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2010年5月16日 (日)

「龍馬伝」 第20回 ものの見方で軽くなる命

 平井収二郎(宮迫博之サン)の運命を描いた今回の 「龍馬伝」、一方的に情緒過多の方向に傾いて、いかにもお涙頂戴の回になると思いきや、意外に全体的には軽い笑いの多い回だった気がします。

 それだけに、収二郎と武市(大森南朋サン)との最後の別れシーンでは悲劇性が強調されて、私も大いに泣かせていただいたのですが。
 その感動的シーンの直後、いきなり画面が龍馬(福山雅治サン)と兄権平(杉本哲太サン)とのコミカル気味な再会シーンになってしまって。
 このまま収二郎の切腹シーンまで息つく間もなく見せてほしいこちらの思惑の、完全に裏をかいた格好。

 けれども作り手の、そのはぐらかし気味の展開には、ちゃんと意味があった気がするのです。

 そのキーワードは、勝麟太郎(武田鉄矢サン)が今回序盤で龍馬に諭した言葉に集約されます。

 「まあ、つまりは、物事ってのはよ、こっちから見るのと、こっちから見るのじゃ、まるで違ったもんになっちまう、ってことさ」

 平井収二郎のしたことは、一面では攘夷の思想をまっとうし、武市を最後までかばい通し、忠義を貫いた、という、評価されるべきものがあるのにもかかわらず、一方では藩主に対する重大な裏切り行為をした人間だ、と断じられてしまう。 ものの見方によってすっかり評価が変わってしまうことの理不尽さ、恐ろしさを、勝のこの言葉はとても象徴的に表している気がするのです。

 勝麟太郎の説によると、「日本はバラバラだ」 という。
 ものの見方が違う人間だらけ、と言ってもいいでしょう。
 当時の日本の仕組みを、将軍、天皇、藩主、という分散した権力構成ととらえ、それぞれが勝手なことをやり、長州が外国に負けたのを幕府が喜んでいるのを例に挙げて、互いに足の引っ張り合いをしている、と見なす。

 それは一面では、了見の狭い島国根性とも呼べる精神風土です。

 けれどもそれが、強大な権力でまとまっている国とは違って、中心人物を倒しても、簡単に総崩れにならない強みというものを持っている。

 これも、ものの見方を変えれば、正反対に見えてくるものがある、という好例なのではないでしょうか。

 平井収二郎の切腹をいたずらに悲劇的にもっていこうとしないもうひとつの要因は、龍馬が福井藩主の松平春嶽(夏八木勲サン)のもとに出向いた時に出会った、熊本藩からヘッドハンティングしたという、横井小楠(山崎一サン)のセリフにあるような気がします。

 「時代が変われば、人の考えも、ものの値打も、当然変わるたい。 では、物事には違う見え方のあるち分っとって、平井収二郎の投獄されたことば(龍馬が)納得できんちゅうとは、…おかしな話たい。
 今まで値打ちのあったもんば、古びて用無しになったっちだけのことたい。 世の流れば、作っとるとは、人間ばってん、世の中の流れから見れば、ひとりの人間など、けし粒ほどのもんでしかなか。 …平井収二郎も……武市半平太も」

 この勝麟太郎と、横井小楠のシーンがなければ、今回の 「龍馬伝」 はもっとメロドラマチック(笑)になったでしょう。
 このシーンがあったことで、吉田東洋を殺された恨み爆発の後藤象二郎(青木崇高サン)にいたぶられ続けた収二郎が、ものの見方によっては 「切腹も当然」 いう解釈の仕方も成り立つ、そんな世の人のこころのうつろいやすさ、というものを感じさせる、奥深い結末に昇華した気がするのです。 この説明、分かりにくいかな。

 それでも龍馬は、横井小楠の吐き捨てた、「人間などけし粒同然」 という言葉には、本能的に反発したくて仕方がない。
 収二郎の妹、加尾(広末涼子チャン)が送ってきた手紙には、「間違うたことをしておらんがやったら、兄上は、どういて切腹させられたがですろう」 と書き綴られています。
 龍馬はその加尾の問いに、うめくように、こう絞り出すしかない。

 「その通りじゃ…その通りじゃ、加尾…!…こんな理不尽が、まかり通ってえいがか…!…人の命とは…人の命ゆうがは、そんなもんながか…!……あああああーーっ…!」

 この回ずっと、どちらかと言えば軽いノリに終始したような龍馬が、ここで魂を吐き出すような怒りの叫びをあげることで、ひとりの人間の命を軽んずる、世の中の 「ものの見方の違いに端を発した暴力」 というものに対して、強い抗議を表明したシーンのように、思えました。

 …これ、なんか、分かりにくい解説かなあ。

 今の世の中にも言えることなのですが、どうも我々には、ものの考えが違う人たちに対して、必要以上に攻撃を加え、完膚なきまでに相手の論理を粉砕しないと気が済まない傾向が、あるような気がするのです。

 平井収二郎の切腹も、山内容堂(近藤正臣サン)が、土佐勤王党を自分への忠義で行動しているとは見なさず、東洋を殺した、気に食わないから死ね、というような感じですよね。 後藤象二郎は相変わらず、悪魔キャラでゲハゲハ笑いながら収二郎をいたぶってるし。 この一方的なワルモノ描写には、眉をひそめる視聴者も、確かにおられるのですが。

 でもそれはそれとして、この容堂公と後藤象二郎の極端な傾向って、相手をなんとかして引きずり降ろしたい、メタクソにけなさないと気が済まない、そんな現代の風潮と、どこかしら似ていないかな?…そういうことを、私は考えたわけです。

 平井収二郎は、容堂公から切腹を命じられたことで、なんとか自らの面目を保っている。

 それは、切腹という仕置きが、当時の武家社会においてはかなりレベルの高い始末のつけ方だったからです。 収二郎も、「切腹は、武士の誉れだ」 と言ってましたよね。

 でもこれって、あの時代の価値観なのだから仕方がない、という見方も出来ますが、やはり人がひとり死ぬ、ということは、まわりの家族にも大きな心理的、あるいは経済的負担を強いる点においては、いつの時代も変わらぬ重大事なのだ、という気は、するのです。

 このドラマにおいては、龍馬がその普遍の価値観(「人の命は、いずれも大事だ」、ということ)に大きく突き動かされながら、生きている。

 このドラマの中での龍馬が、日頃結構チャラチャラしているように見えるのは、龍馬の争いごとを好まない性格によるものが大きい気がします。
 それは、彼が人間そのものを好きだからです。
 だからいつも人なつっこいし(悪く言えば馴れ馴れしい…笑)、見苦しかろうがなんだろうが、人のために全力で何かをしようとする。

 だからこそ龍馬にとっては、収二郎の死が、納得ならない話なのです。

 それにしても、収二郎を演じた、宮迫博之サンの演技には、ただただ脱帽します。
 結構この人、コメディアンを逸脱した演技者ですよね。
 「龍馬伝」 では、加尾に京都行きを土下座して頼んだ回以外、特に目立った出番はなかった気がしますが、冒頭にも書いたとおり、武市との最後のシーンでは、涙ダバダバでした(笑)。

 そして今回、久々の 「弥太郎伝」 。

 地震による家屋倒壊の復興需要を当て込んで買いつけた材木を、まーだ売り歩いている、弥太郎殿(香川照之サン)。
 実はここでも、「ものの見方によってまるで違ったものになっちまう」 ことに言及しています。 「人によってモノの価値観が変わる」、という、弥太郎が牢屋で老人から聞いた、あの話です。
 今回こんな部分にまで、冒頭の勝麟太郎のセリフが反映されるとは、思いませんでした。 実に大した話の構成であります。

 しかしながら私が書きたいのは、喜勢(マイコサン)がどうして弥太郎の所へ嫁に来たのか、というかねてからの疑問に答えた部分(笑)。

 …(笑)、と書いてしまいましたが、なんとその理由が、クソまみれの男が目の前に現れたら、その人があなたの結婚相手です!という占いをされていたからだった、というではありませんか!
 …笑うしか、ありません。
 やがて明らかになる、なんて番組HPに思わせぶりに書いてあったので、どんだけすごい理由なのだろう、と思っておったのですが(笑)。

 いずれにせよ、今回の感想文、実に分かりにくい話で、申し訳ありませんでした。 私も武市と収二郎のシーンを、かなり克明にレビューしようと思ったんですが、単純なお涙頂戴という作りになっていなかったことを書きたくて、結局その部分、バッサリカットしてしまいました。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
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♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html
♯12武市の心理、執拗にやってますねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/12-2a95.html
♯13大友サン演出は、一味違うhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/13-e7ca.html
♯14進む龍馬の空洞化http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/14-ef4d.html
♯15龍馬の人物像が、ちっくと見えてきたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/15-b072.html
♯16日本人じゃあぁーっ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/16-5e1f.html
♯17試合という名のラブシーンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/17-6ae8.html
♯18武市の転落ぶり、凍りつきましたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/18-77bb.html
♯19 5月10日って…明日?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/19-510-e7ac.html

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コメント

今日、久しぶりで、再放送を見ました。やっぱり、龍馬伝、面白いです。弥太郎パートは、つい、笑ってしまう。三年前も何度も見直したのに。結婚のいきさつ、奥様、可愛い。だって、今時の女子だって、占いを信じてるんですから、当時の女の子が信じて結婚してても!占い大好き日本人ですから。(笑)大三菱社長夫人に、糞まみれの男と結婚したら幸せになれる!という占いのおかげでなれた!というより、幸せの占いを信じて、ダーリンに尽くし抜いた!そっちを評価すべきかな。(笑)

見かたが変われば、という今回の主題。八重の桜でも、明日、府知事の槙村が、桂さん達を尊敬してるけど、やった事は壊しただけ!と言ってる予告が。(笑)明治維新が壊しただけ!とは、なかなか大胆な見解です。(笑)長州出身のお茶目さというべきか。でも、それが、このどらまの見解だと思います。龍馬伝では、苦労して築いた薩長同盟、大政奉還ですが。その先の維新が。壊しただけですって!(笑)

龍馬は、見かたが変われば、収二郎や、武市半平太のした事も評価が変わると言われて、それでも、仲間が、無残に殺されていくのは理不尽だと怒っている。納得できない。人懐っこい龍馬さんの優しさは、時にこのドラマでは優柔不断に描いてもいたけど、私は仲間のために、無力でも、おバカでも、駆けずり回る龍馬さん、好きです。今でも!尋ねてきた兄様に、10年後には人かどの男になって、と約束してて。でも、十年後は龍馬さんにはなかったんだなあと思うと、収二郎の死に憤ってる龍馬さんが切ない。

龍馬伝は弥太郎パートのお笑いもあり、容堂公による粛清の緊迫感やら、見かたが変わればの問題提起やら、物語の起伏があるのが、楽しめるところ。でも、八重の桜は真摯な姿勢、会津の真面目さを、そのまま描いていると思うのです。幕末は龍馬さんのようなヒーローだけでなく、維新と関係ない大勢の民が生きていたわけだから。教育、文明で、日本を変える、壊された国を再興させようとしている兄様と八重さんに期待してます。新島襄にもね。(笑)

投稿: ささ | 2013年8月17日 (土) 19時55分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

昨日の晩は我が街の花火大会で、家族縁者で大盛り上がり。 多摩川なんですが、川沿いに住んでいるもので、マンションのベランダから堪能いたしました。 まあ毎年恒例なんですけどね。

で、あまり騒ぎすぎたので疲れて寝てしまい(年だ…笑)、いま起きてこの返信を書いてます。

正確に言うと、花火大会後にほかのコメント返信ひとつ(こちらは私とおない年のかたとのやり取りで、昔話にやら花を咲かせているというのどかなもので…笑)書いてたら眠くなって寝てしまった、という次第。
酔っ払って寝ると頭痛がひどくなるタチなので心配しましたが、なんか平気みたいです(笑)。

てな訳で昨晩の 「龍馬伝」 は見ておりません。 で、自分のこのレビューを読んだのですが、なにがなにやら(ハハ…)。 それを見越したように、自分も 「今日のレビューは分かりにくくてスミマセン」 とか書いてあるし(笑)。

それにしてもレビューを読んで話が分からんとは、物書きのはしくれとしてはかなり反省しなければなりません(笑)。

ただ、テーマに沿ったストーリーの統一性というのは分かった(ハハ…)。 「八重」 の実直なストーリーテリングとは違う、自由闊達な空気が読み取れます。 「龍馬伝」 は、新しい時代の息吹が迫っている躍動感があるんですよね。

ただ、私もささ様と同じように、このところ 「龍馬伝」 はサボりがち。
先週も夜勤を終えてから福島へ墓参りに行って、見なかったし。

でも先週の墓参りから、昨日の花火大会で、私のサマーバケイションは終わった、という感じですね。 一抹の寂しさ…。

あとは年末までノンストップですが、まだまだ暑いし、1か月くらいは休みが欲しい今日この頃でありんすsmile

投稿: リウ | 2013年8月18日 (日) 02時47分

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