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2010年2月21日 (日)

「樅の木は残った」 伊達騒動の別解釈としては…

 江戸時代になってから60年くらいたった時期に起きた伊達藩のお家騒動を、それまでの定説とは別角度から描いた、という山本周五郎の小説、「樅の木は残った」 を、田村正和サン主演で、テレビ朝日のスペシャルドラマとして放送していました。

 テレ朝のドラマは私、久しぶりです。 草彅クンの出ていた、これもスペシャルドラマだった 「愛と死を見つめて」 以来だったかなー。 どうもなんか、テレ朝のドラマって、肌に合わなくって。 でも今回のドラマは、そんな居心地の悪さを最後まで感じませんでした。 キャストも完璧なように思えたし、すぐれた作品のように思えました。

 ただ、NHKの大河ドラマでもやったことがある作品らしくて、ちょっと2時間余りの単発ドラマよりも、何回かのレギュラードラマとしてやったほうがいいような気もいたしました。 まあ、その割に、コンパクトによくまとまっていた感じも、同時にしたことも確かですが。

 今回、原作も史実も、何も分からない状態で見たのですが。
 その立場で感想を一言で述べれば、物語としては忠臣蔵チックで、劇的に仕上がっているけど、やはり原作の、この伊達騒動についての解釈には、ちょっと無理があるかな、ということ。
 逆に言えば忠臣蔵のように、作り話として見れば、とても面白い。
 でも作り話として見るには、今回のドラマは全体的にとても重厚で難解な作りになっていて、それがかえって、これが史実なんだ、みたいなタカビシャ感(笑)にあふれていました。 それって、ちょっと危険かも。

 話に無理があるかな、と思った理由は、田村サン演じる原田甲斐が、敵をあざむくにはまず味方から、みたいなことをし続けることによって、結果的に多大なる犠牲が伴い過ぎている点。
 これに尽きますね。
 あとからネットで伊達騒動を勉強したのですが、やっぱり原田甲斐が裏切りの末に乱心した、という定説のほうが、説得力がある、って言うか(笑)。

 ドラマとしては、笹野高史サン演じる伊達兵部に通じるために、原田甲斐は兵部の腹心との縁組を組まされたりしているのに、その腹心の妹サンっていう人が、最後まで出てこない。 これも、ずいぶん思い切った物語の切りかたをしているなあ、と思いながら見ていました。
 井上真央チャンの演じた娘サンは、なかなか好演してはいましたが、物語上の必然性を、あまり感じない。 かえって田村サンとの年齢差のほうに、神経が行ってしまう。 原作がそうなのかな?
 真央チャンと樅の木のエピソードと結びつけないと、題名自体の必然性がなくなってしまうし、難しいところではありますが、草笛光子サン演じる甲斐の母親との思い出で、樅の木を結び付けても、よかった気もしますし。

 でも、アレですかね。

 物語として弱いように感じるのは、田村サンが、伊達藩の裏切り者として、ワルモノみたいにちっとも見えてこない、という要因が大きい気も、するんですよ。
 だって、田村サンが真央チャンにやたらと優しくて、真央チャンも田村サンのことを、盲目的に信じまくっているし。 だからドラマを見ている側も、田村サンは絶対悪いヤツじゃない、と思ってしまう。
 でも、田村サンはひょっとして悪いヤツなんじゃないか、と見ている側に思わせなければ、最後のどんでん返し的な展開が生きてこない、そんな気もするんですよ。 …ちょっと考え過ぎですかね。

 どうも物語の結末に釈然としないのは、やはり犠牲が多過ぎた、ということですね。

 それはともかく、なんと言っても、ひたすら、田村サンは、相変わらず、カッコよすぎる。 大ファンのせいで、冷静な分析ができとりませんが(笑)。

 二枚目を貫き通すっていうのは、大変な努力が必要なはずです。
 木村拓哉クンもそうですけど、いい男として一世を風靡すればするほど、年齢とともにとやかく言われるのは、避けられないことなのかもしれない。
 だけど私たちは、その人が二枚目として生き続けなければならない定めというものに、もっと刮目すべきだ、そう私は思うのです。
 そんな田村サンの、年齢を重ねた二枚目としてのありかたを、今回のドラマではあらためて見せてもらった、そんな気がします。

 それにしても、やはり山本周五郎サンの原作ですね。
 なんか、ドラマを見ているあいだじゅう、黒澤明監督の映画を見ているような錯覚に、何度か襲われました。 特に戸谷公人クンと井上真央チャンのやりとりなんかを見ていて、若き日の加山雄三サンを思い出したり。 独特の匂いって、ありますよね、山本周五郎作品は。

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コメント

「樅の木は残った」レビューあったのですね。
私は大河の総集編しか観た事がないです。
どちらかというと「樅の木しか残らなかった」と
言うべきなのですが、そのハードさがたまらん(笑)。

こんな事を考えてしまったのは現在、放送中の
「八重の桜」の「桜」って何だろう?と思った事。
普通なら会津藩が滅んだ後も八重の心に根ざす
会津精神の象徴になると思うのですが、
作劇的に彼女の精神的支柱がずっと曖昧です。
オープニングで綺麗に咲いてますが、
八重は木登りをちょろっとやった程度で
自分の分身のように桜を育て入るわけでも、
お気に入りの場所に桜が咲いていて
何かあるたびに語りかけにいくわけでもない。

「カーネーション」のだんじりのように
最初から明確な形をなしてなくても
種が蒔かれている描写は最低あるべき。
「平清盛」第1回で忠盛が幼い平太に対して
「死にたくなければ強くなれ!」と叫び
宋剣(=武士の魂)を地面に突き立てる、
あれは後に行くほど大きな意味を持ってきました。
「八重の桜」は解り易い作劇の割りに一番、肝心な所が
描かれていないような気がしてきました。

投稿: 巨炎 | 2013年2月 6日 (水) 13時50分

巨炎様
思いもかけぬところからコメントありがとうございます。 もう3年も前の記事ではないですか(笑)。

なんだかんだ言いながら、このブログももう4年くらい続けているので、アーカイヴを見ていただけるといろんなものに手を出していることがお分かりになるか、と存じますが、いかんせん記事の数が多い。 もう1500もの記事をこのブログでお届けしておりますので…(笑)。 そのなかでもよくこの 「樅の木」 の記事を見つけなさったものだ、と感嘆しております。

さて 「八重の桜」 ですが、オープニングのあの桜は、三春の滝桜でもないし、いったいいずこの桜なのだろう、といぶかしんでおります。

その桜の意味についてですが、実務的に考えると、桜の季節に戊辰戦争を決着つけよう、という製作側の心づもりがあるのではないか?などと考えています(笑)。 パッと咲いてパッと散る、会津の行く末を桜にたとえて、桜の季節の観光客誘致に一役買おうとしているのでは、と(笑)。

鶴ヶ城の桜は見事だし、わが故郷三春の滝桜も、今年は 「八重」 の相乗効果で、例年よりも多くの花見客が見込めます(笑)。

そうした実務的なこともさることながら、八重の人生を考えた場合、何よりも女性として 「咲く」 ことを念頭に生き切った、という気がいたします。 別に桜のたとえでなくともいいと思うんですけどね(笑)。
のちに同志社の学生からあまりの猛女ぶりに 「ノー」 の突き上げを食らったとか、学舎にセントラルヒーティングを使ったという先見性とか、女性としても現代人としても、春になると一番に咲く梅…じゃなくて桜のように(笑)先見の明を持って生きた人として、「桜」 を使った、のかもしれません(憶測です)。 それに、「八重桜」 とひっかけてるのかもしれないし(ハハ…)。

彼女はすでに、逆風の中にいます。 「女だてらに鉄砲なんて」 という偏見です。 学生から突き上げを食らった、という後年の出来事は、その先鞭をつけているように、私には思われるのです。

投稿: リウ | 2013年2月 7日 (木) 06時48分

「樅の木は残った」、これは少し見て、やめたんだったかな。
井上真央ちゃんの役は、大河では吉永小百合さんでした。
比べたら、かわいそうですが・苦笑

前にも書いたかもしれませんが、山本周五郎の解釈は、原田甲斐が悪者扱いされているのに、領地では長く愛されていて、追善供養も隠れてなされている、これはなんなんだろうという、
疑問から、原田甲斐を解きほぐしているように思います。

だから、大河でもけっこう「いい人」だったと思います。
むしろ、その「いい人」の原田甲斐が悪役にされていく、それを本人も受け入れざるを得ない。
その理不尽さを描きたかったのでは、という気がします。
山周らしい切り口だと思いました。

甲斐の奥さんは、出てこないんですか?
この人も面白い人で、浮気疑惑があったんですよね・苦笑
かなり、時代的に斬新です・笑

甲斐の一族が家を追われていく場面では、大河では田中絹代さんが、前日から飲まず食わず、一睡もしないでふらふら感を出したそうです。
息子が汚名を負わされ、家名断絶、罪人になって家を追われるんですものね。


今週も、正和さんの時代劇がありますね~。
彼の壮年期までの時代劇は、ほんと、天才でした。
今は声が出ないので、そのあたりが残念です。

痛々しい気がしてみることができません。
そういう正和さんに頼らないといけない、いまの状況も情けないと思います。

投稿: マーシー | 2013年2月 8日 (金) 17時00分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

3年前で田村サン、声がほとんどアレでしたけど、一時的なものなのかそうじゃないのか。 田村サンのドラマを見たのはこれが最後なのでその後のことは存じませんが、今週あるんですか~。 見たいような見たくないような…。 たぶん見ないと思いますがcoldsweats01

吉永小百合サンって、私そんなにいい女優さんだと思ったことがなかったのですが(「キューポラ」 は別)、こないだ鶴瓶サンとの共演作 「おとうと」 を見て認識を変えました。 よかったぁぁ~。 弟に冷たそうで優しそうで、という微妙な感じを見事に演じてましたね。 すんでのところであっさり終わってしまうのも、いかにもお涙頂戴でなくてよかったし。 「東京家族」 の番宣みたいな感じでいい加減本編以外はやんなりましたけど(笑)。

その吉永サンもお出になっている 「女人平家」、録画予約いたしましたよ! もう第8回とかでかなり萎えましたけど(笑)。 確か金曜放送だったかな?とすればもう録画してあるはずです。

原田甲斐に関しては、私もこのドラマだけの評価なのでなんとも言えませんがcoldsweats01、大河の平幹サンのバージョンを見ていたなら、もっと感想も違っていたのかな?という気もいたします。

田中絹代サンにしても、昔美人女優だったのにかなりの努力をなさって生き残った印象があります。 今の俳優みたいに感覚で演じるのではない、本物の女優だった気がするのです。

とは言うものの、田中サンのドラマとかを見たのは、私もほんのガキの時代でして…。

いっぽうでは、原節子サンのように、一切出てこない人もいる。
最後まで奮闘した人も、最後まで出てこない人も(原サンはまだご存命ですが)、女優魂、というか根性、をご両人から感じますね。

投稿: リウ | 2013年2月 9日 (土) 06時53分

お早うございます。

ごめんなさい、リウさま。
気づくのが遅すぎました・>女人平家

ただ20回まであるので、まだまだ半分以上ある・笑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E4%BA%BA%E5%B9%B3%E5%AE%B6_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)


主人公の夫になる冷泉隆房は、ここで描かれているほどひどい男ではなかったそうです。
大江広元も、ここまで製錬潔癖ではなかったそうですし。
今回は西行法師が出てきましたっけ。

ヒロインがひたすら美しく、艱難辛苦に耐える、という点で、
テイストは、昔の少女小説そのまんまです。
これに付き合えるか、どうかですね。
男性にはどうなんでしょう。


セリフ回しが非常に美しい。うっとりします。

投稿: マーシー | 2013年2月 9日 (土) 08時57分

マーシー様
レス下さり、ありがとうございます。

あ~そうか、昔のドラマって、2クールぐらい平気でやってましたもんね。 まだ見てませんけど、この連休中に見たいと思います。

それにやはり昔のドラマは、日本語がきちんとしてる、という気がとてもいたしますよ。 今じゃみんなあばずれみたいな(死語…笑)。 時代劇ですから、なおさらでしょうね。

少女小説のノリか…。 ちょっと不安です(笑)。

投稿: リウ | 2013年2月 9日 (土) 20時47分

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