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2010年4月 4日 (日)

「龍馬伝」 第14回 進む龍馬の空洞化

 エピソード2、冒険者・龍馬の幕開けは、エピソード1の時と同じく、大富豪になった岩崎弥太郎(香川照之サン)の懐述から始まりました。 そしてオープニングテーマ、最初の数秒だけ、画面が変わっております。
 いよいよ脱藩後の龍馬(福山雅治サン)がどうなるのか、先週の出来のよさと相まって、期待感膨らむ展開だったのですが。

 が(笑)。

 見終わったばかりの感想を言わせていただくと、失礼ながら、やっぱりこれは、"岩崎弥太郎のフィルターを通して見た"、龍馬 「伝」 にすぎないのだろうか、という感じです。

 確かに勝海舟(武田鉄矢サン)の華々しい登場や、土佐藩内での武市(大森南朋サン)ののし上がりぶり、岡田以蔵(佐藤健クン)の人斬りになる契機、さまざまな見どころが満載でした。

 特に以蔵の心理描写は、まったくもって圧巻の一言。

 土佐勤王党の中でひとり疎外感のただなかにいた以蔵を、言葉巧みに操縦しようとする武市(武市も、役職を離れて気楽に話し合える人間が欲しかった、という描写で、それを龍馬から以蔵に乗り換えた、という絶妙な説明の仕方は、していました)。 その期待に応えんと、以蔵は吉田東洋暗殺の下手人を追ってきていたものを殺す。
 それが、まったくおっかなびっくりで行なわれ、とどめは首を絞めて殺す、という、のちに 「人斬り以蔵」 と呼ばれる、その片鱗すらない手口。
 「仮面ライダー電王」 でいろんな性格の役を演じ分けていた佐藤健クンでしたが、着実に成長しておりますね。
 以蔵の疎外感、というものは、エピソード1の頃からさりげなく挿入され続けてきました。 だからこそ、今回の以蔵の行動には、ある種の説得力がある。

 で、見終わってからいちばん心に残っているのが、この場面ばかり。
 でもこれは別に、佐藤健クンが福山サンを食っているわけではない、と思うんですよ。
 要するに、龍馬についての深い描写が、まったくないからこうなる、ということなんですよ。

 今回の龍馬、ちゃんと登場するのが、開始から約20分後。 そーとーもったいつけとるんですが(笑)。
 東洋暗殺の犯人として龍馬を追ってきた弥太郎と、大坂でばったり出会うのです。
 やっとのことでドラマに登場した龍馬は、相変わらずの無邪気さで、人なつっこさをふりまきながら、いっぽうで視野がどんどん大きくなっている。 頭もろくに手入れしていないせいか、以前よりもワイルドさや凄味も、加わっている。
 そこで大立ち回りを演じて、剣の腕の立つところも披露して、ただひたすら、カッコいいのですが。
 ここでクローズアップされているのは、土佐を離れてのびのびと人生を疾走している龍馬と、土佐の一藩でがんじがらめのお役目をつとめている弥太郎の対比でしかない。

 つまり、どうやって龍馬がそこまでの男になったのかの説明が、すっぽり抜けている。

 確かに龍馬は、脱藩後に薩摩に行って、なんかいろいろ冒険したらしいのですが、それがセリフだけで片付けられてしまう、そこにイージーさがあるんですよ。

 その直後、上奏のため同じ大坂にいた武市に、龍馬は会いに行くのですが、そこに行った龍馬の目的は、「これ以上自分の目的のために人を殺すのはやめてつかあさい」 ということだったと思います。
 ただ、その時点で、武市一派は吉田東洋しか殺していないはずです。
 結局なんのためのシーンだったのか、ふり返ってみると、よく分からない。 結局武市サンとは、進む道が違うのだ、ということの再確認だけだったような。
 だいたい坂本一家が龍馬の脱藩後、武市に少しばかり世話になったことも聞きながら、龍馬が武市にお礼のひとつも言わないのは、脱藩がどれほどのものか龍馬が感じていない証拠のようにも、思えてくる。

 武市や以蔵のキャラに対しては、どうしてそうなったのかの説明がちゃんとなされているのに、肝心の龍馬に対する描写が、エピソード1からこのかた、ちょっと不足気味なのではないか、そんな気がします。

 今回ドラマの途中で、大富豪になったあとの弥太郎がまた登場して、龍馬のことを執拗に聞いてくる新聞記者に対してそれを全く無視し、自分の話を始める。
 この構図って、このドラマ全体に流れている、龍馬に対するよそよそしい描写につながっているシーンのような気が、私なんかはしたんですが。

 まあこのドラマを見た人が、かえって龍馬って、いったいどうい人だったんだろうって、興味を持って他のいろんな龍馬本などを読んだりするのであれば、それはそれでいいことなのかもしれません(笑)。

 幕末の群像劇としては、よう出来ちょります。 群像劇として、見たほうがいいんですかね?

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
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♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html
♯12武市の心理、執拗にやってますねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/12-2a95.html
♯13大友サン演出は、一味違うhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/13-e7ca.html

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コメント

リウさん、こんばんは。

>要するに、龍馬についての深い描写が、まったくないからこうなる
>武市や以蔵のキャラに対しては、どうしてそうなったのかの説明がちゃんとなされているのに、肝心の龍馬に対する描写が、エピソード1からこのかた、ちょっと不足気味なのではないか、

そう、これに尽きます。私も同感です。史実に近いかは置いといても、半平太、弥太郎はキャラ設定をトータルで練っているのが感じられます。(特に弥太郎)ところが、龍馬に関しては、いつも一話完結スタイルで、連続性の中での描写がないんですね。彼が何で凄いのかわからない(笑)。また脱皮していく説得力もない。何もかもが唐突。雅治女性ファンが、その都度のシーンで満足すればそれでよし、という訳ではないと思うのですが。(笑)

たぶん脚本の福田さんが、いろいろ下調べしたけれど、ちゃんとした龍馬像を描けなかったのではないかと思わざるを得ません。今の時点で結論を出すのは早すぎますね。勝海舟と出会ってからの龍馬に期待します。(ずーっと期待してばかりです。(笑))

今ふと浮かんだのですが、なんか龍馬役を福山さんにしたことで、それにおんぶに抱っこになってしまって、龍馬像を深く練ることを放棄してしまっているのではないか、と感じました。

でも以蔵の描写はgoodでした。

投稿: 弥太郎 | 2010年4月 4日 (日) 21時37分

弥太郎様
コメント、ありがとうございます。 ちっくと返信、遅れました。 記事を書いたあと、眠りこけてたもんですから(笑)。

弥太郎サンとは、考えている方向がだいたい同じなので、今更余計にコメントすることないくらい、なんですが(笑)、あえて話をさせていただきます(笑)。

龍馬がなぜすごいのか、という説明がない、そのうえに、やたらとまわりの人間に、龍馬を持ち上げるセリフを言わせていますよね。 加尾チャンしかり、乙女姉やんしかり、今回の岩崎弥太郎しかり。

こういう話の持って行きかたって、結構イライラしてる人、多いんじゃないかなー(笑)なんて、思ったりします。

なんとなく、そうですよね、弥太郎サンも、かなり言いにくそうにしてましたけど(笑)、あえてはっきり言わせていただくと(笑)、福山サンがカッコよく見えてれば別にいーや、みたいな部分も感じる、っていうか(笑)。

やっぱり、群像劇として、龍馬もその中のひとり、という埋もれさせかたを、見ている側がしたほうがいい、ということなのかなーと、感じます。

投稿: リウ | 2010年4月 5日 (月) 01時29分

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