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2010年7月

2010年7月31日 (土)

「ゲゲゲの女房」 第18週 「悪魔くん」 成功の裏で描かれるもの

 「墓場の鬼太郎」 映像化難航の思わぬ効果によって見事に復活となった 「悪魔くん」。

 今週の 「ゲゲゲの女房」 はこの 「悪魔くん」 をめぐるさまざまな人の思いを描いた、奥の深い話となった気がします。 ただ単に狂想曲として片付けていないところはさすがです。

 と同時に狂想曲としての演出も抜け目がない。
 当時の最先端メディアであったテレビ放送に乗れたことが、どれほどすごいことだったか。
 商店街の布美枝(松下奈緒サン)の友達、知り合いに至るまで 「悪魔くん」 のテレビ放映には大コーフン、茂の昔からの知り合い(富田社長のうじきつよしサン、中森役の中村靖日サン)もそれぞれの感慨を胸いっぱいにしながらの視聴。
 ただ残念だったのは、今回出演が叶わず電報のみの消息をよこしてくれた美智子(松坂慶子サン)。 佐々木すみ江サンのおばあちゃんも光石研サンも、喜ぶ顔が見たかったなあ。
 いずれにせよ、昭和史という観点からも、夏休みに入った子供たちが見ても面白い話になっている気がするのです。

 「悪魔くん」 成功の話にとって最も重要だと思われるのが、この物語をまず最初に世に送り出そうとした、戌井(梶原善サン)への配慮です。
 実際にビジネスライクな話をしてしまえば、これまでひとかたならぬ世話を受けてきた戌井に対して、茂(向井理サン)はたとえ採算を度外視しても戌井の雑誌に作品を提供するとか、なんらかのことをする必要があるようにも感じます。 ドラマのなかでも、結局言い出せなかったけれど、戌井もそうしてほしかったようですし。

 けれどもこのドラマでは、自分の雑誌に描いてほしい、と言い出せなかった戌井の、経営者としての優しさ、裏を返せば詰めの甘さのほうに重点を置いて描写がなされているような気がするのです。

 そしてもうひとつ、「悪魔くん」 を再び世に出そうとするには、戌井の了解なしには進めることができない、と考えた茂の義理立てにも、重点が置かれていた気がする。 「悪魔くん」 はあくまで(シャレではありません)自分と戌井との共同作業による産物だ、と茂が考えていなければ、茂はリメイクの話を戌井に相談することはなかったでしょう。

 「悪魔くん」 の最初のテレビ放映が終わってその祝賀会的な宴会が開かれていたなか、茂の姿が見えないのに布美枝は気付きます。
 茂を探して仕事場に来た布美枝は、茂が戌井と電話でしゃべているのを目撃する。

 「あんたの編集者としての目に、狂いはなかったですなあ…。
 『これはすごいマンガだ。 絶対に当たる』 と言ったあんたの言葉が、(茂、こみあげてきて)本当になりました…!」
 戌井も、電話を置きながら、こみあげてくるものを押さえられない。
 布美枝も陰で見ながら、涙があふれてくる。
 参りました。 

 涙に打ち震える茂の感無量ぶりは、これまでこのドラマで一度も見せたことのない、茂の感情の爆発だった気がします。 それだけに余計、茂の戌井に対する感謝の気持ちが、痛いほど伝わってくる。 泣けました。 「戌井にも仕事を回してやれ」 というビジネスライクなしみったれた話が、これで解消、するかどうかは見る人の判断なんですが。

 その前にも大いに泣けたのは、「悪魔くん」 のテレビを見ながら大いに喜ぶイトツ(風間杜夫サン)と、涙ぐむイカル(竹下景子サン)。 安来の大杉漣サンと古手川祐子サンの感無量ぶりと相まって、たたみかけるような 「これで泣いてください」 の演出(笑)。 大いに泣かせていただきました。

 特に茂の両親のほうは、放映当日に 「自宅のテレビが壊れた」 と言って東京の茂のところまでやってくるほど。 のちにイトツから、「テレビが壊れた」 というのは単なる口実で、ほんとうは茂たちと一緒にこの喜びを分かち合いたかった、というイカルの心情が打ち明けられるのですが、…なんか、親って、ありがたいですよね。 親の気持ちのありがたさが時間差攻撃でこちらの涙腺を直撃します(笑)。

 寝坊の茂を 「昔からそうだった」 と懐かしがる茂の両親。
 アシスタントたちに大きな声で(笑)、「茂の力になってやって下さい、お願いします!」 と頭を下げるイカル。
 どんなに茂が成功しても、親は親なのです。
 どこまでも子供のことを心配してくれる。

 親の心情、という観点から、もうひとつ今週は、茂と布美枝の子供(たち)に対する愛情も同時に描かれていた気がします。

 こないだ見た 「しげると布枝」 のインタビューで原作者の武良布枝サンが藍子チャン(役名ですが)のことを 「本当に手のかからない子どもだった」 としゃべっていた通り、藍子チャンのことを布美枝がちゃんと気に掛けている描写が、このドラマではあまりないような気がいたします。
 つまり結構、このドラマでの布美枝って、藍子チャンをほっぽっているようなところがある。
 その結果こみち書房の土間に転落したり、実家でビー玉をのみ込んでしまったり、今週もストーブでやけどを負ったり、ずいぶんとほっておかれたのが原因の事故が多い気がするんですよ。
 けれどもそれに目くじらを立てるのって、結構舅姑根性、というか(笑)。
 子供から片時も目を離さないことなんかできないし、四六時中監視していなければ気が済まない現代の子育ての風潮のほうが、私は変な気がします。 そりゃ取り返しのつかないことになったら大変ですけどね。

 布美枝以上に藍子チャンに気を回していない気のする茂でしたが、布美枝のお産の最中にストーブでやけどを負った藍子チャンを、ものすごい勢いで病院まで走って連れていく。
 お産の手伝いに来ていたいずみ(朝倉えりかチャン)はそれを見て、茂にもちゃんとした親の情というものがあることを実感するのですが、先の 「しげると布枝」 のなかでのインタビューでは、「子供のことなんか考えている暇などなかった」 みたいなことを言っていましたけどね、水木サン(笑)。

 それにしても今週の藍子チャン(篠川桃音チャン)は、結構これまでになくセリフが多かったような気が(笑)。

 水木サン命名 「点々」(点々ばかり描いているので…笑)ことスガチャン(柄本佑サン、なんか似てるなあ…と感じていたのですが、やっぱり柄本明サンの息子さんでした)がいずみチャンに持ってきたクリスマスプレゼントを自分へのものと勘違いしてしまったり、浦木(杉浦太陽クン)に向かって 「おじいちゃん」(実は風間杜夫サンを指差していたんですが)と言ったり、茂に描いてもらった 「悪魔くん」 のステッカーに喜んで 「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム」 と飛び跳ねたり(このシーン、最高にカワイかったです…)。

 この篠川桃音チャンという子役のいいところは、いかにも昔よくいた子役、のような匂いがぷんぷんすること。
 「八日目の蝉」 や 「Mother」 の子役の女の子達は、シャーリー・テンプルも真っ青(たとえが古い、古過ぎる…)のスッゴイ演技力で 「子役もここまで来たか…」 の感を禁じ得ないほどだったのですが、桃音チャンはとっても素朴な演技。 逆に見ていてとても癒されるのです。

 いずれにせよ、家族がひとり加わった村井家、来週の話にも、相変わらず期待、です。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第9週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html
第12週 冷たい風に吹かれてhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/12-2a16.html
第13週 自分のいるべき場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/13-f9bf.html
第14週 自分の名前と自分の存在http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/14-30e2.html
第15週 夢をあきらめないで… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/15-19ee.html
第16週 性急に見える成功、ですが… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/16-7865.html
第17週 村井家ビフォー・アフター?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/17-d98c.html

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「うぬぼれ刑事」 第4回 無理しすぎると笑えない、という好例、かな?

 毎回毎回同じ展開で、特に書くこともなさそうに思える 「うぬぼれ刑事」、このドラマに関する当ブログの記事も出だしが毎回同じのような…(笑)。
 でもなんか書きたくなるような、不思議な吸引力がある気がします。

 ただし今回書きたいのは、ちょっとネガティヴなこと(最初にお詫び申し上げます…スイマセン)。

 今回長瀬クンが惚れてしまったのは、殺された被害者の女性(戸田恵梨香チャン)。
 いくらなんでも、これにはちょっと無理がある…というか(笑)。
 そりゃ、彼女の変死が偽装殺人で、ホントは生きていたことを本能的に察知したうぬぼれ刑事の嗅覚の異常さを際立たせる演出ではあるんですが(笑)。
 長瀬クンは彼女と、夢のなかで結ばれていくのですが、こういう恋愛感情の高揚のさせ方も、かなりの無理がある気がします。

 でもそれ以上に致命的なように思えるのが、今回の話の、分かりにくさ。
 というよりも、分かりたくない話、というか。

 それは戸田恵梨香チャンが惚れていた太っちょのキンパツ男に、なぜ彼女が惚れなければならなかったのか、という点がきちんと描かれていない点にある。

 つまり恵梨香チャンはヤンキーの仲間とつるんでいて、自らもヤンキーを気取っていて、キンパツ男の妻(だったかな?)を、偽装殺人にするために顔の判別もつかないくらいグチャグチャにしているわけで(やったのはキンパツ男のほうかな?)、とても感情移入できるキャラではないのです。
 結果的に、戸田恵梨香チャンの演技のうまさも手伝ってか?彼女がとてもすれっからしの女に見える。
 長瀬クン、こんな女なのにクチビルだけに惚れてもいいのか?という気になったまま、見ている側はドラマを押しつけられ続けるわけです。
 結局、恵梨香チャンが母親の借金をなんとかしようとしてこの犯罪に手を染めていたことがラストに明かされるのですが、時すでに遅しの感がするのです。 彼女が本当は優しい女性なのだということを早期に見せないから、見ている側はモヤモヤし続ける。

 ここで展開されるいつものギャグも、そのモヤモヤ感に引きずられて、あまり笑えなくなってくる。 長瀬クンが(表面上は)死んだ女性に惚れている、という話が続くために、なんか冷静になって見てしまうんですよ。 こういう、ギャグを素直に楽しむためのドラマで見ている側に一歩引かれてしまうのは、とても致命的な気がします。

 戸田恵梨香チャンの演技をちゃんと見たのは、カップヌードルとかのCMを除いては(笑)これが初めてでしたが、不良の女の子を演じていた技量は、こちらが嫌悪感を抱くくらいですから確かなのだと感じます。
 ただ、演技がうますぎて、ちょっともったいなかったかなー、という感じもする。 ホントにこんな女性なのかな?などと思ってしまうほどの演技力、で結局私個人の彼女に対するイメージが悪くなった、みたいな。 それって逆にすごいことですけど。

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2010年7月30日 (金)

「千秋太后」 第7話まで見て

 うーん、面白いです、「千秋太后」(BS朝日、月-金正午)。

 このところ見るのを怠っている 「善徳女王」 とかより面白い。

 ただ 「善徳女王」 も、子役の女の子が出ていたころのほうが正直面白かったので、いま星野真理チャンみたいな風貌の子役(子役と言っても少女時代、と言ったほうが適当か)が主役を張っている時期だから面白いのかもしれんです。

 それでこの星野真理チャン…じゃなかった、ファンボ・ス(キム・ソウンチャン)が嫁ぐペイハー(陛下)景宗が、「テジョヨン」 で恐ろしくカッコよかった、コルサビウ(チェ・チョロサン)なんですよ。

 それがですね(笑)。

 このペイハー、これ以上ないというほどのバカ殿で(笑)。
 コルサビウとのあまりの落差に、最初のころはこっちも頭がクラクラ…(笑)。
 けれども星野真理チャンが(違うって)懐妊をした途端態度が豹変。
 自分の妃と息子を守るため、罠にはまりながらも全力を尽くすのです(この罠を仕掛けたチェ・ジモン、最初はいったいどちらをハメようとしているのか分からなくて、見ごたえありました~。 チェ・ジモン、仲代達矢サンみたいな顔で、うまい役者サンだな、という感じ)。
 しかしこの王様は長年の不摂生がたたって喀血、やがて死んでしまいます。
 あんなにロクでもない王様だったのに、その亡くなるシーンでは不覚にも、泣けました。
 コルサビウ、やはりタダモノではなかった。

 ファンボ・スの兄であり、この景宗の後釜を狙っていたワン・チですが、どこかで見た顔だなーと思っていたら、「秋の童話」 でソン・スンホンサンの少年時代をやっていた男の子だった。
 このワン・チ、育ての親代わりだったオバアチャン、黄州明福宮の新羅派への復讐心に盾突いて新羅派と結託、景宗のあとを継ぐのですが、その動機というものが血塗られた派閥抗争をやめさせ、道理の通った国にする、という、至極まっとうなもので。 しかも景宗が前述の通りチョーバカ殿であったためなおさらその理由に説得力がある。

 しかしながら、ワン・チの行なった文民政治のおかげで軍事力が低下し、契丹から侵略を受ける、というはめになっていくのを、このドラマ第1回で我々はすでに見ているのです。

 そしてワン・チとファンボ・スが第1回目でいがみ合っていた原因、というものを、この第7回までの話でつぶさに説明している。 なかなか練られた脚本だと感じます。

 それにしても。

 個人的な意見を述べさせていただきますが。
 このドラマも 「善徳女王」 もそうなのですが、朝鮮半島の歴史というものは、常に分断と侵略、支配による統合にさらされている。 その中で多くの朝鮮人のかたがたは外からの力ではない真からの祖国の統合を願っているような気がするのですが、新羅系、高麗系、渤海系など、このドラマのなかでも細かな民族間どうしの怨嗟が途切れないような気がする。 この手の韓ドラ時代劇に共通しているのは、常に相手を陥れようとしている者同士の陰謀や武力による衝突。 それがドラマの中での話とは言え、こうまで足の引っ張り合いをしていては…という気にも、なるのです。
 その点では、ワン・チの行なおうとしていることは、分かる気がする。

 大いに脚色がされた韓ドラ時代劇しか見ていない者がいちいち知ったかぶりでこのような意見を述べるのは大変僭越なような気がいたします。 単に 「面白い」、で見ていられたら、いいんですけどね。

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桑っちょのshock dough gun

 サザンオールスターズの桑田佳祐サン(通称桑っちょ…って、「音楽寅さん」 だけの話か?)が、食道ガンだという結構衝撃的なニュースが飛び込んできました。

 って書いてみて、「サザンの」 という形容詞って、やっぱ必要なのかな、なんて考えたりするのです。 ビートルズのメンバーを紹介する時でも、「元ビートルズの」 という形容詞って、必ずつくじゃないですか。 逆にサザンオールスターズって、そりゃ現在ではメンバーひとりひとりが立派なミュージシャンとして評価されてはいますが、結局サザンって桑っちょのことでしょ、みたいなところって、どうしてもありますよね、一般的に言って。

 こんな余計なことを考えてしまうのも、桑田サンのガンがまだ初期段階だから、ということに安心しているせいかもしれません。 …どうも桑田サン、などと書くと、よそよそしくっていかんなあ。 とりあえず、ガンという病気を侮るわけではないですが、ちょっと桑っちょについて最近私が感じていることをダラダラと書いてみたくなりました。

 というのも、「佐野元春のザ・ソングライターズ」 セカンド・シーズンの2人目のゲスト、アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文サンが、英語まじりの歌の詞について 「自分の言葉ではない」 というような否定的な見解を話していたせいです。

 あ、話はどんどんずれていきますが(笑)、「ソングライターズ」 のセカンド・シーズンについては、今のところ記事にする考えはございませんので、あしからずご了承ください。 どうも顔ぶれが私の興味の範囲外の方たちばかりなので…。 きちんとその人の音楽を聴いたこともないのに記事を書くのも気が引けます。

 で、後藤サンが見解を述べていた 「英語交じりの歌詞」 なのですが、その代表的な作り手が、桑っちょなわけじゃないですか。 そしてその範疇内には、やはり元春サンがいることも忘れてはならないのですが(桑田サンがいなければ、元春サンもあんな詞を書かなかったと思うんですよ、個人的に)。

 要するに日本の音楽界における 「英語交じりの歌詞」 というのは、それまでにだってあったことはあったのですが、この流れを本当に決定的なものにしたのは、私は桑っちょだと確信しているんですよ。

 桑っちょのそうした歌詞は、つまるところ彼への洋楽の大きな影響があったからこそのものなんですが、「日本語とロック」、という実に融合が困難なカテゴリーを、これで一緒くたにしてしまったという、ものすごい功績があるんですよ。

 もうひとつ桑っちょの、日本の音楽シーンにとっての大きな功績、とも呼べるのが、彼の 「日本語を英語のようにして歌う」、という歌いかた。

 それについて考えると必ず私が思い出すのは、「ザ・ベストテン」 でデビュー当時の桑田サンが自分の歌いかたについて久米サンと黒柳サンに講義した時の模様です。 おそらく1978年ごろ。

 桑田サンはたまたま思いついた 「こんなふうに」 というフレーズを分解し、「corn(トウモロコシ)」「nut(豆)」「food(食べ物)」「knit(編み物)」 とホワイトボードに書き出して、「コーンナッフーニット」(笑)と発音し、英語風に解釈し直したのです。 ビデオが当時あったわけでもないのに、一回限りのこの放送を、ヤケに鮮明に覚えています。

 これはガイジンが日本語をしゃべる時のパロディのようでもあるのですが、桑っちょの歌詞にはそれに着想を得た 「日本語と英語」 の境界線を完全に崩壊させる、というものがとても多い。 「姉ちゃん」 を 「nation」 みたいにするのはその最たる例で、「夕方」 も 「You gatta」 になってしまうし(「夕方クインテット」 の元ネタですな…笑)、こういうハチャメチャ英語の発想というものは、のちのヒップポップに至るまで大きな影響を及ぼしていると思うんですよ。 「韻を踏む」、という方法もそうですよね。 それらの実験がすべて、日本語をポップ音楽に上手に乗せる、という最高の功績を、J-POPにもたらしている。

 私もこの潮流にはちょっと乗ってしまった時期があって、自分の書く詩に英語、しかもヤケに韻を踏んだのを挿入していました(笑)。

 これについては早々から、「自分は日本人なのだから英語などで気持ちをごまかすべきではない」 という考えに至りまして、結局反動的に自分の書く詩の中に一切英語を入れまい、とした時期もありました(笑)。 今は不自然でなければ別に英語でもいーや、という感じですが。

 アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤サンはまさに私が遠い昔にたどった道を歩いていたわけで、その点については彼に大いに共感をしたわけです。

 しかしですね。
 まあ後藤サンみたいな人が大勢、というわけではないのでしょうが、少なくとも日本のミュージック・シーンにおいてこのような考えをする人が台頭してきたのには、一種の感慨も禁じ得ないのです。

 つまりこれって、桑っちょが開拓した日本語とポップ音楽の融合の、先にある感覚ですからね。 桑っちょの音楽、ひいてはサザンの音楽が、もはや過去の方向に流されつつあるのか、という気も、ちょっとするわけですよ。

 でもやっぱり、この季節にラジオから 「真夏の果実」 が流れてくると、わけもなく号泣したくなりますし、彼らの音楽が色褪せるなんてことは私に限っては全くない。
 「真夏の果実」 なんて、歌詞をちゃんと読むと、ワケの分からないところがいっぱいありますよ、確かに(笑)。 「四六時中も好きと言って」 って、変な日本語ですよね(笑)。

 大切なのは、ビートルズと同じように、サザンや桑っちょの音楽を次の世代に語り継いでいく人たち、なんじゃないのかなあ。
 こんな、桑っちょの功績をたたえる文章なんて書いていると、なんだかエンギでもないんですが(笑)、桑っちょはもっともっと評価されねばならん、彼の音楽はもっともっと聴き継がれていかねばならん、と私は考えとります。

 それでもやっぱり、「桑っちょ」 などと馴れ馴れしく呼んでしまうのですが。

 いずれにしても、全快を心より願っております。

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2010年7月28日 (水)

「天使のわけまえ」 第4回 逃げる人たち

 このドラマの感想で前回も書いたのですが、このドラマ、見終わる頃にはなんだか悲しくもないのに自然と涙が出てくるのです。 私にとっては初めての体験ですね。

 河口恭吾サンの主題歌がメチャクチャいいのも一因ですが、BGMもまたことのほかいい。 そして、じわじわと人の優しさが感じられるような作りになっているところが、最大の原因かな、という気はするのです。

 このドラマの中心には、主演のくるみを演じる観月ありさサンの料理があることは論を待たないのですが、だからと言って観月サンの演技が、押しつけがましいというわけでは、けっしてない。
 彼女は何かトラブルがあればオロオロしてメソメソするし、悩んでいる相手に、特別目からウロコ、の的確なアドバイスをしているわけでもない。

 彼女の作る料理にだって、グルメ漫画のように、食べた瞬間富士山が噴火したり(笑)まわりのものが光輝いたり(笑)するわけでもない。 ただ、あるがままに、人を感動させるだけなのです。

 でも実は、こんなありきたりな素朴な料理が当たり前のようにあることの幸せ、というあまりにも平凡すぎる事実に気付かせてくれる、そんな柔らかな力をこのドラマから感じるのが大きいんですよ。

 今回くるみたちは建設現場のキンパツ君の持ってきた話で、結婚式のケータリング(仕出し)をすることになり、自分流のレストランを開業しようという夢を持っている八百屋のオニーサン(佐藤祐基サン)に相談するのですが、彼はあからさまに不安を口にする。 ともさかりえサンや西原亜紀サンが食ってかかるのも当然、というような冷たいお言葉の数々。

 私も観月サンの料理の腕を見続けているので特に気にするほどのこともなく、そーだそーだと彼女たちに同調していたのですが、じゅうぶんすぎるほど用意周到に見えたこのケータリングのお仕事、当日になってスタッフのひとり西尾まりサンが子供の病気で途中離脱。
 ここから彼女たちの焦りが加速し、戦力的にウィークポイントと呼べるともさかサンのやらかす失敗によって、完全に50人分の料理は行き詰ってしまう。
 料理の目玉とも思えるローストビーフは真っ黒焦げ、それに気を取られて別の揚げ物まで真っ黒に。

 ここでともさかサンはひたすら謝り続け、西原亜紀サンは怒りをともさかサンにぶつけ、「もうできない」 と勝手にキレてあきらめモード。

 ここで主役たる観月サンがなにかいいアイディアでもひらめいて万事解決か、と思ったんですよ、見ていて。

 ところが、彼女もボー然自失で、なにをしたらいいのか真っ白状態。

 この展開にはシビレましたね。

 普通のドラマでは、主役の人が得意なことを生かして難局を乗り越える、というパターンじゃないですか。
 ところが、観月サンはこのドラマにおいて、スーパーウーマンではないんですよ。
 結局野菜を新たに調達するために現れた佐藤祐基サンによってこの難局は乗り越えられるのですが、「だから安易に引き受けるなって言ったんだよ! オレはこういうのがいちばん腹立つんだよ!」 と激昂する佐藤サン、シェフの夢を追い続けている男の仕事に対する毅然とした責任感を強くにじませる演技で、まったく嫌味を感じさせない。

 佐藤サンはくるみたちの頼みを聞いてほうぼうに連絡、ローストビーフの簡単な作り方についても知識をいかんなく発揮して、あまりにも頼りになりまくりの存在感を見せつけたあげくに終わったらさっさと退場。 まるで日活アクション映画の主人公のような活躍でした(笑)。

 佐藤サンはこの絶望的状況の中で 「逃げない、あきらめない」 という姿勢をくるみたちに見せつけまくったわけですが、くるみもいったんあきらめかけたのと同様に、今回のドラマのなかでは、困難から逃げてしまういろんな人の姿を描いていたような気がします。

 この当の結婚式を挙げるふたりも、ミュージシャンを目指していたからこそ付き合っていたというカノジョのほうが、カレシが音楽をやめて働く、と言い出したことから、結婚式もやめる、と言い出す。
 カノジョはそれをのちに悔やんで観月サンに打ち明けます。

 「なんで私、あんなこと言っちゃったんだろう…。
 『音楽続ける自信がない』 なんて、彼がいまいちばん苦しんでいることを、分かってたはずなのに…。
 あの人、たぶん逃げてるんです、自分の夢から…。
 もしも私が、そういう思いをさせてしまったとしたら、私のせいだとしたら…」

 そんな彼女に、観月サンはメレンゲで作ったマシュマロ菓子を彼女に差し出し、こう話しかけます。

 「パーティに来た人に、お土産に渡したらどうかと思ってね、作ってみたの。
 私の夢だったの。
 自分の結婚パーティに来てくれた人に、こんなマシュマロを渡したいなあって。
 ま、叶わなかったんだけどネ。
 …食べてみて」

 そのマシュマロを食べながら、涙をこぼすカノジョなのです。
 ここらへんのくだり、なんだか全く何の変哲もない、気の利いたセリフもない場面なのですが、なんか、泣けてくる。 先週に引き続いて私、ドラマの魔法にでもかかってしまったようです。

 「どんな生き方を選んだとしても、きっと幸せになれるわよ…だって、こぉーんなに好きなんだもん、カレのこと」

 こうでなくちゃならない生き方なんて、ホントはないんじゃないか。
 カレがミュージシャンの夢をあきらめて仕事を探してきた、というもの、カレにとってみれば必死の行動だったに違いないのです。 自分の信じてきた道以外の仕事が、どんなに場違いに思えることか。
 必死になって生きていこう、とすれば、どんな生き方だって、間違いじゃない。
 くるみの何気ないセリフには、そんな重大な意味が隠されているような気がするのです。

 ケータリングの混乱の中でくるみたちの料理運びに協力し、このふたりの結婚式を見ることになった、イッセー尾形サン。
 大滝秀治サンから招待状が送られてきた、自分の捨てた娘の結婚式のことに思いを致したせいか、かなり複雑な表情。
 というのも、捨てた女房のところへ勇気を振りしぼって電話をしたのはいいのですが、そこに割って入った娘の 「家にはお父さんなんていないわよ!」 という言葉が胸を貫いているからで、結局その電話でも、自分は一言も発することができなかった。
 逃げ続けている自分と対峙する瞬間が、刻一刻と迫っているようです…って来週最終回なんだから、そーなんですけど(笑)。

 そして今回ラストに現れた、細川茂樹サン。
 いったん野村周平クンの前に姿を見せた時は一目散に逃げて行ったのですが、ラストの細川サンはヤケに自信満々そう。 宝くじでも当たったんでしょーか?(笑)

 ああもう来週最終回なんて、短すぎっス。 今クール最高作品です、このドラマ。

当ブログ 「天使のわけまえ」 に関するほかの記事

第1回 手作りの料理が幸せを運ぶ
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/1-32da.html
第2回 さりげなさに包まれたドラマhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/2-061f.html
第3回 気まずい食卓http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/3-d0ef.html

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2010年7月27日 (火)

「うぬぼれ刑事」 第3回 思考することを拒絶するドラマ?

 毎度毎度、まったく同じ展開のため、特に書くこともない 「うぬぼれ刑事」 なのですが(笑)。

 逆に考えると、ここまで同じ展開を貫き通されるとかえって清々しい(笑)。 つまりこのマンネリの確信犯的手法は、何も考えずにただ笑う、というエンターテイメントを、見る側に提供している気がしてならないんですよ。 クドカンのほかのドラマを見てきた方々にとっては、どうも物足りないらしいんですけどね。 私はこのドラマ、「男はつらいよ」 みたいな路線を目指しているような気がする。 「偉大なるマンネリ」、ですよ。 つまり、このドラマはマンネリであることによって、成立している。 そこに価値を見いだせない方にとっては、結構キツイかも知れません。

 ただし今回長瀬クンが一目ぼれしてしまうのは、樋口可南子サン。
 彼の恋愛対象の年齢半径には誰もがドン引きしてしまうのですが(笑)、ドン引きしてしまうこともさることながら、「ババア」 とか樋口サンを評価するうぬぼれ4たちの言動もすごい。 逆に言えばよく樋口サンがこんな脚本を許したな、ということなんですが。

 樋口サンの演技を見ていると、逆にこの自虐系な話を楽しんで演じているようにも見える。
 すんごいウラオモテの激しい女性で、元アナウンサーで議員の妻、その議員の自殺偽装に深く関わっている、という役柄です。 ってつまり、犯人なんですけど。 みんな犯人ですから(笑)。 長瀬クンが惚れる女性は(笑)。
 その樋口サン、ウサン臭い恋愛心理の大家になっている大学教授役の坂東三津五郎サン(うぬぼれ5の一員なんですが)をキツイ追及で逆にコテンコテンに攻撃し、泣かせてしまう。 いや、笑わせていただきました。

 惚れると一直線、ストーカー的に樋口サンの自宅を自主警備までする長瀬クンでしたが、犯行現場でカギとなる目覚まし時計に長瀬クンが気付いた途端、樋口サンは逆に色仕掛けで何とかごまかそうとする。 長瀬クンは樋口サンにメロメロですから、その誘いに乗らないはずもなく(笑)。 しかしそのたびに自殺した夫あての健康食品なんかを運んでくる宅配便に邪魔され、まるで情事のあとみたいな表情で玄関先にふたりして出てくるのです(笑)。
 なんか逆に、すごいエロチックな場面を、久々にドラマで見たなあ、という感じがいたしました。 しかもそーとー笑える。 樋口サン、長瀬クンに抱きつくとき、足まで絡ませてたんですよ。 かなりドキッとしましたー(笑)。 逆に言えば、樋口サンにやる気がなければここまでできない、というか。

 そしてこの健康食品が逆に、「自殺する人間にしては生きる気マンマンだ」 という樋口サンへの容疑を強める結果になる。
 ふざけてばかりの話でありながら、逆にかなりの計算をしている感じがするのです。

 「何も考えずに視聴者をただ笑わせる」 には、逆に作る側は周到にそのからくりを考え出さなければならない、という宮藤サンの思想を、そこに感じるんですよ。 偶然性を重視してきたテレビ界のお笑いに、クレイジーキャッツやドリフターズのお笑いを復権しよう、などという大げさなことまで考えているようには見えませんけど(笑)。

 結局寅さんのごとく、長瀬クンは今回も玉砕。
 この路線を貫き通すとすれば、最終回に至るまで一貫して、長瀬クンはフラれ続ける、そう私は予想しているんですが。

 逆に逆にって、うるさく言ってスイマセンでした(笑)。

当ブログ 「うぬぼれ刑事」 に関するほかの記事
第1回 初クドカン体験です
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/1-2f65.html
第2回 蒼井優チャン、こんな演技も出来るんですねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/2-2de6.html

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2010年7月26日 (月)

「しげると布枝~漫画家夫婦の旅路~」 リアル 「ゲゲゲの女房」

 NHK総合で25日、「しげると布枝」 という、マンガ家水木しげるサンとその妻布枝サンのインタビュー番組をやっていました。 再放送なのかな。
 このところ 「ゲゲゲの女房」 のスピンオフみたいな番組がヤタラメッタラ放送されている気がするんですけど、おかげで気が抜けない、というか。 「いちごとせんべい」 の続編も、なんかやってたらしいんですが、見逃してしまいました。 この日の 「しげると布枝」 も、たまたまテレビをつけたらやっていて、途中からだったんですが見ました。

 今年88歳の水木サンと、78歳の布枝サン。 さすがに後期高齢者、という感じなのですが(失礼)、布枝サンはお歳の割には垢ぬけていて、若々しいですなあ。 さすがにおふたりともちゃんとした標準語をしゃべっていて 「そげです」 とか 「ちょっこし」 とか 「だら」 とか言わなかったんですが(当然か)、悦子サンという、ドラマでは帝王切開で生まれてくる次女の方らしいのですが(「藍子チャン」 役の娘サンとカンチガイいたしました、失礼しました) が結構巨漢でびっくり。 どうも高齢の水木サンの付き人をやってらっしゃるようですね。

 布枝サンのお話から強く感じることができるのは、やはり水木サンが並大抵の努力をしていなかった、ということ。
 だからこそ布枝サンは水木サンのマンガがいくら受け入れられなくても、自分の夫を信じきることができた。
 「ゲゲゲの女房」 を見ていても、私が強く感じてきたことはそのことです。
 フィクションも混じっているこのドラマのなかで、そのことを見る側が如実に感じとることができるだけで、このドラマの真の目的は早くも達成しているな、そう強く感じます。

 「あれだけ、描いても描いても否定されて、しかも食べていけないときを、まあここで描かないとと思って描いていることは分かりますけど。
 ある種の意気込みというか、自信があっても…否定されれば自信がなかったでしょうけれどもね、…自分自身に恥じない、というか、その意気込みというのは、私に大見得を切ってそういうことを語るわけじゃないですけれども、私が感じたことですけどもね。 その迫力たるやなかったです」

 ドラマでは木下ほうかサン演じる貸本出版社社長に冷たくあしらわれ、布美枝(松下奈緒サン)が大きくショックを受けたシーンの証言でも。

 「悔しいですよ。 悔し涙、ひとりで。 こんーなことってあるだろうかと思いましたね、否定されて。
 (水木サンのマンガを)見た途端、『こんなグロテスクな』 とか、いろんなこと好きなことを言うんですよ、出版社の人」

 プラモデルで連合艦隊を作った、というエピソードについても、ドラマ内では布美枝が 「そげな軍事予算は、わが家にはありません!」 と茂を一喝していましたが(笑)。

 「私それは微塵も思わなかったです。 ふたりして軍艦作ること。 私も裁縫や刺繍が好きでしたしね。 楽しかったです。 ふたりで同じことをね、やっているということを」

 ドラマでは可愛らしさをふりまいている藍子チャン。

 「あの子も行儀のいい子でねえ。 おむつもきれいで。 泣くことを知らない子で。 ちょっと心配はしましたよ。 ところがちゃんとした子に育って(笑)」

 当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関する記事でも言及したのですが、茂が来る注文をすべて断らなかった、ということの真相も、水木サンが話しておいででした。

 「間に合わせなければならんからねえ、必死ですよ。 あまり生きた心地しない。
 貧乏に戻るってよりも、マンガ描きとして、自分の名を維持するためにはそういうふうにある程度の量を描かざるを得ないのです」

 「金持ちになったからぼたもちが4つ食えるかって、3つしか食えないし。 変なものでねえ。 やっぱり、幸せには限度があってちゃんと神様が決めているようですねえ」

 ドラマ 「ゲゲゲの女房」 のタイトル字のバックに映っている、色とりどりの絵具壷。
 今回の番組では実際の、60年も使っているモノが出てきて、ドラマと一緒だとミョーに感動。 もともとはヨーグルトの瓶だったということが分かりました。 そうそう、こういうんですよね、牛乳ビンか短くなったような形状。 今もあるのかな。 私が小学校時代は、給食に出てくるヨーグルトは、こんな瓶に入っていました。

 「(自分は)エライ人なんだけどもうちょっと褒めてもらいたい」 と、とぼけた味を出しまくりの水木サン、布枝サンがおっしゃっていたように、とんでもない大人物のような気がします。

 ホント、おふたりとも、末永くお幸せでいただきたいとの思いをますます強くした、今回の番組でした。

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「龍馬伝」 第30回 薩長同盟の発想

 冒頭、高杉晋作(伊勢谷友介サン)主導の下での長州独立への動きと、それを叩き潰さんとする幕府の動向を解説した、今回の 「龍馬伝」。 伊勢谷サンを見ていると、またまた福山龍馬を食ってやろうとする俳優サンが現れた、との感を強くするのですが、第3部の福山龍馬は、黙っとりません(笑)。

 「まあるで鶏小屋のなかで、ニワトリ同士が喧嘩しゆうようぜよ!」

 先週終盤で薩長の喧嘩に割って入った龍馬が放った一言は、その場にいた全員に響いたに違いないのです。 見ていた私に響いたくらいですから(笑)。
 日本人同士が仲たがいすることの愚かさはそれまでこのドラマのなかでも龍馬が幾度も説いてきたのですが、武市の死を経た龍馬のこの言葉には、限りない怒りがストレートに人の心を打つ強さに満ちている。

 その強烈な一言のプレイバックの次の瞬間、タイトルバック。
 今回も、シビレますなあ。

 長崎で自分たちの無謀な売り込みを試し続けた龍馬。
 そのことごとくが失敗に終わり、長次郎(大泉洋サン)が持ってきたカステイラ作りの話に、今度はみんなが首を突っ込む。
 「日本を異国の侵略から守る」 のと 「カステイラ作り」 と、どのよーな関係があるのだ?(笑)と言いたくなるところですが、実際に龍馬たちは、カステラ作りを試みたらしい。 史実がどうとか言ってますが、どうやらこれは史実(笑)。

 ならばこのドラマが強調しようとしている龍馬たちの志と別のベクトルにあるように思える 「カステイラ作り」 を、どう結び付けるべきなのか。

 このドラマでは、龍馬たちの好奇心がさまざまな方向に向かっていた、その結果カステイラにも手を出した、ということを描写していたように感じます。
 そしてもと商人の長次郎が、以前の自分がやっていた饅頭屋とは違う、ひとつのビジネスケースとしてカステラを選んだ側面も、感じられる。 自分の得意分野である饅頭を売ってしまうのでは、昔と変わらんですからね。
 なにしろ彼らが商売をしようとしていたことが、のちの亀山社中へと発展するのです。
 その発想が徐々に具体化するさまを、今回のドラマでは描写している。
 小曾根乾堂(本田博太郎サン)や大浦慶(余貴美子サン)といった商人たちが麻雀をするのを見たあと、龍馬は陸奥(平岡裕太サン)にこう話します。

 「わしの本家はの、商売をやりゆうき。
 商人ゆうがが、どういうもんながか、ようわかっちょったつもりじゃったけんど、あればあたくましい商人らは初めて見たがぜよ。
 商人どうし、みんな競争ぜよ。
 けんど、どればあ仲が悪うても、商売のためには、つながっておかんといかん。
 あの麻雀は、そういうもんじゃとわしは思うき」

 このあとおちゃらけたような展開になってしまうので印象にあまり残らなくなってしまうのですが、商人たちが競争しながらつながっている、という見方が、のちに薩長を結びつけようとする龍馬の発想になっている。

 龍馬は、みずから見てきた高杉らの先見性やグローバルな視野、そして幕府が藩の力がなければ自ら戦えない現状を見据えてきた末の結論を、西郷(高橋克実サン)にぶつけるのです。

 「西郷さん。
 このまま幕府のもとにおったら、薩摩の将来はないがです」

 幕府に盾突いて勝てるはずがない、と一蹴する西郷。

 「幕府に勝てる手立てがあるがじゃ!
 それはのう…。
 長州と手ぇを組むことぜよ。

 長州は底力のある国じゃ。
 どこよりもよう学び、どこよりも戦う気力に満ちちゅう。

 今の幕府は、諸藩の支えがのうては、戦も出来んがじゃ!
 薩摩を味方につけんと、長州を討つことも出来んろう。

 薩摩がどっちにつくかで!
 勝負の行方は、変わるがじゃ!」

 「龍馬伝」 を見ていてつくづく残念なのは、ほんの2年前に放送していた 「篤姫」 と内容がかぶるのを恐れてか、西郷に小松帯刀(滝藤賢一サン)くらいしか絡んでこない、ということ。
 小松帯刀と言えば瑛太クン、というイメージが固まっている私にとっては少々複雑な感覚ですが、ここに薩摩出身の篤姫に対する西郷の思いなども織り込ませれば、ドラマにもっと奥行きが出る気がするのです。 けれどもこれは、宮崎あおいサンの立場を考えれば、ほぼ不可能な話。 幕末と戦国を交互に放送している最近の大河ドラマに対する不満に発展してしまいます(笑)。

 それと、ちょっと苦言。

 先週の予告では、お元(蒼井優サン)の素性を龍馬がかぎつけたかのような描写があったのですが、今回そんなことはなし。 こういう予告の見せかたは、感心いたしません。

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2010年7月25日 (日)

「鉄の骨」 第4回 談合の先にあるもの

 談合組織の新たなボスに担ぎあげられた真野建設の営業部長、長岡(志賀廣太郎サン)が降ってわいたような北陸の談合疑惑で検察に呼び出されます。

 おそらくこの仕掛けはボスを降ろされた山関組が関与していると容易に想像できるのですが、検察の真の狙いが一谷組が怪文書によって落札を逃したバイパス工事の談合にあることが分かる。 小池徹平クンはいそいそと、都合の悪い文書などをシュレッダーにかけまくるのでした。

 ここで小池クンが悪いことに手を染めている、という認識を、見ている側は果たしてしていいのでしょうか?

 確かに社会的に問題にされていることで検察が動き、その捜査を逃れるために都合の悪いものを処分することは、ルールに違反しているからいけない、というように簡単に考えがちです。
 でもルール違反を責める、という判断基準は、実は問題の本質を真から考えていない、とてもイージーな判断基準なような気がするのです。
 私たちに必要なのは、そのルールが現実にそくしたものなのか、ただの潔癖症に陥っていないかを見極めることのような気がします。 めんどくさいから、ルールに逃げてしまっていないか、というか。 ルールだから仕方ない、という、いわゆる思考停止状態ですよね。

 検察のしたたかさにうなったのは、ここで一谷組のペーペーである小池徹平クンを任意で取り調べに呼んだこと。
 地検に呼び出されたことで、小池クンは完全に動揺。

 「あなたがこの怪文書を書いたんでしょう?」
 「違います!」
 「ではあなたが談合情報を漏らしてだれかが書いた…」
 「ぼくは誰にも…!」

 このカマのかけ方、うなります。
 言いかけてハッとする小池クン。
 あーあ、引っかかっちゃった(笑)。
 このシーン、真面目一筋で世の中の酸いも甘いもまだ知らないような小池徹平クンが演じるからこそ、かなりの説得力が生まれると思うんですよ。

 「何もしゃべってない」 とその後長岡とか三橋(中村敦夫サン)とかにしゃべっていた小池クンでしたが、しゃべったも同然というか(笑)。

 あくまでも談合組織内での昔ながらの取り決めを正面から行なっていこう、とする長岡に、小池クンは共感を強めていくわけですが、そんな小池クンに長岡は、自分が初めて営業で勝ち取った工事によってできた橋梁を見せ、うれしくてはだしで何度もその橋を往復した、とうれしそうに語ります。

 長岡はその後の検察の強い追及によって追い詰められ、会社との板挟みに遭って自殺する。
 これを、長岡が悪事を隠すために死んで逃げた、ととらえられるでしょうか。
 「会社なんて結局社員のことなんか考えていない。 会社が存続すればトカゲのしっぽ切りなどいくらでも平気でやる」 と考えてしまうのは、会社と社員(自分)の関係を、ドライにビジネスだと割り切って仕事をしている人たちなんじゃないかな、なんて、私はよく考えるのです。 そして、会社が社員(自分)に対してそれだけの充実感しか提供できなかったことも原因だと考えるのです。
 少なくとも自分が自分の会社を誇りに思い、自分の仕事に対して誇りを感じ、会社に恩義を感じ、会社のために頑張ろうと思っている人たちにとっては、長岡の選択肢を責める気持ちにはなれないのではないでしょうか。

 長岡の葬式のあと、小池クンは左遷先から駆けつけた豊原功補サンを、長岡の思い出の橋へと案内し、長岡の話を豊原サンに打ち明けます。

 「でも、奥さんには言わなかった。
 子供にも言わなかった。

 …言えなかった」

 いくら自分がその仕事に誇りを持ってやっていても、世間から見ればそれは談合という犯罪によって取ってきた仕事だ。
 豊原サンは自分が第一線を離れて初めて談合の問題点に気付いたことを小池クンに話し、「正々堂々と仕事を勝ち取れ」 と助言するのです。

 豊原サンが自分のしてきた仕事に対してどう 「談合は古いシステムだ」 と感じたのか、そこらへんの説明が弱いかな、と感じましたが、つまりは数社による仕事のたらいまわし、という談合の実態が、業界自体の競争力を低下させている、とか、談合グループのなかだけで話が決まり、その枠外の会社には恩恵がない、とか、あたりさわりのないこれまでの認識程度しかドラマが導き出せなかった、ということになってしまいますかね。

 結局このドラマは、談合の先にある 「ガチンコ勝負」 というものに、その解決策を提示している。
 それは、業者同士の縦のつながり、つまり元請と下請との長年の信頼関係を揺るがす話かもしれない。 不当なダンピングを引き起こす原因となるかもしれない。
 でも、談合を乗り越えるためには、「ガチンコ勝負」 で行くしかないのだ。
 …というフツーの結論なんですよ。
 もうちょっと目からウロコの方法が提示されると思ってたんですけどね。

 いずれにせよ誰かは馬車馬のようにこき使われ、誰かがのうのうと甘い汁を吸っている、という構造は、どの世界にもある気がします。 談合のようなシステムは、誰かが楽して仕事を取ってこよう、という気持ちの具体化したものなのかもしれません。 適正な競争とは何なのか、適正な社員への利益還元とはどうすればいいのか、この業界だけでなくすべての業種が考えなければならない問題なのではないでしょうか。

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「ゲゲゲの女房」 第17週 村井家ビフォー・アフター?

 今週からタイトルバックが一部リニューアル。

 自転車に乗っている布美枝(松下奈緒サン)の身振りや、茂(向井理クン)と布美枝が自転車を並走する調布市の町が、以前の片田舎的な風景から、数件の家が見える仕様へと様変わりしました。

 同様に、漫画賞を受賞してからを描いた今週の 「ゲゲゲの女房」 は、先週の福の神の助走から一気に別なドラマに変貌したかのような雰囲気。 布美枝でなくとも、ちょっと戸惑いを覚えるほどです。

 ただ話としては相変わらず揺るぎのない面白さで、環境の激変で移ろいゆく人々の感情が、そのままドラマ自体の大きなうねりとなっているところが、脱帽…した帽子をかぶり直す暇がないくらいであります(笑)。

 そのなかでも私が最も注目しているのが、菅井伸(柄本佑サン)という、どっかで聞いたような名前の(笑)、マンガの画才が全くない(でも彼の絵って、後世 「ヘタウマ」 と称されるようになる、味のあるまずさのような気がするんですけどね…笑)アシスタント。
 彼は茂がアシスタントを募集したところ集まった、「ワケの分からん人々」 の中のひとり、みたいな感じで最初は登場したのですが、なんだかんだと結局居着いてしまったような感じで(笑)。

 この 「アシスタントにヘンな人間ばかりやってくる」 という構図、ちばてつや氏のマンガ 「練馬のイタチ」 でも以前同じようなことが描かれていて、よくあるんだなぁこんなこと、という感じで見てました。

 しかしこちらの菅井きんサン、じゃなかった(笑)菅井伸クンは、絵がまずいだけならまだしも(それじゃダメじゃん…笑)、鉛筆の下書きを消しゴムで消そうとして紙をぐしゃぐしゃにしてしまうわ、原稿にコーヒーをこぼしてしまうわ、それ以上に何を頼まれてもマヌケなことばかりやっている様子。

 こういう、なにをやらせても不器用な人間って、個人的にはとても感情移入してしまうんですよ、自分が同じような要領の悪い人間ですので。
 つまり、こういう人というのは、世の中に対して、耐性がない。

 世渡りがうまい人は、自分がもし初めての場所で働くことになっても、だいたいこんなふうに仕事が流れていくのだろうということを、かなり上手に把握できる。
 ですが 「要領の悪い人間」、というのは、応用力が効かない。 だから仕事場の把握が簡単に出来んのです。
 しかも、仕事においてここがキモだ、というところが分からないため、無駄な動作が多過ぎる。 無駄で済めばいいけど、それが周囲に迷惑を及ぼすことが、また多いんだこれが(笑)。

 このスガチャン(藍子チャン命名…笑)、茂から 「カンピョウのような男」 と評され、実際栃木の実家がカンピョウ農家だったというオチには笑いましたが、そのあまりの使えなさに 「やめさせよう」 という話が出たとき、布美枝も茂も両方とも、あまり乗り気ではない。 これは、ちょっと注目に値します。

 これは、村井夫妻が自分たちの仕事をドライなビジネスとして考えていないことを意味している気がします。 スガチャンを恵まれない人として夫妻が認識するがゆえに、彼の弱点に目をつぶろうとしている。

 しかも、マンガ家にとっては命よりも大切な原稿用紙に対するスガチャンの扱いを怒っていた茂だったのに、「仕事でも、ええとこはある。 『点を打て』 と言えば一日中点を打っとるし、『渦巻きを描け』 と言うと、一日こう、グルグルグルグル描いとる。 根気のよさなら、人には負けん」 と、おおらかなところを見せるのは、いかにも水木サンなら、って感じです。

 まあけれども、茂がスガチャンを残しておきたいホントの理由は、「見とったら面白いことだ」 ったらしい(笑)。 このウザったさを受け入れる器量、というものは、人間いつでも持っていたいものです。

 さて、殺到した仕事を茂は次から次から請け負っていく。
 今回アシスタントを導入しようということになったのも、茂が全く仕事の依頼を断らないがために招いた事態なのです。
 仕事を断らない茂を見ていて、私は何より、茂のその自信がどこから来るのか、ちょっと驚きながら見ていました。
 なぜなら、マンガというものは一朝一夕でできるような代物ではない。
 話がつまらなければすぐに打ち切られてしまうし、簡単に話が思い浮かぶようなものでもないからです。

 しかし、私の心配を見透かしたように、茂は、こう語るのです。

 「少しくらい売れたからと言って、この先も同じように仕事が来るとは限らんぞ。
 マンガも、紙芝居や貸本のようにいつダメになる日が来るかもしれん。
 また貧乏神に付け込まれてはたまらん。
 忙しくても今が踏ん張り時だ。
 せっかく来たいい流れを、逃すわけにはいかんのだ」

 少年ランドからの連載依頼を最初断ったときもそうだったのですが、茂は相変わらず、勝負に出ています。
 時を逃さない、というこの茂の態度には、大いに学ぶべき点がある気がする。
 マンガが 「紙芝居や貸本のように」 ダメになってしまうのは、結果的には茂の杞憂にすぎませんでしたが、現代のメディアの多様化から言って、マンガがこの先も安泰であるということは、一概には言えないのです。
 風間トオルサンから 「鬼太郎」 の映像化の話が来た時も、一本の映画よりも、毎週続けて見ることのできるテレビのほうを茂は選ぶ。 先見性にも長けていた、茂の戦略です。

 それに対して異論を唱えたのが、浦木(杉浦太陽クン)。
 この浦木、茂がビンボーのどん底にいた時には結構的確なことを話しておったのですが、今回 「映画のほうをとれ」 と茂に進言する。

 浦木のその選択は、金儲けが念頭にあるために、目先の利益にばかりにとらわれている。  つまり、茂のように、長期的な展望に立っていない。
 時代の潮流を読み切れない男の限界を、ここで作り手は鮮やかに描いているのです。

 そして今週もうひとり、時代の潮流に乗れなかった男として、茂の長年のパートナーだった戌井(梶原善サン)を配置している。
 水木プロダクション設立パーティに遅れてやって来た戌井、大量のバナナを持ってくるのですが。
 この小道具が 「場違いなものをお土産にしてしまった」 と言う戌井の自虐を描きながら、「このバナナのお土産こそが何よりも貧乏時代の苦しみを知っている者同士の共通のアイテムだ」 という布美枝の感情を導き出す。

 結局、水木しげるの才能をじゅうぶん認識していながら、世の中に正しく送り出すことができなかった戌井の思いとは、どんなものだったでしょうか。 それを考えるととても切ないものがある。
 戌井はパーティの輪の中に入れず、村井家の家の外で昔話を布美枝とするのですが、この疎外感には正直、悲しいリアリティを感じました。 自分も、パーティって、あんまり得意じゃないんですよ。 「水木しげるはもっともっと大きくなる」 と語る戌井。 成功したことで蟻のようにまわりに人がたかってくる、茂。

 ここでアシスタントたちについてですが。

 ペンキ屋をやっていたという倉田(窪田正孝サン)、おそらく 「男組」「クライング・フリーマン」 を後年描くことになる池上遼一サンでしょう。
 もうひとり、茂が深大寺でスカウトした小峰(斎藤工サン)は、つげ義春サンでしょうか? 「ねじ式」「ゲンセンカン主人」 など、水木マンガのタッチそのままの画風で不条理な世界を描き出し続けた 「ある意味」 巨匠なのですが。 私も高校時代、ハマりました~。 マンガ好きな人なら読んでおくべき重要な作品が、いくつもあるマンガ家サンです。

 つげサンのほうは不確かですが、いずれにせよ水木サンとこのアシスタントには、すごい人物が大勢絡んでいるのです。

 そこに兄嫁である愛華みれサンが経理で加わって、手狭な村井家の一軒家は完全に飽和状態(笑)。 茂はブチ切れした勢いで、村井家の増改築を強行(笑)。

 手広くなった台所で角砂糖を探すうちに、この場所に来た当時なにもなかった台所を思い出し、感慨にふける布美枝。
 戌井にもこの環境のあまりの激変ぶりを 「怖い」 と告白していた布美枝でしたが、源兵衛(大杉漣サン)がよこした布美枝の2度目の出産助っ人いずみ(朝倉えりかチャン)には、身内だからという安心感も手伝ってか、このように話すのです。

 「これから何が起きるのか、どげなふうに変わっていくのか…。
 心配なような、楽しみなような…。
 いろんなことが、急に起こったけん、気持ちが追い付いとらんのかもしれん。
 …けど、なにがあってもついて行かんとね。
 お父ちゃんががんばっとるんだけん、私もいっしょに、やっていかんとね」

 そしていずみと一緒に、おばば(野際陽子サン)の寝物語を思い出す布美枝。

 「怖いけど…面白い。
 お父ちゃんのマンガと一緒だ…」

 戌井の持ってきたバナナもそうでしたが、今週の 「ゲゲゲ」 では、ビンボー時代にいろいろキーワードになった食材がほかにも出てきましたよね。

 貸本会社の社長の冷たい言葉に打ちのめされた布美枝が気を取り直して買ってきた、コーヒー。 ふたりで分け合って飲みましたよね。

 肉がないのでキャベツを大量に切ってパンパンにつめたギョーザ。

 そのひとつひとつが、いくら状況が変わっても変わることのない夫妻の気持ちを象徴しているようで、環境が激変したにもかかわらず、安心してドラマを見ることができた安心感につながっていた気がするのです。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第9週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html
第12週 冷たい風に吹かれてhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/12-2a16.html
第13週 自分のいるべき場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/13-f9bf.html
第14週 自分の名前と自分の存在http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/14-30e2.html
第15週 夢をあきらめないで… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/15-19ee.html
第16週 性急に見える成功、ですが… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/16-7865.html

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2010年7月24日 (土)

「ぼくはロックで大人になった~忌野清志郎が描いた500枚の絵画」 を見て

 NHK衛星ハイビジョンで、去年(2009年)亡くなった忌野清志郎サンの特集をやっていました。
 今回の特集はちょっとばかり毛色が変わっていて、清志郎サンが生涯描き続けた絵にスポットをあてる、といった方向の話。 でありますので、「ぼくはロックで大人になった」 という番組タイトルは、ちょっとばかり的外れなような気がいたします。

 実は音楽もするし絵も描く、といった清志郎サンの趣向は、結構私とかぶっている部分があるんですよ。
 ただし私の場合、ビートルズにかぶれたことは清志郎サンと同じなのですが、彼らの世界を忠実にコピーして演奏し、彼らになりたいという方向に行ってしまって、そこから自分で歌を作ろう、という清志郎サンの方向には行かなかった。 自分を表現するのに、「詩」 という方法がありましたから。
 それから、高校時代美術部に属していたことも清志郎サンと一緒でしたが、描く絵は全く別方向。 清志郎サンは番組でも紹介されていたように、ゴッホの強い影響下のもとにある絵を描いていたようです。 私は写実的な絵が中心で、高校時代はダリのシュールレアリスムに傾倒したりもしました。 でも清志郎サンのようにマンガもたくさん描いてましたし、なんか僭越ながら、他人とは思えんです。

 ただ番組で清志郎サンが生涯描いてきた絵を見ていて感じたのは、ゴッホというよりルオーのようなフォービズム(野獣派)色が強い。 モディリアーニのような部分も感じます。
 ダダイズムのように精神的にイっちゃってるような傾向も多少ある(笑)。 高校時代に描かれたという、顔のない自画像がその最たるもので。

 番組で清志郎サンのもっとも初期の絵として紹介された、小学5年に描かれたという水彩画の時点で、そのフォービズム的傾向の萌芽が見てとれるのが面白い。
 それは、鮨屋のものと思われる湯呑。
 対象物はおそらく紺地に白抜きで字が書かれていたのでしょうが、絵にするときその白字を紺色を塗ったあとから重ね塗りをしている。
 水彩絵具というのは透明度があるので、塗り重ねには本来適さないのですが、清志郎少年は構わず白を紺地の上から塗ったくっているんですよ。

 この重ね塗り、という清志郎サンの趣向が最も威力を発揮するのが、油絵なわけです。
 清志郎サンの画風は、ほとんど執拗とも思えるほどの、絵具の重ね塗り。
 カンヴァスの上で直接色を混ぜ合わせ、カンヴァスがパレットの役割も同時に果たしているよーな(笑)。

 それにしてもです。

 清志郎サンの作品傾向として、自画像がとても多い。

 これはやはり自画像を量産したゴッホの影響、と見るのが妥当なのでしょうが、私は内省的な清志郎サンの性癖と、自分をみずからのコピーが量産されるロックスターとしてとらえ、唯一のものでしかない自分を描いた絵を通してそれに反発し、自虐したような気がするのです。 化粧を施したロックスターとしての自分の顔を描いた自画像がありましたが、その署名は本名のキヨシではなくキヨシロー。 ここには清志郎サンの自画像に対する思いが、端的に表れている気がします。

 それ以上に絵描きの心理としては、自分という対象について、興味が強くあった、ということも考えられます。
 清志郎サンのお顔は、私が言うのもナンですが、絵描きの好奇心をくすぐるような個性的な顔立ちをしてますもんね(笑)。

 私自身は自分の顔について、それほど興味がなかったのですが、歳をとっていくにつれて老いていく顔を鏡で眺めていると、なんとなくそれなりに、 「男の顔は履歴書」 と思えるような顔になったかな、という興味は以前と比べるとある気がします。
 ですから、清志郎サンのように自画像を量産する、という気持ちは、昔なら理解しがたかったでしょうが、今はなんとなく分かるような気がするんですよ。

 番組では清志郎サンに多大な影響を及ぼした、「ぼくの好きな先生」 のモデルでいらっしゃった、小林晴雄サンも登場。 美術講師であった小林先生のもとに高校時代劣等生であった清志郎サンは足しげく通うのですが、この両者とも無口であったそうで(笑)。 どういう多大な影響を及ぼしたのか、よくわからん(笑)というか。

 「雨上がりの夜空に」 でブレイク(個人的には、当時そんなにヒットした記憶はないんですが、RCの名前だけは知られてましたね)するまで、自分に正直な言葉を歌って自分を表現していこうとしていた清志郎サンのその音楽に対する姿勢は、やはり自画像を描くときの姿勢と相通じるものがある。 「ドカドカうるさいR&Rバンド」 などは、発表された当時 「なんてナマイキな奴らなんだ」 と思ったものでしたが、これもテンパっていた清志郎サンの自虐だったという今回の証言を聞くと、歌詞が妙に心にすうっと入ってくるのです。 不思議なもんだ。

 そんな清志郎サンか描いた絵の中で最も丁寧に描かれているように感じたのが、ふたりのお子さんを描いた作品群。
 自画像の中の自分を見つめる張り詰めた空気とは全く別物の、愛情をそこからは強く感じることができるのです。
 BGMは 「プリプリベイベー」。 ホームレコーディング風の曲なのですが、娘サンを 「プリプリ」(プリティ)と歌い続ける清志郎サンに、「お父さん、どーしてお尻がプリプリなのー?」 などとはしゃぎ続ける娘サンの声が入り続ける、という、かなり抱腹絶倒ものの歌で。 いいなあ、この歌(笑)。

 そして闘病のために脱毛してしまった自画像。 この作品は以前にも見た覚えがあるのですが、今回のあまた描かれた清志郎サンの絵のなかでは、さすがにいちばん異色を放っていました。

 その自分を見つめる姿勢が、この国の行く末を見据え、「君が代」 をパンクにして歌わせる。 無口でシャイな男が、いちばん大切なものとは何か、を問いかけ続ける。

 亡くなってから気付くのは遅すぎるのですが、あらためて忌野清志郎サン、この世にいなくてはならない人だった、と実感した、120分でした。

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2010年7月23日 (金)

「24Ⅶ」「ER」 BSでの再放送を視聴中

 レンタルとか利用しないので、基本的に外国ドラマもテレビで見ています。

 「24」 なんかは、BSフジでやってくれるからありがたい。 こないだまで地上波のフジテレビで土曜日深夜にやっておったのですが、土曜日深夜というのは何かと注目番組とかぶりやすくって。 「今夜も生でさだまさし」 とか。 結局予約録画を貫くことができず、最新シーズンである第7シリーズの再放送を現在BSフジでやってくれているのを予約して見ているのです。

 「ER」 も同様で、以前は比較的ウラに強力な番組がなかった月曜の23時からNHKBS2で放送されていてよかったんですが、木曜23時に移動してしまい、フジテレビなんかで22時台のドラマを延長されてしまうと予約がかぶってしまって見ることができない状況になってしまって。
 おそらく次の第15シリーズでこの長かったドラマも終了すると思うんですが、NHKサン、月曜23時台に戻してくれることを強く希望します!
 で、その第14シリーズをこれまたイジワルなことに同じ木曜23時台に再放送し直しているため、今度はそっちを最優先することにして。
 でもそうすると、フジテレビの木曜22時台のドラマを今度は犠牲にしなければならない。 裏番組を録画できない、というのは、結構痛いものがあります。

「24」 第7シーズンの面白さ

 それにしても、「24」。

 マンネリだなんだと言われながら、毎回毎回、よくぞここまで面白いものを見せてくれるものだと感心いたします。
 今回の第7シーズンの特徴は、CTUがなくなってしまって、代わりにFBIがその任を引き継いだ形になっている、ということ。
 そして、一難去ってまた一難、という感じで、アメリカに危機をもたらす人物がコロコロ変わっていくこと。

 でもなんと言ってもいちばんアメリカに危機をもたらす人物なのが、当のアメリカ大統領(笑)。
 アリソン・テイラーという女性初の大統領、という設定なんですが、この大統領、とにかくおバカで(笑)。
 アフリカの紛争地域に武力介入を強行するおかげでその報復に遭いまくっているのに、自分の夫や娘の命のほうがよほど重いという、公私混同ここに極まれりの愚かさを周囲にまき散らしております(笑)。
 結果的に(あっ、もちろんネタバレですよ)ホワイトハウス内部にまで敵の大将デュマ将軍に潜入され、ホワイトハウスが戦場になる、という、こんなのがアリなのかと呆れるくらいの惨状を招くわけです。

 この原因というのが、ホワイトハウス内部にまで腐敗の根が大きく張っている、というもの。
 そのおかげでジャック・バウアーやビル・ブキャナンたちは大っぴらに捜査ができないというアドヴァンテージを負うわけですが、その構造が面白さを大きく倍加させている。

 FBIはCTUに比べてその活動能力の限界を今回まざまざと見せつけまくるわけですが(笑)、ルネという女性捜査官がジャックの強引な捜査方法に激しく葛藤しながら、「国家の危機には手段など構っていられない」 というある種の特殊な真理を受け入れざるを得なくなっていく。 ルネの上司であるラリー・モスはルネへの恋愛感情もあいまって、ジャックと事あるごとに衝突。 ここらへんの見せ方も、実にうまい。

 それにしても最大の関心事は、このシリーズ全体がジャックにとって不幸な結末で終わることになる、というスタッフの話。 今BSフジでやっている13回(20-21時)の時点では、ジャックがその罠に着々とはまっていくようで、見てらんない…んじゃ困っちゃうんですけど(笑)。 こんな状態からどうやって、ブルース・ウィリスのジョン・マクレーン刑事とジャック・バウアーが共演することになってしまうのか…?(笑)。 あ、事情を知らない方にお知らせいたしますが、「ダイ・ハード」 の続編で、そんな話が持ち上がっているようなんですよ。

 いずれにせよ、「国家に対する忠誠が純粋であればあるほどそのこと自体が罪になり、その人や周囲が傷ついていく」、というこのドラマの一貫したテーマが、このシリーズでもいかんなく発揮され続けている、というのは感嘆するしかありません。

「ER」 悲しい女アビーの行く末

 ジョン・カーターがシリーズを離れてからの 「ER」 でいちばんの私の関心事は、アビー・ロックハートです。

 ロックハート、巌の心という名前とは裏腹の危うさを全体に漂わせまくりの彼女なのですが(笑)、母親との確執、過去に患っていたアルコール中毒への不安と誘惑、それがどんな人が介入しようとも拭うことができない。 せっかくルカ・コバッチュというパートナーを得たのに、やはり彼女は心から安寧の状態になることがないのです。

 どんなアドバイスも受け入れることができないという点では確かにロックハートなのですが(笑)、いるんですよねー、こういう人。 どんな助言も誠意も通じない。 頑なさが解けていくことを心から願っているのですが、このドラマでは心壊れて夢破れて去っていく登場人物が、あまりにも多いですからねー。 ヘリに巻き込まれた(しかも1回めで腕を失い2回目に)、なんて壮絶な死に方をした人もいましたっけ。

 アビーも今回、ルカからついに 「別れよう」 と切り出されてしまう。
 頑なさが人生に不幸を呼び寄せてくる、ということをしみじみ感じます。
 やはりアビーは、不幸になるしかないのでしょうか。
 彼女が苦悩し続けているところをこれでもかというほど見せつけられている身としては、やはり幸せになってもらいたいんですが。

 このドラマ、大量の登場人物が入れ替わり立ち替わり主役を演じていくので、見る側にも一定のスキルが必要です。
 日テレで去年放送されていた 「ギネ」 でも同様の手法が、試験的ですが試されていたような気がします。 でも視聴者の反応はいまひとつだった。
 ストーリーテラーとしての腕が、最大限に問われる物語なんですよ。
 その点では、アメリカという大国のクリエイターの幅をとても感じさせるドラマなのです。

 まだしばらく放送は続くのですが、この2番組とも安心して予約できる時間帯に、放送してほしいものです。 「24」 などは火曜日夜だったっけな? フジテレビの22時台のドラマと、やっぱりかぶるんですよね、延長されると。

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2010年7月21日 (水)

「天使のわけまえ」 第3回 気まずい食卓

 秋田から、くるみ(観月ありさサン)のおじいちゃん、大滝秀治サンが上京。

 このおじいちゃん、近頃ドラマではほとんど見たことがないくらいの頑固で元気でボージャクブジンで遠慮も何もなくて声が大きくてすぐにぶっ倒れちゃう(笑)という、まあなんと形容していいやら、まさに 「台風」 が来た!(笑)というほどの強烈キャラ。

 まさに今回は、このおじいちゃんによって大騒動が起こる、という、絵に描いたような展開だったわけですが。
 見終わる頃には、なんだか自然と涙が出てくるような、切なさと温かさに包まれたような気分になりました。

 こういう後味って、昔の石立鉄男サンの一連のドラマとか、西田敏行サンの 「池中玄太」 とか、日テレでやっていた人情もののドラマと共通している気がします。
 空間があるんですよ、こういうドラマって。
 その空間に、いつまでもいたいなあ、って思うような空気、とでも言うのかな。
 そこに行けば、そのドラマの登場人物がいて、いっしょに泣いたり怒ったり、笑ったりすることができる。
 別にお涙頂戴のドラマでもないのに、今回私が自然と泣けてしまったのは、そんな懐かしくて慕わしい空間を、このドラマから感じ取ったからかもしれないです。

 さてこのおじいちゃん、元気過ぎだけでなく、ハチャメチャに勘がよろしい(笑)。
 細川茂樹サンに逃げられて息子を押しつけられた、という事実を観月サンも息子の康太(野村周平クン)も巧みに口裏を合わせて隠すのですが、結局バレて観月サンが交通誘導員をやってる仕事先まで押しかけてしまう。
 そこで激昂しすぎてぶっ倒れてしまうのですが(笑)、そのとき見かけたイッセー尾形サンを、ちょっとしか見てないのに秋田の借金こさえて女房子供を残して15年前に逃げてしまった男だと気付くのです。 ジイサン鋭すぎ(笑)。

 観月サンは大滝サンから、イッセー尾形サンを 「首に縄をつけてでも連れてこい」 と厳命され(笑)、お昼時にイッセーサンにそのことを話すのですが。
 観月サンからあなたの娘サンが結婚することになった、と聞かされたイッセーサンは、観月サン手製の弁当を食べながら、外していたサングラスをやおらかけて、また黙々と食べ始める。
 涙を見られたくない、というベタな演出なのですが、イッセーサンの演技が、それを感じさせないんですよ。 つまり、泣いているように、わざと見せていない。 とても複雑な演技をしていると感じました。

 大滝サンはイッセーサンを迎えるために、周平クンときりたんぽ鍋を作るのですが、そのときのやりとりも、なかなか秀逸です。

 「聞けば聞くほど、下らねえ男だねえおめえの父ちゃんは…」
 「オレも、そう思います…」

 きりたんぽ用のごはんを黙々とすりつぶす、周平クン。
 見ている側は、すりつぶされていくごはんと、彼のやるせない気持ちが一体化しているように思えてくる。

 嫌がりながらも結局連れてこられたイッセーサン、きりたんぽ鍋を前にして、いきなり大滝サンから嵐のような罵倒にさらされます。
 続いてその矛先は、観月サンに飛び火。

 「その男がいつか戻ってくるとでも思ってんのか?! え?!」

 大滝サンに極度に追い詰められて泣き顔になり、絞り出すように観月サンの口から出てくるのは、「今はまだ、何も分かんないし…もしかして…彼だって、戻ってくるかもしれないし…」 というしどろもどろの言葉ばかり。

 あまりにも酷い叱言を言われ続けたせいでイッセーサンもついにブチ切れる。

 「中途半端してるわけでねえんだよ! 姉さんもなあ、いろいろと、悩んでんだぞう。
 オレだってそうだぁ。
 帰りてえ思いもあっけど、帰れねえこともあんだ!

 じいさんみたいにな、強ええ人間ばかりじゃねえんだよ世の中!
 自分のな、弱ーいところも、ウンザリするほどいっぱい見えんだ!」

 それを聞いていた周平クンは、自分の父親と同じようなこのオッサンに、「そんなこと言ってる間に、あんたが家に帰れよ!」 と激怒。

 イッセーサンやみんなで食べようと用意されたきりたんぽ鍋は、どんどん煮詰まっていくのです。

 この、怒りや悲しみが交差していく食卓の下で、食べ物だけが放っておかれ、作った人の気持ちや、ほかならぬ食材が、ないがしろにされて食べられないものになっていく。

 なんて悲しいんでしょう。
 このいたたまれぬ食卓の演出は、正直言って凄すぎです。
 そして観月サン、イッセーサン、大滝サン、そして周平クンに至るまでの激しい演技の応酬。
 正直、このドラマでここまでのものを見ることになるとは、考えもしませんでした。

 この騒動のあと、血圧の薬を持って行った周平クンに、大滝サンは観月サンの幼い頃のことを話します。
 母親に逃げられても、いくら言って聞かせてもあきらめなかった観月サン。

 「そういう女なんだ、あいつは…。
 だからいいんだ、あのくらい言わねえと。
 …あのくらい、言ってやらねえと」

 その話を遠くから見ていた観月サンのもとに、秋田のおばさんから連絡が入り、大滝サンが家出したのだ、ということを観月サンは知る。

 そんな観月サンは大滝サンと一緒に、おはぎを作るのです。

 「おじいちゃんが病気になったら、私困るから」

 「人間誰だって死ぬ時は死ぬんだ。
 死んだらパー、それでいいんだ」

 「またそういうこと言ってぇ。
 長生きしてくれなきゃ、私やだから」

 「…おめえ、そのろくでなしの、どこに惚れたんだ?」

 「分からない。 いなくなって、考えれば考えるほど、分かんなくなっちゃった。 私、ホントにあの人のこと、好きだったのかなって」

 「好きに決まってるべ。
 そうでなきゃ、康太をここにおいてやったりするか。
 いつか…戻ってくると思ってんだべ?」

 「分かんない」

 「ゆんべおめえ泣いたでねか子供みたいに。
 そんなに泣きたきゃ泣け。
 その代わりだ。
 待つなら、待つと決めろ。
 おら中途半端は大っきらいなんだ」

 そして、おじいちゃんとの食卓に並ぶお惣菜を作る映像にかぶりながら、河口恭吾サンの、このドラマの主題歌が流れるのです。
 いい歌なんですよ、これが。
 なんか自然と涙が出てきたのは、このシーンでした。
 別に涙が出る所じゃないんですけどね。

 「私のお料理って、おいしい?」

 「おめえの料理はうめえ、ばあさんの味そっくりだ」

 家出をしたおじいちゃんも、死んだ女房の味が恋しくて、くるみのもとを訪ねたのかる知れない…そんなことをふと、考えたりしました。 ここでも涙が自然と…。 なんなんですかね。 悲しいシーンじゃないのに。

 こんな気持ちを感じるのは、冒頭に述べたような 「慕わしい空間」 というものの持つ力なのではないかな、なんてふと考えたりするのです。
 そしてその空間の中心には、やはり懐かしさを感じる、おかずの数々がある。

 それにしても大滝サン、やはりあなたはすごい演技人だ。
 もう、やられっぱなしでした、今回は。

 イッセーサンの演技にも、かなり参ってます。

 そして康太を演じる野村周平クン、ちょっと気になる存在ですね。
 金八先生に出てきた頃のマッチこと近藤真彦クンと、Kinki Kidsの堂本光一クンを足して2で割ったようなジャニーズ系の顔をしておりますが、演技力は確かな気がします。

 それにしても、見終わったあと気持ちが優しくなるドラマです。 5回じゃ短いっスね。

 あーでもしつこいですけど、河口恭吾サンの主題歌、いいんだよなー。

当ブログ 「天使のわけまえ」 に関するほかの記事

第1回 手作りの料理が幸せを運ぶ
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/1-32da.html
第2回 さりげなさに包まれたドラマhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/2-061f.html
第4回 逃げる人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/4-0f49.html

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2010年7月18日 (日)

「龍馬伝」 第29回 無謀に開始される、龍馬の闘い

 新シーズン開始時恒例の、明治15年の岩崎弥太郎(香川照之サン)の回想場面。
 弥太郎は灸治を受けています。
 坂本龍馬(福山雅治サン)の話をする弥太郎に、それまで灸治をしていた女性が敏感に反応する。

 なんとその女性、千葉佐那(貫地谷しほりチャン)。 そう言えば、冒頭にリキシャが停まっていたこの治療所前の看板に、「千葉灸治院」 と書かれていました。
 千葉道場が兄の代でたたまれてしまったことなどを語る佐那でしたが、「龍馬の人が変わった」 という弥太郎の話と同時に、千葉道場のその後を突き合わせて俎上に乗せるというこの演出方法は見事。 見ている側はこれで、第二部とは全く別の方向に物語が行ってしまうようなトリップ感を味わえるからです。

 しかも弥太郎の龍馬に関する話を熱心に聞きたがる佐那の切ない恋心も一瞬でそこに盛り込まれ、最後には 「熱っ、熱ううう~~っ!」 という弥太郎の断末魔の叫びで笑わせることも怠らない(笑)。
 そしてタイトルバックの龍馬は、弥太郎のその言葉を裏付けるかのような、それまでになかった厳しい顔をしている。
 第三部への期待が、また否応に高まるのです。

 事実、この回からの 「龍馬伝」 は、先週までの登場人物がすっかり様変わりをし、別な話が始まったことを実感させます。
 その中で変わらないのは、龍馬を取り巻く長次郎(大泉洋サン)沢村惣之丞(要潤サン)など、のちの亀山社中の構成員たち。

 もと海軍操練所の連中を引き連れて、龍馬は自分たちにできることを、ずっと模索している。
 龍馬が頼みにしているのは、自分たちの操船術を買ってくれている、西郷吉之助(高橋克実サン)。 「強く叩けば強く響く」、と考えていた龍馬は、西郷に引き連れられてやってきた長崎で、さっそく西郷を、強く叩きにかかるのです。
 つまり龍馬は西郷に、幕府のもとにある古い社会システムを変えたらどうだ、とチョー過激なことを提案するのですが、またソデにされる。
 けれども、これは龍馬が西郷という人間を試そうとする揺さぶりという意味もあり、自分がどこまで忌憚のないタメ口を社会に対して発信することができるのか、という挑戦でもある。

 西郷のもとで働くことを拒絶した龍馬は次に、長崎でイギリス商人グラバーと会見し、自分らに蒸気船を貸してくれ、と頼み込む。
 これも、よく考えればとても無謀なことのように思える。
 しかし、龍馬は最初から、自分らの能力を外に向かって誇示し、その対象がどのような響きかたをするかを、見極めているのです。

 この龍馬の無謀な手の打ちかたは、せっかく積み上げてきた自分の人生に自信が持てず、どうしたらいいのか分からない引っ込み思案の自分にとっては、大いに勉強になる生き方であります。

 グラバーがちょろっと口にした丸山という言葉をキーワードに、丸山の料亭にやってきた龍馬たち一行は、そこで高杉晋作(伊勢谷友介サン)ら長州藩士と出会います。
 この出会いの方法も、かなりゴーイン(笑)。
 つまりですね、龍馬はかなりゴーインなことを、この長崎でし続けとるわけですよ。

 再三指摘しておるのですが、このドラマにおける龍馬には、「日本を異国から守ろう」、という考えが頭の中心にある。
 そのためには、日本人同士が争っている場合ではなく、日本の国力を上げなければ、と考えているのです。
 龍馬が薩摩と長州の両方に接近している、というのは、当時の日本でいちばんの紛争の種を孕んでいたのがこの両藩だったからなのではないでしょうか。
 龍馬は、そこに土足でずかずかと入り込んで、「おまんら、ケンカしとる場合かえ?」 と双方をなだめ、自分たちの海軍操練所時代のスキルをそこで生かそうとしている。 冒頭に岩崎弥太郎が激怒した通り、それは状況をひっかきまわして周りを振り回し続けたことかもしれない。 しかしそれこそが、龍馬の残してきた爪痕になっていったのではないでしょうか。

 このドラマでは同時に、龍馬が 「人たらし」 であったことが、ことさら強調されている気がする。

 けれどもそれは、実は表面的なことにすぎないんですよ。

 おちゃらけた龍馬がへらへらしながらワンパターンの演技をしている、などというとらえ方は、実は福山龍馬の表層しか理解できない恐れを、多分に含んでいるのです。
 なんで龍馬は、「人たらし」 と呼ばれたのでしょうか。
 それは、誰もが血走った眼をしてこの国のありかたを模索しているときに、「仲良くやろう」 と人と人とを結びつける役を一手に引き受けていたからなのではないでしょうか。
 そんな龍馬の態度は、真剣に攘夷や討幕を考えていた人々にとっては、あまりにへらへらした態度に見えたのではないでしょうか。

 今回も、武市の死の影を全く引きずっていない龍馬の明るさを、話がつながっていないとか毎回心理状態が違うとか、そんなふうに考えていては、この 「龍馬伝」 における福山龍馬の悲しみを感じることは不可能です。
 少なくとも、前回までの龍馬にはあまり感じられなかった 「無謀さ」(武市に会いに行ったのは別として…笑)がどこから生じているのかに、見ている側は目を向けるべきなのです。
 このドラマの上では、その龍馬の無謀さは、武市が切腹したことへの、古い日本の社会体質に対する 「怒り」、であると私は感じます。
 そしてその喪失感が、「自分に失うものは何もない」、という開き直りを増幅させている。

 結局、その無謀さゆえに、龍馬は自らの生命にかかわるような怨念を、ある種の人々から受けていくようになっていく。
 少なくとも先週までの龍馬という人物には、誰も彼に対してのちに暗殺されるほどの重要性を感じなかったでしょう。
 けれども今週の龍馬には、暗殺される必然性が、生まれつつある。

 高杉たち長州藩士は、この長崎に出入りすることを禁じられていたのですが、同じ料亭に居合わせていた薩摩藩士に発見される。
 薩摩と長州は、文字通り犬猿の仲。 高杉たちとゴーインな会見をしていた龍馬たち一行の前に、いきり立った薩摩藩士がなだれ込んでくる。
 一触即発の事態に突入した時、龍馬はありったけの情熱を持って、仲たがいすることの愚かさを叫ぶ。
 ここで龍馬は、完全なる部外者です。
 その彼が、無謀で強引な仲介者になろうとしている。
 けれども、龍馬の行動には、何の後ろ盾もない。
 そんなゼロの人間がここまでトラブルに首を突っ込もうとしていることの気概に、見る側は感動するのです。

 同じころ、商人仲間と語り合うグラバーは、イギリス軍が日本を攻撃する計画があることを打ち明け、日本は一日で降伏する、この国はもうおしまいだ、ということを得々としゃべっている。 そんな危機感を持っている人間など、この日本にはひとりもいない、ということも。

 ドラマの組み立て方からして、いや、ひとりは少なくとも確実にいる、それは坂本龍馬だ、という持っていき方なのですが、こうした構成の仕方は、シビレますなあ。 ドラマを見て感じる高揚感は、こういうところから生まれてくるものなのです。

 なにしろ、ついに話が大きく転回し出した、という感を強く持った、第三部の開始であります。

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「鉄の骨」 第3回 仲間意識に麻痺していく小池徹平クン

 怪文書騒動に引き続いて、ダークホースの台頭による逆転の憂き目に遭い、2回連続で建設工事受注の落札を逃した、小池徹平クンの勤める一谷組。 どうやらそこには、一谷組と真屋建設の合併を画策し、ゼネコンの数を減らして外部の批判を免れようとする、建設業界ナンバーワン企業、山関組の顧問中村敦夫サンと政界の北村総一朗サンの思惑が働いているらしい。
 けれどもこのこと自体に、当の真屋建設営業部長である長岡(志賀廣太郎サン)は、あまり乗り気ではない様子です。 ひとり釣堀でたそがれております(笑)。

 一谷組の、小池徹平クン直属の上司である常務の陣内孝則サンは、窮余の策として、次回の工事落札において、談合組織を抜けることを山関組の営業部長で談合組織のボス、金田明夫サンに通達。 これまでふてぶてしく動き回っていた金田サン、慌てふためいております(笑)。

 ここらへんの構図を見ていて面白いのは、力関係によって貶められたり、威張っていられたりするのも、すべて談合、という閉鎖的な枠組みの中にいるから出来ることである、ということ。 いったんこの枠を外れてしまえば、純然たる競争相手となってしまうことは自明の理なのです。

 そっちのほうがよほど健全に思えたりするのですが、小池徹平クンにはその部分が、次第に見えなくなってきている。
 それは、前回のように、下請け企業が家族同然なのだ、という価値観を実感していくことから始まって、真野建設の長岡の真摯な姿勢を見たりしていくことによって、談合は善か悪かで判断できるものではない、という考えが固まってきているからです。

 一谷組の談合組織離脱通達を受けて急遽招集された、談合組織の会合。

 その席で長岡は、自分のモヤモヤした気持ちを、こうぶちまけます。

 「私は、おかしくなった今の形を、元に戻したいだけです。
 それに、過去2回の調整失敗の責任は、私にもあるわけです。
 だから、次から、きちんとやりたいと思ってるんです。
 私は、公共事業が減っているこういう時だからこそ、我々が今まで以上に強く団結しなければ、と考えています。
 結束して、手を携えて、すべての会社が共存していけるよう、仕事を回していかなければならないと、強く思う」

 そう言って、長岡は金田サンに変わって談合組織のボスに就任することを名乗り出る。
 実情を知らされていなかった談合グループのほかの会社は、長岡を新たなボスにすることに同意、場面変わって次の工事の受注についての激しい議論へと発展する。

 それは確かに、これまでたらいまわしのお約束のもとに隠蔽されてきた、各社それぞれの思惑が対立した、「健全な議論」 なのに違いないのですが、そこにはひとつの落とし穴がある。

 それは談合組織の仲間内だけの利益にしかならない、という点です。

 小池クンは、仲間意識の観点で目が曇らされ、自分たちの会社以外にも入札に参加し競合したい会社がたくさんあることを、忘れているのです。

 母親の松田美由紀サンから、現場で死んだ自分の父親と中村敦夫サンとの浅からぬ因縁と、長年にわたる送金を知った小池クンは、今回の陰謀に深く関わっていることに薄々気づきながらも、中村サンに会いに行き、深々と頭を下げる。
 そこに現れた陣内サンと中村サンとの会話を盗み聞きして事情をすべて悟った小池クンは、この先自分はどうすればいいのか、中村邸を出てきた陣内サンに尋ねるのですが、「自分で決めろ」 と言われ、陣内サンにこう激白します。

 「ぼくはこのまま営業で、地下鉄の落札まで見届けたいです!
 一筋縄でいかない仕事には、一筋縄でいかないやりかたが必要だと思いました!」

 どこまでもまっすぐな気持ちが、かえって清々しくさえもある。
 NHKがどうしてアイドル的な人気のある小池クンをこの役に据えたのか、なんだか分かる気がしてきました。
 けがれのない、まっすぐなイメージの人でしか、このドラマの主人公は演じることができないんですよ。
 だからこそ、そのまっすぐな気持ちが見渡すことのできない、もっと大きな視点が存在していることを、見ている側は徐々に気付かされる構造になっているのかも知れません。

 事態はけれども、談合組織を構成している、営業部長クラスの人々のはるか上、政界と会社トップレベルで、頭越しに話が決まっていく。
 北村総一朗サンのツルの一声で、一谷組社長の笹野高史サンも合併話に屈服、真屋建設の長岡は、やおら持ち上がった支店の談合疑惑強制調査によって、事実上更迭状態。 「ほうぼうに飛び火しなけりゃいいが…」 と、強制捜査のニュースを見る秋野太作サンはつぶやくのです。 窓際族のような感じなのですが、ナニモンなんだ、この人?(笑)

 それにしても秋野太作サン、すっかり白髪になってしまったんですねえ。 「男はつらいよ」 のセミレギュラーっぽい役がメジャー的には最初のようですが、私にとっては 「俺たちの旅」 のグズ六。
 当時の芸名は津坂まさあきサンとおっしゃいました。 最近見てないけれど 「踊るさんま御殿」 で特異なキャラを全開にしていましたよね。 なんか、息の長い役者サンにおなりになった気がします。

 次回は談合調査が進んで、守秘義務ということに光が当てられそうです。 小池クンも、どんどん汚れていきますよねぇ~。 …どうにもイジワルな興味だ(笑)。

当ブログ 「鉄の骨」 に関するほかの記事

第1回 建設業界って、こんな魑魅魍魎?
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/1-a472.html
第2回 結局下が一番損をするhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/2-d7b7.html

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2010年7月17日 (土)

「恋のから騒ぎ」 マツコ・デラックスサン登場でメンバーに変化はあるか?

 「恋から」 7月16日ゲストは、マツコ・デラックスサン。
 噂には聞いていましたが、じっくり見るのは初めてでした。

 や、スッゴイ迫力ですね、この人(笑)。
 から騒ぎのメンバーも圧倒されていたみたいですが、確かに圧倒されるわ、この巨漢体形だと。 半径1メートル範囲内に、強烈なオーラ(湿気?)を発散させている感じがいたします。 一度生で見てみたいものですね。 って見世物じゃないか(笑)。 でも番組のなかで、「駒沢公園の近くの神戸屋」 とか話していたので、世田谷区が行動半径内に入っているようではありますネ。 もしかしたら出会うかもしれません。

 それに、やはり話題になるだけあって、話がとても面白い。
 今期の 「から騒ぎ」 で、私初めて爆笑いたしました。 メンバーもそれにつられていい味出してきたようにも感じました。 やっぱり、面白い面を引き出されるきっかけ、というものはあるんだな、という感じがします。

 マツコサン、だいたい、登場の仕方からして異例。
 「昔階段ですっ転んでから階段を降りられない」 という理由で、スタジオ後方の黒幕から黒い服装で登場。
 「黒幕の前をこの服で歩かないほうがいい…顔だけが出てきたと思うから」 とさんまサン、的確なツッコミです(笑)。

 「女は太っていたほうがいい」 とか言って実際は違う、という話になり、「オレも太ったほうがいいよって言ってんねけどなぁ…えー…」 とさんまサン、マツコサンのほうを向いて、しばし無言(笑)。 にらむマツコサン(笑)。 「松竹新喜劇か! テレビでどんだけ無言で間ぁとんねん!」 のさんまサンのツッコミ、大爆笑しました。

 そんななか、今回入ってきた新人の山本裕貴チャン(24歳大学3年生…別にこーゆー情報はいいか…)が、カワイイ顔をしてるのに不倫をしていて奥さんと修羅場になった、という話で盛り上がり、マツコサンから 「アンタよっぽど気合い入れ直さないとダメ、そういうのが好きなタイプよ。 30までに足を洗わないと。 30超える時に不倫している女は一生不倫するよ」 と、ちょっとこちらがギクッとするようなことをおっしゃる。 なんか、説得力あるなあ。

 山本サン、今の彼氏も不倫なのかと訊かれ、「秘密…」 と言いながら、どうやら図星の様子。 「アドバイスしたれ」 と言われた女の子が、結構真顔で山本サンに 「本気なの?」(笑)。 「お前は誰や!」 とさんまサンも突っ込む突っ込む。 山本サン、結局初登場で説教部屋へ。

 このコ、上目遣いが印象的で、結構男を見つめて虜にしてるな、というタイプに見受けられます。 「全部年上しかアカンの?」「年上大好き…」「いくつまで行けんのそしたら?」「エヘッ…ごじゅう…五くらいまでは」「ギリギリや!」(笑)。

 「さんまサンいくつですか?」「オレ55や」「そうなんですか知らなかったですぅ」「ウソ言うなアホッ!」

 どうですかね、このやり取り。 どう思います?
 やっぱりさんまサンの言う通り、「オレの歳を知らなかったなんてウソや!」 という感じに、どうしても見えますよね(笑)。 こんなカワイイ顔して、ずいぶん計算してるよーな感じが…(笑)。

 それにしてもですよ。

 今期に入ってから、ヤケに盛り上がらない 「から騒ぎ」 なのですが、だいぶこなれてきた感じはしてまいりましたね。 個人的には、前列のデカイ女とか、村長サンに注目しています。 それでも、やはりインパクトはイマイチ。
 再三指摘しているのですが、つまらない最大の原因は、メンバーに番組を盛り上げようという積極性が、あまり見られないこと。 自分を捨ててない。
 それに、なんか今期のメンバーって、ケバすぎじゃないですかね? 以前にも増して、キャバクラに行っているような錯覚を覚えます。 それも感情移入しにくい原因です、個人的には。

 厳しい言いかたで申し訳ありませんが、メンバーには 「から騒ぎ」 に出て全国に恥をさらすという覚悟というものを、もっと見せてほしいものなのであります。

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「うぬぼれ刑事」 第2回 蒼井優チャン、こんな演技も出来るんですね

 展開が第1回とほとんど同じで(笑)、特に新たな感想など必要ないと思われた、「うぬぼれ刑事」 なのですが。

 蒼井優チャンの演技には、ちょっとばかりですが戦慄いたしました。 正直なところ、彼女の演技は映画 「フラガール」 しか見たことがなかったのですが、イメージ的には実に純朴な少女。
 顔が、フツーすぎるんですよ(失礼…)。
 その彼女が、「フラガール」 では私の故郷福島弁をしゃべるもんですから、「屈折することなく育った田舎娘」、という刷り込みが、完全に行なわれたわけです(笑)。
 今回はその福島つながり?でうぬぼれ(長瀬智也クン)の父西田敏行サンとも絡んでましたが、彼女自身は九州出身らしくて。 なんとも、「田舎娘」 イメージ戦略がある気がしてならない、というか(笑)。

 ところがこの彼女、とんでもない詐欺師。

 そのマッサージの腕にまずうぬぼれクンがやられ、ほかのうぬぼれ4の面々が次々とやられてしまうさまは笑えます。 それで坂東三津五郎サンが行ったら、彼女マッサージ師をやめたって(笑)。

 捜査の相当初期段階から、うぬぼれクンには優チャンが犯人だという目星がついているのに、この話を作り手はそーとー引っ張ります(笑)。 うぬぼれクンは、父西田敏行サンが書いた小説 「うぬぼれ刑事」 の主役に抜擢された中村梅雀サンが現場に差し入れたおにぎりから、優チャンの手の感触を思い出して優チャンの新しい職場を発見するなど、まさに犬以上の嗅覚。

 それにしても余談ですが、中村梅雀サンの 「梅雀」 ってイントネーション、皆さん間違ってるんですよねえ(笑)。

 「いじゃく」 じゃなくって 「ばいじゃく」 なんですけど(太字が強調する部分です)。 ご本人がラジオでおっしゃってました。

 それはともかく、先週と全くおんなじ展開のまま(これってある意味すごいっス)、断崖絶壁に追い詰められた蒼井優チャン、それまでの純朴少女の仮面を一転して脱ぎ捨て、悪女に変身する瞬間は、お約束とは言え見ごたえじゅうぶんでした。

 「カネよ。
 カネが好きで好きで好きで好きでたまんないの!
 働いて稼いだカネも、男からだまし取ったカネもカネはカネ。
 カネに変わりはないでしょう?
 ぁ盗んだカネでジュースは買えない?
 買えるでしょう?
 自分のカネでも、他人のカネでも、ジュースの味は一緒でしょ?」

 彼女は自分がカネでしか人と関われない人間であることを、非常にワルぶりながらとうとうと語るのですが、彼女の仕込んだ睡眠導入剤入りのコーヒーを飲んでしまっていた長瀬クンはグーグー大きなイビキをかいて寝ていて、…話聞いてないっつーの!(笑)

 結局 「こんな純粋な人を不幸にしたくない」 という理由で、「オレと結婚する代わりに罪を見逃す」 という長瀬クンのプロポーズを断り(先週と全く同じ)、彼女は逮捕されてしまうのです。
 これって理由付けとしては弱い気もするのですが、私は彼女が 「癒しの手」 を持っていた、という要因から、彼女が人として相手を癒してあげたい、という気持ちが残っていた証しだととらえたいですね。

 それにしても女性が豹変するのって、なんかセクシーなものを感じるのですが、これって変ですかね?

 同じような感覚だと思うんですが、今回初めて出てきた、うぬぼれ5が集うバーのママ(森下愛子サン)、セリフがひとっ言もない癖に、ヤケに情緒不安定な筆談女を見事に演じているんですよ(筆談女って…)。 こんな取りつく島もないキャラの女性を口説いてみたい、と考えるのは、…やっぱりヘンですね(笑)。 このママの筆談が、ドッカンドッカンの爆笑もので(笑)。 ぶっといマジックで書いてるのがまた笑える。

 それにしても、エラく気軽に笑えるドラマですね、これ。 肩の力を抜いて笑わせ続けてもらってます。 なにも考えないで見るには最適のコメディドラマですよネ。

当ブログ 「うぬぼれ刑事」 に関するほかの記事
第1回 初クドカン体験ですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/1-2f65.html

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「ゲゲゲの女房」 第16週 性急に見える成功、ですが…

 「ゲゲゲの女房」 今週はついに茂(向井理クン)が成功するに至るのですが、これまでのあまりにも執拗なビンボー描写を見せつけられていた身としては、もうちょっとゆっくりゆっくり、成功に至るまでの段階を見てみたかった気もします。

 けれども考えてみれば、この物語も残すところあと2ヶ月半…げっ!げっ!2ヶ月半しかないのです。 ゲゲゲのゲー(笑)。 ウソーっ。 さびしいです(先回りしすぎ?…笑)。
 まあ、子供たちが夏休みに入る直前に茂を成功させておいたほうが、次世代に水木マンガの舞台裏を啓蒙させるいい機会にはなるのでしょう。 …どうも余計なことを考え過ぎですね(笑)。

 週刊少年ランド(言うまでもなく、少年マガジンのことですネ)の豊川(眞島秀和サン)、いったん茂に断られた雑誌掲載の依頼を再びするために、蒸し暑い日に村井家へとやってくるのですが、そのとき布美枝(松下奈緒サン)から水道の水を頂いて、「すいません駅から遠くて」 と言われ、「そうですね!」 と実に正直に話す(笑)。

 のっけから重箱の隅をつつくみたいでナンですが、このなにげないシーンが今週のこのドラマに、さまざまな枝葉をつけて引き継がれている。

 浦木(杉浦太陽クン)がやはり布美枝から水をもらって、「サイダーとかないのか」 みたいに憎々しげに話したり、依然として冷蔵庫も置いていない村井家のビンボー状態を再確認させる話に発展していましたし、「駅から遠い」 という話は、村井家に電話が引かれる話(ラーメン屋と間違えて次々電話がかかってくるエピソードは結構ベタでしたが、かなり笑えました)の実にさりげない伏線となっている。

 もうこんな細かいことはどうでもいいくらいに、このドラマにはちゃんとした前準備というものがそこらじゅうにちりばめられているので、今更褒める筋合いのものでもないのでしょうが、やはり作りが丁寧なことには変わりがありません。 脱帽したまんま(笑)、です。

 そして今回もうひとつ、どうでもいいことなのですが、個人的にツボだったのが、「カネコ」 のホームクレンザー(笑)。 布美枝が使う台所に、ひっそりと置いてありました。 「カネヨ」、ですよね(笑)。 そういえば私が子供の頃、ありましたよ。 今もありますけどね。 ドラマに出ていたものは黄色っぽいパックでしたけど、実際は確か青だったような…。 でも、奥さんが洗いものをしているパッケージの絵はだいぶ似ちょりました。 懐かしかったです。

 話は戻って、豊川サン、茂に 「題材はなんでもいいから、テレビより面白いものを描いてもらいたい」、というかなり大雑把に思える提案をするのです。
 この提案の意味は戌井(梶原善サン)が丁寧に解説。

 「向こうも、勝負を挑んできたわけだ。
 縛りがない、自由に考えていいっていうのは、楽なようでいて、実は、いちばん厳しい注文なんですよ。
 ホントの力が試される。
 言い訳は、一切通らない」

 この注文は、これまで貸本マンガや深沢(村上弘明サン)の出してきた注文とは、内容的にかなり趣を異にしています。
 貸本マンガの注文のカギは、とにかく読者受けするようなもの。 「ゼタ」 の注文は、ともかく深沢の理念に沿った志を重視するもの。 戌井の場合は、茂に惚れ込んでいるだけあって、茂のいちばんの傑作を出したい、という理想によって注文が決められていたような気がします。

 それに対して豊川の注文は、新しいマンガの潮流、原石を模索するかのごとき注文です。
 でも実は、そこには大手出版社の傲慢さも、同時に見え隠れしているような気がする。
 自分たち一流の会社の言うことを一介の貸本マンガ家に断られたために、「だったらこれでやってみろや!」 みたいな挑戦状です。 そんな側面も戌井は指摘している気がします。
 この傲慢さ(ちょっと厳しい言いかたですが)は、最初に 「宇宙ものを描いてくれ」 と茂に依頼してきた態度にも、ちょっと感じられる。

 茂は依頼に対して 「テレビより面白いものを描くには、テレビとはどんなものかを知っておく必要がある」 と、有り金はたいてテレビの質流れ品を買ってくるのです。 そしてそのテレビを一日中見ていることになる。 「敵を知らずして、敵に勝つことはできない」、なるほど、もっともらしい理屈なのですが(笑)、あと先のことをまるで考えていない(笑)。 ここらへん、浦木に的確に突っ込まれてましたよね。 さすが水木サンだ、と思われるエピソードなのですが。

 余談ですが、「アンテナどーすんだ?」 などと思いながら見ていたら、室内アンテナがついてたんですね、取り越し苦労(笑)。 しかしそれだと、画像はかなり汚かったでしょうね(笑)。

 なにしろそのテレビに初めて映ったのが 「ブーフーウー」。 見てましたよ、幼児のころ(笑)。 夜に茂が見ていたのが、「夢であいましょう」。
 さてこのふたつの番組の共通項。
 黒柳徹子サンですよ。 両方の番組に出てました。 改めてすごいかただと感嘆します。
 さすがにNHKの番組ばかり出てきましたが(笑)、これだと話が進まない(笑)。 民放のラーメンのCMを見ることで、茂は 「テレビくん」 の発想を得るのです。 暗がりでテレビをぼーっと見続ける茂、映画 「ポルターガイスト」 を思い出しました(飛躍しすぎ…)。

 藍子チャンがテレビに触ろうとして、「真空管が爆発するぞ!」 とたしなめていた茂には笑いましたが、実はこれも、「テレビくん」 発想のもとになっている。 テレビの中のものに触れたがる子供の気持ちですね。 布美枝の感想も、しっかり一助となっています。

 今週の 「ゲゲゲ」 を見ていて印象的だったのは、なんとか茂の力になってあげたい布美枝の戸惑い、そして一見無駄かもしれない努力の数々でした。
 夫が低迷しているときは、同じ地平に立って一緒に頑張ることだけは妻にはできる。
 けれどいったん夫が羽ばたきをはじめ、大手の会社の無理難題をクリアしようと離陸を始めた時、妻はただ陰で支えるしかできなくなってくる。 そこらへんの孤独感と、自分にできることだけをやっていこう、という布美枝の気持ちは、かなり丁寧に描かれていた気がします。
 その努力が実を結んだのが、布美枝が古本をかき集めて 「テレビ」 に関する資料を切り抜いて茂に見せた時でしたね。 でもやはり、それまでの二人三脚と同じ、というわけには、今後いかなくなってくるような気がするのです。

 そしてもうひとつ印象的だったのが、マンガに賭ける当時の人々の熱い思いでした。

 テレビくんのキャラが怖すぎる、と何枚も何枚も試行錯誤を続ける茂。

 「鬼太郎」 の読者投票最下位が続いても、「安パイだけ切ってたら、ここから先にはいけないぞ。 いいか、少年マンガはこうでなきゃならんというつまらん常識はもう捨てろ! 常識を破って進め! 俺たちは、常識はずれの数字を打ち立てるんだ!」 と檄を飛ばす、豊川。 「オレが鬼太郎を信じなくてどうする…」 と自分を信じて描き進める、茂。

 秘書の加納郁子(桜田聖子サン)から 「社長の育ててきたマンガ家が、大手に横取りされるみたいで」 と言われ、「たくさんの人に読んでもらえるなら、いいじゃないか。 優先すべきは、いいマンガを世に出すことだ」 と言い切る深沢。

 そして、茂の漫画賞受賞を、まるでわがことのように喜ぶ、戌井。

 そう、茂はついに、講談社…じゃなかった、雄玄社漫画賞を受賞することになったのです。

 その話と前後して、茂は質屋に預けていた質草をすべて回収するに至ります。
 大量に質札の束を、まるでトランプカードのように広げる茂。
 勉強しまっせ引っ越しのサカイサン…じゃなかった(笑)質屋の主人(徳井優サン)も、「んなにぃぃ~~~っ!?」(笑)。

 そして質草のなかから、布美枝の嫁入り道具だった着物が出て来た時は、知らずに涙が出てきました。 長い、長い、トンネルでしたね。 それにしても冒頭でもちょっこし触れましたが、展開が急すぎる…。

 それから茂の漫画賞が決まり、故郷の大杉漣サンや古手川祐子サン、竹下景子サンや風間杜夫サンが大喜びするシーンも、そんなに大げさなお涙頂戴シーンではなかったのに、やはり知らず知らずのうちに、泣けました。

 やはり、茂のマンガの良さを、まわりのみんなが信じていたからこそ、ここまで待つことができたのです。

 そしてほかの誰よりも、茂のマンガの良さを信じて疑わなかったのが、布美枝でした。
 「うちの人は、本物のマンガ家ですけん!」、と源兵衛に言い切ったシーン。
 「マンガ家、やめるか…」 と茂がつぶやいたシーン。
 そのプレイバックは、こちらを泣かせるにじゅうぶんな、的確なシーンでした。

 そのプレイバックに流された、「まっ暗い迷路の中を走っとるようだった…」 というシーン。

 夢を追いかけている人々は、みんながみんな、こんなまっ暗い迷路をさまよっている。

 自分もその中のひとりかな。

 現実に水木サンは成功したわけだけれども、自分はいったいいつなのかな…などという感慨も持ってしまった、今週の 「ゲゲゲ」 なのであります。

 蛇足になりますが、今週目を引いたもうひとつの側面。
 やたらと東映アニメーションが、仕事しておりましたね(笑)。 テレビくんが布美枝の目の前で、実際にテレビに入ってしまったり、いったんもめんの新バージョンもありました(笑)。
 と同時に、遂に退散を余儀なくされたビンボー神(片桐仁サン)が茂と布美枝の両方に見える、というところ。
 とてもリアリティに満ちたこのドラマが時折見せる、非現実的なスパイスのような気がするのです。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第9週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html
第12週 冷たい風に吹かれてhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/12-2a16.html
第13週 自分のいるべき場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/13-f9bf.html
第14週 自分の名前と自分の存在http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/14-30e2.html
第15週 夢をあきらめないで… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/15-19ee.html

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2010年7月14日 (水)

「天使のわけまえ」 第2回 さりげなさに包まれたドラマ

 NHKの火曜10ドラマ 「天使のわけまえ」 について先週の第1回に引き続き感想を書こうと思ったのですが、感じることはほぼ先週と同じで(笑)。

 つまり、いかにストーリーが変わろうが、作品のコアとなる部分に、まったくぶれが感じられないんですよ。

 その中心部分とは、「おいしい料理は、人を幸せにする。 おいしい料理を作れる人は、そのうちなんとかなる(アバウトだなあ)」。 観月サンの手作り弁当が食べられなかった日、工事現場の男どもはケンカをしてましたよね(笑)。 おいしいもので、人は仲良くもなれるのです。

 ドラマの仕立て自体としては、結構先の読める展開。
 観月ありさサンの作った太巻きが食べたいと娘にせがまれたともさかりえサンが観月サンにそれを作ってくれと頼むところ、セレブのともさかサンがつんけんしながらそれを学ぶ展開、ともさかサンのカネでは解決できない悩み、ともさかサンの娘が切った太巻きではなく、恵方巻きみたいにそのままガブリとかぶりつくタイプの太巻きが食べたかったところなど、枚挙にいとまのないほど(笑)ベタな展開が続くのです。

 けれども、ドラマの見かたとしては、先を読みながら見る、というのは正しくない(僭越ですが)。 どうしても見くびって見るようになってしまうからです。

 このベタな展開をフォローしているのが、手を伸ばして食べたくなるくらいの、観月サンの作った料理の数々であることは論を待たないのですが、私が感じるこのドラマの魅力は、そのセリフのいちいちが、比較的笑えるものばかりだ、ということ。

 それが特に顕著なのが、観月サンと派遣仲間の西原亜紀サンとの会話。

 ガレッジセールで小銭稼ぎを提案する西原亜希サンに観月サン、「てことはみきちゃんまだ仕事見つからないんだー、…あたしより若いのに」 とポツリと言う(笑)。
 西原サンはとてもさわやかな顔で(笑)「よくそーゆーイヤミな切り返し、できますよね?」 と返すのですが、観月サンも負けじとさわやかな顔で 「なーんかみきちゃんだと、言えるのよね」(笑)。 西原サン、ジトーッ…(笑)。 「ぼくの妹」 でもはっちゃけた看護婦さんをやっていましたが、西原サンて、性格も明るそうな感じがして好きです。

 交通整備員仲間のイッセー尾形サンのセリフも、いちいち面白い。 何か相当アドリブが入っている気がします。 「うっせーなオメ」(笑)とか。
 「休憩時間だからメシ食ってただけだかんな、休憩時間で飯食うってのは人間の…」 とまくし立てようとしてともさかサンに遮られていましたが、後半部分はアドリブじゃないのかなあ、「人間の基本的権利」 とか言いたかったんじゃないでしょうか(笑)。

 これらの笑わせる要素が、笑わせようとしてオオゲサに作っていないところが、実にいいのです。
 なんか皆さん、とても抑えた演技をしている。
 特に私は観月サンの演技、これまでじっくりとは全く見たことがないのですが、「ナースのお仕事」 とかちょろっと見た限りでものを言わせてもらえば、「天使のわけまえ」 の観月サンの演技は、すごく押さえている気がするのです。
 「このドラマの真の主役は料理」 と先週書きましたが、この分かりやす過ぎる展開を支えているのは、いちいち可笑しいセリフやそぶりにある、そんな気がするのです。 だからこそ見続けようという気になる。

 そしてドラマの端々に、軽い感じで共感できるセリフも、同時にちりばめられている。

 「どうしてだろうね…生きてると、どうしようもないことって、結構あるよね…いっしょうけんめい頑張っているつもりでも、うまくいかないことって…」

 細川茂樹サンに押しつけられた14歳の息子の野村周平クンが、私立の進学校を月謝が払えずやめようかという話になったときの、観月サンのセリフです。

 「甘くておいしいよ、お食べ。 おいしいもの食べてれば元気出るさ」
 「そうだ、食(け)え。 食えば元気出っから」

 幼い頃の観月サンが母親に捨てられ、祖母と祖父に言われておはぎを食べるシーンです。 なんか、泣けます。

 「なんでも完璧に出来る人なんて、いないんですよ。 私なんて、人生そのものに挫折してますから。
 お母さんと一緒にいられれば、子供はそれだけで幸せなんですから」

 悩めるともさかサンに、観月サンが言ったセリフ。

 これにのセリフはみんな押し付けがましくなく、スーッとこちらに入ってくる気がする。
 先週も書いたのですが、それに相乗して、このドラマではBGMが素晴らしい。
 なんか、すべてが 「さりげない」 んですよ。

 結局野村周平クンは、細川茂樹サンから振り込まれた月謝によって私立中学をやめずに済んだのですが、それって観月サンの貯金から…?とすかさず周平クンに言わせ、周平クンが新聞配達をする展開となるところは、こいつ口は悪いけど、相当いい子だよなあ、なんて感じました。
 観月サンはともさかサンの友人である西尾まりサン(愛情の愛と書いてメグミ…の子でしたよね、「ギネ」 にも出てましたが、メグミ3姉妹のなかでは一番テレビに出てますよね)に請われて、料理教室をするとかいう展開に。
 ドラマHPによると、「わらしべ長者」 チックな話を目指しているみたいなので、どういう具合にトントン拍子になるのか、回数は短いですが、楽しみにしていきたいと思います。

当ブログ 「天使のわけまえ」 に関するほかの記事

第1回 手作りの料理が幸せを運ぶhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/1-32da.html
第3回 気まずい食卓http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/3-d0ef.html
第4回 逃げる人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/4-0f49.html

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2010年7月12日 (月)

「龍馬伝」 第28回 龍馬に直接託さなければならなかった、武市の思い

 先週はあまりと言えばあまりの展開で(笑)、こういうリアリティのないことをやるなよな、と思った 「龍馬伝」 なのでしたが、今週の展開を見ていて、これほどまでに批判覚悟の荒唐無稽なことをやるのには、ある程度の意味があったのだな、と感じました。

 その 「荒唐無稽なこと」 って、今さら説明するまでもないのですが、

 龍馬が武市の罪を自分に転嫁するために脱藩者にもかかわらずわざわざ土佐まで帰ってきて用意周到に坂本家との縁を切り弥太郎に吉田東洋殺害の吟味書を勝手に閲覧してもらい状況をつぶさに知り後藤象二郎の前にあらわれて吉田東洋を殺ったのはこのわしじゃとブレーンバスターを決めて(違ったか)憎々しげに去っていく、ということです(一部誇張がありました)。

 これを完全に信じてしまった後藤象二郎からその報告を受けた山内容堂公、相変わらず酔っぱらいながらも武市の入れられている牢へと向かう。

 ここで容堂公と武市が語り合うこと自体も、実にあり得ない話ではあるのですが、ちょっと待って。

 いったん 「あり得ない」 などと感じてしまうと、スパイラル的にすべてがウソ臭く見えてくるものなのです。 ここはドラマの作り手が龍馬の虚言をきっかけにして容堂と武市が腹を割って話し合うきっかけを作りたかった、と解するのがベストのような気がします。

 そしてここ数回、酔っぱらっているだけで何を考えとるのかさっぱり分からなかった(笑)容堂公の本音が、ようやく片鱗を垣間見せたのです。

 容堂公はハナから龍馬のサル芝居などお見通しで、お前らが東洋を殺したのだろう、と武市に迫ります。

 「おんしはほとほと腹の立つ男じゃ。
 下士を集めてこの土佐を攘夷の旗頭に担ぎあげ、帝の使いにまでなって幕府に攘夷実行を迫るら、出過ぎるにもほどがある!

 武市…。

 徳川様よりこの土佐を賜った山内家が…、わしが…、幕府に背くなどできるわけないろう!

 おんしとわしは、よう似いちゅう。
 徳川に失望しながらも、忠義心だけは捨てられん。
 わしやち、心の底から、帝を、敬い奉っちゅう…!
 この日本は、徳川幕府のものではないき」

 つまり容堂公は、徳川幕府をとうの昔に見限っていたのです。
 それでも、関ヶ原以来の徳川に対する忠義を捨てることができない。
 それを、この自分に対して失望しながらも忠義心を捨てることのできない武市と、重ね合わせている。

 後年武市を切腹させたのを悔んでいたという容堂公の本音というものは、この共通の悲しい忠義心に対する共感であったのではないか、という作り手の声が聞こえてくる気がします。

 武市はその時容堂公を最大限にたたえるのですが、容堂公はそのとき、武市が長曽我部の人間でなかったらなあ、とこぼします。
 この部分も相当重要な容堂公の心理状態のような気がします。
 結局、容堂公も一領具足以来の上士と下士の差別を免れない人間だった、という限界です。

 武市は容堂公から 「えい家来じゃのう」 と言われたことで、自らの罪を認めることになる。
 これは現在のドライな価値観では測ることのできない武士道の精神によるものだと感じます。 これを現在の会社や友達関係と同じ尺度で見てしまうと、いかにも安っぽい芝居のように思えてくる。
 まずわれわれは、忠義心のなんたるかから、学ばなければならないのではないでしょうか。

 そして容堂公から命じられた 「切腹」 と、自らの脇差をそれに使えと賜ることが(脇差を与えるのは近藤サンのアドリブだったらしいですが)、当時どれだけ誉れであったのか。
 そのことから学ぶ必要が、どうもあるような気がしてならない。

 そして今回、またとてもじゃないがあり得ないシーンが、龍馬が武市に会いにくるシーンなのです。

 けれども、このシーンを 「あり得ない」 と断絶してしまうと、このドラマの真の目的が見えなくなる。

 作り手は、実際には幼なじみでもなく牢屋にまで会いに来ることもなかったであろう武市と龍馬を死の間際に邂逅させることで、その後の龍馬のジャンプに対して大きな助走をつけようとしている。

 武市は龍馬に、こう語るのです。

 「あれはもう10年も前のことじゃ。
 おまんが弥太郎に言うたことがあった。
 『土佐を上士も下士もない国にする』 と。

 わしはあのとき、おまんがとんでもないことを言いゆうと思うたがじゃき。
 まさか大殿様とわしが、同じ地べたに座る日が来るらあ、夢にも思うちゃあせんかった…!
 これは奇跡じゃ。
 おまんが起こしてくれた奇跡ぜよ。

 おまんにわしの身代わりはさせられん。
 おまんのやるべきことは、もっと、…もっと、大きなことじゃき!

 この国を異国の侵略から守り、独立した国にするがが…、おまんの役目ぜよ!」

 それに対して、龍馬は、こう答える。

 「一緒に…一緒にやりましょう、武市さん!…この国を、日本を、いっしょに変えるがじゃき…!…武市さん…生きてつかあさい!…生きて…」

 福山龍馬の演技を云々する人は、けっしてこの場面で感動することはないでしょう。
 私は、いくらフィクションであるとはいえ、やはり龍馬と武市が実際にこうやって顔を突き合わせなければ、龍馬の無念とその後の飛躍は増幅されることはないような気がするのです。
 それはいかにもドラマのための絵空事かもしれません。
 それでも、武市が切腹した後の龍馬の覚悟は、以前よりも倍加しているように見える。
 西郷を評価したり、「日本を洗濯する」 という龍馬の言葉は、実際に手紙などに書かれていた話です。 けれどもそんな知識に縛られてこのドラマを見ていると、いかにもとってつけたような軽い解釈でしか、福山龍馬を見ることができなくなる。 お龍が 「面白き女」 などという評価を龍馬はしていたのに、このドラマではえらいツンデレだとか(笑)、もしかしてそのツンデレぶりが 「面白」 かったのかもしれないし(笑)。

 もっと、頭をやらかくして見る必要が、あるんじゃないですかね?このドラマ。

 いずれにせよ、この荒唐無稽な展開が作り手にとって必然であったことだけは納得がいった、今回の 「龍馬伝」 第2部最終回なのでありました。

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2010年7月11日 (日)

「蒼窮の昴」 最終回まで見て

 日中共同制作ドラマ、「蒼窮の昴」 の全25回放送が終わりました。

 全体的にかなりよくできたドラマではあったのですが、春児が西太后のお気に入りになるまでのストーリーが特に面白かったので、同様の面白さを求めてしまうとちょっとほかの話は見劣りしてしまうかな、という感じでした。
 なにしろ、2話ほど予約の不調とかで見ることのできなかった回があったのに、別にそれが気にならない。
 つまりまあ、ある程度の予測がついてしまう話だった気がするのです。

 大まかな流れで言うと、西太后と光緒帝の確執のなかで、義兄弟である春児と梁文秀がそれぞれの側近に付き、梁文秀が西太后を暗殺しようとするに至り、その後どうなるのか、というまでの話に絞っている。
 この流れを押さえておけば、ちょっと見逃しても平気なのです。 登場人物たちの心理状態に、あまりぶれが見られない。 「アレ?こうじゃなかったっけ?」 というのが、ないんですよ。

 そんな意外性のない話ながら、なにがこのドラマを支える魅力になっていたか、と言うと、これまで残虐な人物としか描かれてこなかった西太后に、人間的な解釈を与えている点が、まず挙げられると思います。

 この西太后を演じた田中裕子サンは、圧倒的な演技力でした。 中国人ばかりの演技陣の中にいても、その存在感がすごい。
 ただ吹き替えだったのだけは、ちょっと残念でしたけどね。 この吹き替えやってる人が、田中サンが結構抑えた演技をしているのに、感情が入り過ぎているんですよ。 どういう事情で吹き替えになったのかは知りませんが、やはり発音的にまずかったのかなあ。 田中サンだけは日本語で演技していた、などという話もネットのどこかで読んだんですが、口の動きを見ている限り、そんなふうには見えない。 ちゃんと中国語をしゃべっているように見えるんです。

 そして次に、春児と梁文秀のキャラの魅力。
 春児はあくまで澄み切った水のような、人の良心を疑わない心優しい人物で、しかも非常な努力家。 梁文秀は科挙でトップの成績を収めたほどの秀才で、自分の信念に対してまっすぐに突き進んでいく男。
 一昔前ならば、このような 「出来すぎた人間」 は魅力も何も感じなかったのですが、今はあまりにも屈折した役柄の人ばかりがドラマを占有している時代。 かえって新鮮に見えるのです。

 それにしてもなんですが。

 物語は最終回に向けて、梁文秀が西太后暗殺に失敗し、ミセス・チャンや春児がなんとか西太后に許しを乞うまでを熱すぎるほどのタッチで描いていたのですが、その過程で、なんだか現在の中国の政治的な指導部に対する批判みたいなものが、巧妙に織り込まれているような気がしたんですよ。

 つまり、国家は民衆によって成り立っている。

 だから清朝が滅亡しようが下の者には関係がない。

 これって、国家の威信そのものを否定している表現ですよね?
 このドラマにおいては西太后の専制政治に対する批判という意味でこういう表現が用いられたのだと思うのですが、これはすなわち現在の中国共産党に対する皮肉の部分も含まれている。 言論や思想をいくら統制しようと思っても、国の主役は、民衆そのものなのだ。 その機運だけは堰き止めることはできない。 そんなことまで感じてしまうのは、飛躍のしすぎでしょうかね?

 逆に言えば、こんな国家否定のドラマ制作を許可している現在の中国指導部の頭は、こちらが想像しているより柔らかいのではないか、という見方も出来るんですけどね。

 自分を裏切った人間を決して許さない西太后が、梁文秀のかくまわれている日本領事館に対する包囲の網を緩める。
 そして物語にとって最も重要なキーアイテムと思われた龍玉を持参した、降格された身である春児を赦し、褒美として春児を自由の身にすることを思いつく。

 ドラマにおけるこれらの西太後の行動は、よく考えてみれば西太后の現実に行った残虐性とは裏腹な行為であるように見えます。 いたずらに西太后を擁護している気もする。

 ただしその結果、西太后の周囲には、誰も彼女を心から愛し心配する人間がいなくなってしまう。

 ドラマのラストに配されたのは、その巨大な孤独と虚しさに打ちのめされた西太后が、富と幸福の象徴である昴を見上げるシーンでした。 このドラマの作り手が最も表現したかったのが、このラストシーンにおける専制君主の孤独だったのではないか、私はそう感じるのです。

当ブログ 「蒼窮の昴」 に関する記事
いつの間に始まってたの!見逃した!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-079d.html
アフレコ気にならなければ、結構面白いですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/post-4cef.html
第4-5回 王道ストーリー、だけど面白い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/4-5-5869.html

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2010年7月10日 (土)

「ゲゲゲの女房」 第15週 夢をあきらめないで…

 「ガロ」、もとい 「ゼタ」 に描くようになってからも、劇的に経済状況がよくなったわけではない布美枝(松下奈緒サン)と茂(向井理クン)の暮らし。 ビンボー神(片桐仁サン)もすっかり村井家の居心地がよくなってしまっている模様です(笑)。

 それにしても、自分がマンガで描いている 「ビンボー神に取りつかれたアゴのない出っ歯のメガネ男」、「戌井サン(梶原善サン)に似とるなあ…」 と茂も思わずつぶやくのですが、私もずーっとそう思ってました(笑)。
 この「アゴのない出っ歯のメガネ男」 というのは、水木マンガにはよく出てくるキャラクター。
 梶原サンがこのドラマに出て来た時から、「よくこんなイメージぴったりの人を探したもんだ」 と、とても感心したことを覚えています。

 「なんか今、ザワッとした…」 と布美枝はビンボー神の寒気を感じるのですが、「ザワッ」 ではなく、「ザラッ」 とする、というのが、今週よく使われたキーワードでしたね。
 ドラマの中での説明によると、「トヨタのヒットの法則」 として、「個性がある」 という形容詞らしいです。 当時よく使われたんですかね。 不勉強でよく知りませんが。

 この 「ザラッとする」 という形容は、私がドラマを見ていて感じたのは、「ザラッとしていて何か引っかかるものがある」、ということ。
 深沢(村上弘明サン)や少年ランドの編集部の人々が常にこだわっているのが、マンガの良しあしを判断するのに、「絵がうまいとか話がうまいかではなく、心に何か引っかかるものがあるか」、という点です。

 その基準に達しなかったがために、河合はるこ(南明奈チャン)はマンガ家をあきらめざるを得なくなるのですが、今週は茂のマンガがメジャーになる前触れ、という心浮き立つ話題と並行して、夢破れ立ち去っていく者の悲哀も、同時に鮮やかに描かれていました。

 そのはるこは親と約束した 「3年頑張って芽が出なければマンガ家はあきらめる」 という期限切れが迫って焦ったあげく、布美枝にこんな暴言を吐いてしまいます。

 「余計なお世話です。 布美枝サンに話したって仕方のないことです。
 マンガ描いている人間の気持ち、布美枝サンに分かるんですか?
 そばにいるだけでしょ?
 布美枝サンは先生のそばにいて、見ているだけじゃないですか。
 自分で苦しみながらマンガを描いているわけじゃない!」

 はるこチャン、深沢にもそのジレンマを激白していましたよね。

 「それじゃあ売れないって言われました。
 自分の描きたいように描いていたら、雑誌では相手にされません。
 人気マンガを研究して、読者に受けるように描き直せって言われます。
 自分らしさなんて、認められなきゃ意味がないんです!
 雑誌で描けなきゃ何にもなりません。 大手でなきゃ。
 『ゼタ』 だって、大手には相手にされてないじゃないですか!」

 本人にここまで言うか(笑)という感じですが、「自分らしさは、認められなければ意味がない」 というのは、ある一面の真理を突いています。

 ただ、それは真理ではあっても、自分に負けてしまっている証拠なのだと私は思うのです。 そして、自分には才能がない、と自ら認めてしまっている証拠だとも、思うのです。

 少なくとも、自分がその道で成功したければ、相手が悪いとか自分を受け入れてくれない世間が悪いとか、思うべきじゃない。
 どこまでも自分を信じて、先の全く見えない真っ暗な道を歩くしかないのです。
 自分があきらめなければ、やがては自分に合った場所が提供されるもの。
 はるこチャンは今回、実家に帰ることとなりましたが、浦木の提供する挿絵の仕事とか、自分のやりたいことを続ける術はまだあるような気がします。 自分の子供に絵本を作ってあげるとか、そういう方法もあるかもしれない。

 茂と布美枝に、最後のお別れに来たはるこチャン。

 「マンガは、もう諦めます。
 でも、ほかに何をしたらいいか分かんないんです。
 子供のころからマンガ家になることしか考えていませんでしたから。
 先のことは、まだ全然。

 結局3年間、無駄にしただけかも知れません。
 今の私、空っぽです」

 それに対して、茂はこう言って励まします。

 「がんばっとるのは、みんな一緒だからなあ。
 マンガ家を目指す人間は、みんながんばっとる。
 けど、プロになれる人間はわずかしかおらんし、ずっと描き続けられるのは、そのまた一握り。 ほとんどの人は夢破れるんです。
 世の中、思い通りにはならんですよ。

 けどね。 空っぽということはない。
 3年描き続けとった、マンガ家魂が残っとる。
 あんたはそれ、ずっと持っとったらええですよ」

 マンガをあきらめるのに、そんなこと考えてもしょうがないと言うはるこチャンに、茂は自分の父親が小説家志望で映画館までやり、いろんな話に触れてきたからこそ、今の自分につながっている、と話します。

 「あの人は昔から、『なんとかなる主義』 でやっとるけんなあ」

 なんとかなる…この言葉を聞いたはるこチャンは、ようやく自分を納得することができるのです。 輝くようなはるこチャンの笑顔。 野際陽子サンもナレーションで語っていましたが、それははるこチャンが希望に燃えて東京に出てきた頃の笑顔でした。 その独特の背広姿と、髪の毛も少々くたびれた感じでしたが、「笑っていればなんとかなる」 というこのドラマの隠された主題をまた実感させるような、輝く笑顔でした。

 その後はるこチャンは布美枝を深大寺まで誘い、この前の暴言を詫びるのです。

 「私、本当は分かってるんです。
 布美枝さんでなきゃダメなんです。
 布美枝さんが奥さんだから、先生は安心してマンガに打ち込めるんだと思います。

 先生は考えたことないんじゃないですかね、布美枝さんがいなくなる、なんて。

 だって布美枝さん、この花みたいですもの。
 いつもそこにあって、目立たないけどよーく見ると可憐な花が咲いてる。
 それでいて、根っこはしっかり、たくましく伸びてるんです。
 布美枝さん、ナズナみたい。
 だから先生、安心して一緒にいられるんですね」

 そしてはるこチャンは、茂に対する思いを、つい口走ってしまいます。

 「私、先生のことを好きだったんです」

 それを聞いて、とても複雑に表情をしてしまう、布美枝。 このときの松下サンのなんとも言えない表情、すごいなあと思いました。

 「あ! 変な意味じゃなく、先生の描くマンガが好き。
 先生のマンガに賭ける情熱が好き。
 それから…。
 先生のご家族が好き。
 先生と布美枝サンの関係、羨ましいです」

 笑いながら、そっと涙をぬぐうはるこチャン。 「それは、気付いてもどうにもならない思いでした。 布美枝はそっと受け止めて、胸にしまうことにしたのです――」 という野際サンのナレーションが、はるこチャンの本当の思いを静かに打ち明けてくれます。 やっぱり、恋愛感情もちょっこし入っていたんですね。
 この一連のくだりは、「ゲゲゲの女房」 のなかでも、完成度のとても高い部分のように感じました。 アッキーナ、なかなかよかったですよー。 俳優として、じゅうぶんやっていけると思います。 今後に期待です。

 それにしても、こないだの帰省編の時に出番のあまりなかった茂の両親(風間杜夫サン、竹下景子サン)でしたが、ドラマの作り手は意外なところでその穴埋めをしてくれましたね。
 風間サン(イトツ)が小説出版の甘言に乗って竹下サン(イカル)を連れ東京にやって来る、という話は、先ほど書いたように、はるこチャンを心から元気づける話の伏線となりました。
 来た早々、テレビを買ったくせに相変わらず風呂をもらいに来ていた兄夫婦をイカルが一喝するくだりは、なんか胸がスッとした、と言いますか(笑)。

 「こげな貧乏所帯に…」

 目を丸くする布美枝(笑)。

 「風呂もらうなら、銭湯代くらいおいていきんさいよ!」

 そーだそーだ(笑)。

 小説出版の話の最中に現れた浦木(杉浦太陽クン)、間がいいんだか悪いんだか、「小説を出版したいという人をだまして金儲けする」 という話を玄関先でとうとうと語る(笑)。
 「こんな悪い男と一緒になって悪さをしてるのか」 とイカルの矛先が茂に向かい、茂が狼狽しながらなんにもやっとらんと強弁するのですが、やってましたよね(笑)、「少年戦記の会」。 「女房がしっかりせんけんこげな怪しい人が出入りするがね!」 と次の矛先は布美枝に向かい(笑)、助け船を出したイトツも撃沈(笑)。

 「もっ! 誰もかれも…

 しっかりしてごしなさい!」

 シャンとする一同(笑)。
 なんか、スッキリしますなあ。 こんないいキャラの人の出番が少ないのは、誠にもったいない。 しょっちゅういたら茂兄弟は戦々恐々でしょうけど(笑)。

 そのイカル、「こげな貧乏所帯」 に嫁いできた布美枝に、ある夜両手をついて頭を下げるのです。

 「お父さんが刺激受けた三浦綾子という人ね、『氷点』 書いた。
 茂と同い年らしいわ。
 それも脊椎カリエスで長いこと寝たきりだったとね。
 諦めずに書いた小説が、大当たりして、一躍人気作家だが。
 ハハハ…。 40過ぎて陽の当たることもああだけん、茂もまだまだ諦めることはないわ!

 けど…。

 貧乏暮しのままで終わるかもしれんよ。
 ずっと、売れないマンガ家のままかもしれん。
 それでもそばにおってやってね?
 苦労かけるかもしれんけど、あんたは女房だけん。
 一緒にやってごしなさいね…。
 どうぞ…お願いします!」

 親の思いがじわじわ伝わってくる、とてもいい場面でした。 泣けました。
 ここで寝ていたはずのちいさな藍子チャンがいつの間にか起きていて、 「どーぞお願いします」 とマネをするのにも、胸キュンキュンでありました。 しかも、ここでも自分のやりたいことをし続けることの尊さをさりげなくかませている。 なんという構成だ。 凄すぎ。 

 さて、少年ランドの若い編集者の目にとまった茂のマンガですが、執筆依頼という千載一遇のチャンスに、自分の得意のマンガでなければチャンスを逸する、と考えた茂は、その話を断ります。
 これは、自分の描いているものによほどの自信を持っていなければ出来る所業ではありません。 そうでなければ、はるこチャンをはじめとしてマンガ家をあきらめた人々のように、とうの昔に筆を折っていたに違いないのです。 茂は、勝負に出たのです。

 とうとう出口が見えてきた貧乏暮しですが、その振幅の激しさがどうやって描かれていくのか、ますます目が離せなくなってきた 「ゲゲゲ」 なのです。

 最後に、太一クン(鈴木裕樹サン)も厚木に引っ越し、ということになってしまいましたね。
 「ゼタ」 の編集部に持って行った彼の詩集なんですが、とりあえず当ブログは 「詩集」 ということもありますし(どこがじゃ?)、ちょっと彼の詩をここに掲載してみたいと思います。


 幻の沼

ほんとにあるのに僕には見えない
見えないけれど そこはある
とても遠いところだが
あの娘は行ったことがある

深い 深い 山の中
ぽっかり浮かぶ 沼がある
海豚と岩魚が棲む場所
ザバンドブンと泳ぐ場所
鮭の親子は共にいる

どこまで行けばあの娘に会える(以下ワカリマセン…)


 リズムが中途半端なように感じるのですが、体言止めのテクニックとか、「よくあるよなあ、こんな詩…」 と思わせるにじゅうぶんの出来のように感じます。 こんな一瞬しか写さない詩がちゃんとできたものになっていることに、ちょっと驚きます。 この沼の話でまた一つエピソードができていましたし、物語とちゃんとリンクしているのもすごい。
 まあNHKの場合、ドラマで出てくる食事も相当うまいらしいですし、こんな細部にまでこだわっているのがよく分かる話ではあります。
 もしかしたらモデルでもいるんですかね、太一クンには?

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第9週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html
第12週 冷たい風に吹かれてhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/12-2a16.html
第13週 自分のいるべき場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/13-f9bf.html
第14週 自分の名前と自分の存在http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/14-30e2.html

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「うぬぼれ刑事」 第1回 初クドカン体験です…

 宮藤官九郎サンのドラマって、見たことなくて。

 なんか、ワザトラシイのがイヤなんですよ。

 で、今回も見る気はさらさらなかったんですが(大変失礼)、1回くらいちゃんと見てみようかな、と。

 実際に見てみると、うぬぼれ4の存在とか、やっぱりあからさまにワザトラシイ(笑)のですが、ちゃんと人の心をつかもうとする生真面目さには満ちているな、と感じました。
 全体的に感じるのは、なんだかミュージカルの出来損ない、という雰囲気です。 出来損ない、というのはネガティブな言葉ですが、実はここを狙ってやっているような感じ。 出演者全員がおちゃらけながら演技をしているように見えるのですが、そこにはかなりカリカチュアライズされた人間の悲しい性癖が誇張されつつ表現されている。
 その表現方法は、まさしくオンリーワン、という感じが強くするのです。

 主演の長瀬智也クンも、髪の毛を下してあまりこれまで見たことのないような雰囲気(個人的には佐藤浩市サンを連想させる髪型)で、人生自体を大カンチガイし続けている男を演じています。 この大カンチガイをまわりの人たちは 「うぬぼれ」 だととらえて、結局それが彼の役名になってしまっている。 父親役の西田敏行サンでさえ、自分の息子の本当の名前を忘れて、彼を 「うぬぼれ」 と呼ぶ始末。 主人公の名前がない、というのはなんかすごい(笑)。

 しかし私が見ていて彼は、別にうぬぼれているわけではない気がするんですけどね(笑)。
 坂東三津五郎サン演じる変な大学教授(変な…って、出演者みんな変なんですけど…笑)の恋愛レクチャービデオに完全に陶酔していて、女性を見る時も3秒かぞえているようなとても純真な男です。 その眉唾ものの講義を真に受けながら、「このコはオレに気がある」 という大きな勘違いをし続けているだけの話です。

 その男が、人生それ自体を勘違いしながら、結局自分の刑事という職務にとってのお手柄を立て続ける。 長瀬クンの思惑通りにけっしていってないのに、刑事としての結果を着実に積み重ねている、というのがなんとも、人生それ自体のパラドックスを象徴している気がするのです。
 みんな、「これが天職だ」 と思いながら仕事をしているわけでもないのに、そこに仮想的なやりがいを見いだし、つらいとか楽しいとか感じながら仕事をしている。 そんなちぐはぐなおかしみが、人生にはある。 長瀬刑事の仕事ぶりを見ていると、なんかそのことを端的に感じさせるのです。

 そのうぬぼれクンが捜査に加わった殺人事件。
 いちばん怪しいと思われる被害者のパートナー、加藤あいチャンに惚れてしまい、彼女に猛烈にアタックしていくことが、結果的に彼女の容疑を濃厚にしていく。 ここらへんの複雑な描写を笑わせながら見せる手腕は、やはりさすが評判のいいクドカン、というべきです。

 しかも加藤あいチャンの役名が恵理子で、サザンの 「いとしのエリー」 ラスト部分を流す、という周到なこともやっている。
 つまりこれは 「いとしのエリー」 が主題歌だった、このドラマと同時間帯であったTBSの金曜10時ドラマの名作、「ふぞろいの林檎たち」 に対する強烈なオマージュであると同時に、その第4シリーズに準レギュラーで出演した長瀬クンとのつながりを連想させるものでもある。 私に言わせれば、相当高度に計算されたトリビアチックな演出です。 個人的な話になりますが、長瀬智也という人を見たのは、「ふぞろいの林檎たちⅣ」 が最初でした。 確か相手役は、中谷美紀サンでしたね。

 そして加藤あいチャンは、何食わぬ顔をして相当高度に計算されたアリバイ偽装工作をしていたのですが、その罪をおっかぶされてしまっていたのが、確か 「3年B組金八先生」 で引きこもっていた巨漢の男の子? わっ、久しぶりに見ました(笑)。
 まあ、それは別に深い演出上の意味はないのですが(笑)。

 IDカードとスイカのトリック、掃除の女性がわざとらしく画面をうろちょろするなど、犯人推理は比較的簡単でしたが、最後の長瀬クンの加藤あいチャンへの求婚の仕方も、「ねるとん紅鯨団」 みたいでしたよね(笑)。

 なんか、見たいドラマがあまりにもない寂しさも手伝って(?)、来週以降も見てしまいそうなドラマになってしまいそうです。

当ブログ 「うぬぼれ刑事」 に関するほかの記事
第2回 蒼井優チャン、こんな演技も出来るんですねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/2-2de6.html

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2010年7月 9日 (金)

「鉄の骨」 第2回 結局下が一番損をする

 談合告発の怪文書の責任をとって、豊原功補サン演じる一谷組営業課長は左遷。
 代わりに課長代理に就いたのが、積算屋のカンニング竹山サン。
 見ていて実に、危なっかしい(笑)。 一谷組の企業としての競争力は、この時点で大幅ダウンとしか言いようがありません。 ほかに人材がいないのでしょうか?

 一谷組の加わっている談合共同企業体(笑)、「今回は一谷さんに泣いてもらう代わりに、次回の競争入札は一谷さんで」 と、またまた妖怪のような建設会社社長の面々が取り決めています。
 特にこのドラマで異臭をぷんぷんさせているのが、金田明夫サン演じる、談合企業体のボス(笑)。 目の下にクマを作って、いかにも悪そーな感じです。

 ところがこの口頭による取り決めに、トキワ土建という静岡の建設会社が割り込んでくる。

 この会社、先代を引き継いだ高橋一生サン演じる社長が、談合で裏切られた経験から、談合をしないというポリシーのもとに生まれ変わっています。
 そのトキワ土建、一谷組の下請け会社による親睦会の切り崩しを計ってくる。
 寺島進サンが社長を演じる舗装屋に、今回の落札を勝ち取ったあかつきには、舗装を頼みたい、という依頼をしたらしい。
 寺島サンにしてみれば、一谷の親睦会に入ってはいるものの、ここ数年一谷の仕事をもらっていない。
 だったら実のない親睦会など脱退し、トキワの話に乗ってしまうほうがよほどいいのです。

 ただし、寺島サンの会社にとってみたら、トキワの話も単価が非常にダンピングされている、ミもフタもない話。 それでも不渡りの危機にさらされている会社にとってみれば、ないよりもあったほうがましなのです。

 その情報を得たカンニング竹山サンと小池徹平クンは寺島サンの会社に行き、トキワと同じ金額を出すからトキワからは手を引け、という話をすることになります。
 しかしここで小池徹平クンはどうにも釈然としないものを感じ、陣内孝則サン演じる常務に直訴して、トキワの出した単価よりも若干上乗せした金額を出してもらうよう話をつけるのです。
 「昔は会社同士がみんな家族同然だった」 と述懐する寺島サンに何かを感じ、「下請けは大事にしなければならない」 という使命に燃えた小池クンの陣内サンへの食いさがりは、正直見ごたえがありました。

 「どんなちっぽけな会社だって下請けは、一谷の家族なわけでしょう?
 昔から何度も仕事を頼んで引き受けてもらって、その付き合いって、大事なんじゃないですか?」

 それは、なにも知らない若造が情に走っている姿かもしれない。
 けれどもこういう視点を失ったら、元請会社というのはただ冷たいだけで何の意味もなくなるのではないでしょうか。
 取り付けた受注額が低いからと言って、下請けにダンピングを強要し、カンニング竹山サンのように(あっ、彼が、じゃないですよ…笑)仕事を放り投げるように頼んだところで、下請けが意気に感じて仕事ができるわけがないじゃないですか。
 親睦会なんて、あくまで名目。 上っ面のものでしかないのです。

 陣内常務から単価の上乗せを取り付けた小池クンでしたが、結局今回の落札も、必要以上のダンピングを敢行したトキワ土建に持って行かれることになる。

 2回連続の入札失敗というのは、どうやら談合企業体にとっては、あってはならないことらしい(笑)。 「一谷さんを潰そうとしている動きがある」 などという怪電話が陣内サンのもとに入る始末。

 そして入札に失敗したことを断腸の思いで寺島サンに報告しに行った小池クンは、寺島サンがその日を限りに会社をたたむことを決意した、と聞かされ、陣内常務からお詫びのしるしにといただいた牛肉をすき焼きにして、ふたりでしこたま食うのですが。

 寺島サンは大手ゼネコン(一谷はその末端らしいですが)の常務がわざわざこんなちっぽけな会社にお詫びに訪れたということに感激し、意気に感じたようなのですが、ぽつりと自分の会社の社員を路頭に迷わせることになった罪悪感をつぶやくのです。

 だったら小池クンと自分ばっかり食ってないでその社員たちに肉食わせろっつーの!(笑)

 …失礼しました(笑)。

 つまりですよ、ことほどさように、自分たちより下の人間について、顧みられることはない、ということなんですよ、私の言いたいことは。
 カンニング竹山サンが寺島サンのことを考えていないように、寺島サンは自分の社の従業員のことを考えていない(それなりの事情があったのかもしれんのですが)。
 これは、今回入札を勝ち取ったトキワ土建にしても、同じことが言える。
 かれらは談合は絶対しない、などと口では立派なことを言っているが、下請けに対してやっていることは、寺島サンの会社にしたように、仕事を二束三文で押しつけることだ。
 一谷組が 「これ以上は会社の利益がまるで出ない」 などと言っている落札価格以下で工事を受注して、トキワ土建はいったいどうするつもりなのでしょう。

 結局、いちばん泣きを見るのは、末端にいる人々なのです。

 今回小池クンの彼女もトキワ土建の若社長も、「必要悪」 について拒絶する方向で一致していましたが、どうにも私には、談合を 「悪」 と感じられないのです。 強いて言うなら、「悪習」。 自由な競合が妨げられる、閉鎖的で一方的な風習。 それを 「悪」 だと言い出したら、世の中、結構そんな 「悪」 って、そこらじゅうにある気がしてならないんですよ。

 だいたい、ポッと出の企業がいきなり入札を勝ち取るには、それなりの実績というものも加味しなければならないし、そんな信頼性などを考えていたら、とてもじゃないが簡単に決まるもんじゃない、そう思うんですけどね。 要するに第1回の感想文でも述べましたが、役所のいいようにされている感覚、と言いますか。

 小池徹平クン、ワケの分からないペーペーの分野ながら、確実に談合というものの本質にあるものに近づいていっているような気がします。 その様子がとてもよく演じ切れている気がする。 見ている限り、カンニング竹山サンよりずっと頼れるような感じと言いますか(笑)。

当ブログ 「鉄の骨」 に関するほかの記事

第1回 建設業界って、こんな魑魅魍魎?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/1-a472.html

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2010年7月 7日 (水)

「天使のわけまえ」 第1回 手作りの料理が幸せを運ぶ

 私、観月ありさサンのドラマって、見たことないんですよ。

 別に深い理由はなくって、たまたま私の見たいようなドラマに出てくることがない、というだけのことなんですけどね。

 その観月サンがNHKの火曜ドラマ10に出るというので、さてどんなものだろう、つまんなくてもいーや、みたいな感覚で、第1回目を見たのですが。

 なんか、心があったかくなるような(今の時期にあったかくなるとちょっと暑苦しいのですが…笑)、いいドラマでしたよー。 でもまあ、ドラマ10には前作みたいな失速パターンがある(私見です…)ので、手放しで褒めるのにはちょっと躊躇しますが。

 冒頭から、うつろな目でボー然と街を歩く観月サンの姿。
 そこに、婚約者だった細川茂樹サンとの回想シーンがインサートされ、「あ、要するに結婚詐欺に騙されたんだ」、ということを見る側は推測するのです。

 でも、ドラマを見続けていくと、「果たしてそうなんだろうか?」 という気になってくる。
 その理由は、普通は詐欺行為を完遂した途端に音信不通になるはずの相手から、電話が入ること。
 細川サンは、14歳にもなる大きな息子(野村周平クン)がおり、その子を預けるから自分が帰るまで面倒を見てほしい、愛してるよ、と言ったきり電話をガチャン(笑)。 「なんじゃそりゃあ?」 とテレビ画面にツッコミを入れさせていただきました(笑)。
 でもそれって、結婚詐欺のするパターンじゃ、ないですよね。 その昔(大ー昔)「池中玄太80キロ」 で、死んだ妻の鶴子(丘みつ子サン)に瓜二つの女が自分の息子を玄太(西田敏行サン)に押しつけていなくなったパターンを思い出しました(それにしても古過ぎだなぁ…思い出すかフツー)。

 この息子とは、紆余曲折を経て、観月サンは結局同居することになるのですが、「一緒に待ってみようか?」 と観月サンが切り出すまでのストーリーが、結構説得力がある。 ロクでもない男(細川サン)に振り回されて傷つくふたりの間に生まれる共感、と言いますか。 そして、それでもなお、その男を信じてみようとするふたりの共感、というものもある。
 これってやっぱり、結婚詐欺、というパターンではないですよね?

 この息子の野村周平クンははじめ観月サンに全く心を開かなかったのですが、その心がほぐれたのが、観月サンが作った五目?おかゆ。 それをかき込みながら、なんだか泣いているように見える、周平クン。

 そしてこのドラマにおける大きな比重を占めているのが、観月サンの作る手料理なのです。

 この主人公、なんだかんだ言いながら、料理がすごく上手。
 これって、ものすごい武器のような気がして、ならないんですよ、ドラマを見ていると。
 冒頭細川サンのためのおはぎを作る観月サンの手つきからして、ハッとさせられる丁寧さに満ちている。

 そのおはぎを、そこらへんで交通整理をしていたイッセー尾形サンが食べて涙する、という、状況的に考えてとても無理に見えることを、このドラマの作り手はあえて挑戦しているのです。 そのあり得ない展開に説得力を持たせる最終兵器が、イッセー尾形サンなわけです。

 イッセー尾形サンだからこそ、このムリムリな話を、そこはかとなくおかしみのある、そしてシュールなものに昇華できる。 交通整理で手袋をしているから、顔は真っ黒けだけれども、手は白い。 ここらへんの細かなディテールにまでこだわっている。
 そのイッセー尾形サン、「そりゃアンタ結婚詐欺だよ」 などとしゃべりながら、「それなんだ?爆弾か?」 とおはぎの重箱に興味を持ち、結局おはぎを食べ、いきなり泣き出す(笑)。 なんか笑っちゃいました。 それを見て、こらえていた気持ちがプツンと切れたようにもらい泣きしてしまう観月サン。 シュールな舞台劇を見ているようでした。 すごい。

 もともと自分が勤めていた派遣会社に、おじゃんになった結婚話のためにまた仕事を斡旋してもらいに行く観月サンでしたが、そこの職員が 「ゲゲゲの女房」 で青白い顔の売れないマンガ家を演じていた中村靖日サン。 ああ~、中森サンだぁ~。
 そこにまた斡旋してもらいに来ていたのが、「ぼくの妹」 でブッ飛んだ看護婦役をやっていた西原亜希サン。 司法試験に挫折した経歴を持つらしく、「詐欺罪で警察に告訴しなさい」 などとかなりうるさく観月サンにつきまといます。
 うーん、なんか、私の気になる俳優サンが脇役で出ているなあ。
 大滝秀治サンも、前回のドラマ10のナレーションに引き続いて、観月サンのおじいちゃん役で登場。 ボージャクブジンな役で笑わせます。

 結局イッセーサンの交通整備をやることになった観月サンでしたが、彼にお弁当を作ってあげたことがきっかけとなって、工事現場の男衆にお弁当を作ることに。
 それがひとり増え、ふたり増え、という過程はとても見ていて楽しかった。
 そして、ここでやはり光るのが、少ない予算にもかかわらず食べる人を感動させる力に満ちている、観月サンの手料理なのです。

 この料理を作るときの観月サンはまるで天使のようで、そのBGMもとてもよい。
 だからこそ、観月サンの手料理を食べた人は皆、なんとも言えない幸福感に包まれるのです。
 その様子を見ていると、泣けるというほどではないにしろ、なんか自然とほろっとする。 こっちまで幸せな気分になってくるのです。
 たぶん細川サンをつなぎとめていたのも、観月サンのその手料理なのでしょう。
 だからこそ、細川サンは自分の息子を、観月サンのもとに託した。
 やっぱり、結婚詐欺じゃないんだろうなー。

 そしてイッセーサンをはじめとした、観月サンのお弁当に魅せられた男たちが開いた 「観月サンを慰める会」 に、女の子がものほしそうに観月サンの作った太巻きを見ている(笑)。 そこに現れた母親が、ともさかりえサン。 どうやら次回、ドラマに絡んできそうです。

 なかなか笑いも散りばめられた、いい感じのドラマじゃないですか。
 つまんなくてもいーや、という気持ちで見たために、とても大きな収穫を得た気がします。
 ほかのドラマは見たことないですけど、観月サンはかなり、いい味出してます。

 それにしてもこのドラマの本当の主役は、観月サンが作る 「手料理」。 手料理さえうまければ、おのずと道は開ける、そんなことを訴えているようにも感じられる、ドラマなのです。

当ブログ 「天使のわけまえ」 に関するほかの記事
第2回 さりげなさに包まれたドラマhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/2-061f.html
第3回 気まずい食卓http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/3-d0ef.html
第4回 逃げる人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/4-0f49.html

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2010年7月 6日 (火)

「タモリ倶楽部」 のオープニングが…これは事件ですよ(笑)

 長いあいだハイビジョン(HD)化をせず、アナログ制作の牙城を守ってきた感のある(笑)「タモリ倶楽部」。

 この理由に関しては、これまでにも同番組内で何度かそれ自体をテーマとして(笑)やっていたのですが、その際に 「ハイビジョンカメラ自体が高価だ」 とか、「ハイビジョンカメラはピントが合わせづらい」 とか、いろんな雑学を知ったような覚えがあります。

 それが次回放送分(7月10日、一部地域除く)から、とうとうHD化に踏み切ることに。
 よく製作費があったなあ(笑)と思うと同時に、アナログというのがひとつのポリシーであったようにも思える 「タモリ倶楽部」 も、ついにデジタルの波に飲まれるのか、という感慨を禁じ得ることができません(笑)。 このこと自体が事件ですよ。

 とは言うものの、完全地デジ化までとうとう1年になってしまった今日この頃、致しかたないことなのかもしれないです。 総務省は本気で、その日にアナログ放送を完全に止める気なんでしょうかね? 暴動が起きるんじゃないかと…(笑)。

 それでですね。

 番組が横長サイズになるということは、これまでのあの、下着の女性がお尻をフリフリするあのオープニングがどうなってしまうのか…という問題が、発生するわけでして(笑)。

 その問題を考えた今回の 「タモリ倶楽部」。

 タモリサン 「やっぱり4:3のほうがなんか…もう1点で逆転できそうな感じがする」(笑)
 玉袋筋太郎サン 「16:9だとすると、ヘタするとコールドゲームみたいなもんですからね」(笑)
 水道橋博士(まだこのころは、お元気だったんですね…笑…もうご回復されたようですが)「16対9なんて7点差! これはもう無理」(笑)

 開始当初は全く投げやりで(笑)、「上下を切ってしまおう」 とか(タモリサン 「(画像が粗くなって)カミキリムシのケツ見てるみたいでダメだ…よく分かんないけど」)(笑)、「左右に伸ばそう」 とか(これでタモサンはいいよという感じだったんですが却下)、果てはこれまでのサイズのままで、左右に何か絵を入れようと、この日ゲスト出演の安齋肇サンにイラストを描かせるとか、なんとか予算を安く上がらせようと苦心しています。
 お尻に何か刺さるもの、というコンセプトのもとに(笑)、安齋サンはナスやらキュウリやら電球やら(笑)アイスピックやら描いていくのですが。
 タモリサン 「そんなかに黙ーってチ○コひとつ入れよう」(笑)
 …下品な話でスイマセン(笑)。
 いや、このブログも、開始当初は 「テレビはもっといかがわしいものであるべきだ」 とか、過激なことを書いとりましたので、今日は久々にカンベンしてもらいます(笑)。

 このイラストも、過激すぎて心臓に悪い、ということから却下。
 その結果、オープニングを刷新することになり、お尻オーディションを開催することに。

 「何年ぶりかね」 とタモリサンが言う通り、私も記憶が定かではないほど、このオープニングは長年の間変わっていませんでした。
 要するに私はこれを、「過激な媒体であったテレビがひよった象徴」 という見方をして、そのこと自体を以前に記事にもしたのですが、お尻オープニングという形態をそのままにしてこれをHD化する、というこの姿勢には、拍手を送りたい心境(笑)であります。

 水道橋博士 「10年以上ぶりです」
 安齋サン 「えっ?(オーディションに)10年前と同じ人が来てるんですか?」(笑)

 顔を見てしまうと 「私情が入ってしまう」(タモリサン)という理由で、純粋にお尻だけを見て決める方式。
 エントリー1番は、19歳の 「青尻」 サン(また下世話な話になってまいりましたよ)。
 水着がダブダブしているのが気になります(笑)。
 「突き出してもらえますか?」「振ってもらえますか?」 と言われて画面にはその通りにする女の子のお尻が映されるのですが、私がそのような番組を最近見ていないせいなのか、ヤケに過激に見えるのです。 こんなの、昔のテレビ番組からしたらちっともいやらしくない部類の絵なのですが。
 若いせいか肌に張りがあって、キュッと締めてくださいと言われた映像に皆さん大コーフン(笑)。 「おお~~っ!」「残った残った!」(笑)

 エントリー2番は黒尻サン23歳。 黒尻というだけあって 「色が10円玉みたいな色してるもんね!」(玉袋サン)。
 小刻みに揺らしてもらって、またまた皆さん大コーフン(笑)みんなで「あるるるるるるる」「ぶるるるるるる」 と、巻き舌大会になっちゃってます(笑)。
 出身は千葉だそうで、タモリサン 「千葉ジリか…千葉尻エリカ(笑)」 安齋サン 「なんでもエリカ(笑)」

 3番プリマ尻サン29歳。 バレエをやっているそうで、それでプリマ尻。 タモサンも高評価でしたが、私もこのお尻はいいと思いました(どうにも下世話すぎますね…笑)。
 前屈姿勢にくどいようですが皆さん大コーフン(笑)。
 タモリサン 「ジャンプみたい…シューッ! 大倉山!」(笑)水道橋博士 「K点越えみたいなね」(笑)

 4番奄美出身の奄美尻サン22歳。 このお尻もなかなかのもんです。 皆さんの反応もこれまでで最大だったような…。 「うわ~~っ!」「出たぁ~~っ!」(笑)
 タモリサン 「そこで、ごはん食べたいよね」(笑) …もうなんか、コメント何言ってんのか分からなくなってきました(笑)。

 5番は39歳の熟尻サン。
 チアリーディング全国大会優勝経験あり、国際線の客室乗務員もやっていて、さらに、イルカショーのMCもこなすという、驚天動地の(笑)経歴を持つ女性です。
 タモリサン 「イルカショーはこれポイント高い」(?…笑)

 6番は28歳ギリ尻サン、着エロ界でも活躍している、とのことです。
 このコのお尻には独特のえくぼがあって、「自転車乗ってます?」 とタモリサンに訊かれ、「ここにー、あとがついちゃうんです…生まれた時から」 と、結構カワイイ声で答えます。 「どんなエロも辞さない」 というだけあって、Tバックを下半分までずらしてしまったり、すごいことやってます。 出演者サン全員が 「ああ~~~っ!」 と叫んでいましたが、テレビの前で私も 「ああ~~っ!」 と同時に叫んでしまいました(笑)。 水道橋博士 「ダチョウ倶楽部の 『くるりんぱ』 みたいな」(笑)

 ギャラの都合上、2尻に絞るという話でしたが、タモリサンが自分のギャラを削ってまで全員を採用していただくことになり(タモリサン 「それも致しかたなしかなぁ…」)(笑)、めでたく来週から、全員がオープニングに出演していただくことになったようです。 早速収録していました。

 それにしてもHD化にお尻オーディションとは、「タモリ倶楽部」 も予算的に相当冒険をしたものです(笑)。 また当分(10年以上?…笑)このオープニングは、変わることがないでしょう。 そういう意味では、歴史的瞬間に我々は立ち会ったわけであり(笑)。

 ひとつ書き忘れました。
 この日のゲストはもうひとり、尻つながり?でケツメイシのRYOサン。 下世話なコメントを連発しておりました(笑)。

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2010年7月 5日 (月)

「龍馬伝」 第27回 今回の展開ばかりは私もちょっと…

 どうにも参ったものです。 今回の 「龍馬伝」。
 私も今まで、このドラマを擁護してまいりましたが、今回は 「龍馬伝」 批判者の格好の餌食になるような典型、とも呼べる話だったと感じざるを得ません。 ダメなときはダメ、というのも愛情です。

 なにしろ、話が、荒唐無稽すぎましたね。

 史実とは違う、というNHK大河ドラマ批判者の常套句は私にとってはどうでもいいことです。
 ただし、ドラマを構築するうえで、いくら史実とかけ離れているにせよ、リアリティはそこに持たせてもらいたいのです。

 今回の龍馬の行動における下地となる部分は、海軍操練所廃止によって、龍馬が精神的に完全な閉塞状態になっていたことが挙げられる。

 自分に何ができるのか。
 30を超えて何事も成し遂げていないことへの焦り。

 そんな行き詰まり状態にいたからこそ、龍馬はそのはけ口を求めるために、そして幼なじみを救おうという衝動のために、かなりの無茶をしながら今回の行動を完遂してしまった、と考えることはできるのです。 できるのですが。

 話の発端として、そんな行き場を失った龍馬のもとに、岩崎弥太郎から手紙が舞い込みます。
 まずこのリアリティが希薄。
 あてどもなくふらついている男のもとに、どうやって手紙を届けることができるのか。
 いくら弥太郎が以蔵の刑罰を見るに堪えなかったからとはいえ、どうしてわざわざ龍馬にそのことを訴える必要があるのか、という理由付けもない。
 溝渕がこのあり得なさを解消するファクターとして再登場させているみたいなのですが、そのことがかえって、リアリティのなさを助長してしまっている気がするのです。

 そして武市と以蔵の悲惨極まる状況を知り、大絶叫する龍馬。

 福山龍馬の演技力について批判的である人であればあるほど、この大絶叫には辟易したはずです。
 私はこの場面、ここまで絶叫することの不自然さのほうに、目が行きました。
 この絶叫には、龍馬が武市や以蔵に思い切り感情移入しているがゆえの要因もあるのですが、それ以上に、「自分に何ができるのか!」 という悔しさや、「どうして日本人というのは、いつもこうなんだ!」 という怒りまでもが加わっている、そう私は思うのです。
 ただ、その奥深い龍馬の心理が、話の展開上、全く伝わってこない構造になってしまっている。 ただ、武市や以蔵を助けてやりたくて絶叫しているようにしか、感じられない話の展開になっているのです。
 その結果、福山龍馬の絶叫演技が、とても白々しいものに見えてくる。

 そして脱藩者である龍馬が、溝渕の手を借りて土佐に舞い戻り、坂本家から絶縁してもらい、後藤象二郎の前に現れて、「吉田東洋を殺ったのは、このわしじゃ!」 と大芝居を打つ。 象二郎は大激怒。 のたうちまわって悔しがります。
 溝渕は 「なんちゅうヤツじゃ!」 と感嘆していましたが、私に言わせれば、「なんちゅうありえない話じゃ!」。 同じフィクションでも、ちょっとこの想像力には、ついていけないのです。

 じっさい龍馬と象二郎はこのあと、ちょっとした関係を築くのですが、その前フリ、きっかけを作りたかった、と脚本家が考えているフシもある。 けれども来週予告では武市も以蔵も死罪になるみたいだし、いったいこの龍馬の大芝居が、なんの役に立ったのか、という虚しさも、ついて回るのです。 予告の話の切り出しかたも含めて、ドラマの組み立て方としては、なんだかなーと感じます。

 そして、この回の内容が批判されるであろう最大の原因は、「いつまで武市と以蔵の話にかまけているのだ」、という点にあるような気がします。

 なにしろ、操練所廃止後の龍馬は、いろんな行動を取り始める。
 それをもっと見せてほしい、という向きには、武市らの話は食傷段階に入っているように思えるのです。

 これまでの 「龍馬伝」 には、いくらフィクションであっても、見る側を感動させる説得力に満ちあふれていたと思います。
 それが今回は残念ながら、完全に空回りしている印象だけが残りました。

 まあ、1年の長丁場のなかには、こんな回もあってもいいのかもしれないです。

当ブログ 「龍馬伝」 に関する記事
♯01論点が、はっきりしちゅうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/1-e718.html
♯02えらい天気雨じゃったのう(笑)http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/2-a44b.html
♯03食われっぱなしぜよ、福山サンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/3-8e96.html
♯04佐那チャン、ツンデレ、してません?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/4-5776.html
♯05アイデンティティの崩壊http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/5-d115.html
♯06本分をわきまえる、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/6-766e.html
♯07父のこころ、子のこころhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/7-e1b3.html
♯08汚さに磨きがかかる(なんだソレ?)弥太郎殿http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/8-8680.html
♯09思想か、命かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/9-febd.html
♯10もっとなんとかできたはずhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/10-b847.html
♯11龍馬が担ぎ出される、その理由http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/11-ac67.html
♯12武市の心理、執拗にやってますねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/12-2a95.html
♯13大友サン演出は、一味違うhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/13-e7ca.html
♯14進む龍馬の空洞化http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/14-ef4d.html
♯15龍馬の人物像が、ちっくと見えてきたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/15-b072.html
♯16日本人じゃあぁーっ!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/16-5e1f.html
♯17試合という名のラブシーンhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/17-6ae8.html
♯18武市の転落ぶり、凍りつきましたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/18-77bb.html
♯19 5月10日って…明日?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/19-510-e7ac.html
♯20 ものの見方で軽くなる命http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/20-280b.html
♯21こう生きていくしかない人… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/21-47f8.html
♯22龍馬の情けなさこそが、作り手の表現したいことだhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/22-f109.html
♯23後戻り?…それは誰が決めるのだろうhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/23-0fc8.html
♯24蛍の儚い光、死んだ者の魂http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/24-3fb3.html
♯25史上最大のツンデレ…?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/25-9092.html
♯26なんでもできる!って、なにができる?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/26-e782.html

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2010年7月 4日 (日)

「鬼太郎 幸せ探しの旅~100年後の遠野物語」 目玉おやじの声優サンの話

 教育テレビで 「鬼太郎 幸せ探しの旅」 と称して、鬼太郎、目玉おやじ、ねずみ男が遠野の信仰の世界を旅する、という番組をやっていました。
 マンガ家の水木しげる氏も 「遠野物語」 に大いに影響を受けたとあって、鬼太郎たちと一緒に遠野を旅しています。

 番組の内容のほうはこちらに置いといて(失礼)、私が興味を持ったのは、CGで描かれた鬼太郎たちの声優サンについて。

 鬼太郎アニメの初代の声優サンである野沢雅子サン(鬼太郎)、大塚周夫サン(ねずみ男)を起用しているのは数年前のフジテレビ 「ノイタミナ」 で放送された 「墓場鬼太郎」 以来なのですが、問題は去年亡くなられた、目玉おやじ役の田の中勇サンの声。

 田の中サンは亡くなるまで、一貫して目玉おやじを演じ続け、何度かの声優陣交代の際にも、目玉おやじ役はこの人しかできない、という理由で交代することがなかった。

 そのために田の中サン以外の声優サンが目玉おやじを演じるのを、この番組で生まれて初めて見たのですが(オオゲサですが)。
 青野武サンが演じておりました。

 青野サンは 「宇宙戦艦ヤマト」 の真田、「ドラゴンボール」 のピッコロ大魔王、「ちびまる子ちゃん」 の友蔵の声などが有名なところですが、声優サンのなかでは大御所のひとり。
 確か最近脳梗塞で長期療養に入り、友蔵の声も交代したとか。 ということは、療養前に収録されたようですね、この番組も。

 野沢サン大塚サンのコンビも結構珍しいことなので、この組み合わせ自体がこの番組だけで終わってしまう可能性もなきにしもあらずですが、「ゲゲゲの女房」 の派生的な特番がNHKで量産されているだけに、もっとこの組み合わせが見たいものです。

 青野サンによる目玉おやじの声なのですが、青野サンの声にしては甲高く、精一杯高い声を出そうとしているのが分かります。
 ただやはり、田の中サンの頭のてっぺんから出したような高音は出るはずもない。
 それでも、これはこれでありかな、という気がしないでもない。
 現在考えられる、ベストな配役と言えるかも知れません。

 それにしても、水木サン、88歳ですか? お元気すぎますね。
 一反もめんが出てくると反射的に布美枝(松下奈緒サン)を思い出してしまう、今日この頃なのです(笑)。

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「ゲゲゲの女房」 第14週 自分の名前と自分の存在

 今週冒頭から、テレビによってますます厳しくなる貸本屋の現状を見せた 「ゲゲゲの女房」 第14週。 もともと 「こみち書房」 自体が架空の存在らしいのですが、その架空の場所を舞台として、ダンナ(光石研サン)のシベリア抑留から燃え尽き症候群になるまでの過程、田中美智子(松坂慶子サン)の子供が亡くなった件が、これまでこのドラマのなかでは小出しに織り交ぜられてきました。
 それはとても消化不良な印象だったのですが、今週はこの、田中家の話が凝縮されて、とても心を揺さぶられる話に昇華していた気がします。
 そして今週で、この田中家の人々ともお別れ。 何ともさびしいものを感じます。
 調布市が東京オリンピックのマラソン折り返し地点であったように、田中家はちょうどドラマの折り返し地点まで布美枝(松下奈緒サン)の心の支えになっていたわけですね。

 貸本という形態から脱却する月刊漫画誌である 「ゼタ」 の発売を急ぐ深沢社長(村上弘明サン)、結核の悪化という大病を乗り越えたからこその急ピッチぶりだったようです。
 この 「ゼタ」、実際のモデルは 「ガロ」 だということは、ちょっとマンガに詳しい人ならすぐに分かるのですが、それにしても、なぜ 「ゼタ」 なんだろうなーと、私ずっと考えとるのですよ(笑)。
 ドラマで出てきた、出来上がった表紙のロゴを見てちょっと思いついたんですが、「ガロ」 の 「ガ」 の字をちょっと変形させると 「ゼ」 の字に近くなり(笑)、「ロ」 の字の右下の部分を伸ばすと 「タ」 の字に近くなる(笑)。 それだけのことかなー、なんて(笑)。

 茂(向井理クン)が貸本から雑誌に進出した、というのも、実はかなりの転機だった気がするのですが、大人の読者を見据えているペーソスというものを茂が描くことができた、というのはとても大きい。 時代劇や少女漫画まて描かなければならなかった水木しげる氏が最も自分のスタンスで描くことのできたマンガが、これのような気が私にはするのです。 そのことが、どんなにマンガ家にとって喜びであるか。 このドラマは女房のほうの話なのでそこらへんの突っ込んだ描写はありませんでしたが、しっかり茂のその社会批評眼の凄さを織り込んでいたのには、毎度のことながら感心です。

 村井家にやって来た戌井(梶原善サン)とはち合わせた深沢とその秘書加納(桜田聖子サン)。 ふたりの出版社社長のコントラストをまたここで鮮やかに切り取りながら、布美枝はやり手の秘書加納の言葉に、ちょっとしたショックを受けるのです。

 「私、名前がないのイヤなんです。 名前がなかったんです、ずっと。
 前に勤めていたの、そこそこ大きな会社でした。 きれいな秘書室もあって、お給料もまあまあ。 でも、誰も名刺持ってないんです。 何とか重役の秘書、それが名前ですから。 仕事をしていても、自分の名前はないのと一緒です。
 つまらないじゃないですか。
 会社では誰々の秘書、結婚したらなんとかサンの奥さんになって、なんとかチャンのお母さんになって…そんなのつまらない」

 ここでこの言葉にショックを受けている布美枝に、戌井が 「奥さん!」 と呼びかけるのです。 連合艦隊の模型作りを手伝ったことを口々に褒める戌井と深沢。 でも布美枝のことを名前で呼ばず、「奥さん」 とばかり呼びかける。 さりげなくも、実に秀逸なシーンでした。 今週の 「ゲゲゲ」 では、名前についての話がもう一度、重要な場面で出てきます。 えっ? もう忘れました?

 とにかくいっぽう、はるこ(南明奈チャン)は、貸本マンガ家としての限界を強く自覚し始め、「私には、時間がないんです!」 と浦木(杉浦太陽クン)に激白するのですが、どうにも意味深でした、このセリフは。 南明奈チャン、この役、合ってますよね。 ここまで演じることができるんだなあ。 杉浦太陽クンも憎々しい役どころなのですが、なんだか出てくると必ず笑わせてくれる。 このふたりのキャスティングには、正直舌を巻きます。 合わないようでいて、合っている。

 加納の 「名前がないのはイヤ」 という言葉に発奮したのではないのでしょうが、布美枝は売り上げ不振に悩むこみち書房に、オリンピックに便乗して、本を多く借りた人にはメダルをあげよう、というアイディアを提案します。
 果たしてこの思惑は当たって、こみち書房はまた子供たちで繁盛し出すのですが、これがかえって悪書追放団体の格好の標的となってしまい、ダンナの光石研サンと大モメ状態となって警察が割って入る騒ぎとなり、そのことがきっかけで、決定的に客足が遠のいていくのです。

 警察沙汰寸前の騒ぎになったあと、キヨ(佐々木すみ江サン)は政志を厳しく叱りつけるのですが、政志は店先に落ちていた、布美枝の作った金メダルをいったんは足でけっぽろうとし、思い直して自分のポケットに入れ、店を出ていく。

 気まずい雰囲気が流れる中、いつものように気を取り直して明るく 「お茶でも淹れようか」 と場を和ませようとする美智子に、キヨは 「どうして女房なら政志にちゃんと言わないんだ!」 と一喝するのです。
 それまでにないほど、意気消沈してしまったような、美智子。
 お客さんの呼ぶ声にも、いつもの元気さが全くなくなってしまいました。
 それを見ながら、キヨは布美枝に、美智子はなんにも悪くない、と打ち明けるのです。

 「何度も言って聞かせたよあんたのせいじゃないって…。
 それでも、自分を責めちまうんだろうね。
 …母親だから…」

 泣けました。

 「でもね、美智子が、自分を責めてるうちは、政志だって救われないよ…どうしたらいいかねえ…」

 叱るのは、親の愛情。
 そのキヨの苦悩が、とてもよく分かるし、親ってのはちゃんと言うべきことは言ってくれてありがたいなあと思うと、自然と泣けてくるのです。

 それからひと月。

 地主さん(九十九一サン…年食ったなぁ…)から地代を倍にするというムチャクチャな話をされているのを政志に相談した美智子でしたが、あっさりと 「貸本屋なんかやめちまえ」 と言われ、キヨの言葉を思い出したのか、政志に初めて、涙ながらに詰問するのです。

 「なんで簡単に言うのよ!
 やめろなんて、なんでそんなこと、軽く言うのよ!
 ここやめたら、なにが残る?
 だってそうでしょう?
 ここがあったから、今までやってこられたのよ。
 この店があったから、町の人や子供たちが集まってくれて、みんなで笑ったり泣いたりできた。
 だからやってこられたの。 ここがあったから。
 あなた、私にも、自分の人生にも、背中向けたままじゃない。
 私を許さず、いつだって、背中で私を責める。
 そんな人と、どうやって暮らせばよかったのよ!」

 今まで外見上はいつもニコニコしていて、まわりにいる人の太陽であり続けようとしていた、そんな美智子の初めての激白。 それまでの彼女の頑張りが見えたからこそ、彼女の悲しみがこちらに素直に流れ込んでくる。 ここでも泣けました。

 「おしまいなのかなぁ…。
 店も…私たちも…」

 その場に居合わせた布美枝に、美智子はふとそうつぶやく。
 それまで明るくみんなの支えであろうとしてきた人だったのに、自分のほうが折れようとしている。
 顔を両手で覆って泣いてしまう美智子。
 悲しすぎます。

 いっぽう政志は、美智子の初めての自分への反発に恐れをなして家に帰れず(笑)、茂のもとに話を聞きに来るのです。
 その際政志は藍子チャンを野犬から救うことになるのですが、前の回から野犬がうろついている、という前フリがあったわりには、大したことにならなくて(笑)。 「ゲゲゲ」 では、よく藍子チャンが受難する描写があるのですが、先週のビー玉飲み込みに続いて今週は野犬にほえられ(笑)。
 子供というのは、かように危険に取り囲まれている。 目を離したすきにとんでもないことが起こる、というのは、日常茶飯事と言ってよいでしょう。

 その政志は、茂にこう尋ねます。

 「前に言ったろ? 好きだから漫画描いてるって。
 でもよ、…もしも、マンガが先生を追い詰めたら、どうする?
 マンガのせいで、仲間から裏切られたら?」

 政志はシベリア抑留時代、得意だった電気工の仕事のせいでロシア人から重宝がられ、それがアダとなって同じ日本の仲間から痛めつけられた過去を持っていたのです。

 それに対する茂の答えは、実にご本人が言いそうなセリフでした。

 「戦争では、みんなエライ目に遭いましたなあ。
 仲間も大勢死にました。
 死んだ者たちは無念だったと思います。
 みな生きたかったんですから。
 死んだ人間が一番かわいそうです。
 だけん、自分は生きている人間には同情せんのです。
 自分も貧乏はしとりますが、好きなマンガを描いて生きとるんですから、少しもかわいそうなことはありません。
 自分をかわいそうがるのは、
 つまらんことですよ」

 自分をかわいそうがるのは、つまらないことだ。

 私もなにかって言うと、自分をかわいそうだと思う癖があります。 これって、つまらんことなんですね。 いや、実際そう思います。 つまらんです、自分に同情するのは。

 そこに東てる美サンが、美智子がいなくなったと告げに来る。
 布美枝と政志は、美智子が自分の亡くなった子供のお墓に行ったのではと同時にひらめくのですが、迎えに行くことをためらう政志に、布美枝はこう言うのです。

 「迎えに行ってください!
 美智子さん…『もう終わりかもしれない』 って泣いてたんです。
 『こみち書房も、政志さんとも、もうダメなのかな』 って…。
 いま迎えに行かないと、美智子さん、戻れなくなる。
 政志さん!」

 メダルのことにしろ、政志への強い要請にしろ、今週の布美枝は、加納に 「名前でなく奥さんなどと呼ばれるのはつまらない」 と言われたことに反駁しているような決断が多かったような気がします。 ここでさりげなく、「自転車で行かないと日が暮れる」 と助け船を出す茂も、いいですなあ。

 そして政志は結局、千葉で電気工としてもう一度人生をやり直そうと決断するのです。

 「勝手なんだから、ホントに」

 「すまん」

 「そうね…行こっか」

 ここのやりとり、小憎らしいまでの出来でした。 実話の中に挿入されたフィクションシーンかもしれませんが、実話部分を凌駕していた気がします。

 そのあと店にある本を片付けながら、美智子は政志に、「こみち書房」 の名前について話をします。

 「『みちこ』 を入れ替えて、『こみち』 だろ?」

 「うん。 だからね、場所はどこでもいいの。
 どこでやっても、私がいるところが 『こみち書房』。 エヘヘ」

 そんな美智子に、政志は布美枝の作った景品の金メダルをかけてあげるのです。

 「今まで、よく頑張ってくれた。 …金メダルだ!」

 ここでも、泣かせていただきました。

 場所はどこであろうとも、自分の生きている場所が、間違いなく自分自身の生きている証となっていくのだ。 たとえそれは、誰々の奥さんとか、なんとかチャンのお母さんでも構わない。 例え名もなき庶民でも、そこに生きていたことは、確かなことなのだから。
 布美枝にしたって、たまたま水木しげるというマンガ家が売れたからこそこうして名前を知られるようになったかも知れませんが、もともとなんの野心も自己顕示欲もなく、ただ毎日をひたすら生きてきた庶民のひとりなのです。

 このドラマの説得力は、まさしくここにある。
 普通の暮らしを追いかけることに、限りない意義が詰まっているのです。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第9週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html
第12週 冷たい風に吹かれてhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/12-2a16.html
第13週 自分のいるべき場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/13-f9bf.html

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2010年7月 3日 (土)

「鉄の骨」 第1回 建設業界って、こんな魑魅魍魎?

 小池徹平クンが建設会社の社員として談合にかかわっていく過程を描いた、NHK土曜ドラマ新シリーズ、「鉄の骨」。
 彼の演技は私、初めて見るのですが、その外野からいままで見ていた彼の印象、「とてもサワヤカーな好青年」 をそのまま役柄にしたような、純真無垢な性格の青年を演じています。

 その純粋な青年が、建設業界に重たくのさばって離れようとしない談合体質というものにしだいに染まっていくさまは、ひょっとするとサディスティックな興味なのかもしれません(笑)。
 第1回目では上司の豊原功補サンに 「お前がしゃべることで数億という利益が逃げていく。 黙ってろ」 と言われたことを忠実に守っただけなのですが、この時点ですでに、タブーに対して見て見ぬふりをする第一歩を踏み出している。
 そして密告によって崩れようとしていた入札談合の約束を今まで通り通してもらおうと、土下座して他社に頼み込む豊原サンとともに、意を決して土下座の連座に加わる。

 汚れていきつつありますなあ~(笑)。

 今後このサワヤカーな好青年がどのように汚れまくっていくのか、ちょっと見ものではあります。 その点で、あくまでサワヤカーな演技を第1回目はし続けた小池クンの度量、今後見極めていくことになるでしょう。

 ところでこのドラマ、冒頭からいきなり、ドカタのニーチャン(スイマセン、名前分かりません)が現場でタバコを吸っているのに小池クンが激怒、「ここは禁煙だ!」 とぶん殴り合いのケンカになるのですが、なんかありえねー、というか(笑)。

 確かに現場では禁煙なのでしょうが、詰所などでは基本的にタバコは吸い放題。 行ったことあるんですが、すごいもんですよ。 もうもうとしてます。 そこで吸っとりゃいいものを、わざわざ禁煙場所で吸っているアンチャン、この時点で仕事不適格者ですね。
 そのアンチャンがコンクリートにタバコの吸い殻を押しつけたことで、「コンクリートの強度に影響が出る」 などという理由で取っ組み合いになってしまう、という展開も、実にあり得ません。 ドカタという人間を必要以上に貶める、恐れさせる演出なのではないでしょうか。 そりゃとっぽいニーチャン達、多いですけどね。

 と同時に、このドラマで表現されている建設業界の人々、実におどろおどろしい人たちばかりなのがとても気になります。 建設業界のマイナスイメージを強烈に印象付けようという意図さえ感じる。

 たしかに、この業界ははるか昔からよからぬ業界の人々によって牛耳られ、「○○組」 という名称にその名残も見え隠れしています。 このドラマの舞台も、「一谷組」。
 だからと言って、小池クンがいきなり転属させられた事務のネーチャンまでドスが効いていてオソロシイ、というのは、いくらなんでもやり過ぎでは。

 私がドラマを見ていて思うのは、談合体質、というのは業界の古い体質という原因もさることながら、お上の現実離れした入札方式に最も原因がある、ということです。 たった2週間で積算やらなんやら、さまざまなことを用意しなければならない。 物理的に無理なのではないでしょうか。 そのことを問題にせずに建設業界の慣れ合い体質ばかりが問題にされている。 小池徹平クンが談合にかかわっていくうえでもっとも合理的な理由が、そこにある気がするのです。

 それにしても、自分が仕事をしていくうえで、実力以外で物事が進行していく、ということはよくあることです。

 それはコネであったり、接待などの相手を持ち上げるタイコ持ち行為であったりする。
 ゴルフ場はそのために潤っている部分もあるでしょうし、繁華街も接待の場として利益をあげている側面もあります。

 私はあまり社交的な人間ではないので、社会に出た当初から、こういうのはとてもバカバカしい、と思い続けてきました。 談合という体質はそんな社会全体の結晶として存在しているわけで、根絶させることには非常な困難を伴うと感じます。 それを潔癖症のようにただ批判しているだけでは、問題は解決しないでしょう。 要するに、談合を根絶させるのではなく、いかに合理的に、その体質をよりよい方向に進化できないのか、そちらのほうに解決の糸口があるように思えてならないのです。

 ドラマ的に誇張されているものは強く感じるのですが、小池クンが談合に手を染めていく過程の必然性がどのように表現されていくのか、その点に興味を持ちながら、このドラマを見ていきたいと思っています。

当ブログ 「鉄の骨」 に関するほかの記事

第2回 結局下が一番損をするhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/2-d7b7.html

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「紅の豚」 劣等感の裏返しとしてのカッコよさ

 「紅の豚」 が公開されてから、もう18年というのには、卒倒しそうになる。

 この映画はもともと短編もので、日本航空の機内上映用作品として構想されたのだが、宮崎駿監督の妄想が拡張し続けて劇場用作品になったという成り立ちを経ている。 そのせいか全体的なディティールがいかにも商業的ではなく、、宮崎監督自身の趣味の延長上、という印象が絶えずつきまとっている気がする。

 宮崎監督のもともとの制作動機というのが、昔の戦闘機によるチャンバラごっこだったということらしいのだが、私はこの作品を見るたびに、宮崎監督に関するあるエピソードを思い出さざるを得ない。

 それは、誰かが宮崎監督を隣に乗せて車を安全運転すると、宮崎氏が非常に怒る、という話だ(誇張はあるのかもしれないが)。 「そんな大人しい運転をするな、もっとガンガン飛ばせ」、と言うのである。

 つまり宮崎監督にとって車というのは機械そのものであって、その機械のポテンシャルを最大に活用することこそが、意義のあることなのだ。 それが宮崎氏の機械に対する礼儀であって、だからこそ愛着もわくし尊敬の念を感じることができるのだろう。 そして思いきりムチを叩かれてぶっこわれていくその機械たちに、宮崎監督は限りなく共感し、同時にエクスタシーをも感じるのではないだろうか。

 じっさい、宮崎監督の作品に出てくる機械たちは、そのほとんどが酷使されまくっている。 ナウシカが乗っていたメーヴェにしてもそうだし、ルパンの愛車フィアットも、千尋のお父さんが乗っていた車も、モリアーティ教授の硬貨偽造マシンも、リサの運転する軽自動車も。

 「紅の豚」 における戦闘機たちも、その例外ではない。
 それどころか、この酷使されまくる機械に対する宮崎監督の思いがいちばん凝縮しているのが、この映画なのだとさえ言える。 フィオやピッコロのオヤジなども完璧に空飛ぶ機械に魅せられているし、一族のものたちはすべて、そのために働いている。

 この物語が宮崎監督の、「機械を酷使することへの喜び」 という、きわめて個人的な道楽レベルの話であることは自明なのだが、もうひとつどうしても外せない、この物語を支える屋台骨、というものが存在する。

 それは、「カッコいいブタ」 というものに託された、宮崎監督自身の劣等感だ。

 失礼を承知で申し上げるが、宮崎監督は外見上、けっしていい男の範疇には入らない顔立ちである。
 年齢を重ねたことによって、髪の毛も白くなり、ヒゲも蓄えて、ここ数年の宮崎監督は実にカッコいい老人へと変身したのだが、その昔は髪の毛もダサい、メガネもダサい、鼻の下は必要以上に長い(ホント失礼だな)、けっして表には出てきてほしくない天才、という感じだった。

 そんな宮崎監督は、「ナウシカ」 以来着実に観客動員数を見込めるアニメ監督へと昇格し、長年培ってきた自らの劣等感を開き直る機会を得たのだ。
 いわく、「カッコ悪くて、なにが悪い」。
 外見は豚だけれども、メチャクチャダンディで、女にもモテモテで、空賊たちも嫉妬するかっこよさを発散させている。 しかも子供たちにはからきし弱く、フィオに魔法を解かれてしまう(しまったんだろう)不用心なスキも持っている。 ポルコ・ロッソという存在は、当時の宮崎監督が託した、ブ男たちの願い、中年の星なのだ。

 その劣等感の開き直りは、物語の最終局面で、ライバル同士の、ただのぶん殴り合いへと展開する。
 フガフガしながらも一見つまらないと思われるようなものに執着し、バカバカしいと言われようが、そのことに命を賭けて、ひたすらぶん殴りあう。 このアニメ映画は、無用の美学、というものの必要性を宮崎監督が声高らかに、謳いあげている作品なのだ。

 この、「バカバカしさへの讃美」 という観点は、宮崎アニメを見るうえでけっして忘れてはならない視点なのではないか、と私はいつも思う。
 「千と千尋の神隠し」 で、千尋が自分にかけられた呪いを解いたのも、実にバカバカしい方法だったし、「崖の上のポニョ」 で洪水を鎮めた方法も、真面目に映画を見ている人ほど 「バカにすんな」 という感想を持ったであろう結末だった、そう思われるのである。

 近年宮崎アニメに対して、必要以上に何かを期待しすぎる傾向が、逆に 「最近の宮崎作品はかつてに比べると出来がよくない」 などという的外れな議論と連動している気がしてならない。
 これは、宮崎映画のパンフレットで必要以上に小難しい内容を書き連ねていることのひとつの弊害だと私は考えるのだが、宮崎アニメの底流には、ある種の 「巨大なおおらかさ」 が厳然と存在している。 それは、宮崎監督が、アニメーションというものに本来感じている、スラップスティックな非現実性に端を発している、私はそう考えるのだ。

 アニメというものは、もともと荒唐無稽なデフォルメされた世界なのだ。

 そのことが象徴的に表れているのが、この 「紅の豚」 でポルコ・ロッソが映画館で観る大昔の飛行機アニメなのではなかろうか。

 いずれにせよ、この 「紅の豚」 は、そんな宮崎監督の映画を肯定的に読み解くカギがそこらじゅうに落ちている、きわめて個人的な宮崎監督の世界を堪能できる、一風変わった作品なのだ。

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2010年7月 2日 (金)

ジョン・レノンのソロ作品が、またリマスター、とか…

 今年生誕70年、没後30年という節目を迎えるジョン・レノンですが、これまで様々に手を変え品を変え 「今は亡きスーパースター」 の 「新作」 が編み出され、出尽くした感があったために、どんな目玉を用意しているのか、と思ったら、またまたリマスターCDの発売ですよ。

 2000年に入ったあたりから、ニュー・センチュリー・ヴァージョンとかいってリマスタリングCDをすでに出しているので、またどうしてこういうことをするのかな、という気がしてならないんですが、ファンは悲しい習性で、また買ってしまうのでしょう。

 私はもういいかな、と考えているのですが、ちょっと興味をそそられているのが、このリマスター盤をすべて網羅した 「シグネイチャーBOX」 というシロモノ。
 未発表曲や、アルバム未収録のシングル盤などで構成されたCDが、3枚余計についてくるらしい。
 ああ~これを買いたい、ということは、もういいかなという話じゃなくて、結局全部買ってしまう、ということではないかぁぁ~っ(笑)。

 だいたい私が買ったこの、ニュー・センチュリー・リマスター・シリーズで、「ロックンロール」 だけは、あの悪名高いCCCDなんですよ。 当時は悪評にもかかわらず気にしないで買ってしまったのですが、それをかけ続けたCDプレイヤーが壊れ続ける、という憂き目に遭ってしまって、それからは断然アンチCCCD派。
 「心の壁、愛の橋」 についても、パソコンで容易に聴くことができない半分不良品みたいなもので。
 それを買い直す、というバカげた作業を強いられるのは、どうにも我慢がならない。

 けれども、古くからのファンにとってはうんざりするような企画でしかないのですが、新たなファンを生み出す機会を創出している、と考えれば、あながちバカにし切った話でもない気がします。
 ヨーコサンの思惑も、ジョンの音楽を次代にも聴いてもらい続ける、というところにあるのでしょうが、これまで毛色の変わったCDを買い続けてきたファンたちの印象をいたずらに悪化させる、非常にリスクを伴った行動であることは間違いない、と感じます。

 こういうことをするより、私ならばUSB BOXを売るとか高品質CDにして売るとか、そっちのほうを考えますけどね。
 特にUSBというのは、自分がビートルズのUSB BOXを購入したから正直に言うのですが、音質が最高にいい。
 霧が晴れた気がするんですよ、USBの音を聴いていると。 ジョンのソロ作品も、そろそろCDという枠から脱却したらいいのでは?と思えてならないのです。

 それにしても今回気になるのは、「ダブル・ファンタジー」 の 「ストリップトダウンヴァージョン」 と呼ばれる、まあ要するに、ミックス・ダウン作業でいろんな楽器のパートの音を絞ったヤツが出る、ということです。

 この前、NHKBSの 「MASTER TAPE」 という番組で、ユーミンの 「ひこうき雲」 を、そんな形でユーミンと当時のスタッフ、ミュージシャンたちが聴いていましたよね。 ユーミンのヴォーカルと細野晴臣サンのガット・ギターだけのヴァージョンによる 「きっと言える」 は、実に新鮮で、このヴァージョン欲しい!とまで思ったくらいですから。

 これをジョンのアルバムでやってしまう、というのは、興味をそそられますなあ、やっぱり。

 こういうことを、「ジョンが望んだ形ではない」「ジョンが生きていたらどう思うだろう」 などとおっしゃるかたもいらっしゃいますが、そこにこだわるのならば、アナログレコードを聴くべきだと、私には思えてならないのです。
 もともとのCDの音自体が、レコードの音とは決定的に違う。
 いまでは何食わぬ顔をしてスタンダードな基準になっているCDですが、私はこの媒体の登場当時から、レコードの音とは別物だ、と思い続けてきました。 プチプチという微かな音や、針がレコード盤にこすれる、低いゴリゴリ、という音がない。 それらもひっくるめてレコードを聴き続けてきた身にしてみれば、CDの音は確かに音はいいけれども、上品すぎるのです。

 話はそれましたが、これをヨーコサンの商魂などととらえずに(だってヨーコサンはもうじゅうぶんに金持ちですし)、21世紀、ヨーコサンも自分も死んでしまったあとに聴き継がれていくジョンの音楽を聴いてみる価値、というものはある気がします。

 ただ、ビンボー人には、ちとキツイ(笑)。

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2010年7月 1日 (木)

パク・ヨンハ氏のこと

 「冬のソナタ」 でペ・ヨンジュンサンの恋敵役をやっていたパク・ヨンハサンがお亡くなりになったとか。
 「冬ソナ」 ブームのとき日本にも来て、歌を歌っていたのを思い出します。

 私も御多聞に漏れず 「冬ソナ」 で韓国ドラマのファンとなったのですが、や、「チャングムの誓い」 のほうが先だったかなあ。
 なにしろ日本語吹き替え版のほうでは見なかったんですよ。 なんか見る気しなくて。
 ところがNHKBS2でやっていた字幕付きの 「冬のソナタ 完全版」 で、完全にハマりました。

 字幕のほうがこのドラマの本当の魅力にあふれている気がします。
 吹き替えに比べて、韓国人の皆さんはおしなべて声が低い。 日本人の声に重みが感じられないのは、そのせいなのでしょうか?

 とにかくペ・ヨンジュンサンもそうなのですが、チェ・ジウサンがこれまた声が低い。 その低い声で、「サンヒョガー」「チュンサガー」 とやられると、たまらんものがあるのです(なんだソレ)。

 なんか、人の名前を呼ぶとき、韓国語って語尾が変わるじゃないですか。 今あげたように、「チュンサン」 ならば 「チュンサガー」、みたいな。

 それってとても、人なつっこいものを感じるんですよ、私の場合。
 例えて言うなら、「男はつらいよ」 で寅さんが下條正巳サンのことを 「おいちゃん」、三崎千恵子サンのことを 「おばちゃん」 と言うみたいな。
 ひととの距離感を縮める呼びかけかた、という感じ。

 そのチェ・ジウサン演じる 「ユジナー」 から 「サンヒョガー」 と呼ばれていたパク・ヨンハサン。
 「冬ソナ」 ではそりゃイヤーな役だったんですが、見進めていくとなんだかとても同情したくなってくる。
 物語後半では、敵役にもかかわらず、「いいヤツなんだよなーコイツ」 と言いながら見ていました。

 「冬ソナ」 以降ではあまりドラマでお目にかかることは個人的にはなかったのですが、来日していた時の様子を思い出すと、「やっぱりいいヤツそうだよなーコイツ」 という感じでした。

 いいヤツというのは、どうして早死にしたがるんでしょうか。

 心の優しすぎる人間にとって、この世は生き辛すぎるのです。

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