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2010年6月28日 (月)

「龍馬伝」 第26回 なんでもできる!って、なにができる?

 はじめにちっくと、意見してもよろしいがですか?

 「龍馬伝」 を見ていていつも思うのですが、このドラマ、龍馬を演じる福山雅治サンのまわりの役者サンたちが、咆哮しながら龍馬を食ってやろうと最高の演技をしています。
 その貪欲な役者魂の集中砲火を浴びながら、福山サンは自らにできる最高の演技をしようと努力している。
 そんな頑張りが、見ていてとてもよく分かるのに、それをけなすのはなんだかなー、って思います。 以上!

 今回その福山龍馬は、薩摩の西郷吉之助(高橋克実サン)に勝麟太郎(武田鉄矢サン)の紹介で会うことになるのですが、これにしたって、結局会ってなんだったんだ?と言われれば、大したことを話していないようにも思えます。 けれども。

 いきなり 「どんな女が好きか?」 という下世話この上ない話(笑)で始まったこの両者の会見、自分が気になっている女(お龍)が、薩摩軍が京に火を放った蛤御門の変で焼け出された、という話を龍馬が展開した途端、一気に緊張する。

 ドラマを見ている側は、このコントラストの格差に、目を向けるべきなのだと思います(僭越ですが…)。
 この話から、龍馬は 「日本人同士が憎しみ合ってどうするのだ」 という持論を展開するに至るのですが、その根底には、自分は長州だ薩摩だと、どこかに偏った側に立っていない、日本人というものをトータルで考えているのだ、という思想が存在している。

 西郷はそれを、「甘すぎ」 と一蹴するのですが、

 私に言わせれば、それのどこが甘いのか。

 いろんな考えがあって当然だし、どちらの側にも大義というものは存在しています。
 けれども、そんなものを超越して、力を合わせなければならない時期だったのではないでしょうか、幕末というのは。
 現に、当時日米のあいだで交わされた条約は、一方的に日本に不利な通商条約。
 異国に乗っ取られるのは、なにも軍事力に限った話ではないのです。

 龍馬の思想の根底には、そんな危機感が厳然と存在している。

 「龍馬伝」 では、それを誰にでも分かるように説明しているにすぎないのです。

 こんな大局に立って物事を考えている人間は、「龍馬伝」 のなかでは勝麟太郎しかいません。
 そして今回、その精神的な素養がある人間として、西郷吉之助を描いている。 龍馬の考えを西郷が一蹴したからと言って、福山龍馬がまたなんにもできなかった、と決めつけるのは早計です。
 現に、西郷は長州征伐をしないと幕府に翻意を表明した。
 西郷の考えの裏にはしたたかなものが隠れているのかも知れませんが、龍馬の進言がどこかで西郷を動かしている可能性も捨てきれない。 ここを見逃しては、福山龍馬の立つ瀬がない、と言いますか…(笑)。

 その龍馬、勝麟太郎の最後の授業に出ております。

 このシーンは、まるでドラマの作り手が、武田鉄矢サンへの限りないオマージュを具体化したシーンのように感じました。
 坂本龍馬が大好きで、その 「坂本」 という名前を冠した中学校教師、金八先生を演じてきた武田鉄矢サンへの。

 こんなひどいことをされて、なんで幕府を飛び出さないのか、と詰問する龍馬たちに、勝はこう答えます。

 「だがおいらは…脱藩するには、歳を取りすぎた。
 咸臨丸で、アメリカに渡ってから、もう何年だろうなあ。
 あんときゃあ、『日本人だって、やる気になったらここまでできるんだ』 って、おいら、胸張ったもんだぜ。
 だが、そのとき、こうも思った。
 『こんな無茶は、もう二度とはできねえ』 って。
 だからおいら、そこからは、若えもん育てることに、心血を注いだ!
 このままでは、日本は危ない!
 急がねえと、おいらの寿命がなくなっちまう!
 だが…だが!
 おめえさんたちは違う!
 おめえさんたちには、時がある!
 ここから先は、おめえさんたちの舞台の幕が開く!
 いいか! とく聞きねえ!
 昔、海は日本と世界を隔てていた。
 だが今は違う!
 海が、日本と世界をつなげている!
 おめえさんたちは、どこへだって行ける!
 何だってできる!
 おめえさんたちの腕で、この日本を変えてみろ!
 日本を、世界と互角に戦える国に、してみろいっ!

 …君たちは…
 …私の希望である…」

 「君たちは」 と言われた日にゃ(笑)、いやでも金八先生を思い起こさずにはいられません。
 なんか、知らずに泣けてきました。
 どうして泣けるんでしょうか。
 それは、もっと自分に自信を持て!もっと自分に誇りを持て!と、情けない自分を叱咤されている気持ちになるからです。
 自分の考えがいちばんだと思い、自分の尺度でしかものを測ったことのない人間には、この気持ちは分からない。 実に不遜な書きかたで大変申し訳ありませんが、そう私は思います。

 そんな勝の言葉に、福山龍馬は男泣きする。
 そして皆に整列を促し、勝に一礼をするのです。

 そんな福山龍馬を食ってやろうとする役者サンたちが、ここで大挙登場します(笑)。
 結果、この龍馬の男泣きが、印象薄くなってしまうきらいが、どうしてもある。
 これを見ている側は、役者どうしの力のせめぎ合い、という視点から見なければならない、そう感じます(どうも僭越続きですね、スミマセン)。

 それは、「これで以蔵(佐藤健クン)を楽にしてくれ」 と、毒饅頭を武市(大森南朋サン)から受け取った、香川照之サン演じる、岩崎弥太郎。
 この毒饅頭、父親の弥次郎(蟹江敬三サン)が食おうとしてしまうのですが、「これは毒饅頭ながじゃ!」 と必死で止める弥太郎に、「そんなに饅頭ひとり占めしたいがか!」 と激昂して意地でも食おうとする弥次郎に大爆笑しながらも、その迫真の演技の応酬には、息をのみました。
 なんでそんな饅頭を受け取ったぞね?と詰問する美和(倍賞美津子サン)に、弥太郎は苦悶に顔をゆがませながら、こう絞り出すのです。

 「わしやち…わしやち…以蔵がかわいそうだと、思うてしもうたき…
 血が噴き出すばあ叩かれ、骨が軋むばあの重い石を抱かされて!
 わしが以蔵やったら、死んで楽になりたいと思うき!
 …わしは、どういたらえいがじゃ…
 この毒饅頭!
 どういたらえいがじゃ!」
 
 そしてもうひとり、福山龍馬を食ってやろうという、もうひとりの剣客(笑)。
 以蔵を演じる、佐藤健クンです。

 牢獄で武市に大事にされた思い出や、龍馬の優しい言葉ばかりがよみがえり、「昔は………楽しかったのう………」 と笑いながらつぶやく。
 ここでも、泣けてきました。
 これは今の自分が、やはり昔のほうが楽しかったと思っている部分があるからこそ、泣けてくるわけです。

 そこに、弥次郎の強い勧めもあり、毒饅頭を持ってきた弥太郎が現れるのですが、以蔵は武市の本心をよく悟り、毒饅頭を貰おうとする。
 ここで以蔵が、武市の真心を敏感に感じ取るところが、また泣けるのです。

 そして、やはり殺すのは忍びない、といったん出した毒饅頭をひっこめる弥太郎とのものすごい演技の応酬が、またここでも。

 「先生…先生…先生…!」

 弥太郎の饅頭を出す手が大きく震える。

 「どういて震えゆう…?」

 「こ、これは、酒の飲み過ぎぜよ…は、はよう取れ、はよう…」

 あまりの弥太郎の狼狽ぶりに、何かに気付く、以蔵。 饅頭を取り、じっと目を閉じる。

 「ありがとうございます、先生…」

 一筋の涙が、以蔵の頬を流れ落ちる。 感情があふれかえって、歪みまくる弥太郎の顔。 饅頭を食べようとする以蔵の手をぐっと掴み、以蔵から饅頭を取り上げるのです。

 「いかん…食うたら、いかん…!」

 「弥太郎…」

 「出来ん…わしには出来ん、おまんを殺すことら出来ん…!」

 「わしが自分で食う、言いゆうがじゃ…返してくれ、弥太郎…」

 「出来ん…出来んちや…!」

 腰を抜かしたまま、その場を立ち去ってしまう、弥太郎。 かすれた声で、弥太郎を呼び続ける、以蔵。

 「弥太郎…弥太郎…弥太郎…!
 …わしはもう…
 …自分の舌を噛み切る力もないがじゃ…
 …饅頭をくれ、弥太郎…
 …弥太郎…」

 毒饅頭をちぎっては投げ捨てる、弥太郎。

 「わしには、出来んがじゃぁ~~っ!」

 …ここまでされてしまっては、福山龍馬も立つ瀬がありません。 凄すぎます。

 武市や後藤象二郎(青木崇高サン)、容堂公(近藤正臣サン)の演技を挟んで、ここで再登場の福山龍馬ですが、「腹減ったー」「金がない」 などと言う土佐の脱藩浪士と陸奥陽之助(平岡祐太サン)を鼓舞している。
 ああいう鬼気迫る演技を見せつけられた後とあっては、いかにも分が悪いのですが、西郷の誘いの言葉に、心が動いている様子です。

 それより私が感じるのは、いくら金八先生、もとい(笑)、勝麟太郎の魂のこもった激励を受けても、自分たちのやるべきことなど、そんなに急には分かるものではない、ということなのです。

 お前たちは、どこへでも行ける!

 お前たちは、なんだってできる!

 そう言われて、たとえいっとき勇気をもらったとしても、とんとん拍子に物事が進むものでもないし、分かるものでもない。
 そんな青春の彷徨を、まーだやっとるのか、殺されるまであと何年もないぞとイライラする向きもおありでしょうが(笑)、こんな不完全である龍馬の人間性にこそ、見ている側は共感せねばならない、そう思えるのです。

 なんとも、傲岸不遜極まる意見だらけの記事になってしまいました。 なんか、いちゃもんをつけながらこのドラマを見ている人って、なんでそんなに不快になりたがるのかなーという気がして、ならないんですよ。 見なきゃいいとは申しませんが。 私はこのドラマは、ドラマとしてとてもよくできていると、思っております。

 いずれにせよ、この記事をお読みになって御不快を感じられたかたには、心よりお詫び申し上げます。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
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♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
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コメント

はじめまして
「ちっくと意見…」で始まった今回の解説。
ついにリウさんも福山さん批判か…と思ってドッキリしました。私も福山さんホントに頑張っておられると毎回感じております。何より、作り手が伝えたい「龍馬伝」における龍馬像をうまく表現していると思うのですが。何でですかね~。大河の主役って難しいですね。

投稿: エツ | 2010年6月28日 (月) 22時46分

エツ様
こちらこそはじめまして。 コメント、ありがとうございます。

ずいぶん気を遣いながらこの記事を書いたのですが、私の言いたかったことは、ドラマを見る側には、その演者が一生懸命であることをおもんぱかる度量が必要なのだということに尽きます。

確かに香川サンや大森サン、ましてや福山サンよりだいぶ若い佐藤クンに至るまで、その人たちの演技力からすれば福山サンの演技は見劣りはするかも知れません。

しかし、伝わってくる一生懸命さ、というものは、福山サンの演技には確実に存在している、そう私は感じるのです。

同じ泣くのでも、去年の愛の人が泣いているのとはその意義において全く違う。 これは脚本家の力量によるものが大きいのですが、ストーリーが稚拙だと、いかに泣いても女々しく見えてくるけれども、「龍馬伝」 の龍馬の涙は、質的にもっと必然性に満ちあふれていると感じるのです。

そんな鑑賞能力というものが、視聴者には必要なんじゃないか?という、まあ不遜な問題提起で、この記事を書いた次第なのです。

投稿: リウ | 2010年6月29日 (火) 06時39分

今回のストーリーは土佐の話よりも龍馬+脱藩組の船出の方が私の心を打ちました。福山龍馬さんは演技派俳優さん達とは一線を画する人の心に焼き付ける臨場感のあるシーン、演技を見せてくれます。きっと表現者なのだと思います。この龍馬伝を契機に俳優としても、又一歩進歩される事を願っています。
日本のサッカーチーム然り、青年が頑張っている姿って、爽やかでいいですね。わたしは高齢なので海舟さんの方ですが。

投稿: sorabakari | 2010年7月 1日 (木) 21時18分

sorabakari様
コメント、ありがとうございます。

私がよく見るヤフーのテレビ新着感想一覧での 「龍馬伝」 の感想で、このところやたらと批判的意見が目立ち始めたことに対しての、自分なりの答えをこの記事では書いたつもりです。

「龍馬伝」 を批判する人たちにとって金科玉条なのが、司馬遼太郎サンの 「竜馬がゆく」 なのではないかと思うのですが、この小説に心酔している武田鉄矢サンでさえ、「龍馬伝」 の龍馬の描きかたには一目置いています。

つまり、坂本龍馬という人間が、「竜馬がゆく」 によって偉大な存在に祭り上げられ過ぎていることへの、ひとつのアンチテーゼとして、「龍馬伝」 は見ることも出来る、そう私は考えているのです。 武田鉄矢サンは龍馬に心酔しすぎたからこそ、そんな龍馬のとらえ方に新鮮さを感じている。

そんな武田サンが、福山龍馬を見るまなざしは、限りなく温かく、頼もしげにさえ見えます。 映画 「幕末グラフィティRONIN」 や、マンガ原作 「お~い竜馬」 で、自分なりに坂本龍馬を世間に啓蒙してきた武田サンの、龍馬への最後のご奉公が、福山龍馬を叱咤激励する役だったことには、私も感慨を禁じ得ません。 ある程度の年齢に達すると、次代に伝えるべき役割というものが、出てくるんですよね。

長文、失礼いたしました。

投稿: リウ | 2010年7月 2日 (金) 05時50分

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