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2010年10月 2日 (土)

土曜ドラマ 「チャンス」 第5回、第6回(最終回) 心に残る 「ダニー・ボーイ」

 金融と競馬のふたつの世界を描いた(最後まで、おんなじ出だしでスイマセン)NHK土曜ドラマ、「チャンス」。

 このドラマ、主演の藤原紀香サン、敵役の市川亀治郎サンの熱演は確かに光っていました。

 特に最終回の、長時間に及ぶ英語でのプレゼン。 ここまで長い全編英語ゼリフのシーンなど、私はじめて見ました。
 これがもしカンニングペーパーもなかったとすると、実に驚異的です(実情はどうなんでしょうか?)。
 おふたりがプレゼンでしゃべっている内容は、モンゴルのインフラ整備についてで、実に難解な英語が多用されるもの。 私だったら、一行か二行くらいしか覚えられまっせん!(笑)
 亀治郎サンの英語は、アクセントを強調した 「歌舞伎チック」(笑)な英語、紀香サンのほうはネイティヴで実におじょうずな英語でした。 ちょっと、これをカンペなし、というのは、考えられないっス。

 ただ熱演が光るわりには、心に残らない。

 なぜかというと、物語がどことなく上っ面をなでている感じで、ドラマに必要不可欠な、人間のぶつかり合いによっておこる意外性の昇華、というものが希薄なのです。
 このドラマを見ていて感じるのは、意外性、という側面が全くない、ということ。
 まるで最初からこうなるのは分かっていた、とでも言えるようなことしか起こらない。
 予定調和が、役者の熱演を阻害している感じがするのです。

 そんななかで、「予定調和だろうが心に残る演技はできる」 という実証を示してくれたのが、チャンス号の調教師木川を演じた、宇津井健サンでした。

 彼は自らの命が残り少ないことを知りながら、チャンス号に自らのすべてを注ぎ込む。
 そんな彼がチャンスに頬ずりしながらよく口ずさむのが、「ダニー・ボーイ」。
 自らの余命を馬と一緒にいることの喜びと共に生きようとする、なんとも言えない 「人生の落日の美しさ」 に満ちた映像でした。 その情景を思い出すだけで、なんだか泣けてくるのです。 チャンスが菊花賞に敗れた直後、厩舎で木川は倒れます。

 そのまま亡くなった木川ですが、最終回、有馬記念の最終コーナーで、「今だ!」 という木川の声を、紀香サンは一瞬聞くのです。 その瞬間、その木川の声が届いたかのように、チャンスに鞭を入れる、桜田騎手(瀬川亮サン)。 涙がじわっとあふれました。

 たとえその場にいなくても、この幻聴にも似たひと声で、見る側の気持ちをさらって行ってしまう。 これこそが、本物の役者、記憶に残る役者の演技、というものではないでしょうか。

 「プロというものは、体だけでもダメ、いちばん大切なのは、『折れない心』 じゃないかと、私は思いますよ。
 馬も騎手も、プロだったら必ずケガや失敗もある。
 その時どれだけ、心を強く保てるか」

 プロだったら、脚本や演出家のせいにしてはいけない、ここで心を折ることなく、自分の演技以上のものを出し切り全うせよ、という宇津井サンの気持ちが、このセリフから感じ取れる気がするのです。 本当に愛おしそうに、残りの時間を惜しむように、馬に頬ずりしていた木川。 どんな上っ面なフィクションでも、見る側はそんな姿に思わず涙してしまうのです。

 それにしてもこの、架空 「有馬記念」。
 杉本清サンが実況、というのも臨場感がやたらと高まりましたし(杉本サンはこの手の架空実況をよくやっている気がしますが)、レースの見せ方にも、手に汗握るものがありました。 もっとしつこくやってほしかった気さえします。 特にファンドビジネスの展開がステレオタイプチックだったので、そっちをやるよりこっちだろ(笑)っつー感じだったんですけど。

 臨場感、という点では、モンゴルでの紀香サンのインフラ取材も、なんかドキュメンタリータッチでやたらとリアルでした。 こうした 「演技してない声」「演技しないセリフ」 って、ドラマの中で展開されると面白いものがあるなあ、なんて感じました。

 ファンドビジネスサイドでは、想定内、と言わんかの如く、腹心の裏切りに合い、逮捕失脚していく亀治郎サン。 9.11のときにかけがえのない友人を失った、という告白によって、彼が道を踏み外したきっかけというものが提示されたのですが、やはり突っ込み不足の感は否めない。 亀治郎サンの気持ちの掘り下げや葛藤をもっと見せれば、こちらサイドの話はもっと締まった気はするのですが。

 ただそんな想定内だらけのドラマの中で、作り手の言いたいことは伝わった気がします。
 先ほどの 「折れない心」 のテーマもそうですが、「今ここにあるチャンス」 を逃さない、という紀香サンの姿勢を加賀まりこサンが指摘し、菊花賞の出走を渋る宇津井サンが決断する、という場面もそうでした。
 失敗を恐れて委縮しているいまの世の中に、「もっとアグレッシヴに生きよ」「チャンスを逃すな」 というメッセージを、絶えずこのドラマは発信していた気はするのです。

 それに、短い回数で上っ面っぽい話のわりには、役者さんたちはひとり残らず自分のポジションを演じ切った、と言えるのではないでしょうか。 特に紀香サンは、改善の余地がじゅうぶんある演技なのですが、将来それが克服できたときは、凄い役者に大化けするかもしれない、そう感じます。
 まあ彼女が、役者の仕事を終の棲家と考えるかどうかに、かかっているんですけどね。

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コメント

 リーンです。

 やはり、あっさりした気分が残りますね。ストーリー優先で作ってしまった弊害が残ってしまい、人物の掘り下げが成功していない気がします。

 最終回に入ったところで宇津井さんが亡くなってしまいました。私は有馬記念まで生きていて欲しかったのですが。8大競争を制することができなかった無念さを有馬ではらすように展開して欲しかったのですが。もうひとつ、優勝してからインタビューで騎手が先生に感謝を述べていましたが、北海道のことはどう思っていたのかな、と心情として疑問に思います。

 チャンスを菊花賞に出走させますが、紀香さんが宇津井さんのためを思ってのことなのですが、話をなぞっているようにしか思えないので共感を持って寄り添えない恨みがあります。それに、牝馬が牡馬中心のG1に出走させるのはサラブレットを壊してしまう気がします。競馬の知識が邪魔してドラマに集中できない、もどかしいです。

 紀香さんが役者として大成するには、実は演技がうまくなること以外のことが大事だと思います。テレビに出ることを自主的に制限すること。NHKのエコチャンネルやK-1に出ていますが、彼女ほど存在が大きくなればいろんなところで映像を目にすることになります。ドラマを見る上では視聴者に(少なくとも私は)とって邪魔になります。映像が潜在的に及ぼす力を考えたほうがよいのでは。今のままでは、演技がうまくなっても(このドラマの演技も)評価されないのではないでしょうか。

 最後に、MVPはギルデットエージ号にあげます。

投稿: リーン | 2010年10月 8日 (金) 20時01分

リーン様
コメント、ありがとうございます。

宇津井サン演じる木川が亡くなってしまうのは、短い回数のドラマでインパクトを演出する方法のひとつだったのでしょう。 牡馬中心のレースに牝馬が出馬したという点では、ウオッカを思い起こさせますが、競馬にあまり詳しいわけではないので、ここではちょっとゴニョゴニョ…(笑)。 それでも感じるのは、やはりそうしたレースに牝馬を出走させることにどれだけリスクがあるのかとか、もっと突っ込んでもらいたかったなーという感じでしょうか。

リーン様ご指摘のように、紀香サンの演技には、「なんだってチャレンジしているアタシの仕事の一環」 という感覚が、常についてまわっている気がします。 まあ、一芸以外でさまざまなジャンルに挑戦している役者さんは、ほかにも大勢いるのですが。 今回気になったのは、やはりキャリアウーマンとしての演技に、鼻もちならない部分を発散させてしまっていた、という点でしょうか。 「ギネ」 で優秀な女医を演じていたときにも感じたのですが、自分のカッコよさを表現する手段において、この人はちょっと損をしているかなー、という感じがします。 その点で、「チャンス」 の最初の部分で、ノーメイクで号泣の演技をした紀香サンに、大きな可能性を私などは感じます。 こういう、カッコつけでない、裸の演技を、見る側は待っているんだと思うんですよ。

投稿: リウ | 2010年10月 9日 (土) 08時40分

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