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2010年5月 5日 (水)

「八日目の蝉」 第6回(最終回) もう触れることのできぬ思い

はじめにお断りします。 連休ということもあって、ついリキを入れて、エライ長文になってしまいました、この記事。

 「八日目の蝉」 最終回は、エンジェルの家で一緒だったマロンチャン(高橋真唯チャン)と恵理菜(=薫、北乃きいチャン)との語らいから、希和子(檀れいサン)が捕まったあとの、薫チャンのその後が明かされます。

 当然のことながら、それまで出ずっぱりだった檀れいサンは全く出てこず、なんだかしばらく、先週とは別のドラマを見ているような感覚に陥りました。
 その感覚はまさしく、5歳だった薫チャン(小林星蘭チャン)が味わった違和感と同じだったわけなんですが。

 ここであらためて浮き彫りになってくるのが、希和子が行なった誘拐行為によって、板谷由夏サンが味わった苦痛であり、薫チャンが恵理菜となって生きることにより閉ざしてしまった心の行方です。
 薫チャンは5年ぶりに再会した実の母親に抱き締められて、いきなり失禁してしまう。
 それを見たときの、板谷サンのかなり複雑な表情。
 フェリー乗り場で引き離された時、檀れいサンが最後に何を言っていたかは思いだせないのに、北乃きいチャンは、その時の板谷サンの表情を、よく覚えているらしい。

 ある日、小豆島の島言葉が抜けきれない薫チャンに、板谷サンは逆上してしまいます。
 自分の名前も奪われ、自分の言葉すら奪われた薫チャンは、パジャマのまま、小豆島のある海に向かって走り出す。 でも全然、たどり着けない。 そこは海とは程遠い場所。 薫チャンは、自分が自分でいられる場所を、むりやり奪われてしまったのです。 なんか泣けました。

 呆然とたたずむ薫チャンの前に、板谷サンが駆け寄ってきます。

 「あなたのお家はね、ここなのよ、恵理菜…あなたはね、赤ちゃんの時に、世界一悪い女に誘拐されたの! …ごめんね、お母さんが、目を離しちゃったから…ごめんね…」

 それまでの板谷サンの苦しみが、ここだけでじゅうぶん伝わってくるシーンでした。
 この日を境に、薫チャンは、檀れいサンのことを憎み、記憶の底に封印してしまうのです。 マロンチャンとの会話でも、「希和子」 と檀れいサンを呼び捨てあつかいにする始末。
 けれどもそれでも、この事件のもともとの原因というものも、きいチャンは分かっている。
 だからどこかで、浮気をしていた父親の津田寛治サンに復讐しているようなところもあるし、最終回でも、不倫相手の子供を妊娠したことを板谷サンにしれっと報告し、産むつもりなんかないけど、あの女(檀れいサン)とおんなじだわ、と母親の神経を逆なでするようなことを平気で言ったりする。

 娘の妊娠を聞かされた板谷サンは、きいチャンをかなり本気でぶっ叩きながら(笑)、泣き崩れます。

 「なんでー! なによー! なんでそんなことになるのー! どれだけやれば気が済むのよーっ…!」

 しかしここまで親を悲しませても、いっこうに能面のような、きいチャンの顔。

 そこに檀れいサンの、「薫、お母さんを許してくれますか?」 という、このドラマで何回も繰り返されたセリフがかぶるのです。 まさに、許せるわきゃねーだろ!(笑)という展開。 どんだけ罪深いんだよ檀れいサン、という感じなのです。 うまかったなー、ここらへんの流れ。 このドラマ、けっして檀れいサンの母性ばかりを強調したドラマではなかったのが、ここから分かります。

 そしてここから、檀れいサンの本当の意味での贖罪が、始まるのです。 それはある意味で、刑務所に入っている時以上の贖罪なような気がします。

 薫チャンあてに書いた無数の手紙を、出所後に届けようとして、秋山家の団欒を見てしまう檀れいサン。 その手紙を全部、焼き捨てるのです。
 その時の彼女の気持ちを考えると、かなりきついものがあるのですが、檀れいサンの表情は、どことなく穏やかで、悟りきっているようにも見える。 それは、母親としての感情を、北乃きいチャンのように、心の奥底に沈めてしまっているようも見えました。

 場面は変わって、マロンチャンと一緒に、小豆島へ向かう、きいチャン。 「別にー」 みたいな(笑)何食わぬ顔をしながら、フェリー乗り場で檀れいサンが最後に叫んだ言葉が、知りたくてたまらない様子です。

 食堂の女将をしていた吉行和子サンもいなくなり、時の流れを感じざるを得ないのですが、木造の小学校や、お寺巡りの場所を見ながら、封印していた記憶が次々よみがえっていくきいチャン。
 ヒグラシの声が記憶をたどる糸のように、耳鳴りみたいに鳴っていく。
 そこできいチャンが見つける、セミの抜け殻。 それを拾う、きいチャンの指。
 うーん、マニキュアの塗りかたが、下手くそだ(笑)。
 それがいかにも背伸びしている女の子、という感じを表現していていいのですが。

 藤村俊二サンの写真館で、15年前に撮った檀れいサンと薫チャンの写真を見つけ、あらためて壇サンの自分への愛情を感じとってくきいチャンでしたが、帰ろうとしていた時、岸谷五朗サンの船が港に入ってくるところに遭遇する。

 はじめ正体を隠して話を聞いているうちに、岸谷サンはきいチャンが薫チャンであることに気付く。

 「あんたぁ…誰や? …薫チャンか?」

 「教えてください! あの人が、最後の時に、あの時に、なんて言ったのか」
 それは、このドラマできいチャンが見せた、初めての感情のこもった表情をした場面でした。

 「覚えとらんのか? あの人は、最後まで、あんたの心配しとった。 自分がおしまいになっても、まだ。 …こう言うたんよ、あん人は…『待ってくれ』 て…『その子は、まだ、…』」

 ここでその時の場面がフラッシュバック。 叫ぶ檀れいサン。

 「その子はまだ、…朝ごはん食べてないの!」

 あまりにもなんてことないセリフで、拍子抜けしたんですが、前回捕まる直前のことを思い出すと、すごくよく分かるのです。

 起きたばかりの薫チャンを無理やり連れてきたために、フェリー乗り場の売店で、パンと牛乳(だったかな?)を買ったはいいものの、商品を受け取らないでその場を立ち去ってしまったために、結局薫チャンには、何も食べさせていない。
 このセリフは、いつまでも親子でいたい、この夢の続きを見ていたい、という檀れいサンの気持ちが痛いほど伝わってくる、「偉大なる平凡なセリフ」 だったのです。
 思わずその場を離れ、「おかあさん…おかあさん…」 と、顔をくしゃくしゃにして、子供のように泣きじゃくってしまう、きいチャン。

 ただただ、泣けました。 あーもう、ダメ(笑)。 また泣けてきた(笑)。

 それは、カラカラに乾いていた薫チャンの心に、涙が流れて潤っていくような、感覚でした。

 小豆島を離れるフェリーに乗っていたきいチャン、おなかの子供を産むことを決意するのですが、マロンチャンにその決意をしゃべるきいチャン、島言葉に戻ってます。 それは、薫チャンが自分の言葉を、心を、取り戻した瞬間なのです。

 「産んでみようかな…こんなきれいな海や緑や、青い空見してあげられないのは申し訳ないもんな。 このおなかの中の人には、それを見る権利がある」

 そこに突然桟橋に駆け寄り、手を振りながら、「がんばれー」 と叫ぶ、岸谷サンの声。 それに手を振り返す、きいチャン。 どんどん霧が晴れていくような感じがします。

 フェリーがついた岡山港で、マロンチャンがお茶を買った売店の店員。
 それが、檀れいサンだったのですが。
 小豆島に行こうとして果たせず、小豆島が見える岡山港で働いていた、ということだったのです。
 その理由が、また哀しい。

 「たとえ、船に乗って、あの島に行きついたとしても、…そこにはあなたはいない。 幼いあなたが、私を待っていてくれるわけではありません」

 ここで檀れいサンが自分の人生のただひとつの生きがいにしているのが、薫との思い出なのです。 そして毎日眺める小豆島の景色を、夢のような光の国として、ずっとあこがれながら、生きつづけている。

 「薫、知ってる? 八日目まで生きた蝉は、孤独だけれど、ほかの蝉が見られなかった、美しい景色を見ることができるんだよ。 …だれにも愛されず、必要とされず、生きている意味なんて、なくしたはずなのに。 仕事の合間、この海に臨んで、夕日に包まれた、あの島を見つめると、お母さんはあたたかなもので、胸がいっぱいになるのです。 あすこには天国がある。 光の国がある。 あなたと過ごした、幸せな日々がある」

 でも、果たしてそう思うことで、本当に癒されることが、出来るんでしょうか? そこには、ある種の 「ごまかし」 が潜んでいるような気がしてなりません。

 薫に似た年頃の娘を見ると、面影を追ってしまうという癖で、きいチャンのことも 「似ている…」 と感じた檀サンでしたが、きいチャンが置いて行ったセミの抜け殻を見て、薫であることを確信する。
 檀サンはきいチャンを追いかけ、「薫!」 と叫びます(ここも、泣けました…)。
 きいチャンは一瞬振り向き、逆光の中の壇サンに気付いたのか気付かなかったのか、素知らぬ顔で立ち去ってしまう。
 檀サンはそれを見送りながら、また悟りきったようなかすかな微笑みを浮かべるのです。 そして、エンドマーク。

 このラスト数分を、どう解釈したらいいのでしょうか。

 檀サンは、薫チャンとの思い出を胸の奥に沈めながら、実はまだ、未練が断ち切れていない。
 同じような女の子を見ると薫の面影を追ってしまう、というのもそうだし、薫だと確信してあとを追いかけ、思わず呼んでしまう、というのもそうです。

 でも、きいチャンが素知らぬ顔をして立ち去っても、悲しそうにするでもなく、ただ微笑んでいる。

 これは、蝉の抜け殻から脱皮したきいチャンの旅立ちを見送る、母親としてのまなざし、という話だとは思うのですが、いっぽうで、自分の薫に対するあふれる思いを、封印しなければならない、贖罪のひとつである、そう希和子が考えているフシがある気がするのです。

 希和子は夕日に包まれる小豆島に向かって、手を伸ばし、包み込むようにしていました。
 でもそれは、二度と手に触れることのできない、淡い思い出だと、そう希和子はあきらめざるを得ないのです。
 だから、夢のような過去を抱きしめることでしか、自分の生きる力が保てない。
 希和子のラストの微笑みは、それはとても哀しい、微笑みのような気がするのです。

 はじめのうちは、結構距離を置いて見ていたドラマでしたが、終わってみれば、薫チャンがちゃんと自分を取り戻せたことはよかったけれど、いわれのない切なさに包まれるような、奥深いラストでした。 あそこで檀サンときいチャンが、涙の再会でもしていたらよかったのかなー。 でもそれも、白々しいような気もするし。
 こうして書いてみて気付いたのですが、最終回は結構、内容が濃かったですね。 だからと言って駆け足にも見えなかったですが、もしかするとバタバタしていると感じた人もいらっしゃるかも知れません。

 でも、いつかは、その光の国(小豆島)に、希和子も戻っていけたら、いいですよね。 岸谷サンもたぶん待っていることでしょうし。 …こういう、物語の続きを想像させるような作り、というのは、やっぱり傑作だった、ということでしょうかね。

「八日目の蝉」 に関する当ブログほかの記事
第1回 来週も、…見よう、かなあ?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-254c.html
第2回 ヘンなとこ、きちゃったな~http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-4f12.html
第3回 がらんどうの悲しみhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/3-da4d.html
第4回 穏やかな、凪のような回でしたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a45c.html
第5回 逃亡の果てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/5-267b.html

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コメント

誰かが書いていたけど、薫が泣いたのは壇さんを思ってではなく母性というものにだったのかも。ボクは誘拐した檀さんが憎しみから自分を育てたんではなく、そこにはちゃんと愛情があったんだと確信出来たからだと思います。そこで過去の自分も肯定出来て、誘拐されてしまった母親の苦しみも理解出来たんではないでしょうかね〜。薫が産むと決めた後の岸谷さんの「がんばりや〜」はグッドタイミングでしたね(笑) ボクも近い将来檀さんが岸谷さんの元に行く事を祈ってます。

アールグレイ様
コメント、ありがとうございます。

このドラマ、ホントに、最後まで、見る側にいろんなことを考えさせてくれる、上質のドラマだった気がしますよね。 なんか、まーだ、余韻が残ってます(笑)。

これが昔のドラマだったら、どうにかして檀れいサンと北乃きいチャンを再会させて、涙ダバダバもののラストに、したんだろうと思うんですよ。
私自身もどこかで、そんな、ベタではあるけれども 「あつーい」 ラストでダバダバ泣くことを期待していた気がします。

でもそうなりませんでしたよね。

だから、なんか、見終わって、切なさがとても残っています。
続きを脳内補完させるなんて、どこまで憎らしい演出なんでしょう(笑)。

はじめまして。
実は「曲げられない女」放送時からこちらのファンです。

このドラマは途中から観たのですが、最後のせみの抜け殻から、娘の方は認識しないまま終わるまでがもう、ぐわーっと感動的でした。

檀れいさん、15年経った姿をしていましたね。どことなく背中が少し曲がったかなぁ…そんなところも凄いなぁと感じました。

実母の「なんでもいいから、帰っておいで」みたいな台詞もジーンと来ましたね。やっと言えたんだなぁって、この人もやっと母になれたんだろうなって思いました。

らいおん様
コメント、ありがとうございます。
つたない感想文のファンだとおっしゃっていただき、恐縮です。

なんか、見事に、老けてましたよね、檀れいサン(笑)。 その外見で、彼女が自分の思いをその後どうしてしまったのかを、見ている側が感じることのできる、見事な演出だったと思います。

これだけ長ったらしい感想を書いたのに、まだ何か書き足りない、そんなドラマです。

きいチャンがセミの抜け殻をあそこにおいたのは、もう彼女にとって、それが必要ないからだったんだ、とか、らいおんサンがご指摘した、板谷由夏サンの最後の涙とか、すべてのシーンが意味のあるものばかりだった気がするのです。

みなさま、そろそろちゃんと名前覚えてあげて。あの人は檀れい。本名が「まゆみ」だから檀(まゆみ)という木の名前を芸名につけた。
壇の浦の壇じゃないのよ。「壇れい」って書かれてあるの見るたび気の毒になるよ。

??様
ご指摘、ありがとうございます、いやー、大変に失礼いたしました! ずーっと、壇ふみサンの 「壇」 と一緒だと、思っておりました…。

対象の記事をすべて、書き直させていただきます。 いろんな役者サンの名前、間違いのないように、絶えず注意を払っているのですが、ちっとも気付きませんでした。 ご気分を害された方々には、この場を借りて深くお詫び申し上げます。

??様、重ね重ね、ありがとうございます!

はじめまして。
もうだいぶ時間がたった後のコメントなので、読んでいただけないかもしれませんが…。
『八日目の蝉』、私も毎回見ました。せっかくハードディスクに録画したのに、間違って全て消してしまいました…。
そのため、貴ブログを読み返しては涙、大変ありがたいです。このようなブログを読ませていただけること、感謝しています。
私は今、2歳と0歳の女の子の母親で、やんちゃな上の子の子育てに手を焼いていました。
『八日目の蝉』は、子どもを愛する気持ちを再確認させてくれました。ただ、生きて、そばにいてくれるだけでいいと素直に感じることができました。
ずっと忘れたくないドラマであり、忘れたくない気持ちです。
そんな貴重なストーリーを、ここにくればいつも思い出すことができます。
ありがとうございます☆★☆

そらきら様
コメント、ありがとうございます。
いくら古い記事でも、コメントが入れば当方に分かるシステムになってますので、ダイジョウブですよ!

私は基本的に、HDDに録画していったん見たドラマは片っ端から消していくのですが(容量キツキツなので…笑)、「残しときゃよかったな」 と後悔するドラマって、結構あります。 「八日目の蝉」 も、そんなドラマでした。

子供サンをおふたりも、いやー、大変でしょうね! 赤ちゃんのお母さんは24時間勤務ですもんね。 自分のことなど、二の次、三の次で、赤ちゃんを見なければならないというのは、男の私には、とても耐えられません。

でも、男の私が言うのも変ですが、本当に手がかかるのって、実はほんの数年なんですよね。
人が赤ちゃんでいられる時期っていうのは、せいぜい2、3年、というところでしょうか。
今だけですよ、本当にかわいいのは!(笑)
そのうち、ナマイキな口をきくようになってきます(笑)。

スミマセン、勝手なことばかり、書いてしまいました。
当ブログの 「八日目の蝉」 のつたない記事について、かようにお褒めをいただき、ただただブロガー冥利に尽きます。 こちらこそ、そらきらサンに、感謝!です。

はじめまして、このドラマにすっかりはまってしまった者でして、いまだに抜け切れておりません(笑)。
実は全くノーマークで見ていなかったのですが、偶然最終回だけ見てしまい「何だこのドラマは???」と衝撃を受け、検索したネット動画(多分違法なアップ)を一晩かけて1話から全部見ました、気付いたら外は明るくなっていた…。

そしてあまりの感動に、昨年夏小豆島まで行ってしまいました。島のHPにあったロケ地マップを頼りに。その後購入したDVDにはより詳細なロケ地マップがあり、秋には再び小豆島に上陸。(私は埼玉県民です)。

鎖の石段・夏祭りの神社・エンジェルロード・ホテルニューヨーク・フェリー港・蝉の話をしたバス停・素麺屋・岬の文教場・山の上の石仏・かき氷を食べた場所・夕日の海岸…。

最後の逃走で手をつないで走った海の見える坂道はロケ地マップでも分かりにくい場所だったのですが、根性で探し当てました。
二人が暮らした家はもう取り壊して存在しないのです、残念ながら。

最終話の夕陽のモニュメント(姫路港です)・希和子の働いていた岡山港&周辺(薫を走って追いかけた)まで。ちょっと頭がおかしいんじゃないかというほど巡ってきました。

もうDVDで30回位観たのに、まだ感動が冷めません。
1話から時系列で、他の方の視点・感想を残したページに出会えて嬉しかったです。


ちなみに夏の小豆島は異常なほど蝉が鳴いていました、特に文教場の近くの海岸沿いの道は目の前にいる人の声が聞こえないほど。
そして我が家のテレビの上にはメイドイン小豆島の蝉の抜け殻が、薫ちゃんの真似をしてガチャガチャのブラケースに入れて置いてあります。
妻は「掃除の邪魔だ」と言ってます…。

ひかりのくに。様
こちらこそはじめまして。 コメント、ありがとうございます。

もう半年以上たつというのに、このドラマにハマったままなんですね。 ホントにすごいドラマだと思います。 私もひかりのくに。様からコメントをいただいて、自分の記事を久々に読み返してみたのですが、北乃きいチャンが 「お母さん…!」 と叫ぶところでは、そのシーンがまたまた思い出されて、泣いてしまいました(はずかしっ!)。 もう一回見たいドラマですねぇ…。

それにしても、小豆島のロケ地巡礼までなさったのですか! 確かほかのかたから寄せられたコメントで、小豆島の良さと遊びにおいで下さい、というコメントをいただいたのですが、当方ビンボー人でそこまで行ける余裕がございませんcoldsweats01。 ひかりのくに。様がうらやましいです。 ホントに良さそうなところですよね。 一度行ってみたいなー。

あのふたりが暮らした家が、もう取り壊されてないのですか。 それは残念です。 小豆島のような場所でも、古い建物は取り壊され続けているのでしょうか。 風情のあるいいお家だったんですけどね。

このドラマは無償の母性というものをこれ以上ないというほどに描写していました。 そしてそれが引き裂かれなければならない愛だった、ということの悲しさ。 ひかりのくに。様をどこまでも魅了し続けるのは、そんなところなのではないでしょうか。 姫路港まで行かれた、ということで、僭越ながらふとそう考えてしまいました。

ひかりのくに。様のコメントを読んで、もしかすると原作者のかたは、小豆島の蝉があまりにうるさいので、この物語を考えたのかな、なんてふと思います。 セミの抜け殻、さすがに奥さんは気味悪がってしまうと私も思いますが…(笑)。

いずれにせよ、昔の記事にコメントくださり、ありがとうございました!

いやー、お金はないけど時間は少しだけ(リタイア組じゃないのであくまでも少し)ある人間でして。

夏は…
各駅停車を乗り継いで(死ぬほど尻や背中が痛かった)、島では炎天下の中ママチャリ(レンタル・変速機付きの高級タイプは少し高いからやめた)で移動。2時間掛けて峠越え(台風通過でずぶ濡れ)とか…ほとんど高校生のノリでした。

秋は…
車で。高速使わず(使えず)、全て一般道をほとんど不眠不休(これも死にそうだった…)、現地も車内泊。
優雅な旅行なんかではないんですよ、何かに取り憑かれたかのようでした。

宝くじでも当ててもう一度行きたいです。
新幹線でピューっと行って、島ではレンタカーで移動、夜は民宿で海の幸とか…。

実は妻と出会う以前の話なんですが生きて産まれてくることの出来なかった娘がおりまして、その時私も幼女誘拐の衝動に駆られてしまいました、もちろんしませんでしたが…。なんか分かるんですよ、希和子さんの気持ち、もちろんある意味狂ってるんですけどね。悲しい狂人日記なんですよ、八日目の蝉は。


そうそう、二人の住んでいた家はマルキン醤油の古い社宅で、もともと壊す予定だったようです。
マルキン醤油はドラマにも登場した、家の前の白壁に濃く黒ずんだ木目の建物です。
アリキリの石井さんは醤油屋の若旦那という設定のようですが、マルキンがそのモデルなんだと思います。

私も実の親元に戻った薫ちゃんが家を抜けだして島に帰ろうとするシーンは何度見ても泣けます。
「おうちに帰りたい」という言葉の持つ意味、そして「そんな子はうちの子じゃない」とつい怒鳴ってしまった後、はっと我に返り自分の言葉を取り消せない母の表情。
小豆島~岡山のラスト以上にこのシーンが心に残っています。

春に映画が公開されるんですよね、正直見ないつもりでいたんです、感動はドラマだけでいいかなと。
でもやっぱり見ちゃうんだろうな・・・。

それから、妻は羽化とか脱皮とか興味あるので大丈夫です。ただ、ケースが球形で転がるのが邪魔なだけ。今度転がらない台でも作っておきます。


ひかりのくに。様
再コメント、ありがとうございます。 当方夜勤生活が続いておりまして、返信が遅れました。 失礼いたしました。

台風のさなかママチャリで峠越え…すごい…。 すごすぎる…。 ただただ、ドラマのためにここまでできるのか、という感嘆しか思い浮かびません。

また現地で車内泊とか。 私も車で仮眠ではなく本眠りをやったことがありますが、アレはかなりキツイ(笑)。 仮眠なら全く気にならないのですが、本気で眠るようには、出来てないんですよね、車って(笑)。 いくらフラットシートにしても、でこぼこが気になって深い眠りにつけない。
私も若いころにしたきりですので、自転車でずぶぬれとか車で一泊とか聞きますと、青春時代を思い出しますです。

生きて生まれてくることのなかった娘さんのお話、私も胸が痛みます。 私の妹も超未熟児の赤ん坊を生んだことがありまして、たった数カ月の命でした。 自分にもひとり弟がいたのですが、やはり赤ん坊のころに事故で亡くなりまして。 嬰児を誘拐、とまで思いつめたお気持ちが、台風の中自転車を走らせたんですね。 胸が締め付けられて、こちらまで泣けてきます(涙脆すぎます、トシ取ると…)。

マルキン醤油の関連で、アリキリの石井サンが出ていたとのご推測、なるほどー、という感じです。
木造の家って、自分も住みたいなーと思うんですよ。 最近建てられる家は、どれもこれも没個性。 個人的には古民家に永住したい、とまで考えているので、古い木造社宅でもオッケーですね(味気ないマンションのローンが、あと20年も残っているのですが…)。

映画化もされるんですか、このお話。
私は檀れいサンの母性にハマったクチなので、その思い出を抱いて生きていきます(笑)。 ラストシーンの、満足そうな、でもそれは無理やりの満足のような、檀れいサンの複雑な笑顔が忘れられません。 ある意味では仕方のない、これでよかった、そしてある意味では残酷なラストシーンだった、そんな気がするのです。

昆虫とか女性のかたは嫌がるかたが多いのですが、脱皮に興味のある奥様でよろしゅうございましたcoldsweats01

「どーなんだろーな?このドラマ」というノリで見始めたリウ氏の、だんだんとのめり込んで最後には夢中になっていく姿がとても興味深かったです。
いきなり最終回を見てしまい首根っこを鷲掴みにされてしまった私と対照的で。

ラストシーンは・・・
薫は現実を生きていて希和子は幻(まぼろし)を生きている。現実と幻は別の世界であり、本来出会うべきモノではなかった。
しかし二人は出会ってしまい現実と幻は簡単には融合出来ず薫は目を背けた。
戸惑いだと思います、決別ではなく。薫はどうしていいのか分からなかった、どうすることも出来なかった、少なくともあの時あの場所では。
私はそんな解釈をしています、そう思うことにしています。
そして薫はもう一度心の準備を整え、幻を生きる希和子と語り合うと・・・。


映画は見ないつもりでしたがHPに掲載されている写真を見ていたらなんだか泣けてきてしまいました。
ちなみに文治さんは原作にはないキャラなので映画にも登場しないようです。「俺は裁かんよ!」のセリフは心に染みた。

私も、希和子と同じ小豆島の幻にとり憑かれている一人です。「八日目の蝉ショック」から私を現実に連れ戻してくれるのは映画版「八日目の蝉」なのか?それとももう一つ巨大な幻を背負うことになるのか?


いろいろと長話しにお付き合いいただきありがとうございました。
自称「日本一の八日目の蝉ファン」・ひかりのくに。  でした。

ひかりのくに。様
再コメント、ありがとうございます。

「八日目の蝉」 に関する私の拙い記事を、すべてお読みになって下さったんですね! 感謝ですconfident

確かに最初のころは、いくら事情があっても嬰児誘拐なんかしていいのかとか、教団のシスター高畑淳子サンに引きまくったとか(笑)、ちょっと遠巻きに見てました、このドラマ。
希和子のやったことは期間限定の親子ごっこだった、という見方も放送当時確かにありましたが、私はそのときにもてる愛情をすべて注いであげる、という檀れいサンの演技に、ハマっていきました。

私も、あのラストシーンのあと、時間をおいて希和子と薫チャンがわだかまりを捨てて邂逅することを願っているひとりです。 こう考える人って、男性に多い傾向がある気がいたします。 女性はもっと、ドライな見方をしている。 このドラマの原作は女性で、確か脚本家の方も女性。 女性なりのドライな考えがもたらした結論だった、と思うんですよ、このラストでの切りかたは。 夢見がちな男たちは、そんなお話に、いいほうに続きを考えたがる。 でも、それがいちばん正しい、と私は感じます。 ちょっと遭って、薫のほうは分からなくてそのまま立ち去った、それで終わり、っていうんじゃ、あまりにも悲しすぎます。 だから薫もその場で戸惑ってしまったのだ、というひかりのくに。様の解釈も、うなずけるところがあるのです。

「日本一の八日目の蝉ファン」、確かにその通りです! もしこのコメントを読んでご不満なかたは、名乗り出ていただきたいくらい(笑)。 ロケ地をすべて巡ったなんて、かなりの思い入れがないと出来る所業ではございません。 そんな 「八日目の蝉」 大ファンのかたにお越しいただき、私も大変うれしゅう存じます。 大変ありがとうございました。

はじめまして。リウさん、すばらしい
感想文ありがたくよませてもらいました。
私パソコン初心者で入力が遅いのでいっぱいかけません。ただいいたいことは感動していることひとつひとつが共感できてとてもうれしかったということ。
また、覗きにきますね。

ドラマ大好きおやじ50さい 様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

50歳ということは私こないだ51になったばかりなので、ヘタをすると同学年かもしれませんね。 そのトシでパソコン初心者って、私以上のアナログ人間かも(笑)。 私もガラケーでメールなど滅多に使いません(いえ、使えません…笑)。

しかしこの記事、もう6年も前になるのですね…。

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    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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