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2010年3月

2010年3月31日 (水)

「八日目の蝉」 第1回 来週も、…見よう、かなあ?

 タイトルが気になって見ようと思った、NHKドラマ10 「八日目の蝉」。 蝉は八日目くらいに、死んでしまいますよね。

 赤ん坊をさらって逃げる話、みたいな前知識だけはあったのですが、ドラマが始まったと同時に、いきなり檀れいサンが赤ん坊をさらうシーンで、これでもう自分が知ってることがなくなってしまいまして(笑)。

 しかもそのシーン、また結構な天気雨なのが、ドラマとしての出来を左右するほどの要因なのかな~という不安がよぎる(笑)。 つまりですよ、この天気雨、何らかの意図を持って天気雨を演出しているのか、それともそんなことはどうでもよくって晴れの日にただホースで雨を作っているのか、作り手のその姿勢によって、作品の良しあしも決まってくる、そう思うんですよ。

 物語の流れとしては、そんな天気雨の意図に対する不安が後押しするように、主人公の檀れいサンの 「ダメ女」 ぶりが浮き彫りにされていく。

 話としては非常にベタなんですが、不倫をしていたら妊娠してしまって、男に 「妻とは別れるから今回は堕ろしてくれ」 と言われて堕ろしたら、今度は妻のほうが妊娠しちゃってて、結果的に男は妻のほうを取っちゃって、とまあ、とても簡単に言ってしまうとそういう話です。

 ここまでの話の流れから言って、男(津田寛治サン)のダメ男ぶりもひどいけれど、檀れいサンのアホぶりがとても際立っている。
 なにがアホなのかって、そのー、…全体的に(笑)。
 そんなひどい男、さっさと気付けよ、っていうのが最大のアホなところなんですが(笑)。
 まあ、恋愛なんてそんなもんなんですけどね。 冷静に考えれば、そんなひどい男、って分かっていても、止められない感情、というものがあると思います。
 これを、つまらないアホドラマとして見切ってしまうかどうかが、ちょっと勝負の分かれ目なような気がします(笑)。

 私はまあ、ただのオッサンなので(笑)、途中からは檀れいサンがアホだけど可愛いなーという興味だけで、見ていたわけですが。

 で、その男の妻(板谷由夏サン)が生んだ赤ん坊を、檀れいサンはさらってしまう。
 ここでの赤ん坊の演技(?)は、おそらくその表情をしたところをタイミングよく撮ったのでしょうが、檀れいサンが思わず連れ去りたくなるような説得力を持っていました。
 
 ただ、友人(京野ことみチャン)の家に転がり込んでからも、檀サンのアブナさは全開のままでして(笑)。
 すぐばれそうなウソをつきまくって、見ている側は冷や冷やもの。
 赤ん坊が夜泣きしてもオタオタするばかりだし。 それは仕方ないんですけど、それを友人の前でいちいち見せつけるところが、アホなんですよ(笑)。 外に連れ出して泣かせたらいいのにとか、男の私でも思ってしまう。
 見ていてとても、イライラするって言うか(笑)。
 あまりにイライラしすぎて、笑っちゃうくらい幼稚。
 ここまでひどいと、もう意図的に幼稚にしている気がしてきまして。

 なんだか今回、お気づきの方もいらっしゃるでしょうか、この記事ヤケに体言止めの文章ばかりになっております。
 つまりちょっと、ウンザリしつつ、見ていたわけです。
 少なくとも、檀れいサンが赤ん坊をさらってから20年後の話に、ドラマが切り替わるまでは。

 20年後、その赤ん坊は、元の家族のもとに戻ったらしいのですが、推定年齢21歳になったその子(北乃きいチャン)、どうも父親みたいな男と、不倫をしている模様なのです。
 因果は巡る、という感じですね。
 そしてなぜだか、そのことを自分の父親にばらしてしまう。
 まるで、両親に対して復讐をしている感じなんですよ、その子。

 この話の切り替わりには、ちょっとシビレました。 うんざりしつつ見ていただけに、とてもショッキングな展開でした。
 板谷由夏サンが檀れいサンに対して、女の情念丸出しのひどい仕打ちをしていただけに、この展開はある意味、見ている側の残酷な興味をかきたてる話でもあります。

 そして途端に、エンディングタイトルの檀れいサンの、赤ん坊を抱えて逃げていくシーンが、とても愛おしく思えてくる。
 あんなに幼稚っぽく見えていたのに。
 ドラマの魔術に、久々にかかったような気がいたしました。

 ただ次回以降も、檀れいサンが幼稚な女ぶりを発揮してくれるのかなーと思うと、ちょっと見るのがゲンナリしてしまうような気もする。 おそらく偽りの母親としても、成長してはいくんでしょうが。

 続けて見るかどうかの判断が、ちょっとつきかねている状態であります。

 最後に、ダメ女だアホだ幼稚だと、これは役柄の話ですので、なにとぞご了承のほどを。

「八日目の蝉」 に関する当ブログほかの記事
第2回 ヘンなとこ、きちゃったな~http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-4f12.html
第3回 がらんどうの悲しみhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/3-da4d.html
第4回 穏やかな、凪のような回でしたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a45c.html
第5回 逃亡の果てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/5-267b.html
第6回(最終回)もう触れることのできぬ思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-cef7.html

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2010年3月30日 (火)

「チャレンジ!ホビー めざせ!ロック・ギタリスト」 待ってました!

 NHK教育の趣味講座、新シリーズ 「めざせ!ロック・ギタリスト」 が、始まりました(放送時間は毎週月曜、午後10時から。 再放送は翌週の同じ月曜、午後1時5分より)。

 講師はこないだ、マッチの 「金スマ」 でもちょっと顔を見せていた、ヨッちゃんこと野村義男クン。 生徒はますだおかだの増田クン。

 いや~、こういうの、待ってました。

 野村クンと言えば、もはや押しも押されぬ、名ギタリストですからね。 その彼から、ロック・ギターの話を細かく聞けることは、これは貴重な機会と言っていいでしょう。

 私もとりあえず、フェンダーのストラトキャスターを持っていますが(番組の中で、増田クンが気に入ったヤツと同じようなタイプの色遣いであります)、ビートルズファンとしては、リッケンバッカーとかエピフォンとか、そこらへんが欲しいところ。 ただビートルズの使ったヤツって、名器でもないくせに(異論もございましょうが)値段がムチャクチャ高い(笑)。 2~30万位する。 謎です(笑)。 ビートルズのネーム・バリューだけで高くしている疑惑があります(笑)。

 番組では、のっけから 「ロック・ギターという楽器はない」 という衝撃の事実(笑)。 いや、笑いました、コレ。 増田クンは完全にあるもんだと思っていたらしくて(笑)。

 だけど、エレキ・ギターって、何か分かっているようで、分かっていないことが、特に私の場合、多過ぎるんですよ。 増田クンのことを笑ってもいられません。
 確かに、コードをアンプにつなげて、エフェクターという機械で音の歪ませかたをすると、もうすぐにでも、ロック・ギターは弾くことができます。
 弦を押さえるのだって、アコースティックギターより、はるかに楽で。 だから 「けいおん!」 みたいに、女の子でも簡単にできる。 チョーキング、という、弦を指で押さえながら上に持ち上げると、半音とか1音とか、音程を上げることができるんですが、これをアコギでやろうとすると、かなりの力が必要なのですが、エレキの場合、そうでもない。 さすがに1音半はキッツイですが。
 このように、弾きかたがあまりに簡単すぎるので、エレキ・ギターに関する細かいことの知識って、かえってすっぽり抜け落ちてしまう傾向にある、そう思うんです。

 たとえば、エレキ・ギターには、ピックアップというものが、弦を弾く部分のボディ部分についてるんですが、それがどういうものであるかも、今回これを見るまで知らなかったんですからね。 トーンコントロールとかも、ただ音色が変わる、ってくらいの認識で(それでいいんですけど…笑)。 こうしてヨッちゃんにいろいろ説明を受けると、完全に分かっていないながらも、分かったような気分になる(笑)。

 で、第1回目のヨッちゃんの話でいちばんよかったのは、楽器店での店員さんとのやりとりは、こうするべし!みたいな話。

 知ったかぶりをするな!とか、楽器にさわる時は、店員さんに聞け!とか。
 私もストラトを買った時は、いっぱしにアコギは弾ける、という自負はあったのですが、エレキに関しては全くの素人でしたからね。 素直にエレキは初心者です、という態度で話したら、店員さんはそれに合わせて、話をしてくれるんですよね。 これで自分の満足する楽器が買えた、と思いますよ。
 「初心者だから初心者用のギターを買おう、なんてことをすると、挫折した時にすぐやめてしまう」 とヨッちゃんは話しておりましたが、これも目からウロコ、の説得力でしたね!

 私が個人的に知りたいのは、早弾きテクニックです。
 やってくれるでしょうか。
 楽しみな番組が、また増えました。

当ブログ 「めざせ!ロックギタリスト」 に関するほかの記事
第3回http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/3-78fd.html
第4回http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-8fc5.html
第5回http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-1d98.html
第9回 Charサンからのメッセージhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-char-ab5f.html

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「鶴瓶の家族に乾杯」 福島県小野町 キョーレツな人ふたり

 去年(2009年)の夏ごろでしたか、「家族に乾杯」 で私の生まれた場所である、福島県三春町を取り上げていただいたんですが(その時の記事はこちらhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-f20c.html)、今回3月29日の放送では、そこから地理的に近い、小野町が舞台でした。
 この三春町と小野町の、ちょうど中間あたりになるのかな、芦沢という場所なんですが、私の祖母の家、要するに私の田舎がかつてありました。
 まあ、芦沢にはなんにもないですからね、今回のような小野小町とか。 小野町は、人形のリカちゃんのお城とか、あったような気がしますが、今はどうなっているのかな? いずれにせよ、番組ではさすが小野小町の町、と言えるほど、切れ長の目をした美人サンがいっぱい出てきましたね。 へえー、芦沢にはバッパ(バアサマ)ばかりだったけどな~(笑)。 ゲストが志村けんサンだったので、美人もそのオーラに吸い寄せられるのかもしれませんです(笑)。

 ただし番組的に面白かったのは、鶴瓶サンと志村サンが初めに出会った食堂のオジサンと、志村サンが出会った、人をはたきまくるオバチャン(笑)。

 食堂のオジサンは橋本サンといって、別に私の親戚じゃありませんが(橋本ってのは、多いんですよ、この地方…笑)、この人が昼間っから酔っぱらっているようなテンションの持ち主で(笑)。
 「分かりまっしぇーん!」 とか(私の知り合いの福島県人で、この言い回しする人、ヤケに多いんですが…笑…)、電話の子機をケータイみたいにして首からぶら下げてたり(笑い転げました…)。
 高校生の頃ベントルズという、ベンチャーズとビートルズを合わせた、なんともしまりのない名前のバンドもやってたとか(笑)。 ドラムを担当していたらしくて、スティックだけでその手さばきも披露してくれましたが、「ウォーク・ドント・ラン」 かな?これは。
 美人を探す鶴瓶サンと志村サンに、「平野屋っていう魚屋さんが美人かな」 と言いながら、「いくつなの?」 と訊くと 「70くらいかな?」(笑)。 聞いた途端に鶴瓶サンも志村サンも 「(バカにすんな…)」 というリアクションで、大笑いしました。

 でもそこの食堂のちゃんぽん、あとで紹介されてましたけど、うまそうだったなあ。
 宿場町だったためその名残で食堂が多いというこの町、食堂メニューがそのほかにもいろいろ紹介されていましたが、総じて量が半端でなく多い(笑)。
 いや、そうなんですよ(笑)、実際。
 三春のほうはひらけてきたせいか以前ほど多くはなくなった気がするんですが、ここらへんの食堂って、東京人のレベルでは食べきれないほど、量が多いんです。
 地方に行くと、そういうことって結構あるんですけどね。 あの大盛りラーメンとか見ていたら、芦沢の 「朝日屋食堂」 をなつかしく思い出しました…。 もう一度、食べたいものです…。 まだご主人は、ご健在なのでしょうか?

 話は戻りますが、もうひとりの印象的な人は、家内工業っぽい観光タクシーの、オペレータの仕事をしている鈴木サンというオバサン。
 見るなり志村サンに抱きついて、何かというと肩をはたきまくる(笑)。 志村サンもタジタジで、「お母さんすごい力だね」 って(笑)。 ケータイで写真を撮ったのにうまくいってなくて、番組後半でまたあらわれて(笑)。 志村サン、あまりに強くはたかれまくったので、もう会いたくなかったみたいだったんですけど(笑)。

 鶴瓶サンも一般人いじりがうまいんですが、志村サンも相当なものですよね。

 この小野町、結構平らかな町なので、私のふるさとなどに比べると雰囲気的に似ても似つかないんですが、やっぱりふるさとと近い場所なのです。 番組を見ていて、その懐かしい匂いを強く求めている自分に、ふと気付きました。

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2010年3月29日 (月)

「総力報道!THE NEWS」 が終わって

 「関口宏の東京フレンドパーク」 が、何食わぬ顔をしてまた月曜午後7時からやっていましたね。
 別にこの番組を見ているわけではないんですが、月曜午後7時というと、遠い昔から関口サンがやってたような感じなんで(「クイズ100人に聞きました」 とか)、何となくそれが当たり前のような、時間帯なんですよね。 おなじく月曜夜8時と言えば、「水戸黄門」、みたいな。 日本の常識、みたいな。

 だからこそ、TBSが鳴り物入りでこの時間帯破壊を断行した、前番組 「総力報道!THE NEWS」 が、たった1年で夢幻のごとく消えてなくなってしまったことに、一種の感慨を禁じ得ないのです。

 いったい何だったんだ、アレは?

 あれが始まったのは、ちょうど1年前の3月30日でした。
 どう考えてもバラエティ向きの小林麻耶チャンをニュースキャスターとして抜擢する、という時点で、もう世間の目は批判的な方向に行ってました。
 なにより、夕方のニュース番組を大型化する、という時点で、視聴者の生活サイクルに対する、テレビ局による強制、みたいな傲慢さを感じ取ったものです。

 視聴者の生活サイクルを変える、ということは、とても重大なことであるのに、そのことに対して、その重大さに見合った覚悟が局側になされていなかった。 何があっても続ける、という気概がなかった。 だからすぐに消えるしかない運命だった、そんな気がするのです。

 テレ朝 「ニュースステーション」 の成功で、それまで夜10時からニュースを見る、という習慣がなかった日本人が、その時間にニュースを見るようになった。
 けれどもそれが定着するまでには、ずいぶんと険しい道のりがあったように思います。

 TBSの姿勢には、その険しい道のりに対する覚悟が、全く見えなかった。

 まず始まってから3ヵ月くらいで新しいキャスター導入というテコ入れを図り、それからしばらくして、今度は時間の短縮で、とても中途半端な時間から始まるテコ入れをしていました。
 視聴率が低迷しているくらいでそんなにバタバタするのなら、初めからやらないほうがずっとマシだ、そう思ったものです。 どうして泰然自若と5年くらいは続けるような気持ちでできなかったのか。 5年は何があってもこのままのスタイルでやる、そこまでの気持ちでいれば、そのうちについてくる視聴者もいたのではないでしょうか。 明日にも打ち切られるような危なげな番組を、誰が見たいと思うでしょうか。

 でもいちばんの致命的な点は、見たいと思わせる内容ではなかった、ということでしたかね。 それでも、続けていればそのうちサマになってくると思うんですよ。

 革命的な番組改編をするのならば、センセーショナルな方向に傾いてしまわずに、いま定着している番組は、なぜ定着するにいたったのか、そして視聴者がどの方向を向いているのか、徹底して知ることが大前提なのではないか、そう私は考えるのです。

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「ゲゲゲの女房」 第1回 NHKのやる気を感じさせます

 前作 「ウェルかめ」 も結局リタイヤしてしまった私(松尾れい子サンへの倉科カナチャンの取材が終わった時点で…笑)。 つくづく、連続テレビ小説に没入するのは、難しいことを実感します。
 正直言って、毎日見てらんないんですよ、当ブログで何度も書いた覚えがありますけどね。
 固めて見りゃいい気もするんですが、なんか、しんどい(笑)。
 見る以上は、朝ごはん食べながら、みたいな片手間レベルで見ませんので(笑)。
 要するに、かなりの面白い話でなければ、半年もの間フォローしようという気が、起きないんです。

 そんな中で半年がまたあっという間に経過して(早いっス、ただひたすら、早いっス…笑)、放送時間が午前8時ジャストからになった新しい連続テレビ小説 「ゲゲゲの女房」 が、始まりました。
 放送時間が変更、って、結構重大なニュースですよね。 見ていない人には何の重大さもないのですが、うちの両親などは、この時間帯に朝食の時間帯を合わせているので、何十年来の朝のリズムが、崩されることになりそうな感じなんですよ。 ひええー、って思っちゃいます。

 そのせいだかどうかは知りませんが(笑)、今回の 「ゲゲゲの女房」、久々にNHKのやる気を感じさせるような作りになっていました。 予告番組にも、メチャメチャ、力入れまくっている感じ。

 「ゲゲゲ」 というタイトルですぐに分かる通り、マンガ家の水木しげるサンの奥サンの話なんですが、物語最初は、昭和38年、そして遡って、昭和14年が舞台。 この時点でもう、セットやら何やら、力を入れざるを得ない設定であるわけで。

 しかもタイトルバック、それから本編にも、水木しげるサンのマンガがアニメーションとして挿入されている。
 アニメ製作は、長年 「鬼太郎」 をアニメ化してきた実績バリバリの、東映アニメーション。
 ただそのキャラクターデザインは、子供向けにちょこちょこテレビシリーズ化されている汎用タイプのものでなく、数年前フジテレビの 「ノイタミナ」 枠で放送した 「墓場鬼太郎」 を踏襲したような、水木サンの原画を忠実になぞったタイプのものとなっています。
 思えばあのアニメが、野沢雅子サン(鬼太郎)と田の中勇サン(目玉おやじ)の最後の共演だったと思います。 違う話になっちゃいますけど、「墓場鬼太郎」 は大傑作でした。 もっと見たかったです。

 話のほうですが、主人公(松下奈緒サン)の少女時代から、妖怪がこのコの周りをうろついているような設定で(笑)。
 私のふるさとでも、家の中をはじめとしてそこらじゅうに怖いスポットがあったりしたもので、そのことを思い起こさせるような話になっていました。
 この女の子、大家族の中で、完全にその存在感過疎状態になっているのが、なんとも可笑しい。
 個人的には、ツボにハマってしまった気がします。 続けて見る気が、むくむく湧いているんですけど、キッツイなあ~(笑)。

 まあどこまで見る気が継続するか、今のところ分かりませんけど、とりあえずまた恒例行事ですが(笑)しばらく付き合ってみようと思います。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第02週目まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第04週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第05週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第06週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第07週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第08週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第09週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html

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2010年3月28日 (日)

「龍馬伝」 第13回 大友サン演出は、一味違う

 まーた長い記事になってしまいました。 勘弁してください。

 このところちっくと話がグダグダになった感のあった 「龍馬伝」 でしたが、第1部最終回の 「さらば土佐よ」 は、ようできちょりました。 ひさびさ話に、引き込まれたがです。 なんか、言いっぷりが影響されてます(笑)。 これもドラマの出来がいいからこそですね。

 ただし最初のうちにちょっとだけ、文句を書かせてくださいまし。 申し訳ないですが。
 失礼ながら、話の流れとしては、どうにも唐突感の抜けない感じは、まだちょこちょこするのです。

 まず龍馬(福山雅治サン)が土佐にいるより脱藩したほうがいい、と決断する理由付けが弱い気がします。 龍馬の考えが土佐一藩に収まりきれなくなっている、というところは描写しているんですが。
 武市(大森南朋サン)と吉田東洋(田中泯サン)との大人げないいがみ合いを見ていれば、土佐一藩で小競り合いをしていたって始まらんろう、となるのは分かります。 けれど、だから脱藩することが、龍馬にとってベストなのだ、という描かれかたが弱い。

 人間、思うようにいかないからってそこから抜け出しゃいいってもんじゃ、ないと思うんですよ。 今いるところで最善を尽くせ、と言うか。

 現代の視点から見ているから、龍馬が脱藩するのは当然のように思えてしまうんですが、脱藩して何がしたいのか、理由は若者らしいハチャメチャさでもいいですから、はっきりと龍馬に語らせてもらいたい気が、するんですよね。

 そしてもうひとつ、自分の家から脱藩者が出れば、お家断絶みたいな、その時代にとっては万死に値するようなことを、きちんとこの回ドラマでも説明しておきながら、坂本家の全員が、龍馬を脱藩させることを応援してしまうところ。
 龍馬が家を出ていってしまったあとで龍馬のお兄サン(杉本哲太サン)が、坂本家と家系続きである質屋に上士も質入れしているものがあるだろう、それを盾に取れば上士だって龍馬の脱藩で坂本家に大きなことが言えなくなるに違いない、坂本家は自分たちで守るのだ、という覚悟を語っていましたが、ドラマの見せ方としては、順番が逆だと思いました。

 まず坂本家全員の、お家取りつぶしに対する覚悟のほどを見せてから、龍馬の脱藩を応援する乙女姉やん(寺島しのぶサン)のシーンを挿入すれば、どういて坂本家は龍馬の脱藩を応援するのだ、まずお家が大事じゃないのか、と思いながら見ることもなかったですろうに。 そしてもっと、感動的で泣けるシーンになったですろうに。

 でも。

 今回のドラマは、そんな脚本のアラが隠れまくってしまうほどの、緊迫したすごいドラマになっちょりました。

 まず冒頭、先週の続きで、「龍馬、東洋を斬れ!」 と懇願する武市に、今までけっして自分の考えを強く主張することのなかった武市の妻、冨(奥貫薫サン)が、初めて武市に対して 「おまさんは、あたしのだんな様は、賢うて、穏やかで優しいお人ぞね! お願いですきに、そんな恐ろしいこと言わんといてつかあさい!」 と言い寄るのです。

 このシーンが、のちに 「やっぱり吉田様を斬れなかった」 と言いに来た龍馬に 「もういい」 と、表向き冨を安心させようとする武市の態度につながってくる。
 ただしそこで語られる武市の、完全な 「表向き」 の言葉は、ただならぬ静けさを有していて、その雰囲気で龍馬に、「自分に殺させなかったけれど、武市サンはほかの誰かに東洋の暗殺をさせるつもりだ」 と気付かせてしまう。
 その 「表向き」 の言葉に安心して、陰で龍馬と武市の話を聞いていた冨は、その場を立ち去る。 そのギシギシいう音が収まった途端、龍馬は武市に、東洋の暗殺をやめるように小声で必死に頼み込むのです。

 この部分のドラマ的な奥深さには、つくづく引き込まれました。
 これは演出の勝利なんじゃないでしょうか。

 話は前後しますが、先週私がバリバリ違和感を抱いた(笑)後藤象二郎(青木崇高サン)のゲハゲハ笑いの 「龍馬を殺せ」 指令から、弥太郎(香川照之サン)が龍馬に毒を盛って、それが失敗するまでの話。

 大口と憎まれ口ばかり叩いていた弥太郎が、いざ大事を頼まれたらビクビクものだった(笑)、という香川サンの演技は、実にうまかった! これも、脚本通りにやってたら、いかにも浅くなってしまいがちなシーンだったと思います。
 ふだん通りを装う、ということが全くできない弥太郎(笑)の、力の入りまくった肩の動き(笑)、龍馬と目を合わせようとしない動き、キョロキョロしながらふるえる手で湯呑に毒を入れようとする動き、すべてが最高の演技でした。 三菱にお勤めの方々には、創業者が坂本龍馬を毒殺、なんてとんでもなかっただろうとお察し申し上げますが、ワタシ個人的には、ちっとも企業イメージ悪化になっておりませんから。
 弥太郎はすんでのところで、龍馬の毒入り湯呑を払いのける。

 そしてここで、暗殺未遂に終わった龍馬毒殺について、弥太郎に勘違い気味の解説をさせる。 これは完全なる脚本の勝利であります。

 「後藤象二郎様に命じられたがじゃ! 吉田様の甥っこぜよ。 ちゅうことは、吉田様がおまんを殺せとお命じになったがじゃ!(ここがカンチガイ…笑)。 だがのう龍馬! おまんを助けたかったわけじゃないき! …悔しかったがじゃ! この土佐じゃ、やっぱり下士は虫けらながじゃ! 上士に命じられて、虫けらが虫けらに、毒を盛る…こんーな滑稽で、こんーなみじめなことがあるかえ?」

 「虫けらが虫けらに毒を盛る」…奥の深い、すごいセリフだと思いました。
 なんだかんだ言いつつ、龍馬のことを気にかけているから、殺せるはずもない。 だがそんな自分の置かれている境遇の、情けなさのほうが先に立ってしまう。 実に弥太郎の考えそうなことではないですか。
 龍馬はこの話に、上士と下士の関係にがんじがらめになっている土佐藩の現況を、痛感したに違いないのです。

 そして、東洋のところへ意見をしに来た龍馬。
 武市を藩政に加わらせ、上士と下士の争いを鎮静化させよ、というのが龍馬の言い分。

 それに東洋は、こう答えるのです。

 「能力があると思うたら、わしは下士やちどんどん引上げちゃるぜよ。 武市を足蹴にしたがは、やつが無能やき!」

 ここでようやく分かったのですが、吉田東洋の価値基準の中心には、有能か無能か、ということしかない。 それがこのドラマにおける、吉田東洋という人物の解釈の仕方なんです。
 だからこそ 「自分は天才だからなんでもやっていいんじゃー!」(笑)とか、衆目の中であれだけ武市を足蹴にしまくったりとか、見ている側がドン引きしたくなることが、できたんでしょうね。
 その吉田に、再び龍馬を抱き込ませようというセリフを、しゃべらせる。
 龍馬にしてみれば、これもまた土佐というコップの中の嵐であって、うんざりするような話であることは、確かなのです。

 この時に象二郎の、龍馬毒殺のたくらみが東洋に露見してしまう展開は、東洋鋭すぎ…(笑)…とツッコミを入れたくなりますが、それで弥太郎のところへ命令遂行失敗におとがめなしの報せが来るところは、抱腹絶倒ものの可笑しさでした(笑)。
 好きだよなあ、福田靖サン、こういうマンガチックな話(笑)。

 この、弥太郎の抱腹絶倒シーンのバックに必ず流れる、彰義隊が演奏するような(よく知らんのですが…笑)、明治時代の鼓笛隊が演奏するような音楽は、私とても好きなんですけど。 サウンドトラック、買いたくなります。

 そして坂本家の朝餉の席。

 ダレソレが脱藩したとかいう話になり、龍馬はそういうことはないろ?と話を向けられ、ひどく狼狽してその場を立ち去ってしまう龍馬。
 そのとき家族全員が、「龍馬にその気あり」 と気付いてしまうのです。
 この、家族全員の表情を追う演出は、とても優れていたと感じます。

 ただここで 「そんなことはとんでもない!」 と怒る杉本哲太サンに、乙女姉やんが 「龍馬はやっと、自分のやりたいことを見つけたんだ」 と反駁するんですが、ここはもっと、当時のお武家にとってお家がいかに大事だったか、という概念を、折り込んでもらいたかったですね。

 そして、先ほど述べた、龍馬が武市の東洋暗殺を引きとめる、あのシーンですよ。

 そのとき武市が昔話を語るんですが、ここもよかったなあ。
 子供の頃、スズメを酔っぱらわせると面白いように生け捕りに出来る、という話(これって私なんかは、反射的に 「カムイ伝」 を思い出してしまうんですが)を聞いて試してみたけれども、失敗に終わった、という話。

 「わしとおまんは、ふたりでそれ(逃げたスズメ)を見送ったがじゃ。 ハハハ…。 アホじゃったのう、わしらは。 …人ゆうもんは、歳をとって、それなりに賢こうなると、おんなじものをずうっと一緒に見続けることは出来んがじゃ。 スズメを見送ったあの時とは、もう違うがぜよ」

 ここで龍馬は、もう完全に土佐に見切りをつけたような感じなのですが。

 で、龍馬はそれとなく弥太郎に別れの挨拶をしに行き、戻ってみると、乙女姉やんが龍馬の旅支度を勝手にしている。
 ここの感想は、先に述べたとおりです。
 龍馬、脱藩です。

 けれども、冒頭に述べたような、話として弱いかなと思わせる部分が、今回は帳消しになっていると感じたことは、事実であります。
 それはどうしてだろうと思ったのですが、やっぱり演出を担当した、大友啓史サンの底力によるものが大きいのではないか、という、自分なりの結論に達しました。

 その演出が最高の力を発揮したのが、今回ラストの吉田東洋暗殺シーン。

 どしゃ降りの雨の中、斬る側も、斬られる側も、いかにも無様な立ち回り。
 このバタバタした殺陣の演出には、シビレまくりました。
 これが時代劇でよく見るような殺陣の方法だったら、リアリティなど全く感じなかったことでしょう。
 田中泯サン、最後まで、カッコよすぎです…。
 そして、「ハゲタカ」 を思わせるブルーの強調された画面に、叩きつける雨のしずくが、赤く点滅する。 血の色ですよね。
 大河史上に残る、名シーンだと感じました。

 そのほかにも、都合3回出てきた春猪(前田敦子チャン)の龍馬を起こすシーン(3回目に呼びに行った時、龍馬がいなかった、という見せかたは、最高でした!)とか、喜勢(マイコサン)が 「土佐を離れたくない!」 とごねるシーン(気になりますねえ、その理由…)とか、細部にまでいちいちこだわった作りが、ドラマとしての見ごたえをさらに増しているような気がします。

 肝心の龍馬の心理状態が、いまいち伝わってこないうらみはあるのですが、ドラマ全体のディティールとして、ここまで見せてくれれば、多少の不満点は解消してしまう。 そんなタイプのドラマの見本なんじゃないでしょうかね。 だから演出のキモをきちんと押さえていないと、途端に物語の弱さが露呈する。 演出家の、ウデの見せどころ、という気がします。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html
♯12武市の心理、執拗にやってますねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/12-2a95.html

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2010年3月27日 (土)

「金スマ」 近藤真彦 後編 人の心を傷つける、ということ

 「金スマ」 マッチ前編の記事はこちらです↓
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/post-a678.html

 マッチの泣く姿がそれこそくどいくらい繰り返し予告で放送されていた、「金スマ」 3時間波瀾万丈スペシャル。

 封印されていたあの事件の真相に迫る!みたいな調子だったので、もしかしてあの彼女のこととか、ここにきて語られるのかな、などと思いましたが、そちらについては一切語られませんでした。 そりゃ当り前か。 このことについてマッチが一方的に語るのは、いかにもフェアじゃないですからね。

 で、今回の 「あの事件の真相」 というのは、レコード大賞絡みで脅迫された、マッチのお母さんの遺骨盗難事件についてでした。

 この3時間スペシャルのうち最初の1時間くらいは、アイドル当時ジャニーズ事務所のあった近辺とか寮のあった近辺とかをめぐる、「ぴったんこカンカン」 みたいなノリの番組だったんですけど、当時マッチはかなり公にできないような悪さを重ねていたらしくて(笑)、ラーメン屋の取材とかずいぶんさえぎられていた感じです(笑)。 結局タイ焼き屋さんで焼きそばを食ってたとか、家具屋で机を買ったとか、あたりさわりのない話に終始したような(笑)。
 野村義男クン(ヨッちゃん)とか、杉田かおるチャンとか、三原じゅん子チャンとか、「金八先生」 時代のクラスメイトが出てきても、結局 「話していいんですか?」(杉田かおるチャン)とかの連続で(笑)。 田原俊彦サン(トシちゃん)が出てこないことも含め、いかにジャニーズの放送コードが厳しいかをうかがわせる形だったのですが、当時のマッチがそれだけやんちゃだったという証のようでもあり、とてもほほえましくも思えました。

 それしても、このゲストの乱れ打ち、なんだか私も同窓会に紛れ込んでしまったような錯覚に陥ってしまいます。 まったくの同世代なので。

 ヨッちゃんは(相当昔からですけど)太ってるし、三原じゅん子サンはバーのママみたいだし(笑)、みんな45ともなるとそれなりに年食うわけだわ…という感覚(笑)。
 しかもマッチは、当ブログ 「金スマ」 マッチ前編でも書きましたけど、私の友達の友達で、その友達が 「大和の田舎もん」 と言われていたように、マッチも 「田舎臭かった」 と言われていたらしい。 このヨッちゃんの話には、これまで以上にマッチに対する親近感を、勝手に抱いちゃうわけで。

 番組はその後、築地でマグロの解体をしたり、激辛カレーを食べたりしながら(「ベストテン」 の初登場時に、「好きな食べ物は?」 と黒柳サンに聞かれて、「カレーライスと焼きそば!」 って答えてましたよね…笑)、同じジャニーズの後輩たちの、マッチに関するエピソードを紹介していく、という形式だったのですが、TOKIOの国分太一クンの話から、急に番組のテンションが転換していく。

 国分クン 「『どうなんですか、マッチサンって疲れるんですか?この30周年』 って言ったら、『疲れる。疲れた』 って言ってました。 『でもやり続けたい。 まわりが近藤真彦を見たいんではなく、マッチが見たいから。 だから自分はマッチを続けている』 って言ってましたね。 カッコよくないですか? なかなか言えないですよ」

 ここから番組は、マッチとマッチのお母さんとの絆を、生い立ちから追っていくことになるのですが、ここから浮き彫りになっていくのは、生まれつきやんちゃ坊主だったマッチを、けっして放任するでもなく、ちゃんと叱りながらも、そのいい部分だけをのびのびと伸ばしていこうとしていた、マッチのお母さんの教育の仕方でした。

 それがいちばん端的な意味で分かるのが、マッチが腕を骨折するという大けがを負った時のこと。
 「腕でしょ?」 と言って、マネージャーにもそれくらいのことで見舞いになんか行かないと話したらしい(笑)。 男の子なんだから腕くらい折れても当たり前、という(笑)。

 そんな、今の過保護な親なんかとは全く違うタイプだったマッチのお母さんは、マッチが22歳の時、交通事故で亡くなってしまう。
 連絡の電話が鳴るのが怖くて、それ以来電話の音恐怖症になってしまって、ケータイもバイブにしたままだ、と言うマッチ。 その傷を、今も引きずったままなのがかなしい。

 葬儀の後すぐ復帰した仕事(「レコ大」 の予選)で、マッチは悲しみと混乱の中で歌をうたうのですが、その時に客席の2階席のほうに、亡くなったばかりの母親の姿を見る。
 これ、ちゃんとその模様を映したVTRが残っていて、それが今回の 「金スマ」 で流れたのですが、途中からマッチの目線が、明らかに2階のほうを凝視した感じになったのは、見ていてなんとも言えない 「鳥肌が立つ」 ような感覚になりましたね。

 そしてその一年後、「愚か者」 でレコード大賞を眼前にしたマッチが再び直面した 「母親との第2の別れ」。
 「レコード大賞を辞退しなければ、母親の遺骨は処分する」 という脅迫を、マッチは受ける。 墓を調べると、遺骨は盗まれたあと。
 当時、「マッチは何も知らなかった」 ということになっていたらしいんですが、今回明かされたのは、それが事実ではなかった、という真相でした。
 つまり、マッチは事件発生当初から、そのことを知っていた、というんですね。
 そして、その脅迫を知ったうえで、マッチはレコ大を受賞した、ということだったのです。

 辞退しようかと考え、父親に電話すると、「お母さんは出ろって言うと思うよ」 という返事。 それでマッチは、辞退をしないことを決意したのですが、その受賞の瞬間まで 「オレに当たるな…」 と祈り続けた、というくだりには、とても心が痛みました。

 しかし皮肉にも、マッチはレコ大を受賞。

 それから遺骨は結局現在に至るまで戻らず、事件も時効を迎えた、と言います。
 衝撃でした。
 もう返ってきてるんだろうとばかり思っていましたから。 ひどすぎます。

 そのことを聞いてから、いくらなんでももう終わったことなんだから、返してあげればいいだろう、という憤りが収まりません。

 それと同時に、これは飛躍した考えなのですが、マッチをはじめとして、ジャニーズ事務所のタレントに対して、心ない中傷をする傾向が、特にこのネットを眺めていると、とても大きな勢力になっている気がする、そういうことも実は、彼らを大きく傷つけているんじゃないかと、思わずにはいられませんでした。

 演技力や歌唱力がそんなでもないのに、ジャニーズだから、人気があるから、というだけで採用される、というような側面も、確かにあると私も思います。
 けれどもそれをスポイルしたいのであれば、見なければいい。 聞かなければいい。 相手にしなければいい。
 彼らに嫌悪感を抱くのは勝手だが、それを悪意のある中傷で引きずり降ろそうとするのは、実に貧しい精神の所業であると言わざるを得ません。

 今回の番組でマッチは、「自分はいい。 でも親戚や家族を傷つけるのはやめてほしい」 という話をしていましたが、いや、本人でさえ、私たちには大っぴらに傷つける権利はないのだ、そう思います。

 そんな私でも、このようなブログで世の中に発信している以上、自分が気付かないうちに、人のことを中傷したりしてしまう場合が、とてもよくあります。
 何かをクサせば、必ず誰かの心が傷ついている。
 私がよくないと思ったドラマも、感動して見ている人は、必ずいる。
 だからものを書いてそれを世の中に大っぴらに出すのは、実はとても気を遣わなければならない作業で、あるはずなのです。

 それにしても。

 いくら自分の思い通りにしたいからと言って、母親の遺骨まで盗んでしまうなんて、その人には自分を愛してくれる母親が、いなかったのでしょうか。 もし自分がそんな目にあったら、どう思うでしょうか。

 そんな想像力だけは、絶対になくしたくはないものです。

 今回の番組を見て、人の心を傷つけることって何なのか、とても深く考えさせられました。

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2010年3月25日 (木)

「外事警察」 第1-2回 ウラオモテの攻防

 去年(2009年)11-12月期にNHKの土曜ドラマで放送された、「外事警察」。
 その評判を聞いたのは、放送の後でした。

 先日90分のリミックス版が放送されていましたが、とりあえず今年の冒頭に衛星ハイビジョンで全話再放送されたものをちょっとずつ見ている感想を、誠に遅ればせながら何回かに分けて書いてみたいと思います。 まあまだ全部見てないので途中までの感想となりますが、ご了承ください。 このところ見たいと思わせるテレビが全くなくて、書くことないので、ほんのお茶濁しという感覚ですが(笑)。

 刑事だった松沢陽菜(尾野真千子サン)が研修のために配属された、警視庁公安部外事4課。
 外事警察というのは、とてもアバウトに言ってしまうと、外国人スパイを捕まえる仕事(ホントにアバウトだな~)。 通称 「外事」「ソトゴト」。
 普通の刑事ドラマとは、方向性がかなり違います。
 この 「外事」 は警視庁の中でも特異な存在で、あまり知られていないし、捜査も独自に行なっている。 そのために別の管轄の仕事で自分たちの捜査が妨害されそうになると、有無を言わさず排除にかかる。
 陽菜はそれでドラマ冒頭、まだ刑事だったころに、外事に聴き込みを妨害されるのですが、まずこの一件で、外事という部署の特殊性を完全に説明しちゃっているドラマ手法がすごい。 のっけから引き込まれます。

 そしてその外事4課を統率している主任が、住本健司(渡部篤郎サン)。
 彼のキャラクターが、なんと言ってもこのドラマのいちばんの吸引力になっています。
 彼の存在そのものが外事警察のなんたるかを物語っていますし、しかもドラマを見ていると、彼自身が謎に包まれていることが分かってくる。
 そのくせ、配属されてきたばかりの陽菜にむかって、「いい名前だね、ピヨピヨって」(笑)みたいな軽口もパッと出てくるような面も持ち合わせている。
 冷静な判断をする男なんですが、いっぽうで熱いこだわりを持っていたりする。 なかなか人間的な本音が見えてこないこの男を、渡部サンは見事なまでに演じ切っております。
 個人的にこの人の演技を見るのは、「北条時宗」 以来の御無沙汰なんですが。 演技力に、磨きがかかってますね。

 このドラマ、話が進んでいくにしたがって、謎を抱えているのが住本だけではないことが、徐々に明らかになってくる。
 と言うより、このドラマ全体が 「オモテの顔とウラの顔」 のコントラストの妙で動いていく感覚なんですよ。
 だからある意味、作り手と見ている側の、高度な推理戦みたいになってくる。 「この人はこう言っているけど、実はウラに何かあるのではないか?」 みたいな。

 その意味で象徴的なのが、ドラマ第1回限りでのっけから外事をやめてしまう五十嵐彩音(片岡礼子サン…「曲げられない女」 でオギワラを診る産婦人科医でしたね)。 「あいつ(住本)を信じちゃダメよ」 と陽菜に忠告しておきながら、陽菜を住本の思惑通りに行動させようとする。

 外事の捜査の手駒として行動する、一般人の 「協力者」 としてターゲットにされた下村愛子(石田ゆり子サン)にも、ウラオモテがある。
 「交通事故で植物人間になった夫の介護をしながら理容店をひとりで切り盛りしている感心な奥さん」 というのは実は表向きの顔で、その交通事故の原因が自らの不倫にあった、ということが住本から暴露された時は、実にドラマに引き込まれました。

 しかもこのあからさまな暴露、彼女に協力者になってもらいたいと頼みに来た場で、なんですからね。
 なんとか彼女の信頼を得て協力者の要請までこぎつけていた陽菜は、当然激怒。
 「すべて台無しじゃないですか!」

 ところが住本は鼻で笑って、静かに陽菜の考えを一蹴する。
 「この3年間、彼女が何を苦しんできたか分かるか、あ? 介護でも、借金でもない。 自分の抱えている闇だよ」
 要するに、住本は下村愛子の心の奥底まで見抜いたうえで、暴挙とも思える暴露行動に出ている。

 第1回目でも同じような場面がありました。
 ラモンという容疑者を捕えるために、ラモンのターゲットになっている爆発物検知装置メーカー、谷村テックの社長(田口トモロヲサン)の様子を監視する外事4課。
 谷村の会社は以前自社の製品が原因で死亡事故を起こしており、資金繰りに苦慮している状況です。
 その谷村が自殺をしようとするのを監視カメラで見てしまった陽菜は、自殺を止めに行こうとするのですが。
 それを住本が強引に止めさせる。

 「死にはしない!」
 「なんで言い切れるんですか!」
 バトルの末(笑)モニターの前に首を突き出された陽菜が見たものは、谷口社長が自殺を思いとどまる様子。
 「会社を立て直して、製品に欠陥がなかったことを証明する。 その技術者の誇りだけが彼を支えている。 ――死んだら敗北だ」

 つまり、住本の冷徹な行動規範には、対象者の心理を極限まで調べつくした末に、どこまでやっていいか、どうすれば相手を意のままに操縦できるかという結論が、すでに出ているんですよ。 生まれたときの体重まで調べろ、とか陽菜に命令してましたよね。

 この同じ場面で、外事警察のなんたるかが、鮮明なまでに説明されていました。

 「人を助けるのが、警察の仕事でしょ!」
 「おれたちは国益を守るのが仕事だ」
 「国益のためなら、ひとりくらい死んでも構わないってことですか!」
 「そういう安っぽい同情はな、もっと多くの人を死なせることになるんだ。 いいか、これが外事警察だ…! イヤなら所轄に帰れ」

 モニターから聞こえる、谷口社長の喚き声、泣き声、うめき声。

 圧巻でした。

 ただこの住本にしても、家庭では自らの仕事を完全に秘密にしているのですが、女房(奥貫薫サン…今は 「龍馬伝」 で武市の女房ですね)は気付いている様子(笑)。 なんかこんな細かいところまで、ウラとオモテが錯綜しているのがすごい。

 セリフのひとつひとつが重大な意味を持っており、展開が幾重ものトラップに包まれていて、見る側を一瞬たりとも飽きさせない。 ものすごいドラマがあったものです。

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2010年3月24日 (水)

ビートルズ14枚目のオリジナル・アルバムを本気で(笑)妄想する

 周知の通り、ビートルズは1970年に解散したのだが、解散後の彼らのソロ・アルバムを聴いていると、解散後の彼らの音楽の方向性が、いっしょにやっていけないほどかけ離れてしまったように、昔から私には思えなかった。

 確かに 「ジョンの魂」 と 「マッカートニー」、「オール・シングス・マスト・パス」、「センチメンタル・ジャーニー」 という解散直後の彼らのソロ・アルバムは、音の作りからして全く違っている。 特に 「ジョン魂」 と 「オール・シングス…」 は同じフィル・スペクターのプロデュースにもかかわらず、音が全く違う。 まあジョンのほうはあまりにバンド編成がシンプル過ぎて、フィルの得意技 「ウォール・オブ・サウンド」 の入り込む余地がなかったと言えるのだが(笑)。

 だがこの4枚(組)のアルバムをマッシュして1枚にまとめたとても、さほど違和感がないと私には思えるのだ。
 もともとビートルズのアルバムというのは、個性と個性のぶつかり合いによる振幅が激しいことが、魅力のひとつなのである。
 解散後の彼らの曲に違和感があるとすれば、それは演奏しているメンバーと、プロデュース方法の違いだけだ、そう感じる。
 これをビートルズの4人がジョージ・マーティンのプロデュースのもとで演奏すれば、まごうことないビートルズの14枚目のオリジナル・アルバムができることだろう。
 しかも、かなり傑作の。

 候補曲を挙げるとすれば、ジョンの 「しっかりジョン」「悟り」「思い出すんだ」「愛」、ポールの 「ジャンク」「メイビー・アイム・アメイズド」「エヴリナイト」「ウー・ユー」、ジョージの 「イズント・イット・ア・ピティ」「美しき人生」「オール・シングス…」「ビウェア・オブ・ダークネス」。
 これだけで、もう12曲。 リンゴは、シングルだけど、「明日への願い」 かな。

 ここで興味深いのは、特にカバー曲集であるリンゴのアルバムを除いた3人のソロアルバムの中に、同じコードの構成音で1音だけがだんだん下がって行ったり上がって行ったりする(たぶんクリシェと呼ばれる技法が使われた)曲が共通して入っていることだ。
 これは彼らの手癖みたいなレベルなのだが、いくら解散しても同じ手癖が展開されているところに、私などはちょっとした幸せを感じてしまう。

 その同じ手癖の曲とは、「ジョン魂」 の 「孤独」、ポールの 「ジャンク」「メイビー・アイム・アメイズド」、ジョージはその範疇かどうかわからないけれど、「イズント・イット・ア・ピティ」。
 特に自分なりにコピーしていて感じるのは、ジョンの 「孤独」 とポールの 「メイビー・アイム・アメイズド」 が、半音ずつ上がるか下がるかの違いはあるのだが、コード進行がよく似ている、ということ。 基本がDだし(ポールのほうはサビの部分のみ)。
 どっちがどっちかをマネしている、と勘繰ることをしなくても、コードDで同じ(ような)展開をするという以心伝心ぶりが、なんか、泣かせる。

 そのほかにも、ジョージの 「アイド・ハヴ・ユー・エニータイム」 のサビ部分最後のコード進行(D-DonC-DonB-DonB♭)が、「ホワイト・アルバム」 中のジョンの曲、「ディア・プルーデンス」 を踏襲している、というのも、面白い。

 ところで私は、「アビイ・ロード」 というアルバムを、あまり高く評価していない。
 それは、現在このアルバムへの評価が高すぎることへの、「あまのじゃく反応」 なのだが(笑)、とりわけほめる人が多いB面のメドレー曲の、特に 「ミーン・ミスター・マスタード」「ポリシーン・パン」「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドウ」 は、どうでもいいレベルの曲だ、と思えてならない(ビートルズレベルとしては)。 同時に、「ゴールデン・スランバー」「キャリー・ザット・ウエイト」 は短すぎ、もっとちゃんとした1曲に体裁を整えられなかったのか、という不満がある。
 そのほかにも、アルバム全体があまりにもお行儀が良すぎるところとか、いろいろ評価できない(できないったって、しつこいようですがビートルズレベルです…笑)理由はあるのだが、機会があれば別項でダラダラ述べたい(笑)。

 「アビイ・ロード」 のどうでもいいレベルの曲に比べると、4人のそれぞれのソロ・アルバム(リンゴ…もかな…笑)は楽曲として優れているものだらけで、どうして 「アビイ・ロード」 に入れなかったのかと悔やまれる曲が多い。
 「アビイ・ロード」 はその印象から、彼らが確実にこのアルバムを最後にしよう、という意気込みを持って制作されたアルバムであると現在では考えられている。
 ならばなぜ彼らは、最後に傑作ばかりをつぎ込んで、本当の有終の美を飾ろうと思わなかったのか。
 つまり、当時の彼らにとってビートルズはもうどうでもよくて、本当の傑作は自分のソロ・キャリアのためにとっておこう、という思惑のほうが強かった、と言えるのではないか。
 だがそれにしても 「アビイ・ロード」 のなかのジョージの曲は、強力。
 いかに当時のジョージの才能が、爆発していたかを思い知らされるのだ。

 いずれにせよ、もし、14枚目のアルバムまでできたとすれば、「アビイ・ロード」 の後世の評価は、その14枚目のアルバムへの橋渡し的役割みたいな内容になったのではなかろうか(さらに、アルバム 「レット・イット・ビー」 は、リリースそのものがされなくて、ビーチ・ボーイズの 「スマイル」 並みの価値が生まれたり?…笑)。
 その幻の14枚目のアルバムは、楽曲の良さ、という点でも 「リボルバー」 より上だし、プロデュースの仕方によっては、「サージェント・ペパーズ」 をも凌駕するゴージャスな内容になったに違いない。
 また、そこに入れられるジョージの曲はそれまでで最大となり、「オール・シングス…」 の成功とまではいかなくても、ジョージのグループ内における地位は、格段に上がっただろう。 力関係的に3曲以上は入れられないのではないか、とも思えるが、当時のジョンのビートルズに対する興味の低さを考えると、ジョージの歌が4曲以上採用される可能性はじゅうぶんある(妄想が、ひどくなってまいりました…笑)。

 この、14枚目のビートルズのアルバムを妄想するのは、かなり面白い作業であるが(笑)、彼らが解散直後、特に傑作を量産できたのは、ビートルズの解散がもたらした将来への不安と、困難を乗り越えようとした精神的な成長がもたらしたものである、と考えると、やっぱり妄想でしかないのかな、という気もする。 まあ、解散前からできていた傑作も、多いことは多いのだが。

 先に挙げた14枚目のアルバムへの候補曲は、そのどれもが曲だけでなく、詞の精神世界においても、傑出したものが多い。
 だからこそ、もし彼らが解散という危機を乗り越え、あと2、3年でも長く一緒に活動していたならば、もっと大人の鑑賞にも耐えうる詞の内容を持ったビートルズが、存在したかもしれないのだ。
 そしてビートルズの歴史的評価が現在の何倍にも膨らんでいたことは、想像に難くないのだ。
 いったいこの14枚目のアルバムを、ビートルズとジョージ・マーティンは、どのように調理したことだろう。 妄想しているだけで、ワクワクしてくる(むなしい?…笑)。

 これは解散後の彼らの業績が(ジョンを除いて)あまりにも顧みられていないことへの、私の忸怩たる思いゆえの議論であります。

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2010年3月23日 (火)

かなりシャレにならない話になってきた 「新三銃士」

 はじめに念のため断っておきますが、この記事、「新三銃士」 をけなしているわけではございません。

 このところ、NHK教育テレビで放送中の 「新三銃士」 が、かなりシャレにならない、教育上よろしくないような話の推移をしていて、モヤモヤ感が収まりません。
 人形劇、などという甘い考えでこの番組を見ると、ちょっとはじき飛ばされてしまうようなシビアさなのです。

 確かに、ギャグの部分はさすがに三谷幸喜サン、冴えまくっているのですが、ここまで主人公ダルタニアンを汚れさせて、果たしていいのだろうか?と思うほどのひねくれさせぶり。
 これではテレビの前の子どもたちが、ダルタニアンについて行かなくなってしまう気がします。
 現に私の甥などは、最近あまりこれを見たがりません。

 でも。

 大人である私にしてみれば、毎回がとても見ごたえのある展開で、1回20分であることが信じられないくらい中身が濃い気がしています。 それに加えて、登場人物たちがなかなかこちらの期待通りに動いてくれないことが、逆に結末に対する興味を、増大させている気がする。
 普通 「何考えてんだこいつら?」 などと思ってしまうと、番組を見る気が失せるんですが。
 子供向けの人形劇であるがゆえに、きっと最後にはスッキリさせてくれるだろう、という期待がまだしっかりと残っている。 だからでしょうね。

 しかしホント、子供向けにしては、シャレにならない部分が多いです(笑)。

 まずフランスに嫁いできたアンヌ王妃が、番組開始当初から、夫のルイ13世を差し置いてイギリスのバッキンガム公をずっと想い続けている、ということ。
 そのために首飾り事件というシッチャカメッチャカな騒動を巻き起こしたにも関わらず、未だにまだ未練タラタラで(笑)。
 ここ数回の反乱軍と政府との戦にも、バッキンガム公が絡んでいる。 なのに自分は何もせず、「ああ、バッキン…」 などとのぼせてからに(笑)。

 先に述べたダルタニアンについては、結構物語の早い段階から、策略を弄する傾向があったのですが、愛するコンスタンスの居場所を探るために、希代の悪女ミレディをペテンにかけたやり口は、いや~、感心いたしません。
 それで突きとめたコンスタンスのもとに駆けつけると、三銃士のひとりアラミスとコンスタンスが抱擁している場面に遭遇してしまう。
 これで完全に、ダルタニアンと三銃士の絆は、崩れてしまうんですが、アラミスも本心で、コンスタンスを愛している、というのが、どうにも人形劇にあるまじき不貞さで(笑)。

 だいたい根本問題からして(笑)、コンスタンスは、ボナシューの妻なんですよ?
 そりゃこの男、自分の妻を誘拐するなんてアホなマネをしてましたけど(笑)。
 にもかかわらず、ダルにしてもアラミスにしても、そんなの関係ねえ、って感じですからね、最初から。
 実にけしからんです(笑)。

 そしてダルの策略にまんまと引っかかって、ダルのことを生まれて初めて心から愛してしまった、ミレディ。
 そりゃどーしよーもない女なんですが(笑)、なんと言うか、ダルに甘えていたところなんかがすごくかわいかったので、ダルにフラれた時は、余計にかわいそうで、だからこそダルのやりかたがいくらなんでもひどいんじゃない?という感じになる。
 結果、だまされたと分かったミレディは、それまで以上にダルに対する憎しみを募らせていくわけです。
 シビアだなあ。
 すっかり、大人向けの話なんですけど。

 さらにこの物語では、三銃士のひとりアトスが、ミレディと昔付き合っていて、未だに思いが断ち切れない。
 そのほかにも、リシュリュー枢機卿はほのかにアンヌ王妃に一方通行の恋をしているし、親衛隊長のロシュフォールはミレディに一方的に恋しているし。

 つまり、この話、報われない恋だらけ、なんですよ。

 全部、うまくいってない。 あ、ポルトスとコクナールは、別って言うか、あれも結構、コクナールの一方通行ぽいし。

 よくこんな、不条理なドラマを考えついたものです、三谷サン。
 これが、人形劇ですよ?

 だからこそ、この物語には、変な吸引力がある。
 人形、などという、安易に自分の思い通りになりそうな存在が、ちっとも予定調和に向かって動いてくれない。 そこがすごい。
 アラミスなんか、聖職者だったのだから不倫なんか絶対してもらいたくないのに、コンスタンスとの恋にグラグラ揺れまくっているし、ダルタニアンにはもっとまっすぐに成長してもらいたいのに、ひねくれまくっている(笑)。
 だからこそ、ドラマが奥深くなっている気が、するんです。
 これを実際の人間にやられたら、人間ってそんなもんだ、と安易に受け入れてしまえる気がする。

 人形劇でなくては、ならないんです、この物語は。

 それゆえに、過激なギャグが生きている側面もあります。
 とてもシビアなストーリーなのに、それがいつの間にか、ギャグ連発の中で展開されていたりする。 人形劇でなかったら、実にふざけ過ぎなんです、この物語(笑)。

 ううー、すごいです、三谷サン。

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2010年3月21日 (日)

「龍馬伝」 第12回 武市の心理、執拗にやってますね

 土佐勤王党の結党直後の危うい状態から、いかにして彼らが暗殺集団になっていったかの契機を描いた、「龍馬伝」 第12回。

 いつも思うのですが、このドラマにおける武市半平太(大森南朋サン)の描写は、結構執拗気味に思えます。
 今回も、いつぞやのように、武市のもうひとりの人格、「ブラック武市」 が登場(笑)。
 武市を悪の道に引きずり込もうと、暗闇に潜んでいました(笑)。

 その、武市の心の中の葛藤を分かりやすく描く手法はいいのですが、「ブラック武市」 ってちょっと、ルール違反な気も、するんですけどねー。
 つまり、このドラマにおいて、作り手は武市半平太を、もともとは何の特徴もなくて小心者だった男が、リーダーに担ぎ出されて苦悩しながら背伸びしている、という解釈を持って描いている。
 だから何か突発的なことが起こるとオタオタしちゃうし、今回のように勤王党の同志たちがいる前で吉田東洋(田中泯サン)に足蹴にされて、見苦しく泣きわめく、という、リーダーらしからぬ一面を、さらけ出したりする。 だいたい、吉田東洋に意見書を何通も提出したりしている時点で、自分が無視されていることに気付くべきだし、それが半ば分かっていながらウジウジ先送りにしているうちに、党の連中に突き上げられて、東洋の屋敷前まで、行ったわけですよね。
 要するに、思想的には過激なのに、やってることが、とてもヌルい、そんな描写の仕方をしている。
 そして、まわりの状況に押し流されながら、次第に抜き差しならない状態に自分が追い込まれてしまう。
 ドラマでのこの武市の描きかたは、見ていて実に私などは共感できるし納得なんですが、それを 「ブラック武市」 をわざわざ出してしまうことで、まるで武市自身が言い訳をしているように、見えてしまう。
 いや、言い訳がましくするのなら、そんなもうひとりのブラックな自分などを登場させずに、ほかならぬ武市自身に見苦しく言い訳させなきゃならん、と思うんですよ。

 いずれにしろ、配下の人間たちの目の前でのこれ以上ない屈辱、これが武市を暗殺の道へと導いた、という解釈は、ドラマの方向性としては正解な気がします。
 ただこんな、分かりやす過ぎる侮辱でなくても、いろんな方向性から武市を侮辱させれば、もっとドラマに説得力が生まれる気がします。

 いかんなー、また演出家気取りになってきた。 感動してご覧になっているかたには、誠に申し訳ないです。

 まあ要するに、今回沢村惣之丞(要潤サン)が武市批判の急先鋒という役割を演じたのだから、もっと沢村にあからさまな武市への侮辱をさせればよかった、とか。 武市を侮辱するのを、武市が下に見ている気のする、岡田以蔵(佐藤健クン)とか、武市にべったりな収二郎(宮迫博之サン)にやらせてもよかったかな。
 あ、それはいいんですけど(笑)、今回その要サンと佐藤健クンが、酒場で小競り合いを起こしてましたネ。 新旧仮面ライダー激突!(笑)みたいな。
 要潤サン、結構ちょんまげ姿、似合ってるじゃないですか。 ホソナガ顔なので、なかなか決まってますよね。

 で、龍馬(福山雅治サン)は、というと、長州へ吉田松陰(生瀬勝久サン)の弟子久坂玄瑞(やべきょうすけサン)に攘夷のなんたるかを教わりに会いに行くのですが。

 この久坂玄瑞、ド熱血タイプ、というのは松陰センセイと瓜二つなのですが、どうも話の方向性を聞いていると、龍馬がほんの一期一会で会った時の松陰センセイの考え方とは、ちょっとズレがあるような感じに描かれています。
 つまり、師匠の教えを曲解している弟子、という印象なんですよ。

 しっかしこの久坂サン、初対面の龍馬の前で松陰センセイを思い出して号泣はするわ、部屋のそこらじゅうに松陰センセイの言葉を貼りまくっているわ、ちょっと、いや、だいぶアブナイ雰囲気でした(笑)。 もしこんな人間が実際にいたら、9割以上の人は、引きまくるでしょうね(笑)。 龍馬も、引きまくってました(笑)。
 それでも、玄瑞の話す日米の金銀の交換比率の不公平は、とても理路整然としていて分かりやすかった。 それだけに、だからよそ者徹底排除!という理論展開が、とても突飛に思えてしまう。 この飛躍の仕方は、なかなか考えさせるものがありました。
 師匠の考えを拡大解釈してしまう弟子、というのは、とてもリアルなのです。

 吉田松陰の考えというのは、私不勉強なものでよく知らないのですが、外交政策論的な侵略主義は別として、言ってることは結構、「見る前に跳べ」 的な前向きな精神論のような気がするのですが。 「巨人の星」 の中の龍馬も、「死ぬ時はたとえどぶのなかでも前のめりに死にたい」 とか言ってました。 この言葉と 「龍馬伝」 での松陰センセイの態度とは、共通するものを私などは感じるんですよ。 まあその言葉の真偽は知らないですけど。

 それが単純に攘夷思想と結びついてしまっているのは、不勉強な私から見ると、どうも拡大解釈されて変な方向に利用されつつあるような気が、するんですけどね。
 この久坂玄瑞の姿を見て、やはり龍馬も、限りない違和感を抱いたみたいで(そりゃこんな人格破綻なところを見せられちゃ、という気もいたします…笑)。

 それから、今回いかにも唐突な感じがしたのが、弥太郎殿の結婚。
 えっ、なんで?みたいな感じでした。
 喜勢(マイコサン)という人が、こんなハチャメチャに薄汚れた場所に、しかもあの薄汚れた歯のまんまの弥太郎殿のところになぜ嫁いでくるのかが、分からない。 その理由はのちに明かされるらしいのですが、当方バカなので、いちいちその場(回)で納得しないと、気になって仕方ないんですよ(笑)。
 弥太郎殿のほうは、この、どことなく加尾(広末涼子チャン)に面立ちの似た喜勢にゾッコンで、今回も笑わせまくってましたけどね。 龍馬と、話が全くかみ合ってない場面も、笑いました、あそこは。

 その弥太郎殿、吉田東洋門下の後藤象二郎(青木崇高サン)から、「龍馬を殺せ」 と命じられる。
 そこに至る後藤の心理状態も、ちょっと唐突な気がいたしました。 東洋がヤケに龍馬を買っていることが面白くなくて仕方ない、というのは分かるんですが、今回その後藤がラストでゲハゲハ笑いながら 「龍馬を殺せ」 という心理状態になっている、というのが、どうも不自然。
 なんでゲハゲハ笑わなきゃならんのか(笑)。

 去年の 「天地人」 に比べればどんな脚本に対してもマシだと思えてしまうんですけどね。
 その後遺症も消えた現在、なんとなくこのところ、方向性はいいけど、もうちょっとこうすればなー、というのがちょこちょこある気がしてきました。 みなさんは、いかがですか?

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html

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「恋のから騒ぎ ご卒業スペシャル」 09-10MVP の意外すぎる人選

 はじめに。
 ちょっとどうでもいいようなことをマジメになって考察しておりますが、なにとぞご了承ください。 どうでもいいだろそんなこと、と思うかたは、この記事をお読みにならないのが賢明かと存じます。

 3月20日放送の 「恋から」、1時間のご卒業スペシャル。

 前期の教祖チャンとかすごすぎたメンバーに比べて、かなり小粒かな、という印象を最初に持った今期メンバーでしたが、こうして1年間のVTRを見てみると、相当楽しかったことがあらためて分かりました。

 その中でちょっと、最後まで喉の奥に引っかかった魚の骨みたいな感じがしたのが、建設会社社長の通称 「鬼太郎」 チャン(魚の骨とは失礼なんですが)。
 途中から出なくなって、今年に入って急にまた1回だけ出たきり、また出なくなってしまって。
 「ご卒業スペシャル」 にも、結局出ませんでした(よね?)。
 これは正直なところ、下世話な勘繰りの域にすぎないのでありますが、見ている側にはどうにも気になって仕方がない出演の仕方でした。

 そんなモヤモヤ感と相通ずる結果をもたらしたのが、今回のMVPの人選。

 この人選には、釈然としないものがついて回るケースが比較的あるのですが、今年は特に意外すぎました。

 MVPに選ばれたのは、今期第一回目の説教部屋を食らった、ハッハハーチャン。

 ゲストの小泉孝太郎クンや所ジョージサンから、その意外すぎる選択の理由は、明確に語られてはいました。
 いわく、ハイパーチャンという、制御不能のブッ飛びキャラの女の子の面倒をくじけることなく見続け、最後にとうとうキレちゃった、というようなことでしたか。 この根性にMVPとか言ってましたけどね。

 確かにそりゃ、選ぶほうにしてみれば仕方のない部分もあると思いますよ。
 正直なところ、今期のMVP候補としては、このハイパーチャンを筆頭として、PTAチャン、池田美穂チャン、58(敬称略…笑)、といったところが横一線であった印象は否めません。
 だからこそそのうちの誰かを選ぶより、意外な人選をしてしまえ、ということにしたんでしょう。

 けれども、1年間、彼女らの頑張りを見てきた私なんかに言わせてもらえれば、そういうテレビ的なウケを狙ったような、見ている側をはぐらかすような選考は、自分をかなぐり捨てながら番組を支えてきた彼女たちにとって、ちょっと失礼にあたるんじゃないかな、そう思うんですよ。
 選ばれたハッハハーチャンにしたって青天の霹靂であるはずで、このあとハッハハーチャンが受けるであろう 「なんでオマエが」 攻撃のことを考えると、実に気の毒な気がするのです。
 裏に何かあるのか、などという下らない詮索をされがちな残酷な人選、という気がいたします。

 MVPの人選に違和感を感じることが多い、と先に述べましたが、これは 「恋から」 を年間通して見ていないゲストが決めてしまうことの、システム上の欠陥であると、私は考えています(ずいぶん面倒な理論を展開しておりますが…笑)。
 このゲストたちが、MVPの選考基準とするしかないVTR編集の仕方によっても、1年間見続けた私のようなヘビーローテーションのフォロワーとは異なる印象を、ゲストたちは持ってしまう傾向にある。
 ちょっと、考えたほうがいいんじゃないですかね、こういう恣意的な選考スタイルって。

 この番組をどうでもいいレベルでご覧になっているかたには、何をオマエはそんなに熱くなって語っておるのか?と思われるでしょうが、この番組に出てくる女の子たちは、いわば自分の恥をさらしながら、出演し続けるわけですからね。 チャラチャラして、芸能人ともいっぱい会えてギャラももらえていいご身分だと、少なくとも私は、考えることはできないんですよね。

 彼女たちが全国放送でどれだけのものを犠牲にしているのかを考えたら、いい加減なMVP選考などできないはずだ、そう思うんですけど。 まあ芸能事務所の女の子なんかは、自分を売ってナンボ、なんでしょうけど。 確かハッハハーチャンがその手の女の子だって、コメントをいただいた覚えがあるので、その点から言っても、問題あるんじゃないかな~、なんて。

 まあ、せっかく面白かった今期の最後に、水をぶっかけられちゃったような、そんな感じなんですけどね。 要するに。

 つまらない話に付き合ってくださり、恐縮であります。

当ブログ 「恋のから騒ぎ」 2009-2010年(16期)に関するほかの記事
アッハーハー、笑えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-ce54.html
ふくスま弁だぁ~http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-8d55.html
ミスピーチ、がんばってねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-775d.html
ミスピーチ改め民謡の魔性の実態http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/post-d59c.html
今週のミスピーチ、いや民謡チャンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/523-e36e.html
今週の民謡チャン第2弾http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/post-47af.html
民謡チャン、白虎隊は福島県人の誇りでしょhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/07/post-c994.html
ビリー・ジョイトイって…(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/07/post-a64e.html
民謡チャン、方針転換ですか?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/08/post-7840.html
最近どうも、モヤモヤしますhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-af2a.html
ハイパーチャン、暴走し始めた(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/post-03df.html
民謡チャン、久々ヒットで、アタシャうれしい!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/post-4ec3.html
民謡チャン、やっちゃいましたねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/1212-0482.html
うわっ、出っ歯じゃ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/1226-2022.html
ハイパーチャン、なんかすごいなあhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/19-9f33.html
ハイパーチャン、メンバーから嫌われ始めた?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/116-d3b1.html
ハイパーチャンも、ものきのデルモも…http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/130-484e.html
PTAチャンの危険なダンス、ふたたび…http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/26-pta-a309.html
アレ?鬼太郎チャン、戻ってきた?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/213-d701.html
驚いたことふたつhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/36-pta-2040.html
「ご卒業SP」 MVPの意外すぎる人選http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/09-10mvp-a88b.html

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2010年3月19日 (金)

「電脳コイル」 たしかなもの、バーチャルなもの

 NHKBS衛星ハイビジョンで再放送されていた 「電脳コイル」、最終回までようやく見終わった。
 本放送当時5歳だった甥が毎週土曜の午後6時半になるとこれを食い入るように見ていたのだが、私は同時間帯に放送されるBS11の 「ウルトラマン」 を甥に見せて、なんとかウルトラフリークの仲間入りをさせようと躍起になっていたため(笑)、「電脳コイル」 は半ば敵視状態(笑)。
 しかもこれが、ちょっと見ただけでは全く話についていけない、どうして5歳の子供がこれをウルトラマンより熱心に見たがるのか理解不能の内容で。

 それが私自身の興味をそそられるようになったのは、たぶん 「BSアニメ夜話」 で取り上げられたころだったと思う。
 これって、甥が熱心に見ていたやつだよなあ?という感じで。
 で、BS2で再放送されたものを見だしたのだが、途中で予約録画をしくじって、見るのをいったんあきらめ、今回衛星ハイビジョンでまたしても再放送してくれたものを見て、ようやく全話を見ることができた、というわけ。

 ネットで 「電脳コイル」 を検索すればあまたの感想文がヒットするので、それを片端から読んでみたが、だいたい私が感じたことと同じ感想が述べられているので、あえてここで自分の感想を記事にするのは、実にマヌケな感じがする(笑)。
 ただやはり、最終回まで見て、御多聞に漏れず、バーチャルペットであるブサイク犬 「デンスケ」 に号泣してしまったため(笑)、書きたい、という気持ちに抗えない(笑)。
 今さら、という感じもするのだが、あえて感想文を書いてみたい。

 このアニメは、メガネ形式のパソコンが普及した未来の、小学生たちの話。 メガネを使えばどこででも、パソコンを起動できる。 そして目の前に疑似的なキーボードが現れ、それを打つことができる。
 パソコンなので当然のごとく、インターネットも使えるわけで。
 で、このメガネを使うと、現実世界とは違うもうひとつの、インターネットの世界がそのまま空間として同時に見えるようになる。
 かつて 「攻殻機動隊」 で表現された電脳空間が、より身近なレベルで簡単に体験できるような世の中になっているのだ。
 だがこのアニメの舞台 「大黒市」 は、「攻殻」 のようなサイバーパンクの未来都市ではなく、ごくありふれた普通の町。 ただしこのアニメは、今から10数年後の設定だから、そう考えると、この町自体が結構古い町並み、と言えるだろう。

 そんな古い町を特徴づける、数多くの神社。
 「電脳コイル」 においては、この神社の存在が、電脳空間と死後の世界を子供たちにストレートに結びつける、ある種の契機となっている。 メガネの子供たちはこの電脳空間を、要するに、霊的空間として捉えているのだ。

 この電脳空間には、ところどころに古いデータがそのまま残っている空間があって、空間管理局という役所の1セクションが、それを消去して回っている。 その古い空間には、メタバグという 「お役立ちツール」 が転がっていることが多く、子供たちはそれを宝探しのように集めているのだが、空間管理局が古い空間を消して回っているため、鬼ごっこのような敵対関係(笑)。

 ここでこうやって、設定自体を書いているだけで相当ウザいのだが(笑)、膨大な専門用語にいちいちついていこうとすると、確実にこのアニメを楽しむチャンスを逃してしまうことだろう。
 要するに、この物語は、サイバーパンクを都合よく借りてきた、「コックリさん」 の話なのだ。
 そして 「ハイパーコックリさん」 に夢中になって、あっちの世界へ行ってしまった友達を、助ける、という話なのだ、一言で言ってしまえば(あーあ、言っちゃったよ…笑)。

 メインの話はそうなのだが、このアニメ、メインの話だけではない。
 そのメインとサブの話の立て分けぶりは、「攻殻」 のテレビシリーズに類似しているような感じもする。

 そのサブの話にも、印象的な話が多い。
 特に 「最後の首長竜」 では 「のび太の恐竜」 に対するオマージュが感じられるし、「ダイチ、発毛ス」 ではヒロインたちにあろうことかヒゲを生やさせ(笑)、ブッ飛びまくりのストーリーを展開したりもする(「ダイチ、発毛ス」 のストーリーは、どことなく江川達也氏の 「BE FREE!」 の文明戦争や、手塚治虫氏の 「火の鳥 未来編」 でのナメクジたちを想起させるような話だった)。

 このアニメの主役級である、小学6年生たち。
 交わされる会話が私のようなアナログ人間にはとてもついていけない、デジタル時代の申し子のような小学生たちなのだが、この人間関係や、彼らなりのこだわりは、まさしく小学生の世界。
 実はその、11-2歳の子供たちの心の機微を細かく描くことで、この物語は私のような、「かつて子どもだった大人」 の共感をかっさらう吸引力を強く有している。

 それが最も色濃く投影されたのが、「夏祭り、そして果たし合い」 の回なのだが、恋愛感情というものが人生にはある、ということを認識することができず、気になる女の子につらく当たってしまったり、それを単純に意地悪だと感じてしまったり。
 そのほかにも、女の子に対して頭が上がらないことの屈辱だったり、いじめに対して見て見ぬふりをしてしまう、臆病に勝てない自分であったり。
 そんな、子供の時にも確実にあった、子供なりの悩み。
 ちゃんとその部分が描けているからこそ、メインの話に、のめり込むことができるのだ。

 そしてこの、メインの話。

 多くの人が指摘しているのだが、幽体離脱をしたまま帰ってこない友人イサコを取り戻すために、この物語中最も重要であると思われる言葉が交わされる。

 それは、「痛みのある方向に、出口がある」、という言葉だ。

 誤解を恐れずに言えば、これは、特に引きこもりをしている人たちに向けた、強烈なメッセージだ。
 誰も傷つかず、幼かったころのような居心地のいい、ぬるま湯のような空間、それがこの作品の中では、「あっちの世界」 として表現されている。
 そして 「あっちの世界」 を統率しているのは、かつて自分が味わった、心の傷、トラウマなのだ。
 傷つきたくないから、傷つけたくないから、人は心を閉ざしてしまう。 そして自分を、隔離された優しい時間の中に幽閉させようとする。
 けれども、その居心地のいい世界から抜け出すには、どうしても痛みというものを覚悟しなければならないのだ。

 生きていく、ということは、痛みを伴う作業だ。
 誰しもまったく傷つくことなく生きていくのは、不可能と言うしかない。

 だが、痛みを伴ってこそ、生き抜いた時の価値は、さらに輝きを増すものなのだ。

 この物語はしかし、非現実世界をいたずらに否定もしていない。

 居心地のいい世界を形成しているのは、実は手に触れることのできない、空想、バーチャルなものばかりだ。
 私が冒頭に述べた 「デンスケ」 も、電脳ペットと言って、実際には存在しない、バーチャルなものであるが、このデンスケは、主人公の女の子ヤサコを守るためのプログラミングをされている。
 果たしてデンスケはそのために命を落としてしまうのだが、デンスケを失ってしまってからのヤサコの喪失感は、見ている側を強烈に悲しくさせるほどのリアリティにあふれていた。
 「デンスケはただのプログラムで、死ぬ時も痛みを感じなかっただろう。 でもこの胸にあるのは、なにものにも代えがたい痛み…」。
 この痛みだけは、まぎれもない「実感」 として、確かにヤサコの胸に存在しているのだ。

 そして最終回、「あっちの世界」 からヤサコを送り届けてくれたのが、死んでしまったはずのデンスケのイリーガル(分かりやすく言えば、亡霊)。
 ヤサコがそのことに気付いて、手を差し伸べると、初めて出会ったときのように、デンスケはヤサコの手のひらをなめる。
 そして、あっちの世界に立ち去っていくデンスケに向かって、ヤサコは 「ありがとう」 と 「さようなら」 を、やっと言うことができる。
 恥ずかしい告白でありますが、「こんにちはアン」 以来3ヵ月ぶりかで、号泣いたしました(笑)。 思い出したら、またウルウルと…(笑)。

 「ありがとう」 と 「さようなら」 を言わなければ、前に進むことができない。
 きっぱり過去と決別しなければ、大人になることはできない。
 でもそれまでに自分に勇気や希望をくれたものは、たとえそれがバーチャルなものであっても、未来を生きるための力となるのだ。 けっしてそれは、価値のないものなんかじゃない。 ムダなんかじゃない。

 この物語が最先端のデジタルテクノロジーを扱いながら人の心を打つのは、そんな作り手のメッセージが、あまりにも前向きで、ストレートすぎるせいだ。
 このメッセージが、第1回目から明確に最終回に向かっていることの語り口には、つくづく感服する。
 作者には、第1回目から、最終回の結論が、ちゃんと見えているのだ。
 だから全体を通して、物語に破綻が全く見られない。
 すごい、と言うしかない。
 このアニメのテーマ曲が、オープニングもエンディングも、ちゃんとこの作品自体を語っていることからも、その確かな計画性(アコム、違った、武富士ではありません)が分かろう、というものだ。

 それにしてもこのアニメの画風は、一風変わっている。 サブキャラには水木しげる氏の影響が色濃いのだが、こんな目の描きかたをするアニメは、初めて見る気がするのだ(不勉強ですかね、ハイ)。

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2010年3月18日 (木)

「曲げられない女」 第10回(最終回) 自分から変えていこう

 (おことわり)スミマセン。 またしてもかなり長い記事になってしまいました…。

 非現実的な話を楽しむことこそがドラマの本質なのだ、という明確な開き直りで終始展開していった、「曲げられない女」。
 前回までで話の終わりが見えたな、という感じはしてましたが、視聴率のよかったご褒美の時間拡大を受けて、ちょっとこの最終回、話が二転三転しました。 オギワラ(菅野美穂チャン)の司法試験合格発表がその最たるもので、ここまであからさまにしつっこく(笑)話を引っ張りまくったのもその一環でしょうね。 「辞退します」「やっぱり受けます」「受かった!」「落ちた…」「どっちも夢だった…」(笑)とか。 「あーもーなんじゃソレ!」 とテレビに向かってツッコミ入れまくりでした(笑)。

 そんななかで、司法試験会場で陣痛に襲われたオギワラが、おなかの中の子供に必死に語りかけるシーンは、この最終回でまず第1の盛り上がり場面だった気がします。
 「(ママの言うことを聞かずに)これ以上邪魔するなら、…」
 ときて、「そんな子供は必要ありません!」 って言っちゃうのか?(笑)って思ったら、案の定言っちゃって(笑)。

 ただしオギワラ、すぐ反省。
 
 その時オギワラは自分のおなかの中にいる子供に、「あなたより試験のほうが大事だってずっと思ってた…ごめんね」、と初めて心から謝るのですが、その時のオギワラの告白は、子供ができてからの彼女の行動に対して、どうも子供を邪魔者扱いしているのではないかと考えていた私にも納得の、謝罪でした。
 同時間枠で前回の産婦人科ドラマ 「ギネ」 を見ていたせいもあるんですけどね。
 そっちのドラマは出産に命をかける話の連続。 それに比べてこっちのドラマは、男の脚本家だからここまで胎児をないがしろにできるのかな、などと考えておりましたので。

 「そんな○○は、私には必要ありません!」
 というのは、言わばオギワラの、決めゼリフ。
 決まり文句って、あまりハマって濫用してしまうと、自分の感情以上に、残酷になってしまうケースがある。 そのことがとてもよく、表現されたシーンだったと思います。

 子供が要らないわけなんて、ないのです。
 いくらなんでも、これは言い過ぎなのです。
 だからオギワラも、すぐに反省した。
 子供はいたぶられたわりには、無事に生まれたんですけど(笑)。
 その女の子の名前、灯(とも)チャンの由来も結構いい話でしたが、その場に現れたその子の父親、塚本高史クンがまた、いい味出してました。 これで一気にダーティイメージ払拭なのですが、婚姻届を持ちながらウジウジしている谷原サンを見ていて、こりゃオギワラとは結ばれないな、という予感がこの時点でしましたね。 いずれにせよ、その後も話がくるくる変わりそうな感じ。 下世話なレベルでも、うまく話が推移していきます(笑)。

 で、結局10年目の試験も落ちたオギワラだったのですが。

 ここでオギワラは、これできっぱりあきらめがついたと話す。
 けれどそれにしては、まわりの谷原サンや永作チャン、そして当のオギワラのなかに、モヤモヤ感がつきまとっている。
 「やっぱりこれって、オギワラらしくないよ!」 と詰め寄る谷原サンでしたが、ここで陣痛が始まった(またか)永作チャンの、オギワラのやる気に火をつける方便としてのウソは、最終回で第2の、盛り上がり場面。

 それにしてもいきなり話をはぐらかすみたいですが(笑)、美穂チャンと違って、永作チャンは、実際におなかに子供がいるんですよね。
 にもかかわらず谷原サンも結構大声あげてましたし、永作チャンに説教するオギワラも、10回分の感謝御礼大売出しレベルで怒鳴りまくってましたし、これって胎教によろしくないんじゃ…と老婆心ながら心配してしまいました。

 で、永作チャンの論理は、「みんなあなたのために人生変えなきゃと思って変えたけれども、それってホントに幸せだったの?」 というもの。
 アタシが家を出たのも、谷原サンが警察署長をやめたのも、オギワラの母親が死んだのも、ナカシマサンが弁護士を続けようとしたのも、不良大学生が司法試験を目指そうと決意したのも、塚本クンが結婚も仕事もポシャったのも、すべてアンタの責任、みたいなことを永作チャンは言ってましたね。

 誰もがみんな、何かしら自分をごまかしながら生きている。 幸せっていうのは、何かしらの犠牲の上に立っているものなんじゃないか。
 それに、いくら夢や志がかっこよくたって、実際はそのために、ムチャクチャな孤独と、戦い続けなくちゃいけない。 自分の無力さ加減とも、戦い続けなくちゃいけない。
 みんながみんな、夢をかなえられるわけでもないし。
 どこかで、あきらめながら、生きていくしかない、それが人生なのではないか。

 ところがオギワラは、そんな後ろ向きの論理に対して、最終回出血大サービスの大説教大会を始めるのです(笑)。

 「しょーがないでしょぉぉっ! あたしはそういう人間なんだから! 自分でも、余計なことしてると思うわよっ! おせっかいだと思うわよっ、でもねっ! まわりの人にはみんな幸せになってほしいの! 困ってるとほっとけないの! いやなヤツ見ると、ムカツクーーのぉーーっ! もうなんでみんなさぁーっ! 自分さえよければいいわけっ? いつからひとの迷惑考えないようになったわけっ? いつになったら弱い者いじめをやめるわけっ? なんで、争いごとなんかやめて仲良くしようと思わないわけっ? いつまで自分はいくら稼いだって自慢したり、勝ち組負け組とかにこだわるわけっ? 自分は不安だ孤独だ、先が見えた、生きててもいいこと、なんにもないとか!もおおおおおっ!グダグダグダグダグダグダ、みんな何したいわけっ? ひとりでおいしい思いすればいいわけ? 安心安全がそんなに欲しいかよっ! 人生なんて、答えが分からないから楽しいんじゃない! 自分の力でなんとか出来るから面白いんじゃないのっ! …あのね、あたしだって不安よ。 世の中不公平だと思うわよ。 あんなに!勉強したのになんんーで落ちるわけ? なんで、あたしよりも弁護士に向いてない人が弁護士になってエラソーな顔をしてるわけ? あたしを落とした試験官、全員出て来いって感じよーっ! …でもさ、そんなこと言っても、なんにもならないし、何も変わらないから、つらいけど、自分を、殺してきたの! まわりの目は気にしないで、自分の思いはいつか伝わるって信じて! なんとか頑張ってきたの! だから、…私は後悔してないっ! 母さんが倒れた時、正登のプロポーズを受けてたら、今頃、旦那や子供に依存する人間になってたと思う。 前の事務所を辞めた時だって、生活のために自分を殺してたら、弁護士という仕事に希望を持てなくなってたと思う。 母さんが学校に行くのを止めなかったら、自分の本当の気持ちを一生伝えられなかったと思う! ナカシマ先生にしか助けられない人はたくさんいると思うし、今田健治が司法試験受けたいって言ってくれた時も、もう涙が出るくらいうれしかったっ! 正登だって、いろいろあったけど、今は、私が、好きになってくれたころの正登を取り戻してくれた…それに…何より…私が私じゃなかったら、蓮見や、藍田と友達になれなかったと思う! これからも人生を生きていく、勇気や、希望を持てなかったと思う! 違うー? だから、私は、荻原早紀であることはやめない! 必要ないものは、必要ありませんて言う。 人の間違いには、スミマセン、正確に言っておきたいのでとただしていく! 10年日記も付ける。 ワインも好きだ、チーズも好きだ、マイケルも好きだ! …父さんを尊敬する。 …母さんみたいになりたい。 ふたりに胸を張れるような子に灯を育ててみせる!」

 あー、聞き書き、疲れました(笑)。 最後にオギワラ、何か叫んだのですが、聞き取り不能(笑)。 「もう帰りたーい!」 かなあ?(笑)。 「もう一回言うかーっ!」 かも。
 これだけのことを覚えて、まだこのあと、シーンが続くんですからね。 美穂チャンに敬意を表して、お説教を全文書かせていただきました(しんど…)。

 それで、そんだけのことを言っといて、まさか司法試験、もう諦めるつもりじゃないよね?と永作チャンから言われ、オギワラはまた司法試験を目指すことになる。

 でもこうして振り返ってみると、どうしてそうなるのだ?という流れなんですよね(笑)。
 このドラマの大きな特徴として、話としてはメチャクチャだが、結局勢いで押し切ってしまうという側面があります。
 どうしてその勢いがつくのか。
 それは、ただ単に、美穂チャンがギャーギャー怒鳴りまくっているからだけではない。
 ダラダラ自分をごまかしながら生きている人間には反論の余地のない、真正面からの正論ばかりだからです。
 けれどその正論は、けっしてお行儀のいい常識、ではない。
 生きていくうえで必要なエネルギーとは何なのか、という見地に立った、正論なのです。
 だから、いくらその話は場違いだろう、という話にも、ある程度の説得力が伴っている。
 このドラマのパワーは、まさにここに淵源がある。

 私がこのドラマを見ていて感じたのは、変に体裁ばかりを気にしすぎて萎縮しているこの社会全体に向けて、ドラマのメッセージが発信されているのではないか、ということでした。
 「私たちに必要なのは生きる意味ではない、生きるための意志、意欲なのだ」 という前向きな姿勢を原動力として、「曲げられない女」 オギワラは物事を曲げることができない。 だからただ単に、バカ正直に生きろ、という話とは、一線を画していました。
 いっぽうでは、作者のあまりの言いたいことの多さに、正直なところいいセリフが数多く埋没してしまった印象も、確かにありました。

 その中で、最終回に流れたマイケルの歌は、「マン・イン・ザ・ミラー」。

 「鏡に映る、目の前の男=自分」 から変えていこう、という趣旨の歌です。
 社会の悪いところを見て見ぬふりをするよりも、まずは自分から変わっていこう。
 そんな歌です。

 そしてドラマはラストで、数年後のオギワラたちを描いて終わるのですが、11年目にして、オギワラは弁護士になれたようでしたね。 灯チャンも、オギワラ家のDNAを引き継いでいるみたい(笑)。
 個人的には、谷原サンと永作チャンがくっついてしまったのは、これはこれでありかな、と思いました。 それは塚本クンが最終回、なかなか人間的成長を遂げていたからこそなんですけど。
 というより、もともとこの3人の出会いの仕方からして、実に突発的だったわけで。
 それに比べればオギワラと塚本クンは、付き合った年月が違いますし。

 でもなんだかんだ言って、面白かったです、このドラマ。 ちょっとギャグがワンパターンで、途中ダレましたけど。 だいたいは、「楽しませていただきました」(笑)。

当ブログ 「曲げられない女」 に関する記事
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-83d0.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-5eb9.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-a3aa.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/4-1d07.html
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/5-d241.html
第6回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-88ef.html
第7回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-3fa8.html
第8回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/8-05a5.html
第9回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/9-5d02.html
第10回(最終回) (当記事)

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2010年3月17日 (水)

「火の魚」 ポップに甦った文芸作品

 はじめにお断りします。 その後何度も再放送されるたびにこの記事へのアクセスが増えるのですが、ちょっとその後のことも含めて書き直しをいたしました。

 「不毛地帯」 最終回の記事にコメントを寄せて下さったかたの情報で、予約録画をしておいたNHK 「火の魚」、見ました。 ネコ様、面白かったです。 この場を借りてお礼申し上げます。
 もともとNHK広島放送局の制作で、中国地方限定で放送されたのですが、平成21年度文化庁芸術祭大賞を取って、何度か全国規模でも放送されていたらしいです。
 ちっとも知らなかったなあ。

 ともかく去年(2009年)の夏ごろの撮影だったらしく、時系列的に逆になっておりますが、「不毛地帯」 最終回で圧倒的な演技を見たばかりの原田芳雄サンの、これまた実に印象的な演技を、堪能いたしました。
 原田サンの役は、かつての売れっ子作家で現在は島に引っ込んで執筆をつづけている、傲慢な老作家。

 それともうひとりの注目が、尾野真千子サン。

 これも時間的にグチャグチャになっておりますが(笑)、現在私、「外事警察」 をちょっとずつちょっとずつ、惜しむような感覚で、今年の初めに集中再放送されたものを見ておりまして、このドラマにもお出になっていた彼女のことが、ちょっと気になりつつあるところでありまして。 ワタシ的には、タイムリーでしたかね。

 この、尾野真千子サンという人、「外事警察」 でも渡部篤郎サンにいみじくも言われておりましたが、正直なところ 「美人でもなくフツーの顔」 で、これといった特徴があまりない顔立ちでいらっしゃる(失礼)。
 ただし 「外事警察」 でも、このたびの 「火の魚」 でも、共通してかなり冷静で気の強そうな役柄を演じていました。 ツンツンタイプの印象が、これで個人的にはかなりついてしまいました(笑)。

 彼女が、原田サン演じる老作家の担当につく編集者の役。

 なんだかこれって、この前まで再放送(関東地方のみ)していた 「Love Story」(中山美穂サン・豊川悦司サン)と、同じようなシチュエイションで。
 ただもともとこの 「火の魚」 というドラマの原作は室生犀星。
 ということは 「Love Story」 のほうがもしかしたらそれを下敷きに?とか、…考えたんですけど、まあ作家と編集者との恋愛話など、よくありそうな感じもします。

 で、その室生犀星の原作、ということで、ドラマ全体には、そこはかとなく大昔の文学みたいな匂いが漂っていたのですが、それを現代風にアレンジした脚本家、渡辺あやサンの、ポップな料理の仕方が、とてもよかった。

 なぜなら、この物語の主題は、つまるところ、「死」。

 これを大上段に構えて見せられると、とてもしんどくなってしまうのですが、このドラマは特に、原田芳雄サンの老作家の傲慢ぶりを、ちょっとコミカルに味付けすることで、見る側に興味を持続させることに成功しています。
 物語は主題を語る上でどんどん重くなっていきますが、最後の最後で原田サンに 「タバコ吸いてえぇぇーっ!」 と不良高校生みたいに叫ばせることで、ストンと軽く着地してしまう。 見終わった後の感じが、ちっとも重苦しくないんですよ。

 で。

 このドラマでいちばんの盛り上がり部分は、やはり金魚を殺す場面でしょう。

 老作家(原田サン)は、自分の近年の作品に対して、全盛時と比べて明らかに劣っている、という自らが持っていた負い目を編集者(尾野サン)にそのままずばり指摘され、いわばそのつまんない復讐として、自分の飼っていた、そしてその作品の象徴でもあった金魚を魚拓にして小説の表紙にしろ、と尾野サンに命令する。

 魚拓にする、ということはすなわち、自分がだいじに飼っていた金魚を、殺す、ということなのです。 かなり悪趣味。

 「だからなんだってんだよ。
 オマエ父親のやってんの見たって言ったじゃないか」

 「それは父が釣ってきた、タイとかアジとかそういった…」

 「おんなじ魚だろ?
 じゃなにかい?
 この世には死んでいい魚と死んじゃいけない魚があって、金魚は死んじゃいけない魚だと。 お前そう思ってんの?

 そりゃ人間誰しも、自分を金魚だと思いたい。
 タイやイワシのように、死に値する存在じゃない。 え?

 …だけどね、年取りゃ分かるよ。

 人生なんてのは、かつて自分が金魚だった、それを魚拓にされるまでの物語だってことをな。

 実に偉大で、ひどく残酷なんだよ。

 …耐えきれるもんじゃないよそりゃ」

 長い沈黙のあと、尾野サンは言うのです。

 「私が、金魚の魚拓を取れば、先生は、…少しは気がお済みになりますか」

 「……そーだねっ!」

 ここにこの短編ドラマのエッセンスが、すべて含まれているような気がします。

 つまり、ひどく重たい話をしているのに、最後の老作家の答えが 「そーだねっ!」(笑)。
 この原田サンの言いっぷりに、私は思わず噴いてしまったのですが、話がここで軽いものにいきなり化学変化してしまうんですよ。

 そして、ふだん冷静で全くものおじしない編集者の尾野サンが、金魚を殺すとき、苦悶の表情でいっぱいになりながら、大粒の涙をぽろぽろ流す。
 ここで実際に金魚を殺してしまうシーンを見せたら、いかにもテレビ局に抗議が殺到しそうな展開でしたが、きょう日のテレビがそういうストレートなシーンを流すはずは、ありませんでしたね、やっぱり。

 ここではでも、金魚を本当には殺さなかったみたいですね。 最初誤認に基づいて書いてしまったのですが、ご指摘があり、殺してはいなかったことが分かりました。 ご指摘くださったかた、大変ありがとうございます)
 http://www.nhk.or.jp/hiroshima/program/etc2009/drama09/staff/index2.html

 そして、このシーンで私がすごい、と思ったのは、金魚が殺されるところを見ながらむせたりなんかしていた原田サンが、尾野サンの苦悶の表情をちらっと見る瞬間でした。

 それは作家としての観察眼なのか、それとも鉄面皮の女性が苦悶の表情を浮かべることのエロチシズムを直感したものなのか。

 こういうところに、このドラマの底辺を流れる文学性を強く感じるのです。

 昔の小説家は、女性に対してある種の独特な距離感と、つつましやかなものに対する尊敬の念を同時に持っていたような気が、私なんかはします。
 その空気が、流れているんですよ、このドラマには。
 だから文学的な匂いがするように思えたんでしょうね。

 そしてその直後、原田サンは尾野サンに、タイのお造りをごちそうする。

 「なんかうまいもんないのか」 と嫌味に急かされて(笑)、店主が出したものだったんですけどね。

 …またまた悪趣味(笑)。

 しかし尾野サンは手を合わせてそれをひょいぱく、ひょいぱくするのです(笑)。

 コリコリという尾野サンの食べるかすかな音。
 そしてタイと目が合う(笑)。

 ポップだなあ(笑)。

 ここらへん、先ほどまでの文学的な感覚を離れて、とても現代的なアイロニーに包まれている気がしました。

 それから尾野サンは、いきなり原田サンの前から姿を消す。
 原田サンは何食わぬ顔をして大いに気になっていたのですが(笑)、彼女が数ヶ月前からがんで闘病していることが分かり、原田サンは東京の病院まで、わざわざ会いに行くのです。

 年甲斐もなく花束を持って駆け付けた先に原田サンが見たのは、あのとても気の強かった彼女が、抗がん剤のためか帽子をかぶり、ひと回り小さくなった姿でした。
 彼女は、老作家の孤独な姿と、2年前にがんを発症した自分との間に、共通する孤独を見つけ、それがひとつの奇妙な絆に感じていたことを吐露する。

 ここで彼女の病状がその後どうなったのかまで描写しなかったのは、上質の余韻を見る側に与える、賢明な演出でした。
 もっとも島へ帰る船上で、原田サンになんとなく匂わせてはいるんですが、原田サンがその時感じていたのは、奇妙な絆で結ばれた尾野サンとの、いわば同志愛的な感情です。

 オレだっていずれは死ぬ身、またいつかどこかで会おう…と心の中で思いながら、重苦しさが募っていたところに、さっきの 「タバコ吸いてぇええ~っ!」、です(笑)。 ここにロック調のエンディング音楽がかぶさる。 ここでしとやかな音楽が流れないところが、またポップ調なのです。

 このドラマ、全体的に色調が暗い。

 影の部分を効果的に見せる手法をとっているのです。

 特に老作家の住むところはその傾向が強い。 なんとなく、谷崎潤一郎の 「陰翳礼讃」 を彷彿とさせる気がいたしました。
 そして尾野サンがドラマの中で演じる、独特で印象的な影絵の芝居。
 影絵作家の人がいるらしいのですが、その影絵を使って、尾野サンが実際に島の子供たちに披露したそうです。 ここにも 「影」 が、画面を支配している。 「影」 と 「死」 とを連想させる演出、だったのでしょうか。

 それにしても、原田芳雄サン、いい仕事してるなあ~、最近。 今年古希ですって。
 尾野真千子サン、今後ますます注目です。

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2010年3月16日 (火)

ラジオがパソコンで聞けるサービス 「radiko」

 ラジオがパソコンで聞けるというサービス(radiko)が、試験放送ながら始まったようです(3月15日より)。

 利用する場合はこちらから→http://radiko.jp/

 (HPより転載)「今回の試験配信は、独自コンテンツ、エリア制限なしという通常のインターネットラジオサービスとは異なり、在京民放ラジオ7局(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、ラジオNIKKEI、InterFM、TOKYO FM、J-WAVE)、在阪民放ラジオ6局(朝日放送、毎日放送、ラジオ大阪、FM COCOLO、FM802、FM OSAKA)の地上波ラジオ放送をCMも含め、そのまま同時に放送エリアに準じた地域に配信するサイマルサービスです。 配信エリアは在京7局が東京、神奈川、千葉、埼玉、在阪6局は大阪、京都、兵庫、奈良となっております。ネットワーク環境によってはエリア内でも聴取できない場合もありますのであらかじめご了承ください」

 ということで、地域的にも局的にも限定的なサービスらしいのですが、HPを読む限りでは、どうやら有料ではないみたい。 でもネットを使えば使うほど通信料金がかかる場合は、聞いた分だけお金がかかりそうですけどね。 私の場合は、いくらネットを使っても一律料金(確かそういう契約、したと思います)なので、たぶん無料感覚で使えるのでしょう。

 さっそく利用してみましたが、ラジオ人間の私にとってはこれ、結構ありがたいサービスですよ(「テレビ中毒者」 と自ら名乗っておりますが、せいぜい毎日1時間くらいしか見ません)。

 で、このラジコ。
 なにしろ、音声がきれい。 雑音、一切なし。
 しかも、AMステレオで聞けるし。
 私のラジオ、AMステレオ聞けないもんですから、これだけでも感激します。

 私の住んでいる地域は、これまで特に文化放送が、ほとんど聞こえませんでした。
 それが、このサービスのおかげで解消です。
 「吉田照美のソコトコ」 が聴ける。 「たまなび」 も聴ける。 「伊東四朗・吉田照美の親父熱愛(オヤジパッション)」 も聴ける。 うれしいです。

 ただ、実際の放送と照らし合わせながら聴いてみたら、このサービスのほうが10秒程度かな?遅れて流れてくるみたいです。 だから、時報が流れない(笑)。
 それから、1秒とか2秒、急に途切れたりする。
 ウィンドウズメディアプレイヤーで音楽を聴くと同様のことがあったりするので、それとおんなじ原理なのかなーと思ったりしますが。

 それから私の聞いているエリアが、「神奈川エリア」 になっている(笑)。 正確には、「KANAGAWA JAPAN」。
 確かに、私の住んでいる地域は東京でもいちばん下、多摩川が目の前の、どんづまりエリアなんですけど(笑)。 東京扱いされていないのが、ちょっとカチンとくる(笑)。 いや、別にどこでも、クリアに聞こえるから、構わんのですが。

 それと、NHKラジオは完全無視状態みたいですね。 AMもFMも。 まああまり聞かないから、いいです。 ラジオ日本がなくてラジオ日経が入っているって、よく分からんのですが(笑)。

 今、これを書きながらも、利用させてもらっています。
 いやー、いいサービスだなー。 これ、ずっと無料ですよね?

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2010年3月14日 (日)

「龍馬伝」 第11回 龍馬が担ぎ出される、その理由

 前回加尾(広末涼子チャン)との仲を引き裂かれた龍馬(福山雅治サン)が、失恋の痛みをどうやって乗り越えていったのか、どう変わっていったのか、その点に興味があった、「龍馬伝」 第11回。

 武市(大森南朋サン)に 「自分が甘かったことが分かった」 と告白する龍馬でしたが、 武市の目には、龍馬が変わったと見えたらしい。
 それは龍馬が精神的に成長した、とも取れるのですが、加尾という精神的な支柱を失って、どことなく投げやり気味になっている危うさも、私はいっぽうで感じました。
 この危うさが、生来の 「争いごとを好まぬ人格」 と、江戸での体験とが結びついて、思わぬ方向へ事態が動き出す。 一皮むけた龍馬の、事態の収拾ぶり、今回の物語の面白さは、そこにあったような気がいたします。

 井伊直弼暗殺の勢いに乗じて門弟たちの意気を高揚させる武市に、「誰か上士にケンカを売るものが出たら、どうするがですか?」 と忠告する龍馬。
 果たして、その通りになって。
 武市門下の下士が上士を斬ったことで、上士と下士は一触即発状態。 ところが当の焚きつけ犯人(笑)武市は、怒りの収まらない門弟たちを押さえきれない。 自分で焚きつけといて情けない、というか(笑)。

 そこに、救世主のごとく、龍馬が現れる。

 このとき、猛り狂った門弟たちに龍馬がいったん歓迎されていましたよね。 「わしらの加勢に来てくれたがか! 龍馬が来てくれれば鬼に金棒ぜよ!」 って。
 これって、龍馬が千葉道場の免許皆伝をもらって、武市道場の連中にも一目置かれていることの表れ、とも考えられるのですが、千葉道場に行く前の段階でも、結構人望があったような気が(笑)。
 どうしてこんなに、人望が厚いんでしょうか?
 ここらへんは、龍馬の人間性の持つ魅力、としか言いようがないんですが。 もうちょっと、私のような頭の悪い視聴者に、その吸引力って何なのか、具体的に見せてもらいたい気がいたします。

 で、ここでの龍馬のロジックは、「いきり立ってみたところで、下士がまた見下げられるのがオチ」「師匠の言うことも聞けんヤツは、師匠に絶縁状を出してから上士を斬りに行けばよかろう」「まずはワシが話し合いに行く」「いきなり武市サンが行ったら、その場で斬り捨てられるから」 という流れでした。

 ここで沸点状態にあった武市道場の雰囲気が、完全に変わってしまう。

 武市にしてみれば、ことの発端からして龍馬の忠告した通りだったし、しかも門弟たちの暴走を自分ひとりでは止められなかったという屈辱もあったし、しかも龍馬が丸腰で上士の巣窟に話し合いに赴く、と言うのですから、この時点で龍馬への信頼感がいや増したことは、想像に難くありません。

 そして上士たちのもとへ単身乗り込む、龍馬。
 結局吉田東洋(田中泯サン)まで動かして、上士たちの怒りをも鎮めてしまう。

 ここでの龍馬のロジックは、「上士と下士が戦をしたら、土佐は真っ二つ、藩はお取り潰し」 という、感情論の上を行く、大勢を考えたもの。
 江戸幕府っていうのは、なにかって言うと不祥事をいいことに藩を取り潰す政治をしてきましたから、この論理には誰しも、ぐうの音も出ない。
 結局問題を起こした池田虎之進は切腹と相成り、ことはそれで収まったのですが。

 龍馬はこの、「責任を取ってハラキリする」 という、当時の常識に、どうにも納得がならない。
 「死んだら終わりぜよ…どういてこういう始末のつけかたしか、出来んがじゃ」
 「武市さんは、異国から日本を守る言いながら、やりゆうことは吉田様とのケンカじゃ」

 そして今回の成り行きを冷静に見ていた東洋が、龍馬を上士に取り立てる、と言い出して。

 龍馬は 「いきなりそんな夢みたいなことを言われたんでぼーっとしてしまったハハハ…ちっくと考えさせてつかわさい」 と、その場をうまーく逃げる(笑)。
 普通だったら、弥太郎みたいに有頂天になるところですが、龍馬はどうも、そんな世の中の成り行き自体に、しっくりこないものを感じていく。

 世間とのずれを感じる、ということは、自分の存在する意味に対しても、懐疑的になっていく、ということではないでしょうか。
 その龍馬の精神状態を、乙女姉やんとの語らいで描いていく。 ここらへん、乙女姉やんの温かな懐ぐあいも表現されていた、秀逸な場面だったような気がします。

 「姉やんは、岡本の家に、居場所はあるがか?…わしは、息苦しゅうてのう…ここは土佐じゃ、わしが生まれ育ったところぜよ…けんど、どんどん、自分の居場所がのうなっていくような気がするき…」
 「おまんは江戸でいろんなものを見てきた。 お加尾ちゃんがおらんで、つらい思いもした。 けんど、そういうことが、おまんを強い男にしてくれるき」
 「うれしいことを言うてくれるのう、姉やんは」
 「あたりまえちや。 私はおまんの味方じゃき。 旦那より、おまんのほうが大事じゃき」
 乙女姉やん、ホントにいい味出してます。 こういう人がいてくれると、自分がこの世に不要な人間だなんて、思わなくなりますよね。

 加尾を失った心の痛手からなんとか抜け出そうとする、言うなれば 「失恋男の開き直り」(笑)が、龍馬をネゴシエイター(仲介役)として開花させる。
 そしてその能力が、龍馬の想像以上に、周囲から必要とされていく。

 今回、このあたりの解釈の仕方は、見ていて面白かったです。
 龍馬は武市によって結成された土佐勤王党に担ぎ出されていくわけですが、いよいよ土佐脱藩に物語が動いていくんですかね。 楽しみです。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html

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「龍馬伝」 第10回 もっとなんとかできたはず

 ちょっと厳しい話をいたしますが。 厳しい話なので、先週書いてからちょっと温めておりましたが、毎週 「龍馬伝」 の記事をアップしておりますので、とりあえずバランスを考えて、公開することにいたしました。

 龍馬(福山雅治サン)と加尾(広末涼子チャン)が劇的に引き裂かれる様を描いた、「龍馬伝」 第10回(3月7日放送)。
 このふたりをはじめとして、武市(大森南朋サン)や加尾の兄収二郎(宮迫博之サン)など、熱演ぶりが目立った回でしたが、ちょっと個人的には、のめり込めなかった気がします。 肝心のラブストーリー、もっとなんとかなったんじゃないか、と。

 吉田東洋(田中泯サン)に対抗し土佐藩を攘夷中心にしようと、武市が取り入ったのは、東洋にその地位を追われた柴田備後(北見敏之サン)。 三条実美をスパイするため、加尾を京に送ろうと画策するのですが。

 それに激怒した龍馬が、武市の道場に夜半やってきて、「大事なものは命をかけて守る、とこの剣に誓った」 と言い放つ。
 これが見ようによっては、ずいぶん龍馬らしくなく、思えてしまうんですよ。 それまであまり、恋愛レベルでこれほど激昂することがなかったために(少なくともこのドラマでは)、龍馬はいつから恋愛至上主義になったのか、という感じ。

 だいたい、土佐に戻った龍馬が加尾に語る将来のビジョンが、実に牧歌的で(笑)。
 「道場は建てるがそのうちに、最初は神社で子供らに教えて、それから黒船を作るんじゃ!だから加尾、結婚してくれ」 …って、まあ、若いから仕方ないんですが(笑)、これもそれまでの 「龍馬伝」 の流れから言うと、急に龍馬の志が低くなっている。 なんだか千葉道場の免許皆伝を取得して、一挙に将来の可能性がせばまったように思えました。

 結局加尾は兄に従い、龍馬を振り切ることになるのですが。
 その加尾、今回ラストで 「龍馬サンには私よりももっと大事なことがあると信じちゅう」、と号泣しながら龍馬に話すのも、牧歌的な龍馬の将来ビジョンを聞かされた私なんかにしてみると、どういて加尾チャンは、龍馬が将来大物になると信じることができるがか?(笑)という気になってくる。

 でも、恋愛主体のストーリーでは、必然的にその当事者である男女が、ある種の恋愛陶酔状態になってしまう。 これは、致し方ないところでもあります。

 だからこそ、もうちょっと見る側がのめり込めるような恋愛話にできたんじゃないか、そういう気がするのです。

 今回見ていてちょっとバランスが悪い、と私が思ったのは、収二郎が武市を伴って、龍馬に会いに行こうとする加尾の前にいきなりあらわれて、オマエが京に行かなかったら俺は切腹する、と言いだしてからの、あまりの急展開ぶりでした。
 この部分、加尾に、決断させるまでにもっと苦悩させるべきだったと思うんですよ。

 結局、加尾はその日のうちに、柴田備後のところへスパイ承諾のあいさつに行き、そこに駆けつけた龍馬が門前で大暴れするのですが、武市に 「加尾は自分で決めたんじゃ」 と諭されてその場に突っ伏してしまう。 そしてたぶんその夜、龍馬と加尾は別れの抱擁。
 たった一日の出来事ですよ、これが。

 武市の決断にも逡巡があったことなどを描いたところは秀逸だったのですが、それが収二郎の腹切り未遂のところで生かされていないのも、ちょっと気になりました。

 逡巡したからこそ武市は柴田に決断撤回まで求めたのだから、それを断られたのならば、武市は男として、武士として、加尾に自分から話さなければならないんじゃないでしょうか。
 それをやらずにただ収二郎が切腹しようとするところを眺めているのは、なんだか武市がとても無責任なように見えてくるのです。
 そして、龍馬に 「加尾は自分で決めたんじゃ」 と龍馬の暴走を止めようとするのも、そうじゃないでしょ、決めさせたんでしょ、と言いたくなる。
 この一連の武市の行動は、武市が結局、鬼にも、情に脆い男にもなりきれない、中途半端な男である、という印象を、見ている側に与えるものである、私はそう考えます。

 やはり収二郎の切腹を止めたあと、加尾にももう少し、考える時間が欲しかった気がしてなりません。 その時に、龍馬とのいろんな思い出を加尾に回想させてから、自ら京に行く決断をするシーンを挿入させたなら、柴田の家先での龍馬の暴れぶりや、その後のふたりの別れのシーンが、もっと悲劇的に見えたのではないでしょうか。

 どうも自分が演出家になったつもりになって、結構キツイことを書いてしまいました。
 今回の恋愛ストーリーにイマイチのめり込めなかった理由を自分なりに考えた結果、エラそうに書いてしまいました。 どんだけテメエが偉いんだと言われれば、返す言葉もございません(汗)。 この回感動した皆さんには、心よりお詫び申し上げます。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
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♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはず(当記事)
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html

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2010年3月12日 (金)

「不毛地帯」 第19回(最終回) 大傑作でした…

 はじめにお断りいたします。 長いです、この記事。

 振り返ってみれば、当ブログでもいろいろ書かせていただきました。 フジテレビ開局50周年ドラマ、「不毛地帯」。

 視聴率の悪さから、おそらく1回分をはしょられ、最終回も 「ご褒美」 の時間拡大すらない処遇。 このドラマの質の高さに心酔していた私などは、忸怩たる思いで、またちゃんと収まるのか?という不安のもとに最終回を見守ったのですが、最後まで少しも打ち切りに見えなかったその堂々たる語り口に、番組を見終わった今、ただひたすら感動しております。
 よくここまで、開局50周年記念ドラマ、という重い課題を克服したものだと、ただただ感服します。

 このドラマ、確かに原作を読んでしまった方々からは、あまりのダイジェストぶりに不満の声が聞かれます。
 けれども原作がありながらまだ10ページほどしか読んでいない根性なしの私(笑)にとっては、特にドラマ後半に入ってからの話のスピーディさは気持ちよかった。
 しかも、話の要点をきちんと押さえ、見せ場をちゃんとわきまえている、的確な脚色でした。 その点では、原作を読んでなくってよかったな、と感じます。

 最終回の 「不毛地帯」 をなんと言っても圧倒的な演技で見せつけたのは、老いたる大門社長(原田芳雄サン)。
 里井サン(岸部一徳サン)を担ぎ出して壹岐(唐沢寿明サン)を追い落とそうと、重役会議の場に里井サンを入れたその瞬間、石油の発掘成功の報せが届いて、一挙に形勢逆転。
 ここらへんはいかにも予定調和、という感じでしたが、ここからの話が最高に面白かった。

 記者会見の席でそれまで敵だとばかり思っていた壹岐が 「このプロジェクトの成功は、大門社長の功績」 と社長を立てたものだから、大門社長、すっかり有頂天になって。 
 そしたらその直後に壹岐から 「社長退陣のご決断を」 と迫られる。

 「キミは今、このワシに向こうてなにを言うてんのか分かって言うてんのか?」

 壹岐もいいところがあるものだと、見ているこっちも感心していた矢先だったから、ここから壹岐が繰り広げる、社長追い落としのための(阿部サダヲサンを使ったマスコミぐるみの)策略には、石油発掘が最後の仕事だと言っておきながら、壹岐も結局そーゆーことかよ!という感じになってきて。

 ここからの原田芳雄サンの演技は、もうなんか、息をのむばかりの迫力でした。

 里井サンを呼び出して、綿花市場の暴露記事が書かれた新聞をそこらじゅうにぶっ散らばせてよろよろと歩きながら、
 「壹岐のヤロウがな、ワシを退陣させるために、こんな!クソ記事!書かせよったんや!クソ記事や!ワシはあんな軍人上がりのド素人には絶対負けへんからな!」
 それに対して里井サン、冷静なご判断で 「社長、すでに勝負はついております」 と、大門社長の止めるのも聞かずに出ていってしまう。
 「里井クン!私とふたりで仕立て上げた会社やないけ!」
 髪の毛はボサボサ、ネクタイは国母状態(笑)、このみじめな大門社長の状態と裏腹に、続けざまのショットで壹岐のいかにも冷静沈着な後ろ姿。 そしてコマーシャル入り。
 うなりました。 すごい。

 そして、心底疲れきった顔で 「会長職に退くことに決めた」 と語る大門社長に、「ここは一気に、相談役でお願いします」 と言う壹岐。 実質経営権のはく奪ですよ。 そこまでするか、壹岐。 そうまでして社長になりたいとは、どういうことやねん?、と大門社長。

 ところが、壹岐の真意は、そこにはなかったんですよ。
 壹岐が次の瞬間差し出したのは、自らの辞表。

 「社長が勇退された会社に、私が残ることなどありえません」。
 「あとは、…大きな栄光を得た者が、だれしも妄執する権力の座を捨て、いつ、見事に退陣されるかです!」

 ここで大門社長と壹岐との回想シーンが流れるのですが、大門社長の若き日の姿は、それまで同じ人物のよぼよぼの姿に慣らされてきた見る側に、強烈なショックを与えるほどの演じ分けでした。

 戦後の生き方に迷っていた壹岐を、国益のためにその能力を商社で使ってみないか、と誘った大門社長。 まさに壹岐のこのドラマにおける行動動機は、この一点にあった。 ドラマを全体的に大きく包括することのできた回想シーンと言っていいでしょう。

 ふたりともいなくなったらこの会社はどないなるんじゃ?との大門社長の問いに、壹岐はこう答える。

 「組織です。 これからは。 組織で動く、時代です」

 「壹岐君………退陣や」

 万感のこもった壹岐の涙。
 それまでの執着が、すうっと抜けたような、大門社長の力のない頬笑み。
 なんとも形容しがたい、深い演技を見させてもらった気がします。
 時間拡大もなしで、ここまで深いものを見せていただけるとは、正直思っていませんでした。

 そして亡き谷川(橋爪功サン)のあとをついで、シベリアへ同胞の遺骨収集の旅に出る壹岐。

 ここで鮫島(遠藤憲一サン)が登場。
 最終回、大した出番はないだろうと思っていた鮫島サンでしたが、石油発掘成功でまたもや女房に尻をひっぱたかれたり、「大変だなー近畿商事!」 とこれ見よがしに大声あげたり、見せ場をたっぷり作ってくださって、これだけでも感謝感謝(笑)といったところでした。 が、最後に空港まであらわれて、最大のライバルがいなくなるのを、なんとしても阻止しようとする。

 「壹岐サンは辞めたと見せかけて、奇襲攻撃を仕掛けるつもりでしょ。 次は何を狙ってるんですか? …私は騙されませんよ! あなたの考えることは何から何まで分かってんだ! まだ勝負ついてないぞ! 壹岐正を倒せるのは、この鮫島だけだ! 辞めるなー! 辞めんじゃないぞーっ! 辞めるなよっ!!」

 これは鮫島サンの、最大級の壹岐への賛辞ですよ。 なんか、とても、素晴らしかったです、最後まで、鮫島サン。 脚本家のかたも、分かっていらっしゃる。 鮫島サンが、私みたいな面白がりの視聴者の心をつかんでいた、ということに。 この点だけでも、最終回の満足度は大幅アップなのであります。
 そして 「やめるなよっ!」 というセリフはそのまま、このドラマへのレクイエム的な言葉となっているような気がする。 もっとじっくり、このドラマを見たかったという気持ちと、なんか呼応してるんですよ、このセリフ。

 そして雪深いシベリアの地で、同胞たちの墓の前にたどり着き、ひとりいつまでも慟哭し続ける壹岐の姿で、このドラマは終わるのですが、この余韻も、とてもレギュラー時間枠とは思えぬ感動的な場面でありました。

 考えてみれば、昔なんか、最終回の時間拡大なんてなかったですよね。 つまり時間拡大、というのは、視聴率がよかった番組を、少しでも引っ張って見せようというテレビ局の魂胆、という部分も、少なからずある。 そんなことをせんでもじゅうぶん感動するものは作れるのだ、という製作者の心意気を見ることができました。
 その点で、最終回に壹岐と千里(小雪サン)の話を最小限に食い止めたのは、致し方なかったのかもしれないし、かえってスッキリしたような感じがしたことも確かです。

 ひとつ不満があったとすれば、やはり原作を読んだ方々も納得できるような、ダイジェスト的でない作りかた、全30回くらいのボリュームで作ってほしかった気がする、ということ。
 無理なのかな、今のテレビ界では。
 視聴率に縛られ、経費も削減され、好きなものも作ることができないテレビ界の現状を、結果的に露呈してしまった感のある、この大作ドラマでした。

 しかし、このドラマは、現在のテレビ界の良心であることだけは、言えるだろうと思うのです。
 いいものを見させていただきました。 こういうものをただで見させてもらえる幸せを、ちょっと感じております。

当ブログ 「不毛地帯」 に関する記事
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-6a81.html
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/1-05a5.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/2-w-070f.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/3-4bae.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/4-9755.html
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/5-abb7.html
第6回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/6-d4bd.html
第7回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/7-8677.html
第8回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/8-4f4a.html
第9回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/9-cdc5.html
第10回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/10-183b.html
第11回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/11-0587.html
第12回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/12-68a7.html
第13回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/13-2599.html
第14回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/14-4fa8.html
第15回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/15-d4df.html
第16回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/16-3ac8.html
第17回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/17-2-6e30.html
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-b645.html
第18回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/18-5177.html
第19回(最終回) (当記事)

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2010年3月11日 (木)

「曲げられない女」 第9回 スタート・サムシング

 最終回に向けて、フロシキをたたむ出来事の連続だった、「曲げられない女」 第9回。

 初回からありったけのあり得なさをぶちまけてきたこのドラマを、なんとか収拾しようとすれば、ここは気合と覚悟しかないわけです(笑)。
 ウジウジと後ろを見ていたのでは何も解決しない、前だけを見よ!とりあえず何かを始めよ!(マイケルの曲も都合2度出てきましたが、どっちとも 「スタート・サムシング」でした)というこのドラマ全体の姿勢は、私自身にもずいぶんと励みになりました。

 ただし、今回あまりにも含蓄のある言葉が多過ぎて、振り返ってみるとあまりその 「いいセリフ」 が思い出せない(笑)。 何事も、過ぎたるは及ばざるがごとし、というか(笑)。

 人間、励まされているあいだは、とりあえず元気も出るのですが、それってあまり心に残らないものなんですよね。 特に励ましの言葉が多ければ多いほど、残らなくなっていく傾向にある(笑)。 逆に、効果的な一言が、のちのちの人生の指針になったりするものです。

 そんな現実をいちばん共感できるのは、私の場合は断トツで塚本高史クン。
 この人のキャラクター設定には、ネットで見る限りどうも非難轟々なのですが。
 いちばん私自身に近いキャラクターかな、という気がするんですよ。

 なんかキレるとあとで悔やむようなことを見境なく言っちゃうし、すぐに自分以外の何かのせいにしちゃうし、仲間外れだって途端にいじけちゃうし、変なところでプライドが高いし、引っ込みがつかなくなって逃げてばかりいるし、プライドが高いくせに自分を卑下しているし、優しいように思われているけれども優しいふりをしているだけだと自分で思っているし、
 …塚本クンのこのキャラクターは、私のそんな部分を思いっきりデフォルメしている気がしてならないんですよ。
 そんな塚本クンが、やはり今回オギワラ(菅野美穂チャン)にブチ切れ説教されるんですが、それでもまだウジウジ言っている(笑)。 谷原サンと永作チャンにも 「あそこまで言われてまだ分かんないのか」 と呆れられますけど、私にはよく分かる。 理詰めで説教されると、「どうせ自分がいちばん悪いんだし、自分なんかいないほうがいいんだし」 なんていじけてしまうし、かえって 「アンタにはこんないいところがある」 なんて説教されるのが、面白くなくて仕方ない(笑)。

 実際は、こんなふうにちゃんとものを言ってくれる人が、誰にだって必要なんですけどね。

 それに、実は裏では、そんな人がいてくれることが、とても有難かったりする。 感謝、ですよ。

 それで結局、結婚式をすっぽかした塚本クンは、彼女にも正面から詫びを入れ、事務所も解雇。
 ここまで事態を悪化させないと開き直って行動に移せない、これも私と一緒です。
 でも自分のいいところを信じて、ただひたすら前を見て、生きていくしかない。
 「スタート・サムシング」 です。

 永作チャンが半身不随になったお義母さん(高林由紀子サン)に対して、「私がへらへら笑っているのは、この家から笑顔が消えることがイヤなんです。 だからこれだけはどんなことがあってもやめませんから」「子供たちが大っきいママのことを嫌いになっていくのが、イヤなんです」 と言い切ることができたのは、離婚届を出して、やはり自分の足で生きていく覚悟というものができたから。 そこには、土下座をして元の家に帰って来た時の永作チャンの悲壮な姿はありません。

 人間、何かに頼って生きているうちは、不安ばかりがつきまとうのではないでしょうか。 親に頼る、子供に頼る、家族は支え合って生きていくことが基本ではありますが、それが頼り合うような姿勢になってしまうと、何かが歪んでしまうような気がします。

 物語は来週で最終回だけれど、実質的には今週で終わりでもよかったような気もします(笑)。 塚本クンも、谷原サンにオギワラのことを託したみたいだし。
 司法試験会場で陣痛を起こしたかに見えるオギワラですが、次回予告では合格発表見に行ってるみたいだし(笑)。 別に15分も拡大せんでもいいような気がするくらい、今回でほとんどの問題が解決したように見えたのであります。

当ブログ 「曲げられない女」 に関する記事
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-83d0.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-5eb9.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-a3aa.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/4-1d07.html
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/5-d241.html
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第7回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-3fa8.html
第8回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/8-05a5.html
第9回 (当記事)
第10回(最終回) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-2386.html

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2010年3月 7日 (日)

「恋のから騒ぎ」 3月6日 驚いたことふたつ

 下らない話で恐縮ですが。
 いや、驚きました、3月6日の 「恋のから騒ぎ」。
 ひとつだけならまだしも、ふたつ驚きました。

 まず、PTAチャンが、あの危険なダンスをしたことで、勤めていた某有名企業を辞めた、という事実。 情報通ではないのでその大手企業がどこなのかは存じませんが、このPTAチャンの決断、3月いっぱいで卒業したら 「恋から」 なんてそこで終わりなのに、よくまあ一生の決断をしたものだ、と思わずにはいられません。
 そのくだりをここでちょっと再現してみます。

 PTAチャン 「あたしいま会社員っていうふうに出てるんですけども、実は、去年、仕事辞めちゃったんです(笑)」
 さんまサン 「あ~あの、某有名会社、お前辞めたん?」
 PTAチャン 「あのー、毎週月曜日、会社呼び出し食らっててー。 さんまサンの愛の説教部屋で(説教)、会社で(も)、説教部屋だったんですねー」
 さんまサン 「土ー月と説教されてたわけか」
 PTAチャン 「そしてある日突然呼び出されて、会議室入ったんですよ。 そしたらー、アジアの包括(総括?)の上司とかいっぱい座ってて、目の前にパソコンが置いてあったんですよー。 で、あたしが入ってくるやいなや、クリックして、あたしがさんまサンに体こすりつけて」
 さんまサン 「腰振ったダンスやなー」
 PTAチャン 「それを流されてー、スッゴイ痛い目線で見られてー、で、あの、『オマエがいると会社に不利益をもたらす』 って言われてー、もうちょっと、『じゃ辞めます』 って言って辞めてきちゃってー」

 ここでは流暢にしゃべっていたように編集しておりますが、この時のPTAチャンのしゃべりは、結構こみあげてくる感情を抑えきれないような、つんのめり気味のしゃべりかたで。
 ここまでこの番組に賭けている気持ち、というものは伝わってまいりましたが、もう少し、「この番組出演が終わるまで大目に見てもらいたい」 とか、しがみついてもよかったんじゃないのかな、という気はいたしました。

 でも、いかにもPTAチャンらしい決断の仕方かな、とも同時に考えたわけです。
 若い世代(確かPTAチャン、まだ24とか、そんなものでしょう?)にとっては、仕事を袖にしても自分はこっちのほうがやりたいんだ、という気持ちのほうが勝るんだと思うのです。 せっかく全国レベルのテレビ番組に出演して、しかもPTAなどというあだ名をさんまサンにつけてもらい、説教部屋にも呼ばれる栄誉を獲得して、こっちを取らないでどうする、という彼女の考え方は、とてもよく分かる気がするのです。 ここに打算が働いていないところに、PTAチャンの強気が見て取れる。
 結局彼女の会社をやめるという決断が、今後どういう後悔になるかは分からない。 でも、後悔してもいい、いまを思いっきり生きていたい、という若さ。 彼女の決断を、誰も、もったいないととがめられるようには、思えないのです。

 ただ振り返ってみると、あの腰フリダンス以降、しばらくPTAチャンの勢いが止まってしまったように感じた時期が、確かにありました。 おそらくPTAチャンなりの、苦悩の日々を送ってきたのでしょう。 やってることはカッコいいかもしれないけれども、人間そう、簡単に割り切れるものではないですよ。

 で、もうひとつの衝撃は、キモイマンがしゃべったこと(笑)。 わっ、しゃべれるんだこの人!(笑)って、そりゃ当り前でしょうが(笑)、私の記憶の限りでは、この人が 「恋から」 でしゃべっているところなど、ただの一度も見たことがなかったわけであり。

 池田美穂チャンがさんまサンから、「キモイマンはオマエのことが好きやねん」 と言われ続けていたのに、ただの一度も話しかけられたこともない、という話になり、そこでキモイマンが本当は誰が好きなのか?という話になって。
 これもちょっと再現してみようと思います。

 さんまサン 「キモイマン!池田のことは、好きやねんな?」
 キモイマン 「(いやーちょっと…というような素振り)」
 さんまサン 「え?オマエ、幽玄堂でいつも 『いちばん好きです』 っていうてたやないかい」
 キモイマン 「(顔の前で手を振って)」
 さんまサン 「臭い臭いって…(笑)なんやそれ!」(笑)
 美穂チャン 「絶対声出さないじゃないですかー」
 さんまサン 「俺らとしゃべっているときも声出さへん(笑)…酒飲むと、日テレの上司の悪口言うてる(笑)…このメンバーでいちばん好きやろ?(池田のこと)」
 キモイマン 「いや、あのー、」(…しゃべった!とメンバーどよめき…笑)
 さんまサン 「…おまえ、…しゃべれるのか」(笑)
 キモイマン 「誰が好きかって訊かれた時に、『お前は池田やよな』 って言われたんで否定できなかったんです」(笑)
 さんまサン 「じゃこのメンバーでいちばん誰がタイプやねん、ほしたら」
 キモイマン 「…久保田サンで…」(メンバーいっせいにキャーッ…笑)
 さんまサン 「…誰がオマエ正直に答えろって(笑)なにが 『久保田サンです』 じゃ、池田がカワイソすぎるやないけ!(笑)収録ん時は、池田って言えアホーっ!」(笑)

 なんかすごいものを見ちゃった気がしましたです、正直言って(笑)。
 しかもそれを聞いて、池田美穂チャンが泣きだして(笑)。

 いや、好きだと言われることに、女の子がこれだけ敏感である、という一面の真実を、見せてもらった気がいたしました。
 今回ドッカンドッカン笑わせる放送ではなかったんですが、ご卒業に向けて番組全体のヒートアップ度が沸点に達するような感覚に襲われました。 今期のメンバーが、ここまではじけるとは、正直思っておりませんでした。 シロートやシロートや、ってさんまサンは強調していましたけど、ゲストのEXILEアキラサンも言っていたように、「シロートかもしれないけれどEXILEよりはマシ」 という言葉があながち間違いではないように感じた、今回の 「恋から」 であります。

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驚いたことふたつhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/36-pta-2040.html
「ご卒業SP」 MVPの意外すぎる人選http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/09-10mvp-a88b.html

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2010年3月 6日 (土)

「龍馬を愛した女たち~ヒロインたちの龍馬伝~」 ヒロスエとしほりチャン

 「龍馬伝」 の番宣として、今年NHKが作ってきたのは、去年の 「天地人がやって来た」 に比べればいたってマジメなドキュメンタリー。

 そこに加尾役の広末涼子チャンと、千葉佐那役の貫地谷しほりチャンの対談を交えながら進行していく作りでしたが、私が見ていて興味深かったのは、このふたりの対談のほう。
 その内容よりも、ふたりの会話のぎこちなさが、見ている側にも伝わってくるように思えました。

 確かにこのふたりの 「龍馬伝」 での出番はバラバラで、同じドラマに出演していても顔を合わせることがないだろうし、それ以前にこのふたりがこれまで一緒に仕事をしたというのは聞いたことがないので、こうしてじっくり対談するというのは、たぶん初めてだったのではないでしょうか。

 私が少しばかり驚いたのは、対談が始まった途端、広末涼子チャンのリアクションが、やたらと大げさになったことでした。
 大きく目を見開いたり、しほりチャンがうまいことを言ったりすると、拍手したり。
 なんかすごく気を使ってるなーと思ってしまいました。
 貫地谷しほりチャンはそれに対して、芸歴的には後輩でありながら、どっしりしたもんで(笑)。 広末サンの繊細さ、というか、神経質さがそれで際立ったような気もしたんですが。
 でも、その後の番組スタッフのインタビューに答えていた部分では、広末サンはとっても自然に受け答えしていたんですけどね。 だから余計にしほりチャンとの語らいが不自然に見えた、っていうか。
 でも同時に、女優どうしの火花の散らし合い、みたいに感じたことも確か。

 番組では、龍馬の乙女姉やんへの手紙で 「佐那のほうが、加尾よりちょっとだけ美人」 と書かれていたこととか、結構面白いエピソードも挿入しながら、次に登場したのは、龍馬と日本初の新婚旅行をしたというお龍(りょう)、彼女を演じる真木よう子サン。 その新婚旅行先であった高千穂峰に体験登山する、という展開。

 普段着の真木よう子サンは、まったく普通の人といった印象で、去年だったか、化粧品のCM(インテグレート、とか言ったっけな?)に出て来た時のような、ゴージャスな雰囲気全くなし(笑)。 結婚と出産をしたそうですが、それでシロート感に拍車がかかったとか?(笑)

 いずれにせよ、1800メートルだったかな?結構険しい登山を敢行して、お龍の気持ちを追体験する、という女優根性には脱帽します。 龍馬の手紙によれば、山頂に突き刺さっている逆鉾を引き抜いたらしいのですが、現在はご神体らしく、それを真木サンが引き抜くことはかないませんでした。

 個人的にとても不思議に思っているんですが、龍馬とお龍って、ほとんど名前、同じですよね?

 自分と同じような名前の人に惹かれあうのって、どういう心境なんだろうな~って、思うんですよ。 例えば、ひろみサンとひろみサンが付き合うような(笑)。 龍馬の手紙には、「面白き女」 とお龍サンのことを評していたらしいですが。

 そして第4の女として登場したのが、お元(もと)役の蒼井優チャン。 この人、常磐ハワイアンセンターの映画に出てたでしょ、福島弁で。 「フラガール」。 あの映画の福島弁は、みんなあんまりうまいとは思いませんでしたが、福島生まれの人間としては、それで結構親近感を持ってる、というか(笑)。 福は福でも福岡出身らしいですけどね。

 その蒼井優チャンのまだ出番はずっと先らしくて、かつらの型取りと、三味線のお稽古くらいしか番組では流れませんでしたが、この先、楽しみがまた増えたような気がいたします。

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「金スマ」 近藤真彦 前編 アタマから水がピューの真相

 当ブログ 「金スマ」 マッチ 後編の記事は、こちらです↓
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/post-2b97.html

 私の高校時代の友達の、その友達だった、近藤真彦サン。
 そのせいもあって、なんとなく同級生感覚で彼のことは見守ってきたんですが。
 当時から既にビートルズどっぷりだった私には、マッチのうたう歌というのは全く管轄外で(笑)。 私の妹たちは、まさにマッチファンの世代でした。 そのせいで、マッチのシングル盤を私も何枚か、誕生日プレゼントで買った記憶があります。 恥ずかしかった~(笑)。

 かく言う私も、妹たちと一緒に、「ザ・ベストテン」 を見ていたクチでして。
 まあもともとは、私がスタート当初から見ていたのを、妹たちも一緒になって見出した、という、…何を張り合ってるんでしょーかね(笑)。 どっちが先でも、別によろしいんですが(笑)。 でも、当時は家族そろって、テレビは見ていたものですね。

 ともかく今回、「金スマ」 でたっぷり流された近藤真彦サンの 「ザ・ベストテン」 映像は、1983年あたりまで、ことごとく見てた記憶があって、我ながら驚きました。 1983年って言ったら、私大学生ですよ(笑)。 さすがにその時には、毎週欠かさず見ていたなんてヘビーローテーションじゃなかったと思います。

 デビュー曲 「スニーカーぶる~す」 で初登場の時も見ていたし、女の子の波の中にダイブっていうのも見てました。 腕を骨折してホータイ巻いてたのも覚えてるし、ボートから夜の海へ飛び込むのも見てましたし、表参道でオープンカーに乗りながら歌ったのも覚えています。 「ハイティーン・ブギ」 のボツになったセリフ、「好きだよ、好きだよ~っ!」 って叫んでいたのも、見てました。 ビル清掃のゴンドラに乗って歌っていたのも。 よーするに、当時は毎週欠かさずに、見てたんですよ(笑)。

 で、番組内でいかにも大事件みたいに語られていた 「マッチの頭から水がピュー」 事件ですが、この1983年の年末に放送されたベストテンの特番で、迷・名場面集、というのがあって、その時にも採り上げられたシーンだったんですよ。 当時はどこが面白いのかちっとも分からなかったんですけどね。

 「頭から水がピュー」 事件、というのは、「金スマ」 をご覧になっていなかった方のためにご説明申し上げますと、当時さまざまに奇抜な演出をしていたベストテンの演出家が、火に包まれた少女をマッチが救出する、というストーリーを考えまして、その際に頭に穴のあいたチューブを巻きつけ、そこから水を流すことによってマッチの額から汗が流れる、という演出を狙ったのですが、それが見事に失敗。 「頭から水がピュー」 というほどひどくはなかったんですが、まるで頭から水がわき出てくるようなマヌケな感じになってしまった。

 これだけでは、ああ失敗失敗、って、ちっとも事件っぽくないんですが。

 これに腹を立てたマッチが、歌い終わった直後スタジオを出て帰ろうとしてしまったのを、なんとかなだめすかして、スタジオに戻らせた、ということだったらしいのです。
 そういう舞台裏があったとは、初めて知りました。 まあ、言うほど大したことでもないような気もいたしますが(笑)。

 それでも、「ベストテン」 の一連の映像を見ていて、今から考えれば当時は、とても考えられないようなハチャメチャを、テレビってやっていたんだなあって、あらためて感じました。 当時はそれが当たり前だと、気にも留めなかったんですけどね。 始末書が飛び交っていた、という 「ベストテン」 の裏側には、当時のテレビマンたちの熱いゴーインさが伝わってくるのです。

 それにしても、当時から私、マッチのうたう歌には、とても不満があって。

 というより、どうしてこういう下らん歌ばかり歌わせるのだろう、という、スタッフの側に対する不満ですね。
 同時期に活躍した田原俊彦サン(トシちゃん) より確実に歌がうまいのに、どうしてトシちゃんと同じようなレベルの歌を歌わせるのか。 やんちゃ坊主レベルの歌ばかり歌わせるのか。 そういつも思っていました。
 いや、けっしてトシちゃんの歌をけなしているわけではありませんよ。
 彼の歌唱力のまずさにぴったりの歌を歌っている、という点で、それには感心していたし、曲は結構好きでしたし。 「ニンジン娘」 とか。 アレは当時、気がつくとくちづさんでいたもんです…(笑)。
 だいたい浅田美代子サンの時代から、歌のまずいのにはならされていた、っていうか。
 …イカン、言い訳するたびドツボにはまっていく気がする(笑)。

 ともかくそのうちに 「ザ・ベストテン」 の 「今週のスポット・ライト」 に、横浜銀蠅が出てきて。

 番組中でその直後に出てきたのが、マッチでした。

 横浜銀蠅の、当時としてはものすごいハイテンションな歌のあとに歌われたマッチの歌は、ハチャメチャに迫力がなくて、その時もテレビを一緒に見ていた妹たちも、聞き慣れていた曲だったにもかかわらず、「なんかしょぼい」 と、ショックを受けていた模様でした。 私も、ビートルズの歌と 「ザ・ベストテン」 の歌は全く別カテゴリーだと割り切って見ておりましたから、ほとんどビートルズに肉薄する横浜銀蠅のインパクトの前に、あらためて日本の歌謡界の、あまりのヌルさを思い知ったのです。 妹同様、ショックでした。 黒船来航、っていうか(笑)。

 その後の横浜銀蠅の活躍は、ご存じのとおり…と言っても、若い人は知らんだろうなあ。
 銀蠅ファミリーのひとりが、「龍馬伝」 で福山クンのお兄さんをやってる人で、もうひとりが 「ウェルかめ」 でヴァン(分からんか…武田航平クンです)の父親役をやってる人であります。 杉本哲太サンと、嶋大輔サン。 銀蠅本体のほうは、あまりお見かけいたしませんね。

 話はそれましたが、マッチがようやく等身大の歌をもらったな、と思ったのが、「愚か者」 でした。 この路線でどんどん大人の歌を歌ってもらいたかったのですが、どーもスタッフに恵まれない感が、未だにつきまとっている気がするのです、失礼ながら。

 今回の番組で歌われた新曲、「恋 ざんばら」 も、題名だけ聞くと、頼むよなあ、と言いたくなるのですが、曲を聴いたら、結構よかったな。 なんかこの曲、数パターンあるみたいですね。

 マッチの人生は、「ザ・ベストテン」 中心に考えると、かなり栄光に包まれているような気もするのですが、次回(3月26日放送)の3時間SP後編では、結構シビアな話もするみたいです。 見たいような気もしますが、見たくないような気も…。 でも、その話っていったい、話せる話なのか、だいぶ気になったりしてます。
 なにしろ彼女のほうは、未だにその傷がいやせていない気がするものですから。

 蛇足ですが、マッチの 「ザ・ベストテン」 出演シーンだけをまとめたDVDボックスセットとか、百恵チャンみたいに出してみたら面白いような気がするんですけど。

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2010年3月 5日 (金)

「不毛地帯」 第18回 サドンデスの様相

 サルベスタン鉱区開発権をやっとのことで手に入れたにもかかわらず、石油がちっとも出てこないという格好の近畿商事。 1974年に物語の舞台が移動しています。 私は小学校4年でした(どーでもいいか)。 第1次オイルショックが確かその前年ですから、ここで近畿が一発当てれば、とてつもない大逆転なんですけどね。 あー原作あるけど、ドラマが終わるまで読みたくない(終わっても読むのかな?…長いし…笑)。

 いきなり副社長になっている壹岐正(唐沢寿明サン)、すっかり大門社長(原田芳雄サン)より忙しくなっちゃって、社長はもはや半分隠居状態。 どうもこのふたり、険悪な関係が表面化しつつある。 大門社長はヒマ過ぎるからか(笑)ほとんど競馬みたいな趣味のレベルで綿花相場に没頭、会社に多大な損失をもたらし続けています。

 かたや壹岐のほうは、すでに50億ぶっ込んでなにも出てこないカラカラ油田が、会社の大きなお荷物となっている。

 今回のこのドラマ、最終的に壹岐と大門の二大巨頭が抱えている爆弾の、どちらが爆発するのか、それによって近畿商事内部の勢力図が大きく塗り替えられることになる、まさにサドンデスの様相を呈しながら、互いに絡み合うようにして次回の最終回にもつれ込むことになるのですが。

 ここで石油公社が支援を打ち切る、という決定を下し、5%の出資をしていた東京商事の鮫島(遠藤憲一サン)からも、サルベスタン鉱区から手を引く、という話をされ、壹岐は四面楚歌状態。
 ここでの鮫島サン、またまた大いに笑わせてくれました。

 千里(小雪サン)が壹岐のマンションに来ているときには絶対誰かが訪ねてくるんですが(笑)、そこに現れた鮫島サン、千里サンを見て 「いやー、私としたことが情報不足でした」 といきなり笑わせます。 壹岐が 「こちら、秋津千里サンです」 と紹介すると、「秋でも春でもどっちでもいいですけど、私このあと人に会わなきゃいけないのでさっそく用件だけ、あ、コーヒー、ブラックで!」 でサルベスタンから手を引くという話だけベラベラしてから 「あ、やっぱ、コーヒーいいです!」(笑)。
 そして壹岐にコソコソと 「それにしても、いい女ですね!いくつ?(笑)壹岐サンも、シベリアで過酷な体験をされた体なんだから、あまり、無理をしちゃいけませんよッ!(笑)」
 嵐のように去っていきました(笑)。
 なんか鮫島サン、最終回に出番なさそうな感じなんで、これがほとんど見おさめのブッ飛びシーンなのかな~。 もっと見たかったな~。 シベリア油田の開発するからもうサルベスタンはいいんです、なんて、結構秘密ばらしちゃってましたから、壹岐と対決は、もうしないんでしょうね。

 で、もう出番がないと思っていたもうひとりの怪人(笑)里井タクボ工業社長(岸部一徳サン)が再び登場。 大門社長と壹岐の、会議での泥仕合を見て連絡してきた、これまた怪人キャラの角田(篠井英介サン)と、ヒソヒソ談合(笑)。
 「お元気そうで…」 と振られて、「タクボには、心臓を悪くするような相手がいないから健康にいいよ」 と、実に言い得て妙の返事(笑)。
 この里井サン、そのあと大門社長と結託して、壹岐を追い落とそうとする展開になっていく。 角田との話じゃ、里井サンは大門社長のことも、結構クサしてたのに、ですよ。
 ここらへんは、見ていて実に面白かったなあ。
 だって、大門社長は綿花相場という大きな爆弾をしょってるんですよ。 爆弾をしょったまんま、里井サンを権力闘争に引き込もうとしてるんですからね。 里井サンも、何の因果だか(笑)。 かわいそうというか。

 そして、今回の物語の、ある意味での中心が、石油公社の支援を強引に引き出そうとするために壹岐がとった裏金工作でした。

 これ、よく考えてみると、大門社長が田淵幹事長(当時、江守徹サン)に折詰かなにか、以前持参していたことがありましたよね。 壹岐は今回裏金工作にずいぶん逡巡してましたけど、このときの金銭授受はよかったのか、はたまたその折詰はカネじゃなかったのか。
 いずれにせよ、イランに飛んで国王に日本への圧力を要請したり、田淵総理にプールしていた余剰金の1000万を渡したり、壹岐の行動は的確。
 「逮捕者が出るようなことにはならんだろうな?」 と壹岐に確認する大門社長も、壹岐が裏で何をやっているか、絶対に分かっているはずなのです。 壹岐と大門社長との、このやりとりは、まさに社会の暗部の象徴的な場面を見ているようでした。

 そして谷川(橋爪功サン)の家で 「私は、シベリアに眠る仲間たちに、自分のしていることを、胸を張って言えるかどうか…」 と呟き、珍しく酒に酔って眠りこんでしまう。 壹岐のこの呟きに、谷川も、何か言いたげにしながらずっと無言、谷川の奥サンも余計なことを全くしゃべらない。 バックにはトム・ウェイツのエンディングテーマが流れ、とても味わいの深いシーンだったと思います。
 そして翌日、壹岐を見送る谷川。 それが壹岐との、最後の別れになってしまう。 イランから訃報を聞いて葬儀に駆けつけた壹岐。 ひとりだけ喪服ではない。 最後に谷川が見せた笑顔が脳裏に浮かぶ。 この一連のシーンは、壹岐がなんのために商社で頑張ってきたのかを語って余りあるシーンだった気がします。 涙を誘うものではありませんでしたが、とても感動的でした。

 大きな苦悩の末に公社の支援を再び取り付けた壹岐でしたが、最後の頼みの綱、サルベスタンの第5号井(せい)で暴噴事故。
 もう後がないぞ! 見逃すな最終回! えっ、時間拡大じゃないの? 勘弁してよ!(笑)

当ブログ 「不毛地帯」 に関する記事
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-6a81.html
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/1-05a5.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/2-w-070f.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/3-4bae.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/4-9755.html
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/5-abb7.html
第6回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/6-d4bd.html
第7回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/7-8677.html
第8回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/8-4f4a.html
第9回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/9-cdc5.html
第10回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/10-183b.html
第11回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/11-0587.html
第12回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/12-68a7.html
第13回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/13-2599.html
第14回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/14-4fa8.html
第15回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/15-d4df.html
第16回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/16-3ac8.html
第17回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/17-2-6e30.html
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-b645.html
第18回 (当記事)
第19回(最終回) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-7b99.html

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「不毛地帯」 19回で終わりなの? どうしてですかね…

 当初、全20回予定だと、どこかで読んだ気がするんですけどね、「不毛地帯」。 それが、次回(19回)予告で来週最終回、と知って、ちょっと今はしごを外されたような肩透かし感を味わっております。
 どうもその最終回も時間拡大がないみたいだし、視聴率は1ケタ台の時もあったというし、これって打ち切りっぽい、というか。 良質のドラマが受け入れられないというのは、実に嘆かわしいと思えてなりませんが、それは今に始まった傾向ではないですしね。

 でもどうして、同じ唐沢寿明サンの 「白い巨塔」 の時は視聴率がよかったのかなー。 おんなじ傾向のドラマだと思うんですけどね。
 当時は医療ミス事故とかクローズアップされてたから、それが視聴率を押し上げていたのかもしれないです。
 あと、唐沢サンのライバルに、江口洋介サンがいたとか。 江口サンの 「救命病棟24時」 はいまだに視聴率がいいし、その要因も考えられますね。

 「不毛地帯」 の弱いと思われる点は、題材に新鮮味がないこと、がまず第一なのではないでしょうか。 「白い巨塔」 のような、現代につながる同時性がなかった。 でも、去年(2009年)のドラマ 「官僚たちの夏」 では、この 「不毛地帯」 と同カテゴリーのドラマでありながら、自動車とかコンピュータとか、現代に通じるような視点があったんですけど、やはり視聴率は悪かった。
 要するに、難しい話が、敬遠されてるってことだけなのかな?
 でも、戦闘機の話とか、自動車提携の話とか、石油開発の話とか、ピンとこない向きが多かったことは、言えると思います。

 個人的には、セリフ全体がいかにも硬過ぎて、逆にその文学的口調を狙っているんだろうとは思いましたが、そうすることで、登場人物への感情移入ができにくくなったきらいがあった気がします。 しかも、それがまた、ガチガチの説明ゼリフのオンパレード。 里井副社長(岸部一徳サン)なども、すっごく冷静な理詰めのセリフで激昂しまくっている、という面白さも、あることはあったんですけど(笑)。 それが受け入れられなかったんでしょうね。

 それから、主人公壹岐正のカタブツぶりばかりが強調されて、彼が本当はいったい何がしたいのか、なかなか見えてこなかった点。
 戦時中の彼の生き方を見ていると、戦後は川又(柳葉敏郎サン)と同じように、自衛隊に入るのが当然の成り行きのように思えたんですが。 それがどうして商売人になったのか。 その説明は所々でなされてはいましたが、ガチガチのカタブツがどうして商社マンになるのかの説得力がなかった。

 それから、女性の視聴者が好きそうな(失礼)恋愛サイドの話も、あまりにもじらし過ぎでつまらない。 壹岐と千里(小雪サン)がマンションにふたりきりになるときまって誰か来るし(笑)。 壹岐は忙しすぎるし(笑)。

 こうしてみると、本格派好みの視聴者しか食いついてこない原因満載ではないですか(笑)。
 や、自分が本格派好みだと自慢してるわけじゃないですけど(笑)。

 そのストーリーの面白さと同時に、鮫島(遠藤憲一サン)や里井副社長などの 「笑わせ怪人キャラ」 の面白さで見せていた気も、するんですけどね。 だけど毎回それじゃ、原作者の山崎豊子サンに怒られそうだし(笑)。

 そうこうして、唐沢寿明サンがこのドラマ開始当初いみじくもこうなりたくはない、みたいに話していた、「視聴率は悪いけど良質」 というドラマに、結果的になってしまった…、ということなんでしょうか。 とても残念です。

 ただし、やはり話的にはとても面白かったですよ。 第18回の感想文は、また次の記事で書こうと思います。

当ブログ 「不毛地帯」 に関する記事
(番外) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/post-6a81.html
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/1-05a5.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/2-w-070f.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/3-4bae.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/4-9755.html
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/5-abb7.html
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第8回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/8-4f4a.html
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第11回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/11-0587.html
第12回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/12-68a7.html
第13回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/13-2599.html
第14回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/14-4fa8.html
第15回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/15-d4df.html
第16回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/16-3ac8.html
第17回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/17-2-6e30.html
(番外) (当記事)
第18回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/18-5177.html
第19回(最終回) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/19-7b99.html

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2010年3月 4日 (木)

「曲げられない女」 第8回 意味じゃない、意志だ!

 ちょっとそれはないだろう、という展開に半ばシラケながら、結局そのゴーインさに押し切られてしまった感のある(笑)、「曲げられない女」 第8回。

 つまり、オギワラ(菅野美穂チャン)のマンションの上に住んでいた迷惑大学生が、オギワラの父親が命と引き換えに守った23年前の赤チャンだった、というこの展開。 「新潟に帰れよ!」 とか母親に向かって暴言を吐いてたり、「新潟」 をヤケに強調していたので、同郷なんだ、と思いながら見てたんですけどね。
 でもいくらそれが伏線にしても、ちょっとあり得なさ過ぎ。

 その迷惑大学生に説教する美穂チャンの論調も完全に、袂を分かった友だち(谷原章介サン、永作博美チャン)向けになってるし。 誰に向かってしゃべってるのか?という感じでしたよ。 しかも都合のいいことに、そのふたり、その場に来てるし(笑)。

 今回見ていてとても気になったのは、妊婦になった美穂チャンが、あまりにもおなかの子供のことを考えていない点。
 風邪をひくとか、お金がないとか、産婦人科の女医サンに 「あなた、妊娠なめてない?」 と言われるのが当然。 それなのに、「あたしなんかの子供に生まれてきたら、後悔するよ…」 などとおなかの子供に話しかけたりする。 母親のペンダントを質入れようとして、「母さん、ごめんね」 などという前に、おなかの赤チャンに対して 「ごめんね」 でしょう、母親ならば。

 それでも、前回あんなに見得を切ったのに、結局どうすることもできず次第に追い詰められていくオギワラの様子は、実によく描かれていました。

 まず冒頭から夢の中で、「無駄な努力はやめなさい」「ホントは後悔してるくせに」 と、いちいち正論でぶちかましてくる、実にオギワラらしいもうひとりの 「黒オギワラ」(笑)。 その黒オギワラにゲラゲラ笑われながら、本物のオギワラは 「あのふたりに、生まれてから今まで他人に言ったことのない言葉を言っちゃいなさい」、と諭される。 なにソレ? 「ゴメン」 ってこと? 「チッチッチッ、自分で考えなさい」 と黒オギワラ。

 お金がなくなる、という現実は、容赦なくオギワラにのしかかる。

 引っ越ししようにも費用がかかりすぎるとか、出産費用に50万もかかるとか、…なんか行政の力で、なんとかならんか?と言いたくなるような現実。 ひとりの女性が、だれの助けも借りずに司法試験を受けながら子供を産むなんてことは、今の日本では無理、っていうことですよ、ありていに言えば。 生活保護を受けてしまったほうが、よほど楽に赤チャンも産めるんじゃないでしょうかね? 医療費も、みんなタダですからね。

 あげくの果てにメガネを壊してしまい、美穂チャンはとうとう、虎の子の500円玉貯金缶を開けてしまうことに。 その途端家賃の督促にあって、あえなくそのお金は露と消える。
 とうとうぶっ倒れて、母親の形見のペンダントを、換金することに。
 このお金がなくなっていく展開は、見ていて息苦しささえ感じました。

 かたや、永作チャンは舞い戻った夫の家で、これまで以上のつらい扱いを受け、谷原サンは親の勧めるままにお見合い。 どちらも結構、厳しい船出となっているようです。

 そんなつらい思いをしている永作チャンのもとに、実家の母親から、電話がかかってくる。
 泣きそうになりながら虚勢を張る永作チャン、見ていてウルウルきましたよ。 こないだの、子供たちを笑って見送ったシーンより泣かせる感じがしました。 やはり永作チャンのつらさを、ダイレクトに見せてくれた感じでしたからね。 この電話が、オギワラが仕組んだものと知って、永作チャンはオギワラのもとへ行ってみようとしたんですね。

 それで、そうこうあって(省略です…笑)、「自分なんかもうどうだっていいんだ!オレなんて生きてる意味ねえんだよ!」 と暴れる上の階の迷惑大学生に、息も絶え絶えになりながら、美穂チャンが 「シャッター開けた」 セリフ。

 それがこの記事冒頭で述べたように、違和感ありまくりの説教だったのですが(笑)、ひとつだけすごく共感できるセリフがありました。

 「あたしたちに生きる意味なんて必要ありません。 …あたしたちに必要なのは、…生きる意志です」

 人間っていうのは、頭がいい動物だから、生きていくことにも、何かしらその理由があると考えがちです。 そして、意味がなければ生きていけない、みたいに考えてしまったりします。

 そして自分が打ちひしがれてしまった時、意味がないから生きてたって仕方ない、などと考えて、死んでしまったりするんじゃないでしょうか。

 だけど、頭でばかり生きなくたって、体が 「何か食べたい」 と思うとか、「いろんなものを見てみたい」 とか、そんなことだけで生きていたって、なにも恥ずかしいことではないような気が、するのです。 何か、考え過ぎてしまうと、それだけ死に近づくような気がして、なりません。
 立派なことができなくてもいい。 人に誇れるような人生でなくても、何かのために、誰かのために生きることができれば、その時点ですでに、じゅうぶん意味がある人生、ってことですから。

 それに、生きようとする意志、と言っても、そんなに難しいことじゃない気がします。 「あれが食べたいから頑張るぞ」「あそこに行きたいから仕事で稼ごう」 だけで、じゅうぶんじゃないか、っていうことです。 どうも余計な理屈が、今の世の中、多過ぎる気がするのです。

 話は戻りますが、そこでまたぶっ倒れたオギワラを部屋まで連れてきた、谷原サンと永作チャンに、オギワラは、「助けて…」 と懇願する。 これが、黒オギワラが言っていた、「生まれてから1回も口にしたことのない言葉」 だったんですねー。

 恒例のマイケルの曲は、「今夜はビート・イット」。 曲の内容とドラマの内容とは関係なかったですが、この曲のプロモーションビデオが、「喧嘩している者同士仲直り」 というコンセプトだったので、おそらくその流れかと(笑)。 主役の3人はかくして、元の友情を取り戻したわけであります。

当ブログ 「曲げられない女」 に関する記事
第1回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-83d0.html
第2回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-5eb9.html
第3回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-a3aa.html
第4回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/4-1d07.html
第5回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/5-d241.html
第6回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-88ef.html
第7回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-3fa8.html
第8回 (当記事)
第9回 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/9-5d02.html
第10回(最終回) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-2386.html

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2010年3月 3日 (水)

「タモリ倶楽部」 地獄の生前予習

 「タモリ倶楽部」 2月27日(一部地域除く)は、みうらじゅんサン監修(ホント詳しそう…笑)、生前地獄予習。

 ゲストは安齋肇サン、進行役はおぎやはぎ。 高田馬場のホルモン 「閻魔」 で肉をつつきながら、「もうこの段階で殺生してますよね」 みたいな展開。 地獄という問題をどうとらえようとしているのか、この時点で理解できます(笑)。 冗談で進行していく番組でしたが、ちょっとこの記事では、マジメに地獄の存在意義などを(笑)考えていきたいと思います。

 この中でいちばん興味深かったレッスン(笑)は、八大地獄、という地獄の段階分け。

 よく見ると、いちばん軽度の等活地獄からして、すでに悲惨極まりない刑罰の状態。 殺生をした者が落ちる地獄ということで、虫一匹殺したことのない人がまずいないように、ほとんどの人間はその地獄に行くだろう、みたいな感じなんですが、亡者どうしの殺し合いが行なわれ、煮えた糞尿で茹でられ、さらに食べさせられる。 タモリサン 「ちょっと待って、それでいちばん上なの?」「殺し合いって言っても、死なないわけでしょ?」

 しかし、意味分かりませんよね、のっけからマジレスですけど(笑)。
 なんでわざわざ、罪を犯した人間が、さらにそれ以上の殺生を強いられなければならないのか(笑)。
 つまり、まともな人間にとっては、人を殺すことが苦痛に思えるだろうから、あえてそれを強制させて苦しませる、という側面も備わっているのか?みたいにも考えられるんですが。 殺し合いをさせる側の責任統括者である閻魔大王の罪、っていうものは、どうなんでしょうか?

 次の段階が、黒縄地獄。 殺生に加え、盗みをした者が落ちるそうです。
 体に黒い線を引かれて切り刻まれたり、煮えたぎる大鍋の上の縄を渡らされたりするらしい。
 別に線を引かなくっても切り刻めばいいだろう、という感じもしますが(笑)。
 なにしろ、その刑罰を科す地獄の鬼、というものが、すでに人を苦しめることに何の躊躇もない、邪悪な存在だ、ということが、気になるんですよ。 なんとも、鬼たちのほうが哀れに思えてくる。
 そしてまた、鬼たちの管理統括責任者である閻魔大王の生命というものにも、考えが及んでしまう。
 悪いことを生前したら死後にエライ目に遭う、というのは因果応報上納得のいく論理です。 しかし、それをつかさどる自然摂理的な存在を、閻魔大王にゆだねるのはいいとして、こういう地獄の描きかたは、単なる苦痛強制執行人としてかえってその閻魔大王の存在を貶めることになっている、そう思うんです。 …なんだか難しい話になってまいりました(笑)。

 次の衆合地獄(BGMが 「8時だョ!全員集合」 で、笑いました)は、それまでの罪プラスみだらな行ないにふけったものが落ちる地獄。 みだらなことを考えてもいかん、というみうらサンの話にタモリサン 「そんな厳しいもんかい?」。
 この地獄では、鉄の臼で挽き潰され、木に逆さ吊りにされ、炎であぶられる。
 これって要するに、またイチャモンつけますけど(笑)、神経がどんなことをされてもまだ生きている、という感覚ですよね。 フツーここまでされたら、もう二度としません、っていうことになりますけど、だったら輪廻転生で生き返る人たちというのは、もうすべて善人ばかり、ということになりませんかね? 世の中、善人だらけにならないですか? それがいっこうにならない、というのは、のど元過ぎれば熱さを忘れる、レベルの話じゃない気がするんですけど(笑)。 つまり、地獄の責め苦が、魂の浄化作用に何ら寄与していない、ということになりますよね? …ああまた、難しい話になってきた(笑)。
 要するに、生まれてくる時点で、それまでの記憶をすべて消され、地獄の責め苦もすべて忘れてしまう、という摂理からして、納得がいかないんですよ。
 人がいいことをするにも、悪いことをするにも、生まれてからの環境ですべてが決まる、そう思えてならないんです。 悪いことをするのに何となく躊躇する、というのは、地獄の責め苦が記憶のどこかにあるからではなく、感覚的に世の中の仕組みを体得しているからなんじゃないでしょうか。 誰かを傷つければ、誰かが悲しむ。 喜ばせることをすれば、みんなが喜ぶ。 そんな経験は、別に教わったりしなくても、生きていればなんとなく分かるものです。 でもそうすると、地獄の存在価値って何なのか、って話になってきます。 ただ泣く子を黙らせるとか、この世での善行を促進するとか、そんなレベルになってきますけどね。

 「タモリ倶楽部」 は、その地獄が持つ根本的問題には触れることなく(当たり前か…笑)続くわけですが。

 次の叫喚地獄は、それまでのプラス酒を飲んだものが落ちる地獄。 酒って…。 みんな飲んどるじゃないですかぁ~ッ(笑)。
 刑罰は、煮たり焼いたりあぶったりされる、という、「軽くネタ切れ感が出てきてると思うんですが」(やはぎサン)(笑)。 それと、口から焼けた銅を流し込まれ、内臓を焼かれる、「胸やけのレベルじゃない」(笑)。 やはぎサン、冴えてますなあ。

 大叫喚地獄は、それまでプラス嘘をついたものが落ちる地獄。 さっきの叫喚地獄よりも、さらに大きな鍋や釜で焼かれる、という、ますますネタ切れ感あふれる刑罰で(笑)。

 焦熱地獄は、それまでプラス仏教の教えと相容れない教えを説く者が落ちる地獄。 鉄板で、表も裏も焼かれるとか。 あと、池だと思って飛び込んだら、炎の池だったとか。 突っ込みたくなるようなレベルになってまいりました(笑)。 皆さんも、突っ込みまくってました(笑)。

 大焦熱地獄は、それまでプラス尼僧や幼女を犯した者が落ちる地獄。 焦熱地獄のパワーアップ版の刑罰(笑)。 死の三日前から苦しみを受ける、という 「ちょっとフライング気味、オレまだ死んでないんですけど」(やはぎサン)(笑)。

 最後が、無間地獄。
 これまでの罪プラス、父母や聖者を殺した者が落ちるそうです。 みうらサン 「聖者殺したことないですか? 街にやってくるっていうじゃないですか(笑)。 結構いるでしょ」(笑)。
 これまでの地獄の1000倍の苦しみを味わう、らしいです。

 その分割された地獄の中にもいろんな種類があって、大焦熱地獄の中の大身悪吼可畏処というところでは、酢をのまされて体を柔らかくされ、さらにローラーのようなもので広大な原野くらいまで引き延ばされたあと、ピンセットで少しずつ肉を引きちぎられる、というワケの分からない刑罰で(笑)。 みうらサン 「マンガじゃないですか」(笑)

 女性を酩酊状態にして犯した者が受ける罰が、男根を引き抜かれても次から次からはえてきて、そのたびにまた抜かれ続ける、というもので、タモリサン 「男根手品」(笑)。

 それにしても感じるのは、やはり最初の 「レベル1」 等活地獄がすごすぎて、そこから先の刑罰が重くなっていくのに、すでにそれ以上重い刑罰が考えられなくて、ネタ切れ状態になってしまっているところ。 いかにも行ってみたことのない人間が考えている、子供を怖がらせて教育する、という感じがしてならなかったのですが、実際の地獄というものは、このような分かりやすいものではないような気がするのです。

 私がとても印象に残っているのは、小学校時代だったか、学研の 「私は見た 死後の世界」 というシリーズ本。 降霊術で呼び出されたヒトラーが、死後の世界で暗い泥沼のようなところを、長いあいだ歩かされ、足は腐って骨が見え、ボロボロになっているにもかかわらず、ひとりぼっちでわけも分からないまま歩きつづけている、と語る話です。

 閻魔様も鬼もいなくても、じゅうぶんにそれは怖い 「地獄」 の世界ではありませんか。

 その本に私はいまだに毒されている部分はあるのですが(笑)、地獄というのは結構、いま生きている世界でも繰り広げられている話の延長のような気がするのです。
 今現在の自分がどうしても乗り越えられない壁であるとか、どうしても抵抗できない欲求であるとか。 生きているあいだにできないのですから、死んでしまったら余計にそれができなくなる、そんなものが地獄であるような気がします。

 まあ、死んだら終わり、なんて考えている人には、関係のない話ですけどね。

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リーマンショック以降に見た 「ハゲタカ」

 かねてから 「すごいドラマ」 という評判を伝え聞いて、いつか見てみたいと思っていた 「ハゲタカ」 でしたが、今年(2010年)の1月9日に集中再放送していたものを、ようやく見ました(遅すぎ…笑)。

 古本屋でも、経済書というのはゴミ同然に扱われることからも分かるように、経済というものは日々変化していくものなので、たかだか2、3年前のこのドラマも、すでに時代遅れになっている部分が多くて。
 なにしろ、このドラマで最も中心的役割を演じ、いちばんの暴君として存在しているアメリカのヘッジファンド会社が、2008年のリーマンショック以降、まったく意気消沈している、という現在の経済状況。
 そしてこのドラマでほとんどモデル的に取り扱われていた、時代の寵児とももてはやされた村上某と堀江某が、たった2、3年のあいだですっかり過去の人になってしまっている、この現実。
 ここから見えてくるのは、この 「ハゲタカ」 というドラマで製作者たちが訴えたかった 「心の問題」 というものが、いかに現実には力を持ち得ないのか、という無力感でもあります。

 現実には、どんな大問題がわが身に降りかかろうが、結局は自分や自分の家族がちゃんと生活していられればいい、という価値観だけが、最後には残ってしまう。
 仕事に対する誇りだの、カッコいいことを言っていても、食えなければどうしようもない。

 リーマンショック以降、「アメリカのくしゃみに感染した日本」 の現実は、2、3年前よりも深刻になっている気がしてなりません。
 要するに、不景気、加速してます。
 その中でますます、社会全体の人間的な温かみが廃れてきたような気がしてならないのです。 ますます、社員のためにある会社ではなく、会社のために社員があるような、人間が部品以下に貶められている状況になっている気がしてならないのです。

 そんな状況下で初めて見た 「ハゲタカ」 でしたが、主人公の鷲津(大森南朋サン)が冷酷に企業買収をしていくさまを見ていて、彼がそんなに悪い人間に、初めから見えなかった。
 かえって、彼が買収を進める企業の経営陣の無能さが見えて仕方なかった。
 これは単に、ヘッジファンド暗躍の時代以降の、リーマンショック以降の現在からふり返るからそう見えたのでしょうか。
 経営破綻してしまった西野旅館の宇崎竜童サンも、変な方面に手を出したからこそ失敗したのであり、おもちゃ会社の冨士真奈美サンも、会社を私物化していたからこそ経営が傾いていた。 大空電機の大杉漣サンも、ポッと出のIT企業の若造(松田龍平クン)なんかに安易に頼ったばかりにひどい目に遭ってましたよね。

 そこで経営者として最後の光を細々と放っているのが、大空電機会長だった、菅原文太サン。
 彼が何より大事にしていたのが、レンズ磨きの技術屋としての第一人者であった、田中泯サンでした。

 要するに、我々は、目の前にある仕事を、精一杯こなすことなのだ。
 誰にも負けない技術を、精一杯磨くしかないのだ。
 それだけが、この社会を最後まで生き抜いていくうえで大事なことなのだ。
 結局時代が変わろうが、世界がどう変わろうが、どんなに貧しくなろうが、目の前のことに全力でぶつかっていけば、道はひらけていくものだ。
 仕事に対する誇りというのも、実はその血のにじむような努力の積み重ねによってしか成しえない、一見するとカッコ悪い勲章でしかない。
 そう思えてなりませんでした。

 蛇足ですが、このドラマに出てきたファンド会社などの建物は、とても冷たい感じがして、建物になんだか人間性が拒絶されているような印象を、再三感じました。
 これって自分が、末端の会社を経営しているから、そう思えるんですかね?
 人の血が通っていないように見える建物で仕事をしている人は、なんだか気の毒なようにも見えました。 それがステータス、ってものなんでしょうかね。

 いずれにせよ、経済状況がいくら変わっても、噂にたがわぬすごいドラマであったことだけは確かです。 結構難解ですけどね。 あんまりすごいすごい言うと、頭のいい人だけの自己満足とも受け取られかねません。 ドラマですから、ドラマチックになるのは必然として(笑)、頭のいい人ほど、このドラマにハマってしまうことだけは言えるんじゃないか、そう思います。

 またまた蛇足になりますが、すべての出演者の演技力が最高レベルだったことは確実ですが、なかでも私が感心したのは、ニュース番組にアンカーマンとして登場していた蟹瀬誠一サンの演技。
 まったく演技に見えませんでした(笑)。
 普通、どこかしらセリフをしゃべっているような、ぎこちなさが残るんですけどね。

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2010年3月 2日 (火)

津波情報とテレビの関係

 チリ地震の影響による津波情報がテレビに出続けたことに対して、ちょっとした議論が起きているようです。
 個人的な意見を言わせてもらえば、確かに重要な情報であることに間違いはないけれど、もっと小さな表示にするとか、表示の仕方には検討の余地はあると思います。

 特に今回の件で、「再放送を断固要求する」 みたいな強い調子で憤っているのが、「鋼の錬金術師」 などのアニメファン。
 私もアニメ好きなほうなので、彼らの心情も分かる気がします。

 つまり、アニメーションというのは現在、とても情報量が多い作りになっている。
 重度の(笑)アニメファンになると、メインの登場人物だけ見ていないんですよ。
 画面にちょっとだけ出てくるようなものに、製作者のちょっとした遊びや重要な意図が隠されている場合がある。 「鋼の錬金術師」 がそういう作りになっているかどうかは分かりませんが、画面の一部分が隠されることに、特にアニメファンが敏感なのは、そういう事情があります。

 また、そういう人に限って、番組を何回も見るために録画保存しようとする傾向にある。
 ここには一種の、ビンボー人根性も働いているわけですが(笑)。
 要するに、DVD買って見りゃいいだろうとか、よく言う人がいますけど、それって結構、カネのかかる話なんですよ。 日本のアニメーションは、やたらと売れるくせに、設定単価が異常に高い。 ここらへんは、日本のアニメ事情を取り巻くややこしい話が絡んでくるので省略しますが、とにかく録画保存しようとする向きにとっては、今回の津波情報に限らず、地震情報だろうがニュース速報だろうが番組プレゼントのお知らせだろうが、スーパーインポーズというものが、基本的にすっごくジャマなんです(笑)。 これはなにも、アニメに限った話ではないですけどね。

 私が今回の津波情報に直接接したのは、「笑点」 と 「龍馬伝」(午後6時からのNHK衛星ハイビジョン)「NHKニュース7」 を見たときだけでした。
 つまり、津波情報が流れているあいだ、私がテレビを見たのは、この時間帯だけだったのです(テレビ中毒者のはずなんですが…笑)。
 最初のうちは、「大津波」 なんて書いてあるので、大変なことが起こっている、という認識を強く持ったのですが、それ以降は、とても不謹慎ですが、とてもうっとうしくなってきて。
 どうにかなんないものなのかなあと、とても感じました。

 だいたい、この津波情報はテレビだからこそ出来ることで、テレビの持つ重要性のひとつであるとも考えられます。 ラジオで四六時中、それこそ片時も途切れず情報を流すわけにもいかないですしね。
 けれども、私みたいに当日の午後5時半からテレビを見た人間にとっては、もうすでに手遅れの情報だったりする。 テレビを見ない人は、完全に情報から、取り残されることになる。

 やはり何と言っても重要なのは、その危険地域の町内放送とか、地域限定の原始的な手作業感覚のコミュニケーション、ということに尽きるんじゃないでしょうか。
 これをテレビの津波情報を出していればそれで事足りる、という感覚になってしまっていることに、大きな問題が含まれているような気がします。 本当にその情報が必要なのは、誰よりも、まさにその時間、その地域にいる人たち、なのですから。

 今回の議論を見ていて感じるのは、テレビを見ることに命をかけているような(笑)、と言うか、番組をきちんと見たい、という向きの人たち(私も含みます)、さらにその情報が関係ない地域の人たちほど、この津波情報を否定的にとらえている、ということ。
 逆に、テレビ番組というものをさほど重要視していない人たちは、この津波情報を 「当然だ」「これこそがテレビの役割だ」 と考えている気がします。
 価値観は人それぞれですので、それがいいか悪いかはここでは論じませんが、私はいずれの議論にも、「当事者にとって一番有益な情報とはなんなのか」 という視点がないように思えるのです。 これは津波警報をうっとうしく考えてしまった、私にも言えることなのですが。

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2010年3月 1日 (月)

カバー曲に見る、ビートルズを取り巻く時代の 「懐かしさ」

 これは、私だけの感覚かもしれませんが。

 ビートルズを採り上げた、さまざまなミュージシャンによるカバー曲は、自分の物心ついた時から、頻繁に聞こえていた気がします。
 私が幼稚園年長組の頃(1970年、昭和45年)ビートルズは解散したんですが、その時期から既に、ビートルズのカバーは当然のような感じで身の回りにあふれていました。 テレビとか、ラジオとか、叔父の持っているレコードとか。
 それから小5の終わりくらいだったか、私がいざビートルズのファンになってみると、この曲知ってる、この曲も知ってる、というケースがあまりに多いことに、なんかとてもゾクゾクさせられたような思い出があって。

 こういう、幼いころから無意識による刷り込みが日頃からいちばん行なわれているミュージシャン、というのは、ビートルズ以外には、ほとんどないような気がするのです。
 私が思いつくのは、昔ならサイモン&ガーファンクルとか、今日でいえば、クイーンとか、ここらへんかな、テレビのCMとか映画とか、どこかで無意識のうちに刷り込まれているミュージシャンって。

 個人的には、特にジーンズのテレビコマーシャルで、1975、6年だったか、「シー・ラヴス・ユー」 のラスト部分が流れていたのが、なんと言っても印象的でしたけど、たぶんこの時代は著作権がやかましかったと思うので、これはコピーバンドによるものでしょう。 土居まさるサンの 「日曜ジョッキー」 かなあ、このCM流れてたの。

 ただこれは結構ダイレクトなコピーなので、なんとなく刷り込まれた、という性格のものではないかもしれません。
 もっとなんとな~く、という感じで言えば、「みんなのうた」 で流れていた 「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」 とか、もっとなんとな~~くになると、ポール・モーリア・オーケストラとか、ムード音楽の実にヌルーい(笑)超スタンダード曲(「イエスタデイ」 だの 「ヘイ・ジュード」 だの 「レット・イット・ビー」 だの)だったり。
 私よりもっと古い世代の方々になると、当時のロカビリーで日本語に直された歌をカバーしていた人たち、ということになるんでしょうね。

 私に大きな影響を与えてくれた叔父の持っていた、どんなレコードにも、必ず1曲くらいはビートルズのカバー曲が入っていて。

 セルジオ・メンデス&ブラジル'77の 「フール・オン・ザ・ヒル」 とか、「デイ・トリッパー」 などは、実際にヒットまでしたくらいのカバー曲だったと記憶しています。

 それからやはり、カーペンターズも外せませんかね。 「涙の乗車券」「ヘルプ!」 などは、全く別物と言っていいくらいのカバー曲で。 「プリーズ・ミスター・ポストマン」 は、ビートルズのオリジナルではありませんが、たぶんカーペンターズはビートルズの曲を念頭に置いて、この曲のカバーをしたのだと、勝手に考えています(笑)。

 日本の歌手でも、70年代はビートルズのカバーが、結構常識レベルで行なわれていたんじゃないでしょうか。

 キャンディーズ(南海、ではありません)も、何曲かビートルズの曲をカバーしておりましたよ。 でもまたこれが、カーペンターズヴァージョンの 「涙の乗車券」 をカバーした、というややこしい選曲で(笑)。 そのほかにも、「ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア」 とか。 すごく、つまんないアレンジでした(笑)。
 西城秀樹サンも、ライヴですけど、結構カバーしていた気がします。 新御三家の中では、ヒデキは最もビートルズの音楽性に近かったからこそ、カバーが多かったんでしょうね。 後年 「青春のポップス」 という番組をNHKでおやりになった時も、そのせいか違和感なかったなー。

 それでもまあ、日本人によるビートルズのコピーがサマになってくるのは、ずっと後年になるまで待たねばならないのですが。 「ジョン・レノン・スーパーライヴ」 などを見ていると、70年代のビートルズコピーを見てきた人間にとっては、まさに隔世の感があります。

 それにしても、このような、身のまわりがよく考えてみるとビートルズだらけだった、というのは、確かに、自分がビートルズファンになるのに何の抵抗もなかった、ひとつの原因のような気もします。
 それにそのカバー曲の数々は、いつまでも色あせないビートルズのオリジナルと比べて、「懐かしいビートルズ」、という空間を漂わせている、不思議な 「あっちの世界」、のような気がするのです。

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