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2010年4月 7日 (水)

「八日目の蝉」 第2回 ヘンなとこ、きちゃったなあ

 この先見るの、どうしようかなーと思いながら、結局見てしまうドラマ、というものが私にはあるんですが、「八日目の蝉」 もその手のドラマになりそうな感じがいたします。

 その理由として、ネットで眺めたこのドラマの原作、角田光代サンの小説の評判が、やたらといいことがあげられます。 だったら、我慢して見ていても最後にはきっと、感動させてくれるに違いない、という淡い期待がある。

 ただ檀れいサンの(役柄での)危なっかしさぶりが際立った第1回よりも、今回は話的に引き込まれる部分が多かったかな。 ちょっとイレギュラーな部分で、なんですけど。

 今回冒頭、檀れいサンが事件の12年後、1999年の時点で、刑務所に入っていることが明かされます。 ここで見る側は、ある程度この逃走劇の結末を想像することになります。

 で、今回の話のメインは、赤ん坊をさらった檀れいサンが、ロクでもない場所に転がり込み続ける、ということだったんですが。
 なんかあまりにその頼った先が想像を絶する場所ばかりなんで、笑うべきドラマではない気がするんですが、「なんじゃこりゃ」 の連続で、笑わされる箇所が多かったです。 これってイレギュラーな意味で、すごい。

 まず最初に、「龍馬伝」 で弥太郎殿の母親役を印象的に演じている、倍賞美津子サンが住む、「ゴミ屋敷」(笑)。
 この倍賞サンの顔が、ほとんどノーメイク仕様でコワイ(笑)。
 そんなオニババみたいな(失礼)倍賞サンが檀れいサンと赤ん坊を案内したのが、おそらく倍賞サンの亡くなった娘サンの部屋。 そこだけがとてもきれいに片づけられていて、しかも娘サンが亡くなったときのままらしい。
 その風景だけで、見る側にある程度の想像をさせてしまう、という点は、このドラマの優れたところだと感じます。
 先週も、檀サンと不倫相手の津田寛治サンが泊まるホテルが、妊娠発覚前は高そうなホテル、発覚後は安っぽい照明のいかにもラブホテル、という使い分けをしてましたよね。

 ただ、そこで倍賞サンが檀サンのために用意した、コンビニのおにぎりとおーいお茶(笑)。
 1987年設定ですよね?
 当時こういうパリパリおむすびとかお茶の紙パックとか、あったかなあ?みたいな余計なことを、見る側に考えさせてしまう作りは、まあ第1回目と変わっておりません(笑)。 ゴミ屋敷…っていうのも、…んー、あったかもしれませんね(笑)。

 で、そこで、夜泣きする赤ん坊のミルクを作るために、檀サンがちょっとのあいだ部屋を出た隙に、倍賞サンの魔の手が伸びる(笑)。
 でもまあ、ただ赤ん坊にさわりたかっただけで(そりゃそうか)。
 別れ際にも倍賞サンは 「赤ん坊を抱かせてくれ」 と檀サンにせがんで、娘サンを亡くした哀しみから逃れられないままの女性であることを、強烈に印象付けるのです。 その寂しさを、ゴミで埋めようとしている。 哀しいなあ。
 なんかちょっとカテゴリーは違うんですが、死んだわが子を手放さずにずっと抱き続け、ミイラになっても抱き続けて、群れの仲間から攻撃を受け続けた、という母ザルの話を思い出しました。
 弁護士がそのゴミ屋敷に押しかけていて、そのあと倍賞サンは、どうなってしまったんでしょうかね。 気になります。

 そしてその倍賞サンの話で、「エンゼルの家」 というところに向かう、檀れいサン。

 ここがまた、とてもヤバソーな新興宗教風の建物で(よく探したよなー、こんな建物…笑)。

 出迎えたのが、これまた教祖風の、でっかい宝石を首からぶら下げた、仏頂面で目がイッちゃっている高畑淳子サン(笑)。

 コワっ! この時点で大爆笑なのですが(失礼)。

 ここでこの施設に入るための試験を受けることになるのですが、「あなたは女ですか?」 と、いきなりおごそかに尋ねる高畑サン(笑)。 「その根拠は?」…いちいち可笑しくて、失笑の連続でした(笑)。

 また檀サンと一緒にエンゼルの家にやってきた、坂井真紀サンが、私も地元ではないんでエラソーなことは言えませんが、ヘタクソな大阪弁で(笑)。
 彼女が 「今度は男ですって答えたる」 と言って実行に移すと、仏頂面のまま 「信じてもいないことを言わないでください」 と一蹴(笑)。 高畑サン、面白すぎ(笑)。

 たぶんこの場面は、「女でなければならないという意識によって、どれだけ自分が苦しめられているかを自覚せよ」 みたいな深い話だった気はするのですが、これが新興宗教的な流れの中で交わされる話であるがゆえに、納得できそうなのに見る側にブレーキがかかってしまう、そんな気もいたしました。

 そこで檀サン、ちょっと一部自分の身の上話に脚色を加えながら話すのですが、高畑サンはお見通しだったらしくて(またまたコワっ…)。
 結局またウソを重ねて、檀サンはエンゼルの家に入ることを許されるのですが、ここで出てきた、高畑サンよりもさらに上の人物、エンゼルが、藤田弓子サン。
 しかもこれがまた、新興宗教にありがちな、人なつっこい、ただのオバチャンで(笑)。
 なんかもう、ひたすら、変な世界だなあ~、と思うことしきりでした(笑)。

 そのオバチャンに、有り金全部巻き上げられて(そう言えば1987年当時、ATMってあんなに一般的だったかなーとも思いました。 現金引き出しなんて、窓口主流じゃなかったかなー? まあ昔は、一挙に大金を引き出せたものですがね)、それでもここにお世話になれるならと、あえてそれを承諾してしまう檀れいサン。

 相変わらず、危なっかしい幼さであります。

 ただそこで、赤ん坊がハイハイするのを見て、母親の自覚(偽りの、ですけどね)が次第に固まっていく。
 倍賞サンから、「この子、歯が生えてる」 と指摘されたことも、檀サンの赤ん坊との一体感を増した気がします。

 偽りの親子関係が、今後強固になっていくのを見るのは、もしかすると結構しんどいかも、しれません。

「八日目の蝉」 に関する当ブログ別の記事
第1回 来週も、…見よう、かなあ?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-254c.html
第3回 がらんどうの悲しみhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/3-da4d.html
第4回 穏やかな、凪のような回でしたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a45c.html
第5回 逃亡の果てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/5-267b.html
第6回(最終回)もう触れることのできぬ思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-cef7.html

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コメント

1話目を見ましたが、リウさんが言う程檀サンがおバカに見えなかった(笑) 雨の中を赤ちゃんを抱いて走り、雨宿りした時の赤ちゃんの笑顔にはボクも救われた気がしました。子供をおろした事で全てを失ったと感じた彼女が、血のつながりのない子供に救われた・・・ただただ母性を感じる1話目でした。ラストで思いっきり泣けるといいな(笑)

投稿: アールグレイ | 2010年4月 7日 (水) 21時07分

アールグレイ様
コメント、ありがとうございます。

そうでしたか、おバカに見えませんでしたか…(笑)。 それはきっと、檀れいサンの演技がうまいからなんじゃないかなー、なんて思います。
私の場合は、檀れいサンと津田寛治サンが、恋愛ごっこをしているような感じに見えたんですけど、いろんな見方があっていいと思います。

赤ちゃんの演技も、まわりの俳優サンみんな食ってしまうほどの凄さでしたね(笑)。

ただこのドラマ、何となく女性向けのお話かなーなんて思いながら、見ています。 板谷由夏サンから 「がらんどう」 なんてけなされることの痛みは、女性のほうがより切実なのでは、という気がするのです。

そして第2回目では、北乃きいチャンが、「がらんどう」 のセミの抜け殻を手に取りますよね。
なんとなく、物語としての一貫性が、見えてきたような気がします。

投稿: リウ | 2010年4月 7日 (水) 21時45分

八日目の蝉、幼い子を持つ母親としては主人公の
あまりの身勝手さにかなり不快感を感じますが
なぜだかついつい見てしまいます。
主人公自身も母親になったことがないから
お腹を痛めて産んだ子がさらわれる、というのが
どういうことなのかわからなかったのでしょう。
薫に愛情が芽生えれば芽生えるほど、板谷さんの
気持ちがわかるようになりもっと苦しむんだと思います。

第2話で新興宗教のエンジェルの家の話になったとき、
もう見るのをやめようかと思いましたが、
高畑サンの意外と鋭い言動に思いとどまりました。
あの体操を見たとき、ほんとリモコンに手を伸ばしました(笑)

母親としては見ていて辛いドラマです。


投稿: ゆき | 2010年4月10日 (土) 00時30分

ゆき様
コメント、ありがとうございます。

お子さんをお持ちのお母さんの貴重な意見、とても参考になります。
やはり、見る人によって印象がガラッと変わる、そんなドラマなんですね、「八日目の蝉」 は。

私はドラマの細部にわたるアラが見えてしまって(1987年設定の時代考証がいい加減そうに見えるところです)、ちょっと見くびりながらこのドラマを見ていることを、お恥ずかしながら白状します。
そのために、第2回目では記事本文にも書いたように、「なんじゃこりゃ」 と笑いながら見ていた感じなのです。

そして繰り返される、「薫、お母さんを許してくれますか」 という、檀れいサンのセリフ。

やはりゆきサンが思われたように、そのセリフにはどことなく、板谷由夏サンに対して、または変に心がねじ曲がって育ってしまったらしい北乃きいチャンに対して、思慮が欠けているものがあるような気がするのです。 いかにも自分本位で、幼い感じがします。

今のところ檀サンの行動に幼さを感じている私ですが、この先どのようにその思いが変化していくか、ちょっと楽しみなところではあります。

投稿: リウ | 2010年4月10日 (土) 01時31分

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