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2010年7月12日 (月)

「龍馬伝」 第28回 龍馬に直接託さなければならなかった、武市の思い

 先週はあまりと言えばあまりの展開で(笑)、こういうリアリティのないことをやるなよな、と思った 「龍馬伝」 なのでしたが、今週の展開を見ていて、これほどまでに批判覚悟の荒唐無稽なことをやるのには、ある程度の意味があったのだな、と感じました。

 その 「荒唐無稽なこと」 って、今さら説明するまでもないのですが、

 龍馬が武市の罪を自分に転嫁するために脱藩者にもかかわらずわざわざ土佐まで帰ってきて用意周到に坂本家との縁を切り弥太郎に吉田東洋殺害の吟味書を勝手に閲覧してもらい状況をつぶさに知り後藤象二郎の前にあらわれて吉田東洋を殺ったのはこのわしじゃとブレーンバスターを決めて(違ったか)憎々しげに去っていく、ということです(一部誇張がありました)。

 これを完全に信じてしまった後藤象二郎からその報告を受けた山内容堂公、相変わらず酔っぱらいながらも武市の入れられている牢へと向かう。

 ここで容堂公と武市が語り合うこと自体も、実にあり得ない話ではあるのですが、ちょっと待って。

 いったん 「あり得ない」 などと感じてしまうと、スパイラル的にすべてがウソ臭く見えてくるものなのです。 ここはドラマの作り手が龍馬の虚言をきっかけにして容堂と武市が腹を割って話し合うきっかけを作りたかった、と解するのがベストのような気がします。

 そしてここ数回、酔っぱらっているだけで何を考えとるのかさっぱり分からなかった(笑)容堂公の本音が、ようやく片鱗を垣間見せたのです。

 容堂公はハナから龍馬のサル芝居などお見通しで、お前らが東洋を殺したのだろう、と武市に迫ります。

 「おんしはほとほと腹の立つ男じゃ。
 下士を集めてこの土佐を攘夷の旗頭に担ぎあげ、帝の使いにまでなって幕府に攘夷実行を迫るら、出過ぎるにもほどがある!

 武市…。

 徳川様よりこの土佐を賜った山内家が…、わしが…、幕府に背くなどできるわけないろう!

 おんしとわしは、よう似いちゅう。
 徳川に失望しながらも、忠義心だけは捨てられん。
 わしやち、心の底から、帝を、敬い奉っちゅう…!
 この日本は、徳川幕府のものではないき」

 つまり容堂公は、徳川幕府をとうの昔に見限っていたのです。
 それでも、関ヶ原以来の徳川に対する忠義を捨てることができない。
 それを、この自分に対して失望しながらも忠義心を捨てることのできない武市と、重ね合わせている。

 後年武市を切腹させたのを悔んでいたという容堂公の本音というものは、この共通の悲しい忠義心に対する共感であったのではないか、という作り手の声が聞こえてくる気がします。

 武市はその時容堂公を最大限にたたえるのですが、容堂公はそのとき、武市が長曽我部の人間でなかったらなあ、とこぼします。
 この部分も相当重要な容堂公の心理状態のような気がします。
 結局、容堂公も一領具足以来の上士と下士の差別を免れない人間だった、という限界です。

 武市は容堂公から 「えい家来じゃのう」 と言われたことで、自らの罪を認めることになる。
 これは現在のドライな価値観では測ることのできない武士道の精神によるものだと感じます。 これを現在の会社や友達関係と同じ尺度で見てしまうと、いかにも安っぽい芝居のように思えてくる。
 まずわれわれは、忠義心のなんたるかから、学ばなければならないのではないでしょうか。

 そして容堂公から命じられた 「切腹」 と、自らの脇差をそれに使えと賜ることが(脇差を与えるのは近藤サンのアドリブだったらしいですが)、当時どれだけ誉れであったのか。
 そのことから学ぶ必要が、どうもあるような気がしてならない。

 そして今回、またとてもじゃないがあり得ないシーンが、龍馬が武市に会いにくるシーンなのです。

 けれども、このシーンを 「あり得ない」 と断絶してしまうと、このドラマの真の目的が見えなくなる。

 作り手は、実際には幼なじみでもなく牢屋にまで会いに来ることもなかったであろう武市と龍馬を死の間際に邂逅させることで、その後の龍馬のジャンプに対して大きな助走をつけようとしている。

 武市は龍馬に、こう語るのです。

 「あれはもう10年も前のことじゃ。
 おまんが弥太郎に言うたことがあった。
 『土佐を上士も下士もない国にする』 と。

 わしはあのとき、おまんがとんでもないことを言いゆうと思うたがじゃき。
 まさか大殿様とわしが、同じ地べたに座る日が来るらあ、夢にも思うちゃあせんかった…!
 これは奇跡じゃ。
 おまんが起こしてくれた奇跡ぜよ。

 おまんにわしの身代わりはさせられん。
 おまんのやるべきことは、もっと、…もっと、大きなことじゃき!

 この国を異国の侵略から守り、独立した国にするがが…、おまんの役目ぜよ!」

 それに対して、龍馬は、こう答える。

 「一緒に…一緒にやりましょう、武市さん!…この国を、日本を、いっしょに変えるがじゃき…!…武市さん…生きてつかあさい!…生きて…」

 福山龍馬の演技を云々する人は、けっしてこの場面で感動することはないでしょう。
 私は、いくらフィクションであるとはいえ、やはり龍馬と武市が実際にこうやって顔を突き合わせなければ、龍馬の無念とその後の飛躍は増幅されることはないような気がするのです。
 それはいかにもドラマのための絵空事かもしれません。
 それでも、武市が切腹した後の龍馬の覚悟は、以前よりも倍加しているように見える。
 西郷を評価したり、「日本を洗濯する」 という龍馬の言葉は、実際に手紙などに書かれていた話です。 けれどもそんな知識に縛られてこのドラマを見ていると、いかにもとってつけたような軽い解釈でしか、福山龍馬を見ることができなくなる。 お龍が 「面白き女」 などという評価を龍馬はしていたのに、このドラマではえらいツンデレだとか(笑)、もしかしてそのツンデレぶりが 「面白」 かったのかもしれないし(笑)。

 もっと、頭をやらかくして見る必要が、あるんじゃないですかね?このドラマ。

 いずれにせよ、この荒唐無稽な展開が作り手にとって必然であったことだけは納得がいった、今回の 「龍馬伝」 第2部最終回なのでありました。

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コメント

リウ様
素晴らしい評論をありがとうございます。
脚本の福田さん、演出の大友さんにやられました。
予期していなかった展開に、このドラマに懸ける作り手の勇気と本気、その情熱を感じました。私もこれからは、もっともっとエンターティンメントの良き理解者となりたいと思います。坂本龍馬も龍馬伝も日本だけでなく世界へ羽搏いて行って欲しいですね。月日の流れは早いですね。後編を楽しみにしています。

投稿: sorabakari | 2010年7月13日 (火) 21時34分

sorabakai様
コメント、ありがとうございます。

「素晴らしい」 などとお褒めの言葉をいただいてしまうと、穴にでも入りたい心境であります(笑)。

本文中にも書いたのですが、このドラマをいったん否定的に見だすと、スパイラル的に坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、みたいになってくる気がします。

映像的に凝っているのもそれで物語のまずさをごまかしているように思えてくるだろうし、あまりにみんな埃っぽくて汚いのも気になってくるのでしょう。 批判覚悟で言わせていただければ、そんな人はそれ以上 「龍馬伝」 を見て不快になることなんてないのに、とすら思えます。

どうも自分は、そんな人々に向かってこの記事を書いているような感覚なのです、ここのところ。

このドラマを見てこう感じるのが正しい、なんてあまりにもおこがましすぎるのですが、いろんな知識が邪魔をしてしまって、作り手の言いたいことを見抜く目が曇ってしまうことを、私は悲しむのです。

投稿: リウ | 2010年7月14日 (水) 05時38分

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