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2010年9月20日 (月)

「龍馬伝」 第38回 霧島で逆鉾を抜かなければならない理由

 第3部ラストである今回の 「龍馬伝」 でしたが、物語の焦点はあくまで霧島での龍馬(福山雅治サン)の動向、そして「武力を伴わない平和の難しさ」、にあった気がします。

 いっぽう池内蔵太(桐谷健太サン)の乗った船の遭難がどのような経緯で起こっていったのかには、作り手の興味はほとんど見受けられませんでした。 この遭難に期待していた向きには、ちょっと失望させられる出来だったと感じます。
 池に関しては、お元(蒼井優チャン)との恋愛話まで作り手は創作?し、またぞろこのドラマの批判派の神経を逆なでする行為に及んでおります(笑)。

 そしてもうひとつ、批判派の神経を逆なでさせそうな話が、龍馬の左手首の傷に関するエピソード。
 聞くところによりますと、龍馬が寺田屋で受けた左手首の刀傷は深く、いずれかの指が動かなくなる後遺症にまで発展し、そのために後年龍馬は左手を隠していることが多く、写真でも左手を隠してたりしております。
 その左手を龍馬は、今回のラストでは開いたり握ったりした挙句、堂々と見せびらかすようにして手前に突き出し、テリー伊藤サンの写真に撮られるのです。
 まるで 「龍馬伝」 批判者たちへの挑発行為のようにも見えました(笑)。 しかし…まあその話はのちほど述べるとして。

 今回物語の重点が置かれていたのは、前述したとおり、ひとつには龍馬の霧島山での行動です。

 このドラマの作り手は、実際に遺された事実から龍馬に関するどの部分に突き動かされ、物語を紡いでいるのでしょうか。

 それは、
 「自分の指が動かなくなるくらいの大怪我を負いながら、どうして龍馬はいきなりお龍と3カ月も新婚旅行を楽しみ、霧島山で逆鉾を抜かなければならなかったのか」
 という点だという気がするのです。 作り手はさまざまな史実の中から、この史実に焦点を当てて話を展開しようとしている。

 薩長同盟という大仕事を成し遂げたあととは言え、相変わらず亀山社中は動き続けているし、龍馬に3カ月も遊んでいられるほどの暇なんかなかったように、私には思えます。
 これはやはり、龍馬の負った傷が、それだけひどかったことの表れではないかと。

 そして霧島山に登った経緯ですが、どうして龍馬はこの山に登ろうと思ったのか。
 このドラマでは龍馬に、この山の頂上にある逆鉾が、日本神話のニニギノミコトに由来していることを語らせている。
 この日本という国を統治しようと君臨してきたニニギノミコトの姿に自らもあやかろうとした、そんな動機が見え隠れするのです。
 それをこのドラマでは、「一度死んだはずのこの命を、日本を変えるために先頭に立って使ってやる」 という、龍馬の言葉に託している。

 ご神体である天の逆鉾を実際にも龍馬が抜いてしまっている、という行為も、考えてみれば現代人が奈良のお寺のどこかに落書きするとか、そんな常識のなさと共通するものを感じます。 でも今述べたような龍馬の心情を考えれば、龍馬がこのドラマでその時言い放った言葉に、違和感など感じなくなるはずです。

 史実ではこの逆鉾、龍馬はお龍と一緒に抜いたらしい。
 結構引っこ抜きやすかったしいのですが、つまり左手の傷が痛んで、ひとりでは抜けなかった、ということなのでしょう。
 それをこのドラマでは、龍馬がひとりで抜いたことにしている。
 そうすることによって龍馬の 「自分が先頭に立って日本を変える」 という覚悟の大きさを、さらに強調できる気がするのです。
 冒頭で述べましたが、龍馬が動くはずのない左手を動かし、ことさら前に突き出して強調させる、という行為も、実は龍馬の覚悟を浮き立たせる手法に他ならない。

 さらにここで重要に思えるのは、お龍が当時女人禁制だったこの山に龍馬とともに登った、という事実です。
 どうしてお龍はそこまでして、龍馬と一緒にこの山に登らなければならなかったのか。

 実際に乙女姉やんに送られた龍馬の手紙(「龍馬伝紀行」 でも紹介されておりました)を、かつて自分が初めて目にしたときは、「龍馬もずいぶんノンキにしていたんだなあ」 としか思えなかったのを覚えています。 でもノンキさの裏にどんな覚悟があったのかも、感じなければならないと思うのです。 まあ、ここには演出も入ってこなければならないのですが。

 当時の女人禁制が、どこまで厳密なものだったかは知る由もありませんが、その禁を破るということは、龍馬にもお龍にもそれなりの覚悟というものがこの登山にはあったということが窺われる。 これは単に禁を破るということだけでなく、そうまでして龍馬についていく、一緒に闘う、と考えたお龍の、不退転の決意が込められていたのではないか。 そして龍馬はそんなお龍の覚悟を、頼もしく思ったのではないか。
 ドラマの作り手の、そんな気持ちが、このシーンの数々から読み取ることができるのです。

 けれどもこのつかの間(3か月というのは、つかの間という感じでもないですけど)の休息は、ネガティヴな出来事の頻発によって破られます。
 先に述べた池の遭難にしてもそうですが、長州と薩摩が龍馬の意に反して、幕府との全面戦争へと突入す方向に、事態がどんどん過激化しだした、ということです。

 今回の 「龍馬伝」 で強調されているもうひとつの点が、この 「戦争という流れに飲み込まれていく平和」 なのです。 冒頭に指摘した、「武力を伴わない平和の実現の難しさ」、です。

 平和だなんだといくら口先だけでまくしたてても、紛争の当事者にしてみれば、戦闘状態に陶酔して、相手を完膚なきまでに叩こうという激情に知らぬ間にとらわれてしまう。 これが劣勢に立てば、そこには 「悲壮」 という概念が加わり、さらに歯止めが利かなくなる。 後年 「玉砕」 という言葉に日本中が狂わされてしまった事実を考えれば、「いまさらあとに引けるか」「おれたちは負けんぞ」 という大勢の感情に抗うことは、とても難しいことが分かるはずです。

 龍馬はこのドラマでこれまで、「戦のない話し合いによる平和的な解決」 を常に目指して来ました。 薩長同盟に奔走したというのも、幕府の劣勢を当の幕府側に思い知らせて戦の回避を図る、という意図のもとにあったのです。
 ところが戦争へと向かううねりは大きく、龍馬や亀山社中の存在だけでは、もうとても抗えない事態にまで膨れ上がっている。 これは龍馬が3カ月も休養をとったことのツケなのかもしれない。 龍馬は苦悩の末、決断するのです。 

 龍馬が出した結論は、「日本を守るために長州軍に合流し、幕府との戦に参加する」、というものでした。

 亀山社中のほぼ全員がこれに反対するのですが、 「血を流すことなく自分たちの志を貫く」、ということの難しさを思い知り、最終的に賛同する。
 龍馬の考えているスケールは、日本と諸外国とのパワーバランスに対する危惧、という規模の大きい形であって、これに反論できる者は、当時の亀山社中にはいなかったのでしょう。 ただしここで展開される龍馬の話は、ちょっとばかり説得力に欠ける気がしました。 こちらの脳内補完が必要、というか。

 いずれにせよ 「平和」 というものの実現にとっては、ある程度の戦闘を経てからでないと、人間というバカな生き物は、その愚かさに気づかないのです。

 さんざん今まで 「平和平和」 と唱えていた龍馬が 「戦争に加わる」 と言い出すのは、こんな苦悩を経過しているからなんですよ。 確かにちょっと説明が足りないかな、とは思いましたけど、この部分を見て 「このドラマは破綻している」「龍馬の気持ちに一貫性がない」 というのは、かなり的外れな批判なのです。 …あーまた、どこの誰かも知らない 「龍馬伝」 批判者に対して、熱くなってしまっている…。 毎度大人げなくてスミマセン。 でも。

 平和の尊さを、戦争を経験しなければ思い知ることができない、というこの虚しさ。

 龍馬が自分の持論を曲げてまでこの決断をした、情けなさ、怒りを、感じるべきなのです。

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コメント

福山ファンの一人として、龍馬伝の批判に、いつも心を痛めています。ここの感想でいつも納得して、心が癒されます。 いろんな場面が意味ある奥深さ・・感じながら見たら又新たな感動があるんだなと・・ 大好きですこのブログ応援してます。

まや様
コメント、ありがとうございます。 応援していただき、恐縮でございます。

連休中なので、ちょっとリキ入れて書きすぎました(笑)。

「作り手のメッセージを感じ取ることのできる心」 というものがドラマを見る者には必要だ、ということを、このドラマのほかの人の感想を見るたびに、感じます。

私ももっと若かったら、ここまでこのドラマに対して感じる感性があったかどうかは、疑わしいです。

年の功なんでしょーかねぇ…(笑)。

龍馬が「戦に加わる」と言う場面は、やはりちょっと龍馬の考えている事が伝わりにくかったですね。

この時、龍馬は具体的にどう考えていたのでしょうか?
もしこのまま幕府が勝って長州が滅ぼされたら、幕府が力を盛り返してせっかくの薩長同盟の意味がなくなってしまうから(日本の仕組みを変えるという目標から遠ざかってしまうから)、ここは長州を助けなければ・・・という事なんでしょうか?
スミマセン。単なる馬鹿でミーハーな視聴者なんで。(汗)

のっぽの通行人様
コメント、ありがとうございます。

私ものっぽの通行人様と同じ、史実に疎い人間のひとりです。 よく分かる人から 「フフン、何も知らない癖にエラソーに」 と言われれば、返す言葉もございません(笑)。

私ものっぽの通行人様の考えで合っているような気がします。 薩長同盟のいちばんの言い出しっぺが、龍馬なわけですからね。 いざ幕府と戦さ、ということになったら、そりゃしがらみで手伝わねばならないかと(笑)。

ただ龍馬が本気で 「今度は、戦争だ!」 と思っているわけではないことは、ドラマを見ていれば分かるかと思います。 でも、したくないけど、いざ長州に味方する、と決めた以上は、とことんそれに付き合う。

当時龍馬が 「平和主義者」 であったかどうかは分かりませんが、よしんば 「平和主義者」 だったとして、その平和の意味って、史上最悪の戦争(第二次世界大戦)を経てきた私たちと、当時とでは、「平和」 の概念自体も大きく違っているような気がしてなりません。

龍馬があくまで目指していたのは、「話せば分かる」 という意味の 「平和主義」 だったのではないでしょうか。

 リーンです。ここに出没します。

「前回と今回は史実に縛られず楽しく拝見しました」

 第4部からは龍馬が身を切られるような厳しい展開になるのが明白なので、ここはのんびり見ておこうと気楽に構えていました。ところが長州征伐のくだりが入ってきたら全然お気楽に見れない、物見遊山の気分からすこし後退です。

 池内蔵太とお元の軽くいってしまえば恋愛話、池を注意して見ていないためかやや唐突にかんじます。おそらく第4部でお元が心情として人間を信じない性格につくっていくのでしょうか。「身請けしてほしい」と龍馬に打ち明けた心情と、クルスを握って池の来世を祈るお元、内心がズタズタにならないかと心配です。ドラマの人物を心配してどうするのでしょう。おりょうにまったく興味が向かないことに反し、お元の行く末は気になります。龍馬伝の女性は幸せに縁遠い。

 ところで、長州征伐を薩摩で知った場面、西郷と小松は龍馬を足蹴にしたような対応をしてきました。あのとき小松自身も湯治に行っているとどこかの資料にあり、『霧島の誓い』の場面は、私もかなり牧歌的な印象を持っていました。龍馬の新婚旅行という事実があり、また薩摩もそれほど危機意識が薄い時期、ざっとこんな印象でしたが、まあひどい仕打ちです。大事な客人に冷たい仕打ち、ストーリーとしては龍馬が長州を助けて軍に加わる場面の前段になっているのですが、武士の礼、そこまで大げさでなくても人情として変じゃないですかね。薩摩人は怜悧さを持つ反面、大人としての風格があると思ってきただけに、ややじたばた描きすぎのきらいがあるかと。長州人は木戸も高杉も三吉も、みな目をひん剥いている演技がピッタリくるのですが。

 平和、今の日本の概念、武器も持たず当然相手の血も流さない(自衛隊があるのに怪しい概念ですが)からすると、龍馬が長州に味方したのはとらえ方が難しいです。龍馬は、武器を密輸して横流ししていたわけですから、それが平和を唱えるのは今の人間からすれば好戦的ととれる。しかし、幕府は武士の集団だから、話し合いをして政治体制を変えるのは難しい。外国につけこまれないために薩長を助ける、それがどんな言葉で言い表せばいいのか解りません。ドラマの裏で考えていたことを見て感じたいところです。

 上戸さんのドラマみたいに気楽に見たいのですが、とにかくいろいろ考えますね。それだけ『龍馬伝』がいい素材だと思いますが、小難しく見てしまう私の悪い癖が出ているかもしれません。

 

リーン様
コメント連投、ありがとうございます。

このドラマにおける池内蔵太の描き方というのは、向こうっ気が強くてバイタリティの塊みたいな若者。 ひとつ間違うと単なるバカにしか見えませんよね(笑)。
龍馬に思いを寄せながらそんな一直線バカから(笑)求婚を受けたお元が、池の無事を祈っているシーンは、ですからちょっとトートツの感も免れぬかも…(笑)。

それにしてもリーン様、お元派ですか(笑)。
私はこういうウラオモテの激しい女性というのは、どうも苦手です(笑)。 やっぱりノーメイク仕様の真木お龍がええですなあ…。 こないだ 「土曜スタジオパーク」 に真木よう子サンがお出になっていらしたのですが、やーダメです、化粧をしてしまうと(笑)。 彼女にお龍のあの格好をさせた 「龍馬伝」 のスタッフはつくづくすごい、と思いました。

「篤姫」 を見ていても感じていたのは、西郷や小松帯刀といった薩摩人たちというのは、実際はどんな感情であの時代を動いていたのかな、という疑問です。

今回 「龍馬伝」 では、西郷は結構臆病な人間みたいに描写されている気がします。

「篤姫」 では、やはり自分の手の内をなかなか見せようとせず、薩摩の殿様の養女である篤姫が江戸城にいるのに自分ひとりが悪者になって江戸城総攻撃に向かって突進する、みたいな複雑なことをやっておりました(笑)。

「龍馬伝」 でも、龍馬に対して一目を置いていながら、いっぽうでは龍馬なんかどーでもいい、みたいな態度をしたりしています。 どうも大河の脚本家たちは、ここらへんの薩摩の動静の描写に苦慮しているような印象を受けますネ。 逆に言うといかようにでも料理ができる複雑さを兼ね備えている、という感じなのですが。

長州人がみんな目をひんむいている、というリーン様の指摘、さすがです(笑)。 特に木戸は、最初の登場の仕方が酒場でベロンベロンに酔っぱらって、罰ゲームで顔に落書きされながら、「サカトモクン!」 などと言っていたことを思い起こすと、驚天動地の変わりようです(笑)。

龍馬の実際に出ていた行動をトータルで考えると、「龍馬伝」 の強調しようとしている 「話し合いによる平和的戦争回避」 がどこまで説得力を持つのかは、甚だ疑問です。 「人を殺す」 という倫理観は、今も昔も変わらないなどと考えてしまうと、それはちょっと違う気がするのです。 やはり昔のほうが、人を殺す垣根というものは低かった気がします。 なにしろ武士が腰にぶら下げているのは、人を殺す道具、なんですからね。 そんな時代の 「戦争と平和」 という概念は、今とはおのずから違うような気がします。 龍馬もその時代の倫理観に従って、行動している。 確かに人ひとり殺せば、その人の死を悲しむ人がいる、というのは、今も昔もちっとも変わらないのですけど。

ただあまりに人殺しに対して龍馬が積極的だったなどと描くと、BPOがうるさいのかもしれないです…(笑)。

 リーンです。再出没します。

 やはり、おりょう派ですか。たしかに、瀕死のところを色っぽい女が助けてもらえばイチコロです。わたしにとってのおりょうは、世間知らずなイメージが定着していまして、なかなかそれが拭い去れません。たぶん、実際にあったら足蹴にするかも。お元は芸者家業のうらに潜む女心と、密命をこなす複雑さがたまらないかも。しかし、身請けは資金が足りません。

『篤姫』ではそんな人物描写でしたか。あっさりこのドラマはドロップアウトしましたが、薩摩人の描き方、特に小松帯刀を知りたいと思っていました。ちなみに瑛太は、のだめ、ラストフレンズ、と見ていたので嫌いではありません。このドラマのそこはかとなく臭うホームドラマ的ステレオタイプ演出(脚本)がどうにも好きになれず……、『江』は見ようかどうしようか今から悩んでます。総合で『蒼究の昴』が輝くので、『おひさま』を拝む前もNHKと縁は切れませんが。

 平和、一口には語れません。人道、という概念も今と幕末とは違います。そこをうまく埋める(もしくは違うと言い切れる)考えが浮かべばいいのですが。
 やはり、英雄視するだけでは、幕末の人物は計れません。

リーン様
再コメント、ありがとうございます。

まあ、お龍もお元も、「扱いにくそうな女だなあ」 という印象では同じです(笑)。 龍馬をめぐるこのドラマの女性たち、というくくりで言うと、加尾がいちばんフツーに好ましいタイプなのかもしれないです。 お龍は 「ツンデレ」 であるからこそ惹かれるのでして(笑)「ツン」 だけだったら 「なんだこのキツイ女」 としか思えません(笑)。

「篤姫」 に関しては、ホームドラマ的な一面もありましたが、幕府や薩摩の描写に関してなかなかうならせる面を持っていたような気がします。 以前にもこのブログで書いたのですが(もう相当前です)、このドラマの奥低を流れていたのは、「必要悪」 という概念だった気がするのです。 薩摩藩の経済を立て直した平幹二郎サンが一方的に悪い人物として描かれず、そこにはきちんとした理由があった。 井伊直弼にしてもしかりで、自らの覚悟の上で安政の大獄という言論人弾圧をおこなった。 ワルモノを一方的に憎々しく描写しているかに見える 「龍馬伝」 とは、その点ではこちらのほうが手練れている気がします。 原作がよかったのかもしれませんが、同じ脚本家サンの来年の 「江」 には、ちょっとその点で期待しているところがあります。

現在の視点と幕末の視点を同一に見てしまうと、結構物語に齟齬が生まれてしまうことは、大河の作り手は留意しなければならないのかな、という気はいたします。

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    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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