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2010年5月

2010年5月31日 (月)

「龍馬伝」 第22回 龍馬の情けなさこそが、作り手の表現したいことだ

 土佐藩士全員?帰国せいという山内容堂(近藤正臣サン)の命令。
 土佐勤王党をターゲットにした命令とは言え、ずいぶんアバウトな命令だなー(笑)という感じがするのです。
 それにしても容堂公の下士に対する視点。
 初代土佐藩主山内一豊(上川隆也サン…おっと違った、「功名が辻」 でした…笑)が長宗我部の一領具足を弾圧したころからの遺恨だったとは…。 「功名が辻」 を見ていた者としては、この解釈はキツイものがあります。 歴史的にそうだったとしても。

 それはいいとして、勝塾にも土佐の役人がぞろぞろ現れ、帰んなきゃ脱藩扱いだぞとすごむのですが、そこは佐藤与之助(有薗芳記サン)らの心強い抵抗に遭ってすごすごと退散。
 結局これで、龍馬はまた脱藩扱いになってしまうのです。

 ビクビクし通しの土佐勤王党組はじめとする勝塾の土佐藩士を尻目に、龍馬(福山雅治サン)は、追い払ってくれた勝塾の男たちに感謝して回る。
 実に細やかな配慮でありますが、見る人によっては、「龍馬伝」 において顕著な、この龍馬の小さな描きかたに、どうも異議があるようです。

 いわく、すぐ泣いて去年の 「愛」 の人と同じだとか、まわりが龍馬を褒めるばかりでちっともそんな褒められるような人物に見えないだとか。

 今回の龍馬も、新選組や土佐の役人から逃げ回っている岡田以蔵(佐藤健クン)を探しだそう、という、ほぼムリムリに見える行動に精を出すし、乙女姉やんからもらった5両を、今回初登場のお龍(真木よう子サン)の妹を救うために惜しげもなく渡してしまうし、あげく以蔵をみすみす土佐の役人?に捕まらせちゃって、まためそめそ泣いてるし。

 けれども私は、この龍馬の情けなさこそが、作り手の表現したいことなんだと思うんですよ。

 今回の序盤、乙女姉やんからの手紙に同封されていた5両を見つめて、龍馬はなんともやりきれない表情をする。 ここを見逃してはいけない気が、するのです。

 この苦虫を潰したような龍馬の表情のタネ明かしは、のちに龍馬自身によって語られます。 やくざ者に借金の5両を返さなかったために、妹が引っ張られていった、そんならこの5両を使え、とお龍に龍馬が差し出した時のセリフです。 ちょうど5両、というのが、出来すぎた話に見えてしまうきらいはどうしてもあるのですが。

 「わしゃ、土佐の下士の生まれでの。 けんど本家が、大きい質屋をやりよって、子供の時分から、カネに不自由したことはないがぜよ。 脱藩した今も、こうして心配して、金を送ってくれゆう。
 けんどわしは、心苦しいがぜよ…。 『日本を変える、日本を守る』 言うて、大口叩いて土佐を飛び出したけんど…まだなんちゃあ成し遂げちょらん。 えい年をして、まだ親兄弟に助けてもろうちゅう。 まっこと、情けないがぜよ…。
 この金は、わしには使えん。 おまんが使うてくれ。 この金で妹を取り戻して、これを、生き金にしてくれや」

 「生き金」 というのは、龍馬が勝塾の運営資金を松平春嶽(夏八木勲サン)に調達しに行った時にも出た言葉でしたが、この5両を自分が使っても、それは死に金になるだけだ、と龍馬が思っていたというのは重要な気がします。

 つまり、自分がそのカネを使うだけの立派な人間に、まだ到達していない、という認識が龍馬にはある。

 龍馬は、自らの情けなさと、戦い続けているのです。

 だからこれほどまでに、龍馬の描写は、ぶざまなのです。 普通だったら、逃げ回っている以蔵なんか、絶対に見つからないと思うでしょう。 だけど、龍馬は、以蔵を探し続けるのです。 それは、道行く人にひとりひとり聞いて回る、という、実に効率の悪い、ぶざまな探しかたです。 でも、龍馬は、それでも以蔵を探し続けるのです。

 龍馬がどうして以蔵を探し続けるのか、というと、以蔵が京から出ていない、という噂を聞いたからです。 つまり、以蔵は、自分に助けを求めている、自分に会いたがっている、そう感じたからこそ、龍馬は以蔵を探し続けた。

 そしてついに龍馬は以蔵に出くわします。
 ここらへんは実にフィクション臭がプンプンしましたが、ひと目だけでもふたりが最後に出会うことができた、というのは、ドラマ的に、見ている側がちょっと救われたような気分もするのです。 龍馬と近藤勇(原田泰造サン)の一騎打ちは、フィクションみたいでしたけど、実にワクワクしました。 決着つけてほしかったなあ。 千葉道場の免許皆伝の威力を見せてくれ!という感じでしたが。

 で、結局以蔵を救出することができず、お龍の前で、また男泣きする龍馬。

 ここでの龍馬は、単純に友人を救えなかったという悔しさから泣いてはいるのですが、実家から貰った5両でお龍の(5両でお龍って、シャレか?…笑)妹を救えたのに、免許皆伝の自分が以蔵を救えなかった、その比較という観点からも、自分が情けなくて泣いているのだと思うのです。

 自分が情けなくて泣くことについて、少なくとも私は、そんな龍馬に共感します。 かく言う私も、自分が情けなくて落ち込むことが、ありますから。

 そんな人間臭い、等身大の龍馬の描写に、重ねて言いますが、私は賛同します。 転がりながら、情けなさをまき散らしながら、人生って生きていくものじゃないですか? だからこそ、大きくなれる気がします。 だからこそ、強くなれる気がするのです。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html
♯12武市の心理、執拗にやってますねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/12-2a95.html
♯13大友サン演出は、一味違うhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/13-e7ca.html
♯14進む龍馬の空洞化http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/14-ef4d.html
♯15龍馬の人物像が、ちっくと見えてきたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/15-b072.html
♯16日本人じゃあぁーっ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/16-5e1f.html
♯17試合という名のラブシーンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/17-6ae8.html
♯18武市の転落ぶり、凍りつきましたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/18-77bb.html
♯19 5月10日って…明日?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/19-510-e7ac.html
♯20 ものの見方で軽くなる命http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/20-280b.html
♯21こう生きていくしかない人… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/21-47f8.html

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2010年5月29日 (土)

「ゲゲゲの女房」 第9週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間

 「何もかも順調とはいかんだろうが、笑って暮らしてんのだけん、だいじょぶだ」 と父源兵衛(大杉漣サン)を安心させた布美枝(松下奈緒サン)でしたが、「親をあてにしてはいけんぞ、自分たちで何とかやっていけ」 とくぎを刺されたそのそばから、村井家には今週、最大の危機がやってくるのです。 最大の危機にもかかわらず、布美枝が実家を頼らなかったのは、源兵衛サンにくぎを刺されたのが伏線だったのかな。 なにしろ、「ゲゲゲの女房」 を見始めて、いちばん重苦しい週だった気がします。

 その最大の危機というのは、茂(向井理クン)のよき理解者だった出版社社長、深沢(村上弘明サン)が喀血して倒れ、収入の道が閉ざされてしまうこと。
 そこで茂は出版社まわりを再び始めるのですが、その時直面したのは、前回の出版社まわりの時よりもなお厳しさを増していた貸本業界の不況。
 今週の舞台である昭和37年は、少年サンデーが中心となってマンガ週刊誌に人気が完全にシフトしつつあった時代でした。

 茂が飛び込んだのは、春田(木下ほうかサン)という男が経営する零細出版社。
 この木下ほうかサン、浦木(杉浦太陽クン)や富田社長(うじきつよしサン)みたいなネガティブキャラクターが相当かわいく見えてしまうほどの、悪役。 私もとりあえず、経営者のほんのはしくれといたしましては(笑)、木下サンにはえらいリアリティを感じました。 でもたいていは、皆さん愛想よく笑いながら、木下サンみたいなマネをするわけですが(笑)。

 ここで木下サン演じる春田が行なうのは、あくまでもマンガ家としてのプライドを根底から傷つける方法。

 いきなり原稿にお茶をこぼしてしまうなど、仮にもマンガを取り扱う商売をしている人なら、あってはならない暴挙です。 マンガのインクって、プリンタのインクと同じく、濡れればにじむんですからね。 茂がどけだけ原稿に向かって一生懸命描いてきたかをつぶさに見ているこちら側としては、それだけでもう、ふざけんなと蹴っ飛ばしたくなる展開。

 しかも春田のやり口は、徹底的に原稿料をダンピングしたうえに、茂が描いたこともないような少女漫画を強要し、作者の名前まで変えさせ、「こんなもの、誰が読むって言うの?」 と原稿をつっ返しながら、実はそうやって、自分の思うとおりに取引を進めよう、というあざといもの。 本当に必要ないんなら、「帰って帰って」 で終わりなんですからね。
 ともあれ、相手のプライドなんて、まるでお構いなしなのです。

 先にも書きましたが、これは下請けばかりの零細企業にとっても、同様な話でありまして。

 リーマンショック以降、弱者にとってもはや、仕事やもらえる額について云々している場合ではない、そんな風潮が近年特に幅を利かせ始めているような気がするんですよ。
 そんな状況下では、まず生き残らなければならないわけで、プライドなんかドブに捨てられている感覚さえする。 選り好みなどしていたら、生きて行かれんのです。

 そんななかで茂が布美枝に仕事の内容を隠しながら悪戦苦闘している姿を見るのは、ちょっときつかったなあ。 身につまされる、と言いますか。

 自分はこう生きたいんだ、とか、そんな辱めを受けながら仕事なんかするか、とか、お金があるうちなら、そういうことも言っていられるでしょうが。

 生きていくためには、なかなかそういうカッコいいことも、言っておられんのですわ(なんかさっきから、茂の口調がうつっとりますが)。

 茂が実情を話さないために、布美枝はただ夫が自分をなんか避けてるとか、若い女の子(南明奈チャン)の手を握った(3回くらい繰り返し再生してましたね…笑)だとか、そんなことで傷ついている。
 けれども無理をしたあげくに熱を出してしまった茂の代わりに、その原稿料をもらうため春田の出版社まで行った布美枝は、茂がどれほどの屈辱に耐えながら仕事をしていたかを身にしみて思い知らされ、その帰り道、みぞれの降る神社の椅子にぽつりと座りながら、さめざめと泣くのです。

 「あの人、こんな思いで、仕事しとったんだ…こんなつらい思いして…仕事しとったんだ…」

 つまり布美枝は、夫の仕事ぶりに心から尊敬の念を抱いているから、自分の中に茂以上に、仕事に対するプライドが育ってしまっている側面がある。 そんな布美枝にとって、夫が少女漫画を別の名前で描いているというのは、屈辱以外の何物でもないのです。 しかももらったお金はおそらく契約書もない口約束で、結局半分。 文句のいいようがない怒りというものも、あったはずです。

 ところが…(と書くと、野際陽子サンの口調が思い出される今日この頃)。

 当の茂にとっては、「食っていくためなら少女漫画を描くのも、自分の名前を変えるのも、作戦のひとつであって、そんなに気に病むことではない」 という考えなんですよ。 はっとしました。

 「柄にもない少女漫画描いて、名前も女の名前で、今度ばかりはちっと具合悪かったけ、言いそびれた…(略)…あげなことは構わんのだ。 名前が変えたほうが売れるなら変えたほうがええ。 それも作戦のうちだ。 食っていくための作戦だ。 ほら、プロレスにおるだろう、覆面かぶって試合しとるレスラー。 覆面さえ変えれば、何度でも何度でも戦える。 それと一緒だ。 名前を変えても、絵を描いて生きていくんは変わらんのだけ。 それでええんだ…あ、いっそのこと、もっとしゃれたペンネームでも考えておくか」

 くよくよ考えとっても、始まらんのですわ。 茂のためにぜいたく品のコーヒーを買ってくる布美枝、妻のためにそれを入れてくれる茂。 お互いへの思いやりがじわじわと伝わる、いいシーンでした。 その貴重品のコーヒーを、水道橋から息も絶え絶えに調布まで歩いてきた中森(中村靖日サン)にふるまう、という展開もよろしい。

 出版社まわりに奔走する茂は、くたびれ果てた富田社長と偶然再会するのですが、「あんたと私は、共存共栄の固い絆でつながっている!」 などと言われ、「腐れ縁の間違いだろう」 と突っ込みたくなったのですが(笑)、「原稿が欲しい」 と言うだけ、ほかの出版社よりはまし、と言いますか…(笑)。
 結局富田社長から頂いたのは、支払期日3か月後の約束手形(10万円)。 こんなもの、何のアテにもならない気もするのですが、会社にとって約手というのは、払えなければ(確か2回かな?)即倒産。 つまり会社サイドからすれば、退路を断っているわけです。 でも富田書房の事務所には、クモの巣にとらえられた蛾が…(笑)。

 布美枝は考えた末に、靖代(東てる美サン)の紹介で化粧品のセールスレディになるのですが、東てる美サンの変わりぶりは面白かったですね。 風呂屋の番頭で、スッゴイヘンなパーマしてたのに(笑)、すっかり垢ぬけちゃって。 「ロザンヌレディ」 とか言っておりましたが、それってメナードレディのことかな? メナードと言えば、松坂慶子サンですよねえ(笑)。
 靖代について営業に出始めた矢先、布美枝につわりの症状が…。 喜ばしいことではあるんですが、なんとも間が悪い、と言いますか。

 今週は茂の少女漫画を手伝う漫画家志望の女の子、河合はるこ役でアッキーナこと南明奈チャンが登場。 私この人の芝居を見たのは初めてでしたが、予想外にうまかったですね。 いかにもこんな漫画家志望の女の子、いそうな感じでした。 演技の幅が求められるような役柄ではありませんでしたが、芝居カンがあるような気がしました。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html

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2010年5月28日 (金)

「新・三銃士」 第40回(最終回) 語り継がれるべき番組

 教育テレビ50周年記念番組として制作された 「新・三銃士」 でしたが、40回の放送すべてが今日、終わりました。
 放送期間中にはNHK人形劇の大功労者のひとりである、井上ひさし氏の死去、というニュースもあり、一種の感慨も抱えたままの意義深い放送となりました。

 原作からはかなり逸脱した脚色を加えることによって、この 「三銃士」 はまさしく三谷幸喜サンによる、「新しい三銃士」 という性格を色濃く反映されたものとなった気がします。 特にロシュフォールをダルタニアンの宿敵とした設定は、「スター・ウォーズ」(エピソード4~6) へのオマージュさえも感じさせる。

 内容的には、三谷幸喜サン特有のギャグが、硬軟まとめてちりばめられた作りになっていながら、制御の効かない恋心や、戦争の真実を 「シャレにならないくらい」 えぐり出していました。 こんなのが子供番組で放送されてもいいのか?と思った時も、正直あったくらい。

 いちばんシャレにならないと思ったのは(笑)、ダルタニアンがミレディーを騙してコンスタンスの居場所をつきとめるくだりかな。 ダルも子供で、ミレディーの自分に対する恋心を分からなかった、という仕方のないところはあるんですが、ちょっとミレディーが、カワイソすぎたような…。 ダルは結構、策略に長けているところはそれまでにも描写されてはいたんですが、ミレディーに対しては、相当ねちっこい策略だった気がします(笑)。 よいこのみなさんは、まねしないでください(笑)、みたいな。

 それと、アラミスがコンスタンスに、禁断の恋をしてしまうところ。 自分が聖職者だろうがコンスタンスがダルの思い人だろうが、いったん恋をしてしまうといかに冷静沈着、知性の塊であるアラミスも、自分を制御することができない、というのは、見ていて胸が痛むくらいの展開でした。 これって完全に、大人向けの話だよなあ、という感じ。

 このシャレにならない話が、ギャグのコーティングをたっぷりまぶして繰り広げられる、というのが、いかにも三谷サンの罪作りなところなわけです。

 特に本人を模して人形がつくられた、オレイリー(三谷サン)、バッソンピエール(田中裕二クン)、ルミエール(太田光クン)。
 太田光クンのルミエールも、自分の墓を掘らせる傷ついた兵士を、見事なまでに演じていたのですが、三谷サンのオレイリーは、完全に常軌を逸した(言い過ぎ…笑)ブッ飛びキャラで、最終回も死んだはずのバッキンガム公をまるで仮面ライダーのごとく生き返らせてしまう離れ業まで演じる始末(笑)。
 ともあれ、爆笑問題のふたりにとっても、意外と後世のトリビアになりそうなキャリアが加わった気がします。

 ただこのシャレにならない展開も、最終回はいかにも子供向け人形劇特有の、罪のないフロシキのたたみ方をしたわけです(バッキンガム公のあり得ない蘇生もそのひとつ)。 したがって、最後まで見終わったあとの感覚は、あくまでさわやか。 ミレディーのサービスカットと、ロシュフォールのノゾキには、大爆笑しました。

 声優サンたちも、山寺宏一サンの芸達者なところを初めとして、江原正士サン、高木渉サン、戸田恵子サンなど大物ばかりの中、主人公ダルタニアンを演じた池松壮亮クンはよかったなあ。 若者の未熟さや、若者ゆえの悩みを、完璧に演じていた気がします。 個人的には、高木サンの演じた、ポルトスとボナシューはツボでした(笑)。

 最初は違和感のあった井上文太サンデザインによる、デフォルメのきつい人形たちの造形も、その違和感を早々に解消しながら、しかも回を重ねるごとに、この造形ではなくてはならない、という感を強くしていく一方でした。
 それくらい、もの言わぬ人形たちの、動かない表情が、逆にあまりにも語りすぎているんですよ。 人形劇の真骨頂を、私などはまざまざと感じたものです。

 人形操作の技術としては、うつむけば憂いの表情をし、顔を上げれば笑ったりできる、ただそれだけのことなのでしょうが、それ以上のことを、見ている側が脳内補完してしまうんですよ、人形劇って。

 NHKの人形劇は、これまでにも 「新八犬伝」「三国志」 など、かなりのクオリティを我々に見せつけてくれたわけですが、これは精神的な素養を育む強力な文化だと思います。 「新・三銃士」 もその例にもれなかった、というところでしょうか。
 そんなに頻繁でなくてもいいですから、たまにはこうした力のこもった人形劇を、もっと見てみたいものです。 前の本格人形劇 「平家物語」 から14年というのは、ちょっと待たせすぎ、ですよね。

 なお、現在のところ 「新・三銃士」 は、毎週日曜日午前7時45分から、NHK総合で再放送されています。 見逃したかたはそちらをご覧ください。 人形劇だからと侮れません! 私の甥も夢中になって見ていましたが、今後10年、20年たって、大人になった彼らによって語り継がれるべき作品である、そう私は思っています。

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2010年5月27日 (木)

ペプシバオバブ、飲んでみました

 ペプシはたまに、しそ味とかあずき味とかしょうゆ味、はないか(笑)、変わり種が期間限定で発売されるのですが、宝くじを買うような感覚で(笑)、時々ためしに買ってみます。

 ほとんど1回飲めば、次はいーや、という味なんですが(笑)、話題作りとか、笑えるとか、こういう遊び心は結構、人生を無駄に楽しくしてくれる、というか。

 2010年夏限定の今回は、バオバブ味、ってバオバブって飲めるのか?そもそも木でしょ?みたいな感じでのっけから笑える。 樹液エキスが入ってるのか?と思って原材料名を見ると、「果糖ぶどう糖液糖、酸味料、香料、カラメル色素、保存料、カフェイン」 と、バオバブエキスが入っているとかの記述はなし。

 色的にはジンジャーエールっぽいんですが、いざ飲んでみると、どことなく木の根っこを飲んでいるような感覚(笑)。 朝鮮ニンジンとアロエを足して2で割ったような味(笑)、というか。

 でもこれまでの変わり種と同じく、飲んでいるうちにどんどん、舌の感覚が麻痺していく感じで、ただの炭酸を飲んでいるのと変わりなくなってきます。

 まずいとか言って怒る人もいるみたいですけど、こういうのは笑い飛ばすのがいちばん、心の栄養にとっていいように思えます。 そういう遊びができる企業、というのも、ある意味大したものだ、と思えるんですよ。

 「アフリカの大地にそびえる、バオバブの木をモチーフにした、開放感あふれるさわやかなコーラ!」 だそうです、宣伝文句(笑)。 笑いたい人はどうぞ。

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「Mother」 第7回 うっかりさんの裏の顔

 継美チャン(=玲南、芦田愛菜チャン)の実の母親、尾野真千子サン、内縁の夫と別れて室蘭から上京、山本耕史サンの部屋に居候してます。

 ということは、あのロリコン虐待男はもう、このドラマには出てこない、ということなのかな? 個人的には、世の中にあまたといる 「内縁の夫」 型の児童虐待犯罪者どもへの見せしめに、吊るし上げをしてもらいたいくらいなんですが…失礼、つい過激になってしまいました。

 それにしても今回あたりから、私の最近のお気に入り女優サンである尾野真千子サンの出番が大幅にアップしてきて、このドラマでの彼女の内面を知っていくにしたがい、彼女がそんなに悪い母親ではなかったことが判明してきました。
 このことは、今後のドラマの展開にとって結構重要なファクターですよね。 継美チャンがどっちの母親を選択するか、という話もできるようになるのですから。

 と同時に、児童虐待から子供誘拐、母性とは何か、という流れをたどってきたこのドラマが、母親対決、という意外な方向に進展し始めた、というのは興味深いです。

 山本耕史サンもドラマ中で指摘していましたが、実の母親側の尾野真千子サンは、さらった側の松雪泰子サンを告発すれば、自分が自分の子供を虐待していた、という事実まで明らかになってしまい、警察などに表沙汰にはできない、という弱みがある。
 でも、表面上、尾野サンは 「欲しい人がいるなら、あげちゃってもいいかなー」 などと無責任なことを言ってはいるものの、自分の子供に会ってしまえば、自分が虐待をしていたことなど世間に知られても構わない、自分の子供を取り戻したい、と思ってしまいそうなどっちつかずなところが見えるのです。

 結局、尾野サンはまたまたこのドラマの登場人物に特有の、人並み外れた嗅覚(笑)によって玲南チャンの居場所を突き止めるのですが、そのあいだの尾野サンの行動を見ていると、やはり彼女には、それまで抑圧されてきた母性というものが、抑圧されてきたからこそ、はちきれんばかりに膨張しているようでした。

 今回ラストで継美チャンは、尾野サンに名前を 「玲南、玲南」 と呼ばれて完全に固まってましたけど(笑)、次回に持ち越されたその続き、予告では実の母親と、抱き合ってましたね。 予告では同時に、松雪サンに継美チャンは髪を撫ぜられていました。 ということはいったんは、尾野サンは引き下がる展開になると思うのですが、それが松雪サンと継美チャンの別れにつながるシーンなのかどうか、相変わらず先行きが読めません。

 逆に先行きが読めた、という点では、尾野サンの魔の手(笑)から守るために同居を始めた 「うっかりさん」 こと田中裕子サンと、松雪サン、継美チャン。

 感情的なわだかまりがあるこの組み合わせを成立させるために、どうして田中サンが松雪サンを捨てなければならなかったのか、という説明が来るはずだと思っていましたが、案の定ありましたね。
 そしてその理由は、松雪サンに簡単に話せるレベルの話ではないことも、薄々感じていたのですが。

 松雪サンが捨てられたのは、田中サンが、女子刑務所に入れられたからだったのです。

 懲役15年、実際は13年で出所した、と言いますから、おそらくそれは、人殺しクラスの罪だったんじゃないでしょうか。 15年というのは、量刑的には、情状酌量されたような感じがします。 ひょっとして、夫が松雪サンを虐待して、それに耐えかね夫を殺した、とか。 ヘタな推測ですけどね。

 このいきさつを語る前に、田中サンはその刑務所で知り合った人のつてで手に入れた、「戸籍売買」 の仲買人?のメモを、松雪サンに渡すのです。 今回このドラマ中、田中サン、ウラで何やらコソコソやり続けていて(笑)、何をやっとんのだ?とテレビにツッコミ入れまくってたんですが(笑)。 このことだったんですね。 継美チャンの戸籍を違法に取得して、ほんとうの松雪サンの子供にしてしまおう、という、あまりにも大それた手口。

 いずれにしろ、その一連の話をしだす田中サン、今までののんびりほっこりムードから口調が一転、静かながらもドスの利いた有無を言わさぬような 「さすが前科者」(笑)みたいな話ぶりになって、見ているほうも自然と引き込まれました。 今NHK衛星3チャンネルで田中サンがやってる 「蒼窮の昴」 の西太后役に、一瞬なっているかのような錯覚。

 母性の極まった尾野サンの追及を退けるためにも、この戸籍の違法取得は、ひとつの武器になりそうな感じもしますが、テレビドラマの倫理性、という観点からすれば、ちょっと選択肢としては、ないかなー。
 んー、ちょっと、松雪・田中組(笑)に勝ち目はなさそうな感じもします。 あんまり適当なこと書くと、あとで恥をかくのでぼやかしときますけど(笑)。

 それにしてもですねー。

 今回笑ったのは、うっかりさんと継美チャンの、「ネガティブしりとり」(笑)。

 「目玉焼き」
 と継美チャンが始めたこのしりとり、田中サンの答えが 「北枕」。
 なんじゃソレ(笑)。
 継美チャンが返して、「ラッコ体操」(笑)。 ラッコ体操をする継美チャン、カワイ過ぎ(笑)。
 続いて田中サン、「うすのろ」。
 いちいちネガティブな返しをするのが笑える。
 負けじと継美チャン、「ロボット体操」 と、ロボットのマネ。 またこれがカワイイ。 それにしても継美チャンも、「体操」 の 「う」 攻撃でたたみかける(笑)。
 「う…んー、『裏街道』」
 ここで松雪サンが、こらえきれず 「プー」 と吹いてしまうところは、このドラマの中で初めて見た、爆笑シーンだった気がします。 この時点で、松雪サンが自分を捨てた田中サンにまだ気を許さず、心を閉ざしていた状況だったから、余計に笑えた、というか。 でも 「裏街道」 って、その後の展開の予告でしたよね。

 このしりとり、まだ続きます。

 「運動会体操」 と返す継美チャンの 「体操」 攻撃に、またまた松雪サン、「プッ」(笑)。

 「Mother」 ってホントに暗い話なので、こういうのがあると、なんかすごく、見ているほうにも、登場人物に対する親近感がわいてくるんですよね。

当ブログ 「Mother」 に関するほかの記事
第1-2回 主人公が、暗いですね… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/mother-1-2-447a.html
第3-4回 同じテーマのドラマ 「八日目の蝉」 との相違点http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-3-4-34fe.html
第5回 母と娘の距離感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-5-bc26.html
第6回 行く先が、見えないhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-6-95e0.html
第8回 泣いてもいいんだよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-8-8615.html
第9回 母の手のぬくもりをhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-9-d640.html
第10回 優しさがつき動かすものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-10-db64.html

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2010年5月25日 (火)

「離婚同居」 第2回 アレレ…?

 先週、面白いからちゃんと見てみます、などと書いてしまった責任上、ちょっと書かなくてはならないという義務感で書くのですが、「離婚同居」 の第2回目は、初回の面白さがウソのような失速ぶりでした。 少なくとも私から見て。

 いちばんの原因は、阿部サダヲサンが笑わせるシーンが、ほとんどなかったところ。
 阿部サンがつまらないと、ドラマの魅力の80%くらいは消え失せた、という気がします。

 次回もとりあえず見てみますが、いや、もういいかなー。 …ゴメンナサイ!

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「めざせ!ロックギタリスト」 第9回 Charサンからのメッセージ

 ここ数回番組レビューをさぼっていた(笑)「めざせ!ロックギタリスト」 ですが、見ていなかったわけではありません。 ちょっと書くまでのテンションに至らなかっただけで…(笑)。

 と言うのも、うまくいくときとうまくいかないときのますだクンのテンションが、あまりにも違い過ぎるのが、見ててイタい(笑)、と言いますか。 や、それで毎回笑っているんですけどね、こっちは。
 でもまあ、振幅が激しい、というのは、嫌になるとすぐに投げ出してしまう姿勢に通じるわけです。 それでも初心者なりに練習を続けているますだクン、実に立派なのですが、これは番組用にお膳立てされたバンドがいるからこそできる環境に、あるわけでして。

 つまり、普通バンドを組んでしまうと、テクニックのないメンバーというのは、どうしても浮いてくるわけです。 それでもお互いに補い合っていくのが即ちバンドの結束力ということなのですが、それがないと結構キツイものがある。 でも向上心さえあれば、「あいつも頑張ってんだからみんなでサポートしてやろうよ」 ということになりますよね。

 ますだクンの場合、うまくできないとどうも必要以上に落ち込み過ぎる面があります。 しかも、それがどことなく、ムクレ気味の落ち込みかたになる、というのが気になる。 逆に、うまくいくときの天狗になり具合もまた、激しいものがある。
 これってますだクンが、わざとネタ気味に自分を演出しているんだと思うんですけど、こんなヤツがバンドにいたら、私だったらヤなんだよな~(笑)。
 ますだクン歌はうまいから、「お前ヴォーカルね、ヴォーカルだけやっててね」 って言いたくなりそうですけど(笑)。

 それでも、Charサンの 「SMOKY」 をここ数回プレイしているますだクンは、ペダル操作とか、トレモロアームを使ったアーミング?とか、ギタリストとして外せないテクニックを学んでいる気がします。 ここにフィードバック奏法も加えたら、もう完璧なんじゃないのかなぁ?
 アーミングはでも、あまりやるとチューニングがおかしくなるとか聞いた気がするのですが。 やりまくってますよね、野村義男クンも(笑)。 あんなにやりまくってもいいんだーと、ヘンなところで感心してます(笑)。

 そして今回私が久々に番組レビューを書こうと思ったきっかけが、この練習風景VTRを見ていたCharサンが、番組に対してメッセージをくれたこと(前置き長ゲェ…笑)。

 「や、これは第1回から見さしていただいてるんでー、どのように答えようと心配してたんですけどもー…思ったより、いい感じで。 お世辞ですけどねー(笑)。
 『SMOKY』 って曲はやっぱり、リズムが難しい曲なんですよね。 でー、たぶんその、ここまでは、エイトビートしかやってきてないものを、いきなりその倍の16ビートのものをやってるんですけども、の割にはー、その感じがカッティングで、出てるなーと、思ってー。
 これはあの、プロでも大変ですよ(笑)、ホントは。 他んところは、まあ何とかごまかしはあるんですけども、あのウラで 『ンパッパッパ、ンパッパッパ』 っての、揃えるというのは、…揃ってないですからあのプロの人たち、こっち側のなんか髪の長いギターの人も(笑)リード間違ってますしね」

 笑いました、ダメ出しされたヨッちゃん。

 「あのー、16ビートとは言え、やっぱり2拍4拍少ない拍8拍、そういうビートが倍になってるだけなんでー、必ずこう常にノっているとー、『ンパッパッパ、ンパッパッパッ』 ってこういうのがとれるんですよ、それをいま手先でー、『チャーチャー』 ってやってるんで、それを 『パッパッパッ』 って説明しても分かんないって思うんですよ。 ウラ(拍)で 『パッパッパッ』 なんでー(笑)。 実はー(笑)。
 これ某有名な屈指のドラマーの人でも、『スリーフォーパッパッパ、パッパッパ』 って3・3・7拍子になっちゃってる人もいるんでー、これの8つのウラの16で 『パッパッパッ、パッパッパッ』 ってのはねー、ちょっとやそっとじゃ出てこない気がするけれどもたぶん、テンポのある漫才だったら、(ツッコミでどつくマネをしながら)『何言ってんねん何言ってんねん』 って、そっから練習したほうがよろしいんじゃないですかね(笑)」

 なるほどでした~(笑)。 特に 「パッパッパ」 が、ウラ拍だったとは(笑)。 ヨッちゃんもアップストロークで 「こっちなんだー」 とか、鼻の下に汗かきながら、焦ってました(笑)。

 武道館でやるとかますだクンは言ってましたが、次回最終回予告を見るとどっかのライブハウスみたいですね。 どうもますだクン、『パッパッパ』 のウラ拍ができていないようでしたが…(笑)。

当ブログ 「めざせ!ロックギタリスト」 に関するほかの記事
第1回 待ってました!
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/post-a305.html
第3回 チューニングが狂うワケが分かった!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/3-78fd.html
第4回 バレーってやっぱ、鬼門なのネhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-8fc5.html
第5回 メロメロになってきたますだクンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-1d98.html

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2010年5月23日 (日)

「龍馬伝」 第21回 こう生きていくしかない人…

 収二郎(宮迫博之サン)が切腹させられて、状況的に大殿(近藤正臣サン)からの沙汰を待つしかない、武市半平太(大森南朋サン)。 攘夷の火がすっかり消えてしまった世の中の動向に、完全に取り残された格好であり、ただ座して、自らが裁かれる日を待たねばならないその心情は、いかばかりのものであるか。
 今回の 「龍馬伝」 は、世の中の動きに柔軟に対応していく龍馬(福山雅治サン)や弥太郎(香川照之サン)の生き方と、ひとつの道に殉じる生き方しかできない武市との対比がくっきりと浮かび上がった回となりました。

 武市は、ある日ばったり、岩崎弥太郎に出会う。
 弥太郎は武市に向かって、「もっと好きに生きたらどうだ、正直に生きたらどうだ」、と提案するのですが、武市は 「殿様に忠義を尽くすのが、自分にとって正直な生き方なのだ」、と突っぱねる。
 その時の弥太郎は、喜勢(マイコサン)に提案された 「オマケ」 について試行錯誤を重ねた結果(ようわからん仏像とか…笑)、その 「オマケ」 とは、人に尽くす心だということが分かり、やっと初めて、材木を売ったばかり。 ふんぞり返って恩着せがましくするだけでは物は売れない、ということにようやく気付いたばかりなのです。
 いわば弥太郎は、人生の目的に向かって、自分の考えを柔軟に変質させようとしている。

 いっぽう武市のことが気がかりでならない龍馬は、勝麟太郎(武田鉄矢サン)に、土佐に戻る許可をくれるよう、懇願する。
 けれども勝の返事は、土佐藩の現状を的確に把握した、龍馬にとってぐうの音も出ない拒絶の言葉。

 「よう。 土佐にけえって、お前さんに何ができるね! ええ? 武市に、土佐から逃げ出せと言うのかい。 それとも 『私が悪うございました、攘夷などは間違った考えでございました』 と、容堂公に命乞いさせる気かい! いいか? 武市はな、もう覚悟してるよ。 友達って言うんだったら、あいつの生きざまを、遠くからしっかり見守ってやるしかねえ! いいか! 坂本龍馬は、オレが見込んだ男だぜ! 日本のため、日本の将来のため、大いに働いてもらうために、弟子にしたんだ! かわいい弟子を、ここで殺されてたまるか!」

 「先生…! 先生、先生…!」

 「分かってるよ。 分かってるよ、分かってるよ…!」

 ここでの武田サンの演技は、武田サン自身の龍馬への思い入れがあふれんばかりの演技だったためか、セリフ以上の凄みを感じました。 感動。 「かわいい弟子を、ここで殺されてたまるか!」…この先龍馬が暗殺されるような運命に巻き込まれていったら、武田サンの思い入れは決壊してしまうのではないだろうかと思えるほど。

 そして武市と妻冨(奥貫薫サン)との、最後の朝餉。

 武市は自らの意思に従って生きていく龍馬に思いを馳せながら、こういう生き方しかできない自分を、冨に吐露するのです。

 「わしやち、分かっちゅう。
 いつの間にやら、何もかにもが、変わってしもうた…。
 けんど…みんなには言えんぜよ。
 みんな…わしを信じてついてきてくれたがじゃき…。
 今わしが、泣き言を言うたら…『わしらは何のために生きてきたがじゃ』 ち、みんなは思うぜよ…。
 わしは! おのれの生き方を貫くことしかできん…! 龍馬や弥太郎のようには、…生きられんがぜよ…!」

 「それでえいがです…それが私のだんな様ですき…!」

 武市は、子供もないのに、いつもひとりばかりにさせて済まなかったと冨に詫びるのですが、冨は、子供も出来ない自分を置いてくれたことを武市に感謝する。

 「私はおまさんの妻です。 おまさんを支えるがが役目です。 外で泣き言が言えんやったら、どうぞ私に言うてつかあさい…! 私には、本当のおまさんを見せてつかあさい…!」

 武市は笑いながら深くうなづき、「これからは一緒に過ごそう」 と、いろんなところにふたりで行こう、という提案を始めるのですが。

 その幸せをまるでぶち壊すかのように、ぶしつけに力まかせに木戸を叩く音。

 ついに容堂公からの呼び出しがかかるのです。

 けれども、まるで何もないかのように、旅行の話をつづける武市。 いくら忠誠を誓った大殿様であろうと、妻との最後の語らいのほうが優先するのだ、という武市の、精一杯の抵抗であり、同時にそれは、妻への愛情のしるしなのです。
 涙を流しながら、それを聞き続ける、冨。 今生の別れをはっきり予感しているだけに、夫の行動を、とがめることなどないのです。

 「どこにも行かんと、ここでふたりで過ごしたいがです…」

 「そうか…ほんなら、そうしよう」

 ふたりの気持ちがあふれかえってしまって、ただ泣けました。

 とうとうドカドカと上がりこんでくる大殿の使者たち。
 武市が連行されたあと、残された朝餉の膳の前に座り込み、涙を流し続ける冨。
 今までまさに夫がいたそのあかしである、夫の食べ残した膳を見ながら、冨の心にぽっかりと空いた巨大な空洞を見るような気がする、秀逸な演出だと感じました。

 そして以蔵(佐藤健クン)にも、新選組の手が伸びる。 近藤勇役の原田泰造サン、「篤姫」 の大久保どん以来の大河登場。 宮迫サンとバッティングしませんでしたね(笑)。

 弥太郎殿は、ついに材木を完売。 歓喜する岩崎家は、武市とのコントラストを、くっきりと浮かび上がらせるのです。 どうにも、重苦しい話が、続きます。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html
♯12武市の心理、執拗にやってますねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/12-2a95.html
♯13大友サン演出は、一味違うhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/13-e7ca.html
♯14進む龍馬の空洞化http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/14-ef4d.html
♯15龍馬の人物像が、ちっくと見えてきたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/15-b072.html
♯16日本人じゃあぁーっ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/16-5e1f.html
♯17試合という名のラブシーンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/17-6ae8.html
♯18武市の転落ぶり、凍りつきましたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/18-77bb.html
♯19 5月10日って…明日?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/19-510-e7ac.html
♯20 ものの見方で軽くなる命http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/20-280b.html

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「ゲゲゲの女房」 第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくとも

 「ゲゲゲの女房」 第8週は、布美枝(松下奈緒サン)の父、源兵衛(大杉漣サン)の上京を中心とした話が展開しました。

 今週の話の広げ方はフィクション色が強く、作り手の腕の見せ所だったのですが、源兵衛の話を導入する前に、軽いプロローグをもぐりこませる手法は、また見事でした。

 というのも、このドラマにおいて、源兵衛というのは見方によっては結構な理不尽キャラであるからなのです。
 いつもわけも聞かないうちに頭ごなしに怒り、周りに誰がいようともどんな状況であろうとも、大声で怒鳴りつける。 KYの権化みたいな存在(笑)。
 こんなカミナリ親父は、その昔はちっとも珍しくなかったものですが、現代の若い人にしてみれば、その理不尽さが見ていてストレスになる場合もある。
 その源兵衛が、久々に登場するのです。
 調布編になってからこのかた、このような激昂するキャラクターがいなかったために、ここ数週穏やかな雰囲気で進行していたこのドラマに、「台風が再上陸」(笑)という感は、否めない。

 そこで作り手は、こみち書房に出入りしていた若い工員、太一(鈴木祐樹クン)をまず激昂させます。
 失恋したことを慰める美智子(松坂慶子サン)に、「簡単に言わないでくれよっ!」 と怒鳴る太一クンは、なんでこれほどまでに怒る必要があるのか?とその時はいぶかしく思えるばかりだったのですが、それは太一クンの抱える闇の深さを表していたと同時に、これからもっと怒鳴りキャラの源兵衛が登場する、助走となった気が、結果的にするのです。

 そしてもうひとつのプロローグが、幼なじみのチヨ子(平岩紙サン)の上京。
 チヨ子に対して見栄を張ってしまう布美枝が、今週のこのドラマを象徴するようですらある。
 布美枝はチヨ子に見栄を張ってしまうことで、東京に来てからすっかり自分的には普通になってしまっていた日常を、初めて客観的に振り返ることになるのです。 このもっていきかたも見事。

 「私、ハズレくじ引いたと思っとるんじゃろうか?…そげなつもりないんだけどなあ…」

 夫の仕事ぶりに誇りを持ち、貧乏ながらも生活を切りつめて頑張ってきたことへの自負もあるのに、心の底では自分は不幸だと考えているのではないか、とわが身を振り返っている。
 そんな布美枝を見ていたこみち書房のおばあちゃん(佐々木すみ江サン)が、一生懸命頑張って貧乏ならば、それは社会が悪いのだ!と考えな、と言うのには、笑いました。

 上京した源兵衛は、村井の家に来た早々、下宿人の中村靖日サンを空き巣だと思って格闘(笑)、いつも通り風呂を借りにきた大倉孝二サン一家に、あきれ果てる。 中村靖日サンは、その昔東京ぼん太サンがしていた(笑)唐草模様の風呂敷に家財道具をみんなまとめて後ろ手に背負って、質屋に行こうとしていたところ。 これがまた、笑いました。 その質草のひしゃくを手に布美枝たちをイカリまくる源兵衛サンも、可笑しかったなあ。

 美智子サンは太一クンをなんとか励まそうと、茂(向井理クン)に頼んで、こみち書房の店先でサイン会(読者の集い、とか言ってましたが)をやろうということなるのですが、その時 「こんな感じ?」 みたいに出てくる想像シーンで、マンガ家の人がサイン会をしていましたよね。
 あれ、イメージ的には手塚治虫サンのような感じなのですが、そこに出ていたマンガ家の名前、「えびおそうじ」 先生、個人的なのですが、ツボでした(笑)。
 というのも、昔 「うしおそうじ」 というお名前のマンガ家サンが、いらしたんですよ。 「怪傑ライオン丸」 とかのマンガを描いていて。 冒険王に、よく描いていらしたと記憶しています。 その人の名前は 「うしお・そうじ」 だったんだろうと思うのですが、私はいつも 「牛お掃除」 みたいに思っていて(笑)。 そんなことを懐かしく、思い出しました。

 そのサイン会を見せることで源兵衛にも茂の人気ぶりをアピールしようと、少年戦記の会の時のガリ版刷りを駆使して宣伝ビラを大量印刷。
 このガリ版印刷にも、個人的にはとても懐かしいものがあるのです。 古い人間ですからねー。
 確かロウを塗った紙に、ガリ版用のペンで、ガリガリ書き込むんですよ。
 その部分だけが、インクを通すのですが、そのインクも、ねっとりとした、版画用みたいなインクで。
 学級新聞とか、進級時の文集とかを、刷ったような記憶があります。 よくかすれたり、ダマが出たりして(笑)。
 印刷用紙はたいてい、わら半紙だったのですが、今回のドラマでは、結構上質紙を使っていたようですね。

 で、そのサイン会にはサービス券やサクラまで動員するのですが、それが却って裏目に出て、源兵衛は大激怒。

 「一生懸命働いてそれでも貧乏なら、堂々と貧乏しとったらええんだ!…(略)…茂さん、あんたはもっと堂々とした男だと思っとった。 娘が何を頼んだか知らんが、こげな小細工に手を貸すとは。 ええ男に嫁がせたと思っとったが、わしの間違いだったかのう!」

 この言葉に、布美枝はこのドラマ史上(笑)初めて、父親にたてつくのです。

 「…そげなこと言わんで。 お父さんは、なんも知らんけんそげなふうに思うんだわ。 この人は、小細工なんかせんですよ。 何言われても、いつも堂々と自分の好きなマンガに打ち込んでいる。 …私は、よう知っとります…! 夫婦ですけん! この人が、精魂込めて描いとるとこ、いちばん近くで見とるんですけん…
 この人は、本物のマンガ家ですけん!」

 ここで太一クンが現れ、またひとしきり、やさぐれたところを披露するのですが、これまでの太一クンの様子からすれば、なんでこんなに急にひねくれてしまったのだろう、という感じでは、ありました。 佐々木すみ江サンも、道を踏み外してしまわなければいいが…みたいに思ってしまうくらいですから。 でも、今はあんまり、みっともないところを人に見せるような風潮ではないのでこんな人はいないような気はしますが、昔は人づきあいが不器用な人って、結構いたような気が、するんですよね。
 ひねくれまくる太一クンに、美智子サンは我慢の糸が切れたように、「心配させてよ!心配したいのよ!」 と絞り出すように言うのです。

 「だって、太一クンは生きてるでしょ? つらいことがあっても、嫌なことあっても、生きてるから…生きててくれれば心配できるから…」

 美智子サンの子供サンが戦後間もなく腸チフスにかかって死んでいたことが、ここで明かされます。 生きていれば、太一クンと同じくらいの歳だったと。 太一クンは、なんとか心を入れ替えてくれるのです。

 ここで場の空気を、いっぺんに軽いものにしてくれたのが、茂でした。
 今週の 「ゲゲゲ」 で効果的だったのは、要所々々での、茂の 「物事を深刻に考えない」 という生き方でした。 :源兵衛サンがある意味メインなこの週に、出番が比較的少ないながらも、存在感をさりげなく残していくその見せかたには、相変わらず脱帽です。

 村上弘明サンの出版社社長から、前金で万札を(このドラマで、旧一万円札、初めて見ました…笑)3枚ももらい、その勢いでぜいたく品を買いこんでくる、という鷹揚さもそうです。 いくら大金が入ってもいまだに家計が苦しい布美枝はそれに文句を言うのですが、それに対する茂の答えが、またよかった。

 「だらい言うな。 金の入ったくらいは贅沢せんといけんのだ。 たまには気分を豊かにせんと人間が貧しくなる。 生活が貧乏なのは仕方ないが、人間まで貧乏臭くなってはいけん」

 至極名言(笑)。 笑いながらも、ホントそうだよなあ、と思わせるのがすごい。

 美智子サンと太一クンの一件を心配する布美枝に、「知らんふりしとればええ、あんたが気に病んでもどうにもならんよ」 とあっさり言い切ってしまうのも、冷たそうには思えるのですが、言われてみれば、ちゃんと心配してくれる美智子サンのような人がいれば、あとはなんとかなるものだ、という気にもなってくる。
 改心して感極まる太一クンに、適度なガス抜きをするセリフも、よかったです。

 「お互い苦戦が続きますな。 マンガも厳しいですけん。 なかなか売れんので。 けど、そうくよくよしとらんで、ほがらかーにやっとればええんです」

 そして。
 誤解が解け、布美枝の成長も見届けた源兵衛は、商店街での見送りの時、布美枝にこう言うのです。

 「がんばれよ。 親を、あてにしたらいけんぞ。 自分たちで何とかやっていけ。 40年50年と連れ添ううちには、ええ時も悪い時もある。 ええ時は誰でもうまくやれる。 悪い時こそ、人間の値打ちが出るだけんな」

 そしてそっと、紙に包まれたお金を、布美枝に手渡します。

 「化粧品でも買えやい。 お母さんには黙っとけよ。 手紙に書いたりするなよ」

 布美枝は、「だんだん」 とお礼を言い、源兵衛に 「お金はないけど、私毎日笑って暮らしとるよ」 と話すのです。 その時の源兵衛の、満足そうな顔。 じわじわ泣けますね、これは。 いくら理不尽な怒りかたをする人でも、そこにはちゃんと子供への思いが詰まっている。 それまで29年でしたか、ずっと毎日顔を合わせていた娘に、約1年ぶりにあったせいもあるのでしょうが、久々の源兵衛サンは、布美枝に対する愛情が、またあふれんばかりになっていたなあ、と感じました。

 安来に帰ってミヤコ(古手川祐子サン)にせっつかれ、布美枝の様子を報告する源兵衛サンも、余計な心配をかけさせまいとする話し方ながら、言葉の端々に布美枝の貧乏の様子がにじみ出ており、それでも大丈夫だ、という説得力に満ちていました。

 「あいつ、笑って暮らしとったぞ。 何もかも順調とはいかんだろうが、笑って暮らしてんのだけん、…だいじょぶだ」

 笑って暮らしていた、それだけで、ミヤコの心配は、氷解するのです。
 貧乏でも、笑って生きることができれば、その人の心はお金持ちと一緒なのだ。 笑えることって、ホントに大事だよなあ、そう思えて仕方がないです。

 今週は、印象に残るセリフの多い、言葉の力を感じさせる場面が、多かったように感じました。

 それにしても、週1ペースで書いてきましたが、ちょっと内容がありすぎて、書くのがしんどくなってきた(笑)。 どうするかなあ。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第09週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html

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2010年5月22日 (土)

コール・ミー・タクシー!

 TBSラジオ 「永六輔その新世界」 で、その昔渥美清サンがアメリカで、タクシーを呼ぼうとして 「コール・ミー・タクシー」 と言ったところ、「タクシー」 と返され、「タクシー」 と返した(笑)、という話を永サンがしていました。

 つまりまあ、「コール・ミー・タクシー」 は 「私にタクシーを呼んでくれ」 ではなく 「私をタクシーと呼んでくれ」 という(笑)話なんですけど。

 それも笑ったのですが、近年滑舌が悪い永サンがその話の途中で 「エド・サリバン・ショー」 と言ったのを、番組アシスタントの外山恵理チャンが 「江戸裁判所」 と聞き間違いしたのにも、永サンには悪いんですけど、笑わせていただきましたー。

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2010年5月21日 (金)

「チェイス~国税査察官~」 第6回(最終回) 別の人生への希望

 今クール最高のテレビドラマだと私が考えている 「チェイス」 でしたが、最終回は最後のカットに至るまで一瞬たりとも目が離せない展開で、しかもちゃんと見ていないと、なんだか訳が分からなくなってしまうほどの展開でした。 ワンシーンワンシーンすべてに意味がある。 言ってみれば、ドラマ全体が、巨大なスキームだった、というような後味を残しました。

 その語り口はまさに孤高を保っていて、頽廃の匂いを色濃く漂わせながら、「生きろ」 という姿勢をにじませるものでもある。

 ラストシーンに何を感じるのかは見ている側の感性に任せている部分が大きいのですが、とりあえず、先週に引き続いて、私の個人的な感想を先に読んでイメージを固定してしまうより、ドラマを見てからこの感想文も読んでいただいたほうが、賢明な気がいたします。

 最終回は、前回春馬草輔(江口洋介サン)が村雲修次(ARATAサン)を空港で追い詰めてから、いきなり1年後に飛びます。
 あそこまでいっといて結局村雲のスキームを突き崩すことはできず、村雲は南の海で資産家としてぬくぬくと過ごし、草輔は地域の税務署の一職員として過ごしています。

 草輔の一縷の望みは、村雲に、母親である澤村文子(りりィサン)が生きていることを告げたことで、村雲が連絡をしてくるのではないか、ということ。

 ここで私は、草輔のその思惑が、ずいぶんヌルいのではないかと疑問に思いました。 もし村雲が自分の母親のことを調べようと思えば、草輔にわざわざ頼らなくたって、いくらでもその情報はカネで買えるだろう、と。 これはあとで、やはり事の真相にとって重要な根幹につながる話に発展したわけですが。

 そして村雲は、ヴァージニア諸島で、自分の息子である光を、まだ1歳にもかかわらず、地元の社交界にデビューさせている。 地元の銀行にとっては、光は得意も得意、大お得意様なわけですもんね。
 けれども当の村雲は、ギャンブルと酒に溺れて、毎日がちっとも楽しそうに見えない。
 お金で幸せは買えない、というのを地で行っている気もしたのですが、復讐を完遂したかに見える村雲の心が晴れないのは、実は別のところに原因があったのです。

 ある日その村雲から、草輔のところに、連絡が入る。
 草輔はやっと自分のかけた網に村雲がかかってきたと思っているのですが。

 真相の成り行きはあとで説明しますが、ここでちょっと、このドラマを最後まで見終わった段階から、この村雲の行動を分析すると、村雲はけっして、母親の居場所を知りたくて草輔に電話してきたのではないことが分かるんですよ。
 じゃあどういうわけだったんでしょう。
 私の考えを述べさせていただければ、村雲は草輔に、自分のどうにもならない心情から助けてもらいたいという、すがるような気持ちで電話をかけたんじゃないかと思うんですよ。

 私がこのドラマを見ていていちばんよく分からなかったのは、草輔は村雲にとって、自分の脱税スキームを追いかけてくる、いわば敵対関係にあったことは確かなのですが、村雲が草輔を憎む理由というのがその部分しかなく、理由として基本的に弱いのではないか、ということでした。
 憎むったって、村雲が根本的に抱いている肉親への恨み以上に、その憎しみは大した感情ではないように思えるんです。

 村雲が自分の名前を偽装して草輔に接近して情報を引き出そうとしたり、草輔の娘鈴子(水野絵梨奈チャン)に株指南をして、親子の関係を引き裂こうとしたりするのも、単なる巨大スキームの中のミニゲーム的な感覚がある。 鈴子は結局株で大損をこいた、とは言うものの、株価自体が持ち直しているわけでしょ? そこらへん、ドラマ中にその後どうなったかの描写はなかったのですが、村雲自身に春馬家に対する憎しみってものはなかった気がするんですよ。
 かえって村雲は、ウォンもいなくなった今、自分のことを理解してくれそうな人物が、草輔しかいないような感覚が、あったのではないか。 だからこそ、得々と 「一度始まった復讐は、今度は形を変えて続くんだ」 などと説く草輔に、「黙れ!」 などと、大人げなく反応したりする。 そして、母親について知っていると言ってくる草輔に、「オレは知ってるよ…知ってるんだよ」 と答える。 それは強がってそう言っているのではなく、草輔に、自分の気持ちを知ってもらいたいからこそ、そう受け答えしているように、ドラマを見終わった今となっては、思えるのです。

 ゲッ、まだ開始10分のタイトル部分までしか話が進んでいない(笑)。 すみません、またメチャクチャ、長くなりそうです、この記事(笑)。

 歌織(麻生久美子サン)も村雲の中から消え去ることのない闇を何とかふるい落とそうとするのですが、村雲は聞く耳を持たない。 ある日自宅地下の巨大金庫に入った歌織は、そこで古いVHSのビデオカセットを見つけ、村雲の少年時代の誘拐の真相を知ってしまうのです。 歌織は村雲に向かって、「あなたは間違ってる!」 と絶叫する。
 苦悩が極まった歌織はその末に、スキームで得た金を檜山基一(斎藤工サン)に返金してしまうのですが、そのせいで、国税局が基一の会社ライトキャストにガサ入れするきっかけを、同時に作ってしまうのです。

 歌織は結局、村雲と別れることを決断するのですが、空港での別れのシーンも、印象的でした。

 「それでいいのよ…でなかったらあなたは止まらないでしょう? 本当に憎みたい人を憎めないあまりに、世界中を憎み続けるのよ。 ねえ修次…始めからやり直すきっかけは、目の前にあったのよ…希望は、すぐ目の前にあったのよ…」

 歌織に言われてそのことに気付いた村雲は、歌織の抱いていた光に、そっと手を差し伸べます。

 手を握り返して、無邪気に笑う、光。
 その瞬間、村雲は自分が見失っていたものがなんだったのか、初めて理解するのですが。
 村雲のその表情は、まるで宝物を掘り当てたかのようでもあり、同時にそれに気付くのが遅すぎた、という失望が入り混じっているようでもある、とても複雑な表情だったと思います。
 村雲の手をすり抜けていく、光の手。
 そして出発口のエレベーターを降りていく歌織と光が、眩しい光の中に消えていく。 
 なんとも深い、シーンでした。

 そして基一の自宅に査察が入るその寸前、歌織は基一のもとに、戻ってくる。
 歌織は基一もろとも、ガサ入れに巻き込まれてしまうのですが、その時捜査のために復帰していた草輔に、歌織は村雲を助けてほしい、と懇願します。

 そのとき歌織は、村雲について、こんなことを言うのです。

 「彼は怒りや憎しみであんなことをしていたんじゃなかったんだ…ただ…ただ、褒められたかったんだって」

 「誰に?」 という草輔の問いに、歌織は 「本人に訊いてください」 と答えるのですが、これはドラマを見ている人なら、それは母親だろう、としか思えないところです。
 でも、母親だけかなあ、とドラマを見終わったあと、思っている自分もいるんですよ。
 たぶん村雲は、檜山正道(中村嘉葎雄サン)にも、世間にも、褒めてもらいたかったのではないのか。 そう考えると、とても哀しいものがあります。

 歌織から村雲の居場所を教えてもらった草輔は、単身ヴァージニアに向かう。 草輔の背広には、飛行機事故で亡くなった妻の形見の、エンジ色の袋。

 潜入した村雲の自宅で草輔が見たものは、歌織が見たのと同じ、古いVHSのビデオカセットに録画された、昔のニュース?番組。
 歌織と昔その番組を見ていた村雲が、「今、幽霊を見た…」 と呟き、それ以来悪の道に入り込んでしまった、いわくつきのそのビデオ。
  南紀白浜の祭りの模様を映したその番組には、なんと澤村文子の姿が、映っていたのです(またまたビックリ)!
 古いビデオをプロジェクターで見ているために、その姿は解像度がすこぶる悪く、まさに映画 「リング」 並みの気味悪さ(笑)。 たぶん、誰かにその番組を録画していたものを、ダビングさせてもらったのでしょう。
 要するに、村雲は、何もかも、知っていたのです。

 その瞬間、後ろから頭に銃口を突きつけられる、草輔。

 「お前を誘拐させたのは母親自身か」

 「ええ」

 「檜山正道から金を奪い取るための自作自演か」

 「ええ」

 「お前の腕を切り落とさせたのも、そうなんだな?」

 「…ええ」

 「お前は偶然見たニュースで母親が生きていることを知り、何もかも分かったうえで、檜山家を陥れた…何がお前をそうさせた?…母親に褒められたかったのか?」

 答えを探す村雲に、草輔はいきなりふり返ってつかみかかり、数発ぶん殴る。
 しかし江口洋介サンがいつものような役ならば(どの役だ?)この乱闘に勝利していたかも知れませんが(笑)、彼は税金取り。 あっという間に形勢逆転。 気付くと村雲が、部屋中に灯油をまいている模様。

 オレを逃がしてくれたら、この部屋にある3億ドルをあんたにやるよ、と提案された草輔、さすがに金には目がくらまない、…というか、3億ドルなんて途方もなさ過ぎて、使い道が想像出来ない、つーか(笑)。

 その提案につばを吐きかけ、草輔はのたうちまわりながら、自分に銃口を向ける村雲に向かって、うめくようにこう吐き捨てます。

 「撃て…ああ、撃ちゃいいよ…ああ、そうだよ、オレは犬だよ…地べた這いずりまわって国民から税金をいただいて生きている犬だよ…! 税金で飯食って、家族養ってるちっぽけな犬だよ…! でもな、犬にも習性ってもんがあるんだよ…いいか?一発で仕留めねえとその首根っこ食いつくぞ…一度食いついたら離さねえ…息が止まるまで離さねえ…」

 村雲はわざと狙いを外して一発撃ち、「あんたは、幸せな人だな…」 と言い放ち、ライターに火をつけて逆に自分が死のうとするそぶりを見せる。

 「そんなことして何になるんだよ!」

 「何にもなりませんよ…何にも…」

 「お前が絶望しているのは母親だ」

 「違いますよ春馬さん…ぼくは絶望なんかしていない。 生きるために、子供の手足を切り落とす母親なんて、切り落とされた子供なんて、世界中に大勢いる…ぼくは絶望していないし、誰も恨んでいない…ただ…ただ…もうひとつの人生を、想像してしまうんですよ…あっちとこっちに、どんな違いがあるんだ?…抱きしめられる子供と、腕を切り落とされた子供に、どんな違いがあるんだ?…いくら想像しても…違いが…分からないんだよ!…だから希望を持ってしまう…あり得たかもしれない人生に…希望を持ってしまう!…ねえ…ねえ…春馬さん…そう思いませんか?…ねえ…人を狂わせるのは、いつもそういう…希望なんだ…眩しくて眩しくて…目を細めて見つめる…希望のともしびなんだ…」

 草輔は、あくまで地道に働くことで、自分の誇りを保っている。 それは、いくら世間から後ろ指を指されようが、自らの信念に従っているから、なんの後悔も躊躇もないのです。

 けれども、もし目の前に大金を積まれて、もうひとつの人生があなたにも用意されていますよ、と提案された時、人はその誇りを、持ち続けることは出来るのでしょうか。
 少なくとも草輔は、その誇りを捨て去らなかったのです。
 それは村雲が陥った闇から見れば、とても幸せな生き方のように感じられるのでしょう。
 私も、もし自分が宝くじで3億円でも当たったとしたら、翌日からそれまで自分のしていた仕事を普段どおりしていけるのか、と問われると、ヒッジョーに(笑)自信がないです(笑)。

 それがすなわち、村雲が言っていた 「あり得たかもしれない人生に、希望を持ってしまう」 ということなのではないでしょうか。 ギャンブルで大金が入るとかも、結構その希望の範疇に入りますよね。 そんな儚い希望の上に、私たちの人生は成り立っているのか、と。

 でもこのドラマは、そんな絶望的な結論では、終わらなかったんですよ。

 3億ドルに火を放ち、自殺したかに見えた村雲でしたが、そこから逃走。
 突っ走るトラックのフロントガラスに、自分の母親が使っていたのと同じ柄の手拭いが張り付き、村雲は運転を誤り、トラックは大破。 どうしてこの手拭いが出てきたのかは不明ですが、ひょっとして村雲がずっと持っていたのかな。 逃走してすぐの場所だったみたいだし、自宅の敷地内だった気もします。

 草輔はここで 「ないたあかおに」 の話をしながら村雲を救出するのですが、ちょっとこれだけは、トートツでしたかね(笑)。 でも、「誰も悪くないのに、どうしようもねえ!どうしようもねえから悲しいんだよ!オマエも、オレも、あの鬼たちと同じだ!愛されたくて、愛されたくて泣いた赤鬼だ!」 という話は、とても分かります(笑)。 つまり、村雲が草輔に抱いていた感情も、「愛されたくて泣いた赤鬼同志」 みたいなシンパシーだったのでしょう。

 続けて草輔は、こう叫ぶのです。

 「それでも生きるしかない。 …生きるしかないんだよ!」

 このドラマが、いたずらに絶望ばかりを描写していなかったことが、ここからも分かるのです。

 トラックの爆発から免れた草輔と村雲は、ちょっと奇妙な絆が発生したような感覚です。
 草輔の背広に縫い付けられた妻の形見が、トラックの炎に積まれるさまは、草輔の恨みが消えた象徴のようにも思えました。
 なんか、物語が急にハッピーエンドになりそうな様相になってきて、それも意外だったのですが。 いいじゃないですか、こういう終わりかたでも。

 しかしそうは、ならなかったんですね…。

 村雲は空港で基一に腹部を、刺されたのか撃たれたのか、それをひた隠しながら、草輔とともに、母親のもとに向かうのです。

 村雲は、「やっぱり怖くて会えない」 と言い、母親に、自分の彫った木彫りの黒い薔薇を渡してくれ、と草輔に頼む。 もし母親がもらってくれなかったら、あんたがもらってくれ、と。

 澤村(今は谷山)文子は、結局知らぬ存ぜぬで、自分の息子に、会おうともしない。

 「私に息子はおりません」

 「そんなこと言ったらあいつはいつ救われるんですか…! 何をすれば救われるんですか…!」

 とことん冷たい母親だったわけですが、それがかえって村雲という男の悲劇性を、とことん強調するシノプシスになっている。
 母親にとって村雲は、憎んでも憎み足りない檜山正道の、息子という感覚がある。
 それに対して村雲は、母親への思慕の念が邪魔をするからこそ、誰を恨むのかが分からなくなり、混乱の末、檜山正道に復讐をしている。
 ここで草輔は、澤村文子を裁く立場にないことも分かるのですが、ちょっと誰かに、この女を裁いてほしかったものです。 でもそれは、このドラマの主眼ではない。

 草輔は村雲に事実を話せず、まったく逆のことを言いながら戻ってくるのですが、村雲はすでに、こと切れているのです。
 そのとき草輔は、村雲から受け取った黒い薔薇に、スキームで得た残りの金の隠し場所が書いた紙を見つける。 それは、村雲が空港で基一にやられる前に 「そのカネのありかが分かれば、あんたは出世できるのか?」 と草輔に尋ねていた金のことです。
 つまり、村雲は自分が死ぬ寸前に、草輔に対して、奇妙な形ながらも、友情を示してから、あの世に旅立ったのです。
 もしその薔薇が母親に渡っていたとしても、母親に残りの金のありかが分かる、かどうかはなんとも言えませんが、村雲が母親に、なにがしかの金を、場合によっては残したかった、という気持ちも見えてきたりします。
 悲しみにくれる暇もなく、草輔は査察官の顔に戻り、村雲の隠し口座番号を上に報告する。 ここで画面は突然ブラックアウトし、この物語は終わるのです。

 村雲が残された人に託したかったものを考えるとなんとも悲しく、やりきれなく、しかもわずかながら、救いのあるラストだった気がしてなりません。

 大したドラマでしたー。 大傑作でしたー。

 特に最終回の話のたたみかけは、「ハゲタカ」 に比肩するほどの出来だった気がします。 結局、当ブログにおける今までで最長クラスの感想文になってしまいました。 最後までお読み下さったかたには、心より感謝いたします。 書くほうも、くたびれました…(笑)…4時間くらいかかりました…(笑)。

当ブログ 「チェイス」 に関するほかの記事
第1回 江口サン、公僕の悲哀http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/1-a698.html
第2回 届かぬ父の思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-eecd.html
第3回 裏切りに揺れる心http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/3-77a7.html
第4回 ふたつの復讐http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/4-3809.html
第5回 黒い薔薇、赤い薔薇http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-05dc.html

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2010年5月20日 (木)

「Mother」 第6回 行く先が、見えない

 先週当ブログ 「Mother」 の記事で、雑誌記者の山本耕史サンを 「尾野真千子サンに鈴原の電話番号を教えた可能性が非常に高い」 などと得意になって書いたのですが(笑)、今回番組開始早々から、尾野真千子サンが自分の子供と松雪泰子サンの関係を疑って鈴原の実家に電話したことが判明(笑)。 妙な勘繰りはやめたほうが、恥をかかなくて済みそうですね(笑)。

 ただ、「このドラマは登場人物たちのカンが非常にいい」 と以前に当ブログで書いたことは、当たってるようでして。
 尾野真千子サンが鈴原の実家に電話したのもそうですが、継美チャンがさらってきた子供だと鈴原家のみんなにバレてしまうところなんか、ちょっとしたサインを見落とさないところなど、みんな推理力高いなあ(笑)なんて思いながら、見ていたわけです。

 継美チャン(芦田愛菜チャン)が、鈴原家に自分はいないほうがいい、と判断してしまうところなんかもそうでした。
 直接鈴原家のいさかいの内容を見たわけでもないのに、よく自分のことでこの家がトラブっているのが分かるなあ、という感じ。 確かに継美チャンは、階下で大きな声のするのを聞いてはいたんですが、そこから自分のせいでケンカしていると考え、自分がこの家から出ていくのがいちばんいいんだ、と考えてそれを実行に移してしまう、というところまでは、ちょっと思いつかない気もするのですが。
 でもそんなことを敏感に感じ取ってしまう継美チャンのかわいそうな自己犠牲の性癖に、目を向けるべきなんでしょうね。

 継美チャンは結局、鈴原家を出て自分の本当の母親である、室蘭に住む尾野真千子サンのところへと向かうわけですが、松雪サンにもらった給食費程度ではとてもじゃないけど帰れるわけはないのであり、しかも驚異の記憶力(笑)で自分のたどってきた道を逆に行こうとするには、相当無理があるわけであり。

 ここで松雪サンと山本サンが 「28番のバスでは帰れない」 ということに気付き、松雪サンが継美チャンの居場所を特定するところも、名探偵コナンも真っ青な推理だと(笑)思ったのですが。

 それにしてもこの判断を7歳の子供がするのは、実に健気であることは、確かなことなのです。
 継美チャンから松雪サンへの手紙は、今回のいちばんの泣かせどころでした。
 ただし私は、継美チャンの演技がうますぎるせいなのか、ちょっと泣けませんでした。 きっと心が汚れているのでしょう。 かえって泣けたのは、継美チャンが鈴原家の窓越しに、松雪サンの最後の姿を目に焼き付けようとしていたところ。 健気すぎるんだよぉぉ~っ!(泣)

 松雪サンは残された継美チャンのノートを見て、「あの子が心配しているのは自分のことじゃなかった…私のことだったんだ」 と気付きます。
 「ウソしか言えないの! あの子はウソでしか、ホントのことが言えないの!」
 婦人警官に手を引かれている継美チャンを発見し、松雪サンは何の躊躇もなく、継美チャンの名前を呼ぶのです。
 警察がいようが関係ないくらい、松雪サンの母性が巨大になっている瞬間を見た気がしました。
 名前を呼ばれてもなかなか返事をしない継美チャン。 きっと本当は、「知らない人」 と答える選択肢も、あったはずです。 そうすれば、松雪サンは誘拐犯にならずに済む。
 しかし不審に思った婦人警官は、松雪サンのほうに向かって歩いていく。
 このとき継美チャンは、松雪サンが捕まってしまう、と本能的に思ったに違いないのです。 「おかあさぁん!」 と叫んで、尋問をされるより先に松雪サンの胸に飛び込む、継美チャン。 この継美チャンの微妙な心の移ろいは、とても見事でした。

 ただこれで、松雪サンが誘拐犯という肩書から逃れる機会は、失われてしまったわけですが。

 その後松雪サンは高畑淳子サンから、養子縁組を解消する書類を受け取り、それにサインをするのですが、このシーンも倉科カナチャンをはじめとした熱演が光るシーンでした。 一見冷たいようにも思える展開ですが、鈴原家みんなが断腸の思いでこの決断をするしかない、というところが描かれていて、よかったです。

 それにしても、どうも山本サンは尾野サンと接触するみたいだし、田中裕子サンは松雪サンたちをかくまうようだし、ホントにこのドラマ、先の展開が読めません。

当ブログ 「Mother」 に関するほかの記事
第1-2回 主人公が、暗いですね… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/mother-1-2-447a.html
第3-4回 同じテーマのドラマ 「八日目の蝉」 との相違点http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-3-4-34fe.html
第5回 母と娘の距離感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-5-bc26.html
第7回 うっかりさんの裏の顔http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-7-344a.html
第8回 泣いてもいいんだよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-8-8615.html
第9回 母の手のぬくもりをhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-9-d640.html
第10回 優しさがつき動かすものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-10-db64.html

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2010年5月19日 (水)

「離婚同居」 第1回 意外と楽しめます、コレ

 NHKのドラマ10は、前回の 「八日目の蝉」 と打って変わって、阿部サダヲサン主演のコメディドラマ。 ドラマ10が、「八日目」 の路線で統一する、というものではないことが、これで分かるのですが、ちょっと 「八日目」 を見ていた身としては、もっとこの手の番組を見たかった、という気持ちも、しないではなかったです。

 そのために別に見ようとは思ってなくて、リアルタイムでも見なかったのですが、HDDレコーダーの自動録画が生きていて(笑)、勝手に録られていたんですよ(笑)。
 で、なんだ録ってあったのか、と思いつつ、試しに最初の5分くらい見てみるか、と思って見たのですが、これがなかなか面白い(笑)。 とうとう、最後まで見てしまいました。

 阿部サダヲサンと言えば、ブッ飛びキャラばかりが印象的な役者サン。
 今回のドラマもそのキャラ全開。 彼の一挙一動に、笑わされてばかりの展開が続きます。 だいたい阿部サンの役名からして、かなり笑える。 小中大(笑)。 しょうちゅうだい、ではなく、こなか・だい(笑)。

 ただ、NHKのコメディドラマというのは、いかにも頭がいい人が狙ったっぽい話が多い。
 私がこのドラマを最初敬遠したのも、その原因が大きかったのですが、今回はそれを感じさせませんでした。

 それはひとえに、阿部サダヲサンの頑張りが、スベらないように持っていく、演出の妙にあると思うのです。

 NHKのコメディドラマが滑る原因として私が常々考えているのは、出演者全員がそのドラマをコメディにしようと思って頑張ってしまうところ。 これはなんですかねー、「お笑いオンステージ」 以来のNHKの伝統、というか(古っ!)。
 ところが、今回のドラマは、東幹久サン演じる阿部サダヲサンの友人が、ちょっとワザトラシイ程度で、阿部サダヲサン以外の役者サンが、総じてマジメに演じている。 だから阿部サダヲサンだけが、突出して可笑しい。 その笑いがスラップスティックであるがゆえに、周囲のマジメな反応が、また笑えるものになってくる。

 要するに、阿部サダヲサンのブッ飛びぶりに、みんなシラケているんですよ、構造的に(笑)。

 これって阿部サンのキャラの面白さを最大限に引き出すワザなんじゃないでしょうかね。

 ドラマの内容なんですが、カメラマンの阿部サンが、一夜の過ちの浮気を奥サンの佐藤江梨子サンにとがめられ、離婚届を突きつけられるのですが、実家に帰った佐藤サンも居場所がなく、結局娘と共に阿部サンのもとに帰ってくる。
 ところが、佐藤サンには阿部サンとよりを戻すつもりが全くなく、ただの同居人として、同じ家に阿部サンと住むこととなるのです。

 このドラマがコメディ一辺倒ではなく、ちょっと侮れないな、と感じたのは、次の部分でした。

 阿部サンは妻から突き出された離婚届を保留扱いにして(いったん役所に出しに行って、結局やめるところは、笑えましたー)、ふたりが出会ったきっかけとなった写真のパネルの裏に、離婚同居後もそっと隠していたのですが、私は結局、これはそのままにしておいて、いろいろあった末にまた信頼関係が回復して、実はまだ、離婚届出してなかったんだよ…みたいなラストになるのか、と考えていたんですよ(それもベタな話ですが…笑)。
 そしたらですね。
 遺影写真のカスタマーだった加藤治子サンから、加藤サンの熟年離婚の原因を聞いた阿部サンが、思い立って、役所にその離婚届を、提出してしまうんですよ。
 えっ、出しちゃうんだ、と思った瞬間、このドラマは予定調和には終わらない、という予感がしました。 この場面を見たとき、最後までこのドラマを見てみたい、と本当に感じました。

 阿部サンはこのシーンの前に、キャバクラで働くようになった佐藤サンから、「大チャン、私のこと認めてない。 私の全部、認めてる?」 と詰問され、「認めるったって、どっからどこまでだか、分からないし…」 としどろもどろになってしまうのですが、コレって結構、当たり前の反応ですよね。 ただ佐藤サンとの最初の出会いは、彼女がモデルとして光り輝いているときだった。 そのこと思い出した阿部サンはパネルの裏に隠してあった離婚届に、手を伸ばすのです。

 それでもその時点で、阿部サンはまだ踏ん切りがついていない。
 そんなとき、加藤サンから、彼女の離婚の原因を聞くんですよ。

 「あの人ね、私のこと、空気みたいな存在だって言っていたの。 見えないけど、いなけりゃ死んじゃうって。 褒め言葉のつもりだったんでしょうけど、あたしは、空気なんてイヤなんです。 どうせなら、チリやホコリのほうがまだまし。 光を浴びれば、ちゃあーんと、目に見えますからね」

 これって、奥の深い言葉ですよね。

 一緒にいることが当たり前、というのは、男にとってみれば、パートナーに対する最大限の賛辞のつもりなんですよね。 おまえがいなけりゃ困る。 おまえなしで、どうやって生きていけばいいんだ、ということと同義ですから。
 でも本当は、そんな消極的な褒め言葉より、おまえがいるからこそおれの人生は幸せなのだ、という、妻のがんばりに対する目に見える賛辞というものが、妻は欲しいのだと感じます。 リアルが欲しいのだと。
 加藤サンの場合、それはチリやホコリであってもいい、ということですよね。 チリやホコリでもいいなんて、いかにも昔の女性らしい、つつましささえ感じるのですが。

 いずれにせよこの言葉で、阿部サンは離婚届を提出することを決意するのです。 それは阿部サンが佐藤サンを、ひとりの女性としてちゃんと見つめていこうとする、決意表明だった気がします。

 なかなか、奥が深いじゃないですかー、このドラマ。
 来週からは、ちゃんと見てみようと思います。

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2010年5月18日 (火)

「月の恋人」「龍馬伝」「チェイス」 ドラマ批判の原理

「月の恋人」 に対する世間の目

 木村拓哉クンが主演のフジテレビ月9ドラマ、「月の恋人~Moon Lovers~」、初回視聴率がよかったわりには、ネットでの評判が、すこぶる悪いようです。

 木村クンのドラマで常々批判されるのは、彼が何を演じても、キムタクになってしまう、という点に収束されている感じがします。 やじ馬程度の興味の人にとって、キムタクというのは昔からモテモテで、しかも態度があまりいいとは言えない、印象的にはあまり良くないと考える向きが、多いのではないでしょうか。

 しかも、もう彼も、40前の年齢になってきました。 もうじゅうぶん大人と言っていいのに、彼はいつまでもそのキムタクというガキっぽいスタイルを変えない頑固なところがある。 それは一部の人にとっては、彼が演技力の向上を拒んでいるように、見えるのだと思います。

 ただ以前にも書いたような気はするのですが、私が見ていて、木村拓哉という人は、自ら進んで、一貫してキムタクであり続けようとしている、そういうように思えるのです。 もちろん、演技力云々は別の問題として、ですよ。
 彼が目指しているのは、松田優作サンとか、高倉健サンのような気がする。

 失礼を承知で言わせていただけれは、このお二方とも、そんなに演技の幅があるような役者じゃ、ないですよね。 松田優作サンは、どんな役をやっても松田優作サンでしたし(「家族ゲーム」 みたいなパターンもありましたけど)、健サンは、健サンなんだよな~、どんな役でも。
 そりゃこのお二方の演技力に比べたら、木村クンの演技なんぞ、まだまだという気もします。 このお二方は、その凄まじい演技力によって、それを可能にしているわけですから。

 まあでも、今から20年後、木村クンがこのスタイルを貫き通したら、いったいどんな役者になっているのか、考えてみるのは結構面白い。 演技力のなさが致命傷になって、消えているかもしれませんが、もし彼がいい作品にめぐり逢えたら、「キムタクしか演じられない役者」 は、大化けロンバケ(笑)する可能性が、ないとも、言いきれない気がするのです。

 ただ今回の 「月の恋人」 は、1回目を見ただけで私はリタイアしましたが、こんなこといつまでもやってたら、そのうち完全に見放されるかも、という感じも、んー、しなかったわけではないです。 全部最後まで見ていない人間が、こういうことを言うのは大変僭越なのですけど。

 第1回目だけ見た感想を述べさせていただければ、いちばん気になったのは、役者がみんな、バラバラの演技をしている、という点でした。 一緒にドラマを作り上げていこう、という、一体感に欠ける、というか。 冒頭で川平サンだったかな?社長の木村クンに一方的に暇を言い渡されてブチ切れしているシーンがありましたが、なんだかドラマ自体が、これと同じ雰囲気に支配されているギスギス感がある。 木村クンの前作、「Mr.BRAIN」 では、ドラマ全体に、オールスターキャストで面白いものをつくろう!という一体感がありました。

 話的にも、「八日目の蝉」 の浅野妙子サンが脚本(のひとり)だったので、見ようって気になったのでしたが。 んー、ですかね(なんだソレ)。

「龍馬伝」 批判の構造

 ドラマを批判するうえで最も大きなファクターとなるのが、実はこの 「話が面白いかどうか」 にかかっているわけなのですが、その点で、「龍馬伝」 を批判する人たちの傾向を見てみると、ちょっと興味深いものがあります。

 個人的には、「龍馬伝」 はドラマとして、比較的完成されている部類の話に入る、と思っています。
 このドラマを批判する人たちの傾向を見ていると、福山雅治サンの演技に対して、とやかく言う向きも、確かにあります。 それは先のキムタク批判と、相通じている部分がある。 人気がある、いい男だから、という理由だけで採用されたりする、実力とは関係ない部分で評価されることの理不尽さを、この人たちは問題にしている。 確かにその通りです。

 ただ以前このブログでも書いたことがあるのですが、私はそれは、社会の仕組みとして、ある程度仕方のないことなのだ、と思うんですよ。 コネで会社に入ったり、実力もないのに大抜擢されたり、仕事もしないのに大量に給料をもらっていたり。 実力ですべてが決まる世の中ならば、こんなにいいことはないんですけどね。 このブログの世界だって、なんでこんなのがランキングの上位にいるのだ?みたいなブログ、いっぱいありますよ(あっ、言っちゃった…スミマセン…)。 この世の中、実力がすべてでは、ないんですよ…。 でもまあ、そんなのを羨んでいても、仕方がない。

 それにも増して、「龍馬伝」 に文句を言っている人たちの理屈でいちばん説得力があるのは、「一部の人物に対する作り手の敬愛の情がない」、ということでしょうか。 つまり、善悪の構造を安易に決め、ワルモノ側の人物を徹底して憎ったらしく見せる、という手法に関してです。

 実はこの手法、昨年とても評判が悪かった 「天地人」 と同じなんですよね。

 特に歴史上の人物に対しては、そのひとりひとりに思い入れのある人たちが、結構いるものです。 その歴史上の人物たちを憎ったらしく造形する、というのは、その人たちの思い入れを踏みにじる、という点で、あまり感心できる手法ではないことは、確かなのです。

 けれども単純に善悪の構造を決めるということが、物語を面白くする、という一面も、見逃してはならない一面かと思います。 「三国志」「忠臣蔵」 ですね。
 今年の大河は、結構その歴史的な改変が、功を奏している気がします。
 「天地人」 と、何が違うのかなぁ?
 たぶん人物ひとりひとりに対する掘り下げが深いとか、肝心な部分をちゃんと描写している点とか、でしょうかね。 「天地人」 は、ずいぶんナレーションでスッ飛ばされた重要な部分があった気がします。 「龍馬伝」 は、論点の絞り込みが、とてもすっきりしていると思うんですよ。

 そんなわけで、いつもある大河批判の 「史実と違う」 という点も、「これは事実をもとにしたフィクションです」 みたいに考えればいいのかなー、という気はします。 だいたい史実と違う、なんて、歴史なんか、勝者の見栄張りみたいな部分も、ありますしね~。 それに実際にその人を、見たわけじゃないし。 評判が良くても会ってみたら散々だった、とか、評判は悪いけれど会ってみたらいい人だった、なんてこと、結構世の中、ありますからね~。

 話がいくら面白くても、武市先生をこんなふうに描くのは許せん!とか、なんだこの憎たらしいだけの容堂公とか後藤象二郎は!とか、「こうでなくてはならない」 という人たちにとって不本意なドラマ展開、というのは、大いに批判の対象たりうるのです。

「チェイス」 を批判する人も、います

 「チェイス~国税査察官~」、私はこのドラマに結構ハマっておりますが、それでもまあ、「ハゲタカ」 とかなんかに比べると、レベルは少しばかり下かな、という感じはしております。 でもじゅうぶん、傑作と呼べるのではないでしょうか。

 ところがこのドラマにも、難癖をつける人は、いるんですよね。

 その人たちの言い分は、こうです。

 「国税局を取り扱うのならば、もっといろいろ面白いことがあるはずだ。 私が見たいのは、こんなドラマではない」 という意見ですね。
 これは先ほどの、歴史上の人物に対して思い入れのある人たちが考える理屈と、共通している気がします。

 「チェイス」 を批判する人たちの念頭にあるのは、ひょっとすると伊丹十三監督の 「マルサの女」 なのかもしれません。 その人たちが国税査察局のドラマに期待するのは、税金をめぐる庶民たちのやるせない生きざまであったり、さらなる巨悪に挑む査察官の姿であったりしたはずです(断定してますけど)。

 つまり、「こうでなくてはならない」 という気持ちに、これらのドラマは反している。 この構造において、これらの批判の動機は共通しているのです。

 期待することと失望すること、その間には、「こうでなくてはならない」 という気持ちが、横たわっている。 そして 「裏切られた」 と思う時、人はそのドラマに対する批判を強めていく。

 この3つのドラマに対する批判をネットで読んでいて、その傾向について興味を持ったので、私が感じたことを、ちょっと書いてみました。 その批判についてどうのこうのと言う記事ではございませんので、あしからずご了承ください。

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2010年5月16日 (日)

「龍馬伝」 第20回 ものの見方で軽くなる命

 平井収二郎(宮迫博之サン)の運命を描いた今回の 「龍馬伝」、一方的に情緒過多の方向に傾いて、いかにもお涙頂戴の回になると思いきや、意外に全体的には軽い笑いの多い回だった気がします。

 それだけに、収二郎と武市(大森南朋サン)との最後の別れシーンでは悲劇性が強調されて、私も大いに泣かせていただいたのですが。
 その感動的シーンの直後、いきなり画面が龍馬(福山雅治サン)と兄権平(杉本哲太サン)とのコミカル気味な再会シーンになってしまって。
 このまま収二郎の切腹シーンまで息つく間もなく見せてほしいこちらの思惑の、完全に裏をかいた格好。

 けれども作り手の、そのはぐらかし気味の展開には、ちゃんと意味があった気がするのです。

 そのキーワードは、勝麟太郎(武田鉄矢サン)が今回序盤で龍馬に諭した言葉に集約されます。

 「まあ、つまりは、物事ってのはよ、こっちから見るのと、こっちから見るのじゃ、まるで違ったもんになっちまう、ってことさ」

 平井収二郎のしたことは、一面では攘夷の思想をまっとうし、武市を最後までかばい通し、忠義を貫いた、という、評価されるべきものがあるのにもかかわらず、一方では藩主に対する重大な裏切り行為をした人間だ、と断じられてしまう。 ものの見方によってすっかり評価が変わってしまうことの理不尽さ、恐ろしさを、勝のこの言葉はとても象徴的に表している気がするのです。

 勝麟太郎の説によると、「日本はバラバラだ」 という。
 ものの見方が違う人間だらけ、と言ってもいいでしょう。
 当時の日本の仕組みを、将軍、天皇、藩主、という分散した権力構成ととらえ、それぞれが勝手なことをやり、長州が外国に負けたのを幕府が喜んでいるのを例に挙げて、互いに足の引っ張り合いをしている、と見なす。

 それは一面では、了見の狭い島国根性とも呼べる精神風土です。

 けれどもそれが、強大な権力でまとまっている国とは違って、中心人物を倒しても、簡単に総崩れにならない強みというものを持っている。

 これも、ものの見方を変えれば、正反対に見えてくるものがある、という好例なのではないでしょうか。

 平井収二郎の切腹をいたずらに悲劇的にもっていこうとしないもうひとつの要因は、龍馬が福井藩主の松平春嶽(夏八木勲サン)のもとに出向いた時に出会った、熊本藩からヘッドハンティングしたという、横井小楠(山崎一サン)のセリフにあるような気がします。

 「時代が変われば、人の考えも、ものの値打も、当然変わるたい。 では、物事には違う見え方のあるち分っとって、平井収二郎の投獄されたことば(龍馬が)納得できんちゅうとは、…おかしな話たい。
 今まで値打ちのあったもんば、古びて用無しになったっちだけのことたい。 世の流れば、作っとるとは、人間ばってん、世の中の流れから見れば、ひとりの人間など、けし粒ほどのもんでしかなか。 …平井収二郎も……武市半平太も」

 この勝麟太郎と、横井小楠のシーンがなければ、今回の 「龍馬伝」 はもっとメロドラマチック(笑)になったでしょう。
 このシーンがあったことで、吉田東洋を殺された恨み爆発の後藤象二郎(青木崇高サン)にいたぶられ続けた収二郎が、ものの見方によっては 「切腹も当然」 いう解釈の仕方も成り立つ、そんな世の人のこころのうつろいやすさ、というものを感じさせる、奥深い結末に昇華した気がするのです。 この説明、分かりにくいかな。

 それでも龍馬は、横井小楠の吐き捨てた、「人間などけし粒同然」 という言葉には、本能的に反発したくて仕方がない。
 収二郎の妹、加尾(広末涼子チャン)が送ってきた手紙には、「間違うたことをしておらんがやったら、兄上は、どういて切腹させられたがですろう」 と書き綴られています。
 龍馬はその加尾の問いに、うめくように、こう絞り出すしかない。

 「その通りじゃ…その通りじゃ、加尾…!…こんな理不尽が、まかり通ってえいがか…!…人の命とは…人の命ゆうがは、そんなもんながか…!……あああああーーっ…!」

 この回ずっと、どちらかと言えば軽いノリに終始したような龍馬が、ここで魂を吐き出すような怒りの叫びをあげることで、ひとりの人間の命を軽んずる、世の中の 「ものの見方の違いに端を発した暴力」 というものに対して、強い抗議を表明したシーンのように、思えました。

 …これ、なんか、分かりにくい解説かなあ。

 今の世の中にも言えることなのですが、どうも我々には、ものの考えが違う人たちに対して、必要以上に攻撃を加え、完膚なきまでに相手の論理を粉砕しないと気が済まない傾向が、あるような気がするのです。

 平井収二郎の切腹も、山内容堂(近藤正臣サン)が、土佐勤王党を自分への忠義で行動しているとは見なさず、東洋を殺した、気に食わないから死ね、というような感じですよね。 後藤象二郎は相変わらず、悪魔キャラでゲハゲハ笑いながら収二郎をいたぶってるし。 この一方的なワルモノ描写には、眉をひそめる視聴者も、確かにおられるのですが。

 でもそれはそれとして、この容堂公と後藤象二郎の極端な傾向って、相手をなんとかして引きずり降ろしたい、メタクソにけなさないと気が済まない、そんな現代の風潮と、どこかしら似ていないかな?…そういうことを、私は考えたわけです。

 平井収二郎は、容堂公から切腹を命じられたことで、なんとか自らの面目を保っている。

 それは、切腹という仕置きが、当時の武家社会においてはかなりレベルの高い始末のつけ方だったからです。 収二郎も、「切腹は、武士の誉れだ」 と言ってましたよね。

 でもこれって、あの時代の価値観なのだから仕方がない、という見方も出来ますが、やはり人がひとり死ぬ、ということは、まわりの家族にも大きな心理的、あるいは経済的負担を強いる点においては、いつの時代も変わらぬ重大事なのだ、という気は、するのです。

 このドラマにおいては、龍馬がその普遍の価値観(「人の命は、いずれも大事だ」、ということ)に大きく突き動かされながら、生きている。

 このドラマの中での龍馬が、日頃結構チャラチャラしているように見えるのは、龍馬の争いごとを好まない性格によるものが大きい気がします。
 それは、彼が人間そのものを好きだからです。
 だからいつも人なつっこいし(悪く言えば馴れ馴れしい…笑)、見苦しかろうがなんだろうが、人のために全力で何かをしようとする。

 だからこそ龍馬にとっては、収二郎の死が、納得ならない話なのです。

 それにしても、収二郎を演じた、宮迫博之サンの演技には、ただただ脱帽します。
 結構この人、コメディアンを逸脱した演技者ですよね。
 「龍馬伝」 では、加尾に京都行きを土下座して頼んだ回以外、特に目立った出番はなかった気がしますが、冒頭にも書いたとおり、武市との最後のシーンでは、涙ダバダバでした(笑)。

 そして今回、久々の 「弥太郎伝」 。

 地震による家屋倒壊の復興需要を当て込んで買いつけた材木を、まーだ売り歩いている、弥太郎殿(香川照之サン)。
 実はここでも、「ものの見方によってまるで違ったものになっちまう」 ことに言及しています。 「人によってモノの価値観が変わる」、という、弥太郎が牢屋で老人から聞いた、あの話です。
 今回こんな部分にまで、冒頭の勝麟太郎のセリフが反映されるとは、思いませんでした。 実に大した話の構成であります。

 しかしながら私が書きたいのは、喜勢(マイコサン)がどうして弥太郎の所へ嫁に来たのか、というかねてからの疑問に答えた部分(笑)。

 …(笑)、と書いてしまいましたが、なんとその理由が、クソまみれの男が目の前に現れたら、その人があなたの結婚相手です!という占いをされていたからだった、というではありませんか!
 …笑うしか、ありません。
 やがて明らかになる、なんて番組HPに思わせぶりに書いてあったので、どんだけすごい理由なのだろう、と思っておったのですが(笑)。

 いずれにせよ、今回の感想文、実に分かりにくい話で、申し訳ありませんでした。 私も武市と収二郎のシーンを、かなり克明にレビューしようと思ったんですが、単純なお涙頂戴という作りになっていなかったことを書きたくて、結局その部分、バッサリカットしてしまいました。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html
♯12武市の心理、執拗にやってますねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/12-2a95.html
♯13大友サン演出は、一味違うhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/13-e7ca.html
♯14進む龍馬の空洞化http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/14-ef4d.html
♯15龍馬の人物像が、ちっくと見えてきたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/15-b072.html
♯16日本人じゃあぁーっ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/16-5e1f.html
♯17試合という名のラブシーンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/17-6ae8.html
♯18武市の転落ぶり、凍りつきましたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/18-77bb.html
♯19 5月10日って…明日?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/19-510-e7ac.html

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ザ・ビートルズBOX USBメモリを、買ってしまった…

 うう、買ってしまいました、「ザ・ビートルズUSB BOX」。

 白状しますと、去年のリマスター盤発売の時、モノ・ボックスを買っただけで、ステレオ・ボックスはそのうち買える、気長にお金をためて買おう、などと思っておったのですが、なんとなくほかの出費はかさむし、やおら不景気になってくるし、ステレオ・ボックスの購入は先延ばし先延ばしに、なっておったのです。

 そのうちにステレオ・ボックスのUSBなどという、超反則商品が出てきたため(笑)、私の興味はそっちのほうに移りまして。

 このUSB、要するにCDのリマスターをいくらしようとも、CDというメディアなんかよりも、はるかに音がいい、というんですよ。 CDについては知識があまりないのですが、SHIM-CDとか、いわゆる音のいいCDよりも、いいってことなんですかね?

 いずれにしろ、USBというのは、現在の技術で聴くことのできる、最高の音質らしいのです。 ああ~どんなんだろ? 聴きてえ~っ、という感じになってきて。

 しかし、いかんせん、値段が…(笑)。
 38,740円もするっていうじゃないですか。
 ビンボー人には、勘弁してもらいたい金額であります(笑)。

 で、すっぱりあきらめとったのですが、先日アマゾンショップを覗いておったら、なんか新品が19,830円で売っているんですよ。 要するに、ほぼ半額。
 限定生産品なのに、このダンピングは何なのだ?と思いながら、ひょっとしてこれは、千載一遇のチャンスなのではなかろーか?と、頭の中はぐるぐる回る(笑)。(追記:その後アマゾンを再び覗いたのですが、5月17日現在、33,333円と、それでも安売りなのですが、大きく値を戻しております。 どういうシステムなのかしらん?)(再追記:その後また、元の値段の38,740円に戻しました。 結局すごいグッドタイミングだったみたいです、私の場合)

 躊躇した主な原因は、なにしろ、USBということは、あのちっこい差し込みみたいなヤツにビートルズのオリジナル音源が丸々入っている、ということだから、限りなく 「買い甲斐」 がない、ということに尽きます(笑)。
 ジャケットがない、というのは、ことビートルズに関しては、あまりにもマイナス材料なのです。
 なぜなら、ビートルズは、そのジャケットに至るまで、芸術品クラスだから。

 ただよくよく考えてみれば、CDのパッケージ自体が、すでにチャッチイ(笑)。
 幾度かこのブログでも述べてきたんですが、LPレコードを買ってきた私のような人間にとってしてみると、CDというのは、LPのミニチュア版に思えて仕方がないのです。 巷で流行の、紙ジャケ帯つき、なんていうのも、なんかフィギュアを愛でているような変な感覚がする(笑)。
 まあ、モノ・ボックスで、最後の3枚だけは別として、すでにCDジャケットを揃えちゃっている、と考えると、もはやジャケットにこだわる必要性も、ないように思えてきた(笑)。 オリジナルLP全部持っているからもうパッケージングは、いいだろう、そう考えたのです。

 丸々1日悩んだ結果、新品で半額なんだから買おう!と、一大決心(笑)。

 で、それが届きまして。

 実際箱を開けてみると、想像していた通り、これがまた、実に小さい(笑)。

 CD版のステレオ・ボックスを思わせる黒い箱、という点では同じなのですが、そのサイズが、まるでブランド物の時計が入った箱のような大きさ。 7センチ四方の正方形に、高さが5センチ程度(目測です)。 重箱のように上下にパカッと開くような形状になっています。

 そこに入っていたのは、高さ5センチにも満たないと思われる、アルミ?でできた、青いリンゴ。 THE BEATLESのおなじみのロゴが、そのリンゴに彫られています。
 重いのかな、と思ったけれど、小さいせいか、重みは感じませんね。

 箱の中には黒いウレタンが球形にくり抜かれていて、そこにリンゴがスポッと入っているような感じ。
 そのリンゴのヘタの部分が、USBになっています。 いや、USBだから当然ですが、小さい(笑)。 こんな小さい差し込みの中に、ビートルズのオリジナル曲が、全部入っているんですからね。 オッサンは、驚くしかないです(笑)。

 これのほかに、箱の中に入っていたのは、2つ折りの、英語で書かれた簡単な説明書。
 そして、高級お菓子の上に敷いてあるような半透明の用紙に、さっきと同じロゴがナナメになって模様のように印刷された紙。 それと日本語で書かれた、小さな紙切れ。

 実に、実に、あっけない。
 拍子抜けするくらいに、シンプルこの上ない作りです。
 もし元の値段、38,740円で買ったなら、たぶんフザケンナ、みたいになったような気がします。 もっと色気のある、いや違うか(笑)、これだけお金を出したんだからと思えるような、豪華な作りになっているのかと思ったんですけど。
 逆に言えば、それだけのお金を出しただけ、重厚な造り、とは言えるでしょう。 特にリンゴの置物は、それなりに金がかかってるのかなー、なんて漠然と考えたりします。

 どっちにしろ、ほぼ半額で買ったのですから、別にどうでもいいのですが(笑)。

 早速PCに接続し、インストールされるまでじっと待つこと数分。

 アドビのReader9かな?出てきた表示をクリックすると、画面が真っ白け。 ワケが分からないまま、いろいろアッチャコッチャ動かしているうちに、出ました出ました、起動画面が。

 MUSIC、VIDEO、ARTWORKという項目が、青リンゴのビートルズロゴをバックにして出てきて。 14組のアルバムが画面下に1列に並んでいて、それぞれ、カーソルをそこに移動すると、大きくズームアップする。

 ARTWORKをクリックすると、英語版のブックレットがそのまま、画面に現れます。 表裏のジャケット写真も同様。

 VIDEOは要するに、5分間だかの、ミニ・ドキュメンタリー。 国内版にもかかわらず、日本語字幕が付いておりません。 先のブックレットにしても同様。 歌詞、訳詞、日本語ライナーノーツ、すべて、ないです(「サージェント・ペパーズ」「ホワイト・アルバム」「マジカル…A面」の英語詞は除く)。 まあ歌詞カードなんて、私にとっては不要なんですが、いかにも不親切だ…。
 しかもミニ・ドキュメンタリーの画面サイズは、いわゆる昔のYou Tube並みの大きさ。 フルスクリーン互換も出来ますが、フルスクリーンで見ると、アラが結構目立ちます。

 そして肝心の、MUSIC。

 これまでモノ・ボックスに入ってなかった3枚のアルバム、「イエロー・サブマリン」「アビイ・ロード」「レット・イット・ビー」 を中心に初日のところは聴いたのですが、や、これに関しては、文句のつけどころがない、と言いますか。

 もともと私、あまりいい耳を持っているわけでもないので、音質についてどうのこうのと取り沙汰できるほどの能力はないのですが、特にアルバム 「レット・イット・ビー」 に関しては、ちょっとブッ飛びました。
 フィル・スペクターが挿入したオーケストレーションが、なかなかみずみずしいんですよ。
 まさしく、モヤが取れたような感じ。 これは、いいです、はっきり言って。
 それと、特にルーフトップで行なわれたものを収録したバージョンで、ジョンやポールがマイクにくっついてるとか離れてるとか、マイクとの距離感が、すごくよく分かる。 ちょっとこれには、クラクラしました。

 で、オーケストラがいい、と感じたために、「イエロー・サブマリン」 のB面、ジョージ・マーティンアレンジのオーケストラを聴いたんですが、これがまた、レコードで聴いていたよりも、格段にいい。
 これは、今後ビートルズ研究の、ひとつの新たな分野になりそうな、そんな感覚さえ持ちました。 「ウォルラス」 とか 「ストロベリー・フィールズ」 とかを手掛けてきたアレンジャーの、若き日の冒険の一端を見る気がするんですよ。

 まーたしばらくビートルズ漬けになってしまう気がしますが(笑)、いや、いつもそうですから(笑)。 それより、CCCDによって壊れた(?)CDデッキを直そうか、それともUSB端子付きのデッキを新たに買おうか(追記 : 現在発売されているUSB端子付きのデッキには、この24BitUSBを再生できる装置は、なんだかないようです…つよっち様、情報ありがとうございました!)、出費の悩みは尽きません(トホホ…ビンボー人から、これ以上金をむしり取らないでください)。

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2010年5月15日 (土)

「ゲゲゲの女房」 第7週 時代に流されていく人たち

 「ゲゲゲの女房」 第7週は、時代の流れに消え去っていくものたちに対する、作り手の大きなシンパシーを感じさせる話となりました。

 その前に、「墓場鬼太郎」 の好評を受けてのエピソードで一息つかせるのですが、この嵐の前の演出が、なかなかうまい。

 まず、自分の夫が貸本マンガ家であることを、こみち書房の面々に布美枝(松下奈緒サン)がようやく打ち明けるところ。

 どうして同じ貸本屋稼業なのに、さっさと言い出さないのか、という見方も出来るのですが、いったん言い出すきっかけを失ってしまうと、なかなか今さら話せるものではない。 言わなかったからこそ、ますます言い出しにくくなってくる。 そのこともよく描写されていた気がしますが、布美枝はそこで、茂(向井理クン)の頑張りをなんとか応援しようと、一念発起して 「夫のマンガです、よろしくお願いします!」 と頭を下げるのです。 その踏ん切りのつけ方が、心地よい。

 それと、自分が描いているマンガの登場人物と同じ顔をしながらそのマンガを茂が描いているのを、布美枝が思わず笑ってしまうというエピソード。

 よく分かるんだな~、コレ(笑)。

 確かちばてつやサンのマンガでも、ちばサンがマンガの中の人物と同じ表情をしながら描いてしまう、という話がありました。
 マンガというのは、普通の絵と違って、キャラクターにいろんな表情をさせなければならない。 マンガを描いた人なら 「分かる分かる」 という話なのです。

 夫婦の共同作業の中で、のんのんばあや登志(野際陽子サン)の昔話をふたりで語り合う、という場面も、なかなかよい。

 「目には見えんけど、ちゃんとおる」

 という茂のなにげない言葉に、布美枝は昔、茂と出会ったのではないか、と感じるのですが、その瞬間、布美枝の髪が、かすかに揺れるんですよ。 まるでその昔の風が、通り過ぎて行ったかのように。
 普通だったら、風もないのに髪が揺れるなんて、不自然に思えて仕方ないのですが、ふたりして妖怪やお化けの話をし続けたあとだから、それがちっとも不自然に思えない。 しかも結局、昔茂と布美枝が会ったのかどうかを、あいまいなままで済ませている。 なんとも粋だ。 どうにも参りますね、このドラマには。

 「鬼太郎」 の評判がよくなれば、何かと周囲の人の動きも、変化が起きてくるものです。
 さっそく浦木(杉浦太陽クン)が、大迷惑をかけたばかりというのに、しれっと登場(笑)。

 この浦木、普通に考えると、実に不愉快な人間なのですが、これが(ドラマ上では)「ねずみ男」 のモデルだった、と分かると、妙に憎めなくなる。 なんともその薄めさせ加減が、いいんですよ。 この浦木という人間を、こういうやつもいるんだよなあ、という目で見られるかどうかが、ドラマを見る側の人間性を試される尺度、という役割も果たしている。 いやいや、どこまで本気なんだ、このドラマ(笑)。

 実際のところ、大迷惑もかけるけれども、浦木は一方的に茂に迷惑ばかりかけているわけでもない。 持ってくる情報は、茂にとって悪い話ばかりなんですが(笑)。 知らなきゃならない悪い情報だったりするんですよ、それが。
 浦木の生き方は、たまたまうまくいかないだけで、「ええじゃないの。それが通れば、人生楽園よ!」 という思想に突き動かされている。
 ちゃんとうまくいくかという見極めは結構重要ですが、人生、たまたまうまくいくかうまくいかないか、という側面も、なんかあるような気がするんですよね。

 そして次に、茂の前に現れたのが、茂と昔組んでいた、紙芝居屋の杉浦音松(上條恒彦サン)。
 いきなりこみち書房の人たちや布美枝から、押し売りと間違えられるんですが、この押し売り…(笑)。
 私の子供時代にはあまり見かけませんでしたが、テレビやマンガの話には、よく登場していたもんです。 特に 「サザエさん」 とかドリフのコントとか。

 「鬼太郎」 を刊行している富田書房の景気も悪いらしく、村井家もすかんぴん状態なのですが、音松がやってきたのも、お金に困ったうえでの話。
 音松が村井宅を訪れた最初の夜、布美枝にちょっと披露する紙芝居の一節も、借金のカタにひどい目に遭う親子の話で、このドラマ、こうしたちょっとしたところにも神経が、相変わらず行き届いています。

 お互いにお金のないのを隠しながら、ちぐはぐなやりとりをする、茂と音松の喫茶店での会話は、笑いました。 音松が金を無心しようとして 「ケーキ」 とか 「カレー」 とか 「醤油」 と口にしてそのつどごまかしてしまう、というのも、可笑しいけれども、なぜか哀しい。 いい人なんですよ、要するに。 だからこそ、時代に取り残される、という側面も、確かにあるのですが。

 それにしても、茂と布美枝の妖怪談義から、音松と茂との昔話を通じて、「鬼太郎」 の作品的なバックグラウンドを、これでもかとばかり丁寧に描写する点は、やはりさすが。 なんであれもこれも、こんなに自然に話が運んでいけるのだろう。 ふー(タメ息)。

 「恐ろしいもんだぞ、ひとつの商売がダメになるというのは。 船と同じだ。 沈みだしたらあっという間で、逃げ遅れたらもろともに沈むしかない」

 茂が語る 「仕事の経済的な行き詰まり」 は、富田書房との縁を切ったことで、村井家にも襲いかかることになるのですが、ここでドラマを深刻に見せないための小道具として登場するのが、布美枝が庭先の掃除中に拾う、一枚の葉っぱ。
 この葉っぱ、ある時は赤字の家計簿の栞として使われ、「お金にならんかなあ」 と布美枝にぼやかれ(いったんもめんの、「ないない」 と言うリアクションには、笑いました)、茂の描いたキツネの絵に登場し、最後には、布美枝の(おそらく実家から持ってきたであろう)なけなしのお金を音松に捻出するための、ウチデの小槌みたいな役割を果たすのですが。

 布美枝の様子を見ていると、そんなトラの子を手放してしまって、いったい平気なのか、という気がしてくるほど、泰然自若としているように思えます。
 けれども、けっして深刻に陥ることのない物事のとらえ方、というのは、何にもまして、絶望に対する一番の特効薬のような気がする。 そこで亭主をなじったり、暗い気持ちになったりすることよりも、前向きに生きていこう、節約していこう、という態度のほうが、人生よほどいいように思えるのです。

 ただし、音松サンなんですが。

 最後に九州の炭鉱に行けばもうひと旗、などとおっしゃってましたが、炭鉱というのも、このあと急速に衰退の一途をたどる産業なのです。 つまりそこにも、幸せが待っているとは、決して言えない。

 そんなことを考えると、人間何か隆盛を極めているところのほうに流れていきたがりますが、実はそれって、とても危うい職業選択の方法なんだろうな、というのがしみじみと感じられるのです。

 そして今週、私が強く感じたのは、金がない人たちは、金があるほうへあるほうへと群がっていって、結局貧乏人同士って、足の引っ張り合いをしているにすぎないのかなー、なんてことでした。
 富田書房のうじきつよしサンだって、本当はあんな生き方を、望んでいないと思うのです。
 金がもうかれば、茂に原稿料を払う算段でいることは確かなのです。
 それができずに、茂の痛いところを突いて黙らせたりする。
 人を黙らせる、というのは、生きていくうえでとてもずるいことだけれども、それが世渡りのひとつの方法だったりします。
 例え屈服させても、金がなきゃ、どうしようもないんですけどね、この世の中。

 いやー、こんなふうに考えてると、ホントやんなってくるよなあ(笑)。
 だからこそ布美枝のおおらかさが、眩しかったりするのですが。
 布美枝のように大きく落ち込むことのない、大きなスケールで、生きていたいものです。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第08週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第09週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html

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「久米宏 ラジオなんですけど」 久米サン、小島アナについて語ること、多い気がします

 5月15日TBSラジオ 「久米宏 ラジオなんですけど」 オープニングトークで、久米サンが小島慶子アナについて、言及していました。
 なんだか久米サンが小島サンのことを語ることって、多いような気がするのですが、たまたまですかね。

 久米サン、今日の放送では、小島アナの冠番組、「キラキラ」 の名をあげながら、経費削減のために局アナを採用して爆発的に当たった例だ、と指摘し、「ラジオなんですけど」 の前任アシスタントを務めていた小島サンに対して、「自分も見る目がなかった~」 と話してましたので、ちょっと小島サンに対して、内心忸怩たる思いを持ってるのかなーと、感じましたです。

 久米サンの小島サンについての話は止まらず、「時事放談」 とか 「サンデースコープ」 とかで小島アナが画面の隅っこに追いやられていることに対し、「彼女は正面に据えたほうがいい。 なぜなら彼女は、正面から見た顔がいちばんいいから(笑)」 と冗談交じりで話していました。

 このことから分かるのは、久米サンが 「時事放談」 とか 「サンデースコープ」 に至るまで、かなり小島サンのヘビーフォロワーになっている、ということ。
 特に 「サンデースコープ」 は、確かBS-TBSの日曜夜8時、「龍馬伝」 のウラでやってるような超マイナーな位置に置かれている番組です。 さすがに私は、そこまで小島アナを、追っていません(笑)。

 それにしても、久米サンが小島アナの話を得々としているのを、現アシスタントの堀井美香アナは、どう思って聞いておるのでしょうか。

 と言うのもですね。

 なんか昨日(5月14日)の 「キラキラ」 オープニングで、名前は挙げなかったけれども、小島アナ、TBSの女子局アナを 「キレイな顔をした人食い鬼」 みたいにメタクソにけなしてたんですが、その女子アナのひとりが、どうも堀井美香アナっぽいんですよ(邪推です、はっきり言って…)。

 確か、6月いっぱいでTBSを退社する小島アナの送別会をやるかどうかで、小島アナの神経を逆なでさせるようなことを、しゃべったらしいんですよ、同僚の女子局アナ達が。 小島アナ、昨日、声震わせてイカリまくってましたけどね。

 まあ、TBSをやめるからこそ、同僚に対して歯に衣着せぬ言い方ができるんでしょうが、女子アナどうしの軋轢を図らずも暴露してしまった形でしたね。 それを一方的に自分の冠番組で語ることができる小島アナには、けなされる女子アナと比べて、圧倒的にアドバンテージがあるきらいはあるんですが。
 小島アナ、いったんブチ切れると、止まりませんからねー(笑)。

 ともあれその女子アナ、小島サンの同期だとか、言ってなかったかなー。
 となると、堀井美香アナが、該当するようなんですよ。

 んー、なんかどうでもいい話に、なってきましたね。 そんなことがあった、とだけ、ご報告させていただきます。

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2010年5月14日 (金)

「チェイス~国税査察官~」 第5回 黒い薔薇、赤い薔薇

 おことわり 当ブログ、基本的にほぼすべてネタバレなのですが(笑)、この記事に関しては、ドラマをご覧になってからお読みになったほうがよろしいかと思います。
 それと、ちょっと長くなってしまいました、この記事。 ドラマの内容、濃すぎなんですもん。

 三流新聞の情報屋から、村雲(ARATAサン)についての新たな情報を入手した春馬草輔(江口洋介サン)。 資料室で大昔の関西地方の新聞を、片っ端からすべてチェック。
 ウソォォ~っ(笑)。
 執念があるにも、ほどってものが…(笑)。
 しかもこれ、マイクロフィルムから見てる感じでした。
 マイクロフィルムって、昔のスパイ映画なんかには、よく出てきましたが…。 閲覧、大変そうです。 ゴクローサマです。

 だいたい、この時点で草輔には、村雲の本当の名前が、まだ分かっていない。
 澤村吉弥という少年が誘拐され、左腕を切断されたという記事にたどり着き、それと村雲との関係を結びつけるには、並大抵の嗅覚では、ピンと来るもんじゃないです。

 いっぽうの村雲。
 ボリビアでのリチウム電池工場の爆発事故によって一時的に株価を暴落させ、そのタイミングで檜山正道(中村嘉葎雄サン)の延命装置をストップさせ、外国籍の孫に遺産を相続させ、そして株価が戻った時に、また現金化する、というスキーム(税金逃れ)を着々と進行中。
 檜山の息子である基一(斎藤工サン)は、村雲を信用しきって、代表印も勝手に押しといて、みたいな感覚。

 イカンなあ~、基一クン。

 代表印というのは、会社の命みたいなものですよ。 いくら信用していても、他人にそれを渡すというのは、少なくとも自分の目の前で行なうべきだし、それがどう押されるかも、ちゃんと見守るべきなのです。 歌織(麻生久美子サン)にも 「代表印を人に任せっきりで、何が大丈夫なんだろう?」 と呆れられてます。
 女房を信用していたという事情も分かりますが、少なくとも6000億円にも上るスキームをしようってのに、他人に任せっきりというのは、あまりにもアホすぎました(笑)。

 でもこれは、見ようによっては、村雲の、檜山正道に対する復讐でありながら、同時に檜山基一に対する強烈な嘲り、という意味もある気がします。

 なぜなら、村雲は誘拐拉致された時、檜山基一が生まれたことによって、檜山正道から見放され、左腕を失っている。 前回檜山正道は、村雲のことを 「ボン」 と呼んでおりましたが、本当のボンボンは、基一だったわけですからね。
 そんな金持ちのボンボンがマヌケなのに付け込んで、大がかりな詐欺行為を働くのですから、そこには村雲の、基一に対しての悪意も、同時に強く感じるのです。

 けれども、歌織は村雲の、その大がかりな犯罪行為に、自分と村雲との子である光を巻き込むことに、罪の意識をもっと感じとってもらいたいと思っている。 でも村雲は、自分の子供をスキームのための道具としか、考えていない。 これって、結局自分の子供のために妾の子供を捨てた檜山正道と、同じ轍を踏んでいることに、ならないですかね?

 そしてスキーム決行直前。
 横たわる檜山正道の前で、ボリビアで事故が起こったら延命装置をはずせと村雲から言われ、基一クン、ポツリとつぶやく。

 「村雲サン…アンタ親父いる?」
 もし自分にオヤジがいたら、こんなこと出来るのか?という問いかけですね。
 それに対する村雲の返事は、あくまで冷たい。
 「いるよ」
 そ、目の前にね(笑)。
 なんとも皮肉、というか…いちいちシーンごとに、意味深。 視聴者の頭の回転を、強要してくる、というか。

 ついにスキーム実行当日。
 予定の時刻を過ぎても、ボリビアでの爆発事故が起こらない。
 結局7時間後、事故は起こるのですが、ここで村雲から、基一に連絡が入る。

 「(延命装置を)とめろ…!」
 それはつまり、「殺せ!」 と同義ですよね。 村雲は自分の檜山正道に対する復讐を、このとき完遂したのです。
 「お願いします…」 と医師に告げる基一。 自分の父親の命を、自分が終わらせるなんて、つらすぎです。 苦渋の色を浮かべる基一。 ボンクラでも、しっかり親子の情はあるんだというところを、斎藤工サンはよく演じていたと思います。

 復讐を成し遂げた村雲は、木彫りの黒いバラを、しっかりと握りしめる。
 自分の母親が内職で作っていたのも、バラだったのですが、誘拐された時に母親のために彫っていたのが、この木彫りのバラでした。 村雲にとっては、「餓死した」 と聞かされていた母親の、形見みたいなものだったのでしょう。
 このバラ、あとでとんでもない小道具に発展します(笑)。

 ところで、なぜ爆発事故が遅れたのか、というと、村雲の片腕ウォン(大浜直樹サン)が、現地でのマフィアとの取引に失敗したことが原因。 ウォンは追い詰められて、自ら死を選ぶのですが、ウォンと村雲のケータイでの最後のやり取りは、なんだか感動的でした。

 「ボク達、悪い友達…悪い、朋友(ポンユウ)…ポンユウ、分かる?」

 「ああ、…朋友だ…!」

 「ツァイチェン(さよなら)、ポンユウ…」

 口に銃口を突っ込むウォン。 銃声。
 ウォンの名前を叫び続ける村雲。 いったい村雲にとって、ウォンという男は、どれほどの大切な朋友だったのでしょうか。

 この株価の暴落で、一挙に大損をこいたのが、草輔の娘、鈴子(水野絵梨奈チャン)。
 情報屋との金銭授受が発覚して実質左遷となった草輔が家に戻って来た時、明かりもつけずに部屋にひとり、座っています。
 この鈴子、今まであまりにも憎たらしく振舞い続けていたので、ワタシ的には怒りが飽和状態(笑)。 いまさら反省したって感動なんか、してやるもんかと思っておったのですが(笑)。

 「お父さん…私もお母さん殺しちゃった…」

 ぽろぽろ涙を流す鈴子。
 つまり、鈴子にとって母親の保険金というのは、母親そのものだったんでしょうね。
 株価が上がって鈴子が喜んでいたのは、きっと母親と一緒になって喜んでいたつもりだったのではないでしょうか。 そう考えると、さすがにこっちも同情的になってくる。
 その後草輔と鈴子は、奈良にまで小旅行をするのですが、旅館で寝る前に交わした会話には、ちょっとグッときました。

 「お父さんと、お母さんの話がしたい…」

 「そうだな…お父さんも鈴子と、お母さんの話がしたい」

 「お母さん、飛行機落ちる時…何考えてたかな?…怖かったかなあ?…寂しかったかなあ?……家に帰りたったかなあ?…あれ以来、毎日ずっとそのことばっかり…そのことばっかり…」

 話しているうちに、大粒の涙があふれてくる鈴子。 草輔も、涙があふれてきます。
 そっと鈴子の手を握りしめる、草輔。 その手に顔を押しつけて泣く、鈴子。
 くそ~、あんなにナマイキな娘だったのに、こっちまで泣けてきたぞ。

 そして翌日、草輔は昨夜の鈴子のその疑問に、こう答えるのです。

 「たぶん…たぶんお母さん飛行機の中でこう思ってたんだと思う…『鈴子が一緒じゃなくてよかった』 って…」

 それを聞いて鈴子は、こう答えます。

 「お父さんが一緒でなくてよかった…」

 父娘の仲については、一件落着、と言いたいところですが、お母さんが鈴子の嫌いな野菜を食べさせようと、夜中にすりこぎで野菜をすりつぶしてカレーに混ぜていた、という草輔の話には、ちょっと引っかかる(笑)。
 フツー、おろし金とかじゃないですかね(笑)。 どーでもいいんですが(笑)。

 ところでこの奈良への小旅行、草輔にはもうひとつの目的があって。
 澤村吉弥(村雲)の誘拐事件のことをよく知る、現在は警察署長である谷山努(平田満サン)に、当時の詳しい話を聞くことです。
 この警察署長、農業もかたわらでやっているような、いかにものどかな感じだったのですが。

 吉弥クンが保護された時の平田サンの回想は、まさに戦慄の極みで。

 「私が、あの子の腕を拾いました…拾うてみたら、ぎゅうっと、こう、拳の形になっとるんです。 指を、開いてみたら、木彫りのバラの花を握っておりました…」

 澤村吉弥はその2年後、檜山正道の屋敷に泥棒に入り、そのまま施設に入れられたというのですが、それきり母親の澤村文子(りりィサン)の前から、姿を消した。 谷山署長は吉弥と檜山に、澤村文子が餓死をした、という手紙を出したそうなのですが。

 …これが、

 とんっでもないウソっぱちで!(笑)

 草輔と鈴子が泊まった旅館の女将によると、その谷山署長、誘拐事件の舞台となった産廃場の関係で袖の下をもらったらしいのですが、それが誰からのものなのかは今のところ分かりません。 檜山正道からだったとすれば、前回檜山が、村雲になにげなくしゃべった、「その妾は餓死をした」 という話が、実はウソだった、ということになる。 ことによると谷山署長が檜山を、ゆすったのかもしれない。

 それはいいとして、南紀白浜に、立派なお屋敷を、もっとったんですわ、その谷山署長。
 そこをたずねた草輔が見たものは、…赤いバラに水やりをする、澤村文子の姿!

 テレビドラマでこれほどまでに意外な展開は、なんか結構久しぶりに見た気がします。
 やられました、完全に。
 「えーっ、マジッ?」 とテレビを見ながら、大声出してしまいました(笑)。

 いっぽう、檜山基一をまんまとだまし、海外へ逃亡しようとする、村雲と歌織。

 空港ロビーに突然、「澤村吉弥さま、澤村文子さまがお呼びです」 という、村雲にとってはショッキングこの上ないアナウンスが入るのです。
 ううう、シビレまくります、この展開。
 村雲の前に現れたのは、草輔です。

 「もしよろしかったら、ちょっとお話しませんか?」

 立ち去ろうとする村雲、その義手のほうの手をぐっと掴む、草輔。

 「査察に拘束する権限はないはずだ」
 村雲のこの一言、完全に事情を察した模様です。

 草輔 「ようやく本音で話せるようになったな」

 「…ずいぶんと遅かったな」

 「ああ、俺はバカだ。 どうしてお前に気がつかなかった」

 「アンタに用はないよ」

 「お前になくても俺にあるんだ!」

 草輔は村雲に、お前の母親は生きていると告げるのですが、村雲は聞く耳を持たない。

 「オレの母親は死んだ。 オマエの妻も死んだ。 今は、ただの灰だ!」

 次回いよいよ最終回です。 はあ~、どうなるのかなあ。 語り手のあまりの見事さに、こちらはただただ嘆息するのみです。

当ブログ 「チェイス」 に関するほかの記事
第1回 江口サン、公僕の悲哀http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/1-a698.html
第2回 届かぬ父の思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-eecd.html
第3回 裏切りに揺れる心http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/3-77a7.html
第4回 ふたつの復讐http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/4-3809.html
第6回(最終回)別の人生への希望http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-785a.html

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2010年5月13日 (木)

どぉ~も、ツイッターの使い方が、分かりません…

 このブログ内に、片仮名の 「ヒ」 みたいなマークがつき始めて、なんだろうと思ったら、何かと話題のツイッターのマークらしくて。
 どんなものかと思って一応、登録はしてみたんですが、なんだかよく分かりません。 …いや、まったく分かりません(笑)。 「素直になれなくて」 の北川悦吏子サンを、笑ってもいられません(笑)。
 ためしに鳩山首相のつぶやきを覗いたら、それ以降、鳩チャンのつぶやきばっかりずらずら並んでるし。
 鳩チャンの話は、もういいっつーの!(笑)

 というわけで、この短い記事で、ツイッターみたいなマネを、いたしてみました(笑)。

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「Mother」 第5回 母と娘の距離感

 今回の 「Mother」。
 冒頭で田中裕子サンが自分を捨てた母親だということが分かって、それまでの態度を一転させた松雪泰子サンが、育ての親の高畑淳子サンにそのことを打ち明け、いっしょにパエリア?を作りながら、「この色きれい!」 みたいにしているシーンと、モノクロに近い薄汚い台所で、一人分の米をさびしそうに砥ぐ田中裕子サンの姿を立て続けに流します。 このコントラストは、見事です。

 ただ前回まで、見ていてどうにものめり込むことができなかったこのドラマ。
 その要因のひとつとなっていたのが、鈴原家の次女、酒井若菜チャンの 「甘えた大人ぶり」 と、前回ラストに見せた、山本耕史サンの 「ゆすり」。 特に後者は、面白くなってきたかなーと思った矢先のイヤな展開だったので、これでまた感情移入できない登場人物が増えた、と思っておったのですが。

 今週の話はそのわだかまりを、きれいに拭いとってくれました。
 まず酒井若菜チャン。
 それまで心室がひとつしかない赤ん坊をおなかに宿したにもかかわらず、悲しむでもなく嘆くでもなく、赤ん坊がモノみたいな感覚で、いかにもメンド臭そうにとっとと堕ろすみたいな態度に終始していたんですが。

 部屋で二人きりの夜、母親の高畑淳子サンから、「つらくないの?…ホントに、つらくないの?」 と訊かれ、「少しはネーっ(笑)」 とナマイキそうに答えながら、若菜チャンは次第に表情を悲しみで崩していくのです。

 「美容院に行ったばっかなのに、雨降っちゃったよぐらいの程度には…」
 そう言った途端、今まで押さえていたものが、急に胸からこみあげてしまったように、感極まって涙を流す、若菜チャン。 それを支えるようにして、抱きとめる、高畑サン。

 自分のおなかにいる子供は、いわば自分の分身みたいなものでしょうからね。 その子供に対して、一片の感情もないほうが、おかしいと言えます。
 それまでこの若菜チャン演じる鈴原芽衣は、母親としてそんな子供ができてしまったことへの絶望感や、申し訳なさや、腹立たしさがあふれかえりすぎて、その感情を一切遮断してしまったのでしょう。 おなかの中にいる子供を、そういう意味では、自分から一番遠い距離に置いてしまった、と言えます。

 ともあれこれで、私がこのドラマに対して持っていたよそよそしさの要因が、ひとつなくなりました。

 そしてもうひとつ、山本耕史サンが松雪泰子サンに仕掛けてきた 「ゆすり」 ですが、これも実は、山本サンが以前、自分が取材をしていた、虐待に遭っていた子供を救うことができなかった過去を背負っていることが明かされて、ちょっとほっとしたような感じ。

 「その子は…」 と訊く松雪サンに、山本サンは、こう答えます。

 「死んだよ…父親にハラ蹴られて、内臓……
 オレはさ、あいつのヒーローにはなってやれなかった…見殺しにしたんだよアンタと違って…
 今アンタが歩いている道は、オレの逃げた道なんだ…オレはその道の先にさ、何があるのか見てみたい…」

 ただ、だからと言って、依然として山本サンがなぜ金を欲しがったのか、という理由は明かされないままなので、油断はできません(笑)。 現にラストで、継美チャンのところにほんとうの母親の尾野真千子サンから電話が来るのも、山本サンが噛んでいる可能性が、非常に高い。

 ここで山本耕史サンに要求された金をいったんは出したのが、「うっかりさん」 の田中裕子サン。
 そのお金は田中サンが、松雪サンのために長年にわたって毎月1万円ずつためてきた、定期積立預金だったのです。
 受け取る義理はない、と松雪サンがそのカネをつっ返そうと、田中サンの家まで行って、かつて自分を捨てた母親をなじっていると、そこに高畑淳子サンがやってきます。
 高畑サン、いきなり田中サンを、すごい勢いでひっぱたく(笑)。
 実力派女優どうしの、息詰まる一瞬でした~(笑)。

 「そんなもので、そんなお金で母親になったつもり?! お金なんかで、あなたがこの子にした罪が消えると思ってんの?! こんなもので、あたしと奈緒の30年、壊さないで!」

 松雪サンは 「お母さん!もういいの!」 と高畑サンを止めるのですが、このやり取りの直前、具合が悪くなって倒れていた田中サンにとっては、体力的にも精神的にも、かなり気の毒な展開でした。 自分の目の前で、高畑サンのほうを 「お母さん」 と呼び、こちらは 「知らない人」 呼ばわりですからね。
 このやり取りを階下で聞いていたと思われる、田中サンの主治医らしき、市川実和子サン。 今後物語に絡んできそうな感じがしますが。 今はそっと、何事もなかったかのように、そこから立ち去る。

 それから、おでん屋で高畑サンと松雪サンは、母子の絆を確かめ合うのですが、「昔話を延々と語る」 というシーンって、このドラマのひとつの特徴のような気がします。
 実は昔こういうことがあった、と見ている側に打ち明けるような話の作りって、結構話を薄っぺらくしてしまう危険性があるのですが、このドラマは、真っ向からそれをやっている。
 ただ今回の高畑サンの、幼い松雪サンを施設から引き取ってからの東京タワーとかの話は、グッとくるところがありました。

 ただまあ、そこまでその時点で親子になろうと一生懸命だったのに、なんで未だに松雪サンが高畑サンに対してこれほどよそよそしいのか、という疑問はついて回るのですが(笑)。
 それも今回の田中サンひっぱたきの件で、だいぶこの母子の距離は、縮まったように思えるのです。

 それでやはりクローズアップされてしまうのが、田中サンの哀れぶりです。

 松雪サンも高畑サンも知る由がないのは分かりますが、ドラマでの田中サンの余命は半年程度。
 しかも田中サンは、松雪サンに対して、とても親身になって接している。
 わが子を捨てるというのも罪深い話だとは思いますが、捨てるには捨てるだけの、どうにもできない理由というものがあることを、松雪サンにも早く理解してもらいたいなあ、と思います。 その点で、松雪サンは田中サンに対して、適正な親子の距離を保っている、とは言い難い。

 継美チャン(=玲南)と連絡がとれた時の尾野真千子サンの表情を見ていると、尾野サンも、わが子との距離感がつかめなくて、自分から遠ざけていた、という感じがするのです。 その点では、さっきの酒井若菜チャンと、ケースは違うけれども、意識的な子供との距離の取りかたにおいて、似通っているような部分があります。

 今回このドラマでは、5通りの親子の距離感が表現されていました。
 松雪サンと高畑サンの距離感。
 松雪サンと田中サンとの距離感。
 松雪サンと継美チャンとの距離感。
 継美チャンと尾野サンとの距離感。
 そして、酒井若菜チャンとおなかの赤ちゃんとの距離感。

 その距離感を見誤ると、正常な親子関係が築けなくなる。 虐待や子捨ては、そのいびつな距離感のなれの果ての姿であるとも、考えられるのです。

 ただの逃亡劇なのかと思ったら、話の行く先が毎回見えない。 結構このドラマ、ハマってきました。

当ブログ 「Mother」 に関するほかの記事
第1-2回 主人公が、暗いですね… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/mother-1-2-447a.html
第3-4回 同じテーマのドラマ 「八日目の蝉」 との相違点http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-3-4-34fe.html
第6回 行く先が、見えないhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-6-95e0.html
第7回 うっかりさんの裏の顔http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-7-344a.html
第8回 泣いてもいいんだよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-8-8615.html
第9回 母の手のぬくもりをhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-9-d640.html
第10回 優しさがつき動かすものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-10-db64.html

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2010年5月 9日 (日)

「龍馬伝」 第19回 5月10日って、…明日?

 将軍家茂が孝明天皇にせっつかれて、攘夷決行の日を5月10日、と決めてから、登場人物たちが口々に、5月10日、5月10日、と言い出した、「龍馬伝」 第19回。

 ところが攘夷決行だ異人を皆殺しだ、といくら言われても、いったい何を具体的にやるのかが、頭の足りない以蔵(佐藤健クン)のように、私にもなかなかはっきりと見えてきませんでした(笑)。

 しかも、攘夷の旗頭をつとめているかに見えた土佐藩の重鎮、山内容堂(近藤正臣サン)が土佐に引っ込んでしまったため、土佐勤王党の内部も、指示待ち状態。
 刻一刻と、5月10日が近づいてくるわけですが、いっこうに出撃の命令は来ない。

 これは、不安ですよ、現場サイドとしては。

 今回のドラマの描写では、先に書いたように、攘夷と言ったって、具体的に何をやればいいか、というのが、まるで見えてこない。 幕府が藩を組織だてるわけでもないから、各藩の自由裁量、というところだし、もっと具体的には、日本にいる異人を皆殺しにするのか、外国の船を沈めようとするのか、それとも追い払うだけなのか、攘夷の程度というものが、よく分からない。
 結局のところ、将軍家の攘夷決行の約束からして、いわば完全な、公家に対するポーズなんですからね。 結果的にこの表向きの約束にしたがって動いたのは長州藩だけだったわけで、各藩とも将軍家の本来の意図に、付き合っていたというわけでしょう。

 その各藩ごとの全体的な動きを的確に把握することができず、藩へ上申書をオニのように送っても何の音沙汰もないのに、前日になってもじりじりと指示待ち状態でいること自体、ここでの武市(大森南朋サン)は、完全に後手に回っている、としか、言いようがないのです。

 いくらなんでも、長州藩のやることは、武市はつかんでいるのですから、攘夷決行の前日までには、長州藩と同じような戦闘態勢に入っていることが、少なくとも要求される局面なのではないでしょうか。 土佐藩に軍艦があったかどうかは、知りませんが。

 ところが武市は、上申書を容堂公に書く以外、何もしない。

 それは武市が、容堂公に対して、盲目的とも思える忠誠心を貫いていたため、現状が見えなかった、という 「アホな武市」 という解釈もできます。

 でも、武市がここまで、上申書以外に何もしなかった、というのは、実は容堂公と自分との考えの違いを、本当はじゅうぶん分かっていたから、と考えることはできないでしょうか。

 武市が攘夷決行の当日まで何もしなかった、というのは、そんな容堂公の本音を、忠実に守った結果だとも、思えてきます。
 つまり、武市の心情としては、ゆくあてもない船が、嵐の中で立ち往生している、という感じです。

 結局大殿様からのお達しは何もなく、がらんとした土佐藩邸にやってきた龍馬(福山雅治サン)に、武市はこう言います。

 「わしらは、何を間違うてしもうたがやろうか…5月10日は、攘夷実行の夢がかなう日じゃったきに…夢がつぶれる日になってしもうた…」

 そして、投獄されてしまった収二郎(宮迫博之サン)の助命嘆願のために、土佐に戻ろうとします。 容堂公の真意を何もかも武市にぶちまけ、それを必死になって、止める龍馬。 武市が土佐に戻れば、おそらく切腹クラスの仕置きが待っているだろうからです。

 「わしの言うことを信じてつかあさい武市さん!」

 「もうえい!」

 「土佐に戻ったらいかん! それだけは、それだけはやめてつかあさい武市さん!」

 「やめや!」

 龍馬を突き飛ばす武市。

 「やめてくれや龍馬! 攘夷の夢が、攘夷の夢が破れてしもうたがじゃぞ…そのわしに、大殿様まで信じるなゆうがは、…武市半平太ゆう男を…わしの人生すべてを否定することぜよ! 侍が…殿様を疑うたら…それはもう、侍じゃないがじゃぞ…」

 ここから武市は、急に、もの分かりがよくなるのです。 それまで幼なじみを否定し、龍馬の海軍に加わることも拒絶した武市が。
 それは、武市が、自分が感じていた容堂公の真意をすべて受け入れ、もう二度と龍馬とも会うことはないということを、確信した瞬間だったのだと思います。 ここからの武市の悟りきったような変わりぶりは、いわば龍馬に対する、遺言のようでした。 龍馬への、今生の別れをしているようにも、見えました。 龍馬もそれが分かっているからこそ、涙で顔をぐしゃぐしゃにせざるを得ない。 見ていてひたすら、ただ泣けました。

 「大丈夫じゃ。 収二郎を助けたら、わしはまた戻ってくる…まだ以蔵がおるきの…あいつには、まっこと嫌な思いばっかりさせてしもうた…わしは以蔵に謝らんといかん…おまんとはいろいろあったけんど、わしはおまんのことを嫌うたことはないぜよ…まっことじゃ!龍馬…幼なじみいうのは、やっぱり、ありがたいのう…また会おう、龍馬…今度はうまいもんでも食いながら、ゆっくり話をするがじゃ…ほんまに、異国の脅威から、日本が、独立を守れるやったら、…わしは、おまんの海軍に加わってもえい。 それまで達者での、龍馬…達者でのう…」

 「武市さぁん…! 武市さぁん…!」

 やりきれない表情のまま、その場に崩れ落ちる、龍馬。

 福山サンも、大森サンも、これ以上ない演技でした。 ホントに、近頃のNHKサンには、ぜいたくな気分にさせてもらってます。

 次回はまたさらに、土佐勤王党にとって、キツイ話が待っているようです。 このところ、弥太郎ストーリーがなくってちょっとさびしいですが、来週は出て来るのかな?

 それにしても、5月10日って、明日じゃないですか…? よく、その前日に放送日を、合わせたものです(笑)。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html
♯12武市の心理、執拗にやってますねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/12-2a95.html
♯13大友サン演出は、一味違うhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/13-e7ca.html
♯14進む龍馬の空洞化http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/14-ef4d.html
♯15龍馬の人物像が、ちっくと見えてきたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/15-b072.html
♯16日本人じゃあぁーっ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/16-5e1f.html
♯17試合という名のラブシーンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/17-6ae8.html
♯18武市の転落ぶり、凍りつきましたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/18-77bb.html

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「ゲゲゲの女房」 第6週 人事を尽くして天命を待つ

 「ゲゲゲの女房」 第6週では、「墓場鬼太郎」 の評判が、下辺部から徐々に高まっていく様子が、いつもどおり丁寧に描かれていました。

 その中で重点が置かれていたように感じるのは、暗いとか、売れないとか、マニア受けとか、そんな厳しい現実の中で、ただひたすら、一生懸命になってマンガを描き続けている、村井茂(向井理クン)の姿。
 茂の姿勢には、どんなに逆境でも、いくらひどい目に遭っても、けっして腐ったり怒ったり世を羨んだりするところがない。

 それはある意味で、とても楽天的である、とも言えます。
 第5週目の今週は、茂のその楽天主義の基礎となっているように思われる、ゲーテの話も登場しました。

 けれども、茂はただ座して、のほほんと構えているわけではないのです。 ムチャクチャ頑張って、マンガをひたすら描き続けている。
 自分を信じて、最高のものを描き続けていれば、結果はおのずからついてくる、という姿勢なのです。

 これは、このブログを書き続けてきた私にとっても、大変共感できる話でした。
 最初のうちは、アクセスが一日に2、3件、まるでなしの日も。
 やりがいがなかったなー。
 それでも、試行錯誤を続けながら、いいものを書いていればそのうちいずれ…と思っていたものです。 とりあえず、一生懸命書こう、と。

 話は戻りますが、戦記マンガを描く茂には、ある種のこだわりが潜んでいます。
 それは、浦木(杉浦太陽クン)に 「もっと勇ましい戦争マンガを描け」 と言われた時の、茂の反応に象徴されていました。

 「だらい言うな。 あれは冒険活劇じゃろが。 都合よく弾が飛んできて派手な空中戦やって、食いもんに困ることもない! あげな都合のいい戦争があるか!」

 それは実際に戦場で、限りなく悲惨でみじめな体験をした茂だからこそ、言える言葉です。
 ここで挿入されるのが、こみち書房の田中美智子(松坂慶子サン)のダンナ、政志(光石研サン)の描写。

 戦争に行った精神的な後遺症で、ダラダラとした人生を送っている彼が、寝床で茂のマンガを読みながら、美智子に 「このマンガは、本物だ…」 とつぶやく。
 映画 「ディア・ハンター」 などで、ベトナム従軍後遺症の人たちを見てきた私などにとっては、光石サンの演じている男は、この温かいドラマに、独特の陰影を与えている気がしてなりません。
 語り口が、さりげないくせして、相変わらず、すごい。

 茂の家を調べようとやってきた、元軍人の刑事(山崎銀之丞サン)が、茂のマンガを読んで感銘し、調査を中止する、というエピソードでも、戦争の影が、繰り返し匂ってくる。
 光石サンと山崎サンという、ふたりの元軍人に茂のマンガを評価させることで、茂のマンガが世間に評価されていくことに、説得力を与える外壁を作っていく。
 この構図、やはりうなりますね。

 第5週目では、ものの1分程度でしたが、茂が自分の左腕を切断したときの回想シーンがありました。 それはとてもよくできていて、とても1分程度に思えないくらいの、重苦しい、凄惨な描写でした。
 いろいろ戦争の映画とかドラマを見てきた私にとっては、これが当たり前だ、という感覚だったのですが、なんかこの回のあと、ネットで見る限り、視聴者の一部に拒絶反応が見られたようです。 温かい泣けるドラマだと思っているのに、朝ごはんの時間に凄惨なシーンを流すな、みたいな。

 うーん、悪しき傾向だ。

 さっきの茂の叫びを、ちゃんと聞いていないのでしょう。
 都合のいい戦争なんてものは、ないのです。
 茂の片腕が切断されている以上、この話はこのドラマでは、避けて通れない話でも、あるのです。

 片腕がないからこそ、茂はマンガで生計を立てなくちゃならない。
 片腕でできる仕事って、なんかありますかね?
 たまたま絵が上手だったこともありますけど、茂にとってマンガというのは、結構数少ない選択肢の中のひとつなのです。 つまり、あとがない。
 だからこそ、戌井(梶原善サン)や中森(中村靖日サン)のように、現状を嘆いたり、自分の才能のなさに落ち込んだりしている場合では、そもそもないのです。

 そして季節は、夏。
 鬼太郎の話の続きを描くことが許され、それに打ち込む茂も汗だくなのですが、布美枝の顔にも、汗が浮かび上がっている。 蒸し風呂のような描写も、さすがです。
 一心不乱にペンを走らせる夫の後ろ姿を見ているうちに、布美枝(松下奈緒サン)は、気づかぬうちに涙を流してしまう。

 「あんなに仕事に打ち込んでいる人を、初めて見ました…。 あの人、片手ですけん、左肩で紙を押さえて書いとるんですよ。 背中が、ぐいっとねじれて…あげに精魂込めて描いとるもんが、人の心を打たんはずない…売れても売れんでも、もう構わんような気がして…あの人の努力は、…本物ですけん」

 その話を聞いていた戌井は、「鬼太郎は水木サンの最高傑作になる」 と、太鼓判を押す。 布美枝は、なんとか茂の仕事の手助けをしたいと、強く思うのです。

 そして布美枝は一回は断られながら、茂の原稿の墨入れ(ベタ塗り、と申します)や、点描を任される。

 この原稿、鉛筆の下書きからペンあとまで、水木しげる氏の絵そのままのタッチで、マンガの原稿にちゃんとなっているとろが、芸が細かいです。

 それで思い出したんですが、先週だったか、梶原善サンがうじきつよしサンのところに持ってきたマンガには、当時の仕様のスクリーントーン(網目とかさまざまな、模様だけの用紙のことです。 絵の上からそれを切って貼るだけで、ペンで描かなくても模様や陰影をつけたりできる)がちゃんと貼ってあったような気がします。
 実にこれも、時代考証がきちっとしている、というか。
 それに比べると、茂の絵には、スクリーントーンというものが、基本的に貼られていない。 だから茂も布美枝に、点描をお願いしたりするのですが。
 ホントに、こんな細部にわたるまで、手を抜いていない。 恐れ入りました。

 それから、この原稿用紙サイズ、現在のマンガの原稿と比べると、A4くらいでとても小さな紙のように見えますが、これもたぶん、貸本マンガ時代は、このサイズで描いていたのでしょう。 さすがに私もサイズについての知識はないのですが、ここまでこだわっているならおそらくこれが正しいのだろう、と思わせます。 すごいなー。 しみじみ。

 そして、鬼太郎の新しい本が出来上がった日、布美枝は最初の本を茂から贈呈され、原稿料が入らなかったことを知らされ、鬼太郎の長編を新たに依頼されたことも知らされ、禍福はあざなえる縄のごとし状態。
 週の終わりに単純なハッピーエンドにしない、というところも、心憎い演出です。

 けれども、嫌なことはとりあえずこっちに置いといて、うれしさを爆発させて 「やった!やった!」 と飛び跳ねまわる布美枝。
 飛び跳ねながら、感極まってしまう。
 壁に掛けてあった布美枝の分身(笑)、いったんもめんの絵も、喜んででんぐり返しをしています(笑)。
 なーんか、見ているこっちのほうが、胸キュンキュンしっぱなしになってしまいますね(笑)。

 今週、いっぽうで、こみち書房に集まる若者たちの事情にも、ドラマはスポットを当てていました。

 地方から東京に出てきて、工場で働いている若い男(鈴木裕樹サン)。 こみち書房の常連である、女工のひとりに恋しています。

 「いーい若いもんが、休みの日にほかに行くとこないのかと思うけど、給料も安いし、田舎にも仕送りして、こずかいも少ないんだろう…貸本屋は、あの子たちの、避難所みたいなもんだ」

 うちの親もそんな人たちと同様だったので、佐々木すみ江サンのその話には、とても感情移入していたみたいです。
 このドラマ、テレビを見ているあらゆる世代に向かって、発信されています。
 ここまでやるかな普通(笑)。 ここまで良質なドラマ、ぜいたくしすぎで、見続けるのが怖くなってきた(冗談です)。
 NHKサンには、やられっぱなしという気がします。 スポンサー離れとかなくて経営が安定してるから、ドラマ制作も安定している、そんな気が、するんですよね。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第01回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第02週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第04週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第05週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第07週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第08週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第09週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html

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2010年5月 8日 (土)

「チェイス~国税査察官~」 第4回 ふたつの復讐

 どうもストーリーを追っているだけの記事になってしまったきらいがありますが、余計なことを考えさせない、緻密な話だからこそなのかな、という気がします。 では。

 物語は、春馬草輔(江口洋介サン)が死んだ妻の復讐のために、自分の意識の中にあった、超えてはならない一線を越えてしまってから、8か月後。

 銀行員の打ち込んだパスワードを覚えておいて、データベースに不正にアクセス、草輔は檜山基一(斎藤工サン)の人材派遣会社、ライトキャストの末端会社が不正な税金操作をしていることを突き止めます。
 もうこの時点で、草輔がかなりの暴走気味だということがあらためて分かるのですが、上司の新谷(益岡徹サン)は、草輔から退職も辞さない覚悟を突きつけられ、草輔の強引な捜査に、協力することに。
 それがのちに悲劇的な展開になるのですが。

 檜山のマンションの近くで、草輔は村雲(草輔の前では廣川、ARATAサン)とばったり出くわす。
 この檜山のマンション前、やたらとホームレスが多くて(笑)。
 何か意図的なような気がしたんですが、それはのちほど。

 草輔はライトキャストの内偵ということをここでは伏せて、ケーキ屋に村雲を誘うのですが、村雲はそのとき、自分の靴底にはさまった、緑色の砂利石をほじくり出す。
 これもあとで、村雲と檜山の関係を草輔が嗅ぎ出すひとつの手掛かりとなるのですが、最初はガムかと思いました(笑)。

 草輔がこのケーキ屋で自分の近況を語りながら、核心まで触れることのなかったのは、実に賢明でした。 それは草輔に、いくら暴走気味でも、国税査察官としての秘密遵守の気概がまだ残されていたということでもあるし、本能的に、目の前の廣川という男を警戒していた、という見方も出来ます。
 しかし男ふたりしてケーキ屋でケーキをつつくというのは、かなり異様な光景なのですが(笑)、江口サン、サマになっとるなあ(笑)。 いい男は何をやっても、カッコイイということですね。

 ライトキャストに査察の手が迫ったとき、村雲は新谷の不祥事をリークして捜査を中止させる。 売春とか、麻薬取引とか、振り込め詐欺とか、いくら不正に得たカネであっても、利益になれば税金を取る必要性がある。 それを警察に通報すれば、税金は取れなくなる。 新谷はそこを突かれたわけですが、その結果新谷は統括を降ろされてしまいます。

 新谷は草輔に、自分の息子がカード地獄に陥り、その借金を返そうとして、件の風俗店から金を受け取って払った、と告白します。 子供のころ、100円を欲しがっていた息子が、100万円ちょうだい、と言ってきた、という新谷の話は、かなり切ないものがあります。

 しかもそれが、100万円では解決する話ではなかった。

 新谷は結局自殺をしてしまうのですが、新谷の家に駆けつけた草輔は、上司の品田(奥田瑛二サン)から、「和解なんかしてなかった。 …アホだ…アホだよ…」 という話を聞く。

 査察官になって子供の面倒を見てやれなかった、その代償だと話していた新谷。
 そしてそれが、結局何のためにもなっていなかった、というこの結末。
 「息子とキャッチボールをして突き指した」 と笑いながら話していた新谷でしたが、自宅の壁には、ひとりぼっちでキャッチボールをした跡が、無数についている。

 「税金取り」 の、かなり残酷な物語を見た気がします。 「マルサの女」 の益岡サンの、これが末路だったのかと思うと(違いますけど)、どうにもやりきれない。
 これは要するに、村雲の仕業。
 草輔にとっては、女房と合わせて上司まで死に追いやられたことで、村雲がますますカタキになったわけです。

 株取引で、「お父さんよりよっぽど稼いでる」 などとテングになっている鈴子(水野絵梨奈チャン)、もう私、頭に来すぎて、彼女のことなんか、どーでもいいんですがね(笑)、彼女のノートPCから、母親の死亡事故のニュースが流れつづけているのを見て、そこに 「廣川」 という名前がないことに気付く、草輔。 真相にまた一歩、近づきます。

 話は前後します。

 当の村雲は、死期の近づいている檜山正道(中村嘉葎雄サン)の奈良行きに、ただひとり同行するのですが、「その町に、惚れた女がいた」 という檜山の一言で、事情が結構分かってしまうんですよ(笑)。 つまり村雲は、檜山の妾の子どもだった、という。

 ただこのドラマ、檜山がそのことに気付いて、インシュリン?の注射器を、村雲からパッと払いのけた時からが、かなり見ごたえがありました。

 村雲は、檜山の巨額の資産目当てで子供の時分に誘拐され、その結果、手首を切断される、という過去を持っていたのです。 ここで切断される回想シーンはやりませんでしたが、挿入したほうがよかった気がします。 そのほうが村雲の復讐心に、さらなる説得力が生まれる気がする。 いや、子供の腕を切断、なんて、直接見せなくても、そんな場面を入れたら、かなりヤバいですね、今のご時世では。

 村雲はその事件の新聞記事?を一字一句克明に覚えていて、それを語り続けるのですが、檜山は完全に逆上。 持っていた杖で、村雲の背中を、激しく打ち据え続ける。

 「誰や…! オマエ、誰や! オマエ…、オマエ…!」

 そしてよろよろと倒れた檜山の、目の前に突き出された、村雲の左手の義手。
 中村サン、いや、やはり、さすがに、うまいです。 ああーもっと、この人の演技を見ていたいのですが。

 「…ボンか…ボンなのか…」

 「そや、…ぼくや…ボンや……オトーウチャン」

 見ている側が、事情の予想がだいたいついてしまっていても、ここまでたたみかけるような演出をされてしまうと、戦慄せざるを得ないです、はっきり言って。
 これで中村サンは、ほとんど人事不省に、陥ってしまう。 もっと中村サンの演技を、見せてくれぇーっ!
 ほとんど口もきけずにベッドで横たわる檜山に、村雲は、「あなたの資産を全部いただく」 と話し、嘲るように笑うのです。 今回の 「復讐」、というタイトル、草輔が妻を殺したフィクサーに復讐する、という意味も持ちながら、村雲が檜山に対して復讐する、という意味でも、あったんですね。

 そして、鈴子は麻布にマンションを借りて、家出するらしいんですが、アーどうぞどうぞ(笑)。 二度と帰ってくんな(笑)。 せいせいするわ(笑)。 とっとと行っちまえ(笑)。
 どうもこの鈴子、予告を見てみると、次回には更生するらしいのですが、どうなんですかね。 ここまで視聴者(少なくとも私)に反感を持たれてしまう、というのは。 どうも、ここまでムカつかされて、今更反省したって、こっちは感動のしようがない気がするんですよね。

 檜山基一のマンションの前でホームレスの格好をして、内偵を続ける草輔。 なるほど、ホームレスが目立っていた理由は、ここにあったのか。 これなら、怪しまれない(笑)。

 そこから現れる、檜山基一の偽りの妻、歌織(麻生久美子サン)。
 タクシーで追いかける草輔と久保田(田中圭サン)でしたが、いきなりホームレスを乗せたタクシーの運転手サン、どう思ったのか考えると、笑えます。
 しかも、いきなり笑い出すんですからね、そのホームレス。 かなり不気味(笑)。

 「ハ、ハハ…見えた…ハハ…見えてきたよ…! ハッハッハッハッハ…! 相続だよ相続…! 相続だったんだよハッハッハッハ!」

 そして歌織と村雲が接触するところを確認。 草輔はその時、自分の敵が、はっきりとわかったのです。

 新谷の死によって、税金取りの悲哀が極限にまで達した草輔の胸のうちなのですが、その警戒水域が、次回どこまで爆発してしまうのか。 予告を見た限りで言えば、話の進み方が、なんか、早いような…。 つまりさらにもうひと波乱、ありそうな感じなんですけど。 ますます目が離せなくなってきましたー。

当ブログ 「チェイス」 に関するほかの記事
第1回 江口サン、公僕の悲哀http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/1-a698.html
第2回 届かぬ父の思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-eecd.html
第3回 裏切りに揺れる心http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/3-77a7.html
第5回 黒い薔薇、赤い薔薇http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-05dc.html
第6回(最終回)別の人生への希望http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-785a.html

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2010年5月 6日 (木)

佐藤慶サン、死去

 俳優の佐藤慶サンが、亡くなったそうです。 享年81歳。

 私がドラマをちゃんと見るようになって、この人の演技は上手い!と思ったのは、先日当ブログで書かせていただいた中村嘉葎雄サンもそうですが、佐藤慶サンもその中のおひとりでした。

 個人的に、特に印象深かったのが、確か1980年前後かな?TBSで放送された、「冬の花火~私の太宰治」 での、太宰治(石坂浩二サン)の兄上の役。
 佐藤サン本人は福島の会津若松ご出身らしいのですが(そう言えば、福島県には佐藤姓のかたが、多いです)、津軽弁が、やたらうまくって。 こんなにうまい津軽弁の人をテレビドラマで見たのは、初めてでした(と言っても、当時私は中学3年くらいのガキでしたが)。

 それから佐藤サンは、私のお気に入りの役者サンのひとりになったのですが、なにしろこの人、NHKの大河ドラマには、ほとんど準レギュラー、みたいな感じで(笑)。 よくお見かけしましたー。

 なかでも圧巻だったのは、1993年の 「炎立つ」。
 源頼義ですよ。
 以前にも当ブログで書かせていただきましたが、もう一度書かせていただきます。
 私がNHK大河ドラマを30年以上見続けてきたなかで(途中いくつかつまらないと感じて見なかったものもあるのですが)、その最高傑作と考えているのが、この 「炎立つ」 の第1部なのです(このドラマ、3部構成だったのですが、2部、3部は、そんなに面白くなかったです…笑)。

 この第1部のラストシーン。
 東北の豪族、安倍貞任(村田雄浩サン)に同調して反乱を起こし、そして破れた奥州藤原三代の祖、藤原経清(渡辺謙サン)を、佐藤慶サン演じる源頼義が、詰問していくのですが。

 ここで渡辺謙サンは、懐柔的な言葉でなだめようとする佐藤慶サンに向かって、こう言い放つのです。

 「豚め…! 豚の家来にはならぬ!」

 いや、その迫力たるや。
 「独眼竜正宗」 で、その激昂する演技が頂点を極めていた渡辺謙サンの、面目躍如というべき、烈々たる迫力のシーンでした。

 それに対して佐藤慶サンは、完全に頭に血がのぼった格好。

 自分の持っていた刀を、そこらへんにあった岩に、ガンガン叩きつけはじめる。

 なにをやるのかと思ったら、打ちつけてボロボロになったその刀を家来に向かって放り投げ、「その刀で、この男の首を、のこぎり引きにしてはねよ!」 と命じるんですよ。

 ひええー、やめてくれええー、とテレビの前で叫びましたよ(歴史好きには、有名な話らしいのですが)。

 そのなまくら刀で首をギコギコされながら、渡辺謙サンは、絶叫しながら死んでいくのです。 戦慄しまくりました。

 今なら完全に、放送コードに引っかかるに違いないです。

 おっと、渡辺謙サンの話になってしまったきらいがありますが、ここで佐藤慶サンが演じた源頼義は、頼義の側にもそうせざるを得ない苦悩がうかがわれていて、敵方ながら、感情移入の出来る役を、完璧にこなしていました。 凄かったです。

 近年ではかつてのような迫力がなく、抑えた演技をしているような印象もあったのですが、それはご高齢ということも加味しなければならないし、それでもこの役者サンの存在感は、年老いても厳然として、漂っていた気がします。

 謹んで、ご冥福を、お祈りいたします。

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CCCDって、やっぱりとてつもない不良品…?

 CDプレイヤーが、ポシャりまして。
 これでこのところ、立て続けで2台目。
 そんなに頻繁に使ってないんですけどね。 最近CDはパソコンに落としてから聴くことがとても多いので。
 なんでか理由を考えたのですが、これってCCCDのせいじゃないのかな?と、思い始めているわけです。 コピーコントロールCD。
 なぜならCCCDは、「パソコンで再生すると、不具合が生じる場合があります」、と注意書きに書かれているじゃないですか。 だから怖いのでパソコンで再生せず、CDプレイヤーで再生することが多いんですよ。

 それで、私結構、CCCDをたくさん持っているんですよ。

 特にCCCDの先導的役割を果たしてきた、EMIの筆頭であるビートルズとか、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスンなど、ビートルズのソロのCD。

 今までにも、CCCDはプレイヤーを故障させるケースがある、とか、さんざん批判の対象にされてきた感があるのですが、故障させるったって、実際に故障したっていう話を(たまたまでしょうが)聞いてなかったし、そんなに大したことはないだろう、と軽ーく思っておったのです。
 だけどさすがに2台も故障、ともなると、考えざるを得ませんね。 因果関係は、さすがに分かりませんけど、それほど動かしてなかったし、しかも動かすときは、CCCDばかりだったし。

 CCCDというのは、余計な電子的記号をディスクに混入させて、コピーをさせなくしたCDであるそうなのですが、そのためにそれを読み取るほうの機材に、余計な負担をかけるらしいのです。

 うーん、そう考えると、故障の原因も、そこにあるような気がしてきた…。

 そうなると、なんか、CCCDの注意書きに、それで故障しても当社は責任を持ちません、それは買った人の責任ですみたいなことが書かれていることが、余計に頭にくる。 不良品を売りつけといて、そりゃないんじゃないのかなー。

 さすがに今ではEMIもCCCDからは撤退して、ビートルズのリマスター盤では、普通のCDに戻していますが。

 だいたい、このCDの売れない時代、CDを買う、私みたいなオッサン連中が大量に存在しているビートルズというコンテンツに、コピー防止機能など、はっきり言って要らんでしょう。
 いちばん確実に、CDを買ってくれる人たちがいるミュージシャンじゃないですか、ビートルズって。
 コピーなんかより、CDを持っていることが、重要なんですよ、そういう人たちにとっては。 使い捨てできるレベルじゃないんです、もともと。

 これを買い直さなきゃいけない、ということになると、結構きついなー。 ボックスセットが、結構あるんですよ。 キャピトルボックスとか、ジョージのダーク・ホース・イヤーズとか。
 全部輸入盤の中古で、揃えるかなー。

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「Mother」 第3-4回 同じテーマのドラマ 「八日目の蝉」 との相違点

 母性というテーマの方向性が 「八日目の蝉」 とバッティングするためか、ちょっと主人公が暗い分だけ、引き気味に見ていた 「Mother」。 やはり同じ時期に同一のテーマのドラマを見るのは、つまらん影響を見ている側に与えるような気がします。 比較した上の、登場人物への思い入れのあるなしで、一方が不当に評価を下げてしまう。

 ただし、このドラマで子供をさらう松雪泰子サンの理屈は、「八日目の蝉」 で子供をさらった檀れいサンの理屈よりも、比較的納得できることは確かです。

 当ブログでも幾度か指摘したかと思うのですが、檀れいサンは、相手の子供の、親の悲しみを、基本的に無視している。
 それは復讐という要素も多少はありながら、実は、自分の堕した子供の身代わりとして、相手の子供をむりやりさらっているからです。
 ここには、不倫相手に騙されて子供を堕したため、子供の産めない体になってしまった、という、檀サンにとっては同情されるべき理由も、いちおう備わっています。

 「八日目の蝉」 の最終回、誘拐事件の裁判で、檀れいサンは裁判官に促され、子供の両親に頭を下げるのですが、その時彼女は、謝罪ではなく、感謝の言葉を思わず口にしてしまう。 このことからも、檀サンが子供の両親に対して、済まないと思ってはいなかったことが、うかがえるのです。

 その代わりと言ってはなんですが、檀れいサンは、ありったけの愛情を、そのさらった子供に与えます。 その限りない無償の愛情に、見ている側はほだされる、という側面がある。
 私も、そのありったけの愛情がまぶしくて、このドラマに感情移入してしまった気がします。

 それに対して 「Mother」 の松雪サンは、財布を盗まれたり、ヤケに間の抜けた部分もあるのですが、総じて判断の仕方が、とても冷静です。
 彼女の誘拐の強みは、言ってみれば、その子供が虐待を受けていた点に尽きます。
 彼女の誘拐は、子供の同意を得ている。
 そして、その子供を自殺に見せかける、という偽装工作にも、長けている(結果的にそうなったかのような描写でしたが、おそらく松雪サンが行なった偽装のように思えます)。

 今回、田中裕子サンに打ち明けた話からも、松雪サンの冷静さが見てとれます。
 いわく、「自分はたまたま、虐待の傍観者から、犯罪者になった」。
 ここで松雪サンは、自分のしたことに対する罪を、はっきりと自覚しています。
 でもそれは、そうしなければこの子は死んでいた、という、さらなる取り返しのつかない犯罪を防ぐための手段だったことを、同時に彼女は、自覚している。
 さらに、この子を守りたい、というのは、激情に駆られた 「吊り橋の恋」 のような一時の感情ではない、自分は母親役ではなく、母親になろうとしている、とまで言い切るのです。

 目の前にいる田中裕子サンを、自分を捨てた母親とも知らず、そんな母親にはなりたくない、という気持ちを吐露する松雪サン。 松雪サンがこの子をさらった最大の理由が、この 「幼い日に捨てられた」 ことにあると私は思うのですが、その話は両刃の剣となって、田中サンを、切り刻む。

 思えば先週、第3回目でも、はじめて会ったばかり(自分を捨てた母親なので、初めてという書きかたは正確ではありませんが)の田中サンに、松雪サンは自分の身の上話をとうとうと語り、田中サンの気持ちを切り刻んでいたのですが(笑)。
 私はどちらかと言うと、(自分の記憶の上で)初対面の人間にここまで洗いざらい自分の過去の傷を話すのか?という違和感を持ってしまって、この、役者サンには相当きつい長ゼリフの場面に、集中できませんでした。

 ただしこの、田中サンの入れ知恵によって(笑)、松雪サンは子供を正体不明のまま、小学校に通わせることに成功するのです。 身元が不明でも、保護者になってくれる人がいれば、同居証明書によって、学校に通わせることができるらしい。 田中サンはその保護者を買って出るのですが、それはつまり、「共犯者」 としての道でもあります。

 ここらへん、「八日目の蝉」 で、小学校に通わせる時期になるまでしか、この子と一緒にいられない、などという期間限定を、自分で勝手に設定していたように見える檀れいサンの無計画性とは、方向がちょっと違うように思われます。
 この 「八日目」 とは違う、頭のいい展開を示し始めた途端、私の 「Mother」 に対する興味も、少しずつ上昇し始めたのですが。

 私がこのドラマにイマイチのめり込めないのは、松雪サンや、田中サンのネクラぶりを筆頭とした、ドラマ全体に漂う暗さ、…にしてもそうなのですが、松雪サンの育ての親、高畑淳子サンを中心とした、酒井若菜チャン、倉科カナチャン、それにその婿殿たち?の面々。
 なんかこの家族周辺のドラマには、申し訳ないのですが、興味があまりわいてこないのです。
 それよりも、この子役、継美(芦田愛菜チャン)をめぐるドラマに、もっと厚みを持たせてほしい気が、するんですけどね。

 それともうひとつ、このドラマ、ヤケに皆さん、カンが良すぎ、じゃないですか?(笑)。
 確かに日本のドラマって、カンが悪すぎの人たちが多すぎるんですが(笑)。

 特に、「うっかりさん」 とか継美チャンに命名されてしまった田中裕子サン。

 確かにそのアダ名の由来は、自分の捨てた子である松雪サンに、子供がいた、という動揺によって、コケたり本をぶっ散らばしたりしていたせいではあるのですが、その田中サン、継美チャンが北海道で行方不明になった道木怜南であることに気付く場面は、「新参者」 の阿部寛サンを思わせる名推理だ!(笑)、なーんて。

 それにしても、松雪サンに接触してきた、雑誌記者の山本耕史サン。

 親身になってくれそうな話をしておいて、結局は金の無心かよ!みたいな展開なんですけど。

 そういう話って、なんか、やだなー。

当ブログ 「Mother」 に関するほかの記事
第1-2回 主人公が、暗いですね… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/mother-1-2-447a.html
第5回 母と娘の距離感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-5-bc26.html
第6回 行く先が、見えないhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-6-95e0.html
第7回 うっかりさんの裏の顔http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-7-344a.html
第8回 泣いてもいいんだよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-8-8615.html
第9回 母の手のぬくもりをhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-9-d640.html
第10回 優しさがつき動かすものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-10-db64.html

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2010年5月 5日 (水)

「八日目の蝉」 第6回(最終回) もう触れることのできぬ思い

はじめにお断りします。 連休ということもあって、ついリキを入れて、エライ長文になってしまいました、この記事。

 「八日目の蝉」 最終回は、エンジェルの家で一緒だったマロンチャン(高橋真唯チャン)と恵理菜(=薫、北乃きいチャン)との語らいから、希和子(檀れいサン)が捕まったあとの、薫チャンのその後が明かされます。

 当然のことながら、それまで出ずっぱりだった檀れいサンは全く出てこず、なんだかしばらく、先週とは別のドラマを見ているような感覚に陥りました。
 その感覚はまさしく、5歳だった薫チャン(小林星蘭チャン)が味わった違和感と同じだったわけなんですが。

 ここであらためて浮き彫りになってくるのが、希和子が行なった誘拐行為によって、板谷由夏サンが味わった苦痛であり、薫チャンが恵理菜となって生きることにより閉ざしてしまった心の行方です。
 薫チャンは5年ぶりに再会した実の母親に抱き締められて、いきなり失禁してしまう。
 それを見たときの、板谷サンのかなり複雑な表情。
 フェリー乗り場で引き離された時、檀れいサンが最後に何を言っていたかは思いだせないのに、北乃きいチャンは、その時の板谷サンの表情を、よく覚えているらしい。

 ある日、小豆島の島言葉が抜けきれない薫チャンに、板谷サンは逆上してしまいます。
 自分の名前も奪われ、自分の言葉すら奪われた薫チャンは、パジャマのまま、小豆島のある海に向かって走り出す。 でも全然、たどり着けない。 そこは海とは程遠い場所。 薫チャンは、自分が自分でいられる場所を、むりやり奪われてしまったのです。 なんか泣けました。

 呆然とたたずむ薫チャンの前に、板谷サンが駆け寄ってきます。

 「あなたのお家はね、ここなのよ、恵理菜…あなたはね、赤ちゃんの時に、世界一悪い女に誘拐されたの! …ごめんね、お母さんが、目を離しちゃったから…ごめんね…」

 それまでの板谷サンの苦しみが、ここだけでじゅうぶん伝わってくるシーンでした。
 この日を境に、薫チャンは、檀れいサンのことを憎み、記憶の底に封印してしまうのです。 マロンチャンとの会話でも、「希和子」 と檀れいサンを呼び捨てあつかいにする始末。
 けれどもそれでも、この事件のもともとの原因というものも、きいチャンは分かっている。
 だからどこかで、浮気をしていた父親の津田寛治サンに復讐しているようなところもあるし、最終回でも、不倫相手の子供を妊娠したことを板谷サンにしれっと報告し、産むつもりなんかないけど、あの女(檀れいサン)とおんなじだわ、と母親の神経を逆なでするようなことを平気で言ったりする。

 娘の妊娠を聞かされた板谷サンは、きいチャンをかなり本気でぶっ叩きながら(笑)、泣き崩れます。

 「なんでー! なによー! なんでそんなことになるのー! どれだけやれば気が済むのよーっ…!」

 しかしここまで親を悲しませても、いっこうに能面のような、きいチャンの顔。

 そこに檀れいサンの、「薫、お母さんを許してくれますか?」 という、このドラマで何回も繰り返されたセリフがかぶるのです。 まさに、許せるわきゃねーだろ!(笑)という展開。 どんだけ罪深いんだよ檀れいサン、という感じなのです。 うまかったなー、ここらへんの流れ。 このドラマ、けっして檀れいサンの母性ばかりを強調したドラマではなかったのが、ここから分かります。

 そしてここから、檀れいサンの本当の意味での贖罪が、始まるのです。 それはある意味で、刑務所に入っている時以上の贖罪なような気がします。

 薫チャンあてに書いた無数の手紙を、出所後に届けようとして、秋山家の団欒を見てしまう檀れいサン。 その手紙を全部、焼き捨てるのです。
 その時の彼女の気持ちを考えると、かなりきついものがあるのですが、檀れいサンの表情は、どことなく穏やかで、悟りきっているようにも見える。 それは、母親としての感情を、北乃きいチャンのように、心の奥底に沈めてしまっているようも見えました。

 場面は変わって、マロンチャンと一緒に、小豆島へ向かう、きいチャン。 「別にー」 みたいな(笑)何食わぬ顔をしながら、フェリー乗り場で檀れいサンが最後に叫んだ言葉が、知りたくてたまらない様子です。

 食堂の女将をしていた吉行和子サンもいなくなり、時の流れを感じざるを得ないのですが、木造の小学校や、お寺巡りの場所を見ながら、封印していた記憶が次々よみがえっていくきいチャン。
 ヒグラシの声が記憶をたどる糸のように、耳鳴りみたいに鳴っていく。
 そこできいチャンが見つける、セミの抜け殻。 それを拾う、きいチャンの指。
 うーん、マニキュアの塗りかたが、下手くそだ(笑)。
 それがいかにも背伸びしている女の子、という感じを表現していていいのですが。

 藤村俊二サンの写真館で、15年前に撮った檀れいサンと薫チャンの写真を見つけ、あらためて壇サンの自分への愛情を感じとってくきいチャンでしたが、帰ろうとしていた時、岸谷五朗サンの船が港に入ってくるところに遭遇する。

 はじめ正体を隠して話を聞いているうちに、岸谷サンはきいチャンが薫チャンであることに気付く。

 「あんたぁ…誰や? …薫チャンか?」

 「教えてください! あの人が、最後の時に、あの時に、なんて言ったのか」
 それは、このドラマできいチャンが見せた、初めての感情のこもった表情をした場面でした。

 「覚えとらんのか? あの人は、最後まで、あんたの心配しとった。 自分がおしまいになっても、まだ。 …こう言うたんよ、あん人は…『待ってくれ』 て…『その子は、まだ、…』」

 ここでその時の場面がフラッシュバック。 叫ぶ檀れいサン。

 「その子はまだ、…朝ごはん食べてないの!」

 あまりにもなんてことないセリフで、拍子抜けしたんですが、前回捕まる直前のことを思い出すと、すごくよく分かるのです。

 起きたばかりの薫チャンを無理やり連れてきたために、フェリー乗り場の売店で、パンと牛乳(だったかな?)を買ったはいいものの、商品を受け取らないでその場を立ち去ってしまったために、結局薫チャンには、何も食べさせていない。
 このセリフは、いつまでも親子でいたい、この夢の続きを見ていたい、という檀れいサンの気持ちが痛いほど伝わってくる、「偉大なる平凡なセリフ」 だったのです。
 思わずその場を離れ、「おかあさん…おかあさん…」 と、顔をくしゃくしゃにして、子供のように泣きじゃくってしまう、きいチャン。

 ただただ、泣けました。 あーもう、ダメ(笑)。 また泣けてきた(笑)。

 それは、カラカラに乾いていた薫チャンの心に、涙が流れて潤っていくような、感覚でした。

 小豆島を離れるフェリーに乗っていたきいチャン、おなかの子供を産むことを決意するのですが、マロンチャンにその決意をしゃべるきいチャン、島言葉に戻ってます。 それは、薫チャンが自分の言葉を、心を、取り戻した瞬間なのです。

 「産んでみようかな…こんなきれいな海や緑や、青い空見してあげられないのは申し訳ないもんな。 このおなかの中の人には、それを見る権利がある」

 そこに突然桟橋に駆け寄り、手を振りながら、「がんばれー」 と叫ぶ、岸谷サンの声。 それに手を振り返す、きいチャン。 どんどん霧が晴れていくような感じがします。

 フェリーがついた岡山港で、マロンチャンがお茶を買った売店の店員。
 それが、檀れいサンだったのですが。
 小豆島に行こうとして果たせず、小豆島が見える岡山港で働いていた、ということだったのです。
 その理由が、また哀しい。

 「たとえ、船に乗って、あの島に行きついたとしても、…そこにはあなたはいない。 幼いあなたが、私を待っていてくれるわけではありません」

 ここで檀れいサンが自分の人生のただひとつの生きがいにしているのが、薫との思い出なのです。 そして毎日眺める小豆島の景色を、夢のような光の国として、ずっとあこがれながら、生きつづけている。

 「薫、知ってる? 八日目まで生きた蝉は、孤独だけれど、ほかの蝉が見られなかった、美しい景色を見ることができるんだよ。 …だれにも愛されず、必要とされず、生きている意味なんて、なくしたはずなのに。 仕事の合間、この海に臨んで、夕日に包まれた、あの島を見つめると、お母さんはあたたかなもので、胸がいっぱいになるのです。 あすこには天国がある。 光の国がある。 あなたと過ごした、幸せな日々がある」

 でも、果たしてそう思うことで、本当に癒されることが、出来るんでしょうか? そこには、ある種の 「ごまかし」 が潜んでいるような気がしてなりません。

 薫に似た年頃の娘を見ると、面影を追ってしまうという癖で、きいチャンのことも 「似ている…」 と感じた檀サンでしたが、きいチャンが置いて行ったセミの抜け殻を見て、薫であることを確信する。
 檀サンはきいチャンを追いかけ、「薫!」 と叫びます(ここも、泣けました…)。
 きいチャンは一瞬振り向き、逆光の中の壇サンに気付いたのか気付かなかったのか、素知らぬ顔で立ち去ってしまう。
 檀サンはそれを見送りながら、また悟りきったようなかすかな微笑みを浮かべるのです。 そして、エンドマーク。

 このラスト数分を、どう解釈したらいいのでしょうか。

 檀サンは、薫チャンとの思い出を胸の奥に沈めながら、実はまだ、未練が断ち切れていない。
 同じような女の子を見ると薫の面影を追ってしまう、というのもそうだし、薫だと確信してあとを追いかけ、思わず呼んでしまう、というのもそうです。

 でも、きいチャンが素知らぬ顔をして立ち去っても、悲しそうにするでもなく、ただ微笑んでいる。

 これは、蝉の抜け殻から脱皮したきいチャンの旅立ちを見送る、母親としてのまなざし、という話だとは思うのですが、いっぽうで、自分の薫に対するあふれる思いを、封印しなければならない、贖罪のひとつである、そう希和子が考えているフシがある気がするのです。

 希和子は夕日に包まれる小豆島に向かって、手を伸ばし、包み込むようにしていました。
 でもそれは、二度と手に触れることのできない、淡い思い出だと、そう希和子はあきらめざるを得ないのです。
 だから、夢のような過去を抱きしめることでしか、自分の生きる力が保てない。
 希和子のラストの微笑みは、それはとても哀しい、微笑みのような気がするのです。

 はじめのうちは、結構距離を置いて見ていたドラマでしたが、終わってみれば、薫チャンがちゃんと自分を取り戻せたことはよかったけれど、いわれのない切なさに包まれるような、奥深いラストでした。 あそこで檀サンときいチャンが、涙の再会でもしていたらよかったのかなー。 でもそれも、白々しいような気もするし。
 こうして書いてみて気付いたのですが、最終回は結構、内容が濃かったですね。 だからと言って駆け足にも見えなかったですが、もしかするとバタバタしていると感じた人もいらっしゃるかも知れません。

 でも、いつかは、その光の国(小豆島)に、希和子も戻っていけたら、いいですよね。 岸谷サンもたぶん待っていることでしょうし。 …こういう、物語の続きを想像させるような作り、というのは、やっぱり傑作だった、ということでしょうかね。

「八日目の蝉」 に関する当ブログほかの記事
第1回 来週も、…見よう、かなあ?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-254c.html
第2回 ヘンなとこ、きちゃったな~http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-4f12.html
第3回 がらんどうの悲しみhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/3-da4d.html
第4回 穏やかな、凪のような回でしたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a45c.html
第5回 逃亡の果てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/5-267b.html

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2010年5月 4日 (火)

「ハーバード白熱教室」 第1回 殺人に正義はあるか(2)

前半は、こちらです↓
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/1-67c0.html

 サンデル教授の講義の2コマ目は、1コマ目で仮定した 「究極の選択」 という趣旨から一歩踏み込んで、実際にあった事件からの設問。 120年以上前の、古い事例ですけどね。

 この事件も極端な例のひとつと言えるのですが、現実に起きた話から思索をする分だけ、学生たちは自分が陪審員になった感覚で、事件の当事者に対して、有罪か無罪かを決めることができるだけに、より実戦的であると言えます。

 まずその前にちょっと。
 この2コマ目の冒頭でサンデル教授がしゃべっていたことから、この番組自体が、非常にはしょられていることが、推測されます。 サンデル教授が述べていた、「自分の意思に反して臓器を取り出される患者」 とかの話は、1コマ目の講義には、ありませんでした。
 そりゃそうか。 1コマで30分の講義なんて、大学にはないですからね。
 まあ、なんだか、この番組では、試験に重要な要因となる、誰それのなんとか論とか、視聴者が内容を理解するうえで不必要と思われる難解な定義などを、極力省いている感じがする。 1コマ目では、「帰結主義者」 とか、「道徳理論」 とか、簡単そうな事柄を、ヤケに難しく定義させようとする傾向がわずかに見受けられましたが、たぶん講義の大部分は、そんなシチ面倒なことをやっているのではないでしょうか。

 さて。

 サンデル教授が2コマ目で俎上にあげたのは、18世紀イギリスの政治哲学者、ジェレミー・ベンサムの功利主義。 倫社の時間に、習いましたねー(笑)。 今も倫社って、あるんですかね? 倫理社会。

 「ベンサムの基本的な考えとは、『正しい行ないとは、効用を最大化することだ』 というものだ。
 ベンサムの言う 『効用』 とは、苦痛よりも快楽、すなわち喜び…受難よりも幸福…というバランスを意味している。(略)
 何が正しい行ないかについて、個人的、あるいは全体的に考えるとき、私たちは、全体の幸福度を最大化させるやりかたで、行動すべきなのだ――それゆえ、ベンサムの功利主義は、最大多数の最大幸福という標語に集約されることも多い」

 出たー、「最大多数の最大幸福」(笑)。 なんかのっけから、難しそうなんですけど、要するに、「より多くの人が幸せになるようにする生き方こそが、いちばん正しい」、ということですよね。

 ここでサンデル教授は、実際に起こった事件を設問として提示します。

 「当時(1884年)の新聞に、事件の背景を解説した記事が載っている。 悲劇的な海難事故の物語だ。
 この船の名は、ミニョネット号。 南大西洋の喜望峰から、2000キロ離れたところで沈んだ。
 乗組員は4人。 船長のダブリュー、一等航海士のスティーブン、そして船員のブルックス。 
 4人目の乗組員は、給仕のリチャード・パーカー、17歳。
 彼は孤児で身寄りもなく、これが彼にとっては、最初の長い航海だった」

 船の沈没後、3週間ほど漂流して食料も尽きた末、彼らは恐ろしい決断をします。
 くじ引きをし、残りの3人のために、誰が犠牲になって自分の身体を食料とするか決める、というのです。
 これにはブルックスが拒否。
 結局、くじ引きは行われませんでした。
 その時、忠告を無視して海水を飲んだパーカーは、すでに瀕死状態。
 そしてその翌日、ダブリューはスティーブンと話し合い、ブルックスに見ないように言い、パーカーを殺そうと決断。
 ダブリューはパーカーに祈りをささげ、「お前の最期の時が来た」 と告げ、ペンナイフで頸動脈を刺して殺すのです。
 そして4日間、彼ら3人はパーカーの肉と血液で生き延び、救助されました。

 彼らはイギリス送還後、裁判にかけられるのですが、「必要に迫られての行為だった」 と主張。 「3人が生き残れるのなら、ひとりの犠牲は仕方ない」 と論じました。

 ここでサンデル教授は、彼らが有罪か無罪か、学生たちに尋ねます。

 ほとんどの学生が、彼らを有罪だと断じました。

 ひとりひとりにその理由を尋ねるサンデル教授でしたが、有罪無罪の決断を迫られた学生たちの両方とも、なぜ3人が有罪(無罪)であるかについて、とても理路整然と語っていました。 さすがハーバードの学生。

 ここで私が驚いたのは、銃社会であり、政治的な正義を実現するための世界最強の軍隊があるこのアメリカという国にしては、少なくともこのハーバード大学のサンデル教授を受けている学生たちに限っては、彼らがとても、「確固とした」 道徳的な判断力を、持ち合わせていた、ということでした。

 いまなぜ 「確固とした」 などと、カギカッコつきの言葉にしたのか。

 「人を殺すのはいけないことだ」 という認識において、彼らにはわれわれ日本人以上に、「きちんとした」 判断基準が、備わっているように見えたからです。

 それは、やはり彼らが、戦争やテロ、銃乱射などの 「殺人」 を、身近に感じている証拠のように思えます。
 その点で、「殺人」 というのが日常的に起こることのあまりない日本においては、「殺人」 に対する思想が、漠然とならざるを得ない側面がある。
 日本のテレビの討論番組で、「人を殺すのがなぜいけないことなのか?」 という若者がいたことが問題視されたのは、もうずいぶん昔の話だったと思うのですが、それは 「殺人」 が身近な問題でないがゆえに、「人殺し」 に対する倫理感も、ぼやけてしまう好例のような気がします。
 殺人が身近な国民のほうが、テロも戦争もない、殺人から最も隔離されている国民よりも、ずっと 「人を殺すことの罪深さ」 を道徳的に考えている、というのは、興味深い。

 この講義の中では、確かに 「しなければならないことは、しなければならない」 という、「切迫した状況下では倫理観などかまっていられない」、という行動基準の持ち主も、いました。

 ただそれを一概に批判は、できない。

 戦場下では、一瞬の判断ミスが、命取りになる場合が、あまりにも多過ぎるからです。

 またいっぽうで、パーカーに同意を得れば、その人肉食という行為は正当化されるのではないか、という意見も出ました。
 この 「同意」 という点で判断を翻す学生は、何%か増えました。

 サンデル教授はここで、「それでは、同意を得ても、これは決して許される行為ではない、と考える人はいないか」、と学生たちに尋ねます。

 その時立ったのが、「殺人はすべてが悪である。 いかなるケースでも、殺人は許されない。 ベンサムよりも、自分のほうが絶対正しい」 という、思考停止状態のように見えた学生(あえて 「思考停止状態」 と表現します)です。
 彼の立場だと、ベンサムの論理から、真っ向に対立することになる。
 ベンサムの考えから行くと、同意を得れば、殺人は許される、という判断は正しいということに、なってしまうからです。 なぜならそれが、最大多数の最大幸福なのだから。

 ここで私は考えるのですが。

 もし自分が犠牲になることに同意をする、という過程があったとしても、それはくじ引きなどできはなく、自発的に行なわれるべきなのでは、ないでしょうか。

 ここで私が思い出していたのは、手塚治虫氏のマンガ 「ブッダ」 の冒頭で、極寒の地に閉じ込められていた動物3匹と仙人らしき男が、今回と同じような状況に置かれた時、そのうち1匹のウサギが、自分を食べてください、と言って自ら火の中に身を投じた、という逸話です。

 つまり自己犠牲の尊さ、というものを、ここでは説いていたわけですが、その状況下でウサギは、半ば脅迫観念の中でその判断を自らに下している。
 けれども重要なのは、ウサギが精神的に追い込まれてその行為に及んだ、その状況ではありません。
 そのウサギが、自分がみんなの食料となれば、ある程度の飢えをしのぎ、その極寒の状況下からも脱出することができるかもしれない、と考えた、その 「心」 なのです。
 ある種の損得勘定とか自己保身とか、誰もがそんなものに縛られながら、人生を生きている。
 けれどもそのウサギの心、というものは、そんないやらしい合理的な判断を、超越している 「質」 を備えているように感じる。

 くじ引きに限らず、当事者すべての合意、という約束事は、私には、いかにも機械的な冷たい合理性が感じられてならない。
 サンデル先生も指摘したように、もしくじ引きで犠牲となる者が決まったとしても、くじに当たった瞬間、「やっぱりこれはナシにしよう」 と考えを変える者が、ないとも限らないですよね。
 つまり、くじ引きなどというのは、その程度の覚悟しか強要できないのです。 私たちは、その 「同意の質」 というものに、もっと目を向けなければならない。
 ウサギがしたような自発的な覚悟は、その点で 「同意や取り決めの上での犠牲」 よりもずっと、尊い行為である、と私は考えるのです。
 それほどの質を備えた同意がなければ、いかなる人格も、殺していい理屈など、存在するはずがない。 それで全員が飢え死にするのであれば、それは仕方がない、とさえ言える。

 私が考える最良の答えは、まず全員が、自分が死ねばその肉を供してもいいかどうかの同意をあらかじめとる、ということです。

 同意、という点では同じですが、くじ引きであるとか誰かを殺すとか、そういう強制的行為が介在していないだけ、ずっとマシであると思います。
 そしてその肉を食べるかどうかの判断も、各人たちに任せる。
 人が人の肉を食べる、ということに、あくまで倫理的にこだわる人も、いると思うからです。 人の肉を食べることは、人の尊厳に対する冒涜だと考える人は、食べずに自ら死を選ぶ自由を有する、と私は考えます。

 問題は、同意という手続きがありさえすれば殺人にも正義が生じる、と考える、その思考回路にあるのでは、ないでしょうか。

 ベンサムの功利主義には、最大多数の最大幸福という理念はあるが、その範囲に漏れた人の幸福、というものを、考えていない。
 当事者の合意、というものの冷たさを私が感じる原因は、ここにあります。 それは人の幸せを考えているようでいて、実は誰かの犠牲の上によって立っている。 多くの人たちの幸せを考えている、という時点で既に、なんだかウソっぽくも感じられる。

 ここで犠牲になっている誰かは、けっしてその判断に、心から同意していない。
 犠牲者が出るのは、誤解を恐れずに言えば、別にしかたないことでも、あるんですよ。
 でも、同じ犠牲になるのでも、火に自らの身を投じたウサギのような、自発的な覚悟が必要なのではないか、ということが、私は言いたいのです。

 そのうえでさっきの 「思考停止状態」 の学生の言うことを考えると、彼の言うことがとてもまっとうな考えに思えてくるはずです。

 人間は、いかなる場合でも、殺人をしてはいけない。

 確かに、それは当たり前のことです。
 それを思考停止状態と考えるほうが、間違っているとさえ言える。
 どうして 「同意」 とか、条件付きならば殺人が許される、と考えてしまうのか。
 その思考状態こそ、思考停止状態と呼べるのではないか。

 いずれにせよ、この講義を見ていて私が思ったのは、手続きがありさえすれば殺人が有効になると考えてしまうことへの、違和感でした。
 そしてその考えを超えられるのが、「自発的な犠牲行為」 なのではないか、ということを、考えたわけです。

 あ゛ー(笑)。

 ムヂャグヂャ疲れたー(笑)。
 連休でもなければ、こんなに小難しい文章など、ダラダラと書かなかったでしょう。 議論が堂々巡りしているような気もしますし(笑)。 すみません、分かりにくい話で。

 録画してある 「白熱教室」 の第2回目以降も、全く見とりませんし(笑)。 見るんでしょうかね、こんな脳みそが疲れるものを(笑)。 そうだ、こんな記事を書こうとするから、見る前からウンザリしてしまうのだ(笑)。 書くのはやめて、見るだけにしよう。 いや、でも見ちゃったら、また書きたくなりそうだ(笑)。

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2010年5月 3日 (月)

「めざせ!ロックギタリスト」 第5回 メロメロになってきたますだクン

 先週 「おくりびと」 を見ていたら、見るのを忘れてしまった 「めざせ!ロックギタリスト」。 再放送をしっかりチェックしました。

 今回のテーマは、リード・ギター。

 リード・ギターというと、コードをびろーんと弾いたり、リフを弾いたりするバッキング・ギターと違って、まさにロック・バンドの華。 基本的に弦を一本一本、正確に弾く能力がないと、やっとられません(笑)。

 ところがこれが、思ったよりも相当難しい。 少なくとも私はそう感じます。
 これは、練習練習また練習、しかないのですが、私なんかはいくら練習しても、ちゃんとノーミスで弾ききれることが、ホントにまれなのです。 ここまで来るともう、正確なピッキングができる、ということは、向き不向きがあるとしか、考えられない。

 ましてや初心者のますだクンが、ハンマリング・オン、プリング・オフなどの技術を織り込まれた、今回のテーマ曲、キッスの 「デトロイト・ロック・シティ」 をいきなり弾こう、というのは、かなり無理の伴う作業だったようです。
 卒業試験も、テイク12でようやく突破。 原曲の、50%以下のスピードだったんですが…(笑)。
 最初のうちは、うまくいきそうな時もあったのですが、ヨッちゃんのギターが絡んで、ツイン・ギターのカッコいい部分になると、途端にまたメロメロになってしまって(笑)。 ここが決まると、快感なんですけどねー。 相手に合わせなきゃ、と思って、自分のペースを失ってしまうんですよね。

 見ていて感じたんですが、最初はハンマリング・オン、プリング・オフなしで全部ピッキングで弾かせ、慣れてきたらそれを加えて弾かせる、という練習方法が、より覚えやすかったのではないでしょうか。

 卒業試験を終えたますだクン、やり終えたというのに、なんか、浮かない顔(笑)。 もう、やんなってませんかね(笑)。
 「デトロイト・ロック・シティ」、この曲は我々の世代にとっては(もちろん私と同年代のヨッちゃんにとっても)、かなり有名な曲の部類に入ると思うのですが(洋楽好きにはですね)、ますだクン、ご存じないようでしたし。 やはり、知っている曲でないと、テンション上がりませんよね。 その点ではヨッちゃんが冒頭に弾いた、「いとしのレイラ」 のほうがよかったかも。 チョーキングの混じるギタープレイですけど、やる気は確実に湧くと思うんですよ、ますだクンの。

 今回私が参考になったのは、リード・ギターを弾くうえで、オルタネイト・ピッキングという、ピックを上からだけでなく、上下に動かして鳴らす、という方法が、早弾きには有効だ、という点でした。
 私の場合、ずっと上から下、なんてことはしないのですが、結構フィーリング重視でやってます。
 それがピッキングの不正確さにつながってるのかなーなんて、感じました。

 それと、最近のリード・ギタリストは、パフォーマンスをしなさ過ぎる、というヨッちゃんの指摘。
 ホントホント!という感じ。
 ホントに、出しゃばりませんよねー、最近のリード・ギタリストって。
 チョーキングをする時も、ヨッちゃんがやったように、自分がシャウトしているような感覚で鳴らしている人が、ホントにいません。 魂で弾いてない感じがするんですよ。

 それに加えて私が感じるのは、最近のリード・ギターで、印象に残るようなメロディアスなものを、聴いたためしがない、ということ。 心に残らんのですよ。 「いちご白書をもう一度」 を、見習ってほしいものです。 泣きのギター、というものが、ない気がします…って、最近の音楽って、まったく聴く機会がないので、あまりいい加減なことは申せませんが。

 キッスというバンドは、ハードロックにもかかわらず、そこらへんの 「泣き」 のフィーリングも、ちゃんと持ったバンドだったような気がします。 「ハードラック・ウーマン」「ベス」 という曲をリリースした時は、このバンドの懐の深さを、まざまざと感じましたもん。 ハードロックバンドで、唯一好きなバンドでした。 ハードなナンバーでも、メロディがちゃんとしてるんですよ。

 このバンド、顔に歌舞伎みたいなメイクを施すスタイルだったためか、ビジュアル的に、まったく歳をとらない、という大きな強みがある気がします。 もっと評価されてしかるべきバンドだと、思うんですけどねー。

 それにしてもますだクン、無事に最後まで、たどり着けるのでしょうか?(笑)

当ブログ 「めざせ!ロックギタリスト」 に関するほかの記事
第1回 待ってました!
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/post-a305.html
第3回 チューニングが狂うワケが分かった!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/3-78fd.html
第4回 バレーってやっぱ、鬼門なのネhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-8fc5.html
第9回 Charサンからのメッセージhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-char-ab5f.html

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2010年5月 2日 (日)

「龍馬伝」 第18回 武市の転落ぶり、凍りつきました

 神戸村の海軍操練所へやってきた龍馬(福山雅治サン)と長次郎(大泉洋サン)、いきなり人材探しに奔走しますが、まったく募集経験ゼロのふたりが、道行く人をつかまえて自衛隊…じゃなかった(笑)海軍に入りませんか?と無理に誘っても、首を縦に振る人なんかいないわけであり。 まだ自衛隊のほうが、何をやるところか分かるだけマシだというか(笑)。

 ほとんど偶然の産物みたいに出会った沢村惣之丞(要潤サン)を、メシで籠絡したはいいものの(笑)、攘夷派の土佐勤王党のやりかたがヌルイと言って抜け出したほどの先端過激派である惣之丞は、龍馬たちの話を聞いて逆上(笑)。 それでも、「黒船には黒船」「なんとしても、日本を守りたいと思っての話じゃ」 という龍馬たちの理屈に納得した様子です。

 ところが、当の海軍操練所、いざ龍馬がその陣容を覗いてみると、どうも 「異国と対等な軍事力を身につける」 という理屈が、「それで異国を滅ぼす」 という、攘夷派の理屈と同じになってしまっている。 惣之丞も、結局その考えで操練所に入っている。

 理想と現実の乖離を、この場面はよくあらわしていると思います。

 龍馬が思い描く攘夷とは、軍事力を身につけることでそれが侵略に対する抑止力になる、ということなのですが、それは異国をやっつける、という、当時の主流的な攘夷の考えと、目的は違うとは言うものの、結果的には、同じになってしまう。

 この実情を悟った福山龍馬の狼狽ぶりは、見ていて興味深かったです。 自分の理想に欣喜雀躍していた男が、思い描いていた方向とは、どんどんずれていってしまうのを、頭が混乱し、あわてながらも、どうすることもできない。
 長次郎と徳(酒井若菜チャン…前回予告でちらっと見たのは、彼女だったんですね…お龍サンが出てくるのかと、大カンチガイをしてしまいました…笑)がイチャイチャしているのを見て、「いかぁーんっ! いかんいかんいかぁーんっ!」 と、ピエール瀧サンの口癖が乗り移った龍馬(笑)、「おまんらのことが気になって、考えがまとまらんがぜよ!」 と、イライラもピークに達した模様(笑)。
 結局、龍馬は勝(武田鉄矢サン)に教えを乞い、自分の考えの混乱をどうにかしてもらおうと、京に向かうのですが、それが結果的に今回のドラマ構成の、ひとつの見事さにつながっています。

 そして今回のもうひとつの見どころは、怪物・山内容堂の手の内で翻弄される、武市(大森南朋サン)。 ちっくと話は前後しますが。
 藩邸に呼ばれ、もうこれ以上ない喜びを仲間たちの中心で爆発させる、武市。 どんなことになるのかも知らないで…。

 目通りの場で、いきなり 「その菓子は、大殿様からの褒美じゃ」 と御側衆から切り出され、恐縮至極の武市なのですが、その時点で既に、「おちょくっとんのか」(笑)という感じに見えるんですけど。 それはまあいいとしても、「菓子」 と 「下士」 を引っ掛けた嫌味のようにも見える(深読みしすぎですかね…笑)。

 ここで容堂公は、さんざん武市を嫌味ったらしくあしらったあと、土佐勤王党から、海軍操練所に、3人ほど人間を送れ、と命じる。
 攘夷派の先鋒である武市に向かって、幕府の組織に仲間を差し出せというのも露骨なパワハラですが、それ以上に、前回勝に頼まれて渋っていた龍馬の脱藩を、わざわざ武市のいるこの場で許すという話をするのも、容堂公のいやらしさが透けて見える。 この話の組み立てには、感心します。 福田サン、ますます脚本が冴えてきた感じがします。

 容堂公との目通りを終えた武市は、半分腰が抜けたような状態。 そりゃ、あれだけいたぶられれば無理からぬことなのですが、これで武市の次の標的は、決まったも同然。 以蔵(佐藤健クン)を呼び出し、狙うは勝麟太郎。

 ところがこの時点で、容堂公の武市骨抜き作戦は着々と進行中で、収二郎(宮迫博之サン)を抱き込み土佐勤王党を崩壊させようとしているのです。 恐るべし、容堂公。

 いっぽう勝の暗殺に出向いた以蔵は、そこで勝の教えを乞いに京まで来ていた龍馬と、ばったり出会う。
 勝も龍馬も、以蔵を見てとっさに、暗殺をしに来たのだと分かるところはさすがです。 そして以蔵に 「まだ武市に命じられて人斬りをやっちゅうがか!」 と責める龍馬に対して、勝先生は実に器が大きい。 自分を斬りに来た人間に、飲みに行こう、と誘うのです。
 ここで会う人ごとに地球儀を見せては日本の小ささを説こうとして失敗し続けてきた勝先生が(笑)、ようやく以蔵が驚くところを見て満足するくだり。 よっぽど自慢したかったんだろうなー(笑)。
 「やった! やった! 役に立った! 地球儀が!」
 …笑いました。

 そして、以蔵を交えた酒の席で、海軍操練所が結局従来通りの攘夷の場になってしまっていることの悩みを、龍馬は勝にぶつけるのですが、その時の勝の答えが、実にこれが、目からうろこが落ちるほどの、強い説得力を持っているのです。

 「じゃあほっとけ。 人はなあ、口で言ったって分かるもんじゃねえ。 『お前さんは間違えてる』 と言って素直に認めるのはここにいる以蔵くらいなもんだ、なあ以蔵、へへへへへ。 まあ、そのうち人は、肌で感じて、変わっていく。 まず、あの塾のいいところは、…そう…藩の壁がねえ。 次に、人の上下の隔てがねえ。 そして、黒船を動かすためには、どうしても西洋の学問を学ばなきゃなんねえ。 そのうち、やつら、必ず悟ってくれる。 『拙者は、何々藩の藩士でござる』…これじゃダメなんだよ。 オレたちは、日本人だ。 そう、必ず、悟ってくれる。 西洋の文明のすげえところが分かりゃあ、異国と戦をするなんざ愚かなことだってことが、すぐ分かる。 おめえ達若えもんはよ、そういうやらけーえ頭を持っている。 …だからおいらあ、おめえ達のこと、頼みにしてんだぜ」

 このセリフが、土佐勤王党から操練所に入ってきて、初め不審の目つきでいた望月らが、次第に成長していくところと、交互に流されるのです。 この見せかたは、よかったですー。

 そして納得したら、以蔵もそのままに、とっとと帰ってしまう龍馬。
 彼の行動力が、並大抵の素早さではなくなっていることが、ここに表れていた気がしました。 ボー然とする以蔵に、勝は 「なんでおめえ、ああいう奴(龍馬)と、付き合わねえんだ?」 と問いかける。 以蔵の目は、ぎらぎらとした暗殺者の醸し出す鋭さから、解放されつつある。 それが分かるんですよ。 佐藤健クン、エライ役者だなあ。

 そして容堂公との再びの目通りの席で、武市は決定的な言葉を投げつけられるのです。

 「黙れ、武市! わしはのう。 攘夷派の阿呆どもが、強欲な公家どもを担ぎ出し、将軍家を困らせるがを見ゆうがは、もう、…うんざりじゃき!」

 勤王党の屋敷に戻った武市は、隊士が誰もいないことに気付く。

 「誰かおらんか…?」

 しかし収二郎は三条実美のもと、望月らは海軍操練所で洗脳中(笑)、以蔵は勝の用心棒。

 「みんな、…どこじゃ?」

 よろよろと誰もいない屋敷内を歩く武市。 「これで武市のまわりから、人がいなくなったのう、…ハハハハハ!」 と嗤う、容堂公。

 「どういてじゃ…」

 ガクッとひざを落とす、武市。
 …すごかったです。 ただただ脱帽。

 今週は、弥太郎殿が出てきませんでしたので、「弥太郎伝」 はお休みですが、その分福山サンの 「イカンイカンイカーン」 と、武田サンの地球儀で、笑わせていただきました。

 第2部になって、やはり話が締まってまいりましたね。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html
♯12武市の心理、執拗にやってますねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/12-2a95.html
♯13大友サン演出は、一味違うhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/13-e7ca.html
♯14進む龍馬の空洞化http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/14-ef4d.html
♯15龍馬の人物像が、ちっくと見えてきたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/15-b072.html
♯16日本人じゃあぁーっ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/16-5e1f.html
♯17試合という名のラブシーンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/17-6ae8.html

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2010年5月 1日 (土)

「ゲゲゲの女房」 第5週 ほんとうのスタートは、ここから

 安来編が終わって、東京で茂(向井理サン)との新婚生活を始めた布美枝(松下奈緒サン)。 物語的にも、このふたりの夫婦生活が大部分なわけですから、本当のスタートが、この週から始まったと言えます。

 郊外とは言え、東京の商店街での買い物する奥サンたちのスピードになかなかついていけない布美枝ですが、いきなりひったくりにあってしまう。 それを捕まえた貸本屋の奥サン、田中美智子(松坂慶子サン)とは、のちのち何かと絡んでいくことになるのですが、ちょっとその話は置いといて。

 この、調布のボロ家を訪ねてきた、東京の赤羽にいる、布美枝の姉暁子(飯沼智恵子サン)の目を通して、このスピード結婚の非常識ぶりを、見ている側に改めて感じさせる作りが、またいいのです。
 先週まで、両家の親たちの愛情をひしひしと感じさせる内容だっただけに、この暁子の視点は、重要です。

 知り合ってから一週間足らずで結婚、というのは、やはりはた目から見ると 「さっさと片付けちまえ」 みたいな感じに見えるし、しかも実際の生活は、聞くと見るとは大違い。
 布美枝の父親源次郎(大杉漣サン)は、もっときちんと事実を確認してから、布美枝の結婚を決めてもよかったのではないか、とも思えてくるからです。

 ところがこのドラマ、現代の過保護社会の常識では計り知れない、当時の社会の暗黙の了解が、布美枝の覚悟から、見えてくる。 「所帯を持てば自らの責任で生きよ」 という、ある意味では、現代よりずっと大人としての自覚が確立した、覚悟です。

 「私、長いこと家にいて、ずっとみんなに心配かけとったんだけん。 これからは、自分で何とかやってみる。 もう、引き返すことは出来んのじゃけん」

 ここではまた、貧乏所帯でもなんとかなる、という、ある種のおおらかさが布美枝に備わっているようにも思えます。
 そのおおらかさ、源次郎にも、茂にも、茂の父親(風間杜夫サン)にも共通なところがある。
 土地柄ですかね。
 「なんとかなるじゃろ」 という楽観的なものの考え方は、あれやこれやと心配だらけの生き方をしていると、ハッとさせられる部分があります。

 そしてある日、姉からの話に聞いていた貸本屋を見つけ、夫のマンガを探して見ていた布美枝は、ひったくり犯原田(中本賢サン)を連れて店内に入ってきた、田中美智子とばったり出会う。

 ここは 「なんでひったくり犯とつるんどるのだ?」 みたいな展開なのですが、美智子から事情を聞くと、これがまた、昭和中期の時代を感じさせる、いーい人情話で(笑)。
 原田が腹を空かせて犯行に及んだこと、それをかわいそうに思って、自分の貸本屋で働いてもらうことにした、どうかこの人を許してやってほしい、と布美枝に頭を下げる美智子。
 人々が互いに貧乏であったからこそ、困った人は助けてやろうとする、世の中だったんですねー。 今じゃ考えられんですが、当時にしても、ちょっと美智子サンは、お人好しの側面が、あったかもしれない。

 でも、いいじゃないですか、それで。

 やがてこの貸本屋も、時代の流れとともに、消えていく運命なのです。
 この貸本屋以前にもいろいろ職業替えをしていた、という美智子サンですから、時代が変わればその流れに乗るのでしょうけどね。 それでも私には、この貸本屋、というスペースが、人情の通い合う、その時代にしかない、貴重な空間だった気がして、ならないのです。

 その貸本屋、店番のおばあちゃんが佐々木すみ江サン。
 これがまた、佐々木サンにしかできないような役で(笑)。
 「ふぞろいの林檎たち」 を、またまた思い出したりしますが、佐々木サンと松坂サンって、…よく考えてみると、「篤姫」 の教育係ではないですか(笑)。
 まあ 「篤姫」 で、おふたりが共演、という場面はなかったですが、狙ってんのかなー(笑)。 佐々木サン、ホントに、こういうとっつきにくそうなおばあちゃん役が、似合ってますよねー。

 松坂サンはまたひとまわり、一ノ瀬のおばさん化が進んだ感じ(「めぞん一刻」…分かる人には分かるでしょうが…笑)でしたが、人の良さそうな人を演じると、この人の右に出るものはいない感じになってきた(笑)。
 バニー姿で 「愛の水中花」 を歌っていたころの松坂サンにクラクラしていた身としては、松下奈緒サンとのあまりの身長差に、卒倒してしまいそうになりますが(笑)。 大好きでした~、あのころの松坂サン。

 そして、イタチ(杉浦太陽クン)が連れてきた、マンガ家の中森(中村靖日サン)。 顔が青白くて(笑)、いかにもマンガばっかり描いていそうな雰囲気なのですが、彼を家の二階部分に住まわせてしまうことを決めてしまう、茂。
 この出来事で、さまざまなことがうかがわれてくる。
 まず、家賃収入でもなければやっていけない茂の経済状況。
 そしてイタチが、こんな恩着せがましいことをしたまま終わらないであろう、ということ。
 そして、布美枝の新婚生活が、さらに居心地の悪いものになるであろうということ、です。

 茂は、仕事中全く部屋に閉じこもりっきりの上、見知らぬ他人を家に住まわせることで、布美枝の気持ちはたぶんいっぱいいっぱい。 そこに、仕事部屋を片付けたことで茂に激しく叱られたせいで、布美枝は自分の気持ちを、茂にぶつけてしまうのです。 初夫婦ゲンカ。

 「私、ほんに、分からんのです。 気の利かん人間ですけん、ちゃんと話してもらえんと、何が大事なことで何が余計なことなのか、なんも分からんのです。 村井サンのお仕事のことも分からんし、マンガのこともよく分かりません。 でも、いっしょに、暮らしていくですけん、村井サンの考えていること少しでも話してもらわんと、私、どげんしたらええのか…いっしょに、ここで、暮らしていくんですけん…」

 茂はまた、仕事部屋に引っ込んでしまうのですが、布美枝が買い物に出て行ったあと、一階の部屋の片付いた様子を見て、もうひとりの住人が、この家におることを実感する。 牛乳ビンにさりげなく飾られたナズナが、あまりにも地味で健気な花なのが、またいいんですよ。 まるで布美枝のようではないですか。

 そして茂は、もらった原稿料から、布美枝用の自転車を買う。
 それを見た布美枝が、うれしくて泣いてしまうところは、それまでずっと、布美枝の東京での不安な生活を見せられてきた私も、もらい泣きです。 我慢していたものがはちきれてしまう涙、というものが、あるんですよね。 すごくよく分かるのです。

 その自転車で、ふたりは深大寺までサイクリングに出かけるのですが、そこであらためて、お互いがどうしてこの結婚を決めたのかを、語り合う。
 お互いの気持ちを分かり合いたい、と話した布美枝の気持ちが、ここで結実しているんですよね。

 登場人物が言ったことに対して、ちゃんとその答えを提示してくれる、けじめをちゃんととってくれるのが、このドラマの凄いところです。
 決して言いっ放しに、なっていない。

 そしてそのけじめは、茂がそのあと原稿料を布美枝に渡し、「自転車を買ってしまってこれだけしか残らんかったけれど、これでなんとかやりくりしてください」 と話すことで、「自転車なんて買ってしまって、また生活がキツくなるのではないか?」 と考える視聴者たちに、ちゃんと説明をしてくれることにも表れています。
 何度も書いてますけど、実に丁寧だ。

 安来編があまりにもよかったので、東京編にはちょっと不安もあったのですが、なんか杞憂でした(笑)。 来週も、楽しみです。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第01回 NHKのやる気を感じさせますhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第02週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第04週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第06週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第07週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第08週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第09週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html

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