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2009年9月19日 (土)

「佐野元春のザ・ソングライターズ」 矢野顕子(前後編)

 別に当ブログのコメント欄をスタッフが読んだわけではないのだろうが、「佐野元春のザ・ソングライターズ」 で矢野顕子サン出演希望、と書いた私の願いが叶った格好。
 全12回のスケジュールらしかったので、最初から予定はされていたんだろうけど。

 でもコメント欄に矢野顕子サンの作曲ロジックが知りたい、とか書いてしまって、正直、ちょっとピントのずれたことを書いてしまったかな、と思っていた。
 なぜなら、私が知りたかったのは、矢野サンの 「作曲」 についてで、この番組の 「作詞」 というテーマとはちょっと外れていたから。

 じっさい、矢野サンのつくるメロディライン、というのは、とても常人には考えつかないようなものばかりだ。
 「春咲小紅」 がヒットしたころ、「平凡」 のヤンソン、だったっけか、(…ふっる~…)歌本にコードが書かれていて、それをギターでよく弾き語りしていたのだが、そのコード変換がせわしなくて、そのうえそれまで経験したことのない転調の嵐だったのに、ちょっとシビレていた。
 そりゃ、矢野サンはすべてピアノで作曲するのだろうから、ギターでそれを追いかけるのは多少無理がある。 だが、このコード展開って一体何なんだろうと、長いこと思っていた。
 余談だが、この 「春咲小紅」、「春先神戸に見に来てね」 という、神戸ポートピア博覧会の誘致曲だとかいう都市伝説があったような覚えがあるのだが…。 誰か詳しく知ってる人、いませんかね?

 今回の 「ザ・ソングライターズ」 では、矢野サンが、深夜ラジオで流れたスタン・ゲッツでジャズに目覚めた、というエピソードを披露してくれて、複雑なコード展開についての長年の疑問が氷解した格好。 そうか、あの独特のコード進行は、ジャズ的な即興フィーリングのたまものだったんだ。

 番組とは関係のない昔話をここでさせてもらえば、私が矢野顕子サンを知ったのは、「いろはにこんぺいとう」 という、変わった歌によってだった。 1977年ころか。
 なんとなくわらべ唄のような、不思議な感覚の歌だった。
 その後YMOの紅一点となってからも、矢野サンという人には、不思議な感覚がつきまとっていた気がする。
 例えて言えば、童女のような。
 彼女は歌うとき、いつも顔じゅう笑っている。
 それは、聴き手にある種の童心に帰るような感覚を呼び覚ます。

 その後FMで、確か子供たちの作った詩に曲をつける、みたいな企画をやっていたと思う。 1982年くらいだった気がする。
 ピアノだけで演奏されるそれらの曲は、どれもこれも、最高に素晴らしくて。
 子供たちの無垢な心と、矢野サンの歌の世界が、見事にフィットしていた。
 また矢野サンと言えばテクノポップのイメージが強かったので、その編成の地味さにもびっくりした。
 それを録ったカセットは友達に貸したまま、ずーっと会ってないので返してもらっていないが、私は矢野サンの真骨頂は、いまだにピアノ一台による弾き語りだと思っている。
 そして、矢野サンの歌う歌詞は、あまり肩肘張らない、変に主張とか力を入れない無垢なもののほうが、その魅力が最大限発揮できるのでは、と考えている。

 矢野サンが採り上げるカバー曲の話も番組内で話題にのぼっていたが、私が一番印象に残っているのは、オフ・コースの 「Yes,No」 である。
 しゃべり言葉で構成されるこの曲に、矢野サンが興味を示した、ということに、なんだか当時、とても納得したのを覚えている。 それは矢野サンが、日常のさりげない言葉に大きな意義を見出している証拠のような気がしたものだ。

 前置きが長くなってしまった。 (またこの記事長ーくなりそーな予感…)

 まず番組では、ニューヨークで猫と生活する矢野サンに言及。 そしてプロフィール紹介V。
 青森育ち。 3歳でピアノを始め、日常の出来事を何でも歌にしてしまっていたとか。
 生まれは違うものの、青森に帰ったということは、ご両親が青森の人だったのかな。 道理で、棟方志功の絵に出てくるようなお顔である。 童女、という私のイメージにも合致する気がする。 ここでひとつ、勘違いかもしれないけど、ミョーに納得。

 佐野サンが選んだポエトリー・リーディングは、「I AM A DOG」。
 この歌詞は、私が先ほど述べた、「肩肘張って主張している」 部類の詞に入るだろう。
 だが佐野サンの読む矢野サンの言葉は、実に先鋭的で切れ味の鋭いものに変貌していた。
 今まで矢野サンの詞に、その個性的な音によって触れてきた私は、そのむき出しにされた言葉の鋭さに、ちょっとびっくりした。
 矢野サンも、「カァッコイイー!…すごぉ~い!…(自分の歌詞って)かっこいいんだね、初めて気がつきました」。

 佐野サンは、同性である女性へのシンパシーを、矢野サンの歌に感じるという指摘。
 女性の反響はいちばん最初に考えることではない、という矢野サン、「自分の友達に語りかける、話しかけるようなもの。 友達に電話でね、『ああそうだよねー』 というのと、机に向かって 『そうだよねー』 というのと、同じ気持ちかもしれませんね」
 「それは、ご自身のなかでは、日常の会話にそのままメロディーが乗っかるという感覚ですか?」
 「…あのー私、自分のことは作詞家と思ったことが一度もないんで。 …自分のなかから出てくる言葉が、音楽と一体化してるくらいに考えてるんですね。 ですから、自分のその時の気持ちとか、考え方とか、それこそ、体調とか、子供が熱出したとか、なんかそういうものがぜえーんぶ相俟(あいま)って、その時の私が何を表現するんだろうか、っていうのが基本だと思うんですね」

 「GO GIRL」 という曲で、「本当のこと知ったから もう うそにはもどれない」 というラインに感銘を受けた、という佐野サン。
 世の中には本当のことを知りたいという人間と、そんなことはどうでもいいという人間が2種類いる。 私は前者の側だし、前者の側に立つ人に聴いてもらいたい、という矢野サン。

 ご自身が採り上げるカバー曲の選考基準は?という佐野サンの問いに、「私には珍しく、言葉が大きな要素を持っているんです。 その詞のなかに、私が、普段生活のなかで口にしない言葉が入っていたら、歌わないです」

 これらのくだりは、私がかねてから矢野サンのつくる歌詞に抱いていたイメージを、そっくり証明してくれたように感じた。
 しゃべり言葉や日常のさりげない言葉。
 佐野サンは、「そこに真実が隠れている場合がある」 と、実に的確な分析をする。

 詞が先か、曲が先か、という佐野サンの興味に対して、矢野サン 「多いのはやっぱり、出だしのメロディができてー、それに、なんか、言葉が、後ろから 『ちょっと待ってー』 みたいにして、追いかけて乗っかってくるみたいなことが多いかな」。
 歌曲のように、言葉のイントネーションとメロディが合致しているものが好きだ、という矢野サン。 うーん、さだまさしタイプ。 決してユーミンタイプでは、ないですね(笑)。

 佐野サンが次に指摘したのは、「愛と寛容」。
 聖書の 「コリントの信徒への手紙」 という一節に矢野サンが曲をつけたことに言及する。
 「これすごいのは、私たち普通、愛っていうと、やさしいとかー、楽しいとかー、そういうイメージがあるのね、それが、『愛は、辛抱強く』、…いちばん最初に、ええっ、ガマン?って。 …私ここ、すごくいいなーと思うんですね」
 「なにがあろうが、愛っていうものは、注ぎ続ける、生まれ続けるものだっていう、それがー、いいなと思っちゃう」

 ジョン・レノンも終の棲家にしたニューヨーク。
 矢野サンも、この街に魅了されているひとりだ。
 「人を磁石のように惹きつける、なにか、巨大なものが、あるんですね」
 佐野サンはここで、矢野サンの歌に共通するもうひとつのキーワード、「ホーム」、家、戻るべき場所、を提示する。
 「ホームっていうのは家族ではないんです。 うち帰ったら誰かが待っててー、カレーの匂いがしてるっていうものに、価値は見出してないんですね。 なんか自分が自分であること、それを、確立する場所、っていうのかな。 人間としての私が、ちゃんと、いられる場所。 そういう人が集まり合ったら家族になる。 理想はね」

 矢野サンの歌には、エキセントリックな側面と、妙に力強い側面がある。 それが自分がクリスチャンであることからくる、信仰の強みだということには、強い説得力がある。 そして表現者としてのエキセントリックな貪欲さが、ニューヨークという街を求めているのだろうな、という気がした。

 後半は、愛に関する5W1Hを、会場の学生から提出してもらい、それに矢野サンが歌をつける、という試み。
 矢野サンの作曲ロジックを知りたい、というピントのずれた要望を持っていた私にも、大満足、大納得のワークショップだった。

 短いフレーズの繰り返しが歌になりやすい、という矢野サン、ひとりの学生が書いた、「ケータイが鳴るのをいつも待っている」 という回答に、即興で曲を作ってしまう。
 これは、彼女が3歳のころから日常の出来事を即興で歌にしていた、という、長年のうちに培われた能力を、まざまざと見せつける一瞬だった。
 ここで私が感じたのは、頭のなかや指先が覚えている、数え切れないピアノの即興パターンからひとつを、瞬時のうちに矢野サンが検索してそれを形にしているさまだった。
 そして矢野サンの行く手には、この学生サンが考えたラインのイントネーションが、そのままメロディになるのを待っている状態だ。

 もうひとつ、映画 「ライフ・イズ・ビューティフル」 を見て1年半ぶりに親に電話した、という回答に、矢野サン、「リライト(書きなおし)して」 と、佐野サンに手渡す。 歌の文句としては、ちょっと冗漫だったようだ。
 佐野サンの書きなおしたそれは、とても素晴らしかった。
 佐野サン 「ぼくたちソングライターは、要するに、ここにリズムが乗ったらどうなるのかとか、メロディが乗ったらどうなるのか、それから小節がここに加わってくるとどうまとまるのか、同時にいろんなことを考えるんですよね」
 矢野サンは佐野サンが書いたものを絶賛していたが、いざ原稿を渡されると、「字が汚い」 とか、「TELしたとか、日本語で書いてくれなきゃ」 とか、結構キツイダメ出し(笑)。
 またできた曲が、すごく素晴らしくて。
 その回答をした当の学生サン、感想を訊かれて 「着ウタにしたい」 それに対して佐野サン、「もうちょっとまともな感想はないの?」 矢野サン大ウケ(笑)。

 このワークショップの最中、矢野サンからは興味深い話がいくつか飛び出した。
 男性の作詞家とばかり組むのは、女性の書くものはどこまで剥(む)いても、私、私、私だから、とか、難しいことを簡単に表現するのが、実はいちばん難しい、とか。

 「世の中って不公平なの。 だからこっちが、考えを変えてあげればいいでしょ」 という矢野サン、あまりにも個性的である矢野サンだからこそ、口にできる言葉だ。 あまりに個性的過ぎて、世間的な風当たりも、これまで結構感じてきたのではないだろうか。
 「自分をじゅうぶん発揮できれば、失敗してもOK」 とは、荒波をくぐってこなければ、なかなか言えるものではない。

 ちょっとピント外れつながりでもうひとつ感想を述べさせてもらえば、今回の 「ザ・ソングライターズ」、私は矢野サンのこういう本格的なインタビューを見たのは初めてだったのだが、彼女のしゃべり言葉がとてもホンワカしていて、とても美しいしゃべりかたをする人だな、と思った。
 特に彼女のしゃべる、鼻濁音。
 「が」 の発音の仕方が、すごくいい。 鼻に空気が抜けるような感じで、「ンが」 という感じ。
 本来、日本語の 「が」 行というのは、すべて鼻濁音なのだが、最近の日本人は、英語の 「GA、GI、GU、GE、GO」 という、ストレートで汚い発音をする人が多かったりする。
 矢野サンの 「が行」 は、青森県人特有なもののように思ったりするのだが。
 と同時に、彼女の歌自体も、この 「が」 の発音の美しさが印象的な歌が多い気がした。

 いずれにせよ、あまり熱心な矢野顕子信者でもない私が、長年ぼんやり思っていたことが間違いではなかったことを確認できたような、今回の 「ザ・ソングライターズ」 だった。

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     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

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    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
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