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2010年9月 1日 (水)

身内の遺体と暮らす人々

 このところ年金受給者が亡くなっても隠して年金を継続して受給するという遺族が頻出しています。
 もとはと言えば100歳以上の高齢者の所在確認でその人が死んでいた、というのが発覚したのが発端でしたが、なんかのテレビ番組ではとうの昔に指摘されていたことだったらしいですね。 最近ではそれがエスカレートして、180歳とか200歳の人が戸籍上はまだ生きているとかいうニュースまで出る始末。 ここまで来ると笑っちゃうしかないのですが。

 生活ができなくなるとかいう事情は分かりますけどね。
 年金受給者が亡くなると、どれくらい生活が逼迫するのか、具体的に検証したニュースというものがあってもいいと思うんですが、マスコミの報道の仕方って、いつも上から目線ですからね。 自分たちが高給取りだから、そんなことに神経が行かないんでしょう。 年金を 「不正に」 受給した、という事実だけしか問題視しない。

 それでも、亡くなった自分の身内を自宅に隠して一緒に住んでいる人たちの気持ちって、よく分かりません。 と言うか、ちょっと怖い。
 その昔は、よく新興宗教的なものにハマって、いずれは復活するんだ、この人は生きているのだ、みたいな思い込みをしている家族が時々逮捕されていましたけど。

 事情的にはかたや復活の儀式、かたや年金の不正受給、まったく別物のような気もするのですが、遺された者の心情的には共通しているところがあるのかもしれません。

 身内の死は、認めたくないという気持ちも、確かにある。 それはかなり普通の感情であると思います。
 ただ、認めざるを得ないんですよ、いずれにせよ。 その覚悟というものは、どうしても必要なんです。 人生の摂理と言ってもいい。

 死を公けにしたくない場合、どこかに遺体を埋めるとか、いずれにせよ遺体を動かす必然性が生じます。
 でも普通、殺人を犯したわけでもない人がそこまでする気力って、なかなかあるとは考えにくいものです。 しぜん、亡くなったまま放置されることになる。

 けれどもそれって、かなり残酷な経過が展開されるわけです。 干からびてミイラになってしまえば、もう科学的な変化など起きないのでしょうが、…ああ、書いているだけで嫌になってきた。

 つまり、死者を手厚く葬ることを放棄した人間にとって、自分の悲しみ打ちひしがれた感情によって生じる無気力というものは、かなり罪深いものであることが、自覚できなくなる。 「何もしないことが罪になることがある」 という考えは私の古くからの信条ですが、身内の遺体の放棄というものは、かなり特殊だけれども、そのもっとも罪深い種類のものだと思われるのです。

 そしてそれによって年金を継続して受給することも、「故人も家族を思って許してくれるはずだ」 という思考回路に、なってしまいそうな気がする。 家族の愛情の、相当歪んだ解釈の仕方です。 ここで重要なのは、その家族のうちひとりでも、まともな考えの人がいたならば、そのことは防げる、ということです。 遺された家族全員の同意があるから、このような残酷なことが 「家族の愛情」 という考えのもとに、正当化されてしまう。

 そしてその 「閉じられた家族」 が、社会的にも隔離されてしまっている、という点も見逃せません。 これは今に始まった話ではないですけどね。

 本当に遺族が 「生活できなくなる」 のかどうかは分かりません。 働きゃいい話なのかもしれませんが、今回公けになっている人たちは、子供でさえかなりの高齢者。
 高齢者が爆発的に増え続けているこの国で、遺された家族が以前と同じような生活水準を保つことがますます難しくなってきていることも、社会的に見たこの問題の根深さというものを感じるのです。

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コメント

家族を亡くして悲しいとか、亡くなったことを認めたくないとか
そんな感情より、
やはりドライに年金目当てなんじゃないでしょうか?(葬儀代が出せないという無職息子もいましたが)
自動的にいただけるお金というのは、簡単には手放せないものなのでしょう。
後ろめたい気持ちもあるんでしょうが、それでも年金をもらい続けたい。
そこが荒んだ、殺伐とした印象を受けますね。

近隣に気づかれない、または薄々気づかれていても通報されないというのが問題ですね。
たしかに、家族の死亡を隠蔽してるのが
ちょっと変わったお宅だ(とする)と
ご近所は「触らぬ神にタタリなし」になってしまいますけどー。

民生委員の方などが様子を聞いたりしてたんでしょうかねえ?

マイティ様
コメント、ありがとうございます。

んー、個人的な意見で恐縮ですが、年金目当てだとしても、家族が腐っていくのが、果たして平気なのか?ということに考えが及んでしまうんですよ、私の場合。

平気なわけないですよね、凄い臭いもするだろうし。

でもそれを我慢できる、というのは、「現状のままでいたい」 という感情のなせる技だと思うんですよ。

現状のままでいたいから、年金も受け取り続けたい。 現状のままでいたいから、家族の死も受け入れられない。 これっておんなじ思考回路のような気がするんです。

それにしたって、家族が腐って物凄い異臭を放ち続けるのを我慢できる、というのは、ある意味とても意志が強い、というか。

現状のままでいるのがいちばんよくて、なんとかその状態を維持しようとする、というのは、要するに 「ナマケモノ」 の理屈だと思います。 死亡の手続きをするのもわずらわしいし、何でもかんでもめんどくさい。 これって意志が弱いからそうしているような気もするんですが、「何もしたくない」、っていう気持ちって、結構強い部類の感情なんですよ。 自分が持っているどんな他の気持ちにも、勝ってしまうようなところがある。

…話が難解になってきました(笑)。 この辺でやめときます(笑)。

でもこの遺族たちの思考回路って、引きこもりがなにもせずに楽したい、と考えるのに似ているような気がするのです。 無気力な人間は、無気力でいたいという意志だけは、頑強だ(笑)。

分かりにくい話でスミマセンでした。

 リーンです。ここに出没します。

 死体を部屋に隠しておくことは、死者の魂への冒涜ではないのかな、と思えてなりません。見えざるものへの畏敬の念を忘れ去ってしまったことで、人間として大事なものを失っているように感じます。祟りを信じなくなった時代なんでしょう。『ゲゲゲの女房』で妖怪の気配を感じ、先祖の言い伝えを身近に感じる時代では考えられないことです。

 私が人間関係を上手に築けているとは口が裂けてもいえません。高齢者行方不明の一連の事件で、じつは親を見捨てるかのように連絡を取らない子供の気持ちがわかると思っているところがあります。血縁であるがゆえに生じる、何を言っても許されるかのような言葉のかけあいがコミュニケーションの断絶を生む一因だと思っています。馴れ合いは親子であっても気をつけないといけないのではないか、と。
 現代の病巣が増殖する、こんな時代でも敬虔の念は持っていたいものです。死体を隠した方は亡くなった方との親子関係はうまくいっていたのでしょうか?抜け殻ではあるものの、親を暗いところにしまっておいて魂が報われるとは思えないのです。古代エジプトのミイラをつくるとか、即身成仏を崇めることとはかけはなれています。身内が黄泉に行くことで生じた、三途の川に持っていけないお金を使って生きる、罰当たりの世の中です。

 書いていて、暗澹たる気分です。読みにくい文章、スミマセン。

リーン様
コメント、ありがとうございます。

この問題って、まあいろんなパターンがあると思うんですが、実は近い未来にはとてつもなく身近になる話のような気がしてならないのです。

つまり、年金制度がもうすでに破綻していることは事実なのですから、将来自分の年金で暮らせなくなる人たちは、あふれかえることになる。 そんな人たちが何を当てにすればいいのか、と言うと、働くにはもう年をとりすぎてその口もないし、となると、年金制度の恩恵をいちばん享受している親たちの年金に頼るしか、ないのです(生活保護、という方法もあるでしょうけど、それってある意味、自分の人生を捨てることと一緒ですから)。

かといってほとんどの人は、自分の親が(物理的に)腐っていくのを見ることなど、とても考えられないことだとは思うのです。 いくらその親が、その子供にとって憎悪の対象だったとしても。

だから、どうして肉親が腐敗していくのを我慢できるのか、と言うと、やはりその底流には、「何もせずに楽したい」 という気持ちが、力強く横たわっている、そう申し上げたいのです。

話はちょっと本題から離れますが、私の祖母が亡くなった時、夜通しその番をしなければならない、ということで、一晩中祖母の遺体の前にいたことがあります。

祖母をじっと見ていると、顔の両側に腐敗防止のドライアイスを施されながら、今にも 「熱い!」 と飛び起きそうに見えて仕方がありませんでした。

それに、なんとなく、祖母がかすかに動いているような気もしてくるのです。

これは死後の収縮が原因だとのちに何かで読んだのですが、そのときは、「ひょっとしてまだ生きているのではないか?」、いや、そう思いたがっている自分がいました。

でもやはり、その希望は、諦めざるを得なくなる時が来る。 映画 「おくりびと」 で自分の母親を荼毘に付すための、点火のスイッチを押さなければならない息子(杉本哲太サン)の断腸の慟哭を見て、いずれ自分もこのような覚悟をせねばならなくなる、と強く感じ、涙が止まらなかったことを覚えています。

たぶんほとんどの人は、そんな覚悟を受け入れるのですが。

それができずに肉親の腐敗を甘んじる人々、というのは、しなければならない覚悟をできなかった、人生自身の脱落者、という気がしてなりません。

その行為が年金目当てだ、ということに同情の余地はもちろんありませんが、ケースによっては、年金がなければ生活できなくなる、という事実を克服できない社会的な問題も含んでいるのではないか、そう私は感じるのです。

>でもこの遺族たちの思考回路って、引きこもりがなにもせずに楽したい、と考えるのに似ているような気がするのです。

同感です。たぶん、近隣との付き合いも断絶してますよね。

肉親が家の中で腐敗していくことについて、
申し訳ないと思う人も、ひたすら気持ちが悪いと思う人も、なにも思わない人も、いろいろいるのでしょうね。

「しなければならない覚悟をできなかった、人生自身の脱落者」
このフレーズ、キますねえ。
いろんなシーンに当てはまり、凹みますw

マイティ様
再コメント、ありがとうございます。

けっして凹まないでくださいませ(笑)。 「人生自身の脱落者」 などという人は、滅多にいるものではないです(笑)。 亡くなった身内と決別する覚悟がない、ということ以上に、リーン様ご指摘のように、亡くなった方への敬虔の念がないこととか、いろんな要因が重なっての、この表現なのです。 いろんなシーンに当てはまってしまったら、それこそ私自身が、脱落者そのものですー(笑)。

いずれにせよ、このニュースについて、もっとも意義のある議論を、この場において思いがけずさせていただいた気がいたします。 世のニュースでは、100歳以上のお年寄りを戸別訪問とか、枝葉末節の、ずれた感覚のものばかり(100歳以下ならいいのか?とか)。 もっと役所もマスコミも、物事の根本について考えろ、と言いたくなるのです。

ちょうと昨夜のNスペが
「消えた高齢者」をやってましたね。
年金受け取り詐欺ではなく、
血縁者と縁が無くなってしまって行方不明になるケース。
いろんな理由があってのことだと思うので
一概に「放りっぱなしにした血縁者が悪い!」とは言えないんですが

地方自治体や民生委員さんにも限界があるなあ…。

元気なご老人が子供を守るパトロールなどをやっていたと思うんですが、独居老人のところも訪ねたらどうでしょう。
孤独死も少なくなり、行方不明なのに気づくのも早いでしょう。
最終的には法的なことが絡んでくるので国がなんとかしないといけないのですが。

マイティ様
コメント、ありがとうございます。 返事が遅れてスミマセン。 「龍馬伝」 の記事にてこずっていたら出勤時間になってしまったため、チェックもせずに出たもので…。

いやー、Nスペ、見逃したんですよ。 見たかったなあ。 

一概に家族、などと言いますが、いろんなケースはあるんですよね。 別に仲たがいしてなくても親と疎遠になってしまっていたり、同居して愛憎の中で暮らしていたり。

行政がなんとかせよ、という話でもないとは思うのですが、年金をもらう人が生きてるか死んでるか分からない、というのは、とってもマヌケなような気がしてなりません。 性善説に立ちすぎてますよね、年金制度って。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
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  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

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  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

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    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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