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2010年1月 2日 (土)

紅白歌合戦の存在意義って…

 2009年第60回紅白歌合戦の視聴率、関東地区で前半37.1%、後半40.8%だったらしいです。 後半はワースト4位だったとか。

 まあ、言うまでもないことなのですが、時代の変遷とともに日本のはやり歌の質も変化し続け、紅白歌合戦という番組の質も、それに伴って変わらざるを得ないことは、当然なのだと思います。 いちばん変わってしまったのは、多くの世代が共有できるはやり歌というものが、ほぼ絶滅してしまったこと。 その年を代表する歌を一堂に集める、という性格を持つこの手の番組は、この時点で成立することすらできない。

 なのにいくら視聴率が低くても、40%という数字を毎回出している紅白歌合戦の魅力とは、一体何なんでしょうかね?
 そりゃ、毎年見続けてきたから、という単なる習慣で見ている人もおいででしょうが、私はここ数年の紅白は、それだけではない魅力を持っているように思えます。
 それは、出場する歌手の皆サンが、ことごとく気合入りまくりでライヴ・パフォーマンスを見せてくれること。 つまり、たぶんここに出場される方々のほとんどが、その歌をその年最後の歌い収めということを意識して歌っている。 これじゃしぜんと気合も入ろうってもんです。

 しかも、出場される方々が、紅白に選ばれるということを、それなりに栄誉と思って出場されている。
 特に若い出場者サンたちは、「家族が喜んだ、おじいちゃんおばあちゃんが喜んだ、親孝行ができてうれしい」 みたいな感想を述べる人が、ヤケに多い気がします。 難しいことは考えず…、それでいいんじゃないでしょうかね。
 一昔前までは、こういうある種の権威的なお化け番組に対して、反発するような向きが一部の(特にフォーク、ロック系の)歌い手にあったように、私は感じていました。 それは学生運動的な権威否定精神の名残だったように思いますが、いつの間にか紅白は、そんなお化け番組の座から下界に降りてきて、ただ単に日本を代表する歌い手たちの歌披露の場になった。

 それは極端なジャンル縦割り状態からの脱却だったようにも、私には思えます。 以前だったら、自分とは違うジャンルの歌い手に対して、やたらと拒絶反応を示す歌い手の人がいた。 けれどもそんなこだわりが、今世紀に入ってからは特になくなってきたようにも思えます。

 それを象徴するような出来事だったのが、今回の矢沢永吉サンの登場。
 以前 「ザ・ベストテン」 という番組に出演拒否した時、矢沢永吉サンの言い分は、「自分の歌を理解してもらうには、最低でも3曲は必要だ」 という理屈だったと記憶しています。
 松山千春サンが同じ番組の出演を拒否した時も、「自分はやはり自分を見に来てくれるファンの前で歌いたい」 ということだったと記憶しています。
 それはあくまで、テレビという場を、自分の表現活動を表明する場所としてはふさわしくない、という、ある種のこだわりが存在していたせいだと私は考えるのですが、今回矢沢サンが紅白への出演を承諾した背景には、そうしたこだわりの壁が低くなった、成熟した、そんな証のように見えたのです。
 たぶん矢沢サンは、もう二度と紅白には出ないことでしょう。 紅白出場は、自分と同じ還暦を迎えた紅白への、矢沢サンなりのエールだったのではないでしょうか。

 そして矢沢サンの紅白出演に異を唱えた、内田裕也サン。
 ロックンローラーとしての反骨精神を大事にする人にとっては、紅白というのは、未だに大いなる権力なのです。
 私は矢沢サンの立場も理解できるし、内田サンの立場も理解できる。 それぞれの生き方があって、いいんじゃないでしょうか。

 近年の紅白の魅力に話を戻しますが、やはり、出場する歌い手サンたちのあいだに、ある種の競争意識が働いている、そんな気も強くします。
 これは以前からもそうだったとは思うのですが、特に近年は、やる気のなさそうなインターバルの共演もなく、それがかえってスッキリしている印象につながっている。 それが結果的に、紅白の枠を超えた、歌手どうしのバトルになっている気がするのです。

 話はズレますが、どうせ出場者どうしを共演させるなら、もっとエンターテイメントとして成立している、中身の凄いものをやるべきです。 「クリスマスの約束2009」 で小田和正サンが、J-Popのマッシュアップをしていましたが、このくらいの完成度があるパフォーマンスなら、紅白歌合戦でも同じ趣旨のものを見たいものだと感じたのは、私だけではないと思います。

 いずれにせよ、今まで述べた紅白歌合戦の魅力は、私が子供のころの紅白とは、まったく別の楽しみ方である気がします。 昔の紅白は、その年に流行った歌をもう一度思い出し、その一年を振り返る場、でもありました。
 今の紅白は、ほとんど(私個人の話で言えば)年に一度しか見ない、ちゃんとした日本の歌番組であります。 だから、近年では、紅白でいい曲を知り、紅白で歌われた曲が、その翌年のヒットチャートを、あらためて席巻するという現象まである。

 ただ私にとっては、そこで次々出てくる歌手が、年に一度の派手な衣装を着て、一年の歌い収めを力の限り熱唱する、紅白歌合戦は、そんな非常に贅沢な歌番組へと変貌しているのです。

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コメント

昔の紅白は、その年のヒット歌手ばかりだったのだが今の紅白は、ヒットが無くても出れるんだよね。和田アキ子あたりなんか何故出場出来るのか?紅白の人選の不思議さ。もう事務所の力ってのが透けて見えるようで…。嫌だね。

投稿: 花山 | 2010年1月 4日 (月) 12時43分

花山様
コメント、ありがとうございます。
私は40代半ばの人間なのですが、なんだか年々、その年にどんな曲が流行ったのか、分からなくなってきてしまってます(笑)。 こういう私みたいな年配世代を納得させるのに、和田アキ子サンなんかも出てしまうのでしょう…。

ただ和田サンって、毎回こんなタカビシャなゴスペル調の歌ばかり紅白で選ばれて歌っていますが、個人的にはウンザリしてます。 和田サンは、和製R&Bの先駆的な歌手だと考えてます。 そういうハードなノリの曲を歌ってほしいものだ、と私は思っています。

投稿: リウ | 2010年1月 4日 (月) 13時23分

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