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2010年10月

2010年10月31日 (日)

「てっぱん」 第5週 居心地が、作られつつある

 「ゲゲゲの女房」 の余波にさらされ続けているようなこのドラマですが、結構 「居心地の良さ」 が、形成されつつあるように思われます。

 今週の 「てっぱん」 を見ていて、今後の興味を引っ張ってくれそうに思えるのは、初音(富司純子サン)がいつ、伝さん(竜雷太サン)に 「操を立てた」 と言わしめるほどのお好み焼きをふたたび作ってくれるのか、という点に尽きる。

 その期待は早くも今週後半、あかり(瀧本美織チャン)が働くかつおぶし屋のトラブル解決のために開いた川中美幸サンの 「仮」 送別会の場で実現するか、に見えたのですが、トロンボーンに夢中な 「ボン」 社長(趙珉和サン)の 「焼いてる途中でかつおぶし大量投入」 攻撃の憂き目に遭い(笑)、見るも無残なお好み焼きとなり果てたのでした(笑)。

 ただしそのお好み焼き。

 川中美幸サンがこのかつおぶし屋 「浜勝」 に来るきっかけとなった、ボンの作った昔そのままの味だったのです。
 見る間に目に涙がたまっていく川中サン。
 そしてその場にいた初音の下宿人たちに非難されながら焼き上がっていくお好み焼きが巻き起こす笑い。
 この 「泣き笑い」 を強要してくる展開には、うなるものがあります。
 この秋の新ドラマをいろいろ見ている者にとってみれば、このドラマの物語構築の仕方は、決して劣っていないし、逆に上位にランクするくらいのものを持ち合わせている、そう感じるのです。

 結局その無残なお好み焼きが取り持って、社長も川中サンも会社を辞めずに済んだのです。

 あかりは初月給で初音に 「笑い袋」 をプレゼントするのですが、これが今週のキーアイテム。
 「笑ってほしい」 というあかりの願望が、そのまま今週のドラマを貫くテーマとなっている。
 結局、社長も川中サンに笑ってほしかったのですし、初音は笑わないけれども、伝さんに 「表情が柔和になった」 と指摘される。

 かつおぶし見学の小学生たちのためにあかりが作った 「だし巻き玉子」 をめぐる話も、なかなかよかったです。

 あかりは初音にその作り方を伝授してもらおうとするのですが、初音はうるさがって取り合おうとしない。
 その代わり初音は、暇を見てそのレシピをせっせと書き、それをあかりに渡そうとするのですが、その時すでにあかりは母親(安田成美サン)にその作り方を教えてもらっている。
 自分が書いたレシピを隠しながら、それを折り紙にして物入れにしてしまう初音。

 そしてあかりが作った 「母親の」 だし巻き卵を試食してみて 「これを子供らに出すんかいな?」 と訊く初音。
 案の定そのだし巻き卵、社会科見学に来た子供には不評だったのですが、冷めたらちょっとしょっぱく感じるだろうと思った、と話す初音に、「どうして教えてくれなかったの?」 と詰め寄るあかり。

 初音はこう答えるのです。

 「尾道のお母さんの味なんやろ?

 あんたが子供の時からの、大好きな味や。

 そういうもんに、誰が文句言えますのん?

 あの時、『もうちょっと薄味にしたほうがええんちゃうか』 言うたとしてもあんた聞いたか?

 『うちのお母さんの味に文句言うな』 って怒ったん違うか?

 …それでええ。

 意地でも変えられん。
 それが味やし…想い出や」

 ここらへん、食べ物屋を出していた初音の一家言が隠されている。 自分が曲げることのできない味がある…それは自分の生きてきた記憶、人生そのものなのだ、という視点です。

 そしてこのドラマでは、「トランペット」 と 「お好み焼き」 というふたつの要素が、あかりの実の母親、千春の思いと密接に結びついているように感じるのです。

 あかりは今週前半に作った広島風のお好み焼きを、自分の記憶のなかに存在している、自分の人生の味としているわけですよね。

 でもそれは、千春が生まれ育った大阪のお好み焼きの味ではない。

 千春は天国でそんなあかりの姿を見ながら、母親の記憶も娘に分けてあげたくて、初音とあかりを引き合わせているのかもしれない。
 エライ深読みでスミマセンが、どうも私には 「天国の千春の思い」 まで先回りして涙してしまうような早とちりな部分もあるようです(笑)。

「てっぱん」 に関する当ブログのほかの記事
第1回 名作の後番組は、ハードルきついですよね
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/1-8eb5.html
第1週 どこまで、ついていけますかね?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-c996.html
第2週 相変わらず、ゴーインな脚本ですがhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-69b4.html
第3週 物語が、駆け出したhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/3-ed2e.html
第4週 ちょっとキツイかもhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/4-0d8a.html

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「龍馬伝」 第43回 暗殺される者の価値

 龍馬が京に向かう船のなかで作成した、「船中八策」。
 これを読んだ後藤象二郎の顔色がさっと変わり、武力による討幕を強く主張していた中岡慎太郎が、涙を流して感激する。
 その船中八策が、いったいどれほどのものなのか?という興味を、じらすことで見ている側に高ぶらせる方法をドラマではとっていくのですが、現代的な視点から見てそんなに画期的とは思えないこの内容をどのようにして見せていくのか、ということが、個人的には興味の中心でありました。

 ドラマではそんな龍馬の日本の未来図が披露されるとばかり思った山内容堂公との対面が、容堂公が歯痛のため(違うか…笑)土佐に帰っちゃったので延期(笑)。
 薩摩と土佐との薩土会談の席でも披露されることがなく、イライラが募る(笑)。

 ただこの薩土会談の構図は見ていて興味深かったです。

 会談をするうえで、どちらの側もある程度の結論を有して臨むのが定石であります。 グループ内での考えがまとまらないまま相手と交渉を行なうことは、結構相手に対して失礼な感じがする。
 薩土会談で興味深かったのは、薩摩も土佐も、藩内の意見の調整が、全くなされていない、という状態だったこと(笑)。
 けれどもそんな流動的な意見が交わされる中で、西郷が大政奉還に一定の理解を示し、土佐側ももし大政奉還が拒絶されれば戦に加わる、という妥協案で、意見の一致をみる。
 こんな、スライム同士の合体みたいなオブジェクションもあるんだなー、という逆転の発想を、見たような気がいたしました。

 さて、龍馬の発案した、船中八策。
 会談を終えてようやく、龍馬から中岡に提示されるのです。

 確かに上下議会の設立とか為替レート(この時代は、金交換ですか)の適正化を目指すとか、この策の中身は当時としては目からウロコもの。
 龍馬はこの内容を中岡に語る時、武市や吉田東洋など、それまで龍馬の人生を通り過ぎて行った者たちの影響を素直に吐露していくのですが、私が感動したポイントは、実はそのあとのほうでした。

 感動のあまり涙が出てきたぞ、と語った中岡は、突然否定的なことを言い出すのです。

 「けんどの、龍馬…それは、いかんちや…。

 今の仕組みにすがっちゅう者らあは、決して認めようとはせんろう…。

 それを世に出したら、…龍馬…!

 …殺されるがぜ」

 龍馬はそれに対して、こう返答する。

 「中岡。

 命を狙われるぐらいのことをせんと、
 日本は変わらんぜよ…。
 …そうじゃろう?」

 後の世から見て当然だと思われるようなことも、言い出しっぺの人にはものすごく逆風が吹き荒れるのが、この世の常であります。
 私はこの龍馬の発言を聞きながら、「君は僕のことを夢想者だと思うだろう、けれども僕は、ひとりじゃない」 と名曲 「イマジン」 のなかで喝破したジョン・レノンのことを考えていました。
 ジョン・レノンは結局、龍馬と同じように殺された。

 マーティン・ルーサー・キングもガンジーも、ケネディも殺された。

 結局人間というものは、狭い視野の者が広い視野を持つ人間に遭うと、眩しくて仕方がないのです。
 だからその眩しさから目をそむけるために、太陽に向かって銃を乱射する。

 愚かです。

 いっぽう弥太郎は、戦を契機として商売が成立することに気付き、自ら死の商人となることを選択する。 ここに龍馬への対抗意識が潜在していることは、「龍馬伝」 での常套表現となっている感があります。

 日本を再生するために動く龍馬と、日本を破滅の道に導くことで勝機を得ようとする弥太郎。 軍事拡張化、というのは、1945年に日本を完全なる破滅に向かわせる、最初の導火線とも呼べる行為だと、私は考えるのです。

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「セカンドバージン」 第3回 あーあ、やっちゃったよ

 シンガポールで中国人映画監督の取材をしていた中村るい(鈴木京香サン)の泊まるホテルの一室にいきなり鈴木行(長谷川博己サン)が現れる。 ぐーぜんらしいですけど、なんとなく確信犯的な部分も感じる、鈴木行の行動(シャレじゃないです)。

 るいはホテルのバーで行と話をするのですが、果敢にアタックをする行にるいは、「あなたの前で服を脱ぐ気はない。 結婚生活と恋愛を器用に使い分ける人も好きじゃないから。 17歳も年下の男の都合のいい女になるなんて、私の誇りが許さないから」 ときっぱり拒絶を表明する。

 自分の部屋に戻り、靴を脱いでベッドに横たわり、モヤモヤした気持ちを募らせるるい。
 そのナマ脚が、なんとも艶めかしく、実に品のあるエロチシズムを漂わせておるのです。

 その時るいは中国人映画監督からアポイントを受け、決裂していたインタビューの続きが実現するのです。

 その会見の席で中国人監督はるいに、こう話します。

 「セックスは、不自由さの象徴だ。
 人間はみな不器用で、セックスは、みじめで情けない。
 でも、だからこそ、限りなく美しく、切ない。

 人間を描くのに、性的表現は不可欠だと思う」

 深いです。

 そして 「君にも愛する人はいるだろう? どんなに不自由でも、真実を追い求めてくれ」 とエールを送る監督。
 るいはそのことによって、自らのハートに火をつけられるのです。

 ここでるいの気持ちを左右させる小道具として、るいの好きな 「ウォッカ&ソーダ」 が2度使われる。

 ホテルのバーで行と会った時にるいが頼んだウォッカ&ソーダ、店側の間違いでバーボンが運ばれてきます。
 それはるいの嫌いな酒。
 自分の気持ちを抑えつけながら行の気持ちをシャット・アウトするるいの心情をまるで象徴しているかのようでした。

 そして中国人監督との席でるいが頼んだウォッカ&ソーダ、会見が成功裏に終わったことを象徴するかのように、ちゃんと頼んだものが出てくる。

 頼んだものがちゃんと出てくる、というのは当たり前のことなのですが、ここでるいのモヤモヤした気持ちは思わずすっきりしてしまい、行との恋に生きよう、とする気持ちが後押しされるのです。 この対比による効果は見事。

 その結果、監督の 「真実を追い求めてくれ」 というエールは、るいの心の底に秘められていた炎を燃え上がらせる、導火線となったのです。

 行の部屋を訪ねるるい。

 しかし、行は留守。

 るいが行に会いたい気持ちが、ここでまた一段と高まった時、行はちょうど戻ってくる。

 堰を切ったように行に近付く、るい。

 そのまま一気にベッドまで。

 あややーっ、やってしまいました、NHK!(笑)

 民放ではさして驚きもしない場面なのですが。

 文学的な描写があるでもなく、直截な表現も控えめだと言うのに、なんなんでしょう、このエロチックさは。

 こうしたセックス描写は、近ごろとんとお目にかからない表現だからこそ、かえって官能的なのです。
 ネットを見れば過激なモノがまかり通り、逆にむかし過激だったテレビでは、いまではたかだか水着の女性が出たくらいで大騒ぎするようなエセ純情さを撒き散らしている。
 以前にも指摘したことがあるのですが、エロ表現において昨今のテレビは、全く牙を抜かれてしまったと個人的には感じていました。

 そんなお行儀のいい現代のテレビは、性的表現も、例えば波がザッパーン!とか、機関車がピーーーッ!とか、じょーだんみたいなことまでやりかねない弱腰だとばかり思っていたのですが、NHKでここまでやる、ということ自体、衝撃的。 テレビ人としての気骨さえ感じる(オーゲサ?)。

 一夜を過ごしてしまったあとの京香サンと長谷川サン。

 シンガポールの街中を完全ラブラブモード突入のままフィーバーを連発…じゃなかった(笑)、とある盲人手相占いの館に入るのですが、ここでドラマの作り手は、変な日本語とあやしい英語を使い分ける占い師(笑)に、結構このドラマの行く末を暗示させるような占いをさせるのです。
 大石静サン、なんか久々に冴えまくってるなー。

 占いの内容は、るいは3年後に社長になり、行は外国にいること自体が凶になる、というもの。 この占い通りにドラマが進行していくとすると、ふたりの恋は必然的に破局に向かっていくことになる。 だのにふたりは全くこの占いを信じていない。 この構図はうなります。

 シンガポールから帰ってきてから、今回のこのドラマはそんな官能的な表現から、一気に笑える話になっていく。 この転換の仕方も、大石サン、冴えてます。

 まずかねてより女性ホルモンが低下していたるいは帰国後の定期検診の結果、××のおかげでホルモン量が回復している。 なんか…、笑えます。

 そしてるいの息子の恋人役で出てきたYOUサン。

 この人が結構いいヒトなんですよ。

 料理はうまいし、るいよりちょっとばかり年下なのに、肩肘張って生きていないし、妙に達観しているところがあるし。 だからこそ、るいのギスギスした気持ちを受け止める容量というものが存在している気がするのです。

 ここで亮と同じような女が出てきたら、きっとますます救いのない話になっていたでしょうね。 YOUサンの実際の度量の広さがそのまま役どころに現れているような気がして、これは名キャスティングです。

 またるいの息子の亮(綾野剛サン)が、ダメ息子のキャラはそのままなんですが、「あなたは彼女のヒモなの?」 とるいからキツイ一発を食らっても、「うーん…ヒモっていうよか、癒しグッズ?」 とか(笑)、「この女がカコイチ(過去でいちばん、の意…笑)好きだから」 とか、キマジメ女のるいを呆れさせる構図が、また可笑しいんですよ。

 そして最大の笑わせどころは、行の嫁さん、深田恭子チャン。

 行があまりにも××を拒絶するので、業を煮やした深キョンはるいに頼んで、行に××してもらうよう説得させようとするんですよ。
 その経過のなかで、行とるいとは真向いに住んでいて、奥さんが深キョンだったことも一気にバレまくり(笑)。

 あーあ、会っちゃったよ(笑)。

 大きなショックを受けるるい。
 亮とYOUサンが下の階で仲良くしゃべっているその時、上の階の自分の部屋で、真っ暗な中ひとり苦悶にゆがんだ表情をしながら泣いてしまうのです。
 またこの上と下との対比が、うならせるんですよ。 大石サンの傑作を、久しぶりに見ている気がします。

 で、行とるいとが仕事上のパートナーだということを知った深キョンは、今度はいきなりるいの会社まで来て、行と××させるように話してくれとまたまた押しまくる(笑)。
 おバカ丸出し、なのであります(笑)。
 「子供が出来なきゃ、行と結婚した気がしない」 という深キョンの気持ちは分かるのですが、ちょっと足りないんですね、何かが(笑)。

 「あの人、病気だと思いません?」、といきなり行のことをるいに尋ねる深キョン(笑)。
 「おっしゃっている意味が分かりません…」 と、るいが戸惑うのもとーぜんですが、「だってそういうとき(××の時…笑)に、体位を変えないんです」

 …ブッ(笑)。

 笑わせすぎです、深キョン。

 しかもそれに対する京香サンの心の声が、また爆笑もので。

 「(体位、変えてたけど…)」

 「うぬぼれ刑事」 以来、ドラマを見て大爆笑しました。

 なんか、ハマってきたぞー、このドラマ(笑)。
 行は 「バカ妻」 深キョンとの離婚を決意、するんですけど…。 どーなるんでしょーか、深キョン結構、アグレッシヴだし…(笑)。

「セカンドバージン」 に関する当ブログほかの記事

第1回 セレブの恋愛に、興味なし…ですけど
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-5dd1.html
第2回 冒険してもいい頃? http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-ded4.html

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2010年10月30日 (土)

野沢那智サン死去…ショックです

 野沢那智サンがお亡くなりになったそうです。 72歳。

 ショック。

 アラン・ドロンの吹き替え、という代名詞が野沢サンの場合真っ先に思い浮かぶのですが、よく考えてみると、「ブーメランのように」 くらいしか見たことがない。 アラン・ドロンの映画、というのは、私なんかの年代には 「太陽がいっぱい」 と 「レッド・サン」 くらいしか馴染みがないんですよ、正直言って。 そのうち 「太陽がいっぱい」 を初めて見たのは教育テレビの日曜日にやってた名画劇場で、字幕でしたから。

 私にとって野沢那智サンというのは、それこそ数え切れないほどの 「アラン・ドロン以外」 の声優さんとしてなんですが、いちばんなじみ深いのは、ラジオのお仕事でした。

 白石冬美サンとの「那智チャココンビ」 はパックインミュージックのころは聞いたことがなかったのですが、文化放送で 「ハッピーフレンズ」「いう気リンリン」 のころは通勤の帰りに車でよく聞いていたものです。

 ラジオを聴いていて思っていたのは、この人は結構気難しい面がある、ということでした。
 というか、自分の仕事に対して厳しい。
 そしてそんなところがまたこの人の大きな魅力だったのです。
 姪の野沢直子サンに対する態度も、最初のころはあまりいい感じを持っていなかったようですが、徐々にその感情が緩和されていくのを、ラジオを聞きながら感じていました。 おそらく彼女の頑張りを認めていったのでしょう。

 「いう気リンリン」 で印象的だったのは、自分が過去にやってきた仕事を集めている、という話でした。

 声優という仕事は結構記録が残らないお仕事らしくて、自分が過去にやったアフレコの仕事がまるで手元にないことに愕然とした野沢サンは、ラジオのリスナーに向かって、自分の出演された映画などがあったら送ってほしい、みたいなことを言っていたのを、ヤケに覚えているのです。

 野沢サンの仕事で一番印象的だったのは、「ダイ・ハード」 のブルース・ウィリスです。 ほかの声優さんじゃ全く駄目だったなあ。 奇しくも今日 「ダイ・ハード4.0」 が放映されるみたいですが、野沢サンの吹き替えなのかなあ(違ったみたいです)。
 「チキチキマシン猛レース」 のナレーションも特に印象的。
 アル・パチーノもそうでしたね。 「ゴッドファーザー」。
 「コブラ」 なんかもあったなあ。
 あ、C3P-O! 野沢サンしかいませんよね!

 「超」 のつくヘビースモーカーで、お亡くなりになった原因も肺がんだとか。

 残念です。
 ご冥福をお祈り申し上げます。

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「ギルティ 悪魔と契約した女」 第3回 あーあ、やっちゃった

 どうも第1回目から見ていないせいで上っ面気味な記事になってしまいますが、とりあえずエラソーに知ったかぶり的に書かせていただきます(笑)。 ネタバレしまくりはいつものとーりです(笑)。

 コメントをくださる方々の 「一線を越えてしまった」 との情報に、ひょっとして菅野美穂チャンは美山加恋チャンの心臓手術を阻止してしまったのか?という不安を抱きながら見ていたのですが、「殺された」 のは加恋チャンの父親役、石丸謙二郎サン。 と言っても、「一線を越えた」 とまではいかないような気も…。

 ドラマの描写を見る限りでは、石丸サンが死んだ直接の原因は、美穂チャンが 「飲め」 と命令した薬品を飲むことを彼が拒絶し、地面に叩きつけたことによって起きた、その気化した薬品の成分によるものと思われます。 これって私の見ていなかった第1話でふたりの人物が自殺に追い込まれたのと、構造的には似ている気がしたんですけど…。 いや、第1回目を見てないからなあ、下手なことは言えない…(笑)。

 美穂チャンが石丸サンを脅す道具として持っていたのが、加恋チャンに移植されるはずだった心臓。 でも本当は、肉屋の店員が自慢するほど新鮮な(笑)「ブタのハツ」。 ドラマでは本物の移植される心臓をいかにも美穂チャンが横取りしたように見せかけていましたけど、「いや、それはないな」 と踏んでいたせいか(我ながらいやーなドラマの見方をしとると感じます…笑)、石丸サンが勝手に先走って心臓バクバクいわせてる、という感じがしたのです。

 で、「飲め」 と言われてその気になって…じゃなかった(笑)、あ、いやそーだった(おちゃらけ気味な表現で誠に申し訳ないです)その気になって石丸サンが飲んでしまうのか…?というと、やはり彼はそれしきのことで服毒などしないだろう、と思ったんですよ(ますますいやーなドラマの見方をしていると痛感いたします)。

 なにしろ私が見た限り、石丸サンはどこまでも自分大事な人物。 加恋チャンへの愛情も、実は自分かわいさの裏返しでもある、そう感じたのです。 心臓移植を怖がる加恋チャンに、凄んで無理やり言うことを聞かせましたよね。 それに肝心の手術当日、「どーせ自分がいてもいなくても一緒」 などと秘書にぬかして、手術なんか二の次三の次。

 そんな石丸サンが娘の命のために自分の命を犠牲にする、などとは到底考えられないのです。
 美穂チャンもそこんところはじゅうぶん承知していたんじゃないでしょうか。

 美穂チャンがどこまで石丸サンの行動を予測していたのかは分からないです。 ただその薬品は、気化しても毒性が強いものだった、と仮に想定いたしますと、それが充満しやすい電話ボックスのなかに彼女が石丸サンを追い込んだのも、美穂チャンの想定内、予定通りだった気はするのです。

 となると、未必の故意(そうなることがじゅうぶん分かっていながらそれを強要した、という意味でしょうか)、ということになるのですが、このレベルって、飛び降り自殺やホームでの服毒と同じレベルのような気がするんですね。 あーでも、ヘタなことは書かないほうがいいかも…(笑)。

 私がこの回興味深く見たのは、やはり美穂チャンの 「ぶりっ子モード」(笑)。

 真島(玉木宏サン)が美穂チャンのことをもっと知りたい、という刑事の習性で近づいてきているのを、果敢に恋愛アタックされていると勘違いして意識しまくりの図は、見ていて相当面白かったです。 「ぶりっ子しすぎ」 つー感じもいたしますが(笑)。 その純情ぶりが、とても眩しいんですよ。 ひょっとして彼女はそんな自分と悪魔の自分とを、両方楽しんで演じているんじゃないでしょうか。

 私が強く感じるのは、美穂チャン演じる野上芽衣子という女性が、「天使」 にせよ 「悪魔」 にせよ、そうして自分の人生全部を 「演じて」 やり過ごそうとしている点です。

 だからこそ石丸サンを間接的に殺してしまった後の彼女の慟哭が、とてもリアルに思えてくる。

 同じように 「自分を演じている」 ことを強く感じさせるのが、唐沢寿明サン演じる鬼太郎…じゃなくって(笑)フリージャーナリストの堂島。

 この男、完璧に 「人の不幸は蜜の味、真実なんかどーだっていい」 タイプのエセ記者なのですが、今回石丸サンの遺体をそれこそ興味本位丸出しでカメラでパシャパシャやったあと、ちょっと見せた厳しい表情に、何か重たいものを抱えていることを予感させるのです。

 それにしても玉木サン、美穂チャンに対して確信犯的なことしまくりじゃないっスか?(笑)
 自分の部屋に女性を呼ぶ、もうこの時点で美穂チャンは意識しまくりなのですが(笑)、なんか食ってくか、でカップラーメン(笑)、いきなり手は握るわ(笑)。 しかもこれが男性の生理状態全くなし、玉木サンは美穂チャンを捜査対象者としてしか見ていないんですからね(笑)。 罪づくりすぎ、とゆーか(笑)。 手を握られた美穂チャンは玉木サンをガチョーンと一発ぶん殴ってほしかったなあ…。

 それをやったら 「のだめ」 まんまなんですが…(笑)。

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2010年10月28日 (木)

「黄金の豚」 第2回 デフォルメの方法論

 ドラマが多すぎて視聴が追いつけません(笑)。 どうして夏ドラマに、これらの良品をいくらかでもまわせなかったのでしょうか。 上島竜平サンじゃないけど、「殺す気か!」 と言いたくなります(笑)。 このところドラマの視聴とその感想文書きだけで、仕事以外の時間が完全に乗っ取られております(いい年こいてバカな奴だとお笑いください)。

 「黄金の豚」 第2回のターゲットは、警察の機密費。 執行猶予中でそのことを隠していなければならない篠原涼子チャンは、第2回目にしてかなり及び腰であります(笑)。

 その彼女のやる気に火をつけるためには、かなり警察内部のあくどさを強調する必要性が生じるのですが、ここまでデフォルメしていーのか?というくらい悪代官丸出しで、越後屋まで出て来そうな感じでした(笑)。

 それがかえってこのドラマの社会性を極端に低下させる原因となっているのですが、製作者にとっては、正邪を分かりやすく、なおかつ面白おかしくこういう問題を扱うことで、税金の無駄遣いに興味のない視聴者まで取り込もう、という意図が見え隠れするのです。

 実際のところ、税金の無駄遣いをしている公務員たちは、ここまでとは言わないまでも、1円たりとも無駄にしない、という意識で公務を行なっている人間など、まずいないんじゃないでしょうか(スンゲー邪推)。

 だって自分たちの業務に使用される、有形無形のものすべてが、税金なんですからね。
 そこまで意識しろってほうが、かなり無理がある、というか。

 だからこのドラマで税金を食い物にする人間たちが、裏でニヤニヤニタニタ笑いながら、「おぬしもワルじゃのう」 などと露骨な憎らしさを発散することが、かなり現実離れしていながらも、心象世界としては、このドラマの見せる露骨な構図が、そのまま現実に行なわれているのも同然だ、と私は考えるのです(どうもわかりにくい文章だな)。

 ただそのように極端なデフォルメを加えることで、失われていくリアリティがある。

 けれども、見ている側に簡便な問題意識、というものは、残っていくものだとも、いっぽうでは思うのです。

 このデフォルメされたドラマから浮き彫りにされるのは、臭いものにはフタをしよう、という人間の心理であります。 そしてそれは、正義を正すべき警察で行なわれているからこそ、余計にその罪が重くなる。

 彼らに対する国民の目が厳しいのは、何が原因なんでしょうか?

 確かに道を尋ねたりすれば懇切丁寧に対応してくれるし、そんな市民交流レベルでは警官の存在というものは、とても頼もしいものがある。

 けれどもその裏で、「ネズミ捕り」 に代表される 「こすっからいマネ」 が法の名のもとに恥ずかしげもなく行なわれている側面もある。 そりゃスピードを出すのもシートベルトをしないのも、社会のルールを破っている側が悪いことは当然ですよ。 けれども抜き打ち的に取り締まりをするくらいなら、オールタイムすべての車両をしょっ引くべきなのだと私は強く感じます(個人的な感情がそーとー混じってます…笑)。 でなければ、制限速度を上げるとか、いまの世の中に即した交通ルールに変えるべきだ。 ここで反社会的なことを書くのは非常に気が引けますが、制限速度40キロの道を40キロで走っていたら、交通の流れ上、かなりアブナイです(笑)。 逆に狭い道なんかは、制限速度20キロ以下でもいいくらいだと感じる(止まらなくなってきたのでやめます…笑)。

 そんな連中が、自分たちの保身のためにあれこれと隠蔽作業をするのは、「ネズミ捕り」 に共通する 「こすっからさ」 に共通するものを、どうしても感じてしまうのです。 実際隠蔽、しとるじゃないですか。 法の番人であるからこそ、却って隠蔽に血道をあげてしまう傾向があることを、彼らは心底自覚せねばなりません。 他人の非を正すことを生業としている者が、自らの非を正すことが、いかに難しく、だからこそそのことが、いかに大切なのかを。

 ドラマの内容とは別の記事となってしまいましたが、こういう問題意識を喚起させてしまう、ということは、こんなデフォルメされたドラマの作り手の思惑に、まんまと乗ってしまっている、っつーことなんですけどね(笑)。

「黄金の豚」 に関する当ブログのほかの記事
第1回 あり得なさを楽しみますか…
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-cd4d.html

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「ギルティ 悪魔と契約した女」 第2回 スミマセン、途中から割り込みさせていただきます

 当ブログにコメントをいただくかたのお勧めで予約録画をしたまま保留状態にしてあった、「ギルティ」 の第2回目(先週分)を見てみました。 ペコ様、なかなかおもしろかったです。 今週分も自動で録ってあるので、またのちほど続きを見たいと思います。

 第1回目を見逃してしまったので、細部にわたって深い記事を書けないのですが、「どおーもこの手のドラマは、どこかで見たことがある」 と、ドラマ好きの悪癖で(笑)「なんだったっけなー、確か百恵チャンのドラマにあったよーな…」 と考えた末、思い出しました、「霧の旗」 です! 映画でした。 そう言えば最近、日テレ?でリメイクされておりましたね、かなり設定を大胆に変えて。 私はちょっと、脱落しました(笑)。

 「曲げられない女」 で頑固ながらも健気な役どころを完璧に演じ、個人的好感度ランキング赤マル急上昇だった菅野美穂チャンが復讐鬼の役どころ、というのは、やはりドキッとするものがあります。 その落差の大きさが、私にはとても懐かしくて。 百恵チャンが悪徳弁護士役の三國連太郎サンに復讐するために、氷の微笑を浮かべているところが、まさしくその懐かしさの正体だったんですよ。

 「霧の旗」 で松本清張氏の原作にはない、百恵チャンを復讐のスパイラルから抜け出させようとする役どころが、三浦友和サンでした。 「ギルティ」 では、それを千秋センパイ…じゃなかった(笑)玉木宏サンが担っているようです。 髪形も変えて髭も生やして、千秋センパイとは似ても似つかんのですが(笑)。 これがまた、実にカッコイイ。 いい男はどんな格好をしても、サマになっている好例であります。

 それとは真逆に(笑)いくらいい男でもここまでやると笑えてしまう、という好例が唐沢寿明サンでありまして(笑)、その髪型はまるで鬼太郎(たぶんみんなそう感じたんだと思うんですけど…笑)。 どうも 「20世紀少年」 以来、キャラがマンガチックになってますなあ、この人(「不毛地帯」 でも、マンガチックなまでにキャラがカタブツでした…笑)。 しかもこの鬼太郎、ねずみ男みたいな鬼太郎で…(笑)。 あ、蛇足で申し訳ないのですが、水木しげる様、文化功労章とのこと、おめでとうございます。

 で、美穂チャンが復讐をしようとする悪徳弁護士役が、石丸謙二郎サン。 もうこれでもか、というくらい、悪役のデフォルメが入っていて、小気味がいいくらいです。 それでもこの人を見ると 「仮面ライダー電王」 が条件反射的に連想されてしまうのは、ちょっと困った個人的な傾向であります(笑)。

 第2回目で途中参加ながらぐっときてしまったのは、ペットサロンに飼い主からたぶん捨てられて預けられていた黒い犬が傷害事件を起こし、美穂チャンが保健所に泣く泣く連れて行く場面でした。 そんなにも心の優しい美穂チャンが、石丸サンのところに電話をかけるときは、完全なる悪魔の表情に変貌する。 このギャップは、たまりません。 エロチシズムさえ感じる。 こんな表情の美穂チャンに、いじめられたい、とゆーか(マゾ…じゃないです!…笑)。

 どーも、不純な動機で見てますなあ…(笑)。 私もただのオッサンなのでお許しください(笑)。

 この美穂チャンが優しくしていた病弱の女の子が美山加恋チャン。 「僕と彼女と彼女の生きる道」 に出ていた子ですが、星野真里チャン似の女の子に成長しつつありますネ。 この子が石丸サンの、どうやら娘らしい。 こんないたいけな子を、どーしようっていうのでしょーか、美穂チャンは…って、はやいとこ第3話を見なければ…(笑)。

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2010年10月27日 (水)

「フリーター、家を買う。」 第2回 安全管理、ちゃんとしてる?

 第1回目で 「社会の落ちこぼれ」 のリアリティをすごく感じ、「これは傑作だ」 と思った 「フリーター、家を買う。」 でしたが、第2回目の建設会社のリアリティには、ちょっと首をかしげることも幾度か。

 というのも、私ドカタを経験したことがあるんですよ。
 あまり大したことはしませんでしたけど、その時の経験則からまず今回の工事現場の問題点をあげさせていただくと。

 まず上着の腕をまくるな、ズボンはきちんと長靴(たぶんつま先に鉄のカバーが入っている安全靴でしょう)のなかに入れよ、というのは合ってます。
 要するに、むき出しの腕というのは、とても危険なんですよ。 上着をちゃんと着ていれば、何かあった時にある程度の防波堤にはなる。
 それに、ズボンをちゃんと納めていないと、巻き込まれの危険性が発生する。 ニッカボッカなんて裾の広がったズボンをはいてる人もいますけど、足元はすっきりしてますでしょ。

 でも、ちょっと遅刻したくらいで 「オマエは今日の作業はもういい」、なんてことは、まずないです。 そりゃ士気に大いにかかわる、という側面もありますし、得意先の目の前で、それはとても印象が悪い。
 でも、だいたい工期が大幅に遅れている、というのに、出てきた人間を帰らせる、ということは、あり得ません。 あり得るとすれば、ふてくされてるとか、やる気が全くないとか、現場の人間とのトラブルが絶対起こるとか、出てもらったほうがメーワクになる、という場合だけ(笑)。

 それから、工期に間に合わないからと言って、雨が降っているのを夜中まで待つなんてことも、私の経験範囲内から言って、ないです(あったらスイマセン、です)。 しかも全員でしょ。 そんなに明日の仕事に関わるような判断をする作業員って、いないと思うんだがなあ。 そりゃ明日納期だ、なんて言ったらそこまでするかも分かりませんが、それってかなり、工事計画予定を立てる人が無能だ、と言いますか(笑)。

 そして最大の問題点は、トラックの荷台に作業員を乗せて移動する、ということ。

 いくら作業敷地内でも、こんなことは絶対にしません。
 しかもラストで、トラックに作業員を乗せて走るシーンの、長いこと長いこと(笑)。
 これって相当規模のでかい、ちゃんとした現場なはずです。 そんな規模の大きい工事現場で、こういうことは絶対にない、と言い切れます。
 しかも運転しているのが(助手席だったかな?)工事の元請会社の派遣社員、香里奈サン(笑)。 この人が安全管理責任者だ、というのですから、リアリティのなさもここに極まれり、というか(だいたい下請けの会社の側にも、ちゃんとした安全管理者がいるはずであります)。 香里奈サンも即クビ、とは言いませんが、下請社長の大友康平サンともども、始末書ものですよ、これは(笑)。

 そんなリアリティのなさで、私のこのドラマに対する評価は 「たいへんよくできました」 からぐっと下がってしまったのですが、それに目をつぶっても、内容的にも第1回の焼き直しみたいなところが散見されました。

 二宮クンのオネーサン(井川遥サン)が直面する 「院長夫人」 の大変さや、ハローワークの職員の辛辣な態度にも、リアリティが感じられない。 実際のところ、どういったもんなんでしょう。
 息子にエラソーなことを言っといて、不倫をしとった竹中直人サンへの共感度も、大幅ダウン(笑)。

 感動された方には大変申し訳ないのですが、ここから 「家を買う。」 というリアリティのなさに突っ込んでいくのですから、もっと 「がんばりましょう」、という感じですか。

 ネガティヴな感想を書くのは、やっぱりちょっと心苦しいものがあります…。 自分で書いてるうちはいいんですけど、ネットで公開するというのには、やはり迷ってしまう、と言うか。

 次回に期待、です。

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2010年10月26日 (火)

「流れ星」 第2回 なんか、あっという間でした~

 この月9は、傑作ですなあ。

 クレジットが出たとき、「え?もう終わり?」 と思ってしまいました。
 物語に引きずり込まれていたんだと思います。

 このドラマの秀逸なところは、登場人物たちの心の動きが、実に丁寧に描写されているところに尽きる、そう感じます。
 妹(北乃きいチャン)のドナーにするために上戸彩チャンに契約結婚を迫った竹野内豊サン。 その申し出が荒唐無稽なことを、「時間がないんだよ!」 と母親の原田美枝子サンに声を荒げることで、彼の苛立ちからじゅうぶん分かった上での決断から、すべてを表現してしまう。
 そしてそれを聞いた戸惑い、でも同時にどんな手段でもすがりたい、という原田美枝子サンの様子も、これ以上やったらくどくなってしまう、というぎりぎりのところまで表現されている。

 そしていきなり数回会っただけの男から 「結婚しよう」 と言われた、当の上戸彩チャンの表現。

 自分が精神的に健常状態であれば、「はぁ? 何言ってんのこのオッサン」 でドン引きして済ませてしまうところでしょうが、彼女は今の今まで、自殺しようとしていた人間なのです。 一応健常者並みの反応も示すのですが、それはほとんど条件反射的なものに過ぎない。 死ぬつもりだったんだから肝臓移植なんかどーでもいーや、しかも借金チョー消しなんて、超ラッキー、という投げやり感が、全身から湧き出ている。 彼女は竹野内サンの申し出を、受け入れるのです。 普通ではありえないことですが、自殺未遂直後なのですから、そこに奇妙なリアリティが生まれてくる。

 なんともこれらの心の動きが、微妙な部分まで行き届いていて、うならせるばかりなのです。

 しかもですよ。
 竹野内サンの妹北乃きいチャンの動向も、とても興味の引く話を紡ぎ出している。

 きいチャンは自分と同じ病棟にいる落語好きでお調子者のリョウタクン(桐山照史クン)に、「なにコイツ?」 と反応しながら、次第に惹かれていくのですが、こういう話はオジサンは、嫌いではないのです(笑)。
 きいチャンはいっぽうで主治医の松田翔太クンに惹かれているのですが、それは単なるあこがれの粋から出ていないことが、きいチャンの様子からすごくよく分かる。
 いいよなあ、こういう構図(笑)。 きいチャン、「八日目の蝉」 ではちっともかわいく見えなかったのに、このドラマではとてもかわいく見えるんですよ。

 リョウタクンにそそのかされてきいチャンはリョウタクンに気がある友達のミズキチャンと一緒に病院を脱出、寄席へ行くのですが、このときの松田翔太クンの反応が、「リョウタのほうが心配だ」 とさりげないところがまたいい。
 案の定寄席でリョウタクンの病状は悪化し、ここに頼もしくも駆け付けた松田翔太クンの機転で事なきを得るのですが、ここでおちゃらけ者のリョウタクンの病状が思いのほか深刻なことが分かって、自分の思慮の浅さ、子供っぽさを自覚するきいチャンの反応が、またまたいいんですよ。
 そして目いっぱい明るくふるまいながら、本当は命のやり取りをしていた、リョウタクンの健気さが、見ている側の涙腺を刺激するのです。 泣くところではないような気がいたしますが、私はこのリョウタクンの気持ちを考えたときに、なんか泣けてしまいました。

 そして前回、「別れたんだよなあ?」 と私が疑念に思っていた竹野内サンと板谷由夏サンとの仲も、杉本哲太サンが仲直りのためにと開いてくれた食事の席で(これも粋な計らいで好感度高し)きっちりと清算してくれて、こちらもスッキリ。

 そして今回のメインはやはり、契約結婚したはいいけど雲隠れしてしまった、上戸彩チャンの動向でしょう。

 竹野内サンの財布から何万か抜き取って 「当面の生活費」 などと言って立ち去ったまま行方が分からなくなった彩チャン。
 そんな場合竹野内サンの心情を考えると、「もしかしていいように利用されてしまったのではないか」「彼女にドナーになる気がなくなったのではないか」 というところだろうと思うのです。
 ここらへんの竹野内サンの微妙な心の動きも、またまた的確に表現されていました。 あまりにも、丁寧過ぎる。

 彼女の勤め先を突き止め、そこで張り込みして、彼女のアパートまで突き止める竹野内サン。 出てきたのは、傷だらけのローラ、じゃなかった、稲垣ゴローチャン。

 このゴローチャン、妹の勤めるイメクラまで出向いて彼女の反撃に遭い、用心棒たちにメッタメタのグッチャングッチャンのシッチャカメッチャカにされたのでした。 それを陰で見ていた彩チャン、「いい気味」 と思いながらもどこかで気の毒に思う気持ちも表現されていて、これまた絶妙な表現(感心しまくってます)。

 それにしてもゴローチャン、自分の妹に対して後ろから抱きついたり、ちょっとなれなれしすぎませんかね?(笑)
 私にも妹がおりますが、そんなことをしたらドン引きどころか、兄妹の縁まで切られそうであります(笑)。
 なんかこのふたりには、あにいもうと以外のモノが隠されているような気がしてならないんですよ。

 で、竹野内サンとゴローチャンが出会ったその場に帰ってきた彩チャン、竹野内サンをその場からゴーインに連れ出して、「こんなことやめてくれる?」 と、取り付く島もない。
 ますます不安になる竹野内サン、彼女との契約結婚をあきらめ、遺体からの移植などほかの方法を模索するのですが、いきなり彩チャンが再び現れ、婚姻届にサインしろ、と迫るのです。 ゴローチャンの事を問い質す竹野内サン。

 「うだうだ言ってねえでさっさとサインしろよ!」

 ペンを竹野内サンに差し出す、彩チャン。

 「…いいのか、本当に」

 「…いまさら何言ってんの?

 いまさら 『いいのか』 なんて訊くなよ!

 じゃ何で助けんだよ?

 …もう戻れないんだ。

 あたしにはアンタしかいねえんだよ!」

 ゴローチャンが眠る自分の部屋を出てきた彩チャン、自らの覚悟が固まるのを、ずっと待っていたがゆえに、竹野内サンの前から姿を消していたのです。

 うーん、うなりますね、こうやって出番を必要最小限にとどめることで、彩チャンの気持ち、覚悟を表現するなんて。

 なんかこう、人に話したくなるドラマってありますけど、このドラマはまさしくそれ。 子供だましに陥っていないところがいいんだなあ。 「流れ星」 っていうタイトルを見たときに、このドラマはいいんじゃないか、と思った私のカンが、当たりました。

当ブログ 「流れ星」 に関する他の記事
第1回 ダウナーな感覚あふれるフジの月9
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-9-cab7.html
第2回 なんか、あっという間でした~ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-2223.html
第3回 一瞬で消えてゆく星、その星への祈りhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/3-f0b3.html
第4回 消えない流れ星http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-6d12.html
第5回 生きていてほしいからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-8444.html
第6回 託したい思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-3966.html
第7回 分かってる、その気持ちはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-9175.html
第8回 思いがはじける瞬間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/8-2edd.html
第9回 グラス・タワーの緊張感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-ce60.html
第9回 健吾の決断について、補足ですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-cad6.html
第10回(最終回) やさしさが帰る場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/10-6223.html

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2010年10月25日 (月)

「獣医ドリトル」 第2回 動物相手のドラマの難しさ

 あ~、「パーフェクト・リポート」 の第2回を、録り損ねたぁ~(笑)。 毎週録画設定、したはずなんだがなあ…。

 仕方がないので 「獣医ドリトル」 について書きますか。 「龍馬伝」 は、どうも今日のところは無理でございます。

 で、誠に申し訳ないのですが、苦言みたいなことを書かせていただきます。

 このドラマ、見ていてどうも、イージーに物語が運びすぎるような気がしてしょうがないんですよ。

 まず気になるのは、動物の症状を見て、「あ、これはアレだ」 とすぐ病名が判明してしまうこと。

 私が複数の動物病院と長いあいだ付き合ってきて非常に感じるのは(家族が何代もの間、犬を飼っとりますので)、病状というものを容易に断定する獣医が、ほぼ皆無なことです。
 と言うより、いくらインフォームドコンセント(病状を納得するまで説明し、合意に達する、という意味ですかね)がしっかりしていても、実際病気になっているのはうちの犬なんですから、「ホントにそうなのかなあ?」 という疑念が、絶えず付きまとうものなのです。

 獣医という職業には、失礼ながら、そんなブラックボックスみたいなウサン臭さが、常に付きまとっている、と言ってもいい気がします。 それで、評判のいい獣医へ獣医へ、という具合に、飼い主というものはころころ流れて行ってしまう。

 だからドリトル(小栗旬クン)の手腕には、驚嘆するしかないのですが、花菱(成宮寛貴サン)が手術が出来ないながらも診断だけは超一流、みたいな格好で 「これはペットロス症候群です」 とか 「喪中症です」 とか言っても、「見れば分かるよーな気もするが…(笑)」 としか思えないのです。

 そしてその診断を、さも伝家の宝刀みたいな形でドラマの展開に大きな影響を与える要因にすると、いかにも安っぽいドラマに思えてきてしまう。

 もうひとつ気になるのは、「ペットや動物の診療に法外な金を取る」、というドリトルの経営方針であります。

 これは原作のマンガがそんな設定なのでそうするしないのですが、マンガだから許されているような現実乖離感が、どうしても付きまとう。

 つまり、またまた私の経験による話で申し訳ないのですが、複数の獣医たちは、とても簡単にあきらめる傾向がある。

 なぜなら、ペットには保険がきかないから、いざちゃんとした手術をしようとすると、ドリトルじゃなくたって、法外な料金を取らなきゃいけないわけですよ。
 たいていの飼い主は、そこで二の足を踏んでしまう。 うちの場合もそうでした。
 そんな飼い主たちの経済的な事情が分かっているからこそ、獣医たちは簡単に 「このまま見守るしかないでしょう」 みたいな結論に走らざるを得ないのだ、私はそう考えるんですよ。

 しかも手術に失敗すれば、またまた新たな火種が発生するわけですからね。 獣医のかたがたも、つらいところだと同情は、いたします。

 そんな獣医たちの心の声を、ドリトルの存在は具現化しているのかもしれない。 そう考えながらこのドラマを見ると、また奥深さが増してくるんですけどね。
 でもやはり、100万とかいう単位は、リスクに見合った額とは言え、それを払うものなど大金持ちしかいない、という無力感は、常に付きまとう。 あきらめてしまう飼い主たちのほうが、よっぽどリアルなのです。 今回のイルカと猫の話にしたって、花菱がタレント活動で稼いでいるから可能だった話でしょう。

 そして最後に気になるのは、やはりペット自体の演技力、の問題です。

 ペットに演技指導などできるわけがないですから(笑)、これには相当な根気が必要なはずであります。
 映画などで動物たちを題材に出される場合、映画だからこそ、根気強く動物たちがその表情をするまでカメラを回し続ける、ということができると思うのですが(あとはCGとか)、テレビの場合、そこまで演出者が納得のいく動物の表情を撮るのは、ずいぶん困難が付きまとっている気がしてならないのです。

 今回の猫やイルカの演技も、ここまで撮れたことには一定の評価をいたしますが、やはりこの部分が、ドラマにおいて見る側の涙を誘う最大のポイントであるがゆえに、かなりのハードルの高さを要求されるものなのです。 そこまでの水準に達しているか、私にはちょっと分かりません。 確かに猫が弥二郎殿、じゃなかった(笑)蟹江敬三サンのもとに走り寄った瞬間は、ぐっときたんですけどね。
 難しいです、動物に演技してもらうのは。

 治療依頼者たちの人間像を深く掘り下げていない、という面も確かにあるのですが、私なりにこのドラマに漂うイージー感の根源の部分を分析してみました。

 ただ花菱の苦悩や國村病院の展開は、原作よりもかなりリアルに進行している気がします。 私がこのドラマを傍観者で見るかハマりこんで見るかには、いまのところそこが大きなカギとなっています。

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2010年10月24日 (日)

「てっぱん」 第4週 ちょっとキツイかも

 週の終わりにまとめて見ている 「てっぱん」 ですが、今週は一週間分1時間30分が、ちょっと長かったです。 体調のせいなのかな、とも思いますが。

 原因的には、物語が既視感にあふれているためなのでしょうが、どうもこのドラマの体裁が、一日15分見ることを前提として作られている(とーぜんですけど)ことにあるような気がします。

 「ちりとてちん」 も、1時間半をとおして見るのはつらかった。
 「ゲゲゲの女房」 は、適度な 「薄さ」 というものがあった気がします。
 その 「薄さ」 というのは、内容的なものではなくて、登場人物たちの性格的な面です。
 みんな適度なつつましさが存在していたんですよ。
 ズケズケものを言わない、いやな部分を、しまいこんでしまうような面。
 杉浦太陽クンの演じた浦木のような性格の者が、ほぼ彼ひとりしかいなかった、と言えば、理解していただけるでしょうか。

 それに比べて、「てっぱん」 は、ほぼ浦木のような 「濃い」 キャラクターの人物たちによって、物語が構築されています。 大阪的と言えば、大阪的なんですが。 「ちりとてちん」 もそんな傾向にあったのですが、それ以上に話自体が濃かった(笑)。

 この差が見る側に与える印象というものは、かなり大きい。

 1時間半が長い、というのは、そんなところに本当の原因がある気がするのです。

 そしてそんな 「濃い」 人たちが、他人との濃密な関係を、嫌がっている。 なんか、ややこしいなあ、なんて考えてしまうのです。 おそらく関東と関西の文化の違いにまで及んでしまう話なんですけど。

 今週の話に漂うねっとり感は、視聴者を極端に選ぶ傾向にあるように感じます。 1日15分ずつ見るのが、正しい気がする(気がするだの感じるだのの話ばかりで申し訳ないです)。

 あかり(瀧本美織チャン)が暮らし始めた 「べっちゃあ」 初音(富司純子サン)の下宿人たちが、バラバラだと彼女が感じるところが、今週の物語の発端です。
 それをあかりに感じさせる一番の原因は、「この下宿が下宿人たちの食事を提供している」 というところから始まっています。
 なぜあんなに人間嫌いに見えるべっちゃあが、こんなことをしているんでしょうか。
 そこを疑問に感じないと、物語全体に入り込めなくなる。
 人付き合いが嫌ならば、大家のべっちゃあは下宿人たちを放っておくのが普通なのに、こんなことをしているのは、どこかでべっちゃあが、人付き合いに飢えているからなのです。

 ところがそれをどこかもクソも(笑)、まったく望んでいない人もいる。 落ちこぼれアスリートのオニーサン滝沢(長田成哉サン)です。
 そんなオニーサンに人と人とのふれあいを、あくまでも強制させようとする、あかりチャン。 結局あかりチャンの一生懸命さが、かたくななオニーサンに、ちょっとだけ届いた、ということなんですけどね。

 その結果下宿人たちが一堂に会して食事をとることになり、「やっぱりみんなで食べるとおいしいでしょう!」 という結論にもっていく、この展開を 「よし」 とするか 「どうも…」、と思うかが、このドラマを見るか見ないかの分岐点になっている。
 てゆーか、最初のトランペット投げ捨てる時点で、かなり視聴者はふるいにかけられとるのですが…(笑)。

 そんななかで、あかりが初音に向かって 「おばあちゃんの料理は、損しとる」 と話すのですが、それは初音の心の奥底にある 「他人と触れ合いたい」 という気持ちにまで、届くのです。 「下宿人の食事を作る」、ということは、「他人に奉仕したい」、という気持ちの表れであり、義務感ばかりでやっていても、誰も食べてくれないでしょう。 初音の料理が上手いのは、義務感でやっているからでは、ないのです。

 そしてあかりの友人、加奈(朝倉あきチャン)が、またもや持ってきた、あかりの本当の母親千春(木南晴夏サン)の形見のトランペット。

 それはあかりの弟鉄平(森田直幸クン)の一計なのですが、そこにはあかりに、「母親やバアチャンとしっかり向き合っていけよ」 という弟の気持ちが隠されている。

 「また戻ってきてしまったなあ…」 とぽつりとつぶやく、初音。

 このドラマでは、千春の魂が、まるでトランペットに乗り移っているかの描写をしています。 トランペットは、初音の娘としての、あかりの母親としての、千春の気持ち、そのものなのです。 この描写の仕方には、ほろりとさせられます。 相変わらず、あかりは自分の本当の母親を、「千春さん」 と呼ぶことにこだわっておりますが。

 まあ、ちょっとキツイかな、と思いながらも、また引き続いて見てしまうでしょう。 「ゲゲゲ」 の習慣が残っちゃってる、という面もありますけど。

「てっぱん」 に関する当ブログのほかの記事
第1回 名作の後番組は、ハードルきついですよね
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/1-8eb5.html
第1週 どこまで、ついていけますかね?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-c996.html
第2週 相変わらず、ゴーインな脚本ですがhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-69b4.html
第3週 物語が、駆け出したhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/3-ed2e.html

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2010年10月23日 (土)

「龍馬伝」 第42回 なにもないところから築き上げる、ということ

 お待たせいたしました(笑)、「龍馬伝」 の最新レビューであります。
 しかしまあ、やはりブログの記事というものは、新鮮さが命のような気が、今回は特に強くいたします。 何をいまさら、という感じですもんね(笑)。 書く側のテンションも、いつもと比べればかなり低いです。

 高杉の遺志をついで、意気揚々と船出をしたばかりのいろは丸が、いきなり紀州藩籍の大型船と衝突、沈没。 今回の 「龍馬伝」 は、その損害賠償交渉に大きなイニシアチブをとる龍馬(福山雅治サン)の秘策に注目なのです。

 今回の話で強調されていたように思うのは、蒸気船どうしの衝突事故が、過去に例のない話であった、ということ。
 それが本当かどうかは不勉強で知りませんが、龍馬が持ち出した 「萬國公法」 による 「損害賠償」 という概念自体は、おそらく日本では初めてだったのではないでしょうか。

 それまでの藩どうしのトラブルに関しては、紀州藩の持ち出したように、立場の強い側の一方的な状況確定によるものが大きかった。 それで決着がつかなければ、お上に裁定を仰ぐ、ということでしょうか。

 龍馬は過去に例を見ないこのトラブルの解決策を、従来の慣習通りになあなあで済ませることを、よしとしなかった。 この龍馬の思考回路が、ひと回りもふた回りもスケールが大きくなりつつあるこの人物の底知れなさを、じゅうぶんに描き尽くしているように思えてならないのです。

 幕府に裁定をゆだねよう、という紀州藩の奥の手に龍馬が反発しているのは、紀州藩が天下の徳川御三家だからどうしても紀州藩に有利に裁定が下ってしまう、ということが主な原因ですが、泣く子も黙る御三家に楯突こう、という龍馬の意向は、長州征伐に失敗して権威が失墜しつつある幕府の屋台骨をさらに揺るがそう、とする側面も垣間見える。

 従来の慣例通りに行けば紀州藩が捻出した見舞金千両と宿泊代で事が収まってしまうかに思えるのですが、見舞金を先方から出してくる、という行動それ自体に、紀州藩の弱みが隠されている、私はそう思うのです。
 龍馬がそんな紀州藩の弱みを見逃すはずはありません。

 「おそらくこれは、日本で最初の、蒸気船同士の衝突ですろう。

 蒸気船はこれからどんどん増えていきますきに、同じような事故が起こるがです。
 その時は、必ず最初の事故が引き合いに出されるがです。
 土佐は、紀州に泣き寝入りをしたと。

 船の事故は、たとえ相手にどればあ非があろうと、力の弱い者が引き下がる。
 土佐がそう思われても、えいですろうか後藤様」

 龍馬は紀州藩との談判に後藤象二郎(青木崇高サン)の後ろ盾を得るべく、土佐藩のプライドに訴えかける方法をとるのです。 龍馬はその後、土佐藩を幕府への対立軸にしようとする意図も、説明しています。

 「土佐藩は、日本を変える要になると覚悟を決めたがですろう。 たかが紀州一藩に怯んじゅうようでは、幕府を倒すらあ、到底できんがじゃ。

 後藤様。

 これは単なる事故の談判ではありませんき。

 いろは丸と明光丸の衝突は、
 …土佐と幕府の衝突じゃ。

 この談判の行方を、長州、薩摩、それだけではのうて、諸藩が息を潜めて見つめゆう。
 わしが勝てば、『あっぱれ土佐』 と諸藩から喝采を受け、流れは一気に変わるがじゃ」

 この談判は、先にも指摘したように、これまでの日本の常識を覆した、過去に例のないものなのです。

 なにも例のないところから、龍馬は一体、このことをどうやって収拾しようとしたのでしょうか。 荒野にひとり取り残された龍馬が、私には見える気がしました。 自分だったら、とっくに途方に暮れているはずです。 いつもの慣習通りに、お愛想笑いをしながらシャンシャン、で済ませてしまうはずです。

 龍馬はまず後藤の後ろ盾を確保し、まず外堀から、けんもほろろの紀州藩が交渉の席につくように仕向けていく。
 つまり龍馬は、紀州藩を揶揄する歌を流行らせるのです。
 これは結構チマチマした作戦のように思えるのですが(笑)、世の中のエイトスをまず味方に付ける、という、「ドラゴンボール」 の 「元気玉」 の発想なんですな(笑)。

 こういう、徒手空拳のような作戦は、却って図に当たるものです。
 中尾彬サンというコワモテの親分を擁立して(笑)、紀州藩は海援隊に、再びの談判を持ちかけるのです。

 中尾サンは予想されたように、最終的にはお上の裁定にゆだねる、という奥の手を使ってくるのですが、ここで龍馬が持ち出したのは、「萬國公法」。

 つまり龍馬は裁定基準を、日本という枠をとっくに通り越して、世界全体のルールにのっとったレベルで論じようとしているのです。

 これは反論の余地が中尾サンにもじゅうぶんあるように思われます。 いくら鎖国を解いたからとはいえ、それまでに250年もこの国は、「日本は日本、世界は世界」 という論理で世の中が回っていたのです。 「そんなのカンケーねえっ!」 と言ってしまえば済むようにも思える。
 要するにこれは、日本の常識から外れた、若い世代の戯言とも言い切れる。

 けれども龍馬の論理は、こう展開を見せる。

 「これから日本国が世界に認めてもらう国にするためには、まずこの法を守らんといかんがじゃき。
 それでも徳川幕府に判断をゆだねると言い張るがやったら、…ハハハ、紀州藩士は野蛮人の集まりじゃと、世界中から笑われますろう。

 それこそが!
 徳川幕府の…いや、帝の御名を汚すことにはなりませんろうか?」

 中尾彬サン、じゃなかった(笑)茂田は、その考えをいったん受け入れるのですが、「じゃあ誰が裁くんや?」 と土俵際でうっちゃりをカマします(笑)。

 ところが龍馬は、奥の手を用意していた。
 ここで龍馬が後藤を味方につけていたことの、真の効果が発揮されるのです。

 後藤が連れてきたのは、イギリス海軍提督。
 英語で 「アンタラの考え方は、間違っとりますサカイ!」 とまくしたてられまくったら、そりゃもうタジタジになって、従うよりほか、ないですろうなあ(笑)。

 それにしてもこのイギリス海軍提督も、怒鳴りまくりの恐喝しまくり(笑)。 格下相手を一気に攻め落とす方法であります(笑)。 それにしてもなんか、弥太郎(香川照之サン)もエラくなるに従ってがなりたてまくるし、海援隊も怒鳴りまくってるし、どーにかならんもんかなー(笑)。

 結局この交渉で海援隊は全面的に勝利するのですが、ここで弥太郎が現代の損害賠償に通じる概念を打ち出していたのは、ちょっとシビレました。
 つまり、その損害額だけを見積もれば、4万3千両だったというのに、もし沈んでいなければいろは丸が稼いでいたであろう金額まで上乗せして、8万3千両を支払わせた、というものです。 もともと弥太郎のがめつさから出たかに見えるこの上乗せ分ですが、これってかなり現代的なアプローチのように思えるんですよ。 船と積み荷を失った分だけ請求してしまえば、その後の損失は考えなくてもいい、というのは、損害を受けた側からすれば、そりゃねーだろう、ってことですからネ。

 そしてあのはやり歌を流行らせたお元(蒼井優チャン)に礼を言う、龍馬。
 お元は龍馬が自分の希望だから、と答えるのですが、いみじくも第4部のタイトルですよね。
 お龍(真木よう子サン)は今回も相変わらず拳銃の練習に忙しかったようですが(笑)、お龍に龍馬が託した首飾りに書かれた文字も、希(のぞみ)。 龍馬の頭上にある 「元気玉」 は、みんなから希望を託されながら、さらにさらに巨大になっていくのです。
 そこに現れた、紀州藩の刺客。
 現代的なアプローチから見れば、こういう恨みの買われ方というのは、かなりドロドロしているように思えるのですが、やはり人々の思いが情念、怨念に結びつきやすい世界がある、ということを、強く感じざるを得ないのです。

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2010年10月22日 (金)

「セカンドバージン」 第2回 冒険してもいい頃?

 怒涛の新作ドラマラッシュにもみ消され気味で見るのが遅れていた 「セカンドバージン」 第2回。 「龍馬伝」 は、大好物を最後まで残していく性癖がたたったのか(笑)いまだに先送りであります(笑)。

 いや、大好物は、やっぱり先に食べるタイプですか。 子供のときは 「あとで」 タイプでしたけど。

 大人になってアグレッシヴでいなければならない、という意識が成長したんですかネ。
 「セカンドバージン」 の鈴木京香サンは、そんな自分のなかのアグレッシヴな気持ちと、恋愛に対して臆病になっている部分とが、ドロドロにせめぎ合っている状態なのです。

 そして女性としての生理状態に、どうしても抗えない様子も、すごくよく伝わってくる。
 このところ民放ドラマの、感情出しまくりのドラマを見続けていた私には、そこらへんの 「潜伏する気持ち」 の表現の仕方が、とても奥ゆかしく、かえってそっちのほうがよほど官能的に思えてくるのです。

 最初の鈴木行(長谷川博己サン)とのキスの後、ふたりとも性的な感情が高まっていくのを、強く自覚している。
 朝の通勤時、それぞれ別の電車に乗っていくふたり、電車のつり革で互いの手を絡め合う妄想がインサートされる。 それはどちらの妄想なのか、判然としないのですが、混雑した電車の中でそんなエロティックな想像が頭をよぎる、ということ自体に、ものすごく見ている側もドキッとするのです。

 しかも、その官能表現には、いかにもバカっぽい深田恭子チャンの、ダンナへの 「逆立ち」 攻撃がベースに横たわっている。

 「逆立ち」、とはよーするに、××のことであります(笑)。

 深キョンはダンナの長谷川博己サンに対してこの 「逆立ち攻撃」 をしつこく繰り返すのですが、ダンナは超インテリ。 バカっぽい深キョンに食指が動くとは、ちょっと考えられない、とゆーか(笑)。
 そしてインテリは、インテリに魅入られやすいのであります。
 「会いたかった」 と仕事の打ち合わせで率直な気持ちをぶつけ、あとはメール攻撃。

 そのモーレツなアタックを拒絶し続けてきた京香サン、とうとう折れて夜遅くに長谷川サンを呼びだし、会うなりいきなり抱擁、「キスして」 とせがんでNHKにあるまじきディープキス(あ、舌は入れとりません…笑)(下品でドーモスミマセン)。

 見ているこっちはNHK頭になっとるせーか(笑)、「うわぁ…やっちゃったよ」 の連続で(笑)。

 けれども京香サンの出した結論は、「これが最後のキス」。

 「人生は多くを望んではならないの。

 いまあなたを手に入れたら、…私の仕事はうまくいかなくなる」

 女であることを捨てたからこそ、自分は仕事で成功した、という自負を持っているから、彼女は恋愛にビビっておるのです。
 長谷川サンの熱烈なアタックをはっきりと断ったあと、自宅のドレッサーの前で自らの、もう若くはない体をまじまじと見つめ、目を伏せる京香サン。 そこに彼女の諦念が強く表現されていたと感じるのですが、そこには 「本当に肉体関係にまで至る恋愛をするのは、この年代が最後なのではなかろうか」、という感情も、少しばかり描写されていたのではないか。 深読みすると、そんなことも感じられるのです。

 恋愛をあきらめたことで、いままで以上に仕事に対してアグレッシヴになっていく京香サン。
 その自分の態度が恋愛に対する臆病とますます齟齬を起こしていることを感じさせます。
 そんな矢先、社長の段田安則サンが盲腸で入院。
 社長直々にインタビューする予定だった中国人監督へのインタビューをシンガポールで行なうことになり、お見舞いとその打ち合わせも兼ねて病室へやってきた京香サンは、ふたりが行きつけのレストランのシェフをやっていた男(小木茂光サン)が、社長の髪をなぜているところを目撃します。
 はぁぁ~。 ゲイだったんですネ。 社長。
 奥さんの石井めぐみサン(うわぁぁ~、お久しぶりです)の健気さが、哀れであります。

 で、社長から言い渡されていた、その中国人監督にタブーとされていた質問を、シンガポールのホテルであえて直接ぶつける京香サン。 アグレッシヴ全開だ(笑)。 気分を害してそのインタビューを一方的に打ち切るその中国人監督を見送りながら、京香サン、 「これで終わりなら、彼の負けよ」 と、全面戦争も辞さない構えです。 アグレッシヴ、ここに極まれり、とゆーか(笑)。

 そんな京香サンが泊まるホテルに、花束のプレゼントが届く。
 鈴木行の、あまり上手とは言えない(笑)文字のカード。
 そして間髪いれず、ドアのチャイムを鳴らす、鈴木行。

 仕事でワイルドな気分が高まっているところに現れた、気になる男性。 どうなってしまうんでしょうか。 待て次回!(笑)

 それにしても、この場所を移した舞台が、ドラマ冒頭で鈴木行が撃たれてしまう、シンガポール。 どうもキナ臭いにおいまで、漂ってきました。

「セカンドバージン」 に関する当ブログほかの記事

第1回 セレブの恋愛に、興味なし…ですけど
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-5dd1.html

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2010年10月21日 (木)

「黄金の豚」 第1回 あり得なさを楽しみますか…

 今クールのドラマは、秀作ぞろいのような気がいたします。 おかげでドラマ感想文を主な業務としている(笑)当ブログの筆者も、ヘロヘロであります(笑)。

 前日 「フリーター、家を買う。」 という傑作新ドラマを見たせいか、ちょっとハードルが高くなってしまっているのは仕方ないのですが、それでもやはりこのドラマ 「黄金の豚」 の導入部分は、結構引きながら見ていました。 つまり話が、あり得なさすぎなのです。

 でもまあ、あり得なさを楽しむのも、ドラマの楽しみのひとつだと割り切れば、気楽に見ていられる気がするドラマであることは確かです。 気楽に見ていられるほどの神経を持ち合わせていれば、の話ですが(笑)。
 要するに、扱う題材が、会計検査院、というのが、かなりクセモノなんですよ。

 私も中学校程度の知識でこの会計検査院のやっていることをぼんやりと長年見てまいりまして、その仕事ぶりのヌルさには少なからず疑問を抱いていたので、その部分に大きなメスを入れるこの手のドラマは、結構興味のあることなのです。

 そのヌルさを指摘するのには、主演の篠原涼子サンが演じるアバズレ女(この表現、古い…笑)でなければ務まらんだろう、という気は強くするのですが、やはり現実離れしている感は、どうしても否めない。

 この篠原サンの存在をどう見ていくかで、このドラマを見るか見るまいかの判断は、大きく分かれるところだと感じます。 私は、あんまりこのキャラを深刻にとらえないほうがいいな、とは思ったんですが。

 つまりアバズレなうえに、この女は少々カッコつけが過ぎる。
 それが見ていて不快感を与えかねない原因にもなる、ということなのですが。

 会計検査院の業務には強制調査権が含まれない、というのは、不勉強でこのドラマで初めて知ったのですが、それって彼らの調査能力を根こそぎ奪うほどの重大事に思えます。 それじゃあ外野から見てヌルイと思われるような仕事しか、せんわなあ~(笑)。

 篠原サンはその恐るべき嗅覚によって(匂いをクンカクンカと嗅ぎながら…笑)社会福祉庁長官の不正疑惑にメスを入れていくのですが、長官がダメならその奥方を狙え、という方法をはじめ、その一連の捜査方法は、「これが仮釈放中の犯罪者なのか」 と思えるほどのキレよう。 まあ、詐欺師ですから、頭の切れるのはとーぜんか(笑)。 「なんもかんも分かりまっしぇ~ん」 というポーズをとりながら、相当理解能力が高いことも、見ようによっては不自然に思えるかも。

 それにしても、この会計監査院の部署のメンバー、亀山社中の生まれ変わりがふたりほど混じってます(笑)。

 ところがそのキャラが、亀山社中とは全く正反対なのが興味深い(笑)。 豪放磊落だった桐谷健太クンが超マジメ、つつましやかだった大泉洋サンが熱血。
 特に大泉サンは、この篠原サンの結婚詐欺に遭った被害者で(笑)、最初の 「あああ~~~~っ?!」 のセリフから、終始(でもないか)笑える。 かなり私にはツボです(笑)。

 それと、篠原サンの妹役(山口沙弥加サン)が勤めるバーの名前が 「年増園」。 爆笑しました。
 なんか、この一連の笑わせ方って、結構好きなんですよ、私。

 物語はしがらみにがんじがらめになっているこの部署の人間たちが、涼子チャンのアグレッシヴさにけん引されて、その社会福祉庁長官を辞任にまで追い込み、最後の最後にその長官の退職金で、不正に持ち出された金がチャラになってしまった、というオチまで付く。 ここらへん、予定調和を強く感じさせるのですが、でもそれもあまり深刻に考えずに見ていれば、面白いなーとは思うんですよ。

 ただやっぱり、先に述べたように、深刻に考えたくもなる。

 税金というのは、偏見誤解を覚悟で申し上げれば、実にオイシイ商売であります。

 国の基盤を作り上げ維持するために、働いている人から一定の額を完全に強制的に取り上げ、消費財から5%を強制的に取り上げ、車なんかを買えばムチャクチャ持って行かれ、たばこを吸う人はそのほとんどを持って行かれる。

 んで、使い道に関してはほぼノーチェックなんですからネ(この言い方、かなり皮肉を加えてますのでご了承ください)。

 そりゃこの国の使用料を払う、ということに異論はありませんよ。

 税金というのは、この国の使用料だと、思うんですよ。

 けれどもそのチェック機関を骨なしにしといて、法律の目をくぐり抜けながらそんな血税を既得権益みたいに無駄遣いしている奴らは、ほんっっっっとーに許せません。 税金を使っている連中の、意識自体がそもそも甘すぎる。 社会の底辺にいる人々の節約の方法に、完全に準拠すべきだと強く思うのです。

 そりゃ、外国とかに対して見栄を張る必要もあるでしょう。 けれども、税金を使うすべての人間は、どれほど自分たちが国民の善意によって成り立っているかを、胸に叩きこんでもらいたい。 そうすれば、無駄遣いをするなんてこと、恐れ多くてできなくなると思うんですよ。

 とまあ、ここらへんの問題意識に、このドラマはちょっとはぐらかしをしている気もする。 コメディっぽく見せるのも、あり得ない設定をするのも、いっぽうで容認しながら、いっぽうで許せない自分もいる。 このドラマを見ていて複雑な気分になるのは、そんなところに原因があるのです。

 とりあえずですねー、肩の凝らない番組として、来週以降も見ることにしますです。

 そうだ、蛇足ですが、「黄金の豚」 の意味が分かりません。 涼子チャンの部屋に黄金の豚の貯金箱があるんですが、それと税金と、どんなくくりがあるんでしょうか?

 「龍馬伝」 のレビュー、またまた遅れそうです(笑)。 てゆーか、まだ見てないんですけど(笑)。

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2010年10月20日 (水)

「フリーター、家を買う。」 第1回 リアルすぎる…

 このところ秋の新ドラマチェックに忙しいのですが、もともとそんなにあれもこれもと見るタイプではないのです。 コメントをお寄せくださった方への返信にも書いたのですが、もともと出演者や脚本家だけで見るドラマを決めている私がこの秋のドラマは、実際見てみないことには分からないドラマばかりなのです。 しかもなんとなく見てみたくなるような前ふりのドラマが多くて。
 おかげでここ数日、ちょっとブログを更新するのがしんどいです。 昨日の記事にも書きましたが、「たかがドラマの感想文」 に、全精力…をかけると仕事ができなくなってしまいますので(笑)それなりに、でも結構リキを入れて書いているもので。 「龍馬伝」 のレビューがまたまた遅れてしまいます。 ヘロヘロ、です(笑)。

 それでも書きたくなるほどのドラマに、出会いました。 「フリーター、家を買う。」 です。 いままで見たこの秋の新作ドラマのなかでは、いちばん心を揺さぶられました。 フジテレビ、久々のヒットです。

 題名からして、単なるハウツーものなのかな、という気がしたんですが、本編を見ると、この題名じゃイカン、とさえ感じます。 フリーターや引きこもりの原因をこれほどまでにリアルに描いているとは、正直言って驚きでした。 脚本は、「不毛地帯」 の橋部敦子サン。 原作もあるみたいです。

 冒頭から、理不尽なまでの新社員教育を強制させられる、二宮和也クン。 私は 「ふぞろいの林檎たちⅡ」 を思い起こしたんですが、こんなこといまだにやっとるんですかねえ。 社会では自分の感情を押し殺して仕事しなければならないことを徹底的に叩きこむのがこの新人教育の目的だとは思うんですが、こんな極端な形で教え込むのは逆効果だと強く感じます。

 結局3カ月でその会社を辞めてしまう二宮クンなのですが、厳しい父親(竹中直人サン)と優しい母親(浅野温子サン)の反応も含め、実にすべてがリアル。 厳しい父親にボロクソに言われながら、じゃあ自分はどうなんだよ、みたいな息子の反応、努めて温かく見守ろうとする母親。 父親への反発も手伝って、最初のうちは真面目に再就職活動にいそしむ二宮クン、あまりにも面接落ちを食らい続けて、一年後にはすっかりフリーター。 しかもそのアルバイトさえ、いずれも長続きしない。 そしてとうとう、そのバイトさえ行かなくなってしまう。 ここらへんの経過が、とてもうまく描写されているのです。

 そしてその経過の中で変質していく、二宮クンの心情。

 初めのうちは仕事に就こうとするやる気がじゅうぶんにある。
 けれども、彼には決定的に社会不適合になる原因が、その最初のうちから備わっているのです。

 それは、他人のルールに縛られることを嫌悪する傾向。

 お客様に対してあいさつすることとか、丁寧に応対すること、というのは、要するに仕事の基本であります。 彼の場合、それを 「自分らしくない」 とか 「押しつけられるのはごめんだ」 とか、もっともらしいカッコつけでそれらを拒絶している。 「モンスタークレイマー」 とかよく話題になりますが、そんな極端な例を出すまでもなく、コンシューマーは基本的にクレームを言い出すと止まらない。 相手が不快感を抱くのは自分の態度の鏡である、という側面も、忘れてはならない一線なのです。

 そして彼の場合、自分以外のものに責任を転嫁している。

 これは父親の竹中サンがいみじくもそうやって叱り続けている事の内容と一致するのですが、社会が悪いだの就職氷河期だの、いちいち理由づけするのが、彼らに共通する傾向です。 同時に自分のスタイルを貫くことが美徳と考える傾向にあり、それで自らの正当性を無理やり自分で納得しようとする。

 しかしまあ、竹中サンの言いかたにも、問題がないわけじゃありません。 自分の息子を馬鹿にし続け、「オマエなんかロクなもんじゃないんだ」 と叩きこませようとするばかり。 それは 「自分の息子にしっかりしてもらいたい」、という期待感の裏返しでもあるんですが、どんなにバカでも、プライドってもんはあるんっスよ(笑)。

 それに対して二宮クンは、「自分だって大した人間でもない癖に、エラそうに説教するな」 というスタンスなのです。

 でもですよ。

 ここは大事なところですが、働かざるものは、食うべからず、なのです。

 またまたいみじくも竹中サンはこう怒っておりましたが、「そんな大した人間でもない奴に養ってもらっている自分は何なんだ」、ということなんですよ、結局。

 少なくとも、親に反発するならば、家出をするべきなのです、大の大人だったら。

 自分で暮らしていくこともできやしないで、イッチョマエに親に反抗してんじゃない!
 …失礼しました(笑)。 なんかワケアリみたいですね、私(笑)。 そんなことなーですよ(笑)。 いや、自分が親に対して 「うっせーんだよ!」 という口を聞いたことのある人間なので(お恥ずかしい)、余計そう思ってしまうのです。

 そしてとうとう、テレビゲーム三昧の自堕落な、本当のバカ息子となり果ててしまった、二宮クン。 ここらへんのリアリティは、息をのむばかりです。

 そんな息子を、あくまで温かく見守ってきた浅野温子サン。 ついに、重度のうつ病になってしまうのです。 家事の途中で過度の精神不安定状態に陥り、台所で 「ごめんなさいごめんなさい」 を繰り返すだけになってしまった母親。 テレビゲームにこうじてその発見が夜になってしまった二宮クン。 そこに帰ってくる竹中サン。 実家の異常に気付いて駆け付ける二宮クンの姉、井川遥サン。 リアリティ、ここに極まれりの描写に、背筋が凍りっぱなしでした。

 病院での父親との会話に耐えきれず抜け出した二宮クンは、その足で土木作業員のバイトを見つけ、面接に行くと、社長の大友康平サンが出てきて、即採用。 あまりのあっけなさに拍子抜けする二宮クン。

 選り好みしなきゃ、仕事なんかそこら辺にごろごろ転がっている、という、凄い見本を見ている気がしました。

 でもそのやり始めた仕事にも、「どうして自分はこんな目に遭わなきゃならんのだ」 という意識ばかりが先走りして、相変わらず仕事に身が入らない二宮クン。 そこで働いていた同じ作業員の香里奈サンにちょっかいを出そうと(笑)話しかけるのですが、「なにを自分に言い訳しているの?」「私は好きでこの仕事をしているの」 と見事なまでに一刀両断。

 この香里奈サンのセリフは、ややもすれば失礼に陥ってしまう、微妙なさじ加減を要求されるセリフだったのですが、押しつけがましさもなく、見事なまでの引き加減でもって、二宮クンの胸を切り刻むのです。

 雨が降ってきたなか、ネコ(一輪車)に土砂を積み込む二宮クン、倒れこんで、自分の母親がいかにいままで自分を温かく見守っていてくれたのかに気付き、男泣きに泣くのです。 もう、こっちも号泣しまくりました。 母親というのは、親というのは、有り難い。 書きながらまた泣けてきました(笑)。

 もうこのシーンだけで、このドラマには最後までついて行こう、という気持ちが固まりましたです(笑)。 いままで見てきたほかの新ドラマが、すべてかすんで見える(笑)。

 それにしても浅野サンのうつ病のカギを握っているのが、どうやら近所に住む坂口良子サンらしい。

 「池中玄太」 のころの坂口サンを知っている私から言うと、ああお年を召したなあ…という感慨が先に立ってしまうのですが、若い時は私の憧れの人のひとりでした(いろんな人に目移りしとりました…笑)。 いまの若い世代にも、この人はこんなに可愛かったんだということを知ってもらいたいほどの可愛さでしたよ、凄く。

 ああそれにしても、今日はこのドラマのレビューで手一杯だ…。 どんどん見なければならないドラマが、たまっていくぅぅ~~…(笑)。

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2010年10月19日 (火)

「坂崎幸之助・吉田拓郎のANNG」 中島みゆきサン登場

 番組の宣伝をした関係上、その結果は書かねばなりません(笑)。 「龍馬伝」 のレビューが、先送り先送りとなっております(笑)。

 10月18日のラジオニッポン放送 「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」 に、先週も予告しました通り、中島みゆきサンがゲスト出演いたしました。
 このお3方のファンである私には、卒倒しそうな顔ぶれでありました。 こんなことって、あるんだなぁ(笑)。 生きてりゃいいことも(笑)。

 初めの5分くらい、拓郎サンは銭形平次か森の石松かみたいなテンションで 「べらんめえ、目の前にいるけど30分くらいしゃべらせないぞ」 ともったいつけてなかなかみゆきサンにしゃべらせない(笑)。

 もともと拓郎サンの前ではかなり委縮する傾向にあるみゆきサン、ゲストに出ていらっしゃる間、ほとんど拓郎サンの独壇場でしゃべらせてもらえなかったとゆーか(笑)。
 「もっとみゆきにしゃべらせろ!」「拓郎黙ってろ!」 というみゆきファンの悲鳴が聞こえてきそーな感じ(笑)。

 拓郎サンは先週まで、「中島みゆきはどうして中島みゆきなのか?という質問をしてやる」 とか話していたのですが(笑)、この日の最初の質問はやはりそのことで、要するにデビューのときに芸名とかを考えなかったのか?ということでした。 みゆきサンは、自分の名前を漢字で書くと 「美雪」 なんだけど、横の棒がかなり多くてつぶれっちゃうのね、面倒だから平仮名に変えました、というお答え。

 同時にこの日のゲストだったのが、瀬尾一三サン。 拓郎サンともみゆきサンとも、縁の深いアレンジャーであります。 みゆきサンによれば、瀬尾サンが出るからこの番組に出ることを承諾したとのこと。 「オレは瀬尾を呼んだ覚えはない」 と拓郎サン(笑)。
 この瀬尾サン、かなり番組ではオモチャにされてまして(笑)、みゆきサンの曲 「悪女」 を歌わされて、ちゃんと知らなかったことが判明(笑)。

 特に 「隠しておいた言葉がポロリこぼれてしまう 『行かないで』」 の部分が、拓郎サンも坂崎サンもよく呑み込めてないらしく(笑)、そのまま同じ音符の長さで歌ってしまうから最後に早めに終わってしまう(笑)。 ここでみゆきサンに 「どうやって歌うんだ?」 と強制(笑)、「隠してエ置いたア言葉がポロリい」 と、わりかしきちんと歌わせて、「隠して、エ!か!置いた、ア!か!」 としごく納得のご様子(笑)。

 この場面、長年みゆきサンを知っている人からすれば、実に歴史的な(笑)場面でした。

 つまりこの番組予告の当ブログ記事でも書かせてもらったんですが、中島みゆきという人は、自分を安売りするようなことを決してしない人なのです。 「アイラブユー新潟」 とかを自分の 「オールナイトニッポン」 のなかで半分おちゃらけて歌うようなことがあっても、こうして自分の持ち歌を、きちんと歌うようなことなど、絶対にしない人なんですよ。 歌本片手にこの日も拓郎サンは昔の歌を歌いまくっておったのですが(笑)、絶対乗ってきませんでしたしネ(全編聴いていたわけではないのでもしかするとあったかもしれないですけど)。

 そんなみゆきサンがデビュー前に傾倒していたのは、URC系(アングラレコードクラブ、要するにインディーズの元祖ですな)の音楽で、五つの赤い風船など、呼び子をやっていたとかいうお話。 坂崎サンもそれに乗ってきて、「遠い世界に」 とか歌い出すんですが、「オマエは何でもかんでも精通しすぎなんだよ」 と拓郎サンに突っ込まれる。 大笑いしました。

 そんな拓郎サンがみゆきサンを初めて見たのが札幌で、アマチュアコンテストだかの番組だったらしく、デビュー前のみゆきサンが白いミニスカートをはいてギターを弾いていたのがとても印象的だった、「かわいい女の子だな、と思った」 というのです。 これは貴重なお話。 あの中島みゆきが、ミニスカートかよ!みたいな(笑)。 こりゃ見てみたかった…。 みゆきサン、テレまくっておいででした。 いや、拓郎サンとみゆきサンがデビュー前に遭遇していたとは、意外でした。

 レコーディング方法も一発撮りが基本らしくて、ほかにも4パターンくらいテイクを作ってそのなかからいちばん今の気分にあっているテイクをバックにして歌う、というみゆきサン。 「だってカラオケに合わせてあとからひとりで歌うのって、さびしいでしょ」 と言われ大きく同意した拓郎サン、瀬尾サンがその方法を教えてくれなかったことに激怒(笑)、「だって恐れ多くて教えられないですよ」 と瀬尾サン。 「今度からその方法でレコーディングするぞ、いいこと教えてもらった」 と言っていたので、拓郎サンのレコーディング方法が劇的に変わる瞬間に立ち会ったかもしれないですね、我々は(笑)。

 曲が出来るのがあまりにも遅くて、ずーっとストックしておいて、アルバムを作るぞ、というときはそれを引っ張り出してくるタイプ、というみゆきサンに、曲が出来たら早いとこ録音して、それ以上スタッフにも誰とも会いたくないという拓郎サン(笑)。 なかなか面白い対比でした。

 みゆきサンはこの番組以外にもラジオ番組にゲストで出ているらしくて、それは3年ぶりのニューアルバム 「真夜中の動物園」 のプロモーションも兼ねたものだったようですが、こうして私の青春時代を彩ったおふたりが一緒にしゃべっているところを聞きますと、プロモも結構、聴取率調査も大歓迎、という気持ちになってくるのです。

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「流れ星」 第1回 ダウナーな感覚あふれるフジの月9

 個人的には華やかな印象がいつもついて回っているフジテレビの 「月9」 ドラマですが、今回の話は、初回を見る限りかなり地味目な印象でした。 話が地味、と言うより、語り口がとてもあっさりと、淡々としている印象。
 主演の水族館職員の竹野内豊サンも、イメクラ嬢の上戸彩チャンも、かなり暗めの性格だからそう見えるのかもしれない。

 上戸彩チャンは、「10年先も君に恋して」 から連続してのドラマ主役ですが、「10年先も君恋」 の当ブログに書いたように、「上戸彩チャンは笑っちゃイカンと思う」 という、私の期待通りの役(笑)。 髪の毛も茶色に染めて、「君恋」 のリカとは全く別人であります。
 竹野内サンは、確かな演技力を持っているのに、それが生かしきれないドラマにばかり出ているような印象が、失礼ながら常にあります。 彼が最大のポテンシャルを引き出せたのは、わき役ではありましたが 「不毛地帯」 の兵頭だと思うんですけど。 まああまり私の見たいドラマの枠に入ってこない恨みはありますが、もっとちゃんと演技を見てみたい役者さんのひとりであります。

 今回私がこのドラマを見ようと思った最大の要因は、そんな主役のおふたりへの興味なのですが、実に見ていて安心感を感じさせる役柄なのではないでしょうか、おふたりとも。

 そんな竹野内サンの妹役が北乃きいチャン、そして婚約者が板谷由夏サン。 このふたりの組み合わせは、「八日目の蝉」 では母娘でしたが、年齢差的にはこっちのほうがしっくりくるかもしれないです。
 ただし竹野内サンときいチャンの年齢差が、少し離れ過ぎているという感じのほうが強いかな。 番組HPによるとその差20歳。 母親役の原田美枝子サンが40のときの子供のようです。 ずいぶん高齢出産です。

 ドラマではそのきいチャンが、肝臓病にかかり臓器移植をしないとあと1年の命、という話から竹野内サンを取り巻く人々に暗い影が落ちていく、という内容。
 それと並行しながら、ロクでもない兄貴(稲垣吾郎クン)の借金返済に苦しみ続け、ついには自殺をしようとする上戸彩チャンの様子も描写していくのですが、ゴローチャン、いかにもウサン臭くて(笑)、結構こういう役ハマってます(笑)。

 ドラマ冒頭で、踏切内に立ち尽くす上戸彩チャンを竹野内サンが救出するのですが、第1回目はそこに至るまでの話を実に丁寧に描写していました。
 しかしそれでも、第1回ラストに流されたその場面の続きには、説得力がない(笑)。

 きいチャンの肝臓ドナーが見つからないことに苦しんでした竹野内サンは、自殺しようとしていた女性が、何度か第3種接近遭遇(笑)を繰り返していた上戸彩チャンだということに気付き、いきなり 「家族になってくれ」「結婚してくれ」。

 「ハァ?」 です(笑)。

 要するにこのときの竹野内サンの心境としては、母親が婚約者の板谷由夏サンにドナーになってくれと無理なお願いをして婚約を断られ(たんですよね?)、上戸彩チャンがイメクラで働いていて自暴自棄になっていることも知っていた。 その挙句自殺をしようとしている現場に遭遇して、「要らない命だったらオレの妹に分けてやってほしい」 という感覚、でしょうか。 イメクラで働く女性を軽く見ている、という側面も感じられる。

 まあ、そこに至るまでに竹野内サンがかなり追いつめられていたことは分かるのですが、「結婚しよう」 はトートツすぎ、と言いますか(笑)。

 それでもこうでもしなければ始まらないのが、ドラマであります(笑)。 全体に漂う、押しつけがましくない雰囲気に誘われて、次回以降も見てしまうような気がいたします。 なにしろ、登場人物全体に(あえてゴローチャンも含め)、感情移入できそうな部分が大きいのです。 このドラマの最大の魅力は、そんな上っ面ではない人々の描写にこそある気がしてなりません。

 第1回目でいちばん共感できたのは、竹野内サンと上戸彩チャンとの最初と2回目の会話で出てきた、クラゲの話でした。
 対流をさせていなければ沈んで死んでしまうクラゲは、脳がないので感情もない、という竹野内サンの話を聞いて、感慨を深いところに沈めていく、彩チャン。 彼女がクラゲのように、悩みのない世界へ行くには、脳みそがなきゃいいのか…と共感を寄せる部分は、とても味わいがある場面でした。 そして2回目の竹野内サンとの会話では、「死んだら溶けて無くなる」 というクラゲに、ますます自らの現実逃避を、彩チャンはダブらせていくのです。

 そんな登場人物たちの描写が見事だからこそ、「結婚しよう」 という竹野内サンの申し出が引き起こす波紋に、注目せざるを得なくなってくる。

 とりあえず様子見、というスタンスですが、「最後までこのドラマにお付き合いしたい」 という吸引力はじゅうぶん持っているドラマのように思えるのです。



当ブログ 「流れ星」 に関する他の記事
第1回 ダウナーな感覚あふれるフジの月9
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-9-cab7.html
第2回 なんか、あっという間でした~ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-2223.html
第3回 一瞬で消えてゆく星、その星への祈りhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/3-f0b3.html
第4回 消えない流れ星http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-6d12.html
第5回 生きていてほしいからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-8444.html
第6回 託したい思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-3966.html
第7回 分かってる、その気持ちはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-9175.html
第8回 思いがはじける瞬間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/8-2edd.html
第9回 グラス・タワーの緊張感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-ce60.html
第9回 健吾の決断について、補足ですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-cad6.html
第10回(最終回) やさしさが帰る場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/10-6223.html

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2010年10月18日 (月)

「パーフェクト・リポート」 第1回 題材に、難アリ

 松雪泰子サンが傑作 「Mother」 からワンクール置いて主演を務める、「フジ日9」、「パーフェクト・リポート」。

 本題に入る前に、ちょっと苦言を呈してもいいですかね?

 フジテレビサン、日曜の夜9時台に、TBSとドラマをガチンコさせるようなマネは、よしていただきたい!(笑) ただでさえこの時間、「Nスペ」 や 「日曜洋画劇場」 とのせめぎ合いに苦しんでるんですから毎回(笑)。

 個人的な事情を申せば、NHKの大河とTBSの日曜劇場だけで、一日に見るドラマの量としてはいっぱいいっぱいであります(笑)。 と言うか、3本のドラマを見てその感想文を一日で書くのは、私の場合ほぼ不可能(笑)。 「何をそんなにムキになってたかがドラマの感想文ふぜいを書いているのか」 と言われれば返す言葉もございませんが、今回は 「龍馬伝」 の 「たかが感想文」 を明日以降に回させていただくことにいたします。 なんか今日も 「月9」 の新しいドラマがあるみたいだし、明日も書けるのか微妙ですが…。

 それで、とりあえずW録画で録っておいたこのドラマ、デジタルとアナログのW録画しかできないために、「獣医ドリトル」 をデジタルで、こちらをアナログで録ったのですが、久々にアナログ放送を見て驚きました。 画面の下のほうにアナログ終了のお知らせその他、マンションに住んでいるかたがどーだとか、UHFアンテナがこーだとか、脅迫テロップの嵐で(笑)んまードラマ本編に集中できないこと(笑)。 これは一種のボーリョクですよ。 立ち上がれ全国の地デジ難民たち!

 話はどんどんずれてまいりますが(笑)、私の場合マンションで共同アンテナを地デジ対応にしないとダメだという話になって。

 そんなアホな、UHFアンテナがマンションの屋上にはすでについてるんだから、こっちはもうとっくに地デジを利用してる、なんで何10万もする(100万単位だったかなあ?)共同アンテナに変えなければならないんだ、ということを申しましたら、マンションの住人たちすべてが地デジを受信するとなると、なんか電波の許容量を超えてしまうらしくて。
 仕方なくマンションの管理団体が結構な金額でもって共同アンテナの工事を委託することに、同意いたしましたよ。 まあ積立金からやったんですけどね。 そのせいか毎月の管理費が1万近く値上がりいたしまして。

 ンんん~~~もぉぉお~~~っ、フザケンナ!! 総務省、金返せ! 

 取り乱してしまいました、大変失礼いたしました(笑)。

 お待たせいたしました、ドラマの話ですが(笑)、ドラマはテレビ局の報道部で遊軍取材班、という落ちこぼれ部署にデスクとして左遷された松雪サンが、「真実を伝える」 という情熱ひとつを武器にしてあらゆる障害を辛口スルメ片手に(笑)破壊しまくりながら突き進む、という内容のものであります。

 この、ドラマとしての方向性は、結構面白いものがあると思うのですが、初回に大きな花火を打ち上げようとしてドラマが題材に選んだモノがよくない。
 それは、日本国総理大臣。

 ドラマでは石橋凌サン扮する総理が数時間謎の失跡を遂げた原因を、松雪サンがさまざまなしがらみと衝突しながら突きとめていく。

 ここで記者クラブの弊害とか、持ちつ持たれつの政府と報道の関係とかを浮き彫りにしていく姿勢は結構なことだと思うのです。 ここで報道に対する受け手の国民のモヤモヤした思いを明確にあぶり出す手法は、見ていて爽快さを覚える側面も、確かにある。

 しかしですよ。

 そんな立派な問題意識にとらわれて、総理が数時間の間公務を抜け出した、という事実を追うことが、本当に国民の利益につながっているとは、私には到底考えられないのです。

 確かに総理のこの行動により、米国国務長官との会見をスポイルした国益の損失というものは、計り知れないかもしれない。
 でも、見くびってモノを申すようで甚だ遺憾ですが、アメリカの国務長官との会談くらい、別にどうでもあとから修復が利くことでしょう(やっぱり見くびってますかね)。 尖閣諸島問題で中国と事務級レベルの会談をするのとは、訳が違う気がするんですよ。

 結局追い詰められて石橋凌総理が下した結論は、「辞任」。

 ここは石橋総理に、あくまでデカイ面してもらいたかったなあ。

 松雪サンが突き止めた、総理がすっぽかしを行なった理由は、自分と同じ大学のラグビー部出身のSPが、自分を犠牲にして植物状態となっていたのですが、その彼が重篤状態に陥ったため、彼の最期を看取ってやろうとしたことによるもの。

 彼が植物状態になった原因の火事の現場で、ラグビー部の選手交代の際の伝統である儀式を総理が託される場面は、確かに涙を誘うものでした。
 だからこそ、総理は辞任などせず、職務を全うするべきなのです。
 こんなところに、総理大臣の職を軽々しく考える昨今の風潮など取り入れなくてもよろしい。
 こんなところに、作り手が総理大臣の職をどのくらい軽く見ているのかが、垣間見えてしまうわけです。

 ところで今回の話に私がのめりこめなかった理由は、これまで書いたように、題材が大きすぎることによるもの。

 別に総理大臣を扱ったりしなければ、このドラマの方法論は見ていて興味深いものであることは、間違いがないのです。

 だから、次回以降には期待。 松雪サンの演技は、どんな女性をやっても、常に暗さが付きまとっている気がしますネ。 これがこの人の独特の味なのかもしれませんが、こーゆーかたくなな暗さを持っている人が、あけっぴろげなコメディをやるところを、私などは見てみたい気もするのです。 私って、Sですかね?(笑)

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「獣医ドリトル」 第1回 ペットの命、どこまで深く踏み込めるのか

 小学館 「ビッグコミック」 連載のマンガをドラマ化した、「獣医ドリトル」。
 構図的には同じくマンガのドラマ化 「JIN-仁-」 、または 「GM~踊れドクター」 に引き続いて医療ドラマづいている日曜劇場、という感覚ですが。

 「ビッグコミック」 も、ここ数年読んでないので最近の詳しいことは分からないのですが、「獣医ドリトル」 というマンガはたまーにしかやらない連載もので、ひどい時は半年以上も音沙汰なし、みたいなケースもあったかなあ。 もう自然消滅したのか?と思うと忘れたころに、まるでほかの連載ものが休載になった時の穴埋めみたいな感覚で掲載されていました。

 そんなデスパレートな(がけっぷちの)マンガまでドラマ化とは、よほどテレビ局もネタに困っとるのか…というのが、この話を最初に知ったときの感想でした。

 確かにストーリー自体は、「ビッグコミック」 という超一流どころのマンガ家サンを集めたマンガ誌に載るだけあって、どうでもいいような作品ではありません。
 しかし、いかんせん話に奥行きがないんですよ。

 つまりこのマンガは、口は悪いし高額な報酬を要求する、しかし腕は超一流、といういわば手塚治虫氏の 「ブラック・ジャック」 の獣医版というテンプレートを介して、「ペットと飼い主」 の問題をえぐり出そうという意図のもとに作られているのですが、何しろ話がそれ以上の深遠な部分を描き出せない。

 ペットのことを論じる際にいちばん問題にされるのは、 「身勝手な飼い主」 たちの存在です。 「獣医ドリトル」 のマンガでは、いろんなケースを例に出して、飼い主だけでなく人間全体の身勝手を痛烈に批判している。 けれども話が、そこどまりにならざるを得ないのです。 ドラマでこのマンガをやるのもいいのですが、たとえば10回程度の番組でこのことを手を変え品を変えやっていても、すぐにワンパターンに陥ってしまうのではないか?という危惧が、どうしてもついて回ってしまう。

 第1回目を見ていて気付いたのは、ドリトル(小栗旬クン)の恩師である石坂浩二サンと、全国展開で大きな動物病院の院長をしている國村準サンを、かつての教授仲間として対立構図を鮮明な設定にしているところ。 ここらへんから原作にはない深遠な話に踏み込めるのかもしれない、そんな予感がします。

 まあ私の危惧なんか大した話ではないのですが、第1回目を見る限りでは、この物語のいちばんの柱である 「飼い主としての覚悟があるのか」 という話をメインに、引きこもりの小学生(「JIN-仁-」 で 「おっかさんが死んじまう!」 ってやってた子ですよね)、そしてその子の父親で頭の固い会社社長の西村雅彦サン、そしてその父親の継母である紺野まひるサン、そしてその父親から依頼を受けドリトルに訴訟を吹っかけてくる弁護士の若村麻由美サンが複雑な人間模様を描きながらドラマをより高いエンターテイメントに昇華させていました。 この分なら安心して見ていられるかな。

 そしてドリトルの助手としてこの医院で働くことになる、井上真央チャン。 このコの演技力は、さすがに安定感があります。 来年のNHK朝ドラも、いまから期待度大、です。
 原作では結構キャピキャピしたキャラなのですが、彼女が演じるとちっともマンガの登場人物に見えない。 きちんと血の通った生身の女の子、という感じなのです。

 成宮寛貴クン演じるタレント獣医花菱も、原作ではそーとー頼りない人気だけの男なのですが、いまのところボロは見せていないようです(笑)。 國村準サンの息子役が、こないだまで 「仮面ライダーW」 でフィリップをやってた子ですよね。 私はフィリップ君より翔太郎をやってた男の子のほうが演技力があると思っていたので、フィリップ君の抜擢には少々驚いております。

 そして、主役のドリトルを演じる、小栗旬クン。

 ワタシ的には、ほぼ原作のイメージ通り、という感じです。 ただ原作よりも、かなり輪をかけて辛辣になっている。 見た目も態度も悪人の匂いをプンプンさせておりますが(笑)、本当に動物のことを考えている点において、ちっとも悪人ではないことは見ている側にとってかなり明白なのです、最初っから。 だからこれくらい辛辣にしたほうがバランスが取れていいのかもしれません。 彼の演技も、安定感がありますよね。

 「JIN-仁-」 ほどのインパクトには欠ける気もしますが、ペットの心の叫びを聞きながら、身勝手でファッキューな人間どもの心の闇を、一刀両断にしていってほしいものであります。

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2010年10月17日 (日)

「てっぱん」 第3週 物語が、駆け出した

 筋書きのゴーインさによって、「あり得へん話」 に無理やり見る側を巻き込もうとしていた第2週までの 「てっぱん」 でしたが、第3週になって脚本家のかたが変わったせいか、ギャグのテンポとキレが良くなり、物語に集中しやすくなったような気がします。 赤井英和サンの滑りまくりのオヤジギャグを見ても分かるように、ギャグの質が良くなったとは申しませんが(笑)、テンポがいいので許せてしまう。

 もちろん話のメインはギャグではありません。
 今週作り手がいちばん描写に時間を割いていたのが、あかり(瀧本美織チャン)と 「べっちゃあ」 初音(富司純子サン)の 「不器用な心どうしのキャッチボール」 でした。

 しかし話の流れは、相変わらずのゴーインさの上に、さらにベタな展開。

 今週冒頭から、ほとんど 「お約束」 のごとく(笑)就職先の会社が初出社のその日に倒産してしまうあかり。 何べんこのパターンって、見たでしょうか…(笑)。 そして家族からの期待をまたそのタイミングで一身に浴びてしまい、本当のことを言い出せずに終わってしまうあかり。 あ…デジャ・ヴだ…(笑)。

 そして何の因果か…ってそーなるのもお約束ですけど(笑)、結局初音の下宿屋に間借りすることになるあかり。 あまりにもオーソドックスすぎて、「あーもうどうぞどうぞ」 という気にさえなってくる(笑)。

 ここで不可解だったのが、大阪到着早々に初音を訪ねて散々タンカを切っておいて、いざ住むところも困る身となったら、一転して初音の下宿に泊ろうとするあかりの姿でした。
 それについてのあかりの説明は、こうです。

 「逃げたく、なかったんです…千春さん、ここに住んどったんじゃね」

 短いセリフですが、あかりが自分の抱えているモヤモヤをそのままにせず、対決していこうという意志の強い女の子であることを、ここでは表している気がするのです。 自分の母親のことを気にしながらも、あくまで 「千春さん」 と押し通すところにも、それが見てとれる。

 けれども同時に、とてもそれは、子供っぽい意地のような面の表れでもあるのです。

 見ていてホントに感じるのですが、このコの表情は、実にクルクルよく変わる。
 とても元気だし、心配事があると思い切りそのことばかりを考え込んでしまう。
 その 「子供っぽさ」 は、赤井サンから初音が病院に運ばれたと聞いて、仕事中にもかかわらず病院に直行してしまうところにも、顕著です。

 直情径行型で、何をするにも一直線、これがあかりの大きな魅力のひとつであり、歴代朝ドラヒロインの、ひとつのステレオタイプとも呼べるのですが、「いいものはいい」、という結論に、落ち着いてしまうんですなあ(笑)。 私は瀧本美織チャンのこの元気さに、ちょっとハマりつつあります。
 このコはギャグの演技の勘がいい。
 二流アスリートのオニーサン(長田成哉サン)の布団にどつかれてコケるシーンをはじめとして、ひとりボケ突っ込みをするところなど、初めの2週間くらいの硬さがとれて、悠々と泳ぎ出した印象を、強く受けます。

 しかし先に指摘したように、そこには 「子供っぽさ」 がついて回っている。
 仕事をほっぽり出して初音のところへ向かう、というのは、あかりが初音に対して 「自分のおばあちゃん」 としての認識がもう堰き止められないレベルにまで達しているひとつの証なのですが、同時に仕事のなんたるかを自覚するまでに至っていない子供さの表れなのです。

 だから、今週後半で遠藤憲一サン演じるお父さんに 「尾道に帰るんだ」 と強く命令されれば、すごすごとそれに従ってしまう。

 直情径行型のあかりがお父さんの言うことに従ってしまう、という不可解さは、実はこの 子供っぽさ」 に原因がある、そう私は考えるのです。

 いっぽうの初音の側としては、昔娘の名前を冠したお好み焼き屋をやっていて、娘が家を出て行ったのを機に閉店、いまはお好み焼きが大嫌いで店舗は開かずの間となっている…という事情も、そんなにひねりが加えられているわけではありません。 まあ、ベタです(話はそれますが、この開かずの間、「バイオハザード1」 の毒グモの部屋を連想しました…笑)。

 そんな初音が、相変わらず憎まれ口を叩きながらあかりのその天真爛漫さにちょっとずっ、ホントにほんのちょっとずつ癒され始めている描写が、これが心憎いのです。 あかりのキャラクターと合わせて、初音のこのかたくなさが解きほぐれていく様子が、このドラマのいちばんの魅力だと感じます。

 すごすごと父親に連れられて尾道へ帰ろうとするあかりに、初音は21年前、娘(木南晴夏サン)が家を出ていく自らの記憶をダブらせる。 21年前にあえて知らんぷりを決め込んだ千春を追いかけるための道を、いまは追いかけている――そんな中村玉緒サンのナレーションが、作り手の本当に伝えたい部分だということがよく分かる。 泣けます。

 なぜ初音が、千春を追いかけないで、あかりを追いかけたのか。

 それは、意地っ張りだった自分への後悔の念なのです。

 そしてもう、追いかけようとしても追いかけることすらできない、死んでしまった自分の娘への強い思いなのです。

 1週間分をまとめて見ていて、そんな初音の思いが、さりげなくもドラマの随所に、ちりばめられていました。 だからこそこのナレーションは、人を泣かせる力を持っているのです。

 息も絶え絶えに(あまり無理せんといてください…笑)あかりたちに追いついた初音は、あかりに向かってこう言います。

 「忘れもんや…!

 うちの忘れもんや。

 ひとこと言わせてんか。

 あんたうちに言いましたな。
 『尾道でしか生きられん子違う』
 『大阪で立派にやっていけるとこ、見ててほしい』
 …あれはハッタリか!」

 あかりは当然反駁します。

 「そやったら、なあんで逃げて帰るんや?」

 あかりは、自分が大阪にいると、初音の心をかき乱す、それが心苦しいから帰るのだと言う。

 「尾道に帰ったら、あんたのしょってるもんが消えるんか?

 あんたは、うちのせいで、しょいたくないもんも、しょわされた。

 知ってしもうたことは、知らんかったことにできへん。

 あんたも…、

 うちもや…。

 あんたの人生は、あんたのもんやろ!」

 あかりにもういくぞと促すお父さんに、あかりはこう言うのです。

 「待って。

 お父ちゃん。

 うちも忘れもんじゃ」

 あかりは、どこへ行っても自分の本当の母親と祖母がいるということから逃げられない、だったらここでその思いと対決しよう、と決めたのです。

 その決断は、あと先のことも考えない、やっぱり子供っぽい一面も、確かにあります。
 それでも、若い時はあっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながら、人間は成長していくものなのです。 若い時から何の失敗もなく完璧な人間など、大した人物に成長しないでしょう。 「忘れ物」 というキーワードを初音とあかりの両方に言わせることで、「忘れ物をそのままにすることであとあとまで後悔したくない」 というふたりの気持ちを結び付けている、という構図もうなります。

 さらにあかりは心配顔の父親に、自分はどこへ行っても村上鉄工所の娘(要するにお父ちゃんとお母ちゃんの子供)だから、大丈夫、と言い切ります。 あかりが自分たちの本当の子供ではないことに、心配のいちばん深い根っこがあったお父ちゃんは、そのあかりの言葉を聞いて、みるみる目が赤くなっていくのです。 「あかりを頼みます」 と初音に頭を下げる、遠藤憲一サン。 この父親の思いも、泣けたなあ。

 あかりと初音が一緒に生活をし出すという、物語のとっかかりの部分を、話の無理やりさに苦慮しながら、ここまで仕上げた作り手には、一定の評価をしてもいい、と私は思います。

 問題は、物語が拡張を始める次週以降。 作り手はこうして仕上げたシチュエーションから、どんな物語を紡いでいくのでしょうか。

「てっぱん」 に関する当ブログのほかの記事
第1回 名作の後番組は、ハードルきついですよね
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/1-8eb5.html
第1週 どこまで、ついていけますかね?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-c996.html
第2週 相変わらず、ゴーインな脚本ですがhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-69b4.html

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2010年10月13日 (水)

「セカンドバージン」 第1回 セレブの恋愛に、興味なし…ですけど

 番組HPによると、メイン・ターゲットを40代女性に絞っているらしい今回のNHK火曜ドラマ10、「セカンドバージン」。

 脚本は大石静サン。 この人のドラマは東芝日曜劇場の 「オトナの男」 のあたりがいちばんエッジが効いていた気がするのですが、最近では 「ギネ」 を見て、失礼ながらだいぶ力量が落ちてきたなあ…と感じたものです。

 そんな大石サンがどんな物語を作ったのか、という興味で第1回目を見たのですが、正直言って前半部分はかなり上滑りな印象。 何度 「このドラマは見なくてい~や」 という気分にさせられたか。

 要するに、主演の鈴木京香サンのセレブぶりに、とてもじゃないが感情移入できないのです。
 いや、京香サンだけでなく、このドラマに出てくる人々は、基本的に全員がセレブ。
 ビンボー人の私には、縁もゆかりもない世界であります。
 そんな金持ちたちが、金があるだけでは埋められないむなしさとかに悩んでいるところを見たって、正直なところ、「やってろ!」 という感じでしかない(あーあ、ビンボー人のヒガミだ…)。 40代女性がターゲットらしいし、門外漢が何を感じても、別にどーだってい~か、という感じなのですけど。

 私がこの物語にちょっとした興味を持つきっかけとなったのが、こんな上っ面そうな 「ジュージツしたキャリアウーマン」 の40代バツイチ?子持ち独身女性の京香サンが、女房持ちの男(長谷川博己サン)にのめりこんでいく、その過程でした。

 なんとも、官能的なんですよ、NHKのドラマにしては。

 いや、直截な表現は、確かにありません。
 しかし、さほどタイトでもないスカートをはいて闊歩する後ろ姿とか、ベットで愛猫と肩もあらわな姿で寝ている姿とか、鈴木京香サン自体から発散されるセクシーさも大きな要因なのですが、相手役の長谷川博己サンの奥さん役の深田恭子チャンの 「××しよう」 攻撃(そのままズバリは、さすがに言っとりませんが…笑)やら、妊娠にいいヨガの連発やら、長谷川博己サンのさりげない花束攻撃からキス攻撃に至るまでの京香サンへの興味の高まりやら、物語全体から、「××したい」 感があふれとる…と言うか(下品な表現で誠に申し訳ない)。

 そしてすでに書いてしまったのですが、こんなセレブな京香サンに、ごくつぶしの一人息子(綾野剛サン)がいた、ということ。
 それまで非の打ちどころのない完璧な女性だとばかり思っていた京香サンに、こんな弱みがあろうとは。
 このタトゥー入れまくりのバカ息子を演じている綾野剛サン、…覚えてますかー、「Mother」 の、あの児童虐待サイテー男です!!(笑)
 …ロクな役やっとりませんなあ…。

 いずれにせよですよ、ドラマ自体からぷんぷんと発散される官能的な匂いのおかげで、第1回ラストでは京香サンと長谷川サンがトートツなキスをしてしまうのですが、これが全く不自然に感じない。 却って大人同士の危険すぎる恋が始まったことを予感させるのです。
 あーこんな経験のない私には、とてもじゃないがマネのできない、ハードルの高さだぁ~(笑)。
 ふたりともセレブであるがゆえに、こんな危険な恋に落ちてしまう度胸も覚悟も、座っとるんでしょうなあ。

 「オトナの男」 を見たときに感じたような、かなり深いところまで読むことのできる奥行きのありそうな話に思えて来ました。
 前半あまりにもかったるかった上っ面な描写が、実は意味があった、ということなのですから。

 エンディングテーマも倖田來未チャン、そしてバックには女性のハダカ(の一部)、なんともセクシーさを前面に打ち出しとるじゃないですか。 NHKにあるまじきエロさ全開だ(笑)。

 京香サンの相手役の長谷川博己サン、ほぼ知らなかったのですが、佐々木蔵之介サンと椎名桔平サンを足して2で割ったようないい男。 深キョンは相変わらず、頭の足りなそーな役をやらせるとピカイチであります(失礼)。

 最後まで見るかどうかは微妙ですが、前作 「10年先も君に恋して」 も最初はちょっと距離を置いて見ていたので、ちょっと付き合ってみようかな、という気にはなっております。
 何しろ大人の恋に目覚めた京香サンが、せくすぃ~専務の本領を次回以降存分に発揮してくれそうなので(笑)。

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2010年10月12日 (火)

来週の 「坂崎幸之助・吉田拓郎のANNG」 に中島みゆきサンが出ます!

 番宣、です(笑)。

 来週10月18日ニッポン放送 「坂崎幸之助・吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」 に、中島みゆきサンがゲスト出演いたします! このお3方のファンである私は、いまからもう、心臓バクバクであります(笑)。 みなさん、必ず聴きましょう! 時間は午後10時から1時間50分です。 布教活動をこの記事では、しまくります(笑)。

 もちろんラジオ聴取率調査(いわゆるスペシャルウィーク)の賜物なのでありますが、何だかこの番組の聴取率は、あまり芳しくないらしい。 どーしてなのだ? 私は現在のラジオ番組のなかで、この番組がいちばん面白いと思っておるのです。 みなさん、みゆきサン登場以外の回でも、ぜひ聴いてみて下さいまし! ふたりとも酔っぱらっているかのごときハイテンションで放送をしております(笑)。 あまりにもアナーキーすぎて、常識あるかたは 「なんとふざけた放送をしとるのだ!」 と憤慨されるかもしれませんが。

 ここ数回、拓郎サンと坂崎サンはスタジオに置かれた歌本に夢中で、古ーい歌謡曲を調子っぱずれで歌いまくっております(笑)。 これがムチャクチャ笑える。
 特にふたりがお好きなのが、「君には君の~夢があ~り~」 という、「若いふたり」(笑)。 毎回のよーに歌っとります(笑)。 昨日などはわが故郷の歌手春日八郎サンの 「別れの一本杉」 を拓郎サンが歌ったのですが、その音域のあまりの広さに途中から驚きだし(笑)、「あのこ~と~わ~かれ~た~悲し~み~に~」 のところからムチャクチャなシャウト(笑)。 もう、笑い転げました。
 これをふたりとも、みゆきサンにも参加させようとしているみたいなのですが、果たしてみゆきサンは、古ーい歌謡曲を、歌ったりするのか? 少なくとも私は、みゆきサンがラジオで歌っているのなんて、聞いたことがありません(笑)。

 みゆきサンって、こういう自分を安売りするよーなマネを、徹底して拒絶している気がしてならないんですが(笑)。
 「握手券」 って、ありましたよねー。
 「中島みゆきのオールナイトニッポン」 で、みゆきサンのお眼鏡にかなったお便りの主に贈られる。
 あれが欲しくて欲しくて(笑)。
 しかしそれが手に入る確率は、極端に低くて(笑)。
 なんかとても、この人のガードは固いんだ、という認識が、この時点で私の中には出来上がってしまいました(笑)。

 そんな人が、拓郎サンから 「オマエ、これを歌え!」 と言われて、「ハイハイ」 と従うのかどうか。 私の興味は、すでにこの一点に集中しております(笑)。

 もともと拓郎サンは、 「中島みゆきのライヴ会場に行って 『悪女』 をバックで弾きたい」 という目標を掲げていたんですが、そのもともとのきっかけは、以前当ブログ記事で書いたとおりです(その記事はこちら→ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/gold-b9ce.html)。
 この記事内でも書いている通り、高見沢サンが 「マリコの部屋でマリコと交尾」(笑)という替え歌を作っていたのが、拓郎サンはよほど印象に残っていたらしく、先週の放送だったか、その時の話をしておりました。 拓郎サンはその時期を覚えていなかったようですが、この転送先の記事に、明記してありますですよ!

 昨日はその 「悪女」 をふたりして弾いていたのですが、どうも30年近くたつというのに、いまだにちゃんと覚えていない(笑)。 あれだけ悪女悪女言っといて、覚えてねーのかよ!(笑)みたいな。

 とにかくかつての拓郎サンのファンは、必ずこの番組を聞くべし!聞くべし!聞くべし!であります。

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2010年10月11日 (月)

「龍馬伝」 第41回 この世で果たすべき役割

 ちょっとお断り。 後半部分、少し書き足しいたしました。

 「龍馬伝」 第41回は、高杉晋作(伊勢谷友介サン)の死を中心とした話。 その切り口は、意外にもお涙頂戴という意図をあまり感じさせないものになっていた気がします。

 確かに高杉は今回登場開始から多量の喀血をし、最後には病死寸前だというのに波打ち際で嗚咽と呵々大笑を繰り返す、これ以上ないという壮絶さを見せつけていたのですが、伊勢谷サンの演技からは、「さあ泣け!」 というものよりも、「もう長くはない」 と諦めながらも、「最後の最後まで命を使いきってやる」、という高杉の執念をより強く感じました。

 却って泣かされたのは、高杉を慕う元奇兵隊の人々の思い。
 この人々、そんなに重要なセリフを吐くわけでもなく、一般ピープルという感じで名の知らぬ役者さんたちの演技によるものなのですが、なんかとても重要な役どころのような気がする。 龍馬の大政奉還論を拒絶する木戸(谷原章介サン)は高杉から命がけの説得を受けても動じないのですが、元奇兵隊の強引な面会希望の波に遭って、差し入れの卵籠を持ちながら、初めて慟哭するのです。

 そして今回後半、桜の季節まで生き延びることのできた高杉を、元奇兵隊の者たちは花見に誘う。
 ここは重病人を花見に誘うなんてなんと常識はずれな、と眉をひそめるより、本人たちの気持ちを重要視すべきでしょう。
 当時の結核は、ほぼ間違いなく不治の病。 一日でも長く生きられるように願うよりも、残された命を鮮やかに、華やかに使いきることのほうを、高杉も高杉を慕う人々も選んだのです。
 私はこの宴の間、高杉が三味線を持ったままこと切れるのではないかとひやひやしたのですが、作り手はもっと劇的に、高杉のラストシーンを用意しておったのです。

 それは冒頭にも述べた、波打ち際での泣き笑いの場面なのですが、これが、単に嗚咽をするだけでなく、笑いながら嗚咽をする、ということが、とても重要に私には思える。

 笑う、ということは、「自分の人生を使いきった」、という満足の感情です。 そして自分の志を継ぐ龍馬(福山雅治サン)という存在に対する安心感からくるものでもある。
 けれども、やはりそれでも、無念の感情を抑えることはできない。
 よだれを垂らしてみっともなく見えようとも、死の淵においては、なりふりなど構っていられません。 見てくれやカッコよさを逸脱したところに、真の感情というものは顕在化するものです。 そりゃ、みんなに 「ありがとう」 と感謝して死ぬのは、理想ではありますが(それって誤解を恐れずに言わせていただければ、かなり、生きていたときの自分の過ちを死ぬ間際で許してもらおうとする 「ずるい」 行為である気もいたします…笑)。

 そして今回私が重要だと思ったシーンは、死に瀕している高杉を、龍馬とお龍(真木よう子サン)が語り合う場面でした。 話が前後して申し訳ないですが。

 「お龍。 …人はどういて死んでしまうがじゃろうか…。

 天が、『もうおまんの役目は終わった』 と思われちゅうきじゃろうか…」

 「そうかもしれませんね。
 そやかて…人の死というものは、終わりだけではないと思います。

 その人の役目を…志を受け継ぐ者にとっては、始まりどすさかい」

 お龍の言葉を聞いた龍馬は、しばらく考え込み、深く頷きます。

 「…そうじゃのう。 その通りじゃ…。

 どんな時も、前に向かわんと、いかんがじゃき」

 この会話の間、龍馬がこのあと死んでしまわねばならなくなることの意義がどこにあるのかにも、思いを致さないわけにはいきませんでした。
 確かに龍馬のこの世での役割は、そこで終わったのかもしれないけれども、龍馬が殺されたその瞬間、龍馬の志は多くの人々に受け継がれたのではなかろうか、と。
 龍馬の死は、多くの人々にとって、「始まり」 だったのではなかろうか、と。
 「どんな時も、前に向かわなければいかん」 と、いみじくもこのとき龍馬はつぶやいています。 つらさを乗り越えて目の前のことに集中し、前進していく以外に、人が生きる道はないのだ、という龍馬の思想の一端が、ここにさりげなくも凝縮されていたような気がする。

 けれどもやはり、志半ばで倒れてしまうのには、無念がつきものなのです。

 今回最後のシーン。 高杉の波打ち際での泣き笑いシーンは、先に述べたように、無念あふれるシーンとなったのですが、「この世での役割を終えた」 と天から思われても、やはり心残りはある、この先のこの国の行く末を見ることができないつらい思いというものは、やはりあるんだと強く感じるのです。

 いろは丸を操船し、奇兵隊の旗をその高杉から受け継いだ龍馬は、静かにその 「受け継がれた精神」 を噛みしめながら、出航します。 その静かなる闘志を示す、青い画面。 そして海岸で慟哭する高杉を包む、落日のような、高杉の吐いた血の色のような、激烈な赤い画面。 この対比は、特に印象的でした。

 そのいろは丸、次回では沈没してしまうのですが、それをめぐる龍馬の駆け引きは、今から期待度大、です。

追記 書かなくてはならないと思っていたことを、思い出しました!

 弥太郎が今回ブチ上げた 「心配ご無用!」。

 そのジェスチャー、数年前の大河 「秀吉」 で、豊臣秀吉役だった竹中直人サンがよくやっていたものですよね!

 どうして香川照之サンがこの 「心配ご無用!」 をやったのかと思ったら、香川サンも確かその数年後に、大河(「利家とまつ」)で豊臣秀吉役をやっていた。 おそらくそのつながりで香川サンはこの身ぶりをやったのだと思うんですよ。

 どうも私がネットで検索をした限り、このことに言及しているブログ等がないようなので、あえて書かせていただきました。

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2010年10月 9日 (土)

「てっぱん」 第2週 相変わらず、ゴーインな脚本ですが

 挙げればきりのないくらい、ゴーインさが目立つ今回の朝ドラ、「てっぱん」。
 ただしそのゴーインさから、作り手が何を伝えようとしているのかは、きちんと見える気がします。

 それでも、登場人物たちの心の動きというものが、毎日15分のサイクルのなかではきちんと収束しきれていないきらいがある。 前回の当ブログの記事でも書きましたが、一週間通して見ると分かってくるものも、15分のブツ切りでは理解不能になるパターンが、結構多いのです。

 と同時に、このドラマにも、いろんな伏線が紛れ込んでいるケースが多い。
 真剣に見ていないと、作者からのサインを見落としてしまう場合がある、ということです。
 これって朝ドラにとっては、かなり視聴者層をふるいに落とす作業なのですが、前作 「ゲゲゲの女房」 位の傑作になると皆さん真剣に見てくれるので、そこらへんの杞憂がない。 この 「てっぱん」 というドラマは視聴者をドラマに真剣に立ち向かわせるだけの、説得力に欠けています。 その説得力に直結しているのが、話の運びが自然であるかゴーインであるか、ということなのです。

 真剣に見ていないと、理解不能な部分が多くなってくるものです。
 このドラマ、登場人物たちの心の動きが微妙に揺れ動いたりするもんですから、ちょっと目を離すと、あかり(瀧本美織チャン)はなぜこんなに突然ブチ切れるのだろう?とかなぜいきなり就職活動をし出すのだろう?とか、あかりのお母さん(安田成美サン)はなぜいきなり大阪のべっちゃあ(富司純子サン)のところに行ってしまうのだろう?とか、あかりのお父さん(遠藤憲一サン)がなぜ進水式で 「瀬戸の花嫁」 を歌い出すのだろう?とか、まったく分からなくなる(笑)。

 あかりの行動で首をかしげたくなる部分は、確かにあります。 でもそれは、若さゆえの直情型な傾向のなせる技、という説明ができるのです。

 ただ大変失礼ながら、役作りの上で役をちゃんと把握していないように見えるのは、安田成美サン。 名指しで誠に申し訳ない。
 このあかりのお母さん、大阪のべっちゃあのところに行ったことをひたすら隠すのですが、ブチ切れるあかりに逆切れして 「恩返しなんて言葉二度と言うな」 とか厳しく叱りつける。 ところが 「恩返し」 なんてあかりは一言も言っていない。
 そのことから、自分が大阪に行ったことがばれてしまうのですが、ここって笑わせどころであると同時に、このお母さんが結構マヌケな側面も持っていることを表わしている気がするんですよ。 だけどその効果があまり感じられない。

 安田サンの演技からは、子供を育てよう、という意志がとても強固なしっかり者の母親、というキャラクターが見えてくるのですが、それゆえにこのマヌケな側面が、かなりトートツに見える。 「こういうドジもやらかす女性なのだ」、という認識で彼女が全体の演技をしていないことが、ここで分かってしまう。

 つまり、真剣すぎるんですよ、安田サンの演技が。
 もっとマヌケな部分も醸し出していかないと、誰にも言わずにいきなり大阪に行ってしまったことも理解不能に思えるし、「自分の子供だから大丈夫」 という根拠のない確信を持っていることも理解不能だし、あかりを育てようとした理由が、半ばどーでもいい理由だったのに、「それで充分じゃないの」 と言い切ってしまうことも、理解不能に思えてくる。
 スンゲー不遜な話をしてしまって、重ね重ね申し訳ないです。 これは演出家と役者との意思の疎通不足によるものも大きいような気は、するんですけどね。

 でも、ですよ。

 その真剣さがあればこそ、あかりが家族のひとりひとりに対して感じている 「家族の有難味」 が、逆に説得力を持って来る側面は、あるんですよ。

 今週の 「てっぱん」 で相変わらずのゴーインな話の持っていき方のなかで浮き彫りにされていたのは、やはりこの、家族の愛情。 あかりが感じていた、「お父さんの匂い、お母さんの匂い」。 これってかなり涙腺を刺激するファクターなのです(笑)。

 あかりの18歳の誕生日のお祝いの日に、気まずい話の連続になってしまった挙句、結局誤解も解けて涙の ローソク消しとなる。 「祝いの席で気まずい」、という構図の作り方も、こちらを泣かせる要素が満載されています。

 そしてあかりが大阪に旅立つ日。 進水式のスピーチで遠藤憲一サンがグダグダになってしまう、というのも、やはり泣かせる。

 リアリティにこだわってしまえば見ていられない部分もありますが、2週続けて泣かされた、という作り手の力量は、素直に認めなくてはならない、そう考えるのです。

「てっぱん」 に関する当ブログのほかの記事
第1回 名作の後番組は、ハードルきついですよね
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/1-8eb5.html
第1週 どこまで、ついていけますかね?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-c996.html

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「全国バンド自慢2010」 凄い小学2年生がいた!

 NHKBS2で、「全国バンド自慢」 という番組をやってまして。
 たまたま見たんですが、昔やっていた 「イカ天」 などと違って、アマチュアコピーバンドばかりの大会。
 サイモン&ガーファンクルの 「ミセス・ロビンソン」 を完璧にコピーしている二人組がいて、その役割が逆転しているところも面白かったのですが(つまりポール・サイモン役のアコギを弾いている人が高いほうのパートを歌い、アート・ガーファンクル役のヴォーカルだけ歌う人が低いパートを歌う、ということです)(当然ですが役割というのは主に、ということです)、その歌声がとても素敵で、思わず見入ってしまいまして(審査員奨励賞に輝きました)。

 「イカ天」 と違うのは内容だけではなくて、エントリーされた皆さん、かなりのテクニックを持っている、というところ。 ワイプ攻撃(分かる人は、分かりますよね?…笑)されるような中途半端なバンドはひと組もいませんでした。

 そのなかでブッ飛んだのは、スティーヴ・ヴァイ(スティーヴ・ヴァイと言えば、私は 「バスタード!!」 のほうを先に思い出してしまうのですが…笑)のコピーをした小学2年生の男の子。 このバンド、ほかの人たちがみんな大人、そのうちひとりはその子のパパみたいでしたけど、またテクニックが皆さんすごくて。
 ところがそのテクニックに、小学2年生の男の子が、負けていない。
 赤ん坊のころからスティーヴ・ヴァイのDVDに夢中になり、楽譜ではなくて見よう見まねでコピーしたらしい。
 それがですねー、ワウワウペダルの使い方も完璧、早弾きのフィンガリングも的確、ベースをやっているその子のパパとの交互弾きなどという視覚的にも面白くて高等なことをこなしている。 そのベースとのユニゾンの仕方も見ものでした。
 しかもしかも、その子の持っているギターは大人用のでかいモノ。 ギターに担がれているような感覚なのですが(笑)、そんな大きなギターを弾きこなしている、ということは、大人になったらますます弾きやすくなるに決まっているのであり、末恐ろしいったらありゃしない。 その子の指も、かなり長いようです。 クライマックスではステージ上を駆け回り、ステージ度胸まで完璧(笑)。 そのあとに出てきた大人のギタリストがみんな霞んで見える(笑)。 小学2年って、私の甥と同い年ですよ。 びっくりしたなもぉぉーっ(笑)。

 この子、ベストプレイヤー賞に輝いていました。 さもありなん。 ベスト・パフォーマンス賞は、今日が最後のステージとか話していたガールズバンドの女の子たちでした。 ガールズバンドと言えば 「けいおん!」 ですが、「けいおん!」 みたいなバンドもほかにいたんですけど、そっちよりシロート臭の強い女の子たちでした(笑)。

 それにしてもこの手の番組を見ていて感じるのは、ホントにみなさん、楽しんで音楽をやっている、ということ。 音楽ってやっぱり、音の楽しみ、なんだよなー、とつくづく感じてしまうのです。 自分もギターが弾きたくなってきました。 「てっぱん」 を見る予定でしたが、しばらく弾き語りに興じます(笑)。

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2010年10月 8日 (金)

「金曜ロードショー25周年~歴史と魅力すべて見せます!~」 水野晴郎サンの解説再び

 10月7日深夜24時38分(8日午前0時38分)から30分程度の小ぢんまりとした番組でしたが、日テレ 「金曜ロードショー」 の25周年を特集した番組を、ひっそりとやっておりました。

 ナビゲーターは日テレアナの森圭介サンと西尾由佳理サン。 西尾サンは私、なんかず~いぶん久しぶりに見たんですが、ずいぶん大人になられた様子で、こんなお顔だったかなーという感じでした。 5年以上拝見してなかったかもしれません(笑)。 入社されてすぐ、「日テレにエライかわいいアナウンサーが入ったな」 程度で注目したっきりですので…(笑)。

 西尾アナのことはどーでもいいんですが(笑)、「『金曜ロードショー』 が25周年」、と言ってもなかなかピンとこないのは、番組でも紹介されていたように、前身番組の 「水曜ロードショー」 の期間も長かったためで、「いやー、映画ってホントに○○ですね! それではまた、ご一緒に楽しみましょう」 という水野晴郎サンの名ゼリフの記憶が、ずいぶんガキの頃にまでさかのぼるせいです。

 「水曜ロードショー」 はたしか、水野晴郎サンの最もお気に入りだった映画 「風と共に去りぬ」 の主題曲がオープニングテーマで、私はこの番組で、この壮大な曲と、その壮大な映画の存在を知ったのです。

 番組ではこの水野晴郎サンの解説もところどころで挿入されたのですが、実に懐かしかった。
 この水野サン、「シベリア超特急」 でしたか、結構自画自賛タイプの映画をご自分で作られて、晩年はケチがついたような格好でしたが、小学生くらいのガキが映画の解説者の解説を聞いて、「この人は映画の感動するポイントをきちんと押さえているなあ」 と感じた、最初の人でした。

 それで思い出すのが、「ルパン三世」 の、確かいまでは 「クローン人間VSルパン」 とかの題名で知られているアニメ映画化第1作目をテレビで初めて放映したときの、水野サンの解説です。

 この映画を観終わったあとの解説で水野サンは、ルパンが 「盗まれた夢を取り返しに行くんだ」 と次元に言ったことを採り上げ、この映画自体が目指したものに言及したのです。
 「なるほど!」 という感じでした。
 これが作り手の言いたかったことなんだ!という感じ。
 思えば私がこのブログで書いていることも、遠い昔に水野サンが私に与えてくれた 「ヒザポン」 感を表現したいからなのかもしれません。

 水野サンの解説は、「ルパン」 だけではなく、いろんな映画で私に 「的確な映画の見かた」 を教えてくれたような気がするのです。
 確かにその切り口は急速に衰えては、いくんですけどね。
 と言うより、自分が成長したから水野サンの解説に物足りなさを感じるようになってきたのかなあ。
 私が次に映画の解説で 「すごい!」 と思ったのは、おすぎサンでした。 淀川長治サンの解説を 「いいなあ」 と思ったのは、かなり大人になってから。 「日曜洋画劇場」 ではテレ朝の予算の関係か(笑)、いつもショボイ映画ばかりだったのですが、その映画にも一定の評価を与え続ける淀川サンに、ちょっと信頼感が若いうちは持てなかった。 却ってテレ東の深夜なんかにやっていた番組のほうが、淀川サンの解説の醍醐味を味わえたような気がしたものです。

 「金曜ロードショー」 絡みで私がよく覚えているのは、「スター・ウォーズ」 の放送をした後当時やっていた 「ニュースステーション金曜版」 にチャンネルを回したら、久米宏サンが 「『スター・ウォーズ』 をご覧になっていた皆さん、こんばんは」 と切り出したこと(笑)。 久米サンはこういうところ、ホントに頭がよくまわっていた。 大爆笑しながらも、テレビとの一体感を強く感じたものです。 「ニュースステーション金曜版」、好きだったなあ。 「あなたの○○度」 とか。 話がずれまくっております(笑)。

 いまは映画も簡単に見ることのできる時代ですが、当時はメディアがほぼこれひとつのみ。 その依存度も現在に比べれば段違いに高かった。 映画解説者の存在、というのも、その時代であればこそ地位が高かったような気が、するのです。

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2010年10月 6日 (水)

「10年先も君に恋して」 第6回(最終回) 10年後の自分へ

 「10年先も君に恋して」 の最終回は、見る側に強烈なメッセージをまき散らしながら、結局10年後のリカ(上戸彩チャン)とヒロシ(内野聖陽サン)がどうなったのか、という結末を提示しない、心に深く残るような収束の仕方をしました。 傑作。 再放送もDVD化もされるようで(詳しくはNHKのHPをご覧ください)、少々のプライベートな出来事で放送を中止することなどあり得ない、というNHKの気概も垣間見たような気がします。 というより、ここまで傑作ならば放送中止になったらボードーが起こる、というか(笑)。

 最終回の作者からの強烈なメッセージを代弁していたのが、冒頭で10年前ヒロシに 「結婚の心得」 を説いた三田村教授(藤竜也サン)でした。

 「リカさんとヒロシくんは将来必ずケンカをします。 必ず! それも、何度も何度もです。
 ハハ…、これはね、どの夫婦もみんなおんなじなんだ。
 そのうちどちらか、心に余裕のないほうが、こう切り出すんです。
 『離婚しましょう…もうこんなふうなら別れたほうがいい』。
 フフ…だけどね、こういうのたいていの場合まだ本当に別れたいわけじゃないんですよ。
 ただ、本気でどこまで自分が必要とされているか、確かめたいの。
 ですから、心に余裕のあるほうが少し優しくすること。
 それと、ちょいとのユーモアですよ。
 これがあればまあたいていのことは、解決」

 現在のヒロシは 「自分は大丈夫」 などと明るく言い放つのですが、それを10年後のヒロシが隣の部屋で複雑な表情をしながら聞いている(頭痛や吐き気はどーしたのだ?という細かい詮索は、なしです…笑)。

 個人的にはこのシーンが、最終回を見終わった後の余韻にひとつのきっかけを与えてくれている気がします。
 その話はちょっと置いといて(置いとくのかよ!…笑)。

 最終回前半では、タイムトラベルの期限が迫った 「10年後ヒロシ」 と、現在のリカをはじめさまざまな人々はそれぞれの別れをしていくのですが、そこから派生するエピソードのひとつひとつがこれまたよくできていました。

 芥山賞を逃した日高(劇団ひとりクン)がその心境を題名に託した新作 「やさしい孤独」(この題名、なんかよくないですか?読みたくなります…笑)。 同時にリカへの恋が破れて、「ぼくは永遠にリカさんの味方です」 などと言いながら、新作が売られている書店でひとり号泣(笑)。
 そんな日高に、未来の恋敵であるはずなのに、10年後ヒロシは声をかけ励ますのです。
 「よく分からんが、元気出せ」(笑)。

 副編集長(高島礼子サン)にも、「こんなにいい女だとは思わなかった」 とバーで語る、10年後ヒロシ。 そんなヒロシに騙されて…じゃなかった(笑)、そんなヒロシの肩に頬を寄せる高島サン。 「ひとつだけ教えて…あたしの未来」…その問いに無言でかぶりを振る、10年後ヒロシ。 ちょっと笑みを浮かべる高島サンでしたが、やがてその意味を悟ったように真顔に戻っていく。 このシーンも、味わいがありましたぁ~。

 亜美チャン(木南晴夏サン…「てっぱん」 ヒロインの亡くなったお母さんですよね)のセリフもいい。
 「月日には勝てないんだしいつまでも若くなんていられないんだからね。 でも私、ハートだけは捨てたくないの。 ハートだけは、心だけはいつまでも変わらないでいられるかな、って思う」
 これがなかなか難しい(笑)。

 大作家先生(渡辺えりサン)とその夫(渡辺いっけいサン)の話もよかったです。 「人生、無駄なんてものはホントはひとつもないんです」(渡辺いっけいサン)「あたしはホントに大事な思い出は、小説には、書かない。 自分のいちばん大事な物語は、自分の胸だけに取っとくものよ」(渡辺えりサン)。

 ――とにかく、セリフのひとつひとつが、いちいち印象的なのです。

 そして10年後ヒロシと三田村教授との、最後の別れ。 照れ笑いを浮かべながら、最後にはしっかりと抱擁するふたり。 ドラマにもかかわらず万感の思いが迫る、秀逸な場面でした。 藤竜也サンの演技は、実に印象的でした。

 リカの弟役の染谷将太クンに、最後に現在への自分への手紙を渡そうとして、やっぱり思いとどまる、10年後ヒロシ。 将太君との最後の連絡も、「任務完了!」 のポーズで締めくくるのです。 それを目視で確認し、同じく 「任務完了!」 のポーズで見送る、将太クン。 この人も、いい役どころでしたよね。 この 「手紙」、ラストへの大きな布石となっているのですが。
 いずれにせよ、登場人物のすべてに、ちゃんと作り手の思いが見てとれる、というのも、このドラマを傑作にのし上げている大きな要因のような気がするのです。

 そして未来へ帰ろうとする10年後ヒロシが、その手紙を燃やしている現場に、リカが息せき切って現れる。
 リカに10年後ヒロシは、こう語るのです。

 「もし自分が10年前からやり直せたとしても、やっぱり君を好きになるだろう。
 何度出会っても、また君を好きになる。

 オレは、…結局もう一度、君に恋するために、10年後からやってきたんだ」

 なんか、もうこの時点で泣けます(早いって…笑)。 上戸彩チャンもこの時点で涙を抑えきれない様子だったのですが。

 リカはこう答えます。

 「もし、…もしあなたが未来に帰って、ドアを開けて、それでも、まだ私がいたとしたら、あなたの家にまだ私がいたら、その時は、もう少しだけ我慢してあげて。
 また罵倒するかもしれない。
 また、あなたにひどいことを言うかもしれない。
 それでも心の奥のどこかでは、あなたを絶対に愛してるから。
 10年先も、…絶対に愛してる…」

 リカはヒロシが未来へ帰ってしまえば消えてしまうこの記憶を、「忘れない…この気持ち、絶対に忘れない」 とヒロシに宣言するのです。
 これは最終回前半で10年後ヒロシから、「絶対なんてありえないんだ」 と言われたことへの、リカの精一杯の答えなのです。
 そのリカのダイヤモンドのような硬い気持ちが、10年後のヒロシには、眩しすぎる。
 内野サンもこのリカのセリフには泣けてしまっていたみたいでしたが、これってあまり演技しているように感じませんでした。
 歳を重ねると、いろんな要因が重なって、「絶対にこうしてやろう」 という気持ちが、くじけていってしまうものなのです。 そして若い時の思いを、「若いからなんにも知らないんだよなあ」 などと、知ったかぶりで否定するようになる。
 内野サンがこのリカのセリフに泣けてしまうのは、自分がそれだけ純粋さを失っている、という自覚があってこそなのでしょう。 私もそうです。 10年後ヒロシの姿を借りて、泣けてしまっている内野サンを、そこに見た気がしました。 私も同じです。 内野サンと同じです。 えーこれが、今回の記事冒頭で、私が言いたかったことであります(引っ張ってスミマセン)。

 そして、リカをちょっとだけ抱きしめ、未来へと帰っていくヒロシ。 リカは次の瞬間、10年後ヒロシのことを、すっかり忘れてしまっています。
 ここでブラックアウトした画面の中で、ヒロシが10年後に帰っていく模様が映し出されたのですが、私がこの時点で思わず連想してしまったのが、1970年代NHK少年ドラマシリーズの傑作、「タイムトラベラー」 でした(若い人は、全く知らないと思いますが…)。
 このドラマ、「時をかける少女」 のもっとも初期の映像化作品なのですが、そこで主人公の浅野まゆみサンだったかな?、芳山和子がタイムリープする瞬間の映像は、ピアノ線で吊るされた浅野サンがぐるぐる回ったりぐにゃぐにゃになったり(記憶があいまいでスミマセン)、ずいぶん凝った演出をしていました(演出は、NHKの巨匠、故石山透サン)。
 それに比べるとかなりシンプルな映像で(笑)。
 でも40年近い時を経て再びNHKで映像化されたその場面には、ちょっと感慨を抱かざるを得ませんでした(賛同者求む…笑)。

 10年後に戻ったヒロシですが、やはり10年後リカとの溝は埋められない様子。
 リカは日高の個人マネージャーになるから、離婚しても経済的には大丈夫などと言い、よりを戻せる可能性はほとんどない、と言い切るのです。
 ヒロシはその時点で、リカが日高と付き合っているのではないか、という疑惑が解消されたのですが。

 ここでリカが、「10年前の自分から手紙が届いた」 とヒロシに打ち明けます。
 その手紙が入った封筒をヒロシが見ると、「最後の最後の任務!」 という、いかにも将太クンらしい字が書いてある(笑)。
 ここでちょっと見ている側は混乱するのですが、おそらく10年前ヒロシが将太クンとコンタクトをとっていたことが判明して、リカはヒロシが消滅しない方法として、自分に対する手紙を書き、「未来警察からの依頼だよ」 とか何とか言って(笑)、将太クンにその手紙を託したのではないでしょうかね。 自分が持っていたら事態が悪化する前に読んでしまうかもしれないし、そうなると10年前ヒロシが過去に来る理由もなくなってしまう。 10年後ヒロシの記憶はなくなってしまうけれども、たとえなくなってしまう記憶でもそれを手紙を書いた時点で消すのはいやだ、というリカの思いも、深読みすると感じることができる。

 ヒロシに手紙の内容を訊かれ、「秘密…」 と呟いて笑う10年後リカなのですが、その表情にはかつてのようなわだかまりが消えている気がするのです。

 手紙の内容は、次の通り(ああ~~っ、またここで、クリスタル・ケイサンのあの歌がああ~~っ…毎度しつこくてスミマセン)。

 「10年後の私へ
 あなたはいま、どこで何をしていますか?
 どんな生活をしていますか?
 誰と一緒にいますか?
 10年前の、いまの私は、とても幸せです。
 なぜなら、知ってると思うけど、大好きな人が出来たから。
 優しいけど、ちょっと思い込みが激しくて、宇宙のことや物理の話をたくさん知っていて、靴下にいっつも穴があいていて、年上だけど、笑顔がかわいい素敵な人。
 いま、私には、10年先の未来も、彼のことが大好きだという自信があります。

 10年先、博さんがどんなふうに変わっていたとしても、私はやっぱり博さんのことが好きだと思う。
 彼の夢を応援しながら、私もあきらめずに夢を追っていきたい。
 いまのこの幸せな気持ちを、忘れたくない。

 あーあ、こんなはずじゃなかった。
 私にはもっと素敵な未来があったはず。
 なんて思う日も一度や二度や、もっともっと来るかもしれない。

 でも、どうか、前を見て。
 いまの、この気持ちを忘れないで。
 自分の選んだ人生を、もう少しだけ信じて。
 そうすれば、未来は――
 未来はきっと――」

 もし自分が、10年前の自分から手紙を受け取ったとして、それを読んだ時、どう考えるでしょうか。
 先に指摘したように、「若いとなんにも分かんなくていいよなあ」「そんなに甘いもんやおまへんにゃ」(byフォークル)などと、醒めた目で読んでしまうのではないでしょうか。
 10年前の自分から手紙を受け取ったリカも、たぶんこれと同じような感覚でいるのではないか、私にはそう思えてなりません。
 けれども、このリカの手紙には、10年後の自分をなんとかしたい、という強い思いが、凝縮されている。
 それを感じることのできない10年後リカであるはずが、ないのです。

 結論。

 リカとヒロシは、めでたくよりを戻しました~(拍手)。

 ここでリカが、ヒロシと別れてヒロシとのいい関係を保ちながら自分の夢に進んでいく、などと考えるのは、なーんかやっぱ、違う気がします(笑)。 眼前には、広大な人生の世界が、広がっておるのです(「攻殻機動隊」 か?)。 別れる理由なんぞ、ありゃしません。

 なぜならこんなにも10年前のリカは、ヒロシをずっと好きでいようという決意を、固めていたのですから。

 どんな道を歩もうと、それは自分が決めた道。
 他人にどう左右されようが、結局選んだのは、自分なのです。
 そんな自分の選択を、後悔していてもはじまらない。
 いや、後悔ばかりですよ、人生なんて。
 後悔の連続です。
 それでもリカが手紙に書いていたように、ただひたすら、前を向いて生きるしかない。

 奥の深い、ドラマでした。 もう一度書きますが、傑作です。

当ブログ 「10年先も君に恋して」 に関する他の記事
第1回 んー、どうでしょう
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-1-276e.html
第2回 大切なのは、今の気持ちなんだhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-2-58e5.html
第3回 自分が変わってしまうことへの恐怖http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-3-3dc3.html
第4回 失いたくない、あの時の気持ちをhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-4-b283.html
第5回 いまだけが、未来を変えられるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/10-5-3f42.html
第6回 10年後の自分へhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/10-6-10-0df7.html

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2010年10月 5日 (火)

「コーラスジャパン」 の正体

 ラジオのニッポン放送を夜中に聞いていると、ときどき定期的にかかる 「コーラスジャパン」 の 「根の歌」。 「冬のない春はない」「今はただ 根を伸ばせ」 という、なんか 「千の風になって」「花~すべての人の心に花を~」 と共通するような、どことなく説教のような歌の文句で、一体これは何じゃろか?と気になっておったのです。

 なにしろ、男女のコーラスが、まったくハミングをするでもなく、同じメロディラインを淡々と歌うだけ。 詞の内容は人生に疲れたり失敗している人を励ますかのような心にしみるものなのですが、あくまでも直球、あまりにもストレートすぎ、という印象なのです。

 ネットを調べても、全く何も検索されない。 「検索に該当する項目は、見つかりませんでした」 の連続で(いまは違うでしょうけど、ほんの数日前までは)。 いったいなんでニッポン放送は、この曲をしょっちゅう流しとるのだ!という疑問が募っておったのです(笑)。 もしかしてニッポン放送か、フジテレビのアナウンサーたちが歌ってるのかな?なんて。

 そしたら別件の記事なんですが、昨日付のヤフーの記事で、このコーラスジャパンの正体が、明らかになっとりました!
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101004-00000009-oric-ent
 このコーラスジャパンは、なんでも缶コーヒー 「Roots」 のCMソングを、どうやら歌っているらしいです。 それがこの、「根の歌」。
 ここに張り付けた記事をご覧になれば分かりますが、メンバーは田代容疑者…じゃなくって(笑)、鈴木雅之サン、布施明サン、石川さゆりサン、杏里サン、松浦亜弥サン、堂珍嘉邦サン(CHEMISTRY)の6人。
 「不況が長引く日本を応援するためにレーベルの垣根を超えて結成したスペシャルグループ」 らしいです。

 真相を知ってしまうと、「なあんだそうだったのか」 という感じでしかないのですが、とりあえず胸のつかえがとれた格好。 今度一回、じっくり全曲聴いてみたいものです。

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2010年10月 4日 (月)

「龍馬伝」 第40回 龍馬VS象二郎、虚々実々の会談

 視聴率が低下するごとに、ますます面白くなってくる 「龍馬伝」(笑)。
 今回の見せ場はなんといっても、龍馬(福山雅治サン)と後藤象二郎(青木崇高サン通称ムネムネ)の会談。

 ここでこの両者が対談する、ということ自体の 「あり得なさぶり」 は、これまでの 「龍馬伝」 の話の推移によって最大限にその度合いが高まっていました。 龍馬が死罪寸前の武市を守るために土佐入りしてムネムネを挑発シマクラチヨコしたのも(ユーミンがよく使うギャグですが…)、こんなあり得ん話を挿入してまで今回の話を盛り上げようとした作り手の意図が、ようやく分かった気さえするのです。

 大殿(近藤正臣サン)から 「薩長と密かに接近せよ」 という命を受けたムネムネは、薩長と関係を持つためには、龍馬の力を借りなければどうしようもないことを悟り、我を忘れて長崎の商人たちの前でブチ切れ大会(笑)。
 それでも弥太郎(香川照之サン)に、「龍馬を探せ」 と命ずるのですが、その理屈は、こうです。

 「もう、野放しにはできんじゃろう。
 わしは大殿さまから藩の政を任されちゅう。
 やつが使える男ながか、ただ目障りな奴がかか、それを確かめるだけぜよ」

 実に簡潔なセリフですが、ここに象二郎の思惑が、分かりやすく説明されています。
 象二郎は要するに、まだ龍馬を殺す気満々(笑)。
 彼が龍馬に期待するハードルは、とても高い。
 ちょっとやそっとのことぐらいじゃ納得せん、という意志が、そのギラギラした目からいまだに窺えるのです。

 いっぽう龍馬が象二郎と会おうとする理屈は、亀山社中のメンバーに語った次のセリフに凝縮されています。

 「後藤はのう、薩長と近づきたがっちゅう。
 これはわしが、望んじょったことながじゃ。
 わしはの、土佐を使こうて、大政奉還を成功させるがじゃ。

 後藤象二郎が、昔のことを根に持つような男か、
 それとも日本の将来を考えることが出来る男か、
 わしがこの目で見定めてくるき」

 このふたりの思惑が、対をなすかの如く似通っているのは注目です。 つまり両者とも、ウラに一物を隠しながら相手の了見を探ろうとしている。 この構図、引き込まれますなあ。

 それにしても龍馬を探してことごとくしらを切られる弥太郎が、お元(蒼井優チャン)と話している場に龍馬がひょっこり出てくる場面も、清風亭会談のプレステージとも呼べる見事な場面でした。
 お元はいつになくベロンベロンでご機嫌(笑)。
 なんでそんなに気分がいいのか、というと、徳川が長州に負けたから(笑)。 そーとー屈折しております(笑)。
 でもその屈折がもたらす笑いは、こんな世の中なんかひっくり返ってしまえばいい、というお元の 「日本という国に対する憎悪」 が呪いのように現れた、嘲りの笑いなのです。 この演技がまた、蒼井優チャン、凄い。
 そんなお元が、龍馬だけは 「この国をいい国にしてくれる」 と信じている。
 「龍馬に何ができるがじゃ…。
 みんなはのう、あいつを買いかぶっちゅうだけじゃ!
 龍馬ち言いなや、もう!」
 「弥太郎」
 「おう!……?……あああ~~っ!?」
 「お元とふたりきりとは…羨ましい奴やのうおまんは」

 この龍馬登場のタイミングは、なんとも絶妙(笑)。
 こういうのが、ドラマを見る面白さなんですよね。

 そして清風亭での龍馬と象二郎の対談。

 この場にお元が同席するのも、ドラマの効果を最大限に高める要因であります。
 龍馬はまず、象二郎に先の第一次長州征伐の模様を、克明に語ります。
 これは当時の情報網から考えると、参戦当事者からの情報というものは、特に精度が高いもののように思えます。 後藤にとってみれば、幕府薩長のどちらに付くのが利があるのかを知る上で、のどから手が出るほど欲しい情報に違いない。 まあ、数の上で圧倒的有利だった幕府が負けたのですから、たいがいの人は分かるでしょうが、幕府がこのままで済むとは思われない、というのもだいたいの人が考えるところではないでしょうか。

 龍馬は、その点を確実に突いてくる。

 龍馬はここで、ふすまを開けて隠れていた土佐の刺客たちをその場にさらす。 「こんなことはお見通し、自分は命を捨ててここまで来ている」 という覚悟を示しているのです。
 と同時に、亀山社中の連中もこの場に来ていることを示し、この対談がどれだけ危険な駆け引きのうえに成立しているかを、白日のもとにするのです。
 このたたみかけるような演出。
 シビレます。

 龍馬は大政奉還の考えをここで明らかにし、土佐がここに加われば、一気に流れは変わる、と象二郎を挑発気味にけしかける。
 もともと徳川方の土佐がそんなことできるはずがない、大殿と徳川慶喜は仲がいいのだと反駁する象二郎に、龍馬はこう言い放つ。

 「そうじゃあ! それこそが都合のえいところぜよ。
 もし、もし土佐が寝返ったとなったら、大政奉還を迫る、この上ない機会ながじゃ」

 「黙れ!
 徳川が幕府に戦を仕掛けるら、天地がひっくり返ってもないろう!」

 「それでのうてはいかんがじゃ!
 土佐は幕府に刃は向けん。
 その考えこそが、薩長を抑える力になるがじゃ。

 よう考えてつかあさい。
 いま言うたわしの考えは、土佐が新しい日本を作る要になる、ゆうことぜよ。
 それこそが、まさにそれこそが、大殿様がお望みになっておられることではないですろうか。

 これほどまで言うたち、気に入らんと言われるなら…
 土佐藩も後藤様も、とんでもない大馬鹿者じゃ」

 この最後の暴言に、その場は紛糾(とーぜんか…笑)。

 それにしてもこの龍馬の逆転の発想は、ハッとさせられる。
 土佐と幕府との関ヶ原以来のしがらみを物語ではそれまで折に触れ滔々と語っておいて、土佐藩が幕府を裏切ることはない、という理屈を見る側に刷り込みながら、「暴走しがちな薩長の抑止力」 として土佐藩が薩長同盟に絡むきっかけを作っている。 土佐藩の上士たちの刃が一斉に龍馬に向けられるこの演出も、かなりシビレまくりです。

 弥太郎は必死になってその場を鎮めようとするのですが、弥太郎が今回たびたび見せていたのは、「龍馬を殺したくない」 という一念です。
 この男、龍馬を殺したいほど嫉妬しているくせに(笑)、なぜかあくまで龍馬を生かそうとする。 この相反する矛盾に満ちた部分こそ、人間の持っている真実なのではないでしょうか。 弥太郎は龍馬をかばいながら、その駆け引きの見事さ、その考えのスケールの大きさに、またしても憎悪の表情を募らせる。 お元も龍馬のそんな部分に、息をのんで成り行きを見守っている。 このふたりの表情の見事さが、この紛糾の場面を最高に盛り上げているのです。 いやー、ドラマって、ホントにいいもんですね!(笑)

 後藤は亀山社中を土佐の配下に置こうと画策するのですが、龍馬はあくまで対等な立場を貫こうとする。 龍馬と手を組むことに同意する、象二郎。 その場にいた者全員をシェイクハンドさせる、龍馬なのです。

 この場面が見ごたえがあるのは、やはり両者の表面上の仲直りと、その底に流れる思惑とは違う、という二重構造が見えている点です。 象二郎の表情には、龍馬を徹底して利用してやろう、という狡猾さが見てとれる。

 この出来事によって、龍馬はますます危険な存在になっていくのですが、お龍(真木よう子サン)に 「名前を変えてもえいがか」 と訊くあたりで、のほほんとしていながらもなんとなくそのことを肌で感じつつある龍馬を表現していることで、この劇的な会談の余韻を形成していました。 出色の回だった気がします。

 そして第四部に入ってから、毎回弥太郎の 「暗殺まで、あと○○」 と、まるで 「宇宙戦艦ヤマト」 みたいな(笑)ナレーションが、ラストに入るようになりました。 ますます盛り上がってまいりますネ。

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2010年10月 3日 (日)

「SONGS」 山口百恵 ちょっと小出し気味

 1980年というのはいまにして思うと私にとってかなり衝撃的だった年で、年初めからポール・マッカートニーが来日と同時に麻薬所持で逮捕、長嶋監督は巨人を解任、年末にはジョン・レノンが射殺。
 山口百恵チャンの引退もその衝撃的な出来事のひとつに入るのですが、自分がそれまで拠りどころにしていたものが次々なくなっていくことは、その後数年にわたってじわじわと喪失感となって実感していったので、それが起こっているときはただ、「時代というものは移り変わらねばならない」「蜜月の時代は、終わらねばならない」 という世の習わしのほうを強く感じていた気がします。

 それから30年という年月が過ぎたわけですが、その間にいろいろなことが起きたとはいえ、あの時代に感じていた 「時の濃密さ」 というものは格段に薄れている気がする。 要するに、30年前の1年は、現在の5年くらいに相当する感じ。 まあ良く言われることですけどね。

 その濃密さ、という観点から山口百恵という女性のことを考えると、彼女が駆け抜けた6年間、というのは、まさに究極の濃密さ。 メタモルフォーゼの連続、脱皮の連続みたいだった気がします。

 彼女の大ファンとして、その変化についていくのは結構大変でした。
 私が好きだった山口百恵、というのは、以前このブログで書いたのでここでは省略しますが(興味のあるかたはこちらへどうぞ→http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/02/post-a647.html)、今回のNHK 「SONGS」 で紹介された彼女の姿を見ていて、彼女がその活動期間中に私の本当の好みの姿だった期間は、ヤケに少なかったんだな、ということに気づきました。

 私が好きだったのは、ちょうど 「青い果実」 あたりから、「愛に走って」 のあたりまで(要するに、初期の百恵チャンです)。
 彼女は眉毛を細く剃る傾向に、だいたいおしなべてあったのですが、それがひどくなるのは 「パールカラーにゆれて」 あたりのこと。 同時に髪の毛をちょっとアップして、おでこを見せるような髪型になった時期がありました。 今回紅白で 「横須賀ストーリー」 を歌っていた時期です。 あの髪形は、嫌いだったなー。
 それから数年は、彼女の大人びたメイク自体が嫌いでした。
 それが 「いい日旅立ち」 のころに、ちょっと昔みたいな大人しめな感じに戻った。 今回の放送で、「美・サイレント」 を歌っていた時期です。 いま見ても、やはり私好みでした。 しかも以前と同じではなく、大人の魅力を兼ね備えた上品さを漂わせていました。
 それは 「しなやかに歌って」 あたりまで続いたのですが、「謝肉祭」 のころだったか、カーリーヘアにしてしまって。
 それから引退まで突っ走る彼女の、神格化されていく傾向に、ずいぶん辟易していました。
 いまでも 「引退コンサート」 の映像は、見たくもない。

 あまりにも思い入れがありすぎたせいで、逆に自分の思い通りの姿でいてくれないと、なんか不満。
 そんな恋愛感情というものが、あるんですよね。
 ガキの頃だったから余計に、制御が利かなかった気がします。

 今回彼女の映像を見ていていちばん不満だったのは、「なんで全曲流さないのか?」 という点でした(笑)。
 NHKで以前に放送した 「わが心のキャンディーズ」(こんな題名でしたっけ?)では、これ以上ないと思われるほどの良心的な作りだった気がするのですが。
 こんなブツ切りでは、じっくり味わうこともできない。

 と同時に感じたのは、結構彼女が、歌番組では音程を外しまくっている、という点です。
 こんな歌だったら、今どきのアイドル歌手のほうが、よほどうまい。

 けれども、その存在感は、とても17や18の女の子と思えない。 山口百恵という人の顔の造形や、全体から醸し出される雰囲気を見ていて、とても心に引っかかるものが、大きいんですよ。

 いまのアイドルや歌手は、彼女のレベルよりも顔も歌も、格段に上だと思われるのに、全く心に残らないことが多い。 引っかかるものが、ないんですよ。
 これがいわゆる 「オーラ」 というものなのかな、などと無責任に考えてしまうのですが、ハイティーンの女の子、って、現代ではホントに、全くの 「女の子」 でしかないのに、彼女はすでに、 「女性」「女」 になっている。

 それでもそんな大人びた女性は、昔から確かにいましたよ。 藤圭子サンとかね。 彼女の早熟ぶりは、確かに 「山口百恵」 を演じようとした結果だったのかもしれないのですが、それは彼女がそう望んだ結果だった、ということは、とても伝わってくるのです。
 彼女には、いわゆる 「暗いアイドルをやらされている」 感がない。
 今回の番組で宇崎竜童サンが、彼女の意志で作曲の依頼が来た、ということを話していらっしゃいましたが、そのことひとつとってもそのことが良く分かる。

 そして今回、ほんの少しですけど映像が出てきた、桜田淳子サンと、どうしても比較してしまう。 彼女は、ホントに気の毒です。 同時代に出てきた山口百恵チャンと、絶えず比較されてしまう傾向にあるのですから。

 淳子チャンは、なんか 「アイドルをやらされている」 感覚が、常に付きまとっている。
 いまにして思うとその 「既成のアイドル像」 にぴったりハマっていた淳子チャンに、魅力も感じるのですが、当時はそれが、彼女の楽曲をめぐる 「物足りなさ」 に直結していた気がします。

 これは所属するレコード会社の質が原因だ、と私はずっと考えていたんですけどね。
 淳子チャンも、ピンク・レディーも、当時はビクター。 どちらも、楽曲のアレンジのセンスが、なんか古臭いんですよ。
 かたや百恵チャンは、CBSソニー。
 CBSソニーという会社は、南沙織サンの時代からすでに、当時としては最高レベルのセンスあるアイドルソングを輩出していた気がします。

 そんなセンスあるレコード会社だったからこそ、百恵チャンは自らの意思によって驚異的なメタモルフォーゼを敢行することができたんじゃないでしょうかね。

 「SONGS 山口百恵」、来週のPart2では、「私がいちばん見たくない」(笑)引退コンサートの映像が、バンバン出るらしいです。 ゲンナリ(笑)。 まったく期待せず、もしなんだったら飛ばしまくりで見てやります(笑)。

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2010年10月 2日 (土)

土曜ドラマ 「チャンス」 第5回、第6回(最終回) 心に残る 「ダニー・ボーイ」

 金融と競馬のふたつの世界を描いた(最後まで、おんなじ出だしでスイマセン)NHK土曜ドラマ、「チャンス」。

 このドラマ、主演の藤原紀香サン、敵役の市川亀治郎サンの熱演は確かに光っていました。

 特に最終回の、長時間に及ぶ英語でのプレゼン。 ここまで長い全編英語ゼリフのシーンなど、私はじめて見ました。
 これがもしカンニングペーパーもなかったとすると、実に驚異的です(実情はどうなんでしょうか?)。
 おふたりがプレゼンでしゃべっている内容は、モンゴルのインフラ整備についてで、実に難解な英語が多用されるもの。 私だったら、一行か二行くらいしか覚えられまっせん!(笑)
 亀治郎サンの英語は、アクセントを強調した 「歌舞伎チック」(笑)な英語、紀香サンのほうはネイティヴで実におじょうずな英語でした。 ちょっと、これをカンペなし、というのは、考えられないっス。

 ただ熱演が光るわりには、心に残らない。

 なぜかというと、物語がどことなく上っ面をなでている感じで、ドラマに必要不可欠な、人間のぶつかり合いによっておこる意外性の昇華、というものが希薄なのです。
 このドラマを見ていて感じるのは、意外性、という側面が全くない、ということ。
 まるで最初からこうなるのは分かっていた、とでも言えるようなことしか起こらない。
 予定調和が、役者の熱演を阻害している感じがするのです。

 そんななかで、「予定調和だろうが心に残る演技はできる」 という実証を示してくれたのが、チャンス号の調教師木川を演じた、宇津井健サンでした。

 彼は自らの命が残り少ないことを知りながら、チャンス号に自らのすべてを注ぎ込む。
 そんな彼がチャンスに頬ずりしながらよく口ずさむのが、「ダニー・ボーイ」。
 自らの余命を馬と一緒にいることの喜びと共に生きようとする、なんとも言えない 「人生の落日の美しさ」 に満ちた映像でした。 その情景を思い出すだけで、なんだか泣けてくるのです。 チャンスが菊花賞に敗れた直後、厩舎で木川は倒れます。

 そのまま亡くなった木川ですが、最終回、有馬記念の最終コーナーで、「今だ!」 という木川の声を、紀香サンは一瞬聞くのです。 その瞬間、その木川の声が届いたかのように、チャンスに鞭を入れる、桜田騎手(瀬川亮サン)。 涙がじわっとあふれました。

 たとえその場にいなくても、この幻聴にも似たひと声で、見る側の気持ちをさらって行ってしまう。 これこそが、本物の役者、記憶に残る役者の演技、というものではないでしょうか。

 「プロというものは、体だけでもダメ、いちばん大切なのは、『折れない心』 じゃないかと、私は思いますよ。
 馬も騎手も、プロだったら必ずケガや失敗もある。
 その時どれだけ、心を強く保てるか」

 プロだったら、脚本や演出家のせいにしてはいけない、ここで心を折ることなく、自分の演技以上のものを出し切り全うせよ、という宇津井サンの気持ちが、このセリフから感じ取れる気がするのです。 本当に愛おしそうに、残りの時間を惜しむように、馬に頬ずりしていた木川。 どんな上っ面なフィクションでも、見る側はそんな姿に思わず涙してしまうのです。

 それにしてもこの、架空 「有馬記念」。
 杉本清サンが実況、というのも臨場感がやたらと高まりましたし(杉本サンはこの手の架空実況をよくやっている気がしますが)、レースの見せ方にも、手に汗握るものがありました。 もっとしつこくやってほしかった気さえします。 特にファンドビジネスの展開がステレオタイプチックだったので、そっちをやるよりこっちだろ(笑)っつー感じだったんですけど。

 臨場感、という点では、モンゴルでの紀香サンのインフラ取材も、なんかドキュメンタリータッチでやたらとリアルでした。 こうした 「演技してない声」「演技しないセリフ」 って、ドラマの中で展開されると面白いものがあるなあ、なんて感じました。

 ファンドビジネスサイドでは、想定内、と言わんかの如く、腹心の裏切りに合い、逮捕失脚していく亀治郎サン。 9.11のときにかけがえのない友人を失った、という告白によって、彼が道を踏み外したきっかけというものが提示されたのですが、やはり突っ込み不足の感は否めない。 亀治郎サンの気持ちの掘り下げや葛藤をもっと見せれば、こちらサイドの話はもっと締まった気はするのですが。

 ただそんな想定内だらけのドラマの中で、作り手の言いたいことは伝わった気がします。
 先ほどの 「折れない心」 のテーマもそうですが、「今ここにあるチャンス」 を逃さない、という紀香サンの姿勢を加賀まりこサンが指摘し、菊花賞の出走を渋る宇津井サンが決断する、という場面もそうでした。
 失敗を恐れて委縮しているいまの世の中に、「もっとアグレッシヴに生きよ」「チャンスを逃すな」 というメッセージを、絶えずこのドラマは発信していた気はするのです。

 それに、短い回数で上っ面っぽい話のわりには、役者さんたちはひとり残らず自分のポジションを演じ切った、と言えるのではないでしょうか。 特に紀香サンは、改善の余地がじゅうぶんある演技なのですが、将来それが克服できたときは、凄い役者に大化けするかもしれない、そう感じます。
 まあ彼女が、役者の仕事を終の棲家と考えるかどうかに、かかっているんですけどね。

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「てっぱん」 第1週 どこまで、ついていけますかね…?

 第1回目の感想で、「ゲゲゲの女房」 とのチェンジオブペースがもたらす戸惑いについて指摘したんですが、第1週目を固めて見た時点で、作り手の目指しているものが、ほんの少しですが感じられた気がします。

 「ゲゲゲの女房」 では、「いまの日本人にとって忘れ去られている大切なもの」 を、実在するマンガ家夫婦の生き方を通して一緒に探して行こう、という番組自体の姿勢があった。
 それは妖怪のように、「目には見えないもの」。
 このつかみどころのないものを、ドラマ全体で表現しようという手法をとっていました。

 対して 「てっぱん」 は、「架空である」 というドラマの特性を生かして、「形あるものを作り出そう」 という、全く逆のスタンスをとっています。 ドラマ本来の定義からいくとこちらのほうが王道なのですが、最初のきっかけをどう創作していくのか、この難しさを今回は特に感じます。 「ゲゲゲ」 のあととあっちゃあ、ねえ…。 危惧したとおり、ずいぶん乱暴な物語の始め方でした(笑)。 でも1週をとおして見ると、ゴーインな始め方で何を表現したかったのかが分かる気がするんですよ。

 第1週でクローズアップされていた 「形あるもの」 は、主人公あかり(瀧本美織チャン)の吹く、トランペット。

 彼女は養子だったのですが、彼女の亡くなった母親(木南晴夏サン、「10年先も君に恋して」 の、亜美チャン役ですよね)も、やはりトランペット吹きだった。
 物語はあかりの祖母、田中初音(富司純子サン)が、その母親の吹いていたトランペットを海に投げ捨てるところから始まります(厳密に言うと違いますけど)。
 それを目撃したあかりが海に飛び込んで2度のサルベージ(笑)。
 「そんなものはもう要らん」
 「なんでじゃ!」
 の押し問答の末、結局そのトランペットをあかりは家に持って帰る。
 その晩現れたのが、その 「べっちゃあ」、田中初音。
 「娘はどこや?」 と言いながらずかずかとあかりの家に入って行き、あかりの母親(安田成美サン)から、娘が死んだことを知らされる。
 初音は自分の娘が死んだとその時点で知り、あかりは自分がその死んだ女性が実の母親だったことを同時に知ることになる。

 これが物語の立ち上げ方です。
 先に指摘したように、ずいぶん乱暴な始め方です。
 トランペットを海に投げ捨てるおばあちゃんもゴーイン、たまたま通りかかって、それを飛びこんで2度も拾うヒロインもゴーイン、さらにそのふたりが実のおばあちゃんと孫だった、という話も、「超」 の付くゴーインさです(笑)。

 しかも、「自分が実の家族ではなかった」 と分かってしまった娘を、母親(安田サン)は 「自分の娘だから大丈夫」 という、とてつもなく巨大な自信から放置する(笑)。 この巨大な自信は、どこから来るのか?(笑)

 これを毎日ブツ切りで見せられる視聴者は、正直気の毒であります(笑)。
 第1回目を見ただけで、あとは土曜日に固めて見た私が、正解でした(笑)。

 なぜならこれらの違和感を解消する手立てが、きちんと用意されていたからです。

 結局祖母のいる大阪まで、母親のトランペットを返しに行ったあかりは、そこでお祭りの出し物になし崩しに出てトランペットを吹く羽目になるのです(これもかなりゴーインっちゃあゴーインなんですが…笑)。
 「娘の吹くトランペットなど、聴いたこともない」 という初音が、その娘のトランペットを孫が吹いているところを、そこで目撃する。
 かたやその孫のあかりのほうは、このトランペットを自らのアイデンティティを崩壊させる道具だととらえていて、「これを吹いたら自分がいままで育ててくれた家族と縁が切れる気がする」 という思い込みによって最初、かなり拒絶するのですが、結局なし崩しに(笑)吹いてしまう。

 この場面こそが、第1週目で作り手が受け手に見せたかった場面だったんだ、と思うのです。

 自分の娘が死んでいた、という悲しみを、娘をクサすことで紛らわせる、初音。
 そんな強情っ張りのおばあちゃんが、娘の目指したトランペットの道を認めずに一度も聴いたことのなかったその音色を、実の孫が吹いているのを見て、なにものかを感じている。
 そしてあかりは、母親が吹いていたトランペットを吹くことで、自分の母親の残留思念(「幻魔大戦」 か?…笑)要するに思いやぬくもりを、肌で感じることになるのです。
 トランペットということは、要するにまあ、マウスピースをちゃんと拭いていても、間接キッス、ちゅーことですよね(表現が下品で申し訳ありません)。
 他人の楽器を弾いてみて感じる感覚、というものは、とても奇妙なものです。 それがその人の愛器であったなら、その感覚はさらに強い。 しかも直接唇をつけて吹くトランペットなら、なおさら、という感じがします。

 ここらへんの情念を祖母と孫の間で結実させたこのシーン、なんか、泣けました。

 そして(時系列的には逆ですが)あかりの実の母親の墓参りに行った安田成美サン、つけてきたあかりに、肝心なことは一切話さないのですが、

 「謝ったりとかせんよ!

 お母ちゃん、これっぽっちもあんたに悪いことしたなんて思うとらんし。

 ほじゃけど、びっくりじゃったのう!」

 そう言って、あかりの頭を強くなでまわすのです。

 あかりもマウスピースを吹きながら  「ホント、びっくりじゃ! べっちゃあが、うちのばあちゃんなんてな!」 と、思い切り明るくふるまう。

 このシーンで、安田サンも美織チャンも、このドラマではどういう役どころなのか、なんとなく分かった気がするんですよ。
 安田サンは芯のとても強い女性。 けれども強すぎて、ちょっとポキッと折れそうな脆いようなところがある。 実はその芯の強さは、「母親としてそうあらねばならない」 という、意思の表れなんですよ。 だから 「自分の娘だから大丈夫」 という、かなり不確定な要素にすがろうとするようなところがある。

 美織チャンは、その母親のDHAならぬ(このギャグ、かなり可笑しかったです)DNAを、まあ血はつながっとりませんが受け継いで、かなり芯が強く、そして自らをいつも鼓舞していよう、という意志の見える女の子です。 そしてその性格は、おばあちゃんの初音にも共通しているようなところがある。

 ただまあ。

 物語のつかみどころはとらえた気がするのですが、結構話のゴーインさに、オイオイ…と思う部分があるので、これを半年間見続けるのか、と問われると、かなり微妙であります。
 ただ第1週目で、泣かせるべき部分はちゃんとあった。 この感触に今後期待することにして、しばらくまた、付き合ってみようかと思うのです。

「てっぱん」 に関する当ブログのほかの記事
第1回 名作の後番組は、ハードルきついですよねhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/1-8eb5.html

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