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2010年7月24日 (土)

「ぼくはロックで大人になった~忌野清志郎が描いた500枚の絵画」 を見て

 NHK衛星ハイビジョンで、去年(2009年)亡くなった忌野清志郎サンの特集をやっていました。
 今回の特集はちょっとばかり毛色が変わっていて、清志郎サンが生涯描き続けた絵にスポットをあてる、といった方向の話。 でありますので、「ぼくはロックで大人になった」 という番組タイトルは、ちょっとばかり的外れなような気がいたします。

 実は音楽もするし絵も描く、といった清志郎サンの趣向は、結構私とかぶっている部分があるんですよ。
 ただし私の場合、ビートルズにかぶれたことは清志郎サンと同じなのですが、彼らの世界を忠実にコピーして演奏し、彼らになりたいという方向に行ってしまって、そこから自分で歌を作ろう、という清志郎サンの方向には行かなかった。 自分を表現するのに、「詩」 という方法がありましたから。
 それから、高校時代美術部に属していたことも清志郎サンと一緒でしたが、描く絵は全く別方向。 清志郎サンは番組でも紹介されていたように、ゴッホの強い影響下のもとにある絵を描いていたようです。 私は写実的な絵が中心で、高校時代はダリのシュールレアリスムに傾倒したりもしました。 でも清志郎サンのようにマンガもたくさん描いてましたし、なんか僭越ながら、他人とは思えんです。

 ただ番組で清志郎サンが生涯描いてきた絵を見ていて感じたのは、ゴッホというよりルオーのようなフォービズム(野獣派)色が強い。 モディリアーニのような部分も感じます。
 ダダイズムのように精神的にイっちゃってるような傾向も多少ある(笑)。 高校時代に描かれたという、顔のない自画像がその最たるもので。

 番組で清志郎サンのもっとも初期の絵として紹介された、小学5年に描かれたという水彩画の時点で、そのフォービズム的傾向の萌芽が見てとれるのが面白い。
 それは、鮨屋のものと思われる湯呑。
 対象物はおそらく紺地に白抜きで字が書かれていたのでしょうが、絵にするときその白字を紺色を塗ったあとから重ね塗りをしている。
 水彩絵具というのは透明度があるので、塗り重ねには本来適さないのですが、清志郎少年は構わず白を紺地の上から塗ったくっているんですよ。

 この重ね塗り、という清志郎サンの趣向が最も威力を発揮するのが、油絵なわけです。
 清志郎サンの画風は、ほとんど執拗とも思えるほどの、絵具の重ね塗り。
 カンヴァスの上で直接色を混ぜ合わせ、カンヴァスがパレットの役割も同時に果たしているよーな(笑)。

 それにしてもです。

 清志郎サンの作品傾向として、自画像がとても多い。

 これはやはり自画像を量産したゴッホの影響、と見るのが妥当なのでしょうが、私は内省的な清志郎サンの性癖と、自分をみずからのコピーが量産されるロックスターとしてとらえ、唯一のものでしかない自分を描いた絵を通してそれに反発し、自虐したような気がするのです。 化粧を施したロックスターとしての自分の顔を描いた自画像がありましたが、その署名は本名のキヨシではなくキヨシロー。 ここには清志郎サンの自画像に対する思いが、端的に表れている気がします。

 それ以上に絵描きの心理としては、自分という対象について、興味が強くあった、ということも考えられます。
 清志郎サンのお顔は、私が言うのもナンですが、絵描きの好奇心をくすぐるような個性的な顔立ちをしてますもんね(笑)。

 私自身は自分の顔について、それほど興味がなかったのですが、歳をとっていくにつれて老いていく顔を鏡で眺めていると、なんとなくそれなりに、 「男の顔は履歴書」 と思えるような顔になったかな、という興味は以前と比べるとある気がします。
 ですから、清志郎サンのように自画像を量産する、という気持ちは、昔なら理解しがたかったでしょうが、今はなんとなく分かるような気がするんですよ。

 番組では清志郎サンに多大な影響を及ぼした、「ぼくの好きな先生」 のモデルでいらっしゃった、小林晴雄サンも登場。 美術講師であった小林先生のもとに高校時代劣等生であった清志郎サンは足しげく通うのですが、この両者とも無口であったそうで(笑)。 どういう多大な影響を及ぼしたのか、よくわからん(笑)というか。

 「雨上がりの夜空に」 でブレイク(個人的には、当時そんなにヒットした記憶はないんですが、RCの名前だけは知られてましたね)するまで、自分に正直な言葉を歌って自分を表現していこうとしていた清志郎サンのその音楽に対する姿勢は、やはり自画像を描くときの姿勢と相通じるものがある。 「ドカドカうるさいR&Rバンド」 などは、発表された当時 「なんてナマイキな奴らなんだ」 と思ったものでしたが、これもテンパっていた清志郎サンの自虐だったという今回の証言を聞くと、歌詞が妙に心にすうっと入ってくるのです。 不思議なもんだ。

 そんな清志郎サンか描いた絵の中で最も丁寧に描かれているように感じたのが、ふたりのお子さんを描いた作品群。
 自画像の中の自分を見つめる張り詰めた空気とは全く別物の、愛情をそこからは強く感じることができるのです。
 BGMは 「プリプリベイベー」。 ホームレコーディング風の曲なのですが、娘サンを 「プリプリ」(プリティ)と歌い続ける清志郎サンに、「お父さん、どーしてお尻がプリプリなのー?」 などとはしゃぎ続ける娘サンの声が入り続ける、という、かなり抱腹絶倒ものの歌で。 いいなあ、この歌(笑)。

 そして闘病のために脱毛してしまった自画像。 この作品は以前にも見た覚えがあるのですが、今回のあまた描かれた清志郎サンの絵のなかでは、さすがにいちばん異色を放っていました。

 その自分を見つめる姿勢が、この国の行く末を見据え、「君が代」 をパンクにして歌わせる。 無口でシャイな男が、いちばん大切なものとは何か、を問いかけ続ける。

 亡くなってから気付くのは遅すぎるのですが、あらためて忌野清志郎サン、この世にいなくてはならない人だった、と実感した、120分でした。

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