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2010年9月

2010年9月30日 (木)

池内淳子サン死去…「任侠ヘルパー」 が最後でした

 また短いコメントで恐縮ですが。

 こないだ小林桂樹サンが亡くなったというニュースを聞いたばかりなのに、今度は池内淳子サンですか…。

 池内サンと言えば 「ほんだし」 のCM、数々の 「おふくろさん」 役が印象的ですが、なんか最近までどこかで見てたような気がして、当ブログ内を検索してみたら、「任侠ヘルパー」 の初回にお出になっていました。 草彅クンを実の息子と勘違いしてお金を送り続ける認知症のおばあちゃんの役でした。 認知症でいながら、最後にはまるで、何もかも知っていたような感じで草彅クンを見送る、そのおばあちゃん。 とても印象的でした。

 私が池内サンの演技を見たのは、これが最後でした。 ご冥福をお祈り申し上げます。

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「いきものがかり吉岡聖恵のオールナイトニッポン」 聖恵チャンが見た水木夫妻

 あまり正確でもなくて、簡単な話なんですが。

 9月30日のニッポン放送 「いきものがかり吉岡聖恵のオールナイトニッポン」 では、先ごろ終わった 「ゲゲゲの女房」 の話を聖恵チャンがしておりました。 「ホタルノヒカリ2」 にしてもそうなんですが、聖恵チャンは自分たちの歌が主題歌のドラマは、番組を聴いている限りきちんとチェックしているようなんですよ。
 それで、「ゲゲゲの女房」 の最終週についても、布美枝の父親が倒れ、死んでしまうのですが、「最終回まで涙はとっておいた」、とか、「この番組に関わることができてとてもよかった」 とか、まああたりさわりのない話でしたけど、しておりました。

 興味深かったのは、こないだもチラッとしゃべっていた、「ゲゲゲの女房」 の打ち上げパーティのこと(その話はここでも書いとります→ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/post-ef41.html)。
 都内の某 「大ホテル」 で行なわれたというこのパーティ、最後のほうにドラマモデルの水木夫妻が登場したらしいのですが、水木しげる氏は 「今日ここで 『ゲゲゲの女房』 の打ち上げパーティをやっていることを、ついさっき知った。 なんかよく分からんけどよろしく。 あとは奥さんに任した」 みたいなボケぶりで(笑)、それを布枝サンがいちいち解説してフォローする、という感じが 「まるで漫才のボケとツッコミを見ているようでした~」 と指摘しながらも聖恵チャン、「これが長年つき添ってきた夫婦なんだな~」 と深く感じたようです。

 それにしても聖恵チャンの 「とても話しにくそうな」 話しっぷりからうかがえるのは、水木しげる氏の 「ワケわかんなさぶり」(笑)。
 ホントに常人では理解の難しいご境地に立っていらっしゃるようであります。

 ここで 「ゲゲゲ」 の主題歌、「ありがとう」 がかかったのですが、毎週土曜日に固めて見ているくせに、終わったばかりのこの番組の歌を聴いて、とても寂しい気分になって、涙が出そうになってしまいました。
 ああ~、やっぱり 「喪失症候群」 に罹っとる…(笑)。

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2010年9月29日 (水)

「10年先も君に恋して」 第5回 今だけが、未来を変えられる

 どうも内容以外のところで話題になっているようなこのドラマなのですが、最後まできちんと放送してほしい、というのが正直なところです。
 何しろこのドラマの出来は、かなりいい。
 毎回、なんか泣いちゃうんですよ。
 上戸彩チャンの出演してきたドラマのなかでも、その評価というものは最高ランクに位置するようです。
 
 10年後のヒロシ(いま何かと話題の内野聖陽サン)とリカ(上戸彩チャン)が出会っているところを目撃して心が揺れ動く現在のヒロシ(内野サン二役)。
 思わぬところで、結構嫉妬心が強い性格であることが分かるのですが、「きみは仕事を優先にしたほうがいい」 などと口先だけでは言いながら、将来自分の仕事のためにリカの仕事を辞めさせる、という行動を、やっぱりとる男のようです。 ここらへんのつながりを感じ取らないと、現在のヒロシがなんで男といたくらいであそこまで怒っているのか、ちょっと理解ができないかもしれないですね。

 現在のヒロシが怒っている心理状態のからくりとしては、森松(中山祐一朗サン)からの目撃情報をかなり信頼している、リカがヒロシと大作家の渡辺えりサンが溺れていたら、やっぱりえりサンのほうを助けるなどと言ってしまったことが挙げられます。
 ドラマではこの怒りの原因を、事情を知った森松に 「あれは誤解だった」 と現在のヒロシに対して弁明させ、溺れているのを助けてほしかったのは、ヒロシが実は泳げないからだった、という理由づけをしたことによって解消しています。
 けれども表面上のそうした理由づけよりも、やはり最後は、本人どうしの、「いまそこにある危機」 を乗り越える力によって、ドラマの作り手はこのすれ違いを克服させているのです。

 今回冒頭、リカは失恋モードに突入するのですが(笑)、ここらへんの描写の仕方も、よかったなあ。
 失恋のショックを、リカは仕事に全力を傾けることで紛らわせようとします。 「私いま立ち止まったら…」 と亜美チャン(木南晴夏チャン)に言いかけて止めるリカなのですが、立ち止まったら転んでしまう、まるでよろよろした自転車みたいな心を言い表していて秀逸でした。

 なんとかよりを戻したいリカなのですが、渡辺いっけいサンの粋な計らい(これもよかったです…渡辺いっけいサン、毎回さりげないところでいいとこもっていきます…笑)もあって、仕事を抜け出しヒロシに会いに行く。 けれどもその際に、さっきの 「溺れたらどっちを助ける?」 という究極の選択で(笑)大作家先生のほうを選んでしまい、ついに 「もう終わりにしよう」 とヒロシから告げられてしまう。

 別れを告げられたことにどうしても納得のいかないリカは、具合が悪くなったヒロシを連れ去ったとみられる三田村教授の研究室に現れ、森松にもきちんとクギを刺し(笑)、「それよりも、誰だか知らないけど、このタイムマシンを作った人がいちばんひどい!」 やり場のない怒りを10年後ヒロシにぶつけます。 「ヒック!」 と名指しで非難された三田村教授は、しゃっくりの連発(笑)。
 「あなたの勝ちよ…」 と捨てゼリフを残して研究室から出ていくリカ。
 「オマエ何やってんだよ、40にもなって!」 と10年後ヒロシをどつく森松の反応も、いいですねえ。
 リカの弟、染谷将太クンの彼女、林丹々サンが、元気を装うリカを平手打ちして 「泣きたいときには泣けばいい」 という反応を見せたのも、彼女がそういう過激キャラだから不自然なところがなく、こちらもやっぱりいいなあ、という感じでした。
 将太クンも(役名と芸名がごっちゃになっとりますが)10年後ヒロシに 「あんたがこのまま帰ったら、時空警察のバカヤローという歌を作ってやる!」 というワケのわからん怒りをぶつけているのも、大いに笑わせるのですが、これもいいんだなあ。
 脇役のひとりひとりが、かなりいいポジションを与えられている、という感じがして、ならないんですよ。

 現在のヒロシに事情が分かってしまうとヒロシが消滅してしまう、という設定のため(これわからなくて先週恥かきました…笑)三田村教授は、それとなく現在のヒロシを叱咤する。
 これが、今回の泣かせどころでした。

 「実は、この(タイムマシンの)研究を本格的に始めた目的というのは、
 …妻に、会いたかったからなんだ。

 どうしてももう一度、妻に会いたくて、研究を始めた。

 ハハ…。 ずっとね、後悔していたんだ。

 研究にばっかり夢中でさ。

 妻の死に目に会えなかったことをさ。

 へへ…。 でもね、最近になって感じるよ。

 いかに英知を尽くしてもやっぱりね、
 …過去は変えられない!

 …過去は変えられない。

 ありていに言えば、だから時間が尊いんだ。 時が尊いんだ。

 ヒロシくん、でもね。

 未来はいくらでも変えられるよ。

 丸山君、未来はいくらでも変えられるよ…!」

 隣の部屋でそれを聞いていた10年後のヒロシに聞えるように、同じ言葉を二度繰り返す三田村教授。 その教授の思いをじゅうぶんに察知し、涙する10年後のヒロシ。

 泣けました。

 未来を変えることができるのは、今の自分だけなのだ。
 このメッセージは、とてつもなく重いです。

 高島礼子サンも、ダメ押し気味に10年後のヒロシを説教しにかかります(笑)。

 「(バンッ!とテーブルを叩いて)い~いヒロシくん?
 後悔が出来るたびに過去に戻ってもらっちゃあ、
 …時間の神様だってたまったもんじゃないわ!」

 極妻全開とゆーか(笑)。

 思い直した10年後のヒロシは、将太クンを使ってふたりをまた出会えるように画策。
 「好きだから憎むんだ…」
 と、以前渡辺いっけいサンが言っていた 「怒るってことは、好きってことなんだ」 と対をなしているようなセリフが、現在のヒロシからリカに手渡されます。
 「科学的には全く理解しがたい関係だ…でもこんなに好きでたまらないんだ…」
 ケーキ作りを手伝いながらだったため、手についた卵に邪魔されつつも、リカのおでこにキスをする、ヒロシ。
 ここでまた、クリスタルケイサンの、あの歌がぁぁ~~っ!(先週も同じこと、書きましたっけ?…笑)
 またまた、タイミングが、良すぎますって(笑)。

 「ごめんね…」

 「私も、ごめんなさい…」

 仲直りです。
 それをしっかり観察していた将太クン(笑)、「任務完了!」 のポーズ(笑)。
 それをまた見てとった10年後ヒロシ、感慨深げに、天を仰ぎます。
 バックには、建設中の東京スカイツリー。
 まさに、「いましか撮れない映像」。

 いまがいちばん大事なのだ、というメッセージが、画面全体から、あふれ出ているのです。

 来週が早くも最終回。 なんか良質の映画を見ているような気分に、なってまいりました。

当ブログ 「10年先も君に恋して」 に関する他の記事
第1回 んー、どうでしょう
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-1-276e.html
第2回 大切なのは、今の気持ちなんだhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-2-58e5.html
第3回 自分が変わってしまうことへの恐怖http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-3-3dc3.html
第4回 失いたくない、あの時の気持ちをhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-4-b283.html
第5回 いまだけが、未来を変えられるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-5-3f42.html
第6回 10年後の自分へhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/10-6-10-0df7.html

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2010年9月27日 (月)

「蒼穹の昴(日本語吹き替え版)」 第1回 時期が、悪すぎる…(笑)

 「蒼穹の昴」 の日本語吹き替え版が、始まりました。

 この番組は既にNHKBSハイビジョンで中国語字幕版を見ているので特に目新しいことを書く気はないのですが、当ブログでの感想は、そちらのほうをお読みいただくとして。

 当ブログ 「蒼窮の昴」 に関する記事は、こちらです
いつの間に始まってたの!見逃した!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/01/post-079d.html
アフレコ気にならなければ、結構面白いですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/post-4cef.html
第4-5回 王道ストーリー、だけど面白い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/4-5-5869.html
最終回まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/post-10fd.html


 日本語吹き替え版で仕様が変わったのは、浜崎あゆみチャンの歌ったテーマ曲がエンディングだけではなく、冒頭にも移動、そして登場人物の紹介ふうな画面に変わったことです。 おそらく中国人の画家が描いたと思われる、登場人物の油絵っぽい絵がバックのエンディングも、一部中国語字幕版のときより大写しになったような気がするのですが、気のせいかな? 浜崎あゆみチャンのこの曲は、結構好きです。 なんとなく 「人形劇三国志」 のエンディングテーマを思い出させる。

 中国語字幕版のときは気になって仕方なかった全編アフレコだったのですが、日本語吹き替えだからそんなこともなく。
 しかも主演の西太后を演じている田中裕子サンの声も、ご本人がやっているから、全く違和感なし。 却って演技過剰気味だった中国語版の吹き替えの人よりも、ずっといい気がします。

 それにしても感じるのは、いま日中友好のこのドラマを放送するのは、タイミングが悪すぎる、という点(笑)。

 領土問題で両国の互いの国への感情が最大限に悪化しているときに、ちょっとなあ…NHKサンも間の悪いというか運が悪いというか…。

 領土問題で国同士が反目しあうのって、なんかどうにかならんのかなーと、私はいつも思います。 つまり海洋資源など、両国にもたらす利害関係が大きすぎるんですよね。 同じ人間同士なのにね。 地球は誰のもの?っていう議論にまでなっちゃいますけど。

 ともあれこんな最悪のタイミングで放送が始まった 「蒼穹の昴」 日本語吹き替え版。
 感情的な議論で潰されてしまわないことを願います。

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「てっぱん」 第1回 名作の後番組は、ハードルきついですよね

 「ゲゲゲの女房」 という、大傑作が終わって始まったNHK朝の連ドラ、「てっぱん」。

 ネットでの感想を見ていると、いきなり大逆風の中での船出、という感じなのですが、これってすごく仕方ないことだと感じるんですよ。
 つまり、この 「連続テレビ小説」 というドラマは、月曜日から土曜日まで、毎日やっている。
 それがですね、年末年始を除いて、1年間繰り返されるわけです。
 次のドラマが始まるのに、ブランクというものがない。
 ふつう大河でも、民放のドラマでも、次のドラマが来るまでには、ある程度の時間的猶予がある。 その猶予のおかげで、前のドラマの感動をヒートダウンさせ、次のドラマへと視聴者が向かわせる心の準備というものを生成する。

 それが朝ドラの場合、全くないんですからね!(笑)

 今までつつましやかなヒロインだったのが、いきなり元気いっぱいの新人俳優にとって代わられ、見ている側の調子が狂うのは、そりゃ当り前なのです(笑)。
 まあ朝ドラにとっては、こういうヒロインのほうが王道で、布美枝のような人のほうがまれなんですが。

 しかも話の立ち上げ方が悪い。

 富司純子サンがトランペットを海に放り投げ、それをヒロインの瀧本美織チャンが海に飛び込んで2回救出するのですが(笑)、この時点でもう 「あり得ねぇ~」 感が充満している。
 しかもこのふたり、実のおばあちゃんと孫だった、という出生の秘密パターン。
 ドラマ好きを食傷させる要素に満ちているのです。 それでも私も、出生の秘密と言えば昔は 「赤い疑惑」 や、最近でも 「冬のソナタ」 なんかに夢中になったクチなんですけどねえ…。
 だからこの出生の秘密に関しては、もうちょっと長い目で見守りたいと思います。
 まあ、ちょっとあり得ない話で話を立ち上げるのは、致し方ない部分もあると思うのですが、これが全編にわたってだと、「ごめんなさい」 ということになるでしょう。

 それでも私がたった15分の第1回目を見た限りで感想を書かせていただくと、まず主人公が元気なのは、「若いっていいなあ」 と単純に思いますネ(笑)。 今年の初めに放送していたNHK水曜ドラマ 「とめはねっ!鈴里高校書道部」 に主演で出ていた朝倉あきチャンが出ていたのは注目ですが、友人だからその程度の出番しかないんでしょうねえ…。 主人公の友人、っていうのは、ホントにチョイ役程度でしかないことが多いですからねえ…。
 ただその 「とめはねっ!」 の流れをくむ、青春の元気いっぱいのドラマだとすると、まあ毎日見るのは、ちょっとしんどいかな。 私は週末にかためて見ているので、そこらへんの徒労感はないかもしれないです。

 また、評判の特に悪いオープニングタイトル(笑)。
 尾道の人々?が踊りを踊っているのですが、あれってお好み焼きが出来上がるまでを表現している踊りじゃないでしょうかね?
 それでよかったのは、やはりお好み焼きを家族で作って食べているシーン。
 広島風のお好み焼きなのですが、私は広島風でも関西風でも、お好み焼きが大好きなんですよ!(笑)
 ああ~、また食べたくなってきた(笑)。
 毎日お好み焼きでもいい!(笑)
 あ、毎日カレーライスでも、結構大丈夫なタイプです(笑)。

 そんな 「コナモン大好き」 の私から言うと、このドラマの主役は、なんと言っても 「お好み焼き」!(笑)
 出生の秘密とかおばあちゃんがトランペットを投げ捨てたとか、もうどーでもいいとゆーか(笑)。

 まあ朝ドラ恒例なのですが、しばらく付き合ってみようかと思います。

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「龍馬伝」 第39回 「日本を守るための戦」、その中心にあるものは

 第四部の開始です。 タイトルバックの龍馬は、モノクロっぽい画面。 もうじきに、歴史の中に消え去ってしまう、そんな感慨を抱かせる演出であります。

 冒頭の明治時代の弥太郎(香川照之サン)、ますます龍馬に対して嫉妬の炎を燃やしております。 龍馬の取材を続ける土佐新聞の記者に、「こんな書き方をしたら、ただ龍馬がカッコイイだけじゃろうが!」 と、なんか 「龍馬伝」 批判者たちの代表みたいなことを言っとります(笑)。

 今回の 「龍馬伝」 で強調されていたのは、この 「弥太郎の嫉妬心」。

 もともとこの設定自体からしてフィクションなのですから、「龍馬伝」 は、坂本龍馬の伝記に名を借りて人間の悲喜劇を描こうとしたものである、という認識を持たねばなりません。

 そしてもうひとつ、龍馬の伝記に名を借りてこのドラマの作り手が表現しようとしているのが、「戦争と平和のせめぎあい」 だと感じます。
 嫉妬の炎に包まれて黒焦げになってしまいそうな弥太郎が、お元(蒼井優チャン)に向かって言い放つ言葉。

 「どういて龍馬ながじゃあっ!

 あいつはわしに言うたがじゃぞ。
 『喧嘩では世の中変わらん』 と!
 『憎しみからは何ちゃあ生まれん』 と!
 それやに、戦に行ったがじゃぞ!
 あいつは嘘つきじゃ!
 大嘘つきじゃ!」

 これは、「龍馬伝」 批判者の代弁でもあります。

 ここでお元は、「人は誰だって嘘つきですばい!…ばってん、坂本さんのそん嘘は、みんなが笑うて暮らせる国にするための嘘…」 と弥太郎に反駁するのですが、それは作り手が考えている、 「平和を唱えていた龍馬が戦をすること」 の本当の理由にはなっていない。 もちろんそれはお元なりの、お元の次元で展開される 「龍馬が戦に加わった理由」 なのですが。 しかし、セリフだけで、ドラマを見てはいけません。

 龍馬が懐にしまいこんでいたのは、「大政奉還」 という考えだったのですが、この考えは木戸(谷原章介サン)にやはり 「あの裏書きを書いたんは、きみじゃ。 そのきみが、戦をするなとは…ハハ…。 こげなおかしな話があろうか。 そもそも、戦もせんで、どうやって幕府を倒すつもりじゃ?」 と訊かれて打ち出したものです。
 しかしその 「大政奉還」 という理論は龍馬の行動規範の奥低にあるとはいえ、理論自体に 「平和を唱えていた龍馬が戦をすること」 の本当の理由があるとも思えない。 「大政奉還」 は、「理屈」 の次元の話なのです。

 私が今回の話を見ていていちばん感じたのは、「何かを守ることの尊さ」 を龍馬が大切にしていたからこそこの戦に加わり、そして長州軍(奇兵隊)や高杉(伊勢谷友介サン)の生き方に突き動かされたからこそ、自分の大切なものを守る、ということに確信を新たにしていった、という過程です。

 再三指摘していることですが、このドラマにおける龍馬のもっとも中心部分にある危惧は、「日本人同士が喧嘩をしている間に、外国に軍事的にも経済的にも侵略されてしまう」 というものである、と私は考えています。

 だからこそ日本という国を守りたい、自分と同じ日本人たちが自分たちのアイデンティティを見失うようなことがあってはならない、という行動規範によって動いている。 百姓や大工など、庶民の軍隊である奇兵隊のあり方に、龍馬はそんな自分の思いが、ここにこそ具現化していると感じたに違いない。
 また労咳(結核)を患い、自らの命が短いことを知ったからこそ、残り少ないその命を、自分の育った藩を守ることに殉じようとした、高杉晋作の思い。 戦場で、砲弾が飛び交う中ひとり着流しで三味線を持って悠々と渡る姿は、「ちょっとアブナすぎ…」(笑)とも思いましたが、高杉の 「いつ死んでもいい」 との思いは、伝わってくるのです。 それに龍馬も感銘を受けた、という構図は、ドラマの組み立て上、納得できる話なのです。

 それにしても弥太郎の描写は、最終章に入って傲慢の度をますます強めています(笑)。
 歯が汚いとか身なりが汚い以上に、三菱サンの神経を逆なでしそうな描写であります(笑)。
 龍馬の描写より、私にはこっちのほうが、よほど気になってしまうんですけどねえ…。

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2010年9月25日 (土)

「ゲゲゲの女房」 第26週(最終週) 陰で支えてくれる人たちの 「見えない力」

 最初にお断りします。 ハチャメチャに長いです、この記事。



 何と形容したらいいんでしょうねえ、このぽっかりと、胸に穴のあいたような気分は…。

 「ゲゲゲの女房」 最終週を、今見終えたところです。

 先週も書きましたが、次回作 「てっぱん」 の 「一瞬PR」(笑)が不愉快に見えるのは、「このドラマの余韻に浸っていたい」、という気持ちをぶち壊すものだからなんですよ。 これも以前書いたことですが、ドラマに対する一種の 「引きこもり現象」 が起こってしまっている。 いきものがかりの 「ありがとう」 がずーっと、頭の中を反芻しております。 私もこのドラマに対して 「ありがとう」 という気持ちでいっぱいなのです。

 私が朝ドラの中で最高傑作と考えている 「ちりとてちん」 では、こんな喪失感はなかったなあ。
 つまり 「ちりとてちん」 ではドラマの組み立て方が緻密すぎて、終わり方に関しても 「こうとしか考えられない」 という揺るぎのない終わり方だったために、「なんで終わっちゃうの」 という感情が湧いてこなかった。

 「ゲゲゲの女房」 終了がもたらす喪失感の根底には、主人公の布美枝(松下奈緒サン)が醸し出していたなんとも言えない 「安心感」 がある。

 それは、「母親の安心感」 なのです。

 ご飯を作ってくれ、洗濯をしてもらい、自分のことをあれこれうるさく干渉してもらえる…あまりに当たり前すぎて気づかないのが、この母親の有難味です。
 これは決して表立って出てくることはない、「目に見えないもの」 でもある。
 このドラマがいちばん重要視していたのは、この 「見えんけどおる」 という、一家の主婦の有難味のような気がするのです。
 これは何万ものセリフのどこにそれが表れている、と指摘できるものではなく、このドラマをすべて見終わったときに見る側が実感できる 「想い」 であることは間違いがない。 これが、喪失感の正体です。
 このドラマを支えていたものは、そんな 「陰で支えてくれる人たちの見えない力」 だったのだと感じます。

 源兵衛(大杉漣サン)が倒れたとの知らせが入り、故郷に戻った布美枝は、幼馴染のチヨ子(平岩紙サン)から指摘されます。

 「私、テレビで 『鬼太郎』 を見るたびに、布美ちゃんが一生懸命やっている姿、思い浮かべるんだよ。 画面のどこにも、布美ちゃんの名前は出てこん。 けど、村井さんの活躍の陰には、布美ちゃんがおーだもん。 みんな、よう知っちょうけん。 布美ちゃんは、目立たんとこで人より頑張っていること」

 これは今週のテーマを語る上で、最初の軽いジャブ(またこの、ジャブの繰り出しかたが、うまいんですよね)。

 布美枝だけでなく、兄嫁として源兵衛の厳しさに耐えてきた邦子(桂亜沙美サン)にも、ドラマはスポットをあてる。
 「いろいろ、だんだん」 と邦子の長年の尽力に感謝する布美枝に、邦子は 「お父さんの看病をしているときに、こんなことがあった」、と話すのです。

 源兵衛 「わしは、運がええな…娘がそばにおって、こげに世話してくれえだけん」

 邦子 「え? …お父さん、今何て言いました?」

 源兵衛 「『うちの娘』 だ…そう言ったんだ」

 陰の苦労、努力というものは、誰か褒めて認めてくれる人がいてこそ、初めて報われるようなところがあります。 だーれも何にも感謝しないで、ただ当たり前だ、なんて思うようなことは、あっちゃイカン、とも思う。

 このドラマは、まさにその点が訴えたいことの中心にある。

 それにしても、源兵衛と布美枝の 「最後の語らい」 のかずかずには、泣かされました。
 ひと回り小さくなり、声も甲高くなって、昔の威厳がすっかりしぼんでしまったかのような源兵衛。
 その姿を見るだけで私などは泣けてくるのですが、かすれた声で 「重病人扱いをするな! だらず!」 と、威勢だけは守ろうとする。

 藍子や鬼太郎のテレビのことを心配する源兵衛が、布美枝と昔語りをする場面も、「実はこうだったんだ、ああだったんだ」 と、年月を経たからこそ語ることのできるような内容で、とてもよかった。

 「40年50年連れ添うなら、あげな男がええ」 と茂との見合いのときに布美枝に語ったのも、
 「そう思っとってもな、もしかしたら見込み違いかもしれん、嫁にやって、つらい思いをさせたかもしれんと…心配せん親はおらんわ…」 そう打ち明けるのです。

 そして、「うちの人は、本物のマンガ家ですけん!」 という、あの名シーン。
 あの時も、
 「ほっとしたわ。 この結婚は間違いではなかったと、分かったけん。
 …だども、ちょっこし寂しい気もした。
 お前はわしの娘から、村井さんの女房に変わっとったけん」
 という正直な気持ちを打ち明けるのです。
 この 「娘の父親」 の気持ちを考えると、泣けて泣けて仕方なかったです。
 松下サンも、このシーンでは、目を真っ赤にしておりましたね。

 さらに、結婚式で源兵衛が歌った安来節の文句にも、ちゃんと意味があったことが、ここでは明かされていくのです。

 「枝も栄えて、葉も茂る」

 「枝」 は布美枝の枝、であり、「茂る」 は村井のことだった。

 「…歌の通りになれよ…布美枝…ええな…」

 …泣けます。 松下サンが予告した通りになりました(笑)。
 布美枝が東京に帰る時の源兵衛との別れのシーンでも、松下サンは涙をこらえるのに精いっぱい、という感じでした。

 「ほんなら、行くね。 …大事にね、お父さん!」

 と話しかける布美枝に、源兵衛が応えたセリフ。

 「はい」

 …およそ源兵衛らしくない、あまりに素直で、まるで子供に帰ったようなこの一言。 源兵衛のさびしい気持ち、気弱になっている気持ちがまさに凝縮された、味わいのある一言でした。
 そして布美枝が帰ったあと、半身不随の体を押して、仏壇の前で半分開かない手を支えながら、手を合わせる源兵衛。

 「おばば…貴司…布美枝たちを頼むぞ…わしは行ってやれんけん、代わりに守ってやってごしえ…」

 うう~泣ける。 もうダメだぁぁ~っ(笑)。

 「陰で支える人」 として、ドラマはスガチャン(柄本佑サン)にも、スポットを当てます。

 彼は自分の描いたマンガがとある賞に入選したことで、独立するということを周囲が勝手に判断し、物事があれよあれよと決まっていくのを、「自分はもう水木プロには必要ないのか」 と誤解して落ち込んでしまう。

 要するに、スガチャンにとってはその作品が自分の 「出世の本懐」 で、この作品ひとつで燃え尽きてしまった、という事情があったのです。

 話はわき道にそれますが、これ、すごくよく分かるんですよ。

 ものの作り手には、自分が抱えている 「才能のキャパシティ」 というものがある。
 私もいろんなマンガ家のかたがたを見てまいりましたが、才能が汲めども汲めども尽きない手塚治虫サンのようなマンガ家(今週水木プロ20周年謝恩パーティでチラッと画面を通り過ぎましたね…笑)もいれば、描いていることが急につまらなくなるマンガ家サンもいます。
 今ではそんなマンガ家サンのサルベージ体制が整っているせいか、昔ほどひどいケースはないのかもしれませんが、マンガ家サンに限らず、そんなふうにしてかつては傑作を生み出した人が急に消えてしまうケースの、なんと多いことか。
 「自分の才能が尽きてしまう」…そんな恐怖感と戦っているモノの作り手というのは、とても多いのです。

 落ち込んで自暴自棄になるスガチャンを、茂(向井理クン)が一喝します。

 「だらっ!
 あんたが抜けた後どうしようか、こっちは頭を悩ませとったんだぞ!

 アシスタントは、数がいればいいってもんじゃない!
 あんたの力、点々を打ち続けるそのしつこさ。
 それが水木プロの柱になっとるじゃないか。
 けど、20年かかってやっとつかんだひとり立ちの機会を、こっちの都合でつぶしたらいけん。
 そう思って、諦めとったんだ。

 そうでなければ、大事な戦力を手放すか!

 …あんたの代わりは…

 おらんのだ」

 「またお世話になります!」 と欣喜雀躍のスガチャンなんですが(笑)、その一件落着のあとに 「お世話になっとるのは、こっちのほうだよね」 と茂に話す、布美枝なのです。

 「いいときも悪い時も、お父ちゃんの仕事、手伝ってくれて。
 アシスタントや編集さん…。
 お父ちゃんのマンガには、大勢の人たちが力を貸してくれとるんですね」

 そんな布美枝の言葉がヒントになったのか、茂は謝恩のパーティを開くことを、布美枝に提案します。

 「オレは、一個分隊を率いとる。 オレの代わりは、おらん。
 分隊の命運は、オレにかかっとるんだ。

 けどな…スガチャンの代わりも、やっぱりおらんのだ。
 アシスタントや編集の人たち…誰が欠けても、ここまでやってこられんだったかもしれん」

 茂のその言葉のいちばん先には、布美枝がいることは間違いない。
 茂は、布美枝にいちばん報恩したい気持ちでいっぱいだったと思います。
 着物を新しいのを新調せえ、と照れながら布美枝にしゃべるのも、その端的な表れなのではないか、と。

 けれども布美枝は、あの質屋に貧乏時代に預けていた、あの着物を選択するのです。 マイティサン、ここで出ましたよ!(笑)

 パーティの当日、布美枝は母ミヤコ(古手川祐子サン)からもらったその着物の由来を娘たちに話して聞かせ、そして髪にはおばば(野際陽子サン)から譲り受けたサンゴのかんざしをつける。
 そして、母親や祖母の思いも一緒に、パーティ会場へ持ち込むのです。

 パーティにはこれまでドラマを彩ってきた人々が総登場。 ただし深沢(村上弘明サン)だけは病気のため欠席。 富田社長(うじきつよしサン)も出席せず、…まあ出られた義理じゃないっスかね~(笑)。 イタチ(杉浦太陽クン)はなんと出席(架空の人物らしいですが…笑)、イカル(竹下景子サン)といいコンビになっとります。

 そしてそのなかで、布美枝の周りに知らぬまに人の輪ができる。
 これこそが、いくら目立たなくともちゃんと存在している 「ナズナ」 の強みでしょう。
 人徳ってもんです。

 パーティが終わって帰宅した茂に、娘たちは花束を差し出すのですが、それを茂は、布美枝に手渡す。

 「それは、お母ちゃんにだ。

 お母ちゃんがおらんと、ここまでやってこられんだったけんな」

 感動する布美枝を尻目に、さっさと仕事場に行ってしまう、茂。
 この茂独特のテレが、ドラマのひとつのエッセンスになっていたような気がします。
 パーティの盛況を報告し、もう少し我慢していれば、あなたも出席できたのに、とイトツ(風間杜夫サン)の遺影にひとり語りかけるイカル。 この細かいフォローも万全。

 イトツ以外にも何よりパーティに出ることのできなかった商店街の人々、東てる美サンや質屋のオジサン(徳井優サン)にも、きちんとフォローの手を入れている。 このドラマを安心して見ることができたのは、ここらへんの細かい気配りであったことも、忘れてはならない一点かと思います。 美智子サン(松坂慶子サン)も手紙のナレーションで登場。 サプライズで、小林太一クン(鈴木祐樹サン)も登場。

 この太一クン、水木マンガの読者代表、という象徴的役割で出ていたことが、オーラス2回で気付かされました。

 「オレは、大勢のなかのひとりです。
 何万か何百万か、数は分からないですけど、大勢の読者が、オレと同じように 『鬼太郎』 を応援してるんです。
 先生のマンガを楽しみに待ってるんです。
 描き続けて下さい。
 オレは、ずっと読み続けます」

 水木マンガの読者たちや、おそらくこのドラマを見ている人たちにも向けた、「だんだん」。
 スケール、でかすぎですけど(笑)、ここにはとてつもない 「おかげさまで」 の精神があふれ出しておるのです。

 けれどもそんな矢先に布美枝にもたらされたのは、源兵衛が亡くなった、という悲しい知らせ。 むむ、最終回にこんな悲しい話を持って来るのか…。

 そして最終回。

 タイトルバックの 「最終週」「最終回」…見たくなかった。

 冒頭では、イトツに源兵衛のことを頼むイカルの姿。 飯田家と村井家は、毛利方と尼子方…そーでしたね(笑)。 だいぶ前の大河ドラマ 「毛利元就」 では、宿敵でした~(笑)。
 「いずれ…私もお邪魔しますけん…」
 と、またイトツの遺影に語りかけるイカル。 竹下サンの演技も、このドラマでは強い印象を残しました。

 通夜の席で語られる源兵衛の最期の日々は、やはり泣けるものでした。
 特に貴司(星野源サン)の子供のころ吹いていたラッパを呼び鈴代わりにして病床で吹いていた、という話、「今頃貴司のやつ、なして俺より先に来とるんだと親父に怒鳴られてるぞ」 という話。 貴司の存在がいかに大きかったかも、同時に感じさせる作りはさすが。

 そしてまたまた、ここでフォローが入ります。
 叔母の輝子(有森也美サン)が 「自分は布美枝と茂サンの結婚には反対だった」 と茂に謝るのです。 登場人物のひとりひとりに、気配りしすぎってくらいです(笑)。

 でもそこから、「お父さんの見る目は確かだった」 という話に発展する。

 飯田家の娘たちは、みんな(全員かどうかはちょっと判然としませんが)源兵衛の持ってきたお見合いで結婚している。
 つまりこの実家の風景がそのまま、源兵衛がつくりあげた形に他ならないのだ。
 ミヤコはこう源兵衛の遺影に語りかけます。
 「お父さん、満足しとるよ。 なんでもない、普通の人生だったけど、オレはこれだけのものを残したんだぞって」

 この葬儀に出席し、鬼太郎の絵を描いて場を和ませていた茂を見ながら、布美枝もこうつぶやくのです。
 「お父さん…みんな、笑って暮らしとるよ…」

 「笑って暮らしていたら、それでいい」 と遠い昔に話していた源兵衛への、布美枝の思いです。 このドラマをトータルで思い出させてくれるセリフの数々、最後まで手抜かりがない。

 そしてこのドラマのラストシーン。

 それは、安来の実家の近くを散策する、布美枝と茂のシーンでした。

 これは 「鶴瓶の家族に乾杯」 を見ていた人なら気付くかもしれないですが、向井クンが安来を訪ねたときに、水木サンの散歩コースを歩いたことに、何かヒントが隠されていた気がします。

 風景画を描く茂に、布美枝はそっと尋ねます。

 「お父ちゃん…私で、よかったのかな?」

 「なんだ?」

 「別の人と一緒になっとったら、お父ちゃん、どげしてただろう?」

 「…そげだなあ…横を見たら、いつもお前が立っとったなあ。
 …ぼんやりした顔して」

 「あら。 『ぼんやり』 ですか?」

 ポン、と布美枝の肩をたたく、茂。

 「…よかったんじゃないか…お前で」

 そんな神社の帰り道、ふたりは第1週に出てきた 「べとべとさん」 に出会うのです。

 「べとべとさん、先へお越し…」

 幼いころに布美枝が出会った少年から教えてもらったおまじないをふたりでとなえてから、やはりあの少年は、茂だったのではないかと考える、布美枝。

 「オマエ、よう知っとったなあ、べとべとさんの呪文」

 「昔、教わったんです…『見えんけど、おる』 って…」

 「ふーん。 『見えんけど、おる』 か…」

 そして、ふたりを呼ぶ声に振り返ると、そこには鬼太郎や、妖怪が。

 「なんだぁ…みんな、おったのか…」

 「ずーっと、一緒だったんですね…」

 「…さて、行くか…」

 「はい…」

 「まだまだ、これからだ」

 「はい…」

 歩いていくふたり。 いきものがかりの 「ありがとう」 が再び流れ、わけもなく泣けていました。 エンドマークです。

 (ここからはリーン様のコメントへの返信からの転載です)

 このラストも、べとべとさんが出てきたのは、確か第1回目だったと思うのです。
 第1回目と最終回をここで結ぶなんて、なんつードラマだ!と感じました。
 しかもべとべとさんは最初、アニメで出てきたのですが、最終回はその気配だけ。 子供のころは視覚化さていたのに大人になるとそれを直接見ることは叶わない…そんな作り手の意図というものも、とても感じるラストなのです。

 最後の 「まだまだ、これからだ」 という茂のセリフも、まだまだご夫妻が存命中であるだけに、明日につながっていくものになるだろうと考えていた私の期待通りのものでしたし。

 しかも布美枝の最後のセリフは、茂の言うことに 「はい」「はい」 と答える、このふた言のみ。
 このドラマで 「存在感がない」「何もせずただ見てるだけ」 などと批判された布美枝の、いちばん象徴的なセリフだったのではないでしょうか。(以上転載オワリです) しかしこの存在感のなさに潜む尊さこそが、作り手の意図するところ。 このブログでは再三、そのことに言及してまいりましたので、お分かりになるかと思います。

 「なんだ、みんないっしょにおったのか」…というのは、イトツがこの世を去る数日前に見た夢にも出てきたセリフだったですよね。
 みんなに見守られて、自分は生きている。
 そんなことも感じさせる、ラストでした。

 ああ~~~っ、終わっちゃったよ!!

 …失礼しました(笑)。

 来週から、どうすりゃええのかなぁ…。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第9週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html
第12週 冷たい風に吹かれてhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/12-2a16.html
第13週 自分のいるべき場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/13-f9bf.html
第14週 自分の名前と自分の存在http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/14-30e2.html
第15週 夢をあきらめないで… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/15-19ee.html
第16週 性急に見える成功、ですが… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/16-7865.html
第17週 村井家ビフォー・アフター?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/17-d98c.html
第18週 「悪魔くん」 成功の裏で描かれるものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/18-6ede.html
第19週 漠然とした願いと覚悟との狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/19-7dcb.html
第20週 見えないもの、見えなくなるものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/20-0c48.html
第21週 「鬼太郎が見た玉砕」 と比較してhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/21-d16a.html
第22週 失って初めて気づく家族の愛情 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/22-ddb9.html
第23週 いくつになっても、ただ前を向いてhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/23-6e34.html
第24週 置きざられた夢、受け継がれる思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/24-64d2.html
第25週 好きなことをやり続ける、ということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/25-cab0.html

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2010年9月24日 (金)

「スタジオパークからこんにちは」 水木しげる・布枝夫妻 引っ張りダコです

 「ゲゲゲの女房」 も明日最終回、ということで、水木しげる・布枝夫妻が 「スタパ」 に登場。 本日放送の民放のTBS 「金スマ」 にもお出になるらしくて、なんか出ずっぱり(笑)。 特にTBSはプライド捨ててまで 「ゲゲゲ」 の視聴率アップに貢献している…というより、単なる便乗ですか(笑)。 たかだか朝の15分程度視聴率が奪われようとも、自局のスペシャル番組の視聴率が良ければそれでよし、という感覚ですかな。

 私ももう何度か、この手の番組を(ことごとくNHKの番宣絡みですけど)見ているせいか、あまりここで取り立てて書き立てることもないのですが、このドラマのおかげで、明らかに水木しげるブームというものが到来していることは実感としてあります。 今回の 「スタパ」 を見ていても、「88にもなると、もう大抵のことには驚きゃせんのです」 みたいに言いながら、ブームの到来をひしひしとお感じになっている模様の水木サンです。
 「ブームというのは、働かないでも金が入るからねえ」 と、これまたとぼけたことを言って笑わせます。

 今回のスタパは、スタジオを離れて水木プロダクション(マンションの一室だったみたいですネ…あの忍者屋敷を期待したんですけど…笑)を訪ねます。
 それで気づくのは、布枝サン、なんかますますおきれいになっていらっしゃること(笑)。 メイクバッチリ、ハイビジョン仕様になっております(笑)。 やっぱりドラマで注目されることも一因でしょうか。 「見られることで女はきれいになる」 と、よく言いますもんね。

 最初に紹介された、ドラマのタイトルバックに出てくる絵の具壺。
 私ももうこれもお馴染みなほど(笑)のフォロワーとなっておるのですが、よく見るとこの絵の具壺が入っている入れ物が、どうもクッキーの缶のようなのです。

 いかにも甘い物好きな水木サンらしいのですが、少年マガジン…いや違った、少年ランドの編集長さんが甘いものをお土産に持ってきたのと同じように、今回NHKサンが持ってきたのは、シュークリームと大福。 「いただいた以上は早速食べなければ」 と(笑)そのどちらもガツガツ食べる水木サン、健啖家ですが、なんかイトツを思い出してしまいました。
 また大福の粉を着ているセーターの上にボロボロこぼして(笑)。
 それをさりげなく拭いてあげる布枝サン。
 「夫婦円満の秘訣」 と訊かれて、漠然としたことを答えていたのですが、きちんとはっきり答えられなくとも、こういうちょっとした仕草の中に、その答えが全部詰まっているような気がいたしました。 「ケンカもしますよ」 と布枝サンが答えると 「またそういうことを言うと話が複雑になる…」 と突っ込む水木サン。 つまり、自然体なんですよ、すべてが。 自然に付き合っていてお互いどうしようもなく嫌になってこないところが、円満の秘訣なんだなと実感します。
 布枝サンの感動的な話の途中で水木サン、「ヘークション!」(笑)。
 自然体すぎる…(笑)。

 そんな水木サンが最近の若者に一言、と言われて話したことは、とても印象的でした。

 「若者はアンタ、黙ってこき使われて働けばいいと思う。
 今たいてい若者は働かない、近頃の若者は文句ばっかり言う。
 昔は黙って働かされたもんですよ。

 若者はだいたいものすごく働けるもんですよ、体がいいんだから。
 働けば自然に金も儲かるわけだけれども、働かんから金がもうからん、と言う。
 それを文句言ったってしょうがない。

 水木サンみたいに働く人は少ないかもしれんけど」

 ここで最後に唯我独尊を見せるところが、いかにも水木サンらしくて笑わせるのですが、これは自分がそこまで働いた人だからこそ、言える言葉なのです。

 それにしても、この水木しげるブームは、当分続きそうな気配であります。 水木マンガを支えるものは、この水木サンの考え方のスケールが常人離れしているところにあると感じます。 ただそれは、やはり働いて働いた末に勝ちえたものであることは、とても重要なことのように思える。

 「無為に過ごす」(笑)などと、ドラマでの水木サンの仕事部屋なんかには張ってありますが、仕事だけはしゃかりきになってやっている。 ドラマを見続けていても、そのことはじゅうぶん伝わってくるのです。

 そうそう、やはりNHKの強みでしょう、「ゲゲゲの女房」 主演の松下奈緒サン、向井理クンから、おふたりに色紙のメッセージが届きまして。

 「布枝サンへ
 やっぱり、終わりよければすべて良しでした。
 松下奈緒」

 「しげぇさんの熱意と努力に突き動かされて、演じることができました。
 初めて会った時の 『好きなようにやりなさい』 の言葉と共に、大事にしていきます。
 向井理」

 松下サンも向井クンも、こないだの 「スタパ」 の時の服装だったので、そのときにメッセージを書かれたんでしょう。 水木夫妻も大変感動していました。

 さてドラマの最終回では、どんなフロシキのたたみ方をするんでしょうか?

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2010年9月22日 (水)

「10年先も君に恋して」 第4回 失いたくない、あのときの気持ちを

 ちょっとのっけから、興醒めしてしまうような話をいたしますが(ご指摘を受けて私の思い違いであったことが判明したのですが、まあお付き合いください)。

 タイムスリップものには、通常突っ込みたくなるような設定が満載なのですが(笑)、この 「10年先も君に恋して」 の設定でいちばん首をかしげたくなるのが、「どうして現在のヒロシ(内野聖陽サン)にダーレも事情を話さないのか?」 という点であります(笑)。
 別に誰が傷つく、というわけでもないでしょうに。

 三田村教授(藤竜也サン)が現在のヒロシに話さないのは、なんとなく分かります。 要するに、「未来がどうなっていようが、現在に生きている者は現在発揮できる力でそれを解決せよ、自分の力で未来を切り拓け」、というスタンスなのです。 これは前回、自分が10年後には死んでしまっていることを察知しながら、今を生きよう、という態度を貫こうとしたことからも分かる。 「10年後ヒロシ」 にも 「もう帰りなさい」 とあっさり言うし、今回も、リカ(上戸彩チャン)と10年後ヒロシが仲良さそうにしているところを見た、という森松(中山祐一朗サン)をたしなめたりしていますよね。

 ただリカが、このことを現在のヒロシに話さない、というのは、いったいどういうわけなんでしょうか。

 私の考えでは、リカは現在のヒロシに事情を話さないことで、ロクでもない自分の未来と戦っているような気がするのです。 まあたびたび、このブログでは指摘していることなんですが(追記 事情を知ってしまうと、ヒロシ自身が消滅してしまうかららしいです。 ぽち様、お知らせいただき、感謝いたします。 ドラマでも説明していたらしいんですが…笑)。

 今回リカは10年後ヒロシから、どうして10年後に夫婦生活が破綻しているか、その理由を聞き出します。
 それによると、結婚して2年後にヒロシがデトロイトの研究所から引き抜きにあったため、リカには仕事を辞めてもらって、アメリカに移住した、というのです。
 その後ヒロシの仕事は成功を収めて結構な金持ちになったのですが、「仕事を辞めさせられた」 ということはリカにとって相当なダメージだったらしく、先週の予告通り、「あなたの夢のために私は犠牲になったのよ!」 と暴れまくりブンむくれまくっているのです。
 ただ、ヒロシが 「リカをこれ以上憎みたくない」 と考えるのには、やはりリカの日高光治(劇団ひとりクン)との浮気が絡んでいる模様。 そのことをまだ今回の段階で、リカは知りません。

 ここで注目なのは、10年後ヒロシの言動の端々に、「10年後リカ」 を心底憎んでしまっていながら、「10年前リカ」 に徐々に惹かれ始めている、と同時に、現在のリカが10年後ヒロシに、徐々に惹かれ始めている、という点です。 ずいぶんおもしろい構図です。

 これはどうしてなのか、というと、10年後ヒロシにっては10年前リカというのは、夢破れ、それを自分に責任転嫁する女ではなく、自分が出会ったころのまっさらな状態のリカだからであり、現在のリカにとって10年後ヒロシというのは、未来の自分がひどいことをして性格をゆがめさせてしまった末のヒロシだからなのではないでしょうか。 つまりお互いの姿を見ながら、ふたりとも自分の姿を、そこに投影しているのです。 まるで鏡のように。

 リカは10年後のヒロシをサルベージしようとしながら、実は自分の未来もよりよい状態にしようとしている。
 10年後ヒロシは10年前のリカに惹かれながら、実は自分がどこで間違ってしまったのかを、理解する機会を得ようとしている。

 ふたりとも、失ってしまったもの、失おうとしているものを、何とか取り戻そうとして、お互いに惹かれあっている。
 それは、ねじくれてしまう前の、「自分の心」 なのです(断言しております…笑)。

 今回終盤で、都会の夜空に数少なく浮かぶ星を見上げる、現在のリカと10年後のヒロシがいました。

 「想像してみろ…このかすんだ空のはるか先には、広大な宇宙が広がってんだぞ…」

 同じ言葉を現在のヒロシから聞いて間もなかったリカは、10年後のヒロシの心の中に、「あの頃のヒロシ」(つまり現在のヒロシ)が持っていたものと共通のものを見つけるのです。
 ここでまた、クリスタル・ケイサンのあの歌がぁぁ~~っ(笑)。
 タイミング、ドンピシャすぎるって(笑)。
 わけもなく、泣けてくるのです。
 つまり、自分の心の中にかつてあって、今は失われてしまったものに対して、泣けてくるのでしょう。

 ここで現在のヒロシが現れ、10年後のヒロシは激痛から逃れるためにその場を立ち去る。 森松の話をそーとー引きずっていた(笑)現在のヒロシは、てっきりリカが男と浮気しているものだと思って、かなり激高しています(笑)。 10年前と10年後の 「ふたりヒロシ」(笑)に板挟みにされたリカは、10年前ヒロシを選択(なんと…)、彼を追いかけていく。

 この判断、まあ分からないでもないです。

 かたや現在のヒロシとは、どんな誤解があろうとも、いくらでも修復できる。
 いっぽうのヒロシは、未来へ帰ってしまえば、彼の誤解は一生解けないかもしれない。
 自分が本当はこんな女なんだ、ということを覚えてもらいたいがために、リカは未来のヒロシを追いかけていった…私はそう解釈しているのですが、どーでしょうか?

 なんか次回予告では、現在のヒロシとは破局してしまったようですが、でもまあ、今起こっていることは、今だからこそ、解決できるものなのです。

当ブログ 「10年先も君に恋して」 に関する他の記事
第1回 んー、どうでしょう
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-1-276e.html
第2回 大切なのは、今の気持ちなんだhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-2-58e5.html
第3回 自分が変わってしまうことへの恐怖http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-3-3dc3.html
第4回 失いたくない、あの時の気持ちをhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-4-b283.html
第5回 いまだけが、未来を変えられるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-5-3f42.html
第6回 10年後の自分へhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/10-6-10-0df7.html

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2010年9月20日 (月)

「龍馬伝」 第38回 霧島で逆鉾を抜かなければならない理由

 第3部ラストである今回の 「龍馬伝」 でしたが、物語の焦点はあくまで霧島での龍馬(福山雅治サン)の動向、そして「武力を伴わない平和の難しさ」、にあった気がします。

 いっぽう池内蔵太(桐谷健太サン)の乗った船の遭難がどのような経緯で起こっていったのかには、作り手の興味はほとんど見受けられませんでした。 この遭難に期待していた向きには、ちょっと失望させられる出来だったと感じます。
 池に関しては、お元(蒼井優チャン)との恋愛話まで作り手は創作?し、またぞろこのドラマの批判派の神経を逆なでする行為に及んでおります(笑)。

 そしてもうひとつ、批判派の神経を逆なでさせそうな話が、龍馬の左手首の傷に関するエピソード。
 聞くところによりますと、龍馬が寺田屋で受けた左手首の刀傷は深く、いずれかの指が動かなくなる後遺症にまで発展し、そのために後年龍馬は左手を隠していることが多く、写真でも左手を隠してたりしております。
 その左手を龍馬は、今回のラストでは開いたり握ったりした挙句、堂々と見せびらかすようにして手前に突き出し、テリー伊藤サンの写真に撮られるのです。
 まるで 「龍馬伝」 批判者たちへの挑発行為のようにも見えました(笑)。 しかし…まあその話はのちほど述べるとして。

 今回物語の重点が置かれていたのは、前述したとおり、ひとつには龍馬の霧島山での行動です。

 このドラマの作り手は、実際に遺された事実から龍馬に関するどの部分に突き動かされ、物語を紡いでいるのでしょうか。

 それは、
 「自分の指が動かなくなるくらいの大怪我を負いながら、どうして龍馬はいきなりお龍と3カ月も新婚旅行を楽しみ、霧島山で逆鉾を抜かなければならなかったのか」
 という点だという気がするのです。 作り手はさまざまな史実の中から、この史実に焦点を当てて話を展開しようとしている。

 薩長同盟という大仕事を成し遂げたあととは言え、相変わらず亀山社中は動き続けているし、龍馬に3カ月も遊んでいられるほどの暇なんかなかったように、私には思えます。
 これはやはり、龍馬の負った傷が、それだけひどかったことの表れではないかと。

 そして霧島山に登った経緯ですが、どうして龍馬はこの山に登ろうと思ったのか。
 このドラマでは龍馬に、この山の頂上にある逆鉾が、日本神話のニニギノミコトに由来していることを語らせている。
 この日本という国を統治しようと君臨してきたニニギノミコトの姿に自らもあやかろうとした、そんな動機が見え隠れするのです。
 それをこのドラマでは、「一度死んだはずのこの命を、日本を変えるために先頭に立って使ってやる」 という、龍馬の言葉に託している。

 ご神体である天の逆鉾を実際にも龍馬が抜いてしまっている、という行為も、考えてみれば現代人が奈良のお寺のどこかに落書きするとか、そんな常識のなさと共通するものを感じます。 でも今述べたような龍馬の心情を考えれば、龍馬がこのドラマでその時言い放った言葉に、違和感など感じなくなるはずです。

 史実ではこの逆鉾、龍馬はお龍と一緒に抜いたらしい。
 結構引っこ抜きやすかったしいのですが、つまり左手の傷が痛んで、ひとりでは抜けなかった、ということなのでしょう。
 それをこのドラマでは、龍馬がひとりで抜いたことにしている。
 そうすることによって龍馬の 「自分が先頭に立って日本を変える」 という覚悟の大きさを、さらに強調できる気がするのです。
 冒頭で述べましたが、龍馬が動くはずのない左手を動かし、ことさら前に突き出して強調させる、という行為も、実は龍馬の覚悟を浮き立たせる手法に他ならない。

 さらにここで重要に思えるのは、お龍が当時女人禁制だったこの山に龍馬とともに登った、という事実です。
 どうしてお龍はそこまでして、龍馬と一緒にこの山に登らなければならなかったのか。

 実際に乙女姉やんに送られた龍馬の手紙(「龍馬伝紀行」 でも紹介されておりました)を、かつて自分が初めて目にしたときは、「龍馬もずいぶんノンキにしていたんだなあ」 としか思えなかったのを覚えています。 でもノンキさの裏にどんな覚悟があったのかも、感じなければならないと思うのです。 まあ、ここには演出も入ってこなければならないのですが。

 当時の女人禁制が、どこまで厳密なものだったかは知る由もありませんが、その禁を破るということは、龍馬にもお龍にもそれなりの覚悟というものがこの登山にはあったということが窺われる。 これは単に禁を破るということだけでなく、そうまでして龍馬についていく、一緒に闘う、と考えたお龍の、不退転の決意が込められていたのではないか。 そして龍馬はそんなお龍の覚悟を、頼もしく思ったのではないか。
 ドラマの作り手の、そんな気持ちが、このシーンの数々から読み取ることができるのです。

 けれどもこのつかの間(3か月というのは、つかの間という感じでもないですけど)の休息は、ネガティヴな出来事の頻発によって破られます。
 先に述べた池の遭難にしてもそうですが、長州と薩摩が龍馬の意に反して、幕府との全面戦争へと突入す方向に、事態がどんどん過激化しだした、ということです。

 今回の 「龍馬伝」 で強調されているもうひとつの点が、この 「戦争という流れに飲み込まれていく平和」 なのです。 冒頭に指摘した、「武力を伴わない平和の実現の難しさ」、です。

 平和だなんだといくら口先だけでまくしたてても、紛争の当事者にしてみれば、戦闘状態に陶酔して、相手を完膚なきまでに叩こうという激情に知らぬ間にとらわれてしまう。 これが劣勢に立てば、そこには 「悲壮」 という概念が加わり、さらに歯止めが利かなくなる。 後年 「玉砕」 という言葉に日本中が狂わされてしまった事実を考えれば、「いまさらあとに引けるか」「おれたちは負けんぞ」 という大勢の感情に抗うことは、とても難しいことが分かるはずです。

 龍馬はこのドラマでこれまで、「戦のない話し合いによる平和的な解決」 を常に目指して来ました。 薩長同盟に奔走したというのも、幕府の劣勢を当の幕府側に思い知らせて戦の回避を図る、という意図のもとにあったのです。
 ところが戦争へと向かううねりは大きく、龍馬や亀山社中の存在だけでは、もうとても抗えない事態にまで膨れ上がっている。 これは龍馬が3カ月も休養をとったことのツケなのかもしれない。 龍馬は苦悩の末、決断するのです。 

 龍馬が出した結論は、「日本を守るために長州軍に合流し、幕府との戦に参加する」、というものでした。

 亀山社中のほぼ全員がこれに反対するのですが、 「血を流すことなく自分たちの志を貫く」、ということの難しさを思い知り、最終的に賛同する。
 龍馬の考えているスケールは、日本と諸外国とのパワーバランスに対する危惧、という規模の大きい形であって、これに反論できる者は、当時の亀山社中にはいなかったのでしょう。 ただしここで展開される龍馬の話は、ちょっとばかり説得力に欠ける気がしました。 こちらの脳内補完が必要、というか。

 いずれにせよ 「平和」 というものの実現にとっては、ある程度の戦闘を経てからでないと、人間というバカな生き物は、その愚かさに気づかないのです。

 さんざん今まで 「平和平和」 と唱えていた龍馬が 「戦争に加わる」 と言い出すのは、こんな苦悩を経過しているからなんですよ。 確かにちょっと説明が足りないかな、とは思いましたけど、この部分を見て 「このドラマは破綻している」「龍馬の気持ちに一貫性がない」 というのは、かなり的外れな批判なのです。 …あーまた、どこの誰かも知らない 「龍馬伝」 批判者に対して、熱くなってしまっている…。 毎度大人げなくてスミマセン。 でも。

 平和の尊さを、戦争を経験しなければ思い知ることができない、というこの虚しさ。

 龍馬が自分の持論を曲げてまでこの決断をした、情けなさ、怒りを、感じるべきなのです。

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2010年9月19日 (日)

「うぬぼれ刑事」 最終回 不真面目ドラマを真面目に作る意義

 宮藤官九郎サンによるこのコメディ刑事ドラマ、最初から最後まで実に不真面目な態度に終始したのですが、やはり物語の中心を占める部分においておちゃらけはしていませんでした。 それに、不真面目な態度というものを、それこそ不真面目に演じてしまえば、見る側はその手抜き感を敏感に察知する。 不真面目をやるにも、全力で取り組まなければ、視聴者を笑わせることなど、到底不可能なのです。 「うぬぼれ刑事」 はその点において、じゅうぶん及第点だった気がします。

 そして 「自分が惚れた女がことごとく事件の犯人である」 という設定であるにもかかわらず、最大の疑問点であった 「うぬぼれ(長瀬智也クン)の最初のカノジョ、中島美嘉サンがどうして何の事件にもかかわっていないのか?」 という点は、案の定という展開で最終回を迎えたわけです。

 さらに 「自分が惚れた女がことごとく事件の犯人である」 という設定は、この最終回に至るまでハチャメチャに徹底していて(笑)、最終回ではとうとう、男(女形)にまで手を出す始末(笑)。

 ここで女形を演じていた中村七之助クンの巡業歌舞伎をうぬぼれ5のメンバー坂東三津五郎サンが観に行く、という構図自体にも興味引かれるものがありましたが、ここでうぬぼれの妄想が入り、七之助クンと一緒に舞台で踊る、という展開も、とてもとても深読みをしてしまうと(笑)、このドラマでうぬぼれの父親役をやっている西田敏行サンの往年の傑作、「淋しいのはお前だけじゃない」(TBSの同じ金曜10時枠でした)を連想させるのです(やっぱ深読みしすぎ?)。

 その西田敏行サンが 「稲刈りのシーズンだ」 という理由で(笑)福島に帰る、というときに、うぬぼれに語った話が、また意外とよかった。

 「オレの経験から言うとな、罪を犯す人間は、何が正しいのか、誰よりもよーく理解してんだよ。
 そいった人間をな、追いこんで、尻尾つかんで、ブタ箱に放り込んでよ、それで何が変わるよ?
 正しく生きたいと思ってんのに、生きられない人間懲らしめたって、ふてくされるだけだべ?
 なあオノレ?」

 「うぬぼれです」

 「オマエは違う。
 オマエは、許す。
 そして本気で、愛する。
 まあ、結果はどうあれ、悪りい気はしねえと思うよ。
 人生、捨てたもんじゃねえぞって、思うよ。
 だから幸せだよ、オマエに捕まる犯人は。
 未来があんだもの。
 なあうぬぼれ?
 だから、…だから…、」

 ここで感動が最高潮なときに、サダメクン(生田斗真クン)がやってきて、雰囲気台無し(笑)。 ま、万事こんな調子なんですけど、このドラマ(笑)。
 けれどもこの西田サンのセリフがそのまま、長瀬クンと中島サンの結婚式に至るまでの話に、強い説得力を与えているのです。

 そうです、3年前に起きた銀行強盗事件の犯人が中村七之助クンであり、それを裏で糸を引っ張っていた主犯格の 「神」 と名乗る人物が、中島美嘉サンだったのです(毎度ですけど、完全ネタバレでんがな…)。 中島サンは警察の捜査を探るために長瀬クンに接近したのですが、完全に好きになってしまったために彼と強引に別れた。 そしてどうやっても好きになれそうもない(笑)もうひとりの警察の人物、冴木優(荒川良々サン)と付き合った。
 結局長瀬クンの求婚を中島サンは受け入れるのですが、と同時に長瀬クンは、彼女を逮捕。 獄中結婚の道を選んだわけです。

 正直言いまして、この手のドラマを私が見るのは、結構珍しいことなのです。 ひとつ間違えると、完全についていけないノリですしね(笑)。

 どうして私がこのドラマを最後まで見てしまったか、というと、物語の舞台が世田谷と福島、という、私にとって身近な場所だったことが最大の理由でした(そーゆーことかよ…笑)。 まあ、うぬぼれが住んでいたところは所沢だったようですけど。

 うぬぼれが勤務している世田谷通り署は、私の見立てで言いますと、三軒茶屋(三宿だったかな)にある世田谷警察署がモデルですネ。 建物の外観が、なんとなく似てます。 ただし場所は違う。 ロケ地も世田谷の各所を使っていて、岡本付近とか用賀のあたりとか成城とか、「あ、あそこでロケしてたのか」 という愉しみもありましたし。
 それと、長瀬クンと西田サンの会話に出てくる福島弁。
 西田サンの福島弁は、ご本人が郡山出身ということもあってかそんなにきつい訛りではないんですが、「うっちゃし(うるさい)」 とか 「ジッチバッパ(ジーチャンバーチャン)」 とか、随所に懐かしい単語が出てくる。 こういう親近感で見てしまうドラマっていうのも、あるんですねー(笑)。

 それにしても、西田サンの先ほどのシーンで 「オノレオノレ」 と言っていたのが、「うぬぼれ」 の本名だったとは(笑)。 長瀬クン、いちいち 「うぬぼれ」 と訂正してましたけど(笑)。

 冴木とのコンビもよかったですねー。 中島サンにフラレた冴木がうぬぼれとボーイズラヴになってしまう展開は、ハラ抱えて笑いました(笑)。

 たまにはこーゆーハメを外しまくりのコメディドラマも、いいものです。

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土曜ドラマ 「チャンス」 第4回 人生における大きな賭け

 「チャンス」 の第4回は、かりあげクン…じゃなかった(毎度しつこくてスミマセン)市川亀治郎サンの鳳証券乗っ取りの成功と、中央競馬に躍り出たチャンスが骨折をしてしまう、という話。

 こうして書いてしまうと実に話が単純で、新鮮味のないような感じなのですが、実際思い返してみると、あまり心に引っかかる部分がない。 これは私個人の感想ですけどね。

 物語がビンボー人にとっては実感の乏しい経済水域で展開している――こうしたドラマは特に珍しくないのですが、ビンボー人にとっても共感のできる話というのは、それでも作ることは可能なのです。 「ハゲタカ」 がいい例。
 そうした共感をこのドラマがもたらしてくれない、というのは、話が比較的上っ面をなでている程度にしか人間の情感に迫っていない、ということの表れなような気がします。 ちょっと厳しい言い方で申し訳ないですが。

 そしてその原因は、やはり競馬と証券業界というふたつの世界を欲張って両方とも描き切ろうという、物語の立ち上げの段階の意図にある…そう簡単に結論付けたくなってしまう。
 もっと民放並みに10回とか11回の回数にすれば、自殺に追い込まれた堀社長(小野寺昭サン)の妻の話とか、藤原紀香サンが立ち上げた 「セカンドチャンスファンド」 を一緒にやっていくスタッフの話とか、物語をもっと掘り下げて厚みのある話にできる気がするのです。

 今回の話で私がどうにも上っ面だと感じてしまうのは、亀治郎サンにたてつく紀香サンが、論理的にも感情的にも、亀治郎サンにとても太刀打ちできていない、という感触によるものです。 そしてその原因は、紀香サンも失業してしまえば、チャンスの馬主でいられなくなる、ということに尽きる。 鳳の社長になってしまった亀治郎サンに、だから紀香サンは大きなことが言えない。

 亀治郎サンが鳳を乗っ取る手口とか、桜田騎手が中央の試験を受ける気になり合格するとか、なんとなく先が読めるし、何に感動したらいいのかな、などと思いながら見ていたのですが、そんな私の琴線に今回唯一届いたのが、この 「チャンス」 を抱える3人の馬主の生き方。

 オカマチックな堀川圭亮サンが経営するダンスバーのダンサーがごっそり引き抜かれ、堀川サンはすっかりやる気をなくしてしまうのですが、紀香サンや加賀まり子サンに励まされて、また一から出直す決心をする。
 加賀サンはと言えば、やはり自分の表現者としてのあり方に疑問を持ち、こちらも収入がおぼつかなくなっちゃうのではないか、みたいに見える。
 そして紀香サンは亀治郎サンに拾ってもらって鳳に残ったはいいものの、完全に窓際扱い。 そんな待遇から脱却し、紀香サンは独立して自分で 「セカンドチャンスファンド」 をリスタートさせようとするのです。

 この3人の馬主が直面している問題は、「年間1000万円の収入」 を確保できるか、という点にあると思うのですが(「チャンス」 が賞金を獲得すれば帳消しになるのかな?)、3人とも相当大胆な賭けに出ようとしている(加賀サンは違うか)。
 人生においてこうした 「大胆な賭け」 に出る場合、失敗したらどうしようとか、あまりネガティヴなことを考えると、とてもじゃないけど第一歩を踏み出すことは叶わんのです。 とりあえず清水の舞台から飛び降りてみて、飛び降りてからあとのことは考える、くらいの覚悟でいかないと(飛び降りてからじゃ遅いんですが…笑…でもそれくらいの覚悟が必要だってことです)。

 今の世の中政治が悪いんだか何だか知りませんけど、こうした 「大胆な賭け」 というものが、しづらくなってますよね。 みんな堅実に堅実に、生きようとしている。 堀川サンと紀香サンのしようとしていることは、それとは真逆です。 実はこのドラマに私が没入できない理由、というのも、そんなところにあるのかもしれません。 「もっと足元を見て生きていこうよ」 とか、要らんことを考えてしまう(笑)。 ビンボー人の証拠ですな(笑)。 そして 「年収1000万円かよ」 という冷めた目がどうしてもそこに介入してしまっていることに、私自身が気付くのです。

 どうもこのドラマに対するぼやけた感想がそのまま出てしまったようなぼやけた記事になってしまいましたが、投資ファンドの描き方とか、ちょっとその手のドラマを今まで見すぎた弊害が自分自身に出ているような気も、するのです。

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2010年9月18日 (土)

「ゲゲゲの女房」 第25週 好きなことをやり続ける、ということ

 今週を入れて、残り2週となってしまった 「ゲゲゲの女房」。 今週放送分から、おしまいの5秒間くらい、次回作 「てっぱん」 の予告が入るのが、「ゲゲゲ」 にハマっている者としては結構ウザい(笑)。 寂しさが増幅される気さえします。

 この 「ゲゲゲの女房」 ですが、どんなフロシキのたたみ方をするのだろう、という興味が尽きません。
 というのも、水木しげる氏も布枝サンも、現在もお元気でいらっしゃる。 そうすると、どうしても明日につながるような終わり方しか思いつかないのです。 藍子チャンや喜子チャンという子供たちの行く末も、どこを着地点とするのか。 今週のラストで布美枝(松下奈緒サン)の父源兵衛(大杉漣サン)が脳こうそくで倒れた、という知らせが入るのですが、いったいどこまでの時代を描いていくのか。 「最後までナミダ、ナミダです」 という松下サンの言葉がとても気になっている状態であります。

 そして最終週を控えた今週、物語のメインは藍子チャン(青谷優衣チャン)の目指した夢の行く末でした。
 「水木しげるの娘」、という呪縛から解放されたいと考えていた藍子チャンが自分の夢として見据えたのは、教師という職業。 「教師になんぞなったらどんな僻地に赴任させられるか分かったものではない」 と考えた茂(向井理クン)は、最初から大反対です。
 茂はイトツ(風間杜夫サン)の弔問に訪れていた源兵衛からの入れ知恵で(笑)藍子チャンのお見合い作戦を勝手に展開するのですが、却ってそれがアダとなって父娘は人目もはばからぬ冷戦状態に突入する(笑)。

 今週初めに展開されたこのくだりは、現代的常識からフツーに考えると(四半世紀前のことですが)茂も源兵衛も、かなりオーボー(笑)。 物語が深刻に陥ってしまうほどの感覚なのですが、反対された藍子チャンが自分で買ってきた教員試験合格のお祝いのでっかいケーキをホールでヤケ食いしてしまったり(笑)、コミカルな感じで描写されるためかあまりシビアになってこない。

 ところで、今週の 「自分のやりたい夢を実現させる、そしてやり続けること」 というテーマを際立たせるために作り手が用意したのは、先週イトツに先立たれたイカル(竹下景子サン)のエピソードです。

 源兵衛と一緒に上京していたミヤコ(古手川祐子サン)がイカルの部屋に顔見せした時、ミヤコはイトツの遺品がまだそのままになっているのに気付きます。
 おそらくイトツがいつも座っていたであろう揺り椅子、コーヒーサイホン、蓄音機…。
 イトツの不在を視聴者の私たちも痛いほど感じてしまう重要な遺品の数々です。
 それを見ただけで泣けてきてしまうのですが、ここでイカルがミヤコに打ち明ける話が、また泣かせて泣かせて。

 「四十九日も済まんうちから、ホトケさんを置いて出歩いてて、呆れられたでしょうねえ…。

 私、自分のほうがお父さんより先に逝くと、思い込んどったんですよ。
 心臓が悪いですけん。
 ハハッ…。 医者は 『なんでもない』 と言うんですけど、ときどき胸がキューっと締め付けられて。
 お父さんひとり残っても、自分のことは自分でやれるように、料理でも洗濯でもやってもらっとったんです。
 天ぷらなんか、私よりも上手に揚げちょうました。 鼻歌歌いながら…。

 結局…私のほうがあとに残ってしまいました…。

 こげなると分かっとったら、あげに家事をやらせんでもねえ…。
 好きな芝居でも映画でも、もっと見に行かせてやったらよかった…。
 …そげ思ったらなんだかもう…。
 ハハハ…。

 生きとるうちは文句ばっかり…。

 けど…。

 ひとりでここにおると、つくづくさみしい気持ちになって…。

 夫婦というものは、おかしなもんですねえ…。
 親同士が勝手に決めた縁談で、他人同士が一緒になったのに…。
 …お父さんがおらんようになった寂しさは…子供でも孫でも、埋められんですけん…!」

 泣き崩れるイカルを、ミヤコが慰めるのですが、こちらも滂沱(笑)。
 や、それはそうとしてですね、古手川サンも竹下サンも、私の世代にとってはまさに 「高嶺の花」 的存在の美女であっただけに、この小さくなってしまったふたりの 「老婆」 の演技、相当複雑なものがあるのです。

 ここで重要だと思われるのが、「好きなことをさせてやればよかった」 というイカルの後悔です。
 好きなことをさせてあげられなかった、というのは、実はイカルの思い込みで、イトツは本当は、喜々として天ぷらを揚げていたような気もしてならないのです。 「好きなことをしていない」 というのは本人が決めることで、他人があれこれと思いを致すことではない。 このシーンのあとで茂と碁を打つ源兵衛に 「悪い手でしたねえ」 と藍子チャンの 「お見合い作戦」 にさりげなく意見をするミヤコの真意はそこにあった気がします。

 碁になぞらえて展開するこのシーンも、結構深い。
 「無理に押したら、うまくいくもんもいきませんわ」(ミヤコ)「確かにいい手とは言えんだったわ」(源兵衛)「戦術を練り直して、形勢逆転を狙いますかな」(茂)。 このダブルミーニングの応酬。
 ここに、布美枝が、かつて源兵衛が茂と碁が打ちたいと話していたことを回想するダメ押しまで加えて、さりげなくも、とても高度な組み立てのドラマを見ている気がしました。

 ミヤコは東京を離れる前に訪れた深大寺の茶屋で藍子チャンにも、「安来節」 で歌われる 「千里を走る虎」 の例えを引いて、遠くで暮らす子のことを思う源兵衛の気持ちを代弁し、藍子チャンに理解を求める。
 ここで作り手がはからずもクローズアップさせるのが、ミヤコの人心掌握術(笑)は、娘の布美枝に受け継がれている、という点。

 このドラマ、貧乏編から茂の成功へと話が推移していくに従って、布美枝の存在感が徐々に希薄になっている気がする。 今回の藍子チャンの問題にしても、布美枝はただおろおろするばかりで、なんだか周りの人たちが事態を収拾するのをただ期待して見守ってるようにも見えるのです、が。

 藍子チャン 「おばあちゃん、黙っておじいちゃんに従っているように見えて、押さえるとこは押さえてるね」
 布美枝 「おばあちゃんは、余計なこと言わんで人の気持ちが分かる人だけん」
 藍子チャン 「似てるよね、お母ちゃんと」
 喜子チャン 「似てる似てる(笑)」
 藍子チャン 「だからお父ちゃんとお母ちゃんは仲良くやっていけるんだ」

 今週の布美枝はほかにも、イカルを一時預かった茂の兄雄一(大倉孝二サン)の妻佐知子(愛華みれサン)に、イカルという気難しい姑と折り合いをちゃんとつけていることを褒められる。
 それに対して 「かえって分け隔てがなくて変にひがまなくて済む」 ととらえている布美枝が、やはりさりげなく存在感を光らせているのです。

 それは、かつて深大寺に茂とデートした時や河合はるこチャンとの話に出てきた、「ナズナのような淡い存在感」 です。

 この物語でいちばん表現が難しいと思われるこの 「さりげない存在感」 は、物語終盤になっても頑として貫かれている。 「ヒロインに存在感がない」 と批判されることもあるこのドラマですが、そこにこそ作り手の強調したいことが隠されている。 「見えんけどおる」、のです。

 さて、念願の教師になって家からも近い学校に赴任して一安心の藍子チャンでしたが、「エコヒイキをしている」 という子供たちからの突き上げを食らい、同僚の教師や親たちからも批判されて、2か月足らずで早くも 「辞めたい」 と言いだす。

 それに対して布美枝は、「辞めたいんなら辞めれば」、とエレー冷たい反応(笑)。
 けれども布美枝は、お父ちゃんが反対しているからという理由に逃げ込もうとしている藍子チャンに、ちょっと考える機会を与えているのです。 この押しつけがましくなさすぎな姿勢(笑)。 ここにも布美枝の 「見えんけどおる」 存在感が表現されている気がします。

 いっぽう茂にとっては渡りに船で(笑)、「泣くほどいやなら辞めたらええだろう」 とこともなげに布美枝に軽口を叩くのですが、軽口ながらもちょっこし真理も突いている感じです(笑)。
 茂の人生哲学がひょっこり出てしまったような、この軽口。 ナマケモノにとっては格好の言い訳となりそうなセリフでしたが(笑)、それだけで茂は済ませませんでした。

 藍子のところへゲーテの格言を書いた紙を持ってきた茂。

 「意志の力で成功しない時には好機の到来を待つほかない。」

 「人は努力している間は迷うに極まったものである。」

 「好きなことをして生きるのはええ。
 けど、好きと、楽することとはちょっこし違う。
 苦しいことや嫌なことがあっても、それでもやらずにはおられんのが、本当に好きなことだ。
 だけん、迷ったり悩んだり、落ち込んだり、苦い思いもしてみんことには、好きなことは何なのか、本当は分からんのだよ。
 人は神さんではないけん、世の中を思い通りには動かせん。
 やるだけやってもうまくいかないときは、ほれ、『好機の到来を待つほかない』。
 人間にできるのは、それだけだ。
 ほい!(藍子の肩をポンと叩いて)戦わずして土俵から降りるのが、いちばんつまらんぞ」

 相変わらずいいとこをかっさらっていってしまう茂ですが(笑)、私の言いたいことはこの茂のセリフに凝縮されています。
 好きなことをやっていくことや、それでごはんが食べられるというのは、はたから見ればとても幸運で、幸せなことだと思われるのですが、やはりそれには、それなりの努力が伴っている。 血みどろの努力の上にしか、成功というものは成り立たないのです。

 この茂のセリフを立体的に説得力を持たせるために、今週のこのドラマは展開し続けた、そう言ってもいい気がします。 ラストスパートがかかっている気がする。

 最終週の話にも、大いに期待をしてしまうのです。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第9週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html
第12週 冷たい風に吹かれてhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/12-2a16.html
第13週 自分のいるべき場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/13-f9bf.html
第14週 自分の名前と自分の存在http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/14-30e2.html
第15週 夢をあきらめないで… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/15-19ee.html
第16週 性急に見える成功、ですが… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/16-7865.html
第17週 村井家ビフォー・アフター?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/17-d98c.html
第18週 「悪魔くん」 成功の裏で描かれるものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/18-6ede.html
第19週 漠然とした願いと覚悟との狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/19-7dcb.html
第20週 見えないもの、見えなくなるものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/20-0c48.html
第21週 「鬼太郎が見た玉砕」 と比較してhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/21-d16a.html
第22週 失って初めて気づく家族の愛情 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/22-ddb9.html
第23週 いくつになっても、ただ前を向いてhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/23-6e34.html
第24週 置きざられた夢、受け継がれる思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/24-64d2.html

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2010年9月17日 (金)

「10年先も君に恋して」 第3回 自分が変わってしまうことへの恐怖

 どうして10年後の丸山博(内野聖陽サン)はここまで変わってしまったのか――私のこのドラマへの興味はそこにあるのですが、どうやら里花(上戸彩チャン)の10年後の変節ぶりに原因がありそうな展開になってきました。 第3回目では10年後の話がインサートされる割合が少しずつ高くなっているのが分かります。 まるで 「ダメージ」 みたいになってきた(笑)。

 その10年後の上戸彩チャンもといリカの変節、というのは、リカが別の男性と付き合っているのではないか?ということ。 今のところはっきりしてはおりませんが、その相手はリカに思いを寄せていた、作家の日高光治(劇団ひとりクン)。
 ただしその浮気というのも、次回の予告編を見る限りではヒロシの行動に端を発している感じ。 「あなたの成功のせいで、私の夢は犠牲になったのよ!」 と怒鳴る10年後リカなのですが、果たしてそれは一体どういうことなのか? まあ、両方ともそれぞれ原因があるのでしょうが。
 次回が楽しみです。

 私の興味についての推移はそんなところなんですが、このドラマ、リカが担当する大作家先生、渡辺えりサンに 「スケールが小さすぎる!」 と自虐的に批評させといて(笑)、スケールが小さいなりに、ドラマにしかできない深いことをやろうとしている気がします。

 それは、「自分が変わってしまうことへの恐れ」。

 三田村教授(藤竜也サン)が10年後ヒロシに 「自分は10年後には死んでいるんだろう?」 と問いただす場面。
 10年後ヒロシのその複雑な表情が、すべてを物語っています。
 それを察した三田村教授は、こう言うのです。

 「まあいいか。
 未来なんて知らなくても、いつかは誰もが、死ぬ。
 …フフッ。
 …今日も頑張るぞっ!」

 三田村教授のように前向きに生きていこう、という意志がまだある人はいいのですが、人は誰しも、未来の自分がどうなってしまうのかには、目をつぶりたがる。 とんでもない病気になってしまうのかとか、ちゃんと生活していけるのかとか。

 それでもいちばん知りたくないのは、自分が精神的に、人生に疲れたネガティヴな人間に変わってしまうことなのではないでしょうか。

 リカは10年後のヒロシに、「今はきみのことをすっかり嫌いだ」 と言われ、激しく傷つくのですが、その原因が自分にもあるのではないか、ということが、怖くて10年後ヒロシに訊き出せないでいる。
 自分が好きになった相手が、10年後には自分のことを大嫌いだと思っているなんて、考えただけで嫌になってしまいます。 リカの悲しみはとても分かる。 と同時に、ヒロシをそんなふうにした10年後の自分っていったいどんな嫌な女になっているんだろう…それを知るのは勇気のいる行為です。

 だからリカは、10年後に嫌な女と思われないように、本当の自分というものを現在のヒロシに正直に打ち明けます。 これは10年後の自分を10年後ヒロシに訊き出すことから逃げている回避行為のような気もしますが、10年後の嫌な女になっている自分への挑戦状でもある。

 「私、実は割と気が強いの。 生意気なとこあるし、頑固だし。 しゃべり出すと止まらないし、片付けだって下手だし…。
 今はいいとこばっかり見てくれてるけど、そのうちフラレるんじゃないかって…」

 それに対して現在のヒロシは 「自分も友達にはちょっとせっかちって言われるし、研究馬鹿ともいわれるし、気が弱いから八方美人なところもある」 と自分の欠点もさらけ出すのですが、こう続けるのです。

 「いつか、お互いにそういう面は見えてくるよ。
 でもぼくは、それでリカのことを嫌いになったりしない」

 ここで流れてくるクリスタル・ケイサンの挿入曲。 なんか、泣けます~。 詞がいいんですよ、ドラマにぴったりで。

 「愛さえもぶつけてばかり 君の心が止まったこともなぜ気づかずに 好きなのに 好きだったのに
 もう一度 やり直せるならば 思い出が消えてもいい」

 この曲、紅白で歌ってほしいなあー。 エンディングタイトル曲より好きです。

 それにしてもこのドラマで唯一可笑しいのは、リカの弟ユウタ(染谷将太クン)。 なんかTOKIOの国分太一クンに風貌が似ていてアレッ?と思うこともあるのですが、10年後ヒロシを未来警察と完全に思い込んでいて 「任務開始のポーズ」「任務完了のポーズ」 を勝手に考えるほどハマっている模様(笑)。 それにウンザリしながらも、「任務開始のポーズ」 を人ごみの中でとってしまう内野サン、大爆笑でした。

 その未来警察への伝言板を見つけた渡辺えりサン、夫役の渡辺いっけいサン(あ、同じ渡辺だ…)と駅の改札近くで 「このスケールがほしかったのよ!」 と大騒ぎ(笑)。 どうもエキストラとかあまり使っていないように見えたんですけど、まあ設定的に大作家、という役だからべつだんまわりの通行人たちがもの珍しそうに見ているのは不自然ではありません(確信犯的…笑)。

 いやーだけどこの、野外撮影を通行人がもの珍しそうに見ている、という図、昔はよくありましたよねえ(笑)。 フィルム撮影なので撮り直しが利かない事情があったんだと思うのですが、「太陽にほえろ!」 とかで犯人を刑事が追っかけているシーンを後ろで笑って見物している人とか(笑)。
 いましたねええ~(感慨、相当深し…笑)。

 話は戻りますが、この渡辺いっけいサン、とても地味な役なのですが、ドラマにとって結構スパイスの効いた役どころで、「怒るってことは、好きってことなんだ」 と、とても重要なセリフを言ってました。 まさにこんな感じで、このドラマは進行しておりますよね。

 ともあれ、次回がますます楽しみなこのドラマであります。

当ブログ 「10年先も君に恋して」 に関する他の記事
第1回 んー、どうでしょう
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-1-276e.html
第2回 大切なのは、今の気持ちなんだhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-2-58e5.html
第3回 自分が変わってしまうことへの恐怖http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-3-3dc3.html
第4回 失いたくない、あの時の気持ちをhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-4-b283.html
第5回 いまだけが、未来を変えられるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-5-3f42.html
第6回 10年後の自分へhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/10-6-10-0df7.html

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2010年9月16日 (木)

「スタジオパークからこんにちは」 松下奈緒サン、ゲゲゲを振り返って

 9月16日の 「スタジオパークからこんにちは」 は、松下奈緒サンがゲスト。 「ゲゲゲの女房」 の撮影が終わってはじめていろんな話が聞けるとあって大注目だったのですが、意外な話や思わず泣かされる場面もあり、期待を裏切らない内容でした。

 「NHKに来るといまだに緊張する」 という松下サン、今日は布美枝の髪形のまま、というイメージの登場です。
 司会の住吉美紀サン、自分がバツイチだということを暴露しながら(笑)、簡単に離婚してしまう今の風潮と真逆なこのドラマの価値を語るのですが、それに答える松下サン。

 「私のなかでも結婚感というものだったり、信用する、誰かを信じて待つっていうことが、こんなにもシンプルだけど難しいことなんだって、でも意外と役を演じていくうちにやっぱ慣れてきちゃうんですよね、それがすごく不思議でしたね、今まで結婚したいとか、誰かのために生きようとか、あまり自分で意識してなかったんですけど、演じていくうちにそういう生き方もなんか素敵だなーって、思うように変わったのは自分でもびっくりする変化でしたねー」

 相変わらず文字にして起こすとボーダイな量になってしまいます(笑)。 どうしようかなあ、全部聞き書きすると、ムチャクチャな量になってしまう(笑)。

 「それでは結婚願望はあるんですか?」 と訊かれて、「(素早く)はぃっ(笑)いやいや相手がいれば…(笑)」 とはぐらかす松下サンですが、「向井クンとどーでしょう?」 と無責任なことを考えてしまうオッサンがひとりここにおります(笑)。

 去年の11月からの撮影開始から、月曜日がリハーサル、火水木金と午前9時前から遅いときは夜中0時まで収録をし続けたとのこと、NHKの食堂のメニューは全部食べたと豪語します(笑)。 最初は体調やモチベーションをどう保とうかと悩んだらしいのですが、結局一度も体調を崩すことなく撮影を終えたらしいです。
 「(役を演じることで)どんどん気持ちを作って吐き出そうということがあったので、それで何事もなく乗り切ったのかなーと」

 クランクアップ時に見せた涙の会見シーンのVTRも出てきたのですが、ここで話題になったのが、くす玉を割るヒモを向井クンと一緒に引くときに、向井クンの手がするするっと下りてきて、松下サンの手を握るというくだり(下世話な話だなあ…しばらくおつきあいください)。

 VTRを見ながら 「ワッハハハ、ホントですか?」 というリアクションで笑わせる松下サンですが、撮影が終わったさびしさのほうでいっぱいで、向井クンに手を握られたことは気づいていなかった様子。

 向井クンがここでVTRで登場。

 どういうお気持ちで手を握られたのですか?と訊かれたと思うんですけど、「どうっ(て訊かれても…)(笑)。 (撮影が)8ヶ月くらいですか、夫婦生活を演じているということはまず今まで経験したことがないですし、なんか、別に変な感情ではなくて、こう…戦友みたいな感じがあるんですよ。 だから、最後は勝手にですけど、『ふたりでゴールを切りたいな』 っていうのはありましたね」。

 その発言を受けて松下サン。
 「戦友というか同志ですよねー。 夫婦ってやっぱふたりで歩いて行かなきゃ夫婦じゃないっていうのがだんだん物語が進むにつれて濃くなっていくじゃないですか。 その分お互いの距離感とかを探りながら向き合わなきゃいけない、っていうのがあったので、相手がいて初めてできる芝居というのがたくさんあったので、ひとりじゃ乗り切れなかったと思いますね」

 「10か月もやっていてホントに向井クンを好きになりませんでしたか」 と訊かれ、「やっている間は好きでしたよ」 とこともなげに話す松下サン、「向井サン」 と呼んだことはあまりなくて、「お父ちゃん」 で通していたらしい。 「今(VTRで向井クンが出てきたのを)見ると 『あーおとうちゃーん!』(笑)って、『なんか白シャツきてるの珍しい』 とか(笑)『なんかメガネかけてないし』 とか(笑)そういうのでは気になりますよね」

 お互いがお互いのことを考えながら芝居を作っていったと言う松下サン、先週放送されたばかりの 「おやおやおや」「あらららら」 という茂と布美枝の口ゲンカ(当ブログでもちょっと触れさせていただきました)も、アドリブで展開されたことだと披露してくれました。

 「これはアドリブですね。
 台本にはなくってー、『あれっ』 くらいは書いてあるんですけど、向井サンが 『おや?おやおやおやおや?』 みたいに乗っけてきたので、『これは立ち向かおう』 と思って、『あら?あららららら』 って言ったら、意外にすんなり夫婦ゲンカっぽいっというか、両親と重なったりして、夫婦ってこういうことでもつくづく似た者同士なのかなーって」

 「土曜スタジオパーク」 にご出演されていたときも話しておいででしたが、最初のうちは向井クンとほとんど話をせず、「一週間しゃべっていません」 みたいなこともたしか言っていました。
 これも収録が進むにつれて会話するようになっていったみたいですね。

 そんな松下サンの大きな目が途端にウルウルし出したのは、藍子チャンと喜子チャン役をやっていた菊池和澄(あすみ)チャンと松本春姫(るな、と読むみたいですね…)チャンが描いたお母ちゃん(松下サン)の絵を見たとき。

 「こんな子供がほしい、このふたりには演技でも乗っからせてもらった」 と話していた松下サンでしたが、やはりとてもかけがえのない一瞬を過ごした、という意識があるんでしょうね。
 ホントに、子供が子供でいられる時期なんて、あっという間。 そんなかわいらしいふたりからのメッセージを読み上げられて、ますます松下サンの目には涙がたまっていくのです。 こちらも思わず、もらい泣きです。

 「おかあちゃんへ。
 藍子役の撮影のときはとても楽しかったです。 ありがとうございました。
 明るく楽しませてくれるおかあちゃんが大好きです。
 また、ご一緒できたらいいと思ってます。
 見えんけどおるよ(笑)」

 「おかあちゃんへ。
 さつえいのときはおせわになりました。
 さつえいのあいだにいろんなはなしをしてすごくたのしかったです。
 たかしおじちゃんがしんだときのばめんで、おかあちゃんがないていたとき、るなもほんとうにかなしくなりなみだがでそうでした。
 るなは、おかあちゃんがだいすきです。
 いつもやさしくしてくれてありがとう。
 またいっしょにおしごとできるようにるなもがんばるから、おかあちゃんもがんばってください。
 るなを、わすれないでね」

 「なんかホントに、家族だったんで、子供たちが育っていっちゃうとホントにぽっかり穴が開いたみたいにすごいさみしかったですよね」

 「泣くとか、そういう気持ちで一切このドラマに臨んでなかったんですよね、どのシーンも。 だからそれだけ入り込んでしまうと止められないものが自分の中にもあって」

 茂が 「悪魔くん」 の成功を戌井サンと喜び合うシーンのあとでも、予定にはなかったけれども茂に肩を叩かれたときに大泣きしてしまったそうです。

 そして、「この人は本物のマンガ家ですけん」 というシーン。
 「土曜スタパ」 でもやってましたけど、このシーンは松下サンにとっても向井クンにとっても、茂と布美枝が初めて本当の意味で夫婦になった瞬間だという意識があるようです。

 「自分でもこのシーンでカットがかかった時、凄く疲れたし、終わってからすがすがしかったのを覚えていますね」(松下サン)
 「実際やっていても、お芝居の中で何も考えることなく、自分も感動してしまうというか。
 奈緒ちゃんがどういう思いで演じていたかっていうのはあると思いますけど、ぼくも言葉を受けて感じるものがあったので」(向井クン)

 ここで 「ゲゲゲ」 のテーマ曲、「ありがとう」 を松下サンがピアノ演奏。 おとといのいきものがかりとの共演とはまた別の味のあるスコアになっておりました。

 来週で終わり、ということもあり、いつまでも 「ゲゲゲ」 の世界に浸っていたい気持ちもありますが、始まりあるものは終わりがある(なんだソレ…笑)。 最終週までナミダ、ナミダです、という松下サンの話に期待しながら、最後まで見守っていきたいと思うのです。

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2010年9月15日 (水)

「NHK歌謡コンサート」 いきものがかりと松下奈緒サンとの共演

 9月14日 「NHK歌謡コンサート」 は、「伝えたい あなたへの愛」 というテーマのもとに繰り広げられたのですが、そのなかでも大きな目玉だったのが、「ゲゲゲの女房」 の主題歌、「ありがとう」 を歌ういきものがかりが出演されたこと。

 しかしその前に目を引いたのは、その登場の前に歌われたいろんな歌の数々。 いきものがかりの話はのちほどいたしますが、ちょっとそちらのほうの話を先にさせていただきます。

 まずは岩崎宏美サンの 「すみれ色の涙」。

 岩崎サンのピークはなんと言っても 「聖母(マドンナ)たちのララバイ」 でしょう。 そのスケールから比較するとこの曲はかわいらしい小曲のような作品で、さらに確かグループサウンズのリメイク曲だということで話題性には乏しかったような気がします。 それでも当時は、かなりヒットした。
 今回この曲を聴いてそれにはやはり理由があることを痛感しました。
 この曲のいちばんの泣かせどころは 「淋しかったから あなたを愛して 淋しかったから あなたを憎んだ 淋しかったからあなたにさよならを」 の部分でしょう。 深いです。 ずいぶん久しぶりに聴いたせいもあるのかもしれませんが、なんか、ボロボロ泣けました。

 そして中尾ミエサンの 「片思い」。
 結構早く亡くなってしまった作詞家、安井かずみサンの傑作です。
 川口真サンも、いい曲が多いですが、そのなかでも最高ランクだと考えています。
 そして中尾ミエサンの歌の中では、私がいちばん好きな曲。
 この曲で最も印象的なのは、中尾サンが歌っている間ほぼ全編に流れ続けるバックコーラス。 このコーラスが聴く者の感情をいやがおうでも高ぶらせるのです。 「祈りをこめて伝えたい私の愛を」 って、まさしく今回のテーマですよね(笑)。 あー、大好きな曲を聴くことができて、この時点ですでに、かなり満足なのです。

 しかし番組はさらにたたみかける(笑)。

 今度は海援隊の 「母に捧げるバラード」 ですよ。 曲の前のトークでは武田サンのいつものネタトーク(曲がヒットする前と後では母親の態度が豹変した、というやつです…笑)もあったのですが、お母様の十三回忌が最近あったらしくて、集まった親族たちで笑い転げて、これも母親の遺してくれたものなんだろうなー、という武田サンの感慨が、やはり胸にぐっとくるのです。

 この曲がヒットしたのは1974年、私が小学校4年の時分なんですが、私が記憶している限り、なにか歌を聴いて泣けた、最初の曲であります(小学4年でこの曲に泣くとは、ずいぶんませていたものですが…笑)。 当時はヤケに自分の母親の有難味が身にしみて泣けたのです。 この曲はたまーに聴くと、やはり泣けますね。 今回も泣けました。

 この曲で小学4年の当時からハチャメチャだと思ったのは、「働いて働いて働きぬいて、遊びたいとか、休みたいとか、そんなこといっぺんでも思ってみろ。 そん時ゃ鉄矢、…死ね」 という理論でした(笑)。
 けれども社会に出てハチャメチャに忙しかった時、なぜかこのフレーズが頭をよぎり、「その通りだよなあ」 と実感したのです。
 人間は働き続けなければ、死んだも同然だ。
 働くということがすなわち、生きていく、ということなのだ。
 理屈で理解できるレベルではないのですが(笑)、「働くことの尊さ」 を理屈抜きで思い知らされる部分なのです。

 さらにすぎもとまさとサンの 「吾亦紅」。
 「母親に謝りたい」 という気持ちは、武田サンの伝えるメッセージよりも、年齢を重ねたものでないと分からないものがあります。 ただ、「自分を生きる」 という部分は、別に女房子供がいても貫くことはできるだろう、という気にはなるのですが(笑)。
 この曲で共感できるのは、墓参りに訪れたものが 「線香がつきにくい」 と感じながら、そこに故人の気持ちを感じてしまうくだりです。 墓参りに来るときくらい、先祖や親に威張ってみたい…そんな気持ちは、痛いほど分かる。 威張れる人生を歩んでいたいと思うものですが、なかなかそうは、ならないみたいです。

 ここまで名曲を立て続けに聴かされて、なんだかいきものがかりのハードルがいやがうえにも高くなっていくような気がするのですが(笑)。 私はこの時点ですでに、じゅうぶん満足しきってしまっているのです(笑)。

 数日前の当ブログの記事にも書いたのですが、「ありがとう」 という曲は、「ゲゲゲの女房」 でかかるものとは、結構違った構成で繰り広げられる。 朝ドラで聴き慣れてしまっている人がこの原曲を聴くと、かなり面食らう部分があるのです。 そんな不安をどうやって解消できるのか。 NHKはここで、布美枝役の松下奈緒サンをゲストに呼ぶことで、その違和感を解消しにかかるのです。

 さらに松下サンはゲストとしてだけでなく、「ありがとう」 のピアノ演奏でいきものがかりと共演までしてしまう。 思わぬところでの共演となり、「構成が違うことへの戸惑い」 をさらに解消にかかったNHKのこの判断には、拍手を送りたい気持であります。

 曲の前のトーク。

 聖恵チャン 「うちは祖母と母が朝ドラ昔から大好きなんで…私にとってもすこくなじみ深いドラマなので、自分たちの曲が流れたときにはすごくうれしかったです」

 松下サン 「初めて聴かせていただいたときにもう涙が感激してあふれ出てきて、でやっぱドラマの主人公を演じているとやっぱその言葉を代弁してくれているようなそういう気持ちを聴かせていただけたのでホントにうれしかったです、素晴らしい曲をありがとうございます。
 9ヶ月くらいずーっと役とともに歩いてきたので、ま長かったと言えば長いですけどホントに充実した9ヶ月間だったので、なんか自分もひと回り大きくなれたのかなーと思うと、ホントにいい経験をさせていただきまして…ありがとうございました」

 松下サン、相変わらず立て板に水でしゃべるしゃべる(笑)。
 と言うより、量をしゃべっている割には内容がフツーなので、こうして文字にして起こしてしまうとずいぶんしゃべってるなーという気はするんですが、実際にはさほどに感じない、と言うか(笑)。

 そしてイントロを松下サンが独奏で弾き始め、いきものかかりとの共演であります。 「紅白」 でも共演を実現してほしいと思うほどの出来でした。 おそらくいきものがかりは今年の紅白には断然当確でしょうから。 ホント、いい曲ですよね。 やっぱり、なんか、泣けましたよ。 どーも泣いてばっかりで安っぽい涙の押し売りですね、ワタシ(笑)。

 いずれにせよここまでのものを見させていただいて、NHKサンには感謝感謝なのであります。

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2010年9月14日 (火)

「ダメージ3」 今度はトムですか…

 純然たる話の面白さだけで引っ張るアメリカのドラマ、「ダメージ」。

 話が過去や未来に錯綜して、視聴者は混乱しながら(笑)どんどん引き込まれていくのですが、そんなせいで物語にあまり深みが感じられないのも副作用であります。 そのせいで過去のシリーズでどんなことがあったのか、おさらいしてもらわないとにわかには思い出せない。

 この最新作であるサードシーズンがこのほどNHKBS2で始まったのですが、またしても集中放送。 ほかに番組予約のある日のことを考えていない、というか(笑)。 けれども続けて見たほうが、物語を忘れずに済むんですけどね。 冒頭でかなり大まかではありますが、これまでのシリーズでどんなことがあったのか俯瞰的に見せてくれました(なにしろ 「24」 もそうですが、前回までのあらすじが、いずれの海外ドラマでも秀逸ですよね。 それがないと話が分からん、というのもアメリカドラマの特徴になっている気がします)。

 このドラマ、映画 「危険な情事」 のゾンビ女(笑)グレン・クローズが演じるパティ・ヒューズという敏腕冷徹弁護士のまわりで次々と人が死んでゆく、という話なのですが(かなり揶揄した表現であります…笑)、そのせいでセカンドシーズンまでにほとんどのパティの側近が死んでしまった(笑)。 残っているのはこれまでさんざん視聴者をだまし続けてきたパティのいちばんの側近、トムなのでありますが、今回はのっけから、彼が殺されてしまいました(笑…って人が殺されて笑い事じゃないですけど)。 そして誰もいなくなった…とならないことを祈ります…って、もう殺す人いないじゃないの、という感じなんですが…(笑)。

 おそらく物語はパティが冒頭に車を追突されたことの真相と、トムの死の真相を手繰りながら、パティと袂を分かったエレン・パーソンズがまたまたパティに接近していく過程を描いていくものと思いますが、第1回を見る限りでは、ちょっとこちらも物語に慣れちゃっているせいか、パンチが足りなかったような気がいたします。

 相変わらず話が分かりにくいのは、あらたなパティの案件である巨大ねずみ講詐欺事件の内幕。
 トビン家というのがこの事件の中心にいるのですが、親父が首謀者、息子が正義感あふれる人間で捜査やパティに協力的(だけどどうもキレやすい性格)、おふくろさんはなにも知らないと言いつつ何か知っている模様、このトビン家の人間のうち一体誰が巧みに真実をごまかしているのか、といったところです。 それと、トムの死に関わっているように思えるホームレスの男が気になるかな。

 13回連続で月-金(9月25日は土曜にもかかわらず放送される模様です)の放送。 あっちゅーまに終わっちゃいますね(笑)。

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「坂崎幸之助・吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド」 準ちゃん完結編

 9月13日のニッポン放送 「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド」 では、拓郎サンが作ったというラジオドラマ 「準ちゃん完結編」 が放送されていました。

 仕事の合間に途切れ途切れで聴いているために正確な内容の記事にならないことは残念ですが、どうやらこのラジオドラマは第2弾らしくて、ここ最近、数ヶ月前からこれを聞き始めた私はその第1弾を聞きそびれてしまったわけです。 したがってこのラジオドラマが放送されると聞いて、果たしていったいどんなものなのだろうと、興味津々だったのですが。

 「準ちゃん」 というのは吉田拓郎ファンにとってはとても有名な人なのですが、要するに拓郎サンが高校時代から大学時代に付き合ったあまたの女性(笑)のなかのひとりであります。 そのなかでも拓郎サンにとってもファンにとっても特別な人で。

 この人について書かれた拓郎サンの曲は、私の知る限りでは2曲あります。 昨日放送された 「準ちゃん完結編」 でもこの2曲が最初と最後にかかっていました。 この2曲はとても悲しい思い出の経過を隔てて書かれている。 だからこそ拓郎サンにもファンにとっても準ちゃんは、特別な存在なのです。

 まず最初の 「準ちゃん」 という曲は、私の記憶が確かならば拓郎サンが生涯で初めて作った曲だったと思います(間違ってたらゴメンナサイ)。 三田明サンや舟木一夫サンの歌うような、モロに青春歌謡、という曲で(笑)。 純粋に好きな女の子を称えている、とても牧歌的な若い恋人たちの歌、という感じの曲です。

 それが数年を経て作られた2曲目、「準ちゃんが今日(こんにち)の吉田拓郎に与えた多大なる影響」(題名はたぶん正確ではありません)という曲になると、その後にふたりの間に起こった起きたとても気まずい出来事が痛々しいまでに切々と語られている。
 若いときの過ちを描き出して秀逸のこの名曲、ボブ・ディランの原曲に独自の歌詞をつけたためか、正規盤が流通していません。 というより、この曲が収められたライヴ・アルバム自体が拓郎サンの了解を得ていない。 それでも拓郎サン本人がこの曲を 「オールナイト」 とかでかけていた記憶が、なんかあるんですけどね。 今回のラジオドラマでもかかってましたし、この曲を知られたくない、とかいう気持ちは、少なくとも拓郎サンの中にはない気がする。

 その 「準ちゃんが今日の吉田拓郎に与えた多大なる影響」 という曲では、準ちゃんは自分の彼氏がいたのに吉田拓郎を誘って朝まで過ごした、ひどい人だみたいなことが恨みがましく(笑)語られていたのですが、今回のラジオドラマではその時の真相が明らかにされるのです。

 前置きがエライ長くなってしまいましたが(笑)、ここからが本題です(笑)。

 今回のラジオドラマで若き日の拓郎サンを演じるのは、第1弾に引き続いて坂崎サン(笑)。 拓郎サンから 「今回は55点の出来(それでも前回よりは良くなった)」 などと揶揄されるくらい、セリフ棒読みなのですが(笑)、演技どシロウトの人が精一杯演技している一生懸命さは伝わってくる(笑)。 そのほかにもホテルの隣室?でチチクリ合う(表現が下品でスミマセン)カップルにニッポン放送のブチョーサンと女性アナウンサーが起用されて、「部長がこんなことしていて大丈夫なのかよ」 と拓郎サンに心配されるほど下品なネタを展開しておりました(作った本人が言ってどーする…笑)。
 ナレーションもニッポン放送のアナウンサー。 広島弁でしゃべり続けます。

 物語は拓郎サンが20歳の日に、ライヴ会場に花束を持ってきてくれた準ちゃんと、一夜を共にするまでが語られるのですが、実はなんにもなくって、強いカクテルで酔っぱらってしまった拓郎サンが一方的に裸になってしまい、「オレも裸になっちゃったんだから準ちゃんも裸になりなよ~」 と言いながらひたすら準ちゃんを困らせていた、というのが真相だった、というだけの話で(笑)。
 このときに拓郎サンを酔っぱらわせたバーテンダーがこのラジオドラマではヤケに面白いキャラクターで、これって拓郎サンが演じてたのかな?(笑) しゃべりながらやたらと 「へへへへへ」 と笑う人物で(笑)、まるで坂上二郎サン(笑)。 酔っぱらってしまった坂崎サンの演技はそれまでと比べるととてもうまかったです(笑)。

 それにしてもですよ。

 もう40年以上も前のカノジョの話をここまで引きずっている、というのも、なんだか男の女々しさみたいなものをとても感じるんですよ。 いや、拓郎サンに限った話ではないんですけどね。

 男にとって女性との過去の思い出は、結構宝石のようにキラキラしているものなんです。
 とても大切に思える。
 だからこそその過去の思い出をいつまでも引っ張って、女々しく思い返したりしている。
 女性は男と別れると、スパッと頭の中から分離させますけどね。

 それで谷村新司サンが、こないだ同じニッポン放送の番組 「まあるい日曜日」 で興味深いことをおっしゃっておりました。
 いわく、「男は女みたいだから 『男らしくしろ』、女は男みたいだから 『女らしくしろ』 と教育される」。 なるほどなあ、という感じです。 ホント、逆ですよね、男と女って。

 そんな女々しさの延長上みたいなこのラジオドラマ、先に述べたように 「準ちゃんが今日の吉田拓郎に与えた多大なる影響」 で締めくくられるわけです。 今回のラジオドラマは長いあいだ我々拓郎ファンが準ちゃんに抱いていたイメージを覆す(笑)「実はこうでした」 ドラマでしたが(笑)、いや、これはただ面白おかしく過去の出来事を揶揄しようとした拓郎サンの 「照れ」 なのかもしれないし。 「完結編」 と銘打つことも、拓郎サンの中で準ちゃんとの思い出にけりをつけたかった気持ちが見え隠れする気がする。

 だいたい森下愛子サンという女房が拓郎サンにはいるんですからね。 女房がいるのに過去の女性とチチクリ合った(たびたび下品で申し訳ない…)などと話せるわけが、ないでしょー(笑)。

 拓郎サンに言わせれば、「オマエみたいな年下に知ったかぶりで解説されたくない」(笑)ということなのでしょうが、ご批判覚悟で書かせていただきました(笑)。

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2010年9月13日 (月)

「龍馬伝」 第37回 龍馬がお龍を選んだ理由

 寺田屋騒動のあと、急速に気持ちが接近していく龍馬(福山雅治サン)とお龍(真木よう子サン)。 実際にはその数年前にはそれなりの仲になっていたらしいのですが、作り手は龍馬とお龍が夫婦になるきっかけを寺田屋騒動のあとに配置することで、「なぜ龍馬がお龍と夫婦になろうと決断したのか」 を明確に訴えようとしているように思えるのです。

 なにしろ弥太郎(香川照之サン)が吐き捨てるくらい、龍馬は女にモテまくり(笑)。 加尾(広末涼子チャン)から始まって、千葉佐那(貫地谷しほりチャン)、果てはお元(蒼井優チャン)まで龍馬に惚れている模様。

 加尾との場合は諸般の事情から(笑)一緒になることが断念され、佐那との場合は尊敬が先に立ってしまって恋愛感情にまで達することができず、お元の場合はただ単にお元の一方通行(笑)。 そして龍馬がお龍を選んだ理由は、危機を一緒に乗り越えたという 「運命共同体的事態に端を発した恋愛感情」 とでも呼べる状態に一見みえます。 映画 「スピード」 みたいなものですか(笑)。

 けれどももう少し深読みすると、このドラマで強調されているのはもっとほかにある気がするのです。 それはのちほど述べることといたしまして。

 まず薩摩藩邸で献身的な介護をするお龍に、龍馬は 「薩摩へ行く」 と告げるのですが、その時にお龍は、かつて自分の妹を助けてもらったお金の一部を返そうとする。 たぶん龍馬はそんな他人行儀なことはするなと、その金を突っ返すのではないかと思ったのですが。

 「お龍。
 おまんも一緒に、薩摩に行くがじゃ。

 このまま別れてしもうたら、わしらは、もう一生会えんがかもしれんがぜよ。
 それでもえいがか?」

 龍馬のその言葉は、それまでお龍に向かって放たれたどんな言葉より、重みを持っているように思えました。 それに対してお龍はそれまでまとっていたガチガチのATフィールドを(あ、精神的な壁のことです…笑)すっかり解き放って、自分の正直な気持ちを龍馬にぶつけるのです。

 「…いやや…!

 …いやや…!

 うちも、坂本さんと一緒にいたい…」

 そして龍馬はお龍にプロポーズ、お龍は感涙にむせびながらそれを承諾。 つまり、お金がどちらのものであるかなどはもうその時点で龍馬の関心事ではなくなっている。 そこまでふたりの気持ちが高ぶっていた、という流れなのです。 あの 「恐えぇ」(笑)お龍が龍馬の腕に抱かれる瞬間は、どうやらツンデレ好きらしい私(笑)の胸にもかなり痛いくらい響きました。 以前から何回か指摘してますけど、このドラマでのお龍は、今まで私が見た中では、究極のツンデレであります(笑)。 ほとんどノーメイク仕様なのも私好みですし、龍馬が自らの最大の危機のあとにこの女と一緒にいたいと思ったのもむべなるかな、という気がしてならんのです。

 こんな感動的なシーンのあとで、龍馬とともに長崎にやってきたお龍は、亀山社中の連中に歓迎されながらも、「こんなときに何が女だ!」 と龍馬を批判する動きや、龍馬に思いを寄せるお元の姿を見て、心が揺れ動くのです。

 ここでのお元とお龍の初対面シーンは、思わず女同士の火花が散る展開で、見ていておもしろかったです(笑)。 なにしろ、これまでの展開でお元が龍馬の優しさに触れるシーンはあったにせよ、お元の龍馬に対する感情は深く静かに潜行しているのみで、ここまでのものとは思わなかった。 想像ですけど、恋のライバルどころか、女房としてもうどうあがいてもライバルにもなれやしない状態でお龍がいきなり現れたことで、お元の嫉妬心に、思わず火がついてしまったのでしょう。

 「お龍さんはなんばしよんなったお人ですか?」

 「うちは、伏見の船宿で働いておりました」

 「…船宿?」

 このときのお元の、なんとも人を馬鹿にしたような笑み(笑)。 そしてその笑みの真意を素早く察知する、お龍(笑)。 バチバチバチッ!であります(笑)。

 このあとお元は、宴席の離れの廊下で、龍馬に 「うちを身請けして」 と懇願するのです。 おそらく龍馬は拒絶するであろう申し入れです。 そしてすぐに撤回して、笑いながらその場を去る。 もちろん、お龍の見える位置にいて、です(笑)。 こういう奥ゆかしくてなおかつえげつない(笑)恋の描き方は、いいですなあ。 そしてそれを遠くからまっすぐな目でギロッと見つめる、お龍(笑)。

 このふたりの女の対比、とてもドラマとして面白かったです。

 かたやお元は、芸者をやりながらも奉行所のスパイをやっており、さらに隠れキリシタンでもある。 お元は表の顔と裏の顔がある、一筋縄ではいかない屈折した面を持っています。
 かたやお龍は、あくまでも気持ちがまっすぐ。 ひたむきなまでにまっすぐで、裏があってもすぐ分かってしまう正直さを発散させているのです。 まったくの好対照で龍馬を好きになっていく、そのコントラストの強さが、ドラマ好きにはたまらんのです(笑)。

 そして。
 長崎まで龍馬についてきて、「歓迎されない自分」 を感じてしまうお龍は、「うちは、ほんまに龍馬さんのお役に立ってるやろか」 とその気持ちを、龍馬に正直にぶつける。

 その時の龍馬のセリフに、龍馬はただ単に 「運命共同体」 としてお龍を好きになったわけではないことが現れている気がするのです。

 「お龍。

 わしは、気が急いちゅうがじゃ。

 寺田屋で死にかけたとき、わしは思うたがじゃ。

 …時がない。
 急がんといかん、と…。

 おまんが役に立たんらあ、とんでもないぜよ。
 おまんがおってくれるだけで、わしがどればあ心強いか」

 そして龍馬は、母親から貰った首掛けを、お龍に託すのです。

 「ここに書かれちゅうがは、『希(のぞみ)』 ゆう字じゃ。

 …

 これを見るたんびに、わしは思うがじゃ。
 『どんな時でも、希望(のぞみ)はある。
 希望(のぞみ)がわしを、生かしてくれちゅう』。

 おまんも一緒に闘ってほしいがじゃ。

 この世の中を変えるゆう、坂本龍馬の希望(のぞみ)を叶えるために」

 そしてそれをお龍の首に掛けてやり、「わしらは、ひとつぜよ」 とお龍に宣言するのです。

 これはただ単に 「いずれ暗殺される危険性があるから時間がない」 と言っているわけではない、と私は考えます。
 この時すでに、龍馬は30を超えています。
 30を超えて何事かを成し遂げたか、と言うと、実質的にはこの薩長同盟くらいしかない。 しかしそのたったひとつ成し遂げたことが、自分の身をここまで危うくしている。 これから自分のしていくことには、大きな障害が立ちはだかるだろう、そのために二人三脚できる 「同士」 がほしい――お龍を自分の女房にすると決めた龍馬の本当の思いはそこにあったのではないか、という、作り手のメッセージが見てとれる気がするのです。

 女房を 「恋人」「好いたおなご」 として見るのではなく、「同士」 としてとらえる。 これは加尾にも佐那にもお元にもできないことなのかな(佐那にはできそうな気がしますが、いかんせん龍馬にその気がない…)、そんな気がいたします。

 物語では後藤象二郎(青木崇高サン)が弥太郎の逆ギレにあってようやく龍馬の本当の力に気づき始め、池内蔵太(桐谷健太サン)は薩摩からの船を託されます。 布石がどんどん打たれている気がする 「龍馬伝」、いったい作り手はどんな新たな解釈を見せてくれるのでしょうか。

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谷啓サン死去に寄せて

 甚だ簡単ではありますが、このほど亡くなった谷啓サンのことをいくつか。

 私は完全なるドリフ世代でありますので、クレージーキャッツに対しては一昔前のコメディアンたち、という認識を小学生低学年のころは持っておりました。 「シャボン玉ホリデー」 もかろうじて見ていた記憶はあるのですが、面白いと感じつつも、ドリフの過激でスピード感のあるギャグとは違う古臭さを感じたものです。

 ただしやはり、そのドリフのメンバーたちが目標にしていたのはクレイジー。 ドリフのメンバーによるクレイジーを称える話というのは自然と耳に入ってくるもので(今で言うリスペクト、というやつですな)、そのうちクレイジーにも注目するようになりました。

 なんと言ってもハチャメチャだったのが、植木等サンの歌う一連の歌。 「スーダラ節」 はかなり幼少のころから知っていましたが、そのほかの楽曲の、そのシュールさと言ったら。 青島幸男サンと荻原哲晶サンは天才だ、と考えていた時期もあります。

 そんななかで谷啓サンというのは、私の中ではかなり生真面目な印象が最後まで付きまといました。 と言うより、クレイジーのかたがたは皆さん素はとても真面目。 それでも、数々のギャグをヒットさせた谷サンでしたけど、なんかきらびやかさは無縁、という感じで。

 そんな谷サンが生真面目に 「ガチョーン」 の誕生秘話やその正式なやり方(笑)についてレクチャーしているバラエティ番組は、たまたまかもしれませんけど、なんかず~いぶん見た気がするんですよね~(笑)。

 谷サンいわく、「ガチョーン」 はすぼめた手のまわりの空気を一瞬真空にさせる要領、とか(笑)、すぼめた手を手前に引き寄せるのは一回だけなのだ、何回もやっているように見えたのは、テレビカメラが前後に何度もパンしていたからなのだ(笑)とか。
 その谷サンのくどいくらいの啓蒙活動のおかげで(笑)、近年では 「ガチョーン」 を正式にできる人が増えたような気がいたします(笑)。

 近年の谷サンの活動で印象的だったのは、やはりなんと言っても 「美の壺」。 テーマ曲の 「モーニン」 は、谷サンのご趣味に合っている気がしたものです。 なんで草刈正雄サンと交代したのかなー。 いや、草刈サンがダメだと言ってるわけじゃなくて、この番組の雰囲気には谷サンのほうがずっと合っている気がするんですよ。
 聞くところによれば、谷サンが急に老けこんだのは、「美の壺」 を降板してからだそうじゃないですか。 やはり人間、仕事をしていること、生涯現役であることがいちばんの長生きの秘訣なような気がしてなりません。 NHKの責任者、出てこ~い!

 失礼いたしました(笑)。

 今頃はハナ肇サンや植木サンと 「やーやー久しぶり」 と再会を喜んでいらっしゃることと存じます。 青島サンと 「谷ダァ~」「青島ダァ~」 とやっているかもしれません(笑)。 クソッ、同席したいぞ(笑)。

 …ともあれ改めて、ご冥福をお祈りいたします。

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2010年9月12日 (日)

土曜ドラマ 「チャンス」 第3回 夢の実現へと向かわせる 「欲」 の力

 競馬と証券業界のふたつを欲張りに描こうとしている(毎回同じ出だしで恐縮ですが…)「チャンス」。

 ただこのドラマがだいたいどんなスタンスでこのふたつのバランスをとっているかに少々慣れてきたせいもあってか、話が移動することにちょっと快感を感じてきた、というか(笑)。 まあ、私としては馬の話に重点が置かれたほうが面白いんですけどね。 藤原紀香サンの本業のほうとか、市川亀治郎サンが展開する紀香サンの会社乗っ取りのほうは、別にどーでもいいとゆーか(笑)。 でも紀香サンの収入減が断たれたら、馬主としていられなくなっちゃいますしね。
 いずれにせよ、馬のほうが中途半端な話になっていないので、ほっとします。

 その馬の話のほうなのですが、紀香サンの恩人(馬)ハルコの仔、チャンス(牝2歳)は、デビュー戦こそ3着になったものの、その天性の才能と騎乗騎手の桜田(瀬川亮サン)の減量等の努力の甲斐あって、2戦目で3馬身ほど後続を突き放して圧勝。 寺山牧場の借金問題もこれで何とかなるのでは、という感じだし、桜田は自身のスランプを克服したみたいだし、とにかくよかったよかった、という感じです。

 それにしてもデビュー戦でしたか、紀香サンがチャンスの走りを見ながら、「ハルコ…見てる…?」 とつぶやいたのは、涙がぶあっと出てまいりました。 そのほんの一言で、いろんな思いがこのチャンスの走りに結実していることを感じさせてしまうのです。
 競馬場で走る馬は、どんな取るに足らないかに見える馬であっても、その一頭一頭にさまざまな人の思いが込められている。 そのことを改めて認識させてくれるのです。

 そこに現れたのが、名伯楽として知られる、木川調教師(宇津井健サン)。 「チャンスを中央で走らせたい」 と紀香サンに申し出るのです。
 中央の馬主としての条件をクリアできないから地方で走らせている、と紀香サンはこの申し入れを断るのですが、チャンスにとっては木川調教師のもとで中央で走らせることがいちばんいい、という思いもあり、悩みます。

 紀香サンにとってチャンスが中央に行く、ということは同時に手放す、ということなのですが、桜田にとっても自分がようやく巡り合った名馬と決別することを意味しています。 「中央の試験を受けたらどうだ」 と言われるのですが、おそらく桜田は、必ずチャンスに乗るためにその道を選ぶでありましょう。

 話はちょっと脱線しますが、この木川調教師を演じる宇津井健サン。
 確か乗馬がご趣味でしたよね。
 私の住んでいる近所に昔、「アバロン乗馬学校」 というのがあったのですが、そこにかつてはよく見えられていた、という話を、どこかで聞いた記憶があるのですが。

 それでどうしてもお話ししたくなってしまうのが、この 「アバロン乗馬学校」 でその昔、「赤い疑惑」 のロケが行なわれた、ということなんですよ。 昭和50年(1975年)でしたかね。

 乗馬の練習に父親である宇津井健サンと一緒に来ていた山口百恵チャンが、めまいを起こして倒れてしまう。 白血病の初期症状である再生不良性貧血(よく覚えとるなあ…笑)によるものなのですが、駆け寄った宇津井健サンが百恵チャンの腕をまくると、赤い斑点が広がっている。 宇津井サンはその道のプロなのですぐにそれがなんであるか分かり、ガーン、というシーンです(笑)。

 このシーンが 「アバロン乗馬学校」 で繰り広げられたわけなのですが、当時私は百恵チャンにトチ狂ってまして(笑)、自宅と目と鼻の先に百恵チャンが来ていた、ということにとてつもなくショックを受けたことを今でもありありと思い出すのです(笑)。 自分が学校に行っている間にそーゆーことがあったとは…(笑)。

 現在この学校はなくなってしまいまして、だいぶ長いあいだ更地になっていたのですが、最近マンションが建設中であります。 「赤い疑惑」 も、もう35年も前なんだもんなあ…。

 とにかくそのおかげもあってか、馬を間近で見ることは結構日常茶飯事だったので、やはり馬の表情をこのドラマで見るのは好きですね。 宇津井健サンが馬と触れ合う場面も、なんか特別な感慨を持って見てしまうのです。

 そしてどうしても見つからなかった中央の馬主条件を満たす 「3人目の適格者」(エヴァか?)が、そもそも第1回目からずーっと出ていた、加賀まり子サンだったわけであり(笑)。

 ここでの加賀サンと紀香サンとのやり取りには、ちょっとはっとするものを感じました。

 「(オカマの堀部圭亮サンに)投資にも、夢とロマンは必要だよ…そうでなくちゃダメだって、私は思ってる」

 「勝てるんなら夢なんかなくたってお金は集まるでしょう?」

 「夢があるからこそ、勝たなきゃいけない時があるって思うんです。
 競走馬は、走り続けることが、夢をつなぐことで、それが生きることで、でも走り続けるためには、勝たなきゃいけない。
 チャンスにとって、勝つことは生きることなんです」

 「…そこまで言っておきながら、あんた、今更手放すの?
 もっと素直になりなさいよ、自分の夢と欲に。
 『走ってナンボ、勝ってナンボ』 の世界なんでしょう?
 …紗矢子さん、あなたのチャンスは、走るのね?」

 「…はい。 私はそう、信じてます」

 「分かった。 じゃ、3人目は私よ」

 まあ、分かり切ってた気もしますけどね、この展開(笑)。 引っ張りすぎ、というか(笑)。
 ただ、自分の夢と欲に正直になれ、という話は、その通りだよなあ、と思うのです。
 自分に仮にも夢があるならば、待っていてはつかむことはできない。
 積極的に世の中に、打って出なければ。
 それには、自分の欲にもっと素直になるべきなのだ。
 自分はもの欲しそうな顔をしてません、などと無欲でいることをことさら誇りにしてはいけない。
 もっと自らの欲望に忠実で、ギラギラしていなければ、夢なんか叶わない。

 そしてその欲望でギラギラしている男が、紀香サンの勤めている鳳証券を、乗っ取りにかかる。 かりあげクン…じゃなかった(笑)、市川亀治郎サンです。 いいなあ、この構図。

 中央競馬に行ってチャンスがどこまで活躍するのか、鳳証券はどうなってしまうのか、結構面白くなってまいりました。

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「10年先も君に恋して」 第2回 大切なのは、今の気持ちなんだ

 10年先から来た男、丸山博(内野聖陽サン)が、「自分は未来から来た」 と積極的に話し始めたことを、10年前の人々は積極的に信じ始める。
 特に積極的に10年後ヒロシの言うことを信じてしまうのが、主人公上戸彩チャンの弟(笑)。 「カッケー」 とか、なんかもうアホ丸出しで、これがまず笑えるのです。 弟はヒロシが未来警察だと勝手に思い込み(笑)、ヒロシの捜査に全面協力(笑)。

 これはちょっと、意外な展開です。

 おそらく現代のわれわれは、それを簡単に受け入れるくらい、その手のドラマだ映画だアニメだに取り囲まれて生きているからなんでしょう。
 そんな話に慣らされたわれわれには、未来から来た人というのは、容易に自分の素性を明かさないものだという暗黙の了解がある。 なぜならタイムトラベラーが過去に遡って何かを変えてしまえば、自分が下手をすると存在しなくなってしまう、みたいなことを熟知しているからなのです。 10年後のヒロシはその時間旅行のルールを、ハナから破壊しにかかっている。

 しかしこのドラマはそれらのタイムスリップものでは、そんなかつてあまり見たことのない展開を示しながら、独自の方向を模索し始めるのです。

 前回私が違和感を抱いた、10年前のヒロシと10年後のヒロシの内野聖陽サンの演じ分けですが、やはりその変りようにはヘンな感覚がします。
 つまり、ふたりの性格が、かけ離れすぎているんですよ。
 10年後のヒロシは苦み走った現実感丸出しの、結婚生活に疲れ切った表情なのに、10年前バージョンのヒロシは30歳にもかかわらず、目がキラキラしていて感覚的には少年がそのまま大人になったような印象。
 しかしその違和感、第1回目では 「内野サン、作りすぎだよ」 と感じたのですが、第2回目では 「どうしてここまでヒロシは変わってしまったんだろう…?」 と思い始めている自分がいるのです。

 そしてその、10年後のヒロシが上戸彩チャンと、最初から付き合わなかったことにしよう、という動機で過去にタイムスリップしてきている、というこの設定。

 先週も書いたのですが、フツー時間を遡ってやってきた、と言うと、よりを戻そうとかいう動機が真っ先に考えられるのですが、10年後ヒロシのやっていることは全く逆。 そこまで10年後ヒロシを彩チャンから拒絶させるものとは一体何なのか。 私のドラマに対する興味は、そこに移行しつつあるのです。
 つまり、未来人が 「最初から会わなきゃよかった」 などというネガティブな方向で過去を変えようとしていることに、何かある、などと本能的に思ってしまうんですな。

 この10年後ヒロシ、状況的にはテレビのコメンテーターになったとか、10年前のでんじろう先生的な部分が変わった契機というものは提示されるのですが、それがほんとうの原因ではないことは見ていて分かります。 じゃ一体何なんでしょうか。 気になります。 ただ単に、結婚生活に疲れた、ということなのか。

 そしてドラマは、最初疑心暗鬼を抱きながらも結局10年後ヒロシの言うことを信じてしまう上戸彩チャンの心の動きに焦点が移っていくのです。

 10年後ヒロシから散々な結婚生活をくどくいほど聞かされて、彩チャンは10年前ヒロシの 「付き合って下さい」 という申し入れを、いったんは断るのです。
 自分の興味が10年前ヒロシに傾きつつあるうえにその当人から交際の申し込みを受けた。 なのにこの人と付き合えば結局散々な目にあうことが分かっている。 彩チャンの心の動きがとてもよく分かって、ついついドラマに引き込まれます。

 そして逡巡した末に、彩チャンは10年前ヒロシの申し入れを受け入れる決断をするのです。
 つまり、彩チャンはなによりも、今の自分の気持ちに正直であろうと決めたのです。
 そしてそれは同時に、未来の自分たちとの戦闘開始宣言でもある。

 「絶対不幸になんかならないから――」

 ここらへんの彩チャンの気持ちの切り替わりかたが、絶品でした。
 なんか、先が期待できるような話になってきたぞー。

当ブログ 「10年先も君に恋して」 に関する他の記事
第1回 んー、どうでしょう
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-1-276e.html
第2回 大切なのは、今の気持ちなんだhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-2-58e5.html
第3回 自分が変わってしまうことへの恐怖http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-3-3dc3.html
第4回 失いたくない、あの時の気持ちをhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-4-b283.html
第5回 いまだけが、未来を変えられるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-5-3f42.html
第6回 10年後の自分へhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/10-6-10-0df7.html

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2010年9月11日 (土)

「ゲゲゲの女房」 第24週 置き去られた夢、受け継がれる思い

 今週を入れて、あと残り3週となった 「ゲゲゲの女房」。 今からその 「ゲゲゲ喪失症候群」 患者になってしまいそうな予感がいたします。 「JIN-仁-」 のときもそうでした~(笑)。 ハマってしまうドラマには、居心地のいい空間というものがあります。 一種の 「引きこもり状態」 が、ドラマの中に展開してしまうわけです。

 そんな甘い思いを振り払うかのように、今週は主要人物のひとりがドラマを去っていきます。 イトツ(風間杜夫サン)です。 泣けました。 しかもその最後のシーンは、「ちりとてちん」 の渡瀬恒彦師匠が旅立った時をほうふつとさせる、とてもシュールで印象的なシーンでした。

 物語は先週からまた年を経て、昭和59年(1984年)。
 いきなり冒頭から、起きてこないイトツを茂(向井理クン)が南国の神様?を使って呼び戻す(笑)。 それ以来イトツの寝床のわきには、今週ずっとその神様が鎮座ましましていました。 こんなところにちょっとした、茂たち家族の思いが表れていますよね。
 ご近所のおばさん連中を見てもにわかには思い出せないくらい、イトツのもの忘れは激しさを増していたのですが。

 イトツの萎えがちだった元気を回復させてくれたのが、茂のマンガをモチーフに芝居をやろうとしていた劇団員のひとり、川西志穂(入山法子サン)。 どぉっかで見たような顔だと思ったのですが、去年のNHK水曜ドラマ 「ゴーストフレンズ」 の暴走ユーレイ、ミソラチャンでした(誰も見てないか…)。

 その劇団員たちの話に乗ってきたイトツ、昔の芝居のことを滔々と語るのですが、誰も知らないことばかり。 逆に彼らが影響されたつかこうへいサンの話を持ち出されて 「は?」 状態(笑)。
 風間杜夫サンがつかサンの演劇から頭角を現してきた人(ワタシ的には 「蒲田行進曲」 の銀ちゃんですけど)だということを考えれば、このギャグは笑えるんですけど、つかサンも最近お亡くなりになってしまって、なんか感慨を持ってしまいます。 昭和59年当時と言えば、井上ひさしサンからつかこうへいサンのほうに演劇の主流は移行していたような気がするのですが、鴻上尚史サンも確かこの辺から出始めたんじゃないかな。

 その話はいいとして(笑)、彼女との逢瀬をイトツが秘密にしていたことで、村井家にはちょっとした波風が立ちます。 久々に現れたイタチ(杉浦太陽クン)が 「銀座でイトツが女と歩いていた」 という情報を布美枝(松下奈緒サン)たちに持って来るのですが、案の定イカル(竹下景子サン)にとっ捕まり(笑)、洗いざらい白状してしまう。

 当時のツッパリ学生にもちっともたじろがない威勢のいいイカル。
 店の前で座り込んでいた若者(最近まさに当たり前のように生殖しているコンビニ前の連中の、いわば元祖ですなあ)を一喝してボーリョク沙汰(笑)まで起こし、「悪いことを悪いと言わんけん、近頃の世の中は、おかしくなってしまっとるんです!!」 と茂たちにぶちまけるのですが、当時からすでに四半世紀。 この世の中は、ツッパリでなくてもモラルが崩壊しているような馬鹿どもが大手を振っています。 しかも注意すればこちらの命が危険にさらされるような筋金入りのモラル崩壊。 そいつらにとってはそれが常識となってしまっている。 道徳のなんたるかを子供たちに教えてこなかったツケでしょう。

 その話はいいとして(笑)、そのイカルが、イトツの浮気?にちょっとした嫉妬を抱く。
 その嫉妬は、ダンナの言うことにいちいち突っかかったりする可愛いものなのですが、イトツがカノジョとの逢瀬につけていく香水を戸棚に隠したりするのも、ふだん威勢のいいイカルの、精一杯の嫌がらせのようにも見える。 実にかわいらしいおばあちゃん(竹下サンをおばあちゃんと呼ぶのには、相変わらず抵抗がありますが…)です。
 この香水は、イトツがその昔、仕事で長い間留守にしていたあとに帰ってきたときに、イカルがいそいそと自らにふりかけていた年代もの。 ドラマを見る限りではこのふたり、どうやらお見合い結婚だったようなのですが、イカルのとても淡い恋心というものも、ここから感じ取ることができるのです。 この香水、のちに号泣ものの小道具に発展します。

 いずれにせよ、見合い結婚なんて、一種の就職みたいな感覚に思えるのですが、そんな仲でも互いを慕う感情というものは芽生えるもの。 このイカルの嫉妬の描き方は、よかったなあ。
 結局イトツのカノジョは昔一緒に仕事をした活弁士、川西一学サンの孫だったらしく、イカルの疑惑もこれで雲散霧消。
 イカルの回想で若かりし日のイトツの様子が流されるのですが、今週はたびたびこうした回想シーンが挿入されることで、イトツの人となりを立体的に実感させる作りになっておりました。
 そこから判明してくるのは、イトツが構想60年(笑)の物語を作ろうとしていること。

 芸能に造詣があり、自分でも何かをぶち上げて映画を作ろうとしていた、そんなイトツ。
 自分が作った物語を世に出したい…この世の中には、そんな何千何万何億という、イトツがいるに違いないのです。 かく言う私もそのひとり。 私の場合は、詩ですけどね。

 そしてイトツが生涯をかけて書き上げようとしていた、「第三丸の爆発」。 結局未完になったまま、日の目を浴びることなく消え去っていくのですが、そんな物語が、いかに多いことか。
 この 「置き去りにされてしまった夢」 には、仮にもモノを作る人間として、大きな共感と感慨を抱かざるを得ません。

 そして今週同時に進行していくのが、藍子(青谷優衣チャン)と喜子(荒井萌チャン)の進路問題です。
 教師になる夢を食事の場で打ち明ける藍子チャンに、動揺する茂と布美枝。 このふたりの口ゲンカには笑いました(「おや? おやおやおやおや?」「あら?あらららららら?」…笑)。
 かたや自分のやりたいことがつかめず、進路の悩みをイトツに打ち明ける喜子チャンなのですが、イトツの哲学は茂の親だけあって広大この上ない(笑)。

 「好きなことをやったらええやな。
 そげに深刻にならんでもええ。
 人の一生なんてものは、よっぽどうまくやったところで、結局は、雲のように流れ去ってしまうもんだけんなあ。
 人生は、流れる雲のごとし。 うん?今の、セリフに使えるな」

 しかしこの例え、イトツは布美枝やイカルの前で、ちょっと軌道修正するのです。

 「いやいや、雲というのは、いささか気取った例えだった。

 人生は、屁のようなものだわ。

 大きな音を立てて飛び出すが、あっという間に、あとかたもなく消えてしまう。
 笑われもするし、嫌がられもするけども、すべてはつかの間だ。
 取るに足らん、つまらんもので、…けど、やっぱり、面白いもんだわ。

 どげだ? わしの屁の講釈、なかなか深いだらが」

 ここで注目なのは、イトツが自分の書いている物語も、取るに足りないつまらないもの、とはっきり自覚している(ように思える)ところです。
 私がそうなんですけど、自分の書いたものには、やはり執着がある。 自分の書いたものはとてつもないものなのだ、と思いたがるところがあるんですよ。 それをイトツは、屁みたいなもんだ、と言っているような気がするのです。 後世まで残るようなものを書く人なんか、ほんの、ほんとにほんの僅かの一握り。 いくらがんばっても、波打ち際の砂に書かれた落書きのように、あっという間に流されて消えてなくなってしまう。 自分の書いたものに誇りを持つことは大事だが、世間に認知されるとか、そんなにうまくいかないほうが常なんだから、諦めの気持ちというのも忘れてはならない。 誇大妄想かもしれないですけど(笑)、イトツにそこまで諭された気が、したんですよね。

 そしてイトツにとって幸運だったのは、息子である茂の存在です。
 茂は叔父御の亡くなった日に生まれた、だからわしは茂を叔父御の生まれ変わりだと信じておる、と言うイトツは、自分の夢を後世につなぐ、受け継いでくれる者に恵まれたのです。

 晩飯の栗ごはんを楽しみにしながらまた 「第三丸の爆発」 を執筆し始めたイトツは、またうとうとと眠ってしまうのですが。 ここからが、シュールなイトツのラストシーンの開演なのです。

 自らが経営していた映画館(たぶん)の開演のベルが鳴って起きたイトツは、自分の書いていた 「第三丸の爆発」 が映画になって上演されている場に居合わせるのです。

 このサイレント映画の弁士は、若き日のイトツ。
 映画はイトツの若き頃を走馬灯のように映し出していく。
 ところが肝心の 「第三丸の爆発」 が始まるという段になって、「ジ・エンド」(笑)。
 なんじゃそりゃああ~~っ!(笑)

 幕引きをされたスクリーンを見ながら、ふとイトツが気付くと、客席にはおそらくイトツがこの生涯で出会った数々の人々が一堂に会して、拍手をしている。

 「あっ、お父っつぁん、…お母ちゃん…。
 …叔父さんじゃないか…!
 一学さんも…。
 みんないっしょにおったのかぁ…」

 そしてあらためて、閉ざされた幕を見るイトツ。

 「なんだ、もう終わりか…。

 あーあ、面白かったなあ…」

 この映画が結局上映まで至らなかった、というのは、人生なんて、不完全なものなのだ、という象徴のような気がしてなりません。
 そして、出会った人たちがすべて、自分の映画を一緒に見てくれている観客なのだ、という、作り手からの心のメッセージ。
 いろんなことがあったけど、最後に 「あーあ、面白かった」 と思えるような人生を歩んでいけたらいい…そんなことを次から次から考えさせてくれるのです。
 このシュールな場面は、近年まれに見る傑作でした。

 そしてイトツの耳に響いてくる、布美枝の呼ぶ声。
 「お父さん、お父さん…」

 ナレーションではその数日後に、イトツは眠るように息を引き取ったらしいので、その日の夕飯の栗ごはん、イトツの大好物は、きっと食べることが出来たのでしょう。 そんなことにも思いを至らせてくれる幕の引きかたも、最高です。

 そして亡くなってしまったイトツに、思い出したように飛び跳ねて戸棚から香水を取り出し、それをふりかける、イカル。

 「おい、どげした?」

 いぶかる茂。 遺体の周りに集まった人たちすべてが、茂と同じ気持ちです。 ただイカルのそれまでの行動を見ていた視聴者だけが、その理由を知っている。 この構図もすごい。

 「…お父さん、この香りが好きだったんだわ。

 好きなだけ使わせてやればよかった…。
 なんぼでも、使わせてやればよかった…。

 お父さん…。

 60年も一緒におったのに…。

 …親よりも、長く一緒におったのに…!」

 お恥ずかしながら、聞き取り書きしながらまた泣いています(笑)。 いや、思い切り泣かされました。 これが、いつも威勢のいいイカルだから、なおさら泣けるんですよ。

 葬儀も終わって一段落した後、イカルはイトツが後生大事に持っていたカバンを茂に手渡します。 その中に入っていたのは、イトツが亡くなるまで手にしていた、執筆のための万年筆。 イトツの思いは、茂に確かに、引き継がれたのです。

 うーん、あと2週…。

 ひたひたと物語が終わる足音が、近づいてきました…。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第9週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html
第12週 冷たい風に吹かれてhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/12-2a16.html
第13週 自分のいるべき場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/13-f9bf.html
第14週 自分の名前と自分の存在http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/14-30e2.html
第15週 夢をあきらめないで… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/15-19ee.html
第16週 性急に見える成功、ですが… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/16-7865.html
第17週 村井家ビフォー・アフター?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/17-d98c.html
第18週 「悪魔くん」 成功の裏で描かれるものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/18-6ede.html
第19週 漠然とした願いと覚悟との狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/19-7dcb.html
第20週 見えないもの、見えなくなるものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/20-0c48.html
第21週 「鬼太郎が見た玉砕」 と比較してhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/21-d16a.html
第22週 失って初めて気づく家族の愛情 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/22-ddb9.html
第23週 いくつになっても、ただ前を向いてhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/23-6e34.html

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2010年9月 9日 (木)

いきものがかりの話とか…雑談です

 ちょっと軽く雑談ふうに。

 「いきものがかり吉岡聖恵のオールナイトニッポン」 で昨日(…いや、今日か)、吉岡聖恵チャンが 「ゲゲゲの女房」 の打ち上げパーティに行ったことを話していました。 新宿のとあるホテルでものすごい豪華な料理がたくさん出て、そっちに話の重点があったみたいですが(笑)、向井クンがカッコよかったとかあたりさわりのない話に終始。 このような場に行ったことがなかったとか話してましたかね。 大杉漣サンのスピーチでいきものがかりとは別のドラマ?でも主題歌を歌ってもらって縁を感じると話していただいたとか。

 そのいきものがかり、来週火曜(9月14日)の 「NHK歌謡コンサート」 に出るみたいですね。 時期的には 「キミがいる」 のほうが最新曲なのですが、これは他局のドラマ主題歌(「ホタルノヒカリ2」)。 おそらく 「ゲゲゲ」 の主題歌 「ありがとう」 を歌うと思うんですが、もしそうであれば、ドラマで流れるような形で聴きたいかなあ。 この曲、CDで聴くと結構ドラマでかかっているのとは違う構成で、ちょっと肩透かしを食らわせられるような感じですからね。

 話は変わりますが、「10年後も君に恋して」 の第2回、予約を取っておくのをど忘れしてしまいました。 NHKBSハイビジョンで再放送してくれるのでそっちを予約しておきましたが、NHKって5局も電波を持っているからあっちこっちで放送しなおしてくれて、こういう見逃し対策も万全でいいですよね。

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2010年9月 6日 (月)

「龍馬伝」 第36回 龍馬への思い、龍馬の思い

 第3部クライマックスとも言える、寺田屋事件。

 この回を見て強く感じたのは、周囲の人々の、龍馬に対する強い思いと、龍馬が瀕死の状態になった時に彼自身の口から絞り出された、強い思いでした。 この物語の語り口はそこに収束している。

 史実との整合性や、政治的なパワーバランスなどは、司馬遼太郎サンによってすでに語られてしまっているために、作り手は別の角度から、この騒動を描く必要性があるんだと思う。 当時の状況や常識を鑑みながら話を進めていくことよりも、作り手の意志は、今も昔も決して変わらぬ、人間の 「情」 というものを中心に見据えて、物語を展開しているのだ、と私は思うのです。 ドラマの中ではお龍(真木よう子サン)が奉行所の来たのを龍馬に知らせるところあたりから、さして悲しい場面でもないのに、しぜんと泣けていました。 龍馬(福山雅治サン)の意識が薄れるところでは、プレ暗殺の予感を感じながらも、こちらも大泣き。
 両方のシーンとも、冒頭に指摘した 「それぞれの強い思い」 が、こちらの涙腺を刺激するのです。

 寺田屋に身をひそめた龍馬と一緒にかくまわれた弥太郎(香川照之サン)は、このドラマではいわば 「龍馬を売った男」。 今起きている京都奉行所の龍馬捜索は、弥太郎の証言が端を発しているのです。 よくのうのうと、「龍馬に危機が迫っちょった」 とかナレーションで解説したり(笑)、メシをごちそうになってたりするもんだ、と思うのですが、ドラマを見る側は、そこから弥太郎の傲慢さを感じ取らなければならない。 そしてその傲慢は、龍馬に対する強烈な嫉妬からきていることを理解しなければならない、と思うのです。 さらに言えばその傲慢は、弥太郎の気弱な心から発生していることも、見逃してはならない重要事です。 それを理解できないと、弥太郎のことを 「なんだこの不可解の男は」「なんだこの脚本は」 としか思えなくなる。

 自分が嫉妬をしている男から、「自分は日本の仕組みを変えようとしちょる」 と打ち明けられて、平静でいられる人間がいるでしょうか。 「何を夢みたいなことを」 と頭ごなしに感じたいところですが、この男はそんな大それたことをやってしまいそうな何かを持っている。 自分がこの男に嫉妬するのも、そのためなのだ。
 香川弥太郎は 「ばかな…。 ばかな…」 と言いながら、そんな複雑な演技を展開するのです。

 「日本は変わる。 おまんも自分がその時に何をすべきかを考えや。 おまんは世の中がどう変わろうと、変わらん強さを持っちゅうきに」 と龍馬に言われ、弥太郎はまるで怒りに満ちた般若のような形相になる。
 お前に言われたくない! オレのほうがお前より学も才能もあるんだぞ! という弥太郎の怒りです。

 寺田屋をあとにする弥太郎は龍馬を匿おうとするお龍に向かって、「相変わらずおなごにもてるのぅ…」 と捨てゼリフを残します。 この最後っ屁(笑)も弥太郎の嫉妬がよくあらわれている。 その言葉にそーとー過剰に反応してしまう、お龍(笑)。

 しかしここで、もう自らの龍馬への思いがどうしようもない水域にまで達しているお龍の感情が見てとれるのです。 もう京には戻らない、長崎名物のポッペンを送っちゃると話をはぐらかす龍馬に、「そんなもんいりまへん!」 とまたまたキツーイ一発(笑)。 いいなあ、こーゆーツンデレ(そーゆー趣味か…)。

 ここでお登勢(草刈民代サン)の解説です(笑)。

 「あて…お龍チャンに言うたことがあるの。
 『龍馬さんはひとつのところに落ち着くようなお人やあらへん。 そんなお人に惚れたら、おなごはつらい思いをするだけや』 て…。
 そやかてな。
 あの子はもう、覚悟ができてるわ。
 龍馬さんのことが、好きで好きでたまらんのや…」

 もうひとり、龍馬に熱い思いを吐露する人間がおりました。 三吉慎蔵(筧利夫サン)です。

 盟約の裏書きを書くまでは京を離れられん、と言う龍馬に、慎蔵は龍馬の身を心から案じる。 そんな慎蔵に、龍馬は 「おまんとは生涯の友になれそうじゃ」 と何の気なしに話す。 その言葉に感激した慎蔵。

 「坂本さん、わしゃ自分の命を引き換えにしてでも、坂本さんを守ります…!」

 これらのシーンが、騒動に突入した時の周囲の龍馬への気持ちをいやがおうでも見る側に感じさせるのです。

 そして騒動当日。

 いきなりお龍の、入浴シーンであります(笑)。
 それにしても、この騒動が起きた時、実際にお龍はどうも入浴をしていたらしい。 ということは、午前3時に入浴かあ…(笑)。 言い伝えによると素っ裸でそれを龍馬に知らせに行ったと聞き及んでおりますが、果たして…?…というよからぬ期待も高まります(笑)。

 その期待ははかなくも裏切られ(笑)、お龍はガウンみたいなのを(えーい、何でもいいですけど…笑)羽織って龍馬にその危機を知らせに来る。 すっかり取り囲まれていることを知った龍馬は、迎え撃つしか突破口のないことを瞬時に判断。 「うちも戦います!」 というお龍を、龍馬はぴしゃりと拒絶し、薩摩藩邸に行ってこのことを知らせてくれと頼むのです。

 「死んだらあきまへん坂本さん…! 決して…! 決して死なんといておくれやす…!」
 この絶体絶命の瞬間に、隠すことのない自分の正直な感情を龍馬にぶつける、お龍。 素っ裸は見れませんでしたが(スイマセン品がなくて…)素っ裸の感情はじゅうぶん伝わったのです。

 さてこの包囲網の中をどうやって突破してお龍が薩摩藩邸まで行くのか、そちらにも注目したのですが、お龍の方法は正々堂々正面突破(笑)。

 「ものすごい強いお侍さんたちだったらおりますえ。 喧嘩はやめておいたほうがよろしおす」 取り押さえようとする役人をバシッ!そしてひと睨み。 …お龍、スゲエ…(笑)。

 いったんは身柄を拘束されかけるのですが、この混乱の中の一瞬の隙をついた格好で、お龍は薩摩藩邸に、走る、走る、走る。 番組HPでは真木よう子サンのその走りはとても速かった、と書いてあったのですが、実際その場面を見ると、やはりとてつもなく速い(笑)。 カメラが追っついてません(笑)。
 しかしその速さが、急を告げる事の重大さを最大限に活写している。 この場面を見ながら、なんだか涙が出てくるのです。

 シーンはさかのぼりますが、三吉慎蔵は自分の命と引き換えにしてでも龍馬を守る、といったことが現実になりつつあることを感じ、龍馬に逃げろというのですが、龍馬の三吉とは生涯の友になる、と言った言葉が現実になりつつあることを感じ始めている。 役人たちを迎え撃つ際のこのふたりの会話にも、ぐっと来るものがあります。

 そしてふたり対大勢の乱闘が始まる。 龍馬はこのドラマではピストルを威嚇程度にしか使っていなかった模様ですが、実際は数名殺した、と聞き及んでおります。 ここで龍馬は左手を負傷するのですが。

 寺田屋から辛くも脱出、逃げる龍馬と三吉。
 青い画面の中で、龍馬の負傷した左手だけが、ただひたすらに鮮烈なまでに、赤い。
 お龍が走り続ける場面と並行しながら描き出されるこの場面、どうにも泣けました。 今回描写され続けた様々な人たちの思いが交差して昇華された瞬間です。 極上の演出です。

 材木置き場に逃げ込んだ龍馬、三吉に 「血が止まらん…」 と弱音を吐く。 この場面、のちに 「星も見えない」 と龍馬が弱々しくつぶやくシーンと連動しています。 要するに、出血がひどくて意識が混濁しつつある、ということです。 慎蔵がここで 「腹を切りましょう」 と切り出すのも、龍馬が瀕死の状態であるからこそなのです。 たかが手首を負傷したくらいで大げさな…などと思うことは、ドラマを見くびってきちんと見ていない証拠であります。

 その、「潔く腹を切りましょう…!」 と絞り出した慎蔵に、龍馬は息も絶え絶えに言うのです。

 「腹を切るがは…、いつでもできるがぜよ…。 あきらめてはいかん…! あきらめてはいかんぜよ…!」

 薩摩藩邸に到着したお龍、必死で 「坂本さんを助けて下さい!」 と頼み込むのですが、最初相手にされません。 お龍の必死の形相が、こちらの心をひたすら打ち続けます。

 いっぽう龍馬に薩摩藩邸に行ってくれと懇願された三吉、そこらにおいてあった竹の棒を槍に見立てて、追っ手と見事な立ち回りを演じます。 ただひたすら、カッコイイ。 これまでの 「龍馬伝」 ではここまで鮮やかな立ち回りがなかった分だけ、三吉の頼もしさがここで倍加している。 この効果も素晴らしい。

 材木小屋の天井裏から屋根に這いずり出した龍馬は、薄れゆく意識の中で、星が現れ、消えていくのを見る。

 「これは…。
 星が…。
 星が見えちゅうがか…?

 もう…。
 星も…見えんぜよ…。

 木戸さん…。

 すまん…。 ごめんちや…。
 わしは…。 約束が…。 守れん…。 守れんかもしれん…。

 あとは、頼んだき…。

 西郷さん…木戸さん…すまんの…ごめんちや…。

 お龍…お龍…お龍…!」

 龍馬の危機を知り、兵を差し向けよと命令する、西郷(高橋克実サン)。
 三吉の到着で、龍馬の安否を聞きいくらかほっとする、お龍。
 そんな中で、龍馬の意識は、さらに混濁していく。
 追っ手の包囲網は徐々に狭まっていく。

 「悔しいのぅ…。
 悔しいのぅ…!

 ごめんちや…。 ごめんちや兄上…。
 兄上…。
 ごめんちや…。
 父上…。
 父上…。

 母上…。

 母上……」

 そこにやっと到着した、三吉と薩摩藩。

 薩摩藩邸に運び込まれた龍馬は意識のない状態。
 お龍が必死に、龍馬に呼びかけます。

 「目を開けて! 目を開けて坂本さん! 目を開けて! 坂本さん!」

 死が迫りつつある中で、最初龍馬は木戸や西郷、お龍のことに思いを致しているわけですが、いよいよという段になって、兄や父や母の名を呼ぶに至る。 ここらへんの龍馬の気持ちの推移は、注目に値します。 人間、親に認められたいということがかなりの部分で原点になっている。 龍馬が最後に家族の名前を呼ぶのは、龍馬がその原点、子供時代に戻っていくことを表わしているような気がするのです。

 それにしてもここまでやってしまって、今度は本当に暗殺されてしまうとき、作り手はなにを隠し玉として残しているのでしょうか?(笑)
 そんなことまで心配になってくる、今回の寺田屋騒動でした。

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2010年9月 5日 (日)

「うぬぼれ刑事」 第9回 なんか、目が離せなくなってきた(笑)

 前回は三田佳子サンまで長瀬智也クンの恋愛対象になり、親父の西田敏行サンと取り合う始末にまで発展(笑)。 ますます節操のなくなっていくこのドラマなのですが、今回はさらに、光浦靖子サンが恋愛対象。

 …(笑)。

 いくらなんでもそれはないだろう、という感じですが、設定をしながら作者のクドカンサンがゲラゲラ笑っている図が浮かんで仕方がない。 こうなりゃ 「Mother」 に出てきた子役の継美チャンも恋愛対象にしたら面白いのではなかろーか?などと暴走をしてしまいそうなノリを感じるのです。

 しかも光浦サンに、長瀬クンをフラせるし(笑)。

 さらにここで、福島から長瀬クンの母親役で、イカル、じゃなかった(笑)竹下景子サンも参戦。 いや、キャラ的には、イカル(「ゲゲゲの女房」)なんですけど(笑)。 美人のイカル(笑)。 親父の西田敏行サンとの大ゲンカで、まあウッチャシイこと(「うるさい」 という意味です…先週長瀬クンが 「ウッチャシイ!」 と怒鳴ったのには、笑いつつも懐かしさを感じてしまいました)。
 でもまあ、竹下サンの出番は今回だけだろうなあ。 惜しいです。

 それにしても前回、西田サンが長瀬クンの同僚である冴木優(荒川良々サン)に、彼の妻である中島美嘉サンの元カレが自分の息子だということをばらしてしまったんですが。
 この冴木優(それにしてもカッコイイ名前だなあ…見てくれとは大違いで)、極度の下戸であるため、酔っ払っているときに聞いたその話を、てっきり次の日には忘れてしまっているもんだと思ってたんですよ。

 ところが、冴木はその話をしっかり覚えている。

 これってなんか、コメディドラマにはありえない、意外な展開だと思いまして。

 そのことで冴木は長瀬クンに必要以上に明るくふるまったり、いきなり屋上にホワイトボードを出現させて、またグチャグチャの字で自分の妻の浮気疑惑を解説を始めたりして、情緒不安定全開なのですが(笑)、そのことがドラマを意外なところで引き締めている。
 そして、中島美嘉サンは、ある日冴木のもとを、突然去ってしまうのです。
 なんか、目が離せない展開になってきたなあ(笑)。

 マンネリ部分に関してはワルノリの度を増しながらディティール崩壊させ、そのことでちょっと中ダレした時期もあったのですが、こうした別の部分の話の展開で、ドラマにまた面白さが戻ってきた気がするのです。

 このドラマの危なさは、毎回最後に繰り広げられる、長瀬クンの恋愛対象への二者択一なのですが、これってよーするに、犯罪のすすめですよね?(笑)
 その非現実さを受け入れることによって、このドラマ全体を支配しているシュールさに入っていけるかどうかが決定する。 何とも視聴者をゴーインに選んでいる、不遜なドラマであります(笑)。

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「仮面ライダー000(オーズ)」 第一印象です

 今日から始まった平成仮面ライダーの新シリーズ、「仮面ライダー000(オーズ)」。

 最初の印象から申しますと、話がよく分かりません。
 まあだいたい、平成ライダーシリーズは、話(というよりも設定)が分からんのですが(笑)。

 宇梶剛士サンが何かクリーチャーを復活させたみたいなんですが、その仲間なのか、腕だけの生き物がいまして、それが仲間と反目したのか何なのか、今回の主人公を仮面ライダーに仕立て上げる。

 敵味方関係がよく分からないので、主人公以外はみんな悪に見えます。 その腕だけの生き物も。
 クリーチャーがメダルでできている、というのも、ゲームセンターでの需要を見込んだものみたいで嫌らしさも感じるし。 ライダーに変身するのも、メダルをベルトのバックルにインサートする、という方法。 ますますゲーセン向けだ。
 自動販売機みたいなものにメダルを入れると、バイクに変身するみたいです。
 主人公の男の子がその自販機の下にメダルを落としてしまって、小遊三師匠状態(笑)。 その自販機を持ち上げてしまう怪力少女(こういう 「うる星やつら」 の三宅しのぶタイプの女の子って、結構引いちゃうんですけどね)のお兄さんが、さっきの腕だけの生き物と合体して、悪者みたいなキャラクターになってしまうのですが。 あー話が分からん。

 毎回このライダーシリーズは、主人公の男の子のキャラクターで番組への印象が9割がた決定するのですが、今回は特に可もなく不可もなく、平均的なノーテンキ型のタイプ、という感じです。 根っからの風来坊、というのは、ヒーローものの定番でしょうか(笑)。
 それでも、前作の 「仮面ライダーW」 のふたりの主人公が結構初めから好印象だったのに比べると、見劣りの感は否めないのですが。

 それにしても、前作の 「W」 は、ふたりの主人公がとてもよかった。 特に左側の左ショータロークンは演技力があった気がします。 ちょっとジャニーズの山下クンに似すぎていて、キャラがかぶってしまうのが今後の活動に支障をきたしそうなんですが。 最終的には結構泣けるストーリーでしたしね。 結局話も比較的単純で、いちばん入り込みやすいライダーシリーズだった気がします。

 肝心の、オーズの造形ですが。
 ちょっとカラーリングが派手かな、という気はしますが、黒が基調なのでぎりぎりカッコイイ線を保っている、というのが私の個人的評価です。 こうして見ると、 「ディケイド」 のチンドン屋みたいな造形が、ますます悪夢だった気さえしてくる(笑)。

 初回の話はてんこ盛りすぎで混沌状態でしたが、どういう展開をしていくのかは楽しみです。 今のところ主人公はひとりぼっちですが、魅力的な仲間が出てくれば、番組への吸引力もぐっと高まる気はいたします。

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「チューボーですよ!」 枡田絵理奈アナ、究極の挑発!(笑)

 もー、大爆笑しました、今夜の 「チューボー」。 記事を書かずにはおられません(笑)。

 堂本光一クンをゲストに迎えて、半熟卵のオムライスが今夜のメニュー。

 半熟卵…と聞いて、「アーこりゃ今夜は大失敗だろうな~」 というのが容易に想像がつくほど、堺巨匠だけでなくすべてのアマチュア料理人にとって半熟のオムレツというのは難しい料理なのです、が(笑)。

 が(笑)、この半熟オムレツを、枡田絵理奈アナがしょっぱなから完璧に作ってしまったから大変なことになってしまって(笑)。

 もともと堺巨匠もこの半熟の難しさは熟知しているため、半ば嫌がらせも兼ねて 「枡田クンに先にひとりでやってもらって、失敗してもらいます」 と番組を面白く進行させようとしたのですが、意外にも枡田アナ、「私が先にやることで、巨匠はかなりハードルが上がると思いますがいいですか?」 と自信満々(笑)。

 巨匠、その挑発に唖然としつつ、「ずいぶん大口叩くな」(笑)。
 熱したフライパンにバターが入ったのを見ながら、「煙出てる」「あんなに熱することないんだよ」「おいしいオムレツなんてできるわけないよ」 と枡田アナを積極的な追い込みにかかる(笑)。

 解き卵を投入しながら、「確かにかなり、フライパン熱いですねこれは」 と言う枡田アナに、「そんなにあっためちゃダメだよ」 とさらに追い打ち(笑)。

 ここで注目なのは、スクランブルされた卵が固まるのが早い、と判断した枡田アナが、フライパンを火から外して余熱だけでまとめ始めた点です。 この判断は、結構やりつけた人でないと瞬時にできない(…私、自分で料理する人だって、バレバレですネ…笑)。

 「意外とうまくいってんじゃないか?」 という不安で堺巨匠の顔がヒキツリ気味になりはじめ(笑)、ケチャップライスの上に乗せた半熟オムレツを枡田アナがナイフで切ると、なんと見事に半熟卵がフワーッと…(笑)。

 口をポカーンと開けたまま、しばらくボー然自失する堺巨匠。
 いや、笑い転げました。

 「あとは、おふたりで、ガンバッテください!」 とカワイコチャンぶる枡田アナ(笑)。 「げえ~~っ」 とゲンナリする堂本クン(笑)。

 そして巨匠と堂本クンの半熟オムレツづくり対決。

 巨匠のオムレツは最初、枡田アナ以上にうまくいってたんですよ、私の見立てでは。
 ところが巨匠、卵を返すときに、結構モタモタしてしまった。
 そして巨匠の大きな失敗は、火の上でそのモタモタを展開してしまった点にあります(笑)。
 堂本クンのほうは、もう完全にグダグダであります(笑)。

 ちょっと焦げ目がついてしまった巨匠の卵焼き、もうこの時点で失敗しつつあることが分かるのですが、それに追い打ちをかける枡田アナの実況がまた笑えるのです。

 「少し、卵焼きのような色合いにはなっていますが…巨匠?巨匠?(笑)固、まって、ますか?」(笑)

 そして試食タイム。
 巨匠の作ったものを堂本クンが試食、堂本クンの作ったものを巨匠が試食したのですが、巨匠の作ったものは意外にもイケた模様。 堂本クンのグダグダのオムライスは、言うまでもなく…(笑)。

 堂本クン「なんか申し訳なくなってきますけど」 堺巨匠 「いや本当に申し訳ないですよ…(笑)…いやー……浅間山か…」(笑)

 このやり取りも最高に笑えるのですが、自分の作ったオムライスを喜々として食べる枡田アナに、その感想を訊いた巨匠へ、またまたここで枡田アナの究極の挑発が…(笑)。

 「ほんっ!…とに、卵が、とろっ!…とろで、もうすごくオイシイです」(笑)

 完全に気分を損ねた巨匠(笑)、「それ持ってって楽屋で食え!」(笑)。

 それでまた、堂本クンの食べている堺巨匠の作ったオムライスを、「奥のほうに卵焼きもちょっとついているんですよね?」 と慇懃無礼にけなす枡田アナ(笑)。 スタッフたちの笑いもなんかかなりホントの感じで(笑)。 我慢できなくなった巨匠、立ち上がって枡田アナのほうに歩み寄り、「表出ろ!」(笑)。

 乾杯のときも、「大成功おめでとうございましたっ!」 と枡田アナに真顔で祝福する巨匠(笑)。

 星2.5のコールのあと、「これを食べさせたら星いかないと思って食べさせなかったの」 と枡田アナの作ったオムライスを堂本クンに食べさせる巨匠(笑)。
 それまで巨匠の作ったオムライスを、「今まで食べた中でいちばんのオムライス」 などと評していた堂本クン、枡田アナの作ったものを食べて、瞳がキンキラキン(笑)。 「んんっっ!これはっっ!ホントにっっ?」(笑)。

 あーおかしかった。 最高に笑わせていただきました。 こんなに、誰かに話したくなるお笑い番組は、私久々に見ました。 このブログという場があってよかったです。

 それにしても枡田アナの作りだすお笑いは、今回ステージアップしたような気がしてなりませんです。

枡田絵理奈アナに関する当ブログほかの記事

「チューボーですよ!」 2009.4.12 枡田絵理奈アナ、誰かに似てる…
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-6b09.html
「チューボーですよ!」 2009.4.26 気まずい雰囲気… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-2537.html
「チューボーですよ!」 2009.5.3 枡田絵理奈アナの実力が分かってきたhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/post-6d87.html
「チューボーですよ!」 2009.5.24 枡田絵理奈アナ、このコは相当できるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/post-4ff2.html
「チューボーですよ!」 2009.6.7 枡田絵理奈アナ、堺巨匠を籠絡かhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/post-43ce.html
「チューボーですよ!」 2009.6.14 枡田絵理奈アナ、やらかしちゃいましたねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/post-0b93.html
「チューボーですよ!」 2009.6.21 ニュートラルな貴乃花親方http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/post-e5ce.html
「チューボーですよ!」 2009.6.28 優木まおみチャンと小林麻耶アナの接点http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/post-602e.html
「チューボーですよ!」 2009.8.6 枡田絵理奈アナの、ビックリ特技http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/08/post-3076.html
「チューボーですよ!」 2009.9.6 錦戸亮クン、お初にお目にかかりますhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/09/post-2edd.html
枡田絵理奈アナ、ニュースも読むんだhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/09/post-3d96.html
「チューボーですよ!」 2010.8.15 枡田絵理奈アナ、それを言っちゃあ…(笑) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/post-90ec.html
「チューボーですよ!」 2010.9.5 枡田絵理奈アナ、究極の挑発!(笑) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/post-3c0d.html

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2010年9月 4日 (土)

土曜ドラマ 「チャンス」 第2回 どこに重点を置くべきなのか?

 競馬と証券、というふたつの題材を両方見せようとする、「チャンス」。

 第2回目では、藤原紀香サンが命を救われた 「恩人」 ハルコの出産と死、そしてハルコの仔である 「ハル」(のちの 「チャンス」)の成長を描きながら、市川亀治郎サンとの本格的な対峙への序章を追っていきます。

 ただその描き方は比較的淡々としていて、ちょっと平板な印象も受けました。 言ってみれば、これから展開されるであろう物語への、橋渡し的な説明に終始していた感じ。

 その中で最もこちらの心が動かされたのは、ハルコの出産と、それが原因の子宮動脈破裂によって彼女が徐々に死んでいく場面でした。 どうやって撮ったんだろう、と言うほどの臨場感だったのですが(まあ出産シーンと出演者たちのシーンは別々に撮ったのでしょうが、ハルコが弱って亡くなってしまうシーンはすごかったです)、ハルコの優しそうな大きな瞳がいつでも胸に焼き付いて、紀香サンと一緒に、大泣きしました。

 そして親子の馬たちの間で、たったひとりぼっち放牧されているハル。 そのさびしそうな姿にも涙を誘われるのですが、そんなひとりぼっちのハルを心配そうに眺める紀香サンの目の前に、ひとりの老人(宇津井健サン)が 「ホーホーホウ」 と、「FF7」 のナナキのじっちゃんみたいな(スミマセン、この例え、分かる人には分かると思うんですが…笑)キャラで登場。 「足は曲がっとるが、いい馬だ」 とひとしきりほめた後、名前も告げずに立ち去る(笑)。 ナニモンだと思ったら、どうやら名の知れた調教師らしい。 ということは、この調教師が、今後ハル(チャンス)に絡んでくるだろう、という予測が容易につくのですが。

 それにしても気になるのは、紀香サンがハルコからハルに、あまりに簡単に感情を乗り換えている、ように見えるところ。
 「ハルコはハルに命をつないで、この世での役目を終え、風になった」 と説明する大地康雄サン。 ハルコの 「風」 を感じながら、「あなたの子供は、私が必ず守るから」 と決意する紀香サン。
 ここでの説明はとてもよくて、泣ける場面でもあったのですが、そこから物語は飛ぶわ飛ぶわ(笑)。 あっという間に2年たってしまう(2012年の未来の話になります)。

 ここで成長していくハルの表情というのが、ハルコに比べると目も小さくて、結構よそよそしい感じに見えてしまうためか、個人的にはいまいちこの馬に感情移入がかなわない。
 そこで思い出してしまうのは、ハルコの温和な表情なのです。 つくづくいい表情の馬でした。
 で、物語が飛んでしまうから、前述したとおり紀香サンが簡単に感情の乗り換えをしているように見えてしまう。 そんな構図なのだと思います。
 ハルコに出産をさせようとしたのは紀香サンであるのに、それに対する罪悪感も描かれていない。 要するに、いったん売られてしまうハルコを助けたはいいけれど、結局死なせてしまったわけでしょう。

 その、飛ぶわ飛ぶわの話の中で並行して語られるのが、紀香サンが浅野和行サンのもとで立ち上げていく新たなファンドプランの下準備。
 融資をもう一歩受けられなかった企業を支援していくプロジェクトなのですが、その話にいちいち新鮮味がなく(「クロ現」 で見たよーな感じ、というか…笑)、かつドラマ的に丁寧な描写をしているとは言い難い。 まるでそんな話はメインではないのだ、というような語られ方なんですよ。

 で、何がこのドラマの作り手が重要視している話なのか、と申しますと、私の考える限りでは、紀香サンと亀治郎サンとの対決の様子です。
 亀治郎サンはあくまで小生意気なファンド会社の寵児というキャラ。 紀香サンが第1回で陥った株暴落の取引で、「株を買うときはあなただってエクスタシーを感じたでしょう」 と鋭く指摘し、「あなたと私は同じ匂いがする」 と、紀香サンを自分の会社に引き入れようとするのです。 その、人の感情よりも金もうけ、という態度の誘いに、紀香サンは当然のごとく 「ノー」 を突き付けるのですが。

 ここらへんの亀治郎サンのたたみかけ方は、実に見ごたえがありました。 紀香サンの心の中には、亀治郎サンの話を図星だと感じる後ろめたさもあったりして、秀逸です。

 ただどうもこのシーンが、いかにも浮いてしまっているように感じる。
 それは、亀治郎サンの動向が、飛ぶわ飛ぶわの話の中に、一切出てこないことが原因だと思われるのです。

 ここでの対峙の話を盛り上げるためには、中途半端に企業支援のための車いすや風力発電などの話を挿入するのではなく、それらをバッサリ切って紀香サンがキャリアアップした様子を簡潔に見せ、同時に亀治郎サンが徐々に紀香サンに注目していく様子も描写すべきなのです(タカビシャでスミマセン)。

 物語ではさらに、自分の仕事に行き詰まっている写真家の加賀まり子サンや、馬主への夢を持っていたオカマの堀部圭亮サンのことまで描き出そうとし、みんなの夢を乗せるハル(チャンス)、という構図を作り出そうとしているために、さらに散漫になっていく。 これを 「欲張りすぎ」 だというとらえ方をするのが普通なのですが、私に言わせれば、重点を置く部分、カットする部分の取捨選択がうまくいけば、決して欲張りばかりのドラマにはならない、そう感じるのです。

 ただ見終わった後の感覚からいうと、やはり物語が拡散しているな、という印象は、拭いきれない。 前半であんなにハルコの死で泣いたのに、終わってみると、あれってなんだったんだ?みたいな。
 ひょっとすると馬主の条件が年収1000万という話を堀部サンがしたとき、紀香サンが 「それならなんとか…」 と話していたのを聞いてから、ビンボー人は少々醒めてしまったのかもしれないです(笑)。

 ちょっと厳しい書き方をしてしまいましたが、感じたままを書かせていただきました。 土曜ドラマということで、ハードルを高くしすぎているのかな。 ふたつの世界を6回程度で同時に描いていくのは、やっぱり至難の業という気もします。 ただ冒頭にも述べたように、橋渡し的な話という感じもしたので、次回以降に、期待します。

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「ゲゲゲの女房」 第23週 いくつになっても、ただ前を向いて

 物語の舞台は、昭和56(1981)年4月へ。

 現在に至るまで、「鬼太郎」 ブームというのは定期的にやってきては消えていくのですが、この時期はちょうどその最初のブームが過ぎ去ったころの話だと思います。
 これまでがむしゃらに仕事をしてきた茂(向井理クン)のもとに、仕事の依頼がぱったりと来なくなる。
 常時泰然自若としているかに見える茂がこの時、どのようにもがいていくのかが、今週の話のメインでした。 ある意味では、貧乏時代のつらさ以上のものがここでは描かれている。 人生には、乗り越えねばならないハードルというものは、こちらがレベルアップすればそれ相応の高さのものが、次から次からやってくる、ということを痛感するような話でした。

 まず冒頭から、藍子チャン(青谷優衣チャン)喜子チャン(荒井萌チャン)の成長ぶり、そして茂、イカル(竹下景子サン)イトツ(風間杜夫サン)らの老け具合に注目なのですが、主役の布美枝(松下奈緒サン)だけは、ほとんどそれを感じさせない。
 いかにも不自然に思えるこの演出なのですが、この週の布美枝の存在感に注目して見てみると、布美枝はいかなるときにも変わることのない、一種の精神的支柱のような役割をこのドラマでは果たしている。 確かに茂の仕事がないことにうろたえたりもするのですが、たとえ貧乏時代に逆戻りしようとも 「なんとかなーわね!」 で乗り越えられそうな力強さを感じるのです。 この週、布美枝の出番はほとんど印象に残らないのですが、そんな意外な存在感を発揮している。

 なにしろ、藍子チャンからお父ちゃん大丈夫かな?と訊かれ、布美枝はきっぱりと、「おかあちゃんにも、よう分からん」(笑)。

 「ずうっとそばにおるけど、マンガを描くつらさを分かってあげることも、代わってあげることもできんけんね。
 そばにいて、見ていることしかできんだもん」

 けれども布美枝は、続けてこう言うのです。

 「けど、…お母ちゃん、お父ちゃんのこと信じとるよ。
 今までだって、いっぱい苦しいことはあったけど、必ず自分の力で道を見つけてきたもの。
 少し時間はかかるかもしれんけど、お父ちゃんのことだけん、きっとなんとかするよ!」

 夫のことをどこまでも信じることで、かえってそのことが家庭全体の安心感につながり、気持が自暴自棄に途切れてしまいそうな一線を、いちばん後ろで支えることができる。 そんな布美枝の存在価値が、実にさりげなく表現されていた気がするのです。 そんな彼女は、やはり外見的に老けさせるわけにはいかない。

 それにしても話は戻りますが、老け役と言って一番キョーレツだったのは、東てる美サン(笑)。 ロザンヌレディーが…と言うよりも、私が思春期のときは、鮮烈なヌードとかも、やっていた人なんですがねえ~(笑)。 かえってここまで自分をかなぐり捨てることのできるのって、考えてみると逆にすごい。 女優魂を垣間見ました。

 女優にも魂があるんだ、とすると、今週のキーワードは、マンガ家魂。 その話はまたあとにするとして。

 仕事がなくなることで、茂には自らのアイデンティティに関わるほどの疑問が湧きあがってくる。

 「妖怪なんかいない」――。

 茂の描く妖怪の世界に魅了され、その生活態度まで茂の影響を多大に受けている次女の喜子チャンは、茂からそう言われて相当のショックを受けます。
 自ら夢中になっていた南国土産のお面なども、「ガラクタじゃないか…」 とうつろな目で吐き捨てるほど。 この、自分が大事にしていたものの価値が薄れていく様子を象徴させていたのは、その宝物から湧き出た 「ムシ」 でした。 はじめ一匹だけ現れたその虫は、ある日大量に発生する。 この 「ムシ」 によって、茂の中から失われていく情熱を表現する方法には、またもやうなります。

 茂のマンガが、なぜこうも受けなくなってきているのか。
 喜子チャンの中学でヒデキやトシちゃんなどに夢中になるサーファーカットぽい女の子たちを描写することで、水木しげるの描く妖怪というもの自体が世の中から時代遅れとみなされ、さらにその向こう側に、妖怪自体がこの世から締め出されかけている精神風土のドライ化が描写されている。 最近では夜になってもこうこうと明るくて、妖怪の出る幕がなくなっている、と茂は嘆きます。

 それにしても、時代遅れとか時代が違うとか、そんなことが水木しげるのマンガが受け入れられなくなった、本当の原因なのでしょうか?
 考えてみれば、茂のマンガが受け始めた昭和41年ごろというのも、昔に比べればドライなものの見方が跋扈(ばっこ)し始め、「そんなものは時代遅れ」 などとする貸本屋の社長たちも大勢いたような気がするのです。

 肝心なのは、かつてのような情熱や世間に認められようとするがむしゃらさなのではないかと思いながら見ていたのですが。
 これについてはどうしても気になってくるのが、今週の相当早い段階から、「日本一小さな出版社」 社長の戌井(梶原善サン)が 「最近の水木サンのマンガは、何かが足りない」 と話していた、という奥さん(馬渕英俚可サン)の証言。

 何が足りないんだろう、ああ~早く戌井サン出てきてくれぇー、という感じだったのですが(笑)、ようやく現れた戌井サン、「何が足りないのか、ぼくにも分かりません!」 と一蹴(笑)。 ガクッなった(笑)その矢先、戌井サンはしかし、「本物は消えない!」 と言い切る。

 「ぼくも、最近の水木さんのマンガは、何か物足らないと思ってました。
 正直なところ、このままではいかんと、心配もしてます。
 しかし、水木さんがここで終わるはずないです。
 誰からも見向きもされなかったころ、これほどのものを、一度も立ち止まらず、ずっと描き続けたんです。
 売れない時代に積み重ねた努力が、のちの水木しげるを作った。 『鬼太郎』 という、不死身のマンガを生み出したんです。
 今、何が足りないのか、それはぼくにも分かりません。
 でも、これだけは言えます。
 『本物は消えない』。
 鬼太郎と同じように、水木さんのマンガは不死身です。
 今、スランプなら、…苦しんでください。
 でも、その先きっと、突破口が開けるはずです」

 自分が評価されない原因をあれこれ詮索したり、上司や世間が悪いのだと責任転嫁したり、そうした態度を人というのはとりがちです。
 たいてい自分の分析って、まあ当たってるんですけどね(笑)。
 でも、当たっているからって、別にそれって、意味がないんですよ、だいたい(笑)。
 だから相手に対してどう向き合っていこう、とか、正確な分析から正確な対処法というのは分かっていくものですけどね。
 たいがいは愚痴や文句だけで終わってしまう。

 ここで茂は、自分が売れる前の 「人事を尽くす」 という態度を思い出すのです。 自分が大家になってしまうと、なかなかもう一度スタートラインに立とうという気持ちになるのは難しい。 自分のほうから貸本出版社に仕事を頼みに行く、みたいなことを、できないわけですからね。 むさぼるように自分のかつての作品を読みあさる、茂。

 そんなときに現れたのが、かつての少女マンガ志望の女の子、河合はるこ(南明奈チャン)。 昔に比べると髪型も落ち着いて、また魅力がぐっとアップしたような気がします。 このコの普段のキンキラな髪形を見ていると、もったいないなあーと思う今日この頃(笑)。

 はるこは自分がかつて、茂に励まされた時の言葉、「マンガ家魂」 で今まで生きてこれたことを告白します。 彼女は教師になったのですが、教師もマンガ家も、子供たちに知らない世界を教えることで共通していると話すのです。
 つまり、マンガの世界で挫折しても、いろんな世界でもマンガに共通するところを見つけ、その部分で自分がその仕事に打ちこめるきっかけを作る。 「マンガ家魂」 とは、自分がマンガを好きだからこそ、いろんな場面で応用が利く、ということの代名詞も兼ねている気がするのです。

 はるこチャンの依頼で、子供たちと大自然での遠足に同行することになった茂。
 そこで茂は、小豆洗いという妖怪に遭遇することになる。

 この小豆洗い、声が泉谷しげるサンで、ひょんなところで 「しげる」 つながりなんですが(笑)、このキャラがまた大爆笑もので(笑)。

 「小豆とごうか人取って食おうかショキショキ~」(笑)。

 しばらくこのセリフにハマってしまいそうです(笑)。

 茂はこの小豆洗いに、実に重要なことを依頼される。

 「オレたちゃ、人をおどかすのが商売なのに、近頃じゃ誰もオレたちに気づかねえんだ。 このままじゃ、消えちまう運命だぜ。

 絵描きの先生、オレたちのことを描いてくれよな。 頼んだぜ」

 このドラマでは最初の週からアニメーションによる妖怪を登場させ、「目に見えんけど、おる」 ことの重要性を説き続けているのですが、そのリアリティにおいてちょっと普段のドラマから浮いてしまう危険性を伴っている。 それを補足したのが今回は、布美枝の次のようなセリフでした。

 「お父ちゃんには、きっと見えたんだよ。
 何かをつかもうと一生懸命だったけん。
 お父ちゃんの生きる力が、小豆洗いを見せくれたのかもしれん。

 …やっぱりお父ちゃんは、本物だ!」

 小豆洗いの力を借りて、茂は本格的に元気を取り戻すのですが、「ガラクタじゃないか…」 と吐き捨てた南国のお面の価値も、また再び感じられるほどになっている。
 つまり、その宝物は、魂がこもっているからこそ、宝物なのだ。
 そしてそれを感じることのできる感性こそが、尊いものなのだ。
 魂がこもっていなかったことを、茂の描くマンガとダブらせて語りながら、やはりこのドラマは、目に見えないものの重要性を、繰り返し説いている。

 今週の話のメインはあくまで向井理クン。 その老け役ぶりは、外見的に白髪を増やしたり髪の毛を上げたりすることでもあらわれていたのですが、その精神的な老けぶりは見事でした。 このところ、向井クンに関する当ブログの記事へのアクセスが飛躍的に増大し続けているのですが、なんかアイドル的な人気ではなく、本格的にブレークし始めたような気さえするのです。

 さて、今週それとなく挿入され続けてきたイトツのボケぶりなのですが、来週はイトツの話がメインになりそうな感じです。 悲しい予感がします…。

当ブログ 「ゲゲゲの女房」 に関するほかの記事
第1回 NHKのやる気を感じさせます
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/03/1-nhk-c7ac.html
第2週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/2-5cbd.html
第4週まで見てhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/4-a685.html
第5週 ほんとうのスタートは、ここからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/5-9d37.html
第6週 人事を尽くして天命を待つhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/6-3192.html
第7週 時代に流されていく人たちhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/7-6a9d.html
第8週 笑って生きよう、たとえ貧しくともhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/8-82ce.html
第9週 「生きるため」 と 「プライド」 の狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/9-476d.html
第10週 ビンボー神の出るタイミングhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/10-8426.html
第11週 まあ…なんとかなーわね!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/11-e5c0.html
第12週 冷たい風に吹かれてhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/12-2a16.html
第13週 自分のいるべき場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/13-f9bf.html
第14週 自分の名前と自分の存在http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/14-30e2.html
第15週 夢をあきらめないで… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/15-19ee.html
第16週 性急に見える成功、ですが… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/16-7865.html
第17週 村井家ビフォー・アフター?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/17-d98c.html
第18週 「悪魔くん」 成功の裏で描かれるものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/07/18-6ede.html
第19週 漠然とした願いと覚悟との狭間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/19-7dcb.html
第20週 見えないもの、見えなくなるものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/20-0c48.html
第21週 「鬼太郎が見た玉砕」 と比較してhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/21-d16a.html
第22週 失って初めて気づく家族の愛情 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/08/22-ddb9.html

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2010年9月 1日 (水)

身内の遺体と暮らす人々

 このところ年金受給者が亡くなっても隠して年金を継続して受給するという遺族が頻出しています。
 もとはと言えば100歳以上の高齢者の所在確認でその人が死んでいた、というのが発覚したのが発端でしたが、なんかのテレビ番組ではとうの昔に指摘されていたことだったらしいですね。 最近ではそれがエスカレートして、180歳とか200歳の人が戸籍上はまだ生きているとかいうニュースまで出る始末。 ここまで来ると笑っちゃうしかないのですが。

 生活ができなくなるとかいう事情は分かりますけどね。
 年金受給者が亡くなると、どれくらい生活が逼迫するのか、具体的に検証したニュースというものがあってもいいと思うんですが、マスコミの報道の仕方って、いつも上から目線ですからね。 自分たちが高給取りだから、そんなことに神経が行かないんでしょう。 年金を 「不正に」 受給した、という事実だけしか問題視しない。

 それでも、亡くなった自分の身内を自宅に隠して一緒に住んでいる人たちの気持ちって、よく分かりません。 と言うか、ちょっと怖い。
 その昔は、よく新興宗教的なものにハマって、いずれは復活するんだ、この人は生きているのだ、みたいな思い込みをしている家族が時々逮捕されていましたけど。

 事情的にはかたや復活の儀式、かたや年金の不正受給、まったく別物のような気もするのですが、遺された者の心情的には共通しているところがあるのかもしれません。

 身内の死は、認めたくないという気持ちも、確かにある。 それはかなり普通の感情であると思います。
 ただ、認めざるを得ないんですよ、いずれにせよ。 その覚悟というものは、どうしても必要なんです。 人生の摂理と言ってもいい。

 死を公けにしたくない場合、どこかに遺体を埋めるとか、いずれにせよ遺体を動かす必然性が生じます。
 でも普通、殺人を犯したわけでもない人がそこまでする気力って、なかなかあるとは考えにくいものです。 しぜん、亡くなったまま放置されることになる。

 けれどもそれって、かなり残酷な経過が展開されるわけです。 干からびてミイラになってしまえば、もう科学的な変化など起きないのでしょうが、…ああ、書いているだけで嫌になってきた。

 つまり、死者を手厚く葬ることを放棄した人間にとって、自分の悲しみ打ちひしがれた感情によって生じる無気力というものは、かなり罪深いものであることが、自覚できなくなる。 「何もしないことが罪になることがある」 という考えは私の古くからの信条ですが、身内の遺体の放棄というものは、かなり特殊だけれども、そのもっとも罪深い種類のものだと思われるのです。

 そしてそれによって年金を継続して受給することも、「故人も家族を思って許してくれるはずだ」 という思考回路に、なってしまいそうな気がする。 家族の愛情の、相当歪んだ解釈の仕方です。 ここで重要なのは、その家族のうちひとりでも、まともな考えの人がいたならば、そのことは防げる、ということです。 遺された家族全員の同意があるから、このような残酷なことが 「家族の愛情」 という考えのもとに、正当化されてしまう。

 そしてその 「閉じられた家族」 が、社会的にも隔離されてしまっている、という点も見逃せません。 これは今に始まった話ではないですけどね。

 本当に遺族が 「生活できなくなる」 のかどうかは分かりません。 働きゃいい話なのかもしれませんが、今回公けになっている人たちは、子供でさえかなりの高齢者。
 高齢者が爆発的に増え続けているこの国で、遺された家族が以前と同じような生活水準を保つことがますます難しくなってきていることも、社会的に見たこの問題の根深さというものを感じるのです。

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「10年先も君に恋して」 第1回 んー、どうでしょう…?

 NHKの火曜ドラマ10枠、今回はタイムスリップ恋愛ものです。 主演は上戸彩チャン、内野聖陽サン。 10年先からタイムスリップしてくるのは、内野サンのほう。 未来の夫が、上戸彩チャンの前に現れます。

 内野サンとタイムスリップものとして真っ先に思い出すのが、やはり何と言っても 「JIN-仁-」 でしょう。 まあ 「JIN」 では内野龍馬が現代にタイムスリップしたのかどうかまでは今のところ分からないのですが(私は大沢たかおサン自身が…いや、やめときましょう…笑)。
 ともあれ、このドラマを見ようと思ったのは、正直それが主たる原因であります。

 脚本は、大森美香サン。 「きみはペット」 にはその昔、ハマりました~。 現在 「夏の恋は虹色に輝く」 という、一見ダサいタイトル(失礼)のフジテレビ月9を書いとるようですが、私は見ておりません。

 上戸彩チャンのドラマって、個人的には 「金八先生」 以来、見た記憶がないです。 あ、「さとうきび畑」 があったか。
 彼女、私が見たいと思うドラマのカテゴリーに、なかなか入ってこない。 「金八先生」 での、一切笑わない性同一性障害の生徒、という役柄がインパクトありすぎて、その後のどんな役もチャラチャラしているように見えてしまうんです。 彼女は笑っちゃイカン、とさえ思う(冗談です)。

 そんな上戸彩チャンのドラマ、ということで、一抹の不安もあったのですが、気になったのは彼女の演技のほうではなく、別の部分。

 どおーも、説明ゼリフが気になるんですよ。
 初回ということで致しかたないような気もするのですが、なんか皆さん、セリフが言いにくそうな感じもするし。 できる文芸編集者の上戸彩チャンが小説大好き人間だという設定も絡んでいるのでしょうが、彼女の使う言葉も、文学的?でもってまわった言い方が多くて、いちいち気になる。

 それと、10年前の自分自身を演じることにもなった、内野聖陽サンの演技。
 ヤケに声がハイトーンで(笑)。
 「風林火山」 や先ほどの 「JIN」、「臨場」 なんかのドスの利いた役ばかり見ているせいか、なんか笑っちゃう感じなんですよ。

 ただし気になるのは、その内野サン演じるもうひとりの、10年後から来た上戸彩チャンの夫が、どうも10年前の自分と彼女との出会いを阻止しようとしている点。

 冒頭で10年後の上戸彩チャンが、離婚届を出そうと夫の部屋を見てみるとそこはもぬけの殻。 つまり夫婦は10年後、別れようとしているわけです。

 それで、タイムスリップで未来の夫がやってきた、ということは、なんとかしてよりを戻そうとかしに来たのかな、なんてこちらは考えるわけですが、彼のやっていることは全く逆なのです。
 ただよりを戻す方法って言っても、よく考えてみると、どーすりゃええのかな?という気もしますし。
 その点が気になって、来週も見てしまいそうな感じです。

 第1回目を見る限りでは、こちらの心に響いてくるものが、あまりなかった。 気になる部分が多すぎた、ということもあるんですけど(笑)。 10年前の内野サンの登場の仕方が、まるででんじろう先生みたいだったり(笑)。 笑わせようとする部分がどうも中途半端で、失笑程度にしかならないのも、気になるところです。

 ほかの出演者は、上戸彩チャンの編集部の副部長に高島礼子サン、相変わらず色っぽいです。
 上戸彩チャンが担当になった大物作家に渡辺えりサン、この人の存在感がいちばんあったかなあ。 その夫に、こちらは全く存在感のない(笑)、渡辺いっけいサン。
 内野聖陽サンの恩師に藤竜也サン。 お年を召しましたが、相変わらずダンディです。 この人が、今回のタイムスリップの、どうやら首謀者っぽい。

 9月19日深夜25時25分(9月20日午前1時25分)から、総合テレビで第1~3回目を再放送するようです(一部地域除く)。

当ブログ 「10年先も君に恋して」 に関する他の記事
第1回 んー、どうでしょう
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-1-276e.html
第2回 大切なのは、今の気持ちなんだhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-2-58e5.html
第3回 自分が変わってしまうことへの恐怖http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-3-3dc3.html
第4回 失いたくない、あの時の気持ちをhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-4-b283.html
第5回 いまだけが、未来を変えられるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-5-3f42.html
第6回 10年後の自分へhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/10-6-10-0df7.html

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