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2010年4月18日 (日)

「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」 テレビドラマの映画化、という問題を、もう一度考えてみる

 あえてこの記事のカテゴリーを、「映画」 とせず 「テレビ」 とします。 その理由は、本文を読んでいただければ、ある程度納得していただけるかと。

 去年(2009年)の12月に映画として劇場公開された 「のだめカンタービレ」 の完結編前編が、早くもテレビに登場。
 放送日当日(4月17日)に封切りされた 「後編」 の宣伝を兼ねた効果を狙ったものであることは、一目瞭然です。
 そのことに対して別に文句はございませんが、テレビ局も収入を得るためにずいぶんなりふりかまっていられないんだなあと、思うばかりなのであります。

 確かに、とてもよくできた作品でした。
 とてもよかったのですが、内容以外の点で、なんか、引っかかる。

 その不安点は、「のだめ」 映画版公開の時に記事にさせてもらったのですが(その時の記事はこちら→http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/post-4349.html)、今回初めてこの映画を見て、やはりその時危惧したような引っかかり部分を感じたのでした。

 画質が映画とテレビでは違うために、何となく今までの 「のだめ」 にないよそよそしさを感じるし、エンディングも、「ラプソディ・イン・ブルー」 じゃないし。

 まあでも、映画版にしたことで、入場料を払って見に来ていただいている方々のために、テレビシリーズ&続編以上に、CGも演奏場面も演出全体も、「いつもより余計に回っております!」 状態でした(笑)。 特に千秋(玉木宏サン)の指揮の演技はこれまでで最高だし、それ以上にのだめ(上野樹里チャン)が、パンチラは見せるわ上半身裸になるわ(註:後ろ向きでしたけど…笑)、テレビの時よりさらに体当たり演技をしている。

 サービス過剰なのはいいことと言っておきますが、そののだめが千秋に、マルレオケのリハを手伝ってくれと呼ばれた時の舞いあがりようは、ちょっと過剰すぎたかも(笑)。 CGだのアニメだの、使いすぎ(笑)。

 ただしそんなサービス過剰部分を除いては、映画にすることのメリットを、「曲がりなりにも」 感じさせる作りには、なっておりました。

 その最も良いと思われた部分は、オケの演奏部分。
 テレビで放送されたヨーロッパ編でも、オケの部分は迫力があったのですが、「最終楽章」 のオケ演奏は、劇場で見てこそすごかったのではないか、と思わせるにじゅうぶんでした。

 ただこれも、自分が5.1のサラウンド環境で見ることができるせいか、個人的にはあまりメリットを感じさせることもなく(笑)。
 たしかに、ステレオ程度の受信環境で見るには、ちょっとしょぼい感じもします。 そんな視聴環境にある人ならば、映画館でお金を払ってみる価値は、じゅうぶんあると言えるのです。

 映画館で見るメリットのもうひとつの要因に、「大画面で見る」、という点があります。
 ただし大型テレビを既に買っている人にとっては、やはりこの映画館のメリットというものがかなりどうでもいいレベルにまで、なってしまっている。

 つまり、テレビのヒット作を映画化する、という商売は、(いち早くそれを見たい、という人を除けば)家庭で映画館のような環境でテレビを見ることのできない層の人々にしか向かっていない商売なのではないか、そう私には思えてならないのです。

 確かに映画館で映画を見ることは、ホームシアターでは味わうことのできない面もあるかと思います。 ただ、そんなホームシアターを実現させている人々でも、映画館で見たい、と思わせるには、公開される映画自体に、もっと決定的な差別化を図れる何かが必要なのではないか。 3Dとか匂い付きとかはすでにありますけどね。
 「のだめ」 の映画版を見ながら、私はそーゆー別のことを考えていたわけです(笑)。

 「のだめカンタービレ」 の映画は、確かによくできていました。
 先に述べた演奏部分の音響的な部分以外にも、ちゃんと演技も演奏もできる外人サンを、よくここまで揃えたものだ、と感心しましたし。 特にマルレオケのコンマス、シモンを演じていた役者サンが、ここまで演奏できるとは、驚き。

 ただ、映画にするだけのクオリティがあったか、というと、ちょっと考えてしまう。
 「ヨーロッパ編」 のスケールをちょっと大きくした程度、という感じに見えてしまうんですよ。 CGてんこ盛りにしなくたって別に…って考えちゃうくらいですから(笑)。
 で、冒頭で述べたような、テレビ局もお金稼がなくちゃ大変だから…という方向に、考えが行ってしまう。
 ホームシアターでじゅうぶん、と思っている人が映画館まで行くだけの魅力が、果たしてあるだろうか、と考えてしまう。
 映画というものを上に見過ぎているのかもしれませんが、どうもこの作品を、「映画」 と言ってしまうには、ちょっと抵抗があるのです。 申し訳ない。

 それから、公開からたった3カ月程度でテレビ放映してしまうのって、後編の宣伝もあるんでしょうけど、わざわざお金を払って見に行ってくれた人に対して、あんまり感謝してないんじゃないか?とも思ってしまうわけです。
 だったら3ヵ月も我慢すれば、タダでテレビで、見られるわけですからね。

 映画の内容以外でこんなに論じられてしまうのって、その作品自体に対して、とても失礼ではあるんですけどね。
 たぶん後編ではのだめが主役なんだろうと思いましたが、前編ではのだめに関する深い描写は、ほとんど見あたりませんでした。 ダメオケを再生しまくった千秋に置き去りにされてしまったのだめの絶望は、見ていてとても伝わりましたが、それがシュトレーゼマン(竹中直人サン)の手の内でもてあそばれている感覚が、どぉ~も、もったいつけているようでイヤ(笑)。

 まあ、後編を見ないことには、内容的に論じられない。
 公開されたばかりの後編も、すぐにテレビでやるでしょうから、気長にそれを、待つとしますか。

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