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2010年8月23日 (月)

「龍馬伝」 第34回 志で飯は食えるか

 薩長同盟の要となる軍艦や銃の買い付けに大きな力を発揮した、近藤長次郎(大泉洋サン)。 今回の 「龍馬伝」 は彼の心の動きをメインに据え、切ないばかりの話に昇華していました。 泣けました。

 ここでこの話に感動するためにどうしてもクローズアップしなければならないのは、亀山社中の経済状態。
 長次郎は今回の話の中で、「亀山社中は火の車じゃ!」 とその逼迫した状況を説明している。
 実際のところどうだったのかは詳しい人たちに任せるとして、ドラマを見ている限りでは、ある程度の収入はあったものだと想定されます。 でなければ、当時高価だった写真などそうそう簡単に撮れるものではないし、芸子遊びなどできるわけがない。
 そこのところを 「金もないのによくいろいろできるもんだ」 という冷めた目で見てしまえば、今回の長次郎の話に、到底没入できないのではないでしょうか。

 そして今回の話のキーとなる小道具に、この 「写真」 が使われるのです。

 その話はのちほどするとして、長次郎が中心となって取り決めたと思われる、長州に運んできた軍艦を薩摩名義のものとし、亀山社中も自由に使える、とした約定が、まず問題にされる。
 ここで桂(谷原章介サン)の苦渋を描き出すことによって、長州の中での不満分子が生まれつつあることを描き、龍馬(福山雅治サン)暗殺への萌芽を匂わせる。 高杉晋作(伊勢谷友介サン)はそんな龍馬に、自分の大切にしていたピストルを贈るのです。

 長次郎にとってみれば、この約定の動機は亀山社中の行動拠点として今後の金もうけのための足がかり、だったはずです。 このドラマではあくまで亀山社中の目的は 「日本を守る」 というきれいごとに終始していますが、実際のところは龍馬にしたって、霞を食って生きていけるなどと考えていたわけではないことは想像がつく。 龍馬が長州の不満を抑えるために、軍艦を長州名義にすることをのむところでは、そこらへんの脳内補完が必要な気がします。 それをこのドラマを批判する人は、リアリティがどうのとか脚本がどうのとか指摘する。 僭越ながら申し上げますが、何でもかんでも説明してもらわなければ分からないというのは、ドラマを見るのには適切な姿勢ではないと思いますね。

 ドラマでは長次郎をさらに極端に追い詰めるために、亀山社中のメンバーに長次郎をコテンパンに責めさせる。
 ここで最大のキツーイ一発は、長次郎のことを 「偽侍」 とののしる言葉。

 ドラマ終了後の 「龍馬伝紀行」 での知識程度でものを言う失礼をお許しいただきたいのですが、ドラマの作り手は、近藤長次郎が 「切腹して死んだ」 という点に最も着目している気がします。 もともと饅頭屋(商人)であった男がどうして切腹しなければならなかったのか。 士農工商という厳しい身分制度が、まるで崩壊しているかのような長次郎の 「侍としての死に方」 なのですが、その当時の決まり事との齟齬を考えながらでなければ、このドラマをきちんと見ることができない。

 長次郎は結局、長州からの謝礼金を元手にイギリス密航を企てて失敗し、それが露見するのを防ぐために自ら切腹した。 長州の者たちがイギリスに留学した、などという話を聞いていて簡単に行けると思った、長次郎の思慮の浅さにも着目せねばならないのですが、ことが長崎奉行所に知れ亀山社中にも手が回ってきたと知れば、自分がしたことがどんなに大変なことか、いやがおうでも気づいてしまう。 人生、順風満帆に過ごしていた人がこの長次郎を見たら、「なんと浅はかか」 としか思えないでしょうね。 そして長次郎を 「偽侍」とののしった男が放つ、やり場のない後悔の言葉。 人を心から傷つけて自分も傷ついた、という経験のない人からすれば、とてもわざとらしく見えるでしょうね。
 龍馬が切腹して果てた長次郎の元に駆けつけ号泣するシーンでは、そんな後悔ややるせなさがドラマ全体を重く覆っていて、知らず知らずのうちに涙しました。

 長次郎の切腹を詮索する長崎奉行所にたいして、あくまでしらを切りとおす、グラバー(ティム・ウェラードサン)、小曽根乾堂(本田博太郎サン)。
 亀山社中の代表として奉行所で申し開きをした龍馬も、一切知らぬ存ぜぬで通す。
 この彼らの心意気が、長次郎の死を冒涜してはならないという強い意志にあふれていて、また知らず知らずに涙が。

 そして、お元(蒼井優サン)を呼んでひとり盃を交わす、龍馬。
 お元が先週龍馬を評した 「おめでたい人」 という言葉は本当じゃった、と話します。
 志を大きく持つのもいいが、それには現実が伴っていなくてはならぬ。
 龍馬はそのことを今回つくづく思い知ったのです。

 もうひとつ用意された膳にお元は 「もうひとりのおかたは?」 と龍馬に尋ねるのですが、龍馬はこう答えるのです。

 「おまんとおんなじように、異国に行きたいと、夢見た男じゃ…」

 龍馬を見つめるお元。 ぼんやりと、悲しみが通り過ぎていくのをただ見守るかのような龍馬。

 死者を弔うかのような舞を続けるお元を見ながら、龍馬はその、もうひとつ出された膳の上に、長次郎がひとり写った写真を置いて、こうつぶやきます。

 「…約束通り、今夜はおまんとふたりで飲むがぜよ…」

 今は亡き、昔からの友に盃をあげながら、静かに涙を流す、龍馬。
 私も涙、涙でした。

 今回冒頭では、亀山社中の面々とワイワイガヤガヤ、ひと仕事を成し遂げて浮かれまくる若き青年たちがテリー伊藤サンに写真を撮られていました。
 それがまるであまりに遠い昔の出来事のように、龍馬が酒の席に持ってきていたのは、イギリスに行こうという大きな夢に飲み込まれていく寸前に撮られた、長次郎のひとりきりの写真。 その切羽詰まった表情。
 その対比が鮮やかで、ドラマとしては極上のものを見せられた気がします。

 龍馬はここで、金もないのに芸子遊びをしているわけではない。
 金がないからこそ、長次郎のために、精一杯の弔いをしているのです。

 …どおーも、「龍馬伝」 批判の人たちに向けたような記事になってしまいます。 生意気なことを申し上げました。 気分を害された方にはお詫び申し上げますが、人気だけで実力の伴わないやつが…とか、幕末を知らないやつが…とか、そんな見方でこのドラマを楽しめないかたがたは、なんかとっても損をしている気がして、ならないのです。

 そして、大泉洋サンの長次郎や 「龍馬伝」 に対する思いを読んで、また涙している、私なのです(その番組HPはこちらhttp://www9.nhk.or.jp/ryomaden/topics/20_comments/index.html)。

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コメント

リウ様
こんばんわ

>今は亡き、昔からの友に盃をあげながら、静かに涙を流す、龍馬。

今日は仕事中もこのシーン思いだして涙をこらえるのが大変でした。

>何でもかんでも説明してもらわなければ分からないというのは、ドラマを見るのには適切な姿勢ではないと思いますね。

同感です。何でもかんでも説明を求めた結果が去年のように大事な所がナレーションでスットンでいったようなドラマに…ただ、去年のほうが視聴率は良かった事を思うと視聴者が求めているのはああいうライトテイストなんでしょうか?

来週は、薩長同盟。再来週は寺田屋ですね。
ワクワクします。

 リーンです。ここに出没します。
 かなりドキドキしながらこの記事を読みました。
 近藤長次郎の描き方は、苦心して、かつ大胆に書いているな、と感じられました。かなり史実とドラマの狭間で揺れましたが、一日経って振り返れば、やっぱりいい話だな、と感心もしましたし、魅力あるストーリーである、という結論に達しました。ああ、長かった。
 放映終了後、本棚から書籍を取り出してこのあたりの経緯がかかれているところをざっと読んでみました。龍馬たちが亀山社中を立ち上げたとき、「社中盟約書」を作ったのですが、その中に

「凡そ事大小となく社中に相議して之を行ふべく、若し一巳の利の為め此の盟約に背く者あらば、割腹して其の罪を謝すべし」

(『坂本龍馬日記<上>』 新人物往来社刊 P197より)
との一条があります。
 
 私が理解していたこととしては、近藤は小曽根亭から社中の人間によって連れ戻され、この盟約に違反した重罪人として自害を半ば強要されて果てた、ということです。近藤の身勝手さと、組織と違う人間を異分子として排除した後ろ暗い出来事として記憶しています。自由を得て勉学に励むことに急ぐあまりにグラバーから渡された金を渡航費用に使った(と理解しています)身勝手な近藤を、大義に違反する者を認めない(詰問の先頭は沢村惣之丞といわれている)日本の集団の悪しき体質を残念ながら露呈した組織によって潰された、これを半ば事実と受け取っていました。この陰湿極まりない事件の登場人物のキャラクターを立たせ、そこからドラマにするのはかなり苦労したんじゃないでしょうか。さらに、歴史を曲げすぎない程度の事実の改変と隙間に入れる大胆な創造、などなど、手を加えなければ話にとてもならない。おまけに龍馬は、京都に到着してからこの一件の顛末を知ったといわれているので、主人公をどこで活躍させるか、あれやこれやを煮詰めて説得力ある脚本にするのはプロでも容易ではないと推察します。
 そこまで踏まえて考えてみれば、なかなか味のある話です。龍馬が据え膳をふたつ用意させ、ひとりで黄泉の国にいる近藤に杯を傾け、お元が憂いを滲ませながら舞う場面、私は感心もしましたし、好きなシーンです。龍馬を長崎に来て酒を飲ませなければ今回のクライマックスは成り立ちません。個人の希求、欲望がかなえられない国、日の本への絶望と、はにかむ笑顔がまぶしかった近藤がいない悲しさが浮き立ちます。薩長同盟締結が成される同じ月に起きた惨劇、これから大事を成す、龍馬が理想を完成させるまでに、いくつ犠牲を生むのか、そこに思いを馳せている場面とも取れます。町人として生まれながら武士として死ななければならない身分制度の不条理さ、長次郎の無念を龍馬とお元だけが知っていたでしょう。涙を誘われたのもむべなるかな、です。
 テレビドラマは、視聴者に幾ばくかの予備知識と大きな想像力があると楽しめるものですよね。受け取り手が咀嚼して味わうもの、出された料理を口にする前に美味い不味いといってもはじまらない、ってことじゃないでしょうか。リウさんのドラマにおける愛情と文章にこめられた含蓄、噛み締めることにします。

 書きたいことは山ほどありますが今回はこの辺で。

 *文責、事実誤認は筆者にあります。

エツ様
コメント、ありがとうございます。

「適切なドラマを見る姿勢」、などと生意気なことを書いてしまいました。 そんなもの、ただ漫然と見とりゃええじゃないか、と言われれば、返す言葉もないのですが。

ただドラマっていうのは、人間どの部分で見るのか、というと、やはりそれまで生きてきた、自らの経験で見る、と思うんですよ。 ちょっと分かりにくい話で恐縮ですが。

自分が傷ついたことがなければ、ドラマで人が傷つくのを見ても何も感じないだろうし、大事な人が亡くなって悲痛のどん底を経験したことがなければ、ドラマの中で誰かが死んでも、何とも思わないだろう、そういう理屈です。

「龍馬伝」 を批判する人は、自分の知識がすべてだと思い込んでしまって、ドラマを心で見ることを忘れてしまっている、大変失礼ながら、そんな風に思えてならないのです。

「天地人」 の場合は、その肝心の人間ドラマが、とても底が浅かった(ただし数回は、とてもよくできていました)。 「龍馬伝」 は違う、私はそう考えます。

リーン様
コメント、ありがとうございます。

大変含蓄のある文章で、私も 「そういうことだったのか」 とヒザポン状態で読ませていただきました。

歴代の大河ドラマ、私も年が年なのでずいぶん見てきたのですが、これは完全にフィクションです、と言えたのは、市川染五郎(現在の松本幸四郎サン)主演の 「山河燃ゆ」 と、三田佳子サン主演の 「いのち」 くらいかなあ。 「獅子の時代」 も架空の人物が主演だったらしいですが、見ておりませんでした。

それ以外はおしなべて、歴史上の人物を取り上げてきたわけですけど、その歴史上の人物、ひとつもひどいことをしてなかったか、というと、多分ほぼ例外なく、こりゃ不適切だろう、ということをしている。

それをヒューマニズムあふれるきれいごとに話をすり替えてしまうのは、大河ドラマのいわば常套手段なのです。

そのルールを無視できるのは、おそらく織田信長のみ(笑)。
信長が主役だった場合でも、信長の狂気はきちんとドラマになっておりました。

ただし、人間誰しも、こりゃ不適切だった、これは人には言えない、という後ろ暗いところのひとつやふたつは持っているのではないでしょうか。 私にだってあります。 清廉潔白に人生を生き切る人というのは、かなりまれだと思います。 「自分は何もない」 と言える人は、かなり鈍感か、さもなければとても幸運な人です。

そのうえで大河ドラマにおけるきれいごとを理解しながら見続けるのには、やはりドラマとしての深さが必要不可欠なのです。

「龍馬伝」 に関しても、極端な敵キャラの作り方など、確かに眉をひそめる傾向もあることはあるのですが、その話の組み立て方において、感心することが多いです。

史実との整合性、という問題は常に大河に付きまとっているのですが、30年以上大河を見てきた自分にとってみれば、話に感動したことは覚えていても、だからと言ってその歴史上の人物をただ手放しで評価しているわけでもないです。 ドラマはドラマとして、いいものを見させてもらった、この年の大河はだめだった、という記憶でしかない。

私も自分の歴史知識の無知をさらけ出しながらこのブログを書いておりますが、だからこそドラマとして成立しているかに的を絞って書いているつもりです。 こんな私に今後ともご教授いただけると、誠に幸いです。

リウ様

今回の長次郎メインのドラマ。泣けましたね。視聴しながら涙があふれてとまりませんでした。

>ただドラマっていうのは、人間どの部分で見るのか、というと、やはりそれまで生きてきた、自らの経験で見る、と思うんですよ。 ちょっと分かりにくい話で恐縮ですが。

>自分が傷ついたことがなければ、ドラマで人が傷つくのを見ても何も感じないだろうし、大事な人が亡くなって悲痛のどん底を経験したことがなければ、ドラマの中で誰かが死んでも、何とも思わないだろう、そういう理屈です。

私もそう思います。同じドラマをみても感動する人、しない人。見ている人それぞれの経験によるものだと思います。

「龍馬伝」としたことで、さまざまな角度からいろいろな人物を描きつつ、龍馬を追うことができているのかなと思います。脚本、演出ともかなりのレベルの作品だと感じています。
町の通りひとつにしても、リアルな感じが良く出ていて、(汚し専門のスタッフがいるという話でした)ドラマ作りに関わるスタッフの方々の思い入れも伝わってきますよね。
 私自身は福山さんのファンですが、実際、始まる前は、このキャスティングは??と思っていました。でも、ドラマの進行とともに福山さんの成長=龍馬の成長を意図していたのかもしれないなと思い始めています。

リウさまやリーンさまのコメントでいろいろ深くドラマを見る事ができて,とても感謝しています。

長い文章を推敲しつつ入力されるのは多大な労力を要することと思いますが、いつも楽しみに拝見させていただいておりますので、今後ともよろしくお願い致します。

 リーンです。一回だけ再出没します。読みにくい雑文をお読みいただき皆様ありがとうございます。
 
 リウさんが後ろ暗いところをお持ちといわれるなら、私は心中真っ黒クロ助です。ウフフ。『龍馬伝』の登場人物も人に言えないことばかりしているし、大義の為に他藩と戦い、排除する。龍馬だって実は大金をネコババしている、なんて研究を載せた本も出ていますからたまらない。もはやみんなで足の引っ張り合い、嫌んなっちゃう。でも製作側が手を尽くしてドラマとして成り立たせている、やっぱりいいドラマです。
 
 今回の話にこちらはかなり過剰反応をしました。この事件は、実は連合赤軍を想起してしまうのです。人間離れした内ゲバの論理によって長次郎は排除され、長次郎も仕方ない面があった。そうした理解が拭い去れなかったのですが、1970年浅間山荘事件を連想させる言葉をどうしても使わずに書こうとして、あんな難文になってしまいました。こんな陰湿な言葉を書けば、今回、感涙を絞らせた長次郎に悪い気がしてなりません。避けて通りたい事件をここまで仕立ててもらって満足です。

 今回のキャスティングは、福山雅治(T.Kよりも好きです)はもちろん、ほかの人物もかなり興味深い配役をしていると思います。ついに三吉慎蔵が登場しましたが、寡黙な人柄で龍馬が大事なものを後に託す一徹な男を饒舌な筧利夫にやらせるのは、製作側が異分子を掛け合わせて相乗効果を狙っているのでしょうか。不謹慎ながら笑いがこみ上げてきました。勝海舟、西郷隆盛、……、面白いことをしますね。でも、個人的な最高のキャスティングは吉田東洋ですね。東洋が劇中で語った龍馬の評価、ふたりが相対した場面、私はここを見て、このドラマは最後まで追いかけようと思いました。私が言うまでもなく、リウさんがたっぷり書いてくださっていますので蛇足でしかありませんが。
 
 回を重ねるごとに龍馬の孤独が深まってきたようです。亀山社中の面々の人心すら、龍馬と離れていくような感覚を感じました。大仕事に係わっていくほど龍馬の背中が遠くなる。龍馬を止められる人間はもはやいないようです。

rabi様
コメント、ありがとうございます。

「龍馬伝」 批判をする人たちに向けて、半ばムキになって書いた文章に共感いただき、何とも恐縮の至りです。 ただ自分も、よくない時はよくないと書いているつもりなんですけどね(笑)。

幕末の人物に非常な思い入れのあるかたからすれば、「どうしてこんな描き方しかできないのか」 とムカムカするのも、とてもよくわかります。 ただそのムカムカが募ってしまうと、いい部分まで認めたくなくなってしまう、いわば目が曇った状態になってしまいます。

私はこのドラマを最初見たときに、幕末の人物を撮った写真から抜け出してきたような人たちばかりだ、と強く感じたものです。

浅黒くて、黒光りがしている肌。
眼だけがギラギラとしていて、そのひとりひとりが、何かを成し遂げてやろうという気概に満ちている。
そしておそらく写真を撮ろうというのだから一張羅を着てきたはずなんでしょうけど、やはりその着物、はたくとホコリが立ちのぼりそうな(笑)質感がある。
女性はかなりの部分でノーメイク。 まゆをそっていて一見オソロシイ(笑)。

幕末の人物の写真って、みんなそんな感じがしませんか? 「龍馬伝」 のリアリティは実は、ここが出発点のような気がしてならないのです。 こんなリアリティは、かつてどんな大河にもありませんでした。

おそらく後年、「『龍馬伝』 は大河の中でも特別な雰囲気をもったコンテンツだった」 と評価される気がしてなりません。

リーン様
再コメント、ありがとうございます。

仲間意識が極端な方向に発展してしまう、これは日本人の悪しき習性のような気がしますね。

古くは村八分、連合赤軍で言えば 「総括」、「仲間はずれ」 といういじめは、小学生までやってる。

足の引っ張り合い、というのも、島国根性の象徴的な性癖なんでしょうかね。 持ち上げたかと思うと、今度は蹴落としたくなったり。

これらの性癖は、他人との距離がうまく測れないことが原因となっている点で共通している気がします。
いったん人を好きになると、自分の中でその人を理想化し、自分の思い通りにならないと、病的なまでに過敏に反応する。

長次郎を吊るし上げた人々の心と、「龍馬伝」 を批判する人の心には、その点において、何か共通したものを感じます。

人付き合いにバランス感覚が必要なのは、幕末も今も変わらないようです。

話はちっくとくだけますが、筧利夫サン、三吉慎蔵という役名とかで、私の中では 「真田十勇士」 がごちゃ混ぜになって混乱しております(笑)。 十勇士の中に確かそんな名前の者がいたような…あ、あれは三好清海か、筧重蔵か…(笑)。

それにしても、リーンサンの 「龍馬と亀山社中との間に距離ができつつある」 というご指摘、実に言い得ていて、「クソッ、自分も記事の中に書きたかった!」(笑)と思うことしきりであります。

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    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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