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2010年1月 4日 (月)

「抱きしめたい」の破壊力

 ビートルズがアメリカ進出を図った際に、いきなり人気が出たわけではなかった、というのは、結構興味深い。

 その人気を決定した要因に、「抱きしめたい」 という曲が強力な後押しをしたことは間違いないだろう。

 あらためてこの曲を聴き直すと、その破壊力はビートルズ初期の曲群のなかでも、群を抜いて凄まじい。
 この時点でここまでの破壊力を持った曲で思いつく、シングルカットできそうなものは、「ツイスト・アンド・シャウト」 とか 「マネー」 くらいしか思いつかない。 だがその2曲ともカバー曲。 デビュー当時からビートルズには、カバー曲をシングルにしよう、などという発想自体がなかったことは明白で、ここらへんに彼らの並々ならぬプライドを感じたりもする。

 アメリカのデビュー盤として弱小レーベル、ヴィー・ジェイからリリースされた 「プリーズ・プリーズ・ミー」 は、本国イギリスで初めてウケた曲だった。 だからブライアン・エプスタインもこの曲を選んだのだろうが、何となくアメリカ人受けしにくいような歌に思える。

 この 「プリーズ・プリーズ・ミー」、原曲をテンポアップしたとはいえ、しょっぱなのハーモニカからどことなく牧歌的だし、ポールが同じ音を歌いジョンがだんだんと下がっていくというコーラスワークも、どことなく職人芸すぎる。 単純なモノ好きの(失礼)アメリカ人にはそぐわなかったのではないだろうか。

 アメリカでの次のシングルが 「フロム・ミー・トゥ・ユー」 で、それもダメだったため別の弱小レーベル、スワンから 「シー・ラヴス・ユー」 をリリースしたのだが、「フロム・ミー…」 はともかく 「シー・ラヴス・ユー」 などは、もうアメリカ人にウケるほどのレベルまで上昇していたように思える。
 だが負け癖がついてしまうと、もうどうやっても巻き返すのは難しくなってしまうものだ。 ここらへんの、アメリカで最初なかなか受けなかったビートルズ、ひいてはそれを売り込むブライアン・エプスタインの試行錯誤は、なかなか興味深い。

 ともあれ、ビートルズがアメリカで成功する上で不可欠だったのは、やはりキャピトル・レーベルからのプッシュだったのだろう。 (ただし 「シー・ラヴス・ユー」 も 「抱きしめたい」 のヒット後売れたのだが)

 この 「抱きしめたい」 だが、まずイントロの部分から破壊的。
 ジョン(?)のギターの、モコモコしたエフェクト(不勉強なので、これがなんというエフェクターなのか知りません)が、なんとも不思議な感覚。
 しかも、歌い出しの部分が、正直言って分かりづらい(笑)。 ウラ拍から入る、というのが正しいのだがこれが分からない(笑)。
 ガキの頃私はいつもレコードと一緒に歌っていて、その頃はなにも考えずにちゃんと入っていけたのだが、ヘンな音楽的理屈を覚えてしまってからは、容易に出だしを歌えなくなってしまった。
 要するに、ジョン(?)のギターが最初、ジャジャジャーン、ジャジャジャーン、と入ってくる、ジャーンの部分が1,2,3,4の1の部分だと思ってしまうもんだから、次のジャジャホンジャカホンジャカジャカジャカのタイミングで出だしを歌おうとすると、2拍くらいタイミングがずれる。 ジャジャホンジャカホンジャカジャカジャカジャカジャカ(ひょっとしてあと半拍、ウラ拍?)(直前に入るジョージ?のチョーキングが、ひとつの歌いはじめの合図とも思える)で 「オーイェーアーアア」 と歌わねばならないのである(あーややこしい説明)(要するにウラ拍だ、ということだ…笑)。

 ここらへん、「ジョンの魂」 あたりで炸裂していたフィーリング重視の、たぶんいちばん最初である。 ジョンがこの 「入りにくー」 イントロの首謀者であることは、論を待たない(笑)。
 このイントロの優れた点は、この 「歌い始めが分からない」 ところから来る、「なだれ込み感」 だ。 これが聴く側の高揚感を煽りまくる効果を生んでいることは疑問の余地がない、と私は考える。

 そしてのっけからの、ジョンとポールのツインヴォーカル。
 私はこの曲の、ふたりの歌い方を聴いていて、昔からとんでもなく暴力的であると思っていた。
 この曲、歌詞の内容やメロディラインから言って、そんなにハード・ロックタイプの歌になる可能性を秘めていない。
 だがふたりの歌い方は、あくまで行儀の悪いアンチャン風の歌い方。
 これがドイツ語バージョンになると、その破壊力が全く影をひそめて、お行儀がよくなって、ちっとも面白みがなくなる。 ジョンにやる気のなかったのが大きな原因だが(笑)、近頃じゃその、「勤労意欲のないジョン」(笑)にも親しみを感じてしまったりする。 ああ重症だ(笑)。

 その暴力的な歌い方がいちばん炸裂していると思われるのが、ミドルエイト 「アイ・キャント・ハイド」 の3回繰り返し部分の3回目。 この曲での、いちばんのクライマックスだ。
 正直言って、やかましい(笑)。 音が割れてる(笑)。 これって結構、頭の中がマッシュされるような感覚に襲われる。 凄いコーラスだと、つくづく思う。 「マネー」 とか 「カンザス・シティ」 とか、彼らのコーラスワークには、史上最強の破壊力が備わっているが、「抱きしめたい」 は、初期の段階ですでに完成されていた、彼らの暴力コーラスのひとつである(暴力バーみたい…笑)。 

 それから、あまり破壊的の範疇ではないが、この曲で印象的なのが、やはり手拍子。
 特にギターが弾けなかったガキの頃には、いっしょにレコードに合わせて歌いながら手拍子をすると、えも知れぬ彼らとの一体感を抱いたものだ。 ここらへんの入りやすさも、アメリカ人受けした要因のひとつと考えなければならない。

 しかも、歌い方が暴力的なくせに、結局何が言いたいのかというと、「君の手を握りしめたい」 という、きわめて童貞みたいな欲求(笑)。 ここらへんのアンバランスさが、とても心地よいのだ。 ぼくたちは欲望丸出しのエッチな人間じゃないけど、純粋な欲求はほかの誰よりも負けないんだぜ、というアツい誠実さをアメリカ人に向かって表明した、という点で、見逃せない。 ここらへんが、ビートルズがアメリカに受け入れられた、大きな要因だったのではなかろうか。
 はからずも日本では、その欲望をより前面に出した 「抱きしめたい」 という日本語タイトルになったが、その暴力的な歌い方で 「君の手を握りしめたい」 じゃどうも、という、タイトルつけた人の感性は、じゅうぶん納得に値する。

 またこの曲、エンディングが3連絡みで。
 ビートルズって、特に初期はやたら3連、絡ませたがりますよね(笑)。 3連絡ませると、結構劇的になるのだけれど、好きだよなー(笑)。

 行儀のいいアナーキズム、みたいなものを私はビートルズに感じることが多いのだが、その二律背反する概念の同居、という、ビートルズ音楽の本質を垣間見ることを出来る、「抱きしめたい」 はそんな曲なのである。

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