはたぶん、健康が崩れるのが一番怖い、という意味だろう。

 そして、近所のスーパーで3日分の買い物をする、萩原サンの姿。 1日1食だけの食事のために、自ら買い物をし、自分のためだけに料理をする。
 「いいセロリがないなあ」「生姜ない?」「タマネギ一個売りないですか?」 撮影スタッフへのサービスなのか、買い物をしていることへの照れ隠しなのか、萩原サンは無言で買い物をしない。
 外出をするときは、身だしなみに気をつけるという。 執行猶予中の行動を、自ら律しているかのようだ。
 行きつけの肉屋サンや、床屋サンでの気さくな会話が続く。

 そして、父親が違うお兄サンとの墓参り。 26年前、大麻事件の初公判の日、お母様が亡くなったそうだ。 「口には出さなくても、かなりショックだったんじゃないの」 という、兄の萬吉サン。 足の悪い萬吉サンの引っ越し先を見たいという萩原サン、「引っ越しは大安の日にしたらいい」 など、お兄サンを気遣う。 「大ファンでした」 という大家のオバチャンにも、礼儀を忘れない。

 もうひとりの義理の兄、勝サンは、結構萩原サンに対して歯に衣着せぬ感じだ。
 「仕事はどうなの?」
 「いや、大丈夫だよ、これからどんどん出るから、嫌ってほど」
 「あのー、タイトルマッチしねえほうがいいぞ、もう」
 「しないよー」
 「オレはおまえらの世界よく分からないけども、避けるところは避けた方がいいよ」

 「うちの家族はね、この人(萩原サン)にかかわるの大嫌いなの。 問題起こした時に週刊誌来るでしょ。 全部しらばっくれてる。 分かりませんって」
 「問題起こすって、しょっちゅう問題起こしてるみたいじゃん(笑)」
 なんだかやんちゃな末っ子と兄貴の関係が垣間見られる瞬間だ。

 その勝サンから、自分で車を運転するのはやめろ、と言われて。
 「たしかに、車出してくれって言えば出してくれるんですよ。 だけど、緊張感がなくなっちゃうんだ、すべてに。 オレ、決めたわけ。 人を頼るとか、そういうんじゃなくて、だから飯も自分で作るとか」

 親交のある、デザイナーの菊池武夫氏。 「ある程度年齢いってカッコいい人ってあんまいないじゃん、ほとんど。 だからやっぱりあなたが率先して、年をとった時のいろんな要素が入っている感じの男の姿を(見せてほしい)」
 「バンバン、もうやるしかないよ。 やるっきゃないよ」

 ここまでの萩原サンを見ていて強く感じたのは、恐喝事件の執行猶予中の身でありながら、表面上穏やかにふるまいつつ、内側にはとても熱い仕事への意欲がはちきれんばかりに膨らんでいるさまだった。

 演出家の蜷川幸雄サンは、ショーケンを、「屈折した表現を日本で初めて切り開いた、天才的な役者だ」、という。
 蜷川サンの言葉の端々からは、このくらい過激なまでに素晴らしい素材を埋もれたままにしてはならない、という気持ちが見え隠れしているように思えてならなかった。

 執行猶予明け、まずは新曲のレコーディングから活動を本格化させる、萩原サン。
 レコーディング当日までに、徹底的に歌い込んできたという萩原サンの喉の調子は最高だった。 「チューボー!」 でも、堺サンとのデュエットで、まったくブランクを感じさせない 「エメラルドの伝説」 を披露するほどなのだから。 プロとしての気構えをここでも十二分に見せつけてくれる。

 だが本当に、萩原サンがその押さえつけてきた情熱をぶちまけることができたのは、やはり役者の仕事だった。

 「TAJOMARU」 のプロデューサー、山本又一朗サンとのやりとりは、見ているこちら側を圧倒した。
 「足利義政の前にね、6代目が暗殺されているんですよねこれ」
 「ショーケン、ここがテーマなんだよ、ここが非常に難しいところなんだけど、オレは歴史は全部正しくないって観点なんだよ」
 「あ、そりゃいいんじゃないの」
 「どうでもアレンジできるから、わざわざ時代劇でやってるわけ。 あんーまり史実を追っていくとね、そのー、制限されてくるわけ」
 「それでね、茶道、茶道の文化がね…」
 「まだちょっと脚本が、最終的なもの、最後見せるって言ったヤツ、できた段階でそこちょっと詰めて」
 「やーやー、あのね、悪りいんだけど、要するにね、悪いんだけどって失礼なんですけど、第2稿で、ねえ、話し合ってもらって、決定稿は、要するにもう立ち稽古、ぼく自身がしないと、もらってそれで、ハイって言ってもね、そりゃもう、それだったら、…(帽子を脱ぐしぐさをして)ゴメンナサイ、…で、そうじゃなくて、第2稿で、言われたとおり、話し合いをさせていただいて、決定稿では、そのまま進んでもらわないと、」
 「いや、オッケオッケー」
 「そーうねえー、何度も何度もねえ、」
 「いやありがたい話だよそんなこと言われたら」
 「いやその何度も何度もねえ、」
 「いやいやその通りその通り」
 「やられるとね、」
 「いやいやしないしない、次見せるのは、ハイ、これやってよ、っていうの見せるから」
 「…で、いつクランクインするのって? 11月の? ハァァー」
 「いや準備あるんだもん」

 このやりとりからまず垣間見ることのできるのは、萩原サンが第1稿である脚本の段階から、その歴史的なバックグラウンドを詳細に調べ上げていることだ。 主役でもないのにもかかわらず、自分が演じる足利義政の墓参りに行くことまでやっている。
 プロデューサー側は、萩原サンがこだわる、そこらへんの細かいディティールなど、眼中にないようだ。 だが時代劇をやるのに歴史背景を重視しないのは、私も萩原サンが問題視するように、きわめて致命的な問題点であるように思える。
 これは黒沢映画を経験してきた萩原サンが、クロサワ的なこだわりを体得したからこその姿勢のような気がした。

 そしてもうひとつ垣間見られるのは、萩原サンの山本サンに対する、一種の気遣い、である。
 「悪いんだけど、って(言うのは)失礼なんですけど」。
 これまでのショーケンだったら、自分の言動について、一歩下がるようなことを、しただろうか。 テレビカメラが入っている場だからとはいえ、萩原サンの、過激な方向に行きそうで行かない、という態度は、見る側にいろんなことを想像させる。
 だが、芝居については、萩原サンは一切の妥協を、許さないのだ。 このやり取りを見ていても、そのことがじゅうぶん伝わってくる。

 プロデューサーの山本サンは、それをこう分析する。
 「彼の、思い入れの仕方の特殊性によるものだと思うんだけど、物事に、なかなか安心しない。 だから、ややもするとほかの人たちは、『萩原サン、えらいその、(まだ)なんかちょっと足りないと思って、イライラしてるんじゃないか』 と、『面白くないと思ってんじゃないか』 と言うんだけど、そうじゃなくって、彼の完璧からいうといつも 『もっと』『もっと』 っていうのがあるから、非常にその、『物思い』 が多いですよ、ひとつのこと、ひとつのセリフ、一行のセリフが言えなかったり、ものすごく考えてくる人なんで、まわりもそうだけど、何よりも自分自身の葛藤みたいなものがものすごくディープなところがある」

 それが非常に分かりやすい形で出たのが、決定稿以降に書き直されたセリフに、萩原サンがぶつかった時だった。
 結局書き直される前のセリフをそのまま萩原サンは押し通すのだが、本番になってそのセリフが、出てこない。
 NGを6回繰り返して、ようやくそのシーンを撮り終えるまでの萩原サンの役への没入の仕方は、見ているこちらも手に汗握るような緊張感を強いられた。

 萩原サンのやりかたは、一種不器用で、いまの時代にそぐわないものかもしれない。

 けれどもこれくらいの 「役者バカ」 がいても、いいのではないだろうか。

 いまの世の中、なんでもかんでも、我を通すことが疎まれたり、ひとつのことにこだわっている人間がさげすまれたりする傾向がある。

 萩原サンの生き方は、ときに法律を踏み外してしまうほどのレベルで、自分の我を通してしまう。 自分のやりたいことに、とことんこだわってしまう。

 だがそれは、人から後ろ指をさされるような生き方では、けっしてない。

 そう強く感じた、「ザ・ノンフィクション」 だった。

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「タモリ倶楽部」 リマスターがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!

 2009年9月11日深夜(一部除く)の 「タモリ倶楽部」 は、恵比寿のマランツ・リスニング・ルームで、アビイ・ロード・スタジオにあるものと同じ、B&W800Dという、一本1,575,000円もするスピーカーで、ビートルズのリマスター盤を視聴する、という、タイムリーこの上ない企画。 少なくとも、リマスター発売後に収録は行なったでしょうから、放送日前日とか当日の話じゃないかな、と思います。

 またまたリマスターの話になってしまいますけど。
 今回は私の話じゃないんでご安心ください(?)。

 進行役はおぎやはぎ。 小木サンのほうは、お兄さんが熱烈なビートルズファンだったらしく、その影響下で結構ビートルズは聴いていたらしいです。
 解説はおなじみ、近田春夫サンと萩原健太サン。
 リマスター盤はひととおり聴いた、という萩原健太サン、「やはり違いますね。 ようやく来たな、と。 オレたちの今まで聴いてたものは、ウソだったのか!と」。

 手始めに、「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」。 旧盤とリマスター盤を聴き比べながら、ジョンのギターに注目。
 やはぎサン、「オレこれ分かった」
 近田サン 「どこが違ってました?」
 やはぎサン 「いや何となく違いました」(笑)
 …別にこーゆうやり取りは記録しなくていいですか?(笑)

 萩原サン 「ジョンのギターのカッティングに注目していたんですけど、この曲結構ね、コード的に、うっとおしいコードっていうか、数字が多いコードなんですよ。 でも、ジョン・レノンはこういうの、めんどくさい、嫌だったんですね。 でもポール・マッカートニーはこういうの好きなわけです。 ジョンはポールの、こういう音楽性が好きなところをめんどくさがってたんじゃないですか。 しょうがないって、結構粗く弾いちゃってるのが、このリマスター盤では、とてもよく分かる(中略)しかもこれ、10何回テイクを重ねてて、いちばん最後のテイクかなんかで、もういいよって(笑)感じが…」
 小木サン 「まさかだってジョンも当時リマスターになるとは思ってない(笑)リマスターになると分かってればもうちょっとちゃんと弾いてた」(笑)

 「キャント・バイ・ミー・ラヴ」 は、冒頭のリンゴのドラムに注目。
 萩原サン 「始まった時に、シンバルとか鳴ってないじゃないですか。 あの時リンゴなにやってんだろうって、なんかこう刻んでるだけかなと、スネアで、とか思ったら、リムを、タクタクタクタク叩いている、あの音が今回のリマスターではすごくよく聴こえる。 6連て言うんです。 このへんにいますこのへんに」(笑)

 ここで、特別企画、「小木のビートルズベスト10」(笑)。

 タモリサン 「いーから聴こうよ!時間がないんだから!(笑)」

 まあ、別に小木サンのベスト10には興味ないですけど(笑)、やりますか?(笑)えっ、そんなのいいって?(笑)
 とりあえず面白いんで、書きますね。 10位ポリシーン・パン 萩原サン「ずいぶん渋いところが…(笑)」 小木サン 「ジャーンジャーン、スタラララン(笑)ぼくの担当がドラムだったんで、家族で…」(笑)
 9位ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー、8位バック・イン・ザ・USSR、7位サムシング、6位アイ・ウィル…って、なんか 「アビイ・ロード」 と 「ホワイト・アルバム」 を行ったり来たりしている感じなんですけど(笑)。
 小木サン 「(アイ・ウィルは)これ自信持って最高の曲だと…、これいちばん好きだと思いますよぼく」 タモリサン 「じゃ1位でしょ(笑)1位にすりゃいいじゃん」(笑)

 リマスター盤視聴に戻って、「エイト・デイズ・ア・ウィーク」 のコーラスに注目。
 私もてっきり、この曲はジョンとポールのツイン・ヴォーカルだと思ってたんですが…。
 萩原サン 「ジョージ・ハリスンもいるんですけど、どうも前のヤツだと存在感がないですよね。 このリマスターされたやつを聴くと、あ、ジョージもちゃんと歌ってんじゃん、という」
 ここでやはぎサン、小道具で置いてあった 「アニメ・ザ・ビートルズ」 の4人を行ったり来たりさせたりして笑わせます。
 やはぎサン 「最初、だから…こう?(笑)これ誰コレ?(笑)これジョージ…これポール?(ジョンを指差して)これポールっぽいよね?でもこれ(ポール)がいなかったらこれ(ジョン)がポールに見えるよね?(笑)」

 続いて 「タックスマン」。
 近田サン、テンポまで違う気がするという感想。
 萩原サン、リード・ギターだけでなくサイド・ギターもポールと言ってましたけど、初耳でした。 ジョージ、歌ってるだけって。 まあ、誰だろうといいですが、音像がはっきりしている分、誰が弾いているのかも分かりそうな感じですよね。 それって考えれば考えるほどすごいなあ。

 「小木のビートルズベスト10」 もういいですか?(笑)ええい、いっちゃいましょう。
 5位マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(って題でしたよね、日本盤シングルでは)小木サン 「これもギター、ジョージ弾けてないですよね」 萩原サン 「ぼくも子供のころ初めてこれ聴いて、おおジョージギターうめえなと思いましたけどね。 …クラプトンだったという(笑)」
 4位カム・トゥゲザー 小木サン 「合コンの時の彼女がカラオケでよくこれ歌ってた(笑)シュッ!ってところがまたよかった」 萩原サン 「あれはシュート、撃て!っていう説もありますね」。 えっ、説だったんですか? まあ、つまるところどうでもいいんですけど。
 3位は初めて 「ラバー・ソウル」 から、ドライヴ・マイ・カー、2位は悲しみはぶっとばせ。 まあ、アメフトでgotをガットとか、話があんまりよく分からなかったんで、コメント的には、どーでもいいです(笑)。

 そしてリマスター視聴に戻って、「グッド・ナイト」。
 萩原サン 「これリマスターされると聞いた時に、もうちょっとリンゴのヴォーカルがはっきりするのかなと思ったらですね、リンゴのヴォーカルは、埋もれましたね(笑)この曲はね、『ホワイト・アルバム』 のいちばん最後に入ってるんですよね、でこの前に 『レヴォリューション9』 っていうミュージックコンクレートみたいな作品が入っていて、そこからつながってこの曲いくんで、ナンバーナインナンバーナインって…もういいかなーってやめちゃってこの曲たどり着かないことが多かった」(笑)
 やはぎサン 「小木とふたりでドライブしていて、夜中の森林のところ走っていた時 『ナンバーナーインナンバーナーイン』 って…『怖えーよおーっ』(笑)」
 萩原サン 「夜中聴くと怖いんですよ」(笑) 確かに夜中の真っ暗な森のなかでこの曲聴いたら、怖そうっスよね(笑)。

 そして、「サムシング」。 「ビリー・プレストンの仕事が見える」。
 やはぎサン 「オルガンの音結構違ってましたね」
 萩原サン 「刻みだしたら分かりやすいんですけど、その前もずーっと(鳴っている)…。 前のだとちょっと音像がにじんじゃってて、これ何かなって…あとまたベースがね、何にもやってないオケじゃないですか、みんなただボーと鳴らしているだけのとこで、ベースがメロディに対して裏メロをずーっと入れている。 まあまた、ジョージの曲でポールがやらかしちゃったわけですけども、そのベースのラインも、すごくふくよかに聴こえる…ジョージだってね、なにもほかの球団行きゃあ4番打てるのに(笑)」
 やはぎサン 「オレら人力舎でよかったなあ」(笑)
 小木サン 「吉本いったらヤバイことに…」(笑)

 「小木のビートルズベスト10」 いよいよ(笑)第1位は、「トゥ・オブ・アス」。 小木サン 「あのね、ドラムが好きなんですよね」(笑) やはぎサン 「10位と1位の理由が一緒、っていう…」(笑)
 いや、ほとんどネタにされてましたけど、「トゥ・オブ・アス」 っていうのは渋いっスよ。 確か私も、EMIに出した好きな曲のリストに挙げましたもん。 あれってアコギの弾き語りすると、イントロも簡単だし、変則ストロークとかベースランニングとか、いろいろ楽しめて気持ちいいんですよ。 ベースランニングは自己流ですけどね。

 それにしても、これでまたまた、ステレオボックスの購買欲が、いやおうなしに高まってまいりました。 でも、こんな高級スピーカーで聴けたら、さらにさらにいいんでしょうけど。

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2009年9月12日 (土)

リマスターアルバム、聴く度合いが、両極端化しています

 またまた懲りずにビートルズ、リマスター盤の話です。 我ながらちょっと、もういいかな、という感じなので、ここらで打ち止めにせにゃ、とは思っているのですが…。

 勢い込んでモノ・ボックス、完全初回生産限定盤を買ったことに後悔はしておりませんが、聴き込んでしまうタイプのアルバムと、なんだか1,2度聴いただけでそのままのアルバムと、両極化が進んでおります。

 一番聴き込んでないのは、初期の、あまりステレオ盤と違いがないヤツ、とか。 「ウィズ・ザ・ビートルズ」「ハード・デイズ・ナイト」「フォー・セール」 とかいったところは、1、2回くらい聴いたままですか。

 一番聴き込んでいるのは、ちょっと自分でも意外だったのが、「ヘルプ!」 です。 もうすでに、5、6回は聴いております。
 2イン1というのが結構面白くて、同じ曲をモノとステレオで、いつも通して聴いてしまいます。

 考えてみると、ふだんから、自分自身、「ヘルプ!」 というアルバムには思い入れがなくて、いちばんマジメに聴いてなかったアルバムのような気がします。

 曲的にもB面は、「夢の人」 が来るまでどーでもいいような曲が多くて。
 まず、「アクト・ナチュラリー」。 レココレの人気投票でも、見事に最下位だった曲です。 かと言って、嫌いな曲のランクにも入ってこないという、ホントに 「ベスト・オブ・どーでもいい曲」 って感じ。 でも、前にも書きましたけど、歌うととてもキモチイイ曲なんですよ、コレ。
 それから、ジョン・レノンが最も嫌っていたいわくつきの曲、「イッツ・オンリー・ラヴ」。 この曲については、いずれ詳しく記事を書きたいんですが、曲的には名曲だと思うんです。 ただやはり、歌詞がワザトラシイ、というか。 なにせ、「それはつまり愛だ、それしかない」(拙訳ですけど)ですからね、サビが。 ジョンが 「歌詞が最悪」 というのも分かる気がするんです。
 そしてジョージの 「ユー・ライク・ミー・トゥー・マッチ」。 ジョージカワイイー、みたいな曲なんですけどね。 結構どーでもいいというか。
 それから 「テル・ミー・ホワット・ユー・シー」。 自分が中学校くらいの時、このどーでもよさ加減が、なんか嫌いでした。 いまはそうでもないけど。 弾き語りすると、やっぱり気持ちいいんですよ、この曲。 アレンジ的に、もうちょっとひとひねりほしかった気がしますけど。

 「ヘルプ!」 のアルバムは、ボツ曲が多いことでも有名です。
 こうやって収録されている曲を見ていると、ボツ曲の 「イフ・ユー・ガット・トラブル」 とか、「リーヴ・マイ・キトゥン・アローン」「ザット・ミーンズ・ア・ロット」 のほうが、よほどいい気がするんですよね。
 曲の出来に加えてその選曲センスにしても、ちょっとスランプ気味かなあ、というのは感じていました。 前作、「フォー・セール」 も、パッとしない曲が多かったですし。
 それってつまり、メチャクチャ酷使された結果とも言えるんですけどね。 「ラバー・ソウル」 にしても、ジョンが気を吐いている感じですけど、ポールの代表曲以外の出来が、極端に、でもないか、悪かったような気もするし。

 ああ~話が脱線し始めた。 どうも、ビートルズの話をし始めると、止まらなくなる傾向があります、私の場合。

 ともかく話を戻せば、一番熱心に聴いていなかったアルバム 「ヘルプ!」 を、こうして生まれ変わったリマスター盤で聴けて、かえっていろんな発見があって楽しい、ということです。

 ここで本題に入りますが、(ここから本題かよ!)キャピトルボックスを買った時もそうでしたが、結局新鮮なのは最初の数回だけで、それからしばらくの間ずーっと聴き込む、ということが、ないんですよ。

 なぜって、ビートルズの曲って、それまであきれるほど、何百回となく、聴き込んできましたからね。
 だから新たにCDを買っても、自分が小中学校時代に聴き込んでいたオニのような回数とは、明らかに違うんです。 そりゃ当り前、と言われれば、返す言葉もありませんが。 でも 「ラヴ」 なんかは、ほとんど再構築された別物みたいな感じでしたので、相当聴きましたよ。

 今回はキャピトルボックスみたいにはならんと思いますが、それでもこの、モノ・ボックスの値段の高さ分、聴き込めるかどうか。 …なんて言っちゃうと、とてもさもしい気がしますけど。
 だいたいステレオボックスも、買いたいって思っているのになあ~。

 …いかんなあ~、4万近くもするもの買って舞い上がっていた気持ちが、ちょっと冷めてきておりますぞ(笑)。

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2009年9月11日 (金)

「ダメージ2」 80%の理解率で見ています

「ダメージ2」「最終回」 の検索ワードでいらした方々へ
 「ダメージ2」 最終回の記事は、お手数ですが、左上にある、「バックナンバー」 「2009年9月20日-9月26日」 の部分をクリックし、9月26日の項をご覧ください。 ご面倒おかけしますが、よろしくお願いします。


 NHKBS2で週3回の集中放送しだした、アメリカドラマ、「ダメージ」 シーズン2。

 シーズン1を再放送してたので、なんだろうと思っていたんですが、いきなり週3回の過酷スケジュール、ですよ。 週1でやってほしいなあ。 ビートルズのリマスター漬けになっている身としては。

 というわけで、ようやく初回と2回目を見たんですが、ヤバい。 ファーストシーズンのストーリー、8割くらいしか覚えてない。
 ファースト・シーズンの終わりのほうで、エレン・パーソンズという主人公の若い女性が、恋人を殺されてしまうんですが、それがどういう経緯だったのか、忘れちゃってるんですよ。
 今回のセカンド・シーズンで、エレンはその犯人を、自分が勤める法律事務所のボス、パティ・ヒューズだと決めてかかっているんですが、表向きはそれを、パティが取り扱っていた裁判の原告、アーサー・フロビシャーという男がやったと思い込んでいるように、「見せかけている」。 ここらへんの経緯を、すっかり忘れちゃってるんです。 どうしてこういう二重構造になっとるのか?

 あー、説明が難しい。

 このドラマを見ていると、誰が本当のことを言ってるのか、まったく分からないんですよ。
 いちばん見る側が信用できる人間は、やっぱりこの、エレン・パーソンズでしょうね。
 彼女が信用できないと、このドラマは見ている側にとって、めちゃくちゃになりそうです(笑)。

 一番信用できないのは、やはりパティ・ヒューズでしょう。

 このオバサン、グレン・クローズって、あの人ですよ、映画 「危険な情事」 で、マイケル・ダグラスにしつっこくつきまとう女。
 最後はホラー映画かっ!みたいなノリでしたけどね、あの映画(笑)。

 その人が、一番信用できないんですからね。
 いやー、大した女優サンだと思います。

 日本語吹き替えも、NHKはやはり、安定した実力を見せてくれます。
 グレン・クローズの吹き替え、大西多摩恵サンは、ハマりすぎてて怖いくらい。
 エレンを演じている、ローズ・バーンという女優サンの吹き替えは、甲斐田裕子サン。 個人的には 「ER」 のニーラ役が印象的ですけど、やっぱりうまい声優サンですね。 ローズ・バーンサンのほうですけど、ファースト・シーズンに比べて、ちょっと顔が怖くなってきたような気がするんですけど。 まあ、恋人を殺されて、ニコニコしているわけにはいきませんけどね。

 気になるところでは、ダニエル・パーセルという男。 あのウィリアム・ハートが演じています。 吹き替えは、大杉漣サン。

 とにかく、あまりハマってしまうと、人間が信じられなくなりそうなドラマではあります。

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リマスター版、日本盤モノ・ボックスを私が買った理由

 ここ2日ほど、完全にビートルズ漬けの日々と化しておりますが。 あーもうその話はいい、と言わず、まあお付き合いください。

 アマゾンのカスタマーレビューにも、ぼつぼつ感想が寄せられているみたいですが、ステレオ盤を聴いて、モノ・ボックスが欲しくなっている人も、多数いらっしゃる様子。

 私は両方同時に買えるほど金持ちではないので、今回、日本版のモノ・ボックスを買ったのですが。 案の定、ステレオ・ボックスも買わなければ気が済まなくなってしまいました。 ただこれは、来月までお預け。 カード決済ですけど、いっぺんに決済、出来ゃしません。

 ではどうして、金欠なのにもかかわらず、39,800円もする、アマゾンでさえ全く値引きもしてくれない、「日本版」 のモノ・ボックスを買ったのか。

 以前も書きましたが、まず「完全初回生産限定版」 という殺し文句に参ってしまった、というのがありますが、それだけなら輸入盤でもいいんですよ。
 それに、限定版、なんて銘打っていても、評判が良ければレギュラー化する可能性は、否定しきれませんしね。
 「アンソロジーDVD」 など、初回限定価格!なんて言葉に乗せられて、ソッコー買ってしまったら、その価格で定着してるんですから(ウググ…)。
 EMI側にしてみれば、売れるんなら、売りたいっ!というのが正直なところでしょう。

 私が今回 「日本版」 でなければならなかったのは、やっぱり、「買った気がする」 というのが、いちばんの理由です。
 ビートルズの場合、昔からすべて、東芝EMIサンでしたから。
 ライナーノーツや歌詞などは、事実誤認も確かにあるけれど、それを読まないと、どうも買った気がしない。

 話はそれますけど。

 さだまさしサンのアルバムも、さだサン自身が書いたライナーノーツが充実していて、LPと一緒に、ちょっとした小冊子を買ったような気がしたものです。
 それが、後年中島みゆきサンのLPを買った時、一部には楽譜とコードもついているものもありましたが、主に歌詞カードのみ、というものが多くて、その時は物足りなさをすごく感じましたよ。

 輸入盤を初めて買った時も、歌詞カードさえもついていないことに、だから値段が安いのか?などと思っていたんですけど。
 海外盤って、ビートルズにしても 「サージェント・ペパーズ」「ホワイト・アルバム」 はほんの例外、基本的に歌詞カードすらもつかないのが常識、という事実を知った時は、マジかよ、って感じでした。

 で、ビートルズのCDを買い始めた当時は、LP全部持ってるからいーや、という感覚で、主要なものだけでしたけど、ことごとく輸入盤で買いましたよ。

 当時の輸入盤CDって、ボール紙で出来たロング・カートン入りで、いまとなっては珍しいのかな?
 CD出はじめのころは、輸入盤に限っては、こういう変わったパッケージングをしてましたよね。

 「サージェント・ペパーズ」 のオマケの紙クラフトなんか、そのロング・カートンのウラっ側に大きく印刷されていて。 余談ですけど、この紙クラフトのオマケって、誰か切り取って、遊んだことのある人、いるんスかね?(笑)

 「ホワイト・アルバム」 なんて、箱を開けたら、1枚1枚、ケースが分かれているんですよ? 2枚組仕様のケースが、開発されていなかったんですかね? 箱に上下に入れるからこれでいい、とかいう発想だったんだろうなー。

 ロング・カートンは、そのうちに珍しくなるかもしれないと思って、とってありますけど、あれって保管場所に悩みます。 決してキレイな状態とは言えません。

 でも、結局ビートルズに関しては、オリジナルCDを全部買ったわけじゃなくて。
 なんか、ビートルズの輸入盤CDって、初期のものだったからかもしれませんけど、フェイド・アウトが、ヤケに早い。
 ノイズの関係とか、当時は説明されていましたけどね。
 でもそれって、正直なところ非常に不満で。
 レコードも聴けるし、まあ全部揃えることもなかろう、と思って、ずっとそのまんま。

 ただ、つぎつぎ発売されていく、「アンソロジー」 とか 「ソングトラック」 とか、そこらへんのCDはみな、日本盤で買いました。 これも、「買った気がする」 という理由からです。

 「ラヴ」 も輸入盤とかいう名目でしたけど、しっかり日本語のライナーノーツと歌詞カードがついてました。 あれってどういうシステムなんだか、よく知りません。 フリップ・バックなどというジャケットの種類さえも知らなかったくらいスから。

 要するに、汎用のオーソドックスなタイプしか、触れてこなかったんですよ。

 音に関しても同じで。

 20年くらい前に、ビートルズのモノラルのレコードが再発された時も、個人的に一番仕事が忙しかった時期で、全く知りませんでした。 レコード屋にも、まったく行ってませんでしたからね。
 気付いた時には売り切れ状態。
 とは言っても、当時の私は、モノラル盤の重要性に、全く気付いていませんでした。
 その重要性を知ったのは、マーク・ルウィソーン氏の 「ビートルズ・レコーディング・セッション」 を読んでからだったです。
 気付いた時にはすでに遅し。

 下らん話をダラダラしてしまいましたが、そうした長年のクセから、私が今回日本版にこだわってしまったことだけは、お分かりいただけた、…かなあ?

 ここで日本版モノ・ボックスの利点を挙げてみますかね。

 まず、日本語のオビがついている!(笑) このオビ、ビニール・カバーをはぎ取ってしまうと、始末に困りそうなので、私の場合、取り出し口の部分だけ、丁寧にビニール・カバーを切り取りました(笑)。

 ライナー・ノーツと歌詞、対訳付きっていうのは当然ですが。

 内容的には、英語のブックレットに描いてある解説文を、日本語で読める!便利だ!(笑)

 200ページの日本語ブックレット、実際には表紙の部分を除くと、196ページだ!(笑)

 ともあれ、この利点を、この程度で輸入盤より1万円近く?違うのか!と思うのか、私みたいに、日本語解説があってこそ、買った気がする!と思うのか、それは個々人の考え方だと思いますので、もしこれから買おう、という人には、とりあえず参考意見として聞いていただければ幸いです。

 それにしても、この日本版モノ・ボックス、早くも品切れなのか品薄なのか、アマゾンでは50,570円、コレクター商品?で52,800円で取引されているみたいです。
 先物買いってヤツなんですか? よく知りませんけど、投機の対象になっとるような…。

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「任侠ヘルパー」 第10回 暗い話のまま盛り上がる

 「任侠ヘルパー」、最終回を来週に控えて、話は暗ーいまんま、暗ーく暗ーく、盛り上がっていく。
 だがこのドラマ、最近のドラマによく見られるように、ドラマの作り手が、心温まる話、泣ける話で物語を盛り上げていこうとしていないのが、とても新鮮に見えるのだ。

 この暗ーい物語を見る側に引き込ませるものは、「モヤモヤしているものに対する、怒り」 のパワー、なのだと思う。

 私などはついドラマに対して、見終わったあとの爽快感とか、現実のつらいことをいっとき忘れさせてくれるようなことを期待してしまうものだ。
 だがこの 「任侠ヘルパー」 は、思い通りにならない現実の世界と同じような、つらい話の連続だ。 しかもそれがドラマだから、余計に話が大げさででかい。
 そのうえこのドラマの題材が、理想とは程遠い現実を象徴するかのような、「介護現場」 がテーマの半分なのだから、なおさらである。

 実際の介護の現実というのはここまで悲惨なのか、私はよく知らないけれども、悲惨であろうとなかろうと、これから私たち全員が向き合わなければならない問題であることは確かだ。
 夏川結衣サンの若年性認知症にしても、これは病気ではあるけれども、我々にも遅かれ早かれ訪れる問題なのだ、という切迫感を、見る側に提供してくれる事例だと思える。 老いというのは、必ず通らなければならない問題なのだ、と。 今回の夏川サンは、だんだんと真綿で首を絞められるように記憶をなくしていく女性の苛立ちを、実にうまく演じていた。

 そういう、自分の将来に対して誰もが漠然と感じているモヤモヤを、草彅クンをはじめとする極道たちは、自分たちが極道であるがゆえに、我々みたいに先送りしたりごまかしたりなど出来ないのではないか。
 極道であるがゆえに、我々などよりもこのモヤモヤにガチで向き合わざるを得ないのて゜はないか。

 どうして極道が介護ヘルパーなんだ?松平健サンの思惑とは?という疑問を持ちながらこのドラマを見てきたが、今回の物語を見ていて、松平健サンの思惑が、いま挙げた 「モヤモヤとのガチ勝負」 にあるような気がしてきた。 極道の親分が、そんな深い思慮をしているとは考えにくいところもあるけれど。
 ただ、山本裕典クンがヘルパーの仕事を今回の件があるまでやめられなかった、というのも、自分が感じていた 「モヤモヤしているもの」 に対して、自分なりの決着をつけたかった…、という側面があったように思えるのだ。

 草彅クンたちが極道であることがバレて、ヘルパーは大量に辞めていくし、老人たちはビビりまくるし、仲里依紗チャンはテンパって来るし、マスコミはうるさいし周辺住民は騒ぎだすし。
 そんな中で、黒木メイサチャンは、里依紗チャンから 「やっぱりヤクザなんか、怖いですよ」 という現実を思い知らされ、ウルトラマンメビウス、じゃなかった、五十嵐準士クンは 「やっとマトモな人間になれたと思っていたのに」 とうなだれる。
 草彅クンも、こども店長クンに 「どうしてみんな、ヤクザが嫌いなの?」 と訊かれ、「悪いこといっぱいしてっからだろう」 と答えるしかない。 「兄貴も?」 という問いに、「ああ…」 と答えながら、草彅クンは自分がヤクザであることの、なんともやりきれない悲哀を感じたに違いない。

 ガチで介護問題のモヤモヤに向き合っていなければ、問題が起きた時点で、草彅クンたちはさっさとヘルパーを辞めてしまっただろう。 だが彼らは、誰ひとりとしてリタイアしない。 離脱した六車クンにしても、松平サンのところにいきなり押し掛けて、組長の思惑の事務的な部分を質すあたり、リタイアしたとは言い切れないところがあるし。

 今回のラスト、ボヤ騒ぎが起きた 「タイヨウ」 ホームから老人たちを必死に救い出した極道ヘルパーたちに、心ない罵声を浴びせかける周辺住民たち。
 里依紗チャンはたまらず、 「この人たちはこの施設の利用者サンたちを支える、ヘルパーなんです!」 と叫び訴える。
 それでもなお罵声を浴びせかける住民たちに、草彅クンが、ついに怒りを爆発させる。

 「テメエラうるせえぞコラァ!極道をなめんじゃねえぞ!オレァこっから出てっくからよ!もう迷惑かけはしねえからよ!ガタガタぬかすんじゃねえや!」

 今まで鬱積していたいろんなモヤモヤを、一気に吐き出すかのような、火のついたような演技である。
 ひょっとすると、草彅クン自身の胸の奥底にあった鬱積も、それに含まれていたかもしれないが、画面の草彅クンは、もうその過去の事件を完全に乗り越えた、ひとりの役者だった気がした。

 このドラマを見ていて感じるカタルシスは、実はここにあるのではないかと、私が思ってしまったシーン、である。 モヤモヤに対する草彅クンの怒りが爆発するのは、見ている側にとっては大きな快感なのだ。

 視聴率のご褒美か、来週の最終回は15分拡大らしいデス。

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2009年9月10日 (木)

またまたリマスターの話

 このところこればっかりですが、ビートルマニアが舞い上がっているだけなので、温かく見守ってやって下さいませ。

 いやー、今回購入した、モノ・ボックスを、全部聴きましたよ。 というわけで、以前の記事と併せてお読みいただけたら幸いです。

 「ホワイト・アルバム」 のモノに関しては、なかなか面白かったです。
 「バック・イン・ザ・USSR」 はSEの入り方だけの違いでしたが、「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」 はポールのヴォーカルもADTじゃなくって、なんだか加工前のシロモノみたい。 手拍子もないし。 「ヘルター・スケルター」 などは、実にラフな作りで、ワイルド感丸出し。 「ロング・ロング・ロング」 は、こんなアコースティックな曲だったんだ、みたいな驚き。

 全体的に、ホント、「加工前」 って感じなんですよ。

 これはモノラル盤全体に言えることなんですが、ヴォーカルにエコーがかかっていませんよね、あまり。
 だから、生のままの彼らの音が聴ける、っていうか。
 それは逆に言うと、演奏の熱さも感じるけれど、あれ、エコーを取ると、結構ヘタクソに聴こえるな、ってことです。

 それが特に顕著に分かるのは、モノ・ボックスだけの特別編集版、「モノ・マスターズ」 の曲群ですかね。 実に 「スッピン」 な、ビートルズが堪能できました。 今まで聴き慣れていたやつが、「化粧アツっ!」 って思えるほど。 まあ、化粧アツイほうに魅力がないってことではないので誤解のないように。

 ただアルバム 「イエロー・サブマリン」 からの4曲に関しては、もともとステレオをモノにしただけの 「偽モノ」 ですから、大した発見はありませんでした。 「ヘイ・ブルドッグ」 がちょっと収録時間が長くて、フェード・アウトのおしまいのほうがちょっと聴けた程度かな? 「ヘイ・ジュード」 もそのパターンで、リンゴのドラム・パターンが、なんだか行進曲風になったりするところまで聴こえましたけど。 これは初めて聴きました。

 「ゲット・バック」「ドント・レット・ミー・ダウン」 のモノラル・シングル・ヴァージョンは、エコーが効いていないせいで、実にソリッドな響きになっていました。 「ネイキッド」 よりも、こっちのほうが本来のネイキッド、なんだろうなー。 こっちの音のほうが好みだなあ。
 だいたい、エコーが効いていなくても、初期のヤツに比べて、バンドとしてのグルーヴ感が飛躍的に増大しているんです。 当時の彼らはバラバラだった、という認識で聴くと、ノック・アウトさせられます。

 あーでも、ステレオ盤とほとんど変わんない曲が、結構多くて、ちょっとそれらを全部飛ばして、パソコンで編集版でも作ってしまおうかと思っている昨日今日です。
 パソコンでちょっと、再生してみましたけど、ありゃ?インデックスとか、出てこないなー。
 「ラヴ」 とか、アルバムジャケットとかも出てきたっていうのに。
 せっかくCCCDをやめたのに、EMIサン、不親切というか。
 限定版だから必要ないとか?

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リマスター・モノ・ボックス、中間報告的な感想です

 いやいや、一気に聴こうと思いましたが、さすがに疲れました。 今日届いたばかりの、ビートルズ・モノ・ボックス。
 「ホワイト・アルバム」 の1枚目を聴いたところでとうとうギブ・アップ。
 6時間くらい聴いたでしょうか。
 BGM程度にさらっと聴くなら問題ないんですけど、何とかこのブログの記事にしようと思って聴いてますから、疲れるのなんの。

 私、モノリミックスのビートルズを聴くのは、キャピトルボックス以外では、これがほとんど初めてと言っていいくらいなんですよ。
 でも、キャピトルボックスのモノリミックス、とかいっても、イギリス版のモノ・リミックスとは違ってたりもするし。
 要するに、ほとんどの曲を、初めて聴くようなもんですよ。
 しかも、ほとんどステレオとリミックスが違わない曲も、ずいぶんあって。
 それを探すんですから、さらにさらに疲れます。

 で、中間報告的な感想です。

 今回のモノ・リマスター、安易に音を良くしようとかいう方向に走ってない気がします。
 つまり、モノ特有の、中音域を重視した、音のカタマリとして、こういう音をビートルズは聴かせたかったんだ、それを再現するんだ、という、リマスタリングスタッフの、強い意志が感じられるんですよ。
 だから、音圧がすごい。

 ただその反面、あまりにも数多くの音を、ビートルズはモノラル盤を出すときに捨ててたんだなあ、ということも、強く感じました。

 それを特に感じたのは、「サージェント・ペパーズ」。

 「フィクシング・ア・ホール」 とか、「ミスター・カイト」 とか、その曲の特徴ともなるべき楽器やコーラスが、ほとんど音の塊のなかに消えているのは、ちょっと聴いていて軽いショックを受けました。
 それは、全部の音を入れてしまっては、何が何だか分からなくなる、という、モノラルの限界だったのかもしれませんが、こうなると結果として、彼らの革新的な音の世界が感じられなくなる。
 あんなにきらびやかに見えた 「サージェント・ペパーズ」 が、実は実直でタイトな、ロック・アルバムだったのです。 「リボルバー」 から 「サージェント・ペパーズ」 の音の変化は、私にとってはコペルニクス的な転換だったのに、モノラル盤を続けて聴いてみると、すごく自然な流れなんですよ。 これってショックですよ。

 ただやはり、リマスターの本当の魅力を堪能できるのは、やっぱりステレオでしょうね。 あれ?この前の記事でも書きましたっけ。 個々の楽器がよく聴こえるようになるのは、やはり音の分離が一目(一耳?)で分かる、ステレオなんでしょうね。

 でもいまは、こっちのモノラルの世界に、ちょっとしばらく、浸っていたいと思います。 なにせ 「完全初回生産限定版」 とかいう殺し文句で、大枚はたいて買った20カラットのゴールデン・リング、じゃなかった、「モノ・ボックス・セット」 なのですから。

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2009年9月 9日 (水)

案の定、ステレオリマスターが欲しくなってきました

 いや、今聴いておりますが、ビートルズ・モノ・ボックスを。 今、ちょうど 「ラバー・ソウル」 までたどり着いたところです。
 音圧がすごいですなあ。
 特にベースの音像がブーンブーン来ますなあ。
 これもポールが生きているからか?なんて要らぬ詮索もしたくなるほど、初期のアルバムのベースの存在感が増してます。
 モノでこれだけすごいんだから、ステレオで聴いたら、メチャクチャでしょうなあ。

 「プリーズ・プリーズ・ミー」 のドライヴ感には、ちょっと圧倒されました。 聴き慣れたステレオ・ヴァージョンより、数段いいじゃないですか。 同名タイトルが入ったデビューアルバム、「プリーズ・プリーズ・ミー」 は、レーベルも、パーロフォンのゴールド仕様。 マニア心を刺激します。 アンタ、これが1962年のイギリスで、ファーストプレスを買った人が聴いた音ですよ!と言いたくなるような音。

 重箱の隅をつつくようなステレオ盤とモノの違いなんですけど、それほどこれはすごい違いだ!というのは、今聴いている限りではありませんが、これから待っている、「サージェント・ペパー」 と 「ホワイトアルバム」 には、今からワクワクしています。

 それにしても、「ヘルプ!」 のモノには、シビレまくりましたよ! 私、マニアを気取ってますけど、このヴァージョンは、初めて聴きました。 ジョンの歌が、いままで聴いていたものは、実に破壊的だったんですけど、こっちのモノ・ヴァージョンは、実に内省的なヴォーカルです。 レココレの、森山直明サンが書いているように、切実なんですよ、訴えかけようが。
 それで、アルバム 「ヘルプ!」 ですけど、1965年ステレオ・ヴァージョンも入っている、2イン1構造なんですな。 今聴いている 「ラバー・ソウル」 も同じ2イン1で。
 そうか、だからこの2枚のアルバムに関しては、2枚入っているという考えで、ステレオ・ボックスセットよりも少ないクセに5千円も高くしてるんだな、何となく納得、というか、そもそも30分程度の初期アルバムの値段が高すぎるんとちゃうか?と言いたくもなったり。

 それにしても、この 「ヘルプ!」「ラバー・ソウル」 の2イン1で入っている、1965年ステレオ・ヴァージョンって、なんか違うのかな?と思って調べてみましたら、この2枚とも、20年前に初めてCD化した時に、ジョージ・マーティンが極端なステレオ効果を是正したらしいんですな。 それが一番顕著に出ていたのが、「ラバー・ソウル」 期で、片方にヴォーカルのみとか、それを中央寄りに、変更したそうなんですよ。 ってことは、すでに20年前、リマスタリングはしていたってことじゃないのかなあ?
 私がビートルズを聴き始めた1975~6年当時、「ラバー・ソウル」 なんかは、アナログ盤で買いましたけど、バランスヴォリュームを片方に寄せるとカラオケ仕様になるとか、結構やっとりましたよ。

 ああそれにしても、「ヘルプ!」 の1965年ステレオ・ヴァージョン、凄かったなー。 やっぱりリマスターの本当の醍醐味は、ステレオ盤でこそ堪能できるものなのでしょう。 …だめだ、もうステレオ盤ボックスセットも、買うしかない。 だいたい 「アビイ・ロード」 が、入ってないんですから!このボックス・セット。 「レット・イット・ビー」 も! ビンボー人を、これ以上苦しめないでいただきたいもんですよ。
 でも、ああ~、音がよくって感動する。
 「モノ・マスターズ」 も、今からすごい楽しみ。
 また、全部聴いたら、記事をアップしますね。

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来ましたよ!リマスター盤、モノ・ボックス!

 いやいや、来ましたよ、たった今、佐川急便サンが!
 予約しておいた、日本版のビートルズ・モノ・ボックス!
 全体の感じは、あれ、ロングカートンサイズじゃないんだ、という感じ。 「ジョン・レノン・アンソロジー」 と同じサイズですが、ちょっと幅的にはモノ・ボックスのほうが薄い。 「ジョン・…」 は箱を上に開ける方式ですが、こっちは側面から開ける方式です。
 早速ちょっと、聴いてみますけど、ああ仕事が…。

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あーもう、いつ来るんでしょうか、リマスター盤

 ついに来ました9月9日。
 なにって、ビートルズのリマスター盤発売日ですよ。
 ニュースでは、かまやつひろしサンがカウントダウンをして、午前0時から、売り出されたとか。 かまやつサン、あなたはどっちかっていうと、ストーンズ派では?

 それはいいとして、アマゾンに予約を入れている日本盤モノ・ボックスセット、いったいいつになったら来るのやら。 我慢できません。 はよ聴きたいっス。
 CDショップ行って、どんなものか確認だけでもしてきますかね。

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2009年9月 8日 (火)

うずもれた墓石

うっそうとしていた橋本家の墓の後ろ側が
数十年ぶりにきれいに伐採されて
これまで長年ものあいだ
うずもれていた墓石が
いくつもあったことに
墓参りに来た私たちはちょっと驚いた
見れば
墓石の年代は
享保年間とある
このちいさなちいさな墓は
ずいぶん昔から無縁仏となり
しかも草木に閉ざされて かんぜんに見棄てられていたのだ

気づけば私も
いつの日か無縁仏となり
怪物のような植物たちに墓場を蹂躙され
かんぜんに忘れ去られる日が来るのだろうか
私の残したいくつもの気持ちは
ネット上に永久に残されたままになるのだろうか
それとも
いつの日かそれは
ネット空間の空高く焼却されて
第二の死を迎えるのだろうか
享保時代に死んでいったその墓の主に思いをめぐらせながら
ほんとうに残したいものとは何なのか 私は考えざるを得なかったのだ

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原因

とりかえしのつかないあやまちをしても
忘れることで こころの平静を保ってきた
たまには思い出してしかめっ面になったりするけれど
都合の悪いことなど ほっかむりしてしまいたい みんな

失敗をしなければ成長しないとか よく言うけれど
失敗をいくらしても 成長なんかできなかった
傷つくことばかりを強いられて
なにも自分はできないんだとしか 思えなくなってくる

あれのせいだ これのせいだ
責任の所在を明らかにすることは 確かに重要だけれど
その段階でうろちょろしていれば 実はとても楽だ
そこからどうするべきか 考える必要がなくなるからだ

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「音楽寅さん」 2009年9月7日 山中湖野外ライヴ!

 「音楽寅さん」 9月7日は、スペースシャワーTV主催で2009年8月28日~30日まで、山梨県山中湖交流プラザきららで開催された、野外ライヴの模様。

 内容的にはなんのひねりもないので、特にこまごまと書くことはありませんが、オッサンは最近歳のせいか涙もろくて、「栞のテーマ」 や 「希望の轍」 のイントロを聴いた途端、もうウルウル状態。

 このライヴ、「桑田佳佑&SUPER MUSIC TIGERS」 という特別編成バンドで、ハラ坊や松田弘サンも参加した、「半分サザン」 状態。 ハラ坊が参加した 「スキップ・ビート」 なども感激しましたが、なんと言っても、「栞のテーマ」 ですよ。

 「栞のテーマ」 は、サザンがいちばん不遇の時代、「タイニイ・バブルス」 から 「ステレオ太陽族」 のころに発表された曲で、個人的にはこの時代、桑田サンの才能の、第1期ピークだったように思っています。
 たしかあの時代、サザンは表向きの活動を全部ストップして、シングル盤を次々出していた時期だったと思うのですが、そのシングル曲のクオリティの高さとは別に、チャート的にはほとんど見向きもされず、なんでこんないい曲がチャートインしないんだと、すごく腹立だしかったことを覚えています。

 その連発されたシングル盤の一部。
 「涙のアベニュー」
 「忘れじのレイド・バック」
 「シャ・ラ・ラ」
 そして、「栞のテーマ」。

 これらは、桑田サンの全キャリアのなかでも、間違いなく上位に入る曲群です。
 却って、これらの曲のあと、テレビ復帰を果たして大ヒットとなった起死回生のシングル、「チャコの海岸物語」 のほうが、どうでもいいような曲に、当時は思えたものです。
 「チャコ」 も、思い入れは強いですけどね。 確かこの曲、「サザンオールスターズVSツイスト」? ってテレビ番組で、サザンがようやく本格的な活動を再開する、その第1曲目、みたいな紹介のされ方で見たのが最初です。 歌い方がヘンだなあ~、とか。 これでサザンがメジャーに復帰できたので、とてもうれしかったですけど。 個人的にはその前のシングル信奉者でした。

 桑田サンの曲を、歌詞という側面から見た場合、英語と日本語のミックスという才能以外には、取り立てて特筆すべきものが、見当たらない気がするのですが、なんなんでしょうね、意味として決してつながってはいないような歌詞に、ものすごい説得力を感じる時があるんです。

 これは、もしかしたら、自分の恋愛経験からくる切ない思い出に、桑田サンの書く詞が直接リンクしてくるせいなのかもしれません。
 じっさい 「シャ・ラ・ラ」 などを聴くと、1980年当時の情景が、まざまざとよみがえってきます。 これは、桑田サンの書く詞の力ではなく、当時よく聴いていたから、という理由からかもしれません。

 だけどそれだけでしょうか。
 例えば、「忘れじのレイド・バック」 の出だし。
 「オレをとろかせる女でいてよ」
 「シャ・ラ・ラ」 の出だし。
 「なにするにせよそっと耳元で語ろう」
 「栞のテーマ」 の出だし。
 「彼女が髪を指で分けただけそれがしびれるしぐさ」
 この一言で、恋人同士がどういう状態なのか、すぐに分かってしまいませんか。
 桑田サンの書く詞には、ワンフレーズだけでも、その状況が把握できてしまう 「情念」 みたいなものがある。 くしくも、これらの曲では、「言葉じゃない」 という一貫したテーマがある気がします。

 だから、「栞のテーマ」 などを不意に聴いてしまうと、涙ダバダバになってしまう。
 言葉とかの理屈じゃないんですよ。

 なんにしても、活動停止したはずのサザンオールスターズの、半分を見られただけでも、大満足でした。 若い世代にも、どんどん聴いてもらいたい音楽ですよ、サザンオールスターズの音楽は。

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ついに明日っスね、リマスター盤!

 うおおーっ。
 のっけからコーフンしていますが。
 ついに明日ですよ、ビートルズのリマスター盤発売日!
 あっという間にこの日が来ちゃった感じです。
 仕事が手につかない感じなんですけど。
 それにしても、アマゾンに予約した日本版モノ・ボックスセットは、明日届くのだろーか?
 それだけが気がかり、というか。
 とにかくこのコーフンを抑えておかないと、もし明日じゃなかったらスンゴイがっかりすると思うので、いまはガマンガマン、ですよ。

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2009年9月 7日 (月)

「仮面ライダーW」 バロムワンかと思いきや…

 平成ライダーシリーズの最新作、「仮面ライダーW」 がこのほど始まったわけですが。 見ました。

 今回のライダーのコンセプトは、「ふたりの人物が合体してひとりのライダーになる」 ということ。
 こういう話を聞くと、私みたいなオッサンは、ほぼ条件反射的に、「超人バロムワン」 を連想してしまいます。
 「超人バロムワン」 は、なんとあの 「ゴルゴ13」 の作者、さいとうたかを氏が手掛けたヒーローもの。 テレビで実写ドラマ化され、確か日テレの日曜夜7時半から、裏番組のアニメ世界名作劇場とタタカッテいた気がします。 この時間帯、「宇宙戦艦ヤマト」 とか 「ルパン3世」 とか、後年のビッグタイトルが、「ムーミン」「ハイジ」に挑んでは惨敗していたという、いわくつきの時間帯で。

 昔話を始めると、オッサンは長くなってしまうのでここらへんでやめますが、今回の 「仮面ライダーW」 は、そのバロムワンとか、「ドラゴンボール」 のフュージョン!とか、オッサンの考えるレベルでの合体変身では、なかったわけです。

 それの説明はちょっと難しいのですが、よーするに片方は、幽体離脱?ですか?(笑)

 で、体の右半身と左半身が別々の人格、ということになるんですが、このフォルムって、またオッサンの昔話になりますけど、人造人間キカイダー、のノリですよね。 コンセプト的には 「マジンガーZ」 のあしゅら男爵(笑)…ってちょっと違うか。

 でもですね、今回の仮面ライダーは、正直言って、カッコいいです。
 余計なゴテゴテがない。 触角も、ちゃんとついてるし。 しかもその触角、Wってなってる(笑)。
 それに、カラーリングに、変な嫌味がない。 黒と、緑でしたかね、基本が。 なんか、その組み合わせってヘンでしょ、という感じにならないっていうのはすごい。
 変身ツールがUSBメモリー、って(笑)。 将来、USBがなくなってしまった時、ナニソレ?と言われないことを祈ります(笑)。

 ただ、相変わらず、事情がよく、分かりません。
 どうして主人公のふたりが仮面ライダーになったのかとか、どうしてふたりでなければ変身できないのかとか、悪の組織は何を企んでるのかとか、基本的な事柄がみんな謎。 特に寺田農サンなんか、ほとんど 「ラピュタ」 に出てくるムスカのキャラなんですが(笑)、いったい何をしたいのか、まったく分からない。
 「ディケイド」 の時も、表面的な物語は簡単だったんですが、物語の根幹が、とても難解でした。

 正直なところ、「子供向け番組」 に難解さを採り入れたのは、「新世紀エヴァンゲリオン」 の功罪のひとつだと、オッサンは考えているのですが、その傾向には、まったく歯止めがかかっていませんよね。

 これって、つまるところ、仲間内だけのルール、みたいな閉鎖的な効果しか、生み出してない気がするんですよね。 分かる人には分かるんだろうけど、万人にメッセージが向かってない、届かない。 とても、自閉的に思える。

 まあ、前作 「ディケイド」 みたいに、ワケ分かんないうちに最終回も話が終わんなくって、続きは劇場で!みたいな展開に、ならなきゃいいがなあ、とは思っております。 終わってみたら、「仮面ライダーw」(wって、ネットスラングで 「笑」、って意味らしいですね)と陰口叩かれていなければ、いいんですが。 あっこのネタ、もうすでに誰かがやっている気がするなあw。

追記
 どうも 「どうしてふたりが仮面ライダーになったのか、どうしてふたりでなければならないのか」 という、とっかかりの部分も、12月の劇場版でやるみたいです。 「ビギニング」 とか。

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「官僚たちの夏」 第8回 この内容じゃ選挙前は放送できない

 3週ぶりの、「官僚たちの夏」。
 先々週は 「世界陸上」、先週は選挙特番。
 で、今週から 「堂々の第2部」 というわけで、華々しく再開とあい成ったが、佐藤浩市サン演じる風越が左遷されているのは今回だけだったし、内容に関して劇的な変化はないし、わざわざ第2部と喧伝する意味は、実はないと言っていい。 早い話が、「テレビ局の都合」 である。

 このドラマ、最初から10回、と決まっていたようだが、衆議院選挙が8月30日に行われる、という事態は、想定していなかったように思える。 告示後の放送が、「世界陸上」 でお休みになったのは、幸運な偶然だったのではないか。
 なぜなら、告示後に今回第8回の放送をしたとしたら、たぶん公職選挙法に抵触する可能性があった。 それくらい、今回の自民党(ドラマでは 「民自党」)政治家たちは、…
 …カッコよかったあ~(しみじみ…笑)。

 風越が特許庁に飛ばされた代わりに特許庁から異例の復帰を果たした船越英一郎サン演じる玉木が、国産初の旅客機YS-11の機体改善のために、その計算処理能力において圧倒的な優位を保っている米国IBM(ドラマではIDN)社のコンピュータを使おう、という話になって。 それを北大路欣也サン演じる池田勇人総理(ドラマでは池内総理)に談判に行くのだが。

 玉木 「手っ取り早くIDNを導入したほうが効率的です」
 池内総理 「だが、…現状の効率だけを追求して、日本に何が残る?」
 玉木 「…は?」
 池内総理 「アメリカ製のコンピュータを導入したほうが手っ取り早いというなら、飛行機だってアメリカ製を導入したほうが手っ取り早いということになる。 すべてそういう考えでやっていたら、家電も自動車も、外国製にすればそれで済むという話になる。 国内産業は何ひとつ育たないことにつながり、…国は滅びる」
 玉木 「(笑)それは極端すぎる意見です…。 一緒に国際化を推進してきた池内総理がどうしてそんなことをおっしゃるのか分かりません」
 池内総理 「オレは!国際競争で日本産業の力を伸ばすことには賛同してきたが、自由化で、何から何まで外国の技術に依存しようなどという情けない発想に賛成したつもりはない!」

 そして池内総理は玉木に、国産のコンピュータも旅客機も育成してやってほしい、と懇願する。
 これが、自らの死期を悟った池内総理の、玉木への最後の願いだというのだ。

 これがカッコよくなくて、何がカッコイイというのか!(笑)

 そして池内総理は、長塚京三サン演じる佐藤栄作(ドラマでは須藤恵作)に、折から始まっていた東京オリンピックの話をしながら、次期総理の座を打診する。

 池内総理 「ひとりの力じゃ聖火台までたどり着けない。 次の人間へ、また次の人間へと渡していく。 …国政も同じだ。 オレも、岸谷前総理から受け継いだ政権を、次の総理に渡さなければならない。 …オレは総理を辞めるよ。 この国を、須藤君に託したい」
 須藤 「私に? しかし我々はいつも対立し、そのたびにあなたは私を潰してきた。 政策論でも、けっして一致していません」
 池内総理 「だが、君はどんなときでも、信念を貫いた。 国際化というオレの役目が終わった今、必要なのは須藤君のような指導者だ。 これからの日本をよろしく頼むよ」
 手を差し出す総理。 しばらく考え、立ち上がって手を差し伸べる須藤。
 須藤 「分かりました。 必ず日本国を、世界の一流国にしてみせます」

 どうですか。 ここまで来ると、もはやプロパガンダとしか言いようがないじゃ、あーりませんか(笑)。
 これを選挙前に放送していたら、自民党はもうちょっと、がんばれたかもしれません、…ってそれはないか(笑)。
 でもこれって結局、密室でのなんとやら、ってことですよね。

 この回のラストで、車いすに座って点滴を受けている池内総理が、自分の家の庭に出て、YS-11が頭上を飛ぶのを楽しみにしている、と風越に語るところは、なんとも 「ドラマ的に」 感動する場面だった。

 でも、これを素直に感動できない私自身に対して、なんとも複雑な気持ちになってしまう。

 なぜなら、国産旅客機がこのあと、本当に成長したのかな、と考えた時、門外漢でなにも知らない私がここで発言するのもおこがましいが、旅客機ってボーイング社ばっかりだよなあ、という気がしてならないのだ。 YS-11は確かに、国産旅客機として、実に誇り高い機種だった。 テレビドラマでも取り上げられたりして、個人的にも思い入れの強い旅客機である。 だけど振り返ってみると、これだけだったような感じなのだが。 もしそんなことはない、という方がおられましたら、どうかご指摘ください。

 これは結局、旅客機の産業が、その後国内ではじゅうぶん国際競争力を身につけられなかった、ということなのだろうか。
 旅客機製造というのは、日本の産業構造に必ずしも合っていないような気もするのだが、いったいこの分野が伸びなかったのはどうしてなのかな、と考えたりもした、今回の 「官僚たちの夏」 だった。

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2009年9月 6日 (日)

「天地人」 第36回 久々に書きますかね

 あまりにどうしようもない内容に、苦言を呈する気も失せて、このところずーっとレビューを書く気になれなかった 「天地人」。 でも、どうしようもないとか言っても、続けて見る気になるんだから、魅力はあるに違いない。 つまらなければ、見なくなるのだから。

 それがここ2回ばかり、ヤケに内容がよくて、うなってしまう。

 どこがいいのかって、先週は秀吉役の笹野高史サン、その最期の演技がすごくよかったし。
 秀吉役の人って、いままで何百人も(冗談)見てきたけど、そのどれとも違う、個性的な最期だった。 いったん正気に戻って、死んでしまうなんて。 アレ? 逆だったっけ? しゃきっとしたらボケてたんだっけ。
 これは原作がそうなのか、脚本家の方が創作したのか、ともかくすぐれた場面だった。
 笹野サンの風貌も、いちばんあの肖像画の秀吉に似てた気がする。 いかんせん、出はじめのころは、ちょっとトシ食い過ぎてキツイかなーと思ったが。
 笹野サンはけっして、大物俳優というわけではなく、むしろ脇役中心に活動してきた人だったけれど、今回の秀吉役は、間違いなく代表的なキャリアのひとつになると思う。 食ってましたよ、まわりの俳優サン。 それなのに、出しゃばりすぎた演技もしないし。

 その秀吉の最期に伴ってこのところ出番が急激に増えている、家康役の松方弘樹サンも、メチャクチャいいんだな。
 もう、狡猾な憎まれ役、全開!
 この人ひとりだけでこのドラマはもっていると、以前にも何度か指摘したが、脚本家が松方サンの実力を感じとったのか、このところ家康の存在感の、脚本における表現力は、群を抜いて素晴らしい。
 松方家康は、何かひとこと言うのにも、しきりに一歩先一歩先の駆け引きを考えている、頭をフル回転させているような演技をする。 ここがすごい。 セリフをただ憎々しげに言うだけでは、この奥深い演技は生まれないのだ。 そして常に、相手をどうやって理詰めで挑発するか、いかに感情を表に出さず、どこで感情を爆発させて効果を上げるか、それを絶えず計算している、そんな演技を松方サンはするのだ。

 それが一番感じられたのは、五大老の会議で妻夫木クンを軽ーくいなすところ。
 「あ、忘れとった」 って。
 妻夫木クン、会議に割り込んできて正論をぶちまけたまではよかったが、しまいには家康の挑発に乗って頭に血がのぼってしまって。
 それこそ家康の思うつぼ。
 「国替えしたばかりなんだから、国に帰ったらいかが?」
 という家康、話をはぐらかしながら、上杉を牽制するあたり、さすがだなあ。 その一言一言に、いろんな意味が含まれているのがすごいんだな。

 なんだか、脚本協力とかいうクレジットが出ているみたいだけど、話がしっかりしてきたのは、そのせいもあるのかもしれない。

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NHK 「よみがえるビートルズ」 見ましたよ!

 リマスター盤の発売に合わせて、前日にイギリスBBCで放送されたばかりの新作ドキュメンタリーを、NHKでも早速やってくれました。 「よみがえるビートルズ THE BEATLES Reborn」。

 未公開レアフィルム満載、ということでしたけど、ビートルズの映像って、それこそ星の数ほどありますからね。 その主要なものの大部分は、「アンソロジー」 DVDで出しつくした感がありますし。 必然的に、レアフィルムと言っても、アウトテイクものが中心になるわけです。

 その中でもこれは貴重だな、と思ったのは、テレビショーでの 「フロム・ミー・トゥ・ユー」 の映像ですかね。 これは、見たことなかったです。 キャバーンクラブのドーム状のレンガを模したスタジオセットで。

 あとレアだと思ったのは、確か 「レイン」「ペイパーバックライター」 のプロモフィルムの、たぶんアウトテイク。 なにしろ映像がキレイで。 これはなかなか見ものでした。

 それからやはり、スタジオ内での会話なんか、興味深いものが目白押しでしたね。 これって、マーク・ルウィソーンの 「スタジオ・セッション」 を肌で感じるような快感がある。 そのうちに、遠い将来かもしれませんけど、マーク・ルウィソーン氏が触れることのできたスタジオ内の記録のすべてを、実際にコレクションとして聴ける日が来たらなあ、と思います。 よーするに、ルウィソーン氏、うらやましいのです。

 今回の番組、ナレーションはすべて、ビートルズの4人と、「5人目のビートルズ」 ジョージ・マーティン氏のみ。 NHK編集の部分は、例によって松本和也アナでしたけどね。 いいんですけど、NHKでビートルズというと、この人ばっかりなので、ちょっと他の人も聞きたい、というか。 いやいや、別にウザいとか、そーゆーわけではないんですよ、けっして(笑)。

 日本語字幕も、可能な限り詳しく翻訳しているみたいで、好感が持てました。
 ただし1か所、リンゴがしゃべっているようなところが、ポールとかなってましたけどね。
 このナレーション ( インタビューも ) のほとんどは、この番組のために新たに取材したものではないと感じました。 亡くなったジョンとジョージに関しては、そりゃ当り前ですが、ジョージ・マーティン氏などは、御歳83歳でからね。 マーティン氏のナレーションは、どことなく原稿読んでいるような感じでしたよ。 「アンソロジー」 DVDから転用、というのもありましたし。

 そもそも、この番組、なんだか 「アンソロジー」 DVDを見ているような感じでした。
 手法が似ているんですよ。

 ただし 「アンソロジー」 よりも進化したのは、なんと言っても写真で撮られた画像のCG処理ですかね。 まるで立体写真を見るような感覚にとらわれました。 画像だけでなく、映像でもやってましたよ。 全体の演奏風景から、いきなり画面いちばん奥のリンゴにパンするとか。 ちょっと刺激的でした。

 デジタル処理、と言えば、これはBBCのライブラリーからそのまま持ってきたのかもしれませんが、映画 「レット・イット・ビー」 の冒頭場面、マル・エヴァンスがリンゴのバスドラのビートルズのロゴを持っていくところですが。
 いやー、デジタル処理、されてませんでしたねー。
 映画 「レット・イット・ビー」 の画面は、そのアウトテイクを含めて、今回の番組ではみんなデジタル処理されたような、鮮明な映像だったのに、なぜかあの部分だけ、ピンボケだし古い映画特有のノイズはあるしで、なんなんだ、と思いましたね。
 これって 「レット・イット・ビー」 の鮮明画像版は、当分出ないっていう、アップルのサインなんですかね。

 今回の番組のもうひとつの売りが、バックで流れる音楽が、このたび発売されるリマスター音源を使用している、っていうこと。

 ちょっとイヤホンで聴いてたんで、細かいことは分かりませんでしたが、いやいや、それにしたって、サイドギターの音像が分かったり、なかなか刺激的でしたよ。 ああ~、私ね、ビンボー人なもんですから、今回 「完全限定版」 のモノ・ボックスしか、予約入れてないんですよ。 しかし今日のこれ聴いちゃったら、ああ~もう、ステレオボックスも、買わずにはいられません。 くそー。 お盆をはさんだ今くらいの時期って、私みたいな超弱小企業の経営者には、ホントキツイんスから。

 今日の放送は、9月12日の0時55分から、またNHK総合で 「完全版」 としてやりますので、見逃した方はそちらをぜひご覧ください。 私もそっちは、予約を今から入れて、万全の態勢でおります。

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「破天荒」 って意味、間違えて覚えてました

 文化庁が毎年発表している、国語に関する世論調査。
 毎回、「エッその言葉、そういう意味だったの?」 という驚きを提供してくれます。

 去年(2008年)なんかも、「憮然」 とか、「檄を飛ばす」 とか、私も間違って解釈していた単語がありました。 覚えてますか? ちなみに 「憮然」 は、「失望してぼんやりとした様子」、「檄を飛ばす」 は、「自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求めること」 でした。

 今年(2009年)もやってくれましたね、文化庁。

 新聞に取り上げられたもので、私が間違って意味を覚えていたのは、「破天荒」。

 私がこの言葉から連想するイメージは、「ハチャメチャだけど豪快、自分のやりたいことをやりまくっている」、って感じでした。 はたから見ていてうらやましい、というか。 「破天荒な人生」 みたいな使い方を、自分もしていた気がします。

 ところがこの言葉の本来の意味は、「誰もが成しえなかったことをすること」。

 言葉というものは時とともに変わっていくもので、いまその意味で辞書にものっている言葉が、大昔は全く逆の意味だった、なんてのはよくあります。 この文化庁の世論調査が出るたびに、なんだかそんな開き直り、というか、間違い擁護、みたいな論調が見られる気がします。
 でもとりあえず、その言葉の本来の意味を知っておくのは、損なことではないでしょう。 職場で自慢できますし。 ってその程度かよ!(笑)

 けれども、本来の意味を知ってしまうと、それを間違って使っている人たちに対して、嘆かわしい、と思ってしまうこともまた事実だと思います。
 例えば、伊東四朗サンなんかはラジオでよーく怒ってますけど、「なにげに」 じゃない、「なにげなく」 なんだと。 結構それを事あるごとに聞いたもんですから、私も 「なにげに」 と話している人を見ると、とても気になるのです。 「なにげに」 撲滅運動でもしたくなるくらい(笑)。

 それにしても、この世論調査、文化庁のHPを覗いてみましたけど、ここの部分だけでなく、なかなか興味深い、全体的に。

 この調査の方法としては、全国の16歳以上の男女3480人を対象として、有効回答数がそのうち1954人だった、ということ。
 これって多いのか少ないのか。

 設問にも、報道されているほかに、興味深いものがいくつかありました。

 「美しい日本語」 とはどのような言葉か。
 その割合が平成13年度からいちばん減ったのが、「アナウンサーや俳優などの話し方」 という回答枝で、割合が上がったのが、「控え目で謙遜的な言葉」。 まあ、「アナウンサー」 はいいけど、「俳優」 ってなんだ?とは思いますけど。

 そのほかに、「本を読むか」 とか、「情報をどこから得ているか」 とか、「ネットの言葉はこれでいいと思うか」 とか。
 これは報道されていましたが、「パソコンなどの普及で漢字が書けなくなるのでは」 という危惧を持っている人も増えていたようです。 私個人で言うと、漢字が書けなくなった、というよりも、筆記用具で文字を書くと、なんだか最近、やたらと疲れます。 小学校のころは、ものを書くことが多かったせいか、こういうことがよくあったものですが。 これって単なる老化ですか?(笑)

 ちょっと気をつけなければならないと思ったのは、カタカナ言葉の使い方、ですかね。 だいたいニュアンスとしては合っているんですけど、実際にその言葉の翻訳されたものを読むと、「ちょっとつまんないな、その言い方」 とか、「なんとなくズレがある」 とか、多いんですよ。
 例えば 「モチベーション」 とか。
 どちらかというと、「やる気」 みたいな感覚で使ってましたけど、「動機」 って意味なんですね。 「ものごとの意欲を高める動機」 っていう。

 いずれにしろこの世論調査は、日本語の大切さを思い起こさせてくれる点で、おかみがやっている調査のなかでは、比較的有用なもののように感じます。 まあ、民間がやってもいいような気は、しますけどね。

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「チューボーですよ!」 錦戸亮クン、お初にお目にかかります

 つまらない話で恐縮です。 またダラダラ長い記事になってしまいました。 すいません。

 「チューボーですよ!」 2009年9月5日、ゲスト錦戸亮クン。
 私この人をちゃんと見たの、これが初めてで。
 だから、錦戸クンがNEWSと関ジャニ∞の両方のグループに入っているということも、今回初めて知りました。

 自分なりに、結構ジャニーズタレントについては詳しいつもりではいたんですけど。 考えてみれば、私がフォローできてるのって、嵐のメンバーくらいまでかなあ。 別にオッサンがこんなこと、自慢にもなりゃしませんけどね。
 だからグループとしては目にしていたかもしれませんが、錦戸クンの出るドラマも、全然見たことないし、今回じっくり見て、こういう人だったんだなって。

 風貌的には、玉木宏サンに似てるかな、という感じ。 ちょっとタレ目の。
 関ジャニ(どぉ~も 「患者に」、と変換してしまうなあ…笑)だけあって、関西人のノリもある感じかな。 こてこてじゃないですけど。

 そういえば、新型インフルエンザにかかったって、ニュースでやってましたね、最近。 そのために今出演中の 「オルトロスの犬」 も、前日放送分ではこれまでのダイジェストみたいな、特別版を放送したとか。 「チューボー」 でも、「この番組は8月5日に収録されたものです」 とかテロップが出てました。 なんか、堺巨匠から、「鼻声だ」 って言われてましたよ。 「いやコレ普通」 って言ってたんで、風邪とは関係ないんでしょうけどね。

 でも彼が日テレの24時間テレビに出ていたことで、彼から感染された人が出たのでは、みたいな報道が一部されてましたけど、それって逆なんじゃないのかなあ。 あんなに不特定多数の人と触れ合ったのだから、「錦戸クンが感染された」 っていうほうが本当のような気がするんですよ。

 枡田アナに、「好青年、DV(ドメスティックバイオレンス)男、サギ兄弟と、かずかずの目が離せない演技をされました」 という紹介のされ方をして、錦戸クン 「それ文字にするとやばくないですか?」(笑)。
 「DV男ってなんなんだ」 と巨匠に訊かれて、枡田アナ 「怖かったんですホントに!」。 枡田サン、ちょっとそのドラマって、他局の番組じゃないですか? いかんなあ~、TBSの局アナが、フジテレビの 「ラスト・フレンズ」 なんて見ちゃなあ~(笑)。

 「関ジャニはもう、キッタナイ大阪人の集まりなんで(笑)ホンマに、下品な人たちばっかりなんですね。 NEWSはみんなこう、いいとこのコって感じですね」 錦戸クンはその性格が全く違うふたつのグループで、いろんな経験をさせてもらっている、とか。

 この 「チューボーですよ!」、ジャニーズ事務所のタレントサンが出てくると、きまって堺サンは、ジャニーサンやメリーサンのことを話題にしたがる気がするんですけど。
 今回もジャニーサン、小銭を錦戸クンに渡して 「ジュース買っておいで」 とか。 結構面倒見がよくて気さくに話せるそうですね。 でもその小銭が、片手にガバッといっぱいとか(笑)。 なんか、突き抜けてますよね、ジャニーサンって。

 好きな女性のタイプは?と巨匠から訊かれて、「これ言ったらちょっとおかしいって言われるんですけど…あのー…マネキン…(スタジオ大ウケ)…でしょ?ちょっと引くでしょコレ?」。
 堺巨匠 「でもいろんなところで会えるよなあ?」
 錦戸クン 「いやそうスね、でもそんなマネキン見て 『うわカワイイ』 とは思いませんけど」(笑)

 「親方シリーズ」 も、またまた先週に引き続きやってましたけど、最後はふたりとも親方役になっちゃうという、変わったパターンでした。 「親方シリーズ」 って、結構若手の人は、堺サンが実際に大物なのに気おくれして、ちゃんとこなす人ってあまりいないんですが、錦戸クン、そこは関西人のノリで、結構イケてましたよ。 錦戸クンが親方になった時も、ただ一方的に威張るんじゃなくって。 自分の立ち位置が分かっている人だな、と感じました。 「親方シリーズ」 って、結構ゲストの人間性が分かったりしますよね。

 絵を描くのが得意、ということで、巨匠とお互いの似顔絵描きっこをやってましたけど、枡田アナに採点してもらおう、ということになって。
 「えぇ~~…。 …ホントに 『0点』『0点』 っていう…」(笑)
 枡田アナ、なんか、普通はゲストに華を持たせたりとか、考えそうなんですけどね。 確かに、マジック書きでふたりとも、ホントに片手間に描いたような出来だったんですよ。
 ここらへんのリアクション、ホントにこのコは上手いなあ。

 あ、書き忘れましたけど、今回のメニューは豚の生姜焼き。 ちょっと醤油が効きすぎたみたいで、錦戸クンはしきりにご飯を欲しがっていました。 なんでもご飯は、彼の大好物らしくて、以前塩だけで3合食べたとか、番組でも話していました。 ア然。 むっちゃ食うな~こんなに細いのに。 炭水化物やで。

 巨匠が出来上がった生姜焼きを食べて、「美味くてビビビっ!」 みたいなリアクションをして、枡田アナに振ったもんだから、枡田アナも、「ビビビっ!」 と同じリアクションをしたんですけど、スタジオがシーンとしちゃって。
 「…誰かなんか言ってあげないんですか?(笑)…せめて笑うとか(笑)」
 いや、錦戸クンのフォローは、最高によかったですよ(笑)。

 巨匠 「(枡田アナに、味は)どうなの?」
 枡田アナ 「ちょっとだけ…」
 錦戸クン 「言うんスか(笑)ちょっとだけなに?なに?」
 枡田アナ 「ちょっとだけ、しょっぱいかなっていうのと、あの、火を入れるときに、巨匠が 『熱い熱い』 と踊られていたのでもしかしたらその間にちょっと煮つまったかなというのと、あとは、ショウガというよりショウユかなという、…ぐらいですかね!」(笑)
 巨匠 「ぐらいですかねってずいぶん言ったよなあ」(笑)
 …ここらへんのやりとり、最高に面白かったです。

 結局枡田アナの 「妨害工作」 が効いて?星2つ。 ここらへん、もう枡田アナの 「お約束」 になってますよね。 こうなってくると、堺巨匠もそれに対して怒ることが 「お約束」 になって、枡田アナに対する不満につながらなくなる、っていう方向になっています。 枡田アナは、それを計算してやっているようなところが、すごいんですよ。

 錦戸クンの人となりも、今回なんとなく分かったような気もします。 今度、まあ私が見たいドラマで錦戸クンが出てきたら、少なくともこの人誰だっけ?ということには、ならないだろうと思います。

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2009年9月 5日 (土)

「れんたろう」 の衝撃

 ちょっと昔の家電の話を。

 VHSのビデオデッキというのは、親が買ったものも含めると、5台くらい稼働しましたかね。

 最初は確か、ナショナル(パナソニックだったっけなあ?)の、 「マックロード」 だったと思います。 でもこれは、主にオヤジ専用。 なかなか使わせてもらえませんでした。

 それで当時景気がよかったオヤジが、家族用にと買ってきたのが、日立の 「マスタックス」。
 再生ボタンが大きくて。 オレンジ色の録画ボタンがその隅っこに、三角ボタンで配置されている。 デザイン的にも、とてもすっきりしていて印象的だったと思います。
 このビデオデッキは、相当使い倒させていただきました。 スッゴイ酷使したので、修理に出すこともしばしば。 調子がおかしくなると、まずビデオテープに録画した音声が、ホワホワホワホワという感じになってくるんですよ。 そのうちに、ちゃんと動かなくなってくる。
 昔はでも、修理するのにも、それなりに使ったからなあ、という、一種納得ずくのようなところがありました。 いまは、そんなに使ってもいないDVDトレイが壊れたりとか、ワケ分からんです。

 ビデオデッキが2台あるもんだから、よくその2台をつないで、ダビング作業もしたもんです。
 アナログなもんですから、ダビングすればするほど、画質は劣化していく。
 しかも、互換性が悪くて。
 つまり、マックロードで録画したテープをマスタックスで再生すると(またはその逆も)、画面にノイズの横線みたいのができる。 これを調整するのに、トラッキング機能というものがついているんですけど、なかなかしっくり合うことは、なかったような気がしますね。
 でも、ある程度画質が劣化しても、こんなもんだと思ってましたよ、昔は。
 いまじゃDVD画質でも、大画面で見てしまうと、やっぱりブルーレイでなければだめかな、と思ってしまいますもん。

 自分が働くようになってからは、いつかは自分専用のビデオデッキを買ってやる!と思っていたのですが、ようやく現金がたまったところ、パナソニックから 「れんたろう」 というビデオデッキが登場しました。
 確か当時、ウッチャンナンチャンがCMしていたんじゃないかな。
 「レンタルビデオのためのビデオデッキ」 みたいな売り文句だったと思います。
 8万だか9万だか、結構いまにして思えば、高いもんですよね。

 でもその 「れんたろう」、その性能の高さに、ちょっと舌を巻きました。

 まず、「ジョグシャトル」 という、テレビ局にありそうな、テープの編集場所をぐるぐる回して見つけだすことのできる機能。
 これが、CM飛ばし録画に、とても重宝するんですよ。
 1コマ単位で、CM直前のところで一時停止しておき、CMがあけるとそこから録画できる。 レスポンスが早いので、ボタンを押してから動き出すまでのタイムラグがほとんどないんですよ。
 だから、うまく操作すれば、CM部分を完全に除去できる。
 しかもですよ。
 つぎはぎ部分って、最初の部分だけ、変に変色したり、するじゃないですか。
 それがない。
 まるでテレビの画面がぱっと変わるように、何のノイズもなく、つぎはぎ録画できる。

 これ、私がその後に買ったビデオデッキにもできませんでした。 この機能って、スゴイ技だと思うんですけど。

 「れんたろう」 は、個人的には、間違いなくビデオデッキの傑作です。

 「れんたろう」 の部品交換ができなくなって次に買ったのは、ビクターのS-VHSビデオデッキ。
 このころになると、CM飛ばしとかの重要性が低下していたので、いい画質で見たいな、というのがありました。 それでS-VHS。 でも、正直なところ、標準で録画してしまうと、どこが違うのかな、という感じでした。 S-VHS用のテープとか買って、試してみたりもしたんですけどね。

 それもポシャって、またパナソニックに戻ってきましたが、これは言わば、昔のビデオを見るため用で、たま~にしか使いません。
 これを買った時ちょっとしたショックだったのは、デッキ自体が、ものすごく軽いこと。
 なんにも入ってないんじゃないかと思うくらい。
 昔は、デッキだけでなく、ビデオテープも、結構重かったですよね。
 それが今じゃ、まるでどっちもおもちゃみたいに軽い。

 なんか、ハッチャキになってビデオに固執していた時代が、なつかしいです。

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2009年9月 4日 (金)

「LIFE 井上陽水 40年を語る」 第2夜 「麻雀 亡き人々 最後のニュース」

 「中身の濃い、楽しかった時間ですよね」 と陽水サン自身が振り返る、1980年代。 「井上陽水 40年を語る」 第2夜のテーマとなる時代だ。

 1976年に対談して交際が始まった、五木寛之サンの話。 作家やジャーナリストという人々に対して、陽水サンが強い興味を持っていたことを五木サンは回想する。

 そのひとりだった、阿佐田哲也サンには、なかでも大きな影響を受けたという。
 陽水サンの麻雀好きはよく知られているが、阿佐田哲也サンはその道でも独特の哲学を持っていたようだ。 同じ麻雀仲間の黒鉄ヒロシサンによれば、阿佐田サンは 「ばくち打ちでありながら品がいい」、陽水サンは 「勝ち負けにこだわらず、その場の雰囲気を楽しむ」。

 陽水サンが語る阿佐田サンのエピソードで傑作だったのは、ナルコレプシーという突然眠ってしまう病気をもっていた阿佐田サンが、麻雀の最中に寝てしまって、番になって起こされた阿佐田サン、店屋物の寿司を牌と間違えて打った(笑)、陽水サン 「いくらなんでもそれはギャグでしょう」(笑)。

 それにしても、相手の顔色とか場に出した牌の種類とか、麻雀というのは五感を研ぎ澄ませてやるゲームのような気がするが、この阿佐田サンの行動は、いくら病気が絡んでいるからと言っても、理解不能である。 見方によっては、究極のポーカーフェイスとも言えるのだが。
 阿佐田サンのその姿を見ながら、「『虚』 と 『実』 が分からない、そういう価値観は素敵だな」 そう感じる陽水サン。

 「妖しいもの、退廃とか虚無とかアンニュイとかグレーとかが素敵だと思っていた時期なのかもしれない」

 確かに80年代の陽水サンの作る詞は、シュールレアリズムのような 「プッツン」 しているものが多かった気がする。
 それは、「心もよう」 の歌詞を書き直させられたりとか、そういう上からの締め付けがなくなったことが原因だと思う。 もともと陽水サンの作る詞は、心象風景を何か別のものに託して表現することが多い。 いくらワケが分からなくとも、その詞の言葉によって、聴き手は自分なりの情景を思い浮かべることができる。 陽水サンの主眼は、あくまでそこに注がれている気がするのだ。

 「何かこう、抽象的な感じでも問題ないだろうなって、思えるようになったんですよね。 普通で言うと、聴いている人が 『なに言ってるか分からない』 みたいなことでもいいんじゃないかなーと、思い始めたんですよね」

 「ジェラシー」。
 陽水サンによれば、いろんなエネルギーのなかでも、嫉妬するエネルギーはものすごく強いんじゃないか、というコンセプトのもとに、この曲の歌詞は組み立てられていったらしい。
 この陽水サンの話には、強い説得力がある。
 なぜなら、この 「ジェラシー」 という歌の歌詞は、現実に起こっている感じがしない。
 また、その歌詞の文句ひとつひとつ、嫉妬心を直接描いているわけでもない。
 すべてはイメージのなかだけの、まるでガラスのような繊細な言葉が続くだけの歌だ。
 そこから、陽水サンは 「さあこれがジェラシーの世界です」 と大上段に構えているわけではなく、単に情景を聴く側に提供しているだけにすぎないのだ。
 これは、私が個人的に考えている、80年代の雰囲気そのもののような気がする。
 あくまでスタイリッシュであるが、実は中身はなにもない。
 変に本気を見せるとみんな嫌がる。
 あくまで本音をはぐらかしながら、熱くなることを避けながら生きてゆく。

 なにも私は陽水サンの詞の、抽象的な中身のない側面を批判しているわけではない。
 本来陽水サンのスタイリッシュな詞は、ひとつの生き方、モノの考え方の提示であったはずなのに、それが主流になってしまった時代の怖さを、説いているにすぎない。
 陽水サンの意図するしないにかかわらず、陽水サンは80年代の時代の空気を象徴する存在であった、と言ってもいいのではないだろうか。

 「リバーサイドホテル」 も、現実離れした、中身的にはなにもないような歌だ。
 しつこく言い訳させてもらうが、これは陽水サンに対する批判ではない。 こういう価値観の提示もありうるのだ。 陽水サンによれば、この曲はギターリフを聴かせたくて、それを前面に押し出した 「斜めの」 イメージで作られたそうである。 この曲、いまでは陽水サンの曲でもメジャーな曲だが、発売当時は、売れなかった。 それがなんで今頃流行っているのか、と思ったら、田村正和サンのドラマの主題歌になっていた、そんなこともあった。

 先ごろ私が別の記事(「ザ・ソングライターズ」 松本隆 前後編)で言及した、松本隆サンの80年代の歌詞も、範疇的には陽水サンのものに近い。 研ぎ澄まされた言葉を繰り出しながら、作詞家の本音が見えてこない、という点においてだ。
 だが個人的な感想と断らなければならないが、80年代の松本サンの歌詞には、まだ世間の人たちに分かってもらおう、という点で、中途半端なところが見えたりする。 それは松田聖子チャンという、メジャーアイドルのステージの、ある面での限界だったと思われる。 その時代にいちばん人気のあるアイドルに、ワケの分からない内容の歌など歌わせられるわけがないのだ。
 その点で、中森明菜チャンには、陽水サンのとびきりシュールな世界に入り込める、ある意味での 「過激さ」 が含まれていたのではないか、そう私は解釈する。
 「飾りじゃないのよ涙は」 という陽水サンの曲は、明菜チャンに歌われたからこそ、当時の世間に受け入れられたと思うのだ。 陽水サンは 「少女A」 の明菜チャンを見て、明確なビジョンをもってこの曲を作ったという。

 吉行淳之介サンの 「モモひざ3年尻8年」(笑)とか、阿佐田サンの麻雀での処し方を教わるうちに、陽水サンは、「むき出しな感情というものを提示すると、よくないって言うか損って言うか、負ける原因になるって言うか」、そういう生き方を学んでいったようである。

 影響を受けた 「亡き人々」 のパートでは、まずジョン・レノンを挙げる陽水サン。
 何よりその声に魅せられたという。
 「無駄な甘さをとったようなね。 細いんですけど、でも心に突き刺さってくるような声なんですよ。 遺伝でできた声帯なのかもしれないけど、精神がそういうものに影響するとすれば、子供の頃お父さんが船乗りでいなくなり、お母さんが亡くなり、おばさんに育てられたっていう子供の環境を考えると、ちょっと短絡かもしれませんけど、大人の愛情というものを自分に持ってこないと生存できないような環境があった気がするのよ。 何かこう、子供ながらにつかみ取ろうっていうかね。 大人たちの愛情とか優しさとか。 とにかく自分に注目を引かせて、そうしないと成立しないような、そういう精神的なハングリーなものが背景になっているような気がするんです」
 私から見ればうらやましいほどの 「遺伝でできた」?声帯をもっている陽水サンが、ジョンの声をここまで深く分析するとは。

 そして 「亡き人々」 2人目は、筑紫哲也サン。
 「ニュース23」 のエンディング曲を頼まれてできたのが、「最後のニュース」。 オファーを受けた時は、陽水サンも困り果てたらしいのだが、タイトルが決まった時はこれでなんとかなる、と。 結果、陽水サンのキャリアを飾る曲のひとつとなった。

 次に、忌野清志郎サン。
 アルバム 「氷の世界」 のジャケットで陽水サンが抱えているギターは、清志郎サンのものだと知って、ちょっと驚き。
 清志郎サンとの思い出を振り返るように、珍しくとぎれとぎれに語る陽水サン。
 「(清志郎サンは)基本的に、人間として上質な人間っていうんでしょうかね…。 だいたいそういう人は無口ですかね。 寡黙ですね。 つまり、口先で適当なこと言わないみたいなことはありますね。 そんなにリップサービスなんかないみたいな。 むしろ、きつい。 なんか言った時にはね。 人間として誠意があるって感じですかね。 簡単なようで難しいですけどね。 ………ですから、年はぼくより下だったですけど、…なんかこう、精神的には上にいた人ですね。 …うん」

 ここで1999年に放送された番組から、「帰れない二人」 をデュエットするふたりの映像。
 当時私もこれを見た記憶があったが、清志郎サンが亡くなってしまったいま、あらためてこの映像を見ると、当時よりずっと万感胸に迫るものがあった。
 VTRでは、「相変わらずだね、井上クン」 と陽水サンに話しかける清志郎サン。 まるで、天国からの声を聞いた気がした。
 「イエー!って言えー!! …ね、いいでしょ? 意味ないんだけど(笑)。 無意味に盛り上がるわけ」
 ジョン・レノンの歌じゃないが、「失うまでその大切さに気付かない」 存在だった。 清志郎サン。

 「帰れない二人」 は、これがまた名曲なのだ。 清志郎サンの証言によると、1番を陽水サンが作り、2番を清志郎サンが作ったそうだ。 VTRでは逆に、1番を清志郎サンが歌い、2番を陽水サンが歌っていた。 なんだかその友情の形が、いい。

 阿佐田哲也サンと陽水サンについて、ここで作家たちの興味深い言葉を聴くことが出来た。
 沢木耕太郎サンと陽水サンは、阿佐田サンから、若いときにヒット作を作ってしまうことで伸び悩んでしまうことをもっと肯定的にとらえろ、最初にヒットを打ってしまえばあとの3打席ノーヒットでも2割5分じゃないか、と言われたという。 それは生きるうえでの余裕みたいなものを与えてもらったようなものだと。
 五木寛之サンは、阿佐田サンのもつ都会人の魅力、ニヒリズム、諦念に触れて、陽水サンはただひたすらに突っ走る生き方とは別の生き方を見つけたのではないか、と言う。
 伊集院静サンは、阿佐田サンと陽水サンの、モノをつくるうえでの共通点は、日本人特有の含羞なのではないか、と指摘する。

 そしてその人々との出会いの末に出来上がったのが、先ほどの 「最後のニュース」 だった、という位置づけをして、第2夜は終わる。

 …

 また長いこと書いてしまったなー。

 なんだかもう、第1夜を書いた時から、すでにヘロヘロなんですけど。 さらにグダグダになってます。 なんだってこんなに、リキ入れて書いてるんでしょうか?(笑) …もういいかなー。 反響があれば、続きは書くことにします(追記 結局書きませんでした…笑)。

同番組の別の記事
その話の前に、クスリの話http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/08/life-40-ed61.html
第1夜http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/08/life-40-beatles.html

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祈り

めしいたこころのうえたかく
きょうもなにもない雲が流れ
なにもない風景のなかを
毎日なにごともなくゆきすぎては
わけのわからない
なにかよくないことが
だんだんと降り積もってゆく
それでもわたしは祈っている
幸せでありますようにと

言葉を失くしたこころのうえを
きょうも冷たい雨が叩きつけ
誰からも相手にされず
理解もされず
ずぶ濡れの言葉はうずたかく積まれていって
音をもたない壁となり
それは途方もない高さになってゆく
それでもわたしは祈っている
幸せでありますようにと

なんのための人生なのかと
わたしはいつも考えている
意味がなければならないと
じぶんの人生をいつも痛めつけている
苦しいこともいつか役に立つ日が来るのだと
じぶんでじぶんを励ましている
なのに
いくらもがいても ゆくてにはなにも見えない

それでもわたしは祈っている
幸せでありますようにと

それでもわたしは祈っている
幸せでありますようにと

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「ブラタモリ」 2009年10月1日からレギュラー化!

 去年(2008年)の12月に放送して、深夜にもかかわらず視聴率5%以上を記録し好評だった、NHK 「ブラタモリ」 が、10月1日から半年間、レギュラー枠で毎週やるそうです(放送時間、午後10時から45分)。
 待ってました!

 でも、裏番組で 「任侠ヘルパー」 の後番組として控えている、"フジテレビ開局50周年記念ドラマ" 「不毛地帯」 とバッティングしているのはきついなあ。 「不毛地帯」 も、ワタシ大いに期待しているドラマなので。

 それにしても、「ブラタモリ」、半年間にしても、結構大変そうな気は、するんですけど。

 この番組、古地図を片手にその土地土地の変貌や、昔どおり残っている意外な部分などを見つける、…という、まあ 「タモリ倶楽部」 の街歩きシリーズのNHK版、と言える内容なんですが、この取材力が、テレ朝の低予算深夜番組の比ではないんですよ。
 番組1本作るのにも、相当大変だろうなあ、と老婆心ながら心配してしまいます。

 コンビを組むのは、昨年12月に引き続いて、久保田裕佳アナ。
 NHKアナウンサーらしくなくて、結構思ったことを正直にその場で言ってしまう、という印象がありました。 どんなリアクションが飛び出すか、ちょっと期待してます。

 番組に先立って、去年の12月にやった、表参道・明治神宮編を、9月24日午前0時10分(23日深夜)から再放送するそうです。 見逃した方は、ぜひご覧ください。 地理、歴史に興味のある方なら、きっと気に入られると思います。 タモリサンの博学にも、きっと驚かれることでしょう!…って、番組宣伝マンみたいですけど(笑)。

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「任侠ヘルパー」 第9回 ますます分からぬ松平健サンの意図

 毎度どうも。 ネタバレです。 肩の力を抜いて書いていますが、ご了承くださいませ。

 まずは黒木メイサチャン、鷲津組長竜雷太サンにお礼参りの続報から!
 草彅クン、相手がメイサチャンだろうと容赦なく、腹に一発ケリを入れる。 ここんところ、イメージ重視のジャニーズ事務所も真っ青な展開。
 するとメイサチャンから、「アンタもう、極道でもなんでもねーよ」 と、キツーイ一発。 同時にケリを入れられて、形勢逆転。 あわや、というところで、山本裕典クンがメイサチャンを止めに入る。 

 「姥捨て山どころか、オオカミの群れのなかに捨てられるとはよ」。
 竜雷太サンもいちいちセリフがかっこいいぞ。
 草彅クンとふたりきりになって、ドスを目の前に置いて、「老いぼれて死ぬのなんざまっぴらごめんだ。 やれよ」 と、静かにすごむ竜雷太サン。 その組長サンの首先に刃を突きつけて、「みっともねえこと言ってんじゃねえ」 とすごみながら諭す草彅クン。

 実はこの場面、のちに再びホームに戻ってくる、先週脳梗塞で植物状態になった夏夫じいさんの最期の日々と、対をなしている。 と私は勝手に解釈している。 看取り介護、という、自然死を待つ介護の方法を家族が選んだため、じいさんはタイヨウの竜雷太サンとの相部屋に、また戻ってきたのだ。
 先週も指摘したが、この夏夫じいさん(峯のぼるサン)、実に竜雷太サンに風貌が似ている。
 「じいさんよ、いったいオメエ何考えてんだ。 フッ…。 息してんなあ…。 がんばってんじゃねえか」
 と、夏夫じいさんに語りかける様子は、まるで竜雷太サンが自分自身に話しかけているようにも見えた。

 夏夫じいさんは、たとえ意識も何もなくても、こうして自分の消えていく生と、向かい合って生きているのだ。 「老いぼれて死ぬのなんかまっぴらごめんだ」 と自らの生をあきらめる組長サンの態度とは、対照的であるとは、言えないだろうか?

 その夏夫じいさんがいよいよ、というときに、竜雷太サンがじいさんに歌った、ちあきなおみサンの 「喝采」。
 泣けました。
 この曲は1972年のレコード大賞受賞曲。 この曲が流行っていた時代、鷲津組の組長も、夏夫じいさんも、高度成長期でそれぞれに仕事をバリバリこなして、子供たちもいちばん元気な、人生でいちばん幸せな時期だったんだろうな、と考えると、なんともグッとくるものがある。
 直前にテレビで社長辞任会見をしていた夏川結衣サンの本音が、ここでさらに身にしみる。

 「皆さんのなかで、自分が年老いた時、介護施設に入ることを考えたことのある人はいますか? 家族に看取られることもなく、介護施設のベッドで死んでいく姿を、想像したことのある人はいますか?」。

 夏夫じいさんの遺品を整理していた仲里依紗チャンが見つけた、じいさんが左手で先週書いていたメモ。 これ、先週もなにを書いていたのか気になっていたのだが、里依紗チャンが家族からだとウソをついて部屋に飾っていた花も、夏夫じいさんはみんなちゃんと分かっていたのだった。 夏夫じいさんが最期に流した涙は、うれし涙だったんじゃねえか、とつぶやく草彅クン。 またまた感動的な余韻である。

 ところが事態は一変。

 鷲津組の組長降ろしの首謀者、尾国につかまったメイサチャンと藪宏太クンを助け出すため、アジトに乗り込む草彅クンはじめとする極道ヘルパーたち。
 いきなりVシネマモードである。
 「仲間をやられて黙っている極道なんかいねえんだ!」 という草彅クンなのだが。
 今までの心温まる話を見ていた立場でものを言わせてもらえば、ボーリョクハンターイ、である。 「極道」「ヘルパー」 のミスマッチが、ちょっと露呈した感じがした。 それを180度転換のカタルシス、というとらえ方はあるんだろうけれど。

 結局尾国の取った行動は隼会の松平健サンと鷲津組長の竜雷太サンの手打ちで一件落着となるのだが。
 ここでますます分からないのは、松平健サンの思惑である。
 この人いったい、極道たちに介護を教えて、どうしたいのであろうか。
 山本裕典クンも、5年もこの仕事していて、草彅クンになんでやってるのかと訊かれても、どうにも要領の得ない答えしてるし。 このふたり、いったい何を企んどるのだろーか(笑)。

 夏川結衣サンも、先週の予告見ていたから、いつワケが分からなくなっちゃうのだろうかと、ずっとひやひやしながら見ていたのだが。 自分の子供が分からないのは、ちょっとした衝撃場面だった。 でも予告でやってたので…。

 それにしても、草彅クンたちの討ち入りを、しっかり写真に撮っていた、ヒマそーな人もまだ、いるみたいで。

 どうもこのドラマ、なかなか明るい話にならんですなあ。

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2009年9月 3日 (木)

「きらきらアフロ」 吉永小百合サンの 「浪花恋しぐれ」

 ちょっと古い話で恐縮ですが。 ひと月前くらいの 「きらきらアフロ」 かな。 ここんところ、まじめに見てなかったので、録りだめしておいたやつ、今頃見たんですけど。 8月12日の、テレビ東京放送分ですか(2009年)。

 映画 「おとうと」 つながりで、鶴瓶サンは吉永小百合サン、加瀬亮クン、蒼井優チャン、石田ゆり子サンの超豪華メンバーでカラオケ大会をやったそうです。
 すごいメンバーにもかかわらず、盛り上がらなかったらしくて。
 そりゃそうですよね、なんたって 「あの」 吉永サンが同席ですもんね。
 このメンバーの若手のなかで一番年長サンは石田ゆり子サンのはずですが、彼女が場を盛り上げるようには見えませんし。 というか、メンバー全員、盛り上がるような感じじゃないですよね。
 それで、鶴瓶サンが必然的に、場の盛り上げ役になったようなのですが、景気のいい歌をやっても、なかなか皆さんのってこない。

 鶴瓶サン 「吉永サンも、なんかしようと思いはったんやろな、『それじゃデュエット…』 って言わはったんや。 誰と? なにや思う? デュエット言うたら 『寒い朝』 やいうてオレ、ま、吉永サンの昔の歌があるわけや、それや思たらちゃうねん、『浪花恋しぐれ』」

 平均年齢23歳のスタジオ観覧の女の子たちは、その歌がどんな歌か分からない様子。 ああ~、こういう名曲は、歌い継がれていかなければ…と思いましたです。

 この歌は、その昔の上方落語の名人、桂春団治のことを歌った1983年の名曲です。 岡千秋サンと、都はるみサンのデュエット曲で、1番が春団治役の岡サンの歌唱、間奏で岡サンのセリフが入って、2番は春団治の女房役の都はるみサンの歌唱、そしてはるみチャンのセリフ…、という構成なんですけど、カラオケでデュエットすると、このセリフの部分が、実に気持ちがいい。 若い人にも、ぜひ覚えてほしいなあ。 でも、このデュエットのコンビ自体が、なかなか簡単に実現しない組み合わせなので、若い人がこの曲に触れる機会って、ないんだろうなー。

 お分かりかと思いますが、鶴瓶サンはホンマモンの落語家。
 ということは、ここでのデュエット、吉永サンの女房役、というのは、実に役得と申しますか、鶴瓶サンにとっては、大感動モノの出来事だったと察せられて余るものがあります。

 鶴瓶サン 「で一番歌うてセリフがや。 『酒や酒や、酒もってこーい!』(ママ)。 こればっかりや!(笑)。 二番、吉永サンや。 歌わはったんや。 2番! えっ! 吉永小百合が歌う、『浪花恋しぐれ』 やで! そいで、…『アンタ』…」
 松嶋尚美チャン 「『遊びなはれ、酒も飲みなはれ』…」
 鶴瓶サン 「そうそう! 『好きおうて』…」
 尚美チャン 「『一緒になった仲やない』」
 鶴瓶サン 「お前なんで知ってんねや(笑)」
 尚美チャン、元カラオケ店員、とかスーパーが出てましたが、いやーこの曲は、尚美チャンくらいの年代なら、知ってるでしょうー。

 鶴瓶サン 「そいで 『日本一の噺家になりなはれ』 言わはったんやでー吉永サンがー! うわぁぁぁーっ!(笑) 吉永小百合サンが 『日本一の噺家になりなはれ』 て、じかに歌うてくれるんやで」
 それでも、場は盛り上がらない、(笑)、というオチでしたけど。

 それにしても、ここ最近の 「きらきらアフロ」 は、また面白くなってきたような気がします。
 何が面白くなってきたのかなあ、と考えてみましたが、尚美チャンが面白くなってきたんじゃないのかなあ。
 以前は、結構天然ボケを売りにして、自然のままでいいや、みたいな感じがしたんですが、最近は、その自分の長所をどんどん前面に押し出している感じがするんです。 だからトークで立ち往生することが、少なくなった気がします。 天然ボケに、磨きがかかってきた、というか、ようやくプロ意識で話を組み立てられるようになった、というか。
 笑いのコツを、つかんだんでしょうね。

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2009年9月 2日 (水)

「仮面ライダーディケイド」 最終回…続きは映画館で!

 ディケイドファンのかたに対しましては、まずエラそうなこの記事を、あらかじめお詫びいたします。

 オーラス2回で新しいイケメンが出てきたり、物語を収拾する気がないように見えた 「仮面ライダーディケイド」。
 まあ無理やりにでも終わらせるのだろうと思っていたが、ラスト10分を切っても終わる気配が全くない。 それどころか、ますます事態が悪くなってくる。
 ここでタイムアップ。 「続きは12月、劇場で!」

 あまりな展開に、正直 「ワロタ」 状態。

 だが不思議と腹が立たない。

 なぜかというと、ほとんどワケが分からないまま見ていたからで、まあ分からないなりに、スピード感はあったし、その世界の問題が解決できればそれでいいかな、程度の興味で見ていたからだ。

 力を入れて見ていたわけではないので、記憶があやふやだが、最初 「9つの世界を」 云々、みたいナレーションじゃなかったっけなあ? それがいつの間にか 「いくつもの世界を」 になってたし、物語を複雑化させようとして混沌状態になっているな、というのは、何となく思っていた。

 瀬戸康史クンは最終回キバに変身したけれど、結局なんだったのかも分からないし、オーラス2回で出てきたイケメンの人も分からないし。 …でも別に、話のおおもとが分からないから、それをどうしても知りたい、という気にならない。
 物語のキーマンは、あの帽子のオジサン(鳴滝)なはずなのだが、このオジサン、「ディケイドが世界の破壊者だ」 と、頑として譲らない。 でも、それまでのディケイドの闘いぶりを見ていれば、ディケイドが世界の破壊者なわけないのは、鳴滝は分かるのではないだろうか。 破壊しようとしているのは、悪の親玉、アポロガイストのほうでしょう?
 それを、オーラス2回で出てきたイケメンクンに、「その世界の問題を解決したから世界の融合が進んだ」 とか解説させて。 はぁ?と思ったけど、いまさら何をどうこじつけようと、別にどうでもいい感じ。 風呂敷を広げ過ぎて収拾がつかなくなるのは、よくある話だし。

 だが物語として納得がいかないのが、世界が融合することによって自分たちの世界が消えてしまうのを防ぐためにライダー同士が戦う、という、最後の 「ライダー大戦の世界」 の設定だ。
 どうしてそういう、視野の狭いライダーばかりなんだろう。 ディケイドに賛同して、すべての世界を救おうとするライダーも数人いたけれど。
 ここで作り手は、仮面ライダーというヒーローを、自分たちの世界だけに固執する、度量の狭いヒーローとして、貶めてしまっているのだ。 そして、そのシリーズ個々のライダーのファンの気持ちをも、ないがしろにしている。 殺しあって消滅していったライダーって、なんかアホみたいではないか。 ライダー大戦、というその発想そのものが、個々のライダーをチープな道具化している気がするのだ。

 見ていて救いだったのは、最初どうしようもなく大根に見えたツカサクンが、演技者としてある程度成長したというのと、ディケイドとディエンドが、最終回でようやく、屈折した友情ではあるが結ばれたところ。
 これだけ見れば、あとは結末にさして執着はない。 どうせ正義が勝つんだろうし。

 なにしろ、ツカサクン、私が見出した平成ライダー(「電王」 から)のなかでは、キャラクター的に、いちばんとんがってて、カッコよかったと思う。
 「通りすがりの仮面ライダーだ。 覚えておけ!」、の決めゼリフ。
 カッコイイよなあ。
 悩める主人公、というのもいいけど、仮面ライダーはこれくらい、カッコよくないと…。 見ていてすがすがしさを覚えるほどの、直情実行型ライダーだった。 まあ、ファイナルフォームがチンドン屋みたいだったのは、…それもアリですよ!(笑) アリ!(笑)

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2009年9月 1日 (火)

「今夜も生でさだまさし」 2009年8月30日 水戸編

 いきなり、日テレの24時間テレビのボランティアスタッフに囲まれて、さだサン登場。
 このボランティアの学生たちは、当の日本テレビにも全く映らず、文字通り24時間以上、仮眠をとるのかもしれないけど頑張っているんですよね。 しかもNHK水戸放送局の前で(水戸芸術館の誤りでした。 訂正してお詫びします)。 さだサン、千円募金してました。
 このボランティアの学生たちと一緒にタイトルコール。 なんか、日テレの番組の関係者?なのに、こんなことやるのも変だなあと思ったけれど、ボランティアってことは、お金をもらわないでやっているわけで。 昨今日テレの24時間テレビの出演者にギャラが支払われている問題がとやかく言われていますけど、そのことを考えれば、それくらいは許してやろうじゃないの、という感じですか。
 現場には、24時間テレビの募金にやってきたのか、いつもの回よりギャラリーが多かったです。 その人たちがぞろぞろついてくる中、番組開始。

 今回のさだサンは、前半なんとなくコメントに歯切れがなくて、ちょっと疲れてますかと、構成作家の井上サンに突っ込まれてましたが、ニュースをはさんだ後半、南こうせつサンが出てきてからは、ようやくエンジンがかかった感じでした。 まあ、エンジンがかかってなくても、ハガキが面白いので、そんな気にするほどのこっちゃないです。

 いやでも、「チューボーですよ!」 で、堺正章サンと萩原健一サンの共演を見たばかりなのに、今回の 「今夜も生でさだまさし」 では、さだサンとこうせつサンの共演が実現。 まあ、以前にも見たことありましたけどね、こっちは。 さだサンがヴァイオリンとくれば、こうせつサン 「ぼくの、あの貧しい歌しかないでしょう(笑)」 さだサン 「せまい歌ね」。
 それがいきなりこうせつサン、Dマイナーで3連符弾き始めたもんだから、さだサンも 「精霊流し」 を弾き出す始末(笑)。 打ち合わせしなくてもDマイナーで3連符とくればコレ、という息の合ったところを見せてくれて、感心してしまいます。 さだサン 「それはもう済んだ、精霊流しは」 こうせつサン 「ああ8月のお盆過ぎたからね」(笑)
 気を取り直してもう一回、…また間違える(笑)。
 こうせつサン 「還暦になったの」 さだサン 「えっ、還暦になったのっ?えー?」 こうせつサン 「だからね、おんなじこと何回も言うようになったの」(笑)
 そしてようやく、「神田川」。

 歌う前には、9月20日に行われる 「サマーピクニックフォーエバー」 の告知もやっておりました。 つま恋で、またやられるんですね、こうせつサン。 伊勢正三サンや、イルカサン、かまやつひろしサン、アルフィーの坂崎サン、森山良子サン、小田和正サンまでご出演だとか。 またまた、この模様をNHKBSハイビジョンでやってくれるそうですが、午後1時から、途中大河ドラマをはさみながら午後8時までの長丁場です。 楽しみだなあ。 でも、拓郎サンとつま恋でやってから、かれこれもう、3年ですよ。 早いなあ。 さすがに拓郎サンはオファーはあったようですがご辞退されたみたいで。 仕方がない気がしますが、残念です。

 後半は特に、リストラの話とか、会話が不自由な世の中になったとか、夏休みが子供たちをダメにするとか、いろんな考えさせられる話題ばかりで、とても深くてよかったです。
 さだサンのこういう話を聞くと、自分の意識も向上するような気がします。 なかなかできないですよ、会社の人間とか得意先の人たちとは。 こういう深い話は。

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リマスター発売に向けて、ビートルズの番組が目白押し?

【CDJournal(http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=25908)より転載】
 2009年9月9日に、全オリジナル・アルバムがリマスターされ、世界同時発売されるザ・ビートルズ(The Beatles)。本国イギリスでは、9月5日から“ビートルズ・ウィーク”と化し、さまざまなイベントが行なわれる予定になっていますが、その中でも英BBCが放送する『THE BEATLES IN THE STUDIO』という特集番組が目玉の一つ。
 この番組は、ビートルズの権利を保有するアップルとBBCが共同制作したもので、1962年のビートルズのデビューから、最後のレコーディングとなった69年の『アビイ・ロード』までのアルバムを縦軸として音楽的側面から描いており、貴重な映像や写真などで構成されています。
 
 なんと今回NHKでは、本国イギリスで放送されるこの特集番組を、本国でのオンエア直後にいち早く放送! 独自にビートルズについての基礎情報なども新たに加えながら、日本向けにさらにわかりやすい構成でお届けします!
 番組の中で証言するのは、ジョンポールジョージリンゴの4人と、プロデューサーのジョージ・マーティンだけ! 5人のインタビューとビートルズの音楽だけで構成されたシンプルで力強い番組に。メンバー同士の会話が収められたアビイ・ロード・スタジオでの未公開の映像や、貴重なレコーディング風景なども含まれており、ファンにはたまらない内容なのでは。放送は9月6日(日)と12日(土)(12日は本編が58分サイズの完全版!)の2日間。この機会をお見逃しなく!
 
■NHK総合テレビ『よみがえるビートルズ ~THE BEATLES Rebirth~(仮)』
【放送日時】
9月6日 (日)午後5:00~5:58
9月12日(土)午前0:55~2:03(11日〈金〉深夜)
※12日の放送は、本編が58分サイズの完全版となります。


以上。

 先週やった 「ベストヒットUSA」 のビートルズ特集は、いつもこの番組見ていないので、危うく見逃してしまうところでした。 ただその内容は、「今まで禁止されていたビートルズの映像が解禁された」 という小林克也サンの謳い文句でしたが、別に目新しくもなかったかな。

 ラインナップは、エド・サリバン・ショーの 「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」、「サージェント・ペパーズ」 の衣装による 「ハロー・グッドバイ」 のプロモ、「アラウンド・ザ・ビートルズ・TVショウ」 の 「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」(これは初見でした…たぶん)、映画 「ヘルプ!」 から、「恋のアドバイス」(傑作ですよね、映画のこの部分)、「ペニー・レイン」 のプロモ(これって本当は、正規のヤツとは、ちょっとアレンジが違うんだけど、レコードもといCDと同じ音になっていました)、「レヴォリューション」 のプロモ(これを全曲通しで見たのは初めてかもしれません。 「アンソロジーDVD」 でも、途中で終わっていたような気が…。 確認してないんで分かりませんけど、ラストが早めにフェイド・アウトしていたような気がします…)、映画 「レット・イット・ビー」 から、「ワン・アフター・909」(早くこれも全編デジタル処理して出しなさい)。
 メンバー4人のプロフィールは1964年当時の古ーいもので、いま現在ヴェジタリアンのポールが、サーロイン・ステーキが大好物とか。

 見所だったのは、リマスタリングのエンジニア、ガイ・マッセイとアラン・ローズのインタビューだったかな。 ただこれも、あんまり意外なことは話してなかった気がします。

 話はそれますが、小林克也サンも、未だに海外のミュージックシーンを追いかけて、精通しているみたいですね。 私なんか、大御所以外はだれーにも興味ありませんよ、いまは。 日本のミュージックシーンも同じようなもんですけどね。 純粋に、ハートをわしづかみにするような極上のメロディを聴かせよう、なんて動きが、ないような気がするんですよ。 せっかくいいメロディを書くミュージシャンがいても、途中にラップを入れてぶち壊しにしたり、アレンジがつまんなかったり。 みんながみんな、そうだとは言いませんけど。

 それにしても、気が抜けませんなあ。 いつテレビでビートルズの特集やるか、分かんなくって。 AMラジオでも、ニッポン放送で亀淵サンがビートルズ特集をやったりしてるみたいなんですけど、どうも夜にラジオを聴く習慣がなくって、聴き逃しまくってます。 あーグヤジー。

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