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2010年2月

2010年2月28日 (日)

「龍馬伝」 第9回 思想か、命か

 チリ地震の影響による津波情報が画面を占領する中で放送された、今回の龍馬伝。

 江戸に戻った龍馬(福山雅治サン)を待っていたのは、千葉道場の千葉佐那(貫地谷しほりチャン)と、ある重大な事件。
 第9回の 「龍馬伝」 は、このふたつのコントラストを、コメディタッチとシリアスタッチに明確に分けて、見応えのあるドラマとして構築していた気がします。 それだけに、津波情報なしで見たかった。 確かにこの情報の重要性は分かるのですが、もうちょっと小さいスペースでもいいような気がします。 45分間、ずうーっとチカチカ点滅してるんですからね。

 ドラマの話に戻りますが、まずコメディタッチで描かれた、龍馬と佐那との再会。

 あまりに長いこと龍馬の帰りを待たされたために、佐那チャンはいたくご立腹(笑)。
 せっかく再会したのに、ムチャクチャつれないそぶりで、佐那の思いを知っている重太郎(渡辺いっけいサン)も、「なんじゃあの態度は!」 と佐那を責めるのですが。

 「2年と4カ月です! すぐに戻ってくるような言い方をして、2年と4カ月も待っていたのに! 私だって、なんであんなつれなくしたのか分かんないんだから! 兄上のバカ!」

 と、重太郎に八つ当たり(笑)。
 すっごく笑えたし、すっごくカワイイって、思っちゃいました(笑)。
 これがツンデレでなくて、なんと言うのでしょーか(笑)。 全国のツンデレ好き男のしほりチャンへの好感度が、一気にアップしたような錯覚に陥りました(笑)。

 そして妹思いの重太郎の、龍馬と佐那くっつけ作戦。

 ふたりきりの酒の席を作って、いきなり 「ぼくはきみが大好きだ!」 と打ち明けたもんだから、思いっきり龍馬、重太郎サンの顔に飲んだ酒をブーッ(笑)。 結構男色(ボーイズラブ)って、江戸時代以前の古くからあった、って言いますもんね(笑)。 龍馬が勘違いをするのも、無理からぬことかと(笑)。
 「君は、佐那のことをどう思ってる?」
 「女らしくなったと思わんか?」
 「大人びて、色気も出てきた?」
 「(よく)気が利くよなあ?坂本クン!」
 「おおーっ、うまそーな煮しめだ! 佐那が作ったんだ、坂本クン!」

 で、絶妙のわざとらしい?タイミングで腹痛を起こして、佐那をその場に残して、ゴーインに退場(笑)。
 重太郎サン、面白すぎ(笑)。 とてもいい兄上ですよね。

 そして、佐那チャンの積極果敢な攻撃にタジタジになりながらも、龍馬、その場からこれまたゴーインに退散(笑)。 あー、龍馬、別れる時はあんなに思わせぶりな態度を佐那チャンに取っといて、逃げたー(笑)。

 ちょっと今、酔うちょります、佐那チャンだけでなく、私も(笑)。 酔っぱらいながらブログを書く失礼を、お許しください(汗)。

 そしてシリアスサイド、山本琢磨事件。
 武市半平太(大森南朋サン)の攘夷一派であった土佐藩士の山本琢磨(橋本一郎サン)が、盗品を換金しようとしたことが発覚して、切腹騒ぎになるのですが。

 この事件に至るまでの、武市の心理状態を、このドラマは、なかば執拗とも思えるほど、追い続けていました。 結果的にそのことが、この事件をかなり見ごたえのあるものにしてくれている。 見事な語り口でした。

 まず、桃井道場に入門した武市が塾頭にまでのし上がったことで、ガラの悪かった桃井道場の規律が粛正されている、という話を以蔵(佐藤健クン)にさせる。 この話は、言わば山本事件の間接的原因(規律の厳しさにムシャクシャしていた塾生が引き起こした)、というべき点で、伏線としてとても重要。
 そしてそれを以蔵から聞いた龍馬が、武市を持ち上げに持ち上げることで、武市の自尊心を、ある程度高めておく。 このくだりがあるからこそ、のちの武市の屈辱感に、説得力が生まれるのです。

 そしてその話のあと、攘夷一派の藩士の集まりに武市が出席し、各藩の攘夷の進みっぷりを武市に思い知らせることによって、攘夷に対して消極的であった土佐藩に対する武市の焦りを増幅させる。 ここで武市の屈辱感、劣等感が、極まりまくってくるわけです。

 でもこの、攘夷派の集まりに桂小五郎(谷原章介サン)が出席したのは、ドラマ的な流れから言って、ちょっとした違和感でしたけどね。
 つまり、黒船の猛威を目の当たりにし、外国に対して頭の柔らかい態度を見せる吉田松陰の弟子と名乗りながら、どうして攘夷派になってしまっているのか。
 どこで桂が攘夷派になったのか、説明が欲しいところです。 武市に誘われてその場に出席していた龍馬は、感心することしきりでしたが。

 ともかく、感心しまくりの龍馬に、武市はこう吐き捨てる。

 「やめてくれ! あんな恥ずかしい思いをしたがは初めてじゃ! 土佐に戻んたち、わしは、お城にも入れてもらえんがやき! お殿様に攘夷を説くら、夢のまた夢じゃ! …認めさせていくしかない! 上士に、わしらのことを認めさせていくしかないがじゃ!」

 そんな状況下で巻き起こった山本事件は、下士の面倒見役だった武市に、山本琢磨を切腹させることしか判断をさせなくする。
 つまり武市は、人の命より、攘夷という思想をとった、ということです。

 龍馬は盗品の持ち主であった商人に頭を下げて、その訴えを取り下げさせるのですが、当時は士農工商の時代。 いちばんエライ侍が、いちばん卑しいとされた商人に土下座しまくる、というのは、現代の感覚で思うよりもよほど屈辱的、と言わねばなりません。
 それでも武市の意志は変わらない。
 龍馬は山本を、逃亡させようと決意する。

 船着き場で山本を逃がすときの龍馬のセリフは、この回冒頭で龍馬が父親に言われた言葉(「この世に生まれたからには、己の命を、使い切らんといかん」)と、まさにダブるものでした。 オヤジ殿の魂が、龍馬に受け継がれた瞬間のように、私には思えました。

 「山本琢磨ゆう人間がこの世に生まれて、簡単に命を捨てるがは、もったいないぜよ。 おまんはもう、土佐には戻れん。 けんどのう…、けんど、きっとどこかに、おまんの生きる場所があるき! …自分の罪を忘れてはいかんぜよ。 けんどのう、卑屈になってもいかん! 堂々と、堂々と生きや…!」

 そして武市は、山本逃亡の責を負って、土佐に帰ることとなる。
 結果的に考えて、武市も山本を逃がすことに手を貸した、とも言える、とても味わいの深い見方ができる展開です。
 けれども荷物をまとめる席での龍馬との会話で、武市はそのような人間的な思いを、一瞬にして断ち切ってしまう。
 この回再三武市のそばに共にあった、一輪の花を、武市は一刀両断するのです。
 この演出、心憎いばかり。

 この回してやられた!と思ったのは、本編終了後の 「龍馬伝紀行」 で、山本琢磨のその後の数奇な運命について語られたところ。 山本は、その後日本初のロシア正教宣教師になったとか。 今回の物語に、もうひとつの強烈な余韻を残しました。

 さて、今週の 「弥太郎伝」。

 投獄されてヒゲボーボーになっていたのは、予告編で見てたからかな?さほどインパクトがなかったんですけど。

 牢屋に共に入れられていた老人の話から、商いということへの興味が芽生えた弥太郎。 ちょっとイージーなような気がいたしましたけどね(笑)。 私としては、このエピソードが、龍馬が商人のもとへ土下座をしに行った話や、命の価値を重くとらえる龍馬と軽くとらえる武市の話と交互に繰り広げられるところの、語り口の妙のほうに、関心があったがです。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命か(当記事)
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html

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2010年2月27日 (土)

「君たちに明日はない」 最終回 宅間サンの脚本って…

 前回苦言を呈した 「君たちに明日はない」、その最終回。

 早速ネタバレでいきます(笑)。
 おもちゃ会社の山崎樹範サンがその後どうなったかの説明がない、などと前回文句を言いましたが、今回、結局山崎サンが開発したお掃除ロボット 「リストラ君」 のヒットで、坂口憲二クンのリストラ失敗は、結果オーライとなったわけであり。

 もうひとつ、毎回毎回、しつこいくらいに回想シーンが出てきていた、麻生祐未サン。
 彼女のこのドラマにおける必要性が見えてこない、みたいなことを、これまた前回苦言を呈したのですが、これもラストに、その答えが用意されておりました。
 要するに、麻生サンには結構大きな息子がいた、っていうオチで。
 だけど、このオチを持ってくるには、あまりにも回想シーンが多過ぎたような気がします。 別に大したオチでもないのに、これだけ毎回麻生サンの回想をやられると、何かとんでもないことが待っているのではないか、などと、私みたいな考え過ぎの視聴者は、変な深読みをしてしまうんですよ。

 でも、これは、脚本家である宅間孝行サンの手癖、みたいなものだと、私は考えているのですが。

 つまり、話をただ時間の流れ通りにやらないで、○年前、とか、○年後とか、時間系列を再構成するのが好き、っていうか。

 こうすることで、どうして何年後かにはそうなっちゃうの?とか、ドラマを見ている側に思わせることが目的なんですが、でもそれは、あまり大したことが起こらないと、なんか結局カッコつけみたいに思えてきてしまう、という弱点を持っている。
 同じ宅間サンの 「スマイル」 も、松本潤クンの5年後、みたいな話と並行しながら進んでたし、たぶんそういう話の作りかたが、好きなんでしょうね、この人は(蛇足ですが、「スマイル」 のそれは、成功してた気はします。 松本潤クン、「君はペット」 もそうでしたけど、結構いろんな役ができるだなー、と思いました)。

 で、今回このドラマでなんだか気になって仕方なかったのは、リストラ、という笑えない内容のドラマを、何とか明るいものにしようとして、無理にコメディ的な要素をくっつけているようなところ。

 特に須藤理沙サンと田中美佐子サンの姉妹の会話シーンは、そこいらの下手な漫才コンビなんかよりよほど面白かったのですが、面白ければ面白いほど、ミョーに浮いちゃって(笑)。 最終回、須藤サンの恋人ミッキーの素性も、かなり笑えました。
 でも、コメディシーンがよく出来過ぎている、っていうのも、リストラドラマとは相容れない、っていうか(笑)。 田中美佐子サンも、どことなく照れが入っていた気もします(笑)。

 まあつまり、社会派ドラマとして認識されることを、拒絶してるんですよ、このドラマ。

 リストラ、という社会問題を捉えるために、このドラマが担っている役割は、かなり大きいような気が、私などは勝手にしておるのですが(笑)。
 それなのにどうも、このドラマの作り手は、首切りという現実に対して、前向きに生きてきゃなんとかなる、こんな暗い話ばかりじゃイヤになる、と思っているような感じがする、というか。
 だから、この問題をマジメに考えようとしてこのドラマを見る層を、ちょっとはぐらかすような仕上がりに、結果的になっている。

 最終回、堺正章サン演じる坂口クンの上司が、坂口クンに、いみじくもこう話すのです。

 「オレはな、仕事にはふた通りあると思うんだ。 手段としての仕事と、目的としての仕事と。 金を稼いでくる手段として仕事をしているやつは、けっして、楽しくはないだろうし、やりたい仕事というわけじゃないかもしれない。 でも、家族を養うため、仕事以外の時間での趣味を楽しむために働く…つまり、手段だ。 それともうひとつは、その仕事自体が好きで働いているやつもいる。 もしかしたら、金にはならんかもしれんがな。 これは、…仕事が目的だ。 ま、どちらがいいとか悪いとかじゃない。 でもな、どちらも、そんな自分に誇りを持っていないとつらくなる。 好きな仕事への誇り。 稼いでくる自分への誇り。 …オレが、容赦なくクビを切れるのは、…誇りを持ち続けている人間は、必ずどこかで復活してくる…そう、信じているからだ」

 この部分だけで、このドラマの存在意義は、すべて語りつくされちゃうようなところがある(笑)。

 それだけじゃあっという間に終わっちゃうから(笑)、それにコメディとか、恋愛とか、ある程度肉付けをしていかないと、たとえ6回という短い回数のドラマであっても、体裁を整えることが、できないのです。

 けれども、もっとドロドロに、リストラという現実を見つめた作りかたも出来たのではないか、そんな気も、私にはします。
 でもそうしたら、ドラマ自体が全く別物になってしまうんですけど(笑)。

 なんか、宅間サン脚本のドラマを見ていると、登場人物が不用心にアグレッシブ(笑)、みたいな感じがするんですよ。 クドカンみたいな感じ、っていうか(笑)。 もっと軽妙さとかにこだわらず、テクニックに走らないで、主題をじっと見据えた作品を書けば、大傑作を生み出す可能性の、とてもある脚本家サンなのではないか、と私には思えてならないんですけどね。

当ブログ 「君たちに明日はない」 に関する記事
第1回http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-f372.html
第2回(番外)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-d86b.html
第2回http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-1c05.html
第3回なし
第4回http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/4-bd21.html
第5回http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/5-9c41.html
第6回(最終回)当記事

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浅田真央チャンの涙

 フィギュアの女子は、冬季オリンピックでもとりわけ注目度が高い競技のように思えます。 そんな中できちんと結果を出すことができた浅田真央チャンは、とてもすごい。

 それにしても、スケートではただ走るくらいしかできない自分にとっては、フィギュアスケートの世界は、まさに超人業の世界。 バックで滑っているだけだって、尊敬しちゃうのに。
 だいたい、スケートじゃなくても、その場で3回転回ってみろ!と言われたって、回れませんし(笑)。 2回転だって、無理です(笑)。 1回転なら、できるかもしれない(笑)。

 今回本番の演技より、特に印象的だったのは、演技後の真央チャンのインタビュー。
 「長かったしあっという間だったし」 と話す真央チャンが、みるみる号泣モードになっていくところは、19歳の彼女が抱えていたそのプレッシャーの大きさを語って、余りありました。

 この女子フィギュア、私は民放の録画されたものを見たんですが、そのコマーシャルでも、浅田選手の出てくるものの、多いこと多いこと。 もしもですよ、自分が事前にそんなものばっかり出演していたら、本番時のプレッシャー、余計大きくなる気がしますけどねー。

 かたや、金メダルのキム・ヨナ選手。

 真央チャンと同じ19歳で、今回同じく涙を流してましたけど、その涙の性格が、真央チャンの流した涙とはずいぶん違うもののように感じました。
 それは確かに、キム・ヨナ選手は喜びの涙で、真央チャンの涙は悔し涙、という違いもあるのですが、それ以上に、なんか違う。

 真央チャンの涙には、自分の感情を抑えきれない、という弱さ、みたいなものを感じたのですが、キム・ヨナ選手の涙は、自分の感情を完璧にコントロールしているような、精神的な強さをうかがわせるようなものを感じたんですよ。 なんとなく、こう言っちゃなんですが、予定調和的な涙、というか。
 これって単に、キム・ヨナ選手が負けん気の強い性格だから、ってことなのかなー。 それとも、国民性の違いなのか。

 浅田選手が、オリンピックまでに、どれだけ周囲からプレッシャーを受けていたかは、うかがい知ることはできませんが、もっと本番で自分の実力を発揮できるようなメンタルトレーニングとか、騒ぎ過ぎないとか、そんな環境づくりをできなかったのかな、という気は、いたしました。

 それにしたって、すごいことには、変わりないですよ。

 特に今季、浅田選手のコンディションは、ずうーっと悪かったような気がするんですけどね。
 それがオリンピックの時に、最高の調子になってるっていうのは、コンディションを合わせたためかもしれませんが、表彰台に立つことだけでも、奇跡なように感じるんです。

 やっぱり、メダルを取る人が出ると、がぜんテンションあがってしまいますね。 現金なものですが。

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2010年2月26日 (金)

「不毛地帯」 第17回 第2のシベリア、っていうのが気になる…

 サルベスタンの石油鉱区落札をめぐって、火のようなやり取りが繰り広げられた、「不毛地帯」 第17回。
 ただ読後?感想文を書く身としては、見ているあいだはとても面白かったのですが、何となく論点が先週と変わらない気がして、どういう内容の感想文を書こうか、ちょっと迷っております。

 まずちょっと肩透かしを食らったような気がしたのは、前回あれほど瞬間湯沸かし器の如くいきなりブチ切れまくり大会でモスクワ行きを拒絶した壹岐(唐沢寿明サン)が、いざソ連に行ってみたら、別になんてことなかった、というところ。
 予告編で鮫島(遠藤憲一サン)が 「お父さんが大変なことになった」 と壹岐の娘(多部未華子チャン)に電話するところとかを見ていて、こりゃソ連で壹岐が拘束されるとか、なにか大変なことが起こるのか?という興味で見ていたんですがね。
 それで先回りして、前回の当ブログ記事で 「壹岐がソ連にもう一度戻ることは、物語としての体裁としても上出来」 などという下手な評論(笑)をしてしまったんですが。
 唐沢サンの、堪能なロシア語が、また聞けると思ったのに、不気味な無言電話に出た時の、「アリョー?(もしもし)」 だけ。 結果的にソ連の国家的圧力を感じた緊迫の場面は、ここのみでした。 どれほど壹岐がロシア語をしゃべることに抵抗があるか、そんな場面も、正直言って期待していました。 でも、なんにもなし。

 予告編でだまされたのは、ここだけじゃありませんでした。
 総会屋の腰ぎんちゃくになっているような雰囲気だった小出(松重豊サン)が、ゴミ捨て場に倒れ込んでいるところ。
 すっかり、ヤバイことに巻き込まれたのだと勘違いしてました。

 内容がじゅうぶん面白いのだから、予告編で人を釣るようなまねは、よした方がいいと思うのですが。

 で、今回特に冴えまくりだったのが、東京商事の鮫島サン。

 兵頭(竹野内豊サン)の行動にいち早く不審なものを察知し、テヘランのホテルで彼らの部屋を、メイドを買収して物色(そこまでするか?)、イラン国王ソ連入りの新聞記事と 「CCCP」 と書かれたメモを見つけ出し、近畿商事が国王もしくは国王の側近と会って、落札価格の把握に乗り出していることを突き止めるんですが、「CCCP」 って、…なんだよその分かりやす過ぎなメモ(笑)。

 しかも、多部未華子チャンにカマをかけて(さっき述べた、あの電話のことです)、壹岐もソ連に行っていることを嗅ぎつける。

 ここで未華子チャンは、鮫島にカマをかけられたことを、壹岐になんとしてでも早急に知らせるべきなんですが。
 でも、仕方ないですかね。
 1970年ごろの、会社勤めも多少はやったかもしれないけどすぐ家庭に入ってしまって社会のなんたるかを知らずに母親となっている当時のヤングミセスには、自分がカマにかけられたことすら分からなかったご様子で(笑)。 たとえ分かったとしても、当時ソ連に国際電話など、かけられたのかどうか。

 話はムチャクチャはしょりますが(笑)、結局僅差で落札を勝ち取った近畿商事(そこまではしょるか?…笑)に、またまた敗北感であしたのジョーみたいに真っ白に燃え尽きるか、と思いきや、鮫島サン、それまで一度も立ち寄ったことのなかった壹岐邸に現れ、カマをかけたことを未華子チャンにしれ~っと謝り(笑)、サルベスタン鉱区の資本提携に東京商事を一枚かませてくれと壹岐に頼みだす(笑)。 その時の壹岐の、なんとも言えない呆れ顔(笑)。

 いやーこの、変わり身の早さ。 笑い転げました(転げちゃいないか…)。
 好きだなあ~、鮫島サン。

 すっかりはしょった近畿商事入札勝ち取りまでの話ですが、見ごたえありましたよ、ドクター・フォルジと壹岐との会見や、スパイ映画顔負けの入札最高額の教え方(つくづく竹野内サン、こういう話にハマってます)、大門社長(原田芳雄サン)と壹岐との、追加出資のせめぎ合い。

 ところが、喜んだのもつかの間、ドクター・フォルジが 「サルベスタンは壹岐にとって第2のシベリアになるだろう」、という不気味な予言をして次回へと続く。
 ああ~、つまり、サルベスタンから石油が採れるという兵頭のリサーチは、ガセだったのか?
 それって、元も子もない、という話じゃないですか。
 次回も見逃せません。

当ブログ 「不毛地帯」 に関する記事
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-6a81.html
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/1-05a5.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/2-w-070f.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/3-4bae.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/4-9755.html
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/5-abb7.html
第6回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/6-d4bd.html
第7回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/7-8677.html
第8回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/8-4f4a.html
第9回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/9-cdc5.html
第10回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/10-183b.html
第11回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/11-0587.html
第12回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/12-68a7.html
第13回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/13-2599.html
第14回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/14-4fa8.html
第15回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/15-d4df.html
第16回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/16-3ac8.html
第17回 (当記事)
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-b645.html
第18回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/18-5177.html
第19回(最終回) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-7b99.html

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2010年2月25日 (木)

「曲げられない女」 第7回 妥協点の見つけどころ…

 曲げられない曲げられない、と言って、まっすぐに生きていことが、生きていくうえで、どこまで光を失わない価値なのか――「曲げられない女」 第7回は、そのことを見つめた、実に内容的に深い話だったような気がします。 自分を曲げずに生きることが、どれほど覚悟のいる、孤独な作業なのか、それを描いて秀逸でした。
 ここ数回、ちょっともたつき気味に見えたこのドラマでしたが、主役のオギワラ(菅野美穂チャン)のキャラクター設定は、永作チャンや谷原サンよりもかなり深く行なっているためか、彼女を中心とした話は、やはり見ごたえがあります。

 とは言うものの、やはり気になったのは、先週ラストで判明した、オギワラの妊娠。

 ふつうこれほどのカタブツで物事をきちっとしている人間が、避妊もきちんとしていない、というのは、あまりにも不用心。 確かに一度、塚本高史クンがオギワラの家に泊まった夜がありましたが、まあ、避妊していても、避妊具が常に完全とは限りませんし、デキちゃうときはデキちゃいますかね。 それより、その原因となる行為(ああ、まどろっこしいな、この表現…笑)をオギワラがしてしまう、ということ自体が、すでにあり得ない、というか。 ネットでも、議論を呼んでいたようです、この問題。
 この問題の原因は、結構軽いノリで、美穂チャンによって産婦人科の先生に 「正確に」 伝えられておりました(笑)。

 けれども作り手の主眼は今回、美穂チャンと永作チャン、谷原サンの友情を引き裂くことにあったわけであり。

 塚本クンに一切の相談もせず、美穂チャンはボーダイな妊娠問題に関するレポートを作成(笑)、「中絶」 という結論に至ります。 そして谷原サンに、中絶の同意書にサインをしてもらうよう頼むのですが、それに納得のいかない永作チャンは、塚本クンを直接呼んでくる。

 ボーダイなレポートを書いてそれだけの量を悩んでいる割に、当事者の塚本クンに一切知らせない、という美穂チャンの姿勢は、確かに木を見て森を見ない行為のように思えます。 人間、あまりにも悩み過ぎると、まず何を差し置いてもしなければならない根本的な問題を見失ってしまう、というよい例のような感じがしました。 永作チャンが思った通り、これは美穂チャンひとりの問題ではなく、塚本クンも込みの問題なのです。

 そして塚本クンから美穂チャンに、3回目のプロポーズ。 そこで中絶同意書を見てしまった塚本クンは逆上。
 「なんでこんな男にこんな大事なもん頼んでんだよ! いい加減にしろよ! オマエのエゴでこんなことしていいと思ってんのかよ! オレの子供なんだぞ! 産めよ! 勉強なんかやめろよ、司法試験がなんだよ! オマエの夢なんか大したことじゃないだろ!」

 このドラマにおいて、塚本クンは非常にミもフタもない描かれ方をしています。 つまり、逆上すると自分がどんなひどいことを言っているのかの判断もつかなくなってしまう男です。
 でも、私はとても共感するんですよ、塚本クンの演じているこの男に。
 人間って、あまりにも腹が立つと、相手の気持ちなんかまったくどこかに飛んでしまって、ギタギタのメタメタにしようとすることって、ないですかね? 少なくとも私には、その経験があります。

 塚本クンの怒りの発端は、中絶同意書のサインを、美穂チャンが谷原サンに頼んだ、ということであります。
 そして自分の側には、子供を殺すことには反対だ、という、絶対的な正義が存在している。 命を第一に考えている自分が、絶対正しいのだ、という論理が、美穂チャンにひどいことを言ってしまう怒りの原動力になっているのです。

 塚本クンはその場ですぐ、ひどいことを言ったことを後悔するのですが。
 でも、その場に残った空気は、「結局この人の心の奥底には、オギワラが弁護士になることなんかどうだっていいという本音があるんだ」 という、なんとも寒々しいものでしかない。

 でもこれは、塚本クンの本音ではない。 「心にもないことを言ってしまった」 レベルの話なんだ、と私には思えます。
 確かに事務所の女の子と両天秤にかけてたり、ずるい面もありますけど、この人とでなければ絶対に嫌だ、なんていう、まさにテレビドラマにでも出てきそうな相手なんか、存在すると思いますか? どっちが自分にとってふさわしい相手なのか考えることなんて、それこそ普通の話ではないですか。

 私、塚本クンを擁護いたしますよ、どこまでも(笑)。

 そこで谷原サンから、塚本クンは諄々と説教されるのですが、自分の恋敵から、そんな的確なお説教(笑)など、受けたいと思う男なんか、いると思います?
 またまた怒りに火がついて、塚本クンは美穂チャンのボーダイなレポートを 「なんだよこんなもの!」 と言って投げつけ、その場を立ち去ってしまう。 「自分に酔ってる」 とか谷原サンに言われましたけど、エーエーそうですよ!(笑) 酔ってますよ!(笑)

 この一件は、永作チャンのモチベーションを、すっかり失わせてしまうきっかけとなる。 ここらへんのドラマとしての見せかたが、今回はとてもうまかったですね。

 さて、ナカシマ弁護士事務所に相談に来ていた不倫の末のシングルマザーの、不倫相手のところへ乗り込んで、またまたブチ切れまくる美穂チャン。

 「法律よりも大事なことがあるんじゃないですか? それは、人間として最低のルールです! 自分でやったことに対する責任です! 他人が不幸になっても、自分が幸せになればいいという考えは、もうやめませんか? 自分が傷ついたり、つらい目にあったりするのは仕方ないけど、子供たちに同じような目に遭わせないようにするのが、私たち大人の最低の責任なんじゃないですか? 子供は親を選べないんです!」

 この言葉が、逆に自分に向かってくる刃となる。 この構成も、見事です。
 美穂チャンは、中絶をやめて、子供も産み、司法試験も受ける、ということを決意するのです。

 しかしそのことが、どんなに大変なことなのか。

 私にはとても想像がつきませんが、確かに並大抵の覚悟ではこの両立は困難極まりない気がします。 谷原サンも永作チャンも、この美穂チャンの決断には、大反対。

 ここでこの3人の友情が壊れる、導火線となる要因、美穂チャンの10年日記をふたりが見てしまったことがバレてしまう。
 「そんな友達は、…私には必要ありません」
 それを言っちゃあ、おしまいなんですが(笑)。 オギワラ、言いそうだ、言いそうだ、ああー、言っちゃった。 もう3人の友情も、おしまいだ(笑)。 そんな気持ちで、私は見ておりました(笑)。

 ふたりが出ていってしまったあとで、美穂チャンがかけるマイケルの曲。 ジャクソン5時代の 「アイル・ビー・ゼア」。 「そばにいるよ」 というその曲の内容と、じっと美穂チャンを見つめる犬のアトムの表情が、ぴったりフィットしてましたね。

 オギワラの行く手には、とても険しい山がそびえ立っています。 冒頭に述べたように、自分を曲げずに生きることは、こんなにつらいことなのか、と思えてなりません。 こんな時こそ、そばで支えてくれる人が、必要なのに。 妥協点を見いだせない性格、というのは、結局極限まで自分を追い込むしかなくなってしまうのでしょうか。
 とてもいろんなことを考えた、今回の 「曲げられない女」 でした。 傑作。

当ブログ 「曲げられない女」 に関する記事
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-83d0.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-5eb9.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-a3aa.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/4-1d07.html
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/5-d241.html
第6回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-88ef.html
第7回 (当記事)
第8回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/8-05a5.html
第9回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/9-5d02.html
第10回(最終回) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-2386.html

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2010年2月24日 (水)

アビイ・ロード・スタジオ、文化遺産へ

 NHKのニュースによると、イギリス政府は、かねてから売却の話で話題だった英ロンドンのアビイ・ロード・スタジオを、国の文化遺産とすることを決めた、ということです。 その結果、内部の改修など、政府の許可がなければできないことになったそうです。

 これはある意味、ナショナル・トラスト管轄になるよりも、すごいことなのではないか、という気がします。

 このスタジオの所有者である英レコード会社、EMIが売却を決めた途端、ビートルズの曲の9割以上が録音されたこのスタジオの存続がにわかにクローズアップされ、EMIがその反響のあまりの大きさに売却を中止した、というのが、先週から今週にかけての、一連の動きでした。

 私もその動きの中で、このスタジオはもはや文化的遺産なのであるから、ナショナル・トラストにでも寄贈するべきだと、このブログでも述べてまいりましたが、今回のイギリス政府の決定は、それを飛び越えた英断(英国の英断…ってシャレじゃないです…笑)のような気がします。

 と同時に、今回の話は、ビートルズという存在自体が、イギリスにとっては、トップレベルの自国文化の象徴という位置にまで上りつめたということを、図らずも認識させる出来事だった、という気が強くします。

 イギリス政府が、自国の文化に対して、その重要性をきちんと認識し、策を講じた、というその行政能力にも、感心しました。 日本政府が、もしイギリス政府の立場だったら、そんなことができるでしょうか。 文化に対する国の認識の違いを、感じます。

 今後歴史が進むにつれて、既成概念に対してのアンチ勢力であったビートルズが、いっぱしのオーソリティになっていくのを見るのは、いかにも皮肉めいたものを感じますが、彼らの音楽が、頭のかたい連中だけのものになってしまわないよう、願うばかりであります。

 「将来、学校の音楽室で鳴っているのは、クラシックの音楽ではなくて、ビートルズの音楽だ」 などという予言をした人もかつていましたが、「それってなんかイヤ」(笑)って、思ってました(笑)。 でも、なんか、あり得そうな気がしてきた(笑)。 遠ーい未来の話ですけど。

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カーリングって、碁とか将棋みたいですよね

 冬季オリンピックで、ひときわ異彩を放っているように見える競技、カーリング。

 この競技を生まれて初めて見たのは、ビートルズの映画 「HELP!四人はアイドル」 の中でした(笑)。
 映画の中では、ホントの単なる遊び。
 でもなんか、ビートルズの4人はそれがどんな遊びなのかさえも分かっていない様子で(笑)、それゆえこっちも、なにがなんだかよく分からないまま(笑)。
 しかも氷じゃなくて、ビートルズは雪の中でやってたから(雪を踏み固めた程度?)、ストーンが滑らないこと滑らないこと(笑)。 ブラシで行く手をこすってたけど、ほぼ意味なし(笑)。
 転がらない石、という、どこかのグループ(ご想像におまかせします)への一種のあてつけだったのかもしれません(考え過ぎ?)。 あげくの果てに、石を爆発させてました(笑)。
 そう言えば、爆発したあと割れた氷の下から、ドーバー海峡へ泳いでいく途中の、ビートルズのロード・マネージャーだったマル・エヴァンスが出てきてたから(意味不明…笑)、いちおう、湖かどこかの氷の上では、やってたんでしょうね(ワケ分からん映画だなあ…笑)。

 この競技、要するにおはじきみたいな感覚なんですけど、見ていてすっかりハマってしまったのは、やはり前回のトリノオリンピックの時でしたね。 強豪のカナダを接戦の末に破って。 アナウンサーがその試合で 「マリリン、マリリン」 とやたら連呼しているのが気に入りませんでしたが(笑)、私のハートをギュッとつかんだのは、その試合後に 「オバアチャンやったよ~!」 とカメラ向かって大喜びする、小野寺選手の姿でした。

 カーリングのゲームとしての面白さは、あらん限りの頭脳を使うところですよね。
 逆にゲームとして最も面白さのマイナスになるのが、なんと言っても、後攻が圧倒的に有利である、という点ですかね。
 でも、ストーンの置く場所によってはいくら有利な後攻でもどうしようもない場合もあるし、各回ごとのせめぎ合いでそのデメリットを面白さに転嫁しているようなところもある。
 しかも、頭ではこのラインだって分かっていても、ストーンがそのライン通りに進むとも限らないし。
 いちばん面白いのは、大逆転が起こる要素がとても多いゲームだ、ということ。 これはコーフンしますよね!

 駆け引きの面白さ、という点では、なんと言うか、壁を作ったりするところは囲碁みたいだし、先手先手を読んでいくのは将棋みたいだし、まるで氷上のボードゲームを見ているような感覚に陥ります。

 しかもこのカーリング、ストーンを放る人の表情を長いあいだアップで映しても、さほど試合の進行状況を把握する妨げにならない。 要するに、テレビ的に、とてもおいしいんですよ。 しかも投擲者がマリリン(…)とかの美人だと、なおさらテレビ的においしい。 しかもただの美人でも、下が白い氷ですから、必然的にレフ板(反射板)の役割になって、ますます美人に見えてくる。 さらにさらにテレビ的においしい。 チーム青森のファンが多いのにも、うなづけます。

 ただし、ちょっとばかり、試合時間が長すぎますかね。
 2時間以上も、競技者と一緒に、見ている側も、頭を使いまくる、という感じですからねー(笑)。 見ているこっちも、ヘトヘトになります(笑)。 10回もピリオド要らない、っていうか。 7回とか8回くらいが、見ていてちょうどいい感じがしますです。

 今回もトリノに続いてちょっと残念な結果に終わりそうですが、この競技は、ホントに見ていて楽しい。 メダルが取れれば日本国民としても、テンションあがるんでしょうけど、長野以降の冬季オリンピックは、正直言ってテンションが上がりません。 メダルを取れない国なりの、オリンピックの楽しみ方ができる、カーリングはそんな競技のような気がするのです。 (…そんな弱気でどーする!)

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2010年2月23日 (火)

「君たちに明日はない」 第5回 良い点も、確かにあるのですが

 ちょっと苦言を呈してしまう記事なので、まず最初に、第5回で私が泣けて仕方なかったシーンを書かせていただきます。 このドラマがお好きな方は、この部分だけお読みいただければ、幸いです。

 田中美佐子サンが、ふるさとの鹿児島に帰って、両親(山本學サン、加賀まりこサン)の思いを知るシーン。
 山本學サン演じるオヤジサンは、リストラされた田中サンに対して辛辣に当たるのですが、あとで加賀サンから、オヤジサンが田中サンのことをとても自慢にしていた、と打ち明けられる。 それを打ち明ける加賀サンも、打ち明けられる田中サンも、だんだんと泣いちゃって。
 娘につらくあたりながらも、自分の子供が社会でちゃんと活躍していることが嬉しくて仕方ない、そんな父親の姿には、私も泣けて泣けて。 自分の父親と、だぶりました。 思い出したら、また泣けてきました。
 ホントに、いいシーンでした。 

 で、ここから疑問点です。

 どうも見ていて、変な部分がはしょられているような気がしてならないんですよ、このドラマ。
 妙な部分が、説明不足な気がします。 カットされてるのかな?

 今回感じたのは、先ほども書いた感動シーンのあと、田中美佐子サンが東京に戻ってからのシーン。
 田中サンは別れ際、オヤジサンに対して、また東京に戻って一花咲かせるみたいなことを言っておきながら、いざ東京に帰ってきたら、今度は妹役の須藤理沙サンに、マンションを売り払って鹿児島に帰る、と宣言してしまう。 田中美佐子サンはいったい、どこで考えを変えてしまったんでしょうか。

 また、坂口憲二クンが街で見かけた、ひげもじゃの、見るからに完璧なホームレスが、かつて彼がリストラさせた村田雄浩サン、というところもそう。 次のシーン、別の場所でまた彼が見たものが、今度はひげを生やしてないけれども、明らかにホームレスになりかけている、村田雄浩サン。
 何だこりゃ?と思いましたけど、要するに坂口クンが最初に見たひげもじゃのホームレスは、見間違いだったんでしょう。 だけど、その説明がない。 「(アレ?なんかホームレスがみんな村田雄浩サンに見えるな、イカンイカン)」 みたいな坂口クンのモノローグとか、説明は、すべきなんですよ。 混乱します。

 それから今回のリストラ対象者、山崎樹範サン。
 結局、どうなったんですかね?
 坂口クンが、「あなたは会社に必要な人間です」 って言って、堺正章サンに怒られて、それっきりなんですか?
 この山崎サンに、放送コードすれすれとも思える(笑)ムチャクチャインパクトのある役をやらせておきながら、山崎サンの処遇がその後分からないっていうのは、結構納得いかない、って言うか。
 しっかしホント、山崎樹範サン、まるっきり子供のまんまの精神状態の大人、すごい演技だったなあ。 ドラマで浮きまくってました(笑)。 彼の開発したお掃除ロボット 「リストラ君」 も、物悲しくてインパクトあったし(笑)。 それだけに彼(およびリストラ君…笑)のその後が分からないのは残念。

 ドラマとして、逆に、かえって説明しまくられているのに、さっぱりわからないのが、坂口クンと麻生祐未サンの関係。 いちいち時を遡ってまで、説明されているんですけどね。
 麻生サンが坂口クンのことを、何となく距離を置きたがっているのは見ていて分かるのですが、それがどうしてなのかが分からないし、しかも、麻生サンが結局どうして姿を消したのかが、現時点に至るまで分かっていない。

 問題なのは、それがどうしてなのか、たとえ分かったとしても、別に現在の坂口クンにとって全くそれは過去のお話だし、視聴者にとっても 「だから何なの?」 っていう話でしかない点。
 なぜなら、坂口クンにとっても視聴者にとっても、田中美佐子サンのほうが、このドラマではメインの人物だからです。
 最終回、もし麻生サンがふたたびあらわれて失踪の原因が分かって、坂口クンが田中美佐子サンを捨てて麻生さんの元に戻っていく、っていう展開ならば、わざわざ毎回麻生サンとの回想シーンを挿入した意味も分かるんですが。

 なんか、悪口のブレーキが利かなくなってきたので(笑)ここらへんでイチャモンはやめますが、このドラマは良い点もとても多いと思うんですよ。 仕事とは何なのかを考えさせるし、本当にリストラされるべきものとは何なのか、という問題提起もなされているし。
 ただ、細かいことを言うようですが、物語の展開上、どうしても必要なセリフは、たとえ野暮でも説明ゼリフでも、登場人物に語らせるべきだ、と思うんです。

当ブログ 「君たちに明日はない」 に関する記事
第1回http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-f372.html
第2回(番外)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-d86b.html
第2回http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-1c05.html
第3回なし
第4回http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/4-bd21.html
第5回(当記事)
第6回(最終回)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/post-d0bd.html

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2010年2月22日 (月)

アビイ・ロード・スタジオ、売却中止 とりあえず、よかったです

 たった今TBSラジオ 「キラキラ」 内でのニュースで知ったんですが、先週売却が発表された英ロンドンのレコード会社EMI所有のアビイ・ロード・スタジオの、売却が中止されたと英フィナンシャル・タイムスが報じたそうであります。 朗報でございます。

 内部の機材の保存について協議の結果、売却が見送られたとか。 フィナンシャル・タイムズによると、先週の売却発表以来、ポール・マッカートニーが保存のために何かしたいと表明したり、ナショナル・トラストが興味を示すなどの動きがあったが、結局売却に対する予想外の反発の大きさにEMIがビビったためではないか、との見方もあるとのことです。

 ナショナル・トラストについては、先週当ブログでも 「アビイ・ロード・スタジオはもはや歴史的建造物なのだから、寄贈すればよかろう」 という個人的見解を書きましたが、今回売却が見送られたとはいえ、ゆくゆくはそうすべきなのではないか、と思いますね。
 ポールの家もジョンの家ももはやそうなっているし、EMIは文化的遺産の継承に寄与すべきだとも、思いますです。

 ナショナル・トラストっていうと、私なんぞは反射的に、ジョンの 「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」 の歌詞の一部を思い出してしまいますが(笑)。

 しかしポールも、有り余る資産があるんだから、アビイ・ロード・スタジオをそっくり買い取って、自分の個人スタジオにしてしまってもいいような気が、いたしますけどね。 ヒア・ミュージックなどというよく分からないレーベルに移籍しちゃったから、EMIのやることに干渉できないのかな? 個人的には、長年の付き合いだったEMIから離れた、というポールのその冒険根性には敬服いたしますが、ポールと言えばEMI、でしたからね。 EMIに戻ってきてほしい気は、いたします。

 ともあれ、まだまだ油断はできませんが、アビイ・ロード・スタジオを手放すとするなら、EMIにはもっと方法を考えてほしい、と切に願うのみであります。

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「龍馬伝」 第8回 汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿

 水田の用水を巡る権利争いで、庄屋とお奉行の汚い裏取引の犠牲となって半殺しの目に遭った、弥太郎(香川照之サン)の父親、弥次郎殿(蟹江敬三サン)。

 かねてから江戸で学問の修行をしていた弥太郎は、オヤジ殿が死にそうだという手紙を受け取るや否や、普通30日はかかるという土佐までの道のりを、16日という猛スピードでご帰還するのですが(笑)。

 早送りやスローモーションを多用したその耐久マラソン(番組HPによると、この撮影には、なんと3か月もかかったそうです)の様子は、まさに抱腹絶倒もの。 途中讃岐で泥の中へとすっ転び(笑)、ただでさえ小汚いっていうのにますます汚くなっていく(笑)。
 どこまで汚くすりゃ気が済むんだ(笑)。

 実家へ帰って来た時のその風体は、顔はどこかの原住民(笑)、足は血だらけ(ひぃぃ、痛そう…)。
 …すごすぎる(笑)。
 …これがすごくなくて、何がすごいというのか(笑)。

 ところがこの弥太郎、こんなコミカルな強行軍とは裏腹に、泣かせるじゃありませんか。 今回。 なんでこんなに、コイツ、人間臭いんだよ!ってくらい。

 虫の息のオヤジ殿(ただし死にそうには、とても見えないのですが…笑)を見て事情をオカン(倍賞美津子サン)から聞くと、弥太郎は矢も盾もたまらず島田の屋敷へ。
 そこで刀を抜こうとするも、すっかり錆びついててちっとも抜けない(笑)。
 なんか、笑えるのに、無性に悲しくなる。
 なんという、なんという人生なのだ!

 この弥次郎殿の一件に首を突っ込んでいた福山龍馬、坂本家の新たな当主となった兄の杉本哲太サンから 「もうかかわるな」 とたしなめられるのですが。
 言ったそばから 「あら、坂本家の当主がそんなことを…」(松原智恵子サン)「器が小さいのお…」(寺島しのぶサン)「お父上がお嘆きになります」(島崎和歌子サン)「ごめんなさい、おじい様…」(子役の女の子)と坂本家の女連中が杉本サンに集中砲火(笑)。 あわてて 「首を突っ込んでもいい」 と訂正する杉本サン、笑えます。 当主が変わって、男女の力関係が逆転した坂本家の変貌が、とてもよく出ていました。
 さっきの弥太郎の強行軍に続いて、今回、ギャグの激しいたたみかけの、連続であります(笑)。

 兄上から許しを得た龍馬、弥次郎殿のお世話をせっせとするのですが、弥太郎はそれが、どぉーも面白くない。 さげすんだような、情けないような、ものすごく複雑な表情を、その時弥太郎はするんですよ。
 「このまま泣き寝入りせい言うがか。 確かに、オヤジの酒癖の悪さはひどいもんじゃあ。 酔うたらすぐにケンカ、ばくち好きでカネにだらしのうて、わしゃ何べん泣かされてきたことか。 …けんどのお。 わしにとっては、この世でたったひとりのオヤジながじゃ! オヤジが半殺しにされて、罪を全部かぶらされて、だまっちょれるわけがないやろがッ!」

 このセリフ、こうして書くとなんてことない平凡なセリフなのですが、これをあの口が悪くて自分勝手でガサツで粗雑で思いきり乱暴な弥太郎が言うと、泣けるんだこれが。
 なんでこんなに、父親に対して不器用な愛情表現しか、できないんだろう。
 ある意味愚直なまでに真っ裸の、父に対するせがれの心。
 弥次郎殿も弥太郎に対して、とても不器用で無骨だけれども、愛情があるし。
 これってある意味、とても素直な家族愛に包まれている坂本家と、この岩崎家というのは、一見すると逆のように見えるけれども、家族愛という観点から言えば、全く同じ種類の家族と言える、のではないでしょうか。

 その後、龍馬と弥太郎は、筋を通すことで評判の吉田東洋(田中泯サン)に今回の問題の直談判に行くのですが、ここでの東洋の反応が、ちょ何ソレ待てよみたいな(笑)ハチャメチャな返事で。
 わしゃ天才だから、何をしてもえいがじゃ!…だって。
 はぁ?

 でもこの東洋の話、結構一理あるような気も(笑)。

 「岩崎弥太郎、お主は何を持っている? 坂本龍馬、お主に、何ができる? なんの力もないもんは、黙っておるしか仕方がないがじゃ。 それが世の中ぜよ」

 つまり、ただ話の分かる人間だから頼みに来た、というのでは、子供が 「あの子にいじめられた」 と泣きついて告げ口するのと、同じレベルでしか、ないんですよ。 まずは東洋に対して、弥次郎オヤジ殿のために動けばこんな利益が出る、というところを、龍馬と弥太郎は提示しなければならない。 これは単なる見返り、という類のものではなく、依頼を受ける側が魅力を感じるだけの要因を作れ、ということなのです。 それが大人の世界ってもんなのです。
 だから、弥太郎や龍馬に、何を私に差し出すことができるのだ?私のためにどう働いてくれるのだ?という意味で、東洋はこのふたりに訊いたんですよ(当たってるかなあ?)。

 東洋にソデにされて、結局、奉行所の門に天誅チックな落書きをすることしかできなかった弥太郎でしたが、そのせいで牢屋入りになってしまう。 落書きをしながら弥太郎が龍馬に訊いた 「どうしてわしらの問題にこんなに命をかけて首を突っ込むのか」、という話は、結構ベタだったので、当ブログでは省略!(笑)。 ええっ?ここが今回の話(「弥太郎の涙」)のキモなのに!(笑)
 いや、さっき愛情表現のところで、書いちゃいましたんで(笑)。 結局、それとおんなじような話でした、龍馬が心を動かされて弥太郎のために動いた原因って。

 というわけで、毎回恒例の 「今週の弥太郎伝」 は、弥太郎殿がメインの話だったので、今回はやりません(笑)。 あしからずご了承ください。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿(当記事)
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html

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2010年2月21日 (日)

「樅の木は残った」 伊達騒動の別解釈としては…

 江戸時代になってから60年くらいたった時期に起きた伊達藩のお家騒動を、それまでの定説とは別角度から描いた、という山本周五郎の小説、「樅の木は残った」 を、田村正和サン主演で、テレビ朝日のスペシャルドラマとして放送していました。

 テレ朝のドラマは私、久しぶりです。 草彅クンの出ていた、これもスペシャルドラマだった 「愛と死を見つめて」 以来だったかなー。 どうもなんか、テレ朝のドラマって、肌に合わなくって。 でも今回のドラマは、そんな居心地の悪さを最後まで感じませんでした。 キャストも完璧なように思えたし、すぐれた作品のように思えました。

 ただ、NHKの大河ドラマでもやったことがある作品らしくて、ちょっと2時間余りの単発ドラマよりも、何回かのレギュラードラマとしてやったほうがいいような気もいたしました。 まあ、その割に、コンパクトによくまとまっていた感じも、同時にしたことも確かですが。

 今回、原作も史実も、何も分からない状態で見たのですが。
 その立場で感想を一言で述べれば、物語としては忠臣蔵チックで、劇的に仕上がっているけど、やはり原作の、この伊達騒動についての解釈には、ちょっと無理があるかな、ということ。
 逆に言えば忠臣蔵のように、作り話として見れば、とても面白い。
 でも作り話として見るには、今回のドラマは全体的にとても重厚で難解な作りになっていて、それがかえって、これが史実なんだ、みたいなタカビシャ感(笑)にあふれていました。 それって、ちょっと危険かも。

 話に無理があるかな、と思った理由は、田村サン演じる原田甲斐が、敵をあざむくにはまず味方から、みたいなことをし続けることによって、結果的に多大なる犠牲が伴い過ぎている点。
 これに尽きますね。
 あとからネットで伊達騒動を勉強したのですが、やっぱり原田甲斐が裏切りの末に乱心した、という定説のほうが、説得力がある、って言うか(笑)。

 ドラマとしては、笹野高史サン演じる伊達兵部に通じるために、原田甲斐は兵部の腹心との縁組を組まされたりしているのに、その腹心の妹サンっていう人が、最後まで出てこない。 これも、ずいぶん思い切った物語の切りかたをしているなあ、と思いながら見ていました。
 井上真央チャンの演じた娘サンは、なかなか好演してはいましたが、物語上の必然性を、あまり感じない。 かえって田村サンとの年齢差のほうに、神経が行ってしまう。 原作がそうなのかな?
 真央チャンと樅の木のエピソードと結びつけないと、題名自体の必然性がなくなってしまうし、難しいところではありますが、草笛光子サン演じる甲斐の母親との思い出で、樅の木を結び付けても、よかった気もしますし。

 でも、アレですかね。

 物語として弱いように感じるのは、田村サンが、伊達藩の裏切り者として、ワルモノみたいにちっとも見えてこない、という要因が大きい気も、するんですよ。
 だって、田村サンが真央チャンにやたらと優しくて、真央チャンも田村サンのことを、盲目的に信じまくっているし。 だからドラマを見ている側も、田村サンは絶対悪いヤツじゃない、と思ってしまう。
 でも、田村サンはひょっとして悪いヤツなんじゃないか、と見ている側に思わせなければ、最後のどんでん返し的な展開が生きてこない、そんな気もするんですよ。 …ちょっと考え過ぎですかね。

 どうも物語の結末に釈然としないのは、やはり犠牲が多過ぎた、ということですね。

 それはともかく、なんと言っても、ひたすら、田村サンは、相変わらず、カッコよすぎる。 大ファンのせいで、冷静な分析ができとりませんが(笑)。

 二枚目を貫き通すっていうのは、大変な努力が必要なはずです。
 木村拓哉クンもそうですけど、いい男として一世を風靡すればするほど、年齢とともにとやかく言われるのは、避けられないことなのかもしれない。
 だけど私たちは、その人が二枚目として生き続けなければならない定めというものに、もっと刮目すべきだ、そう私は思うのです。
 そんな田村サンの、年齢を重ねた二枚目としてのありかたを、今回のドラマではあらためて見せてもらった、そんな気がします。

 それにしても、やはり山本周五郎サンの原作ですね。
 なんか、ドラマを見ているあいだじゅう、黒澤明監督の映画を見ているような錯覚に、何度か襲われました。 特に戸谷公人クンと井上真央チャンのやりとりなんかを見ていて、若き日の加山雄三サンを思い出したり。 独特の匂いって、ありますよね、山本周五郎作品は。

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2010年2月20日 (土)

「タモリ倶楽部」 満腹アート展覧会 西岡教授の話は面白い

 2月20日(一部地域除く)「タモリ倶楽部」 は、以前放送された 「絶頂美術」 に引き続き、多摩美術大学の西岡教授を迎えて、見ているだけで満腹になる?食べ物を描いたアートの作品の展覧会。 ちょっとダラダラ長い記事になりますが、美術好きにはたまらない企画なので、失礼してダラダラ書いちゃいます。

 ゲストは鴻上尚史サン、五月女ケイ子サン、勝俣州和サン、進行役は乾貴美子サン。
 前回の絶頂の時、非常に気の利いたコメントが多かったみうらじゅんサンが出てこないのが残念でしたが、みうらサンはやはり食べ物よりエロだろう、と(笑)。 鴻上サンは絶頂の時出たかったらしく、のっけからテンション低め(笑)。 勝俣サンのコメントが、見ていて意外と楽しかったです。

 それにしてもこの、多摩美大の西岡教授。
 美術以外にも、雑学の知識が豊富そうで、なんか、この人の講義を受けたくなってくるほどであります。 多摩美大は私の住んでいるところから一番近くにある大学なのですが、西岡教授、こちらに通っていらっしゃるんでしょうかね。 確か八王子にもキャンパスがあるらしいのですが、どっちなのかな。
 乾サン、西岡教授を紹介したそばから、「なんか、先生、エロいですよね」(笑)タモリサン 「なにが?」(笑)乾サン 「雰囲気が…」(笑)。

 ゲストの前にはただの白いご飯が置かれ(笑)、その絵に食欲をかきたてられればそれを食べる、という、なんとも 「タモリ倶楽部」 らしいビンボー感丸出しの企画で(笑)。

 まず最初の作品は、オシアス・ベールトの 「牡蠣と菓子のある静物」(1610年頃)。

 新じゃがにチーズをかけたような料理が描かれていて、それを見た五月女サン、「(ごはん)食べてもいいですか?(笑)すっごいじゃがいもが好きで…」(笑)。
 タモリサン 「じゃがいもどうやって食べるのが好きなの」
 五月女サン 「マッシュポテトとか」
 タモリサン 「マッシュポテトにはアレ、デミグラスソースっていうのがうまい」
 なんか、タモサンの料理の知識も満載の回になるか、と思いましたが、結局ここだけでしたかね(笑)。

 西岡教授によると、牡蠣はこの時代強制剤として好まれていたらしいです。
 勝俣サン 「ナポレオンはだって、100個ぐらい食ったって言いますもんね! あいつアホですかね!」(笑)

 タモリサン、この絵のグラスがテーブルすれすれにおいてあることに着目。 「こんなギリギリにグラス置くかなあ?」
 西岡教授 「これはね、たぶん、儚い、とか。 ガラスは、割れるんです。 昔はね、意味がないと絵を描いちゃいけなかったんです」 意味のない絵を描いてそうな五月女サン、苦笑い(笑)。

 続いて同じ牡蠣でギュスターヴ・カイユボットの 「牡蠣のある静物」(1880年頃)。

 西岡教授 「これは、印象派ですね。 だから、絵的にはだいぶヘタですね」 鴻上サン 「印象派ってヘタなんですか?」 西岡教授 「ヘタですねー。 ヘタウマの画風」 鴻上サン 「ということは(うまく)描こうとしても描けないんだ」 西岡教授 「描けないです。 断言します」(笑)
 乾サン 「ボトルに何か映っているような気がするんですが」
 タモリサン 「これは背後霊です」(笑)

 題材変わって、ゴーギャンの 「ハム」(1889年)。

 西岡教授 「これはね、西洋絵画では珍しく、影がない。 浮世絵の影響なんです。 ただね、色べた(一様に、平面的に遠近感なく塗る、ってことですかね)っいうのはヨーロッパでは塗れないんです。 コレ浮世絵だと平気で後ろを黄色でやりますけど、ゴーギャンやっぱり(ベタ塗りが)怖いですからね、ちょっと影ができる」
 鴻上サン 「なんで怖いんです?」
 西岡教授 「ともかく真空が怖いんです、ヨーロッパの人ってね。 あの、無とか、思想がないでしょ。 無、っていうのは彼らにとって死ですから」
 勝俣サン 「これ怖いと思いながら描いてるんですか」
 西岡教授 「これ筆が怖がってるの分かりますよ(笑)。 皿の下の影とか泣きが入っている(笑)アレ消すのどうしようかなって」(笑)

 次は、ウィレム・クラース・ヘーダの 「静物」(1651年)。 ベールトもそうでしたが、私この人自体、知りませんでした。 1600年代の絵って、結構知られていない優れた作品が、まだまだありそうな気がします。
 グラスや鉄器の描き分けがうまく、ハムのナイフで切ったあとも写実的に描いている、という西岡教授の高評価。
 鴻上サンは、絵に描かれていたオリーブで高評価(笑)。 「オリーブ、酸っぱいじゃないですか」。 オリーブでごはん食べる人って…(笑)。

 ハムでもう一発、マネの 「ハム」(1875年)。 いかにもまずそうなハムで、皆サンの評価も芳しくない(笑)。 マネの絵って、印象派のなかでももっとも初期の世代に属する絵で、前期印象派とも分類されるんですが、印象派の枠に入るまでは、とてものっぺりとした塗りかたをする人で、あまり上手な人だったとは言えない。 どことなく後発の画家たちに祭り上げられちゃった感のある人(笑)。

 西岡教授 「この人は(サロンで)よく落ちてたんです。 それで、たまたま絶賛されたらそれ、モネの絵だった(笑)。 あの、スペルが1字違いなんですよ」
 勝俣サン 「アホばっかりですねー!」(笑)

 ここで五月女サンに、ハムの絵を描かせる展開に。
 この絵、イケメンがハムの大きな塊を殴っている、という、映画 「ロッキー」 を思わせるワケの分からない絵で(笑)。

 ところがそれを見た西岡教授、五月女サンのご両親の性格を見事に言い当ててしまう(笑)。
 肉を殴っているイケメンが、理想の父親像(笑)、その顔がユニセックスだから、ホントに殴れるのはお母さんのほうだ、と(笑)。
 西岡教授 「男の痴漢に遭ったりすると、そういうユニセックス願望…コレぼくのことですけどね」
 タモリサン 「子供のころに痴漢に遭ったんですか!」
 西岡教授 「しょっちゅう遭ってましたよ、ハタチぐらいまではね」
 それを聞いてごはんを食べ出すみなさん(笑)。
 タモリサン 「それはオカズじゃないだろ!」(笑) なんか、このダブルミーニング(笑)。 さすがタモリサンであります。

 そして次は、同じマネで、「一本のアスパラガス」(1880年)。

 これはマネが先に描いた 「一束のアスパラガス」 のギャラが多かったので、オマケに描いた絵らしいです。 西岡教授によると、「一本」 のほうが筆が活き活きとしている、との評価。 しっかしこんな、どーでもいいような絵があるとは、知りませんでした(笑)。 なにが面白くて、アスパラの絵なんか描かせたんでしょうか、その依頼主も(笑)。
 どのくらいのギャラだったのか、という話になって、「(2、30万より)もうちょっと安かったかもしれませんね、印象派の絵は安かったからですからね」 と言う西岡教授に、五月女サン 「印象派結構、バカにしてます?」(笑)。
 まあ、現在では最も日本人に好まれる流派なんですけどね、当時はけっして主流派ではなかったですからね、印象派って。

 そして日本人画家、高橋由一の 「鮭」(1877年)。 年代見て、これって印象派がメジャーになる以前に描かれていたんだ、とちょっと驚きました。 当時の西洋画の主流は、全体的に暗い色調だったのに、この絵は結構明るい。
 なんで当時の西洋画が暗かったのか、というと、ルネサンス期の絵なんかが教会にあるケースが多かったんですが、それがロウソクのすすでセピア色に変色してしまったものを、当時の画家たちがお手本にしてしまっていたせいで(だったと何かで読んだ気がするのですが…)。 でも日本洋画家のもっとも初期に位置する高橋由一などは、その余計なフィルターが、なかったんですね。 素直な写実に、徹しています。

 もう一枚、高橋由一の 「豆腐」(1877年)には、タモリサンも 「初めて食欲わいたよ」 とご飯を食べ出す(笑)。 「油揚げ焼いてショウガと醤油とネギを」 と、あ、ここで2度目のタモサンのうんちく、入りました。 オーソドックスですけど(笑)。 ああ~、いいな~、酒の肴に(笑)。

 西岡教授、油揚げの質感が出ていない原因を、ハイライト(白い点)を入れる、という発想が日本の絵にはなかったことを挙げて。 焼き豆腐のほうはその逆(白いところに黒い点を入れる)なので、質感が出ておいしそうに見える、という解釈。 いちいち納得できるんだよなー、西岡教授の解説。

 そしてベラスケス。 「卵を料理する老婆と少年」(1618年)。

 この絵にセリフをつけるとどうなるんですか、という乾サンのムチャブリに(笑)、鴻上サン、「ばあちゃん、別れようと思ってんねん」(笑)。
 この絵を見て食欲がわくかどうか、という話になって、皆さんあまりわかない様子。 勝俣サン 「食堂で作ってる人が暗いと食う気しないから」(笑)

 西岡教授 「あの(絵の中のばあちゃんが)卵を持ってる力の入れ具合が絶品ですね…(匙を持っている)右手はちょっと、技に流れてますね(笑)。 表情がつきすぎなんです…あの、ゴルゴ13が新聞読んでいるみたいな(笑)」 分かるなあ~、いちいち、なんとなく(笑)。

 最後は、ヤン・ダヴィス・ヘームの 「果物飾りのあるヴァニタス」(1653年)。 なんか、1600年代のヨーロッパ作品が多いですね。 もしかして、西岡教授のご専門なんでしょうか。
 絵にハエを描くことを、その画家の技術の見せびらかしだったという西岡教授の話も、とても興味深くて。 勝俣サンはアメンボだったらもっとすごいとか、なかなかナイス突っ込みでした。

 大賞は、高橋由一の 「鮭」 に、同じハウフルズ制作の 「チューボーですよ!」 に倣って?、勝俣サン 「星3つです!」。 タモリサン 「やっぱり…なんか洋食、好きじゃないからねェ」(笑)。

 教養とギャグが入り混じったこの 「美術展」 企画は、「タモリ倶楽部」 の中でも特に内容が濃いような気がいたします。 また西岡教授のお話が、聞きたいですね。 続編希望! あ、続編やるなら、「絶頂派美術」 の第2弾を、やってほしいですね(笑)。

 ダラダラと長い記事をお読みくださり、ありがとうございました。

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2010年2月19日 (金)

「不毛地帯」 第16回 壹岐ブチ切れの背景にあるもの

 石油開発で日本石油公社と巨大商事たちを相手取って戦うことになった、近畿商事。
 その圧力は佐藤栄作や田中角栄も巻き込んで、マスコミによる意図的な情報操作、豚肉輸入など近畿商事の別部門への霞が関の介入など、日本中がこぞって近畿商事叩きに狂奔する様相に。

 ただしこんな時に冷静に真実を見極めようとする男、田原(阿部サダヲサン)。 これまで何かと壹岐(唐沢寿明サン)にとっては煙たい男でしたが、なんとなく頼もしく見えてきました。 ただスクープを取りに行こうとする新聞記者だったのに、田原の成長ぶりにも今後注目せざるを得ません。

 こんな四面楚歌の中、壹岐の前に、またまた姿を現した、このドラマでの第2の怪人、小出(松重豊サン)…イーッ!(あっ、スイマセン、ショッカーの声でした)。 あ、ちなみに第1の怪人は、鮫島(遠藤憲一サン)です(笑)。
 この小出サン、今回ちょっと抑え気味ではありましたが、相変わらず、不気味だなあ…。 娘の多部未華子チャンと孫の太クンのことまで監視しているような雰囲気、壹岐にとってはどこまでも油断のならない男です。
 なんか、いるんですよね、こういう、エライ人に薄気味悪くまとわりついて、精神的な揺さぶりをかけたり、金をむしり取ろうとしたりしてくる、人間のクズみたいなヤツって。 松重サン、そういう人の雰囲気を、十二分に出しているような気がします。 迫真です。

 この小出、なんだか総会屋とつながっているみたいなんですが、何やってんですかね、一体。 ホント、ワケの分からない不気味さですよね。
 で、その小出の紹介で壹岐が対面した、総会屋のコワイ顔した人(梅野泰靖サン)。
 なかなか顔を見せない演出で、どんな人かと思ったら、私不勉強なことに、この人知りませんでした。
 その人を怒らせてしまって、事態はますます近畿商事に不利になってくる。

 そんな中、近畿商事を去ることになった第3の怪人(笑)、里井副社長(岸部一徳サン)は、ここぞとばかり大門社長(原田芳雄サン)に最後っ屁(笑)。 「今に壹岐に社長の座を追い落とされますよ」 って。 ひきつる大門社長(笑)。
 でも、里井サン、会社がこんなになってザマアミロでもなく、オシリペンペンでもなく、ただひたすら会社の行く末を案じる商社マンを全うしていましたよね。 さすがです。
 確かに、里井サンにも社長の椅子への確執はあったんでしょうが、男たるもの社長を目指さんでどうする!という価値観が大手を振るっていた時代ですからね。 これでこのドラマからも退場、というのは、とても惜しい気がいたします。

 そして石油開発の落札価格を探るために、またぞろ紅子(天海祐希サン)に取り入ってキーパーソンとのコンタクトに必要な条件を整える、壹岐。
 今回は紅子も割り切っていて、自分が新しく立ち上げる商売の後ろ盾をしてもらうことを交換条件に、壹岐の申し出を受け入れたんですが、やっぱりここらへんのギヴアンドテイクを盛り込まないと、話に真実味が生まれてこない気がします。

 だからこそ、兵頭(竹野内豊サン)がそのキーパーソンに会いに行く場面に、とても緊迫感を生み出す伏線となってくる。 前回のように、何もかもおぜん立てされたようなオリオン・オイルのリーガン会長との会見のようなイージーさがないからです。 見ごたえあったなあ、ドクター・フォルシに兵頭が結局門前払いを食らったシーン。 そして映画館での、「ヒマワリの種」 のコンタクト。 いやー、面白かったです、ここらへん。 竹野内サンの必死さが、ようやく私にもビンビン伝わってくる気がしました。 こういう、困難な問題にガッツで立ち向かう役って、竹野内サンに、ホントに合ってるよなー。

 そして兵頭がようやく落札価格判明の糸口を見つけて帰国し、壹岐に持ってきた成果が、モスクワで話をする、というドクター・フォルシの伝言。

 これに対してやおら、表情を曇らせる壹岐。

 モスクワ行きを、頑強に拒むんですよ。 反発する兵頭に、このドラマ始まって以来(笑)とも思える大声を張り上げて。

 「生意気な口を叩くなっっ! 君には、極北の流刑地で囚人番号を押され、地下数十メートルの暗黒の坑内でつるはしを持ち、11年間も重労働を強いられた人間の苦しみが分かるかぁぁーっ!」

 ちょっと今までの展開から言うと、ソ連に行きたくないのは分かるけど、なんでそこまでブチ切れまくらにゃいかんのだ?(笑)という気にもなってきます。
 平和的に石油を獲得する、という、自分の人生の総決算とも思える事業なんじゃないですか。
 結局、壹岐はモスクワに行くことに、なるわけですけどね。

 でもこの時の壹岐の心情は、現在の社会的、世界的な情勢から考えるから、分かりにくくなるんじゃないかな、という気もしたんです。
 1970年あたりの、日本人のソ連に対する感情は、現在のロシアに対する国民感情と比較して、相当違っていた気がするんですよ。

 当時は、シベリア抑留から帰国した人々が左翼思想に染まっていた、という一面的事実が独り歩きをして、ドラマの中でも壹岐なんかはちっともその気がないのにソ連のスパイ呼ばわりされているほどだし、ソ連という国は、言論も統制され、真実が全く伝わってこない、とても怖い国だという認識で、日本人のソ連に対する意識は一致していた気がするのです。
 私も、ソ連という国は、人間が住んでいるのではなく、人間の顔をした思想が住んでいるのではないか、などと考えていた時期があります(チュウボウの頃ですけどね)。 マルクス=レーニンのシチめんどくさい思想にがんじがらめに縛られている国。

 兵頭が壹岐の頑強な姿勢に反発するのは、中東を中心に世界を飛び回っていた兵頭がいつの間にか身につけていた、国際感覚のなせる技だった。 兵頭も元軍人ですが、彼が身につけた国際感覚の前には、昔からの悪感情なんかちっとも問題じゃない、そう思えてしまうんでしょうね。

 そして壹岐がこれほどまでにブチ切れまくってソ連行きを頑強に拒むのは、当時の日本人全体の、ソ連に対する悪感情の代表として、壹岐が自分のことを捉えていたためだった、そう推測することができるのです。 そりゃ、自分(たち)がいちばんソ連にひどい目に遭ったんですからね。

 いずれにせよ、壹岐は自分の人生の原点でもあるソ連の地に、ふたたび足を入れることになった。 これは物語の体裁として、とても見事な構築のされかただと感じます。 エンディングで背広姿のまま極寒の収容所にたたずむ壹岐の姿が、ここで急に意味を持ってきたような気が、するのです。

当ブログ 「不毛地帯」 に関する記事
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-6a81.html
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/1-05a5.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/2-w-070f.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/3-4bae.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/4-9755.html
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/5-abb7.html
第6回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/6-d4bd.html
第7回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/7-8677.html
第8回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/8-4f4a.html
第9回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/9-cdc5.html
第10回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/10-183b.html
第11回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/11-0587.html
第12回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/12-68a7.html
第13回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/13-2599.html
第14回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/14-4fa8.html
第15回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/15-d4df.html
第16回 (当記事)
第17回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/17-2-6e30.html
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-b645.html
第18回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/18-5177.html
第19回(最終回) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-7b99.html

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2010年2月18日 (木)

藤田まことサン死去

 このところ、どうも訃報が続きますね。

 藤田まことサンを知ったのは、「必殺」 シリーズより先に、「てなもんや三度笠」 でした。 私どもの年代で言うと、リアルタイムでは見られるはずもないのですが、「あたり前田のクラッカー」 というギャグを、いろんなところから見知っていたんですね。
 ごくガキンチョのころ、「そんなのあたり前田のクラッカー」 などと言って、「オマエなんでそんな古い言葉知ってるの?」 と親から言われ、悦に入っていた覚えがあります(笑)。 実際にその「前田のクラッカー」 を食べたときは、なんか子供ながらも、エライ感動して(笑)。

 だから 「必殺」 にご出演されていた藤田サンも、この人もともとコメディアンなんだよなー、などと知ったかぶって見ていた(笑)。 こまっしゃくれたガキでしたねー(笑)。
 まあ、そのせいか、藤田サンの演技には、いつも拭いきれないコメディの匂いを、常に感じていたものです。
 実際、シリアスな殺人ドラマである 「必殺」 での菅井きんサンとのやりとりは、完全にコメディだったんですけどね。
 その落差が、このドラマの生命線だった気がします。

 ただ、リアルタイムでの 「てなもんや」 フォロワーでないにもかかわらず、私はいつも、藤田サンにもう一度本格的なコメディをやってほしいな、と思っていました。 藤田サンもどこかにゲストに出ると決まってそのことを質問され、自分はコメディアンとしてはやっていけないからやめたんです、みたいなことを言っていたことを、思い出します。

 私の見るドラマのカテゴリーに、なかなか入ってこないため、藤田サンの最近の演技にはご無沙汰しておりましたが、「JIN」 にお出になる、と聞いていたので、ひそかに楽しみにしておったのです。
 それがご病気で、中村敦夫サンに交代。
 実際中村サンの出番を見てみると、そんなに出ずっぱりではありませんでした。 これだけの出番にも出ることができないなんて、どんなに重い病気なのかな、と思っていたのですが。

 いい役者サンが、どんどん亡くなってしまいますね。 なんか、日本がどんどんつまらなくなるような気がするなあー。 残念でなりません。

 ご冥福を、お祈り申し上げます。

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「曲げられない女」 第6回 失敗する、ということ

 主要人物が、自分の人生の根本問題といやがおうでも向き合わざるを得ない展開になっていくにしたがって、結構性格描写の甘さが露呈しているように見えてきた、「曲げられない女」。
 いや、のっけから厳しい書きかたで、ドラマを見て感動しているかたには申し訳ないんですが。 まずほめる前に、気になる点を書こうかな、と思います。

 主演の、菅野美穂チャンについては、作る側はかなり深いところまで突っ込んで、彼女の葛藤を考え抜いているように思えるんですよ。 だから、突っ張りながら生きている彼女の悲しみとか、苦しさなんかが、とても共感できる。

 だけど、彼女を取り巻く永作チャンや、谷原サンが持っている、彼ら自身の人生の根本的な葛藤が、ちょっと見る側を納得させるほどに作り切れていない、そんな気がするんです。

 前回、永作チャンが、結局自分の子供たちをむこうのダンナとバアバに取られて、見送る時も、なんとなくそんなことを考えました。
 確かその時、「悲しい顔をするのがシャクだから、笑って見送るの」 みたいなことを言いながら、半泣きの笑顔で永作チャンは子供たちを見送ったのですが。
 本当はここでグッとくるシーンだったんだろうけど、いまひとつ、永作チャンの悲しみに、のめり込めなくて。

 今回の、谷原サンが美穂チャンからブチ切れ激励されて(笑)泣いてしまうところも、いやー、なんか、泣かないでもらいたかった、と言うか。

 つまり、それまでの谷原サンの、このドラマでの性格としては、確かにお飾りの警察署長だったかもしれないけれど、美穂チャンに対してはとてもまっすぐにぶつかっていく男だったし、塚本高史クンのちょっとズルイところにも敏感に反応して、ちょっと言い過ぎなんじゃ?と思うようなこともずけずけ言うような男だったし。
 谷原サンが心の傷にしている、高校時代につき合った女の子に言われたという 「見かけ倒し」 という言葉。 でも谷原サンが、そんな見かけ倒しには、とても思えないんですよ。
 こんなニヒルで面白い仮面をかぶっている男に、簡単に泣いてもらいたくない、しかも美穂チャンとふたりきりならまだしも、永作チャンもいる前で、…そんな気がするんです。

 谷原サンの警察署長としてのやる気を、根こそぎ削ぐような事件が、今回はドラマのウラで進行します。
 それは、桶川ストーカー事件を想起させるような展開で、最終的には最悪の結末に至ることなく解決を見たのですが、この一連の流れで警察に何の落ち度もなかったということにしてくれ、と仲本工事サン(あっ違うか、あの側近の人)から言われ、組織を守ることが最優先の警察署長としての立場に、谷原サンは心から失望する。

 この、谷原サンが忸怩たる思いに陥るまでに、もうちょっと彼自身の 「お飾り人形」 的な扱われ方に対するアクションが、あってもいいような気がしたんですけどね。
 それまでいつも側近からいいようにあしらわれて、ごまかし笑いでやり過ごしていただけ、だったんですからね。
 笑いながらその裏でゴミ箱でも蹴っぽるとか、もっと谷原サンがそれに対して相当頭に来てるというところを、さりげなく見せてくれたら、もっと見る側は谷原サンに感情移入できたかも、しれません。

 側近のメガネの人が、谷原サンが辞める時に 「黙って言われたとおりにしてりゃ後生楽だろーが」 みたいに怒るのも、いかにもトートツ。 これも彼が谷原サンに対してどう思っているか、みたいな部分をどこかで挿入していれば、トートツには思えなかった気がします。

 まあ、ちょっとキツイことを書きましたが、話の流れ的には、面白かったと思います。

 最初マンションのメーワク大学生をたしなめる時、谷原サンは自分が警察であることをひけらかし、次にストーカーの件で自分の仕事に根本的な迷いが出ている時、今度は道端で酔っ払いに絡まれて、自分が警察であることをひけらかすのを拒絶する。
 この、谷原サンの行動の逆転現象。
 うまいコントラストだったと思います。

 そして何より、今回の 「曲げられない女」 美穂チャンのブチ切れセリフは、毎度のことではありますが、また見る側にもグサグサ突き刺さってくるような鋭さで(笑)。

 「私たちが本当に戦わなきゃいけないのは、そういう弱い自分となんじゃないのっ?(略)私だって、なんで9年も司法試験に落ちたのかまだ分かんないし!…でも、将来のことを不安に思ってくよくよ悩んでも何にも生まれないじゃない! 私たちに今できることをやるしかないよ……いいじゃない、少々失敗したって! 『失敗』 って、失って敗れるって書くけど、別に何も失わないし、負けたわけじゃないんだから!」

 しかもこのセリフ、夏木マリサンの本からの引用だと、美穂チャン 「正確に」 断っておりました(笑)。

 私はでも、こういうセリフを、30超えた美穂チャンが熱く語っていることに、とても共感するのです。

 普通、こういうセリフは、まだ年齢的にも若い人が語るほうが似合うような気がします。
 よく言われますよね、「失敗は若いうちにたくさんしておけ」 って。
 つまりこれって、年を取ったらもう失敗したら取り返しがつかないんだ、という意味でも、あるんですよね。
 だけど、そうなんでしょうか。
 確かに年をとればとるほど、いろんなしがらみが増えていって、失敗することなど許されなくなる気がします。
 でも、人間、裸一貫でやり直すことなど、どんなに年を取ろうが、出来るんじゃないのか。
 要は、今できることをやるしかない、そう自分が思えるかどうか、なんじゃないのか。

 人生、どこまで行ったって、失敗はつきものだと思うんですよ。 肝心なのは、そこからどうやって這いずり出るか、じゃないのかな。 絶望に負けることが、人生にとっての最大の悲劇なような気が、するんですよ。

 やー、また説教臭くなってしまいました。

 ところでいきなりぶっ倒れたり、「気分が悪い…」 とか話してたり、どこが悪いのかと思っていた美穂チャン。
 今回のマイケルの曲も、なんで 「ビリー・ジーン」 なんだ?と思っていたら、いきなり健診で 「妊娠してます」。 これのヒントだったんですねー。 「ビリー・ジーン」 って、子供を孕ませる話ですからね。 どうも塚本クンが孕ませたみたいなんですが(笑)、「ビリー・ジーン」 の歌みたいに、「あの子はぼくの子じゃない」 なんてことは、予告編では言ってなかったみたいです。

当ブログ 「曲げられない女」 に関する記事
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-83d0.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-5eb9.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-a3aa.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/4-1d07.html
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/5-d241.html
第6回 (当記事)
第7回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-3fa8.html
第8回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/8-05a5.html
第9回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/9-5d02.html
第10回(最終回) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-2386.html

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2010年2月17日 (水)

アビイ・ロード・スタジオが売却…、何考えとんのじゃ!

【ロンドン共同】 経営難の英音楽大手EMIグループは、ビートルズのアルバム名で知られ、多くの著名アーティストの作品を生んだロンドン市内の 「アビイ・ロード・スタジオ」 の売却を決め、入札の募集を始めた。 16日付英紙フィナンシャル・タイムズが報じた。 スタジオは数千万ポンドの値が付く可能性もあるという。 ブランド価値の高い 「アビイ・ロード」 の名称も含めて売却するのかどうかは不明。

 という、ビートルズファンにとってはかなりショッキングなニュースが、飛び込んできました。

 詳細が分からずこのことを論じるのは少し危険ですが、プライドってもんがないんでしょうか、EMIは。 ちょっと憤りを感じます。 改装工事をしていたのは、売るためだったんですか!

 ナショナル・トラストにでも寄贈して、歴史的な建物として保存すればよろしいんじゃないでしょうかね、こんな屈辱的なことをするくらいなら。

 もはや文化的遺産のレベルまで、達してると思うんですよ、アビイ・ロード・スタジオって。

 EMIって、自分たちの持っている財産の価値が、ホントーに分かってないですよね。 それを売っぱらう、という発想自体が、誤っている気がするんです。 社員の生活のほうが、文化の継承より、よっぽど大事なんでしょうね。 あーあ。

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2010年2月16日 (火)

「ザ・ナック」 リードヴォーカルのダグ・ファイガーさん死去

 ナックのリード・ヴォーカルだったダグ・ファイガーサンが、肺がんのため亡くなったそうです(2月14日)。 享年57歳。

 ナックと言えば、私どもの年代で言えば、「マイ・シャローナ」(1979年)。 と言うか、これしかヒットしなかったんですが。 つまり、一発屋。
 だけどその一発が、とてつもないインパクトがあった気がします。
 なにしろあの時代に、60年代のロックンロールをよみがえらせたんですからね。
 それゆえに、「ビートルズの再来」 とまで言われていて、確かレコード会社もビートルズと同じEMIだったと思いますが、やたらとこの決まり文句が喧伝されていたような気がします。
 最初のアルバム 「ゲット・ザ・ナック」 も、そんなレコード会社の思惑プンプンの、まるで 「ウィズ・ザ・ビートルズ」 みたいな雰囲気のジャケット写真。

 当時私は14歳でしたから、ビートルズの再来と喧伝されるナックに対抗意識を勝手に燃やすなんてこともなく(笑)、そんな売り込みをするEMIのやりかたのほうが、気に入りませんでした。
 だけど、曲はいいですからね。 「マイ・シャローナ」 は結構頻繁に聴いていた気がします。 あと、「セルフィッシュ」 とか、FMでエア・チェックしたり。 いい意味で、頭の回線が飛んだ曲作りをする人たちだなあ、と思っていました。
 ただビートルズの再来なんて、ナックが 「サージェント・ペパーズ」 を作り出せそうな才能のある人たちには、とても見えなかったことも、事実です。

 今にして思えば、ビートルズの後継者なんてのは、つくづく罪作りな売りかただと思います。
 特に70年代は、新しいグループが出てくると、なにかって言えばビートルズと比較されて。 70年代中ごろでしたか、何かの音楽雑誌で、当時人気のあったグループを、ビートルズのどの時代のカテゴリーに入るか分類する、なんて企画があったことを、覚えています。 確かベイ・シティ・ローラーズがビートルズ中期(初期のエッセンスも少し)、それからクイーンが、ビートルズ後期でしたか。

 つまり、50年代がエルヴィスで、60年代がビートルズだったため、70年代を代表するミュージシャンを、時代が要請していたんでしょうね。 それに、ビートルズのインパクトを超えるミュージシャンが、簡単に出てくるだろう、みたいな軽い観測もされていたと、思うんですよ。
 けれども、そう簡単にはいかなかった。

 もうちょっと賢い売りかたをしていれば、ナックも一発屋なんかで終わらなかったんじゃないでしょうか。 分かりませんけど。
 いずれにせよ、ダグさんのご冥福を、お祈りいたします。

 ママママイー、シャローナ! 聴きたくなってきた。

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ギター弾きから考える 「ブラックバード」

 ポール・マッカートニーが 「ホワイト・アルバム」 で世に出した 「ブラックバード」 という曲は、さまざまな意味で驚異的だ。

 ビートルズ以外の音楽には疎いので、ポールがこのギタープレイをどこから参考にしたのかは分からない。 ただ考えられるのは、この曲の、ベース部分が半音または一音ずつ上がって行ったり下がって行ったりする構造が、「レディ・マドンナ」 のピアノプレイに、とてもよく似ている、という点だ。

 そもそもこの 「レディ・マドンナ」 も、「バッド・ペニー・ブルース」 というジャズの曲を参考にしたという話だから、「ブラックバード」 がこのピアノプレイをギターに置換えようとした、ということも、少しは考えられる。

 ただポールに限らず、ミュージシャン全体に言えることなのだが(笑)、ドレミファソラシドドシラソファミレドみたいなベースランニングは、とても好まれる傾向にある。
 ポールの場合それが特に顕著で、ビートルズ時代はとりわけ多い。

 一例を挙げれば、「オール・マイ・ラヴィング」「フォー・ノー・ワン」「ハロー・グッドバイ」「マーサ・マイ・ディア」 といったところだが、「オール・マイ・ラヴィング」 などという、ごくごく初期の段階から、このようなクラシック的手法を体得していたポールには、つくづく驚かされる。 おそらくそれは、ジャズミュージシャンであった父親の影響が、少なからず絡んでいるのだろう。

 「ブラックバード」 の奏法は、コードGを基調にして、おもに5、6弦をベースランニング、1、2弦をメロディ部分として展開し、3、4弦は全く指を押さえない、解放されたままの状態で鳴らし続ける構造だ。
 まずこの発想自体に、驚かされる。
 この方法で歌を歌い続けると、どうしてもちょっとしっくりいかない部分も出てくる。 不協和音、と言うか。
 だがそれを、ポールはハチャメチャなゴリ押しで押し通してしまうのだ(笑)。
 そしてそのしっくりいかない部分を、「ブラックバード」 独特の味、として昇華させてしまっている。
 ビートルズマジックの最深淵部、とも考えられるほどの凄さだ。
 どこからこういう発想が生まれてくるのだろう。

 私がこの曲を弾き語りしていて、特に歌いづらいなあ、と感じるのは、サビの 「ブラックバード、フライ」 の部分。 けれども、ここをゴリ押しして歌いきった時のカイカンは、ちょっと表現不能(笑)。

 私がこの曲を弾けるようになったのは、1978年発行の 「ザ・ビートルズ・サウンド」 という分厚い本の中に載っていた、タブ譜によってである。 この曲を初めて弾けるようになった時の感動は、「スカボロー・フェア」 が弾けるようになったときと双璧の、形容できないほどの大感動だった。 なんか、知ってる人みんなに教えたくなるような感動(笑)。 ああいうのは、あれ以来、味わってないなあ。
 で、長年その弾きかたでこの曲を弾いていたのだが、2002年のポールの東京ドームでの公演で実際にこの曲の弾き語りを見た時に、「アレ?オレのやってるのと、だいぶ弾きかたが違うぞ?」 と気付いた(遅い…)。

 「ザ・ビートルズ・サウンド」 のコピーは、結構運指がせわしなく上下している構造だ。
 でも、ポールがその時弾いていたのは、ベースがだんだん上がったり下がったりしていくポジショニングに、わりと忠実な押さえ方。
 これを実際弾いてみると(1回見ただけの、うろ覚えと推測が混じった弾き方なんですが)、長年弾いていたせいもあるかもしれないが、「ビートルズ・サウンド」 の押さえかたのほうが、押さえている部分をいちいち見なくても、位置を容易に把握できる気がする。
 ポールの弾きかただと、結構メロディ部分の押さえ方に、気を配らなくてはならないのだ。 半音押さえ間違いがあったり、あれから7年、自分はその方法で弾いているけど、未だに結構よく間違える。 だけどポールがこの方法で弾いているんだから、これでやんなきゃなあ。

 だがここから見えてくるのは、ポールがとりわけ複雑なものに、この曲を仕上げようとしていなかった、ということなのだ。

 ポールが考えていたのは、当初から、3、4弦解放、あとはクリシェのベースランニング、それとメロディ、ということが、基本概念のような気がする。 ベースの上がり下がりに基本的に忠実な運指の仕方は、ポールが弾きやすさ、弦の押さえやすさを優先に考えていたわけではないことを、物語っているのだ。

 それにしてもやはり何と言っても驚異的なのは、「ビートルズ・サウンド」 にも書いていた覚えがあるが、それまでアコギをつま弾くような奏法がほとんど見られなかったビートルズが、「ホワイト・アルバム」 でいきなりアコギの名曲を量産したこと。 しかも 「ブラックバード」 は、その奏法が、およそサイモン&ガーファンクルとかドノヴァンとか、どのカテゴリーにも入らないような、独特な奏法。 これには、ポールの頭の中を見てみたくなるような衝動すら覚えるほどだ(笑)。

 「ブラックバード」 の歌詞の部分にも、ちょっと言及しなくてはならない。

 ポールは後年、この曲は黒人解放運動に誘発されたもののように語ることが多いのだが、私がガキンチョのころからずいぶん長いこと、この曲と黒人との関連性を指摘していたものは、皆無だった気がする。 なんだかポールの後出しジャンケンを見ているような気もしてならないのであるが(笑)、この曲が録音される半年ほど前には、マーティン・ルーサー・キングが暗殺されていたりもするし、その後ビートルズ初のサポートメンバーとして加入するビリー・プレストンも黒人だったり(つまりその当時から既に、イギリス社会にも黒人が根付いていた、ということ)と、その素地みたいなものはじゅうぶん整っていたように思えるのも、事実だ。

 ただポールがライヴにおいて、この曲をレコード(CD)通りになかなか歌わないのは、結構不満だったりする(笑)。
 つまり、3番は本来1番の繰り返しなのだが、それをライヴでは2番の繰り返しにしているのだ。
 その結果、ポールが歌うこの曲の最後の文句が、「トゥ・アライズ」 ではなくて 「トゥ・ビー・フリー」 になってしまう。
 なんか、どうも収まりが悪い(笑)。 「自由」 を強調することで、黒人解放を謳っているのだろうが。

 最後に、この曲を弾き語りしていて、私がいちばん難しい、と思える箇所。

 とどめの一発(笑)。 いちばん最後の、まるで突き放したような、アタックの効いたあの締めが、なかなかできないのだ。 一瞬ミュート気味に(弦を、弾くほうの手のひらの一部分で押さえた状態で弾くこと)すると、うまくいく感じがするのだが。
 なにしろ、曲のいちばん最後であれがなかなかうまくいかないため、弾き切っても、達成感を感じることが、あまりない(笑)。
 口笛で、ブラックバード(ツグミ)の効果音マネまで、しとるんですが(笑)。

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「Love Story」 なんであんなに、夢中になって見ていたんだろう?

 中山美穂チャン・豊川悦司サン主演、2001年TBS日曜劇場のひとつだった、「Love Story」 が、関東圏で昨日(2月15日)から再放送され始めました。 最近 「サヨナライツカ」 で中山美穂チャンが復帰したので、その関係での再放送かな、という気もします。

 当時、結構このドラマにハマってました。 なので、ちょっとコレクションに加えようかと思って、この再放送を録画しました。
 で、第1回目を見たんですが。
 なんか、こんなわざとらしい話だったっけなー?という気がしてなりませんでした(笑)。

 まず、登場人物たちの性格描写が、とても稚拙に思える。
 特にこれは、中山美穂チャン演じる須藤美咲に顕著なのですが、先回りして、言わなくてもいいようなことを、あまりにもしゃべりすぎる。 どんだけ我慢できないのこのコ?(笑)という感じに見えるのです。
 彼女は雑誌の契約編集者なのですが、約2年間、新作を書くことのできないかつての売れっ子作家、豊川悦司サンの担当に、いわばていよくまわされる。 彼女にとってそれは、クビがかかった背水の陣の仕事のはずなんですが、出会ったそうそう、気難しいので有名な豊川サンにずけずけとものを言うし、聞かれてもいない自分の事情をべらべら話すし、気まずい雰囲気を勝手に察して、そそくさと帰ってしまうし。
 そして豊川サンは、そんな彼女のヘンなところが妙に気になって、だんだんと好きになっていく、という話だったんですが。
 豊川サンにしても、勝手に結論を先回りして、勝手に不機嫌になったりしている。

 そのほかにも、豊川サンのマンションのはす向かいに住んでいる香取慎吾クンも、その香取クンに引っかかった女のコ役の優香チャンも、なぜだかみんな、先回りして、言わなくてもいいことをべらべらしゃべりすぎる。

 要するに、コミュニケーションの取りかたが、皆さんとても、幼稚なんですよ。 その結果、とてもわざとらしいドラマのように思えてくる。
 けれどもこれをリアルタイムで見ていた当時は、全くそれが気になりませんでした。

 なぜなんだろう。

 まず、このドラマの脚本家が北川悦吏子サンであったこと。
 この人の 「愛していると言ってくれ」(1995年)には、やはりシビレまくっていました。 豊川悦司サンが耳の聞こえない人の役で、常盤貴子サンがその相手役。 豊川サンはこのドラマ以来、私の結構お気に入りの俳優サンになっていて、この人と北川サンが再び組んだことで、過度な期待をしていた、という面がありました。
 だいたいこのドラマ、ラヴコメディ、という触れ込みだったので、あのクールなトヨエツのコメディ、見てみたい!という興味があったことも否定できません。 いまじゃ豊川サン、すっかりお笑いが板についちゃってますが…(でもないか、コマーシャルだけか…笑)。

 それから、やはり少女の時からずっと出演したドラマを(全部ではないですけど)見続けてきた中山美穂チャンが当時30を超えて、そのトヨエツとラヴ・ストーリーを演じる、ということに、当時とても興味が持てた、という点。

 つまり、自分が、この主演のふたりをとても好きだったから、そのふたりが結ばれるところを見たかった、と。 かなりミーハーチックな原因でした(笑)。 スピッツの歌う主題歌 「遥か」 もよかったし。 スピッツって、いまどうしちゃってるんですかね? いい歌、多かったよなー。

 けれどもまあ、そのわざとらしさを除けば、話の展開としては、本音を言わずにはおれない美穂チャンの、先回りしすぎるその様子に可愛さを感じるし、いっぽう、売れっ子作家として傲岸不遜にふるまっていた豊川サンが、ほかの編集者ならおべっかで済ませるところを本音でグサグサついてくる美穂チャンに深く傷つく様子が可笑しく、彼がそんな彼女に惹かれていく様子に、共感したりもするのです。

 このドラマを毎回見終わるたびに、切なさに包まれたことを思い出します。
 それは当時すでにときめきをなくしていた、自分自身の、恋愛感情というものに対する、やるせない気持ちのせいだったかも、知れないのです。

 それにしても、このドラマで豊川サンのおばあちゃん役を演じていた、三崎千恵子サン。
 当時すでに、寅さんシリーズは終わっていたと思いますが、このドラマ以来、私個人としては、お見かけしておりません。 引退なさったんでしょうか?

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2010年2月15日 (月)

ただ今メンテナンス中です

 実質一昨年の12月から始めた当ブログですが、年をまたいでしまったあとは、西暦まで書いておかないと、いつの記事だか分らなくなるため、開始当初にまでさかのぼって、記事を書き直し中であります。

 それで改めて呆れておるのですが、開始から半年くらいは、論調がハンパじゃなくタカビシャで(笑)。

 そのタカビシャな 「だである」 調を 「ですます」 調に直したりなんかして、余計に手間がかかっております(笑)。

 最近、「巨人の星」 についての記事をアップしましたが、あれも開始当初のもの。 大幅に加筆したものですから、新たに最近の記事としてアップしようと出しました。 それでもかなり、論調が出だしから過激(笑)。

 1年3カ月ばかりブログをやっておりまして、エラそうな論調の記事には、コメントが付かない、という経験則を身につけまして(笑)、それからかなりくだけた文章を書くようになりました。 それでもカテゴリー別に、「アニメ」 などのサブカルチャー、「ビートルズ」 のかなり憶測の入った論文(笑)では、「だである調」 を貫いております。 記事の内容によっては、「ですます調」 にしたりもしますが。 そのため橋本リウという人間がふたりいるような感覚をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、どちらも同一人物が書いております(笑)。 当ブログの筆者は、橋本リウただひとり、です(笑)。

 それから、お気づきのかたはたぶんいらっしゃらないと思いますが、当ブログの書式は、ちょっと見やすいような体裁にしようと、工夫してある点が、いくつかあります。

 まず、文と文とのあいだに、全角のスペースを入れております。 これがないと。この。ように。なって。しまいます(笑)。 離れていたほうが、読みやすいでしょ?
 それから、カギカッコ(「」)の前後に、半角のスペースをあけています。 それで見やすくしてあります。 最初は、カッコ( )の前後にもあけておりましたが、間延びしてしまうので、やめました。
 それから、これも途中から統一したんですが、数字もやっぱり、半角のほうが見やすい、ということで、半角にしております。

 まあメンテナンスのほうは、もともとがめんどくさがりの人間なので、時間はかかると思いますが、とりあえず当分、当ブログ全体を見直して、書き直していこうかなと考えております。

 でもそれより、ホントにしたいのは、自分の記事内に、同じ種類の自分の記事へのリンクをつけられるようにすること。 「龍馬伝」 ならその記事の最後に、自分が書いた同じ 「龍馬伝」 の、別の回の記事へ飛べるように、リンクをつけたいんです。
 だいぶ前から何度か試しているんですが、ほかの記事からのリンクは貼れるのに、自分の記事へのリンクが、どうしても貼れない。 原因不明です。 いちばんグレードの低いプランでこのブログを使ってるからかなー。 グーグルアドセンスとかいうのをやろうとしたら、やはり入っているブログのプランのグレードが低くて、広告を本文中に載せることができなかったこともあったので。
 ともあれ、自分の記事へのリンクができないから、基本的に書きなぐりっぱなし、記事にして放りっぱなし、みたいな感じで(笑)。 それでもアクセスはありがたいことにだいぶ増えましたが、このブログに来ていらっしゃったかたに、もっと同じ番組、ドラマの記事がありますよ、とかお知らせしたくて。 トラックバックも、未だによく分かりませんし。 どうもヘタレなせいで、ブログを使いこなせていないのがもどかしい。 写真とかも、載せたいんですけどねー。

 ま、ブログのヘルプを活用しようとしても、分からないところが、分からない(笑)。
 これをまず、克服しなければ、なりません(笑)。

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2010年2月14日 (日)

「龍馬伝」第7回 父のこころ、子のこころ

 江戸から帰ってきた福山龍馬を待っていたのは、開国によってすっかり変わってしまった土佐の人々の姿。
 龍馬はほとんど浦島太郎状態なのですが、ただひとつ、変わっていなかったのが、龍馬の家族。
 第7回の 「龍馬伝」 は、まさにこの家族の絆を描いて秀逸だった気がします。
 泣けました。

 軽々しく 「武市サン」 と呼ぼうものなら、「武市先生と呼びや!」 みたいな物々しい攘夷派の急先鋒となってしまっている、武市半平太(大森南朋サン)。 すっかり変わってしまう人を演じさせたら、この人の右に出るものはいない、と言うか(笑)。
 はじめ出て来た時は、武市という人物は道場を開いている割には何とも頼りなげで、大した特徴のある人物ではなかった。 それがここまで過激な人物になってしまう、という変貌ぶりを、大森サンは見事に演じている気がします。 さして気持ちの見えにくい人物だったからこそ、変わってしまうとこのようになる、という見本のような気が強くします。

 ただし武市サンはじめ、佐藤健クンとか、実際に黒船を見たことのない人々が掲げる攘夷というものが、ドラマを見てるととても幼稚な姿に見える。
 龍馬のように、誰も外国との軍事力の差を目の当たりにしてないんですから、これは致し方なし、なのかもしれません。

 加尾(広末涼子チャン)に出会ったら出会ったで、彼女結婚もしてないし、岩崎弥太郎(香川照之サン)のところで学問をしていたとか言うし。
 「帰ってきたそばから、いろんなことが起こりすぎじゃ…」 と、戸惑いまくりの福山サン(笑)。

 そんな龍馬が弥太郎にひつこく(笑)くっついて行った先は、絵師の河田小龍(リリー・フランキーサン)。
 そこには武市も来ていて、何が始まるのかと思ったら、リリーサン、ただ外国の知識を紹介するだけ。 目を見張って聞いているのは、龍馬だけで(笑)。
 この場で武市がリリーサンに聞きたかったのは、「どうしたら異国を打ち払えるか」 ということ。 かたや弥太郎がリリーサンに聞きたかったのは、「どうやったら金持ちになれるか」 ということ。
 リリーサンはどっちにも、木で鼻をくくったような返事(笑)。 互いをバカにし合う武市と弥太郎は、その場で大ゲンカ。 それの仲裁に入った龍馬の様子を厠で聞きながら、リリーサンは龍馬に興味を抱く。

 ここらへんのやり取りは、三者三様のぶつかり合いを象徴的に演出した、という点で、なかなか面白いものがありました。
 リリー・フランキーサンもミョーな存在感がございますね。 こういう役者サンって、近頃なかなかいない気がします。
 特に演技がうまいわけではないのですが、だいぶ前の映画 「幕末青春グラフィティRonin」 で高杉晋作を演じていた吉田拓郎サンのような匂いがいたします。 普通演技に素人、とかいうと、セリフに感情がこもってなかったりしますけど、プロの演技者にはない方向からリアリティを出す人が、いたりするもんです。 拓郎サンも演技の素人でしたけど、さすがにフォークシンガーの道を極めた人、強烈な存在感を発散させていたものです。
 リリーサンは演技の素人ではないようなのですが、プロの役者サンにはない、独特の雰囲気が出ている気がしました。 ドラマでのリリーサンの居宅?には、何匹もの猫がいましたが、なんかぴったりな小道具な感じでしたね。

 それから、リリーサンは、なぜか龍馬の家に居候してしまうのですが(笑)、ひょうひょうとしてるためか、それがちっとも不自然じゃない(笑)。
 彼のおかげで、発作を起こした龍馬の父、八平(児玉清サン)が一命を取りとめます。

 「わしは、なんも知らんと、江戸で好き勝手なことを…!」 と悔やむ龍馬。
 病床の八平の様子は、子を思う父の心にあふれていて、父親の不肖の息子である私も、居ずまいを正して聞く気持ちでありました。

 「龍馬、…わしに構もうな。 おまんは、剣を振り、書を読む。 侍が、己を磨き、高めよういう気持ちを忘れたら、生きておる値打ちは、ないぜよ。 この世に生まれたからには、己の命を、使い切らんといかん。 使い切って、生涯を終えるがじゃ」

 「私は、まだ、なにも成し遂げちょりません。 父上に、なにもお見せできちょりません。 父上には、もっと、もっともっと、生きておってもらわんと困ります!」

 「おまんは、ひとまわりも、ふたまわりも大きゅうなって、江戸から帰ってきてくれた。 それだけで、じゅうぶんぜよ。 わが子の、成長が、親にとっては、いちばんの、幸せながじゃ」

 私もまだ、親に何もできてません。 してるのかもしれないけど、まだまだ不十分という気がいたします。 とても、身につまされるシーンでした。

 そしてある晩、リリーサンに向かって、八平は 「龍馬が咲かせた花を見たかった…」 とつぶやく。 その父親としての気持ち、痛いほど伝わってきました。 龍馬の場合、大河ドラマになるくらいですから、現代に至るまで、花は咲きまくっておりますよね。

 龍馬の発案で、家族総出ででかけた土佐の海。
 そこで 「黒船を作って、一家をのせて世界中を旅してまわる」 という壮大な夢をみなに語る龍馬。
 それを聞きながら、感極まっていく八平。
 「…おまんは、そんなことを考えちょったか…楽しそうな旅じゃ…みんなあで、行くがぜよ…こんな、うれしい日は、初めてじゃあ…」
 父親との、最後の日々。

 福山サンの、父親を思う気持ち、児玉サンの、息子を思う気持ち。 互いの演技がぶつかった、とてもいいシーンでした。 泣けました。

 さて、今週の 「弥太郎伝」 でございます。

 加尾チャンにトートツなプロポーズをした弥太郎殿。
 「岩崎先生…!」
 「先生はいい!…おまさん、と呼んでくれっ!」 ニカニカッ! 光る汚い歯(笑)。

 見事、玉砕いたしました(笑)。 突っ伏した弥太郎殿の目の前には、のんびりと餌をついばむ、二羽のニワトリ(笑)。
 リリーサンちには猫、坂本サンちにはカメ、そしてラストのリリーサンの絵が、龍。
 なんか関連性は分かりませんが、狙ってるなー(笑)。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころ(当記事)
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html

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「恋のから騒ぎ」 2月13日 アレ?鬼太郎チャン、戻ってきた?

 このところ当ブログ、毎週土曜の午後11時台は何だか、ヤタラメッタラアクセスがあるんです。 以前から多かったんですが今年に入って特に。
 その主な検索ワードが、「恋のから騒ぎ」「ハイパー」(笑)。
 自分的には、「恋から」 ばっかりのブロガーだと思われたくないので、もうあんまりやらないほうがいいかな、と思ったりもするんですが、いかんせんアクセス欲しさも手伝って(笑)、ついつい 「恋から」 の記事を書いてしまいます。
 でも実際見ていて、このところの 「恋から」 は、実に楽しい。 なんか、書きたくなっちゃうんですよねー。

 この今期メンバーがはじけ出したのは、ハイパーチャンの出現によるものが大きいんですが、当ブログにコメントをお寄せ下さるぽん様がご指摘をされているように、建設会社社長の鬼太郎チャンが出なくなってから。 私も同感であります。

 その鬼太郎チャンがなんか、今回再びの登場。 なんだか今日はデカイ笑い声がするなあ、ハッハハーか?と思ったら、社長でしたよ。 何か月ぶりだろ? 少なくとも3ヵ月は出てなかった気がします。
 この再登場に関して、さんまサンから 「アレ鬼太郎、オマエどうしたんや、久しぶりやな」 みたいな、特別な突っ込みは一切なし。
 これって、要らぬ詮索をしたくなるような展開ですよね。
 このブログにも、「恋から」「鬼太郎」「出なくなった」 という検索ワードでいらっしゃるかたが、やっぱり多いんですよ。
 ということは、日テレのほうにも、そんな問い合わせが少なからず寄せられた、という詮索も、出来なくはない。

 社長が出なくなったのって、やっぱりワタシ的には、ほかのメンバーがはじけて面白くなるのに、社長がブレーキをかけている部分がある、と番組スタッフが考えたからじゃないか、そう推理しているんですが。
 それでも今期、ある程度番組のなかで中核的な役割を演じてきた社長が、このまフェードアウトするのは、いかにもアンバランスで、視聴者に説明かつかない。 社長の再登板には、そんな理由があったんじゃないでしょうかね。 今期メンバーのメモリアルアルバム完成の告知も、今回なされていましたが、その中に社長も入れたんでしょう、そのいきさつから最後に再出演、という形をとったのだとも推測されるのです。

 なにしろ今回、説教部屋でさんまサン自身が 「ラスト2回」 とか話してました。 えーもうあと2回なの?って思ったんですが、最後が近いから社長も出したんだろうなー、などとその時考えてしまいました。

 いやいや、憶測ばっかりで申し訳ございません。

 それにしても、ゲストのチュートリアルも崇拝しているような感じの(笑)ハイパーチャン。 今回も楽しかったですね。

 「かくれドSです…じらすの大好き」
 「オマエじらすの? どんなふうに?」
 「『まだダメ』 って」(笑)

 「ハイパー政治家になりたいとか思わへんのかオマエ?」
 「興味はあります」
 「うわ!(笑)せやオマエ日経新聞この頃よく読んでるもんな、今日はどんなやった、日経新聞?」
 「えーっとね、中国の、日産の、売れ行きが、いいと書いてありました」(笑)

 「ハイパーは何が幸せやねん?」
 「みんながいて自分がおって、っていう…」
 「ふうーん…(笑)オマエは結婚とか夢ないのか?」
 「今考えてないです」
 「子供は? 出産?」
 「そっちより、出世…出世しようと」
 「どう出世すんねんオマエ?」
 「え…ちょ、ちょっとポーンと」
 「どこへいくねんポーンて」
 「…雲の上まで…」(笑)
 チュート福田 「意外ともう雲の上にいるかもしれませんね」(笑)
 「まだお花畑の上なんです」
 「天国やないかそれは!」(笑)

 なんか、ほのぼのするんだよなー、ハイパーチャン。

当ブログ 「恋のから騒ぎ」 2009-2010年(16期)に関するほかの記事
アッハーハー、笑えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-ce54.html
ふくスま弁だぁ~http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-8d55.html
ミスピーチ、がんばってねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-775d.html
ミスピーチ改め民謡の魔性の実態http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/post-d59c.html
今週のミスピーチ、いや民謡チャンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/523-e36e.html
今週の民謡チャン第2弾http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/post-47af.html
民謡チャン、白虎隊は福島県人の誇りでしょhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/07/post-c994.html
ビリー・ジョイトイって…(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/07/post-a64e.html
民謡チャン、方針転換ですか?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/08/post-7840.html
最近どうも、モヤモヤしますhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-af2a.html
ハイパーチャン、暴走し始めた(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/post-03df.html
民謡チャン、久々ヒットで、アタシャうれしい!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/post-4ec3.html
民謡チャン、やっちゃいましたねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/1212-0482.html
うわっ、出っ歯じゃ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/1226-2022.html
ハイパーチャン、なんかすごいなあhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/19-9f33.html
ハイパーチャン、メンバーから嫌われ始めた?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/116-d3b1.html
ハイパーチャンも、ものきのデルモも…http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/130-484e.html
PTAチャンの危険なダンス、ふたたび…http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/26-pta-a309.html
アレ?鬼太郎チャン、戻ってきた?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/213-d701.html
驚いたことふたつhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/36-pta-2040.html
「ご卒業SP」 MVPの意外すぎる人選http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/09-10mvp-a88b.html

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2010年2月13日 (土)

玉置宏サン逝去でよみがえる、日曜の昼下がりの記憶

 司会者の玉置宏サンが、お亡くなりになられました。

 関東圏ラジオのニッポン放送、「笑顔でこんにちは」 のパーソナリティを長いこと務めていた、という印象もありますが、いかんせん私、この時間帯は昔からTBSラジオばかりで。

 それで思い出すのは、しぜん 「ロッテ歌のアルバム」 ということになります。 確か現在で言うところの、「アッコにおまかせ!」「噂の!東京マガジン」 の時間帯に放送してました。
 当時から既に、玉置宏サンは私にとっては、結構古いタイプの司会者という印象があって。
 なにしろいつも蝶ネクタイ、曲紹介のときは 「歌は流れるあなたの胸に」 みたいな感じだし(それを名調子、といって認識を新たにするのは、ずいぶん後年のことでした)、なんか古臭いなあと思いながら見ていたものです。
 確かロッテの提供、ということもあって、番組中にガーナチョコとか、CM以外で出てきていたような気がするのですが。 それを見て、チョコレート食べたくなったり(笑)。 視聴者プレゼントかなんかだったのかなー。 どこかの公会堂みたいなところで、いつもやってましたよね。 たかだか30分くらいの歌番組に、昔はあんなにお客サンを呼んで放送してたんだなー。 その形式自体が、実に時代を感じさせます。

 1970年ごろ、自分が幼稚園とか、小学校低学年とかの時分は、日曜日はいつも、それを見ていました。
 というか、四六時中日曜日は、親がテレビをつけていた、というか。
 日曜日は、オヤジがいつも家にいて、朝っぱらから 「時事放談」(笑)。 確か今と違って、8時半あたりからやっていた気がします。 「兼高かおる世界の旅」 とかもオヤジは見てましたね。 ガキンチョにとっては、どこが面白いんだか、という類の番組です(笑)。 妙に覚えているのが、「ミユキ、ミユキ、ミーユキミユキ、服地はミユキ」 というコマーシャル。 「時事放談」 か 「兼高かおる」 か、どっちかで流れていたと思います。

 そしてお昼になると、NETテレビ(現テレビ朝日)の 「日曜寄席」。
 牧伸二サンがウクレレ持って、「アーアンアやんなっちゃった」 と歌っておりました。 「日曜のお昼だよ」 と牧サンが歌うと観客がみんな笑うのが、よく分からなくて(笑)。 あれ、いまでもどこが可笑しいのか、よく分かりませんです(笑)。 「ロンパリルーム」 なんてコーナーがあって(「ロンパールーム」 のもじりですよね…笑)「ハンマープライス」 の原型みたいなことも、この番組ではやっておりました。 どうでもいいような品物(確かあまり大したものはなかった気がします)が出てきて、それをオークションにかける。 そして収録会場のお客サンたちがだんだん値をつり上げ、結果その収益金は、「あゆみの箱」 へ。 「あゆみの箱」 って何だろなー。 ネットで調べてみますか。

 それから確か、「ロッテ歌のアルバム」 でしたよ。 それが終わると、「家族そろって歌合戦」。 獅子てんや・瀬戸わんやサンが司会で。 うさぎさんチームとかぞうさんチームとか、一家族にそれぞれ名前がついていて、トーナメント表についた両者チームの絵がだんだん登っていって、片方が落ちる。 そのファンファーレの音楽、耳にこびりついてます。 審査員の顔ぶれも個性的で、高木東六サンとか、笠置シヅ子サンとか、この番組で私は知りました。 2時くらいまで、ウチじゃテレビ、つけっぱなしでしたねー。 私が今日テレビ人間のままなのも、ここに原因があった?(笑)

 日曜のテレビって、ホントに面白いものが多かった気がします。 そのうち日テレで 「スター誕生!」 が始まって。 「世界の料理ショー」、なんてのもありました~。 あれ、妙に笑えましたよね。 あの時分では実現不可能だった料理が、次から次から出てきて。

 あーなんか、いろんなことを思い出してきたなあ~。
 それぞれ個々に、記事を書きたくなってまいりました(笑)。

 玉置宏サンのご逝去がきっかけで、懐かしかったあの時代を、もう一度鮮明に思い出させていただきました。
 謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

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「A-Studio」 石田ゆり子サン 自然な人、ですよねえ

 「A-Studio」 2月12日ゲスト、石田ゆり子サン。
 この人、小さい頃、私の住んでいる世田谷区在住で、私の住んでいるところにとても近いところに住んでいたらしくて。 妹のひかりチャンでしたか、世間に出て来た時に、あそこの子だって、近所で噂になっておりました。
 またその石田サンのお家が、高嶋忠夫サンのお家とも、近いんですよ。
 というわけで、石田サンと高嶋サンの息子サンたちは親しい間柄、という話も聞いたことがありますが、そこに住んでいらした当時は、石田サンのほうは有名ではなかったので、たぶん有名になってからお友達になったんでしょうね。

 私にしてみれば、石田サンのお家も高嶋サンのお家も、ちょうど通学路で。
 そのお家の前の駐車場兼お庭みたいなところで遊ぶ小さい子を見たことがあるので、もしかしたら幼いころの石田サン姉妹を、私も見ていたかもしれません。
 そのせいですか、何となく親近感を勝手に抱いてるんですけど(笑)。

 話はずれますが、私も高嶋サンの奥サン、寿美花代サンにあいさつされたことがあります。 おそらくご近所のどなたにでもそうなされているのだと思いますが、知り合いでもなかったのにいきなりあいさつされて、ちょっとびっくりしたと同時に、芸能人っていろんなところに気を遣わなきゃならなくて、大変なんだなーと思った記憶があります。

 今回この番組を見ていて、石田ゆり子サンという人は、とても自然な人なんだなーという印象を、改めて強く持ちました。 なんか、飾らないんですよね、この人見てると。 いつもしっとりしていて、ガツガツしたところがない、というか。
 それがとてもよく表れていたのは、30年来の大親友、という人の目を通した石田ゆり子サンの姿。
 そのお友達のところに送られてくる石田サンの写メール、犬と一緒に食事中(笑)とか、ソファに寝そべってボケーっとテレビを見てるとこ(笑)とか、「なァんでこれ出すかなァ~もぉ~っ」、と恥ずかしがるのですが、なんかちっとも嫌味に見えないんですよね。 ああこの人、ウラオモテ、たぶんあるんだろうけど、それぜーんぶ態度に出ちゃう人なんだろうなー(笑)、という感じ。
 一緒にいて、肩の凝らないタイプなんじゃないでしょうかね、勝手な想像ですけど。

 映画 「サヨナライツカ」 で、中山美穂サンとタンゴを踊る、という場面があって、半年間必死になって練習したのに、結局バッサリ切られていたことを、「ホントにね、すごい怒ってるんですよ」 と言いながら、やはりその怒りが伝わってこない(笑)。
 銀座の焼鳥屋では、砂肝が竹串から取れなくて、怒りの形相で取ろうと歯を食いしばっていたらしいんですが(笑)。
 でもあまり怒りが表面に出ない、とても穏やかな人だと思うんですよ、勝手な想像ですけど。

 その大親友とは、老後に勝手に夫が先に死ぬもんだと仮定して(笑)、いっしょに住もうという計画を立てているほどの仲の良さ。 そのお友達のほうがご結婚なさっているんですが、結婚式でのメッセージのときは石田サンも号泣しながらになってしまったとか。 それを思い出したのか、石田サン、またウルウル来てしまった、と目頭を押さえていました。 こんな大親友がいるなんて、羨ましい限りです。

 今回石田サンの話で興味深かったのは、石田サンが女優の仕事に向いていないと、デビューしてしばらくの間思っていた、というところ。
 私も、妹のひかりチャンが結構体当たりの演技をするのに比べて、お姉さんのほうはお行儀のいい演技をするな、とかねてから思っていたので、この証言は納得でした。

 「25歳ぐらいまでは、もう早くやめようと思ってましたね。 そもそも向いてると、思った瞬間がなくて。 ヘタだし、その…緊張するし。 カメラの前で笑うとかがまずできなくて。 で、誰かに自分を見てほしいとも思わないんですよね(笑)。 恥ずかしくって。 で早くやめようと思って。 で、30になる時に、あ、やっとこの仕事の楽しさがだんだん分かってきて、この10年ぐらいですね、この仕事をやっていてうれしいなと思うのは…でも、本当の楽しさをまだ知らないような気もします」

 高校時代にお世話になった先生の話でも、とても石田サンの、その先生に出会えてよかった、という気持ちが伝わってきて、この人は大親友のかたもそうですが、かけがえのない貴重な人生の出会いをいくつもされている人なんだなーと思いました。
 そういう人の、芯は強い。
 そんな彼女が、「芝居の本当の楽しさ」 を味わう作品に、この先出会うことを、私も陰ながら期待しております。

 それにしても、鶴瓶サンが後説で力説していたんですが、デビュー時に共演された、故緒形拳サンの石田サンへの熱血指導。 ぶん殴られたらしいのですが、そのことを石田サン、まったく覚えてなくて(笑)。
 つくづく彼女、自然体ですよね(笑)。

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2010年2月12日 (金)

「不毛地帯」第15回 盛り上がってまいりました

 前回東京商事の鮫島(遠藤憲一サン)に、まんまとしてやられた、壹岐正(唐沢寿明サン)。
 イランの石油開発に日本石油公社の手を借りず、アメリカのオリオン・オイルと手を結んで鮫島たちに対抗しようとするのですが。
 今回の 「不毛地帯」 は、そこに至るまでの裏工作や、里井副社長(岸部一徳サン)の追い落としなど、見ごたえある話の連続で、ようやく最終回に向けて盛り上がってくる話の、まずは序章、という感じが強くしました。

 なにしろ、公社の手を借りない、という壹岐のそもそもの発想からして、外野の私から見て 「大丈夫かよ」 と思えるような気がするのです。 すごい勝負に出とるな、という感じ。
 公社を通じて石油の開発取引をする、ということは、要するに岸・佐藤(たぶん)という歴代総理を通した慣例みたいなもの。
 それを田中角栄(たぶん)という対抗勢力の力添えを借りて独自の道を探ろう、というんですからね。 違うかな、この原作のモデル。 たぶん江守徹サンは、田中角栄だと思うんですけどね。 今回のドラマ中、壹岐と大門社長(原田芳雄サン)が、江守サンに手土産を持って行ったようですが、あれって裏金ですよね、たぶん。
 外国資本の力を借りる、ということで、国賊なんていう話も次回は出てくるようですが、そうした問題さえも噴出するだろう、いわば 「茨の道」。
 こりゃ相当大変だ、ということは、想像に難くないのです。

 まずは紅子(天海祐希サン)のつてでオリオン・オイルのリーガン会長と接触。 この部分はドラマ的に結構イージーだったんですけどね。 紅子の夫、黄(石橋蓮司サン)に相談すりゃなんとかなるだろう、みたいな。 ここでドラマでは以前の壹岐と紅子の気まずいニアミスシーンをはさんで恋愛ドラマチックにしていたんですが、それより、紅子を利用しようとする壹岐のしたたかな面なんかを挿入したら、ドラマ的にはもっと面白かった気がします。

 そしてリーガン会長との合意に至った壹岐たちは、近畿商事内の情勢をまとめあげようと、鉄鋼部と財務管理の抱き込みを画策する。 壹岐と兵頭(竹野内豊サン)が巧みに里井副社長の疑惑の目をすり抜ける部分は、結構見ごたえありました。

 ここに、角田(篠井英介サン)の思惑まで、交差してくるんですからね。
 なんとか社内の情勢を見極めようと動きまわっている角田は、ずるいと感じるより、ワタシ的には、そういうもんなんだよなー、という感じがしましたです。
 「里井副社長のことは、もう考えなくていい」 と、自分の女房に手作りの料理を作らせて壹岐のところに持っていく角田、なんとも同情したくなります。 もっとこんなトカゲ男みたいな描きかたではなく、角田には角田の生きる道がある、というところも、見せてほしかったなあー。

 そして壹岐の次の勝負どころ、近畿商事の経営者会議。

 ひとり頑強に反対する里井副社長に、壹岐が反駁する場面は、壹岐のこの仕事に賭ける本当の情熱を、個人的はこのドラマで初めて感じることのできたシーンでした。

 「君は、真珠湾攻撃で日本を戦争に追い込んだあの暴挙を、懲りもせず、またこのわが社でおっぱじめようというのか!」
 「確かに真珠湾攻撃は、石油資源を確保するために始めましたが、結果的に多くの犠牲を招くことになりました」
 「だったら!」
 「だからこそ私は! かつて武力で得ようとした石油を! 日本の将来のために、平和な形で得ようとしているのです!」

 壹岐の仕事のほんとうの意味が、ここで明確になった気がしました。

 会議は満場一致で、壹岐のこの姿勢に同調。
 大門社長の決断にも、「社運を賭ける」、ということは巷でもよく聞きますが、ホントはこういうとてつもない覚悟が必要なことなんだな、と感じられてなりませんでした。
 このくだりを見ていると、彼らの仕事がけっして 「不毛」 ではないことが感じられます。
 里井副社長を結果的に下野させることになった大門社長とのやりとりも、大門社長の、泣いて馬謖を斬る、という悲壮さを感じられたし、里井副社長の、会社のために身を削りながら働いてきた男の生きざまも感じることができた。 それまであまり、このドラマの男たちに対して、作り手の温かい目、というものを感じることができなかったのですが、今回の話は、別だった気がします。

 ただし、壹岐たちの前に立ちふさがるのは、あの狡猾な鮫島と、憎々しい貝塚(段田安則サン)。 前途多難なだけに、次回がますます、見逃せなくなってきました。

 蛇足のようですが。
 最後に、壹岐のマンションにやってきた、家政婦のハル江サン(吉行和子サン)。 アメリカから里帰りしたとか。
 そのハル江サン、千里(小雪サン)が来ることをすばやく察知し、いっしょに来た梶原善サンを急かして帰ろうとする(笑)。
 このハル江サンのあまりの推理力に、正直笑いまくりました。
 なんでここまで鋭いんだっ(笑)。
 「家政婦は見た!」 の市原悦子サンも、真っ青でした(笑)。

当ブログ 「不毛地帯」 に関する記事
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-6a81.html
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/1-05a5.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/2-w-070f.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/3-4bae.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/4-9755.html
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/5-abb7.html
第6回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/6-d4bd.html
第7回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/7-8677.html
第8回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/8-4f4a.html
第9回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/9-cdc5.html
第10回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/10-183b.html
第11回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/11-0587.html
第12回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/12-68a7.html
第13回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/13-2599.html
第14回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/14-4fa8.html
第15回 (当記事)
第16回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/16-3ac8.html
第17回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/17-2-6e30.html
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-b645.html
第18回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/18-5177.html
第19回(最終回) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-7b99.html

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2010年2月11日 (木)

「とめはねっ! 鈴里高校書道部」 最終回 青春の輝き…

 しょっぱなから、ネタバレでいきます(いつもですけど)。

 望月結希(朝倉あきチャン)が転校してしまう、というストーリー、原作の漫画が続いてる、ってことは、ドラマ独自の話だろうと思うんですが。 ともあれ、望月が転校してしまうことで、このドラマは終わりました。 なんか、オッサンは、いま一抹の寂しさを感じています(笑)。

 このドラマはでも、こうすることで、キラキラと輝く青春時代の、あまりの儚さを表現することに成功した気がするのです。
 オッサンはフツー、こういう若者向けなドラマを、滅多に見ることがないのですが、それは、そうしたドラマが若者たちを等身大に描いていないことが、見る気のおきない原因だったりします。 また、そこで起きる出来事が、若者たちにとってあまりに対処できない問題であることも、あるかなー。

 このドラマはそうした、民放のドラマに特有な 「すごい」 若者だらけのドラマではありませんでした。 結果的に朝倉あきチャンは、柔道部でも凄い、書道甲子園でも初登場で3位に入賞してしまうほど、「すごい」 若者だったんですけどね(笑)。 それが、そんなに荒唐無稽に見えてこないのは、望月結希という女の子が、とても等身大で描かれていたからでしょうね。

 このドラマが大人の側からの視点に立っているのは、相当昔からの、NHKのドラマに顕著な特徴のような気がします。 自分が若者だった昔は、その行儀のよさ、というか、NHK臭さが、結構ダサく思えたんですけどね。

 書道甲子園のパフォーマンス部門に出場した鈴里高校のテーマ曲が、サザンオールスターズの 「希望の轍」 だった、というのも、そのひとつのファクターだと思います。
 この曲は、いわば、私たち中年世代のモニュメントのひとつです。 この曲を今の若者たちにパフォーマンスさせることは、我々の世代の押しつけ、という面も否定ができない。 今の若者には、今の若者の応援歌が、あるはずなのです。 彼らが前回いったんやろうとした 「ポリリズム」 じゃちょっと…とは思いますけど(笑)。

 「希望の轍」 が国道134号線について書かれたものである、というのも、結構地域限定もので、思い入れ度が違ってくる、というか(笑)。
 私は世田谷区在住ですが、結構江の島へはよく行くほうなので、134号線も、思い入れがあるかなー。 スッゴイ個人的な話ですが、小学校時代の初恋の思い出もあったりして(キャー)。 …失礼しました(笑)。

 「轍」 という文字を大字、つまり最も目立つ字として任された望月が、みんなの励ましを受けながら、それが次第にプレッシャーになっていく様子。 山本陽子サンから良寛サンの文字を見せられたり、縁(池松壮亮クン)に轍の由来の134号線の話で励まされたり、高橋英樹センセイから 「楽しめ」 という重要な言葉をもらいながら、結局書道甲子園当日になっても吹っ切れない。 これで頑張れる、そう思えるはずなのに、ギリギリになるまで悩み続けてしまう。 望月のこの葛藤に、とても共感します。

 パフォーマンス直前に、書道部みんなの 「今は楽しもう!」(ブチョーのこの言葉、高橋センセイの言葉と一緒でしたね)という激励を受けて、書道部全員の一体感を胸に、ようやく望月は 「轍」 の大字を書き切るのですが、この字、あまりにもすごい字でしたー。
 朝倉あきチャンが実際に書いた字じゃないんだろうけど、望月の葛藤がドラマで描き切れていたからこそ、本人が書いたように思わせる力に、あふれていました。
 そして最後にブチまかれる、海を表す青色の、…あざやかな墨汁(?)。
 いや、なんか、すごかったです。

 縁クンと望月の、バス停での最後の別れも、なんか、とてもあっけなくて。
 でもこれはこれで、ちゃんとした言葉もかけることができない、という、若い時にありがちなことを表現していて、かえってよかったです。 縁クン、たぶん後々まで後悔すると思いますけど、こういうもんなんですよー、青春って。
 よくまあ、バスの運転手が、あそこまで待っていてくれるもんだとは、思いましたけど(笑)。

 オッサンが思うのは、若いころって、失敗とか後悔の連続だったけど、あとから考えると、あれだけ輝いていられたのって、人生の中でほんの一瞬だったんだな、ということです。
 その青春の輝きを余すところなく、このドラマは描き切っていた気がします。

 このドラマを私に紹介して下さった、アールグレイ様、この場を借りてお礼申し上げます。

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「曲げられない女」 第5回 ちょっと迷走してた、かな…

 これまでかなり強引に突っ走ってきた気がする 「曲げられない女」 でしたが、永作チャンの家庭問題に切り込んだ第5回は、ちょっと全体的に話の切れが悪く、着地点もぼやけているような感じがしましたです。 なんか、今回はゲラゲラ笑わなかったなー、なんて。

 永作チャンの家庭問題は、テーマ的にはとても重くて、1回かそこらではとても片付きそうもないややこしい問題のように思えます。 だからこそ、今回は戦闘開始、という段階までしか切り込めなかったんでしょうが、ここでメインディッシュを、「オギワラ(菅野美穂チャン)がほんとうの友達を作ることができるのか」 という方向でまとめようとしてしまったため、そのバランスのとりかたに苦慮したような跡が見えました。

 そして、話が円滑に進まない次の要因は、谷原章介サンが美穂チャンにメロメロになりつつあることからくる?(笑)、ギャグの滑りよう。 ケータイのバイブ音とか、使い古されとるとゆーか(笑)。
 永作チャンは今回、家族問題でとても冗談など言ってられない状態で、ギャグを期待できない。 そして谷原サンも、初めての恋愛感情に我を忘れて(笑)、大したギャグが出てこない。
 ここでやおらギャグに期待がかかるのが、美穂チャンなわけですが(笑)、さすがに5回も同じことをやってると、飽きます。 スイマセン、正確に言っておきたいので(笑)。

 これまでこのドラマは、そのシリアスとギャグとの交互パンチが心地よかったんですが、今回はその法則が崩れてましたね。 で、見ていてなんとなく無理して笑っているような自分に気付く。

 あとはやっぱり、永作チャンの子供ふたりに対して、もっとシビアな突っ込みがなされても、いいような気がしましたけど。 「いただきます」 に対して突っ込んだだけですからね、美穂チャンが。 もっといろいろ突っ込みようがあるくらいの、クソ生意気なガキでしたけどねー(笑)。

 そしていちばんの消化不良は、やはり何と言っても永作チャンのダンナとバアバに対する突っ込みが不十分な点。
 おそらくこれからいろんな展開が用意されていることと思いますが、はっきり言いまして、私このダンナとバアバには、乗せられてるとは思いますが(笑)、思いきり頭に来ております(笑)。
 浮気されたのも永作チャンのせい、あげくの果てに、財産目当てだったんでしょ!とは、…んなななな、…何事かぁぁ~っ!(笑)
 そんな極悪非道の連中に、子供たちを帰すしか、今は方法がないんですからね。 あームカツク。 でも、確かに永作チャン、今のままでは子育て能力、まったくゼロ、ですしね。

 そしてメインテーマの、「ほんとうの友達」。
 これもなんか、いざそのことをマジメに考えようとすると、ほんとうの友達を作るなんて、結構難しかったりするわけで。 照れくさかったりするし、きれいごとばっかりでもないし。

 でもそんな壁も、そんな迷走していた話でも、「曲げられない女」 は堂々と正面突破、しておりましたね(笑)。
 「それ以上さあっ! あたしの友達(永作チャン)の悪口言うのやめてくれる?! あたしはさあ! あの…蓮見(永作チャンの旧姓…笑)のこと友達だと思ってんだけどさあっ! だめかなああー?(略) もーいい加減逃げんのやめたら? 蓮見はねえっ! すごいパワーを持ってるんだよ! ホント心配してんのかおせっかいなのか分からないけどー! 今までも、私のこと助けてくれたしー! 頼まれてもいないのに、人のことであんなに一生懸命になる人がどこにいるー?」

 とっても照れと戦いながらしゃべりにくそうに友人を励ます美穂チャンが、なかなかよかったであります(ケロロ軍曹か?)。
 それまで強烈な見栄張りまくりのATフィールド全開気味だった永作チャンも、これにはグッときまくったようです。
 その美穂チャンにまた惚れ直してしまった、谷原サンでもあったのですが。

 マイケルの 「今夜はドント・ストップ」 をかけて、ドント・ストップで勉強をしようとした矢先、いきなり胸を抑えて倒れてしまうオギワラ。 ちょっとちょっと、話がまた変な方向になりつつあるぞ?

当ブログ 「曲げられない女」 に関する記事
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-83d0.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-5eb9.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-a3aa.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/4-1d07.html
第5回 (当記事)
第6回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-88ef.html
第7回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-3fa8.html
第8回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/8-05a5.html
第9回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/9-5d02.html
第10回(最終回) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-2386.html

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2010年2月10日 (水)

「蒼窮の昴」 第4-5回 王道ストーリー、だけど面白い!

 NHKBSハイビジョンの日中合作ドラマ、「蒼窮の昴」。
 この第4回から第5回の話は、正直言って面白すぎ! これ以降どうなるかも気になりますが、ワタシ的にはこの5回のラストは、シビレまくりました! これだけでもじゅうぶん満足であります。 ドラマが好きな人なら、絶対見るべきだと思います!

 冷めた言い方をすれば、この第5回の話というのは、いかにもストーリー的には王道で、目新しいものなど何もないのですが、王道だからこそ、古来この手の話に誰もが魅了されてきた。 こんなDNA刷り込まれまくりのドラマ手法に、悔しいけれどやっぱり、シビレまくってしまうのです。

 ここからネタバレ入りまくりますが、私のこの手放しの褒めように賛同していただけるなら、ご覧になっていない方はここから先はどうか読まないでいただきたいです! 今のところ再放送の予定はないようなのですが、いずれNHK総合でも、きっと放送すると思いますので!

 李春雲(春児)がハチャメチャ師匠、安徳海の知り合いだった黒牡丹、という元京劇のトップスター、かつ西太后のお気に入りだった男に弟子入りし、芝居の稽古を受け続けるのですが、ここらへん、まるでオビ・ワンの修行を受けるルーク・スカイウォーカーといった趣。
 それまで安徳海から 「酔拳」 さながらのハチャメチャさで精神的な鍛錬を積んできて、ここにきて黒牡丹から技術的な修練を積んでゆく。 ここらへんの春児の成長のさせかたが、まず見ていて面白いんですよ。 あーだけど、オーソドックスだよなー。 でもそれがいいんだよなー。

 そして元宦官窟の仲間たちにその成果を披露、という段になって、ガチガチの春児の背中を押す、黒牡丹。 その黒牡丹は春児と一緒に立ったその舞台で、無理がたたって血を吐き、死んでしまうのです。 ここらへんも、いかにもありがちなんですが。
 でも、そこに至るまで、病弱だった黒牡丹の体を揉みながら、いまに宮廷入りして西太后の前で舞を舞い、「黒牡丹が戻ってきたようじゃ」 と西太后に言わせて見せる、という春児の師匠への誓いを挿入させたり、後々重要になってくる逸話が、ここで語られる。
 春児の健気さが、見る側にこれで、しっかりと刷り込まれるんです。

 やがて宦官として宮廷入りした春児。 イヤーミな蓮元という教官が、何とか悪いところを見つけようとするんですが、安徳海と黒牡丹に鍛え上げられている春児はパーペキ状態で、ケチのつけどころが全くない。 それで蓮元が意地悪く預けたところが、黒牡丹がかつていた、京劇なんですよ。
 そこでの下積みは、宮廷の中でもとりわけ厳しい。

 あーもうここからは、いつ春児が西太后の前で舞を踊るのか、そればかりが気になっちゃって。

 それから物語的にはとても性急に進んでいくんですが、こっちも早くみたいと思っているので、その性急さが気にならない。
 いつもの観劇の際、西太后(田中裕子サン)が用意された演目を見て、いちばん難しそうなヤツを選んで。
 演出家?はいちおう演目に入れていたものの、その演目は単なるカッコつけのためのものだったため、西太后にいざ命令されても、誰もやるべき者がいない。
 いちおう通してやってみよう、とおぼつかない演技を役者たちが舞台裏でやっているとき、春児が 「こうすると剣を落としませんよ」 と、黒牡丹直伝の技術をちょっとだけ教える。 そこで 「出来るのか、オマエ?」 みたいな展開になって、春児はその難しい演目をやらされることになるんですよ。

 うわ~ッ、やったー、と思う間もなく、春児は最初に仲間の前で演技を披露した時のように、また緊張でガッチガチになってしまう。

 そこに黒牡丹の幻影が現れ、あの時と同じように、春児の背中を押すんですよ。

 どうせカッコつけだけで演じられるわけがない、とタカをくくっていた西太后が、春児の見事な舞に心を奪われていくさま、と言ったら!
 田中裕子サン演じる西太后か、実に気難しいけれども、ユーモアも解する人物だった、というのは、第4回目で織り込み済み。 ここらへん、まるで水戸黄門の印籠を見ているような気分にさせられます。

 そして、演目が終わった後、春児に向かって西太后が、「まるで、黒牡丹が戻ってきたようじゃ」 とうれしそうに話すんですよ!

 うわーっ、この展開、ベタすぎるんですけど、すっごくいい!

 久々に、ドラマを見て、ドキドキワクワクしました。 王道のお話って、やっぱりいいもんですね!

当ブログ 「蒼窮の昴」 に関する記事
いつの間に始まってたの!見逃した!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-079d.html
アフレコ気にならなければ、結構面白いですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/post-4cef.html
第4-5回 王道ストーリー、だけど面白い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/4-5-5869.html

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2010年2月 9日 (火)

「巨人の星」 に深みを与えた、川上監督の存在

 「巨人の星」 を単なるスポ根マンガとするのは誤りである。

 また、荒唐無稽な魔球だけのマンガでもない。
 そのあり得なさや強引さ加減は、原作者の梶原一騎サンがしばしば陥る落とし穴ではあるのだが、この物語は、それを補って余りある 「深み」 というものがある。
 この物語をより一歩高度で、味わい深いものにしているのは、実は川上監督の存在だったのではないかと、私は思っている。 続編には、川上監督のような存在がなかった。 と言うより、梶原サンが物語をより高度なものにするためのキャラクターを、続編では作り出せ得なかった。 「新・巨人の星」 が駄作に終わったのは、ここらへんに原因があるのだが、星飛雄馬救済の物語として、存在する意味があったことは、断っておかねばならないだろう。

 「巨人の星」 にはそのほかにも、長嶋茂雄や王貞治、金田正一といった実在の人物が大きな役割を果たすのだが、その中でも、川上監督がこの物語に果たす役割はとりわけ大きい。
 川上監督は、飛雄馬の幼少時代から大リーグボール3号の誕生に至るまで、飛雄馬の人生に大きく影響を及ぼし続けた。 そしてそれは、「巨人の星」 という物語を、虚々実々の思惑や駆け引きを交差させる、より高度な物語に昇華させた。
 川上監督の存在がなければ、「巨人の星」 は続編のように、もっと平板な話になったことだろう。

 この物語における川上監督の印象は、「転んでもただでは起きぬ」 という一点に集約される。
 川上監督にとって一番重要なのは、どうすればチームが最も勝ちを見込めるか、どうすれば個々の選手が最大に勝利に貢献できるか、ということに尽きている。 そのためには非情の鬼となることも多い。 が、勝利が至上命題であるプロ野球の、それが本質であるともいえる。
 監督は非情に徹さねばならず、そして選手の能力を最大限に引き出さねばならないのだ。 実際に、「石橋をたたいても渡らない」 とまで言われた川上監督である。 その特徴を、梶原サンはこの作品で十二分に引き出すことに成功している。

 川上監督がそうした一筋縄ではいかない面を最初に見せるのが、飛雄馬を巨人に入団させるために仕組んだ、時期外れの新人入団テストである。

 この入団テストの直接のきっかけは、花形が送りつけてきた血染めのボールに、冷淡な反応をしてしまったことを記者に嗅ぎつけられてしまったことなのだが、そもそもこの花形のこうした行動に対し、甘い、と言いきれること自体が、勝負師としての存在を証明している。
 そして甘い、と判断されてもなお、巨人に入団したいか、という飛雄馬の根性を試そうとした点で、時期外れの入団テストは、巨人にとって何のデメリットもない、と判断する。
 ここらへんの川上監督の決断が、物語により深みを与えている原因なのだ。
 じっさい、飛雄馬と同時に、速水という俊足のアスリートを入団させることに、結果的に川上監督は成功している。 すごい、としか言いようがない。

 入団テストにおける飛雄馬の魔送球使用の是非についてのくだりも、物語を深いものにしている要因だ。
 魔送球を使ったことで、川上は星一徹に、巨人からの退団を余儀なくさせ、同時に、魔送球を使ったことで、一徹の子飛雄馬に、巨人入団を許可する。 この違いを川上監督は、「星一徹の名を惜しんだのだ」 と表現するが、この川上監督の心情によって、「巨人の星」 自体がより味わい深くなっていることは、事実だ。

 そして川上監督の采配が物語にダイナミックさを与える次の出来事が、飛雄馬が速球投手としての生命を絶たれることになった、昭和43年(1968年)開幕戦だ。

 大洋の別当監督は、飛雄馬を引きずり出し打ち込むために、左の代打を指名する。 左対左ということで、川上監督は飛雄馬をリリーフに起用するのだが、別当監督はさらに、代打の代打で左門豊作を指名。
 それに対して川上監督は、替わったばかりの飛雄馬に、左門を敬遠して交代せよと命じる。 飛雄馬はそれに対して 「勝負させてください!」 とごねるわけだが、川上監督は飛雄馬のその言い分を聞いてしまうのだ。

 予想通り飛雄馬は左門にスリーランを浴び、飛雄馬は即刻2軍行きになる。
 ここで腑に落ちないのは、なぜ川上監督は打たれると分かっている飛雄馬の言い分を聞いたのか、という点だ。
 開幕初戦の大事な試合、しかも金田が打ち込まれたとはいえ巨人の追い上げもありシーソーゲームの様相を呈していたというのに、一発打たれれば試合が決まるという局面で、川上監督はなぜ飛雄馬に賭けたのか。

 私の考えだが、川上監督は、飛雄馬に一刻も早く引導を渡したかったのではないだろうか。
 いったん崖から突き落としたほうが、より頼れるピッチャーとして飛雄馬は甦る。 そこから見込める勝利数のほうが、開幕初戦とはいえ、目先の1勝を追うより、巨人軍にとって重要だ、そう踏んだからこそ、川上監督はそうしたのだ。
 また、開幕戦から、監督の言うことに逆らうとこうなる、というほかの選手への見せしめの意味も、たぶん少しはある。 原作本のなかではその理由について、何の説明もなされていないが、却ってそのことがこの物語の味わいを濃いものにしている、と言えるのではないだろうか。

 そのほかにも、大リーグボール1号をバットのグリップヘッドにあてる改良を飛雄馬が行なった際、阪急の西本監督を欺くためにわざと公衆の面前で飛雄馬を罵ったり、大量リードされたがために、オズマに大リーグボール1号をわざと打ち込ませたり、そのオズマの攻略法に対して予測を途中でぶった切るという方法を考え出し、あと2ヵ月というシーズンを乗り切ろうとしたり、とにかく川上監督は、先の先までしたたかに計算する、冷徹な勝負師なのだ。

 川上監督の虚々実々の駆け引き、と言って一番の傑作は、消える魔球をめぐる中日・水原監督、星一徹コンビとの対決だろう。
 実は中日側の策略にまんまと乗せられてはいるのだが、はじめ大リーグボール1号で勝負させようとし、最後の最後に消える魔球をアウトコースに外れるように投げさせる、という川上監督の作戦は、実に相手の意表をついた素晴らしい作戦だ。
 結果的にはこのことすらも中日側は予測していたのだが、しかし。
 消える魔球をくそボールにする、という発想は、実は飛雄馬の野球人生を根本から変える発想に私には思えてならないのだ。 これは別項で詳しく論じたいが、超人的とまで思える飛雄馬のライバルたちに、どうすれば太刀打ちできるのかを、川上監督なりに突き止めていたということになろう。

 ここで注目したいのは、中日側が、大リーグボール1号を永遠に引き分けにするという攻略法を編み出し、それを大リーグボール2号(消える魔球)の砂けむり封じに転用させたというカラクリの凄さだ。
 この中日側の作戦は、川上監督の作戦が前提としてなかったならば成立しなかった。 いかにこの物語における、川上監督の存在が重要だったか、ここからも分かろうというものだ。

 ここでちょっと考えられるのは、星一徹が飛雄馬のライバルとして野球界に復帰した動機に、息子との血で血を争う戦いのほかに、この冷徹な勝負師である、川上監督との対決をしたかったことも一因としてあるのではないか、という読み方も出来る点だ。
 ここで梶原サンが見せる川上監督・星飛雄馬・星一徹のバランス感覚は、まさに絶妙だ。
 川上監督と星一徹との駆け引きに重点が置かれれば、星飛雄馬はその駆け引きに翻弄される人形のような感覚になる。
 だが物語の主軸は、あくまで一徹飛雄馬親子の対決にある。 魔球を放ってきたのは飛雄馬であり、飛雄馬中心として物語が回っているからこそ、星一徹と川上監督の駆け引きが生きてくる。 キャラがひとりひとり完全に立っていることが、互いに存在を埋没させることのない物語として、「巨人の星」 を成立させているわけなのだ。

 飛雄馬のプロ野球人としての心得を見抜いていたのも川上監督だ。
 「すべてかゼロか」 の章で監督が指摘したように、飛雄馬の野球人生はよい時は無敵、悪い時はまるで役立たず、という両極端に傾きすぎている。 川上監督は、長嶋だって王だって10割打てるわけではなく、金田だって堀内だっていつも勝っているわけではない、もっと柔軟に立ち向かえ、ということを言いたかったのだろう。 結局飛雄馬はそのことに耳を貸さず、魔球と共に自滅するのであるが。

 飛雄馬が川上監督の助言を聞き入れなかったのは、飛雄馬自身が述べているように、持って生まれた気性によるものだったかもしれない。 だが本当の事情は、飛雄馬に完璧を求め続ける、ライバルたちのせいだったろうと私は考える。
 特に花形満。
 彼はその気になれば10割を確実に打てるバッターで、「悲しみも自らのエネルギーに変えてしまう」 ほどの超人である。
 そして星一徹。
 この人、中途半端という状態が大嫌いなのだ。 飛雄馬の持って生まれた気性はこの父親によるところが大きいが、それがいかに飛雄馬の野球人生をゆがめたか。
 飛雄馬にON並みの選手になれと言うのなら、もっとハードルが低くても構わない気が、私にはするのだ。

 話はそれたが、「巨人の星」 という物語にとって幸いだったのは、川上監督のような勝負師が当時の巨人の監督だったということだろう。
 「巨人の星」 にはそのほかにも、先に挙げた別当監督や水原監督、阪神の藤本監督など、物語を高度なものにしてくれる立役者が揃っていた。 そしてそれらの実在の人物をここまで縦横無尽に 「いじる」 ことができた、当時の世の中が持っていたバイタリティというものも、そこから読み取れるのだ。

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2010年2月 8日 (月)

「蒼窮の昴」 アフレコ気にならなければ、結構面白いです

 2月6日に第1回目から一挙再放送してくれたおかげで(NHKBSハイビジョン)、やっと見ることができました、「蒼窮の昴」。 まだ3回目までしか見ておりませんが。

 中国清朝末期(1880年ごろ)の話で、並みいる中国人だらけの出演者の中、主演を張っているのが、田中裕子サン。 しかも演じているのが、西太后ですよ。 いや、イメージ的にはピッタリですが、いろんな意味で、大丈夫なのかな、と思ったことは事実です。

 まず考えたのが、中国人にとってこの配役が、納得できるものなのか。
 日中の国民感情って、今あまり、よくないじゃありませんか。
 田中サンが 「おしん」 役で中国でも有名なのは分かっていましたけれど、中国人にとって、西太后自体が、あまりイメージがよくないのかな、だから日本人の田中サンでOKなのかな、なんて、ちょっと考えました。

 それから、田中サンの演技力にはいまさら何の心配もないのですが、まわりが中国人だらけで、中国語の違和感を出さずに、果たして演じきれるのかな、なんて思ったんですけど。

 いざドラマを見てみると、田中サンのセリフ、アフレコでした。 しかもそのアフレコ、田中サンがしゃべっているようには見えない。

 いや、田中サンだけ口の動きとあまりにも合ってないから目立つんですが、なんだかよく見てみると、出演者全員、どうもアフレコのような感じです。
 中国のドラマって、私ちゃんと見るのは初めてなんですが、未だにアフレコ使ってるんだ。 ハイビジョンだっていうのに(笑)。
 日本でも大昔は、アフレコのドラマって多かったですけどね。
 野外撮影だと、いろんな音を拾っちゃうから、それでアフレコなのかな。 経済発展が著しくて、車の音とかしていそうだし。
 でも、これは私だけの感覚かもしれませんが、ありのままを映しださずに、どうもあとから体裁を整えている、というのが、いかにも中国っぽいな、と感じたのは事実です。

 ともかく、見始めてそれに気付いてから、どうもアフレコばかりに神経がいっちゃって。
 でも、見続けるうちに、慣れたせいか、あんまり気にならなくなってきました。
 話が結構、面白いんですよ。
 まず、西太后を、権謀渦巻く希代の悪女、というようにとらえていない。
 京劇の演出家?をちょっとしたミスで百叩きの刑にしたり、確かにコワーイ部分もあるのですが。
 栄禄という、いかにも悪そうな側近の、悪くならざるを得ない事情も知悉しているし、甥の光緒帝を裏から操ろう、という所業も、実は人を信じることができないことからきている、というのを隠したりしない。 だから結果的に、人から誤解を受けやすい人物になってしまっている、という解釈の仕方を、このドラマではしている。
 だいぶ昔に、映画で 「西太后」 ってありましたけど、確かそこで描かれる彼女は、まるでホラー映画みたいなノリだったような気がします。 それに比べれば、だいぶソフトに改変されている気もしますが、とても人間的に描かれている。
 この西太后の解釈の仕方が、なかなか見ていて興味深い。

 もうひとつ面白いのは、この光緒帝に仕える科挙の首席、梁文秀とその義兄弟(ちょっと説明ややこしいので省略します)の弟、李春雲(春児)の物語。

 梁文秀が科挙の試験でのたうちまわりながら見た夢に、年老いた自分が出てきて、完璧な解答を残していく、という話は、見ていて実に面白かったなあ。 最初のうち、どうにもこの人の名前が頭に入らなかったのですが、「おじいさんのお名前をお教えください!」「梁文秀!」 というくだりで、やっと印象に残った、というか(頭悪い?)。

 そしてなんと言っても、ホントはこれがいちばん書きたかったのですが(笑)、春児の師匠になる、安徳海。

 このジイサン、ジャッキー・チェンのカンフー映画さながらの、強烈なキャラクターのお師匠サンで(笑)。

 なにしろワガママ、理不尽、すぐ怒る(笑)。
 だけどそれが、見ていてとても楽しいんですよ。
 いきなりかめの下の部分を割って、春児に 「水汲んでこのかめをいっぱいにしろ」、ですからね(笑)。 「そりゃムリ」 って言わせないところが、すごい(笑)。
 福っていう人の料理を春児が食べちまったからと言って、「オレだって食べたことないんだぞ!」 と春児をどつきまくる(笑)。
 次に何をやってくれるのか、興味津々でこのお師匠サンを見ています。

 そして西太后の田中裕子サンが出てくると、画面がまた、ピリッと引き締まる。
 ここらへんの緩急のつけかたが、とても心地よい。

 日中合同制作とはいえ、侮れません、中国ドラマ(アフレコ、というところを気にしなければ…笑)。

当ブログ 「蒼窮の昴」 に関する記事
いつの間に始まってたの!見逃した!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-079d.html
アフレコ気にならなければ、結構面白いですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/post-4cef.html
第4-5回 王道ストーリー、だけど面白い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/4-5-5869.html

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「龍馬伝」 第6回 本分をわきまえる、ということ

 千葉道場から追い出された福山龍馬、冒頭から、まるでリストラされたことを言えずにいつも通り家を出ていくお父さんみたいな設定(笑)。 お寺の境内で子供相手に油を売っている龍馬が、なぜか切ない(涙)。

 龍馬が道場をやめたことは、龍馬を訪ねてきた佐那(貫地谷しほりチャン)によって、溝渕(ピエール瀧サン)にバレてしまうのですが、ピエールサンは龍馬の監視役だったんでしょうか? 龍馬がきちんと当初の目的通り江戸で行動していないとまずい、というところが、ここから垣間見ることができます。

 佐那は龍馬に対して、もう一度千葉道場に帰ってほしいと懇願するのですが、まだ破門されたわけじゃ、なかったんですね。
 千葉定吉(里見浩太朗サン)も、おのれの剣術が黒船に太刀打ちできないことは、龍馬に言われるまでもなく分かっておったのです。 それでも、「侍は、剣をおのれの分身として、技を磨かねばならんのだ」 という自らの本分を、やはり見つめるしかなかったんですね。 レーゾンデートルを疑わざるを得ない出来事に翻弄されたら、まずは自らの原点を見つめよ、ということですか。
 「要は、坂本がそれに気付くかどうかじゃ」 と言う、定吉サン。

 かたや、黒船にうなされ続けたあげく、黒船のフィギュア作りに没頭している谷原章介サン演じる桂小五郎(笑)。 眼の下のクマ、ひどくなってます(笑)。
 この黒船フィギュア、なかなかうまい(笑)。 デアゴスティーニで売れそうだ(笑)。
 龍馬は桂が話していた桂の師、吉田松陰(生瀬勝久サン)のことを思い出し、なんとか会いたいと桂に頼むのですが、どこに行ってるか分からないという。

 いっぽう土佐では、武市半平太(大森南朋サン)が吉田東洋(田中泯サン)に呼ばれるのですが、ハナから東洋に攘夷の考えを粉砕されて、怒りの炎がメラメラな武市サン。
 この部分、武市は上申書にも攘夷の思想出しまくりだし、お殿様(近藤正臣サン)からも 「ワシのことを褒めちぎってるけど、所詮下士でしょ」 みたいに思われているのに、なぜいちいち東洋が武市を呼び出すのかが分からない。 別に武市に反感を買わせるようなことをわざわざしなくたっていいのに。 こんなところで将来の種をまかなくってもねー(笑)。
 それにしてもまた武市サンの怒りのBGMが、とってもオーゲサで、好き(笑)。 「ハゲタカ」 が始まりそう(笑)。

 そして松陰が黒船に乗り込むことを、松陰から桂への手紙で知った龍馬、とうとう松陰と出会う。
 この生瀬松陰、これまで私がドラマで見てきたどの松陰よりも、かなりアツい。

 松陰の渡航へのあふれる情熱に感銘して、いっしょに連れてってくれと頼む龍馬を、初対面にもかかわらず、思いっきりぶん殴る(笑)。 「バカタレェェッ!」。 アツすぎる(笑)。 …別に殴んなくたっていいと思いましたが(笑)。

 そこで松陰センセイの放った言葉。

 「きみは何者じゃ! 何のためにこの天の下におる! きみがやるべきことは、何なんじゃ! …考えるな。 おのれの心を見ろ! そこにはもう答えがあるはずじゃ!」
 別に考えてもいいと思いましたが(笑)。

 でもこれは、自分の本心にウソをつくな、自分のやりたいことに正直に生きろ、っていう意味じゃないと思いました。
 冒頭に述べたとおり、「自らの本分をわきまえろ」 ってことじゃないかと思うんですよ。
 まずは為すべきことを為さねばならぬ。 自分の生活のため、家族のため。
 自らの足元も定まっていないものが、自分のやりたいことをそのままやっても、それは上っ面だけのうすっぺらい結果しか生まないだろう。 そんなことを松陰サンは、言いたかったんじゃないでしょうか。

 そして龍馬は、再び千葉定吉の元へ戻ろうと決意する。
 「わしは、間違ごうちょりました。 わしは剣を、道具じゃと考えてしもうたがじゃです。 おのれは何者か、おのれが進むべき道はどこながか、それは、おのれを極限まで追いつめ、無の境地に達してこそ、見えてくるがです」

 そんな龍馬に、千葉定吉は質問する。
 「剣で、黒船に立ち向かえるのか?」
 龍馬は、こう答える。
 「黒船に通用するかせんかは…剣ではなく…この坂本龍馬ゆう人間の問題です」

 このシーンを見ながら、千葉道場のほかの連中と龍馬と、どう違うのかな、と考えたりしました。
 もしも、自分のやっていることが無意味だという出来事に遭遇なんかしたら、ふつうは疑問を感じながらもただ漠然そのことを続けるか、それともきっぱりとそのことをやめてしまうかのどちらかでしょう。 やはり極限まで自分を見つめないと、龍馬のように大きく羽ばたくことはできないのかなー、なんて。

 そして今週の 「弥太郎伝」。

 千葉道場の修練を終えて土佐へ帰る龍馬と入れ違いみたいな感じで、江戸に行くことが決まった弥太郎殿。
 お殿様に出した上申書が商人に読まれて、そのつてで江戸に行けるようになったんですから、どこにチャンスが転がっているか分かりません。 例えて言えば、ビートルズが大手デッカレコードのオーディションに落ちたけど、EMIのジョージ・マーティンにそのせいで見い出された、とか(この例え、ちょっと変だ…笑)。
 その勢いで弥太郎殿、加尾(広末涼子チャン)にプロポーズをしてしまうんですが、その時の加尾チャンの表情、戸惑いまくってるのがありありで(笑)。

 歯、みがいて出直して来い!(笑)

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということ(当記事)
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html

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2010年2月 7日 (日)

「恋のから騒ぎ」 2月6日 PTAチャンの危険なダンス、再び…

 「恋から」 2月6日ゲストは、倖田來未チャン。
 このところ全盛時の勢いはありませんが、しゃべらせるとやはり面白い。 この人って、「独占!女の時間」 みたいなノリを持ってると、思うんですけど(笑)。
 「恋から」 メンバーとの息も、ミョーにピッタリです。 メンバーにしたいくらい(笑)。 「恋から」 メンバーも、未だに 「キューティーハニー」 が定番のようで(案外数年前からヒットチャートが止まってますね…笑)。

 PTAチャンの、くぅちゃん(…)登場でのテンションも半端じゃなくて、歌うし聴くし踊るしで(笑)、それでカレシに引かれて別れ続けている…という。 くぅちゃん 「ゴメーン!」(笑)。

 そのくぅちゃん、テンションが低かった日に妹のmisonoチャンに慰めてもらって、その勢いでmisonoチャンがさんまサンに電話し、フジテレビの番組の新年会に行っていい?とか無理なお願いをしてきたとか。 なんか、いろいろ大変なんだなーという一面ものぞかせてくれました。

 で、今回特に可笑しかったのは、PTAチャン。
 クラブで踊ったりもグイグイしているらしいのに、終始自分ひとり(笑)。
 クリスマスも一晩中踊って朝になったら誰もいなくて、ハタチくらいの男の子から 「お姉さんもさびしいですね」 と言われ、370円の 「富士そば」 をおごってもらった(笑)とか。
 超イケメンの彼氏もいたらしいのですが、トイレまで押しかけて行ったのが災いしたのか(笑)、その夜以来会っていないらしい(笑)。

 「キューティーハニー」 の民謡チャンとのコラボレーションの話も面白かったです。 「ハニーフラッシュ!」 と民謡チャンが民謡調で歌いながら、PTAチャンがあの腰フリダンスを踊る(笑)、という。

 PTAチャン、その腰フリダンスも、久々に披露してくれて。
 頼まれもしないのにさんまサンのところまで行って、またさんまサンの足に吸いつくようなダンス。
 さんまサン、完全に固まってしまって(笑)。
 「またこれ2週間取れへんねん、この…この感触が…なーんかカマボコで突かれたような…」(笑)。

 で、説教部屋行き(笑)。

 「こうなったら同性と付き合うしかないじゃないですか」「もう早く、結婚という結果が欲しい」 みたいなテンションで話しまくるPTAチャンを見ていて、この人って結構、さびしんぼうなのかな、などと思いましたです。 自分の性的衝動に正直すぎる(笑)、というきらいはありますがね(笑)。

当ブログ 「恋のから騒ぎ」 2009-2010年(16期)に関するほかの記事
アッハーハー、笑えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-ce54.html
ふくスま弁だぁ~http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-8d55.html
ミスピーチ、がんばってねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-775d.html
ミスピーチ改め民謡の魔性の実態http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/post-d59c.html
今週のミスピーチ、いや民謡チャンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/523-e36e.html
今週の民謡チャン第2弾http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/post-47af.html
民謡チャン、白虎隊は福島県人の誇りでしょhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/07/post-c994.html
ビリー・ジョイトイって…(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/07/post-a64e.html
民謡チャン、方針転換ですか?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/08/post-7840.html
最近どうも、モヤモヤしますhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-af2a.html
ハイパーチャン、暴走し始めた(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/post-03df.html
民謡チャン、久々ヒットで、アタシャうれしい!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/post-4ec3.html
民謡チャン、やっちゃいましたねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/1212-0482.html
うわっ、出っ歯じゃ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/1226-2022.html
ハイパーチャン、なんかすごいなあhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/19-9f33.html
ハイパーチャン、メンバーから嫌われ始めた?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/116-d3b1.html
ハイパーチャンも、ものきのデルモも…http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/130-484e.html
PTAチャンの危険なダンス、ふたたび…http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/26-pta-a309.html
アレ?鬼太郎チャン、戻ってきた?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/213-d701.html
驚いたことふたつhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/36-pta-2040.html
「ご卒業SP」 MVPの意外すぎる人選http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/09-10mvp-a88b.html

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2010年2月 6日 (土)

「君たちに明日はない」 第4回 必要とされているか、やる気があるか

 「君たちに明日はない」 第4回は、「ちりとてちん」 の草々役だった青木崇高クンが、リストラの対象候補。 私久しぶりにムネムネクン、見ました。
 とは言っても、前回の内山理名チャンと同じように、別に辞めさせる必要のないほうの人間。
 前回はこの時点で、やめさせる必要もなければ面接でその旨を理名チャンに伝えるとかすりゃいいのに、で終わりの話だったんですが(しかも袴田吉彦クンが、すごく仲のいい同僚のクセに理奈チャンと結婚しないという不可解な役でした)、今回はちょっと違う。

 坂口憲二クンは崇高クンが優秀な銀行マンだということを早いうちから把握し、トラブルで現在の部署に飛ばされてくすぶっている崇高クンを、自分の力がじゅうぶん発揮できる仕事をやらせるために、あえてむりやり崇高クンが務めているメガバンクを辞めさせようとするのです。

 物語では、坂口クンと崇高クン、そして崇高クンを欲しがっている坂口クンの友人、この3人が同じ高校の同級生だった、という、結構出来すぎた設定。
 そして坂口クンとその友人(北村有起哉サン)が落ちこぼれ組、崇高クンが優等生だった、という設定。 優等生だった崇高クンを、劣等生だった坂口クンがリストラする、という構図を作り出しています。

 そのため、最初 「どんなことがあってもあいつをリストラしてやる」 と息巻く坂口クンが、まるで高校時代の遺恨を晴らそうとしているように、見ている側に思わせる演出をする。
 要らんです、こんな演出。
 なんで見ている側に 「こりゃダメだ」 と思わせるような幼稚な引っ掛けをしようとするんですかね、この脚本家の人。
 こんなことをするから、主人公に感情移入できなくなっちゃうんだと、思いますです。

 それはそうとして、崇高クンの奥サン役が、遠藤久美子チャンだったんですけど、うわ、やっぱり久々です、この人見たの。 ずいぶん大人になりましたね。 なかなかいい演技をなさるじゃないですか。 もっといろいろ、ドラマにお出になったらいいのに。

 その奥サンが、これまたよくできた、出来すぎの奥サンで。
 「ムネムネがその仕事が好きで、本気で打ち込んでいなければ結婚はしない」 という、そんなこと言い出したら誰とも結婚できんだろ(笑)、という条件をわざわざ崇高クンに突破させて、それから結婚したという、何様じゃオマエ(笑)みたいな女だったんですけど(笑)、崇高クンが自分が本当に打ち込める仕事に転職したい、と言い出した時、それにあくまでついていく決意を見せるんですよ。 ああ~、できた嫁だ。 そりゃ、あんな結婚条件つけたくらいだから、このダンナの転職話にノーと言うわけにはいきませんよね(笑)。

 私が今回のドラマを見ていて感じたのは、自分のやる気をそのまま前面に押し出して仕事ができることの、ある種の幸せです。

 崇高クンが坂口クンにリストラを拒絶する理屈として言い放ったセリフ。
 「世の中には、本当に思い通りのやりたい仕事ができている人なんてごくわずかですよ。 みんな我慢して、それでもがんばって仕事して、そうやって給料を頂いて、家族を養っていく。 そういうもんでしょ」
 「これから辞めて、再就職したとして、満足できるような職業に就けると思いますか? 辞めてもっとひどい状況になることだって考えられるんでしょ? じゃ、今のままでいいと思う自分だって、間違いじゃないでしょ?」

 つまり、みんな我慢しながら仕事をしているのは、生活のため、なんですよ、ほとんど今のこのせちがらい世の中では。 だからこそ、自分の打ち込める仕事を選べる、という崇高クンのこのドラマでの役どころは、実は相当幸せである、と言っていい。

 崇高クンのように、自分がやる気のない部署に回されても、とりあえずちゃんと毎月の給料が保証されている、という状態も、同時に幸せであると言うほかはない。
 ただやる気がなくても将来にわたるまでただで済む話なら、いいんですがね。

 ところでこれは仕事に対するやる気とは、ちょっと別の話になってしまいますが、私のまわりでは仕事中、「とりあえず」 という言葉がとても頻繁に使われます。 まるでこの業界全体の流行語のような感覚です。

 これって、私たちが仕事に対して持っている気持ちと、とてもリンクしているような気が、するんです。

 「とりあえず」、自分の本当にやりたいことは、こっちへ置いといて。

 「とりあえず」、肝心な人生の問題は、こっちへ置いといて。

 「とりあえずとりあえず」 で一応やっといて、自分のやる気を少しずつずらしながら集中させようとする。
 だから仕事に対しては、結果的にとても打ち込んでいることは打ち込んでいる。
 だけども今回のドラマが問いかけてくるように、「それってホントに自分のやりたかったことなの?」 と言われると、それはちょっと違う。 心から楽しんでやっているのか?と言われると、ちょっと違う気がする。

 結局崇高クンが言ったように、「本当に思い通りのやりたい仕事ができている人なんて、ごくわずかだ」 と自分に言い聞かせるしかないんですよ、普通転職もままならない人からすると。

 そして渡りに船、みたいな話がない人間は、田中美佐子サンのように、あてどもなく転職先を探し続けなければならない。

 でも田中サンの再就職先、このドラマでは前田吟サンとか、落としどころはそこらに転がっているような気がいたしますが(笑)。

当ブログ 「君たちに明日はない」 に関する記事
第1回http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-f372.html
第2回(番外)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-d86b.html
第2回http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-1c05.html
第3回なし
第4回(当記事)
第5回http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/5-9c41.html
第6回(最終回)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/post-d0bd.html

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「久米宏 ラジオなんですけど」 堀井美香アナ、カップ焼きそば食べたことないな(笑)

 2月6日TBSラジオ 「久米宏 ラジオなんですけど」 のテーマは、インスタントラーメン。
 毎度のことですが、食べ物関係のテーマをやるとき、決まってスタジオで食べるんですが、今回はインスタントラーメンつながりで、カップラーメンをスタジオで作っていました。 久米サンはカップヌードルシーフード味、堀井美香アナはペヤングソース焼きそば。
 シーフード味は私、カップヌードルのなかでもいちばん好きですね。 単なる塩味じゃなくて、とんこつチックな感じが好きです。 でもとんこつではないんだよなー。 何なんだろうと思います、あのスープの原材料って。

 それで、スタジオで作られたペヤングソース焼きそばだったんですが、出来上がっちゃってから、堀井アナ、かやくを入れるのを忘れていたことに気付いたらしくて(笑)。
 結局久米サンに無理矢理ふやけてないそのかやくを入れさせられたらしく(笑)、ボリボリと硬いキャベツとミンチ肉を食べさせられていたみたいです(笑)。 「歯ごたえありますね、このキャベツ」 とか(笑)。

 でもまあ、私がン十年前、初めてカップめんの焼きそば(やはりペヤングだった気がします)を食べた時よりはマシかなあ。

 最初にお湯を入れるとき、かやくもソースも、いっしょに入れちゃって(笑)。

 んで、お湯を捨てる時、ソースも混じった茶色の液体をドボドボ捨てて(笑)。

 これでいいのかな~?と思いながら食べ始めたら、いやー、味が薄い(笑)。

 子供だからはじめての失敗にパニクっちゃって(笑)、冷蔵庫にあるソースをかけりゃいいなんてことは、思いもつかなくて、悲しい思いをしながら、捨てました(笑)。

 それ以来、ペヤングソース焼きそばには、理不尽な恨みを抱きながら、生きてまいりました(笑)。
 ずいぶんしてからちゃんと作って食べた時には、焼きそばなのに焼いてない、という違和感は持ったものの(笑)、「結構うまいじゃん」 と思いながら食べたものです。

 堀井アナの失敗を聞きながら、そんな昔のことを思い出してしまいました。

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「崖の上のポニョ」 童話の価値基準をもつ動く絵本

 金曜ロードショーで、「崖の上のポニョ」 をやっていたので、見た。 公開時劇場で見て以来である。
 正直なところ、途中あまりのCMの多さに辟易したが、CMが多かった部分は映画の流れ的にも、結構ダレる部分だったので、これはこれでよかったのかもしれない。

 それで気付いたのだが、この映画、クライマックスが、前半に集中している。
 その最大のものは、ポニョと宗助が嵐を超えて再会するシーンである。

 ラストでの、ポニョが人間になるくだりなどは、序盤の卒倒しそうな枚数の、手書きで描き込まれた海中のシーンや、ただひたすら宮崎監督のブッ飛んだ精神状態に圧倒される嵐のシーンに比べれば(慣れてしまったこともあるが)、動画的にもあまり大したことはなく、しかも物語の状況的に、急に分かりづらくなっているのは否めない。
 この映画がアカデミー賞の候補に入れなかった、というのも、映画の全体な体裁として、後半の盛り上がりに欠ける、という点が大きな理由だった気がしてならない。 アメリカ人は、日本的情緒を伴った、説明するのが困難なものを、あまり望んでいない。

 「ポニョ」 後半に流れているのは、きわめて精神的で説明困難な、宮崎監督の 「理想」 の世界だ。

 それは、水没してしまう街への強烈なあこがれであったり、思いが強ければ望みは叶うことへの願望であったり、本質的に悪い人など存在しないのだ、という希望であったりする。 アメリカ人が望んでいるのは、そんな小難しい理屈ではなく、ただひたすらクライマックスに向けて、物語が高揚していくことなのではなかろうか。
 別にアメリカ人に受けようが受けまいが関係ないが(笑)。

 盛り上がりの持っていきかたがちょっとヘン、というのは、そのクライマックスに向かって盛り上がっていく、という映画の手法に、宮崎監督が疑問を投げかけたことの表れ、という話もネットで読んだのだが、まあ、その話は別に譲るとして。

 この映画が基本的に立っている視点は、あくまで子供の目線だ。

 このアニメの世界を見ていて、私などはとても童話絵本的だなあと感じる。
 つまり、設定的にはいつものような宮崎監督特有の小難しい理屈が隠れているとはいえ、状況設定が、実に乱暴で、非現実的なのだ。

 宗介の母親リサの車の運転はエラク荒っぽいし、ポニョと、ポニョの父親フジモトとの関係もなんかあいまいだし、なんで月が近づいてみんな水没しちゃうのかも分からないし、水没って世界全体がそうなっちゃったのかどうかも分からないし、グランマンマーレとフジモトの関係もちっとも分からないし、リサはポニョの存在に全く不信感をもたないし、宗介たちを置いて老人ホームに行っちゃうし、老人ホームの人たちが後半どのような状態になっているのか、その事情もはっきりしないし、いちいちその理由を考え出したら、きりがないくらいの乱暴な話の連続なのだ。

 けれどもその、いちいち理由を考えると全くワケが分からない、という設定って、実は子供たちが読んでいる童話や絵本に、それこそ掃いて捨てるほどある。
 「ポニョ」 とは、そうした子供の目線で見ることを強いられる作品でもあるのだ。

 だからそれができない大人たちは、ワケが分からないとけなしてみたり、後半盛り上がらないとかケチをつけたり、リサの母親としてのあり得なさに過剰に反応したりする。

 例えば、宗介が母親のことを呼び捨てにするのは、リサが宗介に対して、父親の代理としてこの家の主としての立場をもたせていることの象徴であって、リサの運転が荒っぽいのは、一緒に車に乗っているのが自分の子供ではなく、対等なパートナーとみなしているからこその行動だと、そうとらえられないだろうか。

 これは別の角度から見ると、過保護すぎる今の子育てに対する、宮崎監督のアンチテーゼ、という意味合いも持っているように思える。

 この映画は、理屈で見ることを拒絶している。

 この映画を全編貫いているのは、ポニョという女の子に対する、宮崎監督の深い共感だ。 ポニョはとても元気で、疲れたら何を差し置いても寝てしまう。 「宗介、好き!」 という感情に突き動かされて行動しているし、ポニョを見ていて嫌悪感を抱く大人など、まずいないと言っていいだろう。 子供は、なおさらだ。

 子供というのは、元気でなければならない。
 子供というのは、正直であらねばならない。
 子供というのは、自分から何でも考えて行動しなければならない。
 親はある程度子供に教えなければならないが、そこから先は、過保護になってはならないし、子供を受動的人間にさせてはならないのだ。
 そういう宮崎監督の思想が、リサや宗介やポニョというフィルターを通して、展開していくわけなのだが。

 この映画を劇場で初めて見たとき、私は同じ宮崎サンの 「パンダコパンダ」 にとてもよく似ているような印象を持った。 展開がシュールすぎる、やりたい放題やっている、という点においてだ。
 だが今、もし 「パンダコパンダ」 と同じ映画を作ったら、きっと宮崎サンは袋叩きにあうだろう、とも思った。 それだけ今は、宮崎作品は、厳しい衆目の中にさらされている。 実際 「ポニョ」 において、宮崎監督は 「パンダコパンダ」 を半分くらい、やっちゃっている。 その結果、世の中の 「良識ある大人」 たちから、批判の矢を受けている。
 きっと宮崎サンはアニメーターとして、ただダイナミックに絵を動かしたいだけなんだ、と私はいつも思っている。 だからこそ、毎回のように批判にさらされているのは、いかにも気の毒に思えてならない。

 と同時に、宮崎監督の主張が、ただいたずらに受け入れられない、そんな価値観が大手を振っている現代の風潮に、悲しさを感じざるを得ない。
 確かに少子化で、ずっと世の中不況で、そんななか子供たちをちゃんと育てようとすれば、過保護にならざるを得ない事情はあるだろう。
 公園の遊具で怪我をすれば大騒ぎになり、海や川で子供がおぼれ死んでしまうと、親の責任がまた騒がれる。 今は、それが当たり前の世の中になっている。
 けれども、もっと放りっぱなしでも、いいんじゃないか。
 危険なところへ子供が行こうとすれば、親がそれを止めるのは、当たり前のことだけれども、ある程度は痛い思いをしなければそこが本当に危険だと、子供は分からないのではないか。
 火を使えばやけどをしたり、ナイフを使えば手を切ったりする。
 けれども、やらせてみればいいではないか。
 宮崎監督が言っているのは、それだけの単純なことなのだと、私は思う。 死んだり不自由になったりしない範囲で見守ってやること、これって結構、大変なことではあるのだが。

 宗介はふだんから一人前の男としてリサに扱われているから、リサは宗介を置いて老人ホームに向かってしまう。 ただそれだけのことなのだ。
 しかし、一人前に扱われているからこそ、宗介はよその子供とは違うプレッシャーを、絶えず抱えている。 だから、何かの拍子にその緊張がぷつんと切れ、泣きじゃくったりする。
 だが、それでいいんだ、と宮崎監督は思っているに違いない。 宗介がいい子を演じていてかわいそう、なんて、それは言わば、親のエゴなんだ、と。 グレたらどうするんだって、グレたら家から叩き出せばいい。 親のすねをかじって甘えているから、グレることもできるんだ、ということだろう。 …話がヘンな方向になってきた(笑)。

 要するに、「何でもかんでも、子供にやらせてみたらいいだろう」、ということに、この物語の乱暴さの原因が、すべて集約されている、そう私はこの映画をとらえている。

 いずれにせよ、「崖の上のポニョ」 は、宮崎監督の、「絵を動かしたいんだ」 という衝動(狂気?)(笑)をこれまでのどの作品よりも、感じることのできる作品だ。
 そして同時に、純粋に生きること、そして自分の行動に責任を持つこと、この一見相反するような 「人生にとって大事なこと」 を問いかけている作品だ。

 それは宮崎監督が終始我々に訴えかけているテーマでもある気がするのだ。

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2010年2月 5日 (金)

「不毛地帯」 第14回 壹岐サン悔しがる、の巻

 イランの石油開発の情報を求めて暗中模索とも言える苦労を重ねる兵頭(竹野内豊サン)。 正直今回の序盤、兵頭の奮闘ぶりは、ちょっと見ていて退屈だったです。 なんだか外人が、みーんなウサン臭くて(笑)。 よくこんな中で、信用できる相手を探し求めてるよ、って感じで。
 ボブカットにして再登場の紅子(天海祐希サン)も、相変わらず旦那とは寒々しい結婚生活しているみたいでした(笑)。 ま、彼女のおかげで竹ノ内サンは有力情報をつかんだんですが、結果的には、なんかイージーだったなー、なんていう感想になってしまうんですよ。

 壹岐(唐沢寿明サン)と千里(小雪サン)とのすれ違う恋愛も、なんかアクビモノ。 ただ、たった一夜小雪サンが壹岐のマンションに泊まった日の翌朝に、壹岐の娘(多部未華子チャン)が訪ねてくるって、…このあまりにも間の悪すぎる展開は笑っちゃいましたけどね。 そりゃあり得なさ過ぎ!というか(笑)。 なに狙いすましてるんだか…(どっちが?小雪サン?未華子チャン?…笑)。

 ところで見ごたえがあったのは、やはり東京商事の鮫島サンにまたまた出し抜かれて、兵頭の苦労の結晶であるサルベスタン鉱区の入札を五菱五井とともにほとんど横取りされてしまうところ。 後ろ姿の壹岐サン、怒りでブルブル震えているのが、よーく分かりました(笑)。

 ここらへんの壹岐の行動を見ていて、ちょっと思ったんですが。

 前回までのフォーク社と千代田自動車の提携ご破算の時もそうなんですが、どうも壹岐の仕事ぶりに、肝心なところで隙ができる、というか。
 前準備は完璧なんですよ、この壹岐という男は。
 ただ、外堀を最後まで埋めてしまわない、詰めの甘さがある。

 フォーク社との話の際も、里井副社長に押し切られたという面はあったにせよ、フォークの使節団の不審な動きに気付きながらもそれを近畿商事の接待サイドに周知徹底させない、という甘さがあった。

 今回も、日本石油公団総裁の貝塚(段田安則サン)に、不用心に頼り過ぎている。
 この貝塚という男、10年前に壹岐の親友であった川又(柳葉敏郎サン)を自殺にまで追い込んだ防衛庁の元お偉いサンで、川又の葬儀の際壹岐とひと悶着あった因縁を抱えていたんですが。
 なのに、そのことを壹岐は忘れすぎなんじゃないですかねー?
 貝塚が壹岐との最初の接見のとき、「政治家と結託して私に有無を言わせぬ状態にしてるんじゃないのかね」 などと話しておりましたが、じっさいのところそうしていれば、鮫島サンに出し抜かれるようなことはなかったんじゃないか、と。
 貝塚が電話になかなか出ない、という段階で、…いや、もうその段階では、遅すぎる(笑)。 でも、もしかしたらお偉い方に相談するとか、その時点でできたかもしれない。

 それにしても、鮫島サンはサルベスタンの情報を、どこで手に入れたんでしょうかね? なんか初めて、鮫島サンが憎々しく思えました(笑)。

 やっぱりアクビかみ殺しながら見ていた前半の竹ノ内サンの苦労を、ちゃんと見ていたせいなのかなー。

当ブログ 「不毛地帯」 に関する記事
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-6a81.html
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/1-05a5.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/2-w-070f.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/3-4bae.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/4-9755.html
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/5-abb7.html
第6回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/6-d4bd.html
第7回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/7-8677.html
第8回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/8-4f4a.html
第9回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/9-cdc5.html
第10回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/10-183b.html
第11回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/11-0587.html
第12回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/12-68a7.html
第13回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/13-2599.html
第14回 (当記事)
第15回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/15-d4df.html
第16回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/16-3ac8.html
第17回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/17-2-6e30.html
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-b645.html
第18回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/18-5177.html
第19回(最終回) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-7b99.html

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2010年2月 4日 (木)

「とめはねっ!鈴里高校書道部」 第5回 希望の轍、名曲だ…

 書道甲子園のパフォーマンス部門に出場するのに、高橋英樹サン演じる書の大家センセイから強烈なダメ出しを食らって、分裂状態になってしまった、鈴里高校書道部。

 そのダメ出しを食らった書のテーマがperfumeの 「ポリリズム」 だった、というのは単純に笑えますが、加茂チャン(赤井沙希チャン)三輪チャン(浅野かやチャン)はこの一連の流れの中で、書道部をやめようとしてしまう。

 ここらへん、「やる気をなくす」 という人の心の動きを的確に追っている気がしました。
 自分がよかれと思っていたことを否定される。
 しかも、その理由が分からない。
 とどめに、自分が必要とされていないことを感じる。

 そして、事実上分裂状態になっていく書道部のなか、ブチョー(亜希子チャン)が感じる寂寞感。 誰も練習に来ないというさびしさ、書道甲子園に出るのはやめようと言いだす悔しさ。 ブチョーが泣きながら書を書き続けるところは、とても孤独感があふれていて、泣かせる場面でした。

 確かに、自分たちのやりたいことに対して突っ走っていく、という姿勢は大事なのですが、それ以上に大事なのは、ただ面白がるだけではダメだ、心がこもってなければダメだ、ということなのです。

 高橋英樹センセイが本当に言いたかったそのことは、実は別に難しくもなんともないことだったのですが、それを突き止めるまでには、鈴里の書道部員たちはいろんなことに突き当たる必要があったわけです。

 そこで縁チャン(池松壮亮クン)の父親(ダンカンサン)が望月(朝倉あきチャン)の母親(葉月里緒奈サン)に宛てて書いたラブレターの問題が決着していく。 ここらへんの話のたたみかけ方も、よかった気がします。 これで勅使河原クンへの望月の勘違いも解けたわけですし、ダンカンサンの長年の思いが葉月サンに伝わったわけですし。
 ま、ダンカンサンと葉月里緒奈サンが、同級かどうかは知りませんが同じ高校の書道部だった、というのにはちょっと無理があるような気がしましたが(笑)。

 そこでダンカンサンが葉月サンに伝えたかった思いが、サザンオールスターズの 「希望の轍」 の歌詞。 これをダンカンサンが書にして書くんです。
 この曲、桑田サンが監督を務めた映画 「稲村ジェーン」 の挿入歌で、「真夏の果実」 と双璧をなす名曲です。
 我々の世代にとってはまさに究極の思い入れあふれる曲なのですが、今どきの高校生にとっては、どうだったんでしょうか。
 このドラマの舞台が江ノ島近辺なので、ほかの地域の高校生よりは、ちょっとは馴染みがあるとは思うんですが。 「エボシライン」 とか。

 それにしても、あらためてこの曲の歌詞を書にされているところを見ると、さほど違和感を感じない。 なんとも不思議な感じがしました。
 桑田サンの歌詞は突飛な部分ばかりが印象的なのですが、こうやって書にされてもおかしなところを感じない、ということは、実は日本語としてもかなり優れたものを持ち合わせている、…あらためてそう感じました。

 それを見て朝倉あきチャンと池松クンは、そこに心がこもっているから見るものを感動させるんだ、ということに気付き、高橋センセイが言いたかったことを、ようやく理解するのですが、高橋センセイ曰く、「時間がかかりすぎじゃ!」。 そのとーり(笑)。

 加茂チャン三輪チャンも 「希望の轍」 の意味を知り、書道部に戻ってくるのですが、必要以上にカンドーの嵐の書道部顧問、八嶋智人サン(笑)。 やはり 「希望の轍」 の世代ですからねー、無理もないです。

 なかなかの佳作だったこのドラマ、早くも来週最終回。 結構登場人物たちに感情移入している自分がいます。

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朝青龍引退を聞いて

 速報でこのニュースを聞いて、やはり驚きましたが、相撲というものがなんであるのか、ちょっといろいろ考えさせられる、朝青龍の身の処し方でした。

 よく言われるのは、相撲というものは日本の国技である、というとらえ方。
 と同時に、日本相撲協会が取り仕切っているのは興行であるから、国技には当たらない、というとらえ方。
 日本の国技である、という考え方には、相撲という、あえてスポーツと呼ばせてもらいますが、このスポーツが神事と密接にかかわりあっている、という側面があると思います。
 そんな相撲は、いくら興行、という形態を取っていても、やはり一般のスポーツとは、すこしばかり性格が違う。

 神事という性格を有している以上、取り組みには常に、神の御前で行なっているという態度が求められている。 勝っても負けても態度や表情に出すなとか、礼をきちんとしろだとか。
 最高位である横綱には、そうした品格においても最高のものが求められるのは当たり前のことなんですが、朝青龍は、常に品格という点で問題を起こし続けてきましたよね。

 このことに対して、土俵上で喜怒哀楽を表現してもいいじゃないかとか、そういう考え方で朝青龍を支持する人たちも、確かにいます。
 確かにそのほうが面白いし、見ている側も感情移入できる面がある。
 私もそのことについては、あまり異論がありません。
 だって神の前で喜びや悔しさを爆発させたって、別にいいじゃないですか。 力比べなんですから、基本的に。 それをとやかく言う神様なんて、いないんじゃないでしょうかね。
 闘争心、あって結構。 勝ってピョンピョン飛びはねていたんじゃ、さすがに引きますけど(笑)。

 ただ朝青龍の場合、土俵外のところで、問題が多過ぎましたね。

 結局朝青龍は、神事と密接に結びついた日本の国技、という日本固有の考え方から、はじき出されたような気が、私にはするのです。

 そして神事と密接に結びついて神妙に取り行なっている日本の相撲界が、すでに力比べ、という本道からはじき出されている気も、同時にするのです。
 力を比べるべき場で形式ばかりを重んじ、弱体の一途をたどっている。
 だから外国人力士に勝てる日本の力士が、全く出てこない。

 確かに特殊な世界ですよ、相撲界というところは。
 ふんどし、失礼、まわしいっちょでほとんど裸でしなきゃならないし、それでなくたってみんな体重が多くなければ務まらないし。 デブ、というにはちょっと実際の力士は筋肉のカタマリで違うんですが、外見上はあくまでデブ、ですからね(笑)。 その見かけデブの人が、人前でほぼハダカ状態にならなければいけない、というのは、子供のころから相当相撲に慣れ親しんでいないとできない所業のような気が、するんですよ。 そのためには子供の相撲人口自体を、増やしていく必要がある。

 そのことから始めなければならないのに、ただいたずらに外国人力士ばかり集めてきた結果が、今の相撲界じゃないんですかね?
 朝青龍は、今の相撲界から、生まれるべくして生まれたアンチヒーローだったんだと、私は思うんです。

 しかし惜しいですね。 高砂サンが、もっときちんと教育してりゃよかったと、個人的には思いますよ。

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「曲げられない女」 第4回 フンコロガシのジレンマ

 母親の死で、「何のために生きているのか、分からなくなった」 菅野美穂チャン演じる、オギワラサン。
 人生の目標を失ってさまよい続ける彼女が立ち直るまでが、今回のメインテーマ。
 見終わって気がつけば、笑いながら泣いてました、私。
 まっすぐであるがゆえに、必要以上に傷つき、必要以上に落ち込む。 その悲しさと可笑しさを同時に表現しているうえに、まっすぐであるがゆえに、普通では得ることのできないものも最終的に手にしている。
 このドラマの吸引力というのは、それを説教臭く見せずに、ギャグとシリアス交互の波状攻撃で見ている側を攻めてくるところにある、と感じます。 あり得ない展開をここまで見せることのできる、脚本家の遊川サンの真骨頂を見る気がします。

 谷原章介サンが今回冒頭、ケータイで美穂チャンと話をしようとしてやっぱりやめる、というところは、前回お母さんから娘のことを頼まれたことの重さが少々ウザかったから、という話の運び方は、やはり感心します。
 今回のドラマでは、全体的に 「必要とされること」「友情」 みたいなものがキーワードとして横たわっていた気がしますが、みんなちょっとそのことを重たく感じたりする側面と、実は裏腹なのだ、という場面が、同時に展開されていた気がします。

 だからこそ、シリアスな場面をシリアスで決して終わらせず、笑わせることで見ている側を納得させようとしている。
 谷原サンが美穂チャンのケータイ登録に使っていたコードネーム(笑)は、「日本一表情の分かりにくい女」(笑)。
 そこにかかってきた電話は、「日本一にぎやかな主婦」(笑)、永作博美チャン。

 単身で美穂チャンのところへ向かった永作チャンが見たのは、部屋でかかっていたマイケルの 「スリラー」 さながらのユーレイみたいな美穂チャン(笑)。 パソコンのツイッター、じゃなくって 「ツブヤイッター」(笑)にも、「人は何のために生きているのか、考え中なう」(笑)とか、ネガティブなつぶやきを何件も公開中、しかも反応さっぱりなし(笑)。 ゴミ箱にはちっともゴミが命中せず、マンションの契約更新通知まで(笑)。 そのたびお寺の鐘みたいな効果音が 「ゴォォォーン」(笑)。

 このドラマで感心するのは、大まかなギャグ設定がしっかりしているうえに、こうした細部にわたる点まで考え抜かれている点にあると思います。

 身も心もフヌケのような美穂チャンですが、谷原サンと永作チャンのなぐさめパーティで、司法試験に受かるまで我慢すると決めていたワインもチーズも口にしない、というところを見ると、まだ立ち直るきっかけとなる炎は、心の奥にくすぶっている、というところもさりげなく挿入。 ここで禁を破っちゃったら、それこそ自分の人生どうだっていいや、ということですからね。
 美穂チャンの本調子を取り戻そうと、谷原サンと永作チャンが 「間違った言い回し」 を繰り出すのも、笑えました~。 ところが美穂チャン、それを訂正する気力さえない。
 そんな美穂チャンの 「曲げられない女」 風な酔っぱらいかたも、面白かったです。
 理詰めで的確な状況判断をしながら自分を追い込み(笑)、むりやり辞世の句を書こうとして、いきなりバタンキュー(表現古い?)。

 永作チャンのたくらみで、鉢合わせした谷原サンと塚本高史クンのカッコ悪いケンカも、最高に面白かったです(笑)。
 ところでこの塚本クン、再度プロポーズを申し込もうとして、結果的にあきらめる。 150万の婚約指輪をあのあと拾っていた、という設定も可笑しかったですが、普通に考えて、彼が美穂チャンと付き合う資格のない男だとは、私には思えないんですけどね。 普通に優しいし、ずいぶん我慢して美穂チャンのことを待っているし、結果的に長いものに巻かれているけれど、それくらいは普通でしょ。
 それが、谷原サンと永作チャンの美穂チャンを思うまっすぐな気持ちに、結果的に勝てないと思ってしまう。 なんか、いかにもドラマチックな(ドラマでしかあり得ないような)3人のありかたに、ついていけてない普通人の感覚で、とてもかわいそうな位置にあるんじゃないかと、思うんですよ。

 谷原サンは美穂チャンのことを、「フンコロガシみたいに無駄なことをやっている」 と表現する。
 けれどもそれは、フンの中に卵を植え付けるための、実は重要な作業だったりする。 地道に、実直にそういう、他人から見ればフンをころがすみたいなカッコ悪いことをやり続けていることには、とても自分を抑制させる意志というものが必要だと、私は思います。

 その押さえ続けていた自分の気持ちがまたまた爆発してしまったのが、「ナカシマです」 の平泉成サンに、弁護士をやめることを思いとどまらせた後の、永作チャンからの美穂チャンへの思いやりの叱咤。
 「あんた、お母さんが死んでから泣いてないでしょ。 それがいけないのよ! 心の中にたまった、悲しさとか悔しさとか不安とか寂しさとか、全部そういうの吐き出さないから、いつまでもそうやって、ウジウジみじめったらしい顔してんのよ! …自分が泣けないんだったら、あたしが、手伝ってあげるわよ…」
 そして美穂チャンの頬に、一発平手打ち。
 「………痛い………痛いぃー……」
 たまっていたものが全部出てしまったような、美穂チャンの号泣シーンには、ただひたすら、泣けました。

 ところがこのドラマ、こんな感動的なシーンで見る側を泣かせておきながら、あとはギャグシーンの乱れ打ちで(笑)。

 あまりにも泣き続ける美穂チャンに、永作チャンもちょっとウザったくなってきたのか(笑)、「早紀、…そろそろ、いいかな、ね?」(笑)。

 美穂チャン 「ない!母さんにもらったネックレスがないぃぃ~っ!」
 永作チャン 「はぁぁ?…あんたホントによくモノなくすわねえ!」
 谷原サン 「んなもん勘弁してくれよどこ落としたんだよー?」
 美穂チャン 「なくした場所が分かっているなら探す必要はないのでその質問はおかしいと思います!」

 これで美穂チャンが、本調子を取り戻したことが一瞬で分かる。
 つくづくよくできてます。

 自分が弁護士になると決めたお父さんの姿を思い出させることで、平泉サンの存在がここで大きな意味を持ってきたし、結局平泉サンの弁護士事務所で働くことになって、美穂チャン的には問題がとりあえず沈静化したんですが。

 今度クローズアップされるのは、問題を抱えたままそれまでごまかしながら生きてきた、永作チャンの家庭問題みたいです。 果たして永作チャンも、まっすぐ生きることができるのでしょうか?

当ブログ 「曲げられない女」 に関する記事
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-83d0.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-5eb9.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-a3aa.html
第4回 (当記事)
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/5-d241.html
第6回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-88ef.html
第7回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-3fa8.html
第8回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/8-05a5.html
第9回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/9-5d02.html
第10回(最終回) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-2386.html

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2010年2月 3日 (水)

「仮面ライダーW」 新ライダーとW、どっちが主役?

 大した話じゃございませんが。

 園崎家の婿殿があっけなく死んでしまって、代わりに登場したような形の新仮面ライダー、アクセル。 とは言っても園崎家の代わりの婿じゃないけど。 警察のお偉いサンで、少々過激すぎるけど、いちおう正義の味方らしいです。

 この新ライダーのアクが強すぎて、このところ仮面ライダーWに変身するほうのかたわれ、ハーフボイルドの探偵クンの影が極端に薄くなってしまってます。
 この探偵、翔太郎クンは、それでなくとも相棒のフィリップクンにファング形態というグレードアップバージョンを持っていかれているというのに、さらに仮面ライダーアクセルの登場で、どうにも間抜けなポジションになってきています。
 個人的には好きなキャラクターだったので、どうしてこんな置いてきぼりみたいなかわいそうな立場になっちゃったのか、はなはだ疑問。

 しかもそれまで、園崎家の次女である園崎若菜チャンが、悪役ながらもフィリップに魅かれていく、という展開を示していて、オッサンはちょっと気になりだしていたのに、こっちの話も全くその後何の進展もなく、ほぼ無視状態。 もっと園崎若菜チャンを前面に出して話を展開してほしいのになー。

 ともあれ、状況的には、超昔の仮面ライダー1号2号の 「どっちが主役?」 状態に似ている気もいたしますが。 物語としては、アクセル、いらねーよ、という気がします。 逆に、こんなことならWを無残に殺して(物騒だなー…スミマセン…)新番組、「仮面ライダーアクセル」 としてスタートしてしまったほうが、話がすっきりしそうな気さえします。
 おそらくWの誕生の秘密とアクセルを、今後絡ませていくんじゃないかと踏んでいますが、なんか、話がややこしくなってきそうです、またまた。 ややこしい話って、要らんです(笑)。

 いろんなバージョンアップがされていって、最終的にいろんなライダーが出てくる、というのは、平成ライダーの特徴ではあるんですがね。
 毎度毎度ですが、その必然性が、分からないんですよ。
 おもちゃメーカーの戦略としか思えない、というか。

 園崎若菜チャンとか、鳴海の娘役の山本ひかるチャンとか、使いようによっては物語が格段に面白くなる気が、するんですけどねー。

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「小島慶子 キラキラ」 2月3日 宇多丸サン復帰!

 ポリープの手術で、約1か月番組をお休みしていた 「キラキラ」 水曜日パートナーの宇多丸サンが、2月3日の今日、復帰しました。

 冒頭から 「おかえりなさーい!」 とか大々的にお迎えでもするかと思ったら、普段通りに始まって(笑)。 小島サンが今日のテーマのお便りを紹介する後ろで、裏声でなんか聞こえる(笑)。
 小島サンも最初は笑って 「ミッキーマウスですかね?」 などとかわしておりましたが、だんだんうっとおしくなってきたみたいで(笑)。 裏声の主に復帰早々ダメ出しをする始末(笑)。
 「仕方ないだろ~っ、オレだってここに来るまですごい勇気が要ったんだよ~っ」 って、…あくまで裏声(笑)。

 本編が始まってようやくもとの声に戻ったんですが、宇多丸サン本人も 「声が高くなってませんオレ?」 と言う通り、なんとなく若々しくなったような印象。 裏声も、こんなふうに出なかったらしいです。 小島サンも、「前は低いうえにガラガラ気味だったけど、それがすっきりしたー」、という感想を述べておりました。
 私も治してもらいたいなあ~。 なんか、若い時より、声質変わっちゃって。 かすれ気味(カッコよく言えばハスキー)になっちゃってるんですよ。 昔みたいに歌えなくって。 裏声もきれいに出せないし。 私もポリープなのかなあ?

 TBSの安東アナとか、南海キャンディーズの山チャンとか、宇多丸サンのピンチヒッターにいろんな人が 「キラキラ」 に出ておりましたが、小島サンのテンションが、違う人とやっているせいか、結構高かったような気がいたします。 ミョーに相手を持ち上げてたり(笑)。 小島サンらしくない(笑)。

 これで元に戻った、という感じですが、今まで以上に過激(笑)な放送を、期待しております。

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「ミューズの晩餐」 山本潤子サン もっといろいろ、聴きたいです

 1月30日テレビ東京の 「ミューズの晩餐」 に、還暦などと言うには、あまりにも魅力的な、山本潤子サンが出演されていました。
 1969年の 「赤い鳥」 でのデビューからも、すでに40年ですか。

 赤い鳥は、今ではほとんど 「翼をください」 だけしか知られていないグループですが、その先進性は、デビュー当時から抜きん出ていたような気がします。
 私が赤い鳥の歌に親しんでいたのは、主に 「竹田の子守唄」「河」「言葉にならない言葉」 といった、当時としては結構メジャーな曲ばかりでしたが、ここらへんの名曲は、今日ではあまり見直されることがありません。 「翼をください」 だけが評価され続けているのは、ちょっと惜しい気がします。

 番組でも紹介されていましたが、1969年の全日本ライトミュージックコンテスト(ヤマハ主催でしたが、同じヤマハのポプコンとは、どう違ったのでしょうか?)で、山本サンの所属していた赤い鳥は、小田和正サンのオフコース、財津和夫サンの率いていた、チューリップじゃありませんでしたけどなんとかっていうグループを押さえて、堂々のグランプリを獲るほどの実力派。

 このコンテストで歌われた曲が 「竹田の子守唄」。

 番組では、このときの音源が流されました。 2006年にCD化されるまでは、探してもなかなかなかったそうです。 コーラス部分に 「ねんねんやーねんねんや」 というパートがなかった以外は、ほぼレコードで出された内容と同じでした。 この時点で、完成されていたんだなー。
 山本潤子サンはこのときのことを回想して、全く緊張していない状態で大会に臨み、歌い終わったときは120%以上の達成感で、死んでもいいくらいの幸福感を味わったそうです。 現在に至るまでこの感覚は、二度と味わっていないと。

 「竹田の子守唄」 という歌は、部落解放同盟の関係からフォークソングとして発展していった、当時の学生運動との結びつきを象徴したような歌でもあったんですが、これをあえて全国のミュージックコンテストにぶつけてくる、という発想自体がすごい。

 番組では、ご自分の声が嫌いで、アレサ・フランクリンのガラガラ声にあこがれたとか、山本サンの意外な話も聞けましたが、なかでもとても影響を受けたように感じたのは、ピーター・ポール&マリーのお話でした。
 2001年にPP&Mの完全コピーバンドのライヴをやった時、そのコーラスワークのひとつひとつを分解していった時、彼らがとても難しいことをやっていたことが分かった、それを難しく聴かせなかったことへの驚き。

 壁にぶち当たるたびにPP&Mのような原点に立ち返る、という話をしていて、山本サンがいったん熱くなるととことんまで行ってしまい、ふっと飽きてしまう(笑)、という性格をはからずも暴露してしまったんですが(笑)、なんとなく分かるような…(笑)。

 つまり、山本潤子サンの活動を、私みたいな外野から見ていて感じるのは、いつも違うことをやっている、昔の歌は歌うけれど、あまりご自分の過去を振り返ってないな、ということなんですよ。
 原点に立ち返る、と番組ではおっしゃっていましたが、赤い鳥や、ハイ・ファイ・セットの時代を、あまり原点と考えていないみたいで(笑)。
 特にハイ・ファイ・セットの時は、コーラスワーク的に、とても難しいことをやっていたような印象が、私にはあります。 あれをソロでやろうとすると、かなり大変なような気がします。 でも、歌ってほしいかなー。 「卒業写真」 のような、ユーミン関係の歌は、折に触れて歌っているのを拝見しますが。 「海辺の避暑地に」 とか、コーラスもないし、聴いてみたい気がします。

 山本潤子サンが人生を変えた一曲として選んだのは、イーグルスの 「デスペラード」。

 ハイ・ファイ・セットを解散して(1994年)、これからは自分自身の音楽を確立しなければいけないと考えたとき、デスペラード=ならず者に向かって語りかけるこの曲が、とてもフィットしたと言います。

 デスペラード、正気に戻ったらどうだい
 おまえはずいぶんと長い間、人を寄せ付けなかった
 困ったやつだけど 理由があったんだろう
 今はそれでいいかもしれない
 だけどきっとつらくなる

 この曲を歌っている山本潤子サンを見ていて、彼女も一見ニュートラルに見えながら、人知れず苦悩し続けてきたんだろうな、などと考えてしまいました。 私などは、声ももちろんそうなんですが、山本潤子サンの醸し出す雰囲気が、とても好きなんですけどね。

 この番組では1曲しか聴けませんでしたが、もっといろいろ、聴きたいと思いました。 NHKの 「SONGS」 あたりに出演していただきたいです。 BS2とかでも、ユーミンばっかりやってないで、特集してくれませんかねー。 包括的に山本潤子サンが歌ってきた曲を、聴いてみたいものです。

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2010年2月 2日 (火)

「タモリ倶楽部」 空耳アワーで手拭いが出ない(笑)

 1月23日(一部地域除く)で、「空耳アワー」 のいちばん下の賞品である手拭いのストックがなくなってしまったため、タモリサンたちが手作りで作り上げた、限定100枚の手拭い。

 タモサンチームとみうらじゅん・安齋肇の両巨匠(笑)チームで50枚ずつ作り上げた手拭いは、結局なんだか超レアものになってしまった感があって(笑)。

 いざ空耳の時間になってみると、自分たちの作った愛着のあるその手拭いをタモサン、あげたくなくなって(笑)、つまらない作品をむりやり 「面白い」 ということにして(笑)、耳かきを連発しております(笑)。 これはちょっとした、異変であります。

 その回の空耳作品1発目 「相撲大宴かーい!」、さほどの出来ではなかったんですけど(笑)、「イーヤこーれ面白い!」(笑)。 早速耳かきにしようとしますが、安齋サン 「タモサン、一応、一枚だけ古いの残ってますけど…」「あ、そう、じゃこれ差し上げましょう」(笑)。

 次のAC/DCの作品も、見る前から 「これも面白いだろうな~」(笑)。

 「あだ名が、ラーメンライス!」…タモサン 「おんもしろいなコレ~」 と耳かき(笑)。

 次の3発目、スリップ・ノットの作品も 「これも面白そうじゃないの~?」(笑)。

 3発目はいつも面白いものと決まっていますけど、実際これは面白かったです。 「24×8」 と先生が黒板に書いて、学生がさんざん考えてから答えを 「3」 って書いて 「割っちゃった~!」 と全員ズッコケ(笑)。 いやコレ、空耳アワードにでる出来でしょう(笑)。
 あまりの大ウケに、Tシャツが出る始末で(笑)、結局この回タモサンたちの手拭いは、出ることなく終わったんですが。

 1月30日(またまた一部地域除く)の回でも、アラベスクの 「ビリーズ・バーベキュー」 「オレ大学大学受けたんだぁ」 って、ちっとも面白くなかったんですけど(笑)、手拭いを出そうとして、
 タモサン 「アレ?アレ?」
 安齋サン 「あっ!これですこれですホラ」
 タモサン 「我々が染めた(手拭い)…これしかないじゃん」(笑)
 安齋サン 「もちろんですよ、だってなくなったから作ったんじゃないですか!」(笑)
 タモサン 「出さないよコレ」(笑)
 パッと取り出す、空耳かき(笑)。

 タモサン 「面白かった…次も面白そうだな~」(笑)。

 ビヨンセの 「お湯入ってねえ」 にも、「なかなか面白いね…ホントこれ(手拭い)しかないの?(笑)もっかい様子見てみよう」 とまたまた取り出す耳かき(笑)。
 これは、ちょっと耳かき連発という、未だかつてない展開なのではなかろうか?と思い始めたら、次のアリがアリ地獄に入っていった、どこかで見た(笑)使い回しみたいな映像に、東北訛りみたいに 「50センチ進んだばっかりに」(笑)。

 これ、おかしかったです(笑)。

 ついにタモサンも降参(笑)。 でも出したのが、自分たちのチームの作ったやつじゃなくて、みうら・安齋チームの作ったものだったというのが、いかにもタモサンっぽかったな~(笑)。

 いやしかし、こうなったら、私も長年温めてきた空耳を 「タモリ倶楽部」 に出してみんべかな、という気になってきました(笑)。 まあ採用されるレベルまで達しないかもしれませんけど(笑)。

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貴乃花のニュースを見ていて

 基本的に、自分の見たいテレビしか見ないために、あまりワイドショーじみたカテゴリーに入るニュースを見ないのですが。
 貴乃花親方が相撲協会の理事に選出された、というニュースには興味があったため、ただ漠然となのですが、夕方のニュース番組をザッピングしていました。
 いや、報道の人たちって、「造反」 とか、大っスキですよねー(笑)。 そんなに相撲協会内部を険悪にしたいんですかねー(笑)。

 こうした、対立構造を仕立て上げたり、ワルモノを仕立て上げたりする報道のありかたは、そうしたほうが分かりやすくなるからなんでしょうけど、とてもレベルが低く思えます。

 今回の貴乃花親方の理事選出、というニュースを簡潔に表現してしまえば、一門を離脱してまで相撲界の古い慣例を打破しようとした貴乃花親方に、同調する親方衆が大方の予想に反して3名いた。 だが相撲界の改革を考える貴乃花親方の、理事会における立場は微妙で、前途は多難。 っていうことでしょ。

 私が考える、この件に関するニュースは、ここで終わりなんですよ。
 それを報道は、とてもとてもとても引っ張って、誰が造反したのかとか、朝青龍の暴行事件について貴乃花親方がどう発言するのかとか、カンケーないことまでネホリーナハホリーナ(笑)。
 造反って、それだけ相撲界の改革を期待する向きが、親方衆の中にも芽生えてる、ってことでしょ。 それが造反、って言えるのかどうか。 それが誰かなんて、正直意味がありません。 造反した親方が辞めたり、相変わらず古い体質だなとは、思いますけど(追記)。
 それに、朝青龍のことについて貴乃花親方にいろいろ訊きたがる、というのも、記者たちが朝青龍に無視され脅されまくっているから、貴乃花親方に溜飲を下げてもらおうとしているような側面が見える。

 私がニュースを見ていて、ときどき感じるのは、ドラマよりニュースのほうが、作り物っぽいんじゃないかな、ということです。 NHKのニュースはかろうじて恣意的なものを感じない範囲かな。
 私たちが見るニュースの映像は、肝心なところが、すっぽり抜けている。
 それは、記者たちがどのような態度で対象人物に取材しているのか、というところです。
 失礼な物言いをすれば、だれしも不機嫌になったりする。
 そしてその部分だけを抜き出して放送すれば、その人物の印象は、格段に悪くなる。
 人にものを訊く態度、ってものが、あるんじゃないでしょうかね。

 貴乃花親方は、それこそ子供のころから知っていますけど(笑)、個人的には、報道を含めたまわりの大人たちが、あんな不自然に思える(失礼)性格にしちゃったんじゃないのかな、と思っています。
 彼を見ていると、とても外殻が硬い受け答えを、常にしているような気がする。
 もっとくだけていても、いいような気がするんですけどね。
 やはり、身内のこととか、自分の信仰(?)のこととか、ヤタラメッタラ興味本位に取り上げられて、ありのままの自分を見せることを、完全にやめてしまったように、私には思えるのです。 そこに、横綱としての品位を大切にしようという気構えが加わって、貴乃花親方のガチガチの性格が出来上がってしまったんじゃないでしょうか。 ありのままの自分でいるのができないことって、結構苦しいんじゃないでしょうかね。

 前途は多難でしょうけど、これが相撲協会改革の、ほんの端緒なんだと思います。 私は貴乃花親方を、応援します。

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