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2009年12月

2009年12月31日 (木)

2009年 第60回 紅白歌合戦 見ながら書きました

 開演のブザーが鳴り、いきなり加藤清史郎クンが赤いビロードのどん帳から出てきて開会宣言。 何なんだ、このコ。 こんな大舞台で、まったく臆することなし。 その後こども紅白でも、ヤタラメッタラ場慣れしすぎていて、子供のクセにこんなんでいいのか!(笑) と思うばかりであります。
 一緒に出てきた大橋のぞみチャンにしてもそうですが、どうにもこのふたりを見ていると、親の顔がちらついて仕方がないのです。
 本人たちがテレビに出たがっているなら、別にどうでもいい話なんですが。

 浜崎あゆみチャンは、最近声が出ないとか歌詞を忘れてるとか、さんざんに言われていただけに注目していましたが、コンディションを万全にしていたせいか、じゅうぶんに声も出ていましたよ。
 彼女の声は、ハスキーな系統なだけに、そのコンディションを保ち続けるのは、至難の業のような気がします。 30を超えて、年齢的な限界も近づいてきているのかもしれませんが、それ以前に、世間に飽きられてきている傾向にある、というのは、まあアイドル的な存在でしたから仕方のないこととは言え、ちょっとさびしい気がします。

 EXILEは今年は、NHKホールでの勝負。 外で特別扱いしてなかった分だけ好感が持てます。 レコ大では、亀田興毅似のコワモテの人のほうが涙で歌えてませんでしたけどね。

 いきものがかりは、この前 「クリスマスの約束」 で歌っていた 「帰りたくなったよ」 が聴きたかったですが、「YELL」 もいい曲で。 よくラジオで聴いていたんですが、この曲だったんだー、という感じで。

 美川憲一サンは4年連続の 「さそり座」。 うんざりモノですが、今年のアレンジは、なんか民族音楽みたいな雰囲気。 どうでもいいけど、やっぱり別の曲が聴きたいです。

 レミオロメンは、なんか去年あたり流行った気のする 「粉雪」。 ただ、最近の目まぐるしすぎるヒットチャートについていけない向きには、こんな時間差での紅白出場というのも、ひとつのありかたの提起のような気がします。

 細川たかしサン。 問題起こして紅白自粛していた感じですが、久々の歌はヤタラメッタラ、気合が入っていた気がします。

 後半あのスーザン・ボイルが登場。
 あのイギリスのオーディション番組で出て来た時より、メイクバッチリでチャンとしてましたよ。
 木村拓哉クンが結構うまい英語を話したと思ったんですが通じなくて(笑)。
 しかしこの 「夢やぶれて」 という歌、実にネガティヴな歌でしたが(笑)、暗い歌好きの私は、気に入りました。 CD、買ってみようかな。

 aikoチャン 「あの子の夢」、「ウェルかめ」 の倉橋カナチャン、石黒賢サン、羽田美智子サンが出てきましたー。 出てくれないかなーという期待にこたえてくれたので、よかったです~。

 ゲスト審査員の阿部寛サンと仲間由紀恵サンが、「TRIK」 の役柄を演じたりして。

 マイケル・ジャクソンの追悼コーナーではSMAPがマイケルの踊りを結構忠実に再現。 これって、相当リハーサルを積んだように思えました。 木村クンのムーンウォークも、「スムース・クリミナル」 の前傾も、ちゃんとやってたなあ。

 ゆずの 「逢いたい」。
 北川クンの昨年亡くなったお父さんに捧げられた曲だというのは、初めて知りました。
 NHKドラマ 「ゴーストフレンズ」 の主題歌だったんですが、このドラマも、死んだ人と交信できるようになった女の子の話でした。 だから特に印象深かったんだろうなあ。 いや、ウルウルしました。

 かつての紅白の司会を務めた、堺正章サンと森光子サンも登場。 「時間ですよ」 の話も織り交ぜながら、布施明サンの曲紹介をするのですが、今回で布施サンが紅白を卒業することを、堺サンが説明しているにもかかわらず、森サン 「何度も歌い続けてほしい」 って(笑)。 仲間サンも森サンに話を振っていましたが、どうも要領を得なくて(笑)。 森サンに話を次々振るのはいかがなものかと…(笑)。

 そして布施明サン。
 「マイ・ウェイ」 を歌うと聞いてウンザリしておったのですが、実際布施サンが紅白を卒業すると分かったうえでこの曲を聞くと、これまでの集大成という感じで、実にぴったりな歌でした。 感動したなあ。

 その後その堺サンと、西田敏行サン、武田鉄矢サン、という、なんかありそうでなかなか見たことのなかったスリーショットで。
 堺サンと西田サンは 「西遊記」 で猿とブタでしたが(笑)、武田サンと堺サンの仲が悪いと、西田サンがはからずも暴露してましたけど(笑)。

 嵐は、これまで紅白に出られなかったそのうっぷんを晴らすかのような4曲メドレー。
 しかも歌い終わった後に、結構長いインタビュー。

 なんとその途中でADが 「もういい」 って。

 そしたら、出ましたよ、白組のサプライズゲスト。 ああ~っ、やっぱ、永チャンだぁぁーっ!
 「時間よ止まれ」 でまず先制パンチ、続いて 「コバルトの空」。 歌詞を間違えて歌ったせいか、途中から、歌詞の字幕が出なくなっとります(笑)。 

 絢香サンのラスト唱は圧巻でしたが、歌っている途中で結構、汗をかいていらっしゃるようでした。 別に病気のせいではないのでしょうが、気になりました。 汗っかきなんですかね?

 そして勝敗は、またまた白組の圧勝。
 仲間由紀恵サンが 「歌は勝ち負けじゃありません!」 などとおっしゃっておいででしたが、それってこの番組自体を否定してるんじゃないかと…(笑)。 仲間サン司会で、勝ったことあるのかな?

 いや、勝ち負けには私もさほどこだわっているわけではありませんが、なんかこのー、ケータイとか、そんな審査方法って、どうも組織票がはたらいているような気がして、ちょっと毎回、釈然としないものを感じております。 ゲスト審査員の裁量を、もっと権限大きくした方がいいような気がいたします。

 それでは皆様、よいお年を!

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2009年12月30日 (水)

1981年12月29日 中島みゆきのオールナイトニッポン

 1981年の 「中島みゆきのオールナイトニッポン」、その年の最後の放送で流れた歌が 「根雪」 でした。 確かこの曲が入っているアルバム、「親愛なる者へ」 を買ったのはこの後だった気がしますから、「根雪」 を聴いたのも、これが最初だったのではないか、と思います。

 それ以来、「根雪」 を聴くと、年の瀬だーという気が、勝手にしておりまして。

 この曲自体が、降りしきる雪に閉ざされて、眠りについていくような街の様子を歌ったものであり、それが大みそかあたりの、買い物客が騒然としていたのが、夜になって急速に静まり返る、という雰囲気にとても合っていたために、強烈に私の心に残ることになったのです。

 今では大みそかとは言っても、深夜になったところでケータイでの年始交歓だの、いつまでたっても騒がしいような気がしますが、28年も前ともなると、初詣の場所以外は、都会でも本当に静かだったような気がします。
 そんなつつましやかだった時代のオールナイト、みゆきサンはやっぱり元気そのものだったですが、ちょっとその様子を書き記してみます。
 あ、蛇足ですが、この1981年の曜日のローテーションは、今年(2009年)と同じでした。 つまり、12月31日が木曜日で、1月1日が、金曜日。

 「あたしわりとあのー、月曜深夜のオールナイトニッポンっていうのは、あのーほかの番組に比べてね、なんか、品がないんじゃないかなーとか、ふと思ったりしてたわけー。 んであの、ニッポン放送ーのなかでも、もしかしたら私あの、あんまりー、アレなんじゃ、お行儀がよくないんじゃないかなーとかさ、ちょっと気にしてたのねーここんとこ。 んで今日あのー、この番組始まる前に、あのニッポン放送の番組も、ずっと、他のもねー、いろいろやっぱり勉強になるんでないかいと思ってあの、聞いたのねー、この番組のすぐ前の生放送なんか、聞いたのねー。 …いや体質だねコレーニッポン放送の!(エコーかかる)……エコーかかりましたね(笑)。 いい放送局です。 ニッポン放送でございます。 中島みゆきのオールナイトニッポーン。

 「お元気でしょーかー!お元気ですー私はー!あ、なんか声が大きすぎて今 『バリ!』 とか言いましたけどねー(笑)おたくのラジオ大丈夫でしたか? えとね、今年、1981年、最後の中島みゆきサンの月曜深夜、オールナイトニッポンの時間がやってまいりました。 偶然でしょうか、イヤミでしょうか、今日は12月29!日でございましてホントに(笑)なんてうれしい偶然かしら (註 放送当時のみゆきサンの歳は29歳でした)(当時のみゆきサンはやたらともうすぐ30になることを意識しまくっておいででした) しみじみーと、味わっているわけでございますが、とりあえず1曲目、29!日でアースウィンドファイア(ママ)『レッツ・グルーヴ』。

 そのあと新潟へコンサートに行った話などをされておりまして。
 当時確か、「アイラブユー新潟」 という曲が番組で話題となっておりまして、新潟が一種、番組内でのブームになっていました。

 「行ってきたもん。 新潟。 長岡。 わや。 ホーントに、いやもううれしかったわ、いや私って、新潟、なんか、あのー、すごく、勉強足りなかったなあ、と、思ったのね。 あの、あんなにビルあると思わなかったしね(笑)、いつの間にあんなにできたんでしょうねって感じで、いやでもね、あのー、ビルがあるからさ、ああ、なんかすごく、新潟というのは、知らないあいだに発展したんだなーとか、思ってたのね。 思ってたけどコンサートになったら違ったのね。 いやーなんたってアンタ、飛んでくるもの違ったもん。 分かります~? いや、新潟でホラ前ハガキあったじゃない、誰それのコンサートではパンツが飛んだとかさ、えっとそれからなんとかいろいろ飛んだとかあったじゃない?中島みゆきサン時はなに飛ぶと思ったらなーんだと思いますアータ、タマネギよ。 タマネギ。 とかね、すさまじい、300個のカップうどんが飛び交ったわけー(笑)。

 そして番組終わりの、モノローグ。

 「えー、お正月を迎える仕度を、いろいろとしていらっしゃることと思います。 えー、ま、家族と一緒にお正月を迎える人も、んー、ひとりでお正月迎えなきゃなんない人も、いらっしゃることでしょ。 えー、お体大事にして、えーよい年を、お迎えください。 お正月になったからと言って何が変わるというものでもないかもしれないけれども、いろんな悲しいことや、いやなことが、もしもあった年だとしたら、せめて31日の除夜の鐘で、ほっと少しの間でも忘れることができますように。 よいお年をお迎えください。 今年もありがとうございました。

 ――「根雪」――

 このときの 「根雪」 のインパクトがすごくて、それから数年、一年の最後に聴く曲はこの 「根雪」 にしよう、などという自分独自のしきたりを作りまして(笑)。

 紅白歌合戦が終わると、やおら自分の部屋に戻ってこの曲を聴く、ということが、しばらく続きましたです。 結構長い、6分くらいある曲なので、終わらないうちにオカンが年越しそばを作り終えてしまって、オタオタしながら聴き終えて、「ナニやっとるんだ?」 というオヤジの問いかけにもお茶を濁しながら(笑)そばを食べたものでした。

 この、「根雪」 という曲を好きになったおかげで、未だに、夜の雪景色というものが、大好きで。
 大雪というと、大変な方々も結構おいででしょうが、私は夜の雪を見ると、あの時代を強烈に、懐かしく思い出します。
 みゆきサンの本名も、「美雪」 というそうで、それ以来個人的に、みゆきサンには、雪のイメージがかたくかたく、結びついているのです。

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2009年12月29日 (火)

「ワールド・プレミアム・ライヴ」 ビヨンセ、初めて見ました

 年末年始は、3時間も4時間もする特番が多くて、正直まったくリアルタイムのテレビを見ることがありません。 たまりにたまったHDDを、片っ端から片付けている作業が、主なものになったりします。 このところ、「世界ふしぎ発見!」 を、バカバカ見ている感じであります(笑)。

 ただ、ちょっと出会い頭みたいにリアルタイムの番組を見始めてしまって、そのままズルズル、というパターンが、ないわけでもないです。

 昨晩は、NHKBSハイビジョンだったか、ビヨンセのワールド・プレミアム・ライヴをやっておりまして。

 スッゲエ体だなあと思いながら、結局最後まで、見てしまいました。 おっぱいブルンブルン、振り回してましたよ(笑)。 結局印象に残っているのは、そのスッゲエ体だけで(笑)。 どんな曲を歌ったのか、まったく覚えていません(笑)。

 もうひとつ印象的だったのは、ステージのあいだじゅう、彼女がよく観客に語りかけること。
 どこからどこまでが曲なのかよく分からなかったので(笑)、確かな話なのかはちょっとあやふやですが、曲のあいだもやはり、観客に呼び掛け、励まし、檄を飛ばし、喝を入れ、…いや、こんなに曲の間にしゃべっている人は、初めて見ました。
 いや、クリスタルガイザー、でしたっけ? そのCM以外で、ビヨンセという人が歌っているの自体、初めて見たわけでして。

 2007年9月のステージだったみたいですが、ちょうどその日が彼女の誕生日だったらしく、客席に向かって、「きょう誕生日の人、手をあげてくれる? ウソはダメよ」 と手をあげさせ、いっしょに祝福しようという姿勢は、なかなかよくできた女性のように見受けられました。 そのパワフルなステージ、そして観客たちへの気配り、とても人を魅了させる歌い手であることだけは、深く印象に残りましたです。

 それにしても、曲の印象が全く残らない、というのは、別にこの人が初めて、というわけではなくて。

 マライヤ・キャリーにしても、その楽曲が、声がよく出ること以外に印象に残ったことが、あまりありません。
 この手の人たちにとって、メロディラインというものは、あまり重要なのではないのかもしれませんが、こういう人たちのファンとかリスナーというかたがたは、歌詞もメロディもちゃんと覚えて、いっしょに歌うことができるのかなーと、思ったりするのです。
 そしてもしそれができるとすれば、なんと素晴らしい記憶力なのだろう、そう思ってしまうのです。
 ラップなんかも、そうですよね。
 いやーよく、こんな難しい曲を、全部覚えられるものです。

 私がこの手の音楽を聞いていて思うのは、この手の音楽の魅力は、「キモチよさ」 に集約される気がします。
 けれども、ソウルミュージックがマイケル・ジャクソンによってロック化した時点までは、ダンスミュージックには、人を引き付けて離さないほどの強烈なメロディラインの良さが、存在していた気がするのです。
 マイケルにしても、ソングライターとしてのメロディメイキングは、終生、とても優れていたように感じます。
 それが近年、ダンスミュージックは、いたずらにメロディ軽視の方向に流れている気がする。 グルーヴ重視、カッコよさ重視、という感じかな。 リズムがブン!ブン!シャーッ!って感じで、変わった音の合いの手がヒュウ、ヒュウ、って入っているような感じ。 そこに何オクターヴかのもの凄い声量で、とてもこちらには歌えないような 「スッゲエ」 ヴォーカルが入る。

 まあ、そんな音楽が、あってもいいとは思いますが。

 それに、あまりちゃんと聴いたことがないので、とてもいい加減な感想かもしれませんが、ビヨンセ(ディスティニーズ・チャイルドかもしれない)の場合、なんか、0.0何秒か、きたい遅れるような歌い方を、してませんか? それを普通の人がやったら、とてもリズム感のない、ヘタクソな歌に聞こえるようなことを、ビヨンセは平然とテクニックとしてやっている気がします。 それはすごいことですが、どうにもそっちに気が取られるような気がする。

 なんだかんだ言って、結構注意して聴いてるのかもしれないですけど(笑)。 でも彼女が歌っているのは、ホントに初めて見たんですよ(笑)。

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2009年12月28日 (月)

「第60回紅白歌合戦」 曲順決まって…

 2009年、還暦の紅白歌合戦、曲順決まりまして。

 40代半ばのオッサンの個人的な意見を、ぶつけさせていただきます。 なお、一部不適切な表現があるかと存じますが、こらえてやって下さいまし。 なんかとっても、釈然としていない部分があるので、怒りがそのまま出てしまう場合があります。 ご了承ください。

 まず、なんと言ってもクレームをつけたいのが、美川憲一サンの歌う歌!
 また 「さそり座」 ですか。 もういいっちゅーの! 思考停止しとるんですか?
 「おんなの朝」 が聴きたい! 「柳ヶ瀬ブルース」 が聴きたい! 「お金をちょうだい」 でもいい! いま資料を見たら、4回連続で紅白 「さそり座」 ですよ。 んもー、美川サンの歌手としての凄さが、これでは全く伝わってこないではないですか!
 私が悲しむのは、ただでさえ若い世代にうんざりされている紅白で、またわざわざさらにウンザリさせるような要因を作らなくていいじゃないか、ということなんですよ。

 あと、アリス!
 まーた、「チャンピオン」 ですか。 アリスっちゅーと、これですね。 個人的には、「秋止符」 が聴きたい。 でなければ、「今はもうだれも」 とか、「遠くで汽笛を聞きながら」。
 要するにですね、最もウンザリさせられるような選曲なんですよ、美川サンも、アリスも。
 もっと 「歌の力」 を実感させるには、「秋止符」 みたいな、ちゃんと人を感動させるような歌が、いいんです。 この人ならこれでしょう、みたいな安易な決め方をしているのが、まずい。 期間限定の再結成なのですから、今年見たら、もうしばらく出てこないんですよ? どうして昔のVTRがいまだに放送される気のする 「チャンピオン」 でなくてはならないのでしょうか。

 それから、アンジェラ・アキサン。
 なあーんで、朝のテレビ小説 「つばさ」 のテーマ曲じゃないんですか?
 15歳のキミへ、媚びを売っとるわけですか。 そんなの、卒業シーズンにでもやったらよろしい。

 布施明サンも。
 「マイ・ウェイ」 ですか。
 ああ~もう、ウンザリ。
 「霧の摩周湖」 とか 「積木の部屋」 とか 「落葉が雪に」 とかやったらどうなんですかね?
 追記 布施サン、今年限りで紅白を卒業するそうで、なおさら昔の名曲を聴きたかった気がします。

 和田アキ子サンも。
 「もう一度ふたりで歌いたい」 って、…(略)…。
 「古い日記」 とか、「どしゃ降りの雨の中で」 とか、その手があったか!みたいなものが、ちっとも感じられなくて、これにもウンザリします。 布施サンの選曲にしてもそうなのですが、この人には、堂々と歌い上げる曲、みたいな短絡的な発想は、いただけません。
 いちばん面白そうなのは、和田アキ子サンに 「タイガー&ドラゴン」 を歌わせること。 このカバー、イケるんじゃないでしょうか? でも、アッコサンが 「オレの話を聞け!」 じゃ、シャレにならんか(笑)。

 トリが、北島三郎サンと、ドリカム。
 なんじゃこの組み合わせ?(笑)
 しかもサブちゃん、「まつり」 だって。
 何回やれば気が済むんでしょうかね。 「なみだ船」 とか、「薩摩の女」 とか、「帰ろかな」 とか、「歩」 とか、名曲がごまんとあるのに。 不景気だから景気のいい歌を、みたいなのが、安易なんですよ。 ずーと、不景気じゃないですか、この国(笑)。
 サブちゃんならいっそのこと、「兄弟仁義」 とか、NHKで任侠ものはないだろう、というほうが、面白い気がします。 なんかそのへん、とてもひよってますよね、きょう日のテレビ界って。 でも草彅クンに任侠ヘルパーのカッコをさせて、それをバックに 「ギター仁義」 とか、面白そう(笑)。

 逆に期待しているものを挙げますと。

 坂本冬美サンの 「また君に恋してる」。 しっとりした、演歌っぽくない、いい曲ですよね、コレ。

 森進一サン、「花と蝶」。 こういう、日本独特のブルースが、いいんですよ、森サンは。 「ド」 ブルース。

 aikoサンの 「あの子の夢」。 こっちの連ドラ主題歌は、歌われるようで、ほっとしました。 「ウェルかめ」 の出演者サンたち、出てきてくれたらいいんですけど。 ちょっと期待してます。

 ゆず 「逢いたい」。
 NHKの木曜ドラマ 「ゴーストフレンズ」 の主題歌でした。 視聴率はさんざんだったみたいですが、こういう、見ていたドラマの主題歌を紅白で聴くことができるのはうれしいです、個人的な話ですけど。

 小林幸子サン 「万葉恋歌 ああ、君待つと」。
 まーた、ド派手な舞台装置衣装で、このいい曲が歌われるのかと思うと、ちょっと腹も立ってきますが、この曲は、名曲であります。

 福山雅治サン 「はつ恋」。
 東芝のコマーシャルに流れている、アレですよね?
 あの部分しか知りませんが、いい曲だなーと思いながら、聞いておりました。 まさか龍馬のカッコをして歌うなんてこと、…ありませんよね?(笑)

 コブクロ 「STAY」。
 TBSドラマ 「官僚たちの夏」 の主題歌でした。 ああ~、聴きたいなぁ~。 楽しみ!

 いずれにせよ、こども紅白のほうが面白かった、なんてことにならないよう、願っております(笑)。

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2009年12月27日 (日)

「坂の上の雲」 第5回 今度は、一年後ですか…

 「坂の上の雲」 第一部の最終回、第5回は、日清戦争を描いた前回がクライマックスと見えて、物語的には淡々とした流れ。
 ただロケ地的には、ロシア、アメリカなどの100年前の風景を再現、大型客船がニューヨークに入港するところなどは、映画 「タイタニック」 を思い出しました。 CG使いまくり、いやー、ぜいたくな映像だ。
 セリフもそれに伴って、英語、ロシア語が多く、覚えるの大変そうだなー、という感じ。

 ところで、のっけから難しい話をしてしまいますが。

 前回の原作にない日本軍部の横暴みたいな描写が、いかにも製作者側のとってつけたような理屈に感じたんですよ、今回。
 前回、軍の欺瞞を見たはずの正岡子規(香川照之サン)が、今回松山で秋山真之(本木雅弘クン)に再会した時に、なんのてらいもなく日本軍バンザーイ、みたいな態度で接していた部分。

 子規に自分の見た欺瞞を語らせないで、どうして前回、原作にない部分を挿入したんですかね。 その意味が分からない。

 しかもこの挿入部分は、結構日本人の民族的な誇りの部分に干渉してくる、政治的にもデリケートな問題のはずです。
 先週も触れましたが、私の個人的な意見を言わせていただければ、軍の欺瞞を表現した部分は、原作どおりに日清戦争を描写してしまえば、戦争賛美に思われてしまう点がある、ということからも、NHKのとったバランスなのだろう、という点で、それはよかったのではないか、と思います。

 司馬遼太郎サンの本を、私は不勉強な人間だから、読んだことはありません。 ただいろんな短いエッセイとか、司馬サンがお出になっていたテレビを拝見していた、それくらいの知識から言わせていただければ、司馬サンというのは、歴史を長いスパン、マクロ的な視点で見ることに長けている人物のように、お見受けされます。

 もし、司馬サンがご存命だったら、いったい今回の挿入部分を、どう思ったんでしょうか。

 昭和時代の軍隊と明治の軍隊の、どの部分が規律的に統率されていたのか、もっと詳細に映像でもナレーションでも、説明すべきだ、と考えたのではないでしょうか。
 もし正岡子規が前回の日本軍の横暴を、本当に目にしているのであれば、それについて子規は、何かを書き残しているかもしれない。 子規にとって正義と思われていた日本軍がそのような横暴をすることは、驚天動地のショックだったに、違いないからです。 しかしドラマ内では、その種の説明は、一切なし。 これはドラマとしての手法としては、片手落ちだというべきです。 ドラマだからフィクションを入れていい、ということでは済まない重大性が、この挿入部分には内在している。

 だから、子規と真之の今回冒頭の会話には、エラク肩透かしを食らったような気が、したのです。

 もうひとつ違和感があるのは、夏目漱石(小澤征悦サン)の描写(笑)。
 なぜ(笑)と入れたか、というと、ヤケにさわやかなんっスよ、このドラマでの漱石。
 私の勝手な先入観にすぎんのですが、漱石っていう人は、いかにも神経質で気難しがりやで、ロンドンに行って神経衰弱に陥り、松山で英語教師をしてもその土地になじむことができず、作家をしていてもいつも胃を悪くしてタカジアスターゼを飲んでいる、そんな暗ーい印象なのですよ(笑)。
 今回も、そのサワヤカ漱石サン(笑)は、日清戦争で万歳ばかりやりたがる、浮かれた日本人をけなしておるんですが、その弁舌はあくまでサワヤカー(笑)。
 なんか、漱石のイメージが、私の中で崩れていくのを感じます(笑)。

 今回、秋山真之がアメリカに留学したことで、ドラマが強調しようとしていたのは、「遅れてきた帝国主義国」、アメリカの目覚ましい発展の様子だった気がします。 それをドラマでは、アメリカの持つ精神性に重点を置いて説明していた。 そして同時に、その強引性についても、語ることを忘れなかった。
 当時建国120年にしか満たなかったアメリカ。
 ペリーが日本に来た時も、建国100年にもなっていない。
 つまりエラクペーペーの国なんですよ、感覚的に言って。
 それが当時あれほどの大国になりつつあったのは、日本と同じように、坂の上の雲を見上げて一直線に突き進む、上昇志向があったからだと思うんです。
 けれどもその発展には、日本とは違い、先住民族を巧みに絶滅に誘導し、世論を巧みに洗脳していった結果である、そんな描きかたを、ドラマではしていた。

 その象徴的なシーンが、真之と、予備役大佐であるアルフレッド・セイヤー・マハンとの会見。
 スペインとの戦争に大義が必要なのでしょうと話す真之に、マハンは平然と、こう言い放つ。
 「そんな大げさなものではなく、アメリカ国民を怒らせる、単なるきっかけがあればいいんだ」、と。

 そしてイエローペーパーを使った世論の煽動。
 まあ、日本にしたって、陸奥宗光サン(大杉漣サン)が 「軍備力の後ろ盾がない外交は、所詮なんの力もない」 と、ロシアとの戦争を煽ってましたけどね。

 話は変わりますが、真之より一歩先に出世している、広瀬大尉(藤本隆宏サン)。
 ロシアに留学し、なかなかキモの座った演技を見せていますが、元は水泳選手だったそうで。 ちょっと今後、注目株かもしれません。

 そして今回、もうひとつ重点が置かれていたのは、どんどん出世していくように見える秋山真之を、まるで見上げるようにして地上でのたうちまわる、正岡子規と、その妹律(菅野美穂チャン)の姿でした。
 特に律は、ドラマを見ていると、なんか2回も離婚しているようでして。
 当時バツ2なんて言ったら、ほぼ女としては失格者(笑)みたいな感じじゃなかったのかなー。
 そんな彼女が、真之から再婚するよう、うながされて。
 ドラマを見ている限り、律が真之に好意を抱いていることは、分かりすぎるくらい分かる話なんですが、真之は、そーゆーことにとんと疎い人物で(笑)。
 「送り出すたびに、淳サン(真之のミドルネーム?)はどんどん偉うなっていく。 うち、いっつも淳サンを送ってばっかり。 変わらんのはうちだけじゃ」
 停滞しているような人生を送っている者には、ちょっと身につまされる、セリフであります。
 そしてそれが、重病を患っている子規と、その兄を看病する妹を、そのまま表現している、セリフでもあるのです。 菅野美穂チャンの演技は、けなげで、とても切なくなります。

 しかし重病、とか言うわりに、子規はその後、またまた東京に引っ越したりして。
 ここらへんの事情というものを、ドラマでは説明しておりませんでした。
 どうしてこう、あっち行ったりこっち行ったりしとるんでしょうか?

 ともあれ、根岸の借家で、子規はひがな庭を見ながら、「ここが自分にとっての、小楽園なんじゃ」 と母親に吐露する。
 大晦日というわりには、クモが巣を張っていたりアリが歩いていたり、どんな暖冬じゃ!(笑)と思いましたけど。
 まあそれはいいとして(笑)、子規が地上であがきながら、最後にたどりついたのが、その小宇宙だった。
 これが現代のコンクリートだらけの住居だったら、ここまで俳人としての感性は満たされなかったでしょうが、その自然いっぱいの庭で展開する出来事が、子規にとってはパラダイスに思えた。 この境地を理解するのは、現代人には結構至難の業なのかなーとも、感じました。

 今回の 「坂の上の雲」、いちばん心に響いたのは、その子規が、アメリカに立つ真之に語った願いでした。

 「サルまねのどこが悪い! 日本人がいかに素晴らしい吸収力、消化力を持っとるか、あしらはじゅうぶんに誇ってええんじゃ。 日本には、大きくて、深い皿がある。 そこに乗っかるのがいろいろあるんが、日本の面白さよ」
 「そういう国を、滅ぼしてはならん」
 「そうじゃ。 国が滅びるいうことは、文化が滅びるいうことじゃ。 淳サン。 あしはあとどんぐらい生きられるか分からん。 じゃが、あしが死ぬまでにやり遂げようとすることを、無駄にならんようにしておくれ」
 「よし。 引き受けた」

 国を守るということは、このような深い決意の上にしか成り立たない覚悟なのだ、とつくづく感じました。

 そして次回、ああ~、長い。 来年の、12月ですか。 一気にやれっ!つーの。 待ってらんない(笑)。 忘れっちまうよ、ストーリー(笑)。 せめて半年に一回とか。

 それにしても。

 阿部寛サン、今回出番、なかったなあ~(笑)。 モチ食っただけじゃないですか?(笑) これで来年12月まで、出番はお預けですか?

「坂の上の雲」 に関する当ブログほかの記事

第1回 いや、ガイじゃのう!
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/1-46c5.html
第2回 列強に植民地化されなかった日本とはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/2-3ded.html
第3回 親というものは、ありがたいものですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/3-9188.html
第4回 戦争の真実を見つめようとしない人々http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/4-4583.html
第5回 今度は、一年後ですか… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/5-16b5.html

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「恋のから騒ぎ」 2009年12月26日 うわっ、出っ歯じゃ!

 鬼太郎サンが出なくなって、番組自体の質が変わってきたように思える、「恋から」。
 民謡チャンにさんまサンの話の振りがシフトしてきたことも一因ですが、今回(12月26日)の民謡チャンも、「ポケモン」 の歌でまたまた新境地を見せてくれました。 ゲストのアッキーナ(なんで私が、アッキーナと呼ばなければならないのだ?)(笑)とこの点では意気投合? やっぱりしゃべらせないと、成長しないもんですね。 58チャンとか、話をさんまサンが振ることでどんどんコメントの鋭さが増してきている気がしますし。

 そして番組の質を変えているもうひとりが、途中加入のハイパーチャン。
 この人、最初のインパクトも凄かったですが、なんか面白く作りすぎている傾向がちょっとあって。
 それがあまり前面に出なくなってきて、近頃ではニュートラルでじゅうぶん面白く、いい味出してます。 このコが頼りにしている(笑)ハッハハーチャンも、正直なところ新メンバー初回のときだけだった印象だったのですが、ハイパーチャンにつられるような形で露出が多少増えた感じがします。 相変わらず不倫指南役みたいなのは、仕方ないのかな。

 それで、そのハイパーチャンですが、2009年放送最後の今回も、やってくださいました(笑)。

 先週も、好みのタイプを訊かれて、「小室京介サン」(?笑) という、氷室京介サンと小室哲哉サンを合わせたような名前を言って笑わせてましたけど、今週同じような質問をされて、今度は 「梅宮辰夫サン」(笑)。 久保田知美チャンがしゃべっているあいだも首をブルブル振ったり(笑)、みんなメンバーが微動だにしないのに、ひとりだけソワソワ落ち着かない(笑)。 さんまサン 「ハイパー、なに首振ってんのオマエ? 酸欠になってんのかオマエ?」(笑)
 冒頭から笑わせます。

 母親と恋愛の会話するのか?という問いにも、「タマノウラに打ちっぱなしに行って来た」(笑)とか。 「タマノウラとか分かるかそんなもん(笑)…おかしいやろタマのウラで打ちっぱなしなんて!(笑)」

 そして番組が終わったあとどうするのかという話になって。
 ハイパーチャン「終わってから考えます」
 さんまサン「ほいでたまに日テレの前でフラフラフラフラこうやって…(笑)こないだオマエ暗闇にボーッと立ってたよなあ?(笑)オレと菅クンと 『ウワッお化けやっ!』 って言うて、『違いますよさんまサンあれ、ハイパーですよ』 って言うて、それでオマエオレの車ずーっと横目で見とったけど…」
 ハイパーチャン 「『あっ出ッ歯だ』 って…」

 大爆笑。

 「ハイパーちょっと、あの何回も会うてるよね、で、普段言うのは分かるよ、そこで出っ歯いうのは分かるけど…」 と、さんまサンが話しているのに、隣のハッハハーチャンとまた話しこんで(笑)。
 「(なに)話してんのやオマエは!」(笑)

 「今日の説教部屋は、…出っ歯!(笑)じゃなくってハイパー!」
 私、なんとなく言うんじゃないかと思ってました(笑)このギャグ。

 ハイパーチャン 「日ごろの言葉遣いがよくないもんで、そのままぱーっと…『ウワッ、出っ歯じゃ!』 って」
 さんまサン 「普段はなんて呼んでるのオレのこと」
 ハイパーチャン 「さん、ま、サン」
 さんまサン 「えっ? 普段やで」
 ハイパーチャン 「出っ歯」(笑)

 さんまサン 「オマエ、成績はどんなやったんや昔?」
 ハイパーチャン 「平均50、60くらい…数学2点3点くらい…」
 さんまサン 「歴史は強いのかオマエ?」
 ハイパーチャン 「苦手ですねぇ…」
 さんまサン 「あーやっぱりな。 泣くよウグイス」
 ハイパーチャン 「平安京」
 さんまサン 「おーおー。 いい国作ろう」
 ハイパーチャン 「明石家さんま」
 さんまサン 「なんやねん!」(笑)

 キャラが面白いことは言うまでもありませんが、ハイパーチャンの、なんと言うか一種独特のホンワカムードが、番組自体にちょっとした温かみを加えているような気さえ、するのです。

当ブログ 「恋のから騒ぎ」 2009-2010年(16期)に関するほかの記事
アッハーハー、笑えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-ce54.html
ふくスま弁だぁ~http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-8d55.html
ミスピーチ、がんばってねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-775d.html
ミスピーチ改め民謡の魔性の実態http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/post-d59c.html
今週のミスピーチ、いや民謡チャンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/523-e36e.html
今週の民謡チャン第2弾http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/post-47af.html
民謡チャン、白虎隊は福島県人の誇りでしょhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/07/post-c994.html
ビリー・ジョイトイって…(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/07/post-a64e.html
民謡チャン、方針転換ですか?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/08/post-7840.html
最近どうも、モヤモヤしますhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-af2a.html
ハイパーチャン、暴走し始めた(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/post-03df.html
民謡チャン、久々ヒットで、アタシャうれしい!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/post-4ec3.html
民謡チャン、やっちゃいましたねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/1212-0482.html
うわっ、出っ歯じゃ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/1226-2022.html
ハイパーチャン、なんかすごいなあhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/19-9f33.html
ハイパーチャン、メンバーから嫌われ始めた?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/116-d3b1.html
ハイパーチャンも、ものきのデルモも…http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/130-484e.html
PTAチャンの危険なダンス、ふたたび…http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/26-pta-a309.html
アレ?鬼太郎チャン、戻ってきた?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/213-d701.html
驚いたことふたつhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/36-pta-2040.html
「ご卒業SP」 MVPの意外すぎる人選http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/09-10mvp-a88b.html

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2009年12月26日 (土)

「クリスマスの約束2009」 J-POP組曲 「22'50''」

 小田和正サンの 「クリスマスの約束」 には、毎年泣かされているような気がしますが、今年(2009年)はそれに、全身の毛が総立ちするような感動、が加わった感じです。

 その原因が、総勢21組34人もの歌い手たちが一丸となって、それぞれの代表曲を歌う、という、J-POP組曲とも呼べる 「22'50''」 という曲。 「22分50秒」 というのは、この組曲のトータルタイム。 なんだかネーミングの発想的には、ジョン・ケージの 「4分33秒」 みたいですけどね。

 この曲のコンセプトとしては、入れ替わり立ち替わり、参加した歌い手の最も世間的に知られていると思われる曲を一部分のみ歌い、それにきちんとバックコーラスも入れる、というもの。 だから基本的に、参加した歌い手たちは、ここに含まれている曲すべてを、覚える必要があるのです。
 そのためリハーサルに費やした時間は膨大。

 この企画を小田サンが立ち上げた時、参加した歌い手たちは、小田サンのやらんとしていることにたいして、そんなことは無理だろうとか、いっしょに合唱みたいにして歌ってしまったら個性がなくなるとか、結構忌憚のない意見が続出。 まあ最初に、忌憚のない意見を求めたのは、小田サンのほうでしたから、当然と言えば当然ですが、最終的に考えると、そのディスカッションというものは実を結んでいたように感じます。 独唱の部分とか、ちゃんとあったりしましたからね。

 そしてなかなかまとまらないイメージに、番組の制作スタッフも、「何のためにこんなことをするのか?という観点がない」 とか、小田サンのやる気を根本から削ぐようなことを言ってくる。 「何のために」 って、それを言ったらミもフタもないでしょうって感じですけどね。 小田サンも、結構きつい調子で、それに反駁していました。

 ここで私が危惧したのは、もしかして単なるメドレーの歌みたいになっちゃうんじゃないのかな?ということでした。
 じっさいのところ、曲と曲とのつなぎ目をもうちょっとエキサイティングにできれば、もっとよかった気はしますが、本番で聞かされたその曲は、そんな細かいことなど一切お構いなしの、人を突き動かす力にあふれていました。

 まず全員で、「この日のこと」 を歌う。
 そして藤井フミヤサンの 「TRUE LOVE」 から始まり、スターダスト・レビュー(根本要サン)の 「今夜だけきっと」。 広瀬香美サンの 「ロマンスの神様」、松たか子サンの 「明日、春が来たら」、クリスタル・ケイサンの 「恋におちたら」、ラッツ&スター(鈴木雅之サン)「夢で逢えたら」、一青窈サン 「ハナミズキ」、キマグレン 「LIFE」、平原綾香サン 「Jupiter」、夏川りみサン 「涙そうそう」、チューリップ(財津和夫サン)「青春の影」、いきものがかり 「帰りたくなったよ」…これでも結構省略してます。

 これが矢継ぎ早にリード・ヴォーカルの人が前に出てきて、ハイタッチをしながら、ものすごい力量で歌い継いでいくんですから、その贅沢さには、ちょっと卒倒するほどのものを感じます。 しかも、コーラスワークは、おそらく小田サンのアレンジなんでしょうが、オフ・コース時代のそれを思い起こせるくらいの、手慣れたところを感じさせるのです。

 また、歌がやっぱり、すべていいんですよ。

 こんないい曲があったのか、と思った曲も、何曲かありました。 特にラストの、いきものがかり 「帰りたくなったよ」 は、なんか、泣けましたね。 J-POPの底力というものを、肌で感じた気がします。

 でもいちばん感じたのは、いろんな世代の人が、こうして同じ時代に生きて、同じ歌を共有している、ということの意義って、なんだかんだ言っても素晴らしいことなんじゃないだろうか、ということ。
 そして、こうして一緒になって何かを成し遂げようとすることが、大勢の人の心を大きく動かすことになり、それが結局は、参加した歌手本人自身の心をも、大きく動かすことになるのだ、ということ。 これだけのことをするには、やはりあの膨大なリハーサルは、絶対欠かせないものだった、と言っていいでしょう。
 それを象徴するような歌が、最後に全員で歌われました。
 「たしかなこと」。
 同じ風に吹かれて、同じ時を生きているんだ――。
 なんか、泣けます。 小田サンも、泣いちゃってたみたいです。

 最初は伝わりにくかった小田サンの思いが、最後はこうして 「歌のパワーを感じました」「歌をやってていちばんよかったと思った日かもしれない」 という、強烈な感動を、歌う側にも、そしてそれを見る側にも与えてくれた。
 その過程を見せてくれたこの番組には、感謝したいです、素直に。

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「金スマ」 オノ・ヨーコサンの悲しみは、まだ続いている(続)

 2009年12月25日のTBSテレビ 「金スマ」 について、ジョン・レノンやオノ・ヨーコのことを知らなかった方々にとっては、とてもよい番組であったことだけは、はじめに断っておかねばならない。 ジョンのことを語り継ぐ番組を放送してくれることは、私のようなファンにとっても、とてもうれしいことだ。

 そのうえで、語っておかねばならないことがある。

 今回の 「金スマ波瀾万丈スペシャル」 は、去る11月16日にNHKの 「スタジオパークからこんにちは」 にゲスト出演したオノ・ヨーコサンの様子を見て、TBSスタッフが出演を依頼したのではなかろうか、というほどの、内容のかぶりようだった、ということだ。

 当ブログ11月17日付 「『スタジオパークからこんにちは』 オノ・ヨーコサンの悲しみは、まだ続いている」http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/post-4f84.html で詳しく述べたが、今回 「金スマ」 で語られた 「サングラス」 についての話は、もともと 「スタジオパーク」 でヨーコサンが胸をつまらせ、しばらく言葉にならなった衝撃的な話だった。 もしかすると、サングラスの話をヨーコサンは前にもしているのかもしれないが。

 要するに、またひとしきりこの部分を再現してみせ、さらにお涙頂戴的なジョン・レノンの生涯VTRをつくることで、オノ・ヨーコひいては視聴者を泣かせようという、ある種の意地悪な思惑が、TBSの制作側に働いているようにさえ見えた、ということである。

 たしかに、ヨーコサンがこのようにジョンの暗殺シーンと向き合っている場面は、私もこれまで記憶にない。

 だが。

 あの衝撃的なジョンの暗殺シーンを、再現ドラマにしろ克明にVTRでヨーコサンに見せることは、ある種の残酷さを伴っている。 しかも、暗殺者のマーク・デヴィッド・チャップマンのふてぶてしい顔までヨーコサンは、目の当たりにされていた。 ヨーコサンにしてみれば、いちばん思い出したくない、いちばん見たくないものを次々見せている、という点で、この番組の姿勢には、ワイドショー的な下劣趣味を感じる。

 「スタジオパーク」 で話した話をまた同じように 「金スマ」 で話しているヨーコサン。
 しかもその話をして、また同じ深いため息と、長い沈黙。
 これを受け取る側がどうとらえるかどうかは、我々受け取る側の問題でもあるのだ。

 つまり、同じ話をしてさも悲しんでいると思われたがっている、と見るのか。

 同じ話をせざるを得なくて気の毒だ、と見るのか。

 中居クンにしても、ジョンが殺される場面を、たとえストレートではないにしろ流した後で、「どんなお気持ちだったんですか?」 などとは、口が裂けても訊けるわけがなかろう。
 あまりにヨーコサンの憔悴の仕方が哀れ過ぎて、樹木希林サンが助け船を出していたが、こんな場面に出くわしたとき、テレビタレントは、正直なところ一緒に泣くくらいしか、することがないと言っていい。

 これで視聴者を泣かせでもすれば、TBSの思惑としては、成功なのだろうが。

 いずれにせよ、ヨーコサンがどれほど傷つきながら生きてきたかということだけは、若い世代にも、伝わったことだろう。
 オノ・ヨーコという人は、世界中の人々から、しかも同胞の日本人にさえ憎悪のまなざしで見られてきた人なのだ。
 それがいかに恥ずべきことなのか。
 今回のTBSの番組で評価できる点があるとすれば、その部分に尽きるだろう。

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2009年12月25日 (金)

「新・三銃士」 第19回 年内のお届けがっ…?

 「新・三銃士」 の今回(19回)の興味は、今年(2009年)中にお届けものがきちんと配達されるかどうか(笑)。
 バッキンガム公から受け取った首飾りをアンヌ王妃に届けるために、今回の物語は、二転、三転。

 まずタニヤンとコンスターンス!がロシュフォールに籠絡されそうになるも三銃士の登場によって助かった、と思ったらミレディにまた首飾りを奪われそうになり、なんとかパリまで来てアラミスのクイズによって近衛隊の混乱を誘ったはいいものの、ブランシェとミレディの飼い猫、ケティとのあいだで、首飾りの取り合いになって。 ああ~、時間切れだ!

 結局、年内のお届けは、かないませんでした(笑)。 届け賃(受信料)、返せ~っ(笑)。
 それで、来週は元日だからお休み、決着は年明け早々の8日となりそうです。 「次回、クライマックス、見逃すな!」 って、待たせすぎだョ三谷サン!

 しかし、ボナシュー、たらいでドーバー海峡横断して、たらいの形の王冠と、賞金をもらったーって、ロシュフォールが吊るされているのも構わずに自慢しまくって。
 しかもその賞金が、図書券だったというんで、ボナシュー大激怒!(笑)。
 あー、なんか、ますます得難いキャラクターになってきたような気がします。

 それにしても、今回は同じ声優サンによるニアミスの場面が多かった気がします。

 いや、主要人物以外はシークレットになっているので、これは私の推測にしかすぎないんですが。
 つまり、ポルトスとボナシュー、このおふたりが、一緒だと、私は思っているんですよ。 高木渉サン。
 そのふたりが互い違いにしゃべってましたけど、今回。

 あとは、山チャン(山寺宏一サン)ですな。
 山チャンはこの番組に限らず、いろんな声の持ち主ですから、別に珍しくはないことなんですが、ロンドンからミレディを追っかけて来たパトリックという恰幅のいい男。 この人とアトスが、互い違いにしゃべってましたね、やっぱり。

 少ない声優サンだけで、いろんな役をこなさなきゃならないのですから、見ていて大変だなあーと、つくづく思うわけであります。

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2009年12月24日 (木)

「新・三銃士」 第18回 三谷サン、遂に登場!

 ダルタニアンとコーンスタァーンス!(あっ、小1の甥とのあいだで、ボナシューのこのセリフ、ちょっと流行ってます)(笑)がバッキンガム公のところへ、アンヌ王妃の首飾りを受け取りに行く展開の、「新・三銃士」。

 よく見るとその首飾り、ミレディにふたつばかりダイヤを盗まれて、完全な状態でなくて。

 そこでバッキンが修理を依頼したのが、この物語を脚色している、三谷幸喜サン、…って違うって(笑)。
 いや、その宝石細工職人で登場した、オレイリーという男が、造形的に三谷サンそのまんまで(笑)。
 しかもなんか、特別出演とかで、声までやっていたみたいです(笑)。

 そのオレイリーが、もうおかしくって。

 最初の見立てで3ヵ月はかかるという修理作業を、13時間で仕上げなければならないというのに、「とりあえず、3時間寝まぁーす!」(笑)。

 「夕べも徹夜だったんだよぉーっ!」
 「寝ないとはかどらねーだろ仕事だってさぁーっ!」
 …って、なんか冗談入ってない気がするんですけど(笑)。

 それがまた、作業を開始した三谷サン、じゃなくってオレイリー(笑)、千手観音、じゃなくって(笑)、ああ~、なんだ(笑)、超スピードでダイヤを研磨。

 しかも、「違ぁぁーう! こんなんじゃダメだぁぁ~っ!」 と、結構よくできてるように思えるダイヤをそこらに投げ出して。

 ダルタニアン 「何やってんですかぁぁ~っ!」
 コンスタァーンス!「時間がないんですよぉぉ~っ!」
 …これも、笑えます(笑)。

 しかもバッキン、ダルタニアンの名前を 「ポメラニアン君」 とか間違ってるし(笑)。

 またそのしくじったダイヤを、三谷サン、じゃなかった(結構しつこいですね、私も)オレイリーが研磨し直して 「好きな人にでもあげなさい」 と速攻でネックレスにしてしまう始末。 バッキン 「さすが早いな…(拍手)」 コンスタンス 「そんなこといーですから……早く仕上げてくださあいっ!」
 …いや、笑いました。

 しかし、ダイヤを盗んでひと仕事終えたミレディが、エステサロンでオバチャンに肌をすべすべにしてもらっている場面。
 あのオバチャン、声、貫地谷しほりチャンですよね?(笑)
 いろんな声、できるんだなあーと感心するより、「ちりとてちん」 の落語をやっているシーンとか、ちょっと思い出してしまいました。

 あーあ、紅白で、平井堅サンのこのエンディングテーマ、見たかったなあ~…。

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「小島慶子 キラキラ」 2009年12月24日 キラキラの忘年会

 TBSラジオ 「小島慶子 キラキラ」 で昨日(2009年12月23日)、忘年会があったそうで。
 その様子をきょうの 「キラキラ」 でピエール瀧サンが話していましたが、なかなか楽しかったです。

 小島サンは1次会で帰ったらしいのですが、そのあとの2次会でピエール瀧サンと水曜日パートナーの宇多丸サンが子育てについて激論を交わしたとか、そのあと金曜日パートナーの水道橋博士も一緒に、極度に嫌がる宇多丸サンのマンションに無理矢理おしかけたとか(笑)。

 宇多丸サンの部屋は以前ラジオでも話していたように、自分の寝るところ以外はなんかのソフトがうずたかく積まれていて立っている場所すらない(笑)という状態。 それの写メなのかな?それを撮ったらしくて、それを見た小島サンが大ウケ(笑)。 宇多丸サンが、いかにも不機嫌そうな顔で映っていたって(笑)。

 今まで縦割りで、月金のパートナーたちのつながりがなかったことに心を痛めて?いた小島サンは、この忘年会で交流ができてよかったなどと話していましたが、宇多丸サンにとっては、散々な展開になってしまったようです(笑)。 ピエールサンは番組で、元気そのものでしたけどね(笑)。 まあ、二日酔いがひどいとかしゃべってましたけど、テンションはいつもどおりでした(笑)。 ビールを10ℓ、飲んだらしいんですけど…(笑)。

 後記 その後水道橋博士の報告もあって、その忘年会の模様がだんだん見えてきましたが、ピエール瀧サンと宇多丸サンのケンカは、結構激しかった模様です。 腹を殴り合ったとか?話してましたかね? ちょっと注意深く聴いておりませんでしたが。
 ピエールサンがレコード会社の後輩である宇多丸サンに向かって、「オマエの名前は、なんていうんだ?」 とインネンをふっかけたり、なんか泥酔気味なのは伝わってきましたが(笑)、宇多丸サンも、相当アツい男、のようですね。 先輩を立てながら、負けていなかったようです。

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BSマンガ夜話 「犬夜叉」 知らないなりに論じさせてもらえば…

 「BSマンガ夜話」 については、重要なキーワードの乱れ打ちがほぼ番組開始から終了まで続くために、要約してまとめるのは非常に難しい。
 だのでいつも自分なりのそのマンガに対する解釈を書いてしまうのだが、今回の 「犬夜叉」 は、正直に告白すれば、その原作を、一度も読んだことがない。
 私の高橋留美子サンに関する知識は、「うる星やつら」「めぞん一刻」「人魚シリーズ」 くらいでしかないので、今回はマンガ夜話のレギュラー陣がどのような高橋留美子論を展開するのか、とても期待していた。

 だがマンガ夜話のレギュラー陣は、ゲストの女の子以外、あまり真剣にこの作品を読んでいなかったようだ(殺生丸と神楽の最後のシーンの解釈も、全員この女の子に負けてました)(笑)。
 いしかわじゅんサンは 「高橋留美子は古臭い絵で、完成されているにもかかわらず 『犬夜叉』 の連載中もオタク的な描き方を取り入れたりしていった」 という話くらいしか印象に残っていないし、夏目房之介サンは 「日本マンガの連載ものの力を感じる」 としか言っていなかったように感じる。
 全体的な話から私が感じたのは、「犬夜叉」 という作品は、物語を引っ張りすぎた、という論者たちの感想だ。 だが引っ張ったからと言って物語がつまらなくなったか、というとそういうわけでなく、最後まで面白かった、そこに高橋留美子の力を感じる、といった論調だった気がする。

 ゲストの夢枕獏サンが冒頭に話をしていた、桔梗が安倍晴明の星型のもとにあり、かごめが籠目紋というダビデの星のもとにある、ふたりが魔よけの役割をする同じ存在なのだという解釈は、なるほどなあという感じだった。
 ここからも分かるのは、高橋サンが日本の風土に根付いている古来の魑魅魍魎に関して、とても深い知識を有している、という側面だ。 「うる星やつら」 でも、クラマ様や 「平安編」 などでその知識を小出しにしていた印象があるが、その知識を総動員しているような印象が、「犬夜叉」 にはある。 結構この人には、グロ趣味(笑)のようなところがあるように、私には思える。

 そして高橋サンのマンガには、結構同性に対する強い愛情みたいなものを感じたりする。
 女性たちが、結構エロいのだ。
 今回のマンガ夜話でいしかわサンが 「高橋留美子は乳房を描いてもパンツは描かない、セックスの匂いがしない」 と指摘していたが、いたしてましたよね、五代クンと響子サン(笑)。
 つまり、両者を合わせて、高橋サンには、エログロ趣味がある、なーんて(笑)、断定しちゃっていいでしょうか?

 だが、それがいまいちはっきりしたエログロに結びつかない。
 番組ではこの傾向についても一応話していたが、私はその原因を、高橋サンの絵に特有な、Gペンの震えによるものではないかと想像している。

 高橋サンは、旧世代のマンガ家の必需品Gペンにこだわって絵を描いているマンガ家のひとりだ。
 だがその筆致は、昔からかなりヘタクソレベルであると言っていいだろう。
 Gペンは、慣れるとかなり長く一定の太さで線を描けるものだ。 だからカワイイ女の子を描きたいときも、相当量練習すれば、自分の思い通りの女の子を描くことができるようになる。 これはGペンにしかできない芸当であると言ってもいい。

 だが高橋サンのGペン遣いは、昔から結構不安定に線の太さが定まらない。 それは高橋サンが、Gペンの使い方を、まるで筆のように感じているからではないか、と個人的には考えている。
 これが高橋サンの絵の、ひとつの味わいとなっていることは確かなのだが、これが原因となって、高橋サンの描く人物たちには、艶っぽさとか、いやらしいところが絵に表れてこないのだ。 だからストレートな、エログロに結びついてこない。

 岡田斗司夫サンなどは 「犬夜叉」 を今回、「ドラゴンボール」 と同じ構造だと分析していたが、テレビアニメを見ている限りでものを言わせてもらえば、確かに似ているけど、そこまで自慢気に言うことでもなかろう(笑)という感じ。
 なぜならば、番組内でも誰かが話していたけど、「犬夜叉」 は結局、恋愛モノなのだ。
 「ドラゴンボール」 には、悲しいくらい、恋愛の匂いがしない。 チチが悟空の子供を産むという時点で、エライ違和感があるくらいだもん(笑)。 いや、鳥山明サンのマンガそのものが、恋愛とかセックスとかといちばん離れた所にあるような気さえする。 なんでかなー。 結構亀仙人とか、ギャルのパンティが欲しいーっ!(最近松坂大輔クンがヒンシュク買ってましたね)とか、ヨクボー丸出しの部分があるのに(笑)。

 個人的には、高橋サンには 「めぞん一刻」 の前半のような、切なくも爆笑できるラブコメを、もう一度本格的にかいてもらいたい。 「1ポンドの福音」 とか、なんかちょっと、違うんだよなー、って感じなので。 あれってどうしても、「あしたのジョー」 に対するオマージュのように、読んでしまうんですけど。

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2009年12月23日 (水)

「HELP!4人はアイドル」 けっして侮れない駄作映画(2)

 (1)(当ブログ2009年12月16日付)から続きます。 (1)はこちら↓
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/help4-1-5f3f.html


 映画 「HELP!」 の内容を見ていると、イギリスという国がたどってきた歴史的な背景も浮かび上がってくる。

 帝国主義、というと大げさな話になってくるが(笑)、イギリスがインドという植民地を獲得して輸出拡大の足がかりとしたのが、アヘンだった。 それがきっかけで阿片戦争なんかも起こってくるのだが、それはいいとして(笑)、「HELP!」 はそのようなイギリスの歴史から必然的に生まれざるを得なかったような性格を有しているように思われる(なんか、大学の卒論みたいになってきた)。

 なぜならば、映画に出てくるカイリ教のモデルは、非常にいい加減ではあるがヒンズー教っぽいし、教徒たちはインドの楽器も弾いている。 映画の中のビートルズは、実によくお茶の時間を楽しむのだが、これも紅茶貿易という帝国主義時代の影響を色濃く受けたイギリス独特の風習だ。
 007のテーマを思わせる音楽や、ストーンヘンジやバッキンガム宮殿(風)や、スコットランドヤードやパブの風習、なにしろイギリスを連想させるものならだいたいのものは入れました(笑)、という作りだし。

 さらにダメ押しとして、当時のビートルズは、正直言って麻薬漬け。 映画の撮影中もずっと笑いっぱなしで、あの温厚なリチャード・レスター監督が 「なあおまえー、もっとー、マジメにやれーっ」(…スミマセン…) と言ったとか言わないとか(笑)。
 カイリ教徒が生贄を赤く塗る、というのも、「赤」 が意味するものを考えたとき、麻薬の匂いを感じないわけにはいかない。

 これらのものを、当時のイギリスで最も優秀な輸出品とされたビートルズが演じ、イギリスの根本的精神と思われるユーモアセンスでコーティングしているのだから、まるでこの映画自体が、イギリスである、とさえ呼べる作りになっているのだ。

 この映画が、のちのビートルズに与えた影響も、とてつもなく大きい気がする。

 先ほど述べた、カイリ教徒が弾いていたシタールなどのインド楽器。 とりあえずこれがジョージ・ハリスンとシタールの出会いだった、という有名な話だが、ジョージがもしこれに興味をもたなかったら、と考えると、空恐ろしくさえも思える。 ジョージのその後の人生さえも決めたと言っていいほどだ。 ジョージ最後のアルバム、「ブレインウォッシュド」 のラストは、マントラではありえなかった、そこまでの影響力なのだ。
 ジョン・レノンも 「神」 で 「オレはマントラを信じない」 などとは歌わなかったであろうし、ポールも 「タックスマン」 でラーガ風のリード・ギターを弾かなかっただろう。 もちろんインドに瞑想になんか行かないし、「セクシー・サディ」 も生まれなかった。 リンゴも豆ばかり食わずに済んだかもしれない(笑)。

 それからこの映画でなんと言っても見逃せないのは、逃避行で空港にやってきた、かれらの変装である。

 後追いでのファンだった私は、このときのジョン・レノンの変装ぶりを見て、本当に驚いたものだ。 まったく、「アビイ・ロード」 のころのジョンそのものではないか。
 ジョンの 「ストロベリー・フィールズ」 からの変容ぶりは、おそらくキリスト教発言を受けたものであろうと、個人的には考えているが、その議論は別の機会にするとして、その外見上の著しい変化をジョンがしようと考えたとき、そのヒントには、映画 「HELP!」 のグランマメガネ(おばあちゃんがするようなメガネ)があったのではないか、私はそうにらんでいる。

 そして、この映画で共演した女優、エリナー・ブロン。

 この東洋風な顔立ちをした女性、のちにポールのガールフレンドになったとかならないとか、まあそれはいいとして(笑)、「エリナー・リグビー」 の名前の元ネタになったりもした。
 またまた、それはどうでもいいのだが(笑)、彼女の存在は、のちにジョン・レノンがオノ・ヨーコに惹かれていくうえでのハードルを、少しばかり下げたような気がする(また憶測が始まりました)。
 エリナー・ブロンがいたからこそ、「あっ、なにも恋人は生粋のイギリス人じゃなくたっていーんだ」 と、彼らが考えたかどうか(笑)。
 まあそれは、ホントに憶測でしかないのだが(笑)。
 だけどジョージの2番目の奥サンのオリヴィアにしたってエキゾチック系だし、ジョンやジョージのエキゾチック好みの源流に、エリナー・ブロンがいる、私にはそんな気がしてならないのだ。

 この映画でバハマのロケをしている、という点も、私には思うところがある。
 ビートルズのメロディには、だいぶ初期の段階から、どことなく南国に対するあこがれがそこはかとなくブレンドされているような気がするのだ。
 それはラテン系の音楽に対する彼らの興味なのかもしれないが、この議論も別の機会にするとして(スイマセン)、のちにジョージが南国風な音楽に傾倒していった時期を考えると、この映画が彼らのその後の人生に与えた影響を、私などは思いっきり妄想してしまう(笑)。
 ただ彼らがこの映画の撮影をした時、バハマはやたらと寒かったらしいですが(笑)。

 最後にもうひとつ。
 この映画を見ていていつも感じるのは、ポールの演技のわざとらしさである(笑)。

 ほかの3人のメンバーは、演技に対して、ごくいつも通りやってりゃいーんだろう、というスタンスでしかない。
 だがポールだけは、演技をしよう演技をしよう、というところばかりが目立っている気がする。
 それがワザトラシさにつながってしまっているのだが、この3対1の構造が、のちの解散劇と同じ対立構図になっているのは、注目に値する。
 つまりポールは、ビートルズはこうあらねばならないのだ、という意志が、ほかのメンバーよりも格段に強いのだ。 だからなにかと事態を取り繕おうとするし、うまく最後にまとめようとする。 ほかのメンバーは常に、別にありのままでいーんだ、というスタンスだ。
 よく言えば、グループに対する愛情がいちばん強い、のだが、悪く言うとええかっこしい、取り仕切り屋だ、ということになる。
 その傾向が、ポールのつくる歌にはフィクション色が濃いものが多いというところに結びついていくのだが、これも別の機会に論じたい。
 なにしろポールのそういう、よく見せよう、取り繕おうという傾向が、演技をクサくしている、私にはそう思える。

 この映画を最も楽しむ方法は、下らないところを 「下らねえ~」 と言って笑い飛ばすことである。
 それができないかたにとっては、とてもつまらない映画かと(笑)。
 ただ、一見駄作のようにも見えるこの映画が、このような重たい異議を抱えている映画であることだけは、認識していただきたいものだと、思うのであります。

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「JIN-仁-」 続編の可能性を、もう一度考える

 「『JIN-仁-』 最終回 続編あるかどうかとの闘い!」 には、当ブログ始まって以来の怒涛のアクセスをいただきました。 深く御礼申し上げます。
 ドラマがここまで面白かったがゆえのことなんですけどね。 あらためてこのドラマの注目度の高さを実感するとともに、その続編にも注目が集まっているんだなあという感じがいたしております。

 今日は仕事も休みなので、ちょっと気楽な妄想話でもしてみようかと思います。 このドラマの続編は、あるのかないのか。

 いまのところテレビ局側に一切続編の話はないようですが、最終回の作られ方から言って、包帯だらけのあの男の正体とか、胎児型の奇形腫についての話の決着をしていないということは、続編を必ず見据えている、としか考えられないですね、やっぱり。 それに、硬貨偽造なのではないかとまで取り沙汰された 「平成二十二年」 の十円玉の謎も、そのままだし。

 それから私が、最終回の話の流れでいかにも不自然だと感じたのは、崖から落ちて行方不明になった内野龍馬サンがなかなか戻らなかったのは、結局ウラシマ状態になっていただけのことだった、というオチ。
 これは当初、ちゃんと物語を終息させるための展開が用意されていたと、とても強く感じるんですよ。 憶測ですけどね。

 ここからますます妄想の域に入ってまいりますが(笑)、ひょっとして野風の乳がんの手術も、本当はなかったんじゃなかろうか、という感じがするんですよ。
 当初の予定では、野風の乳がんはさほどひどいものではなく(前回で南方も話してましたよね、そんなに大したことはないレベルのものだって)身請け先で子供を産み、未来サンも元通り、咲は医術の非情さに失望して、本意ではないながらも見合い先でつつがなく暮らし、南方はどうにかこうにかして現代に戻り、…という展開。
 こうでもしないと、物語が終わりませんからね。

 つまり野風をちゃんと身請けさせてしまうと、続編で野風と南方が接触できる可能性が、なくなってしまいますよね。 私塾を野風が開くってラストシーンは、南方と再会する下地が、すでにできているって感じです。
 咲チャンを嫁がせてしまっても、続編で咲チャンの出番は、なくなってしまう。 咲チャンは、南方にとって、実に大きな精神的支柱ですからね。 このコの代役、ということになってしまうと、続編の求心力が大きく損なわれる気がしますし。
 最終回の物語の進め方それ自体が、続編の作られる余地を次々に残していくような展開に、なっとるわけですよ。

 正攻法で考えると、続編はあるとしか考えられないのですが、明日のことはだれも分かりませんからね。 このキャストがもう一度結集できるかとか、いろんな問題がありますから。
 ただ、この続編に関するざわざわとした動きは、ここまで注目作になってしまったことへの裏返し、という気もします。
 このドラマを立ち上げた当初は、続編なんて話は、なかったと思うんですよ。 それが、人気が出てしまったから続編、などという話になって、果たしてうまく取りまとめられますかどうか。

 いろいろ、難しいですよねー、世の中って。

 妄想話にお付き合いいただき、ありがとうおざりんした(笑)。

当ブログ 「JIN」 についてのほかの記事
第1回 荒唐無稽との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---1-e9ae.html
第2回 建前との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---2-f3b1.html
第3回 自分の病との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---3-3290.html
第4回 女としての闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/---4-542b.html
第5回 梅毒との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---5-9dba.html
第6回 リアルとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---6-25d6.html
第7回 明日のための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---7-87b0.html
第8回 自分の器との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---8-e9a7.html
第9回 心意気どうしの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---9-8cf0.html
第10回 ああもう、どうなっちゃうの?との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---10-670a.html
第11回(最終回)続編あるかどうかとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---7290.html
番外 続編の可能性を、もう一度考えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---a138.html

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2009年12月21日 (月)

「JIN-仁-」 最終回 続編あるかどうかとの闘い!

「JIN 最終回 ネタバレ」 の検索ワードでお越しの皆さま
この記事は 「JIN」 の完結編についての記事ではございません。
あしからずご了承ください


 どうも、瞬!ワードの検索で当ブログの 「ギネ」 最終回の記事が出てしまっているせいで、アテが外れてしまった方々が大勢いらっしゃるようで、私のせいじゃないんですけど、申し訳なく思っております。 こちらが正真正銘、「「JIN」 最終回 ネタバレ」 の記事になります。

 ということで最初からネタバレ全開で参りますが(笑)、結局初回で展開された、南方仁(大沢たかおサン)のタイムスリップのきっかけとなった出来事のタネ明かしは、最後まで行なわれなかったわけです。
 ということは、これは続編、期待してよろしいんじゃないでしょうか?

 ワタシ個人的には、この終わりかたは賛成であります。
 さんざん引っ張ってその結末がきちんと行われることを期待していた方々にとってみれば、さぞやご不満もおありでしょうが、このドラマが最終回に近づくにしたがって、えも言われぬ寂しさを感じていた私にとっては、またこの続きが期待できることはとてもうれしい。
 ただ、「仮面ライダーディケイド」 や 「のだめカンタービレ」 みたいに、この続きは映画で!なんてことは、してほしくないですけどね。

 初回の話の謎を先送りしたことで、今回最終回の主要な話となったのが、野風(中谷美紀サン)の乳がん摘出を南方がするかどうか、ということでした。
 この手術をしてしまうことで、野風の身請けの話がなくなり、野風の子孫と思われる未来(中谷サン、2役)の存在にかかわってしまう危惧から、南方は野風の手術をためらうわけですが。

 それにしても前回、崖から転がり落ちて行方不明になってしまった坂本龍馬(内野聖陽サン)。
 さんざんみんなに心配かけといて、ドラマの視聴者にも心配かけて(笑)、実は流れ着いた漁村でうまい魚とネーチャンとに囲まれながら暮らしていたという、「浦島太郎かよ!」(佐藤二朗サン)状態。 なんとも人騒がせで、ドラマ的な展開で言うとちょっと呆れもしましたが、いや、内野龍馬サンらしいや!という感じで、じゅうぶん許容範囲であります。

 かたや南方先生は、その龍馬サンも、咲(綾瀬はるかチャン)もそばにいない、孤独かみしめ状態。
 乳がんに関してはちょっとした自信を持っている佐分利(桐谷健太クン)の面目も潰してしまって、孤独状態はますます募っていくばかり。 緒方洪庵の墓参りをして、野風の乳がんを治したくない自分の身勝手さを恥じるのです。

 龍馬はそんな南方の姿をこっそり見た末に、南方の後ろから羽交い絞めしてセンセイの乳を揉みながら(笑)南方と再会、野風の乳がんの手術を南方に頼む。
 その理屈がハチャメチャで(笑)。
 でも、そのハチャメチャな理屈の後に、ポツリと放つセリフが、妙な説得力にあふれている(笑)。

 「手術のあとで何が起ころうとも、何もかもぜえーんぶわしのせいじゃ。 …わしのせいじゃ。 そやき、野風を、助けとうせ」

 そして新門辰五郎(中村敦夫サン)に、好いた女のいる家を、火事の延焼を止めるために、その女がいるのも知らずに打ち壊して死なせてしまったことを 「その人がいるのを知っていたらその家を壊しましたか?」 と訊く南方。
 「あいつは壊せって言ったかも知んねえなあ…」

 その言葉に、南方は未来が 「自分の手術で、何千人もの患者が希望を持つことができるなら、喜んで受ける」 と言っていたことを思い出し、野風の手術を決断するのです。

 そして、南方の手術の申し入れに対して野風が、また未来と同じようなことを言うんだなあ。
 「あちきなどが医術のお役にたてるのなら、こんな喜びはありんせん」
 なんとも用意周到すぎますよね、このプロット。

 南方が野風の手術を決断するに至る動機を、このドラマはこれでもかこれでもかと繰り出してくる。
 ダメ押しは、未来の写真を埋めながら南方が咲に語るくだり。
 「野風が身請けできなかったからと言って、未来が生まれなくなるという道理も存在しないのではないか、もしかしたら未来が子供になっていたり、意外に元に戻っていたりするかもしれない」、という南方の考え。
 「と言いながら写真を埋めちゃうんですからね…。 私は、臆病です」
 動機づけが弱いとドラマに説得力が発生しない、という、この脚本家の意図を強く感じます。 おまけに南方の後ろ向きな考えを挿入することも忘れない。 これが、リアルなんですよ。

 しかも、脚本家の言いたいこと、いわば人生観みたいなものを、野風や龍馬に語らせるんですよ、もう凄いとしか言いようがないです。
 いわく。
 「世というのは、万華鏡のようなものではないかと思うことがありんす。 人という珠がその中に入れられており、誰かの手が、それを回すのでおざりんす。 ほんの少し回すだけで、隣り合う珠が変わり、すると、現れる模様もがらりと変わる。 浮世の面白さでありんすよ」
 「そん話を、一度はしてやってくれんかえ…南方仁に。 …目に見える模様は違えど、実は中にある珠は、決して変わらんちゅう話を」

 環境がどうだとか、境遇がどうだとか、人はいろんなことを理由にして、あれができない、これが不満だ、と言う。
 だけど、それは、実はちょっとした違いにしかすぎないのだ。
 いろいろあるからこそ、生きているのは面白いんじゃないのか。 予定通りにいかないからこそ、やりがいも生まれるんじゃないのか、と。

 さてここで面目を潰されたのが、野風の体に異状なしという診断を下した藩医、三隅(深水三章サン)。 野風をやっちまえとその三隅が頼むのが、甲本雅裕サン(笑)。
 ひえー、怖すぎる(笑)。
 この人が、野風の手術中に、門扉をガンガンたたいてくるんですから、こりゃもう大プレッシャーなわけで(笑)。

 そこに救世主(笑)のように現れたのが、結納をドタキャンした咲チャン。
 激怒するふりをしてその結納の場を収めた橘恭太郎(小出恵介クン)も、その時代の常識からしてみれば、ちょっと甘すぎるような気もしましたが、妹への思いを吐露する場面も最終回序盤で用意周到に描かれていたため、さほどの違和感に至らない。

 自分の喉元に刃を当てて、怖すぎ顔の甲本サン(笑)を恫喝にかかる咲チャン。 見ごたえありました。 甲本サンも、負けてないし。 間一髪、というところで、南方先生、手術を終えて登場。 はぁぁ~(タメ息)。

 そして手術の成功後、埋めた写真を掘り起こした南方は、写真がなくなっていることに、ガク然。
 これで未来サンとの接点がなくなってしまったことで生じる、南方の感情を、このドラマの語り手は 「悲しむ気が起きない」「どこかで解放されたような気がする」「ひどい男です」 と表現するのですが、これは秀逸です。 とてもリアリティがあるように感じます。
 なにしろ、南方は未来サンがどうなるかということに常に心を砕きながら、江戸時代を生きていたわけですから。 それは南方にとって、ネガティブな重荷になっていたことは、想像に難くないのです。
 このタイムパラドックスは、考えれば考えるほど、なるようにしかならないのではないか、というように思えてくる。 だいたい、その時代にいるはずのない人が、そもそもいるわけですからね。 このことからして、すでに未来に影響があるわけですから。

 それを聞いた咲も 「私もホッとしています。 私もひどい女です」 と返す。 そして、「これで、よかったんですよね」 と、自問自答ともつかない言葉を、南方は繰り返す。
 このあたりのリアル感が、毎回見ていてとても切なく、いとおしかったです。

 野風との別れのシーンも、グッときました。

 「野風えーっ! また雪になりたいがかぁーっ!」
 と叫ぶ龍馬に、アッカンベーをして、「まっぴらごめんでありんす!」 と返す野風。
 出会った時も、アッカンベーをしてましたね。
 「南方先生、ありがとうおざりんした!」 と叫ぶ野風に、叫び返す南方。
 「よかったです! 私は、あなたを助けられて、よかったです!」
 いま目の前にある問題をしっかりと乗り越えていくことが、その人にとって一番の道なのだ、ということが、この南方の叫びで分かります。

 「十年先、百年先を知ったところで、日は一日一日明けていくだけじゃ。 一歩一歩、進むしかないがじゃ。 ワシも先生も、地を這う虫のように」
 この龍馬の言葉からも、作り手の言いたいことが、強く伝わってきます。
 いや、傑作ドラマの名に恥じぬ、素晴らしい最終回だったと思います。

 そして、「また明日」 と言う南方に、「そう。 またあいたじゃ」 と答える龍馬。
 このやり取りに、続編の期待が高まります。 最後の最後でまた頭痛に見舞われる南方、そして未来を思わせる長い髪の女性が教鞭をとっている姿。
 こりゃ、ありますよ。 続編。

 最後になりますが、このドラマ、タイトルバックが、また秀逸でした。

 江戸時代の写真と現代の写真を定点観測みたいにして見せ、「時は、つながっている」 ということを見事に演出していた。 永遠とは、その瞬間瞬間の積み重ねであるのだ、ということを、私などは感じていました。 そのバックに流れる音楽も、最高に切なかったです。

 このように、短期間で愛着をとても感じてしまったドラマが、しばらく見ることができなくなる?というのは、やはり寂しいものです。 年末になると、一種の名残惜しさを私などは毎年感じているのですが、このドラマが終わる寂しさもその感情と相まって、ちょっと今年の年末は、いつも以上の寂しさを感じてしまうかもしれません。

当ブログ 「JIN」 についてのほかの記事
第1回 荒唐無稽との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---1-e9ae.html
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第5回 梅毒との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---5-9dba.html
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2009年12月20日 (日)

「坂の上の雲」 第4回 戦争の真実を見つめようとしない人々

 日清戦争を描いた、第4回目の 「坂の上の雲」。

 圧巻でした。

 特に戦闘シーンは、5.1サラウンドで見るべし!と言いたくなるほどの音響効果。 「プライベート・ライアン」 あたりの映画もブッ飛ぶほどでした。 その臨場感たるや。
 いちばん緊張を強いられたシーンは、なんと言っても本木クンが花田をマストに戦闘旗立てに登らせた直後の被弾シーン。
 画面が血だらけになり、血しぶきをあげながら倒れていく海兵たちの描写は、近年これほどの残酷戦闘シーンをテレビで見たことがないくらいの悲惨この上ない描写だったと言っていいでしょう。

 このシーンが残酷だと、クレームをつけてはいけません。
 このようなシーンこそ、我々は目をそらさずに見る必要があるのです。

 戦争とは、常に残酷なものなのである。

 「天地人」 では、このようなことを徹底して避けていた。 私が 「天地人」 でいちばん腹の立ったのは、そのことでした。

 砲撃を受けて、本木クンは、しばらくのあいだ耳がおかしくなり、なにも聴き取れなくなる。
 その間、彼は大混乱の甲板をよろよろと歩きながら、血のりで足元を滑らせ、ちぎれた指を発見し、花田がマストの下敷きになってこと切れているのを見つける。 下士官がなにか怒鳴っているのですが、それも全く聴こえない。 そこに砲弾が近づいてくる音が聞こえ、花田のお守り袋を引きちぎって、その場から逃れ出ることができる。

 この間、悪夢のただなかにいるような感覚でした。

 いっぽう、従軍記者になって意気揚々と現地に到着した正岡子規(香川照之サン)でしたが、戦争終結の後というタイミングの悪さだったにもかかわらず、いや、それが幸いして、彼は戦争勝利の真実を、目の当たりにするのです。

 森本レオサン演じる軍曹たちに率いられて通った清国人たちの村で、子規は日本兵が村の物資を略奪しているところと、老人が怒って日本兵たちに抗議しているところを見る。
 「彼らはなんと言っとるんじゃ?」 という子規の問いに、軍曹は 「兵隊さんよありがとうと言っとるんじゃ!」。

 太平洋戦争末期に至るまで日本人の心に巣食った病理の萌芽を、ここに見ることができます。 (追記 このシーンは、原作にはないものだということですが、原作で描かれていたという、昭和時代の軍隊との比較をドラマ上では表現できなかったため、このようなバランスをとったのではないでしょうか。 明治時代の軍隊において、軍規の統制がどこまで徹底して行われていたのかは知る由もないことですが、それだけを描くと、戦争というものがカッコよく見えてしまう。 ドラマの作り手は、原作をないがしろにするためにこのシーンを創作したわけではないのだと、私は考えます。)

 たしかに、戦争で死んでいった同胞の兵隊さんたちに敬意を払うことは必要です。 ましてや、我が国を救う目的のために死んでいった方々には、我々は日本人として最大限の敬意をもたなければならない。 そのことを知らないで大人になることなどあってはならない、とさえ考えます。
 けれども、その敬意のもとに、戦争の真実がどのようなものであるのかに目をつぶってしまう、ということは、やはりあってはならない、そう私は考えるのです。

 この日清日露の戦争は、勝利の戦争だったにもかかわらず、太平洋戦争の総玉砕への道の端緒だったことは、忘れてはならないと感じます。

 花田たちを失ったことで、オイは軍人には向いとらん、と落ち込んでしまう本木クンに、東郷平八郎(渡哲也サン)は 「自分の決断を神のごとくに信じなければ、兵は動かせん。 よか指揮官とはなにか、犠牲になった兵のためにも、よう考えてほしか」 と諭すのですが、それはあくまで指揮官としての気構えにしか過ぎない。
 軍人は国の方針が正しかろうが悪かろうが、いったん敵を設定され、殲滅を命令されれば、それに従うしかない。 だから指揮官が自分の命令を神のごとくに考えていようが、もともとの目的が間違っていた場合、それは悪魔の命令、ということになってしまうのです。
 その立てた作戦がいかに正しくて、味方の被害を最小限に食い止めることができたとしても、我々はそこから学ぶべきものがありこそすれ、そのことは決してほめられるべき性格のものではない。

 敵を殺し、味方も殺される、殺し合い、という戦争の目的そのものが、そもそも間違っているからです。

 戦争を必要悪と考える心の中には、自分の国以外を見下そうと考える心が巣食っている。 そして、やられたからやりかえす的な、どっちが卵かニワトリか分からないような理屈が巣食っている。

 実際いろんな国の人たちと話してみると、だいたいの人はいい人ですよ。 それでもやはり、親しく話しているうちに、この国の人にはこの国の成り立ち的にどうしても譲れない一線というものがあるんだな、ということが、分かってくる。
 それを無視して土足でずかずか他人様の領域に入り込んでいくのが戦争なのだ、と私などは考えています。

 どうして互いに、尊重し合えないんですかね。

 や、ずいぶん話がとんでもない方向に行ってしまいました。

 ただ、優れたドラマというものは、このようにさまざまなことを考えさせてくれる作りに、なっているものです。
 凄いです。 このドラマ。 たんに近代日本の上昇志向を描いているだけに、とどまっていません。

「坂の上の雲」 に関する当ブログほかの記事

第1回 いや、ガイじゃのう!
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/1-46c5.html
第2回 列強に植民地化されなかった日本とはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/2-3ded.html
第3回 親というものは、ありがたいものですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/3-9188.html
第4回 戦争の真実を見つめようとしない人々http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/4-4583.html
第5回 今度は、一年後ですか… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/5-16b5.html

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「仮面ライダーW」 園崎若菜チャンが気になってきた

 「電王」 からの平成ライダー加入組の私から見て、いちばん物語的に抵抗なく入っていける面白さを持っている、と思われる、「仮面ライダーW」。

 最初の設定が、いちいち必要以上にこねくり回してない、というのがその大きな原因かと。

 主人公のふたりが、いかにもジャニーズ系の顔をしていて笑えるほどなのですが、その山下クンと櫻井クン、じゃなかった(笑)、翔太郎(桐山漣クン)とフィリップ(菅田将暉クン)のコンビが、まず面白い。
 翔太郎のほうはハードボイルドを気取っていながら、そのズッコケぶりも実にうまいなあーと、感心するレベルであります。 この人の演技力は、相当凄い。
 フィリップ役の男の子も、一筋縄ではいかないところを持っているように感じます。
 ただし前述したとおり、ふたりともそっくりさんレベルの顔立ちなので、この番組の後どのようになるかは、気になるところではあります。

 そのふたりが、時には仲たがいすることはするんですが、お互いにお互いのポジションを尊重しているところが見えるので、それがあまり心配にならない。 ここらへんが、見ていてとても安心感につながっている。

 そしてこのふたりに絡む鳴海の娘、山本ひかるチャン。
 常時スーパーハイテンションで(笑)。
 まさに、女であることを捨ててるほどの(笑)すっ飛んだ演技をしています(笑)。
 最初は 「なんだこの女?」 という感じで見ていましたが、最近では結構スリッパ攻撃が快感になってきた(笑)。 元気な女の子は、見ていてすがすがしいっス。

 そして最近、番組に対する興味をまたアップさせる要因が出てきました。
 ムスカ、じゃなかった(笑)、寺田農サンの率いる悪の組織園崎家の次女、園崎若菜(飛鳥凛チャン)。
 スッゴイ2面性キャラで、とてもじゃないが好きになれそうな感じじゃなかったんですが。
 このコが、フィリップに惹かれていくんですよ。 こういう悪の化身系の女の子が、素直な女の子に変身していく過程は、結構オッサンの琴線を刺激します。

 なんとかこのまま、彼女には更生してもらいたいっス(笑)。 ただあまり改心してしまうと、結局悲劇のヒロインだった、みたいになってしまうことが多いですからね、この手の話を書く人たちの傾向として(笑)。

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2009年12月19日 (土)

「のだめカンタービレ」 どうして映画で決着つけるんですかねえ?

 フジテレビドラマ 「のだめカンタービレ」 の完結編が、映画公開とか。

 せっかく大傑作のドラマだったのに、こういうことをされては、大いに興醒めする気がします。

 完結編を見たければ、お金を払って映画館でご覧ください、というこの商法。
 1回1800円で前・後編あるそうなので、3600円。
 おそらくパンフも買う必要が生じそうでしょうから、交通費込みで、5000円くらいは 「のだめ完結編」 を見るためには必要かと。

 別に一年後くらいにはテレビでもやるでしょうから、この商法自体に異議を唱えるものではありません。

 ただ、私が問題にしたいのは、映画にすることで、テレビドラマのパッケージング(オープニングタイトルとか、エンディングテーマとか)がすっ飛んでしまう場合もある、ということ。 テレビと一緒の気構えで見ることができないパターンが、まず多い。
 いちばん問題なのは、テレビのハイビジョンの撮影方式と、映画のフィルムによる撮影の方式では、画質そのものの雰囲気が、まったく違ってしまう、ということだと思います。 結構この違いが見る側に与える影響は、大きい。

 つまり、テレビと映画は、別物メディアなのです。

 このドラマ、原作者からの厳しいチェックもあって、近年まれに見る傑作ドラマに仕上がっていました。
 その割には、ミルヒーのキャラとか、原作をかなり逸脱した部分もあって、それはそれでドラマの作り手の心意気、みたいなものも、感じたものです。

 それが、続編のヨーロッパ編を見て、ちょっと何か違和感が残るような感じがしたのも確かです。
 つまりそれは千秋役の玉木宏サンが、ちょっと千秋を演じるにはトシを食いすぎたかな(失礼)、という個人的な感想からです。 なんか立派に見えすぎるんですよ、玉木サンが。 若気の至りたっぷりの千秋を演じるには、玉木サンのスケールが大きくなりすぎてしまったような。
 玉木サンに千秋をやらせるには、今年あたりがギリギリのラインだったような気がします。 だからこその完結編なのでしょうが。

 もうひとつの違和感は、上野樹里チャンのほうも、のだめを演じるにはスケールが大きくなりかけている、という感覚。 と言うより、樹里チャンのキャラ自体が、近年のだめ化しすぎていることへの不安感(笑)、とでも言うか。

 つまり、「のだめカンタービレ」 というドラマは、パート1の本放送の時点が、いちばん演じる役者サンたちにとっても、その時点でしかその役を演じることのできなかったドラマだった、というふうに、思ってしまうわけです。

 その違和感を抱えたまま、映画という別メディアでもって 「のだめ」 というドラマを完結させる、ということが、果たして得策なのかどうか。

 このドラマのキモは、モーツァルトの二重奏のように、曲のひとつひとつに対する深い造詣と、物語がリンクしている、という点でした。 そして超汚い女の天才ピアニストのだめに、嫌悪感を抱きながらも魅かれていくマエストロの卵、千秋の姿でした。
 それがどこまで展開し、のだめと千秋の成長ぶりとリンクできているか。
 月並みですけど、「のだめ完結編」 のキモは、そこにあるのではないか、個人的には、そう考えています。

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2009年12月18日 (金)

練乳入りアイスの改善を切望する!

 思い切り下らない話を(笑)。

 練乳入り棒アイスをさっき食べてたんですけど、どうしてこれって、頭のほうだけしか練乳が入っていないんですかね?(笑)

 練乳と、そのアイスの具(?)とのコラボレーションを楽しみたいのに。
 もしそうしたければ、アイスの棒に並行して食わねばならんのですよ(笑)。 そんなことしたら、アイスが棒から落っこっちまいます(笑)。 高い技術が必要です(笑)。

 何とか、棒のおしまいのほうまで、練乳をもぐりこませてはくれませんかねえ? まあ、あまり下のほうまで練乳を挿入してしまうと、練乳が下からだだ漏れになってしまう、という危険性もあるのですが。

 私の提案としては、練乳をところどころにブロックして閉じ込めてしまって、一番下の部分は練乳を入れない、というふうにする、とかですねー。

 最初のうちは練乳たっぷりで甘ったるくて、あとは味気ない、っていうんじゃ、ちょっとなあ、と思います。
 それくらいの改善を出来る技術は、アイス会社にもあると思うんですが。

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「不毛地帯」 第10回 長ぁーい毛、発見~(笑)

 全20回、ということだから、その折り返し地点まで来た、「不毛地帯」。 どうも、食べたものが飲み込めない、そんな感覚が常につきまとい続けているような気がしています。

 その象徴的な懸案問題(笑)だった、壹岐(唐沢寿明サン)と秋津千里(小雪サン)の仲だったのですが、今回それが、ひとつの決着を見たような感じです。

 ただ、そこまでたどり着くのが、非っ常ーにもどかしかった、つーか(笑)。 あーもう、なんなんだ、っていうくらい、歯切れの悪い速度の恋でした(笑)。 壹岐が短い日本滞在中に千里の個展を見に来たり、千里がニューヨークまでわざわざ壹岐を訪ねて行ったり。 そこまですれば、もうふたりとも、じゅうぶんお互いの気持ちは分かり切ってるでしょうに!(笑)と言いたくなる展開で。

 それに、壹岐のアパートで朝を迎えてから、部屋を出ていく千里が放った一言。
 「怖くなりました…」
 これは、男の側からすれば、何をいまさら言っとるんだ(笑)というような一言であって。

 そりゃ、自決した父親のこととか、不慮の事故で亡くなった壹岐の奥サンのことを考えれば、怖くなるのも道理ではあります。
 だけど、そんなものもかなぐり捨てて、今よりずっと洋行が大変だった時代に、ニューヨークまで来てしまったんではないですか。 千里サン、覚悟しなさい!(笑)。

 まあ、恋愛の展開が速すぎる現代の感覚で考えているから、もどかしく見えてしまう、と考えたほうがいいのかも、しれませんが。
 でも、ここまで来て 「怖くなりました」 なんて、せっかく飲み込んだものがまた喉元まで逆流して戻ってしまったような感じもするのです。 …この表現、ちょっと汚いですね、スイマセン(笑)。

 それにしても、里井副社長(岸部一徳サン)のフォーク千代田の合併案、うまくいかない匂いが、プンプンしてるんですけどねー(笑)。 というか、これでうまくいったらヘンだよな、ってくらいの展開なんですよ。 里井サン、どうも体の調子が悪いみたいだし、いずれにせよ、次期社長の目はありませんね。

 いや、それ以上に問題なのは、もし里井副社長が失脚したとして、だからどうした、っていうのがあるんだな。
 近畿商事内での、誰が実権を握ろうと、そのことに大した興味がわいてこない。
 里井副社長の対抗馬として、一丸とかいう人が出てきましたけど、その派閥抗争というものに、このドラマは重点を置いていない。
 だから、壹岐が必死になって動いているフォークとの交渉にしても、里井副社長が壹岐の鼻を明かそうと持ってきた改正案も、ダメならダメで別に、という感じで見てしまいます。

 結果、今回は完全に、恋愛ドラマと化しているような気がしました。

 多部未華子チャンが 「千里サンにはパトロンがいるんじゃ?」 と言ったらムキになって否定するし、梶原善サンに聞かれてもいない千里サンの余計なことべらべらしゃべるし、壹岐サン、分かりやす過ぎ!
 「ムーンライト・セレナーデ」 が店内に流れたら、これはもう、チークダンスしかないでしょう、という展開も、分かりやす過ぎ! 壹岐サン、純情だなあ~(笑)。 恋愛初心者だなあ~(笑)。

 分かりやす過ぎという流れで言うと、阿部サダヲサンに嗅ぎつけられてフォークとの提携を言下に否定する小野武彦サンも、「提携話はあるよ」 って言ってるようなもんでしたよね(笑)。

 なにしろその、壹岐が千里サンを自分のアパートに連れ込む、という展開になった途端、壹岐の世話をしている家政婦のハル江サン(吉行和子サン)が 「壹岐サンは死んだ奥サンに義理立てして女も連れ込まない、立派だー」 とほめていたくだりを思い出して、いつハル江サンにバレるのか、そのことばかり気になってしまいましたけど(笑)。

 しかし(笑)。

 何事もなく済んだかと思ったその矢先、そのハル江サン、壹岐のベッドに、千里サンの長い髪を、見つけちゃうんだなー(笑)。
 なんか、笑っちゃいました。 あーあ、見つかっちゃった、って感じで。 壹岐の株、急降下!(笑)

 冒頭で述べた 「嚥下できない感」 ですが、壹岐がレストランで千里に語った話に、その原因があるような気がしています。
 「私自身のことを言えば、第二の人生を誤ってはならぬという思いで商社に入りながら、顧みれば、悔いることのほうが多くて…」
 つまり、壹岐自身の人生が、草木も生えない 「不毛地帯」 の中にいる、ということを、このドラマは表現しようとしているのではないか。 それが、このドラマを見ていて、どうも安心感が得られない原因となっているように感じるのです。
 まあ、壹岐だけでなく、里井副社長とか、紅子サンとか、鮫島サンとか、みーんな不毛地帯にいるような感じは、しますけど。

当ブログ 「不毛地帯」 に関する記事
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-6a81.html
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/1-05a5.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/2-w-070f.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/3-4bae.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/4-9755.html
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/5-abb7.html
第6回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/6-d4bd.html
第7回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/7-8677.html
第8回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/8-4f4a.html
第9回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/9-cdc5.html
第10回 (当記事)
第11回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/11-0587.html
第12回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/12-68a7.html
第13回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/13-2599.html
第14回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/14-4fa8.html
第15回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/15-d4df.html
第16回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/16-3ac8.html
第17回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/17-2-6e30.html
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-b645.html
第18回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/18-5177.html
第19回(最終回) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-7b99.html

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2009年12月17日 (木)

「小島慶子 キラキラ」 2009年12月17日 ありました、ドンパッチ!

 なんか、このところ聴ける環境になかったTBSラジオ 「小島慶子 キラキラ」 だったのですが、今日は久しぶりに聴けました。

 今日のメッセージテーマはグッとくるお菓子選手権。

 小島サンは毎年正月の季節になると、とらやの花びら餅というお菓子を買うそうで、それがちょっとお値段的には張りますが、たいそうなおいしさだそうです。 なんか、餅の中に味噌餡が入っていて、ごぼうが挿入されてるとか? 餅にごぼうですか…。

 さて、お菓子選手権、リスナーからのメッセージで、子供時代にドンパッチを大量に口の中に突っ込むという罰ゲームをしていた、というものがあって、大笑いしました。

 あったなあ、ドンパッチ!

 粉々に砕かれたアメがちょびっとばかり入っているんですよね。 量的にはそんなになかったんじゃないかなあ。 それを大量に口の中に突っ込むのは相当お金がかかりそうですけどね(笑)。
 そのごく微量の砕かれたアメを口の中に入れると、パチパチはじけるんですよ。 確か注意書きに、一度に大量に食べないで下さい、爆発します(笑)みたいなことを書いていたような気がします。 爆発は冗談です(笑)。
 ただ、粉末状の炭酸ソーダ並みの食感なのかなーと思ったら大間違いで。
 結構パチパチの衝撃が、すごいんですよ。
 一度間違ってちょっと多めに食べて、えらい目に逢いました(笑)。
 脳天から衝撃が抜けていく感じで(笑)。 今まで食べたお菓子の中で、いちばん 「危険」 なお菓子でした(笑)。

 私の記憶だと、このお菓子の発売期間って、1978年か9年くらいだったんじゃないかなあ。 ゲゲッ、もう30年も昔ですか!
 確かコーラ味と、もうひとつあったよなあ。 グレープ味だったかなあ?

 確か綿あめ状のものも一時期あったような気がします。 なつかしくて、買い求めました。

 「キラキラ」 では、以前の放送で、「宝石箱」 というアイスに、小島サンが異常に反応してましたねー。 確か、ドンパッチと同時代です。 粉々に砕かれたアメが、アイスクリームのなかに入っているんですよね。 そんなに大量にではないですけどね。
 いや、ワタシ的にも、「宝石箱」 は、ぜひとももう一度食べてみたい、なつかしアイスです。
 ピンクレディーがCMをやっていて。
 小島サン、完全にピンクレディー世代って感じですもんね。

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2009年12月16日 (水)

「ファイナルファンタジー13」 の前に、PS3を買わねば…

 「ファイナルファンタジー」(FF)、13作目が発売ですか。

 その前にゲーム機を買う必要が、あるんですけどね。 PS3。

 だいぶ安くなったとはいえ、FF以外にやりたいゲームって、まったくなくて。 あ、あるか、「バイオハザード5」。
 でも、バイオやFF13のためだけにPS3を買う、というのは、どうにも馬鹿らしい。
 PS3で見られる、というブルーレイも、別に見たいという需要がありませんし。
 ブルーレイって、ある程度大画面にならないと、大して必要性を感じないんですよ。 だからPS3のブルーレイ視聴可能、というのは、大した魅力になってこない。

 だいたい、FFとかドラクエとか、どうしてこう、違うハードで出したがるんですかねえ?
 勘弁してほしいっスよ。
 そのゲーム機で、やりたいソフト、1、2本くらいしかないんだから。
 そのためだけに2万だか3万だか、使ってられないですよね。

 FF13も、しばらくはやることもないでしょう。

 「ファイナルファンタジー」 は、主人公がしゃべりまくる(でもないか…)のが、ドラクエフォロワーとしては斬新でした。
 また、物語や設定がとても作り込まれている。 ドラクエの世界が小学生に思えてしまうほどの大人感覚でした。

 ただその物語の作り込みように対応するように、毎回ゲームのルールが大幅に変更される、というのには、ちょっと閉口しました。 しかも、ヤケにワケの分からない、ブラックボックス的な部分が、ゲームをいくらやりこんでも残っているような感覚がする。 なんかやってて、攻略本の必要性をとても感じるシリーズなのです。 攻略本と抱き合わせで買わせようとしてるな、というのが、何となく見え隠れしている。
 RPGと言えばドラクエ、という先入観でゲームをしてきた身にとっては、そういう、よく言えば奥深い、悪く言えば商魂たくましい部分が、受け入れられなかったりしたものです。

 それが驚天動地の転換を果たしたのが、シリーズ第7作目だったと、個人的には思っています。

 PS(1)というステージを得て、当時としてはそのスペックを最大限に生かしたような作り込み方。 なんと言っても、世界が3Dで動いているのには、ちょっとめまいさえ感じるほどでした。
 当然、戦闘も立体的。
 それまで平面的な世界で戦っていた身としては、その臨場感には、シビレまくりました。

 いまだに、ゲームと言えばファミコンやスーファミ時代のドット絵がいちばんいいという人もいますが、私はこのFF7の衝撃が、そのままずっと尾を引いています。 世界も戦闘も、すべてその場でやっているような感じがいちばんいい、とさえ思っています。

 ただ、リアルさを追い求めるのにも、ある程度のクリエイターとしての能力が問われる、と一方ではそうも思います。
 例えば、戦闘するパーティの顔ぶれ。
 すべて同じような人間では、面白くもなんともない。 つまり、仲間同士でチーチーパッパやっているのと、なんら変わらないのです。 それでは世界が広がらない。
 どうせパーティを組んで一緒に戦闘するのなら、いろんな年代の、いろんな顔付きの人間がいたほうが、リアル感は確実に上昇するのです。
 初期のFFでは、じいさんとか子供とか、バラエティには富んでましたけどね。

 FF7では、そこらへんのリアリティは、結構あったほうでした。
 しかも、ヒロイン級の女の子が途中でリタイアしてしまったり、主人公が精神的におかしくなってしまったり、ストーリー的にも衝撃でした。

 FFというシリーズは、そうした 「リアリティ」 と常に闘っているような性格を、強く感じます。
 そしてそれは、同じハードで続編が作られていくにしたがって、次第にこなれていく。
 PS1というステージで作られた、7、8、9のシリーズのうち、いちばん(ビジュアル的なリアリティという点で)完成されていたのは、最後の9だった、と個人的には考えています。

 それを、ハードの進化にしたがって、FFはまた最高の臨場感を求めて、次なるハードへと挑戦していく。
 ゲームをしている側としては、もう9のクオリティでいいよ、とさえ思ってしまうのですが、FFはPS2というステージで、10、10-2、(11)、12という続編を提供してきました。 やはり、ビジュアル的な完成度としては、12が最高だったと感じます。
 10は、物語やゲームシステム的にはFF最高作、とさえ思えるのですが、主人公たちの顔が、やっていた当時から、相当気味悪い人形のように見えていた。 それが12になると、ムービー画面以外の主人公たちの顔が、とても自然に見えて、かえってムービー画面のほうがつまらない顔に見えるほど。 主人公があまり前面に出てこないのも、批判の的になっていたきらいはありますが、ワタシ的には気にならなかったです。 たぶん、主人公と年齢が離れすぎていたからでしょう。

 この法則(?)からいけば、PS3で初めて出される今回の13は、ビジュアル的にいちばんこなれていない(笑)ということになりますが。

 まあ、年々、ゲームの主人公たちと自分の年齢の違いにため息が出てくるのですが(笑)、いったい私も、いつまでゲームのフォロワーをしていられるのかな、と思うと、結構さびしい気分になったりします。 老化防止のためにゲームをやっていらっしゃるご老人がたもいらっしゃるようなので、気にすることもないのかもしれませんが。

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「HELP!4人はアイドル」 けっして侮れない駄作映画(1)

 NHKBS2は、おしなべていつも 「なんでこの映画をやるの?」 みたいな映画をやっていることが多いが(笑)、先日も深夜にいきなり、「HELP!4人はアイドル」 を放送していた。 まあ、ほかのビートルズ映画を合わせて放送するなら、「ビートルズ映画特集」 とでもなるだろうし、「ジョン・レノンのぼくの戦争」 とか 「三銃士」 とかを合わせて放送すれば、「リチャード・レスター特集」、ということになろう。 だけどそんな抱き合わせは全くなし。 どーゆー意図でこれを放送しとるのか、それが分からないのだ(笑)。 NHKBS2らしい(笑)。

 「HELP!」 は、そんなリチャード・レスター監督の究極のバカバカしさがぎっしり詰まっている作品である。 私は、いままでモンティ・パイソンとかメル・ブルックスとか、「くだらなさ」 を売り物にした映画をかずかず見てきたが(でもないか)、「くだらない映画」 としては、ほぼナンバーワンにこの作品を挙げたいくらいだ。
 その 「くだらなさナンバーワン映画」 の主役がビートルズ、ということが、またまたすごいことだなあ、と感じられてならない。

 世界の頂点を見てしまっていた当時のビートルズが、唯一出演をしようと思ったのが、この 「HELP!」 だったとすれば、その出演理由は、いったい何だったのだろう。

 まず第1作目の 「ハード・デイズ・ナイト」 と同じ監督だった、という安心感はあるだろう。
 じっさい、「ハード・デイズ・ナイト」 は安易なアイドル映画の域を大きく超えており、実にカッコよくて、スタイリッシュだ(おなじ意味か)。
 当時のリーダー的存在であったジョン・レノンの頭の中には、エルヴィス・プレスリーの実に 「ヌルい」 アイドル映画が念頭にあったに違いない。 それに対するアンチテーゼの役割を、「ハード・デイズ・ナイト」 は完璧に担っていた。

 当ブログ 「イエス・イット・イズ」 の項でも述べたが、ビートルズ特にジョン・レノンの行動を見ていると、何かエルヴィスにけしかけているような、そんな傾向が常につきまとっている気がしてならないのだ。
 「アンソロジー」 本で、「サン・レコード時代のエルヴィスは最高だった。 軍隊に入った時に、彼は死んだ」 的な発言を読んだ時、なんとなくジョンのその傾向が、裏付けられたような気がしたものだ。
 ロックンロールを自分に伝授してくれた最高のアイドルに裏切られたと感じた時に、ジョンはエルヴィスに対して、近親憎悪的なものを抱き始めたに違いないのだ(あーまた、憶測が始まりました)。

 「HELP!」 のシノプシスの根底に流れているのは、映画第1作での 「エルヴィス映画へのアンチテーゼ」 を超えた、「エルヴィス映画への当てこすり」 のような気がする。 アルプスにスキーをしに行こうだとか、バハマで水着の女の子に囲まれようだとか。 それをバカバカしい冗談で塗り固めることによって、エルヴィス映画へ強力な皮肉を突きつけている。 まあ、そこまで極端なイヤミでもない気もしますが(笑)。

 ただ彼らをこの映画に駆り出したものとしては、そうした当時のアイドルの、売り込みのためのひとつの手段として確立していた 「映画出演」 に対する、彼らなりの反骨精神が、主たる原因ではなかろうか。 どうせ出演するなら、そんな自分たちをピエロとして笑い飛ばしちまえ、映画自体を下らなくしてそれでもついてくるヤツをも笑い飛ばしちまえ、という、一種残酷趣味の混じった、死なばもろとも、面白けりゃどーだっていーじゃんみたいな自虐も強く感じる。

 そしてその屈折した自虐は、その後の彼らの行動パターンの基礎を形成しているような気さえする。

 つまりコンサートツアーの最後も、グダグダになりながら互いにそんな自分たちをカメラで写しあっていたし、ブライアン・エプスタインが死んだあとの 「マジカル・ミステリー・ツアー」 も、最終的にはグダグダ。 アップルの経営も、最終日には店のモノぜーんぶもってけドロボー!てな感じで、その究極が、「レット・イット・ビー」 の解散劇、ときている。
 彼らは行き詰ると、自虐的になりながらもすべてのものを巻き込んでそれらを笑い飛ばしながらスローモーションで、倒れていく。

 それが彼らの、一風変わった、反骨精神なのだ。

 「HELP!」 は、ビートルズの変形した反骨精神が初めて現れた、記念すべき作品なのである(って、またまた断言しとります)。

 以下、続きます。 期待しないでお待ちください(笑)。
(2)はこちら↓
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/help4-2-311e.html

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2009年12月15日 (火)

「不毛地帯」 第9回 紅子サン、酔いすぎ

 「不毛地帯」 第9回は、近畿商事ニューヨーク支店に行く前の、壹岐(唐沢寿明サン)と娘(多部未華子チャン)との、親子の語らいが感動的でした。

 「私がニューヨークに行くと、お前はひとりだ」 という壹岐に、未華子チャンは 「鮫島クンと結婚したい」 と言い出す。
 ライバル会社のいちばんの難敵である男の息子との結婚なんか、ダメに決まってるはずなのですが、亡くなった妻(和久井映見サン)のことを思い出し、壹岐は結婚を許すのでした。

 そして、「おんぶさせてくれ」 と、いい年をした娘にトートツなお願い(笑)。
 未華子チャン、いったんは拒絶するのですが(そりゃそーだ)(笑)、そこは殊勝な昭和の娘サン、小さいころも、おんぶされたことがないと、父親の願いを聞くのです。
 おんぶされながら、母の遺影が目に入り、父の背中にすがりついて泣いてしまう未華子チャン。
 こっちもウルウルしてしまいます。
 ダメだなあー、最近、こーゆーの(笑)。
 親子って、どうして親子なんだろうなーと、よく考えるんですよ。
 いくらケンカしても、仲が悪くても、自分が生まれてくるとき、何の脈絡もなく、ランダムにその親の子になるはずがないと、思うんですよね。
 たぶん、このふたりを父親と母親として、自分は生まれてこようとして、この世に生まれてくるんだと。
 昨晩見た 「鶴瓶の家族に乾杯」 で、西田敏行サンが、おととし亡くなった母親を思い出して、同じ年代のおばあちゃんを見ると感情移入してしまう、と言って、スタジオでも泣いてしまっていましたが、なんかもう、よく分かるんですよ。
 こういうのは、ある年代にならないと、気付かないものなんでしょうかね。

 話はズレてしまいましたが、このような感動シーンを見せておきながら、このドラマ、未華子チャンと鮫島ジュニア(笑)の結婚式を、見せないんですよ。
 なんでですか?
 結婚式、しなかったんですか?
 結婚式での壹岐と鮫島のぶつかり合いもしくはぎこちない仲直りシーン(笑)が見たいのに。
 ひょっとして、両家の親不在の式だったとか?
 原作でも、読もうかな。

 そして今回は、もうひとつ、トートツなシーンがありました。

 紅子サン(天海祐希サン)が酔っぱらってニューヨークの壹岐の部屋に乱入(笑)、「偽善者!」「好き!」 とか言って抱きついて、壹岐に拒絶されて部屋を出ていってしまうシーン。

 なんとなく紅子サンが壹岐に好意を抱いているのは分かっていましたが、このドラマでは、その理由がていねいに描写されていない。 小雪サンのほうは、よく描写しているんですけどね。
 だから、ここまで紅子サンがテンパっているのが、とてもトートツに見えてしまう。
 別に、紅子が壹岐を好きになる理由なんかどうでもいいと作り手が思っているのかどうか、それは分かりませんけど、この超カタブツ男(笑)のどこがいいのか、どこに魅力があるのか、このドラマを見ていて、それが伝わってこない、ということが、なんとも致命的に思えます。

 しかし話は変わりますが、里井副社長(岸部一徳サン)、ますます怪人っぽくなってまいりました(笑)。
 里井サンに極秘裏に行なわれていたフォード、じゃなくってフォーク社と千代田自動車との業務提携が成功して意気揚々とエレベーターに乗り込もうとする大門社長(原田芳雄サン)の前に、エレベーターのドアが開くといきなり立っていて(笑)。
 「おめでとーございます。 いい連絡があったよーですねー。 これから忙しくなりそうですねー。 失礼します」
 あー気味悪い(笑)。 懐刀の篠井英介サンも、気味悪コンビで頑張ってます(笑)。

 それにしても、エンディングテーマのトム・ウェイツ、渋いです。

 彼は確か、ルイ・アームストロングの声にあこがれて声を潰し、あんなダミ声で歌うようになったと、その昔 「ポッパーズMTV」 でピーター・バラカン氏がしゃべっていた記憶があります。 この酔いどれトムと超カタブツ壹岐とのコラボレーション、なかなか粋な組み合わせですが、ちょっと渋すぎて、難解かもしれません。
 トムの歌う人生の悲哀が、このドラマを貫くテーマのように、私などはこの曲を聴きながら感じているのですが。

当ブログ 「不毛地帯」 に関する記事
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第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/1-05a5.html
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第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/3-4bae.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/4-9755.html
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2009年12月14日 (月)

「JIN-仁-」 第10回 ああもう、どうなっちゃうの?との闘い!

 最終回に向けて、5分拡大の 「JIN-仁-」 第10回。

 来週の最終回はさらに、85分の拡大版になるらしく、初回が2時間スペシャルだったことを合わせれば、ワンクールの放送回数としては、近年になく大盤振る舞いの様相を呈しています。
 この手の傑作ドラマが余計に見られるというのは、視聴者としては大歓迎!なのですが、結構テレビ局の思惑も交錯しているのが普通なんですな。 それにつれてドラマの出来自体にも影響が現れたりする場合も多々見受けられるのですが…。

 …このドラマに関しては、そんな気遣いは無用のようです。
 なにしろ、ドラマの構築が、プロフェッショナルなんですよ。
 今回も、最終回に向けて、南方仁(大沢たかおサン)と坂本龍馬(内野聖陽サン)の運命がどうなっていくのか、いやがおうでも盛り上がっていく展開。
 もう、早く見たくて見たくてしょうがないですよ。
 こういう期待をもたせるドラマというのは、近年記憶にないです。
 でも、見ちゃうと、もう終わりなんだよなー。
 あーあ、つまんないの(笑)。

 今回泣かせたのは、南方先生と咲(綾瀬はるかチャン)との別れのシーンでしたね。
 野風(中谷美紀サン)を身請けに出すことが、未来(中谷サン2役)の存在にかかわることから、胸に小さなしこりを発見したにもかかわらず、野風の健康状態に異状なし、の診断をあえてした、南方先生。
 その南方先生の表情の変化から何かを察知した咲チャン、野風のもとに再び出向き、乳がんの可能性を突きとめる。

 このふたりの会話シーンというのは、毎回見ていて、身分の違う女性の違いがとてもよく出ているのが感心します。
 特に野風の、中谷美紀サンの演技。
 当時こんなにトウの立った(失礼)花魁はいなかったような気もしますが、自分は浮世とは違う世界の人間、という雰囲気が限りなく発散されていて、凄みさえ感じます。

 そして野風の病状を知った咲チャン、南方先生に迫る。
 「今までは立ち向かってらしたではないですか? 先生は、野風サンを見殺しにしようとしたんじゃないですか? 未来サンのために!」
 咲チャンの一喝って、いちいちまっすぐ過ぎて、ホントにグサグサ突き刺さってくるんですよね(笑)。
 「…鬼、ですよね、私は…」
 南方先生も、自虐的に、こう絞り出すしかない。

 それを見て、咲は決断を下すんですよね、もうついていけないって。 そして、縁談話を進めてくれと、母親(麻生祐未サン)に頼むのです。

 いきり立ってその場を去ったその様子から、翌日南方が出立する時、咲チャンは出てこないのかと思いましたが、何事もなかったかのようにはにかんで笑いがら、お弁当を差し出す。 「これくらいしか、私にはできませぬゆえ…」
 そして、医術を学べたことを、南方先生に感謝するのですが、それがいかにも、建前だけの、上っ面な感情なのです。
 「お幸せに」 と言う南方も、そこにはいろんな感情が詰まっていても、結局そう言うほかはない、というのが、すごく伝わってくる。
 「私は、咲サンの顔を見ると、いつもほっとしてましたから…。 きっと(嫁ぎ先は)、そういう家(庭)になるんじゃないでしょうか」

 切ないです。

 去っていく南方の後ろ姿を見ているうちに、抑えていた感情があふれ出して、涙が止まらなくなる咲。
 「医術ではなく、南方先生だったのではないか、おまえが夢中になったのは、咲…」 とつぶやくように言う小出恵介クンに、咲は涙をぼろぼろ流しながら、こう言うのです。
 「先生には、おられるのでございます。 そのかたのためなら、鬼にでもなろうというかたが…。 あのお優しい先生に、そこまでさせてしまわれるかたが…。 私の出る幕など、いつまでたっても、ございません…」

 ああ~、泣ける。

 そして、久坂玄端との駆け引きにペニシリンが使われるのを、やめさせようとする南方に、内野龍馬が、「ひょっとしてシェンシェイ、わしらの運命を知っちょるがかい?」、と問いただした瞬間、刺客に襲われる。
 ここらへん、史実と違う展開なために、見ているほうも先の予想が全くつかない。
 だいたい、この回の冒頭で、南方自身が疑問に思っています。
 「あの人、ホントに坂本龍馬なのかなぁ~? 違うんじゃないかなぁ~?」 って。
 それってもミもフタもない話で、笑っちゃいましたけどね(笑)。
 でもあの有名人がねえ…と考えだすと、南方のその逡巡も、分からなくはない、って言うか(笑)。
 ここらへんのリアルさの味付けが、毎回凄いと感じます。
 だからこそ、このあり得ないパターンの龍馬暗殺が、とても興味深くなる。

 先が見たいんだけど、それで終わっちゃうのが、前にも述べましたが、すごく惜しい。

 これがひと昔前の長ーいスパンのドラマだったら、いろんなパターンの患者サンとかが出てきて、そのつどいろんな治療法を南方が試して、みたいな息の長い見せ方をしたんでしょうね。 そんな間延びした作りのドラマでも、じゅうぶん面白かったのではないか、と思わせる素材でした。 回数が短いばかりに、こんな切迫感あふれる作りになっている長所は見逃せませんが。

当ブログ 「JIN」 についてのほかの記事
第1回 荒唐無稽との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---1-e9ae.html
第2回 建前との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---2-f3b1.html
第3回 自分の病との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---3-3290.html
第4回 女としての闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/---4-542b.html
第5回 梅毒との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---5-9dba.html
第6回 リアルとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---6-25d6.html
第7回 明日のための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---7-87b0.html
第8回 自分の器との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---8-e9a7.html
第9回 心意気どうしの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---9-8cf0.html
第10回 ああもう、どうなっちゃうの?との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---10-670a.html
第11回(最終回)続編あるかどうかとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---7290.html
番外 続編の可能性を、もう一度考えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---a138.html

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2009年12月13日 (日)

「坂の上の雲」 第3回 親というものは、ありがたいものです

 「坂の上の雲」 第3回は、前半正岡子規(香川照之サン)が喀血してからの動き、後半は日清戦争に突き進む動き。
 このドラマを見て、私のイメージが180度転換したのが、この正岡子規の描写です。
 この人は結核で、とても病弱なイメージを、かねてから持っていました。 と同時に、野球とそれに関する訳語を考え出した人として、結構マニアックなのめり込み方をする人のような感覚を持っていました。
 それが、このドラマでは、いくら結核の末期症状である喀血という事態になっても、まるで他人事のような前向きなとらえ方をしているし、不治の病の苦しみを抱えながらも、ただひたすら、明るい。 その前向きな姿勢には、眩しささえ覚えるほどです。

 いっぽう本木クンは、帰郷して松山市民プール(冗談)に行き、いきなり局部を掻きながら、「チ○ポがかゆうてイカン」 と、NHKでチ○ポはないだろうという感じなのですが、海軍の男臭い不衛生な状況をそれで表して、水にドボン。
 そこに陸軍のふたり連れがふんどしも脱捨てて水にドボン。
 局部を見事に隠した撮影の仕方で(笑)、見ていて冷や冷やしどおしでした(笑)。
 そこでそのふたりと本木クンがケンカ。
 その仲裁に、うしろで根回ししたのが、伊東四朗サン演じる、本木クンの父親。
 それから間もなくして、この父親は亡くなってしまうのですが、伊東四朗サン、出番が少ない割には、結構印象的なセリフをいくつか放っていました。
 「親が偉すぎると子はようならん。 わしの働きが悪いのは、子のためにやっとるのじゃ」 とか、「肝心の戦まで、勝ちはとっとけ。 短気は損気。 急がば回れ」 とか。
 日本の行く末を見つめるこのような性格のドラマの中で、こうした人生の教訓みたいな言葉がさりげなく挿入される。 それが、このドラマに深みを与えているのです。

 だから、父の死後帰郷した本木クンが見た、母親(竹下景子サン)の後ろ姿が、なんとも胸に迫ってくる。
 なんてことはないシーンなのですが、なんかじわじわ、泣けてきました。
 親というものは、ありがたい。
 本木クンの好物の炒り豆を炒っている母親。 自分の好物を覚えていてくれる親って、大事ですよね。 それを食べながらまたオナラをひとコキする本木クン。 私のオカンの話だと、昔はおやつがわりに、大豆を炒ってよくぼりぼり食べていたそうです。 要するに、節分で食べる、あの豆のことですな。 本木クンのおならがその食べすぎのせいだった(笑)、という事実も判明(笑)。

 阿部寛サンと松たか子サンの結婚もはさみながら、後半は日清戦争に突き進んでいく様子を、ドラマでは描写していくのですが、そこで登場した、東郷平八郎役の渡哲也サンと、伊藤博文役の加藤剛サン。
 いや、その存在感たるや。
 画面がびしっと締まります。
 ドラマでは、日清戦争を引き起こした直接の主導者は、外務大臣の陸奥宗光(大杉漣サン)と、陸軍大将の川上操六(國村準サン)ということになっております。 特に國村準サンは、この前まで 「ギネ」 でエライ年下の娘っ子と出来てしまう、産婦人科教授を演じていただけに、その役柄の違いには、ちょっとめまいを覚えるくらい。
 そのふたりの策に弄されて、伊藤博文の加藤剛サンは清国との戦争を決断せざるを得なくなっていくのですが、それに際して、国際社会にきちっと筋を通すような、大義名分を掲げようとする。 それは確かに、「石橋を叩いて渡る」 形式なのですが、のちに朝鮮で暗殺されてしまう伊藤博文の真意がどこまで世間に伝わっていたのか、いまにして思うととても複雑な心境になります。

 戦争というものは、個人の意志ではどうにもならない。 そこに突き進んでいく思惑というものは、陸奥や川上の意志くらいでは到底動いていかないものなのです。
 ただし昔のほうが、いまよりもずっと簡単に、戦争しちゃおうという人が、多かったんじゃないかな。
 戦争の悲惨さを日本人が嫌というほど身にしみて分かるのは、そのずっと後ですからね。
 だから、松たか子サンが戦地へ赴く阿部寛サンに、「生きて帰ってきてください」 と懇願できる。
 そのうちに、「君死にたもうことなかれ」 という気持ちが、だんだん問題視されるようになっていき、太平洋戦争時には、そんなことを考えるのは非国民だ、というほどになっていく。 そうなるともう、悲惨としか言いようがない。

 日露戦争でバルチック艦隊を打ち破ったり、コサック騎兵隊を打ち破ったりすることで国威発揚を成し遂げていくうちに、戦争というものに対しての罪悪感が打ち消されていく。
 このドラマは、その点を見逃して見るべき性格のものではない気が、強くするのです。

「坂の上の雲」 に関する当ブログほかの記事

第1回 いや、ガイじゃのう!
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/1-46c5.html
第2回 列強に植民地化されなかった日本とはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/2-3ded.html
第3回 親というものは、ありがたいものですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/3-9188.html
第4回 戦争の真実を見つめようとしない人々http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/4-4583.html
第5回 今度は、一年後ですか… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/5-16b5.html

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「坂の上の雲」 第2回 列強に植民地化されなかった日本とは

 本木雅弘クンはオナラをしなくなりましたが(笑)、冒頭からジャッジケイチャーという単語の意味を正岡子規通称ノボサン(香川照之サン)が勘違いをしてしまうところや、試験問題が分からないくせに夏目漱石(小澤征悦サン)に張り合ってあっという間に出してしまうノボサンなど、笑わせるシーンが続出の、「坂の上の雲」 第2回。
 とは言うものの、ジャッジケイチャーの意味を 「法官」 と本木クンから聞き出したはいいものの、「幇間」 と間違えて答案用紙に書いてしまうノボサン、結構高度な冗談でした。 それをこのドラマでは、実際にエラそうなガイジンにタイコ持ちの格好をさせて、視覚的に分かりやすくはしてましたけど(笑)。

 そのノボサンと本木クンが通う大学予備門の授業内容は、現在から考えると、ヤタラメッタラ難しい。 英語以外の授業が英語で行なわれるのは序ノ口、試験の問題も、すべて英語。
 当時の英語教育というのは、本格的に始まってから、まだずいぶんと日も浅いはずです。 エリートクラスの授業とは言え、ずいぶん賢すぎる、という気さえします。

 いや、私が子供のころも、そんな思いがあったような気がします。

 年長の人たちの教科書を見せてもらって、こんなに難しそうなことをやっているのか、と思ったのに、実際に自分がその歳になると、そんなにどうしようもなく難しくないなあ、なんて。 自分の学力が備わってきたからそうだった、という側面もあるかとは思いますが、それを差し引いても、年々教科書は、簡単になってきているのではなかろうか、と思ったものです。 それは、教え方のコツが分かってきた教育の進化の結果だったと、今更ながら私は思うんですけどね。 難しいことを難しく教えるのは簡単。 難しいことを簡単に教えることには、技術が要るのです。

 それが、明治時代の初期ともなれば、教育のシステムがいまなんかとは比べ物にならないくらい整っていないはず。 当然、学ぶべきものは、すべて噛み砕かれるはずもなく、難解な原書頼り。

 それを乗り越えていった明治の学生たちの行く手には、やはり列強に追いつけ追い越せの、「坂の上の雲」 がかかっていたのでしょう。 ものすごい立志の志だなあと、驚嘆しまくります。 第1回で自由民権運動のアジを行なっていたノボサンや、徒歩で東京から江の島に旅行した学生たちの意気揚々たる姿を活写した第2回などを見ていると、当時の知識階層に登っていく人々のバイタリティに、軟弱な平成のオッサンは、圧倒されるのです。

 そんな超エリートの夏目漱石が、ロンドン留学でノイローゼになってしまうんですからね。 このドラマで描かれていた、塩原金之助時代の漱石を見ながら、なんでそんなことになっちゃうのかなーなどと、考えました。 やはり頑張るにも、限界ってもんがあるんだなーと。

 それにしても、徒歩で江ノ島まで行きながら、自分の本当にやりたいことが何なのかつかめない、本木クン。 徒歩で行くなんて、それだけでも凄いことなのですが、自分に目的がない限り、いくらエライことを成し遂げても、それはむなしさを埋めることにならない、ということが表現されていて、つくづく共感します。

 ドラマでは、イギリスやドイツ、フランスに積極的に学んでゆこう、という、政府をはじめとした積極的な姿勢か、ひしひしと伝わってくる。
 この飽くなき学習意欲が、日本を列強の植民地から救った主たる原因のような気がします。

 もうひとつ、第2回でよかったのは、菅野美穂サン演じる、ノボサンの妹りつ、通称リーサン。

 本木クンが本当は好きなのに家の事情でお嫁に行き、結局うまくいかなくて出戻りになった女性の悲しさが、とてもよく表現されていました。 とても切ない。 「JIN-仁-」 の女性の描かれ方にも通じる切なさです。

 しかし、これほどの大傑作なのに、途中でちょっと、ダレました(笑)。
 長すぎるんですよ。
 毎週45分くらいがちょうどいい気がします。

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「チューボーですよ!」 堺サンと森進一サン、ダブル巨匠?

 2009年12月12日 「チューボーですよ!」 ゲストは、この手の番組に出たという記憶がない、森進一サン。
 紅白を控えて、年末になると露出が多くなる気のする演歌歌手の方々ですが、その紅白にも、42回連続出場というのは、さすがに偉いもんだなあ、と思います。
 まあ、それは惰性という見方もできますが、毎年新曲がコンスタントに売れ、存在感をアピールできているからこその、出場なわけで。 現役感がなくなったら、いくら大御所でも、紅白には落選すると思うんですよ。

 それにしても、この人の顔を久しぶりに見たんですが、なんとなく、風貌が郷ひろみサンに似てきてませんかね? いや、郷ひろみサンが、森進一化している、というほうが正しいのか(笑)。 あえてここでは、あまり突っ込みません(笑)。

 それはそれとして、森サン、人の話を聞かないタイプですよねー(笑)。 それはいいほうにとらえれば、「お追従ができない」 という、とても真っ正直な方なのだ、という感じがします。 それが、いままで奥サンだった方々には、ちょっとつらかったのかなー、なんて。 堺巨匠も結構押しの強いタイプなので、今回結構、両者とも衝突していました(笑)。
 「お正月の楽しみがないから…」 と言う堺巨匠に、「いやそうじゃないですよ」(笑)。 「ある程度歳をとると、みんな一年が速くなるんですよ」「川の流れが速くなるようにね」「いやそうじゃないんですけど」(笑)。 いちいち堺サンの言うことにたてついて(笑)、「あんたね、私も我慢の限界があるんですけど」(笑)。
 「だからさ、川の流れみたいにさ」「川の流れは、モノでしょ」「オレは例えてるんだからさ!」(笑)「分かりましたよ!」(笑)。
 もう、おかしかったです。

 お互いにひとり暮らしで、しゃべる相手がいない寂しさをどう紛らわしてるかで、「犬としゃべる」 という堺サンに 「犬がしゃべるわけないでしょ」(笑)。
 「お子さんと会って、何か相談されたりするんですか」「まあそれは相談だからねー、こんなところで言えないですよ」(笑)。
 なんか、結構このちぐはぐなやり取り、面白いんですけど(笑)。

 「襟裳岬」 をデュエットで歌ったんですが、なんとなく、お互いの歌手としてのプライドがぶつかり合うような、興味深い一幕でした。 森サンも、この曲の伴奏は、明らかにカラオケレベルのつまんない伴奏だったのですが、そういうのはプロとして嫌だとか、そんなこだわりがない人なんだなー、という感じで、とても好感が持てた気がします。

 今回のメニュー、豆腐チゲの卵投入も、片手でパッパッと、堺巨匠の分までやってしまって(笑)。
 「森サン…ここ、一番の見せ場なんですよ」(笑)。

 「卵、もう固まってきたんじゃないですか?」 と言う枡田アナに、「もうチョイじゃないか?」「もうチョット!」(笑)。
 「きょうは巨匠がふたりいるみたいですね」「船頭ふたりでやりにくいよ!」(笑)。

 「油断してた。 こんなに料理する人だと思わなかった」 と言う堺巨匠に、「だってひとりで暮していれば、やらなきゃしょうがないでしょう? 堺さんひとりじゃないの? 出前?」 と、またまた厳しいツッコミ(笑)。
 星も、枡田アナの問いかけに間髪入れず、「2つです!」。 早っ!(笑)
 なかなか最近、3つ星にならないですねー。

 こういう人と四六時中暮らしていたら結構きつそうですけど、バラエティ的な面白みは持っている人だなあと感じた、今回の 「チューボーですよ!」 でした。

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「恋のから騒ぎ」 2009年12月12日 民謡チャン、やっちゃいましたね(笑)

 ボイパー(口をマイクにくっつけてドラムのマネをする、アレです)で最近起死回生の一発を放った民謡チャンでしたが、あと数カ月でご卒業、というこの時期になって、毎年恒例のように行われるメンバー同志への悪口の、一番バッターになったような感じでした。

 民謡チャン、この日は出だしから絶好調、というか。

 から騒ぎ元メンバーの小林麻央チャンが市川海老蔵サンと婚約したというさんまサンの話から、「オマエは誰がいいねん歌舞伎役者やったら?」 と振られ、「林家寛平サンとか…」(笑)。 「ハヤシヤカンペイ? グチャグチャやないか」(笑)。

 石田歩チャンの 「男を持ち帰って何が悪いんですかと熱弁して結構襲われかけてるのに、いざとなったらダメ」 発言にも、「持ち帰っても朝になったらその男がいないんですよ」「ゲットしてないやないかそしたら」「いや私の体は大切ですもん」 それでも、「結構夜は凄いんです~」。
 いや、こういうところが民謡チャンのいいところだと、私なんかは思うんですけどね。 つまり、自分を大切にはしているし、男には尽くす、ということじゃないですか、平たく考えれば。

 そんな民謡チャンがメンバーに対する攻撃を開始したのが、この日のテーマ 「恋からに出て世間のカップルがつまらなく見える瞬間」 に対する答え 「外見に騙されている」(笑)。

 まあちょっと、質問に対して答えがずれている印象も、なきにしもあらずですが(笑)。

 恋からメンバーで、小豆みたいな目だったのが、メイクをすると3倍くらいになるという話で、まあ毎年、よくある話なんですが、これを民謡チャンがやり始めたのが、ちょっと意外かなー。 58とか歩チャン、PTAあたりがほかのメンバーを攻撃するなら、なんとなく分かるんですが。

 やり玉に挙がったのが、その歩チャンや、Mりん、最前列の目立たないコ、加長川絵莉奈チャン。
 いや、だけど、こうして見ると、民謡チャンの言うとおり確かにみんな、化粧が濃いんですよ(笑)。 特にMりんは、ちょっと今まで気づかなかったのですが、そう言われりゃスッピンは、小豆っぽい目かもしれないなー(笑)という感じ。 結構キツイ暴露話かも(笑)。 歩チャンなんか、「座敷わらしみたい」 とまで言われる始末(笑)。 そう言われれば、目の下のほうも、しっかり書いてますな(笑)。

 「薄化粧も厚化粧も同じ化粧やないか」 というさんまサンに、「いやいや私は裸になっても大丈夫ですもん」(笑)。 ドン!と自分の胸を叩いて、「私は、ありのままの自分で勝負してます!」 いや、民謡チャンファンの欲目で見るからそうなのかもしれませんが、確かに民謡チャンは、ナチュラルメイクっぽい。

 PTAチャンもやり玉に挙がり、「(彼女は)マダムキラー?」(笑)。 それって、男のことを言う言葉でしょ(笑)。 

 「ものきのデルモは?」「昔のヤンキーみたい」(笑)「58は?」「オジサン好きっていうのが、顔に表れてますよねー」(笑)

 説教部屋にも、久々に呼ばれて。
 「無理~。 みんなに怒られる~」「オマエこのまま楽屋へ帰ったほうが怖いやろ」。
 結構メンバーの悪口言うのも、覚悟が必要なようです(笑)。

 説教部屋では、「オマエのどこが自慢なんや?」 と訊かれて、「脚。 美脚」 と、スカートをまくりあげるのですが、ひざにはバンソーコが張られてて、しかも血、出てるし(笑)。
 「ほいで?」「胸ー。 デカイ。 デーカップ」(笑)。
 Dを 「デー」 という人なんか、私久しぶりに見ました(笑)。 うちの親父もデーと言いますし、福島県人の共通項なのかな、…ってそれはないか(笑)。

 鬼太郎サンが出なくなっちゃったためのさんまサンのシフトチェンジなのかもしれませんが、民謡チャンにスポットが当たるのは、ワタシ的には歓迎です。

当ブログ 「恋のから騒ぎ」 2009-2010年(16期)に関するほかの記事
アッハーハー、笑えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-ce54.html
ふくスま弁だぁ~http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-8d55.html
ミスピーチ、がんばってねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-775d.html
ミスピーチ改め民謡の魔性の実態http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/post-d59c.html
今週のミスピーチ、いや民謡チャンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/523-e36e.html
今週の民謡チャン第2弾http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/post-47af.html
民謡チャン、白虎隊は福島県人の誇りでしょhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/07/post-c994.html
ビリー・ジョイトイって…(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/07/post-a64e.html
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最近どうも、モヤモヤしますhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-af2a.html
ハイパーチャン、暴走し始めた(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/post-03df.html
民謡チャン、久々ヒットで、アタシャうれしい!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/post-4ec3.html
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うわっ、出っ歯じゃ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/1226-2022.html
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2009年12月 9日 (水)

「ギネ」 最終回 とっ散らかってましたね…

 おことわり 「「JIN」 最終回 ネタバレ」 でいらっしゃった皆様、申し訳ありませんが、この記事はその内容に該当する記事ではございません。 当ブログ2009年12月21日付 「『JIN-仁-』 最終回 続編あるかどうかとの闘い!」 に、御面倒でもジャンプして下さいまし。 左上の 「バックナンバー」 から、2009年12月20日~12月26日の項をご覧ください。

 「JIN-仁-」 という一風変わった秀作医療ドラマとかち合ってしまって圧倒的に分が悪かった、「ギネ」。 同じ医療ドラマでも、取り扱うテーマは全く違ったものだったのですが、結局産婦人科が抱える社会的な問題は、複雑な人間模様と絡めて描くには、かなり消化不良だった、というのが、最終回まで見た感想であります。

 この 「ギネ」 を見ていて強く感じたのは、アメリカの長編医療ドラマ 「ER」 を目指しているような部分でした。
 「ER」 は、主要人物の数が、半端でなく多い。
 そして医療現場の混乱を、そのまま無造作に(そのカメラワークから何から、完璧に計算されつくして、無造作を装っているところがすごい)次から次へと映し出していく手法をとっています。
 そしていちいち、専門的な医療用語を説明したりしない。 「ER」 では、専門的な医療用語は、さして物語の根幹を左右する重要なことではないのです。

 「ギネ」 も、形式的にはこの手法を踏襲していた。 専門用語が分からない、などという声も、結構あったようです。 私は 「ER」 で、視聴者置き去りの専門用語連発に慣れていましたので、別に何とも感じませんでしたけどね。

 けれども、「ギネ」 は 「ER」 のようなロングスパンの作品ではない。 まずそこが問題でした。 結果的に、どのキャラクターも、説明不足に陥っていた。 そして何より、大勢のキャラクターの中途半端な描写をしたために、その行く末までちゃんと説明しなければならなくなり、結果として、最終回の出来自体が、とてもとっ散らかったものになってしまった。 たぶん、「あのドラマの最後って、どんなだったっけ?」 タイプのドラマになってしまうんでしょう。

 その最たるものが、藤原紀香サン演じる主人公、柊先生の行く末です。

 君島先生(松下由樹サン)が自分の教授昇進と引き換えに自分の去就を打診されていると上地雄輔クンから聞いて、最終回冒頭、いきなり君島先生のもとに駆けつけて、「私はこの病院を辞めますから、君島先生はどうか教授になってください!」 と言い出す柊先生。
 相変わらずKYというか…。
 それで、「小笠原に行く」 という話が出たり消えたり。
 本人否定のまま最終コーナーを回ってから、やっぱり小笠原に行くみたいになったんですが。
 そこに現れた上地クン。 「やっぱ行くんじゃないですか、小笠原」。
 引き続いて君島先生登場(笑)。 「行っちゃダメ!」 とか説得しているあいだに小笠原行きの船が出ちゃって(笑)。 紀香サンの子供が 「あっ、行っちゃった!」(笑)。 もう、なんか、あきれて笑っちゃいましたよ。
 結局小笠原には行かずに、元の病院で頑張っているとか。

 こういうラストなんですよ。 あっ、ネタバレだ!

 実にあわただしくて印象に残らないラストじゃないですか。 前回までの盛り上げ方を見て、さすが大石静サンだなあと思ったんですが、最終回は、完全にフロシキのたたみ方に失敗、という感じでした。 内田有紀チャンの手術が、結果的にはメインの心に残る話でしたかね、この最終回は。 でも國村準サンとの病院内での結婚式とか、ちょっと話的には、うーん…、そこに時間を割かれても…、という感じ。
 紀香サン以外の行く末も、近藤芳正サンと、もうひとりのなんとかいう女医サンは青森に行ってるし、本仮屋ユイカチャンと上地クンは破局してるし、徳本のダンナの息子は立ってるし(笑)、もうなんか、あわただしすぎました。

 結局最終回まで10回にも満たなかったことがアダとなっているのではないでしょうか? どう考えても、あと1回はあったものを無理に1回縮めた感じなのです。 打ち切りにするには、視聴率的にもそんなにひどい数字じゃなかった気がするんですけどね。
 前回まで、結構いい感じのドラマだったんですが…。
 残念な、最終回でした。

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2009年12月 8日 (火)

「熱中夜話」 中島みゆき 後編 「夜会」 誕生の動機を探る

 ちょっと遅くなりましたが、録ってあった 「熱中夜話」、中島みゆき特集後編を見ました。
 後編のテーマは、ずばり 「夜会」。
 前編の記事にも書きましたが、私、正直なところ 「夜会」 って、なんだかなーという感じなんですよ。
 それを、今回は 「夜会」 を見た人たちが 「夜会」 の魅力について熱く語る!というので、実はちょっと興味津々だったんですがね。
 やはり、ダメでした。
 好きになれそうもありません。
 みゆきサンが芝居をしているってこと自体、ちょっと気持ち的に受け付けないんですよ。 スミマセン。

 ただ、これまで漠然としていた 「夜会」 のイメージが、なんとなくですけど分かったので、それはそれで収穫だった気がします。 そのなんとなく分かった程度の無責任な状態で、生意気にも記事を書いてみたいと思います。 「夜会」 ファンの方にはあらかじめ、前もってお詫び申し上げます(汗)。

 題して、「みゆきサンはなぜ 『歌と劇の混在したショウ』 をやろうと思いたったのか」。
 おそらくそれについてのインタビュー記事は、存在しているものと思われますが、私はそれを読んだことがありませんので、今回はその、「夜会」 の生まれた理由などを、自分なりに思索しようかな、と思います。

 もともと、みゆきサンのつくる歌には、自分の言いたいことに合わせて、極端な状況を、曲の中に作り出そうという意図が、私には感じられるのです。
 そしてそれは、極端なフィクションとして成立している点において、舞台演劇に相似している側面がある。

 例えば、「バス通り」 や 「傾斜」、「狼になりたい」「極楽通りへいらっしゃい」。 そこに出てくる情景は、みゆきサンが実際に体験したものとは、ちょっと考えにくい。 みゆきサンが表現したいものに合わせて、過去にみゆきサンが体験してきたものがデフォルメされ誇張され、曲として成立しているような感じがする。 これと対極にあるのが、「遍路」「元気ですか」「この世に二人だけ」…とか、いや、この話は、また別の機会にいたしましょう。

 自分の言いたいことを架空の極端な話に託して表現したい、という欲求は、実に演劇のそれとマッチしている。 みゆきサンが 「表現者」 として、「夜会」 という手段を選択するのは、その点から言ってとても自然な気がするのです。

 みゆきサンファン途中下車の私が見て、「はじめまして」 あたりから、みゆきサンがなにか、新たな段階に踏み出したがっている、という意志を感じていました。 「歌」 を歌うことだけではない、なにかを。 「夜会」 を始めた時、こういうことだったのかな、という、一種納得した気分がしたことを、覚えています。 ただ個人的には、あんまり突飛なことをやらないで歌一本でどっしり構えててくれ、という気分だったので、開始当初から結構批判的では、ありました(笑)。

 話は戻りますが、「夜会」 をみゆきサンが始めた、ちょっとメインの動機とは考えにくいのですが、…たぶん、松任谷由実サンのステージに感化されたか対抗意識を燃やしたか(笑)。 「シャングリ・ラ」 は当時すでに、やってましたかね。

 みゆきサンがアングラ演劇に興味を持っていたかどうかは知りませんが、「熱中夜話」 で紹介された 「夜会」 の内容を見る限り、みゆきサンのつくる演劇というのは、結構抽象演劇のカテゴリーを含むような気がしました。
 これは、実に詩人っぽい発想だと感じます。
 どこがそうなのかって、以前私も、同じような試みをしたことがありますので、その程度の理由なんですけど(笑)。 結構、演劇の台本みたいな詩を書くのって、アドレナリン出るんっスよ(笑)。

 やはり、自分の言いたいことを何かに託して伝えたい、という気分が、詩人にはとりわけ強いんだろうな、と思うのです。

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2009年12月 7日 (月)

「吉田照美のソコトコ」 桜田淳子を、もう一度考える

 今週(2009年12月第2週、12月7日~12月11日)の文化放送 「吉田照美 ソコダイジナトコ」 の7時30分からの週刊エンタコーナーでは、吉田照美が振り返る昭和の歌姫たち、という趣向で放送しています。

 月曜日の本日は、桜田淳子。

 筋金入りの百恵ファンであった私も、当時は淳子チャンのファンでもありました。
 ただ、百恵チャンが年を追うごとに雪だるま式に超越した存在になっていくにしたがって、淳子チャンはだんだんその存在意義が薄れていったような、同時代に百恵チャンがいなければ天地真理クラスの伝説のアイドルになっていただろう、というきらいはあります。

 それでもいまにして思うと、淳子チャンは淳子チャンなりの、花を咲かせていたのは確かでした。
 特に今日の 「ソコトコ」 で流れた、淳子チャンの明確なターニングポイント曲であった、中島みゆきサンによる 「しあわせ芝居」。
 ブルーな曲調の歌はそれまでにもありましたが、この曲のリアルなブルーさというものは、現在聴いても胸にずしんとくるものがある。 それまでの阿久悠サンによるブルーな曲というのは、どこかおとぎ話ぽくて、乙女の悩みの域を脱していなかった。 「しあわせ芝居」 は、確かみゆきサン本人が、「淳子チャンに 『恋人がいます』 と歌わせたかった」 と語っていたのを、聞いたか読んだかした覚えがあります。 それは、谷村新司サンが百恵チャンに 「恋をすることさえも許されないで歌い続けてきた私」 と歌わせたことと共通の、「アイドルの本心を歌わせる」 という、それまでになかった 「アイドルの自分宣言」 とでも呼べるべき歌だったと、私は考えるのです。 このリアリティは、阿久悠サンには、失礼ながら書けなかった。 当時のニューミュージックと呼ばれたミュージシャンにしか、作れなかった。

 それにしても、車の中でこの曲を聴きながら、淳子チャンがそのあとどうして歌手として大きく伸びていかなかったのかなー、などと、思いにふけってしまいました。

 桜田淳子チャンについては、いずれしっかりしたものをこのブログにアップしたいと思うので、今日はこの辺でやめときますが、吉田照美サンに語ってほしいのは、なんと言ってもキャンディーズですな。 文化放送 「GO!GO!キャンディーズ(GO!キャン)」 で宛先音頭を歌っていたのが、何を隠そう私と吉田照美サンとの、初めての出会いだったのですから。
 いや、違ったかなー。
 「桂竜也の夕焼けワイド」 の、夕焼けトピッカーだったっけなー。

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「JIN-仁-」 第9回 心意気どうしの闘い!

 病気で降板した藤田まことサンに代わって中村敦夫サンが務めた、江戸火消しの大御所、新門辰五郎。
 今回はこの火消しの心意気と、南方仁(大沢たかおサン)の医者の心意気が激突した、さらに見ごたえのある回でした。

 それにしてもよくこう毎回、すぐれた話を繰り出せるものです。
 その魅力の中心にあるのは、やはり江戸時代に繰り広げられる、現代医術でしょう。
 南方先生の医術が江戸の人々に与える 「ありえね~」 感。 そして 「コイツ、ネ申」 的な驚嘆の表情。 江戸時代の民の反応が、ネット遊民たちの反応と基本的にはちっとも変わらない、というのが、このドラマのもつ磁力なのだと思います。

 医者をバカにしていた辰五郎親分に、売り言葉に買い言葉みたいな感じで、今度火事があったら駆けつけてけが人の治療をする、という約束をしてしまった南方先生。 果たして火事は起こり、辰五郎親分の右腕である千吉が、呼吸困難で運ばれてくる。 「こうなったらもう助かりゃしねえ」 と千吉を運び出そうとする 「を組」 連中に、「患者にさわるな!」 と一喝する南方先生。
 そして喉を切り裂いて気道を確保しようとするのですが、「のどなんか切ったらその場でお陀仏じゃねえか!」 という辰五郎、いや、江戸時代じゃなくとも、よく映画では喉を斬って相手を殺すシーンがよく出てきますよね。 治療するために喉を切るという発想自体が驚天動地なわけですよ。
 「火事場で死ぬのは火消しの本望だ! だがな、喉を切られて死んだんじゃ、千吉は死んでも死にきれねえ。 それが、火消しの心意気だ!」
 「助けられる命を見過ごしては、私が死んでも死にきれません! それが医者の心意気です!」
 いや、シビレます、ここらへんのやりとり。 途中まで、これが藤田まことサンならどうだったんだろうな、と思いながら見ていましたが、ここらへんに来るともう、そんなことは吹っ飛んでます(笑)。

 そのほかにも、重症の度合いによってグレードを色で分けていく、現代の災害現場における 「仕分け」 作業や、南方が以前救った漢方医がその場に駆けつけることによって、南方の喉を切り裂く術式の凄さに感嘆するところとか、話が幾重にもメインの手術に向けて盛り上がる小道具となっている。 ここらへんなんですよ、このドラマの高度な見せ方って。

 そして手術が無事に終わった時、残っていたのは治療所のみ。 建物を壊すことで延焼を防いだ江戸式の消火方法が、ここではドラマに生かされています。
 一件落着した現場で、新門辰五郎は、自分の惚れた女を火事から守れなかったことが、自分が火消しを死ぬまで続ける理由なんだと南方に打ち明ける。 このくだりも、ドラマの深みを増すことに、一役買っている。 毎度感心ばっかりしてますけど(笑)。

 そして、そうした医療ドラマの傍らで、深く潜行してきた、野風(中谷美紀サン)咲(綾瀬はるかチャン)の、南方先生に対する思いが、また実に江戸時代的に、とてもつつましやかに展開していく。
 つつましさが徹底してるっていうのが、またいいじゃないですか。
 だからこそ、切なさが倍加してるんです。 現代のあまりに自由な恋愛に対する問いかけにも、なっている。
 野風が坂本龍馬(内野聖陽サン)の腕に抱かれてさめざめと泣くシーンは、とても現代では考えられない切なさに支配されています。 恋愛感情が古典的であるがゆえに、これは味のあるシーンなのです。

 そして未来(中谷美紀サン、二役)の存在の有無を左右するのが、南方が野風の胸のしこりを見つけるかどうかなのではないか、という展開。
 ますます目が離せません。 来週は5分拡大で、最終回かと思ったけど、違うみたいですね。 また期待させていただきます。

当ブログ 「JIN」 についてのほかの記事
第1回 荒唐無稽との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---1-e9ae.html
第2回 建前との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---2-f3b1.html
第3回 自分の病との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---3-3290.html
第4回 女としての闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/---4-542b.html
第5回 梅毒との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---5-9dba.html
第6回 リアルとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---6-25d6.html
第7回 明日のための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---7-87b0.html
第8回 自分の器との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---8-e9a7.html
第9回 心意気どうしの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---9-8cf0.html
第10回 ああもう、どうなっちゃうの?との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---10-670a.html
第11回(最終回)続編あるかどうかとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---7290.html
番外 続編の可能性を、もう一度考えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---a138.html

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2009年12月 6日 (日)

「こんにちは アン」 トーマス家の崩壊

 幼いアンを引き取った、火宅のようなトーマス家。
 そこの若き主人であるバート・トーマスが除雪車に轢かれてしまってから、その先を見るのがなんとなくはばかられて、しばらく自動録画がたまっていくのをそのままにしておいた、世界名作劇場 「こんにちは アン」。

 そこからバートの葬式、アンが新しい引き取り先にもらわれていくところまで、ちょっとかためて見たのだが、案の定悲惨この上ない話で、「暗すぎ…」 と言いながら、今日は涙を流しすぎて、ちょっと目が腫れぼったい。 「ギネ」 の18トリソミーの赤ちゃんとか、「不毛地帯」 の、妻を亡くした壹岐の涙とか、このところ結構ドラマを見て泣いていたのだが、正直言って 「こんにちは アン」 の泣かせる演出には敵わない。 特にアンがハモンド氏に連れられて、トーマス家を去る場面は、恥ずかしい告白をするが、ほとんど号泣状態(笑)。 泣きたかったらこれを見ろ!と言いたいくらい。

 この場面で悲惨だったのは、アンの唯一の友達でもあった猫のロキンバーとの別れもそうだが、アンが戸棚のガラスに映っていた自分の姿であるケイティ・モーリスと、別れを告げる場面だった。
 彼女は、ロキンバー以上に、アンにとって大切なよりどころだった気がしてならない。 ケイティの存在は、アンがこの過酷な環境を乗り越えるための、自我崩壊の防波堤だったのだ。
 そしてアンがいなくなると知って泣くノアに、バートが最後にアンに買ってくれたクリスマスプレゼントのクマのぬいぐるみを手渡す場面。 何のご褒美もなかったアンが、そのぬいぐるみをもらった時の喜びを思い出すと、涙なくしては見ることができない。 しかも、これにはもうひとつ、アンが幼いノアに、父親のバートのことを忘れずにいてほしい、という気持ちもそこから察せられるだけに、余計に涙を誘う。
 そして、いつもアンをこき使っていたジョアンナが、結局アンに優しい感謝の言葉もかけられないまま、アンが旅立ってしまうところを見て、後悔の涙を流す場面。
 これらのシーンが矢継ぎ早に繰り出されるもんだから、私の涙腺は完全にぶっ壊れ状態(笑)。 こんなに泣いたのは、「おしん」 以来か?(笑)。

 子供がこんな悲惨で暗いものを見たら、結構トラウマになってしまうのではないか?とも思われるのであるが、よく考えたら、自分も幼いころは、結構トラウマになってしまうようなアニメ、または特撮番組をよく見ていた。

 「世界名作劇場」 でも、「ペリーヌ物語」 で、ペリーヌの母マリが亡くなる前後のパリ編、ひとりぼっちの旅編のあたりは、いまにして思うと夢も希望もない悲惨な部分だった。 「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」 でも、あまりにも暗い話で思い出したくもないと思っているうちに、ちっとも思い出せなくなってしまったような(笑)感じもするし。

 ただ、昔の世界名作劇場に比べて、今回の 「こんにちは アン」 のほうが、その悲惨の度合いが高いような気がするのは、考え過ぎだろうか。

 だいたい、バートの、自分のなりたかった自分と現実とのギャップに苦しむ場面や、何もかも失ってしまったというぬぐいきれない喪失感の描写は、子供よりも大人のほうが、よほど切迫感を持って受け止めてしまうはずだ。 正直なところ、ここまでリアルに大人の悩みを描写してしまっていいのか?と思うほどである。 子供たちには、バートの苦しみなど、なんだか難しすぎて分からないのではないだろうか?

 確かに 「赤毛のアン」 に至るまでの話が悲惨でなかったら、グリーンゲイブルズに汽車でたどり着いた時のアンの喜びようが、ウソになってしまうことになる。
 でも、ここまで悲惨にする必要もないような気がしてきた。 アンが引き取られたハモンド家の様子も、トーマス家以上に悲惨そうだし、私もこの先をまた見る勇気がない(笑)。 この先を見るのは、いったいいつになることやら(笑)。

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2009年12月 5日 (土)

「天空の城 ラピュタ」 を久々に見て

 金曜ロードショー 「天空の城 ラピュタ」 を録ってあったものを見た。 ずいぶん久しぶりに見る気がする。 特にハイビジョン画像で見るのは、記憶にない。 2、3箇所アナログみたいに画像が鮮明でない部分も見受けられたが、全体的に細い線の描写だったために仕方ない範囲なのかもしれない。

 私の記憶が確かならば、この作品、以前にディレクターズカット版が放映されたはずである。 結構出だしから違っていたような気がするのだが、いまにして思えば、ほとんど覚えていない。 なんか、本当にあったのかどうかも、疑わしいほどだ。 あったっけなぁ~?

 興行的に振るわなかった、という記述をネットでたびたび見かけるのだが、私が1986年当時、劇場に見に行った時には、確か学校の夏休みだったせいか、やたらと混んでいた。 「風の谷のナウシカ」 の人気がそのまま持続しているな、という印象があったものだ。
 同時上映で、「名探偵ホームズ」。 「ミセス・ハドソン人質事件」「ドーバー海峡の大空中戦」 の2本。 当時テレビ朝日と連動だったかどうかは忘れたが、2本ともテレビ朝日でやっていたものだ。 どっちが先だったっけなー。 映画興行的には、とても見ごたえのある組み合わせだったと思う。

 大ヒットした 「風の谷のナウシカ」 の次の作品、ということで、オープニングテーマも結構似通ったような感じ。 なにより、登場人物たちの顔の作りが、「ナウシカ」 寄りだ。

 個人的に、宮崎駿氏の初期の劇場映画は、私が幼いころから見ていた 「アルプスの少女ハイジ」 とか、「母をたずねて三千里」 とかと同じ顔で、世界名作劇場に出てくるキャラクターがSFをやっている、という違和感が常にあった。 テレビシリーズになるが、「未来少年コナン」 などはその筆頭で、宮崎駿作品の面白さに私が若干乗り遅れた原因ともなっていた。

 ただ、現在から改めて振り返ると、「ナウシカ」「ラピュタ」「トトロ」「宅急便」 に共通する、ある種の 「安心感」 というものは、登場人物たちの、その見なれた 「顔」 から来ていることは、否定ができない。
 近年の 「千尋」「ポニョ」 を見ていて、何となく不安定な気分にさせられるのは、それが原因だ。 千尋やハク、ポニョは、宮崎アニメ顔のカテゴリーには入らない。
 初期宮崎アニメの顔は、大塚康生サンの影響なのか、小田部羊一サンの流れなのかは、不勉強なのでよく分からないが、主人公の顔のバリエーションの貧弱さという弱点はあるものの、実にクセのない、万人受けするキャラクターであることは確かなのだ。

 その初期宮崎アニメのキャラクターが闊歩する、「天空の城 ラピュタ」。
 空賊(作品中では、「海賊」 で統一されていた)のドーラ一味に急襲され、飛行船から墜落してしまったラピュタ王族の末裔、シータが雲間に消え、久石譲氏のオープニングテーマが流れてきた途端、ちょっと涙が止まらなくなって焦る(笑)。
 今だから分かるが、これはエンディングテーマの 「君をのせて」 のメロディである。 久石氏提供の宮崎作品は、たぶんこのころが最強である。 「宅急便」 が、曲がよかった最後だったかなー。
 確かにそれ以降も久石氏はいいスコアを書くのだが、「ナウシカ」「ラピュタ」 あたりは、正直なところ神がかりまくっている気がする。 ちょっとセンチメンタル過剰気味なところがあるのだが、後年の妙に冷静な知的さに比べると、私はこっちのほうが好きである。 冒頭から泣きまくってしまうなんて、ちょっと違うでしょ!(笑)、という気もするが。

 そしてオープニングテーマもそこそこに、落ちていくシータの身につけていた飛行石が眩しく光り、本編へと突入していく。 ここらへんのたたみかけるような演出が、実に巧みでうなるほどだ。

 この映画に漂う安心感の、第二の原因は、声優サンたちが、ほぼプロで占められていることである。
 主人公パズー役の田中真弓サンはいまさら何の説明が要るだろうか、というほどだし、シータの横沢啓子サンの叫び声など、胸をわしづかみにされるような気さえする。 声優サンたちの声に個性がなくなったな、と思ってからずいぶん経つが、20数年前のこのキャスティングは、実に安定感がある。 当時声優としては聞いたことのなかった寺田農サンのキャラクターも、これ以外にはあり得ないほど。 寺田サンと言えばムスカでしょ、という状態は、いまも続いている(笑)。
 また、常田富士男サンのポムじいさんもさることながら、なんと言っても白眉は、ドーラ役の、いまは亡き初井言榮サンであろう。 いかにも口うるさそうなおばあちゃん顔をしていた初井サンを、なつかしく思い出す。 享年62だったとは、驚きだ。
 こんな、絶妙だった声優サンたちの配置も、初期宮崎作品の大きなポイントである。

 また、この映画に顕著なのは、名ゼリフの多さだ。

 「40秒で仕度しな」「いいわけなんか聞きたかないね」(ドーラ)「見ろ、人がゴミのようだ!」(ムスカ)「バルス!」(滅びの呪文)…。
 そのセリフのいちいちが、歌舞伎的な見得を連想させる、印象的なものばかりなのだ。
 原作から何から、この物語のプロットをひとりで考えた、当時の宮崎駿監督の凄さが、特に際立っている作品と言っていいだろう。

 今回この作品を改めて見て感じたのは、パズーを突き動かしている 「父親への思い」 が、ドラマ全体を動かしている、という点だ。

 パズーの父親は、ラピュタを写真に撮ったにもかかわらず、インチキ者扱いされて失意のうちにこの世を去っている。 パズーはこの悔しさをほとんど人生を生きるバネとして、行動しているようなフシがある。
 パズーのシータを守りたい、という思いは、実はここから出発している。 息子は父親を超えることを目指して生きていくのであり、その途上でしか、自分の本当に守りたいモノを見つけだすことができないのだ。
 この宮崎監督の主眼がしっかりしているからこそ、パズーは個性的なキャラクターだらけのこの作品の中で、埋没することなく、主人公としての役割を果たすことができた、と言っていい。

 ところで、劇場でこの作品を見た最初から思っていたことなのだが、この物語は、ラピュタに到達してからがちょっとあっさりしているような感覚がある。
 だが今回久しぶりにこの作品を見て、これはこれでいいような気もした。 なぜだろうか。

 それは、ラピュタという巨大なテーマパークで、「カリオストロの城」 のような、そのロケーションを最大限生かした物語が展開するのではないか、というある種の期待感が、当時の私にあったことが原因ではなかろうか。
 ラピュタという城は、パズー達が訪れた時、実に平和な遺跡となっていた。 だがその一見死んだような遺跡は、実は現在も稼働可能な、開けてはならないパンドラの匣だったのだ。 その脅威を扱うには、この映画だけではいかにも不十分すぎる。 結局、この城は人間の手を離れ、いずれ滅びゆく運命にすべきなのだ、と強調することが、天空の城の描写を宮崎監督があっさりさせた原因のような気もしてくるのだ。

 その作家とともに同時代を生きるものにとっては、その作品が過去からその当時に至るまでの連続ものとしてとらえてしまう傾向性を、悲しいかな持っている。 その作品自体を、完全に独立した一個の作品として、見ることができなくなってしまうのだ。

 その点から言って、現在の宮崎監督の作品と比べてしまう面も捨てきれないのだが、「ラピュタ」 は若き宮崎監督の、最高の作品だった、そう断じてしまってもいいような気がする。

 最後に、物語が大団円を迎え、エンディングの 「君をのせて」 が流れているあいだ、まるでマモーの巨大な脳みそのようなラピュタが、地上を睥睨している絵が延々と流れるのだが、これが結構稚拙な絵だ。 宮崎監督は、物語の最後を飾るこの絵に、なぜダメ出しをしなかったのか、よく考える。

 いまだにその謎は解けないが、このエンディング、タイトルバックを見ているうちに、いつの間にか夜に変わってしまっている。 いつ変わったのか、全く気付かないこの手法は、いまにして考えると、私が初めて見た 「アハ!」 映像だった気がするのだ(笑)。

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ビートルズ モノ・ボックス 再プレス、これが最後のチャンス!とか…

 ビートルズのメルマガが届きまして、なんだろうと思ったら、モノ・ボックスが来たる12月16日に再プレス版を発売!とか(2009年)。

 前回は白だった帯が、今回は黒帯とかで、その差別化を図っていますが…。

 そりゃないでしょう~。

 「完全初回限定版」 とかいうので、とにもかくにも買わねばどうしようもない、と思って、身銭を切って買った、というのに。 しかも日本盤のバカ高いヤツ。 ほぼ4万ですよ。 ステレオボックスより枚数が少ないのに高い、というのが、ナメとるじゃありませんか。

 そもそもモノラル盤というものが当時のスタンダードだったのだから、これをいつでも聴けるような環境にしておくのが、メーカー側の責務ってもんでしょう。
 それを 「完全限定」 などとあおっておきながら、今回またまた、「最後のチャンス!」 とかあおっている。
 どうしてそんなコ○キ商売をするんでしょうか。
 世界一のキラーコンテンツを有しているくせに、恥ずかしくないんでしょうか。

 バラ売りをすると買う側が混乱するでしょうから、ボックスセットのみ、というのは正解だと思うんです。
 それでも、初期のバージョンとかは、ヘンな音配置のステレオで聴かせることに、違和感を抱いている人も多い。 リリースの仕方にも苦慮するところですが、結局これまでのCDと同じように、初期のアルバムだけはモノ仕様で、というのがよかった気もします。
 ただやはり、モノボックスは、マニアがいずれは手にしたいものとして、いつでも買える状態にしておくべきだと思うんですよ。

 それにしても、「黒帯」 が欲しくて同じものをもう一度買うような、殊勝な人はいないと思うんですが、そこはマニアの悲しさで、いるかもな~。 お金持ちは、うらやましいです…。

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2009年12月 4日 (金)

「不毛地帯」 第8回 あっけ、なさすぎ…

 和久井映見サンが、「壹岐にとって生涯忘れられないことが起こる」 と言ってたらしくて(まーたんサン情報)、何が起こるのかなーと思いながら見た、「不毛地帯」 第8回。 いや、原作とか読んでなくて、よかったです。 知ってたら、ここまで泣けませんでしたね。

 前半は、先週までの流れなのか、結構笑えるシーンが多かったんですけど。

 なんと言っても面白かったのは、近畿商事のパーティに呼ばれた鮫島サン(遠藤憲一サン)が、壹岐(唐沢寿明サン)と里井副社長(岸部一徳サン)の仲をひっかきまわすところ。
 冒頭で伊東四朗サンに三越?で買ったと思われる(笑)手土産を持参して会いに来たら、書生経由でひじ鉄食らわされて(笑)。 その腹いせか(笑)阿部サダヲサンから壹岐と里井副社長の不仲をリークしてもらって、伊東サンに壹岐が会いに来たこととか、千代田自動車のこととか、そのパーティでべらべらしゃべったもんだから、岸部サンもすっかり頭に血がのぼって、パーティの席だというのに、大激怒(笑)。

 「私に隠れてそーゆーやりかたをしていたわけかキミわぁぁーっ」 ドッカーン!
 凍りつくパーティ会場(笑)。 副社長、怒りすぎだって(笑)。

 それを見て、鮫島サン、ニンマリ(笑)。
 「おや、里井副社長は、ご存じなかったんですか。 それじゃ失礼」 ニカニカッ!
 鮫島サン、久々のクリーンヒットでした(笑)。

 そのパーティに夫人同伴として来ていた壹岐の奥サン(和久井映見サン)、そのパーティのために新しい着物をしつらえたり、子供たちと写真を撮ったり、何となく序盤から存在感をちらつかせていましたが。
 その女としてのしたたかさ、というか、なかなかの策士の才能を見せつけたのが、壹岐の軍人時代の知人が入院した時に、身の回りの世話をしに来ていた小雪サンに、壹岐が逢いに来ると踏んだのか、2時に待ち合わせて一緒にお見舞いしようとダンナに話しといて、1時に病院に来る、というところ。
 案の定、妻との待ち合わせの時間の前に小雪サンに逢おうとした壹岐と、ばったり(笑)。
 壹岐サン、しどろもどろになっておりました(笑)。

 しかし、「壹岐とって生涯忘れられないこと」 とは、妻と小雪サンとの鉢合わせじゃなかったんだなー(笑)。
 いや、笑い事じゃありません。 ここからシリアスです。

 妻に自分の浮気心を見透かされたようでいらついている壹岐と、半分気まずい別れ方をした奥サン。 その妻の後ろ姿の寂しさに、すまない気持ちがぶり返したのか、「佳子」 と妻の名前を呼んだ壹岐。
 そこに車が突っ込んできて、壹岐の奥サンは、死んでしまうのです。 ああ、やっぱり…。

 しかしですよ、よりによって、壹岐の目の前で…。 しかも、駆けつけた壹岐に 「あなた、会議は…会議」 と、まるで状況判断できていないような、妻の最期の言葉。
 そしてとどめに、ほとんど即死状態。
 あまりにあっけなさ過ぎて、凍りつきました。

 そして葬式の場面は一切カット。 いきなり妻の死後一週間後。 この切り取りかたは、凄かった。
 ドラマは妻がいなくなった壹岐の家を無表情に映し出すのですが、いや、この見せ方は、和久井映見サンの、壹岐の妻としての存在感を、これでもかというほど表現していました。 壹岐が感じている喪失感を、ドラマを見ている側も同時に痛感してしまう。
 壹岐は誰もいない台所で、やかんに火をつけるのですが、その姿からして、悲しすぎます。 そこに訪ねてきた橋爪功サンに慰められて、妻の姿を回想する壹岐。 それまで張り詰めていたものが一気に崩れ、こらえきれず涙を流します。

 泣けました。

 その喪失感を埋めるために、大門社長に勧められた、近畿商事アメリカ支社の社長、というのは、壹岐にとってよい機会かもしれません。
 ただ、壹岐はどうしてそんなに、血を吐きながら生きなくちゃならないのだろう、と思ったことも確かです。
 やはり、戦争で多くの部下を死なせてしまった償いみたいなものがあるんでしょうか。
 そこに、橋爪サンが壹岐に語った 「日本のために」 という言葉が、うつろに響くのです。 でも、少なくともこのドラマの壹岐を見ていて、旧日本軍関係の交流とかしている割には、そうした罪悪感とかが伝わってこない。

 ほんとうに、「日本のために」 壹岐は、頑張っているのかなあ?

当ブログ 「不毛地帯」 に関する記事
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-6a81.html
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/1-05a5.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/2-w-070f.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/3-4bae.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/4-9755.html
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/5-abb7.html
第6回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/6-d4bd.html
第7回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/7-8677.html
第8回 (当記事)
第9回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/9-cdc5.html
第10回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/10-183b.html
第11回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/11-0587.html
第12回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/12-68a7.html
第13回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/13-2599.html
第14回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/14-4fa8.html
第15回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/15-d4df.html
第16回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/16-3ac8.html
第17回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/17-2-6e30.html
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-b645.html
第18回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/18-5177.html
第19回(最終回) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-7b99.html

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2009年12月 3日 (木)

「ギネ」 第8回 生まれ来る子供を抱きたい、という感情

 柊先生(藤原紀香サン)の人格破綻もすっかり治り、徳本のダンナ(八嶋智人サン)の起こした裁判も和解に達し、第1回からのドラマ的なテーマをクリアして、もうやることないんじゃないの?と思っていた、「ギネ」。 その最終回前の第8回。
 だけどそこには、実に重い問題が、まだ待ち受けていました。

 今回の話は 「ギネ」 のなかでも複雑な部類に入ります。
 その大筋は、ほぼ3つ。

 まず、産婦人科のトップである須佐美教授(國村準サン)の若すぎる奥サン、内田有紀チャンの出産が、彼女の子宮がんのために中止のなるのかどうか。
 第2に、ドラマの序盤で子宮を摘出された娘サンが上地雄輔クンの左腕を刺してしまう顛末。
 最後に、18トリソミーという染色体異常の妊婦(須藤理沙サン)が、いわば 「死ぬために生まれてくる」 赤ちゃんを、どうしても抱きたいと切望するくだり。

 これに、國村サンが内田有紀チャンの治療に専念したいということで教授職を辞める、という話が交錯し、君島先生(松下由樹サン)が紀香サンの首切りと引き換えに教授職を病院長から提案される、という話が、この3つの話に複雑に(でもないか)絡んでくるのです。

 このいくつもの話の絡み合いから見えてくるのは、「女性にとって、子供を産むというのは、どういうことなのか?」 という問いかけでした。
 そしてもうひとつ、このドラマではどうしてもワキに追いやられていた上地雄輔クンの、役の上での成長ぶりと、「なんのために産科医は産科医であろうとしているのか?」 ということに対する、ひとつのテストケースでした。

 子宮を大した説明もなしに摘出されてしまった娘サンは、上地クンの実に親身な説明にもかかわらず、上地クンを刺してしまう。 すでに裁判沙汰にまでなっているこの子宮摘出案件だったのですが、上地クンはあくまでこの刺傷事件を隠し通そうとするのです。
 それは、何となく産科の医師になり、患者と無神経に接してきた自分への罰だと、上地クンは考えている。
 いまの上地クンは、女性が子宮をなくすことがどれほどのことなのか、とてもよく理解しているからこそ、この事件をひた隠しにしようとしているのです。

 そして今回最も泣けたのは、18トリソミーの赤ちゃんでした。
 18トリソミーという染色体異常を持つ妊婦サンの産む子供は、まともに生きることができない。 生まれてもすぐに死んでしまうことが多いというのです。 すべてがそういうケースだとは限らないようですが。
 その赤ちゃんを、須藤理沙サンは一度だけでもいいから抱きたいと願い、危険な帝王切開を、反対する夫を押し切って願い出る。
 どんな赤ちゃんでも、それは自分と夫との愛情の証なのだ、すぐ死ぬと分かっていても、自分のおなかの中で、ともに一緒に生きてきたんだ、という感情があふれていて、須藤サンの演技には、泣けました。
 確かにそれは、「自分の子供だから」 という、身勝手な一面もあるかもしれない。 だけどこればかりは、母性という理屈の前に、反論は誰にもできないのだと思います。
 そして診断の通り、その赤ちゃんは、あまりにも短い生涯を閉じる。
 けれども、その赤ちゃんは、無意味に生まれてきたわけでは、絶対ないのです。 少なくとも、たとえ数時間でも、その子は母親に抱かれたのです。 そして、その子の死に、母親と父親は、命のなんたるかを、学んだのです。
 それを無意味だとか身勝手だとかいう権利は、絶対に誰にもない。

 そして今回、ドラマの終盤で内田有紀チャンは、自分の病気が死に至る病だということを知って、それまでの態度を一転、どうしても子供を産みたい、と願う。 柊先生は彼女の意見に同調。 実はそういう、訴訟を次々起こしてしまうような、柊先生の患者に対する態度が、病院側で問題になっているのであって、柊先生を辞めさせまいとする君島先生は、内田有紀チャンに同調する柊先生を激しく止めに入るのですが…。

 そんなことを聞く柊先生では、ないですよね(笑)。
 そして次回、最終回になだれ込み。
 脚本の大石静サン、やはりタダモノではありません。

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2009年12月 2日 (水)

「新語・流行語大賞」 の違和感

 どうでもいい話で恐縮ですが、毎年感じるんですけど。

 「新語・流行語大賞」 って毎年この時期になると決定しますよね。
 あと、今年の一字とかいうのもありますよね。
 どうも違和感があって。

 「新語・流行語大賞」 は、今年は 「政権交代」 とか。
 流行りましたかね。 それに、べつだん新語でもないような気がしますが。
 今年の一字にしたって、主催者に問題があって今年やるのかどうか知りませんが、一字で今年を表すっていうのは、どうにも無理がある。 それに、バリエーションが限られてしまうでしょう。

 「新語・流行語大賞」 というのは、そのネーミングがよくない。
 「今年を象徴する言葉」 とか、「今年メディアでよくつかわれた言葉大賞」 のほうが、イメージ的にはぴったりします。 それに、その言葉を編み出した人が受賞するならまだしも、その言葉のイメージに該当する人が受賞とか、なんかよく分かんない。 無理して賞を贈ることなんかないのに。

 それに、なんか時として物悲しさにあふれていますよね、このイベントは。
 特に受賞の時点でその流行語がすたれてしまっている場合。
 その芸人サンとかの 「お別れパーティ」 みたいなもんじゃないですか。

 流行語というのは、子供時代には特に親しみのある気がするんですよ。

 子供っていうのは、ちょっと笑える、それでいて何かの拍子につい口にしてしまう言葉にあふれている。 驚いた時に 「びっくりしたなもお~」 とか、「アッ!と驚くタメゴロー」 とか(古い、古すぎる…)。 うちの小1の甥などは、「ヤッターマン」 がとっくに終わったというのに、いまだに 「ポペー!」 ですからね。
 そのうちその言い回しに飽きてくるか、まわりで誰も使わなくなっているのが恥ずかしくなってくるかで、その流行語は終焉を告げる。

 でも大人になると、そういう傾向がなくなりますね。 それでも自分のやってることの切なさとかを笑い飛ばしたくなるときなんかに、お決まりのフレーズを使ってみたくなる。 それがダジャレとか洗練されていないレベルで昇華(笑)してしまうのが、オヤジギャグなんじゃないでしょうか。

 オヤジギャグはしかし、子供の前では言わん方がいいですな(笑)。 私はよく 「どっこいしょ」 という時に、「よっこいしょーいち(サイパン島?でその昔発見された旧日本兵、横井庄一サンの名前と掛けたダジャレです)」 と言ってしまうのですが、「子供がマネしてまわりの友達から 『オヤジ』 というあだ名をつけられた!やめてくれ!」 とクレームをつけられました(笑)。

 まあどうでもいい話をダラダラとしてしまいました。 ご静聴、感謝します。

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2009年12月 1日 (火)

亀田兄弟と矢吹丈

 「JIN-仁-」 が始まる前に、亀田興毅と内藤のボクシングを見たのだが、まずどうして人気ドラマ 「JIN」 の放送時間をずらしてまで、この試合を放送したのかが、よく分からない。
 おそらく 「JIN」 の視聴者も取り込もうという魂胆だったのだろうが、なんとなくセコい。

 試合内容は、正直言ってアナウンサーが感動しまくるほどのものでもなかった。 内藤ばかりがひたすら前に出て闘い、亀田が後ろに下がりながらカウンターを繰り返す、という、見ていてどうにも燃えない試合だった。
 特に亀田の闘い方は、とてもチャレンジャーのそれとは思えず、いつから彼は点数稼ぎボクサーになってしまったのか?と思うくらい。 アナウンサーはこれを、クレバーだと形容していたが、私に言わせれば、ずいぶんお行儀のいいボクシングだな、という感じ。
 よほど35歳の内藤のほうが、自分をすべて出し切るボクシングをしていた気がする。 感動するとすれば、内藤の、年齢の壁を越えようとする気迫だけだった。
 35などというと、ボクサーとしてはかなり高齢である。 それが、まるで挑戦者のように、彼はただひたすら前に出て闘った。

 それはそれとして、私は昔から、ボクシングの亀田親子に対して、あまりいい印象を抱いていない。
 がんばって世界チャンピオンになるくらいだから、並の努力をしているとは思われないし、親子間の情愛の深さは、そんじょそこらの仮面家族なんかよりも、よほどまっとうな気がする。
 だのに、リングで歌を歌ったり、相手選手を口汚くののしったりするその態度に、私はなんとなく眉をひそめてしまっていた。

 だが、私の心酔しているボクシングマンガの不朽の名作、「あしたのジョー」 の矢吹丈と、この亀田兄弟というのは、結構同じベクトルなのではないか?と以前考えたことがある。

 ジョーもデビュー戦ではさんざんはしゃぎまわって、歌まで歌いかねない勢いだった。 観客にはウケていたが、解説者などには大ひんしゅくを買っていたくらいだし、試合においても、ノーガード戦法などという、冷静に考えれば相手をナメきっている試合運びをした。 ウルフ金串を 「やせ犬野郎」 とバカにしていたし、果ては白木葉子に対して、相当人格否定レベルの暴言を吐き、突き飛ばしたりなんかもしていた。

 私はジョーを、喧嘩っ早くて手に負えない野生児として見ていたために、そんな問題行動を当然のようにして見ていた。 むしろ、そんなジョーをカッコイイと思い、その燃え尽きる生き方に感動し、何度となくこのマンガを読み返したのである。
 だが亀田兄弟がやっていることは、まさしくジョーのひんしゅくものの行動ではないか?
 もしかして私は、デビュー戦でジョーをこき下ろしたあの解説者のように、お行儀のいい常識人としての、「つまらない大人」 になってしまったのだろうか?

 と、ちょっと焦ったのだが(笑)、それに対する回答は、案外あっさり出てきた。

 当時の亀田親子に共通していたのは、相手をあくまでバカにしている、という態度であった。
 それがパフォーマンスの類で演出されているとはいえ、相手のことをゴキブリとか言ったり、メンチカツを食ったり、挑発するセリフがポンポン出てくることに、私は嫌悪感を抱いたのだ。 歌を歌うことも、ある意味対戦相手のことなどまるで眼中にない、極めて自己本位なファンサービスであったように思う。

 ジョーは違う。
 いくらはじめはバカにしきっていた相手でも、相手とぶん殴り合うことによって、「百万語のべたついた友情ごっこ」 よりも確かな絆を持つことができたのだ(蛇足だが、このジョーの発言が、学生運動の分裂期になされたことは、重要である)。 そこには相手に対する尊敬の念も生まれ、同じ情熱の共有という信頼感も生まれたに違いない。 ジョーは対戦相手と、ぶん殴り合うことによって、かけがえのない戦友となったのだ。

 今回亀田興毅は、試合後内藤にねぎらいの態度を示したが、それは彼が以前に比べてまた大人としての自覚を身につけた証拠のように思えた。 彼には、弟の一件の時にも一身になって批判を受け止めようとした、潔さがある。 叩かれ続けた人間の持つ強さを、彼は備え始めた気がする。

 だが、この試合後も、以前のように 「どんなもんじゃい!」 とタンカを切っていたが、内藤との試合は、それにしては少々しょぼい消極的ボクシングだったのではなかろうか。
 彼が点数稼ぎでチャンピオンになったことを、私は批判するものではない。 ただ、この試合を見ていて、彼が海外の実力のある選手と互角に戦えるようには、私には思えないのだ。
 もっと型破りな、突き抜けた闘いを見せてくれっ!

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