« 「セカンドバージン」 第3回 あーあ、やっちゃったよ | トップページ | 「てっぱん」 第5週 居心地が、作られつつある »

2010年10月31日 (日)

「龍馬伝」 第43回 暗殺される者の価値

 龍馬が京に向かう船のなかで作成した、「船中八策」。
 これを読んだ後藤象二郎の顔色がさっと変わり、武力による討幕を強く主張していた中岡慎太郎が、涙を流して感激する。
 その船中八策が、いったいどれほどのものなのか?という興味を、じらすことで見ている側に高ぶらせる方法をドラマではとっていくのですが、現代的な視点から見てそんなに画期的とは思えないこの内容をどのようにして見せていくのか、ということが、個人的には興味の中心でありました。

 ドラマではそんな龍馬の日本の未来図が披露されるとばかり思った山内容堂公との対面が、容堂公が歯痛のため(違うか…笑)土佐に帰っちゃったので延期(笑)。
 薩摩と土佐との薩土会談の席でも披露されることがなく、イライラが募る(笑)。

 ただこの薩土会談の構図は見ていて興味深かったです。

 会談をするうえで、どちらの側もある程度の結論を有して臨むのが定石であります。 グループ内での考えがまとまらないまま相手と交渉を行なうことは、結構相手に対して失礼な感じがする。
 薩土会談で興味深かったのは、薩摩も土佐も、藩内の意見の調整が、全くなされていない、という状態だったこと(笑)。
 けれどもそんな流動的な意見が交わされる中で、西郷が大政奉還に一定の理解を示し、土佐側ももし大政奉還が拒絶されれば戦に加わる、という妥協案で、意見の一致をみる。
 こんな、スライム同士の合体みたいなオブジェクションもあるんだなー、という逆転の発想を、見たような気がいたしました。

 さて、龍馬の発案した、船中八策。
 会談を終えてようやく、龍馬から中岡に提示されるのです。

 確かに上下議会の設立とか為替レート(この時代は、金交換ですか)の適正化を目指すとか、この策の中身は当時としては目からウロコもの。
 龍馬はこの内容を中岡に語る時、武市や吉田東洋など、それまで龍馬の人生を通り過ぎて行った者たちの影響を素直に吐露していくのですが、私が感動したポイントは、実はそのあとのほうでした。

 感動のあまり涙が出てきたぞ、と語った中岡は、突然否定的なことを言い出すのです。

 「けんどの、龍馬…それは、いかんちや…。

 今の仕組みにすがっちゅう者らあは、決して認めようとはせんろう…。

 それを世に出したら、…龍馬…!

 …殺されるがぜ」

 龍馬はそれに対して、こう返答する。

 「中岡。

 命を狙われるぐらいのことをせんと、
 日本は変わらんぜよ…。
 …そうじゃろう?」

 後の世から見て当然だと思われるようなことも、言い出しっぺの人にはものすごく逆風が吹き荒れるのが、この世の常であります。
 私はこの龍馬の発言を聞きながら、「君は僕のことを夢想者だと思うだろう、けれども僕は、ひとりじゃない」 と名曲 「イマジン」 のなかで喝破したジョン・レノンのことを考えていました。
 ジョン・レノンは結局、龍馬と同じように殺された。

 マーティン・ルーサー・キングもガンジーも、ケネディも殺された。

 結局人間というものは、狭い視野の者が広い視野を持つ人間に遭うと、眩しくて仕方がないのです。
 だからその眩しさから目をそむけるために、太陽に向かって銃を乱射する。

 愚かです。

 いっぽう弥太郎は、戦を契機として商売が成立することに気付き、自ら死の商人となることを選択する。 ここに龍馬への対抗意識が潜在していることは、「龍馬伝」 での常套表現となっている感があります。

 日本を再生するために動く龍馬と、日本を破滅の道に導くことで勝機を得ようとする弥太郎。 軍事拡張化、というのは、1945年に日本を完全なる破滅に向かわせる、最初の導火線とも呼べる行為だと、私は考えるのです。

« 「セカンドバージン」 第3回 あーあ、やっちゃったよ | トップページ | 「てっぱん」 第5週 居心地が、作られつつある »

テレビ」カテゴリの記事

コメント

 今夜のドラマラッシュの前にコメントしておきたいと思います。

 船中八策を読み上げるのに、影響を受けた恩人とも言うべき盟友の名を上げていましたが、それをしてしまったら説得力を生まないような気がします。他人から又聞きした意見で納得してもらえるのだろうか。そこは、心の呟きにして欲しかった。

 弥太郎が土佐藩から自立して取引を行い、武器を密輸するわけですが、あの描き方は資料からみて果たしていいことなのか疑問です。実像とかけ離れているのでは。死の武器商人としての立場は龍馬が負っていたような気がするのですが。弥太郎が大きな声を上げてばかりなので、やや辟易しています。

 ここ数回拝見して感じるのは、やや駆け足に話を作り、暗殺を焦点にしすぎてはいないのか、ということです。いろは丸の回はもう少し長く、じっくり見たかった。歴史ものはゆっくりみたいです。
 なんとも劇画を読んでいる気分ですが、ドキュメントというのか、もう少し人物描写を滑らかにして正邪の区別を少なくして欲しい。弥太郎だけでなく徳川慶喜や松平容保だってあんなに怒っちゃいないでしょ。肖像画からは想像できないです。これはいちファンから製作者への注文です。
 
 乗りかかった『龍馬伝』という名の船、しかと見届けたいと思います。
 

 

リーン様
コメント、ありがとうございます。

私もなんかこの船中八策の内容披露の場面では、上滑り的なものを感じました。 その内容すべてがこれまでの龍馬の人生そのものの集大成、という見せ方はよかったのですが、もっとじっくりいろんな説明や回想場面を見たかったような気がいたしました。

というより、この場にこそ弥太郎が必要なのではないだろうか?という気がしてならんのです。

このドラマは、龍馬と弥太郎による 「アマデウス」 である、というコンセプトに従えば、この船中八策の先進性、進取の気風を最も効果的に演出できるのは、弥太郎の燃え上がるような嫉妬によってのみ、という気がするんですよ。

リーン様と同様に、このところ弥太郎の怒鳴りまくりには辟易している私ですが、どうせ弥太郎を死の商人に仕立て上げるまでのことをするならば、船中八策披露の場にも立ち会わせればいいだろう、という気がいたします(蛇足で申し訳ないのですが、龍馬のほうが武器商人だった、というリーン様のご指摘には、そうだったのかー、という感じでした)。 それにしても自分、…イカンイカン、どうも論理が上から目線だ(笑)。

上から目線ついでに言わせていただくと(笑)、なんか白々しかったのは、中岡が必要以上に感動しているところ。

龍馬の説明に心を動かされるまでに至っていない私にとっては(いやーな人間ですね、私も)「泣くところか?」 みたいに感じてしまいました。

このまま登場人物たちがギャーギャー言いながら龍馬暗殺になだれ込まねばいいが、という一種の危惧を抱いておるのです。

今回ばかりは残念ながらリウ様のご意見に諸手を上げて賛成とはいかないですね~。
リーン様の方も同様です。

船中八策を披露する場面ですが、確かに私も、強く感動して大いに涙腺を刺激されたのは龍馬が「命を狙われるくらいの事をしないと日本は変えられない」と言ったシーンでした。

でも、その前のシーンも私は素直に良いと思いましたよ。中岡の感動が白々しいなどとは少しも思いませんでした。
中岡が主に感動したのは書かれている内容の方であって、それが色んな人達から学んだ事や受け継いだ志の寄せ集めのようなものであったとしても(美しく表現すれば「結晶」ですね。笑)、それらを一つに纏め上げ、新しい日本のビジョンとして実現しようとしている、その事に驚き感動したのではないでしょうか?
リーン様のおっしゃる様に、オリジナルではないから説得力がないとは思えないんですが。
開けっぴろげにネタ元を明かすのもいかにも龍馬らしいと思いました。

そして、ずっとドラマを見てきた人間としては、あ~あんな事もあったな~と懐かしさを覚え、それらがここで一気に結実する、その事に単純に爽快感のようなものを覚えたのですが。
あそこであまり長い回想シーンを入れたり、くどくどと説明しすぎると、テンポが悪くなるのではないでしょか。

あと、弥太郎をここに参加させて、これ以上嫉妬の種を増やさないで欲しい。(笑)
それに、この場面を弥太郎に変えるとますます中岡さんの出番がなくなりま~す!
ここで龍馬、中岡、藤吉の3人が揃ったというのも、否応なくこれから後の運命を思い起こさせますし・・・。(泣)

すみません。思考回路の単純なミーハー視聴者が的外れな事を書いてるかもしれません。(汗)

のっぽの通行人様
コメント、ありがとうございます。

わわっ、突っ込まれてしまった!(笑)

これから仕事なので、また戻りましたら改めてコメントさせていただきますです、ハイ。

のっぽの通行人様
改めてコメントさせていただきます。

個人的には、学のない藤吉が涙を流して龍馬の描く未来像に感動している図は、なんか宗教画っぽいアプローチを感じたんですけど。

それはともかく、この藤吉、自分は学がない、と言いながら、龍馬の船中八策を聞いて涙を流して感動しまくっている。

ここ、藤吉は分かってて感動してるのかな?という気がしていたんですよ。
そしたらそれに追い打ちをかけるように、中岡がまた、感動しまくる。

このドラマで中岡の出番は、極端に少ない気がしてなりません。
そして中岡は過激討幕派である、という説明しか、このドラマのなかでは行われていない。
そんな中岡が、なぜ自分の考えも吹っ飛んでしまうほど、龍馬の船中八策に感動しているのか。 その説明が希薄なのです。 私が中岡の感動にイマイチ感情移入できない理由は、そこに原因があります。

でもまあ、白々しい、とまで書いてしまったのは、ちょっと言い過ぎでありました。 批判をしようとすると、必要以上に論理が高飛車になってしまう、という好例でありました。 ご不快を感じたかたには、お詫びを申し上げたいと思います。

まあ、弥太郎がその場におったらよかろう、などというのは、自分で言っといてナンですが(笑)、外野のただの戯言であります(笑)。

だからタワゴトとして読んでいただきたいのですが、その場に弥太郎がいたら、もっと濃いい~ドラマになったのになー、という気はするんですよ。 濃いいーのが好きなんで、自分(笑)。

船中八策の内容の一部である、為替レートの適正化、というのも、弥太郎に説明させることで、その着眼点の鋭さが、かなり鮮明に浮き彫りになる。

このドラマでは、龍馬の船中八策の発想はどこからきているのか、という疑問には答えていますが、どこがすごいのか、という説明がそれに比べれば弱い。 弥太郎だけじゃなくて、いろんな大勢の人の前で披露したなら、その着眼点のすごさが立体的に表現できる、私はそう考えるのです。

でも、ドラマを見てどのようにお感じになるかは、全く自由なんですよね!

この部分だけは声を大にして言いたいですね。

だから私のこのブログでの感想文も、他人に押し付けるつもりで書いているのでは、全くないです。 このコメント返信の内容にしても、そうです。

みんな違って、みんないい、なんですよ。

なんかオーゲサな話になってきたのでやめますけど(笑)、のっぽの通行人様のことを、私は決して単純とも思いませんし、ミーハーだとも思いませんです。

今後とも、また違った忌憚のないご意見、お待ちしております!

リウ様がおっしゃるように。。。


>みんな違って、みんないい

そうですね! 私もそんなふうに思います。

「龍馬伝」第42回のコメント欄に私は、

>第43回は初めてワクワクと胸を震わせながらみました。龍馬に託された無念の涙した人達の思いが文字となって龍馬から。。湧き出でてくる様に。。感動(T^T)

と書いたように。。。

私は、のっぽの通行人様と同様な感動を覚えたんです。船中八策のシーンで勝先生、武市さん、高杉さんのシーンが頭の中に浮かんで胸にぐっときました。

既に録画を消去してしまったので、リウ様の書評を鑑みながら、見ることが出来なくて残念ではありますが(;_;)、私なりに楽しめたこの回を私なりによしとすることとします。^^;


ギルティのコメント欄に頂いた

>いずれにせよ、ご一緒に楽しんでまいりましょう!

のお言葉の通りに ご一緒に楽しませて頂けたら、嬉しいです!!! お気遣いに感謝致しますm(_ _)m

ペコ様
コメント、ありがとうございます。

ご丁寧な返信をいただき、恐縮です。 このブログにコメントをいただくかたは、「心でドラマを見ている」 方々ばかりで、こちらも癒されてばかりです。

自分が見よう、と決めたドラマに対して、一方的に受け身になるのではなく、ときには感動して涙を流したり、時にはちょっと文句も言いたくなる。 人の人生は、どれとして全く同じものなどないのですから、感じ方は一緒でも、まったく一緒ということもあり得ないし、だからこそ世の中って、面白いんだと思うんですよ。

ただやはり、狭量さというものはできるだけ排していこう、と考えておりますので、当ブログでお気づきの点がございましたら、遠慮なくお申し付けください(なんか、業務的な文章ですネ…笑)。

 のっぽの通行人様をはじめリウ様、ならびにもしかしたら私リーンのコメントを読んでいるみなさま
少々遅れましたがコメントさせていただきます。

『龍馬伝』をごらんになっている方が、船中八策のシーンに感動したというコメントを見て正直ホッといたしました。このドラマを私が見て少し感動することが少なくなってきたので、製作チームへの不満も少々抱えておりました。でも、福田靖氏の脚本や大友啓史氏をはじめとする演出スタッフが意図した、日本を内戦から救おうとする龍馬さんのイメージをまっすぐにうけとられた方がいてよかったです。やっぱりこのスタッフは並じゃないとあらためて認識できました。

 私が橋本リウ詩集に寄らせてもらっているのは、ドラマを素直に感動している人が集っている匂いがしたからです。今クールにはいって増量したコメントをみてもその思いは変わりません。
 
 大河ドラマを見るのは、私にとっておおげさにいえば戦いです。

 自分が持っている歴史のつたない知識と、それによって私が抱いた人物のイメージ

 と

 画面から届けられるドラマの中で躍動する人物像

 これが角突きあわせてしまうと、いつも放映後半になって「それってホントかい?」と思い不満がたまることが繰り返されます。『天地人』はねえ……。
歴史上の人物は後半生になると資料が残されていることが多いので、そのストーリーは違うのでは、と思うばかりです(私は、です)。

 これから書くことは、どう書いても批判に受け取られそうですし、冷や水を浴びせることになりかねないと思います。失礼かもしれないと思いつつ、あえて自分がどんなことを考えて頭をこねくり回しているかをこれから書きたいと思います。

 〔大政奉還、中岡も知っていた?〕

 1、龍馬さんのイメージ

『竜馬がゆく』を読んでから抱いた坂本龍馬のイメージはいくつかありますが、負のイメージはこれです。

 法螺吹き(と他人に受け取られる)

 実現しそうもない誇大妄想を吹いて回る危険人物、信用ならない奴と思われかねない男というものです。私は自分のコメントでこんな一文を書かせていただきました。

 他人から又聞きした意見で納得してもらえるのだろうか。そこは、心の呟きにして欲しかった。

 実は龍馬はブレている、そんな意見をリウ様と交わしたこともありました。実現しそうもない大きなことをいう上に考えが変節する(と受け取られかねない危うさを龍馬さんはもっている)男が、種明かしをするようにこれは誰々さんからきいた意見じゃ、と付け加えれば

「偉そうにいったって結局は他人から聞きかじっただけじゃないか、お前の意見はどこにある?また考えが変わるんじゃないか?」

 そう受け取ってしまうものではないかと咄嗟にひらめいてしまいしました。言葉がもつ温もりは雛をかえすように自分の中で暖めて他人に渡したい。でも聞きかじりの言葉は信用がおけない、と偉そうに思ってしまったのです。そんな龍馬さんは立て板に水、のようなところがあるので沈思黙考タイプの私とは違いますし、比べてはいけないのですが。

 私が龍馬さんに抱く最良のイメージとは

 自分の眼でみたものを信じるジャーナリスティックな漢(おとこ)、どこでもドアを装着している神出鬼没な志士、です。

 2、慎太のイメージ

 中岡慎太郎は、もっと登場させてほしいです。弥太郎はもうええきに、はやく正岡子規に化けてくれませんか?。弥太郎を削ってでも慎太の場面を増やしてほしいですね。
 
 慎太(親しみを込めて縮めます)が龍馬から船中八策を語られて感動するシーン、私は慎太が単純に感動しないと思ってしまいました。彼は思想的には龍馬と同等かそれ以上に深いものを持っているのではないか、というのが私のイメージです。

 船中八策の第一条は

 天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷に出づべき事

 いわゆる大政奉還論ですが、ここから連なる日本国体論を聞かされて慎太は最初大いに感動しています。

 しかし、慎太は『窃に示知己論(せつにしめすちきをろんず?と読むのでしょうか。どなたかお教えください)』という著書の中で、

 徳川を助けるためには政権を朝廷に返上し……
          
  参考文献 『龍馬100問』(双葉社刊)P178より

 と龍馬が大政奉還論を言うより早く言い出しているようなのです(慎太の本を買ってでも調べたかったのですがすみません。論拠薄くて恥ずかしいです)。その後、武力倒幕に傾くようですが、大政奉還論を知識として知っている男があんな単純な喜び方をしないと決めつけてしまいました。すこし思慮が足らなかったかもしれません。でも勝手に慎太のために言わせてもらえば、あそこは感動するより自分の政治論を開陳して龍馬と丁々発止のやりとりがあってもいいのでは?(ドラマの流れを無視しているような気がしますが)
 慎太は龍馬と対等であってほしいです。陸援隊をつくるほどの人物ですから。

 慎太が残した笑顔の肖像写真、とにかく好きなんですよ。見たことない方がいらしたらぜひ見て欲しいです。

 
 理論武装してこねくり回した文章を書いてしまいました。不快に感じられるところもあるかもしれませんが、ご容赦ください。
『龍馬伝』のコメントを書くのは、自分にとってしんどいところがあります。ドラマとしてフィクションを楽しむ気になれず実際はどうなのか気になってしまいます。あら捜ししているみたいで嫌ですね。
 でも、ドラマに素直に感動できる方のコメントを読むのを楽しみにしています。感動した人が勝ちです。

 


 

リーン様
コメント、ありがとうございます。

自ら良しとして出した意見に対して異論が出るのは、結構精神的なプレッシャーになるものですよね。 このブログを立ち上げてから何度かそういった反論コメントを受け取った私は、精神的に結構ヤワなので、最初のうちはかなり凹みました(笑)。 お察し申し上げます。

こうした場は、面と顔を突き合わせていないからこそ、余計に論理が突き刺さってくるものがあります(のっぽの通行人様のコメントは、とてもこちらの気持ちも理解したうえでの、きちんとしたご意見だったことは、ここで強く断言しておきたいのですが)。

それがネットというものなのでしょうが、そうしたコミュニケーションに慣れていなかったアナログバリバリ(笑)の私は、ネット社会に適合しない人間なのかもしれません。

ですからなるたけ、他人を傷つけるようなことは書くまい、と考えているのですが、批判的な文章を書いてしまうと、きっとどこかに、それを読んで傷ついている人が、出てきてしまうものなのです。

前置き長くなってしまいましたが、リーン様のコメントの内容に返信させていただきます。

リーン様の知識は、私なんかよりもはるかに膨大な量であります。
そうした場合、大河ドラマなんかを見ていると、ぼろが見えてしょうがないものです。 現に多くの龍馬信奉者、幕末ファンの方々が、このドラマに対してかなりの辛辣な批判を加えています。 歴史上の人物は、ひとりたりとも疎かにしてはならない、という大河ドラマ作りの難しさを、私などは感じているのです。
リーン様はそれにもかかわらず、きちんと 「ドラマはドラマ」 として、割り切ってご覧になっている。 懐の大きさを、私などは感じます。

ただ単に 「エンターテイメント」 として割り切ってしまうのは、こと大河に関しては違う気もいたしますが、どこまで見る側を感動させることができるのか、という点に、その問題は収束している気がいたしますね。

そうした点からも、今回の中岡の感動に感情移入できなかったのは、中岡の出番が少ないからだ、という要因を、先の返信にも書かせていただきました。 リーン様も同様にお考えのようですネ。

ただ弥太郎の出番削減、というのはしなくてもいーような気も…

と言うのも、このドラマの生命線は、やはり龍馬と弥太郎の 「アマデウス」 だからだ、と思うからです。

だからこそ、弥太郎が第四部に入って 「ゴーマンかましてよかですか」 の度が高まっている(笑)のが、個人的にはとても気になるのです。 嫉妬の炎を燃やすのは共感できますが、喚き立てて自分の正当性を押し通すのには、共感できんのであります。

私の場合あまり知識が豊富なわけではないので、ただドラマとしての整合性にばかり目を向けていますが、「このところギャーギャーうるさいな」、と私が感じる原因となるところを、ちょっと書いてみました。

けれどもそのいっぽうで、第三部あたりではうるさかったように思えた龍馬が、第四部では結構静かな演技をしている。 そのことによって龍馬の存在感がさらに巨大になっていることを、少なくとも私は実感しているのです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「龍馬伝」 第43回 暗殺される者の価値:

« 「セカンドバージン」 第3回 あーあ、やっちゃったよ | トップページ | 「てっぱん」 第5週 居心地が、作られつつある »

2019年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

無料ブログはココログ