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2010年9月25日 (土)

「ゲゲゲの女房」 第26週(最終週) 陰で支えてくれる人たちの 「見えない力」

 最初にお断りします。 ハチャメチャに長いです、この記事。



 何と形容したらいいんでしょうねえ、このぽっかりと、胸に穴のあいたような気分は…。

 「ゲゲゲの女房」 最終週を、今見終えたところです。

 先週も書きましたが、次回作 「てっぱん」 の 「一瞬PR」(笑)が不愉快に見えるのは、「このドラマの余韻に浸っていたい」、という気持ちをぶち壊すものだからなんですよ。 これも以前書いたことですが、ドラマに対する一種の 「引きこもり現象」 が起こってしまっている。 いきものがかりの 「ありがとう」 がずーっと、頭の中を反芻しております。 私もこのドラマに対して 「ありがとう」 という気持ちでいっぱいなのです。

 私が朝ドラの中で最高傑作と考えている 「ちりとてちん」 では、こんな喪失感はなかったなあ。
 つまり 「ちりとてちん」 ではドラマの組み立て方が緻密すぎて、終わり方に関しても 「こうとしか考えられない」 という揺るぎのない終わり方だったために、「なんで終わっちゃうの」 という感情が湧いてこなかった。

 「ゲゲゲの女房」 終了がもたらす喪失感の根底には、主人公の布美枝(松下奈緒サン)が醸し出していたなんとも言えない 「安心感」 がある。

 それは、「母親の安心感」 なのです。

 ご飯を作ってくれ、洗濯をしてもらい、自分のことをあれこれうるさく干渉してもらえる…あまりに当たり前すぎて気づかないのが、この母親の有難味です。
 これは決して表立って出てくることはない、「目に見えないもの」 でもある。
 このドラマがいちばん重要視していたのは、この 「見えんけどおる」 という、一家の主婦の有難味のような気がするのです。
 これは何万ものセリフのどこにそれが表れている、と指摘できるものではなく、このドラマをすべて見終わったときに見る側が実感できる 「想い」 であることは間違いがない。 これが、喪失感の正体です。
 このドラマを支えていたものは、そんな 「陰で支えてくれる人たちの見えない力」 だったのだと感じます。

 源兵衛(大杉漣サン)が倒れたとの知らせが入り、故郷に戻った布美枝は、幼馴染のチヨ子(平岩紙サン)から指摘されます。

 「私、テレビで 『鬼太郎』 を見るたびに、布美ちゃんが一生懸命やっている姿、思い浮かべるんだよ。 画面のどこにも、布美ちゃんの名前は出てこん。 けど、村井さんの活躍の陰には、布美ちゃんがおーだもん。 みんな、よう知っちょうけん。 布美ちゃんは、目立たんとこで人より頑張っていること」

 これは今週のテーマを語る上で、最初の軽いジャブ(またこの、ジャブの繰り出しかたが、うまいんですよね)。

 布美枝だけでなく、兄嫁として源兵衛の厳しさに耐えてきた邦子(桂亜沙美サン)にも、ドラマはスポットをあてる。
 「いろいろ、だんだん」 と邦子の長年の尽力に感謝する布美枝に、邦子は 「お父さんの看病をしているときに、こんなことがあった」、と話すのです。

 源兵衛 「わしは、運がええな…娘がそばにおって、こげに世話してくれえだけん」

 邦子 「え? …お父さん、今何て言いました?」

 源兵衛 「『うちの娘』 だ…そう言ったんだ」

 陰の苦労、努力というものは、誰か褒めて認めてくれる人がいてこそ、初めて報われるようなところがあります。 だーれも何にも感謝しないで、ただ当たり前だ、なんて思うようなことは、あっちゃイカン、とも思う。

 このドラマは、まさにその点が訴えたいことの中心にある。

 それにしても、源兵衛と布美枝の 「最後の語らい」 のかずかずには、泣かされました。
 ひと回り小さくなり、声も甲高くなって、昔の威厳がすっかりしぼんでしまったかのような源兵衛。
 その姿を見るだけで私などは泣けてくるのですが、かすれた声で 「重病人扱いをするな! だらず!」 と、威勢だけは守ろうとする。

 藍子や鬼太郎のテレビのことを心配する源兵衛が、布美枝と昔語りをする場面も、「実はこうだったんだ、ああだったんだ」 と、年月を経たからこそ語ることのできるような内容で、とてもよかった。

 「40年50年連れ添うなら、あげな男がええ」 と茂との見合いのときに布美枝に語ったのも、
 「そう思っとってもな、もしかしたら見込み違いかもしれん、嫁にやって、つらい思いをさせたかもしれんと…心配せん親はおらんわ…」 そう打ち明けるのです。

 そして、「うちの人は、本物のマンガ家ですけん!」 という、あの名シーン。
 あの時も、
 「ほっとしたわ。 この結婚は間違いではなかったと、分かったけん。
 …だども、ちょっこし寂しい気もした。
 お前はわしの娘から、村井さんの女房に変わっとったけん」
 という正直な気持ちを打ち明けるのです。
 この 「娘の父親」 の気持ちを考えると、泣けて泣けて仕方なかったです。
 松下サンも、このシーンでは、目を真っ赤にしておりましたね。

 さらに、結婚式で源兵衛が歌った安来節の文句にも、ちゃんと意味があったことが、ここでは明かされていくのです。

 「枝も栄えて、葉も茂る」

 「枝」 は布美枝の枝、であり、「茂る」 は村井のことだった。

 「…歌の通りになれよ…布美枝…ええな…」

 …泣けます。 松下サンが予告した通りになりました(笑)。
 布美枝が東京に帰る時の源兵衛との別れのシーンでも、松下サンは涙をこらえるのに精いっぱい、という感じでした。

 「ほんなら、行くね。 …大事にね、お父さん!」

 と話しかける布美枝に、源兵衛が応えたセリフ。

 「はい」

 …およそ源兵衛らしくない、あまりに素直で、まるで子供に帰ったようなこの一言。 源兵衛のさびしい気持ち、気弱になっている気持ちがまさに凝縮された、味わいのある一言でした。
 そして布美枝が帰ったあと、半身不随の体を押して、仏壇の前で半分開かない手を支えながら、手を合わせる源兵衛。

 「おばば…貴司…布美枝たちを頼むぞ…わしは行ってやれんけん、代わりに守ってやってごしえ…」

 うう~泣ける。 もうダメだぁぁ~っ(笑)。

 「陰で支える人」 として、ドラマはスガチャン(柄本佑サン)にも、スポットを当てます。

 彼は自分の描いたマンガがとある賞に入選したことで、独立するということを周囲が勝手に判断し、物事があれよあれよと決まっていくのを、「自分はもう水木プロには必要ないのか」 と誤解して落ち込んでしまう。

 要するに、スガチャンにとってはその作品が自分の 「出世の本懐」 で、この作品ひとつで燃え尽きてしまった、という事情があったのです。

 話はわき道にそれますが、これ、すごくよく分かるんですよ。

 ものの作り手には、自分が抱えている 「才能のキャパシティ」 というものがある。
 私もいろんなマンガ家のかたがたを見てまいりましたが、才能が汲めども汲めども尽きない手塚治虫サンのようなマンガ家(今週水木プロ20周年謝恩パーティでチラッと画面を通り過ぎましたね…笑)もいれば、描いていることが急につまらなくなるマンガ家サンもいます。
 今ではそんなマンガ家サンのサルベージ体制が整っているせいか、昔ほどひどいケースはないのかもしれませんが、マンガ家サンに限らず、そんなふうにしてかつては傑作を生み出した人が急に消えてしまうケースの、なんと多いことか。
 「自分の才能が尽きてしまう」…そんな恐怖感と戦っているモノの作り手というのは、とても多いのです。

 落ち込んで自暴自棄になるスガチャンを、茂(向井理クン)が一喝します。

 「だらっ!
 あんたが抜けた後どうしようか、こっちは頭を悩ませとったんだぞ!

 アシスタントは、数がいればいいってもんじゃない!
 あんたの力、点々を打ち続けるそのしつこさ。
 それが水木プロの柱になっとるじゃないか。
 けど、20年かかってやっとつかんだひとり立ちの機会を、こっちの都合でつぶしたらいけん。
 そう思って、諦めとったんだ。

 そうでなければ、大事な戦力を手放すか!

 …あんたの代わりは…

 おらんのだ」

 「またお世話になります!」 と欣喜雀躍のスガチャンなんですが(笑)、その一件落着のあとに 「お世話になっとるのは、こっちのほうだよね」 と茂に話す、布美枝なのです。

 「いいときも悪い時も、お父ちゃんの仕事、手伝ってくれて。
 アシスタントや編集さん…。
 お父ちゃんのマンガには、大勢の人たちが力を貸してくれとるんですね」

 そんな布美枝の言葉がヒントになったのか、茂は謝恩のパーティを開くことを、布美枝に提案します。

 「オレは、一個分隊を率いとる。 オレの代わりは、おらん。
 分隊の命運は、オレにかかっとるんだ。

 けどな…スガチャンの代わりも、やっぱりおらんのだ。
 アシスタントや編集の人たち…誰が欠けても、ここまでやってこられんだったかもしれん」

 茂のその言葉のいちばん先には、布美枝がいることは間違いない。
 茂は、布美枝にいちばん報恩したい気持ちでいっぱいだったと思います。
 着物を新しいのを新調せえ、と照れながら布美枝にしゃべるのも、その端的な表れなのではないか、と。

 けれども布美枝は、あの質屋に貧乏時代に預けていた、あの着物を選択するのです。 マイティサン、ここで出ましたよ!(笑)

 パーティの当日、布美枝は母ミヤコ(古手川祐子サン)からもらったその着物の由来を娘たちに話して聞かせ、そして髪にはおばば(野際陽子サン)から譲り受けたサンゴのかんざしをつける。
 そして、母親や祖母の思いも一緒に、パーティ会場へ持ち込むのです。

 パーティにはこれまでドラマを彩ってきた人々が総登場。 ただし深沢(村上弘明サン)だけは病気のため欠席。 富田社長(うじきつよしサン)も出席せず、…まあ出られた義理じゃないっスかね~(笑)。 イタチ(杉浦太陽クン)はなんと出席(架空の人物らしいですが…笑)、イカル(竹下景子サン)といいコンビになっとります。

 そしてそのなかで、布美枝の周りに知らぬまに人の輪ができる。
 これこそが、いくら目立たなくともちゃんと存在している 「ナズナ」 の強みでしょう。
 人徳ってもんです。

 パーティが終わって帰宅した茂に、娘たちは花束を差し出すのですが、それを茂は、布美枝に手渡す。

 「それは、お母ちゃんにだ。

 お母ちゃんがおらんと、ここまでやってこられんだったけんな」

 感動する布美枝を尻目に、さっさと仕事場に行ってしまう、茂。
 この茂独特のテレが、ドラマのひとつのエッセンスになっていたような気がします。
 パーティの盛況を報告し、もう少し我慢していれば、あなたも出席できたのに、とイトツ(風間杜夫サン)の遺影にひとり語りかけるイカル。 この細かいフォローも万全。

 イトツ以外にも何よりパーティに出ることのできなかった商店街の人々、東てる美サンや質屋のオジサン(徳井優サン)にも、きちんとフォローの手を入れている。 このドラマを安心して見ることができたのは、ここらへんの細かい気配りであったことも、忘れてはならない一点かと思います。 美智子サン(松坂慶子サン)も手紙のナレーションで登場。 サプライズで、小林太一クン(鈴木祐樹サン)も登場。

 この太一クン、水木マンガの読者代表、という象徴的役割で出ていたことが、オーラス2回で気付かされました。

 「オレは、大勢のなかのひとりです。
 何万か何百万か、数は分からないですけど、大勢の読者が、オレと同じように 『鬼太郎』 を応援してるんです。
 先生のマンガを楽しみに待ってるんです。
 描き続けて下さい。
 オレは、ずっと読み続けます」

 水木マンガの読者たちや、おそらくこのドラマを見ている人たちにも向けた、「だんだん」。
 スケール、でかすぎですけど(笑)、ここにはとてつもない 「おかげさまで」 の精神があふれ出しておるのです。

 けれどもそんな矢先に布美枝にもたらされたのは、源兵衛が亡くなった、という悲しい知らせ。 むむ、最終回にこんな悲しい話を持って来るのか…。

 そして最終回。

 タイトルバックの 「最終週」「最終回」…見たくなかった。

 冒頭では、イトツに源兵衛のことを頼むイカルの姿。 飯田家と村井家は、毛利方と尼子方…そーでしたね(笑)。 だいぶ前の大河ドラマ 「毛利元就」 では、宿敵でした~(笑)。
 「いずれ…私もお邪魔しますけん…」
 と、またイトツの遺影に語りかけるイカル。 竹下サンの演技も、このドラマでは強い印象を残しました。

 通夜の席で語られる源兵衛の最期の日々は、やはり泣けるものでした。
 特に貴司(星野源サン)の子供のころ吹いていたラッパを呼び鈴代わりにして病床で吹いていた、という話、「今頃貴司のやつ、なして俺より先に来とるんだと親父に怒鳴られてるぞ」 という話。 貴司の存在がいかに大きかったかも、同時に感じさせる作りはさすが。

 そしてまたまた、ここでフォローが入ります。
 叔母の輝子(有森也美サン)が 「自分は布美枝と茂サンの結婚には反対だった」 と茂に謝るのです。 登場人物のひとりひとりに、気配りしすぎってくらいです(笑)。

 でもそこから、「お父さんの見る目は確かだった」 という話に発展する。

 飯田家の娘たちは、みんな(全員かどうかはちょっと判然としませんが)源兵衛の持ってきたお見合いで結婚している。
 つまりこの実家の風景がそのまま、源兵衛がつくりあげた形に他ならないのだ。
 ミヤコはこう源兵衛の遺影に語りかけます。
 「お父さん、満足しとるよ。 なんでもない、普通の人生だったけど、オレはこれだけのものを残したんだぞって」

 この葬儀に出席し、鬼太郎の絵を描いて場を和ませていた茂を見ながら、布美枝もこうつぶやくのです。
 「お父さん…みんな、笑って暮らしとるよ…」

 「笑って暮らしていたら、それでいい」 と遠い昔に話していた源兵衛への、布美枝の思いです。 このドラマをトータルで思い出させてくれるセリフの数々、最後まで手抜かりがない。

 そしてこのドラマのラストシーン。

 それは、安来の実家の近くを散策する、布美枝と茂のシーンでした。

 これは 「鶴瓶の家族に乾杯」 を見ていた人なら気付くかもしれないですが、向井クンが安来を訪ねたときに、水木サンの散歩コースを歩いたことに、何かヒントが隠されていた気がします。

 風景画を描く茂に、布美枝はそっと尋ねます。

 「お父ちゃん…私で、よかったのかな?」

 「なんだ?」

 「別の人と一緒になっとったら、お父ちゃん、どげしてただろう?」

 「…そげだなあ…横を見たら、いつもお前が立っとったなあ。
 …ぼんやりした顔して」

 「あら。 『ぼんやり』 ですか?」

 ポン、と布美枝の肩をたたく、茂。

 「…よかったんじゃないか…お前で」

 そんな神社の帰り道、ふたりは第1週に出てきた 「べとべとさん」 に出会うのです。

 「べとべとさん、先へお越し…」

 幼いころに布美枝が出会った少年から教えてもらったおまじないをふたりでとなえてから、やはりあの少年は、茂だったのではないかと考える、布美枝。

 「オマエ、よう知っとったなあ、べとべとさんの呪文」

 「昔、教わったんです…『見えんけど、おる』 って…」

 「ふーん。 『見えんけど、おる』 か…」

 そして、ふたりを呼ぶ声に振り返ると、そこには鬼太郎や、妖怪が。

 「なんだぁ…みんな、おったのか…」

 「ずーっと、一緒だったんですね…」

 「…さて、行くか…」

 「はい…」

 「まだまだ、これからだ」

 「はい…」

 歩いていくふたり。 いきものがかりの 「ありがとう」 が再び流れ、わけもなく泣けていました。 エンドマークです。

 (ここからはリーン様のコメントへの返信からの転載です)

 このラストも、べとべとさんが出てきたのは、確か第1回目だったと思うのです。
 第1回目と最終回をここで結ぶなんて、なんつードラマだ!と感じました。
 しかもべとべとさんは最初、アニメで出てきたのですが、最終回はその気配だけ。 子供のころは視覚化さていたのに大人になるとそれを直接見ることは叶わない…そんな作り手の意図というものも、とても感じるラストなのです。

 最後の 「まだまだ、これからだ」 という茂のセリフも、まだまだご夫妻が存命中であるだけに、明日につながっていくものになるだろうと考えていた私の期待通りのものでしたし。

 しかも布美枝の最後のセリフは、茂の言うことに 「はい」「はい」 と答える、このふた言のみ。
 このドラマで 「存在感がない」「何もせずただ見てるだけ」 などと批判された布美枝の、いちばん象徴的なセリフだったのではないでしょうか。(以上転載オワリです) しかしこの存在感のなさに潜む尊さこそが、作り手の意図するところ。 このブログでは再三、そのことに言及してまいりましたので、お分かりになるかと思います。

 「なんだ、みんないっしょにおったのか」…というのは、イトツがこの世を去る数日前に見た夢にも出てきたセリフだったですよね。
 みんなに見守られて、自分は生きている。
 そんなことも感じさせる、ラストでした。

 ああ~~~っ、終わっちゃったよ!!

 …失礼しました(笑)。

 来週から、どうすりゃええのかなぁ…。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第9週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
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第19週 漠然とした願いと覚悟との狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/19-7dcb.html
第20週 見えないもの、見えなくなるものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/20-0c48.html
第21週 「鬼太郎が見た玉砕」 と比較してhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/21-d16a.html
第22週 失って初めて気づく家族の愛情 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/22-ddb9.html
第23週 いくつになっても、ただ前を向いてhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/23-6e34.html
第24週 置きざられた夢、受け継がれる思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/24-64d2.html
第25週 好きなことをやり続ける、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/25-cab0.html

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コメント

いつも読ませていただいてました。私、ドラマと同じくらい、橋本さんの感想が好きでしたよ。だんだん!

投稿: mm | 2010年9月25日 (土) 17時51分

着物がついに着てもらえ、一瞬主役だったのがうれしかったです(私が縫ったものではないですが)。
本当は水木氏の紫綬褒章受賞式で着る予定だったのです。
脚本の都合で20周年記念謝恩会になったのでしょう。
そのほうがオールキャストを出演させられ、感動極まりますからね。
一旦は、この着物で撮影はないかもしれないという情報もあったんで、蘇って良かった〜!

ドラマを見終わってみて
あらためて、内情の功もいいもんですなあ
自分には出来ませんが(爆!)

そしていろんなことが絡み合った、よく出来た脚本だったのですねえ。しみじみ。

投稿: マイティ | 2010年9月25日 (土) 19時05分

mm様
コメント、ありがとうございます。

やっぱりほめられると、張り合いというものが出ますネ! こちらこそだんだん、です!

投稿: リウ | 2010年9月25日 (土) 19時15分

マイティ様
コメント、ありがとうございます。

こちらもマイティサンのことを思い出しなら、この一連のシーンを見ていました。 昨日放送された 「スタジオパーク」 で、紫綬褒章の時の写真が、水木サンがあのシルクハット、布枝サンがあの淡い桃色の着物だったので、これって話を移動したんだろうな、というのは分かりました。 テレビの場合はいくら撮影されてもそれが採用されなかったり、いいようにカットされたりして、期待通りに映らないことがありますから、マイティサンもいざこれをご覧になるまで不安だったのではないでしょうか。

ホントに小道具から伏線から、よくできた優れたドラマでした。 最終週で、ここまでそのトータル的な仕掛けを見せられることになるとは、正直予想してませんでしたねえ…。

投稿: リウ | 2010年9月25日 (土) 19時22分

 リーンです。ここに出没します。

 少し、戸惑っています。私自身も後々までいいドラマと他人に言う作品のはずですが、なぜか喪失症候群には落ちませんでした。たぶん、アンハッピーエンドが視聴者の心を揺さぶると信じているので、今回の終わり方はすっきりしすぎているのでしょう。たぶん私は冷たい性格なのです。

 ゲゲゲ関連のことも含めて書かせてください。

 金曜日にTBSで放映された関連番組は他人の褌でなんとやらでしょう。自局でコンテンツを生み出す力を失ったので、闇雲に視聴率を取りに来たのでしょうか。TBSはベストテンと大橋巨泉の番組を楽しんでみていた80年代の記憶が濃厚ですが、今はあのときの勢いが無くなり赤坂の不動産屋になりはててしまったのですね。ほかの民放を手放しでほめる気にもなれませんが。
 最近コメンテーターの意見をまったく信用しなくなりました。少し前なら『仕事の流儀』などでも映像だけじっくり見てあとは飛ばして見る、などしてきました。今年に入って天邪鬼さ加減に磨きがかかり、ニュースはNHKしか見なくなり、バラエティは見る回数が激減しました。興味がないことを無理やり持ち上げるコメントは、大事な放送電波の無駄使いだと思います。

 場を汚してしまいました。すみません。

『鶴瓶の家族に乾杯』で、“しげえさあ”が田んぼの畦道を抜けてお墓にいくところが出ていましたね。
「ここ、先生が好きそうな散歩道ですね」
彼は、見事に水木しげるを心に宿していたのだな、とこのとき思いました。耕運機が入りにくそうなうねった道、遠くに見える社のような森、わが家の周りでも少なくなった風景がそこには色濃く残っていました。先人から残された風景が、最終話のあのシーンに出てきたのですね。安来と境港が主人公そのもの、水木しげるロードとともにいつまでも残ってほしいものです。

 ふみちゃんの実家にもスタッフは何度となく通い、部屋の寸法から、今は存在しない味噌倉まで再現する懲りように家族の方が感心していた、とある新聞に出ていました。細かいところにこだわる裏方の徹底ぶりが、きっと表の登場人物を支えたのでしょう。

 リウ様に全部おいしいところを持っていかれたので(あたりまえです。ここの主役ですから)私の好きなシーンを最終週からひとつだけあげておきます。

 イカルがイトツに向けた独りがたり。

 竹下さん、やるもんです。なぜか、風間さんの気分になりました。え?私は、生きてますよ。あと100年くたばるつもりはありません。何書いてんだか。

 最後にべとべとさんが登場したところに幼い頃のシーンを挟み、布美枝にしげるとの縁を気づかせる。心憎い脚本ですね。時代劇を主に書いていた山本さんが力を発揮した傑作、起承転結の収め方に安心感がありました。別れのシーン(思い出すのは、美智子さん一家の旅立ちに東京五輪のアナウンスがかぶさるところ)にほろりとし、数々ある笑える場面に、バラエティ見るより健康にいいと思ったものです。船山さんが自分のことを“ギャング”といっていた、この言葉に感心したとは前にも書いた記憶があります。言葉の使い方が手だれていて繊細な気づかいに、とても感心しました。懐かしく思う時代に連れていってくれたいいドラマでした。

 最後にNHKに寄せる希望は、“紅白”のキャプテンはこの主役ふたりにやらせてくんろ、ってことです。番組内限定の夫婦喧嘩を公共電波でやってもらいましょう。まったく赤坂局への発言とはえらい違いです。ひとりひとりでも魅力はありますが、ふたり揃ってこその世界をまだ大事に見たいですね。だから、今週の視聴率が気になります。なんと不純な。

 さて、朝ドラは『てっぱん』の下で冬眠し、襖の影からそっと覗き見しながら『おひさま』が上るのを待つとします。
 

 

投稿: リーン | 2010年9月26日 (日) 00時13分

リーン様
コメント、ありがとうございます。

「少しすっきりしすぎている」…ラストに対してそうお考えになることは、理解できます。 まあ何しろ1回15分のドラマなので、そこに重厚な感動を求めても、やや難しい傾向があるのかもしれません。 これが最終回スペシャル1時間に拡大!…(笑)などと大河ドラマや民放のまねをすればもっといいのかもしれませんが、朝ドラはいまだかつてそんなことをしたことがないですよね(笑)。

私はBS2で1週間分をまとめて見ていたせいか、あまり物足りなさを感じませんでした。

却って最終週は、その伏線の鉾の収め方が縦横無尽で、これまでになく1週間分の1時間半がとてつもなく長く感じました。

リーン様も感心した、このラストについて、もうちょっこし書いてみようかな。

このラストも、べとべとさんが出てきたのは、確か第1回目だったと思うのです。
第1回目と最終回をここで結ぶなんて、なんつードラマだ!と感じました。
しかもべとべとさんは最初、アニメで出てきたのですが、最終回はその気配だけ。 子供のころは視覚化さていたのに大人になるとそれを直接見ることは叶わない…そんな作り手の意図というものも、とても感じるラストなのです。

最後の 「まだまだこれからだ」 という茂のセリフも、まだまだご夫妻が存命中であるだけに、明日につながっていくものになるだろうと考えていた私の期待通りのものでしたし。

しかも布美枝の最後のセリフは、茂の言うことに 「はい」「はい」 と答える、このふた言のみ。

このドラマで 「存在感がない」「何もせずただ見てるだけ」 などと批判された布美枝の、いちばん象徴的なセリフだったのではないでしょうか。

あ、この部分、記事本文中でおしまいの部分は少し息切れ気味だったので、転載させていただきますネ(笑)。 何しろ5時間かけて書き上げたものだったので、最後はもう、メンド臭くなってしまって(笑)。

TBSの「ゲゲゲ」 便乗のあからさまさには苦笑してしまいますが、まあこんなもんでしょう(笑)。
私はもう相当以前から、テレビを漫然と見なくなったために、自分と性に合わない番組は、全く見ません。 ですので、テレビに対してそんなに不快感を感じることがないです。 不快な番組を見ないとこういう効能があります(笑)。

それでも民放では昔からTBSをいちばん見ている気はします。 おそらく 「ウルトラマン」 からの徹底的な刷り込みなのでしょう(笑)。 ほかの局の特撮ものとは、段違いによくできてましたからねー(笑)。 やたらと批判の多い局ですが、「何やってんだよ」 と思いながら、ほかの局よりは信頼度が高い。 と言うより、ほかの局の信頼度が低すぎる、といったほうが適当かな。 おしなべて信頼度は、低いです(笑)。 そのなかでNHKだけは、突出して高い。

「家族に乾杯」 では、水木サンの散歩道はそれこそ 「道なき道を行く」 という感じでしたよね(笑)。 今回最終回で「散歩に出かけた」 と飯田家の人々がしゃべっているのを見て、真っ先にそのことが脳裏に浮かびました。

松下サンが紅白、というのはなんか可能性が高い気はするのですが、向井クンはこーゆーの、どうも無理っぽい気はします(笑)。 いずれにしろいきものがかりの 「ありがとう」 は確実でしょうから、「ゲゲゲ」 ファンとしてはそれだけを楽しみに生きていこうかと(笑)。

投稿: リウ | 2010年9月26日 (日) 07時13分

 リーンです。携帯から出没します。                    そうなんですよね。重厚な感動を求めたわけでもなく、作品に不満はないんです。朝ドラにこの作品以上のものはなかなかできません。喪失感を感じない自分がおかしいだけです。ほっこりした気分が残るのが心地いいわけで。やはり私は天邪鬼です。 

 東京放送はでっかい大道具を作ってどっかんどっかんやるのが一番いい番組をつくるのでは?『仁』は最近の成功例でしょうか。ドリフターズもそうでした。やはりオオム事件から歯車が狂ってしまったようで。 ちなみに私はセブンと新マンが好みです。

 べとべとさん、リウ様に書きたいことを書かれてしまいました。脱帽です。初回にでてきたべとべとさんは写り方が違っていたのですか。将来の再放送に覚えておきます。

 今年は年末までNHKで楽しめそうです。向井さんは来年は秀忠です。審査員でもいいです。

 携帯からうまく送れていますでしょうか。まずかったら構わず削除してくださいませ。

投稿: リーン | 2010年9月26日 (日) 12時16分

リーン様
再コメント、ありがとうございます。

ちゃんと届いておりますよ! 私はケータイはもっぱらしゃべるだけなので(メールは受けることができますが、送ったことがないです…笑)感心してしまいます…いや、今どきジョーシキですよね(笑)。

あまのじゃくだなんて、自分の感覚というものは、信じておいたほうがいいような気がいたします。 そのうえで、「こんな考え方もあるんだなあ」 という柔軟な気持ちでいるのがよろしいのではないか、と。

TBSの刷り込み、ドリフもそうでしたぁ~(笑)。 オウムのアレは、相当なケチでしたね(笑)。
「セブン」 と 「新マン」 とは、やはり昔から本格派ですね(笑)。 私は 「セブン」 オンリーかなあ。 最近再放送された 「新マン」 を見て、結構硬派な話だったんだ、と思い直しました。 やはりリーン様、見る目がありますネ。

「ゲゲゲ」 は最初視聴率が悪かっただけあって、第1回目から見ているかたは、やはり少ないようですね。 私は 「どんなものか」 程度で最初だけはチェックしているので、幸運でした。 「ゲゲゲ」 に関するこのブログの記事を最初から読み直してみたのですが、「どんなものか」 程度から 「コリャすごい」 に変わっていくまで、さほどかからなかったな、と感じます。

紅白には、何らかの形で、松下サンと向井クンの共演をまた見たいものですね。

投稿: リウ | 2010年9月26日 (日) 15時53分

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