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2010年4月15日 (木)

古代史ドラマスペシャル 「大仏開眼」 やっと見ました

 NHKのスペシャルドラマ 「大仏開眼」、録画していたものを、何回かに分けてやっと見ました。
 やっぱり長編ドラマは、ちょっとキツイ(笑)。
 特に主要人物以外の政治的な立ち位置とかが、漠然と見ているとよく分かんなくなってきて(笑)。
 物語的にいちばん分かんなかったのは、なんで國村準サン演じる聖武天皇が平城京を出なければならなかったのか、そしてどうして平城京に戻ってきたのか、という理屈。
 両方とも、戦を避けるためだとか吉備真備(吉岡秀隆クン)に語らせていましたが。
 まあでも、分かんなくてもいいかあ、なんて(笑)。
 でもそれゆえに、結局大仏がどこに作られたのかが、はっきり見えてこなくて。 平城京の中なのか、遷都先なのか。
 でもまあ、別にいーか(笑)。

 私の興味の中心は、というと、やはりどのようないきさつで、国家財政が疲弊しているさなかに、「大仏建立」 という大事業を成し遂げることができたのか、という点でした。

 確かにドラマのなかでも、そこにはさまざまな政治的思惑が交差してはいたのですが、このドラマの脚本家、池端俊策サンが最も言いたかったのだろうな、と思ったのは、当時の天皇から下々に至るまで、多くの日本人の熱意が、大仏を作らせたのだ、ということです。

 それを象徴したのが、建立費用と国家財政を照らし合わせて理詰めで反対する吉岡クンに対して、國村サンが 「大きな仏像を見てみたい」 と実に簡単に言い放ち(笑)、その場にいた行基(笈田ヨシサン)が 「費用云々ではない。 心の問題なのだ」 と、これまた実に簡単に断定する(笑)場面でした。

 でもこれは、確かに簡単な理由付けのように思えますが、実はこれこそが、国じゅうのありとあらゆる人たちを鼓舞し、生きる目標を持てる、いわばひとつの契機になる、という点で、とても重要なことのように、私には思えるのです。

 何か大きな事業をやり遂げようとするとき、冷静な分析というものも確かに必要であります。
 けれども、いちばん大事なのは、それを成し遂げようとする意気込み、決意、覚悟なのです。
 そのときいちばん邪魔なのが、
 「そんなことをやってどうする」
 「何の得になるんだ」
 という、傍観したような冷え切った態度だと思う。

 大仏を作ることは、醒めた目で見れば、実に馬鹿馬鹿しい。 そんな大量の金や銅があったら、交易に使ったりもっと有効な使い道がありますからね。
 でも、当時の人々は、そんな巨大な仏像ができたらさぞかしすごいことだ、と思ったに違いないのです。

 これは漠然とした思いではない。 なぜなら、当時の人々にとっては、貧困や飢饉などの問題は、およそ現在の比ではない切実な問題を含んでいたと思うからです。 それを乗り越えるための、救いを求める人々の 「祈り」 というものが、その 「思い」 には直結している。
 ケースは違いますが、東京タワーなども戦後の人々の希望、という点で同様の精神的な支柱たりえたのではないでしょうか。
 この 「思い」 というものが、国力、つまり国全体のやる気を押し上げる、という点で、その重要性を見逃すことは、できません。

 そしてこのドラマでもうひとつ強調されていたように思うのは、戦争遂行を手助けするための信仰、という構図が、すでにこの時代には確立していた、という一面です。

 後編終盤の大仏建立後、虫一匹殺せないような人物として描かれていた吉備真備が、権勢をふるう藤原仲麻呂を武力で滅ぼすのですが、その戦闘の前に真備は大仏の前に立ち、「どうか、私の戦いに、間違いがありませんように」 と願う。
 そのセリフはずいぶんもっともらしいのですが(笑)、結局は人、殺してるでしょ、それって間違いじゃないの?みたいな(笑)。

 要するに、仏教というものの根本的な思想には、不殺生という考えが厳然としてあるにもかかわらず、人間どもはそれにあえて目をつぶり、人殺しをするための理屈や、言い訳みたいに利用し続けている。 戦勝祈願なんて、要するに自分は死なずに、相手をやっつけられますように、ってことでしょ。
 宗教の教えの根本を、そんな人たちはみんな踏み外している。

 最後のナレーションで、真備が天皇に仕えた期間、いくさはなかったみたいなことを言っておりましたが、やっぱり仲麻呂をいくさで滅ぼした、という事実は、消えないわけであり。

 「わけであり」…なんて書いて思い出した、わけではないのですが(笑)、今回のこのドラマの主役吉備真備は、その 「北の国から」 の純クン、吉野秀隆クン。

 「Dr.コトー」 とか見たことないので、彼の演技を見るのは、「北の国から」 の最終話以来。
 結構オジサンに、なっておりました(それはそうなんですけどね…)。

 彼の演技を見ていると、失礼ながらいかにもシロート臭さが抜けないように感じるのですが、それがこのたびは、徐々に、そのシロートぽさが彼独自の味を醸し出すような段階に達しているような気が、いたしました。
 特にすごかったのは、前編最後、刀で斬り付けようとする仲麻呂役の高橋克典サンを、丸腰で追い詰めるところ。 こんな迫力を出せる人なんだ、と認識を新たにしました。

 その高橋克典サンも、悪役ではありましたが、登場人物のなかではいちばんエネルギッシュな役どころで、ドラマをいちばん盛り上げたんじゃないでしょうか。 悪役がいいと、ドラマは締まりますよね。

 皇太子役の石原さとみチャンも、舞台で鍛えられたせいか、なんか演技が、とても堂々としていて。 この人、大女優になりつつある感じがしました。 あまりマニアックな演劇人になってしまわなければよいのですが。 とにかく実力は感じます。

 玄昉役の市川亀治郎サン。
 初心を忘れて権力と情欲に取りつかれた僧侶の役を、見事に演じていた気がします。
 この人、「風林火山」 での武田信玄役のインパクトが強すぎて、見るたび面影を追ってしまうのですが(笑)、あの時はアゴを思いっきり引いて演技していたのか、こんなに痩せてたっけなーなんて、よく思うんですけど。

 そのほかにも、老いてますます妖艶な江波杏子サンとか、行基役の笈田ヨシサンとか、印象的な役者サンの演技を堪能いたしました。
 細かい部分まで理解ができなかったのは残念ですが、それは私の頭が悪いのだとあきらめて…(笑)、大筋においてよくできたドラマだったと思います。

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