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2010年8月14日 (土)

「色つきの悪夢」 薄れゆく戦争への認識、その移り変わり

 第二次世界大戦の記録フィルムにデジタル彩色を施した映像を、NHKで放送していました。
 このカラー映像自体はすでに見たことがあったのですが、今回趣向が変えられていたのは、この映像を若手俳優・タレントたちに見せてその感想を語らせるところ。
 その顔触れは、斎藤工サン(「チェイス」 では金持ちのボンボン、「ゲゲゲの女房」 で小峰を演じてましたね)、溝端淳平サン(「新参者」 で、阿部寛サンの助手をやっとりました)、中尾明慶クン(「ROOKIES」 が出世作でしょうが、私は 「金八先生」 からのイメージが抜けません)、中山エミリチャン、倉科カナチャン(言わずと知れた、「ウェルかめ」 ですね)。

 この中でいちばん考えがしっかりしているな、と思ったのは、斎藤工サン。
 中国や韓国に行った時に、戦争について無知であることの怖さを感じた、とか、高校時代の終わりに日本に侵略された側から撮られた戦争の記録を見せられショックを受けたとか、彼なりの戦争に対する認識を深めている点では、ただショックを受けているようにしか見えなかった(失礼)倉科カナチャンなんかよりも、ちょっとはましかな、と。
 でも倉科カナチャンにしても、こういう機会を与えられたことは、決して無駄ではない気はするんですよ。 戦争の悲惨さ、というものはやはり、日本人として、人間として、どうしても知らなくてはならないことだと思っていますので。
 溝端淳平クンにしても、一方から見た正義ではない、被害者と加害者の壁を取り払った、彼なりのバランスを探しているような真摯さを感じましたし、こういう記録に触れることの重要さは、とても感じます。

 しかも、中尾明慶クンが感じていたように、もともと白黒の記録映画をカラーで見ることは、現代のクリアな映像が当たり前として育ってきた世代にとっては、より身近に65年前の戦争を感じられる契機となったようです。
 なるほど、私どもの世代(1965年生まれです)にとっては、子供時代、ニュース映像というのはフィルム映像なのが普通でした。 それがビデオ映像になったのは、昭和50年代半ば(1980年前後)だったような気がします。 私どもの世代にとっては、戦争の記録フィルムの粗い映像も、白黒であったとはいえ、ビデオ映像が普通な世代よりもまだ現実味があったんでしょうね。 昭和45年(1970年)ごろまでは、白黒のテレビもまだまだ一般的でしたから、白黒に対する抵抗感もなかったでしょうし。

 それにしても、戦争についてどう考えるのか、という日本人の気持ちは、時代の流れの中で、徐々に変質してきたように思えるのです。

 特に今年の広島・長崎の体験談、みたいな特集をNHKラジオで聴いていて(NHK総合でも連動してやっていたようです)、その悲惨な体験に悲しみを新たにしながらも、なんだかヤケに情緒的な方向ばかりに話が行っている気がしてならなかった。
 原爆が投下されてからの家族の絆を切々と語る投書。 その被爆者たちの、目をそむけたくなる凄惨な状態。 そのひとつひとつが、こんなことは絶対体験したくない、戦争なんか絶対に嫌だ、と思わせるにじゅうぶんの内容なのです。 この部分に異を唱えるものでないことは、これを読んでいるかたにはご理解いただきたい。
 そのうえで申し上げるのですが、にもかかわらずそこには、どうして自分たちがそんな目に遭ったのか、という視点が欠けている。

 それは、戦争を実体験として語る人々が、当時子供だったことが大きな原因として挙げられます。
 当時のことを大人の視点からトータルに回想し、伝えられることのできる人は、少なくとも終戦当時15歳以上、現在80歳以上の人でなくてはならない、そう私は考えます。 そんな高齢の方々から戦争の体験について聞くことのできる機会は、もうすでに風前の灯レベルにまで先細っているのです。

 戦争が終わってしばらくのあいだ、戦争に対する認識というものは、一億総ざんげ、と表現されたように、自分たちが間違っていたのだ、という自虐的な心情に支配されていたような気がします。 そしてその反動として、「真相はこうだ」「悪いのはやつらだ」 という、戦犯の責任を追及するような吊るし上げが同時に行われていく。

 「安らかに眠ってください 過ちは二度と繰り返しませぬから」 という広島原爆の碑文に書かれている文言は、そんな流れの中で自然とわき上がっている言葉のように思えます。 とにもかくにも、当時の日本人の心情としては、「戦争はもうこりごりだ。 絶対にもう嫌だ」 というものが、いちばん正直なところではなかったかと思うのです。 安保闘争も、この厭戦の大きな心情のうえに、成り立っている。 共産主義との思想と簡単に結びつきやすかったのも、大きな特徴のような気がします。

 その、日本人の先の戦争に対する意識が最初の変質を始めたのが、「戦争を知らない子供たち」 が流行った1971年ごろだったのではないでしょうか。
 この曲は今日ではその意義が大きく見直されている気がしますが、当時としては、「戦争を知らないけどそれがどーした」、という、結構開き直りの混じった、戦前戦中派の人々からしてみれば、チャラチャラした曲だった気がしてならないのです。 「髪の毛が長い」 という言葉がこの曲の中に出てきますが、男が髪の毛を伸ばす、という行為が、当時どれだけ常識にもとる行為だったか。

 正確に言えば、戦後20年の昭和40年(1965年)、戦後生まれの世代が成人を迎えて発言権を持ち始めたころから、戦争に対する思想は変質を始めている。
 戦争というものを自分たちの生き方のアンチテーゼとして距離を持ったとらえ方をしようとする動きです。 「戦争を知らない子供たち」 は、いわばその象徴です。

 それから10年後の昭和50年(1975年)、戦後30年くらいになってくると、70年安保のゆきすぎた過激ぶりに嫌気をさした人々が、急速に 「シラケ世代」 として戦争から大きく距離をとるようになってくる。
 私もこの時期、小学校で日本史のお勉強をするようになるのですが、肝心の授業では昭和史などオマケみたいなもので、実際に戦争の悲惨さを体験したのは、社会科の副読本であったりとか、テレビドラマの戦争ものだったりしたものです。

 文部省の昭和史隔離政策が功を奏して、私が二十歳になった昭和60年(1985年)、戦後40年くらいになってくると、アメリカと日本が戦争したことも知らないような人たちがテレビでぼちぼち取り上げられるようになってきました。 そしてその後は、戦後の自虐史観に対する反動などが起こって、先ほどの 「過ちは二度と繰り返しませぬから」 という言葉にも、「過ちとはなんだ、正しいと思うことを自分たちはやってきたんじゃないか」、という考えが台頭するようになってきた。 中国や北朝鮮、韓国がいつまでたっても日本に謝罪や賠償を求め続けることへのいらだちも、そこには混じっている気がする。 それは、先ほどの共産思想とは逆に、右翼思想と安易につながりやすい傾向を持っています。

 私はつくづく思うのですが、戦争が起こす悲惨さ、残酷さというものは、どうにも隠しようがない事実です。
 きれいな戦争、などあり得ようがない。
 第二次世界大戦、大東亜戦争は、「映像によって残された」、人類史上最も悲惨な戦争、と呼ばねばなりません。
 実は、これは結構重要な気がします。
 為政者や名将校がいくら理路整然と立派な大義名分を掲げていても、最下層でバタバタ死んでゆく兵士たちのやっていることは、血みどろの殺し合いだ。
 そこには、人間として考えられない歪んだ行動も、必然的に行なわれてしまうものなのだ。
 それが先の大戦では、たまたま大量に、記録として残された。
 けれども人類の有史以来、そんな残虐な行為など、戦争では当然のように行なわれ続けてきたのではないのか。

 相手を憎むことの愚かさ。

 相手を理解しようとしないことの愚かさ。

 相手をいためつけ殺しても成立する自分たちの正義がある、という大いなる錯覚。

 時代がいくら変わろうとも、我々はそのことを学び続ける必要が、あるのではないでしょうか。

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コメント

 リーンです。ここに出没いたします。
 この番組の冒頭で斉藤工さんの口から『戦艦ポチョムキン』と出てきて、その知識の蓄積の広範さにのけぞりました。ここに見たカラーの戦争の映像を見ると『プライベート・ライアン』や『戦場のピアニスト』を思いだします。戦争体験者は戦争を思い出すときには頭に白黒映像を思い浮かべるとか、私は第二次大戦の映像をカラー化するのはかえって御伽噺のように感じさせてしまうのではないか、と危惧していました。しかし、私も含めて戦争未体験者にこうした最先端の技術を駆使した映像を見せるのもかなり意義があると感じました。

 私は今春まで放映されていた『不毛地帯』の視聴を去年断念しました。本当はこうしたドラマは好きですし、山崎豊子の作品は最近は欠かさず見ていたのですが。途中で放り出した理由も知りたくて衛星放送で特集された山本薩夫監督の映画も見たのですが、やはり『不毛地帯』だけはどうにもいけませんでした。壱岐正を瀬島龍三と重ねてしまい、ノンフィクションとして楽しめないことでした。作品に醸し出せなかった、いや、あったかもしれない“胡散臭さ”が薄まっていると感じられてしまい、戸惑いと違和感(不快感かも)を覚えます。どうしても壱岐の造形に手を加えたい気分を禁じえません。
 太平洋戦争を引っ張った大本営の人間を映像で見ると、蛭のような薄気味悪さをおぼえます。戦争遂行する人間の悪辣(というより人間離れした?)さが、瀬島にはあったのではないか……。戦争を起こした理由が一部の軍人の暴走に求めるのは穿ちすぎでしょう。でも、民衆が洗脳されていくかのように戦争に突き進む、二度とかけられてはならない悪の魔法の在処を突きとめられればいいのですが。
 
 この番組のカラー映像、こんなものを残したくて戦争をしたはずもないでしょう。あの時代の空気、それを作ったものを絵を見ることで感じなければいけないのでしょう。来週の『ゲゲゲの女房』で何かわかるでしょうか。

リーン様
コメント連投、ありがとうございます。

斎藤工サン、ただのイケメン俳優ではありませんね(笑)。

「不毛地帯」 は私、結構ハマっておりましたよ。
瀬島龍三とか伊藤忠商事とか、私はその実際のモデルのほうには疎いので、先入観のない状態で見ることができましたが、このドラマ、第1回の重厚な作りを見る限り、フジサンケイグループという比較的右寄りのメディアによって、少々日本軍将校クラスの描写が美化されている傾向があるな、とは感じました。

ただその重厚な作りが視聴者に嫌われたせいか、回を重ねるごとに鮫島や里見福社長の怪人ぶりの面白さに比重が置かれるようになり、私も大笑いしながら見ていたんです。 話としては結構古臭い部類なので、こういう部分で面白くしようという傾向には、個人的には賛同していたものでした(笑)。
もしよろしければ、私がどのようにこのドラマを楽しんでいたかはこのブログ内でご確認ください。 画面左上の 「バックナンバー」 の文字をクリックして探すしかなくて、少々メンド臭いのですが…。

この記事内でも書いたのですが、このカラー映像を見たのは2度目でした。 そこで感じるのは、傷ついたり死んでいる人々の傷口が、ヤケに赤い、という点。 ここには恣意的なものが絡んでいるように感じます。 戦争の残酷さをことさら演出するような。

当時はともかく、現代の報道の仕方でも、いくらでも恣意的に出来る、という点はとても重要だと思われます。

われわれは与えられた情報を咀嚼し、そこに見える 「事実」 を信じるのではなく、そこから見えてくる 「真実」 を正確に把握する能力が求められる。

そんなことを考えながら、当時の日本がなぜあのような国家総動員の戦争に突入せざるを得なかったのか、ということを考えると、これはそれまで積み重なってきた歴史の必然的な帰着だった気がしてならないのです。 日本人の持つ勤勉性やムラ社会的な傾向(島国根性とも言える)、天皇史観など(まだまだありますけど)が統合された末の必然的な帰着です。

だからこの番組でも流された東条英機の映像などを見ていると、現代の政治家に共通するようなものを多分に感じる。 カッコイイことを言ってはいるけど、それは自らの政治家としてのハクをつけ着飾るためだけのうわべの言葉でしかない。

僭越ながら、リーンサンが感じる軍国主義のウサン臭さも、そこにあるような気がするのです。

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