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2010年6月

2010年6月30日 (水)

2010年前半期ドラマについていろいろ

 早いもので今日で一年の半分です。
 見る番組もないのでちょっと今年前半期のドラマについてダラダラと書きますかね。

 私が見た今年前半のドラマは、次の通り。

 「曲げられない女」
 「とめはねっ!鈴里高校書道部」
 「君たちに明日はい」
 「樅の木は残った」(単発)
 「火の魚」(再放送、単発)
 「八日目の蝉」
 「わが家の歴史」(3夜連続)
 「大仏開眼」(前後編)
 「チェイス~国税査察官~」
 「新参者」
 「Mother」

 それと、去年から続いていた 「不毛地帯」。 「龍馬伝」「ゲゲゲの女房」 はずーっと見てます。 8分の短編、「いちごとせんべい」 もありましたね。

 この中には、「面白いですよ」 と当ブログにお越しの方から薦められた 「とめはねっ!」 という例や、途中で見るのをやめながら、当ブログにコメントをお寄せいただいた方のおかげで最後まで見ることができた 「君たちに明日はない」 などあって、このブログをやっていてよかったなー、と感じることしきりであります。 あらためてお礼申し上げます。

 それにしてもこうやってみると、「テレビもまだまだ捨てたもんじゃないぞ」 と思わせるにじゅうぶんのラインナップです。 「テレビが面白くない」 という言葉を、識者と呼ばれる人の口からも聞くことがあるのですが、あえて断言しましょう。 「それはあなたに、優れたテレビ番組を見る機会がないからだ」、と。

 今年最初の衝撃は、「曲げられない女」 の菅野美穂サンでした。
 曲ったことができない、という性格の主人公は、ドラマのなかではさほど珍しいキャラではないのですが、このドラマはムチャクチャな設定をあえて自らに課し、作り手の主張を最大限に膨らませることで、有無を言わせぬゴーインな説得力(笑)に満ちていました。 ドラマというものは、自分が言いたくても言えない、やりたくてもやれないことを実現するものだ、という気概にあふれている、そんなドラマでした。
 特に最終回、オギワラ(菅野サン)が9年落ち続けた司法試験に受かるかどうか、という話の引っ張りかたと、その収めかたは、未だに印象深い。

 「曲げられない女」 だけでなく、私が見た今年前半期のドラマは、おしなべてラストが印象的なものばかり。 「どんなラストだったっけ?」 というのがない。 しかも、予定調和みたいのがあまり見受けられないのはすごいなあと思います。

 まあ、先の予想がついてしまうドラマ、というのは視聴者にとって興醒めなのですが、やたらと次の展開を予想してしまうのも、ドラマを見る方法としては、受け止める面白さを半減させてしまうかな、という感じで、私としては先の予想はあまりしないようにはしているんですが。

 「とめはねっ!」 はそういう点では、予想のついてしまう話だった気もしますが、このドラマのもっとも優れた点は、若い時代のあらゆる感情がギュッと凝縮されている点にありました。 登場人物たちが、特にずば抜けて美男美女、というわけではないのもよかった。 つまりこのドラマは現実離れした夢物語を提供するものではなく、誰にでもある、またはあった、青春時代の甘酸っぱさというものを共感させるものだった、そんな気がします。

 「君たちに明日はない」 は、坂口憲二クンと田中美佐子サンのキスシーンが現実離れしすぎていて、いったん見るのをやめたのですが、終わってみれば坂口クンは年増好みだった、というだけの話で(笑)。 それはいいとして(笑)、会社のリストラ請負人、という一見社会派かな、と思わせるテーマだったのですが、実はヒューマンドラマでした。 …ってなに?(笑)、という感じなんですけど、社会問題を扱いたいのではなくて、人間の感情の機微に重点を置いたドラマだった、ということです。

 「樅の木は残った」 は、老境にさしかかった二枚目俳優田村正和サンの見せ方に苦慮している、今思い返してみると、そんな印象がありますね。
 その最たるものが、相手役の井上真央チャン。
 「おじさま」 と慕わせるのにも、もはや年が離れすぎている、というか。
 伊達騒動の解釈の仕方、というストーリー上の問題点もあるのですが、それは山本周五郎サンの原作に準拠しているだけなので…。

 「火の魚」 はNHK広島放送局制作の1時間ドラマ。 なんか、いろんな賞を受賞したらしいです。 けれどもとっつきにくいことは全くなくて、「ジョゼ」 の脚本家サン特有の、そこはかとないおかしさがちりばめられ、そして締めるところはきちんと締め、結果的に原作者である室生犀星の文芸性も感じさせる、うなりまくりの短編ドラマです。 原田芳雄サンの演技もよかったし、相手役の尾野真千子サンの注目度が個人的には上がった作品でもありました。 尾野サン、「外事警察」「火の魚」「Mother」 とすごいドラマばかり出てますよね。

 「わが家の歴史」 は、フジテレビ開局50周年記念?のドラマでしたかね。 さまざまな人がチョイ役で出演、主役の八女家もオールスター、目が眩むようなぜいたくな作品でしたし、ストーリー的にも、こういう形態だと散漫にどうしてもなってしまうのですが、三谷幸喜サンはさすがの手腕でまとめていた気がします。
 ただ、そんな超大作を作って力尽きてしまったせいか、フジテレビの4-6月期のドラマは見る気のしないものばかりでした(個人的に)。 「不毛地帯」 も打ち切り気味ながらも非常に優れたドラマだっただけに、フジテレビの失速ぶりは残念です。

 「大仏開眼」、古代史ドラマというのは時代考証がいかようにでも作れる自由さはあるのですが、それが却って現実味を薄れさせる結果にばかりなっている。 このドラマもその例に漏れませんでした。 熱演が光ったのは、敵役の高橋克典サンと、主役の吉岡秀隆クン。 ただこの主役、吉備真備は政治の動向に批判的なくせに左遷命令に素直に従ったり、ここらへんの理由付けが弱かった気がします。 現代の常識では測れないところはあるんですけどね。

 「新参者」 も料理の仕方がまずかった気がします。 2時間ドラマとしては無理、としても、もっとコンパクトにまとめられたはず。

 「チェイス」。
 国税局が舞台、ということで、「マルサの女」 を期待した向きには不評だったようですが、親と子の確執を見事に描いたドラマだった気がします。 そしてその復讐にひそむショッキングな真相。 ARATAサンという個性的な役者サンの印象も強く焼き付けられました。

 そしてその 「チェイス」 を書いた坂元祐二サンの、もうひとつの作品 「Mother」。
 この2作品とも、とてつもない名作。
 このふたつのドラマが同時に放送されたのは、驚異的としか言いようがありません。
 そしてこの2作品とも、そのラストの収拾の仕方が、賛否を分けるような予定調和を無視したようなもの。
 けれども、そうなるしかなかったのか…と思わせるところに、作り手の主張が思い切り込められているような気がするのです。 感情的な甘さを排除したこの2作品のラストは、ドラマを見るほうの観賞力も、同時に試されているような気がしてなりません。

 それと、この 「Moher」 の元ネタ、といわれる 「八日目の蝉」 も、同時期に放送。
 「曲げられない女」 にしても 「まっすぐな男」 というドラマと同時多発だったのですが、同じテーマのドラマのかち合わせ、というのも、今年前半に2件も見られた珍しい例となりました。
 ただしこちらの 「子供誘拐」 ドラマは、どちらとも異なった見ごたえにあふれていました。
 ここで興味深かったのは、「八日目の蝉」 の誘拐された子供、薫チャンがその後屈折し人生を送っていったのに対して、「Mother」 の継美チャンはその可能性がとっても低い、ということ。
 それは、前者が女性原作の話であることにその要因があるような気がします。 女性のほうが女性に対して、シビアに同性を見ている。 男性が話を書いた 「Mother」 はその点、女性にまだ理想を抱いている。 だから坂元祐二サンは、継美チャンが奈緒と別れたあとも、奈緒との誓いをけっして忘れず、まっすぐに育っていくと考えているような気がするのです。

 それにしても 「チェイス」 は 「今年最高の収穫、ベスト!」 と思ったものですが、それを 「Mother」 は、あっさり抜き去ってしまいました、個人的ランキングでは。

 今年前半のマイベスト3は、1位 「Mother」、2位 「チェイス」、3位 「八日目の蝉」 4位 「曲げられない女」、といったところでしょうか。

 それにしても、7月から始まるドラマ、NHKの土曜ドラマ 「鉄の骨」 以外、見たいと思うものがないんですよ。 この前半期のランキングで、このままいってしまうんでしょうか。

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「青春の門」 って、どうなりましたっけ?

 五木寛之サンの長編小説 「青春の門」 って、まだ完結してないんですよね?

 歌謡曲を作ろうとかいう話になってから、どうも話にキレがなくなったように感じて、それ以来読んでいないのですが。 もう、かれこれ20年以上になるかもしれない。 高校生あたりのころは、貪るように読んだものです。
 このお話、任侠のことなどかなりヤバめの話が多いうえに、結構エロい部分があったり、大人向けのお話、という感じなのですが、高校生あたりにはそれがちょうど刺激的であったりするんですよ。

 五木寛之サンは、私の叔父貴が大好きで、読み終えた本がよく置いてあったもので、ガキの頃からカッコつけて読んだりしていました。
 かといって小学生にはチンプンカンプンな文章で。
 知らない言葉が、多過ぎるんですよ、この人の文章。
 教養がないとついていけない。 昔の作品については、行間を読むタイプ、という感じがします。
 だいたい題名からして、ガキには理解不能。 「蒼ざめた馬を見よ」 とか、「さらばモスクワ愚連隊」 だとか。 「青年は荒野をめざす」 も、フォークルの歌ですでに知っておりましたが、どうして青年が荒野を目指さなければならないのかは、読んでもよく分からなかった(笑)。

 それでも、高校ぐらいになると、咀嚼能力も発達したせいか、その洒脱な文章にかなり魅せられて 「風に吹かれて」 だの、読みました。
 いちばんハマったのが、「青春の門」 だったわけです。

 「青春の門」 は、当時の大ベストセラーだったこともあって、テレビ化とか映画化とか、しょっちゅうされていたような覚えがあるのですが、それも第1部の筑豊篇ばかりだった気がします。 ウィキによれば、どうも映像化されたのは、第2部の自立篇までみたいですね。

 私もよく覚えているのは、映画化された最初のもの。
 信介が田中健サンで、織江が大竹しのぶサンでした。

 大竹しのぶサンは、これが映画デビュー作。
 初々しかったです。
 おぼこ娘の権化でしたね(笑)。
 大竹サンに対しては、「男女7人」 の時まで、この 「おぼこ娘」 というイメージが強かったことを思い出します。 「あゝ野麦峠」 とかね。
 ちょっと話はそれますが、その 「おぼこ娘」 当時(笑)遠藤周作サンとの対談集で、夜中に素っ裸になって股の向こうから鏡を覗くと将来のだんな様が見える、という迷信を信じている、と大竹サンが話していたんですよ。 「君のケツの穴が見えるだけじゃないですか」 と遠藤サンに突っ込まれ、顔を真っ赤にして恥ずかしがって(笑)。 さんまサンの顔が見えたんでしょうかね(笑)。
 田中健サンは、「俺たちの旅」 のオメダ役と、この信介役のイメージが、個人的にはしばらくつきまといました(笑)。

 2度目の映画化の時は、佐藤浩市サンの映画デビュー作だったらしくて。 そう言えば佐藤浩市サンを初めて知ったのは、この映画だった気がします。 相手役が杉田かおるチャンで、当時ヌードになったことで結構衝撃的でした。 それより、この再映画化でいちばん凄かったのは、やはり重蔵役の菅原文太サンと、タエ役の松坂慶子サンでしたね。 初映画化の時は仲代達矢サンと吉永小百合サンだったらしいのですが、どうもこっちのほうは、よく覚えていない(笑)。 それだけ菅原・松坂コンビのインパクトが強かったのでしょう。

 原作においても、確かに第1部の筑豊篇は、主人公伊吹信介の両親、伊吹重蔵とタエの存在感がものすごい。 その物語となった筑豊のボタ山のような巨大さでした。
 そして筑豊篇のラスト、亡くなったタエの遺骨をがりりと噛んで自らの体内に収め、信介が筑豊から旅立つシーン(うろ覚えですけど、確かそうだったと思います)まで、息をもつかせない展開だったことを思い出します。 

 五木氏自身の筆致が鈍くなって、最後の数編は、展開のまどろっこしさに少々辟易していた覚えがあります。 最初のころは、早く先が読みたくてたまらなくて、あっという間に読んでしまったものでしたが。

 主人公の伊吹信介が、巨大すぎる父親に、根本的に気持ちから負けてしまっている、というのが、どうにももどかしくて。
 それでも、まともに渡り合って勝てないのならば、別の生き方でもなんでも、父親を乗り越えていくのが人生だろう、という気がするのですが、そこにたどり着く前に、話自体がつまらなくなってしまった感が、どうしてもするのです。

 ネットで調べてみたのですが、週刊誌に連載された、今のところの最新作である風雲篇、これって単行本化はされていないみたいですね。 ということは、五木氏自身が、加筆訂正しても追い付かないくらい、風雲篇全体の話に対して失敗したと判断しているのでしょうか。

 いずれにせよ、伊吹信介と織江の物語の結末を、五木氏にはどうしても書いてもらいたいものですが、たぶん無理だろうなー。 もうこのふたり、絶対結ばれないと思うんですけどね(笑)。

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2010年6月28日 (月)

「龍馬伝」 第26回 なんでもできる!って、なにができる?

 はじめにちっくと、意見してもよろしいがですか?

 「龍馬伝」 を見ていていつも思うのですが、このドラマ、龍馬を演じる福山雅治サンのまわりの役者サンたちが、咆哮しながら龍馬を食ってやろうと最高の演技をしています。
 その貪欲な役者魂の集中砲火を浴びながら、福山サンは自らにできる最高の演技をしようと努力している。
 そんな頑張りが、見ていてとてもよく分かるのに、それをけなすのはなんだかなー、って思います。 以上!

 今回その福山龍馬は、薩摩の西郷吉之助(高橋克実サン)に勝麟太郎(武田鉄矢サン)の紹介で会うことになるのですが、これにしたって、結局会ってなんだったんだ?と言われれば、大したことを話していないようにも思えます。 けれども。

 いきなり 「どんな女が好きか?」 という下世話この上ない話(笑)で始まったこの両者の会見、自分が気になっている女(お龍)が、薩摩軍が京に火を放った蛤御門の変で焼け出された、という話を龍馬が展開した途端、一気に緊張する。

 ドラマを見ている側は、このコントラストの格差に、目を向けるべきなのだと思います(僭越ですが…)。
 この話から、龍馬は 「日本人同士が憎しみ合ってどうするのだ」 という持論を展開するに至るのですが、その根底には、自分は長州だ薩摩だと、どこかに偏った側に立っていない、日本人というものをトータルで考えているのだ、という思想が存在している。

 西郷はそれを、「甘すぎ」 と一蹴するのですが、

 私に言わせれば、それのどこが甘いのか。

 いろんな考えがあって当然だし、どちらの側にも大義というものは存在しています。
 けれども、そんなものを超越して、力を合わせなければならない時期だったのではないでしょうか、幕末というのは。
 現に、当時日米のあいだで交わされた条約は、一方的に日本に不利な通商条約。
 異国に乗っ取られるのは、なにも軍事力に限った話ではないのです。

 龍馬の思想の根底には、そんな危機感が厳然と存在している。

 「龍馬伝」 では、それを誰にでも分かるように説明しているにすぎないのです。

 こんな大局に立って物事を考えている人間は、「龍馬伝」 のなかでは勝麟太郎しかいません。
 そして今回、その精神的な素養がある人間として、西郷吉之助を描いている。 龍馬の考えを西郷が一蹴したからと言って、福山龍馬がまたなんにもできなかった、と決めつけるのは早計です。
 現に、西郷は長州征伐をしないと幕府に翻意を表明した。
 西郷の考えの裏にはしたたかなものが隠れているのかも知れませんが、龍馬の進言がどこかで西郷を動かしている可能性も捨てきれない。 ここを見逃しては、福山龍馬の立つ瀬がない、と言いますか…(笑)。

 その龍馬、勝麟太郎の最後の授業に出ております。

 このシーンは、まるでドラマの作り手が、武田鉄矢サンへの限りないオマージュを具体化したシーンのように感じました。
 坂本龍馬が大好きで、その 「坂本」 という名前を冠した中学校教師、金八先生を演じてきた武田鉄矢サンへの。

 こんなひどいことをされて、なんで幕府を飛び出さないのか、と詰問する龍馬たちに、勝はこう答えます。

 「だがおいらは…脱藩するには、歳を取りすぎた。
 咸臨丸で、アメリカに渡ってから、もう何年だろうなあ。
 あんときゃあ、『日本人だって、やる気になったらここまでできるんだ』 って、おいら、胸張ったもんだぜ。
 だが、そのとき、こうも思った。
 『こんな無茶は、もう二度とはできねえ』 って。
 だからおいら、そこからは、若えもん育てることに、心血を注いだ!
 このままでは、日本は危ない!
 急がねえと、おいらの寿命がなくなっちまう!
 だが…だが!
 おめえさんたちは違う!
 おめえさんたちには、時がある!
 ここから先は、おめえさんたちの舞台の幕が開く!
 いいか! とく聞きねえ!
 昔、海は日本と世界を隔てていた。
 だが今は違う!
 海が、日本と世界をつなげている!
 おめえさんたちは、どこへだって行ける!
 何だってできる!
 おめえさんたちの腕で、この日本を変えてみろ!
 日本を、世界と互角に戦える国に、してみろいっ!

 …君たちは…
 …私の希望である…」

 「君たちは」 と言われた日にゃ(笑)、いやでも金八先生を思い起こさずにはいられません。
 なんか、知らずに泣けてきました。
 どうして泣けるんでしょうか。
 それは、もっと自分に自信を持て!もっと自分に誇りを持て!と、情けない自分を叱咤されている気持ちになるからです。
 自分の考えがいちばんだと思い、自分の尺度でしかものを測ったことのない人間には、この気持ちは分からない。 実に不遜な書きかたで大変申し訳ありませんが、そう私は思います。

 そんな勝の言葉に、福山龍馬は男泣きする。
 そして皆に整列を促し、勝に一礼をするのです。

 そんな福山龍馬を食ってやろうとする役者サンたちが、ここで大挙登場します(笑)。
 結果、この龍馬の男泣きが、印象薄くなってしまうきらいが、どうしてもある。
 これを見ている側は、役者どうしの力のせめぎ合い、という視点から見なければならない、そう感じます(どうも僭越続きですね、スミマセン)。

 それは、「これで以蔵(佐藤健クン)を楽にしてくれ」 と、毒饅頭を武市(大森南朋サン)から受け取った、香川照之サン演じる、岩崎弥太郎。
 この毒饅頭、父親の弥次郎(蟹江敬三サン)が食おうとしてしまうのですが、「これは毒饅頭ながじゃ!」 と必死で止める弥太郎に、「そんなに饅頭ひとり占めしたいがか!」 と激昂して意地でも食おうとする弥次郎に大爆笑しながらも、その迫真の演技の応酬には、息をのみました。
 なんでそんな饅頭を受け取ったぞね?と詰問する美和(倍賞美津子サン)に、弥太郎は苦悶に顔をゆがませながら、こう絞り出すのです。

 「わしやち…わしやち…以蔵がかわいそうだと、思うてしもうたき…
 血が噴き出すばあ叩かれ、骨が軋むばあの重い石を抱かされて!
 わしが以蔵やったら、死んで楽になりたいと思うき!
 …わしは、どういたらえいがじゃ…
 この毒饅頭!
 どういたらえいがじゃ!」
 
 そしてもうひとり、福山龍馬を食ってやろうという、もうひとりの剣客(笑)。
 以蔵を演じる、佐藤健クンです。

 牢獄で武市に大事にされた思い出や、龍馬の優しい言葉ばかりがよみがえり、「昔は………楽しかったのう………」 と笑いながらつぶやく。
 ここでも、泣けてきました。
 これは今の自分が、やはり昔のほうが楽しかったと思っている部分があるからこそ、泣けてくるわけです。

 そこに、弥次郎の強い勧めもあり、毒饅頭を持ってきた弥太郎が現れるのですが、以蔵は武市の本心をよく悟り、毒饅頭を貰おうとする。
 ここで以蔵が、武市の真心を敏感に感じ取るところが、また泣けるのです。

 そして、やはり殺すのは忍びない、といったん出した毒饅頭をひっこめる弥太郎とのものすごい演技の応酬が、またここでも。

 「先生…先生…先生…!」

 弥太郎の饅頭を出す手が大きく震える。

 「どういて震えゆう…?」

 「こ、これは、酒の飲み過ぎぜよ…は、はよう取れ、はよう…」

 あまりの弥太郎の狼狽ぶりに、何かに気付く、以蔵。 饅頭を取り、じっと目を閉じる。

 「ありがとうございます、先生…」

 一筋の涙が、以蔵の頬を流れ落ちる。 感情があふれかえって、歪みまくる弥太郎の顔。 饅頭を食べようとする以蔵の手をぐっと掴み、以蔵から饅頭を取り上げるのです。

 「いかん…食うたら、いかん…!」

 「弥太郎…」

 「出来ん…わしには出来ん、おまんを殺すことら出来ん…!」

 「わしが自分で食う、言いゆうがじゃ…返してくれ、弥太郎…」

 「出来ん…出来んちや…!」

 腰を抜かしたまま、その場を立ち去ってしまう、弥太郎。 かすれた声で、弥太郎を呼び続ける、以蔵。

 「弥太郎…弥太郎…弥太郎…!
 …わしはもう…
 …自分の舌を噛み切る力もないがじゃ…
 …饅頭をくれ、弥太郎…
 …弥太郎…」

 毒饅頭をちぎっては投げ捨てる、弥太郎。

 「わしには、出来んがじゃぁ~~っ!」

 …ここまでされてしまっては、福山龍馬も立つ瀬がありません。 凄すぎます。

 武市や後藤象二郎(青木崇高サン)、容堂公(近藤正臣サン)の演技を挟んで、ここで再登場の福山龍馬ですが、「腹減ったー」「金がない」 などと言う土佐の脱藩浪士と陸奥陽之助(平岡祐太サン)を鼓舞している。
 ああいう鬼気迫る演技を見せつけられた後とあっては、いかにも分が悪いのですが、西郷の誘いの言葉に、心が動いている様子です。

 それより私が感じるのは、いくら金八先生、もとい(笑)、勝麟太郎の魂のこもった激励を受けても、自分たちのやるべきことなど、そんなに急には分かるものではない、ということなのです。

 お前たちは、どこへでも行ける!

 お前たちは、なんだってできる!

 そう言われて、たとえいっとき勇気をもらったとしても、とんとん拍子に物事が進むものでもないし、分かるものでもない。
 そんな青春の彷徨を、まーだやっとるのか、殺されるまであと何年もないぞとイライラする向きもおありでしょうが(笑)、こんな不完全である龍馬の人間性にこそ、見ている側は共感せねばならない、そう思えるのです。

 なんとも、傲岸不遜極まる意見だらけの記事になってしまいました。 なんか、いちゃもんをつけながらこのドラマを見ている人って、なんでそんなに不快になりたがるのかなーという気がして、ならないんですよ。 見なきゃいいとは申しませんが。 私はこのドラマは、ドラマとしてとてもよくできていると、思っております。

 いずれにせよ、この記事をお読みになって御不快を感じられたかたには、心よりお詫び申し上げます。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html
♯12武市の心理、執拗にやってますねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/12-2a95.html
♯13大友サン演出は、一味違うhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/13-e7ca.html
♯14進む龍馬の空洞化http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/14-ef4d.html
♯15龍馬の人物像が、ちっくと見えてきたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/15-b072.html
♯16日本人じゃあぁーっ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/16-5e1f.html
♯17試合という名のラブシーンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/17-6ae8.html
♯18武市の転落ぶり、凍りつきましたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/18-77bb.html
♯19 5月10日って…明日?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/19-510-e7ac.html
♯20 ものの見方で軽くなる命http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/20-280b.html
♯21こう生きていくしかない人… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/21-47f8.html
♯22龍馬の情けなさこそが、作り手の表現したいことだhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/22-f109.html
♯23後戻り?…それは誰が決めるのだろうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/23-0fc8.html
♯24蛍の儚い光、死んだ者の魂http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/24-3fb3.html
♯25史上最大のツンデレ…?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/25-9092.html

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2010年6月26日 (土)

「ゲゲゲの女房」 第13週 自分のいるべき場所

 結核で倒れ、茂(向井理クン)たちの前から姿を消していた深沢(村上弘明サン)が復活。
 これは、4週連続でビンボー生活を強いられてきた(笑)村井家にとっては、久々に見える一筋の光です。
 なにしろ、このドラマに出てきた数ある貸本マンガ出版社の社長のなかでも、この人はいちばん誠実で、理想があって、頼れる存在。 今回も、自分の入院療養によって会社が倒産したため茂に支払われなかった原稿料を、ちゃんと支払いに来ただけでなく、新たな仕事を依頼しに来たのです。
 その深沢、「貸本マンガはもういけない。 これからは、雑誌の時代だ」 と鋭く分析する。

 その深沢と対比させる形で今週またまた登場したのが、富田書房の富田元社長(うじきつよしサン)。
 やはり、茂に支払われなかった20万円の不渡手形の一部を払おうと、やって来たのです。
 その額は、9000円にも満たない金額なのですが。

 これって、なかなか出来ることじゃないですよ。
 金を借りた人間、こちらの請求金額を支払わない人間に共通しているのは、自分の苦境にかこつけて、なんとか知らんぷりをしようとすることです。 私もどれだけ、踏み倒されたことか。 ガンガン取り立てるのがいちばんの方法なんですけどね(笑)、あまり追い詰めると、夜逃げするヤツも出てくる。 まあ、金を借りに来るヤツは基本的に信用しないのが、「悲しい」 人生訓です(泣)。 何年かかっても支払うべき金は払う、という根性のある人であれば、簡単に金を借りゃしません。

 そんな誠意はある富田元社長なんですが、戦後の闇市で買い求めた一冊のマンガが自分の事業の原点だったことを布美枝(松下奈緒サン)と茂に話し、マンガについてはこれぽちも分からなかったけれど、マンガが大好きだったことを告白します。
 それがいつの間にか、マンガが単なる「金儲けの道具」 になってしまった。
 深沢のように、自分の仕事に対する 「理想」 というものがそこになかったため、富田は事業に失敗したのです。
 でも富田は、根っからマンガが好きだった。
 この仕事は、富田にとって、自分の居場所みたいなものだったと思うのです。
 その居場所から 「お前はここにいるべき人間ではない」 という烙印を押され、この業界から立ち去っていく。
 今週の 「ゲゲゲの女房」 は、布美枝の里帰りがメインの話でしたが、その根底には、「自分の居場所」 というテーマが流れていた気がします。

 話は前後しますが、支払われなかった原稿料が入ってきたため、かねてからの、イカル(竹下景子サン)からの矢のような帰省の催促にこたえることができるようになった、布美枝。
 「ゆっくりしてこい」 と言った矢先、また例によって 「へ」 を一発する茂(笑)。
 ところが、もう慣れっこなのか、嫌な顔ひとつ見せず、茂の 「へ」 談義に笑って追従する布美枝なのです。 藍子チャンも、何食わぬ顔で、それが当たり前みたい(笑)。

 今週の小道具は、この 「へ」 といったところでしょうか(笑)。
 布美枝と藍子チャンの帰省中、ひとりこいても誰もそばにおらず、ミョーなところで茂が寂しさを感じる小道具になってました(笑)。 そして布美枝が帰ってきてからまた一発。 合計3発、こいとりました(笑)。 まあ、見合いの時分からこいとりましたから(笑)当たり前なのでしょうが、女房の前でへをこきまくる亭主…というのも、考えてみればすごい話で(笑)、役者魂とはいえ、向井クンもサワヤカーにへをこきまくっておりますね(笑)。

 そして、布美枝の初めての帰省。

 そわそわしまくりの源兵衛(大杉漣サン)には笑いましたが、藍子チャンにはデレデレ(笑)。 近所の魚屋さんも、生きのいい境港のタイを持ってきてくれるなど、ふるさとのありがたさというものをひしひしと感じます。 なにしろ、現代ではあっという間かもしれませんが、半世紀近く前は、東京から島根、鳥取まで、というのは大変な距離だったに違いないのです。 このとき新幹線が開通していたかは知りませんが(開通が昭和39年、1964年でしたから微妙な時期ですね)、よしんば開通していたとしても、布美枝の手持ちの金では難しかったろうし、しかも当時は、東京大阪間だけでしたからね。
 そのうえ、このところずっと、村井家の厳しい生活を見せ続けられてきたせいか、このあたたかな実家の雰囲気には、なんだか知らず知らずに涙があふれて、仕方なかったです。

 嫁入り前に源兵衛から 「親を頼るな」 と言われたとおり、布美枝はどんなに苦しくても、けっして親を頼らなかった。
 嫁に行く、ということが当時、どれだけの覚悟であったか。
 あまりにつらければ、実家に戻ってきたと同時に、布美枝は泣いてしまったに違いないと感じます。
 けれども、そういうことはなかった。
 それは布美枝が、今の貧乏生活をつらいと感じるよりも、茂との生活が面白い、と感じいる証のようです。
 親友のチヨ子(平岩紙サン)も、「旦那の機嫌を取るより、貧乏のほうがましだわ」 と言っていましたが、さてどっちがいいのか(笑)。

 そして、里帰りしたことで、布美枝の方言も、今週は全開(笑)。
 私の母もそうなのですが、里帰りするとふくスま弁に戻ってしまう(笑)。
 なんか、いいなあと、思うのです。
 ふるさとというのは、なんか、いいなあ。

 ただそんなふるさとにも、いろんな家族の問題というのはあるわけでして。

 布美枝の弟の貴司(星野源サン)には縁談が持ち上がっているのですが、実は恋人が既にいる。 この恋人(長澤奈央サン)は一人娘で、貴司と一緒になるには貴司が婿養子にならなければいけない。 だから源兵衛サンには、なかなか言い出せないのです。
 妹のいずみ(朝倉えりかチャン)は東京に就職したくてうずうずしており、源兵衛サンとは衝突の連続。 かつてのユキエ姉さん(足立梨花チャン)みたいですね。 源兵衛サンを指差して、「ナンセンス!」(笑)とか、「アナクロ」 とか、使う言葉に全共闘世代の影響を感じます(笑)。

 貴司は結局愛をとるのですが、それでも、ずっとやり続けてきた実家の酒屋の仕事に、誇りを持っているように見えます。 婿養子になってどうするかまでは描写していませんでしたが、貴司はこの仕事を続けていくべきなのではないかと考えたりしました。
 なぜなら、そこが貴司にとっての、居場所だから。

 いずみチャンも自分の居場所を求め続けながら、人生を生きている。 その途中には、いろんな試行錯誤があるべきなのです。

 そんな貴司との衝突や、ビー玉をのみ込んでしまった藍子チャンに布美枝が必死の吐き出させをするところを見て、源兵衛がしみじみとミヤコ(古手川祐子サン)にしゃべるセリフ。

 「布美枝のヤツ、すっかり母親らしくなっちょうな。 この家が残れば、それでええことにするか。 店は…細々とでも続けておれば、おばばも許してくれるだろう。 子供やちいつの間にかみんな、自分でしっかり歩いちょうわ。 もう…道をつけてやらんでもええな」

 その時の源兵衛の、安堵したような、どこかさびしそうな笑顔。
 その親心に思いを致すと、自然と泣けてきます。

 「ほんなら、行ってまいります」

 再び東京に戻る朝、仏壇に手を合わせ、家族に深々と頭を下げる布美枝。
 このドラマでは、こうしたちょっとしたことを、きちんと表現していこう、という気持ちがある。
 当然のことかもしれませんが、こういうところを省略しないのは、いいですね。 先祖に対するつながりと、いまいる家族のつながり。 安来への帰省編では、源兵衛のおばば(野際陽子サン)への 「申し訳が立たん」 という姿勢をはじめとして、そんな血縁関係の絆、というものもさりげなく描かれていた気がします。

 けれども、東京に帰ってきた布美枝は、茂のおならの音を聞いて、こう言うのです。

 「はぁ…やっぱりうちはええなあ。 のんびりする」

 「実家でのんびりしてきたんじゃないのか?」 と訊き返す茂。

 「ええ。 けど…私のうちは、ここですけん」

 いくら今の貧乏生活よりいい実家でも、家族がみんな温かい実家でも、布美枝にとって一番居心地のいい 「自分の居場所」。
 そんなところに収まっていられることが、どれだけ自分にとって、幸せなことであるか。
 日々、問題というものは、確かにどこの家庭にでもあります。
 けれどもそれに対して、なんとかしていこうという気持ちが生じるのは、「ここが自分の居場所だからだ」 と、無自覚でも思っているからではないでしょうか。
 そんなことを考えた、今週の 「ゲゲゲ」 でした。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第9週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html
第12週 冷たい風に吹かれてhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/12-2a16.html

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2010年6月24日 (木)

「Mother」 第11回(最終回) 現実的な幕引きへの是非

 予告させていただいたとおり、ちょっと一部書き足しいたしました。 その結果、またまた長ーい記事に…。 コンパクトにまとめられず、申し訳ありません。

 ここ数年体験したことのないような、号泣の衝動にさらされっぱなしだったドラマ、「Mother」。 「おしん」 以来かなぁ(古すぎ…)。

 その最終回は、理性的に考えれば、これこそがベスト、と思えるような幕引きでした。
 ただ、奈緒(松雪泰子サン)と継美(=道木怜南、芦田愛菜チャン)の、互いを強く求めあう気持ちにやられて大量の涙を絞られてきた立場から、現実的過ぎてもうちょっとお互いが望む方向にしてあげられなかったのか、という意見もあるようです。
 エモーショナルな部分でこのドラマを見ると、「優しい気持ち」 を解決できるのは、ふたりが12年後に邂逅することではなく、今すぐにでも一緒に暮らせる、という、法律を含めた社会的なコンセンサスが必要なのではないか、という、まあ言わば 「感情論」 です。

 そんな意見の人たちは、なにもドラマにいちゃもんをつけているわけではなく、心が優しいからこそ、ふたりを超法規的に一緒にさせてあげたいと考えるのだろう、と私は思うわけでして。

 私にも、そんな気持ちは確かにあります。
 継美チャンの二十歳までの12年間というのは、いちばん母親が必要な時期なのではないか、と思うし、母娘にとっては、いちばん大事な時間なのではないか、と考えるからです。

 けれどもこのドラマの作り手は、奈緒と葉菜(田中裕子サン)が別れ別れだった 「失われた30年」 を取り戻すことができたことを提示し、未来への希望を表現したのだと思います。

 でもやはり、こういう結末を 「ベスト」 だなどと自分に言い聞かせて、無理に納得するしかない、というのにも、何となく自分が冷たくなってしまったのではないか、という後ろめたさがあることも、確かなのです。

 そのうえであえて言いますが。
 この、紅涙を絞り続けたドラマのエンディングとしては、悲しくて切ないけれども、見終わった後に、前向きに生きていこう、という気持ちになった最高のエンディングだった、と言えるのではないでしょうか。

 今回最終回、毎回流れていたドラマタイトルクレジットが、しょっぱなから出てきます。
 「Mother」 の真ん中、「t」 の字が抜けた状態から、まるで十字架のように、 「t」 の字が浮き上がってくる、という、アレです。
 結果的には、これは奈緒がこのドラマが終わったあとも背負わなければならなくなった十字架、という、重たい意味をもつものになってしまいました。

 でも、その十字架を、奈緒は覚悟のうえで、甘んじて背負おうとしている。
 奈緒は、その呪縛が解かれる日を、宝箱を開ける楽しみな日として、これからの人生を生きていこうと決心したのです。

 最終回冒頭。
 先週のラスト、継美チャンの 「ゆうかいして…」 のシーンが流され、いきなりウルウルです(笑)。 「会いたいよ…」 という継美チャンに、奈緒も 「お母さん…会いたいけど…」 と言うと、不意にぶつっと切れてしまう電話。 継美チャン、施設の人に、見つかってしまったのです。

 いっぽううっかりさんこと葉菜は、主治医の市川実和子サンから、もってせいぜい2日、3日目は分からない、と言われるほどの末期状態。 水色のなにか、を編んでいます。 「途中で死んだら、あとはあなたが編んで」 などと言う、葉菜の心が哀しい。

 この水色。

 以前にドラマで言っていたかどうか忘れたのですが、これは継美チャンの、好きな色なんですね。 奈緒が葉菜のために買ってきた、セキセイインコも、水色でした。 継美チャンが以前葉菜にプレゼントしたネックレスも、水色でした。 継美チャンが着ているカーディガンも、水色でしたね。

 葉菜は、「人生の最後に見る走馬灯が、今から楽しみなの」 などと不吉なことを言って、奈緒を困惑させる。 その走馬灯に葉菜が見たものは、先週藤吉(山本耕史サン)がつきとめたはずだった、放火事件の真相でした。 「実はこうだった」 という話の先に、「ホントのホントはこうだった」、という話のたたみかけは、まるで同じ坂元サン脚本の 「チェイス」 を見ているようでした。

 木更津のおばあちゃんから慰問のお菓子を受け取った継美チャン、そこに2万円が入っているのを見て、なにかうれしそう。 考えることは、だいたい分かりますが(笑)。

 いっぽう藤吉は、多田という老人に取材をしています。
 あの、葉菜の理髪店の常連だった白髪、白髭の老人です。
 どうも、高橋昌也サンだったようですね。 エンドロールを見ながら気づきました。
 高橋サンと言えば、私の世代では 「赤いシリーズ」 で、百恵チャンの敵役(だったかな?)。 百恵ファンとしては、あまりいい印象のない役者サンでしたが。
 御年80歳、いやー、カクシャクとしていらっしゃる。

 その多田という老人、亡き妻の理髪店を葉菜に譲ったなどという話を以前していましたが、もともと葉菜の取り調べをした人だったらしい。

 それで。

 その理髪店に戻ってきた葉菜の面倒を見ていた奈緒のもとに、まるで幻覚のようなスローモーションで、継美が帰ってくるのです。
 うっ…。 また来ましたよ(何がって、アレです、涙です…笑)。

 どうやって自分がここまで来たのか、もう話したくて仕方がないという感じで、しゃべり続ける継美チャン。
 あまりに急いだせいか、あっちこっちに擦り傷ができています。
 「もっと大きなけがをしたら、どうするつもりだったの! もしものことがあったら…」
 母親の自覚ゆえに、奈緒は継美チャンをきつく叱ってしまうのですが、継美チャンは叱られて泣き顔になり、「お母さん、継美に会えたの、うれしくないの?」 と問いかけるのです。
 「お母さんに、会いたかったのに…」 と泣いてしまう、継美チャン。
 奈緒もたまらず、継美チャンを抱きしめます。
 いけませんな。 こっちも大泣きです。

 昼間から寝ているうっかりさんを見つけ、継美チャンは何かを敏感に感じ取った様子。 「ダジャレ合戦」 を繰り広げながら、不意に黙り込んでしまう、継美チャン(奈緒のひとり負け状態は笑えましたけど)。 「うっかりさんの病気、ホントに治るの?」 と何度も尋ねるのです。

 それにしても、藤吉に継美チャンが帰ってきてしまったことを相談し、「あした室蘭に連れて戻るつもりです」 と、ハナから一緒に住むことを諦めているような、奈緒。
 見ている側としては、これまで誘拐だの戸籍売買だの、大胆なことをやってきたのに、どうして一緒に住むことに消極的なのだ?と思いがちですが、これは今の法律が悪い、と諦めるしかない、そう感じます。 そう割り切らないと、この先エンディングまで、重苦しい気持ちを抱えながら、このドラマを見終わってしまう気がするのです。

 そこにやってきた、鈴原家の人々。
 「お正月が来たみたい」 と喜ぶ葉菜、好きな人のことを聞かれてあわてる奈緒、まるでみんな、ずっと前から仲がよかったかのような、幸せな葉菜の最期のひとときが流れて行きます。

 鈴原家の人々が帰ったあと、葉菜は継美チャンの髪の毛を切ってあげる、と言い出します。
 継美チャンに、私もお母さんに髪を切ってもらった、と話す葉菜。
 引き続いて、奈緒の髪の毛も、切ることになるのですが。

 もうすぐ亡くなる人が、自分の娘と孫(こっちはほんとうの、ではないですけどね)の髪を切って、旅立っていく。
 髪の毛は伸びてしまえばまた切るわけで、葉菜の手入れした髪の毛は、いつか切らなければならないことになる、言わば 「期間限定」 の 「形見」 なわけです。
 この切なさ、と言ったら。
 奈緒にとって、この次髪を切るときは、まさに胸を締め付けられるほどのつらさがあるのかも知れません。
 そのことを考えると、涙を禁じ得ません。
 私も母親に、髪を切ってもらったことがある。
 そのこと自体が思い出となる日が来るのかと思うと、それだけで泣けてくるのです。

 奈緒は葉菜に髪の毛を束ねられながら、「私、継美と離れられるのかな?」 と不安をこぼすのですが、葉菜の答えは、いたってシンプルでした。

 「会えたわ。
 奈緒と、お母さんだって。
 30年かかって、また会えた。
 こうして、あの頃のように、あなたの髪を、切ってあげることもできた。
 昨日のことのように思い出す。
 まるで、あの日も今日も、同じ幸せな一日のように」

 「私と継美にも、そんな日が来るのかな?」

 「あなたと継美ちゃんは、まだ始まったばかりよ。 これからなのよ。
 あなたがあの子に何ができたかは、今じゃ、ないの。
 あの子が大人になったときに分かるのよ」

 「お母さんと私は…?」

 「ずっと一緒にいるわ」

 この部分は、このあとの、奈緒から20歳の継美に送った手紙の内容に直接影響を与える、重要な部分な気がします。
 髪を束ねる奈緒の仕草に、遠い過去の記憶が揺り起こされていく、奈緒。

 「お母さん…あのね…」

 「なぁに?」

 「お母さんの顔…思い出した…」

 ここでもまた、ブァッと涙、です。 これまで、5歳の時に別れた母親の顔を思い出せず、ただしっかりと握られた手の感触だけを覚えていた奈緒。 それが、母親に散髪してもらった遠い日の思い出で、母親の顔を思い出すなんて…。

 朝市があるから行ってみない?と提案する葉菜に、継美チャンはラムネも売っているかどうかを気にかけ、ラムネの中のビー玉はどうやって中に入れるのか?という素朴な疑問を葉菜と奈緒に投げかけます。
 その夜、眠る際に、「どうやってるのかしら?…ラムネのビー玉。 …どうやって入れてるのかしらね?…」 と、消え入りそうな声で呟きながら、眠りに入っていく、葉菜。
 もうすぐ出来上がりそうな水色のバッグを見ながら、奈緒が 「今度はセーター編んであげて」 と言うと、それには答えず、「お休み」 とただ笑ってやり過ごそうとする。 なんかいやーな予感がひしひしと迫ってくるような、ちぐはぐな会話です。

 ここでさっき述べた、走馬灯が…。

 消防車が通るのを後ろに見ながら、幼い奈緒の手を引く葉菜が、「お母さんのためにしてくれたのね。 でも、忘れなさい。 あなたは何もしてないの。 全部、お母さんがしたの。 分かった? もう、思い出しちゃダメ」 と話しているのです。
 つまり、自宅に放火して父親を殺したのは、奈緒だったということになるのでしょうか。

 そしてそれが、葉菜のこの世における、最後の記憶…。

 翌朝、起きてこない葉菜を、継美チャンがほっぺたツンツンして起こそうとするのですが。
 あるじを失った、葉菜のかけていた老眼鏡が、ぽつんと置かれたままになっているところは、さりげなく見事な演出でした。

 動かないうっかりさんをじっと見つめる継美チャンに、奈緒は 「室蘭の施設にあなたを送り届ける」 と話をします。
 「鳥さんにお水あげよ」 と立ち上がって水を汲んだ継美チャンは、それをわざとみたいにこぼしてしまう。 それをぞうきんでふきながら、あくまで顔を見せずに、継美チャンは悲しそうに、奈緒に訊くのです。

 「お母さん…継美のこと、嫌いになった?」

 「嫌いになんか、ならないよ」

 「面倒くさくなった?」

 「違うの」

 「じゃあ、…なんでお母さん、やめるの?」

 奈緒は継美を後ろから抱き寄せ、「私はあなたのお母さん。 お母さんをやめたりしない」 と語りかけます。

 「離れてても、継美のお母さん。 ずっと、継美のお母さん。 そしたら、また会える日が来る。 お母さんが、お母さん(葉菜)に会えたみたいに、いつか会える」

 大粒の涙を流しながら、「いつ?」 と訊く、継美チャン。 「大人になったら」 と答える奈緒に、分かんないかもしれないよ?顔も声も変わるよ、気付かないかもしれないよ?とたたみかける継美チャンに、奈緒は毅然として、こう答えるのです。

 「お母さんは、かならず継美を見つける」

 たまらず振り向いて奈緒に抱きついてしまう、継美チャン。
 ああ~ここで、コマーシャルコールだ!(笑) いいとこぶち壊すな!(失礼、取り乱しました…笑)

 思えば、継美チャンが奈緒への強い思慕の思いを克服したのが、この 「必ず見つける」 という、奈緒の力強い言葉だった気がしてなりません。

 室蘭に着き、施設近くのバス停で降りた奈緒と継美チャン、手にはうっかりさんが編んでくれた水色のバッグを持っています。 葉菜の遺言通り、奈緒がしっかり仕上げたのでしょう。

 友達に見つかり、いったんは中途半端なまま別れてしまう奈緒と継美チャンでしたが、葉菜の亡くなった夜に徹夜して書いた手紙を渡そうと、駆け出す奈緒。

 悲しいままじゃ嫌だから、笑ってお別れできるように、もう少し話そうか?と言う奈緒に、継美チャンはかぶりを振ります。

 「お母さん、見てて…継美、自分で帰れるから」
 半泣きです。

 奈緒も半泣きで、「そうだね…でも…お母さん、見えるかな? ちゃんと見えるかな?」

 「悲しいの?」

 「ううん…うれしいの。 …うれしくても泣くことがある…」

 「じゃあさじゃあさお母さん、好きなものの話をするんだよ。 好きなものの話をすると、楽しくなるの」

 そしてふたりは、互いに好きなものの話をしながら、近づいていきます。

 「夜のプール」
 「傘お化け」
 「8月31日」
 「電車の中で眠っている人」
 「キリンの…キリンは、牛の種類ってとこ」
 「そうなの?」
 「うん」
 「ふたりで一個の傘さすこと」
 「靴箱からはみ出している長靴」
 「台風の、ゴォーッ!って音」
 「朝の光」
 「お母さんのまゆ毛」
 「継美の歩きかた」
 「お母さんが洗濯物干してるところ」
 「継美がそわそわしているところ」
 「お母さんの声」
 「継美の字…継美…」
 「…お母さん…」

 内容がだんだんお互いのことになっていくのが、また泣けます。

 そして 「継美が20歳になったら読んで」 と、奈緒は継美チャンに、鳥の羽根のシールが貼ってある、一通の手紙を渡すのです。

 最後に奈緒に向かって満面の笑みを見せ、振り返って施設に向かって歩き出す、継美チャン。
 大きな鳥かごを抱え、ぴょこたんぴょこたんと、奈緒がさっき好きなものにあげていた、独特の歩きかたで、一度も振り返らず、だんだん小さくなっていき、奈緒の視界から消えていきます。
 胸が締め付けられるような、別れのシーンでした。

 最後に、奈緒の手紙の内容が読み上げられます。

 「継美へ。
 あなたは今、『怜南』 と名乗っていることと思います。
 だけど今は、あえて 『継美』 と呼ばせてください。
 この手紙は、12年後のあなたに書く手紙です。
 二十歳になったあなたに宛て、書いている手紙です。
 いつか大人へと成長したあなたが読んでくれることを願って。

 継美。
 うっかりさんを覚えていますか?
 私の母であり、
 あなたとの旅の途中で再会した、望月葉菜さんのこと。
 あのときあなたの母になろうとしなければ、きっと私も、母に出会うことはなかったと思います。
 あなたの母になったから、私も、最後の最後に、母を愛することができた。
 不思議な運命を感じています。

 あなたは知っていますか?
 渡り鳥が、どうして迷わずに目的地にたどり着けるのか。
 例えば鳥たちは、星座を道しるべにするのです。
 北極星を中心とした、大熊座、小熊座、カシオペア座。
 星々を頼りにして、鳥たちは北を目指すのです。
 鳥たちはそれを、ヒナの頃に覚えるのです。
 ヒナの頃に見た星の位置が、鳥たちの生きる上での、道しるべとなるのです。

 私は明日、あなたに別れを告げます。
 あなたを連れて、室蘭に向かいます。
 会うことを許されない私たち。
 母と娘を名乗ることのできない私たち。
 それでも私は信じています。
 いつかまた、私たちが再び出会えることを。
 いつかまた、手を取り合う日が来ることを。
 私と母が、30年の時を経て出会ったように、幼いころに手をとり合って歩いた思い出があれば、それはいつか道しるべとなって、私たちを導き、巡り合う。

 二十歳になった継美。
 あなたは今、どんな女性になっているでしょう。
 どんな大人になっているでしょう。
 出会ったころの104センチのあなたは今、流行りの服を着て、小さな16.5センチの靴を履いていたあなたは今、少しかかとの高い靴を履いて、私の前に歩み寄ってくる。
 すれ違うそのとき、私は、なんて声をかけよう。
 向かい合って、あなたと何を話そう。
 何から聞こう。

 私が分かりますか?
 身長はいくつですか?
 恋をしましたか?
 親友はいますか?
 今でも、水色は好き?
 シイタケは苦手?
 逆上がりは、まだできますか?
 クリームソーダは好きですか?
 もしよかったら、また一緒に飲みませんか?

 継美、元気ですか?
 二十歳のあなたに出会うことを思うと、今から胸が高鳴り、ひとり、笑みがこぼれてしまいます。
 あなたとの明日を、笑顔で待っています。

 あなたに出会えてよかった。

 あなたの母になれてよかった。

 あなたと過ごした季節。
 あなたの母であった季節。
 それが私にとって今のすべてであり、そしてあなたと再びいつか出会う季節。
 それは私にとって、これから開ける、宝箱なのです。

 愛しています。    母より

 追伸 クリームソーダは、飲み物ですよ――」

 このバックに、藤吉がこの事件の取材した原稿をゴミ箱に投げ入れるところ、鈴原芽衣(酒井若菜サン)が元婚約者(音尾琢真サン…「龍馬伝」 で、亀弥太やってましたね)と復縁するところなどを流し、見ている側はなんとなく、心が満たされていくのを感じます。

 ラストに、12年後に再び出会うふたりの様子が、サービスカットのように入るのですが、このラストを、よかったねと感じるのか、その子が成人しなければ判断することができない法律とは何なのだと考えるのか、なかなか難しいところではあります。

 私の場合は見終わってからずっと、切なさみたいなものが心を支配しています。
 このドラマが終わってしまった寂しさ、とも考えられるのですが、どうも違うみたいです。
 継美チャンがこれから母親のいないことに、どういう形であれ、耐えていかなければならないことに、心が痛むのです。

 継美チャンはこの先、「怜南」 という、自分にとっては 「天国に行ってしまった」 女の子の名前を名乗らなければいけないんですよね。
 「八日目の蝉」 の薫チャン(小林星蘭チャン)にしてもそうだったのですが、「恵理菜」 という本来の名前は、自分を表すための最適な名前ではありませんでした。 恵理菜を演じた北乃きいチャンは、その満たされなさを抱えながら、その後の人生を送っていくわけですが、継美チャンにも同じ心の飢えが襲われないとも限らない。
 継美チャンは幼いながらも、自分の名前を失われ、母親も失われた形で、これから生き続けなければならないのです。 未来への希望を持ちながらも。

 松雪サンや田中サン、これ以上ないという最高の演技を見せてくれたのですが、それ以上に継美チャンを演じた芦田愛菜チャン、「こんな娘がいたらなあ」 と思うくらい、つくづく健気な女の子でした。

 いずれにせよ、最高級のドラマを楽しめた、という満足感だけは、如実に存在しています。 上質な余韻が、今も残り続けている。 今年前半期では、間違いなくナンバーワンですね!

当ブログ 「Mother」 に関するほかの記事
第1-2回 主人公が、暗いですね… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/mother-1-2-447a.html
第3-4回 同じテーマのドラマ 「八日目の蝉」 との相違点http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-3-4-34fe.html
第5回 母と娘の距離感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-5-bc26.html
第6回 行く先が、見えないhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-6-95e0.html

第7回 うっかりサンの裏の顔http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-7-344a.html
第8回 泣いてもいいんだよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-8-8615.html
第9回 母の手のぬくもりをhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-9-d640.html
第10回 優しさがつき動かすものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-10-db64.html

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2010年6月22日 (火)

「新参者」 最終回まで見終わって

 当ブログでは、初回の感想文だけ書いたきり、記事を書くのを半ば怠ってきた、「新参者」。
 ただ、見るのをやめたわけでは、ありませんでした。

 このドラマの記事を書くモチベーションを私が見つけづらかった最大の原因は、毎回 「犯人ではない容疑者」 を 「犯人ではない」 と主演の阿部寛サンが読み解いていく 「容疑者たちの人情話」 に、感情移入ができにくかった点にあります。

 「人情話」 と括ってしまう、当方の感じ方に問題があったのかも知れませんが、原田芳雄サンほどの役者がゲストだった回でも、やはりそれは変わらなかった。 ということは、役者の演技力に問題があるのではなく、各話の話自体が弱かった、ということなのでしょうか。 感動されておられる方もいらっしゃるので、ただ単に私の好みと合わなかった、ということかもしれません。

 一度このような気持ちを抱いてしまうと、被害者の原田美枝子サンの息子役である向井理クンが、「ゲゲゲの女房」 の村井茂と同じ髪形で、屈折した役をやっていることにも、違和感を抱いてきて。
 いちいち 「新参者です」 と、あまり普段使うことのない言葉(と同時に、番組タイトル)を阿部サンが連呼するのも変な気がしましたし、「ちなみに」 という加賀恭一郎の口癖も、なんか気になってくる(笑)。 違和感のスパイラル、というか(笑)。

 ただ最終回まで見て、全体を振り返ってみると、この不必要と思われた各話の人情話が、結果的にはいちいち重要だった、という気がしてなりません。

 それは、原田美枝子サンが抱いていた、さまざまな癒しの感情が、向井クンや別れた夫役だった三浦友和サンの乾いた心にじわじわと浸透していく様子から、そう感じるのです。
 最後の演劇論の話は、勘違いをしながら自分の孫が無事に生まれてくるように願っていた彼女の気持ちを描いたエピソードとかが自然と思いだされて、ほろっときました。
 と同時に、大切な人を思いやる人の気持ち、家族を思いやる人の気持ちが、全体的な人情話を通じて、浮き彫りになっていく。 やはり必要だったのかな、各回の人情話。

 ただまあやはり、ちょっとしつこすぎたかな。
 視聴率がどんどん下がっていったのも、その辺のマンネリに、視聴者が飽きた証のような気がするのです。 回数的には、NHKの土曜ドラマ並みに、6回くらいが妥当だった気がします。 「どうせ同じことばかりやってるのだから、最終回だけ見りゃいいや、真犯人だけ分かりゃいいや」、という気持ちが、見る側にはたらいた、とも考えられる。

 それから、阿部寛サン演じた、加賀恭一郎が、いちいち気にする些細なこと。
 これが推理のカギになってくる、という展開も、見ていて飽きてくる、というか。
 無糖のコーヒーを飲む人間が、甘いものが好きなんてことはありえない、とか、その時点で分かってしまうし。
 最終回でも、コマをしきりに加賀が気にしているのを見て、加賀は笹野高史サンに容疑の的を絞っている、というのが見えてくる。 推理ドラマとしては、ちょっといけてなかった、という気もします。
 それに、回数を重ねるごとに、この人犯人じゃないんだ、というのが、最初から分かってしまう。 これって結構、致命的な気がするんですけど。

 でも作り手が重要視していたのは、謎解きの難解なからくりよりも、ひょうひょうとした態度で謎を解いていく、加賀恭一郎の推理力の鮮やかさ、のほうにあった気がします。 その点で加賀恭一郎を演じ切った阿部サンはやはりさすがだな、と思いました。

 そしてあらためて感じざるを得なかったのは、三浦友和サンという役者サンの実力。

 以前にも書いたのですが、「台風クラブ」 で一皮むけるまでは、友和サンには 「百恵チャンの夫」 という肩書が、どうしても拭えないところがありました。
 なにしろ若かりし頃は、風貌的にも、何の毒もない、「好青年」 然とした 「単なるいい男」 の代表格みたいなお顔で。
 一皮むけてからは、そんな役者にとってあまりうれしくない弱点を、次々と乗り越えていき、近年では押しも押されもせぬ大役者のひとりとなった気がするのですが、今回さらに、年齢を重ねたことで醸し出される風格みたいなものまで、感じるに至りました。 かつての好青年の顔に刻まれたそのしわは、友和サンの人生自体を感じさせる気がする。 大きなお世話ですが、木村拓哉クンもご参考にしたらよろしいのではないでしょうか(大きなお世話ですね、ゴメンナサイ)。

 最終回に向けて盛り上がっていき、最終回では見事に盛り上げ切った、という印象は、結果的には強くするのですが、やはり中だるみがあったことは否めない。 そんな全体的な印象を持った、「新参者」 でした。

当ブログ 「新参者」 に関するほかの記事
第1回 なんとなく、謎解きがすんなりしすぎている感じhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/1-863e.html

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2010年6月21日 (月)

「龍馬伝」 第25回 史上最大のツンデレ…?

 寺田屋の女将・お登勢が龍馬(福山雅治サン)の母親に瓜二つだった、という話は初めて聞いたのですが(笑)、もともとこの二役を演じている草刈民代サンは、お登勢役のほうが初めに決まっていたらしいですね。 それを 「お登勢は京都における龍馬の母親みたいなもの」 というコンセプトから、時系列的には逆なのですが、急きょ龍馬の母親、坂本幸をも演じることになったらしい。

 ですから、今回の 「龍馬伝」 で龍馬とお登勢が 「母子ごっこ」 をするところとか、すべてフィクションであるのは言うまでもありません。
 福山龍馬のあまりのチャラチャラぶり、成長しなさぶりに辟易しているかたにとっては、「また下らないことを始めおって」、という感想に、どうしてもなってしまいそうな、一種の 「危うさ」 をそこには感じます。

 けれども私たちドラマを見る側は、18年前、自分が12歳のころに亡くなった母親に、瓜二つな女性が現れたとしたら、「もし自分だったらどうなのだろう」 という、そんな思いをいたしてみる必要はあろうか、と考えるのです。 ちっくと国語のお勉強みたいですけどね。

 でも、感情移入できない龍馬を、「またバカなことを始めた」 と蔑んでドラマを見るより、幼くして母親を亡くした男が、母親そっくりな女性に 「母上」 といっぺんだけ呼んでもいいか、と懇願する気持ちに思いを致すほうが、ずっとドラマを楽しめるような気がいたします。

 まあ、感じ方は人それぞれなのですが、私はこの、龍馬が亡くなったはずの自分の母親に生き写しの人を見て、もう一度 「母上」 という、龍馬にとって 「失われた言葉」 を使いたがった気持ちは、よく分かるのです。 ちょっとほろっと、きました。

 けれども、ここでの龍馬はただいたずらに、過去を懐かしがり、執着をしているのとは違う。
 「母上…!」「龍馬!」 と互いに呼び合ったあと、「やっぱり(母上とは)全然違う!」 と、実にうれしそうにその場を去っていくのです。
 なんでここで、龍馬はしょげかえらないのか。
 龍馬にとって、心の中に生きている本当の母上こそがやはりいちばんなのだ、ということを確認できたからこそ、龍馬はうれしいのです。
 そして同時に、龍馬は京の町に、自分が本当に気を置ける場所を見つけたことになる。
 「自分は脱藩した身で、父や母の墓参りも出来ない」 と嘆く龍馬が、たとえ孤高を保っている母親とは違えども、自分のふるさと土佐を思い起こさせる人がいる場所を、見つけたのです。

 蛤御門の変で京の町は焼け野原になり、勤め先をなくしたお龍(真木よう子サン)に、龍馬はそんなお登勢のいる寺田屋を紹介する。
 ここらへんの龍馬の強引さも、龍馬の大きな魅力のひとつになっている気がします。
 赤の他人だからこそ、赤の他人に頼らないといけないこともある…なんじゃソリャ?(笑)という理屈ですよ、正直言って(笑)。
 でも、それをはたで聞いていたお登勢は、「他人他人てそんなに言われると、あてがえらいいけずみたいに聞こえるやおへんか」 と、お龍たち家族の住み家を約束し、お龍を寺田屋に勤めさせることにしてしまう。
 なんなんですかね、この実現力、みたいなの(笑)。

 つまり、そこには龍馬の、誠意と熱意がある。 そしてその龍馬の根底には、人間好きであることが流れている。

 一介の脱藩者にすぎない龍馬が、どうして薩長連合をはじめとして大きな仕事を成し遂げたのかという、「龍馬伝」 の作り手の解釈の方法が、ここに隠されている気がします。

 そんな龍馬、寺田屋で働き始めてからも仏頂面が治らないお龍(笑)に、「海、ち言うてみい」 といきなり言いだして、お龍を困惑させる(笑)。
 こんなこと、いきなり言われたら、誰だって困惑しますが(笑)。

 「海?」

 「違うき違うき、うーみー」

 「う…み?」

 「うーみー」

 「うーみー?」

 「違うき、こうじゃ!(と口を尖がらせ、大きく横に広げて)うーみー!」

 「うーみー!」

 「その顔じゃ! それだけで、笑顔に見えるき。 …ハハハハハ! そうやっていつもニコニコしちょったら、お登勢サンも、もっと喜んでくれるがぜよ、のう、お登勢サン!…おまんの笑顔は、誰よりもべっぴんじゃきに」

 龍馬は、焼け出された自分の妹弟たちに優しい笑顔を見せるお龍を、きちんと見ていたのです。
 からかわれて怒ったような顔をしてその場を出ていくお龍でしたが、「君の笑顔は最高だ」 と言われて、悪い気がする女性などいるでしょうか(笑)。 明らかに動揺しております(笑)。
 そして船着き場で別れを告げに来た龍馬に、「え、もう?」 と思わず言ってしまう、お龍。
 「海じゃぞ。 うーみー!」 と言いながら駆け足で去っていく龍馬を、お龍は呼びとめるのです。

 「…今度は、いつ…?」

 はにかみながら訊くお龍。

 「それは…分からんのう」

 それを聞いて、明らかにさびしそうな、お龍。

 「お龍どのは、強いおなごじゃ。 わしがおらんでも大丈夫やき。 ほんなら…達者での」

 風のように立ち去ってしまった龍馬をあとにして、お龍は 「うーみー」 とさっきのヤツをやってみて、笑い顔になった途端、まわりを気にして怖い顔つきになる。

 なんじゃこりゃあ!(笑)

 先週も書いた気がしますが、こりゃあ千葉佐那も真っ青な、史上最強のツンデレではないか!(笑)

 …失礼しました(笑)。

 ところでこのときの龍馬は、海軍操練所閉鎖の憂き目に遭って、自分の人生の目的を、根本から見失っている状態。
 そんな時にここまで人を励ますことができるなんて(しかも全くそれをおくびにも出さず)、ちょっと自分にはできないなあ。

 でもその龍馬の悲しみを敏感に察知した女性が、お登勢サンだったのです。
 龍馬は真実を語りませんでしたが、その気持ちも、ちゃんと分かっているようです。
 寺田屋が龍馬にとって特別な場所になる前兆のような気がいたします。

 それにしても、以蔵(佐藤健クン)と武市(大森南朋サン)の行方は、ちょっと表面的な事実はウィキで読んでしまったので分かるのですが、どうしてそんなことになってしまうのか、ドラマを見ていると今のところまったくつかめない。 毒まんじゅうが、何かのきっかけに、なってしまうのでしょうか。 どういう理由付けを作り手がするのか、興味津々であります。

 もうひとつ気になるのが、このところひどく情緒不安定気味の、山内容堂公(近藤正臣サン)。 極楽浄土を夢見ながら、自分がそこに至る人間ではないことを覚知している模様。 これも、ウィキを読んでしまったのですが、どうして武市の評価がそのあと逆転するのか、それを説明するための布石なのでしょうか。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html
♯12武市の心理、執拗にやってますねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/12-2a95.html
♯13大友サン演出は、一味違うhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/13-e7ca.html
♯14進む龍馬の空洞化http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/14-ef4d.html
♯15龍馬の人物像が、ちっくと見えてきたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/15-b072.html
♯16日本人じゃあぁーっ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/16-5e1f.html
♯17試合という名のラブシーンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/17-6ae8.html
♯18武市の転落ぶり、凍りつきましたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/18-77bb.html
♯19 5月10日って…明日?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/19-510-e7ac.html
♯20 ものの見方で軽くなる命http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/20-280b.html
♯21こう生きていくしかない人… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/21-47f8.html
♯22龍馬の情けなさこそが、作り手の表現したいことだhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/22-f109.html
♯23後戻り?…それは誰が決めるのだろうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/23-0fc8.html
♯24蛍の儚い光、死んだ者の魂http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/24-3fb3.html

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2010年6月19日 (土)

「ゲゲゲの女房」 第12週 冷たい風に吹かれて

 布美枝(松下奈緒サン)と茂(向井理クン)のビンボー生活も、なんと4週目に突入。 実に、実に長い、そのうえ次第に先が細く、ますます見えなくなっていくようなトンネルです。 のちの大成功に向けての準備期間とはいえ、見ている側にもかなりの覚悟がいるような、へヴィーな内容であることには、間違いがありません。

 けれども僭越ながら、見ている側に必要なのは、こんな閉塞感極まる状況に対して、どんな態度で生きていけばいいのか、ということを感じとる力にあるのではないか、ふとそう思ったりも、するのです。

 今週の 「ゲゲゲ」 のサブタイトルであった 「連合艦隊再建」 にしても、極貧の癖にこんなことをやっとる場合か、布美枝じゃないけど、「わが家にそげな軍事予算はありませんっ!」 とちゃぶ台をバン!と叩きたくなるのは、言うまでもない(笑)。
 つまりまあ、「悪魔くん」 の原稿料をあてにして、茂は戦艦の模型作りを始めるわけですが、このプラモデル、当時のものとしては、結構精巧な作りのように見えます。 ということは、値段もそれなりに、ということでしょう。

 この道楽に、登場人物のほぼ全員が眉をひそめるのですが、ただひとり、美智子(松坂慶子サン)の夫政志(光石研サン)だけは 「オレには分かるよ、そういうもん作る男の気持ち。 どうしようもない時こそ、熱中するもんが欲しくなるんだよ」 と共感する。
 そりゃ男の私にも分かるのですが、しかし時と場合というものが…(笑)。

 けれども茂のこの熱中ぶりには、やはり幼いころの記憶が、深く関わっていたわけであります。
 境港に150隻くらいの艦隊が停留した時、その海軍の将校クラス?(服装は、そんな感じでした)の青年が幼い茂を艦に乗せてくれ、いたく茂を気に入って、養子の申し込みを両親にしたのですが、イカル(竹下景子サン)の猛反対で立ち消えになったとのこと。
 私も自伝的な水木サンのマンガで知っていたエピソードでしたが、当時の田舎の少年にとって、ハイテク極まる艦隊が境港に集結していたのは、限りないインパクトがあったのではないか、ということは容易に想像できるのです。

 戦争に駆り出され、片腕を失い、散々な目にあったというのに、どうしてそんな、戦争の道具に茂が目を輝かせるのか、という疑問は、ここで氷解せねばならない。
 いくらひどい目に遭っても、自分がかつてあこがれたものは、容易にかき消せるわけはないのです。
 水木氏は、戦争の愚かしさをじゅうぶんに覚知しているし、そんなマンガも数多く描いて、世の中にそれを啓蒙しようともしている。
 だからそんな無謀な戦争の、戦意高揚の象徴でもあった 「連合艦隊」 を、憎むことも、できたはずなのです。 現にそれまでの軍国主義をきびすを返すようにして批判し始めた大人も、相当数いました。
 けれども、水木氏にとって 「連合艦隊」 というのは、自分を養子にもらいたいという心優しい青年がいた、「日本を守るための象徴」 でしかなかった。
 それは水木氏の持つ、鷹揚な性格によるものでもあるし、ある種の 「誇り」 が介在しているような気もします。 心優しい、「お国のために死んでいったものたち」 に対する尊敬と、曲がりなりにもその一角で従事できたことの誇り。

 腐りかけたバナナを安く買ってきて、従軍当時の南方での思い出を語るくだりにも、そんな茂の思いが見てとれます。
 上官にビンタを食らいながらも、現地の住民と仲良くなり、自分がマラリアにかかったとき、トペトロという仲良しだった少年にバナナをもらい、病状が回復したこと。
 バナナって、今じゃアスリートの必需品みたいになっていますけど、やはりその栄養価は、貧しい軍の食事の比ではなかった、ということでしょうか。
 ともあれ、現地の住民と仲良くなってしまう、というのは、支配するためにその地に来ていた日本軍の態度とは、明らかに違っています。
 ここにも、「世界を平和にするために存在している」 遠い日の将校の思い出が、深く関わっている気がするのです。 まあ、限りなくアバウトで楽天的な水木氏の性格が、南国の精神風土と合ってた、というだけの話かもしれないのですが(笑)。 そこに定住しようとさえ思ったらしいですから。 でもそうしていたら、いまこうしてこのドラマを見ることも、叶わなかったわけです(それにしても、片手でバナナを食べる向井クン、2度目でしたがちょっこし感心しました)。

 そんな鷹揚な茂の性格は、お兄さんの雄一(大倉孝二サン)も同じらしくて(笑)、極貧の弟に、実にエラそうに(笑)金の無心に来る。
 こういう、神経図太いのは、羨ましいですなあ。
 まあ、恥ずかしさの裏返し、という見方も出来ますが、「悠揚迫らざる(ゆったりと落ち着いている)態度が、兄貴の大物なとこかもしれんな」 と茂はミョーなところで感心しています(笑)。

 茂が雄一にお金を貸したのも、「悪魔くん」 の原稿料頼みだったのですが、戌井(梶原善サン)が神妙な顔をして訪ねてきて、「またか」 と思ったらやっぱりで(笑)、「悪魔くん」 は大失敗に終わり、終了を余儀なくされたうえ、原稿料も1万円少ない、つまり3分の1という結果に。
 壮大な展開を予定していただけに、最後はあまりにあっけなく、悪魔くんが射殺されてしまう、というラストにせざるを得なくなったのですが、それがケネディ大統領の暗殺をもとにしたものだった、というトリビアも、ちょっこしまぶしてあります。
 「7年後には甦る」 というラストにかぶさる、おばば(野際陽子サン)のナレーション、「世間から見向きもされなかった 『悪魔くん』 が、やがて、本当に復活する日が来るとは、布美枝も茂も、このときはまだ、まったく知りませんでした」。 「ご覧になっている皆さん、もう少しの辛抱ですよ」 という感じで、よかったですね。

 当時の出来事と言えば、五輪景気で街じゅう工事現場だらけだった、という世相も、浦木(杉浦太陽クン)を絡めたエピソードで、さりげなく紹介していましたよね。
 東京オリンピックの前は、私まだ生まれてなかったんですが、当時は東京も、かなりの部分の道路が舗装されていなかったことは何かで読んだことがあります。 雨になると泥んこ道を車が行き交い、通学中の児童は泥だらけになった、とか。 インフラ整備されていないのに、交通量だけは多かった、というのは隔世の感がいたします。

 その浦木とはるこ(南明奈チャン)との工事現場の音にかき消されながらの会話は、面白かったなあ。
 「浦木さんの、○○○○が欲しいんですけど」 と、百恵チャンの 「美・サイレント」 状態(笑)。
 浦木は誤解しまくってるし(笑)。
 結局こないだ撮った、村井夫妻と自分との写真が欲しかった、というだけだったのですが、それをお守りにする、というはるこチャン、なんだか茂に対する尊敬が、別の方向に行きつつあるような描写でしたね、今週は。

 工事現場でつまづいてズボンを破ってしまった浦木ですが、布美枝にそれを繕ってもらっているあいだ、ももひきにタオルを巻いたまんま、という、情けない格好。 そこに帰ってきた茂に、「間男じゃないからな」 といちいち断るのも笑えます。

 その浦木、今週は要所要所に出てきて、おせっかいでウサン臭い匂いをまき散らしながら(笑)、村井家の現状を的確に突いてくるのです。
 その浦木の紹介で茂と戌井が訪ねた、業界新聞の4コマ漫画描きの、今にもつぶれてしまいそうな家。
 そこの幽霊みたいなマンガ家が、なんとアラマタコリャマタ(御存知の方は、ここで笑って、ハイ!)…じゃなくって、あの、ビンボー神(片桐仁サン)。 ここまで来ると、片桐サン自体がビンボー神に取りつかれているような感覚にすらなってきます(笑)。

 今までも、「ここで気落ちしとったら、ますます貧乏神に付け込まれる」「楽しいことをしていれば、自然と気持ちも朗らかになる、それがええんだ」「注文がなくとも、相手にされなくとも、描き続けねばならん。 描くことをやめたら、マンガ家はおしまいです」 などと自分を鼓舞してきた茂でしたが、風邪をひいた布美枝がハナ紙も買えないのにいたくショックを受け、ここにきて弱気の虫が支配しはじめる。 布美枝に向かって、思いつめたような表情で、こう言うのです。

 「なあ…映画の、看板描きにでもなるか」

 驚く布美枝。

 「…やめるか、マンガ…!…ハナ紙ひとつ買えんのでは、もうどうにもならんな」

 「お父ちゃん…何言っとるの?」

 「『40過ぎてから売れだしたマンガ家はおらん』 と、この前浦木が言っとった…あいつの言う通りかもしれんな。 ここまでやって、芽が出んのでは、この先も陽の当たる見込みはないと思ってええ。 はぁ…。 この歳で仕事探すのも難しいが、看板描きの口くらいあるだろう」

 部屋にこもって仕事を続ける茂は、美男美女を描いた自分の絵を眺めながら、「オレらしくないなあ…」 とつぶやく。
 自分らしく生きることは、とてつもなく難しいことを、とても簡潔に表現した一言でした。
 あーなんか、身につまされすぎる(笑)。

 夜中、物音に目を覚ました布美枝が、ふすまをそっと開いて、茂の部屋を覗きこむ。
 ふすまのあいだから見える、布美枝の大きな目。 それはこのドラマでも、何度かお目にかかったシーンです。
 でもその目はそれまでと違って、なんだかうつろでした。
 こうした同じシーンのたたみかけで、登場人物の心の動きを端的に表現する手法は、つくづくこのドラマで感心する点です。

 茂が何をやっていたかというと、模型作り。
 手伝う布美枝でしたが、風邪をひいていることもあって、くしゃみで部品のひとつを飛ばしてしまう。
 「あっ、う、動くな! まずは冷静に被害状況の確認だ」
 このドラマ、軍事用語?が時々出てきますよね(笑)。
 「マリアナ海戦、レイテ沖海戦と戦った戦艦が、まさかお母ちゃんのくしゃみ一発で撃沈とは…はぁ~…」 と嘆く茂にも、笑えます。

 ここで布美枝は、なんだか先週も聞いたようなセリフ(先週の記事にも、書いてますのでよろしかったらそちらを参照してください)から、茂を励ましにかかるのです。

 「お父ちゃん…お父ちゃんの言ってた通りですね…夢中になって作っとると、だんだん気持ちが晴れてくる。 私も模型作りが好きになったのかな…それとも…お父ちゃんと一緒に作っとるから楽しいのかな…
 私…一緒にやっていきますけん。
 お父ちゃんは強い人だけん、今まで腕一本で、何でもやってきたでしょ?
 弱音も吐かんし、愚痴も言わん。
 けど…今は私の腕と合わせて、3本ありますけんね。
 3本でやったら、この先、…きっと、なんとかなります」

 これに対して、茂は感じいった様子でしたが、「もう遅い。 寝ろ」 とそっけない返事。

 ここらへんの、なんとも古風かつ不器用な愛情表現の仕方は、いいですなあ。
 このドラマ、愛情は目に見えるように、目いっぱい表現してほしい、という現代の若い人には、受け入れられないかもしれない手法をとっていますが、日本人はこれでいいのです(断言)。

 かねてから農家の人から売り物にならない曲がりものの大根を干していた布美枝でしたが、今週の小道具は、この大根。
 干し上がった大根を戌井に持たせながら、布美枝はこう言うのです。

 「風の強い日が続いとったんで、おいしくなってると思いますよ。 冷たい風は大根を甘くするって言いますから」

 戌井は、「冷たい風に吹かれて、マンガも強くなる」 と言っていた、茂の言葉を思い出します。

 「奥さん! 来年こそ、もっといい年にしましょうね! きっとそうなります!」

 そうしてみんな、来年こそは、来年こそは!と思いながら、がんばっていくんですよねえ。 なんだか、今の時期正月からはいちばん遠い時期ではありますが(笑)、自分も心機一転したくなりました~。 闇は暗ければ暗いほど、夜明けは近い。 春にならない冬はない。 そう考えて、がんばっていくしかないですね。

 今週の藍子チャンは、貸本マンガ撲滅運動ママ(中島ひろ子サン)の抗議の最中に土間に落ちて話をうやむやにさせたり、つかまり立ちをしようとして茂を励ましたり、そして週の終わりには、とうとうひとりで立てるようになりました。 さりげなく、存在感を示していた気が、するのです。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第9週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html

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2010年6月17日 (木)

「Mother」 第10回 優しさがつき動かすもの

 最初にお断りします。 「めっちゃ巨大」 …じゃなくって、長ーい記事になってしまいました。

 先週はあまりの怒涛の展開に、とうとう自分も感想文を書くことを放棄してしまったほどの 「Mother」。 (笑)と何度もつけながら、自分が号泣したことを告白することへの恥ずかしさを隠してまいりましたが、今週はもう、堂々と宣言させていただきます。

 「今週も、号泣いたしました」(笑…まだ恥ずかしい…)。

 鈴原奈緒(松雪泰子サン)の逮捕から、裁判で執行猶予付きの判決が下され、鈴原家に戻ってくるまで、この物語を貫いていたのは、すべての登場人物の 「優しさ」 でした。
 その 「優しさ」 に触れるたび、私は断続的に涙を流していたんですが、要するにつまり、見ているあいだじゅう、ずっと泣いてた、というか。

 それがラストでは、一気に滂沱の涙。

 見終わったあと強く感じたのは、私はこのドラマによって、代わりに泣かせてもらっている、ということでした。

 現実には、泣きたいようなつらいことの連続なのに、泣くこともできない。
 心のどこかでは悲鳴をあげながら、自分の人生を、生きている気がするのです。
 その悲しみを、「Mother」 の中の人たちは、ありったけの優しさでもって、洗い流してくれている。
 最初はあまりの話の暗さに、主人公の暗さに、ちょっと引いていたところもあるのですが、今はこうでなければならないと強く感じます。

 冒頭、道木怜南(=継美、芦田愛菜チャン)誘拐で逮捕され護送中の奈緒の細い手には、ニュースでもモザイク付きでしか写さない、手錠が冷たく光っています。 ちょっとショッキング。
 取材陣で騒然とする警察署入口を抜けて、取調室に入ろうとする奈緒は、継美チャンの 「お母さん!」 という声を聞いたような気がして、立ち止まって振り返る。
 もうちょっと、この時点でグッと来てます(早すぎ…笑)。

 いっぽう鈴原家では、取材陣が押しかけ母親の高畑淳子サンは社長を退任、果歩(倉科カナチャン)は就職内定を取り消され、嵐が吹き荒れているのですが、そこにカナチャンのボーイフレンドの川村陽介クンが 「何かあったんスか?」 と入ってきて、ちょっと笑わせます。 この人、失礼ながらこのドラマにそんなに必要な人物に見えなかったのですが、やっといた意味が分かった、というか(笑)。
 川村クンのノーテンキぶりに緊張の糸が途切れて笑い出す、その鈴原家のテレビには、奈緒が護送される様子がミュート(音量ゼロ状態)のまま映し出されています。

 継美チャンは仁美(尾野真千子サン)の元には、虐待の事実のために引き取られず、「白鳥園」 という児童養護施設に預けられます。
 「白鳥」 と書いてあるのを見て、「鳥のお店ですか?」 と尋ねる継美チャン。 このあと、奈緒が鳥の羽根の図鑑に挟んであった継美チャンの 「お母さんの絵」 を取り出すシーンがあるのですが、継美チャンには、自由に空を飛びたい、本当に自分の生きたいところへ飛んで行きたい、という気持ちの象徴として、鳥が何度も出てきますよね。 名前も、「ツグミ」(英名ブラックバード…ビートルズにも同名の歌があるのですが、なんかこの歌のコンセプトと継美チャンに対する作者の思いは、リンクしているような気がしてなりません) ですしね。

 奈緒と接見する藤吉(山本耕史サン)は、奈緒の継美チャンへの母性そのものが罪なのだ、と考えている。
 そして鈴原家の内情を奈緒に話し、継美に固執せずそのことにもっと思いを致すべきだ、と奈緒に意見するのです。
 それは至ってごもっともなことであります。 もっとも過ぎて、イライラします(冗談)。 やはり見ている側の感情として、奈緒と継美チャンをまた一緒にさせてあげたいとばかり思っているから、藤吉の正論にもイライラするのでしょう。

 葉菜(田中裕子サン)は、理容室(結局、売らずに済んだ、ということですね)で、奈緒の記事が載った週刊誌を見ている。
 「母と呼ばれたかった女が逃亡の果てに見た絶望」
 「室蘭から伊豆までの逃亡生活 彼女を狂わせた動機とは!?」
 「研究員の職を失ったエリート 独身女性が落ちたぬかるみ」
 ありがちですなあ(笑)。
 表面的な事実ばかりを追いかけて、読者の興味を惹起させるような見出しを考える。
 それが、興味本位だ、って言うんです。

 そこに訪ねてきた、藤吉。
 「何か私にできることはないか」 と尋ねる葉菜ですが、「あなたは30年前に、いさかいの末自宅に火を放って夫を殺害している前科がある。 ヘタに動かないほうがいい」 と諭されます。 なるほど、うっかりさんの罪とは、そういうことだったのか。

 取り調べや公判でも、塩見三省サン演じる検事に、「あの子の母親になりたかった」 と明言する奈緒。 藤吉の話を思い出しながら、判決の行方が気になっていきます。

 いっぽう仁美と虐待男浦上には逮捕状が。 「私を死刑にしてください!」 と刑事に懇願する仁美ですが、冷たい言いかたをすれば、「何を今さら」 という気がしないでもない。
 でも、やはり仁美は、自分が裁かれることを待っていた、と思うんですよ。
 決して許されることをしたわけではありませんが、このドラマの作り手は、見ている側に 「仁美を責めろ」 という態度を示していない気がする。 これは見ている側の感受性の問題に帰着する話なんですが。

 施設では友達とも打ち解けあって、今までのことなどすっかり忘れてしまっているように見える継美チャン。 自分の名前も、「怜南」 と名乗っています。

 ここで気付かなければならないのは、継美チャンは仮面をかぶるのが上手な子供である、ということのように感じます。 自分を 「怜南」 だと名乗っているのも、自分を偽っているからなのだと。
 ある夜、冷たい月を眺めている継美チャンと、牢獄の格子の隙間から、同じ月を眺めている、奈緒。
 絢香サンの 「三日月」 状態ですが、またここで、泣けてきました。

 奈緒はここでまた、牢屋にいるはずのない継美チャンの幻影に、「お母さん」 と話しかけられる。
 奈緒が手を伸ばすと、消えてしまうまぼろし。
 自らを抱きかかえて涙する奈緒。

 懲役1年、執行猶予3年という判決が奈緒にくだり、ホッと胸をなでおろす葉菜。
 髪の毛には、白いものが目立っています。
 その直後葉菜は、病気が再発して、倒れてしまう。
 葉菜の病室を見舞った高畑淳子サンは、葉菜の病状を知り、奈緒が出てきたらお見舞に来させるよう話をする、と言うのですが、葉菜はそれを拒絶するのです。

 このときこのふたりは同い年であることを確認し合い、同じ時代を生きてきたことで、たがいに共感の度を増していくのですが、これは年配の人ほどよく分かる感情ではないでしょうか。
 「ダメよ。 絶対ダメ。 娘に(自分の死ぬことを)知らせずに逝くなんて」
 静かに微笑むだけのうっかりさん。
 どちらの思いも静かに伝わってきて、またここでも涙です。

 そして釈放され、鈴原家に戻ってきた奈緒。
 芽衣(酒井若菜サン)や果歩との再会でも、セリフがほとんどなかったけれども、やはり泣けてきます。
 なにしろ、みんな優しいんですよ。
 自分たちがあんな目に遭っていながら。

 自分の部屋に戻り、さっきも書きましたが図鑑に挟んであった継美チャンの絵を見て、継美チャンが自分を 「お母さん」 と呼んだ時の記憶が次々よみがえる奈緒。
 またまた泣けます。
 継美チャンが 「お母さん」 と言っただけで、泣けてきます。
 ケータイの着信音が鳴り、経歴を見ると 「非通信設定」 がずらずら並んでいる。
 事件を知った人からのいたずら電話なのか、取材の電話なのか。
 それはのちに、明らかになるのですが。
 再生をストップして細かく見たら、午後9時半前後に、それは集中していました。
 ああっ、また泣けてくる(笑)。

 葉菜のところに電話をする奈緒ですが、電話には誰も出ない。
 そこに藤吉が訪ねてきて、施設での継美チャンの様子を撮影したビデオを見せる。
 そこには、自分を 「怜南」 と名乗る、元気いっぱいの継美チャンが映っています。
 もう過去のことなんだと、自分を納得させるしかない、奈緒。
 ここらへんの奈緒の悲痛さも、涙がちょちょ切れます。
 「奈緒ねえを忘れたわけじゃなくて、がんばってるんだよ」
 と慰める妹たちも、限りなく優しい。
 「継美、楽しそうだった…あんなに、笑ってた…大丈夫よ、お母さん…私…ちゃんとうれしいから…ちゃんと喜んでるから…」
 奈緒を抱きしめる高畑サン。
 奈緒に葉菜の病状を告げ、彼女のところへ見舞に行くように言うのです。

 その時の高畑サンの回想も、泣ける話で。

 葉菜は奈緒の見舞いを断ったことを高畑サンに 「ダメよ」 と言われ、こう話したのです。

 「奈緒と継美チャンと、観覧車に乗りました…私が 『好きだ』 と言ったら、ふたりが連れてってくれました…もう悔いはないと思った…。
 一日あればいいの。
 人生には、
 一日あれば…。
 大事な大事な一日があれば、
 …もう、それでじゅうぶん」

 この考え方って、結構大事なような気がしました。
 長い人生で、本当によかったのがたった一日なんて、あまりにもつらい話ですが、そう思えることが、人生に対する大きな慰めとなり、ときにはこれからを生き抜く力になる。

 病室を訪れた奈緒に対して、葉菜は 「もう帰りなさい」 と言うのですが、奈緒は拒絶します。

 「夜までいる。 明日も、あさっても、来る。
 …もう、やめて。 もう、分かってるの。 今までずっと、母でいてくれたこと。 離れてても、母でいてくれたこと。 もう、分かってるの。
 …だから今度は、あなたの娘にさせて。
 …あなたの娘でいさせて…」

 涙があふれ、手を差し伸べる、葉菜。

 「こっちへおいで…」

 確かめるように自分の娘の顔をなで、髪を撫ぜる葉菜。

 「奈緒…」

 「お母さん…」

 抱きしめ合い、母親の腕に抱かれて号泣する奈緒。

 「ずっと…ずっとこうしたかった…」

 あー、また号泣モードに入ってきたあ~(笑)。

 いっぽうその夜、自分の靴をリュックに詰める継美チャンの姿。
 なんだ、施設を脱走か?

 奈緒のもとに、またもや非通知設定の電話。
 たぶん出てみて嫌な電話だったら切るつもりで、奈緒も電話に出てみたのでしょう。 それ以上に、何か予感があったのかも。

 そしてその電話は、なんと、というかやっぱり、というか、継美チャン。

 「…お母さん?」

 うっ…(笑)。 ちょっともう、この段階で…(笑…って書いてますけど、照れですので…)。

 「お母さん、あのさ、お化けって、ホントにいるのかな?…怖くて寝れないの」

 「継美…どうしてこの電話が分かったの?」

 そう話す奈緒の部屋の窓には、継美チャンが映っています。 まるですぐそばにいるように。

 継美チャンと話すうちに、奈緒は継美チャンが 「(園の冷蔵庫が)めっちゃ巨大」 などと話すのを聞いて、自分の知らない間に成長していく継美チャンを実感します。
 無邪気に園の様子や友達の様子などを話し続ける継美チャンでしたが、それがかえって健気さを増幅している気がする。
 あのあと起こったいろんなことを話したくてたまらない、という感じの継美チャン。

 でも、やはりこみあげてくる感情を、抑えることはできないのです。

 「あとね、あとね…。

 …お母さん、いつ迎えに来るの?
 もう、ロウヤ、出してもらったんでしょ?
 継美ね、待ってるよ…」

 継美チャンの目から、あふれだす涙。

 「何回も電話したよ。
 出ないから、間違って覚えてたのかなって思ったけど、合ってたね!
 いつ迎えに来る?
 ちゃんと寝る前に、お荷物、用意してるの。

 …お母さん」

 靴を見ながら、見る見る表情が崩れていく、継美チャン。
 あーダメだー(笑)。 また来たー(笑)。

 「お母さん…
 お母さん…
 早く迎えに来て…。
 継美、待ってるのに…。
 ずっと待ってるのに…。
 どうして来てくれないの…?
 …会いたいよ…。
 お母さんに会いたいよ…!」

 涙があふれ出す、奈緒。

 「継美…! …ごめんね…ごめんね…」

 そんな奈緒に、継美チャンはこんなことを言うのです。

 「お母さん、…もう一回ゆうかいして…」

 誘拐という言葉の罪深さを、継美チャンが知っているとは考えにくい。
 継美チャンにとっては、少なくとも誘拐、というのは、いい言葉なのです。
 世間やマスコミによって、継美チャンも誘拐という言葉を何回も聞いたことでしょう。
 でも継美チャンにとってそもそもの始まりは、奈緒の 「あなたを誘拐する」 という言葉だったのです。
 しっかし、またこの回、ラストに 「めっちゃ巨大」 な催涙弾が隠されていました(笑)。
 もう、目が腫れぼったいです、正直言って。

 番組は次回で最終回らしいですが、予告編は一切なし。
 その代わり、「Mother」 DVDボックスのプレゼントの告知。
 ゲッ、「めっちゃ」 欲しい(笑)。

当ブログ 「Mother」 に関するほかの記事
第1-2回 主人公が、暗いですね… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/mother-1-2-447a.html
第3-4回 同じテーマのドラマ 「八日目の蝉」 との相違点http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-3-4-34fe.html
第5回 母と娘の距離感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-5-bc26.html
第6回 行く先が、見えないhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-6-95e0.html

第7回 うっかりサンの裏の顔http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-7-344a.html
第8回 泣いてもいいんだよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-8-8615.html
第9回 母の手のぬくもりをhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-9-d640.html

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2010年6月14日 (月)

「龍馬伝」 第24回 蛍の儚い光、死んだ者の魂

 亀弥太(音尾琢真サン)を新選組に殺されたことで逆上する龍馬(福山雅治サン)は桂小五郎(谷原章介サン)にすんでのところで止められ、お龍(真木よう子サン)の奉公する宿へ。
 そこで 「池田屋で殺された同志や亀弥太殿の無念は必ず晴らす」 と復讐の炎を燃やす桂に、龍馬はどうもしっくりこないものを感じている様子です。

 このドラマでは、龍馬は世の中の動静に対して、常に疑問を抱いている。
 どうして互いに憎しみ合うのか。
 どうしてよそ者(異人)を徹底して忌み嫌い、完膚なきまでに排除しようとするのか。

 これは、現代のわれわれが持つ、島国根性と大いに似通っている傾向だと、私は考えるのです。 いずれにせよ、日本を愛する気持ちが、そうさせているのは確かなのですが、自分の考えを否定されたり悪口を言われて簡単にキレてしまうところなど、その傾向のなせる技だとも考えられる。

 結局龍馬の理想にいちばん近かったのが、勝麟太郎(武田鉄矢サン)の考えで、龍馬は海軍操練所で自らを成長させていくことになるのですが、龍馬の考えには、「日本の軍事力を上げれば外国の侵略に対する抑止力となり、互いに国力をあげることで、世界中が切磋琢磨する方向に行けばいい」 という思想がある。

 けれども世の中は、龍馬の考えている方向とは常に逆へ逆へと、流れていこうとしている。
 だからこそ龍馬は、「日本はどうなってしまうがぜよ!」 と嘆かざるを得ないのです。

 その宿が危険だ、ということから、お龍の実家にかくまってもらうことにした龍馬。
 そこでお龍が見たものは、あくまでも人なつっこく、自分のためにふるまわれた白米の握り飯も家人にすべてあげてしまうほどの龍馬の度量の広さでした。 初めて手にした月琴も使いこなして小唄を披露したりという、風流な一面も兼ね備え、子供たちにはモテモテ。 病弱のおばあさんにも優しいし、分け隔てがなさ過ぎる。

 どうもこういう、龍馬のチャラチャラしているところがご不満な向きもあるようなのですが、このドラマにおいて作り手が最も表現したい龍馬の本当の魅力というものは何なのか、というところを、見ている側はこれで理解する必要がある気もするのです。
 私も、こんな男がそばにいたら、きっと友達になりたいと思うでしょう。
 いなくなったら、なんかさびしくなるでしょう。 …いなくなったらさびしくなる男か。 今年の年末は、そういうことになるんでしょうか(ドラマが終わって)。

 いずれにせよ、このドラマにおける龍馬は、それだけ 「他人に対する壁」 というものがない。
 ATフィールド全くなし(笑)。
 福山サンの演技がどうだとか、人気があるからどうだとか考えてここのところを外してしまうと、その時点でもう、「龍馬伝」 というドラマを心から楽しむことはできなくなってしまう、そんな気がいたします。

 そんな龍馬は、お龍のあまりのつんけんぶりが、気になって仕方がない。
 お龍はその原因は、医者であった父が攘夷派の人間の治療をしたために安政の大獄で亡くなったことにあることを打ち明けるのですが、自分も父親を亡くしたという龍馬に、お龍はほんの少し共鳴する部分を持ったようです。

 このお龍の描きかた。
 あまりにもドスが効いていて、龍馬とは真逆の、ATフィールド全開の女(笑)。
 千葉佐那(貫地谷しほりチャン)もツンデレでしたが、この先龍馬と夫婦になる、ということは、佐那のはるか上を行くツンデレとなることでしょう(笑)。

 と言うより、このドラマでのお龍の解釈は、「龍馬の危険の際に裸なのにもかかわらずそれを報せに来た」、という 「度胸の座りきった女性」、という視点があるような気がしてなりません。

 そのお龍、亀弥太の死を嘆く龍馬に向かって、こう言い放ちます。

 「志を貫かれたんでしょう、あのお人は。 坂本さんは、褒めておあげにならんとあかんのと違いますか? 『よう頑張った』 と…。 『お前は、侍らしゅう死んだ』 と…」

 お龍サン、先週私が当ブログでダラダラと書いたことを、簡潔にズバッとおっしゃってくださいました(笑)。
 それに対して、龍馬は 「おまんの言う通りじゃの」 と呟き、その場を立ち去る。
 自分から 「もう帰れ」 と言ったくせに、一抹の寂しさを感じているような、お龍。

 いっぽう武市(大森南朋サン)と冨(奥貫薫サン)との絆も、この回では丁寧に描かれていました。

 牢番の人間に託された武市から妻へのメッセージ。

 「おまんにつらい思いをさせてすまん。 まっことすまん」

 それに対する冨の返事は、包みに忍ばせた、3匹の蛍。 包みを開いた途端に、淡い光を放ちながら、牢の中を飛んでいくのです。 かなり久々に見る、武市の笑顔。

 このやり取りのあいだに、乙女姉やん(寺島しのぶサン)の、「子供ができないためにいくら別の女房をあてがってもらっても、武市は冨以外の女には指一本も触れなかった」 という、この夫婦の絆を再認識させるような打ち明け話を挿入して、この蛍のシーンを最高に盛り上げていました。
 もうひとつ、忘れてはならないのが、弥太郎(香川照之サン)の妻、喜勢(マイコサン)が歌う、子守歌。
 弥太郎はこの回、ますますいい人に拍車がかかって(笑)、子供のいない冨に、生まれた赤ん坊の自慢をしてちっくと反省したり、武市の自供を後藤象二郎(青木崇高サン)に命じられて、深い事情も分からないまま武市に 「早く自供して冨さんのところに戻れ」 と懇願したりする。
 そんな弥太郎が目を細めて見守るわが子に、喜勢は子守歌を歌い続けるのです。

 こうちのいとさん
 あっぱいべべきせて
 おやにだかれて ねんころろ
 みやまいり
 みやにまいるとき
 なんというてまいる

 3匹の蛍は、風流好きの武市にとって、最高の贈り物だったに違いありません。
 そしてその蛍は、儚い命の象徴でもある。
 子供が産めなかった冨の思いが凝縮されているようでもある。
 京の水路を渡る龍馬にも、蛍がまとわりつく。
 それは死んだ亀弥太の命かもしれない。
 弥太郎と喜勢のその赤ん坊も、生まれたばかりの小さな命。
 その子供がいつまで生きたのかは分かりませんが、その人もすでに亡くなっているでしょう(生きてたら150歳くらいか?…笑)。
 このことからも分かりますが、人はみんな、儚い命を背負って生きている。
 武市、冨、弥太郎、喜勢、坂本家の人々、お龍の家族、そして龍馬。
 これらのシーンの静かな、そして流れるような連続は、私にいろんなことを考えさせました。
 そしていつしか、目には涙が。

 みやにまいるとき
 なんというてまいる
 いっしょうこのこが
 まめのように
 ねんころろ
 ねんころろ

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html
♯12武市の心理、執拗にやってますねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/12-2a95.html
♯13大友サン演出は、一味違うhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/13-e7ca.html
♯14進む龍馬の空洞化http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/14-ef4d.html
♯15龍馬の人物像が、ちっくと見えてきたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/15-b072.html
♯16日本人じゃあぁーっ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/16-5e1f.html
♯17試合という名のラブシーンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/17-6ae8.html
♯18武市の転落ぶり、凍りつきましたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/18-77bb.html
♯19 5月10日って…明日?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/19-510-e7ac.html
♯20 ものの見方で軽くなる命http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/20-280b.html
♯21こう生きていくしかない人… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/21-47f8.html
♯22龍馬の情けなさこそが、作り手の表現したいことだhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/22-f109.html
♯23後戻り?…それは誰が決めるのだろうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/23-0fc8.html

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「いちごとせんべい」 「ゲゲゲ」 コンビのもうひとつのドラマ

 このところ、「ゲゲゲの女房」 関連の記事ばかりなのですが…それだけハマっている、ということでしょうか。

 先週 「土曜スタジオパーク」 でその 「ゲゲゲ」 主役の松下奈緒サンがゲストだったとき、ちょっとPRしていたので見た、"デジタル放送普及ドラマ"、「いちごとせんべい」。 松下サンと向井理クンの 「ゲゲゲ」 コンビが、老舗(50年以上、と言っておりましたが)のせんべい屋さんの夫婦をしている、8分間の短いドラマです。

 8分間とは言うものの、「ゲゲゲの女房」 ファンにとっては結構うれしい組み合わせ。 松下サンは布美枝の時と比べて、どちらかというと素に近いような感じだし、向井クンには(こういう言い方もなんですが)ちゃんと腕がついている。 なんだか水木夫妻のパラレルワールドを見ているような、奇妙な感覚もしてくるのです。

 作品の舞台は現代。 せんべい屋に嫁いで1か月の松下サンは、まだまだ至らないところもあって、細かくメモをとったりしてなんとかちゃんと仕事をこなせるよう努力しています。 向井クンは、そんな松下サンに手厳しい、常連のオバチャンに 「長い目で見てやってよ」 とちゃんとフォローをしてくれる、心優しい亭主。 それでも、「おれたちの代で、なにができるんだろう」 ということをなんとなく考えています。

 松下サンはある日、デジタル放送のデータ放送で、料理のレシピを見ることができるのを見て、あることをひらめきます。 ここからまた、当ブログ恒例のネタバレと参りますが、それは陳列棚の商品に、手書きのポップ(商品PR文)を添えること。 「ゲゲゲ」 のコンビが地デジテレビを使いこなして、さりげなーく、データ放送の宣伝をしております(笑)。

 いっぽう向井クンは、松下サンが大量に買い込んだいちごを使って、いちご入りのぬれせんべいを開発。 どーして松下サンがいちごを大量に買い込むのかとか、よく分からん(笑)ところもあるのですが、そこは短編ドラマのいいところ、と言いますか(笑)、さらっと流して。

 手書きのポップを見せられた向井クンは、「よく変わるぶんには、伝統は傷つかないよ」 と、またさりげなくデジタル放送の利点をアピールしている(笑)、と言うか。

 そしていちごのぬれせんべい、なかなかおいしそうです。
 そのせんべいに、「彩」 という、松下サンの(役柄上の)名前を提案する、向井クン。
 幸せこの上なさそうな、夫婦の姿なのです。
 うらやましいぞ、コンニャロ~っ!(笑)

 8分のドラマだというのに、なんか結構よくできとりますなあ。 と言うか、やはり 「ゲゲゲ」 びいきの影響も、見ているほうにはあると思うんですが。 このところ本編のドラマは極貧続きなので、ちょっこしホッとする話であることは確かです。

 このドラマ、ウェブでも公開されているのですが、7月4日(日)午後5時51分から、NHK総合でも放送されるようです。 「ゲゲゲ」 ファンなら必見!

 ウェブはこちらです↓
http://www.nhk.or.jp/digital/pr/senbei/movie.html

「続編 「割れたせんべい」 に関する当ブログの記事はこちら
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/post-b14c.html

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2010年6月13日 (日)

「土曜スタジオパーク」 6月12日 松下奈緒サン、意外な素顔

 NHK 「土曜スタジオパーク」 6月2日は、「ゲゲゲの女房」 で主役の村井布美枝を演じている、松下奈緒サンがゲスト。

 司会のビビる大木クンと比べてもあまり背が変わらず、「やっぱり背が高いんだな」 という第一印象。 こうした素顔を拝見するのは初めてなので、私も興味津々でした。

 ところが…(また野際陽子サン風…しつこい…笑)。

 いざ、話し始めると、…布美枝と違う!(笑)
 なんか、声が全然違うんですよ。 びっくりするくらい。 比較的トーンの低めの声で、実に早口(緊張のせいかもしれませんが)。 布美枝の声って、完全によそ行きの声、という感じですね、このしゃべりかたを聞いていると。

 しかもイメージ的には、「ちりとてちん」 のピアノ演奏をしていたという覚えがあったので、おしとやかなのかな、と思ったら、小さい頃から外で遊ぶのが大好きな、ブラックバス釣りとかもする快活な女性。 イメージ的に、アサヒビールだったかのCMに出ているときの彼女のほうが、素に近い、という感じかな。

 視聴者が選んだ 「もう一度見たいシーン」 では、まずお見合いのシーン。

 「そうですねー、なんかもう今結婚して1年くらいたっちゃってるのですごい懐かしいシーンですねー。 こっからスタートしてたんだなと思ってちょっと。 いやあのシーンすごく、あのいちばんあのメンバーのなかでたぶん、布美枝自身が緊張していたと思うんですよね。 で私もやっぱあのシーンってすごく、ド緊張の日でー、シーン的にはずっと同じお部屋の中で一日中撮ってたんですけど時間的には3日4日ずっとあのシーンを撮ってたので、すごく大変な着物のシーンでしたけど」

 いや、しかし早口だ(笑)。 しかも、しゃべるしゃべる(笑)。 兵庫県のお生まれらしいのですが、や、関西女、という感じですねえ。 のんびりとした安来の方言を使っている布美枝は、いったいどこに…?(笑)

 そして茂から自転車をもらって涙ぐむシーン。

 「ホンットにー、私もすごい不思議な気持ちなんですけどー、なんかこう徐々に撮影が進んでくると私自身が布美枝になりたい、と言うか、やっぱり、なりきっているもんだと、こうなんか自分のなかでもそういうのかあるので、なんかこのシーンも、すごくスンナリ、こう、自転車を見て、まあたぶん普通だったら、自転車もらったくらいで泣くなよ、って茂さんみたいに言われるかもしれないですけど私のなかではもう自転車…すべてがやっぱうれしいんですよね、いろんなとこがもう、そういうとこがなんかこう役と重なり合うところが非常に多かったので、なんかこのシーンでもすごく印象に残ってますねえ…(役に)入ってましたねやっぱり、もうあのなんか、(茂が)自転車持って現れた瞬間にもう泣きそうになってましたよね(笑)やっぱり。 なんでここでこんなものをくれるんだって言うかなんか、今までのことがあったのでその分やっぱつらいものたくさんしてきた中での、唯一うれしい幸せな時間というのが、最初に、このシーンがたぶん、いちばーんこうふたりが寄り添った時間でもあったのでー、そういう意味ではすごく」

 それにしてもよくしゃべるね(笑)。

 ほかにも、源兵衛役の大杉漣サンの 「アドリブ攻撃」 がすごい、とか(笑)。
 東京にやってきた源兵衛が中森サンをとっ捕まえ、その時に手に取ったひしゃくをずーっと持ったまま振り回して、布美枝たちを怒るシーン、あのひしゃくは予定外のことだったらしい(笑)。
 そして、「見送ってもくれんのか?」 と玄関先で怒鳴るのも、アドリブ(笑)。
 布美枝と姉の暁子(飯沼千恵子サン)があわてて飛び上ってしまうのは、笑えました。

 そして、現場以外では茂役の向井理クンとは滅多にしゃべらない、という話に。

 「ここ一週間しゃべってないです(笑)。 冗談、冗談です。 これはですねー、あのやっぱり、のちのちちゃんと聞くと、これは向井サンもそうだとおっしゃってくれたのでほっとしたんですけど、やっぱ最初に出会って5日で、2回しか会わないのに新婚生活を始めるっていう距離感をやっぱり保ちたいなーということが最初あったので、あんまりこう知りすぎちゃうとそれが、ヘンに絵に出ちゃうのが怖いというのもあったので(以下略…笑)」

 まあ、今は夫婦生活も長くなってきたのでそんなこともないらしいですが。
 これに対してビデオ出演の向井クンは。

 「ぼくもしゃべらないようにしてました。 まあとても長いですからね。 そんなにあわてて、夫婦だからと言って意識する必要もないなと思っていましたし、夫婦の成長物語でもあると思うので、そういう意味で、距離感は、ちゃんととるところはとっていかなければいけないなとは思ってましたね」

 向井クンのしゃべりっぷりが、とても落ち着いて聞こえる(笑)。
 その向井クンのお気に入りシーンは、布美枝が少女漫画の原稿料をいただきに木下ほうかサンのところに行って屈辱を受けたあと、コーヒーを買って帰ってふたりで一緒に飲むシーン。 よかったですよね、あそこ。

 「いつも(松下サンの)元気な感じにみんな救われているところがあると思うので、まあ、先はもう、始まったころからするとすごい短いですけど、これからも、みんなの、理想となるような夫婦像に、なっていければいいなーと思いますので、これからも、よろしくお願いします」

 向井クンは料理が得意らしくて、あれを作ったとかよく松下サンに自慢しているらしいです(笑)。

 そして 「もう一度見たいシーン」 の第1位は、「うちの人は、本物のマンガ家ですけん!」 と源兵衛に宣言するシーン。 私はなんと言っても、おばば(野際陽子サン)が亡くなる前の、最後のシーンですけどねー。

 「初めて父親に対して自分の気持ちをぶちまける、と言うか、やっぱり布美枝ってどこか、キャラクターとしておっとりしてて、何でも受け入れられるすごく心の広い人だっていう印象があったんですけど、このシーンってやっぱり、自分の守るべき人をきちんと守れるのは私だけだというそういう気持ちをいちばんに伝えたかったので、そういう意味ではなんかこう、なにも考えずに、ストンとその現場に入って、お父さんの顔を見てしまうともう、そういう気持ちに自然となれたと言うか(時々略…笑)」

 布美枝を演じることで、それまでは漠然としか結婚生活というものを考えられなかったけれど、パートナーの夢を支えるとかいっしょに実現していくとか、誰かのために行動する人生というものを実感する機会になった、という松下サン(発言を、だいぶ要約しました…笑)。

 写真の趣味も公開。
 やたらと接写するのがお好きらしくて、大好物のカルビも超接写したものを、パソコンのデスクトップにしているとか(ワケ分からん…笑)。

 布美枝との違いに戸惑いながらも(笑)、「ゲゲゲ」 以降のほかのドラマに対して演技の幅を期待させる、松下サンのキャラクターだった気がいたしました。

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2010年6月12日 (土)

「ゲゲゲの女房」 第11週 まあ…なんとかなーわね!

 「龍馬伝」 の回想シーンとの差別化を狙ったのか、なんか回想シーンの画面が赤っぽくなっていたのが気になった(笑)、「ゲゲゲの女房」 第11週。 それはいいとして(笑)、赤ちゃん(「藍子」 チャンと命名)という食いぶちが加わって、貧乏の度がますます加速化していく村井家なのであります。

 この村井家の貧乏なのですが、はた目から見れば 「ああすればいい」「こうすればいい」 とおせっかいを焼きたくなるところも、ないわけではありません。

 たとえば、布美枝(松下奈緒サン)の、赤ちゃんに母乳ではなくミルクを与える、という、「アメリカ式の」 子育て方法。 お金がないなら基本タダの母乳にすればよかろう、という気もする(母乳がいちばん、という育児方法はここ10数年来のことで、それまではミルク至上主義みたいなものがあったような気はするのですが)。
 茂(向井理クン)が先行きの展望がまるでない貸本にこだわり続けて出版社を選んでいる、という仕事方法。 当時マンガ家がのどから手が出るほど欲しかったのでは、と思われる、急成長のマンガ週刊誌に自分の作品を売り込みに行くとか、そういうことはできなかったのかなあ、ということも考えられます。

 でも、わが身を振り返ってみると、人間って、そうそう自分の生活に対して、最善の方法を採れているわけではない、そう思うんですよ。 どうでしょう。 少なくとも私は、自分が最善の生き方をしている、という実感がありません。 毎日つらい思いをしながら、外見上だけは明るくふるまって、プレッシャーと戦いながら仕事をしている。 告白してしまえば、こんなのが自分の人生なのか、と思うことが、よくあります。

 他人から見れば、「ああすればいい」「こうすればいい」 なんて、そんな最善の方法などすぐに分かるし、指摘することも簡単です。 「お前はまだまだ努力が足りない」 ということかもしれない。

 でも、村井家では、初節句も祝ってやれない、電気も止められてしまう、などという極貧の状況でも、そのことをたいしたおおごとに考えない、一見呆れてしまうほどのあっけらかんとしたおおらかさと、なんでも前向きに考えていこう、という、ヤケに達観した高みから、この貧乏状態をとらえている。
 このドラマは、「ああすればいい」「こうすればいい」 という視点のドラマでは、ないのです。

 実家から送られてきた初節句のための資金も生活費に消え、夜中に布美枝が折り紙で雛人形を作っていたのを見た茂は、大きな紙に7段飾りのおひなさまの絵を描く。
 それはけっしてきれいとは言えないすすけた暗い色のふすまに貼られ、目の覚めるような効果を生んでいました。
 この絵を前にして、ひなまつり 「ごっこ」 をするふたり。
 これを見て、心豊かにならない人がいるでしょうか。

 そのほかにも、戌井(梶原善サン)が持ってきたお古の服とおもちゃ。 美智子(松坂慶子サン)が切れ端で作ってきたちゃんちゃんこ。 10年後だったらすでに、こんなお祝いなど眉をひそめられたことでしょう。 そんなことがまだできる時代だった。 「時代」 と片付けてしまうのも簡単なのですが、「心が豊かであるとはどういうことなのか」 ということを、このドラマは根本的に考えさせる。

 それにしても、はるこ(南明奈チャン)が持ってきた起き上がりこぶし、私が赤ちゃんだった頃の写真にも、同じようなものが写っていました。 藍子チャンが昭和37年(1963年)の末?ですから、私のほうが2歳年下で、ほぼ同世代ですからね。 ここらへんの細かい時代考証も、きちっとできているのはすごい。

 そして、戌井が始めた出版社も暗礁に乗り上げはじめ、村井家の生活はまた悪化の一途をたどります。

 戌井宅から雨の中自転車で村井の家まで戻ってきた茂は、びしょぬれのうえ、顔面蒼白。
 朝帰りになってしまった原因を、こう話すのです。

 「道に迷っとった…戌井さん家を出て、雨も降っとるし、多磨霊園を通り抜けて近道しようと思っとったんだが…出口がないんだ」

 「どういうことですか?」

 「分からん。 何度も通り抜けとるのに、ゆうべは走っても走っても、墓場から外に出られんのだ。 まっ暗ーい迷路の中を、走っとるようだった。 日が昇って、ようやく出口が見えた」

 ふらふらと立ちあがる茂。

 「お風呂、入れましょうか?」

 「いや、寝る。 …疲れた」

 思い出したように布美枝に向かってむき出しのお金を手渡す茂。

 「あ、これ。 原稿料、これだけだ」

 床にバラバラとこぼれ落ちるお金。

 戦慄しました。
 まさに、経済的に逼迫したことのある人なら、このなんとも重苦しい、「出口の見えなさ加減」 は共感できるのではないかと思います。 こんな暗いもの、見たくない、という拒絶反応さえ起りそうな、貧困の真実をついた場面だった気がしてなりません。
 ここには、いつもなら 「妖怪でもいたのかも」 と一笑に付すような夫婦の姿はありません。
 あまりにも巨大な不安感に襲われると、人間はなすすべもなくなってしまう。
 ほかのことを考えるような回避行動が、取れなくなってしまうのです。

 どんよりとした気持ちを抱えたまま布美枝が商店街を歩いていると、「こみち書房」 に悪書追放を声高に叫ぶ団体が押し寄せている。
 夫の仕事自体を否定するこの動きに、布美枝はますます気の滅入るのを感じたに違いありません。
 それでも、それに対するキヨ(佐々木すみ江サン)のハチのひと刺しは、スッとしましたけどね。

 「自分が正義だと思ってる人たちほど、恐ろしいもんはないねえ。 これじゃ、戦争中と同じだよ」

 村井家の貧乏はますますひどくなり、とうとう、電気まで止められてしまう事態に。
 ろうそくの明かりの中、布美枝は藍子チャンに、少女の頃おばば(野際陽子サン)から聞かされたこわーい昔話をするのですが、なんか、泣けました。
 経済的な苦労など、もしあったとしても、子供のころは感じないものです。
 源兵衛(大杉漣サン)の仕事がコロコロ変わるのは描写されていましたが、実際飯田家の経済状態は、どうだったのでしょうか。
 いずれにせよ布美枝にとって、おばばの昔話は、当時の村井家の貧困状態と比べて、あまりにも懐かしい思い出だったに違いないのです。
 こちらは泣けて仕方がなかったですが、布美枝の気持ちはまだまだ気丈。
 ろうそくの明かりの中で見た茂の怪奇マンガをわあわあ怖がり、灯りがないから星空もきれいに見える、と感激する。

 ところが…(また、野際サンのナレーション風です…笑)。

 戌井とは別の出版社からの原稿料も、当初の3万円という話から、10分の1近い3500円という、ダンピングもここに極まれり、というていたらく。
 これじゃ、内職でもしていたほうがまし、と言いますか。
 「福の神でも来んかなあ」 と夫婦がしゃべっていると、なななんと、ビンボー神(片桐仁サン)が実体化して村井家を訪問してきた(笑)。
 「大蔵省(現在の財務省など)の者です」 と言いながら、この土地は半分大蔵省のものなので、家をどかせてください、というハチャメチャな話(笑)。
 それでも布美枝は、「けど、そうなったらそうなったときです…なるようにしか、ならんのですけん。 藍子もおるんですけんね。 …まあ、なんとかなーわね!」 と、のんびりと構えている。 茂はその楽天的な考えに、「おかあちゃんは、たくましいな。 いざとなると、肝が座るらしい」 と、半ば呆れてしまうのですが。

 翌日、その話は大蔵省の勘違いだった、ということで謝罪に別の人が現れます。 それを聞いて、布美枝は、あんなにのんびり構えていたのに、やはり心情穏やかではなかったことを打ち明けるのです。
 のんびり構えることに、どれくらいの覚悟がいるか。
 やはりうまいですね、見せ方が。

 「昨日の人はビンボー神だったのか?」 という茂に、「塩まきましょう、塩!」 と、ビンボー神を退散させようとする布美枝ですが、途中から 「もったいない…」 とちまちま塩をまいてしまうところは笑えます。 「もっと景気よくまけ!」 という茂に、布美枝はこう話すのです。

 「お父ちゃん。 お父ちゃんの言う通りだわ。 ホントに…世の中不公平に出来とるね。 一生懸命生きとるのに、どうして次から次へと困ったことばかり起きるんだろう。 …やっつけてくださいね」

 「え?」

 「貧乏神。 うちや、戌井さんとこや、一生懸命やってもやっても報われん人たちにとりついとる貧乏神。
 お父ちゃんが、やっつけてください」

 「ムチャ言うな」

 「ムチャなことない! お父ちゃんは、マンガ家なんですけん、マンガで、ガツンと、やってください!」

 「…ガツンとか…」

 「やられっぱなしは、つまらんですけん」

 見ているこちらも、大いに励みになる、布美枝の言葉でした。

 不幸なんかに負けっぱなしでは、はっきり言って悔しい。
 シャクだし、胸くそが悪い。
 てめえなんかに負けるかよ(by宮沢賢治)。
 そんな気構えで、生きていたいものです。

 そしてその、どうにもならない世の中への怒りが、茂に 「悪魔くん」 という傑作を描かせる動機となっていくのです。
 戌井はこれを絶賛。
 ただし、これまでの 「鬼太郎」 や、「河童の三平」 も、茂にとってしてみれば、かなりの自信作。 世の中の流れにうまく合致することができるのは、相当な困難を伴う作業なのです。 運もそこには多大なる影響をもたらしている気もする。

 ただ水木しげるというマンガ家にとっての最大の武器だったのは、すぐれたストーリーを次々生み出すことのできる源泉というものがあったがためだ、という気も、私は同時にします。
 面白い話が思いつかないマンガ家は、その時点ですでに終わっている。
 茂や布美枝を支えている、一見根拠のなさそうな 「ノーテンキさ」 は、実にその茂の才能を、ふたりとも信じている点にあるのではないでしょうか。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第9週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html

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2010年6月10日 (木)

「Mother」 第9回 母の手のぬくもりを

 冒頭から、いつもはエンディングに流れるクレジットが、淡々と映し出されていきます。
 そのことで、見ている側は今回、決定的なことが起ころうとしていることに、心がざわめき立つのです。 今回の 「Mother」 は、このところあまり記憶がないくらい、心が揺さぶられた仕上がりになっていたように感じます。 テレビで(タダで)ここまでのものを見せてくれると、テレビもまだまだ捨てたもんじゃない、テレビがつまらんとか言ってるヤツは全員これを見ろ!と声を大にして言いたくなります。 それほどの素晴らしいドラマでした。 来週が最終回ではないみたいなので、あと最低2回は残っていると思うのですが、これほど盛り上げてしまっていいのだろうか?(笑)と言えるほどの出来。

 そんな冒頭シーン。

 仁美(尾野真千子サン)が子供を取り戻すことを諦めて室蘭へ帰って行ったことで、奈緒(松雪泰子サン)と継美(芦田愛菜チャン)の関係は、未成年者誘拐、という足かせがなくなったせいか、急速に親密の度を増している様子です。 そんななか、継美チャンは歯が抜けてしまったことを気にかけています。 これは今回、クライマックスへの大きな伏線となるのですが。

 奈緒とうっかりさんこと葉菜(田中裕子サン)はいよいよ戸籍の不法買取を実行に移そうと、仲介者?の口座にお金を入れ、その足で戸籍を確認するために、明後日に伊豆に行く段取りを整えるのです。
 その額、580万円。
 こういうことが実際に行われているかどうかは知りませんが、実に高い。
 葉菜はこの金を工面するために、多田という、理髪店にちょくちょく顔を見せていたご老人から、理髪店の権利書を手にしている。 どうやらこのご老人の妻であった 「スミレ」 という人が持っていた店を、うっかりさんは譲り受けていて、今回その権利書まで多田の好意でいただいたらしい。 多田にタダでもらうなんて、シャレか?(笑)
 そしてつまり、そのお店を売っちゃって、お金に換える、ということでしょうか。
 うっかりさんはどこかのローン会社に掛け合っていたようですが、ちょっと気になるのは、580万円もの大金を、右から左へ送金できるのかなあ、ということ。 振り込め詐欺対策って、ありますよね? まあ話の本筋から言って、どうでもいい話なんですが。

 うっかりさんの留守中に、奈緒は彼女の主治医である柚川(市川実和子サン)から、うっかりさんの病気について話を聞くのです。
 彼女の病気は、急性骨髄性白血病。
 ガーン。
 大島幸子と、同じ病気だ…って(笑)、あの、つまり、「赤い疑惑」 で百恵チャンがかかった病気です(笑)。 35年前。 (ガーン…もうそんな昔…)

 もとい。

 母親の病状を知って、奈緒は驚くと同時に、いったんは自分を捨てた母親の、自己犠牲的な愛情をまざまざと思い知るのです。 これも、クライマックスへ向けて大きな伏線となっている。

 いっぽううっかりさんは、継美チャンと 「雨降り熊の子」 を歌いながら、家路についている。 この 「雨降り熊の子」 も、クライマックスにひと働きします。 伏線だらけだ(笑)。

 奈緒と葉菜、そして継美チャンの伊豆への旅では、3人の絆がとても深まっていく様子が描写されています。 3人で住む砂のお家を作ったり、3人で一緒に床屋さんをやろう、と継美チャンが提案したり。

 埠頭を歩いているとき、継美チャンは海鳥たちに向かって駆けて行き、「トリさーん、ここだよー! ここにいるよー、トリさーん!」 とうれしそうに叫ぶ。
 それは今までひたすらほんとうの自分を隠し通しながら生きてきた継美チャンの、人間宣言とでも呼べる叫びだった気がするのです。 それが、今にして思うと、とても切ない。

 ともあれそんなあたたかなシーンが連続するので、結構穏やかな気分になれるような話の流れなのですが、水面下では仁美の告発を受けて、奈緒たちに警察の手が迫っている。 藤吉(山本耕史サン)の動きも活発になってきて、鈴原家に行ったり仁美を説得しようとしたり、このドラマ中盤で見せた怪しいところが全くなくなりました。 彼の状況説明は実に理路整然としていて、ふむふむなるほどそーゆーことか、と見ている側に客観的な視点を思い起こさせる役割を担っています。 でもまあ、仁美の告訴をやめさせようとした思惑は、全く外れてしまいましたが。

 「嫌いだからですよ、あの女が」

 誘拐を公にすれば結局は怜南(=継美チャン)を虐待していた自分の首を絞めることにもなるというのに、仁美は藤吉に向かって、しれっとそう言い放ちます。
 それはたとえいっときだけでも奈緒を懲らしめてやりたい、自分のことをママじゃないと言った怜南を困らせてやりたい、という心情の発露のような気もしますが、実は仁美は、そうすることで自分も早く罰してもらいたがっているのかもしれない、ふとそう私は思いました。

 藤吉から、警察が動いているという知らせを受け取った奈緒は、同じ席にいた鈴原家の人々から、強い励ましを受けます。 特に奈緒の育ての母、高畑淳子サンから、「あなたを心から誇りに思う」 と言われ、奈緒の目にみるみる涙がたまっていくのです。 泣けましたが、…これはほんの序章に過ぎませんでした(笑)。

 寝静まった継美チャンを見ながら、奈緒は葉菜に病状を聞いたと打ち明け、「また私をだまそうとしている」 と静かに訴えます。
 「また」、というのは、おそらく自分を捨てた時のように、という意味でしょう。
 それに対して、葉菜は 「じゃあ、また、だまされて」 と微笑みながら言うのです。
 「どうしてこんなにしてくれるのですか?罪滅ぼしですか?」 と聞き返す奈緒に、葉菜はこう答えるのです。

 「今が幸せだからよ…幸せって、誰かを大切に思えることでしょう? 自分の命より、大切なものがほかにできる。 こんな幸せなことがある?」

 朝イチでお金をおろそうとした奈緒(おろそうとしたかどうかは分かりませんが)は、目当ての銀行のATMがシステムメンテナンスのため9時30分まで利用できないことを張り紙で知ります。
 なんというタイミングの悪さ?
 結局不正な送金をせずに済んだから、結果的にはよかったのかな?

 ほかの銀行を当たろうと葉菜に連絡を入れた奈緒は、気が急くあまり継美チャンの話を聞かずに電話を切ってしまう。
 銀行を探す奈緒は、警察が自分たちのことを嗅ぎまわっているところを目撃し、継美チャンの待つ旅館に戻ろうとするのですが、そこに天気雨がにわかに降ってくるのです。

 この天気雨。

 継美チャンが外を見て、「お天気なのに雨が降っている」 とうっかりさんに話し、うっかりさんから 「これはキツネの嫁入りというんだよ」 と教えてもらいながら、また 「雨降り熊の子」 とふたりで歌う。

 「キツネの嫁入り」 を見ると不幸になる。

 そんな言い伝えがあるこの天気雨という 「普段には見られない現象」 が、奈緒が警察に拘束されるシーンに一種独特の 「非現実感」 を演出したことは間違いない、そう私は感じます。
 天気雨が降る中、大雨でできた小川を泳いでいる魚を捕まえられなかった熊の子の歌が、スローモーションで逃走する奈緒のバックに流れる。
 警察に行く手を阻まれ、逃走を断念した奈緒はその場に膝を落とし、継美チャンの名前を叫ぶのです。 抑揚のない演技に終始してきた松雪サンが、ここで自分の感情を、解き放っている。 見ている側の心を震撼させるような叫びでした。

 「お母さんの声が聞こえなかった?」
 そう継美チャンに訊かれた葉菜は、旅館の玄関先に出てみてがく然とする。
 そこには、警察に連行されようとしている奈緒の姿が。

 「奈緒!」

 確かこのドラマで、葉菜ははじめて自分の娘の名前を呼んだのではないでしょうか。
 この時点で、私もう、ちょっとグッと来てます(笑)。 矢も盾もたまらず、奈緒に駆け寄る葉菜。

 「お母さん…」

 やっぱり奈緒も、初めて葉菜のことを、こう呼んだと思うのです。
 初めてこの母子が、母子になった瞬間でした。

 葉菜にしっかり握られた手を見て、奈緒はこう呟きます。

 「こんなだったかな…」

 自分が幼いころに母に捨てられたときの、その手の感触を、奈緒はいまだに忘れていない、と前に話していましたよね。

 「少し、小さくなった…」

 「あなたが大きくなったのよ…」

 「お母さん…病院に行って…病院に行って、ちゃんと、検査…」

 「分かった、分かったから…分かったから…奈緒…!」

 引き離されようとするところへ、継美チャンがやってくる。

 「お母さん! …どこへ行くの?
 継美も行く…継美も行く…どこへ行くの?…継美も行くよ…お母さん!…なんで黙ってるの?」

 自分の名前を何度も言う継美チャンは、警察に向かって、私は道木怜南じゃないのだ、と訴えているようにも聞こえる。
 奈緒は継美チャンの手を取って、さっき電話で何を言いかけたのかを尋ねます。 継美チャンは、あふれる涙をこらえながら、こう言うのです。

 「あのね…歯が生えてきたよ…おとなの歯が生えてきたよ…」

 「そう…そう……よかったね」

 もう、ダメです(笑)。 涙腺ぶっ壊れたかと思いました(笑)。

 そして奈緒は、自分が母親に別れる前にされた同じことを、継美チャンにするのです。

 「継美…覚えてて…お母さんの手だよ…お母さんの手…
 ずっと握ってるからね…
 継美の手…
 ずっと握ってるからね…」

 警察に促された奈緒は、継美チャンを固く抱きしめます。 あーひとりで見ててよかった(笑)。 もう、ボロボロです(笑)。

 「車、動くよ…危ないから離れてなさい」

 激しくかぶりを振る継美チャン。

 葉菜に継美チャンを頼み、母子のしっかり握った手が離れていく瞬間は、胸が引き裂かれるような気持ちでした。

 「継美!」

 「おかあさーん!」

 走り去っていく車を追いかけ、何度も何度も叫ぶ、継美チャン。
 カンベンして(笑)。 あーオワリだ。 もうなんでもいいから、みんなにこのドラマを見てもらいたいという衝動が…(笑)。

 いや、ここまで来ると、私のヘタな感想文など余計なものでしかないですね。 キーボード打ちながらも泣いています(笑)。

 ふー。

 泣き疲れました(笑)。

当ブログ 「Mother」 に関するほかの記事
第1-2回 主人公が、暗いですね… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/mother-1-2-447a.html
第3-4回 同じテーマのドラマ 「八日目の蝉」 との相違点http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-3-4-34fe.html
第5回 母と娘の距離感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-5-bc26.html
第6回 行く先が、見えないhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-6-95e0.html

第7回 うっかりサンの裏の顔http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-7-344a.html
第8回 泣いてもいいんだよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-8-8615.html
第10回 優しさがつき動かすものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-10-db64.html

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2010年6月 8日 (火)

「祝!」 でしょう! 「JIN-仁-」 の続編決定!

 ドラマ好きにはたまらない大傑作だった 「JIN-仁-」 の続編が、決定したらしいです! 来年の4月-6月期の予定らしいですね! 長すぎます。 待ちきれません。 しかしそれだけ時間をかける、ということは、間違いなく前作をしのごうという制作側の決意の表れだと思います。 大いに期待させていただきます。

 続編では原作にも出ている西郷隆盛と、龍馬(内野聖陽サン)と共に殺されてしまう中岡慎太郎が重要な登場人物として新しく加わるとのこと。 石丸プロデューサーによれば、続編ですべての謎に対する答えを出すそうです。

 しかもですよ。
 これで完成で、映画化をしないという話。

 この心意気には完全に脱帽です。

 近ごろのテレビドラマときたら、人気が出れば自社の利益を上げようと思って映画化に走る傾向が強い。
 不況だから仕方がないとは言え、それは結果的に、いたずらにそれを見る人と見ない人との垣根を作ることになっている気がするのです。 最大多数の最大幸福、じゃないですけど、最大多数の同時性、というのは、ドラマには必要な気がするんですよ。 次の日学校や職場などで、「アレ凄かったよね」 って話すことの重要性、というか。

 それ以上に、再三このブログでも申し上げているのですが、映画化をした時にいちばん気に入らないのが、テレビの時と画質も変わってしまう点、オープニング・エンディングタイトルや、「そのドラマを見ている気にさせるパッケージング」 が変更されてしまう点にある。
 それに役者サンたちも、映画化ということで、必要以上にテンションが上がり気味。
 結末がよくなかったりすると、さらにサイアク(笑)。

 いずれにせよ、このドラマのもっともすぐれたところは、すべての話が実に巧みに絡みまくっていて、それに時代考証の裏付けが、可能な限りきちんとなされていた点。 それこそ重箱の隅をつつくようなことをすればおかしなところはあるも知れませんけどね。

 そして最も特筆すべきなのは、タイムスリップという使い古された題材のなかで、タイムスリップしてしまった人間が何を考えるのか、というリアルさが、これまでのどのタイムスリップ物よりも、リアルを極めていたこと。 主人公の大沢たかおサンの演技もさることながら、江戸時代で行なわれる現代医術、というものの興味深さがかけ合わさって、最大の効果を生んでいたのだと思います。

 大沢たかおサンが今回の企画書を見て、「前作以上にスケールも世界観も深く広くなっていてびっくりした」 と話していたこの続編、ヒッジョーに月並みですが、…待ち遠しい!

この記事のソース
サンケイスポーツhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100608-00000030-sanspo-ent

当ブログ 「JIN-仁-」 に関するほかの記事(特に続編に関して)
第11回(最終回)続編あるかどうかとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---7290.html
番外 続編の可能性を、もう一度考えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---a138.html

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2010年6月 7日 (月)

「龍馬伝」 第23回 後戻り?…それは誰が決めるのだろう

 「龍馬伝」 第23回は、長次郎(大泉洋サン)と徳(酒井若菜サン)の婚礼の席で、海軍操練所が神戸に完成した、という知らせが勝(武田鉄矢サン)からもたらされ、めでたいこと続きの明るい雰囲気で始まりました。
 しかし見終わってみれば、重たいものが心の奥にいつまでも残り続けるような、やりきれない思いに。

 今回の物語をつかさどる鍵の人物は、土佐勤王党から勝塾に送り込まれていた望月亀弥太(音尾琢真サン)。 武市(大森南朋サン)や以蔵(佐藤健クン)が投獄され、かつての自らの志と、否応なく再び向き合っているのです。

 操練所の新入り、陸奥陽之助(平岡祐太サン)のナマイキぶりに食ってかかり、自らのイライラを爆発させる亀弥太に、龍馬(福山雅治サン)は 「もはや攘夷だ開国だと言っている時代ではない、後戻りしてはいかん」 と亀弥太をなだめる。

 けれども、「後戻り」 ということは、いったい誰が決めることなんでしょう。

 亀弥太にとっては、武市が掲げていた尊王攘夷こそが、自らの理想にいちばん感応したからこそ、土佐勤王党に入ったのです。 そこにはやはり、虫けら同然だった下士時代の屈辱が、亀弥太には厳然としてある。
 龍馬に 「日本を守るためには、内輪もめよりも国力をあげるべきなのは、おまんじゃちよう分かっちゅうはずぜよ」 と説得されても、頭では分かっていても、自らこうと決めた生き方とは違う。
 龍馬に説得され、泣き崩れる亀弥太。
 亀弥太のどうしようもない心のあがきは、こちらの心を揺さぶるものがありました。

 結局亀弥太は長州藩士の攘夷の動きを察知して、操練所を出奔、京の池田屋に向かいます。 龍馬はそれを聞いて、亀弥太を連れ戻しに行こうとするのですが。

 「志の違うものは放っておけばいい」 という陸奥や長次郎。
 特に長次郎は、先のいざこざの時に、亀弥太から身分の違いでなじられている経緯がある。
 下士としての屈辱を背負っていた亀弥太にしても、饅頭屋のせがれに同じことをしている、という構図がさりげなく描かれているところは、秀逸です。

 ところがこれに、龍馬は激しく反発する。
 今回、作り手がいちばん訴えたかったことがここにあるような気がしました。

 「…それは違うぜよぉっ…!」

 動きが止まる操練所の男たち。

 「わしらは、…わしらはたった200人しかおらんがじゃ!
 たったの200人でこの日本の海軍を作ろうとしゆうがじゃ、わしらは!
 アメリカフランスエゲレスオロシア…異国は日本がばらばらになるのを待ちゆう! いつでも日本を乗っ取る準備ができゆう!
 けんど! そうはさせんと、そうはさせんと心に決めたもんらが、この海軍操練所に集まっちゅうがやろうが!
 …おらんでえいゆう仲間ら、…ここにはひとりもおらん!
 蒸気船は、ひとりで動かすことはできんがじゃ!
  帆を張るもん、索を引くもん、かまを焚くもん、風を見るもん、海図を読むもん、見張りをするもん、旗を立てるもん、飯を炊くもん、壊れたところを直すもん!
 誰ひとり、誰ひとり欠けたち、船を動かすことは出来んがぜよ!
 わしらはの、わしらは日本の海軍ゆう、大きい、大きい船を動かそうとしゆうがじゃ!
 …亀弥太はの…まっすぐな、えい奴ぜよ…。
 あいつを死なせるわけにはいかんき…。
 あいつを連れ戻してくるき…」

 生意気な口を聞いていた陸奥も、なんだか感激したような感じ(笑)。
 大義のためには多少の犠牲は仕方がない、という考えは、武士が刀を所持しているのがふつうの時代だった当時には、あまりにも当たり前のことだったに違いないのです。
 龍馬はこのとき、そんな 「犠牲」 という概念に、異議を申し立てた気がします。
 「三銃士」 ではないですが、「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」。
 ひとりの人間を大事にしなくて、なにが大義だ! 首を切って会社が安泰ならそれでいいのか!…あ、ちょっと本題から話がそれました(笑)。 …でもそれと一緒ですよね。

 亀弥太も含む池田屋に集まった攘夷派の志士たちは、京の町を焼き払ってその機に乗じ、帝を連れ出すという、言いかたは悪いですが大勢の人を困らせる計画。
 そこにドカドカと足音がし、画面はブラックアウト。
 新選組です。
 一介の暗殺者集団だった新選組は、この池田組事件で一気にその名を高めていくことになるのですが、ここでの斬り合いの描写は、一切なし。
 そして無言のまま、意気揚々と引き揚げていく、新選組の姿のみ。

 この新選組の池田屋襲撃の描写は、新選組ファンの人にとっては、誠に物足りないものであったかと思います。
 でもこれって結構、いろんなとこで見聞きしているし、数年前にも同じ大河でやってましたからね。

 それ以上に、もの言わず相手を斬り殺していく彼らの不気味さが、「見せない」「しゃべらせない」 ことによって一層引き立っているような気が、私にはするのです。 こういう新選組の描きかたも、私は好きだなあ。

 そしてその犠牲になった、亀弥太。
 龍馬が駆けつけた時は、すでに虫の息。 自ら小刀を、腹に突き刺しています。

 「わしは、侍やき…あんな奴らに…とどめを刺されるがは、まっぴらぜよ…!」

 最後まで武士の誇りを捨てなかった亀弥太には、泣けました。

 「龍馬…おまんの…言う通りにしちょったら、よかったかのう…後戻りは、いかんかったかのう…」

 絶命する亀弥太。 慟哭する、龍馬。 重苦しいBGMが流れる中、スローモーションで池田屋にたどり着く龍馬。 そして大惨殺の現場を目の当たりにした龍馬は、それが新選組の仕業だと知り、ただならぬ表情でその場から立ち去っていくのです。 新選組に殴り込みに行くのか、龍馬?

 後戻りかどうかは、やはり本人が決めることではないかと、見終わってから考えました。
 自分の志を全うしようとした人間は、それだけで生き抜く価値があったのだ、そう考えました。
 自分に恥じない生き方をすることこそが、いちばん大事なのではないか、と。

 久々に、「弥太郎伝」、やりますかね。

 岩崎家にも運が向いてきて、喜勢(マイコサン)に赤ん坊が生まれるのですが、弥太郎(香川照之サン)弥次郎(蟹江敬三サン)親子は相変わらずで、大声あげたりコワイ顔をして赤ん坊を泣かしています(笑)。

 その弥太郎、相変わらず憎まれ口を叩きながら、武市の家を訪れ、「あまりに幸せだとあとでしわ寄せが来るから、ここであえて損をしてやる」 と、美輪明宏サンの 「正負の法則」 かよ(笑)みたいなことを言いながら、家の修理を冨(奥貫薫サン)に買って出る。
 そこに届いた、武市からの手紙。
 「大丈夫そうじゃないかえ、武市さんは。 気にかけることらないがぜよ、な」
 と、優しいところを見せるのです。
 いいとこ、あるじゃないですか。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html
♯12武市の心理、執拗にやってますねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/12-2a95.html
♯13大友サン演出は、一味違うhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/13-e7ca.html
♯14進む龍馬の空洞化http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/14-ef4d.html
♯15龍馬の人物像が、ちっくと見えてきたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/15-b072.html
♯16日本人じゃあぁーっ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/16-5e1f.html
♯17試合という名のラブシーンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/17-6ae8.html
♯18武市の転落ぶり、凍りつきましたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/18-77bb.html
♯19 5月10日って…明日?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/19-510-e7ac.html
♯20 ものの見方で軽くなる命http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/20-280b.html
♯21こう生きていくしかない人… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/21-47f8.html
♯22龍馬の情けなさこそが、作り手の表現したいことだhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/22-f109.html

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2010年6月 6日 (日)

「ゲゲゲの女房」 第10週 ビンボー神の出るタイミング

 これまでも豊かとはけっして言えない生活をしてきた村井家でしたが、そんななかで布美枝(松下奈緒サン)が妊娠。
 今週の 「ゲゲゲの女房」 は、極貧のさなかに布美枝と茂(向井理サン)がどのように赤ちゃんを迎えるにいたったのかを描写していました。
 私の興味は、こんな究極の貧乏のなかで、茂がよく子供を持つ気になったものだ、ということ。

 産科院で 「子供が生まれると物入りだ」 という会話が脳裏をよぎるなか、布美枝が家に帰ってくると、2階を借りていた中森(中村靖日サン)が茂としんみりしています。
 聞けば中森サン、とうとうマンガ家をやめることを決意し、くにに帰ることにしたと言う。
 荷物をたたんだ部屋に戻った中森サン、商売道具のGペン(マンガ家がよく使うペンの一種です)を、いとおしそうに眺め、絵を描くしぐさをする。
 なんだか、じわっと泣けました。 なんてことないシーンなのですが、40を超えて、結局それまでやってきたことをやめ、下請けの下請け、などとという新たな仕事に就かなければならない悲哀に、同じ40代のオッサンは、ミョーに共感するのです(笑)。
 中村靖日サン、ホントにいるかいないか分からないような影の薄い下宿人(笑)でしたが、源兵衛サンにドロボーと間違えられたり、水道橋から調布まで息も絶え絶えに歩いてきたり、要所要所で笑わせていただきました。

 ところが中森サンからたまった家賃の半分をもらっても、村井家の財政には焼け石に水。 家賃収入のあてもなくなり、そのうえセールスレディの仕事も断られ、どんどん手詰まりの様相に。
 話ははしょりますが、最後の頼みの富田書房の社長(うじきつよしサン)から受け取った約束手形も、やはりどうも、ダメらしくて。

 どうしようかと暗い顔で思案にくれる茂の後姿を、じっと見つめているものがいる。

 ビンボー神(片桐仁サン)です(笑)。

 家の月賦の支払先である不動産屋も、この手形を換金しに行ったが出来なかったとカンカンで、つまり不渡りを起こしてしまっていることが判明します。
 この不動産屋、田中要次サン(笑)。 いかにもって感じで笑えます。

 不渡り手形を手に、茂が富田を一発ぶん殴ってやろうと乗り込むと、すでに数人の債権者にボコボコにされている富田社長。 登場の仕方が、倒れ込んだところをずるずる引き戻されるような感じで、ホラー映画っぽいのが笑えるのですが、それはともかく不渡りが数件もある、ということは、即会社の倒産を意味しています。
 債権者会議が開かれた時にも、しかめっ面をした人たち(このしかめっ面ぶりも、いかにも水木サンが描くマンガに出てきそうな顔ばかりで笑えるのですが)のあいだに、ビンボー神がにやついている。 それを見て、茂はぎょっとするのです。

 それまでの 「ゲゲゲ」 におけるビンボーの描写は、貧しくても笑っていればなんとかなる、という程度のものでした。
 それが、笑いが消えた途端に、金がないということがかなり深刻なダメージとなって、人を襲うのです。
 ビンボー神の描写は滑稽でしたが、登場のタイミングはなんだか真理をついているような気がして、とても不気味に思えました。

 そしてついに、布美枝は花嫁道具の着物を質に入れることを決意します。
 提案された茂は、さすがにプライドもあってかそれを拒絶するのですが、布美枝は笑って、こう話すのです。

 「あなた、前に 『質屋さんに預けたものは、必ず受け出す。いっぺんも流したことない』 って言ってましたよね。 そんなら、これも切り抜けができるまで、預けといてください。 しばらくの間だけ」

 茂が確認すると、中に 「立ち別れ 因幡の山の峰に生ふる 待つとし聞かば 今帰り来む」 と書いた紙片が挟まっている。 質草が帰ってくるおまじないだ、と布美枝は言うのですが、「それは迷い猫の戻ってくるおまじないではないか」 と茂に返されて、お互いに笑いあう。
 笑うところには、ビンボー神は寄ってきません。

 それを質屋に預ける茂は、そのおまじないの紙を挟んでおくよう主人(徳井優サン)に頼み、「決して流してはいかんという、自分にかけるまじないです」 と、その決意をにじませる。 布美枝にはおばば(野際陽子サン)からもらったかんざしもあったのですが、「これはおなかの中の赤ちゃんが女の子だったら、お嫁に行く時に持たせよう」 とまたしまっておく。 このエピソードの連続は、見ていてさすがだと感じます。 このおなかの中の赤ちゃん、時々布美枝を励ますかのように、布美枝のおなかを蹴っぽる。

 その矢先、税務署が来て 「こんな低所得なのはおかしい」 と指摘された、という、実際にあった出来事を描いていましたが、確かに一軒家を持っていて極度な低所得であれば、疑われるのもむべなるかな、という感じ(笑)。 「我々の生活が貴様らに分かるか!」 と怒鳴りつけ、大量の質札を税務署員に叩きつける茂。 女房の大事な品を質草にやったばかりのタイミングでのこの展開は、やはりさすがというしかない。

 そして妊娠中毒症で心細くなっている布美枝のもとに、「ロザンヌ化粧品でございまーす」 と、まるでサザエさんみたいな口調で現れる(笑)、靖代(東てる美サン)。 布美枝の不安が瞬く間に伝わって、美智子(松坂慶子サン)らが布美枝を励ましにやってくる図は、とても見ているほうの心もじんわり温かくなるシーンでした。 やはり、笑いのある場所には、ビンボー神も寄ってこないのです。

 そしてクリスマスイヴの日、実にあっけなく、布美枝に女の子が誕生。
 出産シーンもなく、とてもさらっとした描写なのが、かえって新鮮に見えました。 「息んでー!」「フーッ!」 とか(笑)、一切なし。

 「お父さん似ですよ」 といわれて、ほっぺたを膨らませる茂。 実際の水木サンもそうやったのではないかというような仕草に見えました。
 ナレーションで祝福をする、今は亡きおばば。

 「おめでとう、布美枝。 ようがんばったなあ」

 週の最後に、ちょっこし、泣きました。

 来週予告を見ると、子供ができたことで、なんか力強さが出てきたような布美枝の姿。 またじっくりと、見守っていきたいと思います。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第01回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第02週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第04週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第05週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第06週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第07週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第08週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第09週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html

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2010年6月 3日 (木)

「Mother」 第8回 泣いてもいいんだよ

 とうとう自分の娘、怜南(=継美、芦田愛菜チャン)の居場所を突き止めた仁美(尾野真千子サン)。 今回の 「Mother」 は、そこからいかにしてこの母子がこれほどまでに歪んだ関係になってしまったかが、とても丁寧に描かれていました。

 生まれたばかりの玲南に対する仁美の態度は、どこにでもいる普通の母親と同じ。 夫(並木幹雄サン)と極めて幸せな生活を送っています。 テレビの児童虐待のニュースを見ても、「こんな親、普通じゃない。 人間じゃないのよ」 とごく普通の反応をしています。
 部屋の壁には、南国の青い海のポスター。 この青い海が、今回のストーリーで要所要所に出てきます。

 2年後、仁美と怜南はふたりきりの生活をしています。 部屋の片隅には仏壇があり、そこには夫の遺影。 怜南は小さい子特有のわがままをするようになっていますが、仁美の対応はあくまで子どもに気を遣っているもの。 ここらへんから、仁美が子どもにうまく接してあげられない萌芽が見られる。
 そしてもうひとつ、仁美が怜南のために身を粉にして働きづめな様子も、ドラマでは丹念に追っていきます。 「怜南がうらやましいな。 ママのことは、誰も褒めてくれないから」 と思わず愚痴ってしまう仁美は、徐々に子育てが、苦痛になり始めている。

 それにしても、仁美がこんな状態で自分の親に頼れない、というのは、いろんな想像を見る側にかきたてさせます。 いずれにせよ、親に頼れないのは、余計にきつい。

 そんな時に、怜南の面倒を見てくれていた知り合いのおばあさんが、木更津に去ってしまい、保育所に怜南を預けなくてはならなくなる。
 ますます状況が悪化していく仁美なのです。

 ビンボー極まる道木の家の怜南のおやつは、パンの耳を揚げて砂糖をまぶした、「ボーナッツ」。 「ボー」 が大好きな怜南が、またなんとも言えず抱きしめたくなる。
 保育園の母親の集まりなのか、そこで子供のしつけに 「デコピン」 をやることを教わる仁美。 虐待の、ほんの些細な、第一歩なのです。

 話は現代に戻って、奥の押し入れに立てこもってしまった継美チャン(=怜南)に、仁美は 「ボーナッツを作ってあげる」 と食べもので釣る作戦(笑)。 ひとん家だというのに、いきなり台所をゴーインに使い始める(笑)。 ボー然とそれを見守る、奈緒(松雪泰子サン)とうっかりさん(田中裕子サン)(笑)。

 そこに継美チャンがふすまを開けて登場。
 仁美は、駆け寄って継美チャンを抱きしめます。
 奈緒とうっかりさんのほうをちらっと見て、またなにかに気を遣っているところを見せながら、継美チャンはママの背中に、腕を巻きつけていく。

 そして話はまた昔に戻り、仁美の怜南に対する虐待がエスカレートする兆しを見せ始める。
 そのことに仁美は罪悪感を抱いていて、ある日いっしょに海を見に行ったとき、仁美は怜南を置いて帰ろうとしてしまうのです。 あわてるあまりに、自転車を倒してしまったりもたついているあいだに、仁美が気がつくと、怜南が遠くに立ったまま、こちらをじっと見つめている。 怜南の目には、明らかに 「捨てられる」 という恐怖が宿っています。
 何事もなかったかのように自転車で帰っていくふたり。 怜南は、楽しそうな歌を歌っています。 もうこのころから、怜南には自分の感情を押さえ、自らを偽る癖がついてしまっている。

 そんな時に仁美が出会ったのが、「あの」 児童虐待内縁の夫代表。
 出てきたぞ、コンニャロ~っ!
 でもよく考えてみれば、この浦上という虐待男を演じる綾野剛サン、役者生命賭けてますよね(笑)。 こんなイメージの悪い男は、私も初めて見ますよ。 この人、最後に反省でも、してくれるのかなぁ? でなきゃ、イメージ悪いまんまですよ。

 初めてこのふたりが出会ったスナックでも、青い海のポスターがかかっていたのですが、このふたり、怜南を置いてその南国の海に旅行に行ってしまう。 怜奈にはバーゲンセールで買ったハムスターをあてがったまま。 怜南が捨てられる直前、何らかの残酷な形で死んでしまった、あのハムスターです。

 旅行先から怜南に電話をかけた仁美は、あまりの罪悪感に涙をぽろぽろ流します。
 けれども、「ママが幸せだと、怜南もうれしいよね?」 と、自責の念から回避しようとしている。 いきなり切れた電話を見つめる怜南。 部屋は散らかり放題。 いっぽう、リゾートホテルでこざっぱりした服装のまま泣き崩れる仁美。 なんか、泣けてきましたけど、それは怜南がかわいそうだったからで。

 ただ、自分が本当に行きたかった南の海で、仁美の気持ちは晴れることがない。 大事なものがどんどんけがれていく悲しみを、仁美も背負っていたようには感じるのです。

 そして浦上の虐待傾向に、だんだん染まっていく仁美。
 町内会の女の人がそれを問題にしまくっていましたが、自分も仁美の勤めていたコンビニ(それにしても継美チャンに会いに来た仁美、このコンビニのユニフォームを着てましたけど、何か意味があったのかな?)に犬を連れて入ってくるとか、「どっちもどっちじゃん」 状態(笑)。 虐待男も近所で問題にされて、しれっと怜南とトランプ遊びなんかしているのですが、怜南の首には、絞めたような跡が…。 けれども怜南は、何事もなかったかのようにふるまっている。

 ある日夜中に起きてきた怜南が、最初はオシッコ、と言いながら、ふりかえって、「…助けて…助けて、ママ…」 と目にいっぱい涙を浮かべながら、仁美に訴えかけるのです。
 怜南が初めて、仁美に自分の本当を見せた瞬間でした。
 泣けました。
 仁美もこの時ばかりは怜南を抱きしめて、夜の街に飛び出します。
 そこで仁美が見たものは、なんと死んだはずの夫。
 死んでは、いなかったのです。
 その彼が、家族団らんで、車に乗り込もうとしている。
 つまり、捨てられた、ってことでしょうか。
 それを見てしまった仁美は、歩道橋の上から、怜南ともども身を投げようとします。
 けれども、それはできなかった。
 泣き崩れる仁美。
 ここで本日、泣けた3回目。

 ところがこのあと、まだまだ控えておったのです。 大号泣シーンが。

 この自殺未遂のあと、仁美のなかでは何かがプツンと切れてしまったかのように、児童虐待のニュースを見ても、「フン…」 と鼻でせせら笑うような反応になってしまっている。
 これは、前の夫とのあいだに生まれた怜南を、仁美が代替で憎み始めているしるしでしょうか。 仁美の清らかな心の象徴のようだった青い海のポスターが、はがされて丸められていました。

 話は現在に戻って。

 抱き合ったはずの実の母親に対して、継美チャンはこう、話すのです。

 「あのね、ママ…。 怜南は、天国に行ったの。 怜南は、もういないの。 天国に行ったんだよ」

 何言ってんの?と問い返す仁美に、継美チャンは 「私の名前は、継美だよ。 鈴原継美。 お母さんとこの家で暮らしてるの」。 仁美は継美チャンに、ママのこと好きでしょ?と尋ねるのですが。

 「あのね…。 好きでも、嫌いでもないよ。 もう…ママじゃないからね」

 その一言を聞いた継美は、その場を立ち去ってしまいます。

 残された奈緒に向かって、継美チャンはまるですがるかのように、確かめるかのように、笑顔を作ろうとしながら、「お母さん…」 とつぶやきます。
 奈緒は思わず継美チャンを抱きしめて、こう話すのです。

 「笑わなくていいの。 泣いていいのよ」

 それを聞いた途端、今まで押さえて押さえてきたあまりにもたくさんの感情が、堰を切ったように、絞り出すようにうめきながら大声を上げて泣き出す継美チャン。

 あーダメだ、また泣けてきた(笑)。
 いや、号泣しました、こっちも。
 仁美をいったんは追いかけて行ったうっかりさんも戻ってきて、3人で抱き合って号泣。

 ここでCM。

 佐々木蔵之介サンが、焼きそばを食べながら、「モチモーチ!」(笑)。

 ちょっと考えてほしかったなあ(笑)。
 「Mother」 って、次回予告のすぐそばから 「怪物くん」 のCM流したり、なにかをぶち壊したがっている、というか…(笑)。

 で、公園でぼんやりしている仁美に、奈緒は 「あなたに母親としての愛情が残っているなら、あの子にとってそれが本当の幸せなら、私は甘んじて罪を受け入れて、怜南チャンをあなたに返します」 と渾身の思いを込めて言うのですが、「好きじゃないって言われたの! …そんな子、死んだもおんなじ」 と吐き捨てて、仁美は東京から去っていくのです。

 室蘭に帰った仁美を待ち受けていたのは、警察の事情聴取。 ところがその先手を打って、やってきた刑事たちに対して、仁美は 「怜奈はまだ生きています」 と打ち明けてしまう。

 なにしろ泣けました。 ある程度成長して、親に向かって 「ふざけんな」 とか生意気な口を叩くようになったのならばまだしも、「子供は親に逆らえない。 子供は親を選べない」 ということを見事に表した回だったと思います。 継美チャンの号泣シーンを見るだけでも、一見の価値があると断言いたします。 この子の演技は、凄すぎる!

当ブログ 「Mother」 に関するほかの記事
第1-2回 主人公が、暗いですね… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/mother-1-2-447a.html
第3-4回 同じテーマのドラマ 「八日目の蝉」 との相違点http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-3-4-34fe.html
第5回 母と娘の距離感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-5-bc26.html
第6回 行く先が、見えないhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-6-95e0.html

第7回 うっかりサンの裏の顔http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/mother-7-344a.html
第9回 母の手のぬくもりをhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-9-d640.html
第10回 優しさがつき動かすものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/mother-10-db64.html

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2010年6月 2日 (水)

「めざせ!ロックギタリスト」 第10回(最終回)怒涛の?ますだクンライヴ!

 「チャレンジホビー めざせ!ロックギタリスト」 も、とうとう今回が最終回。
 渋谷の某ライヴハウスでますだクンの卒業ライヴまでこぎつけました。

 今ネットで調べたのですが、LIVE STAGE GUILTYという場所で、5月7日に行われたらしいですね。 料金はタダだったということも、どこかのブログに載っていました。 そのせいか?150人のお客サンが来たそうです。
 番組で映された客層を見ると、ますだおかだのファンかな?みたいな女性と、野村義男クン目当てみたいなちょっと年齢のいった女性、男性も遠慮がちに後ろのほうにちらほらいましたね。 7対3か6対4くらいの割合で。

 番組を最後まで見た感想を述べさせていただくと、最終的に、結構感激のライヴとなった気がします。 ますだクンのようなシロートが2カ月でここまでやった、というのと、あとはCharサンのホンマモンのプレイを見ることができたことと。

 けれど、初ステージだというのに、直前のますだクンのテンションは全く上がっていない様子。 あまりにも出来なさ過ぎて却って緊張しない、とか。 バンドのドラムス、元ジュディマリの五十嵐公太サンから 「ウソー!ダメじゃん」 と言われる始末(笑)。

 まずますだクン抜きで、五十嵐サン、ベースの渡辺英樹サン(元C-C-B)、キーボード力石理江サンでビートルズの 「ヘルター・スケルター」、ジェフ・ベックの曲など3曲を披露。

 そしていよいよますだクンの登場。 「どうもありがとう!」 って、いきなり締めのあいさつみたいな(笑)。 ヨッちゃんは先生として、ギターを肩から外して見守る側に。 そしてまず番組で習った 「アメリカン・バンド」 をスッゲエ短いバージョンで(笑)。
 「だってここまでしか教えてもらってないですもん! 先生ここだけ教えて 『あとは考えて~』 みたいな感じで、『ぼくお菓子食べてくるから!』 お菓子バクバクバクバク食べるから、そのおなか見てみい!」 と、ますだクン、半ばギター付きお笑いライヴみたいになってます(笑)。

 「スモーク・オン・ザ・ウォーター」 では、リフ以外のバッキングもちゃんとやって、野村先生から 「2ヶ月でここまでできたというのはすごい」 とお褒めのお言葉。 私もそう思います。 たった2カ月ですよ? しかもお仕事も忙しくいらっしゃるでしょうに。

 そしていよいよ、最終目標であった 「SMOKY」。

 アンサンブルはやはりちょっとバラツキ気味ではありましたが、ますだクン、前にも書きましたけど結構歌がうまいんですよ。 これを裏で見ていたCharサンも、のちの登場時に 「弾きながら歌うことが出来ていた」 と褒めてましたけど、「ヘルター・スケルター」 を歌っていた渡辺サンよりうまかったよなあ、歌だけは(笑)。 リード・ギターでサポートするヨッちゃんも、余裕のあるプレイで盛りたてます。

 「卒業!」 とヨッちゃんに太鼓判を押され、「よく頑張った!」 とCharサンからも握手され、何ともうらやましい限りのますだクン。 アンコールでは、Charサンじきじきの演奏による 「SMOKY」。 ますだクンもプラグを抜いて参戦(笑)。

 本家本元の 「SMOKY」、ヨッちゃんがやっていた余裕のプレイよりも数倍、熱のこもった 「どうだ!」 と言わんばかりの演奏。 また、声がよく伸びてて。 ノック・アウトされました。 願わくば、全曲聴いていたかったです。

 ここでヨッちゃんのコメント。 自分も始めたころは何回もやめてるのに、ますだクンは相当頑張ったと思う、と。
 ますだクンは、たぶんカメラが回ってなかったらやめてたと思う、と正直なところを語っていました。
 「オレもやろうってなるよね」 と言うCharサンにますだクン、「ぜひテキストを買って、チャレンジしてください。 今テキストがCharサンの顔の部分に出てますけども」 と言った途端、ホントにテキストのサムネイルがかぶって、最後まで笑わせていただきました。

 まあ、エレキギターというのは、バンドあってこそ引き立つ楽器ですので、コミュニケーションの道具にもなりうる面をもっています。 楽器によって広がる底辺というものがあるはずなので、この番組はそのきっかけのひとつになりそうな予感も、いたしました。

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ちょっとお知らせ

 ちょっと夜シフトの仕事サイクルになってしまいまして、これまでのように夜に放送されるドラマの感想文を終了後2~3時間でアップすることができなくなりました。 あしからずご了承くださいませ。

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「小島慶子 キラキラ」 6月2日 上ちん、継続、生理?怒涛の3連発!

 今日のTBSラジオ 「小島慶子 キラキラ」 のオープニングは、近年のラジオ放送史上まれに見る面白さだった気がします。

 いきなり火曜日のレギュラーゲスト、上杉隆サンがぎっくり腰を押して(笑)連日の登場。 どうやら昨日、「鳩山サンの退陣はない」 と断言していたそうで(笑)、その矢先に鳩山サンが退陣してしまったものだから、いきなり謝罪&鳩山関係の取材引退?宣言(笑)。 上杉サンに関しては官房機密費をもらっていなかった点でもあってか、いつも結構まともなことを言っている印象があります。 しかもこの物腰。 間違ったことを言えば素直に謝る、というのが好感が持てるんですよ。
 その上杉サン、週刊誌に同様のことを書いてしまったために、今後1週間は謝罪行脚しなくてはならない、みたいなことを言っていました(笑)。

 それにしても、あれだけ鳴り物入りで首相になったのに、1年もたないなんて、根性なさ過ぎ、というか…。 少なくとも政権交代した象徴でしょう。

 そして上杉サンが退場した後、今度は小島アナの去就についての話。
 6月いっぱいでTBSを退社する小島アナ、7月以降の 「キラキラ」 がどうなるか未定だったのですが、このたび番組の継続が決定いたしました、ということで。
 そりゃそうか。
 最新の聴取率調査でも同時間帯単独の1位になったそうで、それを終了させるのはいかにも…。
 ただ小島アナがフリーになることで、TBSサンの経費節減の思惑が外れる、という側面はあります。 これで聴取率がちょっとでも芳しくなくなれば、即打ち切り、という展開もあり得ますかね。

 で、今日私がこのオープニングを聴いた直接の理由、昨日の小島アナのアサヒ芸能記事に対する大激怒(その機嫌の悪さに、「生理か?」 と疑われたほど…笑)の詳しい説明。 今日するって言ってましたので。
 「こういうことを書かれると、局の人間がみんな信用する」 という、マスコミの人間の傾向を指摘したうえで(ホントに信じてる人がいるというのも意外ですが)、小島サンがいちばん歯ぎしりした、というのが、衆議院選に出馬か?とか書きたてといて、結局立ち消えになった、という、アサヒ芸能の完全なマッチポンプ式の記事の内容(笑)。 まあもともと、アサヒ芸能の記事に目くじら立てても、仕方ない気はするんですが…(笑)。

 この怒涛のような興味深い内容の連続に、番組HP内ツイッターは昨日以上の大混雑でした。 ラジオの持つ同時性、レスポンスの早さ、柔軟さが十二分に発揮されたオープニング30分だった気がします。 ラジオはすごい。

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2010年6月 1日 (火)

「小島慶子 キラキラ」 6月1日 オジキ、大爆発!(笑)

 いきなり別の話をいたしますが(笑)、ブログサービスのココログランキング集計が今日はハチャメチャで、ココログトップの常連さんの名前が一切なくて(笑)。 私のランクも、ふだん200位から800位のあいだを行ったり来たりしているのですが、本日はいきなり2971位とか(笑)。
 その集計のおかげか、当ブログのラジオカテゴリーの記事にたまにトラックバックをいただき、私の認識違いをさりげなく指摘して下さる(感謝です)「僕のラジオに手を出すな!」 のブロガー様が総合ランキング9位に躍り出ております。 とりあえず、お祝い申し上げます(皮肉じゃないですよ!)。

 で、本題ですが、そのブロガー様もきっとチェックしていらっしゃるであろうTBSラジオ 「小島慶子のキラキラ」 で、6月1日の今日14時の時報前に、ちょっとした事件が…(笑)。

 ツイッターで 「今日の小島はテンションが低い」「機嫌が悪い」「生理じゃないのか?」 と呟かれていたことに小島アナ(通称オジキ)がいきなりキレ始め(笑)、「生理なんかじゃない!」(こーゆー発言も女性としてはいかがかと思うのですが…笑)「アサ芸(アサヒ芸能ですかね)の記事に怒っているの! こういうことはホントにやめていただきたい!」 と、宇多丸サンとの自殺議論以来?の大爆発ぶり。 どうも衆議院選?にオジキが出るとか、根も葉もないことを書かれたらしい。 あまりのブチ切れぶりに、この日のパートナー、神足(こうたり)サンもタジタジ(笑)。 詳しくは明日お話になるそうですが、聴けるかなー。 明日のパートナー宇多丸サンも、とんだ災難だ…(笑)。

 この日の放送ではCM入り直前に 「このっ!」 という小さな叫び声(笑)が入ったり(「このあとは神足裕司サンのペラペラです」、って言おうとしたんだと思うのですが)、そのたびに番組HP内のツイッターは大混雑(笑)。 そしてこの大爆発のあとは、読むのが全く追い付かないほどのクライシスが(笑)10分くらい続きました(笑)。

 こういうイレギュラーなオジキのブチ切れがこの番組の大きな魅力となっていることは確かなのですが、現在のところ小島アナの6月いっぱいでのTBS退社後の、この番組の存続が未定であることも関係しているのか、このところの 「キラキラ」 は小島アナ自身、フリー後のキャラを前面に打ち出していこう、という意欲を感じるようなしゃべりをしている気がします。 それとなく 「アタシって面白いでしょ? 『キラキラ』 存続させてよ!」 と訴えているよーな気も…(笑)。

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「鶴瓶の家族に乾杯」 向井理クン in 安来

 「鶴瓶の家族に乾杯」 5月31日は、現在朝の連ドラ 「ゲゲゲの女房」 でマンガ家水木しげる氏を演じている向井理クンがゲスト。 舞台は布美枝(本名は武良布枝サン)の故郷である島根県安来市。

 向井理クンの 「理」 が 「さとし」 とばっかり思っていて、「おさむ」 だったということを今回初めて知ったくらい無知だったので、記事を書くにあたりウィキで向井クンのことについて調べました。
 現在28歳でデビュー4年ほどらしいです。

 私は 「ゲゲゲ」 が向井クンを見た初めてだと思っていたのですが、「のだめカンタービレ」 にも出ていたんですね、びっくり。
 ライジングスターオーケストラで、水川あさみチャンが連れてきた発足時のメンバーでした。

 黒木クンと藤田嗣治みたいな風貌の人は覚えていたんですが、なにしろ当時の向井クン、髪の毛が今と違って短くて、しゃれたメガネもかけていたもんですから、茂と同一人物だとはちょっと分からない。
 それにしても向井クンのしゃべり方って、千秋を演じた玉木宏サンとかぶるところがありますね。 なんか、声質が似ている。

 「ゲゲゲの女房」 は、ネットを眺める限り、ネガティブな批判がほとんど見られない、希有なドラマのような気がします。
 それはいかにも万人受けする温かさや懐かしさによるものだからなのだと思うのですが、細かいことは当ブログ 「ゲゲゲ」 関連を参照してもらうといたしまして、ドラマを見た人はほとんど皆さん、絶賛しておられます。

 その大好評ドラマの主役のひとりが、しかもこのドラマのふるさとである島根県安来市に舞い降りたのですから、地元の人々の反応も、そりゃ並大抵のものではなくて(ただし最初に出会った石屋さんを除いては…笑)。

 特に若い女性たちの向井クンに対する反応は、「今いちばん会ってみたい人に会った!」 という喜びが全身から爆発していて、見ているこちらもコーフンしました(笑)。

 実は 「家族に乾杯」 という番組の最大の魅力は、この 「有名人に出会って狂喜している一般庶民」 を見ることにある、と私は考えています。 だからあまり有名でない人がゲストの場合、その人の人間的な魅力が突出していないと、途端に番組自体の求心力も低下する傾向にある。
 向井クンはその点で今いちばん旬な時期にあると言えます。 「のだめ」 こと上野樹里チャンがのだめのふるさと大川町を訪ねた 「家族に乾杯」 と同様なコーフンが、そこにはあります。

 そして私が今回見ていて感じたもうひとつのコーフン。

 それは、布枝サンの実家を鶴瓶サンと向井クンが訪ねて行った時のくだり。

 ドラマでもご実家は酒屋を営まれていたのですが、布枝サンのお兄さんも兄嫁サンもまだご健在で、酒屋を続けていらっしゃる。 そしてドラマ中、布美枝が産気づいた兄嫁サンをリヤカーで病院まで送ったシーンで生まれた女の子供サンが、この町のガイドみたいなことをしていらっしゃるそうで、このかたも登場。
 しかも、ドラマの中で大杉漣サン演じる源兵衛サンが酒屋の前に営んでいた養蜂も、ご実家ではまだ続けていらっしゃるらしくて、鶴瓶サンと向井クンに、蜂の仔がふるまわれていました。 なんとなくうれしくなってくると言いますか、ドラマの中の方々がこうして出てこられるというのは、実に楽しい。

 そのうえですよ。
 向井クンも驚いていたのですが、このご実家、実寸を測ってスタジオセットで忠実に再現していたらしくて。
 この部屋でお見合いをして、当時のポンプ式のストーブを茂がガシガシやって点けたというところも、お兄様は目撃していたらしいです。 なんともこの生き証人ぶりには、鶴瓶サンも向井クンも鳥肌が立っていたようです。 そう言えば間取りが、とてもよく似ている。 なんか、すごいなあと思うことしきりでした。 歴史的建造物でもないのに、普通のドラマの舞台がいまだにこうして残っていることもそうですし、それを忠実に再現した、というNHKスタッフの凄さもそうです。

 そして今回もうひとつよかったのは、「そげです」「ですけん」「ごしなった」 など、調布に住んで1年以上になるというのに少しも変わらぬ、茂と布美枝のよく使う方言が、しばしば聞かれたこと。

 この方言が持つイメージと、兄嫁の娘サンが話していた 「おんぼらと」(ゆったりと緩やかな、あったかい感じの)した、いかにものんびりとしたこの土地の風情には、とても共通項がある。
 方言はやっぱり、いいもんです。 皆さん、方言を、もっと大事にしましょう!

 今回向井クンの素顔を見ていて、ごく普通の青年、という感じが強くしました。 現代的な側面を持っている、普通の青年。
 けれどもその価値観の中に、水木しげる氏が持っている一種独特の楽天的な哲学が根付き始めているような感じも、ちょっこししました。 「ゲゲゲ」 の向井クンの成長を見るのも、ますます楽しみになった気がいたします。

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