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2010年1月 9日 (土)

「A-Studio」 薬師丸ひろ子サン 違和感を抱えながら生きること

 「A-Studio」 1月8日ゲスト、薬師丸ひろ子サン。

 私たちの年代の男どもで、彼女の映画を見たことのない人って、いるのかなーという感じがします。 かく言う私も、デビュー当時から彼女の大ファンで。 いや、ファンという感覚じゃなかったですね。 なんというか、薬師丸サンには失礼ですが、同じ時代を生きてきた 「同志」 という感じがするんですよ。 好きとか嫌いとかいうレベルを超えて、オレたちの世代の輝かしい代表、みたいな。 オレたちの世代から生まれた、初めての大スター、という感じでした。
 彼女のほうがいくらか先に生まれているんですが、学年は一緒です。

 で、今回は番組の内容から遠く離れた話になってしまいそうですが、その人気絶頂のころの話を番組ではしていたので、さほど遠くもないかもしれません。

 薬師丸ひろ子サンがデビューしたのは、番組でも紹介していたように、角川映画の 「野性の証明」(1979年)でした。
 当時角川映画というと、凋落の極みだった日本映画の、まさに救世主、という感じだった気がします。 「犬神家の一族」「人間の証明」 という2本の映画は、原作本と抱き合わせの興行というプロモーション方法から、スタイリッシュなパッケージングから、何から何まで、それまでの貧乏臭い日本映画とは、一線を画していました。 いまからふり返ってみても、角川映画の全体的な手法は、現代の映画興行の原型を形作っていた気がします。

 その、「人間の証明」 に続く 「証明」 シリーズ第2弾として公開されたのが、「野性の証明」 でした。
 高倉健サン主演といい、町田義人サンの歌う主題歌 「戦士の休息」 といい、当時のチュウボウどもはそのカッコよさにシビレまくっていたものです。
 その映画のヒロインが、まるで巫女のような不思議な感覚を漂わせた、ひとりの女の子。
 それが、薬師丸サンだったわけです。

 ここから薬師丸サンは角川春樹社長の秘蔵っ子として、番組でも紹介されていたように、極端な露出制限。 映画以外には一切出ないという神秘的なキャラクター作りが成功して、なんだか異様なほどの人気を得ていくわけですが。

 その人気が爆発したのが、「セーラー服と機関銃」(1981年)。

 原作者の赤川次郎サンもそれでブレイクしたような感じがします。 角川サンのプロモーションの方法は、つくづくうまい。
 番組では、そのセーラー服が、彼女の学校の制服と変わらなかった、という意外な話まで飛び出しました。 今は亡き相米慎二監督の、「ゴミ」 とか 「ホコリ」 とかで彼女を呼ぶ厳しさと、監督の膝の上に乗っていたという優しさとの同居。 そんな複雑な相米サンの一面を、薬師丸サンは話してくれました。
 そしてその同名の主題歌の大ヒット。

 角川映画の大看板、というイメージが完全に定着したこの映画でしたが、個人的にはなんでこれほどまでに騒がれるのだろう、という気がしてきたのも、このころです。
 ちょっと過熱しすぎじゃないのかな、という感じ。
 「セーラー服と機関銃」 という映画自体が、そう大作ではないのに結果的に名作だったこともありますが、それまでの角川映画のイメージ作りが、完全に成功した、成功しすぎた結果の過熱ぶり。

 このころからかな、なんだか彼女の映画に違和感を感じ始めたのは。 いや、「翔んだカップル」 とか 「ねらわれた学園」 とか、アイドル的な売りかたをしていた時期から、じゅうぶん違和感はあったんですけどね。
 なんだか場違いなところにひとり取り残されているような、「野性の証明」 のころから脱皮できなくてもがいているような違和感です。

 でも、私が彼女に本当に共感し始めたのは、まさにこの違和感を抱き始めたのと同じ時期だったと思います。
 今回の 「A-Studio」 で彼女は、自分はこの仕事に向いてないんじゃないかと、ずっと考えていたということを告白してくれました。 「Wの悲劇」 という、自分の女優としての才能を開花させてくれたような作品に出会ってもなお、「自分には向いていない」 と思ってしまう。
 私が彼女の演技を見ていて感じていたのも、まさにその点だったような気がします。

 薬師丸ひろ子という女優には、常に 「自分はここにいちゃいけない人間なんじゃないだろうか」 という逡巡が見える。
 それは、角川事務所によって作り出されたある種の 「こけおどし」 的な巨大なイメージとの、格闘の代償だった気がします。
 でもそれが、ひとつのリアリティを醸し出しているような気も、するのです。

 私も、自分の人生に対して、いつも自分は場違いなところにいるんじゃないかという気持ちを抱えながら、生きてきたような気がします。
 彼女もいっしょだったんだ、と分かって、だから彼女に共感して、「同志」 という目でいつも一緒に生きているような気がしたんだと、今回の番組を見て、ちょっとひとしきり納得してしまいました。

 このほど公開される映画 「今度は愛妻家」 の監督、行定勲サンも、私より何歳か年下だったと思いますが、完全なる 「薬師丸ひろ子」 世代のかたらしい。 そんな 「薬師丸命」 の監督が、薬師丸サンのために作ったと言ってもいい映画、これは同世代の私にとってはとてもうれしいことでもあるし、こういう映画に出てほしかったんだよ!という作品であるだろうことは、想像に難くないのです。

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