« 「八日目の蝉」 第4回 穏やかな、凪のような回でした | トップページ | 「チェイス~国税査察官~」 第2回 届かぬ父の思い »

2010年4月22日 (木)

「Mother」 第1-2回 主人公が、暗いですね…

 「Mother」、ネットでやたらと評判がよかったために、見逃していた先週の第1回目の再放送とともに、第2回目を、見たのですが。

 その第1回再放送は、1時間の短縮版でズタズタだったとは言え、確かにものすごい衝撃的で、評判通りの傑作であることは、とても伝わってきました。
 ただそのコーフン冷めやらぬ中で見たせいか、第2回は、失礼ながら、ずいぶん失速気味に見えました。
 私が現在同時に見ている、子供をさらうという同じ内容のNHKドラマ、「八日目の蝉」 と、方向性が同じような展開かな、という感じ。

 その原因は何かと考えたのですが、「Mother」 第1回目の凄さは、「八日目の蝉」 とは違って、児童虐待、という問題を正面から取り扱っていたためだと感じるのです。
 その方向性を失ってしまうと、どうしても 「母性」 という話になってしまって、ふたつのドラマのベクトルが、似通った感じになってしまうのです。

 「Mother」 第1回目の吸引力は、子役の道木怜南チャン(芦田愛菜チャン)が、虐待を受けながらも表面上ニコニコしていることの、あまりの健気さに集約されているような気がします。 またこの子の演技が、評判通り、ハチャメチャにいいんですよ。
 そしてその、あまりにも可愛らしいこの子を、ロリコンの道具にしたり黒いごみ袋に入れたりしている、この子の母親の、いわゆる 「内縁の夫」 ってやつですか?あえて言わせていただければ、その大バカヤローに対する憎しみ。 個人的には、これがいちばん大きい。 ドラマ見ていてこんなにムカツクヤツを見たのは、久しぶり。

 第2回目では、その吸引力のファクターが、すっかり影をひそめていました。
 そこで浮き彫りになってくるのが、第1回目でも結構気になっていた、主演の松雪泰子サンの、あまりのネクラぶりです。

 松雪サン演じる鈴原奈緒という女性は子供が嫌いなくせに、客員教師だかで怜南チャンの担任教師を受け持っていた。 幼いころに親に捨てられた過去を持っており、それで相当に屈折している、という役どころです。 それに、その捨てられた、という過去には、田中裕子サンや高畑淳子サンが絡んでいる、複雑な事情があるらしい。

 だからなのか何なのか、この奈緒、ヤタラメッタラ、暗い。
 しかもATフィールド全開だし。 (他人を寄せ付けないオーラ全開、ってことです)

 だけどだからこそ、虐待を受けながらも健気に生きている怜南チャンに、奈緒が必要以上に共感し、この子をさらおうとしたのだ、という動機としては、とても納得できる。

 親から普通の愛情を注がれて大人になった人ならば、怜南チャンをかわいそうだとか激しく同情はするけれども、だからと言ってさらおうとまでは、思わないはずだからです。 私も第1回で、道端に捨てられたごみ袋の中に入れられていた怜南チャンを見た時は、「まずは警察に通報だろ、あのクソバカを逮捕させろ!」 と、マジで腹立ちましたもん。 それをさらってしまう、というのは、奈緒がやはり屈折した育ち方をしたゆえなんだろうな、という感じは、するんですよ。

 ただし、そんな突発的な動機だからこそ、怜南チャンには、奈緒のその覚悟の浅さが、見透かされるわけです。

 第2回目の途中で、怜南チャン(奈緒によって、継美と改名させられましたが、とりあえず怜南で統一します)は急に、奈緒の呼びかたを 「お母さん」 から、「先生」 に戻してしまう。
 それは逃亡後、身を寄せていた、奈緒が幼いころ入れられていた養護施設 「桃の家」 の 「お母さん」(高田敏江サン)を、置いて出ていこうとしたからです。

 「どうすればよかったの? 私だって精一杯、あの子の母親役をやってるつもりなのに…」
 すっかりボケてしまったように見える高田敏江サンの前で、ついグチる松雪サンでしたが。

 「奈緒ちゃんだって、そうだったのよ…奈緒ちゃんが桃の家に来た時、お菓子、我慢したでしょ?テレビ、我慢したでしょ?ホントのお母さん、我慢したでしょ?…どうしてだった?」

 「一度、捨てられたから…また、もう一度捨てられるのが、怖いから…」

 借地権が切れて、「桃の家」 から出ていかなければならなくなった高田敏江サンが、松雪サンと怜南チャンに 「ありがとう、ありがとう」 と叫び続ける場面は、実に秀逸でした。
 いくらボケていても、ほんの瞬間、正気に戻ることがある。
 高田サンの演技は、ボケていても子供たちの愛情だけはいつまでも色褪せずに残っている、そんな 「里親」 としてのかけがえのない執念を描き切っていて、とてもよかったです。

 しかし話はそこから、ちょっと謎めいた展開になっていく。

 高田サンが連れていかれた 「桃の家」 で、松雪サンは自分の名前の書かれた箱の中から、何か紙片を取り出すのですが、そこにはなにも、書かれていない。
 何か折り紙を折ったあとのような感じなんですが、箱にはそれ以外、何も入ってなかった様子です。
 これって一体、何なのか?

 そしてもうひとつ。
 結局松雪サンは、頼りたくなかった育ての親らしい高畑淳子サンのもとに電話したみたいなんですが、高畑サンは田中裕子サンと談合していて(笑)、「奈緒についての秘密は、これまで通り厳守だから」 みたいな打ち合わせをしている。
 それはいいのですが、その談合のあと、田中サンは偶然、松雪サンとすれ違うんですよ。
 松雪サンはちっとも気付いていないのですが、田中サンは気付いている。
 これって、田中サンが松雪サンの生みの親?で、高畑サンからは定期的に成長状況を報告されていて、松雪サンがたとえ大人であっても分かるくらいの認識はしている、ということですよね。

 今の時点で別に、いろいろ分からないところがあるのはいいのです。
 ただ気になるのは、結局話がそういう方向に行ってしまう、ということなのか?ということなのです。
 だとすると、第1回目の児童虐待でイカリまくった私の気持ちの矛先は、どこで収めればいいのかなー(笑)。

 要するに、私の強い希望としては、あの大バカ男をテッテ的に懲らしめてやりたい、という感じなんですよ。 なんか、とても、許せなくって…。 脚本家の坂元裕二サンには、この大バカ男に、早いとこ天誅を下してもらいたいものです。

 ドラマの感想としては、こんな感じですが、高畑淳子サンは、おんなじような内容のドラマに、両方とも出てますね(冒頭に書いた、「八日目の蝉」 です)。 でも役柄が、全然違う。
 役柄が違うと言えば、「蒼窮の昴」 で西太后などというとてつもなくエラソーな役をやっていた田中裕子サン、今回は180度違う、平身低頭の役どころです(笑)。 おふたりの演技の幅には、つくづく感服いたします。

 尾野真千子サン。 怜南チャンの実の母親役ですが、あー今回、こんな悪役かよ~…。 ファンだけに、残念な役どころです。

 それにしても、なにしろ、怜南役の芦田愛菜チャン。
 「八日目の蝉」 の小林星蘭チャンもそうですが、最近の子役は、末恐ろしいのが多過ぎ(笑)。 「八日目」 なんて、赤ん坊まですごい演技してましたよ(笑)。

当ブログ 「Mother」 に関するほかの記事
第3-4回 同じテーマのドラマ 「八日目の蝉」 との相違点
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-3-4-34fe.html
第5回 母と娘の距離感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-5-bc26.html
第6回 行く先が、見えないhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-6-95e0.html
第7回 うっかりさんの裏の顔http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-7-344a.html
第8回 泣いてもいいんだよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-8-8615.html
第9回 母の手のぬくもりをhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-9-d640.html
第10回 優しさがつき動かすものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-10-db64.html

« 「八日目の蝉」 第4回 穏やかな、凪のような回でした | トップページ | 「チェイス~国税査察官~」 第2回 届かぬ父の思い »

テレビ」カテゴリの記事

コメント

当たり前なのですが、やっぱりドラマというのは人によって
見方がちがいますね。
私は1回目ももちろん、2回目もよく出来てるな、と思いました。
偽りの母、子供を育てられなかった母、子供を愛せない母、子供に愛されない母。タイトルはMotherではなくMothersだったらいいのに、と思いました。
自分が同じ「母親」、ということで感情移入してししまうからきっと男の人よりいろいろ感じることがあるのかもしれませんね。
八日目の蝉には全く感情移入できませんでしたが(笑)
きちんと折りたたんだ新聞の記事を取り出した田中裕子さんの表情、高田敏江さんの最後のありがとう、泣けました。

ゆき様
コメント、ありがとうございます。

うーんやっぱり、私が男だからですかね(笑)。 分かりやすく点数で言いますと(笑)、100点満点で1回目が120点、2回目が85点、という感じかな(笑)。

つまり、じゅうぶん面白かったんですよ、2回目も。 ただ1回目の、あまりも背筋が凍る内容が、短縮版を見たにもかかわらず、よすぎたもので、こんな記事になってしまいました。

そのうえで私が思うことを正直に書きます。

「八日目の蝉」では、壇れいサンが板谷由夏サンと同時に妊娠して、津田寛治サンに騙されるような感じで堕して、しかも子供が産めない体になってしまった。 そこに追い打ちをかけるように板谷サンから、「別れて」 と直接言われたり、「がらんどう」 とかいうファクスが送りつけられてきたり、そんな事情もあいまって板谷サンの子供をさらってしまうわけですが、それだけの事情があるのは同情しますが、やはり自分本位なものを感じてしまう。

「Mother」 では、松雪泰子サンが捨て子だったという過去を持っていて、ひどい目にあわされている子供に自分と同じものを感じ、怜南チャンをさらってしまう。 けれどもともと彼女は、子供嫌い。 教師時代から子供に対する態度は、徐々に緩和されつつありますが、とても冷たいように見えます。 怜南チャンを抱きしめる松雪サンも、自分のトラウマを誘拐という行為で埋めようとしているような感じで、あまり覚悟というものが、私個人の考えですが、見えてこないのです。 こんなに愛に飢えている怜南チャンを、きちんと優しく包んであげられるのかな?みたいな。 たぶん松雪サンの母性は、成長していくんだろうと思うんですけどね。 主人公が暗いドラマ、というものに、私があまりいい印象を持たない、というのも、否定的な記事になってしまった一因かもしれません。

「Mother」 のほうは、初回をダイジェスト版みたいな形でしか見ていないので、ちゃんとした感想になっているかどうかは、自分でも分からないのですが、「母性」 という主題で見てしまうと、「八日目の蝉」 もこのドラマも、方向性が一緒のような気がしました。

やっぱり、母性よりも児童虐待のほうに心を奪われてしまってますね、私の場合(笑)。

そんな感じです。 長文になってしまい、申し訳アリマセン。

いえいえ、否定的とは思いませんでしたよ。
どのドラマにも色んな意見があり、リウさんの記事も
ひとつの意見として、なるほどこう感じるのか、と思いました。
母性、という点ではテーマは同じですよね。
2人とも子供をうんだことがない人なのでやはりはじめから
子供を育てる覚悟、というのは100%ではないと思います。
実際子供を生んだ人も生まれてすぐ母性100%だったか、と
いえばそうではないと思います。
子供の成長とともに育っていくものだと思います。
松雪さんの覚悟が甘いのも当然で、その方が逆に自然です。
はじめから覚悟100%では、うそっぽく仕上がると思います。
まあ私、一個人の意見ですが。
これからどうなっていくんでしょうね。楽しみです。

ゆき様
再コメント、ありがとうございます。

なるほど、最初から覚悟バリバリでは、そっちの方が不自然ですよネ!(笑)

なんか怜南チャンにとっては、あんまり母親が暗くては、虐待のあるなしだけで、どっちも気持ち的にはつらいんじゃないのかな、なんて思ったりします。
男って、自分が子供を産めないだけ、母性というものに対して鈍感なのかもしれないです。

それにしても、このドラマは坂元祐二サンの、オリジナル脚本らしいですね。 かたや 「八日目の蝉」 は、原作も脚本も、どちらとも女性。 ゆきサンのような、お子さんをお持ちの女性が、男性の作った 「Mother」 のほうに共感する、というのは、なんだか興味深いです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「Mother」 第1-2回 主人公が、暗いですね…:

« 「八日目の蝉」 第4回 穏やかな、凪のような回でした | トップページ | 「チェイス~国税査察官~」 第2回 届かぬ父の思い »

2019年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

無料ブログはココログ