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2010年9月 6日 (月)

「龍馬伝」 第36回 龍馬への思い、龍馬の思い

 第3部クライマックスとも言える、寺田屋事件。

 この回を見て強く感じたのは、周囲の人々の、龍馬に対する強い思いと、龍馬が瀕死の状態になった時に彼自身の口から絞り出された、強い思いでした。 この物語の語り口はそこに収束している。

 史実との整合性や、政治的なパワーバランスなどは、司馬遼太郎サンによってすでに語られてしまっているために、作り手は別の角度から、この騒動を描く必要性があるんだと思う。 当時の状況や常識を鑑みながら話を進めていくことよりも、作り手の意志は、今も昔も決して変わらぬ、人間の 「情」 というものを中心に見据えて、物語を展開しているのだ、と私は思うのです。 ドラマの中ではお龍(真木よう子サン)が奉行所の来たのを龍馬に知らせるところあたりから、さして悲しい場面でもないのに、しぜんと泣けていました。 龍馬(福山雅治サン)の意識が薄れるところでは、プレ暗殺の予感を感じながらも、こちらも大泣き。
 両方のシーンとも、冒頭に指摘した 「それぞれの強い思い」 が、こちらの涙腺を刺激するのです。

 寺田屋に身をひそめた龍馬と一緒にかくまわれた弥太郎(香川照之サン)は、このドラマではいわば 「龍馬を売った男」。 今起きている京都奉行所の龍馬捜索は、弥太郎の証言が端を発しているのです。 よくのうのうと、「龍馬に危機が迫っちょった」 とかナレーションで解説したり(笑)、メシをごちそうになってたりするもんだ、と思うのですが、ドラマを見る側は、そこから弥太郎の傲慢さを感じ取らなければならない。 そしてその傲慢は、龍馬に対する強烈な嫉妬からきていることを理解しなければならない、と思うのです。 さらに言えばその傲慢は、弥太郎の気弱な心から発生していることも、見逃してはならない重要事です。 それを理解できないと、弥太郎のことを 「なんだこの不可解の男は」「なんだこの脚本は」 としか思えなくなる。

 自分が嫉妬をしている男から、「自分は日本の仕組みを変えようとしちょる」 と打ち明けられて、平静でいられる人間がいるでしょうか。 「何を夢みたいなことを」 と頭ごなしに感じたいところですが、この男はそんな大それたことをやってしまいそうな何かを持っている。 自分がこの男に嫉妬するのも、そのためなのだ。
 香川弥太郎は 「ばかな…。 ばかな…」 と言いながら、そんな複雑な演技を展開するのです。

 「日本は変わる。 おまんも自分がその時に何をすべきかを考えや。 おまんは世の中がどう変わろうと、変わらん強さを持っちゅうきに」 と龍馬に言われ、弥太郎はまるで怒りに満ちた般若のような形相になる。
 お前に言われたくない! オレのほうがお前より学も才能もあるんだぞ! という弥太郎の怒りです。

 寺田屋をあとにする弥太郎は龍馬を匿おうとするお龍に向かって、「相変わらずおなごにもてるのぅ…」 と捨てゼリフを残します。 この最後っ屁(笑)も弥太郎の嫉妬がよくあらわれている。 その言葉にそーとー過剰に反応してしまう、お龍(笑)。

 しかしここで、もう自らの龍馬への思いがどうしようもない水域にまで達しているお龍の感情が見てとれるのです。 もう京には戻らない、長崎名物のポッペンを送っちゃると話をはぐらかす龍馬に、「そんなもんいりまへん!」 とまたまたキツーイ一発(笑)。 いいなあ、こーゆーツンデレ(そーゆー趣味か…)。

 ここでお登勢(草刈民代サン)の解説です(笑)。

 「あて…お龍チャンに言うたことがあるの。
 『龍馬さんはひとつのところに落ち着くようなお人やあらへん。 そんなお人に惚れたら、おなごはつらい思いをするだけや』 て…。
 そやかてな。
 あの子はもう、覚悟ができてるわ。
 龍馬さんのことが、好きで好きでたまらんのや…」

 もうひとり、龍馬に熱い思いを吐露する人間がおりました。 三吉慎蔵(筧利夫サン)です。

 盟約の裏書きを書くまでは京を離れられん、と言う龍馬に、慎蔵は龍馬の身を心から案じる。 そんな慎蔵に、龍馬は 「おまんとは生涯の友になれそうじゃ」 と何の気なしに話す。 その言葉に感激した慎蔵。

 「坂本さん、わしゃ自分の命を引き換えにしてでも、坂本さんを守ります…!」

 これらのシーンが、騒動に突入した時の周囲の龍馬への気持ちをいやがおうでも見る側に感じさせるのです。

 そして騒動当日。

 いきなりお龍の、入浴シーンであります(笑)。
 それにしても、この騒動が起きた時、実際にお龍はどうも入浴をしていたらしい。 ということは、午前3時に入浴かあ…(笑)。 言い伝えによると素っ裸でそれを龍馬に知らせに行ったと聞き及んでおりますが、果たして…?…というよからぬ期待も高まります(笑)。

 その期待ははかなくも裏切られ(笑)、お龍はガウンみたいなのを(えーい、何でもいいですけど…笑)羽織って龍馬にその危機を知らせに来る。 すっかり取り囲まれていることを知った龍馬は、迎え撃つしか突破口のないことを瞬時に判断。 「うちも戦います!」 というお龍を、龍馬はぴしゃりと拒絶し、薩摩藩邸に行ってこのことを知らせてくれと頼むのです。

 「死んだらあきまへん坂本さん…! 決して…! 決して死なんといておくれやす…!」
 この絶体絶命の瞬間に、隠すことのない自分の正直な感情を龍馬にぶつける、お龍。 素っ裸は見れませんでしたが(スイマセン品がなくて…)素っ裸の感情はじゅうぶん伝わったのです。

 さてこの包囲網の中をどうやって突破してお龍が薩摩藩邸まで行くのか、そちらにも注目したのですが、お龍の方法は正々堂々正面突破(笑)。

 「ものすごい強いお侍さんたちだったらおりますえ。 喧嘩はやめておいたほうがよろしおす」 取り押さえようとする役人をバシッ!そしてひと睨み。 …お龍、スゲエ…(笑)。

 いったんは身柄を拘束されかけるのですが、この混乱の中の一瞬の隙をついた格好で、お龍は薩摩藩邸に、走る、走る、走る。 番組HPでは真木よう子サンのその走りはとても速かった、と書いてあったのですが、実際その場面を見ると、やはりとてつもなく速い(笑)。 カメラが追っついてません(笑)。
 しかしその速さが、急を告げる事の重大さを最大限に活写している。 この場面を見ながら、なんだか涙が出てくるのです。

 シーンはさかのぼりますが、三吉慎蔵は自分の命と引き換えにしてでも龍馬を守る、といったことが現実になりつつあることを感じ、龍馬に逃げろというのですが、龍馬の三吉とは生涯の友になる、と言った言葉が現実になりつつあることを感じ始めている。 役人たちを迎え撃つ際のこのふたりの会話にも、ぐっと来るものがあります。

 そしてふたり対大勢の乱闘が始まる。 龍馬はこのドラマではピストルを威嚇程度にしか使っていなかった模様ですが、実際は数名殺した、と聞き及んでおります。 ここで龍馬は左手を負傷するのですが。

 寺田屋から辛くも脱出、逃げる龍馬と三吉。
 青い画面の中で、龍馬の負傷した左手だけが、ただひたすらに鮮烈なまでに、赤い。
 お龍が走り続ける場面と並行しながら描き出されるこの場面、どうにも泣けました。 今回描写され続けた様々な人たちの思いが交差して昇華された瞬間です。 極上の演出です。

 材木置き場に逃げ込んだ龍馬、三吉に 「血が止まらん…」 と弱音を吐く。 この場面、のちに 「星も見えない」 と龍馬が弱々しくつぶやくシーンと連動しています。 要するに、出血がひどくて意識が混濁しつつある、ということです。 慎蔵がここで 「腹を切りましょう」 と切り出すのも、龍馬が瀕死の状態であるからこそなのです。 たかが手首を負傷したくらいで大げさな…などと思うことは、ドラマを見くびってきちんと見ていない証拠であります。

 その、「潔く腹を切りましょう…!」 と絞り出した慎蔵に、龍馬は息も絶え絶えに言うのです。

 「腹を切るがは…、いつでもできるがぜよ…。 あきらめてはいかん…! あきらめてはいかんぜよ…!」

 薩摩藩邸に到着したお龍、必死で 「坂本さんを助けて下さい!」 と頼み込むのですが、最初相手にされません。 お龍の必死の形相が、こちらの心をひたすら打ち続けます。

 いっぽう龍馬に薩摩藩邸に行ってくれと懇願された三吉、そこらにおいてあった竹の棒を槍に見立てて、追っ手と見事な立ち回りを演じます。 ただひたすら、カッコイイ。 これまでの 「龍馬伝」 ではここまで鮮やかな立ち回りがなかった分だけ、三吉の頼もしさがここで倍加している。 この効果も素晴らしい。

 材木小屋の天井裏から屋根に這いずり出した龍馬は、薄れゆく意識の中で、星が現れ、消えていくのを見る。

 「これは…。
 星が…。
 星が見えちゅうがか…?

 もう…。
 星も…見えんぜよ…。

 木戸さん…。

 すまん…。 ごめんちや…。
 わしは…。 約束が…。 守れん…。 守れんかもしれん…。

 あとは、頼んだき…。

 西郷さん…木戸さん…すまんの…ごめんちや…。

 お龍…お龍…お龍…!」

 龍馬の危機を知り、兵を差し向けよと命令する、西郷(高橋克実サン)。
 三吉の到着で、龍馬の安否を聞きいくらかほっとする、お龍。
 そんな中で、龍馬の意識は、さらに混濁していく。
 追っ手の包囲網は徐々に狭まっていく。

 「悔しいのぅ…。
 悔しいのぅ…!

 ごめんちや…。 ごめんちや兄上…。
 兄上…。
 ごめんちや…。
 父上…。
 父上…。

 母上…。

 母上……」

 そこにやっと到着した、三吉と薩摩藩。

 薩摩藩邸に運び込まれた龍馬は意識のない状態。
 お龍が必死に、龍馬に呼びかけます。

 「目を開けて! 目を開けて坂本さん! 目を開けて! 坂本さん!」

 死が迫りつつある中で、最初龍馬は木戸や西郷、お龍のことに思いを致しているわけですが、いよいよという段になって、兄や父や母の名を呼ぶに至る。 ここらへんの龍馬の気持ちの推移は、注目に値します。 人間、親に認められたいということがかなりの部分で原点になっている。 龍馬が最後に家族の名前を呼ぶのは、龍馬がその原点、子供時代に戻っていくことを表わしているような気がするのです。

 それにしてもここまでやってしまって、今度は本当に暗殺されてしまうとき、作り手はなにを隠し玉として残しているのでしょうか?(笑)
 そんなことまで心配になってくる、今回の寺田屋騒動でした。

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コメント

真木さんが着ていたのは肌襦袢かな。
それに龍馬が羽織(?)をかけてくれた。
ただ、あんなにあわてている人がきっちり胸元を合わせて紐で留められないはず。
残念ですね、せっかくナイスバディなのにーw

>ここまでやってしまって、今度は本当に暗殺されてしまうとき、作り手はなにを隠し玉として残しているのでしょうか?

私もそう思いました。
ここまで瀕死の状態を延々と描いてるってことは
バッサリ頭を斬られたときは、あっさり亡くなるんでしょうか。
暗転とか、回想シーンとか。


弥太郎、そうでした、彼が拷問を受けて喋ったんでしたw
そもそもナレーションは出世してからの弥太郎がインタビューに応えてる形式でしたね。
龍馬に対しては嫉妬や憧れ、友情、いろいろ相まみれ、ただ憎んでるわけでもない様子。
あんな彼ですが(後藤のコネもあるけど)かの三菱サマですからね!
海援隊での働きぶりもはやく見たいです。

投稿: マイティ | 2010年9月 7日 (火) 12時15分

マイティ様
コメント、ありがとうございます。

服装にお詳しいかたのご指摘、恐れ入ります。 あんなに超スピードで走るお龍ですから、帯を結ぶのも難なく走りながらやってしまったのでは…と(笑)。

私も、この物語が岩崎弥太郎の回想である、という部分には着目しています。 つまり、岩崎弥太郎の持つ様々な愛憎入り混じる感情によって、龍馬像がゆがめられて表現されている、そんな作り手の確信犯的な部分も感じるのです。 悪く言えば、そのことによって逃げ道を作っている部分もあると思うんですが。

たかが手首を切ったくらいで大げさだとか、延々と瀕死の場面を流し過ぎだとか、なんかネットで批判の声も聞かれたので、自分なりの反論がどうしても出てしまいました。 自分が感動してネットを見たら批判だらけだった、ということにちょっとムカムカしてその感情をそのまま記事にしてしまったきらいもあるのですが、大人げなかったかな。

投稿: リウ | 2010年9月 7日 (火) 12時59分

リウさん、毎回の解説、感想を有り難うございます。
楽しく読んでいます。
>今回描写され続けた様々な人たちの思いが交差して昇華された瞬間です。 極上の演出です。
本当にその通りで感動しました。

仰る通り、この龍馬伝は、毎回、いつの世も変らない人間の情をふんだんに見せてくれます。龍馬の思想、情の深さ、人間性、純真さ、そして勇気、剛胆さも含め、私は、このドラマの龍馬像に好感を持ちます。龍馬と弥太郎を対比させることにより、相互が浮き立たつ手法も好きです。郷士でも金持ちと貧乏の違い、性格等々。初めて大河ドラマを観たので、感激が大きいのかもしれませんが、日曜日が待ち遠しくて仕方ありません。この龍馬伝を批判する人たちは、きっと、感性が違うのでしょう。私がこんなにも楽しめるのは、ひょっとしたら龍馬さんと感性が似ているのかもしれません。リウさんもね。

龍馬さんが兄上、父上、母上、とやっと声を出して呼ぶ
ラストシーンは、自分でもあの様な状況に陥った事があるのですが、あれは、自分の意志に関係なく、本能で、もう死ぬのかと思うと、穏やかな気持ちになって、亡き両親や兄弟や昔の事が脳裏に出て来るんです。福山さんの演技に泣けましたね。
それに、慎蔵さんの演技にも泣けました。
新しい試みに挑戦している龍馬伝、応援しています。


投稿: sorabakari | 2010年9月 8日 (水) 03時50分

sorabakari様
コメント、ありがとうございます。

当ブログにおける 「龍馬伝」 の記事に関しましては、僭越ではありますが、このドラマを批判する人々に向かって、どこが感動できるのかをいちいち分かりやすく解説しているような気分で基本的に毎回行なっております。 余計なお世話なのですが。

その批判は裏を返せば、自分なりの龍馬像、幕末像というものが確立されているが故のご批判なのでありましょう。
が、知識というものは、深くなればなるほど、その埒外の可能性というものを認められなくなっていく。 思考の硬直化です。 自らの有り余る知識が、ドラマを見る目を曇らせ、見くびってしまうようになる。

sorabakari様は大河を初めて御覧になった、とのことですが、この作品は、かなり大河の中では毛色の変わったドラマですよ(笑)。 革新的である、とさえ言えると思います。 どれほど違っているか…というのは、来年以降もご覧になっていただくしかありません(笑)。

龍馬と弥太郎、というのは、さしたる知り合いでもなかったらしいですネ。 ということは、このドラマは完全なる創作。

私はこのふたりを見ていると、映画 「アマデウス」 のモーツァルトとサリエリを思い出さずにはいられません。 あの映画も、サリエリの回想でした。 サリエリによってモーツァルトが世にもまれな下品な男に仕立て上げられたように、龍馬は弥太郎によって、サイテーの男に演出されている(それは違うか…笑)。

いずれにせよ、柔軟な心を持って、このドラマを見守っていきたいものであります。

投稿: リウ | 2010年9月 8日 (水) 07時32分

リウさん
御返事を戴き嬉しく思います。
私は文章を書くのは苦手ですので上手く言えてないと思います。只、私の様に楽しんで見ている人もいる事を
リウさんに伝えたかっただけです。

追記:私のコメントに日本語のミスがありました。済みません。
訂正箇所:浮き立つ→際立つ 

アマデウスは大分前の映画でしたが、ご覧になっているのですね。ラストシーンは悲しく切なかったですね。


投稿: sorabakari | 2010年9月 8日 (水) 19時04分

sorabakari様
再コメント、ありがとうございます。

大変失礼いたしました。 自分のsorabakari様へのコメントを読み返して、sorabakari様を非難しているようにも取れる文章だと思い、誠に申し訳なく思っております。 sorabakari様を非難しているわけではまったく、まったくありませんので、何卒ご了承ください。 逆に、sorabakari様のようにこのドラマをご覧になっていらっしゃるかたの側に、私は立っているつもりなのです。

言い訳がましい話になって恐縮ですが、このドラマについて非難する人々に対して、ここ数日私は完全に立腹しているのです。 どうしてsorabakari様のように素直に感動できないのかな、と思います。 このドラマを非難する人々は皆、屈折した目でこのドラマを見ている。 史実がどうだとか、福山サンの演技がどうだとか、龍馬の気持ちに一貫性がない脚本がどうだとか。

私は考えるのですが、人間一貫性がないのが普通なのではないでしょうか。 さまざまな状況によって心は揺れ動く。 それを一貫性がない、ブレまくっている、という考えは、全く承服できません。 ブレるのが人間です。 話は違いますが、日本の首相だって、ブレまくってますけど(笑)、状況によって考えが変わることを、今の世の中どうしてこれほどまでみんな認めないのだろう、とさえ思うのです。

スミマセン、また熱くなってしまいました(笑)。

sorabakari様には誤解を与えてしまったこと、重ねてお詫び申し上げます。 穴があったら入りたいです…。

投稿: リウ | 2010年9月 9日 (木) 05時39分

こちらの記事をいつも楽しく読ませていただいておりました。
私も、「龍馬伝」に対する的外れな批判に、はらわたが煮えくり返るような怒りを覚えています。
この頃は、読解力や想像力の乏しい視聴者が増えているのでしょうか?一から十まで説明してもらわないと内容が正しく理解できないのでしょうかね?
それに、最初から歪んだフィルターのかかった目で見られては本当にたまったものではありません。
こちらのブログに来て、冷静かつ的確な内容の記事を読ませていただくと、心底ホッとします。ちょっとした精神安定剤のような感じです。(笑)

私は「龍馬伝」が大好きで、毎週楽しみで楽しみで仕方がないのですが、正直、内容に全く不満がないわけではありません。「さすがにこの展開はないわ」と思ったことも数回はありますし、気になる点がないわけではない。でも、それ以上に素晴らしい所は沢山あるし、何よりも私は、福山さん演じる龍馬の魅力にハマりました。

私は元々特に福山さんに興味は無かったし、多くの視聴者と同じように「イメージが違うけど大丈夫?」と思ってドラマを見始めたのですが、今では福山さんを龍馬にと考えた製作者に拍手を送りたい気持ちでいっぱいです。私にはもう、福山さんが坂本龍馬その人にしか見えません。その美しすぎる見た目が、有名な写真とは似ても似つかなくてもです。(笑)

今回の瀕死の龍馬の演技、素晴らしかったです。ここで絶対に死ぬわけないとわかっていても、「死んでしまうのではないか?」と思わされましたよ。もちろん他の皆さんの演技も良かった。
大満足の「寺田屋騒動」でしたが、やっぱりお龍さんの、お風呂→龍馬の部屋はちょっとアッサリで物足りなかったかな。(笑)

これからも素敵な解説を楽しみにしています。

投稿: のっぽの通行人 | 2010年9月10日 (金) 19時26分

 リーンです。数日ぶりに出没します。

 3日ほど家を離れ、東京、埼玉、新潟と回ってきました。まだ山下達郎の音(新潟)が頭の中で鳴っております。そろそろ仕事&ドラマモードに戻さなければあかんです。

『アマデウス』、1984、5年ごろの映画ですね。モーツァルトは自筆の手紙ではかなり下品で、幼児性が感じられる文章を残していました。それを参考にして、あの奇声を発するキャラに仕立てたのですね。あの声、耳について離れないものでした(山達には負けるぜ。あ、脱線です)。彼が残した音楽は、作曲する人間の生活から身につけた常識的な精神に準拠しておらず、無意識の中に育まれた刻印が生み出したように感じられます。そこが神が作った音楽のように聞こえ、子供からお年寄りまで鑑賞に耐えるものとなっているようです。私はショパンが好きなのですが、こちらは学んだ学問、生涯に出会った事件に受けた精神的打撃、そして少し病んだ精神の歪んだ輝きが働き盛りの人間に響く音楽を残しています。龍馬はどちらに近かったのでしょうか。それはともかく、自分に作れないものを造れたり、溢れる魅力で愛される人間の傍にいると嫉妬の感情にとらわれる、そこがよく描けたいい意味でのエンターテイメント作品でした。

 モーツァルトが類まれな才能を身につけた理由に、幼いころから欧州中を演奏旅行をしたことだ、とテレビで見た記憶があります。今もそうですが、欧州は国が乱立し、言葉や習慣が違います。父に連れられ馬車で旅をしながら耳にした言語が脳に刺激を与え、神の音楽を作ることに役立ったと放映されていました。脳科学的な分析はさておき、見聞を広めるだけではない無意識な刺激が才能の開花に役立ったと考えるのはかなり楽しい想像です。

 旅行といえば、龍馬も剣術修行、脱藩という罪を犯してまで決行したアイデンティティの確立を促す旅をおこなっています。藩は今でいう国に匹敵するのようですが、方言という名の外国語を耳にし、習慣を身につけ、そして出会った人々の見識と愛情を体に浴びながら成長し、今現在のドラマでは薩長同盟を成し遂げるまでになりました。
 資料はすごく大事です。私の考え方の原点は

 神は細部に宿る

これがほぼ絶対的な観念になっており、歴史的資料を粗雑に扱う映像作品は好きになれません。パロディなど、作品世界が違えばこの限りではないですが。最近、近藤長次郎の最後を描いた回では、自分が知る一般的資料と作品の解釈との狭間で悩み、ここで皆様に苦悶の文章を読んでいただきました。
 大河ドラマは私にとって、いつも自分の概念とドラマの格闘を強いられます。『龍馬伝』だけでなく、大河ドラマは歴史的常識との違いから批判の対象になることを免れません。ましてや坂本龍馬は「竜馬がゆく」で造られた人物像が膾炙しており、絶対に万人に満足できるドラマを造るのは無理です。

 歴史(ドラマも含む)の本当の醍醐味は、人間の生きる力を実感し、現代が忘れ去ったかもしれない喜びや悲しみをいっしょに味わうことだと信じています。『龍馬伝』の良さは、弥太郎が竜馬に抱く、サリエリとどこか共通した嫉妬と葛藤が深みを与えていろことです。それは、資料にはまったく現れず、しかももしかしたら土佐が生んだふたりの主人公は出会いが少なかったようですから、ドラマで描いたことはほとんど脚色でしょう。それはもう知られたことですから、とりたてて言うことじゃないですね。では龍馬の資料や手紙は比較的残っているからそれでドラマになるか?それがなかなかたいへんです。解説を省いて読むとかなり難渋します。結局、識者の解説や解釈を道案内にして世界を発見していくんですね。実は、歴史的事実は後世の解釈によって作られていることも事実ではないでしょうか。龍馬の肉声を、現代で聞いている人は独りもいないのです。資料にはまると、ドラマの面白さが見えない、そんな落とし穴にはまります。ドラマを見て、そこから読書をして見識を深める、そんな方向で見ると歴史はたのしいんですが。
 龍馬が歩いて、そこから見聞きして心の深奥に秘めた刻印、それは資料だけではわかりません。それはドラマが刻印の発露を見せてくれるのではないでしょうか。

 今週は、龍馬に目覚めていただいて、お竜とともに抱いた愛の刻印を確かめましょうか。

 ちょっと、寺田屋と離れて書いてみました。難文失礼しました。

 
 追伸

 布美枝さんこと松下奈緒さんが大学を卒業したときに、単独の記念コンサートをしました。そのとき、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番を演奏していましたね。音大卒とはいえ、これほどの名曲を選んだことに彼女の見識の高さと勉学への真摯な一面を見た思いがしました。彼女が劇中で茂にみせる優しいまなざしは、芸術を学んできた感性が素直ににじんでいるように感じられます。モーツァルトはこころを豊かにしてくれるのでしょうね。

投稿: リーン | 2010年9月11日 (土) 00時22分

のっぽの通行人様
コメント、ありがとうございます。 当ブログへのリピーターである由、恐れ入ります。

のっぽの通行人様のおっしゃることに賛同いたします。

批判しながらも毎回このドラマを見ている人たちの、その心理状態って何なんでしょうかね。 いつかきっと良くなると思いながら見ているんでしょうかね? 批判するために見なければいけないという義務感で見ているんですかね?

別に見るのも見ないのも勝手ですけど、そんな時間があったら別のことをすればいいのに、と心底感じます。

「嫌なら見なきゃいいだろう」、というのは 「それを言っちゃあおしまいよ」 の世界なんですが(笑)、結局見て、自分の描いている龍馬像とは違っているのをまたわざわざ再確認して、不快になることなんかないでしょうに、ねえ。

私も、このドラマにはよい回とよくない回があると感じております。 ただ、いずれの回においても、人の情を描くという点において、真摯かつ面白く見せようとしているところは、きちんと評価してあげなければいけないと思うのです。

このドラマはこう見るのが正しい、というのは大変不遜だと自分でも思うのですが、このドラマを批判している人に対してはどうしても「こう見るのが正しいのだ」 と諭してあげたくなってしまいます(笑)。

このブログの 「龍馬伝」 に関する記事はみんなそんな姿勢で書いているために、時に 「ここまで書かなきゃ分からんのか」 みたいな下世話な解説に陥っている面も多々あると存じます。 「ここで感動して、ここで泣け、ここで笑え」 みたいな記事って、実にマヌケで不遜極まりないのですが。

ただ誤解を恐れずに正直なところを申せば、どうしても感じるのは、批判する人たちの文章が、そのままその人の心の貧しさを浮き彫りにしてしまっている、という点です。 「これはこれでアリかな」 と考える、心の余裕とか、大らかさがない。 私の勘違いだったら申し訳ありません。

去年の大河 「天地人」 については、ムカムカしたりしたものです。 「龍馬伝」 を批判するかたがたの心情は、これに似通ったところがあるかもしれない。

ただ私が 「天地人」 に感じていたムカムカは、肝心のところをナレーションひとつですっ飛ばすとか、戦国時代なのに戦闘シーンがほとんど省かれている点とか、予算の都合だけでは到底納得のいかない浅い表現が多々見られたところにあります。 「龍馬伝」 はきちんと描こうとするものは描いている。

のっぽの通行人様が私と同じお考えであることをいいことに、感情に任せてダラダラと書いてしまいました。 長文乱文、お許しくださいませ。

投稿: リウ | 2010年9月11日 (土) 07時05分

リーン様
コメント、ありがとうございます。
大変な読みごたえの文章なので、ちょっと返信するのに今しばらく時間がかかります。 私は基本的に、コメントをいただいた以上、そのかたと同じくらいの文章でお答えしなければならないという姿勢で返信を行なっておりますので、どうぞご了承のうえお待ちください。

投稿: リウ | 2010年9月11日 (土) 07時10分

リーン様
あらためてご返信いたします。

私が大好きなビートルズに比べると、クラシック音楽にはほとほと疎いのですが、私なりに感じていることを述べたいと思います。

映画 「アマデウス」 を見たとき、モーツァルトってロックミュージシャンと共通しているということを強く感じたものです。

俗に天才肌、と言われるモーツァルトですが、既成の概念を打ち破る気概にあふれている。 サリエリの作った退屈な曲をあっという間に覚え、それをきらびやかな変奏曲に仕立て上げるシーンを見て、の話ですけどネ。

実際彼の音楽を聴いていると、その曲々における主題がとても印象的で刺激に満ちている。 ほかのクラシック音楽と比べると、結構過激な思考回路で曲を作っているように聴こえます。 「フィガロの結婚」 などは、ブッ飛んでるなーと感じたりします(笑)。 龍馬が既成の概念をぶち壊しにかかっている部分は、モーツァルトに共通する部分があるのかもしれませんね。

時に過激さは、常識にとらわれる人々を覚醒し、新たな世界の扉を開かせる勇気を与えてくれる。

ショパンの場合、結構私のネクラ的部分に感応する面を持っています。 彼も、ネクラだったのではないでしょうか(笑)。 民族的な特質とか縛りみたいなものも感じます。

そしてこれは個人的意見に過ぎないのですが、私はショパンの音楽を聴いていると、怒りみたいなものを常に感じるのです。 「雨だれ」 でも、「別れの曲」 でも、とてもしっとりとした名曲なのに、途中で結構エキセントリックな展開になりますよね。 性格的には龍馬とは似ていない気はしますが、この怒りという部分がショパンの行動(作曲)の動機になっている点で、龍馬と共通するものがあるのではないか、と。

この 「龍馬伝」 というドラマは、歴史的事実で物語を再構築することに主眼はなく、作り手が訴えたい部分を最大限に膨らませて見せる、という姿勢が顕著だと感じます。

もともとNHKの大河ドラマでは、私も何回か指摘していますが、主人公をあくまで正当化させる方向で物語が作られています。 この 「いいとこどり」 の姿勢についてまず見る側が受け入れられるのかどうか、そこがNHK大河ドラマを見るうえで大事なファクターなのです。

そしてそのうえで、主人公の正当化の度合いについて、論じる必要があるかと存じます。 あまりにきれいごとすぎると見ている側も萎えるし、あまりダーティにしてしまっても同様。 要するに、登場人物が悪いことをしたときにはそれなりの納得できる説明、というものがほしいのです。

リーン様とのやり取りの中で 「真田十勇士」 の話が以前出てまいりましたが、あれもあまりと言えばあまりのフィクション(笑)。 大河ドラマと同系列で語るのは場違いな気もしますが、そんな少年時代に夢中になった荒唐無稽歴史ものを受け入れるような余裕もあったらいいのかな、なんて感じたりもするのです。

コメント欄が小さいので、自分の書いたことを俯瞰できず、分かりにくい文章になってしまいました。 こういう難しいことを考えながら見ているわけではないんですけどね(笑)。 重要なのは、知識に縛られてドラマを見ることでなく、どこまで見る側の心に迫ってくるものを見せてくれるかどうか、です。 少なくとも私の場合はそういう基準ですべてのドラマを見ております。

投稿: リウ | 2010年9月11日 (土) 13時34分

 リーンです。一回だけ返信させてください。

 私の難解なだけの文章をお読みくださりありがとうございます。

 ショパンの音楽に関する文全般、とくに特徴として怒りを感じるとのご指摘、リウ様の感性が鋭いことを感じさせていただきました。誰かが言っていました。
「クラシックだってできた当時はその時代のポップなんだ」
 ありがたがるものじゃなくて、時代の息吹や作家の生の感性が聞きたいものです。ビートルズは、いつまでも残り続けますから。

『ハゲタカ』チームが得意とする、陰のある人物がぶつかり合うストーリー展開、ドラマ好きなら見逃す手はないのですがねえ。心で見ましょうよ、です。

 最後に、余談です。どうでもいいことですが私が好きなNHKの時代ドラマをあげておきます。けっしてコチコチの資料絶対主義でないラインナップだと思います。

 真田太平記(リウ様もお好きでしたでしょうか)、腕におぼえあり、鞍馬天狗(野村萬斎主演)、そして人形劇三国志。どなたか見ててくれましたら嬉しいです。

投稿: リーン | 2010年9月11日 (土) 16時03分

リーン様
再コメント、ありがとうございます。

ビートルズが常に変化を続けていた姿勢に陶酔している自分にとってみると、クラシックの世界にも進取の気風が感じられるものには、いまだに人の心をとらえて離さない魅力が備わっている気がいたします。

「真田太平記」 に関しては前にもお話ししましたが、これって大河ドラマではなくて、確か水曜8時の枠でした。 同じ枠で放送された吉川英治の 「宮本武蔵」 にも、だいぶハマったクチであります。 武蔵が役所広司サンで、おつうが古手川祐子サンでした。 後年 「俺たちの旅」「男女7人」 の脚本家である鎌田敏夫サンがリメイクした大河 「武蔵-MUSASHI-」(これって大失敗作でした…)よりも数段出来が良かったことを覚えています。

人形劇 「三国志」、私も大ファンでしたよ。 川本喜八郎氏がこのほどお亡くなりになったことには、ですから特別な感慨がありました。 この人の人形って、かなり大きいんですよね。 赤壁の戦いや泣いて馬謖を斬る、死せる孔明生ける仲達を走らす、の故事の場面では特にシビレたなあ。

投稿: リウ | 2010年9月12日 (日) 01時22分

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