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2009年9月18日 (金)

「任侠ヘルパー」 最終回 腐ったミカンじゃいられない

 はじめ、草彅クンが極道、という興味だけで見始めた、「任侠ヘルパー」。
 おそらく、「あの」 事件を受けての復帰第一作ともなれば、彼の覚悟や意気込みも相当なものだろうと思っていた。

 個人的には、最初のうちは、老人たちをだまくらかして金を巻き上げたりする、話の内容の暗さに、ちょっとついていけないところがあった。 なんだかコメディの部分もあるような前宣伝を読んだかしていたはずなのに、どこが笑えるんだ?という感じだし。 こども店長クンの口を草彅クンがカリメロ ( 例えが古い…) 状態にするところくらいではないか、というか。

 なのにこのドラマ、毎回毎回、話が暗くて、もう見るのやめようと思いながら、どうにもだんだん気になってくる、という、私のドラマの見かたにしては珍しいパターンをたどっていった。
 先週も指摘したが、それは、私たちにとっても切実な問題であり、行政の無力さを痛感するような問題でもある、「介護」 という現実のもつ 「モヤモヤ感」 を、草彅クンが 「やくざ」 という立場から一刀両断にしてくれるような爽快感。 その大きな魅力に引きずり込まれた結果だったのだ。

 だがいくら草彅クンがわめこうが暴れようが、その重苦しい 「現実」 が根本的に解決するわけではない。
 最終回では、その 「理想」 と 「現実」 の構図を、閉鎖された 「タイヨウ」 ホームに立てこもる草彅クンたちと、強制排除をしようとする機動隊たちとの乱闘、という形で、作り手は具体化してみせた。

 この展開を見ていると、私などの世代は反射的に 「3年B組金八先生」 の 「腐ったミカンの方程式」 を連想してしまう。 (←追記 「卒業式前の暴力」 の誤りでした。 訂正します)
 「腐ったミカン」 と呼ばれた不良どもが学校に立てこもったところに警官隊が突入し、乱闘騒ぎになった、アレである。

 今回老人たちの 「現実」 を際立たせるために、作り手はもうひとつ、仕掛けを用意した。
 「介護難民」 だ。
 施設が潰れたため、ゆくあてもなく、劣悪な環境に押し込められ、飼殺し状態のまま、あげく有り金をむしり取られる、という、いわば最下辺の老人たちである。

 異臭が漂うその無届け施設を訪れた草彅クン、たまたまかかってきた電話が、弁護士をかたった違法な取り立て。 とっさに気付いて、相手の化けの皮をはがすのだが、なぜ気付いたかと言えば、自分たちがやってきたことと同じだからなのだ。 サポーターからちらっと見えた刺青が、そのことをいやおうなしに見る側に理解させる。 草彅クンは、さぞやショックだっただろう。 あまりの息苦しさに、草彅クンはたまらず、窓を開けて大きく息を吸い込む。 ここらへんの演出の仕方は、すごい。

 その罪の意識に押しつぶされそうになった草彅クンは、こども店長クンが任侠映画をまた見ていたのを見て逆上するが、こども店長クンは自分からカリメロ状態になって、兄貴の怒りをやり過ごそうとするのだ。 ここらへんもうまい。 草彅クンがこども店長クンを許してしまうのは、自らの罪の意識の故だ。
 母親である夏川結衣サンと無理矢理離され、気丈にしていたこども店長クンの緊張の糸も、ここでぷつんと切れてしまう。 泣きながら草薙クンにすがりつくこども店長クン。 あーなんて、うまい脚本なのか。 オッサンは、ウルウルしてしまいました。

 行政側の代弁者とも言える陣内孝則サンとの、草彅クンのやりとりも、最終回では都合3回ほどあったが、いちいち考えさせられる。 ラスト2回の登場にもかかわらず、ちっとも違和感を覚えない陣内サンの存在も、すごい。
 「認可もない。 医療、健康管理の体制もない。 そんな劣悪な状況に高齢者を押しこんで、介護施設と名乗る。 しかしな、そんなものは介護とは呼ばないんだよ」
 「じゃ何なんだよ。 介護っていうのは。 …教えてくれよ。 頭悪りいから分かんねえんだよ」
 「介護とは何か、か。 頭のいいオレにもわからないな。 たぶん、答えはないだろう」
 「フン…あんたら、答えも分かんねえで制度作ってんのかよ」

 介護難民を押し付けていなくなってしまった男(渡辺哲サン)と遭遇し、背中に飛び蹴りとかスゲーボーリョク振るう草彅クン、「最初にやつらを捨てたのは誰だ? 家族じゃねえか、国じゃねえか! てめえらだけ責任逃れして、全部施設まかせだ!」 とあからさまに開き直られて、なにも反論できない。
 この男と遭遇する場所が、ホームレスたちの居住するブルーシートハウス村だというのも、さりげなく、介護難民以下の人々を描写していてすごい。

 いったん老人たちの受け入れ先が決まって、閉鎖が決定した 「タイヨウ」 だったが、その老人たちが次々と戻ってくる。 自分はいったい何を守れたというのか、自問自答する草彅クンの出した答えは、「タイヨウ」 に立てこもって、行政執行を拒絶する道だった。

 説得しようとする陣内サンに、草彅クンはこう言い放つ。
 「目の前にいる人間を見殺しにしなきゃ成り立たねえような制度だったら、いっそのこと潰したらどうだ…目の前にいる弱ええやつら、ほっとくことはできねえ…ましてや少しでもかかわった連中を、途中で放り出す気にはなれねえ…これがオレたちの、筋の通しかただ…!」
 草彅クンの言い方は、いちいちこちらの心に響いてくる。 これも先週指摘したが、上っ面だけの制度に対する怒りを、乱暴な言葉遣いによって、よりストレートに表現する。 だからこそ、ヘルパーがヤクザである必然性が、いっそう際立ってくる仕掛けになっているのだ。

 そして、冒頭に述べた、機動隊との乱闘開始である。

 文字通りのクライマックスの中で、草彅クンたちが守ろうとしたものは、いったいなんだったのだろう。 それは、単純なようであるが、人と人との絆や、弱者をいたわる心だったのではないだろうか。
 彼らは、腐ったミカンたちの成人した、なれの果ての姿だ。 だがその心は、けっして根っから腐ってなど、いなかったのだ。

 15分の拡大を受けたおかげか、このドラマのフロシキのたたみ方は、実にていねいで、余韻の残る秀逸なものだった。 この乱闘事件がきっかけで、陣内サンが介護制度の見直し論者になるところも、幹部になった黒木メイサチャンの、草彅クンに対する恋心の決着の仕方も、これしかないだろうという感じだった。

 中でもいちばんよかったのは、ヤクザを辞めた草彅クンが、夏川結衣サンのもとを訪れるラストシーンだ。
 病状が進んでいる夏川サン、その日は草彅クンのことも、こども店長クンのことも分からない。
 いつものように煙草に火をつけようとする草彅クン。 それを見た夏川サン、何かを思い出したように、煙草をとりあげて一言、「ここは全面禁煙よ」。 確かふたりの最初の出会いの時も、こんなやりとりだった。
 それを見て思わずほほ笑んでしまう草彅クン。
 このあとにもう一発ダメ出しがあるのだが、こういうすがすがしさが心に残るようなラストは、近頃あまり見掛けなかった気さえする。

 正直なところ、メイサチャンと草彅クンと夏川サンの奇妙な三角関係とか、夏川サンの若年性認知症とか、毎回の豪華なゲストとか、ヤタラメッタラ盛りこみ過ぎて、どれもこれも中途半端で終わりそうな危惧もあったのだが、結果的にそれがすべてクリアされているのには、正直うなった。
 気がついてみれば、このドラマは、「事件後」 の草彅クンにとって、その脱皮ぶりを大きくアピールした作品になったと言っていい。 ずいぶん質のいいドラマを見せてもらった気がする。
 ごちそうさまでした。

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